「07月忌」カテゴリーアーカイブ

資料年表:朝尾直弘

資料年表:朝尾直弘<作業中

年月日 事項 メモ
1931
1217 誕生。
1962
02 『大阪労音10年史―勤労者芸術運動の一つの歩み』(朝尾直弘編著、大阪勤労者音楽協議会)
1979
1002 受入承諾のハガキ(藤原⇒宇吹)
1995
0425 『朝尾直弘教授年譜・著作目録』(朝尾直弘教授退官記念事業会)
0429 『日本国家の史的特質 近世・近代』(朝尾直弘教授退官記念会編、思文閣出版)
 吉田守男「長崎原爆の照準点」
0429 『日本国家の史的構造 近世・近代』(朝尾直弘教授退官記念会編、思文閣出版)
 宇吹暁「日本原水爆被害者団体協議会の結成」
2022
0707 没。享年90歳。

 

平和に生きる(村上経行後援会)

『平和に生きる』(村上経行後援会、19721001)

内容

見出し
口絵
02 まえがき
03 少年のころ
/米騒動の年/小さな正義派
08 学生時代
/早稲田へ/冬の時代/学友とマルクス主義
12 敗戦前後
/銃剣よさらば/三菱広船へ/結婚/被爆、父の死/待ちのぞんだ朝
17 党を求めて
/党本部へ/地区委員会を結成/三菱の組合づくり/////
23 日鋼闘争
/たたかいの火の手/広船の仲間と/血と怒りと/広がる支援/カチューシャのうた
27 たたかいの軌跡
三菱造船を首に/妻のたたかい/わたしと原水禁運動/署名のない手紙
28 [コラム]夫を語る 身内も難題もずばっ(妻 須美子)
30 [コラム]理路整然、純粋な人(山口勇子)

 

資料年表:村上経行

資料年表:村上経行<作成中

1918
04 広島市大須賀町で生まれる。
1942
09 広島高等師範附属中学校卒
****
**** 早稲田大学政経学部卒。この間広島鉄道局へ約1年勤務。
1944
03 三菱重工業(株)広島造船所勤務。労組結成に尽力。
1945
08 広島市南観音町で被爆。
1946
01 日本共産党に入党。
1949
1022 三菱を解雇される。長女2歳、長男は生まれて1カ月。
<以上の出典=『平和に生きる』(1972)、『広島のねがいを国政へ』(1975)>
<宇吹は大学時代、同郷ということで長女(薬学部)・長男(医学部)と面識あり>
1972
1001 『平和に生きる』(村上経行後援会)
1975
1225 『広島のねがいを国政へ』(村上経行後援会)
 1982
0111 『黒い雨』(広島県「黒い雨・自宅看護」原爆被害者の会連絡協議会)
「黒い雨」降雨地域住民に被爆者手帳を 住民の不満や疑問 「赤旗」社会面トップに-35-<集まったのは10人ほど。民家の一室を借りておこなわれました。これには、共産党を代表して、村上経行党県経済委員長、屋敷一字広島市議らの姿も見えました>
連絡協議会役員一覧<顧問:村上経行>
 1986
 0806 『核兵器廃絶を訴える被爆者国際遊説の記録 Hibakusha Peace Tour(原水爆禁止日本協議会、19860806)』
被爆者国際遊説団名簿
●オランダA班 19850625~0708
村上経行 被爆者(広島)
1989
0806 『黒い雨』(広島県「黒い雨・自宅看護」原爆被害者の会連絡協議会)
「まえがき」<会長:**、副会長**、事務局長 村上経行>。「あとがき」(事務局長 村上経行)
 1991
 0607  藤居会社へ。村上経行も来る。 U
1026  村上経行より電話。党史についての問い合わせ。ソ連の評価が再び問題となる。 U
 1992
 0302  村上経行より電話。今日午後来所予定であったが忘れていたとのこと。70周年党史の編さんについて。 U
 1110  村上経行より電話。原爆文献の数の問い合わせ。約6000件と答える。 U
1222  藤居より電話。12時40分-13時20分。先日、村上経行が来た。 U
 1993
 0804  藤居より電話。約30分ほど話す。先日送った資料について感想を求めたら、今朝、村上経行が来た。村上がかって「ソ連の放射能で死ぬのなら本望」と言ったことがあるだろうと確認したら、認めた。竹内は、村上のようなものと一緒にやることは出来ないと言っていた。 U
 1117  村上経行、来所。民医連に来たついで。-15時45分。ニュースステーションの「黒い雨」特集の話。矢野記者が放影研の重松に会ったら「取材のスタンスを間違えている」という不見識なことを言った。放影研関係者が、黒い雨地域の住民の話を聞いたことは一度もない。 U
1994
1212  村上経行より電話。藤居のところで詳しい年表を見た。欲しい。宇吹=13日、自宅に郵送。 U
 1215  村上経行より電話。資料(被爆者運動年表)の礼。 U
1995
 0322  村上経行から電話。風邪で入院中。予め郵送されていた「95年平和のための広島の戦争展」について。広島で、戦争展をやることには抵抗があったが、今回、やっと意志統一ができたとのこと。前面に出ることは求めないが、相談に乗って欲しいとのこと。****より頼まれた。  U
1030  村上経行、来所。-15時半。****茂美「ことりもカラスもいなくなった」を持参、センターに寄贈。****が参加した国会請願について調査(何市何郡が参加したか)を依頼される。藤居を土曜日に見舞ったとのこと。インターネットを見せる。  U
1116  村上経行へ1956年3月の国会請願の資料(***茂美関係)を送る。 U
 1221  村上経行より電話。「占領下のヒロシマ」について。藤居平一が胃ガンで手術をした由。  U
 1996
 0419  藤居通夜。田中(中国新聞)=昨年9月後も退院したり上京していた。宇吹は、大変良い仕事(「まどうてくれ」)をした。村上経行=亡くなる数日前に会った。もうあまり持たないということは、医者から言われていた。本人は死にたくない、と言っていた。 U
 0426  村上経行より電話。藤居夫人より読売新聞社(東京)が15日午後に取材に来るとの連絡があり、二人ほど立ち会って欲しいとのことであった。自分は出ないほうが良いと思う。宇吹を考えている。検討しておいて欲しい。  U
 0426  [つづき]村上経行=庄野は、吉田嘉清が弔辞を読むように勧めていたが、体調が悪いとか何とか言って、葬儀の途中で帰ってしまった。田中(中国)は、藤居のことを本にするつもりでいる。****が弔辞の朗読を申し入れたが、藤居夫人が断った。****も同様。  U
0430  村上経行来所。5月15日の読売の藤居取材について相談。-11時。村上の話=4月14日に****と藤居夫人と3人で藤居を見舞った。廊下に出たら号泣していた。低空飛行3人組、村上孝太郎ETC。 U
 0509  村上経行より電話。読売の藤居夫人取材の手順についての相談。村上も藤居夫人もあまりに大げさに考えすぎると言うと、村上は「慣れていないから」と素直に返答していた。 U
 1997
 0121  村上経行より電話。山崎文男の日記、藤居追悼集の進捗状況について。  U
1206 元大正屋呉服店(レストハウス)の保存・活用を「みんなで話し合う集い」。於国際会議場コスモス。 参加者150人。この会議では、最高の数(楠発言)。マスコミの取材多数。金沢・藪井も。松本寛・佐藤重夫・植木研介・村上経行・森脇勝義・安藤夫人らの顔を見る。 U
1998
 1209  下村仁一画集「ヒロシマ-鎮魂と怒り」刊行を祝う会。於法華クラブ10F。-8時半。司会:小笠原伸江、チェロ演奏:庄司有子、挨拶:増田勉・吉野誠・石口俊一・橋詰由美子・中村俊博・久保浩之・石川・堂垣内崇雅など。[自由発言]宇吹=30年前、下村と一緒に資本論やレーニンを読んだ。楠=下村は、レッドパージになった3人の教員の1人。徳毛宜策・村上経行・若林節美・武田寛などの顔を見かける。  U
 2000
 0714  村上経行、来所。13:00~13:30。広島大学医学部年史。  U
 0718   村上広島県「黒い雨・自宅看護」原爆被害者の会連絡協議会に医学部史を郵送。 U
 2004
0501 『黒い雨 ヒロシマからの証言』(広島県「黒い雨」原爆被害者の会連絡協議会)
71p「黒い雨」と私(増田善信)<私がこの卵形の地域以外にも、「黒い雨」が降っていたことを知ったのは、1985年夏の原水爆禁止世界大会でした。当時の「黒い雨」の会の事務局長村上経行氏から教えられたもので、****>
95p <広島県「黒い雨」原爆被害者の会連絡協議会名簿>の名誉役員欄に「村上経行」あり
2011
07 村上経行没。享年93歳
2012
0930 『黒い雨 内部被曝の告発』(広島県「黒い雨」原爆被害者の会連絡協議会)
103p「 村上経行さんが「黒い雨の調査結果には迷惑をこうむっている」という趣旨の発言をされた。」、「村上さんは開口一番「気象の専門家として、あんなに激しい雨があんなにきれいな卵型をした地域だけに降ると思いますか」と質問された」(増田善信)

資料年表:小寺初世子

資料年表:小寺初世子<作業中

年月日 事項 備考
1932
**** 兵庫県生まれ。
1972
0331 『広島女子大学文学部紀要 第7号』(広島女子大学)
「朝鮮人被爆者の法的地位」
1976
0220 『国際法の基本問題 小谷鶴次先生還暦記念論文集』(山本敬三 [ほか]著、有信堂)
第3章 国際法主体としての国家と個人 小寺初世子 <26>
1979
0101 『広島平和科学 2 1978/79年』(広島大学平和科学研究センター)
国際人権規約の批准とその法的効果
小寺初世子…1
0310 『広島女子大学文学部紀要 1979 第14号』
小寺初世子 在日外国人(在広朝鮮人・韓国人)被爆者の核意識 19
1101 『世界 第408号』(岩波書店)
韓国人・朝鮮人被爆者の核意識 小寺初世子 328
1980
0320 『広島女子大学文学部紀要 1980 第15号』
小寺初世子 外国人と社会保障-被爆者援護と外国人被爆者の問題を含めて 70
0415 『原爆問題 広島総合研究会会報 No. 3』(原爆問題広島総合研究会)
外国人の核意識―大学卒外国婦人に対する試験的調査のまとめ―広島女子大学大学部 小寺初世子、木本喜美子
0910 『平和研究 第5号 現代日本の平和保障』(日本平和学会)
〔書評〕小寺初世子
広島県朝鮮人被爆者協議会(朝被協)白いチョゴリの被爆者   182
1981
0101 『広島平和科学 4 1981年』(広島大学平和科学研究センター)
「第二次世界大戦におけるいわゆる“朝鮮人徴用工”への未払賃金供託事件に関する法的一考察 一般市民の蒙る戦争災害の救済」 小寺初世子……1
0320 『広島女子大学文学部紀要 1981 第16号』
小寺初世子 原爆災害の法的研究-非戦闘員犠牲者の法的地位を中心に 143
1982
0101 『広島平和科学 5 1982年』(広島大学平和科学研究センター)
国際刑法と罪刑法定主義  小寺初世子……83
0130 『原爆問題 広島総合研究会会報 No.10』(原爆問題広島総合研究会)
より効果的な核兵器の禁止を求めて―国際刑法典の制定をめぐる最近の国連活動への期待― 小寺初世子
0320 『広島女子大学文学部紀要 1982 第17号』
小寺初世子 原爆災害の法的研究(その2)-非戦闘員犠牲者の法的地位を中心に 39
1983
0320 『広島女子大学文学部紀要 1982 第18号』
小寺初世子 原爆災害の法的研究(その3)-非戦闘員犠牲者の法的地位を中心に 71
0501 『平和文化 第41号』(広島平和文化センター)
非戦闘員被爆者の法的救済をいかに定めるか国家補償の必要性を認める方向で 広島女子大学教授 小寺初世子
1994
0101 『広島平和科学 16 1994年』(広島大学平和科学研究センター)
条約の普及(dissemination)について(調査報告)―女子差別撤廃条約を例に― 小寺初世子……85
『広島平和科学 17 1994年』(広島大学平和科学研究センター)
人権を侵害された個人がもとめる国際的救済 小寺初世子……79
1995
0101 『広島平和科学 18 1995年』(広島大学平和科学研究センター)
第4回世界女性会議(FWCW=北京会議)と女性の地位向上 小寺初世子
1996
0101 『広島平和科学 19 1996年』(広島大学平和科学研究センター)
『従軍慰安婦』への『戦後補償』とその法的問題点 小寺初世子……93
1997
0101 『広島平和科学 20 1997年』(広島大学平和科学研究センター)
条約と日本―条約の国内法としての効力を考える― 小寺初世子……307
0125 『21世紀世界の人権』(田畑茂二郎編、明石書店)
第8章 女子差別撤廃条約とその問題点 小寺初世子 198
0210 『国際人権法概論』(畑博行・水上千之編著、有信堂高文社)
女子差別撤廃条約 小寺初世子
1 はじめに 64
2 女子差別撤廃条約と日本 67
(1)条約批准まで 67
(2)条約批准のインパクト- 1  67
(7)条約批准のインパクト- 6 73
3 おわりに 74
1998
0101 『広島平和科学 21 1998年』(広島大学平和科学研究センター)
人権条約による人権保障の実効性について
―留保の問題を中心に― 小寺初世子……191
1999
0101 『広島平和科学 220 1999/2000年』(広島大学平和科学研究センター)
人権条約による人権保障の実効性ついて(続)
―留保の問題を中心に― 小寺初世子……235
2001
0731 死亡。

資料年表:山下義信

資料年表:山下義信<作業中

年月日 事項 備考
1894
0321 広島県呉市生まれ。
 1954
 0625  『ながれ』(村上哲夫)pp.437-440
 「野人の面目躍如 参議院議員 山下義信」
1956
01 『広島市における原爆障害者対策に関する調査概要』(参議院社会労働委員会調査室)
参議院社会労働委員の現地調査 谷口弥三郎・山下義信
 1967
 0401  『菊池女子大学生』(山下義信 編注、善行会刊)
 1975
 1225  『戦後三十年の歩み』(広島県動員学徒等犠牲者の会)
 動員学徒の援護に関する記事 山下義信 123
1982
0630 『歌論短歌の解明 真樹叢書第85編』(山本康夫著、真樹社)
山下義信編注「菊池女子大生」 248
1989
0730 死亡。享年95歳。
0805 「ひと きのう きょう 流れ雲 山下義信さん(7月30日没 95歳) 原爆孤児に「家庭」作る」(渡辺雅隆)『朝日新聞(夕刊)』1989年8月5日
 2017
 0321  『広島戦災児育成所と山下義信 山下家文書を読む』(新田光子著、法蔵館)
2019
11 山下義信の遺族、「広島戦災児育成所」の日誌や写真などを広島市の平和記念資料館に寄贈(『朝日新聞』宮崎園子)

 

資料年表:増岡敏和

資料年表:増岡敏和

年月日 事項 備考
1928
**** 広島市生まれ。
1949
1120 『われらの詩 第1号』(増岡敏和編、「われらの詩の会」編集室刊)
外は嵐だ 他一篇 増岡敏和 4
1950
0101 『われらの詩 第2号』(且原純夫編、「われらの詩の会」編集室刊)
ニュース 増岡敏和  14~15
0201 『われらの詩 第3号』(古井誠三編、「われらの詩の会」編集室刊)
なかまの肩  增岡敏和  14
支部報告 県北から  増岡敏和  20
0303 『われらの詩 第4号』(上野邦彦編、われらの詩の会編集局刊)
眼ん玉  增岡敏和 9
一行評論  増岡敏和 22
編集後記 上野邦彦/村中好穂/且原純夫/増岡敏和/瀧隆治/岡本/峠三吉  30
0501 『われらの詩 第5号』(望月久良壽編、われらの詩の会編集局刊)
増岡敏和 20
0620 『われらの詩 第6号』(藤田千秋編、われらの詩の会編集局刊)
街へやる手紙 増岡敏和 13
1025 『われらの詩 第9号』(峠三吉編、われらの詩の会刊)
1215 『われらの詩 第10号 1周年記念号』(われらの詩の会刊)
増岡敏和 9
1952
0510 『われらの詩 第14号 高木正幸特集』(峠三吉編、われらの詩の会刊)
風の子 增岡敏和 7
裏表紙:広告 増岡敏和詩集『風の子物語』・御庄博実詩集『交響詩岩国組曲』
1953
0720 『われらの詩 第19号』(峠三吉編、われらの詩の会刊)
作品Ⅰ
新聞の記事から 増岡敏和 2
1101 各地の詩運動
中核の思想 増岡敏和 12
1110 『われらの詩 第20号』(われらの詩の会刊)
 二十号発刊にあたって 編集部 1
詩および詩運動 増岡敏和 4
1954
0215 『風のように炎のように-峠三吉追悼集』(峠三吉追悼集出版委員会・われらの詩の会編・刊)
増岡敏和「峠三吉氏の生涯」  4
0806 『廣島 歌集』(歌集廣島編集委員会編、第二書房)
増岡敏和 142
1101  『われらのうた 第1号』(われらのうたの会刊)
 李徳全女子歓迎 増岡敏和 26
1206 『われらのうた 第2号』(われらのうたの会刊)
特集 誌上・広島のうたごえ
歌をつくる運動 「怒りの胸」を作曲して 木下航二  5
(*歌詞)「怒りの胸」   5
(*楽譜)「怒りの胸」 増岡敏和詞・木下航二曲  6
(*歌詞付き)世界民青連代表歓迎のうた 長藤久子 7
平和を守る歌声 深川宗俊 8
(*楽譜)「わが故郷」 増岡敏和詞・村中好穂曲 9
1955
0109 『われらのうた 第3号』(われらのうたの会刊)
一言集
増岡敏和 12

詩人本屋 増岡敏和  31-32
0210 『われらのうた 第4号』(われらのうたの会刊)
詩 さあ諸君 増岡敏和   2
シュプレヒコール 歌のベルト―中・四国うたごえ参加作品
山下磨玲、植野浩、増岡敏和 3-7
0301 『詩運動 No.13』(詩運動社)

声 増岡敏和 14
0310 『われらのうた 第5号』(われらのうたの会刊)

春二題 Ⅰ/Ⅱ 増岡敏和  26
0410 『われらのうた 第6号』(われらのうたの会刊)
渦の中 増岡敏和  25-26
0510 『われらのうた 第7号』(われらのうたの会刊)
特集 第二回 誌上広島のうたごえ
鉄路のうたごえ 増岡敏和詞・村中好穂曲  6
0610 『われらのうた 第8号』(われらのうたの会刊)
表紙
(*楽譜)青年栄光曲増岡敏和詞・村中好穂曲 1(表紙裏)
短歌特集
峠三吉短歌抄  21
峠さんの短歌について 増岡敏和  21
0710 『われらのうた 第9号』(われらのうたの会刊)
発展のための問題の提起(*われらのうた第一回総会報告)
増岡敏和  5-11
0810 『われらのうた 第10号』(われらのうたの会刊)
第四回文化の集いのこと 増岡敏和  19
石の沈黙 増岡敏和  22
あとがき  48(裏表紙裏)-裏表紙
(*楽譜)広島のうたごえ増岡敏和詞・村中好穂曲、
0910 『われらのうた 第11号』(われらのうたの会刊)
 城壁 増岡敏和 25
1010 『われらのうた 第12号』(われらのうたの会刊)
詩 写真 増岡敏和  12-13
1110 『われらのうた 第13号』(われらのうたの会刊)

風  増岡敏和 12-13
1210 『われらのうた 第14号』(われらのうたの会刊)

習作 父と子 増岡敏和 51-55(裏表紙裏)
1956
0101 『われらのうた 第15号』(われらのうたの会刊)

詩二題(家庭/ある秋の夜) 増岡敏和 10-11
0216 『われらのうた 第16号』(われらのうたの会刊)
文章特集(*十六号までの批判をうけて)
詩集「明日への眼」後記 増岡敏和   15
(*広告)増岡敏和詩集、麻井比呂志詩集、ラジオ放送曲から、
0308  『われらのうた 第17号』(われらのうたの会刊)
 受贈誌紹介  46
詩集評(*増岡『明日への眼』、麻原『昇天拒否』について)田辺耕一郎、上本正夫、浜野チホ子、四国五郎  47-54
雑感(1) 増岡敏和   54
雑感(2) 増岡敏和   59
0405 『広島文学 第6巻第2号 昭和31年春季号』(広島文学協会)
 =詩= 雪の朝 増岡敏和 38
0408  『われらのうた 第18号』(われらのうたの会刊)
文学サークル運動覚え書き 増岡敏和  14-18
0510 『われらのうた 第19号』(われらのうたの会刊)
二つの実りによせて(*増岡・麻井詩集出版記念会メッセージ)赤木健介、壺井繁治、遠地輝武、大島博光、坂井徳三、李仁、深川宗俊  4-9
(*報告)増岡敏和「明日への眼」麻井比呂志「昇天拒否」 詩集出版記念会報告 27
0610  『われらのうた 第20号』(われらのうたの会刊)
  東京詩集(早春/道) 増岡敏和   10
0710 『われらのうた 第21号』(われらのうたの会刊)

「われら」の合評会のみなさんへ 増岡敏和 25-29

東京詩集(演説/サラリーマン) 増岡敏和  30
0801  『樹木と果実 第5号』(五味書店刊)
作品
沖縄の少女 増岡敏和 27
0807  『われらのうた 第22号』(われらのうたの会刊)
 二十一号漫歩 増岡敏和  2-4、27
原爆詩特集―いまもなお
戦争二題(玲子/生きかえらぬものはいない―歌詞のために) 増岡敏和 16
0915   『われらのうた 第23号』(われらのうたの会刊)
 側面的発言として 二十二号漫歩 増岡敏和  32-35
1110   『われらのうた 第25号』(われらのうたの会刊)
 詩
道 増岡敏和 26
1119 『ひろしま創作曲集』(広島合唱団)
わが故郷 増岡敏和作詩…8
1210   『われらのうた 第26号』(われらのうたの会刊)
 詩
恋 増岡敏和 13
町へ 増岡敏和 14
1957
0201  『われらのうた 第27号』(われらのうたの会刊)
 遠い富士―ある疲れた人に代わって― 増岡敏和 40
0301  『われらのうた 第28号』(われらのうたの会刊)
 あたりまえでなくそしてあたりまえに
―27号詩特集号漫歩― 増岡敏和  44-49
0401  『われらのうた 第29号』(われらのうたの会刊)
第三回峠三吉祭から 増岡敏和 4-5
東京詩集(演説/サラリーマン) 増岡敏和  30
0501  『われらのうた 第30号』(われらのうたの会刊)
 座談会3 新しい歌の土壌―広島合唱団の読者と
大保隆司、児玉藻佑、村中好穂(*広島合唱団)
望月久、増岡敏和、島陽二(*われらのうた) 6-16
0610  『われらのうた 第31号』(われらのうたの会刊)
 歌う詩三つ
おまえになろう/五月の歌 増岡敏和 5
「歌詩」「大丈夫」と「詩でする話」―三十号漫歩― 増岡敏和 32-35
1201   『われらのうた 第35号』(われらのうたの会刊)
散文詩冬の木―工場で― 増岡敏和  10-11
1958
0910  『われらのうた 第38号』(われらのうたの会刊)
 たより
増岡敏和・・・  40-42
1205  『われらのうた 第39号』(われらのうたの会刊)
 たより
増岡敏和・・・ 59-62
1961
1201 『戦いと挨拶』(起点社)
 1962
0520 『われらのうた 第54号』(われらのうたの会刊)
「増岡敏和詩集」評 増原正 30-33(裏表紙裏)
1963
1101  『文化評論 1963-No.24』(日本共産党中央委員会)
 わが党に・他四編(詩・選外佳作) 増岡敏和 123
1964
0801  『ひろしま 創刊号』(広島県文化会議)
随想・ある心情の中の敵/増岡敏和 30
1965
0301 『ひろしま 第2号』(広島県文化会議)
創刊号を読んで・広島の意志・その周辺/増岡敏和 28
0801 『ひろしま 第2号』(広島県文化会議)
反戦詩歌人集団(一九五〇年)のこと 増岡敏和 52
1966
0601 『詩人会議 第4巻第6号』(飯塚書店)
詩誌評 追及の深さとおちつき 増岡敏和 66
1970
0620 『日本原爆詩集』(大原三八雄・木下順二・堀田善衛編、太平出版社)
怖れ 増岡敏和 148
0701  『文化評論 1970-No.106』(日本共産党中央委員会)
□創作 原爆碑銘について(詩) 増岡敏和 166
0831 『八月の詩人 原爆詩人・峠三吉の詩と生涯』(増岡敏和著東邦出版社、)
1001 『広島通信 No.23』(「広島通信」の会)
原爆詩 増岡敏和
1101 『われらの時代に 大島洋詩集 詩人会議叢書』(大島洋著、詩人会議)
跋 増岡敏和 106
1971
0710 『平和詩集 第2集』(広島詩人会議運営委員会)
鳴る 増岡敏和 79
0730 『広島の詩人たち 新日本新書134』(増岡敏和著、新日本出版社)
 0801  『民主文学 第69号通巻119号』(新日本出版社)
詩人の運命―峠三吉・その原爆詩の弾道― 増岡敏和…100
0901 『日本児童文学 第17巻9号通巻179号』(日本児童文学者協会編、盛光社)
<峠三吉未発表遺稿童話集>
百足競争
お爺さんと娘
ドッヂ・ボール
峠三吉とその童話について 増岡敏和 112
1972
0725 『原爆と文学 創刊号』(原爆と文学の会)
創作 夏の饐え 増岡敏和 24
1973
0601 『原爆と文学 第2号』(原爆と文学の会)
創作 父と少年の碑  増岡敏和 70
0801 『でるた 79号 峠三吉没後20周年記念特集』(広島詩人会議)
峠三吉とわれらの詩の会のことなど 増岡敏和 17
1974
0615 『原爆と文学 第3号』(原爆と文学の会)
海の蝉しぐれ  増岡敏和 70
0801 『世界原爆詩集 角川文庫』(大原三八雄編、角川書店)
 増岡敏和 「巨大な沈黙の下に 久保山さんの死を聞いて」 79
1975
0628 『河 民藝の仲間166号』(「民藝の仲間」編集部編、劇団民藝刊)
峠三吉と「広島の青春」…増岡敏和…(11)
0701 『峠三吉作品集 上』(峠三吉著、峠一夫・増岡敏和編、青木書店)
解説 増岡敏和 278
0705 『原爆と文学 第4号』(原爆と文学の会)
座談会 「歴史としての体験」をどう定着させるか
―その創作観点と教育のあり方
中沢啓治 山口勇子 田川時彦 増岡敏和 2
創作
春十四郎先生 増岡敏和 81
0815 『峠三吉作品集 下』(峠三吉著、峠一夫・増岡敏和編、青木書店)
解説 増岡敏和 297
1976
0525 『[季刊]平和教育 第1号』(明治図書出版)
連載 作家と作品1 峠三吉
増岡敏和「峠三吉の抒情の変革とその生涯」 127
1977 
0801 『文化評論 1977-No.196』(新日本出版社)
「民医連金脈」なんてものはない 増岡敏和・・・79
0801 『原爆と文学 第5号』(原爆と文学の会)
 増岡敏和短篇集
幽かな父…54
消えた少女…59
ヘッドライト…65
1978
0801 『木の葉のように焼かれて 第12集』(新日本婦人の会広島県本部)
特別寄稿
われらのうたごえのなかのわがふるさとへ 増岡敏和 69
1201 『広島通信 No.59』(「広島通信」の会)
特集 核時代の文学
ひと一人死ぬとうことのゆゆしきに 増岡敏和
1979
0101 『平和教育 第9号』(日本平和教育研究協議会、明治図書出版)
○連載/作家と作品/原民喜とその生涯○
一輪の花の幻  増岡敏和 117
1980
0601 『広島通信 No.62』(「広島通信」の会)
特集 廣島・広島・ヒロシマ
耳朶に甦りつづける言葉 増岡敏和
1981
1111 『中川秋一遺稿集』(中川秋一先生遺稿・追悼文集刊行委員会編・刊)
増岡敏和氏宛書簡「控」 111
1982
0720 『反核・日本の音楽 ノーモア・ヒロシマ音楽読本』(芝田進午、矢澤寛、木下そんき編、汐文社)
占領下における広島の原爆文化活動ー広島の青春 増岡敏和 62
1 敗戦直後の文化活動-「中国文化」誌と峠三吉 62
2 原爆短歌と文学活動の展開-占領政策の制約のもとで 70
3 朝鮮戦争下の反戦平和運動-「反戦詩歌集」の発行と検閲制度 76
4 ”広島の青春”ー反戦平和詩集のひろがりと平和運動の発展 81
5 広島でのうたごえ運動の盛り上がり-第一回原水禁世界大会にむけて 88
0720 『にんげんをかえせ 詩集(新日本文庫)』(峠三吉著、増岡敏和編、新日本出版社)
解説 増岡敏和 209
1983
0201 『詩民10号 通巻131号』(広島詩人会議)
峠三吉没後三〇年特集<峠三吉と私>
在りし日の断片 増岡敏和 9
0430 『反戦のこえ 詩集 2』(戦争に反対する詩人の会)
雷鳥 増岡敏和26
0601 『文団連ニュース No.53』(広島県文化団体連絡会議)
増岡敏和氏(われらの詩の会)を迎えて
-峠三吉没後30年記念講演会を開く- 2
0901 『真樹 第54巻第9号』(真樹社)
 絶句 詩人・元同人 増岡敏和 81
1985
0725 『原爆を許すまじ 世界の空へ』(木下航二編、あゆみ出版)
広島のうたごえのことなど 増岡敏和 90
0801 『詩人会議第 23巻8号』(詩人会議編、飯塚書店)
座談会
『原爆詩集』が生まれる頃の峠三吉 増岡敏和氏に聞く…きき手 東けいこ・柴田三吉 46
0806 『広島の女 散文詩集』(増岡敏和著、あゆみ出版) U
 『詩人会議 第23巻8号』()
1986
0610 『反核平和詩集』(詩人会議編、新日本出版社)
尊い朝 増岡敏和 69
0806 『ひろしま 19号』(日本民主主義文学同盟広島支部)
対談 いま、原爆犯罪を問う 椎名麻紗枝 桜木早苗 増岡敏和 (司会) 60
1987
0806 『原爆詩人ものがたり 峠三吉とその周辺』(増岡敏和著、日本機関紙出版センター)
1990
0101 『稜線 季刊詩誌 No.33 冬』(稜線の会)
□批評・感想・随想
概念性を排して動きに即して具象へ 増岡敏和 12
0701 『ヒロシマ・ナガサキから何を学ぶか 第5集 被爆者・国民は何をしてきたか 東友文庫』(東京都原爆被害者団体協議会(東友会))
原爆被爆者運動の前史(正史) 増岡敏和……3
1992
0124 『1992年度久保医療文化研究所講演録』(久保医療文化研究所)
第68回講演会 ’92年3月14日
広島における反原爆文化運動の原点 増岡敏和
1993
0420 『ひろしま 32号』(日本民主主義文学同盟広島支部)
詩 滅びの碑 増岡敏和 44
0620 『ひばくのこころでシリーズ 3  忘れてはならない「あの日」を』(町友会とともに生きる会)
1 花をかざす-被爆者とともに-(詩) 増岡敏和・本間美智子
0715 『虹の碑 原爆被爆者証言詩抄』(増岡敏和著、日曜舎)
1020 『追悼記 増補』(広島女子高等師範学校附属山中高等女学校原爆死没者追悼文集編集委員会)
原爆で殺された玲子 1年3組 増岡玲子<兄>増岡敏和 24
1994
0620 『ひろしま 35号』(日本民主主義文学同盟広島支部)
 詩 八月六日に灼かれて 増岡敏和 38
1995
0130 『にんげんをかえせ 詩集』(峠三吉著、増岡敏和編、新日本出版社)
解説 増岡敏和 191
0301 『原爆と文学 1995年版』(原爆と文学の会)
被爆者証言組曲「虹の碑」「母子像」 増岡敏和 62
0601 『平和教育 第48号』(日本平和教育研究協議会)
詩 妹よ 増岡敏和…92
0701 『占領下の広島 反核・被爆者運動草創期ものがたり』(渡辺力人・田川時彦・増岡敏和編、日曜舎)
第1章 燃える景観
廃墟の中からのうたごえ(敗戦直後の文化運動)…増岡敏和
峠三吉の反戦・反原爆文学運動…増岡敏和
1950年8月6日の記録(ビラが降るビラが降る)…増岡敏和
第2章 にんげんをかえせ
最初の被爆者団体の結成と吉川清…増岡敏和
最初の被爆者援護法請願行動…増岡敏和
 0831  『ひろしま 37号』(日本民主主義文学同盟広島支部)
峠三吉の最後 増岡敏和 20
1996
0227 『原爆と文学 1996年版』(原爆と文学の会)
詩 パラドックスの鴉  増岡敏和 108
巻頭言・あとがき(増岡敏和・篠垤潔)
1997
0301 『原爆と文学 1997年版』(原爆と文学の会)
永代までも言問わむ―カンタ-タ 東京大空襲 増岡敏和 110
あとがき(増岡敏和・篠垤潔)
1010 『花なき薔薇の傍で 原爆被爆者証言詩抄』(増岡敏和著、日曜舎)
1998
0301 『原爆と文学 1998年版』(原爆と文学の会)
峠三吉の最期 増岡敏和 128
0710 『記憶の火群 短篇集』(原爆と文学の会編、日曜舎)
第1章(小説)
あすも凪…山口勇子 6
幽かな父…増岡敏和 20
立ち止まる風…森川恵美子 28
十八歳の青春…夏目侑子 46
大久野島の毒煙…紙地屋正 96
炎の夜の告発…岡田智晶 120
枯れ芒…篠垤潔 152
 1999
 0301  『原爆と文学 1999年版』(原爆と文学の会)
カンタ-タ沖縄戦 ウチナンチュの母 増岡敏和 84
あとがき(増岡敏和・篠垤潔)
2000
0301  『原爆と文学 2000年版』(原爆と文学の会)
カンタ-タ詞文 光ねんうちゆみ 増岡敏和 116
2001
0301  『原爆と文学 2001年版』(原爆と文学の会)
山口勇子さん追悼 小特集 113
山本文子 116 赤松宏一 118 日高のぼる 123 乙部宗徳 124
山田寿美子 128 山岡和範 130 増岡敏和 132 略歴 114
2002
0301  『原爆と文学 2002年版』(原爆と文学の会)
戦争二題―「微笑」「滴る」  増岡敏和 76
あとがき(篠垤潔・増岡敏和)179
1211 『茜 増岡敏和詩集』(十二舎)
2003
0301  『原爆と文学 2003年版』(原爆と文学の会)
反戦反核の響きを最高に伝える詩の言葉―峠三吉『原爆詩集』の貶めなどを糾す 増岡敏和 78
0715 『反戦アンデパンダン詩集』(反戦詩集編集委員会、創風社)
増岡敏和 微笑…246
 2004
0301 『原爆と文学 2004年版』(原爆と文学の会)
田川時彦氏追悼のページ
弔辞・弔詩  横川嘉範 ・小森香子・ 山岡和範・増岡敏和 ・夏目侑子 66
創作
優しかった玲子の遠い夕暮れ 増岡敏和 142
あとがき(篠垤潔・増岡敏和)
2005
0301 『原爆と文学 2005年版』(原爆と文学の会)
夕焼け人形(童話)  増岡敏和 114
あとがき(篠垤潔・増岡敏和) 表紙4
2006
0301 『原爆と文学 2006年版』(原爆と文学の会)
??
2007
0301 『原爆と文学 2007版』(原爆と文学の会)??

敗れたかにみえる日のある回想 増岡敏和 142
あとがき(篠垤潔・増岡敏和) 表紙 4
0806 『原爆詩一八一人集 1945~2007年』(長津功三良・鈴木比佐雄・山本十四尾編、コールサック社)
増岡敏和「鳴る」 254
2008
0125 『戦後日本における市民意識の形成 戦争体験の世代間継承 (叢書21COE-CCC多文化世界における市民意識の動態 , 31)』(浜日出夫編、慶應義塾大学出版会)
第7章 被爆者の現実をいかに認識するか?-体験者と非体験者の間の境界線をめぐって 八木良広 159
はじめに 159
Ⅰ 被爆者と非被爆者の間の境界線 163
1 増岡敏和のわだかまり 163
2 二つの認識作法-越えがたい「溝」と「線引き」 164
2010
0728 死亡。
2012
0806 『増岡敏和全詩集』(増岡敏和著、佐相憲一・鈴木比佐雄編、コールサック社)
2014
1026 『金輪島と原爆 原爆死没者慰霊碑参拝』(竹内良男)
「原爆で殺された玲子」(増岡敏和)…22
2017
0527 『第1回「峠三吉を歩く」 ピースウォークひろしま2017 原爆文学の記憶をたどる講座とフィールドワーク』(竹内良男制作)
<ヒロシマへ ひろしまから>通信No.35…峠三吉と増岡敏和

 

 

28 2010 増岡敏和 ますおかとしかず 82 8月6日(1945年)には海軍の予科練(飛行機練習生)で松山航空隊に入隊、8月6日頃は軍隊疎開で愛媛県の南部の深浦町にいた。敗戦の数日以内に広島市に帰る。祖母、母、長妹(原爆死)、次妹被爆弟たちは学童疎開中。

今中次麿 生涯と回想

『今中次麿 生涯と回想』(今中次麿先生追悼記念事業会編、法律文化社、19820415)

内容

imanaka01
imanaka02a
imanaka02b
imanaka03b
imanaka04a
236 中村義知
239 熊田重克
imanaka04b
259 佐久間澄
264 今堀誠二
268 後藤陽一
271 佐藤正夫
274 山代巴
277 挾田喜義
280 山口利男
284 石田明
288 中村吉男
290 山田浩
294 大西典茂
298 北西允
302 池田重久
303 頼和子
 imanaka05a
 imanaka05b
 今中次麿年譜
 imanaka06a
 遺稿目録
 あとがき 大西典茂・北西允・中村義知・山田浩

資料年表:志水清

資料年表:志水清

年月日 事項
1906
1025 大阪市で誕生。本籍:岡山県。
1930
05 第六高等学校理科甲類卒業
1931
04 岡山医科大学入学。1935年3月同大学卒業。
1942
12 陸軍技師
1943
0113 広島宇品港出港
0201 第25軍軍政府付、昭南特別区医療科主任
04 第29軍軍政監部付、
10 マライ・ジョホール州政庁衛生科長
1945
07 第7方面軍軍政監部付
1946
0131 レンバン島出港
0212 浦賀上陸、復員
02 広島逓信病院耳鼻咽喉科医長
09 厚生技官、厚生省衛生局勤務(厚生省中国地区駐在疫官)
1947
10 厚生技官、厚生省予防局勤務
1948
06 大阪府衛生部公衆衛生課長
1950
01 島根県衛生部長、衛生民生部長、衛生部兼民生部長、厚生部長、
1959
07 広島市保健局長
1961
05 広島大学教授(広島大学原爆放射能医学研究所、疫学・社会医学研究部門主任教授)
1967
04 広島大学原爆放射能医学研究所長(2期在任)
1970
03 広島大学教授並びに広島大学原爆放射能医学研究所長停年退官。
<以上の出典:「志水清教授略歴」(『志水清教授退官記念 業績目録』所収)>
1967
0330 『原子爆弾後障害研究会講演集 第7回』(広島原爆障害対策協議会編・刊)
2 講演内容
第1日(10.00~18.20)
健康管理成績のまとめ 志水清 5
1969
0329 『原爆被災全体像調査のための市民集会記録集』(原爆被災全体像調査のための市民集会開催委員会)
◇テーマ〈原爆被災全体像調査について〉15分間
発題者 広島大学原爆放射能医学研究所長
広島大学教授 志水清
0620 『原爆後障害広島シンポジウム講演集 [第9回]』(広島原爆障害対策協議会編・刊)
0720 『原爆爆心地』(志水清編、日本放送出版協会)
1970
0430 『原爆日記-第Ⅱ集』(広島県医師会)
回想 志水清 1
0915 『志水清教授退官記念 業績目録』(志水清教授退官記念事業会)
1972
0101 『ひろしま 原爆のきずあと』(志水清)
1974
0401 『原爆後障害研究会広島シンポジウム講演集 第14回』(広島原爆障害対策協議会)
シンポジウム
司会のことば 大内五良・志水清 99
被爆者健康管理に関する諸問題
1975
0101 『ひろしま 人間破壊30年』
1976
0331 『原爆後障害研究会広島シンポジウム講演集 第16回』(広島原爆障害対策協議会)
シンポジウム(II)
被爆30年における被爆障害者の医療と福祉の現状分析
司会のことば 志水清 129
0715 『山田節男追想録』
面影を偲んで 広島原爆被災復元委員会会長 志水清…438
1977
0910 『原爆と広島大学 「生死の火」学術篇』(広島大学原爆死没者慰霊行事委員会)
第34節 被爆者医療(志水清)252
1978
0401 『原子爆弾後障害研究会講演集 第18回』(広島原爆障害対策協議会)
一般講演
11.広島原爆養護施設における被爆長寿者の社会医学的動向(II)志水清 65
12.胎内被爆小頭症患者の現況と今日的課題 志水清 69
1979
0620 『ヒロシマを語る十冊の本』(ヒロシマを知らせる委員会編、労働教育センター)
志水清編「原爆爆心地」(1969年) 86
1980
0401 『原子爆弾後障害研究会講演集 第20回』(広島原爆障害対策協議会)
 22.広島原爆養護施設における被爆老人の死亡動向からの教訓 志水清 135
0806 『原爆孤老』(「原爆孤老」刊行委員会、労働教育センター)
二 今日の原爆孤老問題 志水清 205
1 原爆孤老とは何か 207
2 原爆孤老の生活実態 214
3 被爆者援護の現状 224
4 原爆孤老対策の方向 236
1981
0720 『紙碑 被爆老人のあかし[第1集]』(広島原爆被爆者援護事業団)
はじめに (ヒロシマ原爆養護ホーム所長)志水清
1982
1211 『ヒバクシャ ともに生きる』(原爆被害者相談員の会)
相談員の会に期待する 志水清 4
1984
0401 『原子爆弾後障害研究会講演集 第24回』(広島原爆障害対策協議会)
8.広島原爆養護ホームの老齢被爆者にみられる社会精神的後遺障害の動向 志水清 他 72(368)
1985
0525 『紙碑 被爆老人のあかし 第二集』(広島原爆被爆者援護事業団)
ごあいさつ 志水清
1225 『傷痕Ⅱ 戦後40年』(高畑長吉 編、広島県医師会)
戦地秘話  志水清(広島原爆被爆者援護事業団理事長) 236
1986
0301 『原爆被爆者援護のあゆみ(被爆者白書)』(広島県環境保健部原爆被爆者対策課)
第1章 被爆者関係団体のあゆみ 145
被爆者養護事業(財団法人広島原爆被爆者援護事業団理事長 志水清)145
0401 『原子爆弾後障害研究会講演集 第26回』(広島原爆障害対策協議会)
一般演題
3.広島原爆養護施設における超高齢被爆者の社会医学的観察 志水清 他 45
1989
0720 『ヒロシマ医師のカルテ』(広島市医師会)
第2節 原爆医療制度の推移
原爆医療と福祉 志水清 218
1991
0525 『日本の原爆記録15 原爆孤老・沖縄の被爆者』(家永三郎、小田切秀雄、黒古一夫編、日本図書センター)
今日の原爆孤老問題 志水清…167
1 原爆孤老とは何か……168
2 原爆孤老の生活実態……174
3 被爆者援護の現状…184
4 原爆孤老対策の方向……194
0724 死亡・享年84歳。
 1995
 0801  『世紀を超えて 爆心復元運動とヒロシマの思想』(児玉克哉編、中国新聞社)
 2000
 0801  『被爆者の集い 20年の歩み』(全労働省労働組合広島支部)
 1981年 広島原爆養護ホーム所長志水清氏の講演レジュメ 集い開催 案内文10
2020 
 0717  『夏の雲は忘れない ヒロシマ・ナガサキ一九四五年』(夏の会 編、大月書店)
 全員死亡 志水清??? 78

 

岡本三夫

岡本三夫

おかもと・みつお 1933****生20190720没 享年86歳 平和学者。1976年、四国学院大学で初の平和学講座を開講。1992年に第9条の会ヒロシマを結成。

資料年表:岡本三夫<作業中

年月日
1933
**** 誕生
1976
0405 『平和研究 第1号 平和研究の方法』(日本平和学会)
現代平和研究の可能性 岡本三夫 122
0520 『核廃絶か破滅か-被爆30年広島国際フォーラムの記録 市民の学術双書』(飯島宗一・具島兼三郎・吉野源三郎編、時事通信社)
軍備縮小から軍備撤廃へ――平和研究の視点―― 岡本三夫 169
1977
0425 『平和研究 第2号 平和価値と平和教育』(日本平和学会)
平和研究の深層 国際平和研究学会(IPRA)夏期セミナーに参加して  岡本三夫 133
1984
0424 広島のYMCA国際平和研究所、永井秀明、ロニー・アレクサンダー、飯忍、岡本三夫(ロンドン滞在中)をオランダ・西ドイツに派遣。反核ネットワークづくりのため。
1993
0529 空辰男・李実根・大牟田稔・河合護郎・北西允・岡本三夫ら、被爆50周年に向け平和都市広島の在り方を考えるため市内で懇談会。 C
0612 「第9条の会ヒロシマ」(世話人代表:岡本三夫)、憲法9条全文を書いた布で原爆ドームを取り囲む。 C
07 『平和学を創る―構想・歴史・課題』(岡本光夫著、広島平和文化センター刊)
0806 「第9条の会ヒロシマ」(世話人代表:岡本三夫)、中国新聞に意見広告「平和への希望『憲法9条』を世界に広めよう」。 C
1994
0724 「第9条の会ヒロシマ」(世話人代表:岡本三夫)、村山首相の非武装中立放棄への抗議文を首相宛てに送付。 C
0806 「第9条の会ヒロシマ」(世話人代表:岡本三夫)、中国新聞に意見広告。732人・団体の市民カンパで。 C
1995
0303 岡本三夫、広島別院での「平和を願う念仏者の集い」で講演。 C
1220 <市民のフランス原爆展>
1996
0104 <市民のフランス原爆展>
0502 「第9条の会ヒロシマ」(世話人代表:岡本三夫)、「日米学生平和会議イン・ヒロシマ」開催
2005
0228 『修道法学 27巻2号』(広島修道大学法学会)
岡本三夫「平和学 – 過去・現在・未来 : 私の自伝的「平和学」論」
2011
0514 「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」(森滝春子ら共同代表)結成10周年を迎え総会。岡本共同代表が退き、田中利幸(広島市立大学広島平和研究所)が代表代行に。 C
2012
0218 「第9条の会ヒロシマ」(岡本三夫世話人代表)設立20周年の集い。於:原爆資料館メモリアルホール。 C
0227 『岡本平和研』閉鎖へ」活動5年 最後の総会 中区 C
<岡本非暴力平和研究所=2007年原爆ドーム近くのマンション1室に開設、2月26日に最後の総会>
2019
0720