「01 月忌」カテゴリーアーカイブ

資料年表:ヨハネ・パウロ二世

資料年表:ヨハネ・パウロ二世<作業中

年月日 事項 備考
1920
0518 誕生
1978
1016 ヨハネ・パウロ二世就任
 1980
 0925  ヨハネ・パウロ二世の広島訪問(198102)が決まる。 C
C=出典:『中国新聞』
1221 ヨハネ・パウロ二世の1981年2月の訪日発表。  C
1981
0107  ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の特使エルネスト・ガリ―ナ大司教ら3人、広島入り。原爆慰霊碑に参拝、原爆資料館を見学。10日、パウロ・マルチンスク大司教も。   C
0223 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世、日本カトリック司教協議会の招きで来日。
0225 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世、広島入り。原爆慰霊碑参拝、約2万5000人の信者らの前で平和アピール(9か国語)発表、原爆資料館見学。広島市公会堂で講演「技術・社会そして平和」。6時間滞在、長崎へ。  C
 0225  ローマ法王、ヒロシマ・アウシュビッツ委員会(桑原英昭会長)が守るアウシュビッツの遺骨を祝福。  C
 0225 ポール・チベッツ(広島原爆投下機エノラ・ゲイの機長)、仏のテレビで原爆投下を「後悔していない」、「ローマ法王の平和を求める人道主義に敬意を表する」と語る。  C
03 広島原爆資料館、ローマ法王の平和アピールをマーク・ハットフィールド米上院議員を通じレーガン大統領に送る。 C
0410 広島原爆資料館、からの贈り物公開。1945年8月8日のバチカン市の新聞『オブセルバトーレ・ロマーノ』(イタリア語)のコピー銅板。 C
0402  『ヨハネ・パウロII世 教皇訪日公式記録』(主婦の友社、1981/04/02)
0413 広島市、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の広島訪問の記録映画を完成。 C
06 藤枝良枝(広島市)、「ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の平和アピールを記念碑に残そう」と呼びかけ C
0830 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世、第二次大戦勃発42周年を前に、核兵器廃絶の訴え。「広島・長崎を思い出すことは核戦争をこの世からなくすこと」 C
1102 ホセ・テオン(エリザベト音大学長)、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の指示で故エドモンド・ブランデン(英詩人)の詩「ヒロシマー1949年8月6日に寄せて」を作曲、同大の定期演奏会で発表。 C
1104 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世来広の記念碑の建設委員会発足。藤枝良枝の呼びかけに原田東岷・栗原貞子・河村盛明(広島平和文化センター理事長)ら応じる。 C
1226 被爆瓦とローマ法王の平和アピールを刻んだ「平和のためのモニュメント」が広島YMCAビジネス専門学校に完成、除幕式。 C
1982
0225 『平和への道 教皇ヨハネ・パウロⅡ世来広記念文集』(カトリック正義と平和広島協議会「平和を願う会」)
0225  『ローマ法王歓迎の集い』(広島市)
0228 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の平和アピール碑建立委員会(原田東岷委員長)、広島市内で初の街頭募金。提唱者の藤枝良枝さんらが協力を呼びかける。 C
0315 C
04 C
0611 C
0615 C
0721 C
09 C
1983
0225 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の平和アピール碑除幕 C
0531 C
1984
0914 C
1985
0806 C
0905 C
1987
0108 C
0225 C
0401 C
1988
0410 C
1991
0225 『戦争は人間のしわざです』(カトリック正義と平和広島協議会)
0319 C
1992
0223 C
1994
0225 C
2005
0402 ヨハネ・パウロ二世離任。死去、84歳。

 

森亘

森亘

もり・わたる 19260110生 20120401没 享年86歳 元東京大学総長。原爆死没者慰霊等施設基本構想懇談会座長。

原爆死没者慰霊等施設基本構想懇談会

昭和60年 1985年 10月 厚生省が原子爆弾被爆者実態調査において、死没者に関する調査を初めて実施
平成2年 1990年 厚生省が原爆死没者に対する弔意の表し方について検討を開始
平成3年 1991年 国が原爆死没者慰霊等施設基本構想懇談会を設置

出典:祈念館について | 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 (hiro-tsuitokinenkan.go.jp)

山西義政

山西義政

やまにし・よしまさ 19220901生20200401没 享年97 (株)イズミ(広島県広島市、山西泰明社長)創業者。1997年、個人コレクションを中心に泉美術館を開設。

資料年表:山西義政<作業中

年月日
19220901 誕生
19970427 泉美術館開館。山西義政の個人コレクションをもとに出発。
20110819 写真展「復興の記憶」。~9月19日 。
20180728 「ヤミ市から立ち上がった広島商人」<記憶から紡ぐあのころの広島>(『広島市被爆70年史 映像編』)
20200401 死亡

 

久保田訓章

久保田訓章

くぼた・のりあき 生20190331没 享年86 1973~2017年広島東照宮宮司。名誉宮司。二葉の里歴史の散歩道ブラッシュアップ研究協議会会長。広島・長崎宗教者平和会議に参加。

資料年表:久保田訓章<作業中

 年月日
 1996
 0806 「序文( 広島県宗教連盟前々理事長・広島東照宮宮司 久保田訓章)」( 『広島県宗教連盟「戦後五〇年」誌-平和と慰霊・追悼の歩み』所収)
 2004
0313 久保田訓章「「五年後」に感じて…」(『雲雀 第4号 2004.03.13』、広島花幻忌の会)
 2005
0416  久保田訓章「原民喜「五年後」に感じて」(『わが昭和史 続編 中学入学60周年記念誌』)中学入学60周年記念アカシア41期会「記念誌編集発行委員会」)
 2009
0805  「原民喜文学碑 境内に建立へ 広島東照宮」(『中国新聞』桑島美帆・記者)
2010
 0321  「文学碑計画の久保田宮司 記憶 後世に残したい」(『中国新聞』梅原勝己・編集委員)
 0608 「原民喜文学碑 市長が揮強へ 東照宮宮司ら依頼」 (『中国新聞』明知隼二・記者)
0726  「被爆直後のメモ 一節刻む 原民喜の追憶碑除幕 東照宮」(『中国新聞』新田葉子・記者)<除幕式:20100725>
 2011
 0931  (『中国新聞』)
 2012
 0726  (『中国新聞』)
2013
 0213 「 宗派超え平和考える 広島・長崎宗教者会議」(『中国新聞』山本乃輔)<今年で28回目>
 2014
 0805  二葉の里歴史の散歩道ブラッシュアップ研究協議会(7社寺・広島市など)主催行事:7社寺が「平和の灯」(平和公園)から採火した約千本のロウソク点火。今年で3回目。(『中国新聞』20140730、川手寿志)
2015
 0309
 0520
 0625
 0804
 0810
 2019
 0331  「久保田訓章氏死去」(『中国新聞』0401)

ジョン・ハーシー

ジョン・ハーシー

ハーシー、ジョン 19140617生19930324没 はーしーJohn Hersey 78 広島のルポルタージュ「ヒロシマ」の著者。2002年の広島市の平和宣言(秋葉市長)に著書『ヒロシマ』が取り上げられる。『広島県現代文学事典』(植木研介・記)。

資料年表:ジョン・ハーシー<作業中

年月日
19140617 誕生
20020806 秋葉広島市長、平和宣言で著書『ヒロシマ』に言及。「ジョン・ハーシーの『ヒロシマ』や**さえも忘れられつつあります」
19930324 死亡。享年78歳。

 

河村郷四追想録

『河村郷四追想録』(河村郷四追想録編纂委員会、19860315)

内容<作業中

著者 タイトル
海塚義郎 序にかえて
写真集
1 少年期より青年期へ
2 マツダと河村さん
3 広島テレビと河村さん
4 スポーツと河村さん
5 河村さんと社会活動
6 河村さんへのレクイエム
荒木武 教育への熱い想い―河村さんとの語らいの中で
遺族の方々より
栗村良周 兄を偲ぶ
松元寛 仕事の中に心を見ていた人
中西忠彦 義父河村郷四の思い出
河村瑠璃<妻> 追憶
河村郷四年譜
あとがき

資料年表:川本義隆

資料年表:川本義隆<作業中

年月日 事項 備考
 1974051 「脱出生徒の記録(昭和21年春広島一中第2学年のころ記す)」 『ゆうかりの友』(広島県立一中被爆生徒の会)
「(1氏名)川本義隆、(2勤務先)広島市役所、3(出身校)、4(被爆当時の学級)第1学年12学級、(住所)広島県佐伯郡大野町****」 pp.39-42
 19840301  「講演 (広島平和記念館館長) 川本義隆」(『平和を願う念仏者の集い 第1回-核兵器廃絶へ向けて 記録集(58.7.9)』(浄土真宗本願寺派安芸教区教化推進協議会)) pp.6~11」
 19850415  「平和を誓う場 資料館 川本義隆」(『子どもたちに平和な未来を―平和への願い第2集―』(生活協同組合ひろしま平和部会))
 19860301  「ヒロシマを語る 川本義隆 2」(『平和へのねがい 第6号』原水爆禁止西宮市協議会、西宮市編)
19860801 (制作日)被爆者証言ビデオ(広島平和文化センター)
20020331 肺がんのため広島市中区の病院で死去、69歳。
 20090101  「被爆体験記」川本義隆ほか(広島平和記念資料館)<広島平和文化センター被爆体験証言者で、証言講話を引退した人のプロフィール・体験記をファイルしたもの(啓発担当の平和学習で紹介していたもの等)>

資料年表:福島菊次郎

資料年表:福島菊次郎<作業中

年月日
19210315 福島菊次郎誕生。
19610801 「被爆者の苦悩みつめる福島菊次郎の写真集「ピカドン』」(『中国新聞(夕刊)』平岡敬・記)
1963 (写真)ヒロシマみやげをつくるのもひと苦労。福島菊次郎氏撮影。<『「原爆一号」といわれて ちくまぶっくす36』(吉川清、筑摩書房、19810724)所収>
196608 福島菊次郎「原爆白書」(『アサヒカメラ』)
19750806 福島菊次郎(下関出身のフリーカメラマン)写真展「30年目のゲンバク―放射能遺伝傷害の恐怖」、ギャラリー「アメリア」(東京)で開催。 C
19820701 福島菊次郎「ヒバクシャの戦後」<『原爆展 忘れまい、この惨禍』(朝日新聞東京本社企画部 )所収>
19870830 『戦争がはじまる 福島菊次郎全仕事集』(福島菊次郎、社会評論社)
19890722 写真家福島菊次郎の写真展「天皇の戦争責任とヒロシマ」、広島市で開催(小西のぶ子記念館主催、24日まで)。 C
199508 反原発団体「原発いらん!下関の会」主催「反原発写真展」下関市の旧英国領事館で開催。福島菊次郎らの写真。 C
19950921 東京都写真美術館(主催・会場)「核―半減期(広島・長崎の写真)」
19990806 原爆・原発・差別などを写した社会派写真家・福島菊次郎の作品を常設展示する写真資料館、下関市内に開館。 C
20110615 「被爆者の苦悩みつめる福島菊次郎の写真集「ピカドン』」<『時代と記憶 メディア・朝鮮・ヒロシマ』(平岡敬、影書房)>
20120806 C
20121110 C
20130201 C
20130827 C
20130901 C
20141019 C
20150620 C
20150708 C
20150714 C
20150924 福島菊次郎死去
20150926 「反原発・反戦貫く 関係者悼む 福島菊次郎氏が死去」(道免雅良・井上龍太郎) C
20150927 「天風録」 C
20150930 那須圭子「福島菊次郎さんを悼む」 C
20151001 『論』写らなかった戦後 私たちが読み取る番(佐田尾信作・論説主幹) C
20151121 C
20151223 C
20170626  『ピカドン ある原爆被災者の記録』(福島菊次郎著、復刊ドットコム)
 20220710  「書評 福島菊次郎」あざなえる記憶」(那須圭子)  C