「01 月忌」カテゴリーアーカイブ

大村英幸

大村英幸

おおむら・ひでゆき 192201**生20110612没 享年88歳 広島青年文化連盟初代委員長。

資料年表:大村英幸<作業中

年月日
1922
01 誕生
1982
松永の大村英幸(福山市柳津町)宅へ。*と。
1995
0701 『占領下の広島 反核・被爆者運動草創期ものがたり』(渡辺力人・田川時彦・増岡敏和編、日曜舎)
大村英幸「広島青年文化連盟のこと、最初の原子兵器禁止決議のこと」
2002
0916 『福田正義追悼集』(長周新聞社)
大村英幸(福山市在住) 73
2006
0801 『劫火の記憶 福山市原爆被害者の会50年の歩み』(福山市原爆被害者の会)
大村英幸(柳津町)「原爆詩人・峠三吉と私」
2010
0325 『HIROSHIMA RESEACH NEWS Vol.12 No.3 March 2010』(広島市立大学広島平和研究所)
特集 広島に聞く・広島を聞く 第13回
聞き手 浅井基文(広島平和研究所長)
被爆・占領下の広島を語り残す
大村英幸 氏(広島青年文化連盟・初代委員長)
2011
0325 『広島に聞く 広島を聞く <日英対照> = Reflections from Hiroshima』(浅井基文編著、かもがわ出版)
0612 死亡。享年88歳

郭沫若

資料年表:郭沫若

年月日 事項
1892
1116 中国・四川省に生まれる。
1955
0215 『世界の良心は発言する 世界平和集会議事録』(平和擁護日本委員会編、五月書房)
郭沫若(中国)の演説 119
0619 原水爆禁止世界大会広島準備会、郭沫若ら70人に大会招請状を発送。 C
1215 郭沫若ら15人(中国科学学院訪日学術視察団)。 C
広島来訪。原爆慰霊碑参拝。広島大学で「平和共存」のテーマで講演。
郭沫若との碑文論争というのは
[原爆慰霊碑の]碑文は、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」でしょう。それを、「繰返させませぬから」とすべきだと言われるんです。そこで私が、「NO MORE WAR, NO MORE HIROSHIMA とか、中国への侵略に対するお詫びというのが、「過ち」という中に入っているんです。つまり、中国への侵略を繰返しません、という祈りが入っているんです。我々は、それをみなさんに知ってもらいたい。それが広島の心です」と言うわけです。すると向こうは私の顔を見ながら黙ってしまいました。それは、私が慰霊碑に案内した時、言いました。慰霊碑に参拝して、資料館の前まで歩いて行って、そこで、ふっと振り返って、慰霊碑にもう一度お参りするでしょう、ちょうどその時です。
出典:「まどうてくれー藤居平一聞書」『資料調査通信1981年12月号』(広島大学原爆放射能医学研究所)
1958
0716 C
1225 『軍縮と国際協力のために ストックホルム平和大会の記録』(軍縮と国際協力のための世界大会日本準備会編、日本平和委員会)
 郭沫若(中華人民共和国)「平和運動は戦争という病気を予防し治療する運動である 」81
1959
0630 『戦後平和運動史』(熊倉啓安著、大月書店)
郭沫若演説の意味するもの…166
1 郭沫若演説の誤ったうけとり方…166
2 郭沫若演説の内容…167
3 郭沫若演説の積極的意義はどこにあるか…169
1964
0720 『世界人17人の提言 地球を破滅させるな』(読売新聞社)
中国は孤立しない 263
医者と病菌は共存できぬ 郭沫若
1978
0612 死亡。享年85歳。
1982
1231 『南京大虐殺 決定版』(洞富雄著、現代史出版会)
 残虐事件の責任 155
郭沫若・林語堂・スノーの日本人告発
1988
0815 『戦略爆撃の思想 ゲルニカ-重慶-広島への軌跡』(前田哲男著、朝日新聞社)
第4章 真珠湾への道(1941年)
郭沫若の怒り 317
第5章 爆撃の下で周恩来とその同志
郭沫若『屈原』の初演 39R
1991
0515 『中国往還』(小林文男著、勁草書房)
3 抗日戦争期、重慶の文化運動-郭沫若・文工会の理念と行動に関する覚書き- 244
2006
0810 『戦略爆撃の思想 ゲルニカ、重慶、広島 [新訂版]』(前田哲男著、凱風社)
「郭沫若、妻子を日本に残して抗日戦に加わる」 176
2009
0310 『大空襲三一〇人詩集 1937~2009年』(鈴木比佐雄、長津功三良、山本十四尾、郡山直編、コールサック社)
郭沫若「最も怯備な者こそ最も残忍だ」20

 

 

南京・広島・アウシュヴィッツ

『南京・広島・アウシュヴィッツ』(黒田秀俊著、太平出版社、19740610)

南京-日本軍が犯した残虐行為
いわゆる「南京事件」 14
新聞特派員の目撃記 17
事件犠牲者数の推定 21
本多レポートと「生きてゐる兵隊」 26
島田元中佐の見解 32
南京事件と「三光作戦」 38
残虐行為の底にあるもの 41
戦時下に公刊された『野戦郵便旗』 48
二度と黒い橋は渡るまい 52
南京-「幻」の事件ではなかった
南京戦における殺人ゲーム 62
石川達三氏の「生きてゐる兵隊」 66
一級資料のみあたらないわけ 70
殺人ゲームのナゾ  73
新聞記事は創作だったか 77
新聞はどう報じていたか 79
「支那兵はバカだから」 84
南京事件にかんする証言 89
佐々木到一少将の『南京攻略』 92
復刻された『野戦郵便旗』 95
『外国人の見た日本軍の暴行』 99
日高談話と米林談話 102
広島-にんげんを、そしてへいわをかえせ
その朝の大本営110
広島原爆の「第一報」 114
放送と新聞記事 118
広島に入った調査団 123
真相はなぜ公表されなかったか 127
「原子爆弾作裂す」 132
原子雲の下で 138
あいつぐ悲劇 141
沸騰する街 145
原爆でどれだけの人が死んだか①  149
原爆でどれだけの人が死んだか②  154
原爆攻撃目標都市 159
 占領軍の報道管制 162
米日両国政府の責任 170
日本政府のミス 178
アウシュヴィッツ―理性と文明に反逆した大量殺人
 戦争は残虐になる 184
四百万人の屠殺場 189
有刺鉄線のなかで 194
巨大な人間焼却炉 200
二人の知識人の感想 205
日本とユダヤ人のかかわりあい 213
ナチズムの人種思想 219
反ユダヤ人対策の四段階 223
あとがき  227

沢近宏

沢近宏

さわちか・ひろし 生19890610没 享年71歳 宇品船舶司令部で、軍医として勤務中被爆。戦後、被爆者治療活動に尽力。

資料年表:沢近宏<作業中

年月日
****
1964
07 『広島医学17-7』(広島医学会)
沢近「原爆火傷者に於ける1,2の知見」
1967 広島市医師会会長。~1971年
1970
0430 『原爆日記 第Ⅱ集』(広島県医師会)
沢近「最も長かった一日」
1989
0610

河村盛明

河村盛明

かわむら・せいめい 1922****生19950708没 享年72歳 『河村盛明評論集 傷痕よりの出発』(河村盛明、六法出版社、1992.5.30)

資料年表:河村盛明<作業中

年月日 事項 備考
1922
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出典:『河村盛明評論集 傷痕よりの出発』

1970 毎日新聞広島支局長
1992
0530 『河村盛明評論集 傷痕よりの出発』(六法出版社)
1995
0708
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出典:『ヒロシマ・ユネスコ』(第37号、19951020)

湯崎稔

湯崎稔

ゆざき・みのる 19310501生19840611没 享年53歳 [69原爆被災資料広島研究会]。広島大学総合科学部教授。広大原医研で、爆心五百メートル以内の復元調査に従事。

資料年表:湯崎稔<作業中

年月日
1931
0501 誕生
1984
** 芝田進午「<追悼>湯崎稔教授を悼む」(『社会文化研究(広島大学総合科学部紀要Ⅱ)第10巻』1984年別冊)
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1995
0801 『世紀を超えて-爆心復元運動とヒロシマの思想』(児玉克哉編 、中国新聞社、19950801)
人間の復権を目指して(湯崎稔)
1 原爆被災復元調査の意味 (湯崎稔)
2 原爆被災復元の論理の構想(志水清編、金沢寛太郎・長屋龍人・湯崎稔)

小山祐士

小山祐士

こやま・ゆうし 19040329生19820610没 享年78歳 劇作家。原爆をテーマにした劇「泰山木の木の下で」などの作者。『広島県現代文学事典』(秋枝美保・記)

資料年表:小山祐士

年月日 事項 備考
1904
0329 福山市生まれ
1956
02 劇団俳優座、小山祐士原作「二人だけの舞踏会」(岸田演劇賞受賞)を初演。<『中国新聞』20220915>
1959
0201 『新劇 第65号』(白水社)
扉のことば 小山祐士…1
1962
0101 『新劇 第103号』(白水社)
泰山木の木の下で(三幕)-私たちの明日は- 小山祐士…6
1963 劇団民芸「泰山木の木の下で」(小山祐士作)を東京・砂防会館で上演。 C
1965
1201 『テアトロ』(テアトロ)
□戯曲□
1967
0131 『小山祐士戯曲全集 第1巻』(テアトロ)
『第2巻』(1967/06/15)、『第3巻』(1967/10/25)、『第4巻』(1968/09/10)、『第5巻』(1971/03/25)、
1968
0109 劇団文学座など、「薔薇よりも孔雀だ」(小山祐士作、木村光一演出)を京都などで上演。 C
1970
0228 文学座・俳優座の提携公演「冬の花―ヒロシマのこころ」の徳山公演。 C
0317 文学座・俳優座の提携公演「冬の花―ヒロシマのこころ」の広島公演。 C
0401 『テアトロ』(テアトロ)
冬の花 小山祐士…117
0801 『婦人之友 』8月号
一つの現実8 ヒロシマのこころ<カラー> 小山祐士/英伸三 6
1971
0801 『ひろしまの観光 8月号』(みづま工房)
<特別寄稿>広島と私 小山祐士 56
1204 『この炎は消えず 広島文学ノート』(毎日新聞社)
瀬戸内海の子供ら 小山祐士 143
1981
0720 『広島文学ノート』(河村盛明編、溪水社 [渓水社])
《瀬戸内海の子供ら》 小山祐士 148
1982
0610 死亡。
1025 『広島県大百科事典<下巻>』
吉田文吾「泰山木の木の下で」20
安藤欣賢「小山祐士」772
1983
0801 『日本の原爆文学 12 戯曲』(堀田清美 [ほか]6名著、ほるぷ出版)
泰山木の木の下で 小山祐士 147
2013
0426 「戦時下の人間模様克明 小山祐士「北海道演奏旅行記」(ふくやま文学館)」(『中国新聞』掲載)

時代を先取りした作家梶山季之をいま見直す

『時代を先取りした作家梶山季之をいま見直す 没後33年記念事業』(梶山季之記念事業実行委員会、中国新聞社、2007/11/10)

内容

004 講演とシンポジウム
006 実行委員会から実行委員長 平岡敬
008 基調講演
「梶山先輩と私」 藤本義一
020 シンポジウム
 20 生まれ故郷朝鮮と梶山季之 橋本健午
25 梶山季之が『噂』に残したもの 高橋呉郎
28 ハワイ/南米・ユダヤ移民への視点 小谷瑞穂子
32 原爆後の広島と梶山季之 天瀬裕康
34 シンポジウム後半より
40 梶山美那江夫人より
041 作家展「梶山季之の作品と人間像」
 45 corner1 いま見直す梶山季之
46 corner2 広島
47 corner3 上京
48 corner4 修業時代
50 corner5 トップ屋の頃
52 corner6 ベストセラー作家
55 corner7 書きに書いた日々
56 corner8 膨大な仕事量
57 corner9 『噂』
59 corner10 憩いのひととき
61 corner11 広島との交友、ヒロシマへの想い
63 corner12 映画化・劇画化
63 corner13 梶山季之の人と仕事
65 corner14 ライフワークにとりかかる
68 corner15 追憶の部屋
070 資料1 梶山季之と広島大学、広島大学文書館 小池聖一
078 資料2 「梶山季之文学碑」について 小林正典
082 資料3 上映会のこと~日韓の歴史をめぐる偶感 海老根勲
084 展示会場配置図
085 展示物一覧
090 梶山季之 並行した連載ものの仕事
092 梶山季之年譜
096 原稿量、メディア出演等
097 入場者数一覧
098 記念事業関連報道記事より
特別寄稿
104 いまだ、借りっ放し 成田 豊
105 今の広島に梶山季之さんのような方がほしい 田辺良平
106 梶山君の思い出 二宮義人
108 体育教師(?)梶山季之 川村 毅
109 カジサンのことあれこれ 石井泰行
110 親父儀 梶山勇一大往生 川村浩一
112 「一枚の青写真」~父と梶山季之の出会いが伝えてくれたもの~ 藤野能子
120 世話人会後記
126 協賛企業広告
137 協賛企業名・協賛個人名
138 実行委委員会・世話人会名

小倉豊文

小倉豊文

おぐら・とよふみ 18990820生 19960610没 享年96歳  日本史学者。『広島県現代文学事典』(植木研介・記)

資料年表:小倉豊文<作業中

年月日 事項 備考
1899
0820 誕生
1948
1130 『絶後の記録 廣島原子爆彈の手記 亡き妻への手紙』(中央社)
1949
0310 『文化教室 廣島縣教育委員會社會教育課新聞 No.2』
P.6 小倉豊文著”絶後の記録”書評
0415 『広島教育 第17号 3, 4月合併号』(広島県教職員組合文化部)
足を靴に合わせろ! 小倉豊文 36
1001 『ヒロシマフォトアルバム』(佐々木雄一郎編、広島平和協会)
編輯者:佐々木雄一郎
寄稿者:浜井信三・小倉豊文・吉井哲爾
撮影者:佐々木雄一郎・山本義江・松重美人・ 山田精三
1965
0301 『放送RCC 第41号』(ラジオ中国)
ひろしま風土記■広島城とRCC 小倉豊文 18
1966
0801 『放送RCC 第59号』(ラジオ中国)
ひろしま風土記■消滅した広島の町々 小倉豊文 38
1968
0801 『放送RCC 第9号』(中国放送)
ひろしま風土記■原爆広島とポンペイの廃墟 小倉豊文 58
1969
0120 『燃える日本列島 父が語る太平洋戦争 3』(来栖良夫・古田足日・堀尾青史 編、童心社)
「ピカドン! 原爆第一号 」小倉豊文 110
1970
0805 『広島原爆の手記 亡き妻への手紙』(八雲井書院)
1971
0720 『絶後の記録 広島原爆爆弾の手記 シリーズ戦争の証言3』(太平出版社)
1975
0806 『生死の火 広島大学原爆被災誌』
1981
0831 『ヒロシマを語る十冊の本 続』(ヒロシマを知らせる委員会編、労働教育センター)
小倉豊文著「絶後の記録」(1948年)1
1982
0420 『広島県短歌史』(豊田清史著、溪水社 [渓水社])
15、小倉豊文の人間虚無歌、土井寿夫の「幾山河」 506
0630 『原爆を読む 広島・長崎を語りつぐ全ブックリスト』(水田九八二郎、講談社)
4-『絶後の記録-広島原爆の手記』小倉豊文著(昭和二十三年) 30
0710 『絶後の記録 広島原爆爆弾の手記(中公文庫)』
1985
0801 『国文学解釈と鑑賞 第50巻9号』(至文堂)
記録とエッセイ 『絶後の記録』小倉豊文/中村完 113
1994
0806 『ノー・モア・ヒロシマ 50年後の空洞と重さ』(風濤社)
1996
0610 死亡
2015
0112 「故小倉豊文さん、妻文代さんの遺品 家族が保存」(『中国新聞』掲載)