「01 月忌」カテゴリーアーカイブ

資料年表:岩佐幹三

資料年表:岩佐幹三<作業中

年月日 事項 メモ
1929
**** 誕生
1945
0806 修道中学校在学。 16歳。広島市富士見町の自宅庭で被爆。母と妹を亡くす。
 1960
 ****  石川県原爆被災者友の会を設立。
 1983
0615 『広島・長崎を考える平和ゼミナール記録集1 ヒロシマヘの旅』(全国大学生活協同組合連合会)
●講演 :岩佐幹三「くらしと平和」  16
1984
0108 『石川県平和委員会のあゆみ 再建20周年を記念して』(石川県平和委員会)
祝いのことば一決意と連帯一 (2)岩佐幹三
1215 『広島・長崎を考える平和ゼミナール記録集4  PEACE NOW! HIROSHIMA ’84』(全国大学生活協同組合連合会)
PEACE NOW! HIROSHIMA’84
開会集会・あいさつ 岩佐幹三 4
被爆問題国際シンポジウム報告書
一九七七年国連NGOシンポジウム調査
一般調査に関する報告 岩佐幹三 (1)
1986
0325 『鶴よはばたけ 「再び被爆者をつくらぬ」ために 創立二十五周年記念』(石川県原爆被災者友の会)
1990
0310 『被爆者援護法 核時代の人権宣言 かもがわブックレット 25』(被爆45周年に被爆者援護法を実現する京都の会編、かもがわ出版)
1 ひたたび被爆者をつくらぬために 岩佐幹三 5
被爆体験を語り継ぐ/なぜ援護法なのか/わたしのヒロシマ体験/原爆は人間に
1994
0625 『原爆被害者調査 ヒロシマ・ナガサキ死と生の証言』(日本原水爆被害者団体協議会編、新日本出版社)
岩佐幹三「はじめに 日本被団協原爆被害者調査結果から読みとったこと」  17
1995
0401 『被爆者援護法国会審議参考人の意見陳述 東友文庫 , 8』(東京都原爆被害者団体協議会(東友会))
参議院厚生委員会・参考人質疑
横川嘉範 …33
岩佐幹三 …47
0730 『青い空を いしかわの被爆者たちの50年』(石川県原爆被災者友の会編、若草書房)
第三部 被爆者運動
友の会の活動 西本多美子…141
被爆者の方の精密検査や診療に取り組んで 服部真…145
『この子たちの夏』をきっかけに 北市邦男…147
被爆者の悲願 谷岡房江…149
新しい法律の制定と国の被爆者援護対策の意味 岩佐幹三…151
2002
0301 『原爆と文学 2002年版』(原爆と文学の会)
証言 岩佐幹三「火の下の母の般若心経と行方不明に妹を探して」10
2003
0806 『原水協通信 第714号』(原水爆禁止日本協議会)
原爆症集団訴訟に支援を 岩佐幹三さん(日本被団協) 8
 2008
0710 『自分史つうしんヒバクシャ 第186号』(栗原淑江)
本編
日本が変われば 世界が変わる 9条守ろうの熱気集め「世界会議」に3万人
つうしんNO.186(2008.7)―1 岩佐幹三さん(千葉)
2009
0501 『ふたたび被爆者をつくるな 日本被団協50年史 1956-2006 本巻』(日本原水爆被害者団体協議会日本被団協史編集委員会編著、あけび書房)
1章 きのこ雲の下で…17
1 それは地獄絵そのものだった――岩佐幹三の証言
0701 『8月の晴れた日に 14』(被爆体験聞き書き行動実行委員会、コープネット労働組合平和部)
●第2部 被爆の体験をどう受け継いでいくのか
私の被爆体験と「原爆被害者の基本要求」 岩佐幹三さん(日本被団協事務局次長)…32
2010
0705 『法と民主主義 No.450』(日本民主法律家協会)
70 とっておきの一枚●被団協事務局次長 岩佐幹三先生………佐藤むつみ
2012
0615 『核兵器・核実験モニター 第401-2号』(ピースデポ)
[連載]いま語る―45 岩佐幹三(日本被団協代表委員)
2013
0331 『ヒバクシャからの手紙 被爆体験記集 第1巻』(広島平和文化センター 編集、厚生労働省・国立広島原爆死没者追悼平和祈念館)
岩佐 幹三 広島 第1巻 399
2014
0531 『広島の声』(P.R.プラシド・上田紘治編著、東洋書店)
原爆被害について考える-核時代に私たち人類はどう向き合うか- 岩佐幹三 25
1001 『国際平和博物館会議 第8回 日本参加者報告書』(安斎科学・平和事務所)
感想文集…8~40
岩佐幹三…11
2015
0330 『シリーズ戦争語りつごうヒロシマ・ナガサキ 2 キノコ雲の下で起きたこと』(安斎育郎文・監修、新日本出版社)
被爆者証言①
8月6日、母と妹におくる手紙 岩佐幹三さん(千葉県)  14
2020
0907 死亡。享年91歳
1006 『被団協 第501号』(日本原水爆被害者団体協議会)
岩佐幹三顧問 死去
2021
1106  『被団協 第514号』(日本原水爆被害者団体協議会)
岩佐幹三さん追悼集『被爆者を超え人間として伝えたい』

岩佐幹三

岩佐幹三

いわさ・みきそう 1929******生20200907没 享年91歳  修道中学在学中、被爆。1953年金沢大学教官となり同大名誉教授。1960年「石川県原爆被災者友の会」を設立。日本被団協事務局次長(2000年)・同会代表委員(2011年)<資料年表:岩佐幹三>

資料年表:堀田善衛

資料年表:堀田善衛<作業中

 年月日  事項  備考
 1918
 0717  誕生
 1951
 0801  『人間 6巻8号』(目黒書店)
 廣場の孤獨 堀田善衛 71
 1953
 0630  『日本詩人全集 第11巻 戦後百人集 創元文庫』(村野四郎 編、創元社)
 堀田善衛 現代史 61
 1954
0601 『婦人公論  6月号第446号』(中央公論社)
連載第6回 マリー・アントアネット 堀田善衛 238
 1957
1112 『岩波講座現代思想第11巻 現代日本の思想』(岩波雄二郎編、岩波書店)
 Ⅴ 知識人の問題
日本の知誠人 堀田善衛 157
 1219  『インドで考えたこと 岩波新書』(岩波書店)
1958
0220 『講座現代倫理 第2巻 悪について』(筑摩書房)
暴力 堀田善衛 160
 1998
 0905  没
 2010
1220 『広島県現代文学事典』(勉誠出版、山根繁樹・記)
「堀田善衛」(山根繁樹・記)

 

ほった・よしえ 19180717生19980905没 享年80歳 小説家。19180717

 

資料年表:サイド・オマール

資料年表:サイド・オマール<作業中

年月日 事項 メモ
1926
0728 誕生
 1943
 ***  南方特別留学生として来日。当時17歳。
 1944
 ***  広島高師文科興南部に入学。
1945
0806 興南寮で原爆被爆。
0830 帰国のため上京途次に京都で発病、京大附属病院入院。
0903 午後11時57分、死亡。出典:『生死の火』
 1957
 0817  S・M・アルサゴフ(シンガポールに住む哲学者)から広島市に依頼の手紙。弟のサイド・オマールの死亡証明書が欲しい。 C
1964
0516 サイド・モフシン・アルサゴル(オマールの兄)らマレーシア人留学生2人の遺族、広島市を訪問。 C
1974
0903 オマールの「墓を守る会」(園部健吉代表世話人)発足。円光寺(京都市)での法要に飯島宗一広島大学長らが参列。 C
 1975
 0806  『生死の火 広島大学原爆被災誌』(広島大学原爆死歿者慰霊行事委員会)
 4 留学生 339
 サイド・オマール・ビン・モハメッド・アルサゴル
 1980
 1031  『被爆南方特別留学生オマール少年の墓(思い出の記 第3集)』(園部健吉著、圓光寺)
1982 
 0515  『天の羊 被爆死した南方特別留学生』(中山士朗著、三交社)
 1991
 0525  『日本の原爆記録13 煉瓦の壁 長崎捕虜収容所と原爆のドキュメント、天の羊 被爆死した南方特別留学生』(家永三郎・小田切秀雄・黒古一夫、日本図書センター)
1993
0420 修学院小学校6年生(京都市)、マレーシアの南方特別留学生オマールの足跡をたどり平和学習。 C
0905 アザー・アジズ(南方特別留学生オマールの妹)広島訪問。留学生寮「興南寮」跡などを巡る。 C
 1994
 0210  『オマールさんを訪ねる旅 広島にいたマレーシアの王子様』(早川幸生編、かもがわ出版)
0419 修学院小学校(京都市)6年生166人、修学旅行で広島を訪問。 C
0822 土井たか子衆議院議長、訪問中のマレーシアで、アザー・アジズ(南方特別留学生オマールの妹)と対面。 C
 1995
 0806  『ヒロシマ五十年 或る少年兵の回想』(小笠邦久著、蝸牛社)
 5章 回想 254 オマール忌 305
 0815  『京都・左京の十五年戦争 戦時下を生きた人々』(平和と民主主義をすすめる左京懇談会編、かもがわ出版)
 被爆南方特別留学生サイド・オマール 早川幸生 113
08- 京都原水爆被災者懇談会(世話人代表=永原誠・京都橘女子大教授)、オマールをいのぶ反核ビデオ「オマールさんをしってますか?」を製作。永原の父は留学生の「興南寮」の寮監で被爆死。 C
 1996
 0810  『アジア戦時留学生 「トージョー」が招いた若者たちの半世紀』(藤原聡・篠原啓一・西出勇志著、共同通信社)
 南方特別留学生名簿 289
 2002
 0211  『東南アジアの弟たち 素顔の南方特別留学生 改訂版』(上遠野寛子著、暁印書館)
2003
 0505  『京都修学旅行ハンドブック 学び・調べ・考えよう』(京都平和・国際教育研究会編、平和文化)
 第5章 洛北を歩こう 53
4 一乗寺・修学院周辺一詩仙堂 59
圓光寺 59
コラム「被爆南方特別留学生サイド・オマール」62
 2011
 0822  『共に生きる ブルネイ前首相ペンギラン・ユスフと「ヒロシマ」 = Asia living together』(橋本明著、財界研究所)
 第6章 父に会いたくて故郷へ
サイド・オマールの死 144
 2014
1030 サイド・オマールの墓が校区にある修学院小学校6年生(京都市)94人、修学旅行で広島市を訪問、興南寮跡(オマールの被爆の地)で平和集会。 C
 2015
 0301  『ヒロシマが泣いているフクシマが泣いている ドキュメンタリー映画『ブラックラストワン』拾遺』(古田博一著、あいり出版)
 ヒロシマが泣いている 001
1.オマール氏との出会い 002
玉音放送現代語訳/『広島は泣いている』
2.被爆直後の広島とオマール氏慰霊 018
◇インタビュー:平塚哲夫先生
3.オマール氏の治療 020
◇インタビュー:濱島義博先生
4.京都原爆被爆者の会の活動 オマール君の墓 022
一 端源山圓光寺に/
二 広島から京都へ/
三 園部兄弟の熱意と多くの協力者/
四 看護の老婆とともに…/五 京都府原爆慰霊碑に合祀/
◇インタビュー‥平塚哲夫先生
間奏資料 ヒロシマ・ナガサキ以後今日まで 054
0416 「[特集]南方特別留学生 来日75年」<原爆投下時、広島にいた南方特別留学生>(『中国新聞』20180416、山本裕司)
 1113 南方特別留学生故 オマールの慰霊(園部敏江)や語りつぐ活動(新見博三)をしている2人に広島大学・学長特別表彰。 C
 2018
 0301  『史学研究 第299号』(広島史学研究会)
 平野裕次「被爆した南方特別留学生と戦後の日本社会 一九五〇年代半ばから一九六〇年代半ばまでの時期を中心として」
1109 「マレーシア出身オマールさん 被爆留学生しのぶ縁 墓のある京都の児童 中区でつどい」(『朝日新聞』宮崎園子記)
1224 「被爆死の南方特別留学生オマールさん 京都で広がる継承の輪」(『中国新聞』山本祐司・記)  C
 2019
0201 「『記者縦横』南方特別留学生 継承を」(『中国新聞』山本祐司・記)
0216 「被爆留学生のお話を聞く会」、被爆した南方特別留学生について学ぶ研修会を原爆資料館で開く。 C
 0806  『オマール王子の旅 広島で原爆に遭った南方特別留学生』(古田博一 作、藤原飛鳥 絵、あいり出版)
 0814  「帰国かなわなかったオマールさん 被爆死の留学生語りつぐ 京都・埋葬された寺周辺の住民ら」(『朝日新聞』宮崎園子記)
0902 「南方留学生のヒロシマ 苦悩にじむ手紙・はがき 交流あった栗原さん 資料館に寄贈」(山本祐司・記) C
 2021
 1208  『語り継ぐヒロシマ・ナガサキの心 下巻』(京都「被爆二世・三世の会」編、ウインかもがわ)
 ヒロシマ編
33 早川幸生…被爆南方特別留学生サイド・オマールさんを訪ねる旅 …391

資料年表:尾津訓三

資料年表:尾津訓三(おづ・くんぞう)

年月日 事項 メモ
****
**** 誕生。
1968
1025 『広鉄文化 No.15』(国鉄広島地方本部広鉄文化会議)
職場からの報告 告訴状前文 尾津訓三……24
1972
0325 『広鉄文化 No.23』(国鉄広島地方本部)
現行慰安会こう思う 尾津訓三……75
1981
0301 『ひろしま 4号』(日本民主主義文学同盟広島支部)
報告:人形劇賛歌-ある報告ー 尾津訓三 140
1983
0401 『文団連ニュース No.52』(広島県文化団体連絡会議)
碑前祭を皮切りに 峠三吉没後30年記念行事スタート
―300余名が詩碑の前で平和を誓う―
時移り俗易るとも 賛助会員 尾津訓三
1990
0331 『峠三吉資料目録』(広島市立中央図書館)
尾津訓三氏寄贈資料…200
1993
0331 『広島市公文書館紀要 第16号』(広島市公文書館)
尾津訓三「占領下における広島県内の文芸活動と検閲 」 45
1996
0331 『広島市公文書館紀要 第19号』(広島市公文書館)
〈研究ノート〉戦後復興と広島の演劇 尾津訓三 45
1998
0401 『鶴のいた町 尾津訓三作品集』(出版者:町博光)
1999
0902 没。享年65歳
0408 『広島に文学館を 広島の心を21世紀に伝えよう!』(尾津訓三、池田正彦編、広島文学資料保全の会)
1102 『悼記 劇作家・尾津訓三さん だれよりも願った地域演劇の復興』(『中国新聞』田原直樹・記)
2008
1114 尾津訓三追悼「縄文まつり」アステールプラザ

 

 

02 1999 おづ・くんぞう 65 劇作家。広島で被爆。「追記 だれよりも願った地域演劇の復興」(『中国新聞19991102』田原直樹・記)

門秀一

門秀一

資料年表:門秀一<作業中

年月日 事項 備考
1915
****
1969
0806 『濱井信三追想録』(濱井信三追想録編集委員会)
門秀一「平和の灯と浜井氏」  447
1976
**** 中国文化賞受賞。
1994
0902
0920 『広大フォ-ラムNo.314』
金田晋「門秀一先生を悼む」

 

かど・しゅういち 1915****生19940902没 享年79歳 核禁広島県民会議初代議長。広島大学名誉教授。西洋倫理哲学専攻。

資料年表:林重男

資料年表:林重男<作業中

年月日
1918
**** 誕生
1971
1208  『広島原爆戦災誌 第五巻 資料編』(広島市)
 13、被爆広島の写真記録者たち 971
 1981
 0730  『写真集 原爆をみつめる-1945年広島・長崎』(飯島宗一・相原秀次編、岩波書店)
 1983
 0221  『原爆瓦は語りつづける 原爆犠牲ヒロシマの碑建設の記録』(「原爆犠牲ヒロシマの碑」建設委員会)
『ヒロシマの碑』に思う 林重男 32
 1992
0619 『爆心地ヒロシマに入る カメラマンは何を見たか 岩波ジュニア新書208』(林重男著、岩波書店)
1994
0806 『ノー・モア・ヒロシマ 50年後の空洞と重さ』(小倉豊文著、風濤社)
付録 写真・地図・統計 153
1、被爆後の広島市全景 林重男撮影 154
2002
0901 死亡。
2005
  0715  『原爆と写真』(徳山喜雄著、御茶の水書房)
第二章 キノコ雲の下で起こったこと 53
林重男 「道楽」をせずに、忠実に記録 96
2006
 0515  『疑惑のアングル 写真の嘘と真実、そして戦争』(新藤健一著、平凡社)
 第三章 戦場とカメラマン 145
原爆を撮った男たち 150 /木村伊兵衛の抵抗-林重男/
2015
 0806  『広島原爆写真集 決定版 = The collection of Hiroshima atomic bomb photographs』(小松健一、新藤健一編、「反核・写真運動」監修、勉誠出版)
 対談「原爆を撮った男たち」の証言
松本栄一 林重男 (聞き手・小松健一)…224
 1001  『被爆70周年 ヒロシマを見つめる三部作  第2部』(広島市現代美術館)
 爆心地ヒロシマに入る 林重男…24
Entering the Hypocenter in Hiroshima…28
Shigeo Hayashi
図版、作家、作品解説 Plates, Notes, on Artists & Works
林重男 Shigeo Hyashi…
  2017
 0310  『戦中・戦後の記録写真Ⅱ 林重男・菊池俊吉・別所弥八郎所蔵ネガの整理と考察』(井上祐子、山辺昌彦、大堀宙著、東京大空襲・戦災資料センター)
 第1部 総論 4
林重男・菊池俊吉・別所弥八郎のプロフィールと所蔵写真について  井上祐子 5
第2部 林重男所蔵写真解題 13
1.戦中日本における防空と市民の暮らしの写真について  山辺昌彦 14
2.戦中日本における軍関係写真について  大堀宙 20
3.1943年中国取材写真について  井上祐子 28
4.1943年フィリピン取材写真について  井上祐子 36
5.1944年東南アジア取材写真について  井上祐子 38
6.戦後写真について  山辺昌彦 46
 2023
 0410  『原爆写真を追う 東方社カメラマン林重男とヒロシマ・ナガサキ』(林重男・井上祐子著、図書出版みぎわ)

 

01 200201 林重男 はやし・しげお 84 写真家。文部省学術研究会議原子爆弾災害調査研究特別委員会に参加、広島と長崎を撮影。<資料年表:林重男>

林重男

林重男

01 200201 林重男 はやし・しげお 84 写真家。文部省学術研究会議原子爆弾災害調査研究特別委員会に参加、広島と長崎を撮影。<資料年表:林重男>

資料年表:孫振斗

資料年表:孫振斗<作業中

年月日 事項 備考
1927
** 大阪市生まれ。
1945
08 広島で被爆
1972
0915 『朝鮮人被爆者 孫振斗さんに治療と在留を』(孫振斗さんを守る東京市民の会編・刊)
1974
0925 『鎮魂の海峡-消えた被爆朝鮮人徴用工246名』(深川宗俊著、現代史出版会)
補章 外国人被爆者の間題 193

孫振斗さんの勝訴

1975
1005 『被爆者援護法の論理 援護法制定運動の手びき』(原水爆禁止日本国民会議)
資料

朝鮮人被爆者・孫振斗さん勝訴46

孫振斗さん裁判の判決文(福岡高裁)60

1124 『ヒロシマを持って帰りたい』(韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部)
日本政府の国家責任を問う裁判(幹国人被爆者孫振斗さんの原爆手帳獲得の闘い)90
1978
0710 『朝鮮人被爆者孫振斗の告発 たいまつ新書40』(孫振斗さんに治療と在留を全国市民の会編集委員会編、たいまつ社)
1979
0101 『わたしたちの被爆者援護法制定運動と政府・国会の動き』(日本原水爆被害者団体協議会)
1 孫振斗訴訟最高裁判決抜粋…39
0305 『原爆被爆者関係法令通知集』(厚生省公衆衛生局企画課編、ぎょうせい)
資料

(六)孫振斗訴訟最高裁判決410

1981
0801 『「援護法」と在韓被爆者 基本懇意見書と三項目合意 在韓被爆者問題を考える No.1』(韓国の原爆被害者を救援する市民の会)
資料

孫振斗手帳裁判の最高裁判決(要旨) 26

1983
1208 『無援の海峡 ヒロシマの声、被爆朝鮮人の声』(平岡敬、影書房)
黙殺との戦い-被爆朝鮮人・孫振斗さんの訴え 67

圧殺される声 81

孫さんからの手紙 92

国家と被爆者-孫振斗さん勝訴の意味 149

1984
0731 『原爆と朝鮮人 長崎朝鮮人被爆者実態調査報告書 第三集』(長崎在日朝鮮人の人権を守る会)
第4章 全朝鮮人被者完全援護法の制定 96

2.「孫振斗訴訟最高裁判決」(全文)・前記に対する意見 109

1985
0625 『非核未来に向けて 反核運動40年史』(森瀧市郎著、績文堂出版)
16. 被爆者救援運動-国の責任を追及…215

被爆者救援運動の新段階 朝鮮人被爆者に対する責任 原水禁の援護法制定運動と総評被爆連 放射線被曝と原爆被爆者 国の責任を明らかにした孫振斗裁判と最高裁判決

1992
0731 『従軍慰安婦と戦後補償 日本の戦後責任』(高木健、三一書房)
第4章 戦後処理はまだ終っていない 138

孫振斗判決の意義 160

1995
0815 『在韓被爆者が語る被爆50年 求められる戦後補償』(韓国の原爆被害者を救援する市民の会)
起ち上がる在韓被爆者-日本の切り捨て政策に抗して 27

孫振斗手帳裁判 33

1998
0115 『朝鮮人被爆者孫振斗裁判の記録 被爆者補償の原点』(中島竜美編・著、在韓被爆者問題市民会議編・刊)
2000
1130 『ヒロシマを持ちかえった人々 「韓国の広島」はなぜ生まれたのか』(市場淳子著、凱風社)
第二章 立ちあがった在韓被爆者(一九六七~一九七八年)41

「座して死を待つことはできない!」と協会結成 41

「からだを治して!」と日本に直訴 46

孫振斗さん密入国、日本で支援始まる 50

孫振斗さんの手帳裁判闘争 51

「補償なるか」と期待高まるが 54

日本での治療の道、開かれる 55

2011
0615 『時代と記憶 メディア・朝鮮・ヒロシマ』(平岡敬著、影書房)
一九七〇年一二月三日 被爆朝鮮人孫振斗、来日逮捕さる 153
2014
0826 死去。

 

そん・じんどぅ 1927**生20140826没 享年87歳 韓国人被爆者訴訟の原告の草分け<資料年表:孫振斗>

 

上栗頼登

上栗頼登

かみくり・よりと 生19950830没 享年76歳 東広島市の児童養護施設「広島新生学園」元園長。<資料年表:上栗頼登>

資料年表:上栗頼登<作業中

年月日 事項 備考
****
**** 誕生
1983
0325 『広島県史-現代(通史Ⅶ)』(広島県)
「新生学園の歩み 1132」(今堀誠二著)
1995
0830
kamiguri01