「01 月忌」カテゴリーアーカイブ

楠忠之オーラル・ヒストリー 目次

『楠忠之オーラル・ヒストリー 広島大学文書館オーラル・ヒストリー事業研究成果報告書』(楠忠之著、石田雅春、布川弘編 、20171031)目次

はじめに(広島大学75年編さん室 石田雅春) 聞き取り日
第1回  生い立ち・幟町小学校の思い出
修道中学校時代の思い出
広島高等師範学校(臨教)への進学
海軍予備学生への志願…12
佐世保海兵団、旅順海軍特別根拠地隊への配属
20160204
第2回  予備学生・生徒の状況(前回の補足)
敗戦前後の状況
ソ連軍の進駐
シベリア抑留(1)
帰国、ヒロシマの惨状
日本国憲法との出会い
広陵高校への就職、広島文理科大学を受験
シベリア抑留(2)
広島文理科大学での勉強
20160310
第3回  広島文理科大学時代の思い出
学生運動について
卒業、宇品中学校への勤務
結婚について
映画「ひろしま」への協力
庚午中学校への転任
20160425
第4回  前回の補足(日鋼争議、広島反戦学生同盟、レッドパージ)
教職員組合の政党支持
学校施設・生徒指導の状況
受験指導の状況
PTAとの関係について
進路指導・家庭訪問について
一〇・ニーストライキ(昭和四一年)について(1)
原水爆禁止日本協議会、平和教育について
勤評闘争について
20160519
第5回  庚午中学校への中傷
生徒指導について
小学校教員と中学校教員の気質の違い
勤務評定について
翠町中学校への転任
20160701
第6回  学力テスト反対闘争について
高校入試制度の改革について
原水爆禁止運動の分裂について(1)
署名運動の力
原水爆禁止運動の分裂について(2)
20160802
第7回  所蔵の写真について
一〇・ニーストライキ(昭和四一年)について(2)
一〇・二六ストライキ(昭和四二年)について
平和教育(原爆副教材の作成)について
学校の運営方法(校長の権限)について
20160916
第8回  部落解放同盟広島県連合会と広島県教職員組合の関係について
(1)
大学紛争の影響について
部落解放同盟広島県連合会と広島県教職員組合の関係について
(2)
県議会議員選挙への出馬
県議会議員としての仕事(イノシシ対策、井口高校新設、不正経理問題、解放同盟問題など)
住民運動とのかかわり
20161130
第9回  自民党による解放同盟批判
総合選抜制への批判
八者合意について
原爆遺跡保存運動懇談会について
20161222
第10回  広島県原水爆禁止日本協議会について
原爆遺跡保存運動懇談会について
「中島地区ゆかりの人たちの集い」について
「建物疎開動員学徒の原爆被災の実相を記録する会」について
原爆ドームの景観を守る運動について
町内(庚午南)のマンション建設問題について
「原爆の子」を受け継ぐ会について
九条の会について
最近の取り組みについて(被爆建物、かき船問題)
広島教育研究所について
20170111

広島原爆とアメリカ人(谷本清著)

『広島原爆とアメリカ人 ある牧師の平和行脚 』(谷本清著、日本放送出版協会 、19760720)

内容

章節 タイトル 備考
序にかえて
1 原爆に生き残って
1-1 運命の八月六日
1-2 廃墟の中で
1-3 一牧師のビジョン
2 和解の旅
1948年9月~1950年1月(15ケ月間)、31州、256都市、472の教会その他の団体で講演582、聴衆約160000名、旅行距離約65800マイル
2-1 ピース・センターの構想
2-2 第一印象
2-3 メンジスト教会ミッション・ボードと私
2-4 本格的巡回始る
2-5 ピース・センター独自の途を歩む
2-6 被爆地ヒロシマをどうするか
2-7 平和請願運動
2-8 平和請願運動潰される
2-9 真珠湾記念日とヒロシマ・デー
2-10 東京裁判と死刑執行への反応
3 嵐の中の平和行脚
1950年9月~1951年7月(8ケ月間)、24州、201都市、242団体 講演295、聴衆約5600名、旅行距離約34500マイル
3-1 朝鮮戦争下のアメリカへ
3-2 講演の新内容を求めて
3-3 ニューヨーク入り
3-4 カズン氏は極めて多忙である
3-5 ヒロシマ・ピース・センター理事会
3-6 今回の巡回旅行の特色
3-7  嵐の中の平和運動
4 原爆乙女アメリカに往く
1955年5月5日~同年12月20日(7ケ月間)、26州、195都市、212団体 講演245、聴衆約47500名、テレビ・ラジオ・新聞64、行程約38100マイル
4-1 日本における原爆乙女治療始る
4-2 米国での治療運動始る
4-3 資金はどのようにして集められたか
4-4 ニューヨークの受容態勢
4-5 ホスト・ファミリー訪問とカウンセリング
4-6 原爆乙女の渡米はアメリカに何をもたらしたか
〇ヒューストン市の1週間
〇原爆悲劇に対する読みが深くなった
〇国際時局に対する読みも深くなった
〇募金活動の実情
〇協力を申し出る4つの病院
〇一日本人医師の批判とその影響
4-7 ピース・センターはどこへ行く
4-8  平和の営み
5 「傷痕」の伴をして
1975年9月25日~同年12月15日(80日間)、19州、89都市、105協会その他団体 講演148、聴衆約28800名、旅行約38400マイル
5-1 「傷痕」ダイジェスト
5-2 講演後の質問応答
5-3 核兵器使用に際して新しい倫理の確立が要請されている
5-4 「傷痕」のどこに感動したか
5-5 被爆者治療問題の隘路
5-6 被爆者の悩みは被爆者以外には判ってもらえない
5-7 アメリカ講演旅行の総括

 

 

河本一郎

河本一郎

かわもと・いちろう 1929生20010607没 享年72 「原爆被害者の会」設立、「広島折鶴の会」結成に奔走。谷本清平和賞(第13回=2001年没後)受賞。

資料年表:河本一郎

年月日
1929**** 南米ペルーで誕生。
1938**** 父の死去に伴い、父の実家、広島県安芸郡坂村(坂町)に里帰り。
1942**** 母が病死。13歳で孤児に。
<以上は「第8回先人を語る会」配布資料より>
1955
0224
1995
0507 小野増平「検証 ヒロシマ 1945~95 <16> 原爆ドーム 孤高貫く「平和の黒子」 「折り鶴の会」の河本一郎さん」(『中国新聞』)
2001
0607 死亡。享年72歳
0928 薮井和夫「ヒバクシャ活動の歩み 段ボール32箱分 広島折鶴の会世話人故河本一郎さんの遺品 募金名簿やフィルム」(『中国新聞』)
2002
11 濱本康敬(広島平和記念資料館学芸担当)「河本一郎氏資料の受入と整理」(『広文協通信』2号)
2015
0714 宇吹 暁『ヒロシマ戦後史の中の広島女学院~河本一郎の足跡を中心に~
広島女学院大学第 48 回原爆講座―8・6 の意味するもの― 2015 年 7 月 14 日 於砂本記念講堂
2018
0710 菊楽忍「解説1 河本一郎インタビュー」
『戦後ヒロシマの記録と記憶』(若尾祐司・小倉桂子編)
2019
1019 河本一郎を語る―第8回先人を語る会(慰霊と講話)』会場:広島原爆資料館
1215 原爆ドームと楮山ヒロ子 ヒロ子の日記と原爆ドームの保存』(寺田正弘・中村秀次・吉村勝文著、原爆ドームと楮山ヒロ子の会、20191215)

 

 

 

佐々木優秋

佐々木優秋

ささき・ゆうしゅう 19451011生20051103没 享年60歳 音戸高校勤務期の先輩。1985年8月4日~11日、被爆40周年核兵器全面禁止・被爆者国際遊説団(日本原水協)の一員としてニュージーランドへ渡航。

資料年表:佐々木優秋

年月日
1945
1011 誕生。
作業中
1971
0523 佐々木優秋・**富貴子結婚祝賀会。媒酌人:久留島恵一夫妻。会場:呉造船保健会場。
1985
08 宇吹宛残暑見舞い
ニュージーランド訪問(8月4日~11日)
2005
1103 没。享年60歳。

 

 

佐々木優秋b
リンク:核兵器廃絶を訴える被爆者国際遊説(1985)
佐々木優秋c
左端が佐々木氏
出典:『核兵器廃絶を訴える被爆者国際遊説の記録』

原爆乙女の会

原爆乙女の会

代表者
谷本清
設立年月日
1950年3月
目的及び事業
当初、原爆障害者が聖書を研究することにより、精神的に立ち上がることを目的として、「原爆障害者更生会」として発足した。会員は原爆乙女の外、男子障害者や高年齢の女子障害者も加わっていた。
 <中略>
組織内容
会員数約80名
その他の参考事項
この会は、上記のような経過から、現在では男子会員及び女子高齢者会員は徐々に少数となり、現在の原爆乙女の会となった。
『原水爆関係団体名簿』(広島市衛生局原爆被害対策課、19670201)

 

 

 

 

 

原爆傷害者更生会 設立:1951年8月27日

書名コード 書名 編著者 発行所
49081501 平和のともしび-原爆第一號患者の手記 吉川清・富田勝己(補註) 京都印書館
50072501 ヒロシマの十字架を抱いて 谷本清 大日本雄弁会講談社
76072002 広島原爆とアメリカ人-ある牧師の平和行脚 谷本清 日本放送出版協会
81072401 「原爆一号」といわれて 吉川清 筑摩書房

原爆第1号吉川清の試み

【資料】原爆第1号吉川清の試み

『中国新聞』 1951.4.3
原爆第1号きのう退院
昭和21年1月広島赤十字病院に入院、療養をつづけていた原爆1号吉川清氏は前後16回におよぶ手術で健康を全く回復し2日午後退院、5年2ヵ月の病院生活に別れをつげた。
(吉川清氏談)私は原爆による限りない苦悩を過去の長い病床生活において切実に味わってきた。同じような原爆による傷害者とかたく手をたずさえ、更生の道をどこまでも突き進みたい。このような意味からこのたび広島原爆傷害者救済援護会を設立した。

『中国新聞(夕刊)』 1951.6.4
インドから援助第1号!
めぐり来る原爆7周忌を前に原爆第1号患者として有名な吉川清氏(38)を中心に同病傷害者のうち127名の有志が内外の浄財によって人造パール製造の共同作業所と原爆患者診療所を設置し、相互に雄々しく立ち上がらんとする朗話がある。
原爆傷者立上がる 作業・診療所“われらの手で”
発起人に選ばれた吉川氏は6年にわたる入院生活からさる4月2日退院、爆心地産業奨励館ドーム前に夫人生美さん(30)とともに外人相手にみやげ物店を開業、細々ながら再起の日々を送っていたが、たまたま同地の整地作業に訪れる原爆ケロイド患者の日雇人夫の人々と病状を語り合うと共に、身体障害でどん底の困窮生活にあえぐ人々の多きを知り“なんとか相携えて働ける仕事 もちたい”と話し合った結果、予算70万円で次の事業計画をたて、かつて日赤入院時代同氏を見舞った内外人にこの基金募集を呼びかけ、すでにインドのシャルマン氏(昨年12月来広)がニューデリーにおいて松本滝蔵代議士と会見、50万円寄付の伝言があり、6月からは地元名士の援助署名運動に着手している
▽共同作業場=主として海外輸出用の人造パール(真珠)の製作ならびに販売
▽原爆患者の診療所の設置=原爆患者に対し実費治療ならびに一般困窮者の無料診察および相談(担当医は日赤副委員長服部達太郎氏が無料奉仕で当たる)
(吉川氏談)なんとかこの同病患者が結束して暗い気持を忘れ仕事にぼっとうして立上がれば幸いと思っています。予算面もインドから50万円近く送金するという手紙もあり、残りは私がリュックサックを背負って全国資金行脚してでも完成さす決心です。

火幻

火幻短歌会機関誌『火幻』()

<所蔵>P=ピカ研、N=西岡、U=宇吹、G=原爆資料館
年月日 通巻 備考 所蔵
1
2
3
19590723 4 特集「八月六日」 P
5
6
7
8
9
10
19610415 11 G
12
13
19611221 14 G
15
16
17
18
19
20
19630920 21 G
22
23
24
25
19641221 26 G
19650325 27 春季号 NG
19650720 28 特集「戦後広島の文芸と短歌」 P
29 G
30
19660318 31 <保田白汀追悼号> PNG
19660801 32 特集「原水爆短歌この二十年」 PG
19661006 33 G
34
35
19670720 36 特集「広島とベトナム」 P
19671018 37 創刊10周年記念号 PNG
38
19680320 39 春号 N
19680723 40 特集「社会詠作品の検討」 P
19681010 41 秋号 PG
42
19690320 43 G
19690718 44 G
19691010 45 G
19691215 46 新春号 PG
19700315 47 春号 N
19700720 48 夏号 NUG
19701010 49 秋号 NG
19701215 50 新春号 N
19710310 51 春号 NUG
19710720 52 夏号「ヒロシマ・平和特集」 PNUG
19711020 53 秋号 NP
19711220 54 新春号 U
19720325 55 <同人三氏追悼号> PNU
19720715 56 夏号 NU
19721010 57 秋号<創刊十五周年記念特集号> PU
19721215 58 新春号 NU
19730315 59 春号<*原*夫・梅田昌一・国川浩夫氏追悼> NU
19730720 60 夏号―佐藤求歌集<空寂>批評― N
19731015 61 秋号 N
19731210 62 新年号 U
19730310 63 春号 NU
19730710 64 夏号 NU
19741010 65 秋号 U
19741210 66 新春号 NU
19750320 67 春号 NU
19750710 68 夏号 NUG
19751010 69 秋号 NU
19751215 70 新年号 NU
19760315 71 春号 U
19760710 72 夏号 NU
19761010 73 秋号 NU
19761210 74 新年号 NU
19770310 75 春号 NU
19770710 76 夏号「ひろしま33回忌特集」 NUG
19771010 77 秋号「第15回火幻賞発表」 NU
19771220 78 新年号 NU
19780310 79 春号 PU
19780710 80 夏号「核と戦争、広島特集」 PU
19781015 81 「火幻創刊20周年特集」 U
19781215 82 新年号「20周年大会記・歌集「心眼」批評」 NU
19790315 83 春号 NU
19790715 84 夏号「<核と広島>特集」 NUG
85 秋号―火幻賞・合宿研究会記― N
19791220 86 新年号 NU
19800320 87  春号 NUG
 19800720 88 夏号 NUG
 19800720 89  秋号―第18回火幻賞発表― NUG
 19801220 90  新年号  U
 19810315 91  春号―農村詠特集― NU
 19810715 92 夏号―ヒロシマ・反核特集― NUG
 19811015 93  秋号 NUG
19811220 94  新年号 NU
 19820325 95   春号 UG
 19820715 96  夏号「<広島反核110人の作品>特集」 NUG
19821101 97  秋号「<創刊25周年記念号>」 UG
19830105 98 新年号「火幻創刊25周年記念大会記」 NUG
19830325 99  春号「久保田千文追悼記」 UG
19830720 100  夏号「創刊100号記念特集」<反核の歌> NUG
19831015 101  秋号 NUG
19831215 102  新春号 NUG
19840320 103  春号「歌集批評号」 NUG
19840710 104  夏号「特集<今こそ核兵器の廃絶を!>」 NUG
19841015 105  秋号「作品鑑賞批評号」 NUG
19841220 106  新春号 NU
19850320 107  春号 NU
1985 0720 108  夏号「戦後40年、反核特集」 NUG
19851020 109  秋号「西行は宮島に止錫したか」 U
19851220 110  新年号 NUG
19860320 111  春号―歌集批評特集― UG
19860720 112  夏号―反核草の根特集― NUG
19861020 113 秋号―火幻賞発表― NUG
19861220 114  新年号 NUG
19870320 115  春号 NU
19870720 116  夏号―特集<反核作品と絶唱高橋武夫の歌>― NU
19871020 117  秋号―火幻創刊三十周年記念号― U
19871220 118  新年号―創刊30周年記念大会特集― NU
19880320 119  春号 NUG
19880720 120  夏号―反核、ヒロシマはこれでよいか― NU
19881020 121  秋号―火幻賞・合宿研究会― NUG
19881220 122  新春号  U
19890320 123  春号―特集<昭和逝く>―  U
19890718 124  夏号―ヒロシマ・反核特集―  U
19891020 125  秋号―火幻賞と歌集評― NU
19891220 126  新年号 NU
19900310 127  春号―戦争と歌人―  U
19900715 128  夏号―特集<平和、渡辺直己>― NU
19901020 129  秋号―火幻賞・新人賞発表―  U
19901220 130  新年号 NU
19910320 131  春号―豊田清史・西岡歌集特集― UG
19910718 132  夏号―平和・汚染はこれでよいか― NUG
19911020 133  秋号―第29回火幻賞、大立、木村歌集評― U
19911220 134  新年号 NU
19920320 135  春号―中元・東田歌集批評特集― U
19920720 136  夏号―平和・破壊はこれでよいか― NU
19921020 137  秋号―創刊35周年記念号― UG
19921220 138  新年号  U
19930320 139  春号 UG
19930720 140  夏号―特集<ヒロシマはこれでよいか>― U
19931020 141  秋号―<黒い雨と重松日記>特集 第32回火幻賞発表― UG
19931220 142  新年号 NU
19940320 143  春号―追、歌人でもあった森瀧市郎博士―  U
 19940720 144  夏号「特集<平和と渡辺直己全集>」  U
145
146
147
19950710 148 G
149
150
19960315 151 G
152
19961015 153 秋号 NG
154
155 G
156 G
19971020 157 G
158
19980315 159 春号「七万の無縁骨を平和祈念館に 第35回火幻賞発表」 NG
19980715 160 夏号「総括―井伏作品「黒い雨」に使われた被爆者の手記」、「特集―反戦歌人の第一人者、安藤正楽」 NG
19981010 161 秋号「中丸歌集「旅の衣は」・木原歌集「白き不要」批評」、「これでよいか、体制派歌人」 NG
162 新年号「特集―末広憲爾歌集「鶴」批評」 N
19990310 163 春号「特集=人間性の追求をヒロシマに、短歌に」 NG
19990710 164 夏号「特集=世の歪みをわれらかく生きる!」 NG
19991005 165 秋号 NG
19991210 166 新年号 NG
20000305 167 春号「国民文化祭三原市短歌大会を迎える」 NUG
167 G
20000710 168 夏号「見つめよう合同歌集「広島」」 NG
20001001 169 秋号「井伏作品「黒い雨」検証のまとめ」 NG
20001201 170 新年号「「火幻」45年を迎える」 NG
20010305 171 G
20010615 172 夏号「37年ぶりに公表された井伏の「重松日記」」 NG
173
20011210 174 新年号「全国月の西行祭10年・火幻45周年」 NG
175 春号 N
20020710 176 夏号「井伏著「黒い雨」盗作の結末特集」 NG
177 秋号 N
178
179 春号 N
20030625 180 夏号「特集―反核・非戦に生きる―」 NG
20031005 181 G
20031210 182 新年号「豊田清史歌集「幽魂」特集」 NG
20040310 183 春号「特集<憲法第9条が踏みにじられる>」 NG
20040705 184 夏号「特集<真に反核、非戦を生きた歌人>」 N
20041001 185 秋号 NG
20041210 186 新年号 N
20050310 187 春号「被爆60年、ヒロシマを生きる」 NG
20050710 188 夏号「被爆60年、原爆、劣化ウランを許さない」 NG
20051010 189 秋号「特集 全国反核秀歌二十首」 NG
20051210 190 新年号「特集・火幻創刊50年を迎える」、「松田弘江夫人追悼」 N
20060310 191 春号 NG
20060710 192 夏号「創刊50年記念号 ―人間性の追求―」 G
20061020 193 N
20070310 194 火幻創刊50周年記念大会 G
西岡喜美子「師の第一歌集「暁雲」を読みて」
20070701 195 <特集反核社会詠に挑む> NG
20071001 196 N
20080201 197 NG
20080620 198 N
20081020 199 N
20090220 200 創刊50年・第200号特集号 N
20090710 201 N
20091010 202 N
20100301 203 N
20100710 204 N
20101010 205 N
20110305 206 NG
20110705 207 N
20111030 208 編集記(豊田啓文)「今年の八月五日、父清史が突然意識を失い、救急病院に運ばれました。検査の結果、脳梗塞と診断され、意識が回復しないまま病床に寝たきりで今日に至っております。」 N
同年11月24日没。

 

 

 

ひろしま(瀬戸内海文庫刊)

『ひろしま THE HIROSHIMA 6月号』第1巻第1号(編集人:峠三吉、発行所:瀬戸内海文庫)

目次

中川善之助
阿部静枝
小川二郎
大山郁夫は語る―理想と愛
永守亀之助
米重忠一
宇根元警 表紙絵にそえて-旧産業奨励館
永瀬清子
枡井迪夫 ジョン・ハースィの「広島」
谷本清 原爆と米人の愛
アルバム・アトムヒロシマ
矢口たかし マンガ迷曲集
K 平和塔
阿川弘之
ギー・ド・モーパッサン
川上一衛
T 編輯後記
H 編輯後記
詩と歌の欄創設<詩:広島詩人協会選、短歌:岡本明選>

中川秋一遺稿集

中川秋一遺稿集・付追悼文集(中川秋一先生遺稿・追悼文集刊行委員会編、刊、19811111)

目次

今堀誠二
I 随想
広島市民劇場創立二十周年に寄せて
II  戦後の広島
一九四九年平和擁護大会宣言文草案
声明書
意識と行動の一致について
実践の優位について-歴史は実践の優位を保証する-
ファッショとたたかえ-T君への便り-
ユネスコと勤労階級
地方自治はどうなったか
青少年文化の現状
民科広島支部の活勤
中国文学の新人たち-趙樹理のことなど-
広島における戦後啓蒙期初期の演劇運動
対談 戦後第一回メーデー
民科広島支部のころ
改造社版 M・E全集
増岡敏和氏宛書簡「控」
初期の峠君
峠三吉について
峠三吉没二七周年平和のための朗読と講演のつどい-あいさつ-
III 平和を求めて
「平和を求めて」休載について
「平和を求めて」草稿
原水爆報道三十年の軌跡
水爆の発明と平和運動
人間性を破壊するもの-有事立法の一側面-
新聞記者にのぞむもの
マスコミを国民のものにする県民集会
IV  高い山・河上肇
「求道の旅人」河上肇
高い山・河上肇
美しい夫婦の一典型-河上肇夫妻の場合-
三木清小論
中井の学問について
V 回想
屐履私記-心猿*記
続心*記
西田哲学との邂
「柳老記」について
「柳老記」に寄せて
「柳老記」断片
遺蹤点々-亡き友におくる-
噫呼 高橋茂雄君
八景園
微笑の激励
弔辞 -同志古末憲一君をおくる
田谷春夫君の印象 -一九三○年代のあのころ-
泥をかぶるの記
中川先生をしのんで
中川秋一先生をしのんで  荒本昱夫
師・中川秋一さん-甲立疎開のころの出会い- 石田成雄
中川 生を悼む 今中保子
本当に、楽しかった 奥田胤暢
東京での中川さんを想う 数本英次郎
追悼の句 数本タキヱ
中川秋一先生の教え 河原崎国太郎
πをかける 切明悟
中川先生と文団連 小森敏廣
一冊の本 里信敏行
広島の文化が必要とした人 四国五郎
中川秋一さんと私 下村仁一
中川先生のこと 水藤晋
青春まっただ中 杉田俊也
中川さんの笑顔 立川すゑ
秋一さんを偲ぶ 建林正喜
広島演サ協と中川先生 土屋清
中川秋一さんとの出会い 土肥秀一
朋友を失った寂しさ 中村吉郎
十四子会と中川さん 福永明
中川さんのこと 深川宗俊
人間解放の学 藤原茂
中川先生と広島県労働文化協会 藤原浩修
中川先生から学んだこと 塀ひろじ
光芒を放つ支柱―中川秋一氏のおもいで- 増岡敏和
遊子見ゆ 町川範彦
中川さんを失って 渡辺悦次
新聞記事
官憲の弾圧に抗し、土にうめたり天井裏にかくしたり
哲学者 中川秋一さん
葬送の記 水原肇
中川秋一遣稿集について 森祐二
解題
中川秋一先生略年譜
あとがき

 

今中次麿―生涯と回想

『今中次麿―生涯と回想』(今中次麿先生追悼記念事業会編、法律文化社、19820415)

目次

まえがき
私の政治学の歩み 今中次麿
時々事々 今中次麿
 Ⅴ
 Ⅵ
 Ⅶ
 今中先生と平和運動―広島大学人会を中心として  佐久間澄
回想の五十年 今堀誠二
今中先生を偲んで 後藤陽一
 今中先生を偲ぶ  佐藤正夫
留守番としての交わり 山代巴
今中先生の笑顔 狭田喜義
 今中先生と私 山口利男
今中先生を偲んで 石田明
マルキシズムを超えることだ 中村吉男
 「畏敬」の対象としての先生  山田浩
今中先生のこと―思い出すままに 大西典茂
今中門下の末っ子として 北西允
広島大学時代の先生 池田重久
今中先生の思い出―「今中大学日記」寄託のことなど 頼和子
 Ⅷ
 学者として、人間として―父を語る  今中比呂志
今中次麿年譜
遺稿目録
あとがき   <大西典茂・北西允・中村義知・山田浩 >