「01 月忌」カテゴリーアーカイブ

資料年表:渡辺正治

資料年表:渡辺正治

年月日 事項 備考
**** 誕生
1959
0219 アラン・ブラッシュ(アジア・キリスト教協議会総主事)、日本基督教広島被爆者福祉センター(広島YMCA内)訪問。 C
1221 広島女学院高校の生徒でつくる「ともしび会」、米のキリスト教被爆者福祉センターの粉ミルク・メリケン粉などを贈る。 C
1960
0919 日本キリスト教奉仕団広島地方委員会の被爆者福祉センター、広島YMCAで被爆者の日本人形作り講習会を開催。 C
1006 日本キリスト教奉仕団広島地方委員会の被爆者福祉センター、施設を拡充、再発足。広島銀行八丁堀支店が部屋を提供。中心メンバーはマービン・タック(米人宣教師)・渡辺正治<初出> C
1971
0630 「韓症国在住被爆者の原爆症治療のための専門医師団派遣準備委員会」発足。村上忠敬(核禁広島県民会議議長)・渡辺正治(広島大原医研)・金永福(在日本大韓民国居留民団事務局長)らが出席。 C
1201 『原爆後障害研究会広島シンポジウム講演集 第12回』(広島原爆障害対策協議会)
渡辺正治ほか「広島市における移民者小地域集団の原爆被災に関する社会医学的、社会学的問題」
1974
0101 渡辺正治著「被爆者の意識研究」
『広島社会福祉研究 第1号 別刷』(広島社会福祉研究協議会)
1977
1215 核禁会議、「韓国被爆者調査委員会」設置。石田定(広島原爆病院内科部長)・渡辺正治(広島大助手)・河村虎太郎(河村病院長)・姜文熙(在日本大韓民国居留民団原爆被爆者対策委員長)ら。
1978
0401 『原子爆弾後障害研究会講演集 第18回』(広島原爆障害対策協議会)
若林節美・加藤礼子・渡辺正治・栗原登「原爆被爆患者の家族生活上の問題(1)-入院および通院患者の福祉的ケース・スタディの観点から- 」 60 C
0401 『在韓被爆者』(核兵器禁止平和建設国民会議著・刊)
第1章 被爆の背景
姜文煕(韓国居留民団広島県本部 原爆被害者対策特別委員長)
渡辺正治(広島大学原爆放射能医学研究所助手 )
第2章 在韓被爆者の社会的背景
渡辺正治(広島大学原爆放射能医学研究所助手 )
1980
0401 『原子爆弾後障害研究会講演集 第20回』(広島原爆障害対策協議会)
渡辺正治「老令被爆者の心理社会的葛藤と依存」
1982
0815 『もうひとつのヒロシマ-朝鮮人韓国人被爆者の証言』(朴壽南、舎廊房出版部、皓星社(発売))
 渡辺正治「朴壽南さんとヒロシマ 」383
1984
0401 『原子爆弾後障害研究会講演集 第24回』(広島原爆障害対策協議会)
7.「原爆ふたご」に関する医学的・社会学的総合研究
第7報.災害回復過程における相互関係 渡辺正治 他 68(364)
9.原爆災害復旧過程と個人の社会心理的回復過程 渡辺正治 74(370)
1986
0401 『原子爆弾後障害研究会講演集 第26回』(広島原爆障害対策協議会)
 渡辺正治 他「原爆被爆双生児に関する医学的・社会学的総合研究 第12報:家族関係のAftermath(災害回復過程)研究」
0820 『ヒロシマ・ナガサキの証言’86夏 第19号』(広島・長崎の証言の会)
 渡辺正治「「軍都広島」を忘れまい」
1991
0619 第5回「宗教と平和シンポジウム」、広島市で開催。渡辺正治がチェルノブイリ原爆事故による被曝者の実態を報告。 C
1216 『飄々と 石井浩史追想集』(編集委員会編、石井しづせ刊)
渡辺正治「心優しい言論人」
2002
0331 『東アジアの被爆と平和』(崔吉城・著、広島大学大学院国際協力研究課刊)
<シンポジウム〉司会:崔吉城・渡辺正治
2004
0501 『原子爆弾後障害研究会講演集 第44回』(広島原爆障害対策協議会)
渡辺正治 他「原爆被災,チェルノブイリ被災者を主とする災害被災者の症例と方法論的検討」
2006
0516 死亡
0520 葬儀・告別式
0618 納骨式。日本基督教団広島府中教会・教会墓地

文芸臨時増刊 高橋和巳追悼特集号

『文芸臨時増刊 高橋和巳追悼特集号』(河出書房新社、19710705)

内容

著者 見出し 備考
<グラビア>高橋和巳の39年
18 吉川幸次郎 哀辞
20 桑原武夫 弔辞
23 近藤龍茂 弔辞
25 野間宏 弔辞
27 小田実 とむらいのことば
29 杉本秀太郎 告別の辞
31 松江高等学校28期文乙一同
高橋の霊前に捧ぐ
32 武田泰淳 視野脱落をおそれた人
34 竹内好 酔翁対語
36 堀田善衛 くりごと
38 作田洋一 追悼
40 遠藤周作 一度だけ会った高橋氏
42 福田紀一 ある訪問その後
44 寺田透 高橋君を偲ぶ―その中国文学研究の業績に即して
50 秋山駿 同世代の人
55 磯田光一 ”有罪性”希求の文学―『散華』『堕落』『憂鬱なる党派』を中心に
61 梅原猛 文学は自己指弾か
67 埴谷雄高 『悲の器』の頃
70 駒田信二 高橋和巳との私事
72 竜茂之 悪友悔恨の嘆き
77 篠田一士 追思茫茫
80 宮川裕行 私の中の高橋和巳
85 橘正典 何を失ったのか
88 阪本一亀 回想
93 太田静夫 舞の庭―師高橋和巳を悼んで
97 山田稔 失われたユートピア―もうひとつの解体
108 桶谷秀昭 述志―運命への問い―高橋和巳論
128 <座談会>高橋和巳・文学と思想
大江健三郎・小田実・中村真一郎・野間宏。埴谷雄高
152 真継信彦 高橋和巳の倫理
166 高橋和巳 遺稿 遙かなる美の国
173 高橋和子 臨床日記
190 高橋和巳・年譜
194 川西政明 高橋和巳・小説作品解題
208 編集後記

 

植村環

植村環

うえむら・たまき 18900824生19820526没 享年91歳 日本YWCA名誉会長。原水爆禁止世界大会日本準備会代表委員。日本原水協代表委員。世界平和アピール七人委員会のメンバー。1977被爆国際シンポ日本準備委員会結成呼びかけ人。

資料年表:植村環<作業中

年月日
1890
0824 東京生まれ。
1955
1111 世界平和アピール7人委員会発足。湯川秀樹・下中弥三郎・前田多門・茅誠司・平塚らいてう・植村環・上代たの C
1963
0419 植村環(世界平和アピール7人委員会代表)・内山高三(事務局長)、原潜スレッシャー不明事件からみて、寄港問題の再検討を希望する要望書を黒金泰美官房長官に提出。 C
1009 日本の核基地化に反対する「平和アピール1千人委員会」(9月末に結成)の平山照次代表(東京山手教会牧師)・植村日本YMCA会長ら、ライシャワー米大使に米原潜の日本寄港反対とF105機の撤去を申入れ。 C
1966
1031 世界平和アピール7人委員会の茅・植村・上代の3人、中国核ミサイル実験で佐藤首相宛の要望書を提出。 C
1982
0526 死亡。享年91歳。
1987
0525 『水を風を光りを 日本YWCA80年 1905―1985』(日本YWCA)

資料年表:山本達雄

資料年表:山本達雄<作業中

年月日
**** 誕生
1945
08 広島への原爆被爆直後、陸軍兵として遺体処理作業。市内で書店(金正堂)を経営していた叔父を探す。
0916 地下倉庫でくすぶる火を懐炉に移し福岡県吉野村の自宅に持ち帰り仏壇や火鉢でともし続ける。
1966
**** 家業の茶栽培を取材に来た新聞記者に漏らしたことから「原爆の火」の経緯が報道される。
1968
**** 「平和の火」として星野村に引き継がれる。
1972
0730 原水禁被爆者キャラバン隊が分火し、原水爆禁止世界大会長崎大会(社会党・総評系)の会場へ。8月7日長崎市松山公園にともる。 C
 1973
 0805  広島県原水禁、福岡県星野村の「原爆の火」を8月6日に広島での世界大会会場に届ける。  C
 1988
 0324  福岡県星野村の「原爆の火」、役場前の「平和の塔」で採火式。第3回国連軍縮特別総会(SSDⅢ)の開かれるニューヨークに向け出発。  C
 0602  「原爆の火」、国連本部に届く。  C
 0611  ニューヨークでNGOの国際平和集会、国連本部前からセントラルパークまで平和行進。先頭は 「原爆の火」をもった被爆者30人。  C
0806 『ヒロシマの火』(山口勇子著、新日本おはなし文庫)
 1024  大窪寺(香川県長尾町、四国霊場88番札所の結願寺)で 「原爆の火」平和塔の建立式。 C
1989
0213  東照宮(東京)で「上野東照宮に広島・長崎の火を灯す会」発起人会。山口勇子・伊東壮東友会会長らが出席」。  C
 04―  般若寺(奈良市)境内に「原爆の火」を灯し続ける「平和の塔」の建立計画。  C
1015  豊橋市立桜丘高校(愛知県)、「原爆の火」を灯した「平和の塔」完成。  C
 1990
 0721  上野東照宮(東京)の「原爆の火」を灯しを灯し続けるモニュメント完成。  C
 0729  神奈川県原爆被災者の会、鎌倉市の大船観音境内に「原爆の火の塔」を建立。  C
 1995
0506  「1995年国民平和大行進」(日本原水協など)、上野東照宮の「原爆の火」をともし、都立第5福竜丸展示館前を出発。  C
 2000
1206 「ピースウォーク」参加者約40人、「原爆の火」を手に、広島市平和公園に到着。 C
2003
0120 社史が語る原爆・ヒロシマ』(「しんぶん赤旗」中国四国総局、新日本出版社))
「いまも燃える『原爆の火』―金正堂」83-
2004
0511 逝去。享年88歳
0601  『朝日新聞』(20040601)
渕沢貴子「山本達雄さん 広島「原爆の火」採取し守る 平和の願い、静かにともす」
 2007
 08  ヒロシマの火 平和への灯
 このモニュメントには、広島平和記念公園の「平和の灯」と福岡県星野村の「平和の火」から分火された、”2つの火”が灯されています。
「平和の火」は、1945年(昭和20年)福岡県星野村出身の山本達雄さんが、原爆で亡くなられた親戚の形見として、廃墟となった広島の街から持ち帰った”原爆の火”です。
自らも被爆した山本さんは、多くの尊い命が奪われた”ヒロシマを忘れてはならない”と、自宅で絶やすことなく火を守り続けました。
その後、1968年(昭和43年)この火は「平和の火」として星野村に引き継がれ、広島から遠く離れた地で、被爆後62年の今も、燃え続けています。
NHK広島放送局では、広島平和記念公園と星野村の”2つの火”を合わせ、原爆で亡くなられた方々の慰霊、また核廃絶と恒久平和を願う”ヒロシマの祈りの火”として灯し続けていきます。題字は、書家で被爆者でもある森下弘さん(広島市佐伯区)にお願いしました。2007年(平成19年)8月
 2008
 1202  『「平和の火」 福岡県星野村から広島平和公園へ』(久行大輝・記者)  C
2014
 1218  「平和首長会議 加盟年からの平和メッセージ」
 ㉘福岡県八女市 三田村統之  C

 

山本達雄

山本達雄

やまもと・たつお 生20040511没 享年88歳 「原爆の火」保存者。兵役に就いていた広島で、原爆投下直後に残り火をカイロに採取し、故郷の福岡県星野村で20年以上保存。広島に投下された人類史上初めての原子爆弾の火、すなわち、世界で唯一の「火」。

資料年表:ヒロシマの火

村井志摩子

村井志摩子

むらい・しまこ 19280712生20180509没 享年89歳 劇作家・演出家。『広島県現代文学事典』(岩崎文人・記)

資料年表:村井志摩子<作業中

年月日
1928
0712 誕生
1991
1015 『広島の文学』(岩崎文人著、溪水社 )
「村井志摩子 広島」 115
1993
0731 『赤旗』
「ヒューマニズムと広島をみつめる心 劇作家・演出家 村井志摩子さん」
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1001 『落暉燃ゆ 廣島高等学校創立七十年記念誌』(廣島高等学校同窓会)
村井志摩子(村井真澄・12文甲)「兄の思い出」 602
 1996
 0806  『女がヒロシマを語る』(江刺昭子・加納実紀代・関千枝子・堀場清子編、インパクト出版会)
 村井志摩子「 ヒロシマのボレロ」 148
1997
 0331  『原爆ドーム世界遺産登録記録誌』(広島市市民局平和推進室)
 村井「原爆ドームの世界遺産登録を記念して」 12
 0806  『原爆ドーム、ヤン・レツル三部作 村井志摩子戯曲集』(村井志摩子著、テアトロ)
 1998
 0925  『「戦争と平和」戯曲全集 第15巻』(藤木宏幸・源五郎・今村忠純著、日本図書センター)
村井志摩子「 広島の女・八月六日」  134
2015
0801 『被爆70年 文学に描かれた8月6日』(ふくやま文学館)
村井志摩子「広島の女・八月六日」-戯曲…39
2018
0509 没。享年89歳
 2019
 0510  『ヒロシマ対話随想』(関千枝子・中山士朗著、西田書店)
 「村井志摩子さんの死と記録の保存 217」

時代の証言 原子科学者の昭和史

『時代の証言 原子科学者の昭和史』(伏見康治著、同文書院、1989/12/16)

内容

奇蹟の都市(1932年) 1
陽電子…1
中性子…4
重水素…6
人工的核反応…6
サイクロトロン…8
東大物理教室…9
理化学研究所の空気 18
教室に現われない同級生…18
寺田物理学…21
物理学助手として…23
理研2号館…26
東大工学部力学教室…29
本郷の理学部では…32
新設大阪帝国大学 37
阪大五人の教授…37
菊池教授の原子核研究の方針…43
晴耕雨読の季節 50
核実験のいろは…53
質量分析器…55
青木さんの大功績…61
遅い中性子との出遇い 67
口コミがもたらしたニュース…67
イタリア後の雑誌…71
核物理におけるモーズレーの法則を目指して…76
不純な物質 80
ボーアの玉突き…85
重陽子の理論…89
パルチチオ・ヌメロールム…91
菊池研究室の周辺 94
陰極線…94
宇宙線…96
湯川さんとの接触…97
中間子論の誕生を目撃して…103
阪大の同僚たち 109
湯川さんとの交渉はまだある…109
武谷三男の出現…113
武谷三男さんの憶い出…115
第一回の卒業生たち…120
加速器の時代 130
高圧ファン・デ・グラーフ加速器…130
忍びよる軍靴の跫音 137
中性子・電子の直接作用の仮説…137
忍びよる軍靴の跫音…144
核分裂発見 150
ネーチュア誌に現われた核分裂発見の歴史…150
核分裂に関する論議 157
彦坂氏の存在…157
同位体分離 162
電探レーダーの研究…166
私の戦時研究 169
興味をもてなかった戦時研究…169
立体回路の回路論に熱中…172
確率論及び統計論 177
戦争中の原子炉研究 181
大学の留守番…181
中性子の反射…184
中性子減速の時間…187
敗戦の年 189
戦争末期の症状…189
空襲の体験…191
遂に広島、長崎…194
情報の餓え 201
オンザーガーの論文との出会い…201
原子力情報-スミス報告との出会い…203
日本学術会議の場で 207
研究か組織か…207
学術会議の誕生…209
サンフランシスコ条約、茅・伏見提案 217
原子力研究の開始…217
原子力研究の伏見私案…219
茅・伏見提案と学術会議総会…223
中曽根予算、原子力憲章 228
原子力シンポジウムと中曽根予算…228
伏見による原子力憲章草案…230
朝永委員会の主張…232
原子力平和利用に関する声明…236
ビキニ事件 239
福竜丸事件…239
放射線に関する研究所の設立…241
藤岡ミッション 245
初めての外遊…245
原子力の年一九五五年…251
原子核研究所 255
原子核物理学の研究所をつくる…255
日本原子力研究所と研究者…258
関西研究用原子炉 261
関西研究用原子炉の構想…261
原子炉設置は私の最高の義務…267
大阪府原子炉問題審議会 271
略年譜 275

伏見康治

伏見康治

ふしみ・こうじ 19090629生20080508没 享年98歳 物理学者。1953年日本学術会議会長。1958年参議院議員(公明党)。

略年譜<出典:『時代の証言 原子科学者の昭和史』(同文書院)>

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資料年表:伏見康治

 

年月日
1909
0629 誕生
1946
0501 『科学の反省 再建叢書 , 第1輯』(帝国人造絹糸刊)
「原子爆弾経緯 8」
1952
1101 日本物理学会が原子力委員会設置問題で論争。賛成=伏見(阪大)ら、反対=三村剛昴(広大)ら。 C
1954
0915 『原子力のゆくえ 朝日文化手帖 35』(朝日新聞社)
1955
0807 伏見阪大教授、原水禁世界大会で発言。「原子力の平和利用にはABCCのような研究が不可欠」。 C
1956
0410 『新パンドラの箱 原子力平和利用のために』(毎日新聞社編)
伏見「人類のための原子力」
1957
1015 『原子力とエネルギー 市民のための原子力Ⅲ 市民のための原子力 3』(伏見康治・安芸皎一著、朝日新聞社)
1958
1015 『原子力シンポジウム報文集 第2回第1分冊 総合講演 討論』(日本学術会議、原子力シンポジウム報文集刊行委員会)
伏見(第二回原子力シンポジウム報文集編集委員会委員長)「編者のことば」
伏見(日本学術会議原子力特別委員会委員長)「挨拶」
1980
1022 『科学者憲章』(渡辺直経 他著、勁草書房)
 伏見「科学者社会の憲章」 11
 伏見「学術振興の基本」159
1981
0416 『嵯峨根遼吉記念文集』(嵯峨根遼吉、嵯峨根遼吉記念文集出版会)
伏見「第2部 座談会 嵯峨根遼吉先生の六つの活動相」 121
0903 第31回パグウォッシュ会議(カナダ)閉会。伏見日本学術会議議長らが参加。 C
1982
0512 世界平和アピール7人委員会の新メンバーに井上靖(日本ペンクラブ会長)・伏見日本学術会議会長。故湯川秀樹らの欠員補充。
1025 『シラードの証言』(S・R・ウィアート、G・W・シラード編 伏見康治 他訳、みすず書房)
1983
0212 『原子力委員会の闘い』(石川欽也著、酒井節雄刊)
伏見「推薦のことば」
1984
1024 広島市で「核軍縮を求める22人委員会」のシンポジウム。伏見参議院議員らが参加。 C
1985
0213 『信州白樺』
伏見「長田新先生の憶い出」…113
1986
0120 『「1%問題」と軍縮を考える 岩波ブックレット No.54』(核軍縮を求める二十二人委員会平和構想懇談会編、岩波書店)
伏見康治(参議院議員、元日本学術会議会長)
1987
0730 東京で「核兵器廃絶運動連帯」主催の国際フォーラム「連帯のつどい」。世話人代表は伏見参議院議員ら。 C
1988
0803 『核廃絶と世論の力(長崎平和シンポジウム) 岩波ブックレット No.120』(長崎市・核軍縮を求める二十二人委員会編、岩波書店)
0815 『証言-ヒロシマ・ナガサキの声1988 第2集』(長崎の証言の会)
長崎平和シンポジウム(核軍縮を求める二十二人委員会・長崎市) 201
1103 「核兵器廃絶運動連帯」(世話人代表は伏見参議院議員)主催の「日米ソ国際フォーラム」の米ソ代表ら、広島の原爆資料館を見学。 C
1989
0509 「核兵器廃絶運動連帯」(世話人代表:伏見参議院議員、原水禁国民会議、核禁会議、市民団体などの連絡組織)、米水爆搭載機水没事件で政府に非核三原則の法制化を要求する声明。 C
1216 『時代の証言 原子科学者の昭和史』(同文書院)
2008
0508