「01 月忌」カテゴリーアーカイブ

時代を先取りした作家梶山季之をいま見直す

『時代を先取りした作家梶山季之をいま見直す 没後33年記念事業』(梶山季之記念事業実行委員会、中国新聞社、2007/11/10)

内容

004 講演とシンポジウム
006 実行委員会から実行委員長 平岡敬
008 基調講演
「梶山先輩と私」 藤本義一
020 シンポジウム
 20 生まれ故郷朝鮮と梶山季之 橋本健午
25 梶山季之が『噂』に残したもの 高橋呉郎
28 ハワイ/南米・ユダヤ移民への視点 小谷瑞穂子
32 原爆後の広島と梶山季之 天瀬裕康
34 シンポジウム後半より
40 梶山美那江夫人より
041 作家展「梶山季之の作品と人間像」
 45 corner1 いま見直す梶山季之
46 corner2 広島
47 corner3 上京
48 corner4 修業時代
50 corner5 トップ屋の頃
52 corner6 ベストセラー作家
55 corner7 書きに書いた日々
56 corner8 膨大な仕事量
57 corner9 『噂』
59 corner10 憩いのひととき
61 corner11 広島との交友、ヒロシマへの想い
63 corner12 映画化・劇画化
63 corner13 梶山季之の人と仕事
65 corner14 ライフワークにとりかかる
68 corner15 追憶の部屋
070 資料1 梶山季之と広島大学、広島大学文書館 小池聖一
078 資料2 「梶山季之文学碑」について 小林正典
082 資料3 上映会のこと~日韓の歴史をめぐる偶感 海老根勲
084 展示会場配置図
085 展示物一覧
090 梶山季之 並行した連載ものの仕事
092 梶山季之年譜
096 原稿量、メディア出演等
097 入場者数一覧
098 記念事業関連報道記事より
特別寄稿
104 いまだ、借りっ放し 成田 豊
105 今の広島に梶山季之さんのような方がほしい 田辺良平
106 梶山君の思い出 二宮義人
108 体育教師(?)梶山季之 川村 毅
109 カジサンのことあれこれ 石井泰行
110 親父儀 梶山勇一大往生 川村浩一
112 「一枚の青写真」~父と梶山季之の出会いが伝えてくれたもの~ 藤野能子
120 世話人会後記
126 協賛企業広告
137 協賛企業名・協賛個人名
138 実行委委員会・世話人会名

小倉豊文

小倉豊文

おぐら・とよふみ 18990820生 19960610没 享年96歳  日本史学者。『広島県現代文学事典』(植木研介・記)

資料年表:小倉豊文<作業中

年月日 事項 備考
1899
0820 誕生
1948
1130 『絶後の記録 廣島原子爆彈の手記 亡き妻への手紙』(中央社)
1949
0310 『文化教室 廣島縣教育委員會社會教育課新聞 No.2』
P.6 小倉豊文著”絶後の記録”書評
0415 『広島教育 第17号 3, 4月合併号』(広島県教職員組合文化部)
足を靴に合わせろ! 小倉豊文 36
1001 『ヒロシマフォトアルバム』(佐々木雄一郎編、広島平和協会)
編輯者:佐々木雄一郎
寄稿者:浜井信三・小倉豊文・吉井哲爾
撮影者:佐々木雄一郎・山本義江・松重美人・ 山田精三
1965
0301 『放送RCC 第41号』(ラジオ中国)
ひろしま風土記■広島城とRCC 小倉豊文 18
1966
0801 『放送RCC 第59号』(ラジオ中国)
ひろしま風土記■消滅した広島の町々 小倉豊文 38
1968
0801 『放送RCC 第9号』(中国放送)
ひろしま風土記■原爆広島とポンペイの廃墟 小倉豊文 58
1969
0120 『燃える日本列島 父が語る太平洋戦争 3』(来栖良夫・古田足日・堀尾青史 編、童心社)
「ピカドン! 原爆第一号 」小倉豊文 110
1970
0805 『広島原爆の手記 亡き妻への手紙』(八雲井書院)
1971
0720 『絶後の記録 広島原爆爆弾の手記 シリーズ戦争の証言3』(太平出版社)
1975
0806 『生死の火 広島大学原爆被災誌』
1981
0831 『ヒロシマを語る十冊の本 続』(ヒロシマを知らせる委員会編、労働教育センター)
小倉豊文著「絶後の記録」(1948年)1
1982
0420 『広島県短歌史』(豊田清史著、溪水社 [渓水社])
15、小倉豊文の人間虚無歌、土井寿夫の「幾山河」 506
0630 『原爆を読む 広島・長崎を語りつぐ全ブックリスト』(水田九八二郎、講談社)
4-『絶後の記録-広島原爆の手記』小倉豊文著(昭和二十三年) 30
0710 『絶後の記録 広島原爆爆弾の手記(中公文庫)』
1985
0801 『国文学解釈と鑑賞 第50巻9号』(至文堂)
記録とエッセイ 『絶後の記録』小倉豊文/中村完 113
1994
0806 『ノー・モア・ヒロシマ 50年後の空洞と重さ』(風濤社)
1996
0610 死亡
2015
0112 「故小倉豊文さん、妻文代さんの遺品 家族が保存」(『中国新聞』掲載)

谷川和穂

谷川和穂

たにかわ・かずほ 19300721生20180608没 享年87歳 自民党衆議院議員。防衛庁長官、法務大臣など歴任。

資料年表:谷川和穂

年月日 事項 備考
1930
0721 広島県賀茂郡西志和村(現・東広島市)生まれ。
1978
**** 『闘争・暴力そして脅威 : 昭和ひとけたの見た戦後観』(原書房)
2007
0810 東広島市名誉市民
志和町出身 昭和33年に、当時、全国最年少で衆議院議員に初当選、以来、 防衛庁長官、法務大臣などの要職を歴任された。また、広島大 学の本市への統合移転の構想実現に尽力されるなど、学園都市 の構築と発展に貢献された。ttps://www.city.higashihiroshima.lg.jp/material/files/group/3/HonoraryCitizen2022.pdf
2018
0608 死亡。

 

 

大内五良

大内五良

おおうち・ごろう 190711**生19840606没 享年74歳 広島市医師会長(1957~59年)。広島県医師会長(1967~82年)。原爆乙女の渡米治療、在米被爆者検診などに貢献。

資料年表:大内五良<作業中

年月日
1907
11 京都府生まれ
1954
0625 『ながれ』(村上哲夫著)
20230606_outigoro1
20230606_outigoro2
1955
0503  原爆乙女25人、岩国空港から米空軍機で米に出発。大内五良医師ら6人が付き添う。 C
 0810 C
 1957
 0209  C
0617  C
 1968
 10 C
 1972
 0515 C
 1976
 05  C
 06 C
 11  C
 12  C
1977
03 C
 09 C
1979 
 04 C
 1981
11 C
 1982
01 C
 04  C
1983
1105 大内五良ら広島の医師らが作った16ミリ映画「ヒロシマの医師たち―38年のドキュメント」が完成 C
1984
0607 死亡。享年74歳

原爆裁判 核兵器廃絶と被爆者援護の法理

『原爆裁判 核兵器廃絶と被爆者援護の法理』(松井康浩著、新日本出版社、1986/08/05)

内容

備考
はじめにー被爆40年にあたってー1
1 原爆裁判 13
1 原爆訴訟提起のいきさつー被爆者の援護と核兵器の廃絶のためにー  13
(A)広島・長崎などでの反応 18
(B)第5福竜丸の被曝ービキニ水爆実験の犠牲ー 22
2 原爆訴訟の提起 24
3 原爆訴訟の法理 36
(A)アメリカによる広島・長崎への原爆投下行為の国際法違反性 36
(B)アメリカ合衆国と大統領トルーマンらの故意責任と損害賠償義務 38
(C)日本政府の責任ー講和条約による権利放棄ー 40
4 日本政府の主張 41
(A)原爆投下行為の国際法違反性の否定 47
(B)損害賠償請求権の否定 48
(C)平和条約による権利放棄の否定 48
(D)日本政府の責任の否定 49
(E)他の戦争被害者との均衡と国の財政事情による被爆者援護の否定 49
5 訴訟の経過 49
(A)原爆投下直後の日本政府の抗議をめぐって 50
(B)敗戦国の宿命論をめぐって 53
(C)国側の主張の特徴 55
6 国際法学者の鑑定意見とその特徴 57
(A)広島・長崎への原爆投下は国際法に違反するか 58
(B)日本政府は講和条約で被爆者の損害賠償請求権を放棄したか 65
7 判決 69
(A)判決書 70
(B)原爆投下の国際法違反を宣告 70
(C)損害賠償請求権の否定 73
(D)被爆者援護法を制定しない政治的怠慢に言及 75
(E)判決の意義 77
2  被爆者援護の法理 83
はじめにー誰のための被爆者援護か 83
1 被爆の実態 84
(A)原爆の破壊力 86
(B)被爆者の証言 88
(C)ある被曝軍医の証言 91
2 アメリカ政府の責任 94
(A)原爆判決の指摘 94
(B)原爆投下目的の不法性 97
(C)原爆投下後の治療や調査の妨害 99
3 日本政府の責任 101
はじめに 101
(A)戦争終結時期の誤りーなぜ広島に、さらに長崎にもー 102
(B)被爆者の放置 107
(C)アメリカに対する責任追及のサボタージュ 110
(D)被爆者援護法不制定の政治責任 114
(E)「基本懇」報告の非情と非論理 118
(イ)「基本懇」見解の非情 119
(ロ)「基本懇」見解の非論理 120
(ハ)被爆者対策の基本理念 123
(F)被爆者援護法不制定の法的責任 124
(イ)法律の制定と政党の機能 124
(ロ)憲法と被爆者援護法の不制定 128
(1)講和条約における請求権放棄 128
(2)請求権放棄と財産権の補償 130
(3)戦争災害と被爆者援護法 131
4 被爆者の要求 135
(A)国家補償の精神に立つ援護法の制定 135
(B)ふたたび被爆者をつくらないために 136
(C)被爆者の援護と核兵器の廃絶ーなぜ政府・与党は被爆者援護法を制定しないのかー 137
3 核兵器廃絶の法理 143
はじめに 143
1 核兵器使用の違法性 145
(A)原爆判決の既判性 145
(B)兵器の選択と人道の法則 151
(C)核兵器使用と報復の権利 153
2  核兵器使用の犯罪性 155
(A)戦争犯罪と戦争犯罪人 155
(イ)侵略戦争は国際犯罪である 157
(ロ)戦争犯罪の処罰 161
(B)国際軍事裁判(ニュールンベルグ裁判)162
(C)極東国際軍事裁判(東京裁判)163
(D)朝鮮戦争とベトナム戦争における戦争犯罪 168
(イ)朝鮮戦争とアメリカ・日本 168
(ロ)ベトナム戦争とアメリカ・日本 170
(ハ)ベトナム法廷 172
(E)平和と人道の国際法の形成ーその克服すべき旧理論ー 176
(イ)戦争法における民主的原理 176
(ロ)核兵器時代の国際法と人道の法則 178
(ハ)国際連合の決議 180
4  核兵器廃絶運動の法理 183
はじめに 183
1 核戦争の明白かつ現実的危険 184
(A)核軍拡の論理とその実態 184
(B)核兵器の軍事的事故 187
2 核戦争の被害ー生地獄と“核の冬”ー
3  憲法と核兵器廃絶運動 1190
(A)平和主義と非核3原則 190
(B)平和と民主主義の一体性 190
4 安保条約と核兵器廃絶運動 198
(A)憲法と日米安保条約の矛盾 198
(B)核兵器の廃絶と安保条約 201
むすび 203
資料
あとがき

 

松井康浩

松井康浩

まつい・ひろやす 19220618生20080605没 享年85歳 弁護士。日本原水協代表理事。

資料年表:松井康浩<作業中>

年月日 事項 備考
1922
0618
1968
0820 『戦争と国際法 原爆裁判からラッセル法廷へ』(三省堂新書)
1986
0805 『原爆裁判 核兵器廃絶と被爆者援護の法理』(新日本出版社)
1992
0720 『時代のなかの社会主義』(星乃治彦・石川捷治・木村朗・松井康浩・平井一臣・木永勝也著、法律文化社)
1994
0809 『証言-ヒロシマ・ナガサキの声1994 第8集』(長崎の証言の会)
松井康浩「法の支配と人間性の支配-核兵器廃絶を目ざして-」  16
1999
0618 『非核平和の追求-松井康治弁護士喜寿記念』(浦田賢治編、日本評論社)
2000
0710 『被爆者援護と核兵器廃絶の理論と運動』(めいけい出版)
2008
0605 没。享年85歳

広島長崎修学旅行案内 原爆の跡をたずねる 新版

『広島長崎修学旅行案内 原爆の跡をたずねる 新版』(松元寛著、岩波書店<岩波ジュニア新書>、1998/05/20)

内容

新版にあたって
出発の前に…1
ヒロシマを見る…15
 1 現在の広島…17
2 三つのひろしま…21
中国路の城下町(21)
重要な軍事都市(25)
原爆投下(30)
ヒロシマ(36)
復興の歴史(40)
3 平和公園…48
4 「過ちは繰返しませぬ」…58
5 原爆ドーム…62
6 原爆資料館…72
7 原爆モニュメント…81
平和公園内の碑(81)
平和公園周辺の碑(87)
8 被爆者の意識…97
無念の思い(97)
犠牲者意識(101)
被害者にして加害者(105)
被爆体験の風化(111)
9 原爆病院とABCC…116
原爆病院の役割(116)
原爆障害と補償(121)
ABCCとマンハッタン計画(126)
ナガサキへの旅…131
 1 長崎と広島…133
外からの目で見ると(134)
二番目の意味(137)
2 ナガサキを見る…140
中心地公園と原爆資料館(141)
浦上天主堂(148)
如己堂(155)
平和公園(165)
3 長崎の被爆者…174
殉難者(175)
ピカドン(181)
生き残りの後ろめたさ(184)
終わりに…193
 1 スミソニアンの実現しなかった「原爆展」…194
2 旅をふり返って…203
被爆体験の継承ということ(203)
考えることと行動すること(210)
あとがき…215
〈地図〉
広島市略図(16)
広島平和記念公園周辺(49)
長崎市略図(132)
長崎爆心地周辺(144)

ヒロシマという思想―「死なないために」ではなく「生きるために」

松元寛『ヒロシマという思想―「死なないために」ではなく「生きるために」』(東京創元社、1995/07/20)

内容

序に代えて 私はなぜ広島にいるのか 5
1960年から70年へ
原水爆禁止運動における思想と行動 19
1970年、ヒロシマ会議報告 33
8.6、広島の意味するもの 47
1980年前後
原点としてのヒロシマ 71
平和と文学、平和の文学 87
原点としてのヒロシマ、ナガサキ 109
1985年以後
原爆民主主義を超えるために 133
核抑止力戦略を支えるもの 155
文学的な、余りに文学的な 183
あとがき 209