『広島へ…そしてヒロシマへ 私の戦後平和運動史』(中本たか子著、白石書店、1986/07/25)
内容
章 |
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1 |
占領下で…9 |
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敗戦 9
はじめて婦人参政権を 12
2・1ストと新憲法 13 |
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2 |
レッド・パージ…14 |
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世にも不思議なできごと 14
追放の指令 17
朝鮮戦争 19
講話問題 22 |
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3 |
第5福竜丸の被災…24 |
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アメリカの水爆実験 24
久保山氏の死から 26
原水爆禁止署名うんどう 27
焼津の人びと 28
久保山すずさん 29 |
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4 |
広島の暑い夏…31 |
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広島へ 31
比治山とABCC 32
平和の名が多い街 34
原爆ドーム 36
原爆1号 37
「原爆被災者の会」 39
F・O・R(キリスト者友和会) 42
入院中の被爆者 46
被爆者の生活の窮迫 49
世界大会の前 51
第1回原水爆禁止世界大会 52
分散会 55
原爆基地化反対の訴え 58 |
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5 |
砂川のたたかい…62 |
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基地拡張の通告 62
強制測量 64
土地に杭を打たれても 70
不当検束と曉の町議会 71
プライス報告 76
学生たちの支援 77
参議院選挙 78
第2回原水爆禁止世界大会 80
再び強制測量 81
文化人・全学連の支援 82
泊まりこみの学生たち 84
10月5日のこと 86
全国の各基地からの激励と支援 87
合法的なたたかい 88
情勢が緊迫する 90
歴史的な10月13日 94 |
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6 |
安保闘争日記(抄) 106 |
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刻一刻と緊張をます 106
国会の暴挙 107
はじめてのゼネ・スト 114
報道機関の変貌 119
羽田事件とハガチーの声明 120
羽田事件の弾圧 130
第2次ゼネ・スト 134
6・15国会周辺の暴力 139
アイゼンハワー来日拒否 143
「新条約は無効である」 149
第3次ゼネ・スト 150 |
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7 |
新島のいんじいうんばあ…154 |
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ミサイル試射場の問題 154
山路で 156
オルグ団と暴力団 160
この暴虐 166 |
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8 |
銀杏ちる東大構内…171 |
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東大の民主化闘争 171 |
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9 |
被爆者はいま…178 |
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再び広島へ 178
山下会 181
「ぼく生きたかった」の母 183
小頭症の問題 187
原爆資料館とその付近 188
世界大会の分散会 189
被爆者が指導者になる 196 |
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あとがき 199 |
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止
資料年表:中本たか子
年月日 |
事項 |
備考 |
1903 |
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1119 |
誕生。 |
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1954 |
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0901 |
『中央公論 9月号 第792号』(中央公論社) |
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中本たか子「壁にかかる書像 」243 |
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1101 |
『婦人公論 11月号第451号』(中央公論社) |
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中本たか子 「夫への公開状-理想と現実のジレンマ-」 182 |
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1967 |
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1001 |
『文化評論 1967-No.72』(日本共産党中央委員会) |
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随想 人民の理性の勝利 中本たか子 86 |
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1968 |
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1201 |
『民主文学 第37号通巻87号』(新日本出版社) |
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広津和郎追悼特集
尽きない感謝をもって 中本たか子…99 |
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1969 |
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1101 |
『民主文学 第48号通巻第98号』(新日本出版社) |
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誓いの塔は見ている-新島・そのご- 中本たか子…152 |
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1974 |
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1115 |
『未来にかけるたたかい ドキュメント昭和五十年史 6』(佐藤静夫編、汐文社) |
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ミサイル反対の新島闘争 中本たか子 87 |
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1976 |
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0815 |
『抵抗の群集』( 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟編、白石書店) |
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この非情なる風土 中本たか子 47 |
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1983 |
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0801 |
『日本の原爆文学 10 短編Ⅰ』(美川きよ [ほか]、ほるぷ出版) |
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中本たか子「死の鞭と光」152 |
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1986 |
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0725 |
『広島へ…そしてヒロシマへ 私の戦後平和運動史』(中本たか子著、白石書店) |
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1988 |
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0801 |
『とべ千羽鶴』(中本たか子著、青磁社) |
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1991 |
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0928 |
没 |
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1993 |
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0806 |
『跛行 篠垤潔原爆小説集』(篠垤潔、青磁社) |
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<評価> 中本たか子の「原爆文学」 167
<書評> 中本たか子「とべ・千羽鶴」 181 |
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28 |
1991 |
中本 たか子 |
なかもと・ たかこ |
87 |
小説家。1927年上京、『女人芸術』誌に参加。1941年蔵原惟人と結婚。<資料年表:中本 たか子> |
止
中本 たか子
28 |
1991 |
中本 たか子 |
なかもと・ たかこ |
87 |
小説家。1927年上京、『女人芸術』誌に参加。1941年蔵原惟人と結婚。<資料年表:中本 たか子> |
止
『広島TODAY』(W・バーチェット著、成田良雄訳、連合出版、1983/08/06)
内容
章 |
見出し |
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はじめに 3 |
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1 |
原爆投下直後 11 |
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スイス政府を通じて抗議 アメリカ政府の返答 隠蔽政策の伝統 人生の岐路に立っていた 戦果を見にきた人びと |
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2 |
受難の広島レポート 20 |
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二つの現場報告 核実験場に汚染はなかった? 広島からの帰路 なぜ事実を隠すのか カメラ盗難・日本追放の仕打 |
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3 |
広島への道 |
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降伏調印式に背を向けて 従軍特派員として 太平洋を「分割」して取材 特攻隊、悲惨 沖縄で知った原爆投下 同盟通信の協力を得る 準備は整った |
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4 |
広島--一九四五年九月三日 42 |
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たった一人列車に乗る まわりは軍人だらけ 口に出せないヒロシマ 留置場で中村さんと会う 爆心地でタイプをたたく 広島レポート 削られた現場描写 私が書けなかったこと 勝部先生の忠告と訴え |
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5 |
妨害工作 57 |
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なぜ現場をみるのか アメリカ記者団の目的 立入り禁止となった東京 ヘンリー・キーズの活躍 ウェラー記者、長崎に入る 犯罪的なプレスコード |
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6 |
日本人がみた広島 67 |
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裏切られた希望 ”私だったら国を訴える” 想像を越える天皇の威信 東条英樹の運命 天皇崇拝とポツダム会談 |
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7 |
二十六年後の広島 77 |
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フリート街に別れを告げて ストックホルムアピールの頃 路上で、工場の門前で 人それぞれの感動 勝部先生との再開 中国新聞記者の述懐 ABCCと被爆者 |
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8 |
ヒバクシャ 90 |
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聴衆のさめた反応 被爆二世との出会い ”早くよくなって下さい” 被爆者の苦悩と不安 原爆病院で重藤先生にきく 岩国の畠中さんの話 勝部先生からの手紙 |
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9 |
生存者の抵抗 106 |
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不安定な生活基盤 このままでは救われない 裁かれざる犯罪 立ち上がる被爆者 一人ひとりの原爆 |
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10 |
原爆製造のドラマ 116 |
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ポツダム会談と原爆実験 ソ連に対抗するために ”戦争中に生きた目標に” ”権力者を仕事場に入れるな” 亡命した科学者たち ルーズベルトの決断 原爆という名の列車 |
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11 |
原爆使用への誘惑 130 |
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アルソス・グループ U計画の実態 ヒットラーと原爆 ニールス・ボーアの警告 グルーブズ将軍のあせり 科学者たちの抵抗 進退きわまった日本 ”戦争を終わらしてくれ” 原爆使用の最終決断 ポツダム会談の舞台裏 |
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12 |
原爆パイロット 152 |
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原爆を落とした側の苦悩 償いの日々 アンデルスのはげまし ノーモア・ヒロシマ 狂っているのは誰か ”手紙のように書きなさい” 原爆投下の朝 イーザリーの脱走 人間的感情への連帯 精神異常のレッテル 殺し屋ルメイの下で |
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13 |
広島と冷戦 179 |
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トルーマンとレーガン 外交の”切り札”として スチムソンの憂慮 チャーチルの対ソ認識 ギリシャで見たこと |
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14 |
自殺するアメリカ 193 |
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冷戦下のベルリンで 対ソ原爆使用の誘惑 ある政治的冒険家 一触即発のベルリン ”撃って撃って撃ちまくる” 挫折した軍事的冒険 危機の舞台は朝鮮に 一九八三年四月八日の記事 神聖な目的のための犠牲 モルモットにされた兵士たち 原爆放射に耐える実験 自殺するアメリカ |
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訳者あとがき 220 |
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止
資料年表:ウィルフレッド・バーチェット<作業中>
年月日 |
事項 |
備考 |
1911 |
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0916 |
誕生。 |
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1945 |
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0905 |
デイリー・エクスプレス紙(英紙)19450905 |
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「30日目の広島、逃げた者、死に始める 原爆の疫病の被爆者たち ”私はこれを、世界への警告として書く”」<出典:『広島県史 原爆資料編』19720331> |
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1971 |
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0801 |
『長崎の証言1971』(「長崎の証言」刊行委員会) |
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「ベトナムへノーモア!」-二十六年ぶりの広島にて W・バーチェット 220 |
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1972 |
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0530 |
『広島・板門店・ハノイ バーチェット自伝』(ウィルフレッド・バーチェット、河出書房新社) |
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1976 |
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0101 |
『世界大百科年鑑 1976』(平凡社) |
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(インドシナの年)1975-W.バーチェット/訳・武藤一羊 126 |
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1983 |
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0806 |
『広島TODAY』(W・バーチェット著、成田良雄訳、連合出版) |
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0927 |
死亡。 |
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1985 |
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0621 |
『被爆者援護法に関する第二次報告書』(日本弁護士連合会) |
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第二 日米両国政府の被爆者に対する措置 45
三 米国は、被爆者に対する救援の必要性を認識していた 52
1 バーチェットの救援要請 52
2 マルセル・ジュノーの救援要請 52 |
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0826 |
『花の幻 続・平和を作る人たち』(安藝基雄著、みすず書房) |
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第1部
11 ヒロシマ・ノート 2141.市長の死 216
5.ジュノーとバーチェットの対応 253 |
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1995 |
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1005 |
『米軍占領下の原爆調査 原爆加害国になった日本』(笹本征男著、新幹社) |
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第6章 原爆報道とプレス・コード 218
第1節 バーチェットの疑問 218
第11節 バーチェットの疑問への答え 253 |
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1997 |
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0520 |
『ユネスコ世界遺産 原爆ドーム 21世紀への証人』(中国新聞社) |
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第1章 ドーム保存と世界遺産決定までの歩み
世界遺産に登録決定 63
(この人からの一言)
ウィルフレッド・バーチェット 51 |
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2007 |
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0715 |
『世界を不幸にする原爆カード ヒロシマ・ナガサキが歴史を変えた』(金子敦郎著、明石書店) |
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第7章 カバーラップ 191
「被害」報道で批判浮上 「放射能被害はない」 バーチェット記者の特ダネ |
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2014 |
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0806 |
『原子力と核の時代史』(和田長久著、七つ森書館) |
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ChapterⅠ 核分裂の発見から、ヒロシマ、ナガサキの悲劇[1898-1945年]
section2 広島、長崎への原爆投下 11
4 ウィルフレッド・バーチェット記者、ヒロシマを世界に報道 15 |
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2015 |
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0806 |
『”ヒロシマ・ナガサキ”被爆神話を解体する 隠蔽されてきた日米共犯関係の原点』(柴田優呼著、作品社) |
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第2章 アメリカが被爆体験の語られかたを創始する
―沈黙させられる被爆者
2.右往左往する海外メディア報道 79
バーチェットの「すっぱ抜き」 |
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2016 |
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0310 |
『核の戦後史 Q&Aで学ぶ原爆・原発・被ばくの真実』(木村朗・高橋博子著、創元社) |
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第2部 核体制と戦後日本 Q&A…139
講義篇 機密解除文書から原発と核兵器推進体制の闇に迫る 140
②アメリカは、なぜ原爆による残留放射能の存在を認めなかったのですか?
/バーチェットのスクープ 159 |
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0802 |
『世界の著名人が伝えていたヒロシマからの言葉』(佐藤美由紀著、双葉社) |
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第2章 叫ばれる存在意義-1970年代から1980年代- 51
ジャーナリスト ウィルフレッド・バーチェット 52 |
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2021 |
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1130 |
『原爆 捨てられない記憶と記録』(佐々木猛也著、日本評論社) |
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第一四章 占領・・・・・418
バーチェット・深刻な放射線被害の記事 |
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2022 |
『世界のリーダー185人ヒロシマ、ナガサキで発した「言葉」 オバマ大統領から、ローマ教皇、マリリンモンローまで』(三山秀昭著、南々社) |
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第8章 5人のジャーナリスト
「ノーモア…」を発した欧米ジャーナリストたち…158
ルサフォード・ボーツ(アメリカ・UP通信記者)
ウィルフレッド・バーチェット(オーストラリア出身、英紙デイリー・エクスプレス記者) |
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27 |
1983 |
バーチェット、ウィルフレッド・ |
72 |
ジャーナリスト。広島の被爆のもようを世界に最初に報道。<資料年表:バーチェット> |
止
バーチェット
27 |
1983 |
バーチェット、ウィルフレッド・ |
72 |
ジャーナリスト。広島の被爆のもようを世界に最初に報道。<資料年表:バーチェット> |
止
資料年表:久保山愛吉<作業中>
年月日 |
事項 |
備考 |
1914 |
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0621 |
誕生 |
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1954 |
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0923 |
没 |
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1101 |
『中央公論 11月号 第794号』(中央公論社) |
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久保山さんの死
死の床にて 久保山愛吉 180 |
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1955 |
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0215 |
『未来をつくりだす原子力 青木新書』(林克也著、青木書店) |
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総論-久保山愛吉氏を悼み、その死に学ぶ
1この声をわれらの声に 13
2久保山氏の三つの遺訓 15
3ABCCを日本の手に 19
4抵抗のみ、人間性を守る 23
5放射能謀略Kは」開始された 27
6地球汚染の責任はアメリカ 31
7結論-ねばり強く禁止運動を 37
8追記-科学化されたトリック 38 |
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0920 |
『写真でみる戦後日本 10年の歩みを記録する』(朝日新聞社) |
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『ノー・モア・ヒロシマズ』から『ビキニの・灰』まで………1
―隔離される第五福竜丸―焼津から米軍用機で東京に移送された第五福竜丸の患者たち―酵素吸入中の久保山愛吉さんを看護する肉親たち―マグロの放射覧査―防毒面とビニール服で作業中の俊鶻丸の調査団員―俊鶻丸甲板上で魚の解剖― |
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1957 |
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0725 |
『人類の危機と原水爆禁止運動 第3回原水爆禁止世界大会討議資料 第2分冊』(原水爆禁止日本協議会) |
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Ⅰ 原水爆の被害
(絶筆)死の床にて 久保山愛吉…21 |
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1968 |
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1015 |
『平和の思想 戦後日本思想大系 4』(鶴見俊輔編、筑摩書房) |
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II 戦後、平和運動の遺産
絶筆 死の床にて 久保山愛吉 346 |
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1975 |
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0701 |
『第五福竜丸 1954年3月1日その日から』(第五福竜丸平和協会) |
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1978 |
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0906 |
『原水協通信 第421号』(原水爆禁止日本協議会) |
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久保山愛吉氏追悼のつどい=焼津 7 |
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くぼやま・あいきち |
19140621生19540923没 |
享年40歳 |
第5福龍丸無線長。1954年3月1日にアメリカが南太平洋ビキニ環礁で実施した水爆実験で被曝。 |
止
資料年表:谷本清<作業中>
年月日 |
事項 |
備考 |
1909 |
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**** |
香川県 坂出市 で誕生。 |
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1949 |
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0425 |
『ヒロシマ』(ジョン・ハーシー著、石川欣一・谷本清訳、法政大学出版局) |
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1950 |
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0401 |
『文芸春秋 第28巻第4号』(文芸春秋新社) |
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ハーシイ氏訪問記…谷本清 13 |
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0725 |
『ヒロシマの十字架を抱いて』(谷本清、大日本雄弁会講談社) |
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1952 |
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1001 |
『日本印象記-ヒロシマの家』(フロイド・シュモー著、大原三八雄訳、広島ピース・センター刊) |
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跋 谷本清 75 |
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1960 |
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0925 |
『ふるさとを訪ねて 少年少女文学風土記 9 広島』(井伏鱒二編、泰光堂) |
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谷本清「原爆と広島」 94 |
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1969 |
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04 |
『ひろしまの観光 35号』(広島市観光協会) |
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|
谷本清「ヒロシマ-その平和への姿」 |
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0806 |
『濱井信三追想録』(浜井信三追想録編集委員会) |
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谷本清「原爆禁止10万人署名」 473 |
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1976 |
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0720 |
『広島原爆とアメリカ人 ある牧師の平和行脚』(谷本清著、日本放送出版協会) |
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1201 |
『広島通信 No.54』(「広島通信」の会) |
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|
谷本清「原爆体験は風化するか」 |
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1982 |
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0501 |
『平和文化 第35号』(広島平和文化センター) |
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|
ヒロシマの原点に帰ろう
ヒロシマ・ピース・センター理事長 谷本清 |
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1983 |
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0730 |
『破壊の日-外人神父たちの被爆体験』(カトリック正義と平和広島協議会) |
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|
『破壊の日』発刊に寄せて ヒロシマ・ビース・センター理事長 谷本清 |
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1986 |
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0928 |
死亡。享年77歳 |
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1997 |
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0201 |
『原爆被爆者対策史の基礎的研究 原爆被爆者対策前史 1945年(昭和20)~1953年(昭和28) 資料集』(宇吹暁) |
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IV.占領期の原爆問題
2.平和祭・文化祭
3.被爆者援護の構想
【資料13】谷本清のヒロシマ・ピース・センター構想 |
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2011 |
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1206 |
『被団協 第395号』 |
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第23回谷本清平和賞 坪井代表委員が受賞 |
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2005 |
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0624 |
『ヒロシマ、60年の記憶』(近藤紘子著、リヨン社) |
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2015 |
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0601 |
『広島市公文書館紀要 第28号』(広島市公文書館) |
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光平有希「広島流川協会における復興と音楽の歩み、及びその原点 谷本清・太田司朗を中心として」 14 |
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2018 |
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0110 |
『原爆の図 丸木美術館ニュース 第132号』(原爆の図丸木美術館) |
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丸木美術館が谷本清平和賞受賞 谷本清平和賞受賞を祝って(井野口慧子)……p2
谷本清平和賞受賞スピーチ抄録(岡村幸宣)……p3 |
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2019 |
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1201 |
『憎しみを乗り越えて ヒロシマを語り継ぐ近藤紘子』(佐藤真澄著、汐文社) |
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2021 |
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1130 |
『原爆 捨てられない記憶と記録』(佐々木猛也著、日本評論社) |
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止
広島市爆撃ニ関スル報告(三村剛昴・佐久間澄・上野義夫)
内容<作業中>
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1 |
本研究室二於テ調査セル事項 |
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2 |
聴取資料ノ一、二例 |
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1 広島女学院専門学校赤松某(海田市町、安芸地方事務所ニテ)・・・・ |
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2 市立高専講師平原栄治・・・・ |
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3 佐久間助教授 |
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3 |
判断 |
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付記 |
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1 |
本爆弾ノ真相ヲ確ムル上ニ |
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資料年表:佐久間澄<作業中>
年月日 |
事項 |
備考 |
1910 |
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1002 |
誕生。 |
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1941 |
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広島文理大(母校)助教授。 |
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1945 |
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08 |
「広島市爆撃ニ関スル報告」(三村剛昴・佐久間澄・上野義夫) |
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『広島県史 原爆資料編』(19720331)所収<pp.389-392> |
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1953 |
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0806 |
『広島平和問題談話会会誌 平和問題 第2号』(広島平和問題談話会) |
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佐久間澄「原子力問題の諸相」 |
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1954 |
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0215 |
『風のように炎のように-峠三吉追悼集』(峠三吉追悼集出版委員会・われらの詩の会編、刊) |
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//佐久間澄「 想い出」/ |
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1955 |
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0310 |
『広島教育 No.49 1.2月号』(広島県教職員組合事業部) |
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原子力発電所建設に関する諸問題 佐久間澄 94 |
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1956 |
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0601 |
『水爆と人類(原水爆禁止のために1)』(佐久間澄、原水爆禁止広島協議会) |
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1008 |
『高校生による原爆資料紹介の会(仮称)活動報告』(広大教育学部附属高等学校) |
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1957 |
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0801 |
『広島教育 No.79 8月号』(広島教育会館出版部) |
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きれいな水爆は果たしてきれいか 広大理学部 佐久間澄 66 |
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1958 |
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0331 |
『広島に於ける被爆調査-文献抄録』(広島県医師会原爆医療特別委員会調査部) |
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Ⅰ 理学篇
3)佐久間澄(広大,理学)庄野直美(広女大)小川修三(広大,理学)広島原爆の物理学的効果 4 |
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1967 |
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0801 |
『老いと怒りと 第2集 』(吉島被爆者の会) |
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推せんのことば 佐久間澄 3 |
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0806 |
『壁 1968.8.6 未解放部落原爆被爆者の手記 差別と貧困の中から』(福島地区被爆者の会) |
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1101 |
『原水爆禁止科学者会議の記録 第2回』(第2回原水爆禁止科学者会議準備委員会事務局) |
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第3分科会 被爆者問題
原爆被爆者援護の歴史と課題 佐久間澄 75 |
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1969 |
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1120 |
『平和運動20年記念論文集』(日本平和委員会編、大月書店) |
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平和委員会20年の想い出ところどころ 佐久間澄 409 |
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以下 <作業中> |
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1971 |
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0101 |
『原水爆禁止世界大会の記録 第17回 – 2』(原水爆禁止日本協議会) |
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0701 |
『原水協通信 71 7月号』(原水爆禁止日本協議会) |
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佐久間澄 「広島における原爆死亡者の新しい資料について」 5 |
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広島大会第1日(本会議開会総会) 8月5日…1
日本原水協報告 佐久間澄 3 |
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1975 |
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0804 |
『木の葉のように焼かれて 第9集』(編集委員会、新日本婦人の会広島県本部) |
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すいせんのことば 佐久間澄 5 |
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1976 |
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0720 |
『あさ 12号』(山下会) |
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いまこそヒロシマの声を―佐久間澄先生を囲んで― 6 |
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1001 |
『政治経済セミナー 10月号 第926号』(政治経済セミナー社) |
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日本共産党佐久間澄ら五人原爆のお陰で光栄に浴す! 43 |
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1977 |
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0701 |
『地域と科学者 第4号 被爆・核・広島特集』(日本科学者会議広島県支部) |
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核問題の現状と将来 佐久間澄(15) |
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1978 |
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0801 |
『文化評論 No.208 1978年08月』(新日本出版社) |
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核兵器全面禁止への新しい課題を語る
金子満広 佐久間澄…62 |
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1979 |
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0520 |
『平和教育運動 No.5』(日本平和教育研究協議会編、広島平和教育研究所出版部) |
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<今日の核と平和問題>佐久間澄「核をめぐる状況と核時代の平和教育」 219 |
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0601 |
『平和運動 No.128(通巻443号)』(日本平和委員会) |
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79年 近づく8月に想う 2
広島で 佐久間澄 2
長崎で 森正雄 5 |
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1980 |
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0710 |
『学習討論資料 No.2』(原水爆禁止日本協議会) |
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二、学習・討論集会の記録-17
主催者あいさつ 佐久間澄-18 |
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0919 |
『原水爆禁止日本協議会結成25年記念パンフ』(原水爆禁止日本協議会) |
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二十五年の運動の成果に立って 佐久間澄 |
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1982 |
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**** |
『記録・82年 平和のためのヒロシマ行動』(82年・平和のためのヒロシマ行動広島実行委員会) |
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1983 |
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0221 |
『原爆瓦は語りつづける 原爆犠牲ヒロシマの碑建設の記録』(「原爆犠牲ヒロシマの碑」建設委員会) |
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原爆瓦が語るもの 佐久間澄 13 |
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1984 |
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0725 |
『あさ 18号 終刊号 』(山下会) |
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『あさ』終刊に深い感慨をこめて 佐久間澄……87 |
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1991 |
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0928 |
佐久間澄死亡。享年80歳。 |
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1992 |
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0301 |
『平和教育研究 広島平和教育研究所・年報 Vol.19 1992.03』(広島平和教育研究所) |
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佐久間澄先生の死を悼む 庄野直美 74 |
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0405 |
『日本物理学会誌 47 (4), 326- 』( 日本物理学会) |
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小川 修三「佐久間澄教授のご逝去を悼んで」 |
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0725 |
『木の葉のように焼かれて 第26集』(新日本婦人の会広島県本部) |
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佐久間澄先生を偲ぶ 湯川寛子 39 |
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1993 |
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1001 |
『落暉燃ゆ 廣島高等学校創立七十年記念誌』(廣高七十年誌編集委員会編、廣島高等学校同窓会) |
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〈特別記載〉
細川藤右衛門教授の最後―『生死の火』理論研被災記から― 故 佐久間澄(広大名誉教授)…546 |
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2016 |
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02 |
『佐久間澄関係文書目録』(広島大学文書館、責任編集:平下義記) |
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解題…ⅰ
凡例…ⅳ
1.書類…1
(1)原水爆禁止協議会 (2)世界平和評議会 (3)被団協 (4)原爆・被害調査
(5)平和と学問を守る大学人の会 (6)被爆者援護 (7)科学者会議 (8)核兵器
(9)原子力発電 (10)日中友好協会 (11)民主主義をまもる全国学者・研究者の会
(12)平和学会 (13)平和教育研究所 (14)その他
2.原稿…21
3.新聞・スクラップ…23
4.小冊子…25
5.定期刊行物…29
6.書籍…39
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28 |
1991 |
佐久間澄 |
さくま・きよし |
80 |
広島県原水協理事長・同県被団協理事長。広島大学構内で被爆。お宅で面談、資料を閲覧。<資料年表:佐久間澄> |
止
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。