土屋清
つちや・きよし | 19300829生19871108没 | 土屋清 | 享年57歳 | 広島市の劇作家。原爆をテーマにした演劇などを創作。『広島県現代文学事典』(土屋時子・記) |
止
土屋清
つちや・きよし | 19300829生19871108没 | 土屋清 | 享年57歳 | 広島市の劇作家。原爆をテーマにした演劇などを創作。『広島県現代文学事典』(土屋時子・記) |
止
資料年表:山代巴
年月日 | ||
1912 | ||
0608 | 誕生。 | |
1951 | ||
1201 | 『世界 第72号』(岩波書店) | |
創作 或とむらい 山代巴 202 | ||
1952 | ||
0528 | 山代巴、メアリー・マクミラン、佐久間澄、峠三吉(編集事務)ら、「原爆の詩編さん委員会」をつくり作品公募。 | C |
0901 | 『詩集・原子雲の下より-広島の人々の平和のうたごえ』(原爆の詩編纂委員会編、青木書店) | |
1970年5月、編者を峠三吉・山代巴に代えて出版。 | ||
1953 | ||
0801 | 『世界 第92号』(岩波書店) | |
創作 おかねさん(二) 山代巴 188 | ||
0828 | 『Jap : poetry and critic No.25』(JAPの会) | G |
エッセイ(Ⅰ) 原爆の詩編纂委員会のこと 山代巴 13 |
||
0901 | 『世界 第9号』(岩波書店) | |
創作 おかねさん(三) 山代巴 197 | ||
1954 | ||
0215 | 『風のように炎のように-峠三吉追悼集』(峠三吉追悼集出版委員会・われらの詩の会編刊) | G |
原爆の詩編纂委員会のこと 山代巴 96 | ||
1101 | 『作品 第1号』(木曜会) | |
蕗のとう 山代巴 62 | ||
1955 | ||
0510 | 『文学 第23巻 第5号』(岩波書店) | |
広島の文化文学運動 山代巴(6) | ||
0707 | 原爆傷害者懇談会(広島市・朝日ホール)。山代巴らの呼びかけで | C |
0805 | 『原子力と文学』(小田切秀雄編、大日本雄弁会講談社) | G |
『原爆に生きて』序 山代巴他 124 | ||
0806 | 原水禁世界大会参加の文学者、広島市内のホテルで懇談会。中野重治・中野好夫・山代巴・永瀬清子ら。 | C |
1956 | ||
0810 | 山代巴『荷車の歌』(筑摩書房) | G |
1101 | 『芸備地方史研究 第19号』(芸備地方史研究会) | |
金井利博「山代巴著「荷車の歌」をめぐつて 時間の貧しさということ」 | G | |
1115 | 『広島商人 人間の記録双書』(久保辰雄著、平凡社) | |
「広島商人」について 山代巴 306 | G | |
1210 | 『われらのうた 第26号』(われらのうたの会) | |
山代巴著「荷車の歌」紹介(一) 水野宏 35-37 | ||
1958 | ||
0620 | 『講座現代倫理 第6巻 過去につながる習俗と倫理』(筑摩書房) | G |
嫁・しゅうと 山代巴 197 | ||
0924 | 山代巴著『民話を生む人々―広島の村に働く女たち 岩波新書』(岩波書店) | GU |
1959 | ||
0801 | 『世界 第164号』(岩波書店) | |
平和の友金井さんのこと 山代巴 98 | ||
1960 | ||
0925 | 『ふるさとを訪ねて 広島 少年少女文学風土記 9』(井伏鱒二編、泰光堂) | |
荷車の歌(抄)山代巴 166 | ||
1964 | ||
0330 | 『広島随筆』(豊田清史著、広文館本通店) | G |
山代巴の「おかねさん」 198 | ||
1965 | ||
0627 | 「きのこ会」発会式。広島県婦人会館。世話人:長岡千鶴野。山代巴・文沢隆一・小久保均・山口勇子らが山口に住む原爆小頭症患者9人を突き止め会を結成。 | C |
0720 | 『この世界の片隅で 岩波新書 566』(岩波書店) | GU |
ひとつの母子像 山代巴 149 | ||
1101 | 『文化評論 No.49』(日本共産党中央委員会) | |
一つの補足 山代巴-『この世界の片隅で』を編集して- 86 | ||
1970 | ||
0401 | 『にんげん 中学生』(庄原比婆教育研修所) | G |
仁平塚 山代巴 3 | ||
1971 | ||
1204 | 『この炎は消えず 広島文学ノート』(毎日新聞社) | G |
荷車の歌 山代巴 226 | ||
1972 | ||
0301 | 『中央公論 3月特大号 第1020号』(中央公論社) | |
老いる 川上武・小池保子・山代巴 378 | ||
0801 | 『きのこ会会報 No.8 1972年夏』 | |
わたしの報告 山代巴 1 | ||
1973 | ||
0801 | 『きのこ会会報 No.9 1973年夏』(きのこ会事務局) | |
対話(山代巴) 122 | ||
1224 | 『連帯の探求 民話を生む人びと』(山代巴、未来社) | U |
1975 | ||
0401 | 『未来 No.103』(未来社) | |
田中ウタ(五) 山代巴 8 | ||
0501 | 『未来 No.104』(未来社) | |
田中ウタ-黎明を歩んだ人(6) 山代巴 10 | ||
0528 | 『君はいまどこにいるか』(山代巴著、筑摩書房) | G U |
0601 | 『未来 No.105』(未来社) | |
田中ウタ-黎明を歩んだ人(7) 山代巴 16 | ||
0701 | 『未来 No.106』(未来社) | |
田中ウタ-黎明を歩んだ人(8) 山代巴 14 | ||
0801 | 『未来 No.107』(未来社) | |
田中ウタ-黎明を歩んだ人(9) 山代巴 30 | ||
1977 | ||
0415 | 『主婦専従農業 叢書・民話を生む人びと 3』(内田千寿子著、而立書房) | GU |
<解説>自作農家の主婦との出会い 山代巴 279 | ||
1979 | ||
0630 | 『一九四五年八月からの出発 叢書・民話を生む人びと 1』(内田千寿子著、而立書房) | |
1980 | ||
1130 | 『霧氷の花 (囚われの女たち 第1部)』(山代巴 著、径書房) | G |
1981 | ||
0630 | 『金せん花と秋の蝶 (囚われの女たち 第2部)』(山代巴 著、径書房) | GU |
0720 | 『広島文学ノート』(河村盛明編、溪水社) | G |
《荷車の歌》 山代巴 238 | ||
1981 | ||
1001 | 『出船の笛 (囚われの女たち 第3部)』(山代巴 著、径書房) | U |
1982 | ||
0130 | 『トラジの歌 (囚われの女たち 第4部)』(山代巴 著、径書房) | U |
0520 | 『転機の春 (囚われの女たち 第5部)』(山代巴 著、径書房) | U |
1983 | ||
0321 | 『未来を拓く ひろしまの女性 1983』(広島婦人問題研究会) | G |
私の歩んだ道 山代巴 1 | ||
編集後記-広島県婦人問題研究会の紹介にかえて- 36 | ||
0720 | 『転機の春 (さそりの眼の下で 第6部)』(山代巴 著、径書房) | U |
0725 | 『何とも知れない未来に 集英社文庫』(日本ペンクラブ編・大江健三郎選、集英社) | G |
或るとむらい 山代巴 58 | ||
0801 | 『日本の原爆文学 14 手記/記録』(「核戦争の危機を訴える文学者の声明」署名者編、ほるぷ出版) | G |
Ⅱ 八月六日その後 109 『原爆に生きて-原爆被害者の手記』序 山代巴 110 |
||
0801 | 『日本の原爆文学 15 評論/エッセイ』(「核戦争の危機を訴える文学者の声明」署名者編、ほるぷ出版) | G |
『原子雲の下より』あとがき 山代巴 327 | ||
1984 | ||
0331 | 『重家豊資料目録 広島県社会・労働・文化運動史料』(広島市職員労働組合) | G |
重家豊と文学運動………山代巴 1 第1部 1945―1951 第2部 1952―1980年 Ⅰ 文化・文学運動……103 6 山代巴来翰……109 |
||
0820 | 『安芸文学(安藝文学)50号 記念特集号』(安芸文学同人会編集事務局) | |
〈読書ノート〉山代巴「囚われた女たち」中野青史…130 | ||
1101 | 『ひろしま文学紀行 ひろしま文庫』(河村盛明著、広学図書) | G |
三次・雲石街道 山代巴『荷車の歌』134 | ||
1985 | ||
0801 | 『女たちの八月十五日』(相賀徹夫編、小学館) | G |
仲間づくりと戦争 山代巴 162 | ||
0801 | 『国文学解釈と鑑賞 第50巻9号』(至文堂) | |
特集=原爆文学 作品論 『原爆に生きて』山代巴ほか編/国岡彬一 128 |
||
1986 | ||
0806 | 『ひとすじの道』(金井時子著、金井時子さんを偲ぶ会) | G |
平和の友 金井時子さんのこと 山代巴 285 | ||
1988 | ||
0430 | 『とっておけない話 山代巴文庫 11』(山代巴著、径書房) | GU |
0501 | 『けんみん文化 第4巻第2号』([広島]県民センター) | |
けんみん・えっせい 「荷車の歌」に思う 山代巴 1 | ||
0801 | 『世界 第518号』(岩波書店) | |
〈対談〉『囚われの女たち』の世界 山代巴・阿部謹也 294 | ||
1989 | ||
0622 | 『原子雲の下より 新編8・6少年少女詩集』(被爆実態調査会編、亜紀書房) | G |
詩集「原子雲の下より」と私とのかかわり-山代巴…251 | U | |
0730 | 『山陽路の女たち 続』(広島女性史研究会、ドメス出版) | G |
山代巴 128 苦難の体験を小説に |
||
1990 | ||
1201 | 『私の学んだこと 山代巴文庫第二期第6巻』(山代巴著 径書房) | U |
1991 | ||
0525 | 『日本の原爆記録 19 原爆詩集 広島編』(家永三郎・小田切秀雄・黒古一夫、日本図書センター) | G |
原子雲の下より(抄)峠三吉・山代巴編 58 | ||
0725 | 『原爆に生きて 山代巴文庫第二期第4巻』(山代巴著 径書房) | GU |
1015 | 『広島の文学』(岩崎文人著、溪水社) | G |
山代巴 府中・三次 87 | ||
1992 | ||
1201 | 『けんみん文化 第8巻第9号』([広島]県民センター) | |
ひろしま人物誌 山代巴 8 | ||
1994 | ||
0215 | 『ふるさと文学館 第40巻 広島』(磯貝英夫責任編集、ぎょうせい) | G |
蕗のとう 山代巴 205 | ||
0710 | 『ヒロシマの青春 私の中の峠三吉』(ひろしまミニコミセンター編、峠三吉記念事業委員会) | G |
<原子雲の下より>と原爆被爆者の会のころ 山代巴 41 | ||
1997 | ||
0125 | 『山代巴と民話を生む女性たち』(神田三亀男編著、広島地域文化研究所) | G |
0701 | 『新日本文学 第52巻第6号No.583』(新日本文学会) | |
山代巴さんをお尋ねして-川手健のことなどなど 水上洋 55 | ||
1999 | ||
0625 | 『日本原爆論大系 第2巻 被爆者の戦後史』(岩垂弘 外、日本図書センター) | G |
わたしの報告(山代巴)401 | ||
2000 | ||
0315 | 『尊魚(第五号)』(井伏鱒二文学研究会) | G |
山代巴文学の原郷 清水凡平 80 | ||
0429 | 「山代巴記念室」、三良坂町中央公民館ホールの一角にオープン。記念式典、集い「現代民話を育むためにー山代巴を語る」(『朝日新聞』20000428) | |
2002 | ||
0527 | 『福田正義評論集 文化・芸術論 創刊45周年』(長周新聞社) | G |
2 映画評・書評など 農村婦人の生活の叙事詩―諦めの中の抵抗・山代巴『荷車の歌』 196 |
||
0801 | 『ひろしま備北文学 第5号』(備北文芸の会事務局) | |
■評論 山代巴著「霧氷の花」を読んで 三次 高松絹代 (72) |
||
2003 | ||
1225 | 『人権でめぐる博物館ガイド』(解放出版社) | G |
広島県 三良坂平和美術館 126 山代巴記念室 128 |
||
2004 | ||
0720 | 『山代巴 中国山地に女の沈黙を破って kazoku-sya・1000シリーズ 6』(小坂裕子著、家族社) | GU |
1107 | 死亡。享年92歳。 | |
2005 | ||
1031 | 『秋の蝶を生きる 山代巴 平和への模索』(佐々木暁美、山代巴研究室) | |
2009 | ||
1102 | 「コラム 視点 没後5年、広島の作家・山代巴さんの業績に光を」(『中国新聞』田城明・センター長) | C |
1102 | 「被爆者・農村描いた作家・山代巴さん没後5年」(『中国新聞』二井理江・記者) | C |
1221 | 『原爆文学研究 8』(原爆文学研究会、花書院) | |
◇特集〈広島/ヒロシマ〉をめぐる文化運動再考 特集にあたって/冒頭提起(川口隆行/道場親信) 89 《報告》 竹内栄美子 山代巴の文学/運動 110 松本麻里 山代巴を読み継ぐことの希望 121 |
||
2010 | ||
1010 | 『地平線 No.49』(広島KJ法研究会) | |
峠三吉研究資料 山代巴・且原純夫・尾山隆造 | ||
1220 | 『広島県現代文学事典』。「山代巴」(佐々木暁美・記) | |
2012 | ||
1130 | 『希望〈エスポワール〉 復刻版 第1巻』(三人社) | G |
1231 | 『トランセンド研究 平和的手段による紛争の転換 第10巻第2号』(トランセンド研究会) | |
研究ノート 79 藤田明史 山代巴『囚われの女たち』を読む 「人権」概念を求めて |
||
2013 | ||
0410 | 『原爆の図 丸木美術館ニュース 第113号』(原爆の図丸木美術館) | |
連載 丸木位里・丸木俊の時代〈第14回〉女子美術の指導教員/山代巴との出会い/秋香会の仲間たち(岡村幸宣)……p8,9 | ||
0630 | 『われらの詩 復刻版 第2巻』(三人社) | G |
0630 | 『われらの詩 復刻版 別巻』(三人社) | G |
2014 | ||
0901 | 『原民喜と峠三吉 わたしのフィールドワーク』(松本滋恵) | G |
第12章 新しい発見 130 2 山代巴から大宅文庫へ 135 |
||
1221 | 『原爆文学研究 13』(原爆文学研究会、花書院) | |
宇野田尚哉 被爆体験・生活記録・山代巴 34 | ||
2015 | ||
0331 | 「戦後70年 志の軌跡 第2部 中井正一」(『中国新聞』連載1~5<20150331~0404>林淳一郎・記) | C |
0801 | 『被爆70年 文学に描かれた8月6日』(ふくやま文学館) | |
手記・記録…55 山代巴他編 『原爆に生きて-原爆被害者の手記』 |
||
2016 | ||
0224 | 『広島大学文書館蔵大牟田稔関係文書目録 書籍・雑誌編』(広島大学文書館) | |
12.書籍 (6)芸術・言語・文学…50 ①芸術②言語③文学④大江健三郎⑤大岡昇平⑥梶山季之⑦山代巴⑧広島文学 |
||
2018 | ||
0806 | 『原爆の世紀を生きて 爆心地からの出発』(米澤鐡志著、アジェンダ・プロジェクト) | G |
Ⅱ 戦後の広島の街で 35 忘れえぬ人たち 64(内藤知周 64 松江澄 66 山代巴 70) |
||
2019 | ||
0726 | 『「この世界の片隅」を生きる 広島の女たち』(堀和恵、郁朋社) | G |
第一章 山代巴-『この世界の片隅』で 7 | ||
1221 | 『原爆文学研究 18』(原爆文学研究会、花書院) | G |
キアラ・コマストリ 原爆被害者と農村女性をつなぐ<表現>と<運動>―山代巴と手記集『原爆に生きて』をめぐって― 20 | ||
2021 | ||
1001 | 『対抗文化史 冷戦期日本の表現と運動』(宇野田尚哉、坪井秀人編著、大阪大学出版会) | G |
第1部 1945~1959 第2章 山代巴の原点―「蕗のとう」をめぐって キアラ・コマストリ 33 |
||
2022 | ||
0228 | 『卒業生証言記録集 1 広島大学文書館オーラル・ヒストリー叢書』(石田雅春、伊東かおり編、広島大学文書館・75年史編纂室) | |
文沢隆一(本名増本勲一)氏(昭和24年広島高等学校文科甲類卒業、作家) 19 ・武一騒動について ・山代巴との関係 ・原爆スラムの取材 ・原爆小頭症、きのこ会とのかかわり |
||
0228 | 『広島抗いの詩学 原爆文学と戦後文化運動 鹿ヶ谷叢書 ,001』(川口隆行著、琥珀書房) | |
第Ⅱ部 復興批判論 策六章 朝鮮戦争と民衆の自画像-山代巴「或るとむらい」論 167 |
||
07 | 2004 | やましろ・ともえ | 92 | 1929年東京女子美術専門学校(現・女子美術大学)入学。1932年、日本共産党に入党。1937年山代吉宗(1901年 – 1945年)と結婚。代表作『荷車の歌』。『広島県現代文学事典』(佐々木暁美・記) |
止
資料年表:高橋昭博
年月日 | 事項 | メモ |
1931 | ||
0726 | 誕生 | |
1964 | ||
0825 | 『原水爆禁止広島・長崎大会報告決定集 No.2』(広島・長崎大会全国準備委員会) | |
被爆者を代表して 高橋昭博 39 | ||
1967 | ||
0828 | 『原水爆禁止世界大会報告決定集 被爆22周年』(被爆22周年原水爆禁止世界大会実行委員会) | |
閉会総会 83 /被爆者の訴え 入沢美智子・高橋昭博/ |
||
1969 | ||
0806 | 『浜井信三追想録』(濱井信三追想録編集委員会) | |
鼻血を拭い氷雨に立つ 高橋昭博 160 | ||
1970 | ||
0806 | 『原爆被災資料総目録 第二集』(原爆被災資料広島研究会) | |
映画 高橋昭博…207 | ||
1971 | ||
0830 | 『原水爆禁止世界大会報告決定集 被爆26周年』(被爆26周年原水爆禁止世界大会実行委員会) | |
本大会(広島)62 開会総会 62 被爆者の訴え(高橋昭博) |
||
1976 | ||
0721 | 『ふたりのイーダ-広島での制作・上映-記録』(映画「ふたりのイーダ」を成功させる会) | |
もっと多くの人にみせたい 高橋昭博 35 | ||
1977 | ||
0806 | 『鎮魂』(旧制広島市立中学校同窓会編、旧制広島市立中学校同窓会・旧制広島市立中学校原爆死没者遺族会刊) | |
八月六日 高橋昭博 62 | ||
1978 | ||
0520 | 高橋昭博『ヒロシマ、ひとりからの出発 ちくまぶっくす 4』(筑摩書房) | |
0801 | 『「核」とマスコミ 廃絶をめざす報道と世論』(「マスコミ市民」編集部編、日本マスコミ市民会議) | |
《実情リポート》 被爆者援護法制定とマスコミ 高橋昭博 262 |
||
<以下、単著> | ||
1981 | ||
0801 | 高橋昭博著『「ヒロシマの心」を若い世代に』(原爆資料保存会) | |
1982 | ||
1101 | 高橋昭博・NHK取材班著、土田ヒロミ写真『きみはヒロシマを見たか 広島原爆資料館』(日本放送出版協会) | |
1983 | ||
0720 | 高橋昭博文・四国五郎絵『絵本ヒロシマのおとうさん ヒロシマの心を子どもたちに』(汐文社) | |
1984 | ||
0810 | 高橋昭博『ヒバクシャのこころ』(汐文社) | |
1995 | ||
0619 | 高橋昭博『ヒロシマいのちの伝言-被爆者高橋昭博の50年』(平凡社) | |
2011 | ||
1102 | 没。享年80歳。 | |
<未完> |
止
資料年表:岩崎昶
年月日 | 事項 | メモ |
1903 | ||
1118 | 誕生 | |
1951 | ||
1130 | 『ニッポン日記(下)』(マーク・ゲイン、筑摩書房) | |
テロにあった岩崎昶 55 | ||
1952 | ||
1115 | 『改造 1952.11増刊 33巻17号』(改造社) | |
奪われたスペクタクル 岩崎昶 96 | ||
1201 | 『平和 第7号』(青木書店) | |
これがわれわれの祖国だ 映画また戦争街道をゆく 岩崎昶 40 |
||
1955 | ||
0401 | 『世界 第112号』(岩波書店) | |
〈座談会〉日本映画を検討する-どう作られどう観られているか 井澤淳・岩崎昶・尾崎宏次・佐々木基一 171 | ||
<以下未入力> | ||
1981 | ||
0916 | 没。享年77歳。 | |
いわさき・あきら | 19031118生19810916没 | 「Effects of the Atomic Bombs」の製作にたずさわる。<資料年表:岩崎昶>。享年77歳。 |
止
資料年表:重藤文夫<作業中>
年月日 | ||
1903 | ||
0413 | 出生地:広島県西条町(現・東広島市) | |
1958 | ||
0331 | 『広島に於ける被爆調査-文献抄録』(広島県医師会原爆医療特別委員会調査部) | |
55)重藤文夫他2名(日赤病院長)Blood Diseased among the A-Bomb Survivors The Rerearch in the Effects and Influences of the Nuclear Bomb Test Explosions. 51 | ||
1961 | ||
0331 | 原子爆弾後障害研究会講演集 第2回 [昭和35年](長崎県、長崎市、長崎原爆障害対策協議会) | |
特別講演 3.広島原爆病院に於ける臨床概況 広島原爆病院長 重藤文夫 645 |
||
1967 | ||
0330 | 『原子爆弾後障害研究会講演集 第7回』(広島原爆障害対策協議会) | |
原爆病院業績のまとめ 原爆被爆者の臨床的観察(その6)横田素一郎 41 広島原爆病院概況 開院以来9カ年の概況 重藤文夫 51 |
||
1969 | ||
0620 | 『原爆後障害広島シンポジウム講演集 [第9回]』(広島原爆障害対策協議会) | |
原爆症認定の問題点 司会 志水清 1 内科の立場より 重藤文夫 2 |
||
0806 | 『濱井信三追想録』(濱井信三追想録編集委員会) | |
濱井さんを憶う 重藤文夫 454 | ||
1971 | ||
0730 | 『原爆後の人間 対話』(重藤文夫、大江健三郎著、新潮社) | |
1975 | ||
0717 | 広島市名誉市民:原爆病院(現 広島赤十字・原爆病院)の設置及び被爆患者の治療など被爆市民の福祉向上に貢献。 | |
1982 | ||
0717 | 東広島市名誉市民「西条町出身 広島赤十字・原爆病院長として大きな功績を残された。とりわ け原爆障害治療に対する豊富な体験と研究は、世界各国の文献 や学会誌に紹介され、原爆医学の研究に大きな力となった。」HonoraryCitizen2022.pdf (higashihiroshima.lg.jp) | |
1018 | 没 | |
2001 | ||
0722 | 「ヒロシマは二度と繰り返されてはならない。被爆者は世界平和の礎だ」「ヒロシマの被爆者は、その経験者なんだから、原爆の体験から得たものを、体験してないものに伝える必要がある。とにかく『忘れさせない』ということが大切ですよ」。「被爆者の伝言 物故者編≪上≫」 (『中国新聞』20010722) | |
原田一三
はらだ・いちぞう | ****生19901016没 | 原田一三 | 享年86歳 | 86 | 広島県能美島出身。日中友好協会呉支部長。宇吹が小学生から中学生にかけ切手収集の趣味を持ったのは先生のおかげ。 |
日中友好新聞(19901125) |
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止
田坂正利
たさか・まさとし | 1927****生20031011 | 享年76歳 | 呉市生まれ。 福島病院院長。 |
資料:『けんこう No.382』(広島中央保健生活協同組合、2004年0月)
田坂正利先生を偲ぶ |
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先生の略歴 |
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止
資料年表:新江義雄(しんえ・よしお)<筆名:山ノ木竹志>
年月日 | 事項<敬称略> | 備考 |
1947 | ||
**** | 誕生 | |
1977 | ||
0327 | 新江・山中結婚式。於広島市社会福祉センタ-。 | |
1979 | ||
1223 | 基礎研忘年会。於白島会館。安藤・新江・大谷・村上・佐中・青木・ひわだ・難波・宇吹。 | |
1980 | ||
0304 | 新江(自治研)へ「広島市の平和意識」の原稿を届ける。 | |
0418 | 基礎研の送別会。青木・田中・安藤・新江・村上。 | |
1981 | ||
0601 | 「平和式典考」の原稿を新江に渡す。 | |
1982 | ||
0120 | 基礎経済科学研究所ひろしま研究会.佐中「地方の時代」.於総科社会文化図書室.9時半2次会.佐中・城西・桧和田・安藤・宇吹・新江・村上・仁連・青木。 | |
0203 | 基礎経済科学研究所ひろしま研究会地域経済研究会.於総科社会文化図書室。難波「教育現場を歩いて」。難波・村上・城西・仁連・安藤・宇吹・新江・青木。 | |
0217 | 基礎研。新江・村上・仁連・宇吹。 | |
0421 | 基礎研飲み。於ニュートーキョー。青木・新江・大谷・安藤・仁連・宇吹。 | |
0515 | 午後、安藤宅。松林・藤原・新江。 | |
0828 | 平和公園めぐり。新江、松林、藤原、安藤。 | |
1985 | ||
0105 | 新年会。ニュートウキョウ。新江、青木、村上、安藤、難波、藤本。 | |
1986 | ||
0117 | 新年会。村上、新江、安藤、青木など。 | |
0520 | 飲み。あまのじゃく。安藤、青木、新江、村上、城西。 | |
1987 | ||
0112 | あまのじゃくで青木・新江らと飲み. | |
1989 | ||
0130 | 新江・保団連、来所。 | |
1994 | ||
1225 | 川島より自宅に電話。新江が「被爆50年」のレイアウトを作ってくれる由。フォーマットを教えて貰う。原爆投下をめぐる様々な見解をまとめて資料集をつくりたいとのこと。 | |
1995 | ||
0624 | 全国平和教育シンポ-市民に贈る夕べ「きたがわてつ」平和コンサート。於広島郵便貯金ホール。~9時。開演前に、北川に付き添っている新江と会う。プログラムによれば「サウンドディレクター」として参画。元気そうで安心。 | |
0930 | 日本科学者会議広島支部創立30周年記念集会。シンポジウム「被爆50周年を考える」。於広島弁護士会館。宇吹・佐々木・山田・斉藤・田村報告。-4時半。質疑。-5時半。参加者約80名。木戸・楠・新江・三浦精子などの顔を見る。マスコミの取材陣多し。 | |
1117 | 新江より電話。12月の文団連での講演依頼。RCCの収録日と重なるので断る。 | |
1996 | ||
0127 | 広島合唱団の合唱。メンバーに新江の元気な顔を見る。 | |
0804 | 県立総合体育館の世界大会会場へ。新江と会い、久しぶりに話す。音楽の分野でも、被害=加害問題で揺れている由。新婦人の久保にも挨拶する。そごうの紀伊国屋と溝本積善館でも図書を購入。併せると3万円を越えたか。 | |
0818 | 新江より自宅に電話。奥さんが中島小学校に勤務、再来年、小学校が記念誌の発刊を計画している由で、爆心地関係について問い合わせ。 | |
0828 | 新江夫人より電話。中島小学校の校史に関連し、復元調査の地図が欲しいとのこと。広島市原対部調査課に連絡するようアドバイス。 | |
1997 | ||
0227 | 新江より自宅に電話。呉の飲み屋についての問い合わせ。 | |
0320 | 芸備地方史など主催シンポジウム「旧広島大学理学部1号館から何が見えてくるか?」。於県民文化センター。2時前から参加。-5時。安藤夫妻・植木・西本・新江などと会う。参加者200名で盛会。 | |
0805 | 生協虹の広場(県立体育館)で書籍を購入。森脇・新江・沢野と会う。 | |
1206 | 元大正屋呉服店(レストハウス)の保存・活用を「みんなで話し合う集い」報告者打ち合わせ。於国際会議場コスモス。 | |
1206 | 「憶えていますか」歌唱指導=新江がギターで。黙祷。来栖が今年10月30日に死亡。渡辺則文が後藤陽一の挨拶を代読、楠が経過報告。司会:河瀬、初めの発言:宇吹、三沢純・小西ヒサ子(中島小学校)・諏訪了我(浄宝寺住職)・坂本宏一(広島弁護士会、自由法曹団)。 | |
1998 | ||
1104 | シンポジウム準備会。於全教広島。-8時。楠・高橋・三澤・新江・石丸・河瀬・植木・舟橋・宇吹。 | |
1129 | 休日出勤。「「ヒロシマの街づくり」をみんなで話し合う集い集い」の発言の準備。0時半、婦人教育会館到着。楠・三沢・今・?(芸備地方史研究会)・橋本・センコウ(市職)・新江・高橋などが会場設営。 | |
1999 | ||
0402 | 三沢送別会。新江と。福屋前集合。-9時。難波(中国)も来る予定であったが、地方選の告示日で動きがとれないとのことこと。 | |
2000 | ||
1120 | 原爆遺跡保存懇結成10周年記念パーティ。於・国際ホテル。会費5000円。約40人出席。渡辺・石丸・舟橋と同席。吉川生美・湯川・新江らと話す。石丸の話=あと3年で停年。事務所を開くつもり。 | |
2001 | ||
0416 | 新江より大学に電話。文団連での話を依頼される。実情を話し断る。 | |
<以上の出典=宇吹の日誌> | ||
2006 | ||
0101 | 宇吹宛賀状 | |
2007 | ||
0101 | 宇吹宛賀状 | |
2009 | ||
0101 | 宇吹宛賀状 | |
0124 | 山ノ木竹志とその仲間たちコンサート (県民文化センター) | |
1023 | 没。享年62歳。 | |
2010 | ||
0131 | 山ノ木竹志をうたうコンサート(厚生年金会館) | |
<作業中> | ||
止
資料年表:坪井直
年月日 | 事項 | 備考 |
1925 | ||
0505 | 広島県音戸町(呉市)生まれ 。 | |
1973 | ||
0720 | 『あさ 9号』(山下会) | |
「寄稿]坪井直「遠雷と平和と」・68 | ||
1975 | ||
0310 | 『かけはし 父母が語る戦争体験記』(翠町中学校PTA文化部編、翠町中学校PTA) | |
ある青き春 坪井直 8 | ||
1977 | ||
1220 | 『この子らに語りつぐもの 広島原爆被爆教職員の手記 第1集』(広島県原爆被爆教職員の会・広島県高校原爆被爆教職員の会編、刊) | |
坪井直「とどろき 」 116 | ||
証言Ⅰ よみがえるあの日、あの時 閃光と轟音の底で 坪井直 80 |
||
1989 | ||
0720 | 『木の葉のように焼かれて 第23集』(新日本婦人の会広島県本部) | |
助けられた生命を平和のために 坪井直 10 | ||
1992 | ||
0831 | 『証言-ヒロシマ・ナガサキの声1992 第6集』(長崎の証言の会) | |
1995 | ||
0125 | 『原水禁ヒロシマ 1月号 No.91』(原水爆禁止広島県協議会) | |
激動の一九九四年を顧みて 坪井直 6 | ||
0525 | 『未来を語りつづけて 続 ヒロシマ・平和教育の継承と連帯』(広島県教職員組合・広島県原爆被爆教職員の会編刊) | |
第一章 被爆体験と教育 燃えて、そして燃えた 坪井直 20 |
||
0525 | 『原水禁ヒロシマ 5月号 No.93』(原水爆禁止広島県協議会) | |
反核ニューヨーク行動へ参加して 坪井直 6 | ||
0728 | 『原爆被害者の「叫び」 原爆50周年記念特集 第二集』(久井町原爆被害者の会) | |
発刊によせて 広島県原爆被害者団体協議会事務局長 坪井直 14 | ||
1997 | ||
0524 | 『未来への伝言 広島・長崎被爆者が綴る証言集』(尼崎市原爆被害者の会) | |
メッセージ 広島県被団協事務局長 坪井直……15 |
||
<以下作業中> | ||
2021 | ||
1024 | 死亡。 | |
止
資料年表:石田明
年月日 | 事項 | 備考 |
1928 | ||
0530 | 広島市生まれ。 | |
1945 | ||
0806 | 路面電車内で被爆。 | |
1957 | ||
0801 | 『広島教育 No.79 8月号』(広島教育会館出版部) | |
(友への便り)田舎のおばさんの溜息 安佐・高陽中 石田明 43 | ||
1966 | ||
0815 | 『広島教育 No.175 8月号』(広島教育会館出版部) | |
曖光二十年、ある被爆者の日誌 安佐・高陽中 石田明 49 | ||
1969 | ||
0806 | 『未来を語りつづけて-原爆体験と平和教育の原点』(広島県教職員組合広島県原爆被爆教師の会編、労働旬報社) | |
石田明「 序章 被爆教師の名において告発する」 1 | ||
1970 | ||
0515 | 『広島教育 No.221 5月号』(広島教育会館出版部) | |
民主的学校行事の創造を 石田明 2 | ||
0615 | 『広島教育 No.222 6月号』(広島教育会館出版部) | |
巻頭言・「ひろしま」を教えつづけよう 石田明 1 | ||
0620 | 『日本原爆詩集』(大原三八雄、木下順二、堀田善衛編、太平出版社) | |
兄の死-『曖光二十年から』 石田明 130 影 石田明 132 初毛が生えた 石田明 133 |
||
1001 | 『世界 第299号』(岩波書店) | |
教科書「ひろしま」をつくるまで 石田明 50 | ||
1971 | ||
0730 | 『炎の中を生きて 私の戦争体験記 原爆被爆者の手記』(原水爆禁止日本協議会編、日本青年出版社) | |
第四部 被爆者救援運動の発展のために *「ひろしま」継承のいみ 石田明 179 |
||
0901 | 『原爆をどう教えたか』(広島県教職員組合・広島県原爆被爆教師の会編、明治図書出版) | |
おわりに 石田明 237 | ||
1215 | 『流灯 ひろしまの子と母と教師の記録 原爆犠牲国民学校教師と子ども追悼の記』(原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑建設委員会事務局編、石田明刊) | |
1972 | ||
0701 | 『木の葉のように焼かれて 第6集』(新日本婦人の会広島県本部) | |
すいせんのことば 全国被爆教師の会会長 石田明 2 |
||
0920 | 『百日紅の花』(塩沢茂、ルック社) | |
石田明( 全国被爆教師の会会長 )「平和教育の意義」 6 | ||
1973 | ||
0101 | 『平和教育研究 広島平和教育研究所・年報 Vol.1 1973』(広島平和教育研究所) | |
“あとがき”にかえて/石田明 96 | ||
0401 | 『夏雲 広島女学院原爆被災誌』(広島女学院教職員組合平和教育委員会編、広島女学院教職員組合) | |
1、発刊に寄せて 5 ■小川清 ■広瀬ハマコ ■石田明 |
||
1974 | ||
0201 | 『平和教育運動 創刊号』(全国平和教育研究協議会準備会、広島平和教育研究所編、広島教育会館出版部) | |
<基調報告>平和教育運動の経過と今日的課題 8 石田明 | ||
1975 | ||
0125 | 『平和教育運動 No.2』(全国平和教育研究協議会編、広島教育会館出版部) | |
全国平和教育シンポジューム報告集 <基調報告>今次集会の意義といくつかの課題 4 石田明 |
||
0806 | 『広島・長崎30年の証言(上)』(広島・長崎の証言の会編、未来社) | |
石田明「 原爆裁判への情念と論理 」 215 | ||
0825 | 『平和の探求 市民の学術双書』(岡倉古志郎 [ほか]編、時事通信社) | |
III 平和を考える-ヒロシマからの発言- 平和と教育 石田明 102 少年航空兵・被爆・敗戦の戦争体験から 102 国家のための、国家がほどこす「臣民教育」 103 平和教育の基本条件 104 ヒロシマが問いつづける問題 106 被爆教師の考える平和教育 108 |
||
1976 | ||
0101 | 『世界大会の記録 1976 – 2 第二十二回原水爆禁止世界大会 広島・長崎の声を全世界に』(原水爆禁止日本協議会) | |
本会議開会総会 11~27 /被爆者の訴え・石田明 21)/ |
||
0501 | 『広島通信 No.52』(「広島通信」の会) | |
反核抗議に全世界連帯を 石田明 | ||
0501 | 原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」第八条に基づく認定申請却下処分取消請求事件 原告最終準備書面(石田明) | |
0525 | 『[季刊]平和教育 第1号(創刊号)』(日本平和教育研究協議会、明治図書出版) | |
平和教育の今日的課題 石田明 25 ヒロシマが知らされなかったとき/平和教育の芽ばえ/平和教育の抑圧/抵抗と創造 |
||
<作業中> | ||
27 | 2003 | 石田明 | いしだ・あきら | 75 | 全国原爆被爆教職員の会会長、広島県原水禁代表委員、社民党同県連顧問、元同県議。17歳の時、広島原爆の爆心から約1キロの広島市中区八丁堀の路面電車の中で被爆。教員、広島県教組委員長を経て83年から県議となり、今年4月に引退。原爆白内障の認定申請却下を不当とした「石田原爆訴訟」を広島地裁に起こし、76年7月に全面勝訴。自社さ連立政権下、94年の社会党(現社民党)の基本方針転換には同県本部を挙げて反対。 |
止