松重美人
| まつしげ・よしと | 20130102生20050116没 | 享年92 | 中国新聞記者。写真家。 |
参考資料
〇広島平和記念資料館平和データベース検索 キーワード「松重美人」結果
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宇吹メモの中の”松重”
| 年月日 | 【敬称略】 |
| 1978 | |
| 0715 | 原爆被災写真撮影者の会。於YMCA。空、松重三男、岸田、川本、尾糠、北、松重美人、黒石、川本夫人。 |
| 0914 | 原爆被災撮影者の会。於YMCA。松重、佐々木、岸田、山本よしえ、松重三男、岸本、木村、川原、尾糠、深田。 |
| 1992 | |
| 0204 | 被爆建物等継承方策検討委員会の現地視察。石丸・宇吹・小原・椎木・空・平松・松重・横田の8人参加。マスコミ各社も取材。広島市役所-広島大学理学部-広島赤十字・原爆病院-広電変電所-旧陸軍被服支廠-広島銀行銀山支店-旧陸軍司令部通信室-本川小-レストハウス |
| 0714 | 河合護郎氏を励ます会。於広島グランドホテル孔雀の間。皇太子が宿泊している模様で多くの私服がいた。田中学長・蔵本所長・重松理事長など出席。河合の「幅広さ」が窺えた。****の挨拶はチャランポラン。荒木元市長に皮肉られていた。 |
| 河合励ます会(続)=石田明と松重美人から医学部の医師の住所を聞かれる。****から栗原擁立までの経緯を聞く。石田明が立つ動きもあった由。 | |
| 0909 | 広島市被爆建物等継承方策検討委員会打ち上げ。於鯉城会館。庄野・松重・空・大牟田・石丸・椎木・横田・葉佐井・宇吹・浜井・黒川・川本・山路・小野。大牟田が、スライドを準備して今日までそのまま保存されているフランスのナチによる虐殺の村オラドールについて解説。 |
| 1994 | |
| 0831 | **(大阪朝日)より電話。オダネルが写したという写真に林の撮影したものが混じっていた。写真の再検討をしたいが、詳しい人物を紹介して欲しい。松重美人と原爆資料館の学芸員に当たるよう回答。 |
| 1210 | 留学生平和セミナー。感想=高橋のアメリカ批判、大牟田のアメリカと日本政府批判は、あれで良かったのか。留学生は、どう受け取るか。**の話では、スミソニアン問題は、平和文化センターに一切話が無い由。河合護郎・松重美人が律儀に参加していた。 |
| 1995 | |
| 0210 | 米国スミソニアン協会航空宇宙博物館の特別展について意見を伺う会。出席者:高橋・坪井・松重・横田・庄野・川本・大牟田・宇吹。 |
| 1996 | |
| 1108 | **(NHK広島)より電話。「被爆の言葉」に関連し、橋の下を流れている死体の写真の提供があった。建築業者が解体した家にあったもので、所蔵者は亡くなっている。この写真を誰に見て貰えばよいかとのこと。松重の名前をあげる。 |
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『特集 藤井日達猊下 白寿を祝う』(『サルボダヤ SARVODAYA 1983.8』23巻第8号通巻280号、日印サルボダヤ交友会、19830815)
| 頁 | 著者 | タイトル | 備考 |
| 01 | 藤井日達 | 白寿 | |
| 02 | 二之部耀智 | 藤井日達猊下との永き縁(えにし) | |
| 6 | 鈴木顕雄 | 現代の遊行聖(ひじり) | |
| 09 | 坂本徳松 | ガンティーと日達上人の共通性 | |
| 14 | 福田徳郎 | 猊下と父、そして私と | |
| 19 | 森瀧市郎 | 私の決断を支えた日達上人の励まし | |
| 24 | 難波宏正 | 日蓮宗門にとっての藤井上人の存在 | |
| 28 | 沖原龍進 | 如法の師の教化を受けて | |
| 30 | 中村瑞隆 | 同窓の先達の心に触れて | |
| 33 | S・G・クルカルニー | 再びわが祖父にまみえて | |
| 39 | 奈良康明 | 藤井上人と個性的な弟子たち | |
| 41 | 長弘毅 | インド人にとっての藤井グルジー | |
| 45 | 古瀬恒介 | ガンディーと仏教 | |
| 49 | 近江幸正 | 末法=現代人への限りなき慈悲行 | |
| 53 | 江成洋 | 平和に献身する姿 | |
| 56 | 吉田嘉清 | 日本の軍事大国化阻止のために | |
| 62 | 押田成人 | お題目の雷(いかずち) | |
| 65 | ナトゥマール・タティア | 宗教の深奥を極める一生 | |
| 68 | 山折哲雄 | 藤井上人の「足」と「声」 | |
| 72 | 丸山照雄 | 宗教界を超越した〈巨人〉 | |
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藤井日達(ふじい・ にったつ)1885年8月6日 生―1985年1月9日没<作業中>
日本山妙法寺の山主。1982年の国連軍縮特別総会に参加するなど平和運動に貢献。[77被爆国際シンポ日本準備委員会結成呼びかけ人]。[82推進連絡会議呼びかけ人]。『毒鼓(どっく)』(藤井日達、わせだ書房、1961.5.10)。『写真集 撃鼓宣令』 (柏樹社、19850528)
https://nipponzanmyohoji.org

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『「核」に立ち向かった人びと』(岩垂弘、日本図書センター、20050425)
内容
| 頁 | 名前 | 職業など | メモ | |
| 007 | 武藤宏一 | 会社員 | 第五福竜丸を守った一市民 | |
| 021 | 「死の灰」と闘った科学者……………三宅泰雄(地球化学者) | |||
| 031 | 安井 郁 | 原水協理事長 | 人道的運動を目指し、統一にも腐心 | |
| 041 | 田島瑞泰 | 日本山妙法寺僧侶 | デモの先頭に立った「基地坊主」 | |
| 049 | ペギー・ダフ | 平和運動家 | 運動の国際化と統一に不滅の足跡 | |
| 059 | 長岡弘芳 | 詩人 | 原爆文献の収集に執念燃やす | |
| 067 | 大友よふ | 地婦連会長 | 「踏まれても蹴られても」 | |
| 077 | 松本広治 | 中小企業経営者 | 産業界からあげた反核平和の声 | |
| 085 | 田村 清 | 医師 | 反権力を貫いた「赤ひげ」 | |
| 095 | 熊倉啓安 | 平和委員会代表理事 | 統一に殉じた平和活動家 | |
| 107 | 鈴木正次 | 原水禁総務部長 | 「原爆ゆるすまじ!分裂ゆるすまじ!」 | |
| 119 | 中野好夫 | 評論家 | 反核平和の実践に徹した知識人 | |
| 133 | 古在由重 | 哲学者 | 「思想は冷凍保存をゆるさない」 | |
| 147 | 陸井三郎 | 評論家 | 戦争体験を背負ったフィクサー | |
| 159 | 中林貞男 | 日本生協連会長 | 生協運動と平和運動を結ぶ | |
| 171 | 久保 文 | 翻訳家 | 「暗い時代」の記憶をバネに | |
| 183 | 草野信男 | 病理学者 | 生涯を決めた被爆直後の広島調査 | |
| 197 | 内山尚三 | 法政大学教授 | 学徒出陣の生き残りとして | |
| 207 | 忘れ得ぬ人びと 三十二人の点描 | |||
| 伊東壮 | 被団協代表委員 | |||
| 畑中政春 | 原水協代表理事 | |||
| 森滝市郎 | 原水禁代表委員 | |||
| 新井則久 | 全逓副委員長 | |||
| 磯村英一 | 核禁会議議長 | |||
| 藤井日達 | 日本山妙法寺山主 | |||
| 吉野源三郎 | 評論家 | |||
| 新村猛 | 名古屋大学名誉教授 | |||
| 今堀誠二 | 広島女子大学学長 | |||
| 239 | 核問題関連年表 | |||
| 280 | 参考文献 | |||
| 281 | あとがき | |||
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山田節男 広島市長選に「出馬する」ゆえん
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『幽霊 原爆の図世界巡礼』(丸木俊、朝日新聞社、19720715)
| 部 | |||
| 本書によせて―妣たちの国のこと(石牟礼道子) | |||
| 1 | ひろしま・チャンギ・パールハーバー・南京 | ||
| 悪罵のなかから 11 遠かったアメリカへの道 18 ニューヨーク展 29 悲しい悲しいアメリカ 38 「米兵捕虜の死」 56 〔資料〕オーストラリア、アメリカ各紙論評 79 |
|||
| 2 | 赤い幽霊、白い幽霊 | ||
| 殺人光線 95 幽霊 115 地獄の中の親子・姉妹 127 9百万人が見た絵 146 チチキトク 179 死者の声―美術館のこと 201 |
|||
| 3 | 世界巡礼 | ||
| 汝いずこより来たりしや 225 ひとり歩き 242 長い長い旅 251 烏―「朝鮮人被爆者」とわたし 277 |
|||
| 〔資料〕各国新聞論評 291 | |||
| あとがき 303 | |||
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赤松俊 あかまつ・とし 1912年2月21日生、2000年1月13日没 享年87歳<作業中>
資料年表
| 年月日 | 備考 | |
| 1912 | ||
| 0221 | 北海道雨竜郡に誕生。 | |
| 1941 | ||
| 07 | 丸木位里, 赤松俊子結婚 | |
| 1950 | ||
| 0806 | 『ピカドン』(平和を守る会編 丸木位里, 赤松俊子 絵・文 ポツダム書店) | |
| 1951 | ||
| 1952 | ||
| 0410 | 『原爆の図 (青木文庫36)画集普及版』 (丸木位里・赤松俊子 青木書店) | U |
| 1201 | 赤松俊子「素描」志(志田信『原子爆弾の話』(東京大学出版会)所収) | U |
| 1957 | ||
| 0410 | 『原爆の図』 (丸木位里・赤松俊子 青木書店) | U |
| 0615 | 『原子爆弾の話』 (志田信、東京大学出版会 ) | U |
| 1958 | 『生々流転』(丸木俊子著 実業之日本社 ) | |
| 1101 | ||
| 1959 | ||
| 0610 | 『画集「原爆の図」 』(丸木位里、丸木俊著 虹書房) | |
| 1961 | ||
| 0101 | Hiroshima-Nagasaki : Document 1961 The Japan Council against Atomic and Hydrogen Bombs ; 原水爆禁止日本協議会 (日本原水協) The Japan Council against Atomic and Hydrogen Bombs | |
| ヒロシマ・ナガサキの記録 発行 原水爆禁止日本協議会 編集 ヒロシマ・ナガサキの記録編集委員会 構成 伊藤知己 重森弘滝 瀬木慎一 序文 湯川秀樹 写真 土門拳 東松照明 絵画 丸木位里 丸木俊子 文 長谷川竜生 本文執筆 草野信男 佐久間澄 畑敏雄 |
||
| 1967 | ||
| 0506 | 埼玉県東松山市下唐子に「原爆の図」陳列の丸木美術館開館。 | |
| 0720 | 『画集「原爆の図」 』(丸木位里、丸木俊著 田園書房) | |
| 1972 | ||
| 0715 | 『 幽霊 原爆の図世界巡礼 』(丸木俊著 朝日新聞社) | U |
| 1977 | ||
| 0820 | 『女絵かきの誕生(朝日選書 93)』(丸木俊、 朝日新聞社) | U |
| 1982 | ||
| 0806 | 『ピカドン』(丸木位里、丸木俊著、東邦出版) | U |
| 1984 | ||
| 0720 | 『鎮魂の道-原爆・水俣・沖縄』(丸木位里、丸木俊著、岩波書店) | U |
| 1988 | ||
| 0519 | 『語りつぐべきこと 沢地久枝対話集 ―二つの世紀をつなぐもの―』(丸木位里・丸木俊ほか、岩波書店) | |
| 2000 | ||
| 0115 | 「天風録」(中国新聞コラム)・「天声人語」(朝日新聞コラム)に追悼文。 | |
| 0202 | 吉留要「論壇 表現者・丸木夫妻の志」(朝日新聞コラム) | |
| 2010 | ||
| 1220 | 西原大輔「赤松俊子」(『広島県現代文学事典』) | |
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仁科芳雄(にしな・よしお)
| 生没 | 享年 | 事項 |
| 18901206生19510110没
|
61 | 物理学者。岡山県生まれ。理化学研究所で1943年に原爆開発のための「二号研究」を発足させる。被爆直後の広島・長崎で調査。[50ヒロシマ・ピース・センター建設協力者]。『広島県史 原爆資料編』に関連資料を収録。 |
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大原博夫伝(大原博夫追想録編集委員会、19710220)<作業中>
内容
| 篇部 | |||
| 発刊のことば(大内五良) | |||
| 序文(永野巌雄) | |||
| 一 | 伝記篇 | ||
| Ⅰ | 大原博夫先生の生涯 慈顔に包む信念の人=71年の生涯 座談会(1)若き日の大原先生 |
||
| Ⅱ | 医師としての大原先生 仁術と啓蒙=医師”大原博夫の歩み” 座談会(2)原爆当時の県医師会長大原知事を囲んで |
||
| Ⅲ | 広島県会議員として | ||
| 新風を吹き込む良識=20余年の県会議員時代 | |||
| Ⅳ | 衆議院議員として | ||
| 憂国の至情と改革精神=衆議院議員時代の先生 | |||
| Ⅴ | 広島県知事として 生産県への飛躍=”県民の師父”知事時代 座談会(2) |
||
| 二 | 追憶篇 | ||
| 1 | |||
| 森戸辰男ほか | |||
| 2 | |||
| 金子正則ほか | |||
| 3 | |||
| 桧山袖四郎ほか | |||
| 4 | |||
| 今田英作ほか | |||
| 5 | |||
| 大原トシほか | |||
| 6 | |||
| 河野義信ほか | |||
| 7 | |||
| 毛利川源一ほか | |||
| 8 | |||
| G・B・ダーリングほか | |||
| 県民葬 式辞・弔辞 | |||
| 年譜 | |||
| 資料および参考文献 | |||
| 編集集委員会名簿 | |||
| あとがき | |||
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仁科芳雄博士追悼特集(『自然』1951年04月)
| 頁など | 記事 | 備考 |
| 表紙写真:原爆投下直後の広島の空中写真 | ||
| 仁科芳雄博士追悼特集 | ||
| 61 | 略歴 | |
| 62 | 仁科芳雄先生の思い出 湯川秀樹 | |
| 64 | 仁科先生を偲んで(座談会) 朝永振一郎・山崎文男・竹内柾・坂田昌一・中山弘美・玉木英彦 | |
| 77 | こわかった「親方」 小林稔 | |
| 78 | 宇宙線と「親方」 関戸弥太郎 | |
| 79 | 時代の子か 伏見康治 | |
| 82 | 仁科先生の御病歴 武見太郎 | |
| 84 | ジャーナリズムの片隅で 金関義則 | |
| 85 | 先生と私 小倉真美 | |
| 80 | 仁科博士学術論文目録 科学研究所仁科研究室提供 | |
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仁科芳雄『原子力と私』(学風書院 19500810)
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| 頁 | 序 |
| 11 | 原子力について 原子爆弾 14 原子力の管理 45 原子力問題 62 台本における原子力研究の條件 92 原子弾と肥料 96 原子力と平和 100 原子力問題の新段階 106 原子力・今後の課題 117 ラジオアイトーブが輸入されるまで 121 |
| 127 | ボーア 湯川理論の発展 |
| 136 | 日本再建と科學 科学活動と経済復興 国際平和の基礎 政治の科学性 組織の力 発明と研究 |
| 188 | わが科学者のつとめ われらは如何に前進すべきか 廿世紀前半における物理學の歩みとその後半の夢 |
| 199 | 国際学術会議への旅 外から見た日本 私はなにを読んだか |
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仁科芳雄(にしな・よしお)
『広島県史 原爆資料編』収録資料
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『日本無罪論-真理の裁き』(パール述 田中正明編、太平洋出版社、19520503)
内容
| 部 | 頁 | ||
| <近藤儀一(極東軍事裁判補佐弁護人)推薦文?> | |||
| パール判事の判決文を読んで <田中正明> | 1 | ||
| 1 | 予備的法律問題 | 38 | |
| 基本的な問題 38 平和と殺人と人道 38 共同謀議の目的と目標 40 戰爭は國家の罪か個人の罪か 42 |
|||
| 裁判所の構成 43 戰勝國が戰敗國を裁き得るか 43 弁護側の2つの異議 46 |
|||
| 裁判所の管轄権外の事項 47 ポツダム宣言は法的價値ありや 47 |
|||
| 適用されるべき法 50 検察側の主張する法 50 無條件降伏の意味するもの 52 |
|||
| 裁判所條例-これは戰爭犯罪を定義しているか 54 法は遡のぼらず 54 單なる権力の表示 56 戰勝國は犯罪を定義し得るか 58 戰勝國は法律を制定し得るか 61 戰勝國の主権と戰敗國の主権 63 数世紀の文明を抹殺するもの 67 征服と占領とは違う 69 権力の簒奪は許されるか 71 本裁判所の「越権」問題 73 |
|||
| 侵略戰爭は犯罪であるか 76 第1次大戰以降の戰爭は不法であったか 76 慣習國際法より見た侵略戰爭 76 慣習法は法の領域外の問題 78 國際法は進歩するものである 79 人道的観念の絶えざる拡大 82 原子爆彈の汚点 84 世界政治を学ぶ者の夢 85 法の究極の主体は何か 87 創造的裁量は許されるか 90 自然法によっても処罪できない 91 |
|||
| 2 | 『侵略戰爭』とは何か 93 | ||
| 定義の必要 93 各時代に提案された各種の定義 95 イ クインシー・ライトの定義 95 ロ ラウターパクトの定義 98 ハ ジャックソンの定義 99 これらの定義の問題点 102 被支配民族の解放は侵略か 104 自衛の判定は誰がする 106 裁判に付し得ない問題 108 中國における共産主義の脅威 109 中國のボイコット 112 米國は中國を援助した 113 アメリカの対日経済制裁 115 日本が違反した條約 118 宣戰布告と眞珠湾攻撃 121 背信的企図 124 |
|||
| 3 | 証拠及び手続に関する規則 126 | ||
| 証拠の價値判断 126 「木戸日記」の信憑性 128 「原田日記」の信憑性 130 西園寺回顧録はかくして作られた 131 |
|||
| 4 | 全面的共同謀議 138 | ||
| 諸言(省略)138 第1段階-満州の支配獲得(省略)138 第2段階-満州より中國全土にわたる支配制覇の拡張(省略)138 |
|||
| 第3段階-侵略戰爭のための國内態勢の整備 138 人種的感情 138 A 民族的優越感 138 B 西欧人の選民意識 139 C 日本の人種平等案 141 D 有色民族の排斥 143 教育の軍國主義化 145 政権の獲得 149 一般的戰爭準備 150 枢軸國との同盟 152 ソ連に対する侵略 157 |
|||
| 最終段階-日米交渉決裂まで 158 期待は裏切られた 158 日本の誠意 161 日米の予備的ケ解 163 微妙な米國の『自衛』 166 日本の讓歩 167 3國同盟の「死文」化 169 南方資源をめぐる外交戰 172 日本軍の中國駐屯問題 174 ゆがめられた傍受電報 181 佛印進駐で局面急変す 187 窮地に追いこまれた日本 190 絶望的な噤@194 『対日包囲政策』なる 195 島田被告の供述 198 共同謀議は認められず 201 |
|||
| 結論 204 推定的價値しかもたない 204 愛國的動機 207 共同謀議は犯罪であるか 210 共同謀議はメンタル・オフェンス 213 |
|||
| 5 | 本裁判所の管轄権218 | ||
| どの期間を範囲とするか 218 蘆溝橋事件か眞珠湾か 221 |
|||
| 6 | 厳密なる意味における戰爭犯罪 225 | ||
| 殺人ならびに共同謀議 225 | |||
| 一般人に対する残虐行為 230 訴追の理由 230 『命令し・授権し・許可せり』 232 戰時宣傳の影響@2R6 南京における強姦事件 238 すでに『嚴重な裁判』を受けた 241 どの被告に関係あるか 242 |
|||
| 諸地域における残虐行為 244 | |||
| 原子爆彈の責任 252 | |||
| いわゆる『南京残虐事件』 254 中國諸地域における残虐行為 259 いわゆる『マニラ残虐事潤x 262 これらの事件の責任者 263 イ 松井大将の場合 268 ロ その他の司令官の場合 268 俘虜に対する戰爭犯罪(略)269 |
|||
| 7 | 勧告 270 | ||
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パール、ラダビノード
| 18860127生19670110没 | パール、ラダビノードRadhabinod Pal | 享年71歳 | インド人法律家。東京裁判でインド代表判事を務める。彼の原爆慰霊碑の碑文についての発言をめぐり論争が起こる。『日本無罪論』、『平和の宣言』 |
関連資料
| 年月日 | 資料名 | 作成者など | 備考 |
| 19520503 | 日本無罪論-真理の裁き | パール述 田中正明編、太平洋出版社 | |
| 19530410 | 平和の宣言 | 田中正明編、ラダビノード・パール著、東西文明社 | |
| 198003 | 島津邦弘「東京裁判とヒロシマ-原爆投下責任論をめぐって-」 | 『広島市公文書館紀要第3号(昭和55年3月発行)』所収 | |
| 東京裁判とヒロシマ | ヒロシマ遺文 (hiroshima-ibun.com) | |||
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山田節男先生年譜 1898~1946年<出典:『山田節男追想録』(山田節男追想録刊行委員会編・刊、19760715)><作業中>
| 年月日 | 事項 |
| 1946 | (昭和21) |
| 0408 | 復員 |
| 0912 | 日本労働組合総同盟国際部長 |
| 1947 | |
| 0425 |
第1回参議院議員選挙通常選挙に当選(広島地方区、社会党公認) |
| 0503 | 日本国憲法施行により参議院議員となる。 |
| 1017 | |
| 1020 | |
| 1948 | |
| 1012 | |
| 1949 | |
| 0725 | |
| 1201 | |
| 1950 | |
| 0604 | 第2回参議院議員選挙通常選挙に当選(広島地方区、社会党公認) |
| 1952 | |
| 0801 | |
| 1954 | |
| 0901 | |
| 1202 | |
| 1955 | |
| 0323 | |
| 1005 | |
| 1956 | |
| 0708 | 第4回参議院議員選挙通常選挙に当選 |
| 0710 | 日本ユネスコ国内委員会委員 |
| 1959 | |
| 0124 | |
| 1960 | |
| 0124 | 民主社会党結成に伴い、 民主社会党広島県支部連合会会長 |
| 1962 | |
| 0901 | |
| 0913 | |
| 1005 | |
| 1963 | |
| 0206 | 株式会社ラジオ中国役員顧問 |
| 1964 | |
| 0509 | 日本世界連邦建設同盟副会長。 |
| 1965 | |
| 0904 | 衛星通信世界機構創立委員会出席のためワシントンに派遣 |
| 1967 | |
| 0430 | 広島市長に就任。 |
| 0516 | 広島県市長会会長。 |
| 0628 | 国際親善都市連盟副会長 |
| 0828 | 世界連邦宣言自治体全国協議会会長 |
| 1968 | 世界連邦都市宣言世界本部理事長 |
| 0111 | |
| 1970 | |
| 0109 | 国際親善都市連盟会長 |
| 1971 | |
| 0430 | 広島市長に再任。 |
| 1974 | |
| 0419 | 連合都市協会(UTO)共同議長 |
| 0624 | 世界連邦都市宣言世界本部会長 |
| 1975 | (昭和50) |
| 0108 | 死亡(肺癌兼左癌性肋膜炎)76歳 |
止
山田節男先生年譜 1898~1946年<出典:『山田節男追想録』(山田節男追想録刊行委員会編・刊、19760715)>
| 年月日 | 事項 |
| 1898 | (明治31) |
| 1226 | 広島県賀茂郡高屋町大字溝口429番地で出生。 |
| 1917 | (大正6) |
| 03 | 修道中学校卒業 |
| 1920 | (大正9) |
| 07 | 第六高等学校<岡山市>卒業 |
| 1923 | (大正12) |
| 04 | 東京帝国大学経済学部経済科卒業。マスター・オブ・アーツの称号。 |
| 1930 | (昭和5) |
| 03 | 英国オックスフォード大学政経学部卒業。マスター・オブ・アーツの称号。 |
| 1931 | (昭和6) |
| 0701 | ジュネーブ国際連盟付属機関国際労働機関(ILO)調査委員。 |
| 1933 | (昭和8) |
| 03 | 東京市社会局本所第一方面事務所長 |
| 1938 | (昭和13) |
| 03 | 東京市嘱託 東京市電気局労務課勤務 |
| 05 | 日本厚生協会常務理事 |
| 1939 | (昭和14) |
| 06 | 明治学院高等部講師 |
| 07 | 中央社会事業研究所海外研究員 |
| 1942 | (昭和17) |
| 0505 | 陸軍司政官北ボルネオ守備軍軍政部総務部長兼調査局長 |
| 1945 | (昭和20) |
| 0213 | 陸軍司政官高等官3等 |
| 09 | 豪州軍第9師団軍事裁判戦犯者主任弁護士任命 |
| 1946 | (昭和21) |
| 0408 | 復員 |
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横山英先生追悼特集(近きに在りて 第49号)目次<作業中>
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| 103 沢野重男「平和ゼミ校長 横山英先生について」 |
| 105 三戸真治「日中友好協会広島県連事務局長」 |
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| 2006年1月6日没 |
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伊藤サカエ年表 <作業中>
| 年 | 月日 | 事項 | |
| 広島県呉市生まれ。矢野町議会議員、同町婦人会長などを歴任。 | |||
| 1945 | 0806 | 広島市鶴見橋で建物疎開作業の勤労動員中に被爆。 | |
| 1965 | |||
| 1977 | 0304 | 伊藤サカエ広島県被団協理事、「日米首脳会談で米大統領に核廃絶に踏み切るよう要請して欲しい」と福田首相に手紙。(中国新聞) | |
| 1978 | 0302 | 広島県被団協、5月の国連軍縮特別総会に5人の代表を派遣。桧垣益人事務局長・伊藤サカエ・高橋昭博・下江武介・小野田百合子。(中国新聞) | |
| 0526 | |||
| 0806 | |||
| 1979 | 1206 | ||
| 1981 | 0621 | 日本被団協、伊藤サカエ(初の女性代表委員)・山口仙二・伊東壮が代表委員に、桧垣益人、小佐々八郎、行宗一は顧問に就任。 | |
| 1982 | 0818 | 伊藤サカエ・李実根、日本被団協の「欧州語り部の旅」の広島代表として参加。 | |
| 0819 | ~30 日本被団協「欧州語り部の旅」に伊藤サカエら27人を派遣。(日本被団協 (www.ne.jp)) | ||
| 1983 | 0308 | ||
| 1984 | 0228 | ||
| 0617 | 日本被団協定期総会。代表委員に伊藤サカエ・山口仙二・伊東壮を再任 | ||
| 0621 | 広島県被団協理事会、桧垣益人事務局長の辞任を了承、後任に伊藤サカエ。 | ||
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| 1985 | 0626 | ||
| 0805 | |||
| 1986 | 0301 | ||
| 0729 | |||
| 0929 | |||
| 1987 | 0131 | ||
| 0623 | |||
| 1989 | 0906 | ||
| 1990 | 0115 | 伊藤サカエ「エッセイ 被爆45周年を前に」(『福竜丸だより』141号) | |
| 0604 | |||
| 1024 | |||
| 1994 | 0709 | 広島県被団協、故森滝市郎の後任理事長に事務局長の伊藤サカエを決める。 | |
| 1101 | |||
| 1130 | 衆議院厚生労働委員会、広島市内で被爆者援護法案についての公聴会。陳述人は、重松逸三・小林寛治・石田明・伊藤サカエ。 | ||
| 1223 | 緊急全国代表者会議(「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」制定直後)での伊藤サカエ代表委員あいさつ「政府与党の、私たちの希望を欠いた提案が可決され、もっともっと大きな荷物を抱えた。私たちの後ろには、34万人の死んだ人と、一般戦災者もいる。国がした戦争の責任をなぜ国民が、政府がとらないのに私たちがとらなくてはならないのか。…もっともっと固く団結して、私たちがこれだけやったんだという証拠を挙げたい」。出典:濱谷正晴「“日本被団協 1994.12.23 緊急全国代表者会議”~「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」の成立をうけて~」 | ||
| 1995 | 0817 | 伊藤サカエ理事長、中国核実験に抗議電報。 | |
| 1997 | 0627 | 伊藤サカエ理事長、広島県被団協(金子一士理事長)総会に初めて出席。分裂から33年、連帯を確認(中国新聞) | |
| 2000 | 0105 | 伊藤サカエ(日本被団協代表委員・広島県被団協理事長)死去。88歳。 | |
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| 0606 | 偲ぶ会(伊藤サカエ・伊東壮) | ||
| 2019 | |||
| 2016 | 0416 | 「伊藤サカエさんを語る会」(広島市原爆被害者の会主催「先人を語る会」第4回)。会場:大手町平和ビル。参加者65名。 | |
| 0816 | 「祖母、母から孫娘へ 三世代で語り継ぐ広島の被爆体験」( 『週刊女性』8月16日号) | ||
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