『丸屋博先生(詩人・御庄博実)を偲ぶ』(広島医療生活協同組合、20151101)
内容
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名前 |
事項 |
発行にあたって |
青木克明 |
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「丸屋先生を偲ぶ会」報告 |
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開会あいさつ |
青木克明 |
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スピーチ |
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松岡健一……3
齋藤紀……5
藤原高明……7
浅井基文……8
石川逸子……9
城谷良郎……11
森瀧春子……12
佐々木猛也……14
舟橋喜恵……16
金信換……18
長津功三良……21
松尾静明……23
林田敬子……24 |
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閉会あいさつ |
尾野展昭 |
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詩と童話の朗読 |
上田由美子
大門高子 |
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メッセージ |
吉崎振起……32
田中煕巳……32
森田隆……33 |
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追悼文集 |
雨宮功……34
安藤伸子……37
安藤優一……38
宇城昇……40
嘉指信雄……42
金田晋……43
姜済淑……48
栗本泰治……50
高藤美和子……51
高橋真弓……52
瀧本清也……54
豊永恵三郎……57
中村純……58
水落理……59
三村正弘……61
三好禎子……63
村田裕彦……64
矢ケ崎克馬……65
湯浅正恵……68
相原由美……71
山地恭子……72 |
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丸屋先生思い出の写真集……74 |
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丸屋博(御庄博実)先生年譜……86 |
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止
『ヒロシマの原点へ 自分史としての戦後50年』(松江澄、社会評論社、19950815)
内容
章 |
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プロローグ 日本の近代との苦闘…11 |
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I |
ファシズムの黒い触手-少年時代…17 |
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幼年期の記憶としての大正時代 17
「ごたいてん」と昭和恐慌 22
号外に出た共産党幹部の写真 25
おそまきの「ヰタ・セクスアリス」27
附中中学のころ-「上海事変」と「5・15」事件 30
母と上京-「2・26」事件に出会う 34
忘れ得ぬ旧師、旧友たち 38 |
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II |
開戦前夜の学生時代…42 |
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淀橋病院で読んだ岩波文庫 42
国家総動員法案が出る 45
「代返」と「ロウ勉」の寮生活 48
兄の書斎の本 52
「山下元利内閣」の総辞職 55
戦争前夜の名人芸 59
サッカー戦と中伊豆の旅 62
姿を消した朝鮮人の友 66
東大入学-総長は「軍艦の神様」 69 |
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III |
学徒兵として「満州」で訓練…73 |
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「近代の超克」論議のはてに 73
学徒出陣式-下関重砲兵連隊へ 76
零下50度の下城子の冬 80
「満州」の雪原を走りながら 84
内務班-日本の軍隊の根幹 87
日本ファシズムのささえ 90
富士山の見える重砲兵学校教育隊へ 94
恩賜賞をもらう羽目に 97
兄からの手紙に胸さわぎ 101 |
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IV |
敗戦-占領下の労働運動へ…105 |
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「新型爆弾」投下 105
生きてこの日を迎える 109
一路、黒い雨の降る広島へ 113
兄の生死を確かめに 116
原爆の荒野に立って 120
中国新聞社調査部に入る 123
ストライキと入党-1948年の冬 127
日鋼争議-占領軍と対峙 131
日本で最初の原爆廃棄要求 135 |
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V |
朝鮮戦争下-党の分裂と平和養護闘争…139 |
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コミンフォルム批判と「50年分裂」 139
広島平和擁護委員会の結成 143
朝鮮戦争と弾圧のなかで大分派闘争の開始 148
GHQは平和集会を禁止 151
1950年8月6日-勝利した平和闘争 154
『人民日報』の「9・3」論説の波紋 157
深まる対立と県会議員選挙 161
1951年8月6日-再び大衆的な平和闘争へ 165
モスクワ放送-勝利から敗北へ 169 |
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VI |
50年分裂-党と大衆のはざまで…173 |
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コミンフォルムの「原罪」 173
天皇制、戦争責任と日本共産党 177
党と大衆のはざまにあって 181
オモテとウラ-「火炎ビン」闘争 183
「血のメーデー」と武装闘争戦術 187
山村工作隊と地下指導部の総点検運動 190
燃え広がる「ビキニ」反核運動 193
ヘルシンキ世界平和集会をめざして 196
夜空をゆるがす「原爆許すまじ」 200 |
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VII |
六全協とスターリン批判の衝撃…205 |
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「六全協」-誰がどこで何のために 205
「六全協」-何がどのようにきまったのか 208
「六全協」-それはどう受けとめられたか 212
広島地区組織の再建へ 215
ソ連共産党20回大会とスターリン批判 218
スターリン主義とハンガリー動乱 222
スターリン批判と「六全協」 225
新しい探究と論争の開始 228
党再建のための参議院選挙戦 232 |
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VIII |
60年安保闘争と思想的対立の深化…236 |
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党章草案の発表と少数意見 236
全国書記会議における批判と論争 239
綱領論争の激化した日本共産党第7回大会 242
経済成長のはじまりと勤評闘争 247
警職法反対闘争から安保闘争へ 250
岸渡米阻止をめぐっての対立 254
新しい経験の出発点-県会議員当選 258
安保闘争昂揚と問題点 262
深刻化する党の危機と対立-第8回大会 265 |
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IX |
社会主義運動の革新をめざして…268 |
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春日(庄)さんがついに離党 268
「社会主義革新運動」出発 271
広島県議会における「大判小判」事件 275
議会活動の内なる原則 279
構造改革論とは何であったのか 282
県議再選と原水協の分裂 286
中ソ論争とは何であったのか 289
「4・17」ストと部分核停条約をめぐって 292
ヘルシンキ平和集会とわが“社会主義”初体験 296 |
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X |
70年闘争と新左翼の路線をめぐって…300 |
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高度成長とベトナム戦争 300
二度目の社会主義体験 モスクワ 303
共産主義者の大結集をめざして 307
「パリの5月」と新左翼の登場 310
「プラハの春」と戦車の弾圧 312
現在を廃止する現実的運動へ 315
広島の70年闘争 319
日本の70年闘争と共労党の分裂 322
前衛党の再建を求めて 325
民主主義の徹底をとおして新しい社会へ 327 |
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エピローグ 被爆・敗戦50年のヒロシマ…330 |
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あとがき…339 |
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止
松江澄(まつえ・きよし)
1919**** 生20050115没 |
享年85 |
広島市生。1944年一高を経て東京大学法学部卒。1950年、中国新聞社論説委員をレッド・パージで追放。1959年に日本共産党初めての県議。元広島県原水禁常任理事、元統一労働者党議長。熊田重邦・藤居平一両氏の紹介で占領期の平和運動につき、それぞれ数回ヒアリング。 |
関連資料
No. |
年月日 |
書名・資料名 |
著者・出版社 |
メモ |
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1969/08/06 |
濱井信三追想録 |
濱井信三追想録編集委員会 |
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1984/07/23 |
ヒロシマから 原水禁運動を生きて |
松江澄著、青弓社 |
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1995/08/15 |
ヒロシマの原点へ 自分史としての戦後50年 |
松江澄著、社会評論社 |
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1997/04/17 |
人間銘木 藤居平一追想集 |
「藤居平一追想集」編集委員会、藤居美枝子 |
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止
広島平和記念資料館平和データベース検索 キーワード「松重美人」結果 (2023年1月15日現在)
止
松重美人
まつしげ・よしと |
20130102生20050116没 |
享年92 |
中国新聞記者。写真家。 |
参考資料
〇宇吹メモの中の”松重”
〇広島平和記念資料館平和データベース検索 キーワード「松重美人」結果
止
宇吹メモの中の”松重”
年月日 |
【敬称略】 |
1978 |
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0715 |
原爆被災写真撮影者の会。於YMCA。空、松重三男、岸田、川本、尾糠、北、松重美人、黒石、川本夫人。 |
0914 |
原爆被災撮影者の会。於YMCA。松重、佐々木、岸田、山本よしえ、松重三男、岸本、木村、川原、尾糠、深田。 |
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広島原爆被災撮影者の会の初会合(宇吹メモ)
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1992 |
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0204 |
被爆建物等継承方策検討委員会の現地視察。石丸・宇吹・小原・椎木・空・平松・松重・横田の8人参加。マスコミ各社も取材。広島市役所-広島大学理学部-広島赤十字・原爆病院-広電変電所-旧陸軍被服支廠-広島銀行銀山支店-旧陸軍司令部通信室-本川小-レストハウス |
0714 |
河合護郎氏を励ます会。於広島グランドホテル孔雀の間。皇太子が宿泊している模様で多くの私服がいた。田中学長・蔵本所長・重松理事長など出席。河合の「幅広さ」が窺えた。****の挨拶はチャランポラン。荒木元市長に皮肉られていた。 |
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河合励ます会(続)=石田明と松重美人から医学部の医師の住所を聞かれる。****から栗原擁立までの経緯を聞く。石田明が立つ動きもあった由。 |
0909 |
広島市被爆建物等継承方策検討委員会打ち上げ。於鯉城会館。庄野・松重・空・大牟田・石丸・椎木・横田・葉佐井・宇吹・浜井・黒川・川本・山路・小野。大牟田が、スライドを準備して今日までそのまま保存されているフランスのナチによる虐殺の村オラドールについて解説。 |
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1994 |
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0831 |
**(大阪朝日)より電話。オダネルが写したという写真に林の撮影したものが混じっていた。写真の再検討をしたいが、詳しい人物を紹介して欲しい。松重美人と原爆資料館の学芸員に当たるよう回答。 |
1210 |
留学生平和セミナー。感想=高橋のアメリカ批判、大牟田のアメリカと日本政府批判は、あれで良かったのか。留学生は、どう受け取るか。**の話では、スミソニアン問題は、平和文化センターに一切話が無い由。河合護郎・松重美人が律儀に参加していた。 |
1995 |
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0210 |
米国スミソニアン協会航空宇宙博物館の特別展について意見を伺う会。出席者:高橋・坪井・松重・横田・庄野・川本・大牟田・宇吹。 |
1996 |
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1108 |
**(NHK広島)より電話。「被爆の言葉」に関連し、橋の下を流れている死体の写真の提供があった。建築業者が解体した家にあったもので、所蔵者は亡くなっている。この写真を誰に見て貰えばよいかとのこと。松重の名前をあげる。 |
止
『特集 藤井日達猊下 白寿を祝う』(『サルボダヤ SARVODAYA 1983.8』23巻第8号通巻280号、日印サルボダヤ交友会、19830815)
頁 |
著者 |
タイトル |
備考 |
01 |
藤井日達 |
白寿 |
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02 |
二之部耀智 |
藤井日達猊下との永き縁(えにし) |
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6 |
鈴木顕雄 |
現代の遊行聖(ひじり) |
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09 |
坂本徳松 |
ガンティーと日達上人の共通性 |
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14 |
福田徳郎 |
猊下と父、そして私と |
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19 |
森瀧市郎 |
私の決断を支えた日達上人の励まし |
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24 |
難波宏正 |
日蓮宗門にとっての藤井上人の存在 |
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28 |
沖原龍進 |
如法の師の教化を受けて |
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30 |
中村瑞隆 |
同窓の先達の心に触れて |
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33 |
S・G・クルカルニー |
再びわが祖父にまみえて |
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39 |
奈良康明 |
藤井上人と個性的な弟子たち |
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41 |
長弘毅 |
インド人にとっての藤井グルジー |
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45 |
古瀬恒介 |
ガンディーと仏教 |
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49 |
近江幸正 |
末法=現代人への限りなき慈悲行 |
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53 |
江成洋 |
平和に献身する姿 |
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56 |
吉田嘉清 |
日本の軍事大国化阻止のために |
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62 |
押田成人 |
お題目の雷(いかずち) |
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65 |
ナトゥマール・タティア |
宗教の深奥を極める一生 |
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68 |
山折哲雄 |
藤井上人の「足」と「声」 |
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72 |
丸山照雄 |
宗教界を超越した〈巨人〉 |
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止
藤井日達(ふじい・ にったつ)1885年8月6日 生―1985年1月9日没<作業中>
日本山妙法寺の山主。1982年の国連軍縮特別総会に参加するなど平和運動に貢献。[77被爆国際シンポ日本準備委員会結成呼びかけ人]。[82推進連絡会議呼びかけ人]。『毒鼓(どっく)』(藤井日達、わせだ書房、1961.5.10)。『写真集 撃鼓宣令』 (柏樹社、19850528)
https://nipponzanmyohoji.org

止
『「核」に立ち向かった人びと』(岩垂弘、日本図書センター、20050425)
内容
頁 |
名前 |
職業など |
メモ |
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007 |
武藤宏一 |
会社員 |
第五福竜丸を守った一市民 |
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021 |
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「死の灰」と闘った科学者……………三宅泰雄(地球化学者) |
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031 |
安井 郁 |
原水協理事長 |
人道的運動を目指し、統一にも腐心 |
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041 |
田島瑞泰 |
日本山妙法寺僧侶 |
デモの先頭に立った「基地坊主」 |
|
049 |
ペギー・ダフ |
平和運動家 |
運動の国際化と統一に不滅の足跡 |
|
059 |
長岡弘芳 |
詩人 |
原爆文献の収集に執念燃やす |
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067 |
大友よふ |
地婦連会長 |
「踏まれても蹴られても」 |
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077 |
松本広治 |
中小企業経営者 |
産業界からあげた反核平和の声 |
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085 |
田村 清 |
医師 |
反権力を貫いた「赤ひげ」 |
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095 |
熊倉啓安 |
平和委員会代表理事 |
統一に殉じた平和活動家 |
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107 |
鈴木正次 |
原水禁総務部長 |
「原爆ゆるすまじ!分裂ゆるすまじ!」 |
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119 |
中野好夫 |
評論家 |
反核平和の実践に徹した知識人 |
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133 |
古在由重 |
哲学者 |
「思想は冷凍保存をゆるさない」 |
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147 |
陸井三郎 |
評論家 |
戦争体験を背負ったフィクサー |
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159 |
中林貞男 |
日本生協連会長 |
生協運動と平和運動を結ぶ |
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171 |
久保 文 |
翻訳家 |
「暗い時代」の記憶をバネに |
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183 |
草野信男 |
病理学者 |
生涯を決めた被爆直後の広島調査 |
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197 |
内山尚三 |
法政大学教授 |
学徒出陣の生き残りとして |
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207 |
忘れ得ぬ人びと 三十二人の点描 |
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伊東壮 |
被団協代表委員 |
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畑中政春 |
原水協代表理事 |
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森滝市郎 |
原水禁代表委員 |
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新井則久 |
全逓副委員長 |
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磯村英一 |
核禁会議議長 |
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藤井日達 |
日本山妙法寺山主 |
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吉野源三郎 |
評論家 |
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新村猛 |
名古屋大学名誉教授 |
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|
今堀誠二 |
広島女子大学学長 |
|
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239 |
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核問題関連年表 |
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280 |
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参考文献 |
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281 |
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あとがき |
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止
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