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ジュノーは「ヒロシマの恩人」か?

ジュノーは「ヒロシマの恩人」か?

19960618 19:00 映画「第三の兵士」上映会。於東区民文化センター。ジュノーの足跡について講演。参加者は2-30人で、若いものは少なかったが、思ったより盛会。話もどうにか格好が付いた。-7時35分。謝礼として1万円貰う。<宇吹メモ>

1.私とジュノー

私が、ジュノー博士の活動の見直しをマスコミで知ったのは、1978年(昭和53年)のこと。この年から大佐古一郎氏や丸山幹正氏によるジュノー博士の足跡をたどる作業が始まり、翌79年には、平和公園にジュノー博士の記念碑が建立された。
それ以後、ジュノー博士のことを目にすることは無くなっていたが、それから12年後の1990年に再び登場するようになり、それは現在まで続いている。その一つは、ジュノー記念祭である。これがこの年に始まり、以後毎年行われるようになった。一昨日の16日日曜日には、第7回の記念祭が開かれている。
また、この1990年の暮れに、府中市の市民団体「ジュノーの会」がチェルノブイリ原発事故での被災者の救援活動を計画、翌1991年夏に事故で被曝した子供たちの招待を実現させた。以後、医師の現地への派遣や医薬品・医療機器を届けるといった事業をおこなっている。今年7月には、原爆被害者の相談にあたってきた広島の二人の人をウクライナのキエフに送ることになっている。
1978・79年つまりジュノー博士に足跡の掘り起こしが始まり記念碑が建立された当時は、GHQの資料が徐々に公開されていた時期。私は、その資料の調査を行っていたが、その業務報告の中に、赤十字国際委員会のジュノーに、米軍の医薬品を広島へ届けさせたという、記述があった。このことから、ジュノーの仕事を、「米軍の手伝い」という軽いイメージで受け止めていた。
ところが、1990年からの動きには、私の親しい人たちが次々に関係するようになっていった。「ジュノーの業績とは、いったいナンジャ?」ということで、自分なりに考えてみたので、それについて話してみたい。

2.ジュノー博士来日の目的
広島に続き原爆が長崎に落とされた8月9日にジュノーは、満州国の首府新京(現在の長春=吉林省の省都)を出発、夜、日本(羽田飛行場)に到着(「ドクター・ジュノーの戦い」)。以後、4か月間、日本に滞在した。
ジュノー博士は、赤十字国際委員会の日本派遣員の代表として来日したもので、その大きな目的は、連合軍捕虜への援護活動であった。
450810 国際赤十字委員会マルセル・ジュノー、アンクスト・ビルフィンガー・ペスタロッチとともに東京から軽井沢に向かう。17日、東京に戻る。
24日から活動を開始、この日、それぞれが東京を出発し、日本各地の捕虜収容所に向かう(「ドクター・ジュノーの戦い」)。
ジュノーは、東京で活動、25日に大森収容所で米飛行士の捕虜と接触(「ドクター・ジュノーの戦い」)。27日に、相模湾停泊中の米軍艦サン・ディエゴ艦上で米軍と接触、米軍とともに大森収容所を解放(「ドクター・ジュノーの戦い」)。
こうした捕虜の救出活動が、各地で行われ、ほぼ1か月後の9月20日には、日本にいたアメリカ人捕虜すべてが本国に送還された。
このほかにアメリカ兵以外の在日外国人の援護活動も行う。103の収容所があったが、これらに40万ドル相当の物資をパラシュートで届けた。
ジュノー博士の4か月間の日本における活動は、連合軍から高く評価され、日本を去るにあたり、マッカーサー自身がお礼を述べている。

3.ジュノー博士の広島救援の意義
ジュノー博士は、こうした本来の目的遂行の中で、9月8日から13日の6日間、広島の救援活動を行った。その内容は、これから見る映画「第三の兵士」で紹介されている通りであるが、ジュノー博士の広島救援の仕事は、ジュノー博士の来日の目的からすれば、与えられた任務を超えた仕事であった。
8月24日に赤十字国際委員会の日本派遣員が、各地の捕虜収容所に向け東京を出発する。その中の一人ビルフィンガーの目的地はオランダ人捕虜が収容されていた広島県の向島造船所であった。ジュノーは、彼に広島の状況を知らせるように頼んでいたが、彼は30日に、広島に到着し、仮設の病院を二つ視察し、「回復したかに見える多数の犠牲者は白血球の減少及び他の内部損傷により突如致命的な再発を来たし事実上相当数が死亡す」と急性放射能障害の実情と広島における医薬品の欠乏状況を伝え、救援物資を要請する電報をジュノー宛に打った(「ドクター・ジュノーの戦い」)。
ビルフィンガーのこの行動は、これまで見落とされがちであるが、広島の救援の歴史では重要と思われる。それは、彼の広島視察が、外国人としては最も早い例の一つであるということである。8月下旬から日本のマスコミは70年生物不毛説として大々的に広島の状況を伝えるようになり、これが日本の原爆被害の本格的な研究の契機となったが、それはあくまでも調査研究にとどまっていた。これに対し、ビルフィンガーの電報は、広島救援を要請するというものであり、こうした行動は日本側には存在しなかった。
なお、ソ連の大使館員が、被爆直後に広島を視察したことがこれまで何回が伝えられているが、それが救援の要請に結びついた形跡は見あたらない。
ジュノーは、ビルフィンガーからの広島報告の電報を9月2日受け取ると、早速横浜の連合軍の司令部を訪れ、前日日本の外務省から入手した広島の写真とビルフィンガーの報告を示し、広島への救助隊の編制を要請した(「ドクター・ジュノーの戦い」)。
連合軍最高司令官総司令部は、ジュノーのこの要請を受けた形で、米軍用に日本に持ち込んでいた医療物資15トンを広島に届けることを決めた。
この決定の中心人物は、のちにGHQの公衆衛生局長となるサムス大佐であるが、彼によれば、15トンの医療物資を提供した背景には、ジュノーの要請に応えると同時にもう一つの意図があった。それは、アメリカの原爆開発の組織であるマンハッタン・プロジェクトの原爆被害調査団を敵意に満ちていると思われる原爆被災地で無事に実施することである。
GHQが、9月6日に日本政府に対して出した命令が残っているが、そこでは、
1.原子爆弾調査を行う約15名の科学者一行の保護・援助
2.国際赤十字社のビルフィンガーに送付する約12トンの医療品の配布を国際赤十字の指示のもとに行う
という二つのことが指示されている(「DDT革命」)。
ジュノー博士には、日本政府に対する命令が出された日の翌日7日に、医療品の提供がGHQから伝えられた。このことからすると、GHQとしては、ジュノー博士が原爆被害調査団に同行することを予定していなかったものと考えられ、ジュノー博士の立場からは、ビルフィンガーに任せることも出来たと思われるが、博士自らが広島にやってきて、医療物資の現地への伝達に立ち会ったのであった。
(1996.6.18)

荒木武

荒木武

あらき・たけし 19160304生19940615没 享年78歳  広島市長。27代(19750223~19790223)28代(19790223~19830222)29代(19830223~19870222)30代(19870223~19910222)。

資料年表:荒木武

年月日 事項 備考
1916
0304 誕生
1955
0730 『廣島評論 ヒロシマ原爆10周年を迎えて』(広島評論社)
荒木武 35
1975
?? 私の決意 広島市長選出馬にあたって
0801 『あの日に 原爆体験手記』(進藤博)
広島市長 荒木武「被爆体験記出版に寄せて」  9
1101 『ヒロシマ・ユネスコ 創刊号』(広島ユネスコ協会)
機関紙創刊に当って ヒロシマの体験を生かそう
広島ユネスコ協会名誉会長 広島市長 荒木武
1215 『被爆協会報 第1号』(広島市原爆被爆者協議会)
神田山荘の増築工事完成にあたって
広島市原爆被害者協議会会長 荒木武
1976
0501 『平和文化 創刊号』(広島平和文化センター)
財団法人広島平和文化センター発足
発足に当って 会長 荒木武
0715 『山田節男追想録』(山田節男追想録刊行委員会)
 荒木武「発刊のことば」
1001 『核兵器の廃絶と全面軍縮のために-国連事務総長への要請』(広島市・長崎市)
 荒木武 (広島市長) 諸谷義武(長崎市長) 「国際連合に対する要請書」 1
1977
0331 『国連訪問レポート 1976 ヒロシマ・ナガサキ 国連事務総長への要請』(広島市・長崎市)
0501 『平和文化 第5号』(広島平和文化センター)
財団二年目を迎えて 会長 荒木武
0801 『広島新史編修手帖 No.1』(広島市史編修委員会専門部会)
 広島市長 荒木武 「創刊にあたって」1
0930 『みたき 特集・大木惇夫先生追悼』(さかもとひさし編、みたき編集室)
荒木武「『ヒロシマ平和都市の歌』の憶い出」
1978
0315 『三十年史』(広島市立幟町中学校編集委員会編、広島市立幟町中学校三十周年記念行事実行委員会)
荒木武「祝辞 広島市長  」3
0915 『被爆の実相と被爆者の実情 1977NGO被爆問題シンポジウム報告書』(日本準備委員会編、朝日イブニングニュース社)
荒木武「広島市長のあいさつ」  39
1979
0101 『平和文化 第15号』(広島平和文化センター)
新年のごあいさつ 会長 荒木武
新春鼎談
出席者(敬称略)
荒木武(広島市長・当財団会長)
今堀誠二(広島女子大学学長)
栗野鳳(広島大学平和科研教授)
0620 『熊平源蔵追想録』(熊平源蔵追想録編集委員会編、熊平製作所)
先哲の偉業をたたえて…荒木武氏…1
0215 『広島県医師会速報 第958号』(広島県医師会)
広島市長選に荒木武氏を 7
1201 『官界 第5巻 第12号』(行政問題研究所)
座談会…中国編
広島人のカープ優勝談議 …136
竹下虎之助 荒木武 井藤勲雄 松田耕平
川村毅 宮本徳行 <司会>津田一男
1980
0101 『平和文化 第21号』(広島平和文化センター)
新年のごあいさつ 会長 荒木武
0125 『真樹 第51巻第2号 2月号』(真樹社)
真樹五十周年式典
祝辞 荒木武(23)
0520 「意見書」
0525 『ヒロシマのこだまに メアリ・マクミランと広島』(藤原茂編、溪水社)
荒木武『広島市長』 「いつまでもお元気で…」
1115 『人間西田修一追想録』(三浦君年編、刊行委員会)
荒木武 「卓越した識見と抱擁力」 42
1981
0101 『平和文化 第27号』(広島平和文化センター)
新年のごあいさつ 会長 荒木武
新春座談会 ”ヒロシマを考える”
出席者(敬称略)
荒木武(広島市長・本財団会長)
****
(司会)
河村盛明(本財団理事長)
0401 『創立六十周年記念誌』(広島市高等女学校広島市立舟入高等学校同窓会)
祝辞広島市長・荒木武
0402 『ヨハネ・パウロII世 教皇訪日公式記録』(主婦の友社)
・記録/教皇の公式発言〈広島編〉 65
歴代教皇の努力に敬意
広島市長荒木武 67
1208 『軍縮と国際安全保障に関するワークショップ・広島セッション 要約記録』(広島市、広島大学、国際連合大学、広島平和文化センター)
歓迎あいさつ 荒木武 広島市長 2
1982
0101 『平和文化 第33号』(広島平和文化センター)
年頭のごあいさつ 会長 荒木武
0315 『ゆうあい 月刊友愛 第47号 4月号』(日本友愛青年協会)
平和を求める文化センター 荒木武 12
0331 『文芸ひろしま 市民文芸集第1号』(広島市文化振興事業団)
発刊にあたって 財団法人広島市文化振興事業団理事長 荒木武
0624 『第2回国連軍縮特別総会における荒木武・広島市長の演説』
0701 『平和文化 第36号』(広島平和文化センター)
荒木武会長国連で演説
~軍縮特別総会でヒロシマを証言~
0701 『原爆展 忘れまい、この惨禍』(朝日新聞東京本社企画部)
主催者あいさつ
荒木武(広島市長)あいさつ
本島等(長崎市長)あいさつ
0801 『ヒロシマ ある歯科医の証言』(吉岡尊治著、溪水社 [渓水社])
発刊を祝して 広島市長 荒木武 5
0820 『ヒロシマ・ナガサキの証言’82夏 第3号』(広島・長崎の証言の会)
資料
SSDIIでの日本NGO演説/発言 荒木武 120 本島等 121
1983
0221 『原爆瓦は語りつづける 原爆犠牲ヒロシマの碑建設の記録』(「原爆犠牲ヒロシマの碑」建設委員会)
◆建立除幕によせて 5
石田明/河野浩樹/荒木武 7
0331 『広島市西部開発事業誌』(広島市)
序文 広島市長 荒木武
0710 『世界の平和・軍縮教育 1982年国際シンポジウム報告書』(WCOTP、日教組報告書編集委員会編、勁草書房)
第5章 広島・長崎から ヒロシマの心を世界に 荒木武 189
0901 『真樹 第54巻第9号』(真樹社)
故山本康夫先生を偲んで 広島市長 荒木武 10
0930 『青春回想録 廣高その永遠なるもの 廣島高等学校創立六十年記念』(廣島高等学校同窓会)
「生と死」を考えさせた人…昭十文乙 荒木武 471
1001 『病院30年誌-昭和57年8月』(社会保険広島市民病院)
巻頭のことば●経営受託者 広島市長 荒木武 3
1025 『被爆協会報 第26号』(広島市原爆被爆者協議会)
神田山荘開設10周年にあたって 会長 荒木武
1984
0221 『核・貧困・抑圧 ’83アジア文学者ヒロシマ会議報告 ほるぷ現代ブックス』(アジア文学者ヒロシマ会議実行委員会編、ほるぷ出版)
国境を越えて新しい平和秩序を 荒木武 8
0325 『核時代の平和をもとめて』(永井道雄著、国際連合大学)
被爆地・広島で平和を考える
広島・長崎の被爆研究の成果をもとに――89 今堀誠二
原爆の犠牲者に捧げた言葉とともに――91 荒木武
0625 『広島県医師会速報 第1151号』(広島県医師会)
故大内五良先生合同葬 1
式辞(杉本純雄) 2
弔辞(竹下虎之助、荒木武、羽田春兔、福原照明、松島悌二、宮澤喜一、斉藤俣、三木仁、笠木慶治、原田雅弘、杉本茂憲、長井照雄、正岡旭、林昇) 4
0701 『真樹 第55巻第7号』(真樹社)
真樹五十五周年祝辞 荒木武 1
1985
0101 『’85ワールドカップマラソン広島大会 公式プログラム』(国際陸上競技連盟)
祝辞 竹下虎之助 5
歓迎のことば 荒木武 6
0301 『非核都市宣言自治体連絡協議会 結成総会 報告書 昭和60年3月』(広島県府中町)
来賓祝辞 5
広島市長 荒木武(代読広島平和文化センター理事長 河村盛明)5
0601 『21世紀への都市戦略を考える 都市政策フォーラム・in・ひろしま NIRA地域政策研究シリーズ 4』(総合研究開発機構)
開会挨拶 7 広島市長 荒木武
0801 『月刊非核自治体通信 第6号 夏季特別号』(法政大学西田勝研究室)
広島市が非核都市宣言/私の平和対策核兵器廃絶をめざし都市の連帯を 荒木武
0801 『広島訪問者のメッセージ集 広島を訪れた各国の指導者 改訂』(広島市市長室国際交流課)
荒木武(広島市長)
「第2回国連軍縮特別総会での演説」
(1982年6月24日国連本部)35
荒木武(広島市長)
「平和と科学・技術に関する東京セミナーにおける演説文」
(1984年4月17日 国連大学)37
荒木武(広島市長)
「核兵器-現代世界の脅威展における基調講演」
(1984年9月10日 ストックホルム市)41
1106 『広島女子商学園六十年史』(広島女子商学園)
《祝辞》
竹下虎之助(広島県知事)28
荒木武(広島市長)30
1230 『矢吹憲道老師』(円通寺白雲会矢吹老師伝刊行会、森脇正之編、矢吹憲道老師遺徳顕彰会)
弔辞・弔電・香語
広島市長 荒木武 55
1986
0301 『いつまでも絶えることなく 被爆40年ヒロシマの手記』(NHK広島放送局、ぎょうせい中国支社)
ごあいさつ 広島市長 荒木武
0401 『白光 第33巻第4号』(白光真宏会出版局)
 特集・第一回世界平和を祈る国際大会 (11)
世界平和への神の道〈ロス大会特集にあたって〉 西園寺昌美 (12)
〈メッセージー紹介順〉
****
この祈りの実現を確信 内閣総理大臣夫人・中曽根蔦子 (29)
人類共通の祈り言葉として 広島市長・荒木武 (31)
 0620  『広報ところざわ No.556』(所沢市役所(埼玉県))
予告・世界の恒久平和を市民の力で! 国際平和記念特別講演会 荒木武広島市長が語る「ヒロシマに心」
0705 『広報ところざわ No.557』(所沢市役所(埼玉県))
国際平和年記念特別講演会
荒木武広島市長が語る「ヒロシマの心」
7月16日(水)市民会館で 原爆資料展も併催
0901 『月刊非核自治体通信 第19号』(法政大学西田勝研究室)
広島平和宣言 1986年8月6日 荒木武/長崎平和宣言 1986年8月9日 本島等/広島で非核都市宣言自治体全国大会/「平和の樹」がヒロシマへ/チェルノブイリ原発事故報告書
0930 『ゴルバチョフ演説・論文集』(ミハイル・S・ゴルバチョフ著、ソ連内外政策研究会訳、国際文化出版社)
荒木武広島市長、本島等長崎市長への手紙(一九八六年二月六日)…434
1001 『ヒロシマを世界へ』(ぎょうせい)
1201 『白光 第33巻第12号』(白光真宏会出版局)
特集・パリ世界平和を祈る国際大会 (3)
****
〈メッセージー紹介順〉
恒久平和確立の原動力 広島市長・荒木武 (12)
平和こそ最大の遺産 長崎市長・本島等 (13)
1987
0101 ひろしま都市建設の政策大網-広島市長四選出馬にあたって<1枚>
0110 『広島市保育連盟三十五年誌』(広島市保育連盟)
結成三十五年を祝して…広島市長 荒木武…ⅲ
0226 『「第41回国際連合総会議長ご夫妻歓迎の集い」でのチョードリー議長の市民へのメッセージ及び市長歓迎あいさつ』(広島市・広島平和文化センター)
0804 『世界週報  68巻32号』(時事通信社)
連載(3)わが県自慢の国際派首長 広島県広島市市長・荒木武 42
1101 『政治経済セミナー 第1059号』(政治経済セミナー社)
大正生れ 哀歓の昭和史 38
広島市長 荒木武
1988
0101 『政治経済セミナー 第1061号』(政治経済セミナー社)
 特集・広島県の将来 ここに希望が持てる 10
竹下虎之助・・・荒木武・・・・
0225 『政策研究 ’88冬期号 98』(中央政策研究所)
核兵器廃絶へ、米ソの決断と実行を 広島市長 荒木武 28
0301 『非核自治体全国草の根交流会記録集 第1回-’87.7.10-12』(非核ネットワーク)
自治体首長からのメッセージ
長洲一二 神奈川県知事
葉山峻  藤沢市長・非核都市宣言自治体連絡協議会会長
伊藤三郎 川崎市長
荒木武  広島市長<以下略>
0801 『新郷土 8月号』([佐賀県教育庁文化課内] 新郷土刊行協会)
特集「平和を考える」 広島 長崎からのメッセージ
「ヒロシマの心」 荒木武 24
「平和を語る」 本島等 26
0815 『広島県医師会速報 第1300号』(広島県医師会)
ヒロシマ被爆43周年平和祈念式 2
殉職医療従事者追悼の辞(杉本純雄) 3
平和宣言(荒木武) 4
0926 『中国と私、そしてヒロシマ』(今堀誠二著、溪水社 [渓水社])
広島を考える(鼎談 荒木武、栗野鳳)129
1101 『政治経済セミナー 第1071号』
スポーツ王国は復活できるか 26
アジア大会開催への道
荒木武・広島市長
中野重美・広島県体育協会会長
江川琢也・広島市教委元社会体育課長
1201 『’87ジャーナリスト国際平和シンポジウム報告書』(広島市、広島平和文化センター)
1 あいさつ 広島市長 広島平和文化センター会長 荒木武
2 出席者のプロフィールとシンポジウムの概要
3 開会あいさつ 広島市長 荒木武 1
1210 『IPPNW平和シンポジウム’86平和サミットinヒロシマ報告書』(広島平和文化センター)
(1)あいさつ 9 杉本純雄 9 荒木武 11
1989
0101 『シュプレンゲル美術館名品展』(広島市現代美術館)
挨拶 広島市長 荒木武
ハノーバー市のあらまし
0101 『政治経済セミナー 1月号 第1073号』(政治経済セミナー社)
特集・新広島空港への期待と現空港の存廃 10
・竹下虎之助・荒木武・・・・・
0131 『歩みつづけて四十年』(広島市母子寡婦福祉連合会)
祝辞 広島市長 荒木武 8
0801 『教育評論 日教組機関誌 (通巻507号)』
原爆ドーム保存募金成功にむけて
全国の教職員への訴え 広島市長・荒木武 34
0815 『広島県医師会速報 第1336号』
「平和宣言」(荒木武) 29
0930 『広島平和記念都市建設法40周年記念講演会報告書』(広島平和記念館)
1あいさつ 広島市長 荒木武
1015 『広島県医師会速報 第1342号』
第9回IPPNW世界大会閉幕 1
大会会長式辞(杉本純雄) 2
ヒロシマ・ナガサキ’89アピール 3
挨拶、祝辞等(杉本純雄、荒木武、竹下虎之助、羽田春兔、戸井田三郎) 4
1201 『’88青年国際平和シンポジウムイン・ヒロシマ報告書』(広島市、広島平和文化センター)
ごあいさつ 広島市長 広島平和文化センター会長 荒木武
1990
0101 『三宅一生展「Ten sen men」』(広島市現代美術館、三宅デザイン事務所)
広島市長挨拶:荒木武 6
0101 『平和文化 第81号』(広島平和文化センター)
新しい世界秩序を求めて より強くヒロシマの訴えを
(財)広島平和文化センター会長 荒木武
0301  『(財)広島市国際交流協会設立5周年記念国際交流シンポジウム報告書』(広島市国際交流協会)
 3. 開会挨拶 5
(財)広島市国際交流協会理事長 荒木武
0301  『ひろしま女性フォーラム報告書』(広島市民生局青少年婦人対策課)
 あいさつ 広島市長 荒木武 1
0305  『核戦争防止国際医師会議日本支部報告 第9回核戦争防止国際医師会議世界大会』(IPPNW日本支部)
0331  『原爆ドーム保存募金報告書』(広島市・広島平和記念館)
 あいさつ(広島市長 荒木武、広島市議会議長 瀬川吉郎)1
0501 『病院10年誌』(広島市立安佐市民病院)
広島市長 荒木武「開院10周年を迎えて 」
0630
『ひろしま新時代 21世紀への可能性を探る』(香川不苦三著 中国新聞社編、中野出版企画)
荒木武(広島市市長 )「21世紀に向けた広島市の都市づくり」 158
1991
0101 『平和文化 第87号』(広島平和文化センター)
人類にも、生物にも優しい地球を 被爆地からの訴えをより強く
(財)広島平和文化センター会長 荒木武
0331 『’90女性国際平和シンポジウム・イン・ヒロシマ報告書』(広島平和文化センター)
 広島市長 荒木武(当時)「開会あいさつ」  1
0331 『被爆者・市民とともに 「原対協30年のあゆみ」』(広島原爆障害対策協議会)
 荒木武(会長)「発刊にあたって 」
0806 『志あるところ必ず道あり』(大原亨追悼録・遺稿集発行編纂委員会)
荒木武 「大原先生と広島市長選挙」 88
1995
0720 『廣高とヒロシマ 被爆五十年の回想』(廣島高等学校同窓有志の会)
故 荒木武(昭10文乙) 「ヒロシマの心」
1997
 0331  『(財)広島平和文化センター20年誌 センターの歩み』
1999
0215 『荒木武追想録-ヒロシマの心を世界へ燈々無盡』

 

荒木武追想録-ヒロシマの心を世界へ燈々無盡

『荒木武追想録-ヒロシマの心を世界へ燈々無盡』(荒木武追想録刊行委員会、19990215)

荒木武アルバム
発刊にあたって
荒木武追想録刊行委員会代表 平岡敬
1 追想編
国会関係者からの追想文
谷川和穂 3
池田行彦 5
中川秀直 7
粟屋敏信 8
宮澤弘 10
小西博行 12
鯨岡兵輔 14
日野溝義勝 16
丹下了遂 18
広島県・広島市の議会関係者からの追想文
檜山俊宏 20
大山広司 22
山木靖雄 24
宮本正夫 27
講元英雄 30
柳坪進 32
中本弘 34
海徳貢 36
兼桝栄二 37
住田孝行 40
大勢登康憲 42
知事・市長等行政関係者からの追想文
竹下虎之助 45
藤田雄山 47
本島等 49
讃岐照夫 51
澤田秀男 53
ヘルベルト・シュマルスティーク 55
中地洌 61
岩井彦二 62
明石康 64
広島市職員関係者からの追想文
広島市職員関係者からの追想文
荒田誠之助 66
池田正彦 68
石橋正行 69
加藤純久 71
銀山匡助 73
河合護郎 75
黒瀬隆 77
河野義夫 79
佐々木甲子郎 81
高橋昭博 83
田中隆荘 85
谷崎あけみ 86
柄脇常雄 88
中谷ミサ子 90
西田展康 92
長谷川順 94
深崎敏之 97
福島隆義 99
藤井正一 101
本田尚 102
松井齊 105
森川伸江 107
山口能弘 108
山中賢造 110
諸団体等関係者からの追想文
浅野長愛 112
石井蓬莱 114
石松正二 116
伊藤サカエ 119
井内慶次郎 120
上田宗嗣 122
ウオルター・斉藤 124
岡田茂 125
岡野俊一郎 127
落久保幸夫 129
川村毅 131
古葉竹識 133
佐伯正子 135
篠原康次郎 137
新藤兼人 139
丹下健三 141
土井達郎 143
徳永幸雄 145
二宮實 147
二宮義人 149
橋本宗利 151
原田睦民 153
平山郁夫 155
藤原雄 157
古橋廣之進 160
松島悌二 162
松原博臣 164
三島文人 166
光田釥 168
三菱OB有志 170
三宅一生 178
山本治朗 180
後援会・縁者関係者からの追想文
上田弘 182
奥村斉子 184
川本昌平 186
北山敏明 188
小谷一枝 190
土井田登 192
永谷道孝 193
林唯雄 195
平原道康 197
正本良忠 200
村上俊二 203
吉田盛人 207
和田常男 209
岡田千鶴 211
富永八重子 213
中川圭子 214
三戸知子 216
2 記録編
故荒木武市民葬における告別の辞・弔辞
平岡敬 221
藤田雄山 224
中本弘 227
橋口収 230
二宮實 232
平和宣言(昭和50年から平成2年)
講演録等
国連等における演説・講演
第2回国連軍縮特別総会における荒木武・広島市長の演説 277
都市緑化・都市公園整備推進全国大会 281
第1回世界平和連帯都市市長会議-開会式におけるあいさつ 290
第3回国連軍縮特別総会での荒木武・広島市長の演説 297
部分的核実験禁止条約改定会議での荒木武・広島市長の演説 302
広島市議会における所信表明・報告
21世紀に向けた都市政策に関する所信表明 307
広島市友好親善代表団欧州諸都市訪問報告 316
カナダ諸都市等訪問帰国報告 322
広島市友好訪中代表団帰国報告 326
その他
第12回アジア競技大会広島開催決定に対する荒木広島市長のお礼の言葉 332
市長退任あいさつ 334
荒木武年譜 337
荒木武追想録刊行委員会・同編集委員会委員名簿 342
編集後記

さんげ 原爆歌人正田篠枝の愛と孤独

『さんげ 原爆歌人正田篠枝の愛と孤独 現代教養文庫』(広島文学資料保全の会、社会思想社、19950730)

内容

まえがき 3
さんげ-原爆歌集- 11
1 生い立ち 29
父母のこと/祖母よ!/高本末松と結婚/弟の誠一/息子槙一郎/肺がんで亡くなった義兄/再婚/生き別れした幼子/嫁と孫
2 あの日被爆してから 77
病院と縁の切れない日々/わたしは被爆者/被爆した人たち/核廃絶の願い/社会を見る眼/野仏も傷ついた
3 愛と哀しみ 111
愛と哀しみ/峠三吉のこと/徳島の山の友
4 暮らしのための闘い 145
割烹旅館河畔荘/アパート業に変わる/京橋川河畔の四季
5 心を静めて 169
信仰/人垣 友垣/永平寺への旅/ふるさと江田島/いとしきばあや/老いてゆく
6 死の告知 197
乳がんを告知されて/歌の師杉浦翠子と、歌友月尾菅子のこと/葛飾の宿/がんを病む日々/三十万名号/生きたかりけり
資料編
唉!原子爆弾<原文> 244
さんげ<原文> 248
正田篠枝略年譜 258
正田篠枝書誌 263
解説 『さんげ』の前後と発行のいきさつ 270
あとがき (古浦千鶴子)278

正田篠枝

7正田篠枝

しょうだ・しのえ 19101222生19650615没  享年54歳 歌人。『百日紅―<耳鳴り>以後 正田篠枝遺稿抄』(正田篠枝遺稿編集委員会、文化評論出版、1966.7.20)、『広島県現代文学事典』『広島県現代文学事典』(川口隆行・記)

資料年表:正田篠枝<作業中

年月日
1910
1222
1947
1205 さんげ(私家版歌集)
1954
0806 『廣島 歌集』(歌集廣島編集委員会編、第二書房)
正田篠枝 72
1958
0401 『セブンウィクリー 第3巻第4号』(セブン・ウィクリー社)
 私は唖 正田篠枝 20
1961
0112 『晩鐘 第2巻第1号 1月号』(晩鐘発行所)
鳴風鐘 森田良正・森ちえ子・細越利之・三宅いすみ・正田篠枝 18
1962
0601 『影と形 No.3』(広島詩歌研究会)
正田篠枝  人生の日暮 14
1130 『耳鳴り 原爆歌人の手記』(平凡社)
1964
0801 『The Songs of Hiroshima 広島のうた』(大原三八雄訳、「広島のうた」編集委員会)
後遺症 正田篠枝
****
はがゆい 正田篠枝
1965
0615 正田篠枝没
 0801  『真樹 第36巻第8号 8月号』(真樹社)
 正田篠枝さんの死 新島濤彦 12
0805 『短歌至上 第30巻 第3号』(藤浪短歌会)
遺影 1
歌日記 正田篠枝 1
篠枝さんの魂のふるさと 栗原貞子 1
追悼歌 3
追悼文 8
三十万名号由来記 月尾菅子 8
作品 18
短歌知性論 杉浦翠子 21
通信欄 23
0905 『晩鐘 第6巻第9号 9月号』(晩鐘発行所)
正田篠枝さんを憶う 白島きよ 21
1966
0720 『百日紅―耳鳴り以降ー』(文化評論出版)
1967
0610 『8月6日と文学』(広島女学院大学文芸部)
7.正田篠枝 17
1018 『火幻 第10巻第37号』(火幻短歌会)
東京での正田篠枝さん 月尾菅子 72
1968
0315 『正田篠枝さんの三十万名号』(月尾菅子著、藤浪短歌会)
0801 『ひろしま 平和の歩み』(広島平和文化センター)
七、文化・報道関係の活動 55
正田篠枝の「さんげ」
1969
0325 『アンチヒューマン (ドキュメント日本人 8)』(谷川健一 [ほか] 責任編集、学藝書林)
ちゃんちゃこばあちゃん 正田篠枝 6
玲子ちゃん 正田篠枝 20
0325 『広島文庫 創刊号』(広島文庫の会)
正田篠枝・人と作品 豊田清史 36
0801 『真樹 第40巻第8号 8月号』(真樹社)
正田篠枝著「百日紅」によせて 植野はる子 19
1970
0420 『どきゅめんと・ヒロシマ24年 現代の救済』(栗原貞子、社会新報)
正田篠枝さんへの手紙  21
広島の十字架を負って・正田篠枝さんを悼む 240
0620 『日本原爆詩集』(大原三八雄・木下順二・堀田善衛編、太平出版社)
はがゆい 正田篠枝 185
みんな死ねばいいんだ 正田篠枝 256
0801 『長崎の証言1970』(「長崎の証言」刊行委員会編、あゆみ出版社)
原爆作品・長崎と広島…栗原貞子 160
(歌)はがゆい…正田篠枝 163
1971
0804 『青史 No.133』(短歌文学を研究する会青史)
0806 『原爆文献誌』(豊田清史著、崙書房)
正田篠枝「さんげ」の真相 62
 正田篠枝作品は「太き骨」か「大き骨」か 28
1973
0801 『真樹 第44巻8号 8月号』(真樹社)
原爆歌人正田篠枝 山本節子 32
1974
0701 『明日に生きる 高校生のための平和読本』(広島県・長崎県高等学校被爆教職員の会、1974/07/01)
原爆を語るな168■正田篠枝さんの抵抗168
0801 『世界原爆詩集』(大原三八雄編、角川書店)
罪人 正田篠枝 185
1975
0725 『ひろしまの河 第19号』(原水爆禁止広島母の会)
正田篠枝さん 1
0731 『ヒロシマの原風景を抱いて』(栗原貞子著、未来社)
被爆歌人 正田篠枝のこと 58
1976
0520 『青史 No.150』(短歌文学を研究する会青史)
 正田篠枝さんの未発表作品について 深川宗俊 53
正田篠枝作品 55
コスモスにおける正田篠枝さんのこと 阿木洋子 57
1977
0605 『ピカッ子ちゃん』(正田篠枝 作、なかのひろたか絵、太平出版社)
正田篠枝さんについて 栗原貞子・古浦千穂子 161
1978
0715 『核・天皇・被爆者』(栗原貞子著、三一書房)
被爆者のこころ 17 -正田篠枝さんとわたし-
1979
0801 『真樹 第50巻8号 8月号』(真樹社)
 正田篠枝さんの歌 植野はる子 29
1001 『真樹 第50巻10号 10月号』(真樹社)
杉浦翠子・正田篠枝・山本康夫 月尾菅子 37
1980
0524 『ちゃんちゃこばあちゃん』(太平出版社)
1981
0720 『広島文学ノート』(河村盛明編、溪水社 [渓水社])
《さんげ》 正田篠枝 19
0831 『ヒロシマを語る十冊の本 続』(ヒロシマを知らせる委員会編、労働教育センター)
正田篠枝箸「耳鳴り」(1962年)80
1982
0320 『江田島町史 改訂』(江田島町(広島県))
第一節 石碑 479
一 江田島町戦没者合同慰霊碑…479
****
十八 正田篠枝 三十万名号碑…494
0630 『歌論短歌の解明 真樹叢書第85編』(山本康夫著、真樹社)
原爆短歌集をはじめて出した正田篠枝 251
1983
0801 『日本の原爆文学 13 詩歌』(「核戦争の危機を訴える文学者の声明」署名者編、ほるぷ出版)
はがゆい 正田篠枝 134
みんな死ねばいいんだ 正田篠枝 134
1012 『目をあけば修羅 被爆歌人正田篠枝の生涯』(水田九八二郎著、未来社)
 1984
 0131  『平和を考える 第Ⅴ集 「ヒロシマ・ナガサキ」を読む 』(岡田龍一編)
『さんげ』(正田篠枝)-『目をあければ修羅』 108
0510 『広島の遺書』(豊田清史著、蒼洋社)
正田篠枝、人と作品―怨念と「大き骨」の歌― 141
1101 『ひろしま文学紀行 ひろしま文庫』(河村盛明著、広学図書)
広島・平野町 正田篠枝『さんげ』30
1985
0720 『反核秀歌百絶』(豊田清史著、短歌公論社)
大き骨は 正田篠枝 82
1986
0630 『被爆の証言 この子らの幸せのために』(河本英明編、鳥取県教職員組合)
短歌「耳鳴り」…正田篠枝 48
1201 『原爆文献から あの日あの時 「死の行進」を探る』(新居国夫編・刊)
教師と子どもの像 33
① 碑板 33
② あの日、あの時 34
③ 原爆詩人 正田篠枝 34
1988
0701 『ヒロシマ・ナガサキを考える 第28号』(ヒロシマ・ナガサキを考える会)
正田篠枝ノート(その23) 16
1989
0401 『ヒロシマ・ナガサキを考える 第35号』(ヒロシマ・ナガサキを考える会)
正田篠枝ノート(その25)19
0619 『核言集』(塩田庄兵衛・井出洋・安斎育郎編、大月書店)
6.ピカドン 正田篠枝 20
****
9.被爆の実相と検閲 正田篠枝 26
0801 『真樹 第60巻第8号』(真樹社)
正田篠枝さんへの手紙 植野はる子 14
故・正田篠枝歌集から 植野はる子 15
1990
0501 『ヒロシマ・死者たちの声』(石川逸子著・径書房)
正田篠枝との交流(月尾菅子)104
1991
0101 『ヒロシマ・ナガサキを考える 第38号』(ヒロシマ・ナガサキを考える会)
正田篠枝ノート……17
1001 『ヒロシマ・ナガサキを考える 第41号』(ヒロシマ・ナガサキを考える会)
正田篠枝ノート 2
1995
0320 『原子雲 第二集』(足立区原爆被害者の会(足友会))
歌集『さんげ』より(正田篠枝)…… 80
0623 『禁じられた原爆体験』(堀場清子著、岩波書店)
「不死鳥」における杉浦翠子と正田篠枝 105
0730 広島文学資料保全の会『さんげ 原爆歌人正田篠枝の愛と孤独(現代教養文庫)』(社会思想社)
0801 『観音被爆50年』(栗栖基紀編、観音被爆証言編集委員会刊)
原爆歌人・正田篠枝さんと 藤沢桂珠 6
1996
 0806  『女がヒロシマを語る』(江刺昭子、加納実紀代、関千枝子、堀場清子編、インパクト出版会)
 原爆歌人正田篠枝とわたし 古浦千穂子 64
1997
0718 『原爆文献を読む 原爆関係書2176冊』(水田九八二郎著、中公文庫)
 2 『さんげ』正田篠枝著 18
1998
 0411  『ヒロシマの女たち 続』(広島女性史研究会編著、ドメス出版)
正田篠枝…105 原爆歌集『さんげ』
 2004
 0301  『広島文学資料目録』(広島市立中央図書館)
11.正田篠枝 本・雑誌類…289
 0720  『<日本の戦争>と詩人たち』(石川逸子著、影書房)
 正田篠枝をめぐるひとびと 18
正田篠枝と今井窗月 24
正田篠枝とあやめばあや 30
  0720  『破壊からの誕生 原爆文学の語るもの』(津久井喜子著、明星大学出版部)
 第2章 代表的作家と作品-その1 31
3.正田篠枝 39
2005
 0801  『原爆は文学にどう描かれてきたか 21世紀の若者たちへ 4』(黒古一夫、八朔社)
 『黒い卵』(栗原貞子)と『さんげ』(正田篠枝) 31
2008  『原爆詩集 八月』(合同出版編集部、合同出版)
『耳鳴り』より 正田篠枝 079
『さんげ』より 正田篠枝 083
『百日紅』より 正田篠枝 085
 2009
 0601  『広島の文学碑めぐり』(西紀子著、溪水社 [渓水社])
 5.正田篠枝の碑 30
 2011
0610  『ヒロシマ・ナガサキ 閃 コレクション戦争と文学 19』(原民喜[ほか] 著、集英社)
 短歌 正田篠枝 442
 2015
 0801  『被爆70年 文学に描かれた8月6日』(ふくやま文学館)
 -詩歌…27  正田篠枝 「さんげ」
 0806  『戦争と核と詩歌 ヒロシマ・ナガサキ・フクシマそしてヤスクニ』(石川逸子著、スペース伽耶、星雲社(発売))
 プレスコード(45年9月19日)下から朝鮮戦争開始(50年6月)まで…14
奥さん奥さん頼り来れる全身火傷や柘榴の如く肉裂けしものども(正田篠枝「唉!原子爆弾」)
原水爆禁止運動の分裂…49
ひとり来て 駅のベンチに 古新聞 被爆孤老の 自決記事のる(正田篠枝「川が生きている」)
 2018
 1210  『戦争の歌 日清・日露から太平洋戦争までの代表歌(コレクション日本歌人選、078)』(松村正直著、笠間書院)
 49 大き骨は先生ならむそのそばに小さきあたまの骨あつまれり(正田篠枝)…100

 

河瀬正利

河瀬正利

かわせ・まさとし 1741生20080614没 享年67歳 広島大学名誉教授、広島県文化財保護審議会委員。被爆建物保存運動に尽力

資料年表:河瀬正利<作業中

年月日
1941
**** 島根県生まれ
 1994
 0322  原爆遺跡保存運動懇談会と「元大正屋呉服店」を保存する会(代表世話人:河瀬)、広島市レストハウスなどの保存活用を広島市に申入れ。 C
 1995
 0620  原爆遺跡保存運動懇談会・「元大正屋呉服店」を保存する会(代表世話人:河瀬)・広島県被団協、広島市レストハウス(元大正屋呉服店)を被爆体験証言の場として利用できるよう市に文書要請。  C
 0626  「元大正屋呉服店を保存する会」(代表世話人:河瀬ら3人)、広島市議会に394人の署名を添え保存を要請。  C
 1996
 02  レストハウス解体計画の再考を求める要望書
 resutohause1996_02 resutohause1996_01 resutohause1996_03
 1999
 0801  『日本の科学者 379 Vol.34 No.8』(日本科学者会議)
河瀬正利「 元大正屋呉服店(広島市レストハウス)の保存」 ……10
 0910  『芸備地方史研究 第216号』(芸備地方史研究会)
 動向 「『ヒロシマの街づくり』をみんなで話し合う集い」の記録
基調報告…河瀬正利 20
2008
0614 死亡。享年67歳

名越操

名越操

なごや・みさお 生19860614没 『ヒロシマ母の記』(汐文社、19850616)。広島市在住の被爆者。白血病で死亡した息子・名越史樹への思いをつづった「ぼく生きたかった」の著者。

資料年表:名越操<作業中

年月日
1929 誕生
 1945
 0806  広島市立高等女学校4年在学中、広島市内(爆心より約2キロ)の自宅で被爆。
1962
**** 新日本婦人の会広島支部結成に参加。
 1971
 0730  『私の戦争体験記 炎の中を生きて』(原水爆禁止日本協議会、日本青年出版社)
名越操「私の記録」
  <国鉄労組書記・新婦人広島支部会員>
  1985
 0616  『広島母の記 史樹の「死」を生きて』(平和文化)
1986
0614 死亡。

大村英幸

大村英幸

おおむら・ひでゆき 192201**生20110612没 享年88歳 広島青年文化連盟初代委員長。

資料年表:大村英幸<作業中

年月日
1922
01 誕生
1982
松永の大村英幸(福山市柳津町)宅へ。*と。
1995
0701 『占領下の広島 反核・被爆者運動草創期ものがたり』(渡辺力人・田川時彦・増岡敏和編、日曜舎)
大村英幸「広島青年文化連盟のこと、最初の原子兵器禁止決議のこと」
2002
0916 『福田正義追悼集』(長周新聞社)
大村英幸(福山市在住) 73
2006
0801 『劫火の記憶 福山市原爆被害者の会50年の歩み』(福山市原爆被害者の会)
大村英幸(柳津町)「原爆詩人・峠三吉と私」
2010
0325 『HIROSHIMA RESEACH NEWS Vol.12 No.3 March 2010』(広島市立大学広島平和研究所)
特集 広島に聞く・広島を聞く 第13回
聞き手 浅井基文(広島平和研究所長)
被爆・占領下の広島を語り残す
大村英幸 氏(広島青年文化連盟・初代委員長)
2011
0325 『広島に聞く 広島を聞く <日英対照> = Reflections from Hiroshima』(浅井基文編著、かもがわ出版)
0612 死亡。享年88歳

郭沫若

資料年表:郭沫若

年月日 事項
1892
1116 中国・四川省に生まれる。
1955
0215 『世界の良心は発言する 世界平和集会議事録』(平和擁護日本委員会編、五月書房)
郭沫若(中国)の演説 119
0619 原水爆禁止世界大会広島準備会、郭沫若ら70人に大会招請状を発送。 C
1215 郭沫若ら15人(中国科学学院訪日学術視察団)。 C
広島来訪。原爆慰霊碑参拝。広島大学で「平和共存」のテーマで講演。
郭沫若との碑文論争というのは
[原爆慰霊碑の]碑文は、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」でしょう。それを、「繰返させませぬから」とすべきだと言われるんです。そこで私が、「NO MORE WAR, NO MORE HIROSHIMA とか、中国への侵略に対するお詫びというのが、「過ち」という中に入っているんです。つまり、中国への侵略を繰返しません、という祈りが入っているんです。我々は、それをみなさんに知ってもらいたい。それが広島の心です」と言うわけです。すると向こうは私の顔を見ながら黙ってしまいました。それは、私が慰霊碑に案内した時、言いました。慰霊碑に参拝して、資料館の前まで歩いて行って、そこで、ふっと振り返って、慰霊碑にもう一度お参りするでしょう、ちょうどその時です。
出典:「まどうてくれー藤居平一聞書」『資料調査通信1981年12月号』(広島大学原爆放射能医学研究所)
1958
0716 C
1225 『軍縮と国際協力のために ストックホルム平和大会の記録』(軍縮と国際協力のための世界大会日本準備会編、日本平和委員会)
 郭沫若(中華人民共和国)「平和運動は戦争という病気を予防し治療する運動である 」81
1959
0630 『戦後平和運動史』(熊倉啓安著、大月書店)
郭沫若演説の意味するもの…166
1 郭沫若演説の誤ったうけとり方…166
2 郭沫若演説の内容…167
3 郭沫若演説の積極的意義はどこにあるか…169
1964
0720 『世界人17人の提言 地球を破滅させるな』(読売新聞社)
中国は孤立しない 263
医者と病菌は共存できぬ 郭沫若
1978
0612 死亡。享年85歳。
1982
1231 『南京大虐殺 決定版』(洞富雄著、現代史出版会)
 残虐事件の責任 155
郭沫若・林語堂・スノーの日本人告発
1988
0815 『戦略爆撃の思想 ゲルニカ-重慶-広島への軌跡』(前田哲男著、朝日新聞社)
第4章 真珠湾への道(1941年)
郭沫若の怒り 317
第5章 爆撃の下で周恩来とその同志
郭沫若『屈原』の初演 39R
1991
0515 『中国往還』(小林文男著、勁草書房)
3 抗日戦争期、重慶の文化運動-郭沫若・文工会の理念と行動に関する覚書き- 244
2006
0810 『戦略爆撃の思想 ゲルニカ、重慶、広島 [新訂版]』(前田哲男著、凱風社)
「郭沫若、妻子を日本に残して抗日戦に加わる」 176
2009
0310 『大空襲三一〇人詩集 1937~2009年』(鈴木比佐雄、長津功三良、山本十四尾、郡山直編、コールサック社)
郭沫若「最も怯備な者こそ最も残忍だ」20