「01 月忌」カテゴリーアーカイブ

フロイド・シュモー

フロイド・シュモー

18950921生
20010420没
享年
105歳
1983年)11月15日広島市特別名誉市民
「ヒロシマの家」(シュモーハウス)の建設・寄附を通じて平和運動に尽力。

資料

 

ドキュメント悲しみの千羽鶴

ドキュメント・悲しみの千羽鶴(豊田清史、創樹社、1991/07/10)目次

1 鶴を折りつつなぜ死んだ
2 二歳で被爆、でも元気に育った
3 六年生の冬、原爆症が出た
4 生きたくて千羽鶴を折る
5 ほんとうは千三百羽をこえていた
6 禎子よ、もう一度この胸に
7 「原爆の子の像」建立へ
8 子どもの力で平和をきずくのだ
9 パン代五五〇円使っただけ
10 はばたく千羽鶴
11 苦しみに絶った若い命
12 千羽鶴のこころね
13 次つぎと寄せられた千羽鶴
14 反核への折り鶴運動
15 禎子の折った赤い鶴
16 海を越える折り鶴の輪
17 折り鶴への放火事件
18 像の二〇万羽を引きちぎる
19 首相の句碑には折り鶴がない
20 「折り鶴の会」の嘆き
21 折り鶴でとっちめられた私
22 千羽鶴の詩歌や出版書
23 ピカドン竹藪の千羽鶴
24 「金色の鶴」の紛失
25 湯川博士より「千羽鶴」の書
26 お母さんの千羽鶴
27 七六万羽折った北川さん
28 町をあげて千羽鶴運動
29 さまざまな問題をもつ平和公園
30 鶴に生きる禎子の霊よ
31 千羽鶴が絶えませぬように
あとに

 

 

石井金一郎先生追悼号(歴史と教育)

『『歴史と教育(広島歴教協)』NO. 14
石井金一郎先生追悼号目次

著者 タイトル
 今堀誠二  石井教授の学問
 石井和郎  ぼくの父
 天野卓郎  石井金一郎先生を偲んで
 篠原孝義  組織者石井金一郎先生
 有田譲  石井先生と部落問題
 松岡金光  石井先生を偲んで
 村上尚三郎  石井先生の死を悼む
 故石井金一郎氏遺族をはげます募金のお願い
 資料  石井教授の死 平和運動に打撃 原爆医療法成立に功労(『中国新聞』19670622)
遺徳をしのび500人 石井教授の教養部葬 霊前にひっそり学位記(『中国新聞』19670623)
天野 編集後記

菊池武彦

菊池武彦

きくち・たけひこ 生19850504没 享年91歳 京都大学原爆災害調査班の一員として1945年8月に広島を調査。『京都大学原子爆弾災害総合研究調査班の成立と活動』、『大野陸軍病院における京大原爆総合研究調査班の山津波による遭難の状況(私の日記から)』。お宅を訪問。被爆直後の写真について教示をいただく。

下中記念財団

下中弥三郎  1878 年生、1961年2月21日死亡。享年84歳。

下中記念財団 1962年6月設立。理事に赤井米吉(初代の理事長)。茅誠司、谷川徹三、中島健蔵、湯川秀樹など。

出典:https://www.shimonaka.or.jp/

 

父は沖縄で死んだ

『父は沖縄で死んだ』(大田英雄、高文研、19890613 )

目次

 見出し  備考
沖縄県民かく戦えり
 ◇還ってきた父のシャレコウベ◇沖縄”捨て石”作戦◇武器は「竹槍」だった◇海軍部隊の最期◇二つの電文◇壕の中の遺骨◇命沖縄の土になった「父」
家族の見た父の肖像
 ◇命父と母の出会い◇軍人とその妻◇「武人」の横顔◇子供たちの目に映った父◇六番目で最初の男の子◇かいま見た太平洋戦争の実態◇佐世保に移る◇坂に消えた白い手袋
遺族たちの「戦後」
  ◇初めての呉空襲◇学童疎開先で知った父の死◇八月十五日の夕焼け◇墨を塗らされた教科書◇食うためのたたかい◇離散したきょうだい◇新制中学の授業◇高校時代の記憶◇一度は考えた防大受験◇「沖縄」を避けていた大学時代◇教会活動・洗礼・就職
教師として生きる
島の分校の新米教師 倉橋分校?
***倉橋分校?。昼間定時制
 生徒に教えられたヒロシマ
***体育祭の仮装行列で原爆被災者を演じる。
「瀬戸の花嫁」
末弟も防衛大へ
職員会議で罵倒された私
***1963年4月広島県立賀茂高等学校へ赴任。「日の丸」問題。滝尾英二先生のアシスタントとして社会科研究クラブの研修旅行「大和路の旅」へ生徒を引率。
古墳にとりつかれて
呉市に戻る
***1967年4月広島県立呉宮原高等学校へ赴任。
モーニング論争
同和教育運動のなかで
防衛大へ行った教え子
***呉でも大学セクトの指導でアジト。宮原高校も一つの拠点。「反戦高校生」は「呉黄幡弾薬庫や江田島秋月弾薬庫」などを取り上げる。
自衛隊員の子女に自衛隊をどう教えるか
***1983年に盛岡で開かれた「第32次全国教育研究集会」の「人権と平和」教育分科会にレポーターとして参加。助言者に森田俊男先生。
平和教育にとりつかれて
 映画「沖縄」の上映運動
 カヤさん、マキさんとの出会い
***1972年カヤ(萱原威=被爆者。広高校の数学の教師)先生が中心となり県下に先がけ高教組呉地区支部内に平和教育推進部を結成。マキ(牧岡宏明。広高校の数学の教師)。972年カヤ、マキらで全国高校生活指導研究協議会呉支部(略称:呉高生研)結成。
 呉空襲を記録する会
***1974年歴史教育者協議会呉支部を中心に 呉空襲を記録する会を結成。1975年『呉空襲記』(中国新聞社、吉川記者)刊。
平和教育読本をつくる
***呉地区の平和教育推進部の提案で高教組本部に編集委員会設置。『明日に生きる』
平和教育推進部
***1977年カヤさんが広島商業高校に転勤。
呉地区高校生「平和の集い」
***1973年、平和教育推進部で貸し切りバスを仕立て第19回原水爆禁止世界大会の文化集会に生徒ともども参加。上条恒彦の声に圧倒される。翌年、生徒の要望で世界大会そのものに参加。1975年2月、第1回呉地区高校生「平和の集い」(呉地区高校生徒会連絡会主催、平和教育推進部・呉高生研援助、原水爆禁止呉協議会・歴史教育者協議会呉支部後援)。
「高校生平和ゼミナール」の出発
***1977年(松崎徹、沢野重男ら)「広島平和ゼミナール」結成。
8・6高校生平和集会への道=
1975年第19回原水爆禁止世界大会高校生分科会終了後、松崎から大田に相談。
第20回原水爆禁止世界大会高校生分科会終了後、指導者会議に提起。
第21回原水爆禁止世界大会高校生分科会で学園に根差した高校生の活動報告。
大阪清水谷高校の文化祭での平和問題への取り組み。
以後、3年のうち2回は広島県高校生平和ゼミナールが、1回は長崎高校生平和ゼミナールが、地元実行委員会として世話役。
 平和は創りだすもの
***呉地区高校生「平和の集い」=2月と6月の2回。第3回、第5回、第6回の内容
すばらしい生徒たち
***第7回、第13回、
「原爆瓦」に負けるな
***戦跡フィールドワーク。1982年2月第15回「平和の集い」。
一年六組の旗
***1982年4月、ホームルームを担当。6月の第16回「平和の集い」
盛岡の誓い
***「第32次全国教育研究集会」(1983年)。広島(沢野重男・大亀信行)・長崎・埼玉(小岩井増夫)・呉で「8・6全国高校生集会」。森田塾。
VI 沖縄で見た「父」
 父の「電文」との出会い
 歴教協・呉支部をつくる
 海軍壕で見た「父」
 基地オキナワの現実
安仁屋政昭氏との再会
「兄は反戦教師、弟は自衛官」
二度目の訪沖
平良知事の涙
三度目の訪沖
VII  沖縄戦“追体験”の旅
 「観光コースでない沖縄」
 本島中部の戦跡と基地
糸数壕にて
摩文仁の丘にて
平和祈念資料館にて
 「ひめゆり」の衝撃
 父の「電文」の背後にあったもの
 旅の終わり
VIII 呉にも「沖縄」があった
 軍港都市・呉の誕生
海軍・戦争とともに歩んだ呉
呉空襲の被害が大きかった理由
呉の「摩文仁ヶ丘」と「健児の塔」
 呉にもあった「ひめゆりの塔」
 戦艦「大和」の碑
 壕の中の地獄
 帝国海軍の終焉「呉沖海空戦」
「軍都」呉は、いま
 あとがき

建築家橋本秀夫遺稿集

橋本秀夫の仕事ぶり 建築家橋本秀夫遺稿集
= The works of Hideo Hashimoto
橋本秀夫遺稿集編集委員会編・刊 20090701

目次

まえがき
秀夫と連れそって 橋本ノブエ
橋本秀夫氏の資料について 菊楽忍
第1部 論文集
広島城
廻り番付と広島城
広島城城割に就て
「度量之絵図」に学ぶいろは四十八櫓
広島城再建「基礎と瓦」
広島城と石垣
広島城と石垣(郡山)
石塁工事普請符牒(石垣文様)について
広島城遺構三之丸校倉(多家神社宝蔵)
多家神社宝蔵と廻り番付について
広島城の生活用水と樋門
広島城修築と天災考
レンガ建築
広島の近代文化遺産 煉化石あらかると
ヒロシマの被爆建造物は語る レンガあらかると
広島の明治建築 広島の近代文化遺産 旧広島陸軍兵器支廠の研究
古いアルバムに拾った平和の尊さ 広島陸軍兵器支廠火薬庫大爆発に想う
明治1号館有難う 旧陸軍兵器支廠1号館の解体によせて
広島の明治建築 旧陸軍糧秣支廠の研究
広島市郷土資料館見学記
旧広島陸軍糧秣支廠
上等赤煉化石造「広島市郷土資料館」の周辺
宇品陸軍糧秣支廠倉庫(宇品日通倉庫)
蘇る旧広島陸軍被服支廠 保存と文化
広島の明治建築 夢を贈る中世のお城
亀山発電所
広島電気軌道(株)
広島県物産陳列館
臨時広島軍用水道(牛田水源地)
郷土史と文化財
六号潜水艇と人間佐久間
旧広島水上警察署
旧広島地方気象台
蘇った日本外史
拓本が語る厳島神社五重塔
広島の近代文化遺産 後楽のこころ
広島の秘境 湯之山明神旧湯治場
悟をひらいた苔
もう一つの八岐の大蛇
鑪と吉水園
広島 加計町のバロック『吉水亭』
呉市に咲いた花「蔵本通り」
新日山安國寺 不動院梵鐘楼に就て
不動院鐘楼実測に依る時代的班別について
第2部 砲台巡り
著者御紹介 広島大学名誉教授 日本民俗建築学会会長 佐藤重夫
まえがき
広島湾要塞の築城
第1章 室浜砲台
第2章 鷹の巣砲台
第3章 大那沙美砲台
第4章 岸根砲台
第5章 鶴原砲台
第6章 三高山砲台
第7章 大君砲台
第8章 早瀬堡塁砲台(早瀬第1~第2砲台)
第9章 休石砲台
第10章 高鳥砲台
第11章 大久野島堡塁砲台
第12章 忠海芸備砲兵大隊
第13章 大空山砲台
第14章 小島砲台
砲台建築仕法通則
沿革年表
コラム
特集 彫刻と建築 街の表札
黄金の汗に輝く 広島大会
広島 ネズミのくれた小判『海田の宿 千葉邸』
旧街道ウォッチング「命びろいの三角の家垂」
古釘のうた 日本のバロック建築
『世紀末のドイツ建築』小幡一著
学校は心のふるさと 学校特集 球児とカンカン帽子
心の叙勲
古釘のうた 小さな平和
古釘のうら 床下のベートーベン(鴬張り)
私の推薦する作品

・生まれかわった芸備線向原駅
・唯信寺本堂
・私立学校教職員共済組合広島会館(広島ガーデンパレス)
・広島富士見郵便局局舎

私の推薦する作品 ・筆の里工房
・株式会社日食広島支店
・三良坂リバティーホール
・広島市安芸区スポーツセンター
旧街道ウォッチング「最敬礼!!」
番付と人生観
街路地と陽光
心の故郷 懐かしい学窓
長官山に咲いた金唐紙
お庭を喰った美術館
あとがき
橋本さんへの手紙 松林俊 一

楠忠之オーラル・ヒストリー 目次

『楠忠之オーラル・ヒストリー 広島大学文書館オーラル・ヒストリー事業研究成果報告書』(楠忠之著、石田雅春、布川弘編 、20171031)目次

はじめに(広島大学75年編さん室 石田雅春) 聞き取り日
第1回  生い立ち・幟町小学校の思い出
修道中学校時代の思い出
広島高等師範学校(臨教)への進学
海軍予備学生への志願…12
佐世保海兵団、旅順海軍特別根拠地隊への配属
20160204
第2回  予備学生・生徒の状況(前回の補足)
敗戦前後の状況
ソ連軍の進駐
シベリア抑留(1)
帰国、ヒロシマの惨状
日本国憲法との出会い
広陵高校への就職、広島文理科大学を受験
シベリア抑留(2)
広島文理科大学での勉強
20160310
第3回  広島文理科大学時代の思い出
学生運動について
卒業、宇品中学校への勤務
結婚について
映画「ひろしま」への協力
庚午中学校への転任
20160425
第4回  前回の補足(日鋼争議、広島反戦学生同盟、レッドパージ)
教職員組合の政党支持
学校施設・生徒指導の状況
受験指導の状況
PTAとの関係について
進路指導・家庭訪問について
一〇・ニーストライキ(昭和四一年)について(1)
原水爆禁止日本協議会、平和教育について
勤評闘争について
20160519
第5回  庚午中学校への中傷
生徒指導について
小学校教員と中学校教員の気質の違い
勤務評定について
翠町中学校への転任
20160701
第6回  学力テスト反対闘争について
高校入試制度の改革について
原水爆禁止運動の分裂について(1)
署名運動の力
原水爆禁止運動の分裂について(2)
20160802
第7回  所蔵の写真について
一〇・ニーストライキ(昭和四一年)について(2)
一〇・二六ストライキ(昭和四二年)について
平和教育(原爆副教材の作成)について
学校の運営方法(校長の権限)について
20160916
第8回  部落解放同盟広島県連合会と広島県教職員組合の関係について
(1)
大学紛争の影響について
部落解放同盟広島県連合会と広島県教職員組合の関係について
(2)
県議会議員選挙への出馬
県議会議員としての仕事(イノシシ対策、井口高校新設、不正経理問題、解放同盟問題など)
住民運動とのかかわり
20161130
第9回  自民党による解放同盟批判
総合選抜制への批判
八者合意について
原爆遺跡保存運動懇談会について
20161222
第10回  広島県原水爆禁止日本協議会について
原爆遺跡保存運動懇談会について
「中島地区ゆかりの人たちの集い」について
「建物疎開動員学徒の原爆被災の実相を記録する会」について
原爆ドームの景観を守る運動について
町内(庚午南)のマンション建設問題について
「原爆の子」を受け継ぐ会について
九条の会について
最近の取り組みについて(被爆建物、かき船問題)
広島教育研究所について
20170111