三宅一生訃報(中国新聞)

三宅一生訃報(中国新聞)<作業中

2022年8月10日(1面)(城戸良彰)
20220810miyakec
 2022年8月10日(1面)「天風録」(要旨)
 オバマ氏(米大統領)のプラハ演説(2009年):「核兵器のない世界」を、広島、長崎に原爆を落とした唯一の核保有国として行動する道義的な責任。三宅一生さん(広島市東区出身のデザイナー)の訃報が長崎原爆の日に届く。プラハ演説に心揺さぶられ長年の沈黙を破った三宅さん:被爆体験を米ニューヨーク・タイムズ紙に寄稿、オバマ氏に広島訪問の呼びかけ。本紙記者に「人種差別という壁を破ったオバマ氏に、核兵器廃絶への壁も破ってほしい」と語。7歳の時見た閃光、大やけどを負い3年たたずに亡くなった母。口癖の「服は福」:服は第二の皮膚、あの日の痛々しい皮膚でなく「福」を多くの人にとの願い。「文化は皆で創り上げるもの。平和を求める心はそこに自ずと育つ」の言葉が残る。
 2022年8月10日(13面)
評伝 三宅一生さん 個性重んじ普遍性生む 着る人と「楽しさ」共有 (八代到=共同)
 2022年8月10日( 29面)
 創作根底に平和への願い 日本の芸術にぽっかり穴 三宅一生さん死去 関係者惜しむ声
 芸術に多大な貢献 広島県の湯崎英彦知事の話
 鉱石市民の誇り 広島市の松井一実市長の話

三宅一生訃報(Microsoft Bing)

三宅一生訃報<作業中

Microsoft Bing
24時間以内 新着ニュース 10:16
〈すべて〉FNNプライムオンライン.com毎日新聞.comスポニチ.com朝日新聞社日刊スポーツ読売新聞.comAFPBB News2022年8月10日10:16検索【三宅一生】

*時間前 報道媒体 見出しなど
2 madameFIGARO イッセイ ミヤケの創業デザイナー、三宅一生氏が【8月5日夜】84歳で死去
2 Fukui Shimbun 三宅一生さん、繊維産地福井との関わり深く 84歳で死去、取引続い
3 FNNプライムオンライン 三宅一生さん死去 パリでも悲しみの声 仏メディア「永遠の
4 Nishinippon Shimbun 「イッセイミヤケ」三宅一生さん死去 84歳、世界的ファッション
4 スポニチ 世界的デザイナー・三宅一生さん 肝細胞がんで死去 84歳
5 朝日新聞社 三宅一生さん死去 84歳 世界的デザイナー
6 山陰中央新報デジタル 三宅一生さん死去 世界的服飾デザイナー 84歳
7 熊本日日新聞 デザイナーの三宅一生さん死去 既成概念破る服作り、84歳
7 NIKKEI 三宅一生さん死去 84歳、ファッションデザイナー
7 毎日新聞 三宅一生さん 84歳=世界的デザイナー
8 NIKKEI 世界的に活躍したファッションデザイナーで、文化勲章受章者の三宅一生(みやけ・いっせい、本名=かずなる)さんが8月5日、肝細胞がんのため東京都内の病院で死去した。84歳だった。葬儀は行った。(評伝を社会2面に)会長を務める三宅デザイン事務所が9日、発表
8 Oita Godo Shimbun 『イッセイミヤケ』三宅一生さん
8 BSテレ東 デザイナー 三宅一生さん (84) 死去 被爆者として核廃絶訴え
9 テレビ朝日 【訃報】デザイナーの三宅一生さんが死去
10 日刊スポーツ ファッションデザイナー三宅一生さん死去 5日に肝細胞がん 84歳
10 読売新聞 三宅一生さんの服は「動く彫刻」…美輪明宏さん「また一人天才が
11 Yahoo!ニュース 追悼:三宅一生|数々の建築家やデザイナーと協業。
11 楽天Infoseek 三宅一生氏死去、海外も速報=「最も先駆的なデザイナー」
12 AFPBB News 動画:三宅一生さん死去 ファッションデザイナー、84歳
12 産経新聞 三宅一生さん死去 既成概念破る服作り
12 山陰中央新報デジタル 【動画】デザイナーの三宅一生さん死去 既成概念破る服作り、84歳
13 毎日新聞 三宅一生さん、胸中に「原点の広島と新しい広島」
13 Fashionsnap ファッションデザイナー 三宅一生氏が死去 業界内外から追悼の声
13 日刊スポーツ 【復刻】三宅一生さん「長く着てもらいたい思いがいちばん」名
14 47NEWS デザイナーの三宅一生さん死去 既成概念破る服作り、84歳
14 AppBank スティーブ・ジョブズと日本???
14 モデルプレス 【訃報・評伝】デザイナー三宅一生さん死去 享年84歳 世界のイッセイ
15 山陽新聞 デザイナー、三宅一生さん死去 既成概念破る服作り、84歳
15 ORICON NEWS 『イッセイミヤケ』三宅一生さんが死去 84歳 事務所が発
15 広島ホームテレビ ファッションデザイナー 三宅一生さん(84)死去 広島市出身 世界
15 SANSPO ファッションデザイナーの三宅一生さんが死去、84歳
16 産経新聞 「一枚の布」から可能性追求 三宅一生さん死去
16 読売新聞 三宅一生さん「ピカドンデザイナー」と呼ばれたくなかった…生前
16 Yahoo!ニュース デザイナーの三宅一生が死去 84歳
16 ORICON NEWS デザイナー、三宅一生さん死去
16 中日新聞 ファッションデザイナーの三宅一生さん死去
16 KSBニュース 【速報】ファッションデザイナーの三宅一生さん(84)が死去
16 Fashionsnap 三宅一生氏が死去、享年84
16 Kyoto Shimbun ファッションデザイナーの三宅一生さん死去
17 Yahoo!ニュース ファッションデザイナーの三宅一生さんが死去、84歳…
19 NHK ファッションデザイナーの三宅一生さん死去 84歳

 

増田勉

増田勉

ますだ・つとむ 19160102生20070821没 享年 画家。小学校・中学校教諭、校長

単著

書名 発行 年月日
増田勉”ヒロシマ”シリーズ 増田勉 1980
被爆画家・増田勉の伝言 原爆被爆画家・増田勉の画業伝承実行委員会 20010801

 

田沼肇全活動

『田沼肇全活動 付・田沼肇著作集DVD』(田沼肇全活動・著作集編集委員会編・刊、日本評論社(発売)、20080704)

内容

006 はじめに
1部
010 田沼肇 全活動 著作・執筆年表 10
田沼肇の執筆活動について  83
〔付記〕民主主義科学者協会(民科)の活動 90
藤新太郎
田沼肇について  92 上田誠吉
慎獨寮時代  97 高野源明
調査統計局のなかま  105 浅野径
田沼肇 略年譜 田沼肇 アルバム 110
田沼さんの優しさと強さ  114 橋本進
2部
120 労組、民主的組織の講師・助言者活動など
田沼先生と私  142 伊藤和子
千葉県職労女性部と田沼先生  144 藤しず江
「現代社会研究所」をつくられた頃  146 三階泰子
忘れ得ぬ「二つのこと」  149 葛岡章
田沼先生から教わったこと  151 前田啓一郎
154 原水爆禁止・被爆者援護・第五福竜丸保存の活動
「被爆者とともに」の運動  164 赤松宏一
被爆者とともにあることの意味  168 山村茂雄
「被爆者を友人に」の言葉をかみしめて  175 安田和也
人生を決めた出会い  177 伊藤直子
長崎の被爆者に聞く 179
186 日本フィル・日本ふぃる協会闘争支援
「ハート」を大事にした人 198
200 平和と革新をめざす東京懇話会の活動
この手に革新統一を!  206 角倉洋子
210 田沼肇の学究生活について 竹下睿騏
 研究所研究員として 210
大学教員として 212
大学紛争の解決をめざして 213
学部長として多摩移転に取り組む 216
教務関係のの仕事も 220
二つの組合の役員として 221
兼務校での仕事その他 229
むすびにかえて 230
232 田沼肇先生の研究業績について 嶺学
 1 調査統計論 232
2 階級構成論 234
3 社会政策・労働問題一般 235
4 労働運動史 236
239 「二世」の息苦しさ 田沼正平
244 肇さんありがとう 田沼祥子
254 あとがき

 

 

私の中の平和と人権

『私の中の平和と人権』(田沼肇、草の根出版会、19950530)

内容

 初出  年
序にかえて(上田誠吉)
1 戦争と私
青山暮色 青山師範附属小学校同窓会「つくし」卒業30周年記念号 1976
「私たちの時代」と言えること 学協運動 1981
『戦争責任』に想う 全国革新懇ニュース 1983
2 被爆者とともに
原爆被爆者の現状 日本原水協の英文機関誌 No more Hiroshimas’ 1982
大阪の被爆婦人たちのねがい 「文化評論」9月号 1975
被爆者に励まされて 「現実と文学」10月号 1964
被爆者の苦しみを思う 「民主文学」8月号 1966
みなさんの健康を願いつつ 大阪市原爆被害者の会『被爆婦人の集い』第3集 1971
返還直後の沖縄にて 日本原水協「6・9行動ニュース」 1973
被爆者救援運動と故・峠一夫さん 『民医連医療』9月号 1981
3 ビキニ水爆実験被災から
ビ十二水爆実験被災から 日本原水協「日本と本半洋が核戦場になる」 1984
第五福竜丸の値段 「福竜丸」だより 1986
ビキニ水爆被災の全容 「平和新聞」 1983
第五福竜丸と故・広田重道氏 「赤旗」 1982
4 核兵器と人類の未来
「原爆」と「原発」 「日高教情報」 1987
被爆者は実験のために使われた No  more Hiroshimas’ 1983
 
「憤りにまかせて」という論理  「原水協通信」  1975
核兵器廃絶はなぜ必要か  「草の根から革新の風を」  1983
人類は核戦争によって自滅するか  岩波書店『これからどうなる』  1983
「平和とは戦争がないことか」 「赤旗」 1981
非核自治体宣言の意義と地方自治 『平和教育』 1984
教科書の核・平和問題の記述を読む われら高校生 1986
5 草の根からの平和運動
 母親運動と平和の問題  母親新聞  1975
原水爆禁止運動と社会科学者の立場 東京理科大学新聞 1960
高校生の平和ゼミ 原水協通信 1983
唐津原水協を訪ねて 原水協通信 1983
企業社会と平和運動  平和運動  1992
6 歴史と文化と学問と
三井三池争議の教訓 教育大学新聞 1960
人間らしく働くということ 労働旬報社「わたしの選択あなたの未来」 1986
払の余暇 『前衛』7月号 1979
松川事件と映画 わかもの 1960
労働者と学問 労働 生活 学習 1968
7 病を得て想うこと
車椅子から見た社会問題  1994
原爆被害者援護法への道のり 1994
あとがき
初出一覧

 

 

献花(8月)

献花(8月)

 DSC08882
きょうちくとう(夾竹桃)   撮影場所:実家、撮影日 8月5日
 DSC09024
きく(菊)   撮影場所:広島市平和公園、撮影日 8月6日
 DSC09154
ゆり(百合)   撮影場所:実家、撮影日 8月13日
 DSC09174
あさがお(朝顔)   撮影場所:自宅、撮影日 8月14日
 DSC09175
ゼラニウム   撮影場所:自宅、撮影日 8月14日
 DSC09178
さるすべり(百日紅)   撮影場所:自宅、撮影日 8月18日
 DSC09179
   撮影場所:自宅、撮影日 8月18日
 DSC09184
   撮影場所:自宅、撮影日 8月18日
 DSC09182
ほうづき   撮影場所:倉庫、撮影日 8月18日
 撮影場所:自宅(標高:190m)・実家(標高:172m)・倉庫(標高:172m)(いづれも広島県呉市)

 

竹内釼

 

没年 名前 よみ 享年 備考
01 1974 竹内釼 たけうち・けん 1890年1月6日、福岡県生。

略歴

年月日 事項
1980.1.6 福岡県に生まれる。
1915. 旧制第5高等学校(熊本)を経て、東京帝国大学医科大学医学部卒業。
1916. 陸軍軍医中尉に任官。近衛師団に配属。
1919. 陸軍軍医学校外科主任教官となる。
1926. ドイツ留学(2か年)。帰途渡米視察。
1940. 中国派遣(約1年)
1939. 広島日本赤十字病院新設のため責任者となり、設立と共に初代院長となる。
1945.8.6 院長室にて執務中被爆、二昼夜人事不省、6ケ所骨折の重傷。
1947 昭和天皇御訪広に際し、広島被爆の状況について御前講演。
1948 広島日本赤十字病院再建復興なり、辞職。
1974.8.1 逝去。
出典:『竹内釼画集』(竹内辰五郎、2005年3月)

<宇吹メモ>「廃墟に立てば去りがたし」(『月刊中国 8月号』中国新聞社、1946年8月)に被爆時の体験を記す。

08月忌(一覧)

 8月に亡くなった人々
没年 名前 よみ 享年 備考
01 1974 竹内釼 たけうち・けん 1890年1月6日、福岡県生。1939年広島日本赤十字病院新設のための責任者、設立と共に初代院長。1945年8月6日、院長室にて執務中被爆、二昼夜人事不省、6ケ所骨折の重傷。<竹内釼
02 1989 鈴木喜代治 すずき・きよじ 88 日本映画社の原爆被災記録映画作り(生物植物調査班)に参加。
02 2017 磯野恭子 いそのきょうこ 83 34年ラジオ山口(現山口放送)にアナウンサーとして入社。のちディレクターとして,「聞こえるよ,母さんの声が…原爆の子,百合子」「祖国へのはるかな旅―ある中国残留婦人の帰国」など,戦争と平和をテーマにしたドキュメンタリーを制作。63年民放局初の女性取締役に就任。広島県出身。広島大卒。<ヒロシマの女たち・続
03 2015 阿川弘之 あがわ・ひろゆき 94 日本の小説家、評論家。広島県名誉県民。日本芸術院会員。日本李登輝友の会名誉会長。文化勲章受章。『広島県現代文学事典』(高木伸幸・記)<資料年表:阿川弘之
05 1990 桧垣益人 ひがきますと 94 元日本被団協代表委員(1970-81年)。広島駅地下道で被爆。1961-84年、広島県被団協事務局長。<資料年表:桧垣益人
06 1948 大塚惟精  おおつか・いせい  62  原爆被爆時の中国地方総監。『中国地方総監府誌 原爆被災記録』(刊行委員会、19720806)
 06  1945 粟屋仙吉  あわや・せんきち  48  被爆時の広島市長。津上毅一『粟屋仙吉の人と信仰:原爆にたおれた広島市長』待晨堂、1966年。
06 1945 森喬以 もり・たかもち 広島市立造船工業教諭として生徒を引率中、被爆死。
07 1945 李鍝 い・う 韓国人犠牲者慰霊碑(1970年4月10日除幕)の碑文。『すぎた歳月』(李方子、1973年)。『資料・韓国人犠牲者慰霊碑』(ピカ資料研究所など編、碑の会刊、1989.8.5)、『昭和天皇実録』。<資料年表:李鍝
09 1973 大月洋 おおつきひろし 67 民衆劇場。お宅で面談、資料閲覧
09 2000 田沼肇 たぬまはじめ 74 1950年、法政大学大原社会問題研究所に就職。64年同大学教授。93年退職し名誉教授に。日本原水協代表理事。<資料年表:田沼肇
10 1945 高木敏子 たかぎ・としこ 34 広島地方裁判所検事の妻。市内雑魚場町の家屋強制疎開後の跡片付づけにとりかかる前に被爆。『広島原爆犠牲者高木敏子追想録』(高木尊之編集発行、19730810)
10 1988 清水幾太郎 しみず・いくたろう 81 社会学者。原爆孤児精神養子運動に協力。<資料年表:清水幾太郎
12 1987 増本量 ますもと・はかる 金属物理学者。東北大学名誉教授。日本金属学会会長。広島県安芸郡矢賀村(現:広島市東区矢賀)出身。『増本量伝』
12 2006 小林文男 こばやし ・ふみお 72 中国研究者。アジア経済研究所主任調査研究員、広島大学名誉教授。<資料年表:小林文男
12 2015 明田弘司 あけだ・こうし 92 写真家。「戦争から復員後の48年、広島市内で写真展を開業。仲間とヒロシマ・フォト・クラブを結成。写真家の名取洋之助から広島の復興を記録するよう助言され、市民生活や街の活気を撮り続けた」(『中国新聞』2015.8.13)。<資料年表:明田弘司
14 1989 長岡弘芳 ながおかひろよし 57 本名:奥村弘芳。原爆文献研究家。『広島県現代文学事典』(大西昭・記)
15 1989 源田実 げんだみのる 84 広島県加計町出身。1941年第1航空艦隊参謀、真珠湾攻撃を立案、指導。1954年航空自衛隊に、1959年空将で航空幕僚長。1962年退官、参議院全国区で当選、以後4期、自民党国防部会長などを歴任。
15 1996 丸山 真男  まるやま・ まさお  82  政治学者、思想史家。東京大学 名誉教授 、 日本学士院 会員。<資料年表:丸山 真男
16 1945 丸山定夫 まるやま・さだお 44 俳優。日本移動演劇連盟桜隊を引率して慰問巡回中、広島で被爆。『俳優・丸山定夫の世界』(菅井幸雄編、未来社、19890806)
16 1945 手島守之輔 てしま・もりのすけ 31 竹原生まれ。県立第二中学校卒、東京美術学校油画科。8月1日臨時召集先の広島連隊で被爆、死亡。
16 2004 沖原豊 おきはら・ゆたか 79 広島大学長(第7代、1985年5月21日~)。教育学者。『解題:沖原豊関係文書目録』(執筆:酒井真)。
16 2023 中西巌 なかにし・いわお 93 旧被服支廠の保全を願う懇談会会長(初代)。『赤レンガ倉庫は語り継ぐ 旧広島陸軍被服支廠被爆証言集』(旧被服支廠の保全を願う懇談会、2020/03/01)
17 1991 田辺耕一郎 たなべこういちろう 87 「広島憩いの家」事務局長。1957年に開設された被爆者のための「憩いの家」を管理運営。『広島県現代文学事典』(岩崎清一郎・記)。憩いの家で面談、資料閲覧。資料年表:田辺耕一郎
18 1958 熊田秀雄 くまだ・ひでお 54 金光教御幸教会初代教会長。『御幸教会五十年史 改りのあゆみ五十年―第一部―初代熊田秀雄の求道と布教』(熊田信道、金光教御幸教会、1986.5.9)〈内容
18 1974 奥 久登 おく ひさと 93 広島県内の小学校長,県商工水産課長,広島市助役,県信用購買販売組合連合会長などを歴任。昭和17年衆議院議員(日本進歩党)。戦後,広島信用金庫理事長,県教育委員長。『奥久登先生 思い出の記』(佐々木勲編、広島信用金庫・広島大学東雲同窓会・広島県農業協同組合連合会関係諸団体・広島県安芸郡坂小学校同窓会刊、19640505)
21 1945 園井恵子 そのい・けいこ 33 『園井恵子・資料集 原爆が奪った未完の大女優』(岩手県松尾村、1991.3.31)
21 1986 四竈一郎 しかまいちろう 広島市基督教連盟委員長[50ヒロシマ・ピース・センター建設協力者]。[52広島平和問題談話会](日本キリスト教団広島協会牧師)。[54世界平和集会世話人(発起・常任)]。元広島県原水協代表理事( 被爆者)。
21 2002 近藤幸四郎 こんどうこうしろう 69 広島県被団協事務局次長、広島被爆者団体連絡会議事務局長、元日本被団協代表理事などを歴任。<資料年表:近藤幸四郎
22 1971 正木亮 まさきあきら 1892年3月25日広島県の玖波村生まれ。広島控訴院検事長時代に原爆被爆。
24 1945 仲みどり なか・みどり 36 東大病院で死亡(毎日新聞)。移動演劇 桜隊 に所属。公演先の広島市で被爆。<資料年表:仲みどり>
25 19450825 岡田二郎 おかだ・じろう 40 広島県立第二高等女学校の音楽教師。広島市南観音町で被爆。「岡田二郎に70年ぶり光 原爆に散ったバイオリニスト あす広響演奏会で紹介」(『中国新聞(富沢佐一・客員編集委員記)20150804』
25 1991 松前重義 まつまえしげよし 90 東海大学総長。広島調査団長として被爆直後に入市。<資料年表:松前重義
25 1995 御園生圭輔 みそのおけいすけ 82 終戦時、陸軍軍医学校教官として広島原爆の被害調査に当たる。<資料年表:御園生圭輔
26 2014 孫振斗 そん・じんどぅ 87 韓国人被爆者訴訟の原告の草分け<資料年表:孫振斗>
28 1983 山内敕靖 やまうち・ただやす 65 広島ガス社長。期間:19710226-19820628。<資料年表:山内敕靖
28 2017 羽田孜 はた・つとむ 82 内閣総理大臣(1994年4月28日~6月30日)
29 2010 森田俊男 もりた・としお 89 教育研究者。平和・国際教育研究会代表。<資料年表:森田俊男
30 1995 上栗頼登 かみくり・よりと 76 東広島市の児童養護施設「広島新生学園」元園長。<資料年表:上栗頼登
30 2017 谷口稜曄 たにぐち・すみてる 88 長崎被爆者。
 31  1945 中島光風  なかじま・こうふう 国文学者・歌人。広島高等学校教授。広島市上流川町の自宅で被爆。 『広島県現代文学事典』(岩崎文人・記)
 31  2005  ジョセフ・ロートブラット ろーとぶらっと  96  ポーランド 生まれの イギリス の 物理学者 、 平和活動家 。

 

わが昭和史(松前重義)

『わが昭和史』(松前重義、朝日新聞社、19870330)

内容

1 死線を越えて
懲罰召集にかけられる/高指令部付の二等兵に/祖国に生還/反東上運動に奔走/大政/翼賛会に飛び込む/技術者運動の先頭に立つ/ヒロシマ原爆の投下
2 青春の日々
3 柔道一代
4 教育への挑戦
5 政治と理念
6 民間外交20年
あとがき
松前重義年譜