「01 月忌」カテゴリーアーカイブ

核権力ーヒロシマの告発

『核権力ーヒロシマの告発』(金井利博、三省堂、19700615 )

目次

章節
核権力下の日本
1 広島はなぜ“ヒロシマ”か
広島と沖縄
広島の顔
核権力からの脱出
2 「核権力」下の日本
日本をとりまく「核」
エンタープライズ入港時の国内反応
「核戦力」と「核権力」
3 日本の「核権力」
核軍縮と日本政府
ソ連の単独核実験停止
キューバ事件の意味
部分核停と不拡散条約
日本の「核権力」
アメリカの日本への期待
アメリカ軍の伝統思想
4 「核」軍事論の誤算
抑止論の弱点
偶発戦争のトリック
「抱き締め」戦法と「突き放し」戦法
5 核廃棄の政治学-「人質」論をめぐって
戦略から政略へ
「人質」は一枚岩か
人質の「まだら」化
人質を犠牲にすること
「核権力」を無意味化する道
「人質」と「核は張り子の虎」
全人類が「人質」
6
核権力と軍事
1 「軍都」広島の体験
人民と「軍都」
「軍都」広島
原爆投下と「一枚岩」態勢
日本に非戦闘員なし
原爆投下までの核権力構造
「軍事」をこえる三つの問題
2 「無差別爆撃」の歴史
日本軍の無差別爆撃
イギリス・アメリカが始めた無差別爆撃
変質低下の技術
「火攻め」の新戦略から原爆へ
原爆投下前後の日本
3 「戦時」と「平時」の境界なき攻撃
外国との戦争と民衆の被害の歴史
「平時」に及ぶ緩慢殺人
「人災」と「天災」
ビキニ実験とその被害
過剰殺人と緩慢殺人
4 「未知」効果に無責任な攻撃
原爆投下作戦の実態
実験室となった広島・長崎
後回しの人体効果
日本医学者の努力
アメリカの資料略奪
「未知兵器」への無責任
核権力と自由
1 「あいまいさ」の恐怖
原爆投下の戦略上、政略上の「あいまいさ」
ベトナム戦争の中の「あいまいさ」
2 人種差別は「敵意」を増幅するか
人種差別と戦争
日本の中の差別体系
民族自決と人権の確立
3 被爆者ヘの差別
生活上の差別
補償上の差別
意識上の差別
4 官尊民卑の戦災補償
軍人優先の思想
切り捨てられる非戦闘員
救貧措置としての被爆者対策
原爆体験抜きの原子力産業
反核権力論
1 原水禁運動の断層
意識のずれの問題
基本的な問題
2 核権力の「君臨」
核権力の神格化
「制服」と「私服」の原爆体験
3 原爆被害の実態調査
「人的被害」の追跡
今もって未整理の被爆人口
4 広島の「怨念」と「自由」
広島の「怨念」と権力者
差別の垣
被爆地図復元運動-原爆体験を社会体験に
貴重な原爆映画
拡大する資料収集運動
核権力“神話”の破壊
〈資料〉原水爆被害白書を国連へ提出の件
1.原爆は「威力」としてだけ知られた
2.原水爆は人間的悲惨の極としてはいまだ知られていない
(1964年8月5日・中国新聞社論説委員・金井利博記)
あとがき(抄)
この本は安田武氏、また中国新聞社の平岡敬、大牟田稔両氏の三年前の強い勧めによって生まれた。間接には原爆犠牲者と亡母金井時子の無言の励ましを感じながら書き続けた。

咲け山ユリの心 山村児童と広島原爆病院の交流

『咲け山ユリの心 山村児童と広島原爆病院の交流』(神田三亀男著 日本経済評論社、19880625 )

内容

備考
装幀=佐藤忠
写真 平和を祈る弥かゆりの像
001 芸北の山地
005 青少年赤十字団活動
009 山ユリを見舞いに
014 日赤病院長からの礼状
020 山ユリをバケツで運ぶ
023 患者さんからの手紙
026 原爆病院へ
033 慰問文集の発行
037 山ユリと文集を持って
052 患者と児童を結ぶ
062 山ユリ慰問の記録
074 山ユリ慰問を終えて
086 「ささゆり研究試験地」
093 児童会の活動
097 文集「やまゆり」抄
194 山村児童の生活史『やまゆり』
200 山ユリ慰問三十五周年
208 記念事業で 山ゆりの像
212 除幕式で 平和宣言
216 平和を訴えた中学生
 222 佐々木巨美さんを動かしたもの
233 ある被爆者
237 上殿小学校の学校経営
253 地域ぐるみの愛の使節
261 あとがき

神田三亀男

神田三亀男

かんだ・みきお ****生20171026没 享年95 民俗学者、歌人。『広島県現代文学事典』。

著書

書名 発行所 発行年月日
原爆に夫を奪われて 広島の農婦たちの証言 岩波書店(新書) 19820222
咲け!山ユリの心-山村児童と広島原爆病院の交流 日本経済評論社 19880625
証言・戦争と農村-戦争・原爆・農婦たち 日本農業新聞中国・四国支所 19830801

 

 

山崎与三郎

山崎与三郎

やまさき・よさぶろう 19760704没 享年86

資料

体験記 『吾家の原爆体験記 死線を越えて』(山崎与三郎、19730715)

目次
1 はしがき
2 山崎基定(長男) あの日の思い出
3 山崎キミ( 妻) 家の下敷から救われた命
4 八木道子(長女) 灰燼の中に幼児を抱きて
5  山崎与三郎(父) 死線を越えて
6 あとがき

編著書

原爆関係文献目録 広島・長崎を中心とする 山崎与三郎編、千田書房 19540723 U
原爆被災資料総目録 第二集 原爆被災資料広島研究会 19700806 U
創立百周年記念誌 広島市立本川小学校 19730110
平和の聖都ひろしま 広島巡礼案内 山崎与三郎著 高橋謄写堂 19750720 U
吾家の原爆体験記 死線を越えて

大原三八雄

大原三八雄

19920706没 おおはら・みやお 享年87 「広島詩集 1965」(広島県詩人協会)、「世界原爆詩集」(角川文庫)を編集。広島女子大学・広島工業大学名誉教授。『広島県現代文学事典』

市岡正憲

市岡正憲

19190609生19930622没 いちおか・まさのり 享年74歳 広島県被団協理事長・県原水協理事長。

資料

19710622 『教研速報No.2』 広教組広島地区支部教文部 所蔵:ピカ研
学級づくり・集団づくりの学習会-6月26日(土)午後2時より 社会福祉センター(予定) 講師 市岡正憲(三原附属教頭・三原市生研)先生
19890605 歌集・炎1-反核非戦の闘いのために 火幻短歌会

 

 

フロイド・シュモー

フロイド・シュモー

18950921生
20010420没
享年
105歳
1983年)11月15日広島市特別名誉市民
「ヒロシマの家」(シュモーハウス)の建設・寄附を通じて平和運動に尽力。

資料

 

ドキュメント悲しみの千羽鶴

ドキュメント・悲しみの千羽鶴(豊田清史、創樹社、1991/07/10)目次

1 鶴を折りつつなぜ死んだ
2 二歳で被爆、でも元気に育った
3 六年生の冬、原爆症が出た
4 生きたくて千羽鶴を折る
5 ほんとうは千三百羽をこえていた
6 禎子よ、もう一度この胸に
7 「原爆の子の像」建立へ
8 子どもの力で平和をきずくのだ
9 パン代五五〇円使っただけ
10 はばたく千羽鶴
11 苦しみに絶った若い命
12 千羽鶴のこころね
13 次つぎと寄せられた千羽鶴
14 反核への折り鶴運動
15 禎子の折った赤い鶴
16 海を越える折り鶴の輪
17 折り鶴への放火事件
18 像の二〇万羽を引きちぎる
19 首相の句碑には折り鶴がない
20 「折り鶴の会」の嘆き
21 折り鶴でとっちめられた私
22 千羽鶴の詩歌や出版書
23 ピカドン竹藪の千羽鶴
24 「金色の鶴」の紛失
25 湯川博士より「千羽鶴」の書
26 お母さんの千羽鶴
27 七六万羽折った北川さん
28 町をあげて千羽鶴運動
29 さまざまな問題をもつ平和公園
30 鶴に生きる禎子の霊よ
31 千羽鶴が絶えませぬように
あとに