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資料年表:河合護郎

資料年表:河合護郎<作業中

年月日 事項 メモ
1928
**** 誕生
1985
0601 『21世紀への都市戦略を考える 都市政策フォーラム・in・ひろしま NIRA地域政策研究シリーズ 4』(総合研究開発機構)
 ゲスト:鈴川俊夫(広島商工会議所専務理事)/檜山且典(広島経済同友会代表幹事)/上田宗嗣(広島青年会議所理事長)/竹下彪(広島県企画振興部長 )/
//河合護郎(広島市企画調整局長)
 1987
0110  『広島市保育連盟三十五年誌』(広島市保育連盟)
 終章 将来に向けて
河合護郎(広島市民生局長)「保育の昨日・今日・明日」
0401 広島平和文化センター新理事長に河合護郎(前広島市民生局長)が就任。河村盛明理事長は理事に。 C
0701 『平和文化 第66号』(広島平和文化センター)
河合護郎(当財団理事長)「マドリードで世界平和都市会議 ヒロシマの訴えに強い共感」  C
1114 広島市で「科学者による国際平和週間・広島集会」発起人は今堀誠二・河合護郎ら14人。 C
1215 『広島市医師会だより No.260』(広島市医師会)
〈招待席〉河合護郎「国際会議の裏方四方八方話」
1988
0225 C
0301 『平和文化 第70号』(広島平和文化センター)
河合護郎(当財団理事)「肌で感じる軍拡から軍縮への流れ 六か国首脳へ荒木市長に随行して」
1989
0530 C
0701 『平和文化 第70号』(広島平和文化センター)
核兵器廃絶を!ニュルンベルク宣言採択
西独の連帯都市会議に河合理事長出席
強い核兵器への危機感-ドイツ訪問記 河合護郎
ニュルンベルク宣言
1989
0530 C
0701 『平和文化 第78号』(広島平和文化センター)
核兵器廃絶を!ニュルンベルク宣言採択
西独の連帯都市会議に河合理事長出席
1990
0520 C
0701 『平和文化 第84号』(広島平和文化センター)
 核実験場付近のカラウル村で集会
アルマアタ核実験禁止国際市民会議に参加して 河合護郎
 1991
 0101  『平和文化 第87号』(広島平和文化センター)
河合護郎(訪中団長)「広島市民平和友好訪中団報告 全面軍縮促進で一致」
0121 C
1014 C
 1992
 0328  『広島医学 1992.03.28 第32回原子爆弾後障害研究会 特集号』(広島医学会)
河合護郎 特別発言 1.医療推進事業への願いと提言
1993
 0529  C
 0731
1998
0901 『被爆体験証言者交流の集い 10年のあゆみ』(被爆体験証言者交流の集い)
「ヒロシマを語り継ぐ」
(財)広島平和文化センター前理事長 河合護郎
6.10年目のメッセージ 18
1999
0215 『荒木武追想録-ヒロシマの心を世界へ燈々無盡』(荒木武追想録刊行委員会)
広島市職員関係者からの追想文
河合護郎 75
0715 『長崎平和研究 第7号』(長崎平和研究所)
特集2 核兵器廃絶を求める広島・長崎市民の集会(第2回)
(第2部) 「核兵器廃絶に向かって日本は何をなすべきか」
(パネルディスカッション)
水本和美/川副忠子/河合護郎/森野泰成/土田秀夫/梅林宏道/岡本三夫
1115 『長崎平和研究 第8号』(長崎平和研究所)
特集2 「いまこそ核兵器廃絶を!市民の集会」
主催者から発題――被爆地から/河合護郎…54
2001
0315 核兵器廃絶をめざすヒロシマの会 設立のメッセージ
』(【共同代表】 岡本三夫 河合護郎 森瀧春子)
2003
0731 C
1005 C
 2004
 0806  『Hiroshima Alliance for Nuclear Weapons Abolition News No.2  2004.8』(核兵器廃絶をめざすヒロシマの会)
 ヒロシマは大丈夫か 河合護郎
2008
0903  C
2009
0122 C
 2010
 0628  核兵器廃絶をめざすヒロシマの会、日本とインド両政府が原子力協定の締結交渉を始めたことに抗議する声明文を菅直人首相・岡田克也外相に送る。  C
2012
0513
1001
1005  『第12回 核兵器廃絶をめざすヒロシマの会:総会議案(2012.5.13)
 1215  『広島ジャーナリスト 第11号』(日本ジャーナリスト会議広島支部)
 河合護郎さん死去  C

 

かわい・ごろう 1928****生20121001没 享年84歳 広島平和文化センター元理事長。原爆投下の4日後の1945年8月10日、親族を捜すため爆心地付近に入り被爆。50年に広島市職員。企画調整局長、民生局長などを歴任し、87年から5年間、広島平和文化センター理事長。退任後は市民団体「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」の共同代表に就任。

河合護郎

河合護郎

月日 没年 よみ 享年 備考
1001 2012 かわい・ごろう 84 広島平和文化センター元理事長。原爆投下の4日後の1945年8月10日、親族を捜すため爆心地付近に入り被爆。50年に広島市職員。企画調整局長、民生局長などを歴任し、87年から5年間、広島平和文化センター理事長。退任後は市民団体「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」の共同代表に就任。