「01 月忌」カテゴリーアーカイブ

資料年表:大北威

資料年表:大北威<作業中

年月日 事項 備考
C=出典:『中国新聞』
1976
0606 大北威、第17回原子爆弾後障害研究会で発表。「広島の被爆者の白血病発生は全国平均に比べ依然高率」 C
1977 広島大学原医研、大北威血液学研究部門教授を新所長に選出。4月1日発令。 C
0224
1981
0319 核戦争防止国際医師会議(IPPNW)<第1回>、米バージニア州ワレントンで開幕。~25日。12カ国100人が参加。日本から大北威、市丸道人(長崎大学)、庄野直美(広島女学院大学)が出席。 C
1208 パルメ委員会、広島市で研究討論集会。大北威と今堀誠二(広島女子大学長)が被爆の実相を説明。 C
1982
0403 核戦争防止国際医師会議(IPPNW)<第2回>大会、英ケンブリッジ大学で開催。大北威が被爆後障害をスライドで紹介。 C
1983
0618 核戦争防止国際医師会議(IPPNW)<第3回>大会、オランダ・アムステルダムで開催。福原照明広島市医師会長、大北威原医研教授が出席。7月12日、福原照明・大北威、帰国の記者会見。 C
1984
0405 大北威、野間祐輔広島県医師会副会長、児玉克哉(10フィート運動広島若者の会)の3人の核戦争防止国際医師会議(IPPNW)第4回世界総会への参加が決まる。 C
1985
03 大北威広島大学原医研教授、定年を待たず退官へ。国立名古屋病院副院長に就任。 C
1215 核戦争防止国際医師会議(IPPNW)のノーベル平和賞受賞を記念する学術講演会、広島市内で開催。大北威国立名古屋病院副院長、IPPNW共同代表2人が広島訪問実現の見通しと述べる。 C
12 広島平和文化センターの米国戦略爆撃調査団が広島の被爆直後を撮影した16ミリカラーフィルム全10巻の解説文作業完了。松重美人(写真家)・庄野直美・大北威の3人が担当。 C

大北威

大北威

おおきた・たけし 生20080402没 享年83 広島大原爆放射線医科学研究所所長。ノーベル平和賞を受賞(1985年に)した「核戦争防止国際医師会議(IPPNW)」のメンバー。<投稿>

初代事務総長の大北威 先生は1962年、原医研血 液学部門の開設とともに名 古屋大学より赴任、1965年 に同部門の教授となられ た。被爆者白血病の研究と ともに、白血球の細胞回転 などの研究に携わり、1977 年から4年間は原医研所長 も務められた。大北先生は1985年に国立名古屋 病院副院長に就任、後に同病院の院長、名誉院 長を務め、JPPNW愛知県支部長やJPPNW顧問 もなさったが、2008年4月2日に逝去なさった。<出典:片岡勝子「思い出:IPPNW日本支部と歴代事務総長のことども」(広島県医師会速報2375号、20180625)>

資料年表:ヨハネ・パウロ二世

資料年表:ヨハネ・パウロ二世<作業中

年月日 事項 備考
1920
0518 誕生
1978
1016 ヨハネ・パウロ二世就任
 1980
 0925  ヨハネ・パウロ二世の広島訪問(198102)が決まる。 C
C=出典:『中国新聞』
1221 ヨハネ・パウロ二世の1981年2月の訪日発表。  C
1981
0107  ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の特使エルネスト・ガリ―ナ大司教ら3人、広島入り。原爆慰霊碑に参拝、原爆資料館を見学。10日、パウロ・マルチンスク大司教も。   C
0223 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世、日本カトリック司教協議会の招きで来日。
0225 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世、広島入り。原爆慰霊碑参拝、約2万5000人の信者らの前で平和アピール(9か国語)発表、原爆資料館見学。広島市公会堂で講演「技術・社会そして平和」。6時間滞在、長崎へ。  C
 0225  ローマ法王、ヒロシマ・アウシュビッツ委員会(桑原英昭会長)が守るアウシュビッツの遺骨を祝福。  C
 0225 ポール・チベッツ(広島原爆投下機エノラ・ゲイの機長)、仏のテレビで原爆投下を「後悔していない」、「ローマ法王の平和を求める人道主義に敬意を表する」と語る。  C
03 広島原爆資料館、ローマ法王の平和アピールをマーク・ハットフィールド米上院議員を通じレーガン大統領に送る。 C
0410 広島原爆資料館、からの贈り物公開。1945年8月8日のバチカン市の新聞『オブセルバトーレ・ロマーノ』(イタリア語)のコピー銅板。 C
0402  『ヨハネ・パウロII世 教皇訪日公式記録』(主婦の友社、1981/04/02)
0413 広島市、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の広島訪問の記録映画を完成。 C
06 藤枝良枝(広島市)、「ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の平和アピールを記念碑に残そう」と呼びかけ C
0830 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世、第二次大戦勃発42周年を前に、核兵器廃絶の訴え。「広島・長崎を思い出すことは核戦争をこの世からなくすこと」 C
1102 ホセ・テオン(エリザベト音大学長)、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の指示で故エドモンド・ブランデン(英詩人)の詩「ヒロシマー1949年8月6日に寄せて」を作曲、同大の定期演奏会で発表。 C
1104 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世来広の記念碑の建設委員会発足。藤枝良枝の呼びかけに原田東岷・栗原貞子・河村盛明(広島平和文化センター理事長)ら応じる。 C
1226 被爆瓦とローマ法王の平和アピールを刻んだ「平和のためのモニュメント」が広島YMCAビジネス専門学校に完成、除幕式。 C
1982
0225 『平和への道 教皇ヨハネ・パウロⅡ世来広記念文集』(カトリック正義と平和広島協議会「平和を願う会」)
0225  『ローマ法王歓迎の集い』(広島市)
0228 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の平和アピール碑建立委員会(原田東岷委員長)、広島市内で初の街頭募金。提唱者の藤枝良枝さんらが協力を呼びかける。 C
0315 C
04 C
0611 C
0615 C
0721 C
09 C
1983
0225 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の平和アピール碑除幕 C
0531 C
1984
0914 C
1985
0806 C
0905 C
1987
0108 C
0225 C
0401 C
1988
0410 C
1991
0225 『戦争は人間のしわざです』(カトリック正義と平和広島協議会)
0319 C
1992
0223 C
1994
0225 C
2005
0402 ヨハネ・パウロ二世離任。死去、84歳。

 

森亘

森亘

もり・わたる 19260110生 20120401没 享年86歳 元東京大学総長。原爆死没者慰霊等施設基本構想懇談会座長。

原爆死没者慰霊等施設基本構想懇談会

昭和60年 1985年 10月 厚生省が原子爆弾被爆者実態調査において、死没者に関する調査を初めて実施
平成2年 1990年 厚生省が原爆死没者に対する弔意の表し方について検討を開始
平成3年 1991年 国が原爆死没者慰霊等施設基本構想懇談会を設置

出典:祈念館について | 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 (hiro-tsuitokinenkan.go.jp)

山西義政

山西義政

やまにし・よしまさ 19220901生20200401没 享年97 (株)イズミ(広島県広島市、山西泰明社長)創業者。1997年、個人コレクションを中心に泉美術館を開設。

資料年表:山西義政<作業中

年月日
19220901 誕生
19970427 泉美術館開館。山西義政の個人コレクションをもとに出発。
20110819 写真展「復興の記憶」。~9月19日 。
20180728 「ヤミ市から立ち上がった広島商人」<記憶から紡ぐあのころの広島>(『広島市被爆70年史 映像編』)
20200401 死亡

 

久保田訓章

久保田訓章

くぼた・のりあき 生20190331没 享年86 1973~2017年広島東照宮宮司。名誉宮司。二葉の里歴史の散歩道ブラッシュアップ研究協議会会長。広島・長崎宗教者平和会議に参加。

資料年表:久保田訓章<作業中

 年月日
 1996
 0806 「序文( 広島県宗教連盟前々理事長・広島東照宮宮司 久保田訓章)」( 『広島県宗教連盟「戦後五〇年」誌-平和と慰霊・追悼の歩み』所収)
 2004
0313 久保田訓章「「五年後」に感じて…」(『雲雀 第4号 2004.03.13』、広島花幻忌の会)
 2005
0416  久保田訓章「原民喜「五年後」に感じて」(『わが昭和史 続編 中学入学60周年記念誌』)中学入学60周年記念アカシア41期会「記念誌編集発行委員会」)
 2009
0805  「原民喜文学碑 境内に建立へ 広島東照宮」(『中国新聞』桑島美帆・記者)
2010
 0321  「文学碑計画の久保田宮司 記憶 後世に残したい」(『中国新聞』梅原勝己・編集委員)
 0608 「原民喜文学碑 市長が揮強へ 東照宮宮司ら依頼」 (『中国新聞』明知隼二・記者)
0726  「被爆直後のメモ 一節刻む 原民喜の追憶碑除幕 東照宮」(『中国新聞』新田葉子・記者)<除幕式:20100725>
 2011
 0931  (『中国新聞』)
 2012
 0726  (『中国新聞』)
2013
 0213 「 宗派超え平和考える 広島・長崎宗教者会議」(『中国新聞』山本乃輔)<今年で28回目>
 2014
 0805  二葉の里歴史の散歩道ブラッシュアップ研究協議会(7社寺・広島市など)主催行事:7社寺が「平和の灯」(平和公園)から採火した約千本のロウソク点火。今年で3回目。(『中国新聞』20140730、川手寿志)
2015
 0309
 0520
 0625
 0804
 0810
 2019
 0331  「久保田訓章氏死去」(『中国新聞』0401)

ジョン・ハーシー

ジョン・ハーシー

ハーシー、ジョン 19140617生19930324没 はーしーJohn Hersey 78 広島のルポルタージュ「ヒロシマ」の著者。2002年の広島市の平和宣言(秋葉市長)に著書『ヒロシマ』が取り上げられる。『広島県現代文学事典』(植木研介・記)。

資料年表:ジョン・ハーシー<作業中

年月日
19140617 誕生
20020806 秋葉広島市長、平和宣言で著書『ヒロシマ』に言及。「ジョン・ハーシーの『ヒロシマ』や**さえも忘れられつつあります」
19930324 死亡。享年78歳。

 

河村郷四追想録

『河村郷四追想録』(河村郷四追想録編纂委員会、19860315)

内容<作業中

著者 タイトル
海塚義郎 序にかえて
写真集
1 少年期より青年期へ
2 マツダと河村さん
3 広島テレビと河村さん
4 スポーツと河村さん
5 河村さんと社会活動
6 河村さんへのレクイエム
荒木武 教育への熱い想い―河村さんとの語らいの中で
遺族の方々より
栗村良周 兄を偲ぶ
松元寛 仕事の中に心を見ていた人
中西忠彦 義父河村郷四の思い出
河村瑠璃<妻> 追憶
河村郷四年譜
あとがき