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亀井正夫

亀井正夫

かめい・まさお 19160420生20020623死 享年86歳 元国鉄再建監理委員会委員長。広島被爆者。

資料年表:亀井正夫

年月日 事項 備考
1916
0420 誕生
 1968
 0801  『世界 第273号』(岩波書店)
 1985
 0801 『Voice  特別増刊号』(PHP研究所)
 証言 産業人の「戦争」と「戦後」 徳岡孝夫 82
亀井正夫(住友電工会長)
 1992
 0601  『中央公論6月号  第1283号』(中央公論社)
 若手代議士シンポジウム 日本政治の突破口はこれだ 司会・佐々木毅 62
石破茂・岩屋毅・松原脩雄・平田米男・柳田稔/(民間政治臨調会長)亀井正夫
1006  『世界週報73巻38号通巻3580号』(時事通信社)
 財界談話室 亀井正夫(日本生産性本部会長、民間政治臨調会長、住友電気工業相談役) 政治改革の実現は今こそ絶好の機会 30
 1201  『中央公論 第1289号』(中央公論社)
 政治改革推進協議会(民間政治臨調)緊急提言
日本政治の危機と政治改革の道筋 民間政治臨調会長・亀井正夫 102
一、突破口を求めて
二、政治資金制度及び腐敗防止に関する緊急提言
三、国会改革に関する具体的提言
 1999
 0713 《論点》亀井正夫(新しい日本をつくる国民会議「21世紀臨調」会長)「21世紀へ「日本の総決算」」(『読売新聞』 )
 2002
 0623  死亡
 0627  国鉄分割・民営化を推進。 古武士の風格信念の人
『中国新聞 20020627』
0827 「ひと人生 惜別 元国鉄再建監理委員会委員長 亀井正夫さん」『朝日新聞』
 「見習士官だった29歳の時、広島で被爆した。爆心からわずか数百メートル。青白い閃光に貫かれ、朝食をともにしていた同僚は全員即死した。自らも頭髪がすべて抜け、40度の高熱に苦しんだ

資料年表:原田東岷

資料年表:原田東岷<作業中

年月日 事項 備考
1912
0214 誕生
1954
0625 『ながれ』<pp.605-606>(村上哲夫、村上哲夫後援会)
原田東岷(原田外科病院長) 登山・音楽・世話
1977
0415 『ヒロシマの外科医の回想-ヒロシマからベトナムへ』(原田東岷、未来社)
1982
0201 『ヒロシマ歴程-外科医の回想』(原田東岷、未来社)
1984
0815 『平和の夢を追いつづけて』(原田東岷、影書房)
1989
0705 広島市名誉市民:原田東岷=原爆被害者の治療・広島原爆障害者対策協議会の設立に尽力、世界平和の推進、文化振興に貢献(平成11年(1999年)死亡)
広島市名誉市民 – 広島市公式ホームページ|国際平和文化都市 (hiroshima.lg.jp)
0815 『ヒロシマのばら』(原田東岷、未来社)
1993
1115 『ひろしまからの発信-明治・大正・昭和・平成』(原田東岷、未来社)
1994
0520 『平和の瞬間-二人のひろしまびと』(原田東岷、勁草書房)
1995 
1202 宇吹メモ「原田東岷インタビュー 19951202(Sat)13:30~17:30」
 1995haradatomin
1997
0220 『命見つめて60年』(原田東岷、溪水社)
1999
0625 没。享年87歳。

資料年表:市岡正憲

市岡正憲

いちおか・まさのり ****生19930622没 享年74歳 広島県被団協理事長・広島県原水協理事長。

資料年表:市岡正憲

年月日 事項 備考
1919
0609 神石郡神石町相渡で誕生
1939
**** 広島県師範学校卒業。
1952
0625 『広島教育 No.31 6, 7月号』(広島県教職員組合事業部)
家庭憲法第一条 市岡正憲 5
1957
0410 『広島教育 No.75 4月号』(広島教育会館出版部)
算数教育の構想(四) 広大付三原小 市岡正憲 55
0510 『広島教育 No.76 5月号』(広島教育会館出版部)
算数教育の構想(五)広大付属三原 市岡正憲 65
0701 『広島教育 No.78 7月号』(広島教育会館出版部)
算数教育の構想(七)広大付属三原 市岡正憲 57
0901 『広島教育 No.80 9月号』(広島教育会館出版部)
算数教育の構想(八)広大付属三原 市岡正憲 21
1101 『広島教育 No.82 11月号』(広島教育会館出版部)
算数教育の構想
日本の教育を支えるために (第十回)市岡正憲 16
1960
0725 『広島教育 No.104 8月号』(広島教育会館出版部)
平和教育実践記録
伸びよ天まで 三原・付小 市岡正憲 58
0905 『広島教育 No.105 9月号』(広島教育会館出版部)
実践記録
親のねがいにこたえて 三原・付小 市岡正憲 20
1973
1120 『戦前の教育と私』(広島平和教育研究所、朝日新聞社)
悔恨の「高等科」教育 市岡正憲 102
1985
0503 『おおこう 創立百周年記念誌』(大河小学校創立百周年記念事業実行委員会)
回顧録 163
名柄正之 笹村弘志 河崎シヅエ 市岡正憲 橋本のぶえ 蒲生信夫 山田登 勝矢弘 寺西秀夫 和田栄介 三村義人 松田裕
四国五郎 久保十四一
0720 『反核秀歌百絶』(豊田清史著、短歌公論社)
吾が子ふたり  市岡正憲 46
1988
0725 『曙の歌はいま 西日本反核平和詩歌句集 第5集』(西日本反核平和詩歌句集刊行委員会)
反戦を 市岡正憲 85
1989
0605 市岡正憲著『炎 歌集 火幻叢書, 第54集』(火幻短歌会)
1211 『ヒバクシャ ともに生きる 第8号』(原爆被害者相談員の会)
(寄稿)市岡正憲「わたしの被爆体験記 教え子光島に語る」  51
1990
0720 『木の葉のように焼かれて 第24集』(新日本婦人の会広島県本部)
特別寄稿 再び教え子を戦場に送るな 市岡正憲 54
0726 『ほのおの舞 西日本反核平和詩歌句集 第7集』(西日本反核平和詩歌句集刊行委員会)
市岡正憲「昭和を怨ず 」 157
0806 『ひろしま 28号』(日本民主主義文学同盟広島支部)
安保を糺す 市岡正憲 105
1993
0622 死亡。享年74歳。
1997
0725 『空かく碧かりき 広島平和詩画集』(非核の政府を求める広島の会)
歌集『炎1』より…市岡正憲 画・藤井弘資 (38)

医療と信仰 河村虎太郎遺稿集

『医療と信仰 河村虎太郎遺稿集』(河村チワ・河村潤一・河村譲・松岡和枝、1992年6月刊)

内容<作業中

タイトル 備考
まえがき
父・政任への手紙(1937.2.8―1937.5.24) 1
胃カメラに関する寄稿(1959―1969) 9
集団検診事業(1958―1978) 19
キリスト者医科連盟『医学と福音』寄稿(1965―1984) 27
『岩村医師後援会会報』寄稿(1965―1968) 49
 55 在韓被爆者治療、反核平和運動(1968―1986) 
『広島県病院協会会報』寄稿 他(1974―1986) 79
日本国際ギデオン協会『ギデオン』寄稿 他(1980―1986) 103
河村病院朝礼 他(1985―1986) 123
生理学論文【復刻】(1937-1941) 137
胃カメラ論文【復刻】(1957-1981) 189
 235 あとがき

資料年表:石井金一郎

資料年表:石井金一郎<作業中

年月日
1922
0402 誕生
1952  [52広島平和問題談話会](広島女子短期大学助教授)。
 1101 『広島教育 No.35 11月号』(広島県教職員組合事業部)
 教師をとりまくもの 石井金一郎 24
1954  [54世界平和集会世話人(発起)]
 1957
 0510  『広島教育 No.76 5月号』(広島平和教育会館出版部)
 日本教職員団体連合会(教団連)の結成から何を学ぶか 石井金一郎(広島女短大) 10
0701 『広島教育 No.78 7月号』(広島平和教育会館出版部)
相馬原事件の終末はまだ来ていない 広女短大 石井金一郎 4
0801 『広島教育 No.79 8月号』(広島平和教育会館出版部)
ソ同盟幹部の更迭は何を意味するか
広島女子短大 石井金一郎 6
1959
0801 『中央公論 8月号 第858号』(中央公論社)
「生きていてよかった」か 石井金一郎 78
1960
0825 『戦後日本の国家権力』(現代史研究会、三一書房)
1210 『廣島大学新聞 創刊百号記念特集号』(広島大学新聞会)
うれうべき教科書 石井金一郎…22
現代史研究会編著「戦後日本の国家権力」松富弘志…82
1965
0101  『放送RCC 第39号 Vol. 5 No.1』(ラジオ中国)
ひろしま20年の足跡〈1〉■原子爆弾投下まで 石井金一郎 30
0520 『現代憲法読本』( 石井金一郎、法律文化社)
1967
0101  『放送RCC 第63号 Vol. 7 No. 1』(ラジオ中国)
広島の軌跡■小御所会議 石井金一郎 38
 0621  没。享年45歳。
1985
0215 『半生雑記帳』(山田浩 著、溪水社 [渓水社])
畏友石井金一郎氏の死
1995
0720 『廣高とヒロシマ 被爆五十年の回想』(廣島高等学校同窓有志の会)
社会科学者と原水爆問題-故石井金一郎氏と私-山田浩(昭20文乙) 191

 

ウィリアム・シャール

ウィリアム・シャール William schull

生20170620没 シャール、ウィリアム 享年95歳 1949年ABCCに赴任、遺伝調査を実施。放射線影響研究所副理事長、米テキサス大学教授。

資料年表:ウィリアム・シャール<作業中

年月日
****生
1988
**** RERF Newsletter 14(4):28-30, 1988.
William J Schull:ABCC-RERFの思い出
ABCC-RERFの思い出 – 公益財団法人 放射線影響研究所 RERF
2017
0620 没。
0628 ウィリアム J.シャール博士を偲ぶ – 公益財団法人 放射線影響研究所 RERF
1024 「別れの記 ウィリアム・シャル 遺伝学者」(佐分利幸恵:共同)(『中国新聞』20171024)
2020
0127 「原爆調査シャル氏の回想録 広島大名誉教授利島さん翻訳」(『中国新聞』)

岡ヨシエ

岡ヨシエ

おか・よしえ 1931**** 生20170619没 享年86歳 原爆投下第一報。『炎のなかに 原爆で逝った級友の25回忌によせて』(旧比治山高女第5期生の会、1969/08/06)

資料年表:岡ヨシエ<作業中

年月日 事項 備考
****
1969
0806 『炎のなかに 原爆で逝った級友の25回忌によせて』(旧比治山高女第5期生の会)
交換台と共に 岡ヨシエ 28
1971
1208 『広島原爆戦災誌 第五巻 資料編』(広島市役所)
『炎のなかに 原爆で逝った級友の25回忌によせて』
1973
0615 中国新聞連載「よみがえる『あの日』」開始。
(6)中国軍管区司令部の作戦室から福岡の西部軍管区司令部、福山の歩兵41連隊へ原爆投下を通報した岡ヨシエさん
2017
0615 『岡ヨシエさんを悼む 防空作戦室の被爆証言者』(梶山時彦)
0619
 0621  「原爆による広島壊滅第一報 岡さんの意志次世代へ 親交の波多野さんら伝承」(中国新聞20170621、野田華奈子・記)

加藤剛

加藤剛

かとう・たけし 20180618没 享年80歳 俳優。映画『ヒロシマ一九六六』に出演。『憲法と平和と私 21人の発言』(平和・民主・革新の日本をめざす全国の会(全国革新懇)2005/11/20)『原水協通信 第844号2014.6.6』。

資料年表:加藤剛<作業中

年月日
1938
0204
1966
*** 映画『ヒロシマ 一九六六』(監督:白井更生、キャスト:望月優子、現地制作:吉川清)広島県原爆被爆者映画製作の会=プロダクション「新制作集団」作品
2005
1120 『憲法と平和と私 21人の発言』(平和・民主・革新の日本をめざす全国の会(全国革新懇))
加藤剛(俳優)憲法九条は人類の英知―戦争がどういうものか知らせていきたい…22
2008
?? 俳優座9条の会呼びかけ人(「潮流」『赤旗』20180711)
2009
1025 「60年代の原爆作品 再上映 広島で映画祭」(『中国新聞』20091025 道面雅量・記者)
「ヒロシマ」1966」ほか
2014
0606 『原水協通信 第844号2014.6.6』(原水爆禁止日本協議会)
8面…加藤剛さんインタビュー
2018
0618
0710 死亡報道:『朝日新聞』、『中国新聞』、『赤旗』
0731 『赤旗』
夏原諒「亡き父、加藤剛を思う」
0815 『赤旗』
お別れの会:9月30日 東京・青山葬儀所