「日米関係の中のヒロシマ」カテゴリーアーカイブ

年表:スミソニアン協会とヒロシマ

Y M D NEWS1
87 08 03 米のスミソニアン国立航空宇宙博物館、原爆投下機「エノラ、ゲイ」号の原爆搭載部分を復元したと発表。
88 08 05? 広島に原爆を投下した米軍材「エノラ・ゲイ」、保存のためスミソニアン研究所で解体・修理中。
89 02 23? 米のスミソニアン天文台発行の機関紙、小惑星の1つに平和を願って「ヒロシマ」と命名されたことを報道。
90 01 29 米国スミソニアン博物館、ワシントン郊外に建設される同館別館に、原爆投下機「エノラ・ゲイ」を展示するとの計画を発表。
93 04 05 スミソニアン協会・国立航空宇宙博物館のマーティン・ハーウィット館長ら、広島市役所を訪れ、平岡市長に被爆関係資料の貸与を要請。
93 04 06 スミソニアン協会国立航空宇宙博物館長ら、被爆資料の借用について大牟田広島平和文化センタ-長らと協議。広島市、博物館の計画策定がまとまる秋に貸出について最終決定することを伝える。
93 05 31 スミソニアン協会・国立宇宙博物館の職員3人、被爆50周年の原爆投下をテーマとした展示会の資料収集打ち合わせのため広島市を訪問。広島市、資料を貸し出す方向で検討。
93 06 01 トーマス・クローチ米国スミソニアン協会・国立航空宇宙博物館航空学部長、広島市との協議を終え記者会見し、投下50周年の展示の概略について説明。
93 08 03 広島市、米国スミソニアン協会・国立航空宇宙博物館が送ってきた被爆50周年の「展示計画書」(7月17日届く)の和訳を公表。長崎市にも同様の書簡が届く。
93 08 04 ハーウィット・米スミソニアン博物館館長、広島市入り。6日、平和祈念式典に参列。
93 10 08 平岡広島市長、米国スミソニアン協会・国立航空宇宙博物館への被爆資料貸与問題について、今月中に結論を出すとの意向を表明。
93 11 24 長崎市原爆被災資料協議会、米国スミソニアン協会国立宇宙博物館への資料貸出に応じることで意見が一致。
93 11 30 広島・長崎両市、スミソニアン協会・国立航空博物館の被爆資料貸与要請を受け入れることを決定したと発表。
93 12 07 広島県被団協(森滝市郎理事長)、米スミソニアン協会・国立宇宙博物館への被爆資料貸出について、被爆地の意見や助言が的確に反映されるよう責任ある対処を求める要望書を広島市長に提出。
94 02 09? 長崎国際文化会館、日本映画社の記録フィルムを米国立公文書館から入手。(米国スミソニアン協会航空宇宙博物館が寄贈)
94 02 24 長崎市、米国のスミソニアン協会国立航空宇宙博物館から寄贈された「広島・長崎における原子爆弾の効果」の原板複写フィルムの試写会を開催。約3時間。
94 03 30? 米国の退役軍人ら、スミソニアン協会のエノラ・ゲイ機と被爆資料の同時展示に猛反発。
94 08 10 24人の米下院議員がスミソニアン宇宙航空博物館のエノラゲイ展示計画に、原爆被害を強調し過ぎているとの抗議の書簡を出していたことが判明。
94 08 17 ルイス米下院議員、スミソニアン博物館にエノラ・ゲイ展示計画の変更を求める声明を発表。
94 08 18 スミソニアン博物館が「エノラ・ゲイ」展示で米下院議員に意向を配慮するとの返答を出していたことが判明。
94 08 29 米スミソニアン航空宇宙博物館、退役軍人らの批判にこたえ、太平洋戦争のコーナーを追加設置すると発表。
94 09 08? ワシントン・ポストやウォールストリート・ジャーナルなど米紙がスミソニアン博物館の特別展「原爆投下と第二次世界大戦の集結」における被爆展示に批判を強めていることが判明。
94 09 12 本島長崎市長、市議会で、スミソニアン航空宇宙博物館の原爆企画展の展示計画をチェックするため10月に調査団を同館に派遣することを明らかにする。
94 09 19 ナンシー・カッセボム米上院議員、スミソニアン航空宇宙博物館が予定しているエノラ・ゲイ展示は、バランスを欠き侮辱的だとして計画変更を求める決議案を提出。
94 09 20 米国のカトリック系の平和団体パクス・クリスティUSAや環境保護団体グリーンピースの代表ら、スミソニアン航空宇宙博物館に被爆者関連の展示を増やすよう要請。
94 09 23 米上院本会議、エノラ・ゲイ機の展示を計画しているスミソニアン航空宇宙博物館に対して「米国人の思い出を非難することになるのを避けるべきだ」として展示内容の変更を求める決議を満場一致で可決。
94 09 26 広島県被団協・県原水協・県平和委員会、スミソニアン航空宇宙博物館で計画中の原爆投下に関する展示会に対し展示内容の修正を求める決議を採択した米上院に抗議などを求める要請書を平岡広島市長あてに提出。
94 09 27 スミソニアン航空宇宙博物館が計画しているエノラ・ゲイ展示問題で米下院に計画の修正を求める決議案が提出されていることが判明。
94 09 28 広島市、スミソニアン航空宇宙博物館から原爆投下展の最終スクリプトの送付が遅れるとのファックスが入る。
94 09 29 米紙ワシントン・ポスト、スミソニアン航空宇宙博物館が、全米退役軍人協会からのエノラ・ゲイ展示への抗議に対する譲歩として、被爆時計の展示中止など展示内容の変更を決めたと報道。
94 10 13? 長崎市、スミソニアン博物館から「原爆展問題に関する米上院決議は影響を受けない」、「計画に抗議していた米国在郷軍人会とは合意に達した」などと説明した文書を受け取る。
94 10 20 米スミソニアン航空宇宙博物館、エノラ・ゲイの展示をめぐる退役軍人らの批判を入れ、「感情に訴えるような(被爆状況の)写真や遺品」は展示から除き、太平洋戦争の経過に関する展示は増やすなどの修正計画の概要を公表。
94 10 20? 高橋昭博広島平和文化センター事業部長、米国立スミソニアン航空宇宙博物館が計画している原爆展に関連し、ポール・チベッツ元「エノラ・ゲイ」機長に、「ヒロシマの心」を伝える手紙を発送。
94 10 25 共産党広島市議会議員団、国家補償に基づく被爆者援護法の制定と米国スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展問題について、市議会決議に向けた各派代表者会議を召集するよう市議会議長に文書で申し入れ。
94 10 26 米スミソニアン航空宇宙博物館、来年5月から予定している広島原爆投下爆撃機エノラ・ゲイの詳細な展示計画書(約450頁)を公表。米退役軍人団体の批判を受け入れ、太平洋戦争全体の説明を大幅に増やした内容。
94 10 27 広島市、米スミソニアン航空宇宙博物館が原爆投下展の修正計画を発表したことに対し、展示計画書が届きしだい、被爆資料の貸与問題について被爆者らから意見を聞く場を設ける方針を固める。
94 10 28 「広島・長崎の証言の会」、米国立スミソニアン航空宇宙博物館と米上院に対し、原爆展示の内容の変更反対の緊急要請書を送付。
94 10 29? アメリカのキリスト教平和団体「パックス・クリスティUSA」など、米国立スミソニアン航空宇宙博物館が軍人団体側の要求に沿って計画中の原爆特別展の展示内容を見直したことに反発、独自の原爆展の開催を検討。
94 11 06 「長崎の証言の会」、長崎市で総会を開催。政府・連立与党がまとめた被爆者援護法案に反対する要望書を首相と各政党の代表に送ることと、米国立スミソニアンン航空宇宙博物館が被爆資料の展示予定を貫くよう要請文を送ることを決める。
94 11 17 バーンシュタイン、ウィットナーなどアメリカの歴史学者ら52人、スミソニアン米航空宇宙博物館に、エノラ・ゲイ展の退役軍人会の圧力による修正企画案を元に戻すよう申し入れる書簡を発表。
94 11 21? 広島・長崎両市に、米スミソニアン航空宇宙博物館の展示台本の修正版が届く。広島分3点、長崎分5点を削除。
94 11 23 米スミソニアン航空宇宙博物館、来年5月から展示する広島原爆投下機エノラ・ゲイの胴体を、メリーランド州の同館ガーバー施設から展示場所に搬入。
94 12 03? スミソニアン協会が、原爆展示問題の説明のためハーウィト館長が広島・長崎を訪問することをストップさせていることが判明。
94 12 07 天江喜七郎外務省報道・広報審議官、スミソニアン博物館の原爆展について、日米のわがかまりが問題に発展していく可能性があれば無関心ではいられない、と広島市内の記者会見で語る。
94 12 07 米ワシントンのアメリカン大学で、スミソニアン博物館が企画している原爆投下の特別展についてのパネル討論会が開催される。約250人が参加。
94 12 15 核戦争防止国際医師の会米国支部「社会的責任のための医師の会」など17の平和団体代表ら、スミソニアン航空宇宙博物館のエノラ・ゲイ展示について、被爆の惨状を復活するよう要請。
94 12 21 広島市、米国スミソニアン協会航空宇宙博物館の特別展について被爆者など11人から「意見を伺う会」を開催。9人が参加。
94 12 25 平岡広島市長、米国スミソニアン博物館への被爆資料の貸出に応じる考えを明らかにする。
94 12 25? 長崎の証言の会、米国立スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展問題で同博物館や退役軍人団体などに当初の展示計画を修正しないよう求めた緊急要請書に対する共感の返書4通を受け取る。
94 12 27 長崎市、米国立スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展問題で「市原爆被災資料協議会」を開く。被爆資料貸出に大半が前向き。
95 01 09 長崎県被爆者手帳友の会、拡大理事会を開催。5月に被爆50周年記念の慰霊祭の開催、2月から被爆地域是正要望地域住民の健康調査の実施、被爆資料の米国立スミソニアン航空宇宙博物館への貸出への反対などを決める。
95 01 10 平岡広島市長、スミソニアン航空宇宙博物館の原爆投下展をめぐり際だってきた日米の原爆観の溝を修復するため6月頃に訪米する意向を表明。
95 01 10 本島長崎市長、米スミソニアン原爆展への被爆資料貸出に前向きな見解を表明。
95 01 18 米復員軍人協会、スミソニアン航空宇宙博物館に対し、エノラ・ゲイ展示の中止を申し入れ。
95 01 19 米下院の共和党議員2人、スミソニアン航空宇宙博物館のエノラ・ゲイ展示問題で、ハーウィット博物館長の辞任を要求すると言明。
95 01 25 アメリカ下院議員81人、スミソニアン航空宇宙博物館が計画している原爆展の内容を不満としてハーウィット館長の辞任を求める連名の書簡を同協会に提出。
95 01 26 ギングリッチ米下院議長、スミソニアン協会の評議員に、エノラ・ゲイ展示計画批判派のサム・ジョンソン議員を指名すると発表。
95 01 26? 長崎市、2月上旬に原爆被災資料協議会を開き、スミソニアン航空宇宙博物館への被爆資料の貸出について決める方針を固める。
95 01 27 ギングリッチ米下院議長、スミソニアン航空宇宙博物館の広島原爆投下機エノラ・ゲイの展示計画について、スミソニアン協会から大幅に縮小するとの話があったことを明らかにする。
95 01 27 マカリー米大統領報道官、スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展についてクリントン大統領も関心を持っていると述べる。
95 01 30 アメリカの3大テレビネット、スミソニアン航空宇宙博物館のエノラ・ゲイ展示計画の大幅縮小についてニュースで大きく取り上げる。
95 01 30 マカリー米大統領報道官、クリントン大統領がスミソニアン協会の原爆展縮小を支持していると述べる。
95 01 30 米紙ニューヨーク・タイムズ、社説「歴史の乗っ取り」で、スミソニアン協会の原爆展示縮小を批判。
95 01 30 スミソニアン協会、評議員会を開催。エノラ・ゲイ展示の大幅縮小を決定。
95 01 31 米紙ウォールストリート・ジャーナル、社説で、スミソニアン協会の原爆展示縮小を批判。
95 01 31 米紙ニューヨーク・タイムズ、スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展変更を批判するバートン・バーンシュティーンの論文「書き換えられたヒロシマ」を掲載。
95 01 31 本島長崎市長、スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展示縮小に関連し、アメリカでの独自の原爆展開催の意向を表明。
95 01 31 村山首相、米国のスミソニアン航空宇宙博物館が企画中の原爆展で広島・長崎の遺品を展示しない方針を決めたことについて「日本の国民感情からみれば残念なことだ」と述べる。
95 01 31 平岡広島市長、ヘイマン・スミソニアン協会事務局長から原爆投下展大幅縮小を伝えるファックスを受け取る。
95 01 31 平岡広島市長・原田浩原爆資料館館長、ハーウィット・米スミソニアン航空宇宙博物館館長から原爆投下展の大幅縮小に遺憾の意を示すファックスを受け取る。
95 01 31 原田広島原爆資料館長、スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展示縮小に関連し、アメリカの新聞に意見広告の掲載などを検討したいと語る。
95 02 01 米紙クリスチャン・サイエンス・モニター、社説で、スミソニアン協会の原爆展示縮小を批判。
95 02 01 米紙ワシントン・ポスト、社説で、スミソニアン協会の原爆展示縮小を支持。
95 02 01 米紙ロサンゼルス・タイムズ、社説で、スミソニアン協会の原爆展示縮小を支持。
95 02 02 スミソニアン協会が原爆展示縮小問題で退役軍人協会・歴史学者・平和団体の代表などによるシンポジウムを計画していることが、広島市に入った連絡で判明。
95 02 03 長崎の証言の会、米国立スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展中止問題で、米国内での原爆展開催への意向を伝えるなどを伝える声明を同博物館や博物館の当初企画を支持したグループなど約30団体・個人に送ることを決める。
95 02 10 広島市、米スミソニアン航空宇宙博物館の原爆投下展について「意見を伺う会」を開催。市民組織と連携して「ヒロシマの心」を米国側に伝えていくことなどが提案される。
95 02 17 広島市、被爆の実態を米国民に知らせるため、原爆資料展をスミソニアン航空宇宙博物館の特別展に近い時期に米国の大学で独自に開き、平岡市長や被爆者を派遣する方針を決める。本島長崎市長、共同開催に前向きの意向を表明。
95 02 23 ヘイマン米スミソニアン協会事務局長、エノラ・ゲイの展示は当初予定の5月から6月に延期される可能性を示唆。科学者団体から「否定的な側面を強調しすぎる」と批判されていた科学関連展示コーナー「米国生活の中の科学」を変更する方針を明らか
95 03 10 米下院歳出委員会内務小委員会、スミソニアン協会の「エノラ・ゲイ」公開展示問題を取り上げる。ヘイマン同協会事務局長、展示では原爆投下正当論を採用することを明らかにする。
95 03 10 岡本三夫元日本平和学会会長、米タフツ大学で開催された米国平和研究学会第7回年次大会で講演。スミソニアン航空宇宙博物館の原爆投下正当論に反論。
95 03 17? 長崎の証言の会、トーマス・キルクリン米退役軍人協会会長から、国立スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展計画に反対したことに対する抗議文への返書を受け取る。
95 03 22 長崎平和推進協会、「平和文化市民講座」を市平和会館で開催。米コルゲート大学平和学のニジェール・ヤング教授が「スミソニアン博物館の原爆展中止をめぐって」と題して講演。
95 04 19 米スミソニアン協会とミシガン大学、同大学でシンポジウムを開催。トム・クラウチ同博物館航空部長、原爆展の意図は挫折したと語る。
95 04 23? 市民団体「ピースボート」、米国立スミソニアン航空宇宙博物館が退役軍人団体の圧力で中止にした原爆展を、今夏の世界一周航海を利用した「船上展示」で実現することを決める。
95 05 02 米スミソニアン航空宇宙博物館館長マーティン・ハーウィット、辞任。原爆展に対する退役軍人協会や議会筋の圧力を受け、責任を取る。
95 05 11 米上院議事運営委員会、スミソニアン航空宇宙博物館が企画した広島原爆展に関する公聴会を開催。広島に原爆を投下したエノラ・ゲイの元パイロットら退役軍人5人が原爆投下の正当性を主張。
95 05 18 米上院規則小委員会、スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展示問題で公聴会を開催。リンゾール・ウィスコンシン大学教授、中止を批判、クラウチ航空宇宙博物館部長、原爆投下についての米国の気持ちを理解できなかったと語る。
95 06 07 日本被団協、米国スミソニアン博物館の原爆展中止を受け、被爆語り部代表団5人をアメリカに派遣。長崎被災協から三輪博志が参加。7日、ワシントン到着、8日、原爆展示を開始。
95 06 11 NHKテレビ、NHKスペシャル「アメリカの中の原爆論争-スミソニアン展示の波紋」を放映。
95 06 11? 米スミソニアン航空宇宙博物館が企画した原爆展の大幅縮小の経緯を詳細に描いた著書『スミソニアンの審判』、7月中旬に出版の予定。著者は、ジャーナリストのフィリップ・ノビーレとスミソニアン博物館の館員4人。
95 06 15 小西悟日本被団協国際委員長ら5人、スミソニアン航空宇宙博物館を訪れ、玄関前の石段に原爆犠牲者の写真を並べ黙祷。
95 06 22? 米ワシントンのスミソニアン協会航空宇宙博物館のB29「エノラ・ゲイ機」の展示予定会場にペンキがまかれていたことが判明。
95 06 27 米国立スミソニアン航空宇宙博物館、B29爆撃機「エノラ・ゲイ」展を報道陣に公開。会場入り口に当初の「原爆展」の企画を誤りだったとするヘイマン・スミソニアン協会事務局長の釈明文を掲示。
95 06 27 反核・平和団体の代表ら、米ワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館前で「エノラ・ゲイ」展に対する抗議行動。
95 06 28 米スミソニアン協会航空宇宙博物館、原爆投下機エノラ・ゲイの展示を開始。
95 06 28 米スミソニアン協会航空宇宙博物館の「エノラ・ゲイ」展会場で抗議行動を行った反核活動家21人が逮捕される。
95 07 04? 米科学史家でスミソニアン航空宇宙博物館の原爆展示の専門家諮問委員を務めたゴールドバーグ、原爆開発に巨費を投じた責任追及を恐れて原爆を投下したとの説をまとめ発表。
95 07 10 森下弘・池田精子・原田浩、米アメリカン大学での被爆証言を終え、スミソニアン博物館で「エノラ・ゲイ」を見学。
95 07 14? アメリカの科学史家スタンリー・ゴールドバーグ(スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展示専門家諮問委員を辞任)、マンハッタン計画の幹部が原爆の殺傷効果を高めるため投下直前に超強力サイレンか異常な光を利用することを計画していたことを示す
95 07 25 長崎市が昨年2月に米スミソニアン航空宇宙博物館から寄贈された記録フィルム「広島・長崎における原子爆弾の効果」の日本語版の試写会、長崎市女性センターで開催。約15人の関係者が出席。8月5日に一般公開。
95 07 31 マーティン・シャーウィン米タフツ大学教授、米歴史家でつくる「ヒロシマに関する公開論議のための歴史家委員会」の名で、ヘイマン・スミソニアン協会事務局長宛に抗議の手紙を送ったことを、広島市で明らかにする。
95 08 01 アメリカの歴史学者約200人、スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展の縮小に対する抗議文をヘイマン・スミソニアン協会事務局長に提出。
95 08 06 テレビ新広島(フジテレビ系)、報道特別番組「揺らぐ太陽」をローカルで放映。スミソニアンの原爆展示の経過・背景を取り上げる。
95 09 08 シンポジウム「アジア・太平洋と戦争」をハワイ・ホノルル市で開催。米スミソニアン航空宇宙博物館・長崎市原爆資料センターなどの関係者が参加。
95 10 04? 中止となった米国立スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展の展示説明書の邦訳が出版される。
95 10 06? フィリップ・ノビーレ、バートン・バーンスタイン、中止となった米スミソニアン航空宇宙博物館の「エノラ・ゲイ展」の未公開展示台本を収録した「葬られた原爆展」の日本誤訳版が出版される。
96 01 31 「戦争と原爆展-幻のスミソニアン展、アジアから見た原爆」三次展、三次市教育会館で開催。県内の会場としては3番目。-6日。
96 06 13 米国スミソニアン航空宇宙博物館の新館長に元海軍中将のダナルド・エンゲンが就任。
96 06 28 米スミソニアン航空宇宙博物館の「エノラ・ゲイ」展示が開幕1年を迎える。
96 09 03 ドール米共和党大統領候補、ユタ州で開催された全米在郷軍人大会で、スミソニアン博物館のエノラ・ゲイ展に関連し、原爆投下決定を支持。
96 11 08 ハーウィット米国立スミソニアン航空宇宙博物館前館長、「原爆展拒否の真相」と題して東京大学教養部で講演。
96 12 10? マーチン・ハーウィット元米スミソニアン航空宇宙博物館館長、原爆展中止の経過を詳述した「拒絶された展示」を出版。
97 08 05 ハーウィット前米国スミソニアン航空宇宙博物館館長、広島市で開催された第4回世界平和連帯都市市長会議で講演。
97 08 05 スモーレン元アウシュビッツ館長とハーウィット元スミソニアン航空宇宙博物館長、広島市の原爆ドーム前で対面。
97 08 08? ハーウィット前米スミソニアン航空宇宙博物館館長の著書「拒絶された原爆展」の日本語版、出版。
97 08 27 広島平和文化センター、平和文化市民講座を開催。マーティン・ハーウィット前米スミソニアン航空宇宙博物館館長が「アメリカは広島・長崎への原爆投下をどう見ているのか」をテーマに講演。約300人が参加。
98 03 20 「科学技術と社会に関する国際会議組織委員会」、シンポジウムを広島国際会議場で開催。中山茂神奈川大学教授(広島の被爆者)の講演、グレッグ・ハーケン米スミソニアン博物館学芸員などによるシンポジウムなど。
98 05 18 米・スミソニアン航空宇宙博物館のエノラ・ゲイ機の特別展示、閉幕。2001年末、ダレス国際空港に完全修復した形で永久保存される予定。
98 07 26 石川県在住のアメリカ人劇団主宰者ウエスタハウト、スミソニアン航空宇宙博物館の依頼で原爆の子の像のモデル「サダコ」のミュージカルを作るため広島を訪れ取材。

 

年表:広島原爆投下機「エノラ・ゲイ」の戦後

年表:広島原爆投下機「エノラ・ゲイ」の戦後

Y M D NEWS1
45 08 06 米戦略爆撃機エノラ・ゲイ、ウラニウム爆弾(リトル・ボーイ)を広島に投下。世界初の原爆の実戦使用。
58 07 28 ロバ-ト・ルイス(広島原爆投下機「エノラ・ゲイ」の搭乗員)、日本での平和大会に出席するつもりはないと語る。
67 04 24 広島原爆投下機エノラ・ゲイ号の元乗員シャマード曹長(46)、自血病で死亡。米ミシガン州の退役軍人病院で。
70 08 04 毎日新聞の特派員、「エノラ・ゲイ」の元機長チベッツに電話でインタビュー。
70 08 05 「エノラ・ゲイ」のチベッツ元機長、英BBC放送のインタビューで「投下は必要だった」と語る。
70 08 06? 中国新聞特派員、「エノラ・ゲイ」の元爆撃手トーマス・W・フィアビーにインタビュー。
71 11 23 エノラ・ゲイの副操縦士ロバート・A・ルイス大尉の飛行日誌、ニューヨークの画廊で競売に付され、3万7000ドル(1332万円)で落札される。
75 08 05? 米週刊誌ピープル、広島原爆投下に出撃した「エノラ・ゲイ」のパイロットなど4人とのインタビュー記事を掲載。
75 08 09? チベッツ元「エノラ・ゲイ」機長、「計画完遂に誇り」、「罪の意識はない」とAP記者に語る。
76 10 11 米の航空ショー「エアショー76」(南部民間航空協会主催)、原爆投下を再現。テキサス州ハーリンゲンで。一万八千人の観衆の前でエノラ・ゲイ機のチベッツ元機長が模擬原爆を投下
77 10 08 広島に原爆投下したB29「エノラ・ゲイ」の機長だったP.ティベッツ退役将軍、米の航空ショーでB29操縦。
78 10 12 スパークマン米上院外交委員長、第25回在郷軍人賞を元「エノラ・ゲイ」機長ポール・チベッツに授与すると発表。
78 11 14 エノラ・ゲイの飛行日誌(ルイス副操縦士による鉛筆書き)、ニューヨークで競売に付され、8万5000ドル(約1600万円)で雑誌出版社が入手。
79 08 07? ワシントンの米国立航空宇宙博物館、エノラ・ゲイを復元して一般公開することを検討。
79 11 23 広島市の被爆者、広島へ原爆を投下したエノラ・ゲイ号の飛行日誌などを、P・ティベッツ米退役将校から入手。
79 11 28 広島市の被爆者が購入したエノラ・ゲイ号の飛行日誌など、広島に届く。
80 01 09 原爆投下ドキュメント「エノラ・ゲイ」の著者ゴードン・トーマス、来広。
80 03 20? 原爆を投下した「エノラ・ゲイ号」乗員らの証言を記録したテープ、広島市の被爆者のもとに届く。
80 06 18? 中国新聞のニューヨーク特派員、広島原爆の投下機「エノラ・ゲイ」の機長ポール・チベッツにインタビュー。
80 11 26? 広島原爆投下作戦の全容を描いたテレビ番組「エノラ・ゲイ」、米国で放送される。
81 02 25 エノラ・ゲイの元機長ポール・チベッツ、「原爆投下は悔いぬが、法王の訴えには敬意」と語る。
81 02 25 広島に原爆を投下した米空軍機「エノラ・ゲイ」機長ポール・チベッツ、原爆投下について後悔していないと言明。
81 06 16 広島に原爆を投下した爆撃機「エノラ・ゲイ」の機長P・チベッツより広島原爆資料館長へ書簡届く。
81 06 26? 元エノラ・ゲイの関係者ら、同機を保存するよう求める運動を計画。
81 06 29? 「エノラ・ゲイ」号機長P・チベッツより、広島原爆資料館長に手紙届く。米のテレビ映画「エノラ・ゲイ」について。
81 08 03 広島原爆資料館長、「エノラ・ゲイ」号保存を進めている元機長に手紙を送付。
82 07 33 米ワシントンの国立航空宇宙博物館、シルバーヒル別館に「エノラ・ゲイ」の胴体を展示し一般公開。
82 08 06 米のニュースショー番組で、広島への原爆投下機「エノラ・ゲイ」の機長ポール・チベッツと在米被爆者との対談を放送。
83 06 18 広島に原爆を投下した「エノラ・ゲイ」号の副操縦士ロバート・ルイス、死去。
83 08 06 米紙、原爆塔載機「エノラ・ゲイ」機長ポール・チベッツの談話掲載。「原爆は、戦争のむなしさを示した。」
83 08 12 広島に原爆を投下した爆撃機「エノラ・ゲイ」の副繰縦士だった故ロバート・ルイス、原爆投下について悩み、キノコ雲の彫刻を創作していたことが判明。
84 07 18 米国の臨床心理学者グレン・バン・ウィロビー、来日。同博士は、エノラ・ゲイの副操縦士の心理療法に従事。
84 07 22 「84平和のための戦争展」大阪市で開催、(同展実行委主催)(29日まで)広島に原爆を投下した爆撃機「エノラ・ゲイ」の副操縦士故ロバート・ルイスが制作した「キノコ雲」の彫刻展示。(8.2-8.10京都市で)。
87 08 03 米のスミソニアン国立航空宇宙博物館、原爆投下機「エノラ、ゲイ」号の原爆搭載部分を復元したと発表。
88 08 05? 広島に原爆を投下した米軍材「エノラ・ゲイ」、保存のためスミソニアン研究所で解体・修理中。
88 12 31? 広島に原爆を投下した米軍の爆撃機エノラ・ゲイ復元作業が進行中。新設の航空宇宙博物館別館に展示することを計画。
89 09 25 画家平山郁夫、米の原爆投下機「エノラ・ゲイ」号の水彩画2点を広島市に寄贈。
89 11 27 米の原爆投下機「エノラ・ゲイ」の乗組員ら(5人)、英の原爆をテーマにしたテレビ出演のため来広。原爆資料館など見学。
90 01 29 米国スミソニアン博物館、ワシントン郊外に建設される同館別館に、原爆投下機「エノラ・ゲイ」を展示するとの計画を発表。
90 02 07 広島に原爆を投下した米の爆撃機「エノラ・ゲイ」の航空日誌、競売にかけらる。偽物説が流れ、競売は不成立。
90 08 03 広大原医研横路教授・「エノラ・ゲイ」元乗員ら、スペインのテレビ局が企画した討論番組に参加し、「戦後45年間の平和」について討論。スペイン全土に放映。
90 08 14? 広島に原爆を投下した米空軍機エノラ・ゲイ号の元乗員らが、原爆投下記念グッズを販売していることが判明。元機長ポール・チベッツによる「エノラ・ゲイ号の飛行」と題する本・カップ・Tシャツなどを販売。
90 08 21 広島平和文化センター事業部長高橋昭博、エノラ・ゲイ号の元機長ポール・チベッツに「原爆グッズ」の販売中止を求める手紙を送付。
90 08 25 原爆投下機エノラ・ゲイ号の元乗員ら、米ユタ州で戦後45年の記念集会を開催(約400人参加)。戦争終結に原爆投下は必要だったとの発言が相次ぐ。世界平和を願う碑を建立し、除幕式。
90 09 11 日本被団協、エノラ・ゲイ号の元乗員らによる原爆記念グッズ販売問題で、チベッツ元機長に抗議文を送付。
90 10 22 中国新聞社、広島に原爆を投下した米軍機エノラ・ゲイ号の航空日誌の写真コピーを入手。
92 08 31 ワイアット・デューゼンバリ(エノラ・ゲイの航空機関士)、死亡。
93 01 29? 佐世保市の末次昌子、広島での入市被爆の体験などを詠んだ歌集「エノラ・ゲイ航空日誌」を出版。
93 08 02 クリントン米大統領、広島に原爆を投下したB29爆撃機エノラ・ゲイを展示する博物館をワシントン郊外のダレス空港近くに建設する法律に署名。
94 03 30? 米国の退役軍人ら、スミソニアン協会のエノラ・ゲイ機と被爆資料の同時展示に猛反発。
94 07 31? アメリカの作家ゴードン・トマス、広島への原爆投下機エノラ・ゲイの元乗組員の証言の録音テープの買い手を募る。
94 08 10 24人の米下院議員がスミソニアン宇宙航空博物館のエノラゲイ展示計画に、原爆被害を強調し過ぎているとの抗議の書簡を出していたことが判明。
94 08 17 ルイス米下院議員、スミソニアン博物館にエノラ・ゲイ展示計画の変更を求める声明を発表。
94 08 18 スミソニアン博物館が「エノラ・ゲイ」展示で米下院議員に意向を配慮するとの返答を出していたことが判明。
94 09 19 ナンシー・カッセボム米上院議員、スミソニアン航空宇宙博物館が予定しているエノラ・ゲイ展示は、バランスを欠き侮辱的だとして計画変更を求める決議案を提出。
94 09 23 米上院本会議、エノラ・ゲイ機の展示を計画しているスミソニアン航空宇宙博物館に対して「米国人の思い出を非難することになるのを避けるべきだ」として展示内容の変更を求める決議を満場一致で可決。
94 09 27 スミソニアン航空宇宙博物館が計画しているエノラ・ゲイ展示問題で米下院に計画の修正を求める決議案が提出されていることが判明。
94 09 29 米紙ワシントン・ポスト、スミソニアン航空宇宙博物館が、全米退役軍人協会からのエノラ・ゲイ展示への抗議に対する譲歩として、被爆時計の展示中止など展示内容の変更を決めたと報道。
94 10 20 米スミソニアン航空宇宙博物館、エノラ・ゲイの展示をめぐる退役軍人らの批判を入れ、「感情に訴えるような(被爆状況の)写真や遺品」は展示から除き、太平洋戦争の経過に関する展示は増やすなどの修正計画の概要を公表。
94 10 20? 高橋昭博広島平和文化センター事業部長、米国立スミソニアン航空宇宙博物館が計画している原爆展に関連し、ポール・チベッツ元「エノラ・ゲイ」機長に、「ヒロシマの心」を伝える手紙を発送。
94 10 26 米スミソニアン航空宇宙博物館、来年5月から予定している広島原爆投下爆撃機エノラ・ゲイの詳細な展示計画書(約450頁)を公表。米退役軍人団体の批判を受け入れ、太平洋戦争全体の説明を大幅に増やした内容。
94 11 01 栗山駐米大使、記者会見で、エノラ・ゲイの展示計画問題について、大使館が注文を付ける筋合いのものではないと語る。
94 11 17 バーンシュタイン、ウィットナーなどアメリカの歴史学者ら52人、スミソニアン米航空宇宙博物館に、エノラ・ゲイ展の退役軍人会の圧力による修正企画案を元に戻すよう申し入れる書簡を発表。
94 11 23 米スミソニアン航空宇宙博物館、来年5月から展示する広島原爆投下機エノラ・ゲイの胴体を、メリーランド州の同館ガーバー施設から展示場所に搬入。
94 12 15 核戦争防止国際医師の会米国支部「社会的責任のための医師の会」など17の平和団体代表ら、スミソニアン航空宇宙博物館のエノラ・ゲイ展示について、被爆の惨状を復活するよう要請。
95 01 18 米復員軍人協会、スミソニアン航空宇宙博物館に対し、エノラ・ゲイ展示の中止を申し入れ。
95 01 19 米下院の共和党議員2人、スミソニアン航空宇宙博物館のエノラ・ゲイ展示問題で、ハーウィット博物館長の辞任を要求すると言明。
95 01 26 ギングリッチ米下院議長、スミソニアン協会の評議員に、エノラ・ゲイ展示計画批判派のサム・ジョンソン議員を指名すると発表。
95 01 27 ギングリッチ米下院議長、スミソニアン航空宇宙博物館の広島原爆投下機エノラ・ゲイの展示計画について、スミソニアン協会から大幅に縮小するとの話があったことを明らかにする。
95 01 30 スミソニアン協会、評議員会を開催。エノラ・ゲイ展示の大幅縮小を決定。
95 01 30 アメリカの3大テレビネット、スミソニアン航空宇宙博物館のエノラ・ゲイ展示計画の大幅縮小についてニュースで大きく取り上げる。
95 02 23 ヘイマン米スミソニアン協会事務局長、エノラ・ゲイの展示は当初予定の5月から6月に延期される可能性を示唆。科学者団体から「否定的な側面を強調しすぎる」と批判されていた科学関連展示コーナー「米国生活の中の科学」を変更する方針を明らか
95 03 10 米下院歳出委員会内務小委員会、スミソニアン協会の「エノラ・ゲイ」公開展示問題を取り上げる。ヘイマン同協会事務局長、展示では原爆投下正当論を採用することを明らかにする。
95 05 11 米上院議事運営委員会、スミソニアン航空宇宙博物館が企画した広島原爆展に関する公聴会を開催。広島に原爆を投下したエノラ・ゲイの元パイロットら退役軍人5人が原爆投下の正当性を主張。
95 06 03 広島に原爆を投下したエノラ・ゲイの乗員ボブ・キャロン、死亡。
95 06 22 米国自治領北マリアナ諸島連邦の「北マリアナ記念委員会」、8月6日にエノラ・ゲイの航跡を辿りながら広島を目指す「平和飛行」計画を発表。
95 06 22? 米ワシントンのスミソニアン協会航空宇宙博物館のB29「エノラ・ゲイ機」の展示予定会場にペンキがまかれていたことが判明。
95 06 27 米国立スミソニアン航空宇宙博物館、B29爆撃機「エノラ・ゲイ」展を報道陣に公開。会場入り口に当初の「原爆展」の企画を誤りだったとするヘイマン・スミソニアン協会事務局長の釈明文を掲示。
95 06 27 反核・平和団体の代表ら、米ワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館前で「エノラ・ゲイ」展に対する抗議行動。
95 06 28 米スミソニアン協会航空宇宙博物館、原爆投下機エノラ・ゲイの展示を開始。
95 06 28 米スミソニアン協会航空宇宙博物館の「エノラ・ゲイ」展会場で抗議行動を行った反核活動家21人が逮捕される。
95 07 02 B29爆撃機「エノラ・ゲイ」の元機長チベッツ、米オハイオ州の地元紙のインタビューで、広島への出撃は仕事である義務であったと語る。
95 07 10 森下弘・池田精子・原田浩、米アメリカン大学での被爆証言を終え、スミソニアン博物館で「エノラ・ゲイ」を見学。
95 07 17 全米鉄鋼労組(USWA)の500人、日本のタイヤ最大手ブリジストンの米現地子会社の労使紛争に関連し、「エノラ・ゲイをもう一度」などのプラカードを掲げてワシントンの日本大使館前でデモ。
95 07 31 広島テレビ、原爆に関する米国の学校教育を取材した「原爆を落とした国は-エノラ・ゲイと消されたヒロシマ」を放映。
95 07 31 広島テレビ(日本テレビ系)、「ドキュメント95-原爆を投下した国は・・・エノラ・ゲイと消されたヒロシマ」をネット放送。(午前0時15分-1時10分)
95 08 03 ポール・チベッツ元「エノラ・ゲイ」機長、米CNNテレビのインタビューに答え、原爆投下を後悔せずと語る。
95 08 06 米原爆投下機エノラ・ゲイの元爆撃手トム・フェアビー、「原爆投下を遺憾に思う」と語る。
95 08 06 北マリアナ連邦テニアン島・テニアン市のハーマン・マングローナ市長、広島市の平和記念式典に参列。同島は、「エノラ・ゲイ」が飛び立った島。
95 08 06? エノラ・ゲイの副操縦士ロバート・ルイスの航空日誌がニューヨークのフォーブス博物館に展示されていることが判明。昨年6月から。
95 08 07 ポール・チベッツら元米第509爆撃混成団の元隊員、米ニューメキシコ州アルバカーキで記者会見。原爆投下について「悔いなし」と語る。(「エノラ・ゲイ」)
95 09 22 ティベッツ元米B29爆撃機「エノラ・ゲイ」機長、ワシントンでの講演で、女性や子どもたちを殺す意図は無かったと語る。
95 10 06? フィリップ・ノビーレ、バートン・バーンスタイン、中止となった米スミソニアン航空宇宙博物館の「エノラ・ゲイ展」の未公開展示台本を収録した「葬られた原爆展」の日本誤訳版が出版される。
96 04 06 広島県・甲山防空監視哨保存会、同哨跡で記念石碑の除幕式を挙行。約40人が参列。同哨は、「エノラ・ゲイ」の襲来を通報。
96 06 08 戦時中、広島県尾道防空監視隊・甲山防空監視哨副哨長だった寺地文人、原爆搭載機「エノラ・ゲイ」の上空通過の報を受信した基地に勤務していた女性を訪問。
96 06 28 米スミソニアン航空宇宙博物館の「エノラ・ゲイ」展示が開幕1年を迎える。
96 07 20 米原爆投下機エノラ・ゲイの元機長ポール・チベッツ、アメリカ国立航空殿堂入り。
96 08 06? 広島原爆投下機エノラ・ゲイが長崎にも飛来していたことが米軍資料で明らかになる。
96 09 03 ドール米共和党大統領候補、ユタ州で開催された全米在郷軍人大会で、スミソニアン博物館のエノラ・ゲイ展に関連し、原爆投下決定を支持。
97 04 05? ティベッツらエノラ・ゲイの元乗員4人、ユマの米海兵隊基地で、原爆投下を正当化する発言を行う。
98 04 15 米国の劇作家クリス・ハードマン、広島平和文化センターを訪れ、原爆をテーマにした空間芸術の自作「独りぼっちのエノラ・ゲイ」を収録したビデオを寄贈。
98 05 18 米・スミソニアン航空宇宙博物館のエノラ・ゲイ機の特別展示、閉幕。2001年末、ダレス国際空港に完全修復した形で永久保存される予定。

 

スミソニアン特別展計画中止についての広島市長コメント

スミソニアン協会特別展計画中止についての広島市長コメント(1995年1月31日)
[広島市資料]
スミソニアン航空宇宙博物館が当初の意図に反して、特別展の規模を縮小し≪米国戦勝50年≫一色に修正したことは、極めて遺憾である。
世界がなお、核の脅威にさらされている今日、戦勝国の論理で原爆を投下した工ノラ・ゲイ号を展示する時代ではない。
広島・長崎両市には、今回の被爆資料貸し出しによって米国を責め、非難する意図はまったくなかった。ただ、核兵器がもたらした残虐な実態を米国の人々に知ってもらうことによって、核兵器のない世界を築く世論を高めたい、と願っていただけに、残念さは一層強い。
広島市としては、今回のスミソニアン側の決定とは関係なく、≪被爆50年≫にあたって米国で討論の場を設けるなど、独自な催しを展開することによって、米国民に核兵器廃絶にかけるヒロシマの思いを訴えかけていくつもりである。
平成7年1月31日
広島市長 平岡 敬

スミソニアン「原爆展」計画をめぐる8名のアメリカ研究者グループの館長あて申入書

スミソニアン航空宇宙博物館「原爆展」計画をめぐって8名のアメリカ研究者グループの申入書
1994年11月17日
あて先:国立航空宇宙博物館館長 マーティン・ハーウィット
差出人:バートン・バーンスタイン、ケイ・バード、キャロル・ガラハー、ジョゼフ・ガースン、ロバート・J・リフトン、グレッグ・ミッチェル、ロバート・ミュージル、ローレンス・S・ウィットナー
「終幕:原爆と第二次世界大戦終結」展に関する勧告
1)原爆使用および、それが第二次世界大戦終結に必要であったがどうかに関する50年間にわたる論争を明確にふまえること。

2)原爆投下以前に日本は敗北に近づいていたことの証拠を認めること。
3)原爆使用について留保を示した歴史的人物たちの重要な発言を含めること。
4)日本への焼夷弾爆弾がもたらした破壊に関して正確な評価を取り入れること。
5)広島とそこに居住する市民を標的とすることは正当であり主に軍事的な目的があったという印象を修正すること。
6)アメリカが日本に侵攻した場合に予想されたアメリカ人死傷者に関する記述を修正すること。
7)日系アメリカ人の強制収容所について明記すること。
8)第400セクション「グランド・ゼロ」から削除された部分を復活させること。
9)被爆者の扱いを修正すること。
10)原爆投下に対して当時まき起こった宗教的、道徳的、政治的な反対運動に関する歴史的な記録を盛り込むこと。
11)原爆投下が後世に残した事柄について適切な扱いを行うこと(第500セクション)
出典:原水爆禁止日本協議会『国際情報資料1』(1994年12月28日)

スミソニアン特別展に関する米国上院議長あて広島市長書簡

スミソニアン協会特別展に関する米国上院決議につき上院議長あて広島市長書簡(1994年10月20日)
[広島市資料]
米国上院議長
アルバート・ゴア様
拝啓 時下益々御清祥のことと存じあげます。
この度、私たちは、アメリカ合衆州国上院が来年5月から開催が予定されているスミソニアン協会・国立航空宇宙博物館の展示会「最後の幕:原爆と第2次世界大戦の終結」に関し、「原爆を投下したエノラ・ゲイは第2次世界大戦を慈悲深く終わらせるのに役立ち、日米両国民の命を救った。展示が、自由のために命を捧げた人々の記憶を非難し、攻撃すべきではない。」との決議を満場一致で採択したことを知りました。
私たち広島市民は、原爆投下を肯定し、ひいては戦争を正当化するこのような考え方に強い怒りと悲しみを感ぜざるを得ません。いずれの国の国民も決して核兵器や戦争は求めていないと確信しているからです。戦後50年を経て、私たちが成すべきことは、歴史に学ぶ視点を持ち、全人類の共存と繁栄を願い、その実現に向けて努力することであります。
私たちは過去の戦争の是非を議論するのではなく、いかにして核兵器が存在する時代の戦争をなくすべきかを議論することに意義があると考えております。そのためには、ヒロシマ・ナガサキの被爆の実態を世界の人々が知り、核兵器の持つ非人道性を認識することが大切です。
核時代に生きていることを身をもって知っている私たちは、その最初の体験を世界の人々に知って欲しいと思っております。この展示会が、私たちの意図を汲み取り、よりよき未来社会の形成に向けて、大きな役割を果たされんことを切望しております。
敬具
1994年10月20日
広島市長 平岡 敬

スミソニアン原爆展に関する決議(アメリカ合衆国上院)

アメリカ合衆国上院
スミソニアン原爆展に関する決議
1994年9月23日
アメリカ合衆国上院決議
来る国立航空宇宙博物館エノラ・ゲイ展示におけるアメリカ軍兵士の適切な記述に関して、上院の意見を表明する。
一.エノラ・ゲイは、第2次世界大戦を慈悲深く終わらせるのに役立ち、日米両国民の命を救った。
一.国立航空宇宙博物館エノラ・ゲイ展示の現在の企画書は、修正主義的で、多くの従軍兵士にとって侮辱的である。
一.連邦法は、「スミソニアン協会は、アメリカ合衆国における、自由で、平和で、独立した社会及び文化を、創造し、発展させ、維持するために、アメリカ軍によってなされた貢献を記念し、展示するものである。」と謳っている。
一.連邦法は、「アメリカ軍兵士の勇気ある行為、献身的な軍務は、アメリカの現在、未来の世代への鼓吹として、描かれるべきである。」とも、謳っている。
一.国立航空宇宙博物館は、交戦におけるアメリカの役割を記念するため、連邦法のもとに、時代の適切な文脈で、歴史を記述する義務をもっている。
従って、ここに、次のとおり上院の意見を決議する。
エノラ・ゲイに関する国立航空宇宙博物館による展示はすべて、第2次世界大戦中、忠実に、無私にアメリカ合衆国に仕えた兵士に対して、適切な記述をすべきであり、自由のために命を捧げた人々の記憶を非難し、攻撃すべきではない。

スミソニアン特別展への広島市の対応

「米国スミソニアン協会・国立航空宇宙博物館における特別展の開催に伴う主要な経緯について」[広島市資料]

[広島市資料]

年 月 日 内容
1993.04.05 航空宇宙博物館のハーウィット館長とクローチ航空学部長が来広し、市長を表敬訪問するとともに資料館を見学し、引き続き、広島市側(平和記念資料館、平和記念館、(財)広島平和文化センター)との協議を行った。
その後、ハーウィット館長とクローチ部長は長崎市を訪問した。
05.31 同館のクローチ航空学部長と特別展担当学芸員等が来広し、広島市側と協議を行った。
07.17  展示計画書(英文)を受領した。
その後、翻訳を行い、その内容について検討を重ねるとともに、疑問点について博物館側に質問するなどの協議を行った。
その後、長崎市を訪問した。
10.22  特別展に貸出しを希望する資料リストを受領した。
11.30  特別展に広島市から資料を貸し出すことを決定した。
1994.09.23  米国上院議会が「原爆を投下したエノラ・ゲイは第2次世界大戦を慈悲深く終わらせるのに役立ち、目米両国民の命を救った。展示が、自由のために命を捧げた人々の記憶を非難し、攻撃すべきでない。」との決議を採択した。
10.20  上記の決議の採択に対し、米国上院議長あてに書簡を提出した。
11.18  展示台本を受領した。
12.21  「米国スミソニアン協会航空宇宙博物館の特別展について意見を伺う会」を開催した。
1995.01.20  米国在郷軍人協会が、博物館に展示の中止を申し入れた。
01.26  米国下院議員が、スミソニアン協会にハーウィット航空宇宙博物館長の辞任を要求した。上院では、公聴会の開催が要求された。
01.30  スミソニアン協会が評議員会を開催し、特別展の規模を縮小し、広島・長崎の被爆資料等の展示を行わないことを決定した。
01.31  市長あてスミソニアン協会ヘイマン事務局長及びハーウィット航空宇宙博物館長より、特別展の計画を中止する旨の書簡が届いた。
書簡の届いた旨の記者発表を行い、あわせて市長コメントを出した。

私の「スミソニアン原爆展示論争」(日記より抄録)

 スミソニアン原爆展示論争

Y M D J
92 10 21 国際交流基金(東京)より電話。内容:1995年スミソニアン博物館が、エノラ・ゲイを復元する。これを機に、原爆についての詳しい状況を調査したい。ついては、日本の研究者を紹介して欲しいとの依頼が8月に館長からあった。
92 10 27 広島原爆資料館の話=国際交流基金からの電話には、戸惑った。スミソニアン博物館に被爆資料の現物を送って、変な扱いをされたら、市民の間から抗議がでる。現在市には余裕が無いので、費用の点も心配だ。
92 11 05 広島原爆資料館より電話=資料館では、資料の貸出について検討している。スミソニアン博物館よりの問い合わせの経緯について詳しく知りたい。
93 02 02 ハーウィット・スミソニアン協会航空宇宙博物館長より手紙(1月18日付)が届く。
93 02 26 この週、スミソニアン博物館関係者来広の予定であったが、連絡が無いまま過ぎる。
93 03 17 A新聞社より電話。スミソニアン博物館館長の4月上旬の広島入りについて、どう対応するか問い合わせ。よく解らないと回答。
93 03 23 原爆資料および情報ネットワーク委員会懇談会。スミソニアン問題が話題になる。4月5日に放影研に関係者が来るので、一緒に会うことになる。
93 04 04 広島平和文化センターより電話。スミソニアンの件について。明朝、広島市で会議を開き、態度を決める、資料を提供する方向で検討している由。
93 04 05 放影研理事長室。ハーウィット(スミソニアン・航空宇宙博物館館長)とクロウチ(アメリカ歴史博物館社会文化史部門議長)と会う。
93 04 09 広島平和文化センターより電話。放影研でのスミソニアンとの話合いの様子について聞かれる。
93 05 06 スミソニアン博物館のニューフェルトより手紙が届く。資料の礼と5月下旬に来日の連絡。
93 05 07 スミソニアンのハーウィット館長より礼状が届く。
93 05 21 広島原爆資料館より電話。スミソニアン関係者との会合の日程についての問い合わせ。
93 05 31 Bテレビ局より電話。スミソニアンの件。広島市は資料貸出に前向きの姿勢を示しているが宇吹が働きかけているのではないかと言われる。
93 05 31 スミソニアン関係者(クラウチ・ニューフェルト・ジェイコブス)来所。広島市の対応が良かったらしく、こちらにあまり関心を示さなかった。前回のことがあるので儀礼的訪問だろう。
94 07 11 C・D(広島原爆資料館)来所。スミソニアンから展示のシナリオが届いたので目を通して欲しい、委員会を組織し検討する体制を作りたいとのこと。
94 07 21 広島原爆資料館の話=スミソニアンのシナリは、当初はひどかったが、資料を借りることが困難との雰囲気を察知してから、真剣に対応するようになった。
94 08 04 スミソニアン企画案を一通り読み終える。
94 10 03 宇吹の感想=スミソニアン展示問題は、重大な事件だと思うが、マスコミの取り上げ方にそうした認識が見られない。タブー視の可能性あり。被爆50周年後の見通しは暗いが、投げ出すわけには行かない。
94 10 04 B(テレビ局)から電話(ワシントンから)。スミソニアン博物館問題に関してアメリカで世論調査を行ってみたいので知恵を貸して欲しい、とのこと。
94 10 11 B(テレビ局)より電話。約1時間にわたりスミソニアン博物館の展示について話す。現在、スミソニアンと退役軍人の間で詰めの作業中。100万人の救った、いやせいぜい3100人ぐらいだろうなど。両者を取材するので、知恵をつけておきたい、とのこと。展示する時計を一つにする、戦後の核開発部分をカットするなどのスミソニアンの譲歩。どこまでの譲歩なら、貸し出すか。広島の資料によって伝えたいヒロシマのメッセージとは何か、などなど。
94 10 14 E(長崎市役所)の話。スミソニアン博物館への資料貸出について、広島市は色々躊躇しているが、長崎市は積極的に貸し出す方針。
94 10 21 F新聞社より電話。スミソニアン博物館の修正展示案に対する意見を聞かれる。積極的に応じるべき、と述べる。
94 11 02 広島原爆資料館より電話。スミソニアン博物館問題についてはマスコミの方が詳しい情報を提供。日本訳が届いたらまた読んで欲しい。
94 11 21 広島原爆資料館より電話。スミソニアンから資料が届いた。先ほど、記者発表。近々、コピーを届ける由。
94 11 22 C・D(広島原爆資料館)、スミソニアンの修正展示案を持参。市としては一応貸す方向、どういう条件を付けるかに議論がしぼられる可能性。貸出を求めているもののほとんどは、現在展示してあるもの。国会での展示点数より少し少ない。
94 12 08 スミソニアン原爆展示のシナリオを読了。
94 12 10 自宅にスミソニアン展示シナリオについての意見を書く用紙が届いている。
94 12 12 Gにスミソニアン原爆展示の話をすると関心を示す。同博物館を見学したいとのこと。宇吹がツアーを組んで見学に行くという夢を語る。
94 12 14 F新聞社との話。私のスミソニアン博物館見学ツアーの話は非常に面白いとのこと。自分が同行取材したいが、おそらく若い記者が行くことになるだろう。同館長が、H大使に相談。外務省は、広島原爆資料館長と会って、外務省として仲介の労をとっても良いと伝達した。とのこと。
94 12 14 I研究会でスミソニアン見学ツアーについて提案。関心は示されたが、通信発行の中で検討することになる。
94 12 15 広島原爆資料館へスミソニアン展示についての意見書をファックスで送る。
94 12 18 Jより電話。被団協の意向を聞く。両被団協とも、修正するというなら、スミソニアンへの貸出を断るべきとの見解。
94 12 20 F新聞社の取材。平岡市長が、スミソニアン博物館のエノラ・ゲイ展示に出席するというのは、すでに予算化されており周知の話。独自の原爆展を開催するというのは、市長の希望の段階。
94 12 21 米国スミソニアン協会航空宇宙博物館の特別展について意見を伺う会。於平和記念資料館東館地下1階会議室。報道陣多数の中で。 私の発言=スミソニアン関係者と会い、非常に立派な人たちとの印象を持った。その結果、台本を読んだ感想ではバイアスがかかっている。ヨーロッパにおけるドイツと他国間の、アジアにおける日本と他国間での共通の教科書作りの試みが日本とアメリカとの間で欲しいと思っていた。スミソニアン関係者は、私にとって、日米の共通理解のための貴重な人材と思える。シナリオの修正案を見て、彼らが、まだ自分達の主張を残そうと頑張っている様子が感じられた。この企画は、もともとB29からエノラ・ゲイに至る航空史である。それを企画担当者が、広島・長崎への深い同情と理解を持つものにしようとした。それに対する反発として退役軍人会からの反発があり、太平洋戦争史の側面が加えられた。展示としては妙なものになった。修正案で数が減ったとはいえ、アメリカで開催される原爆展としては、これまでにない大規模なものとなる筈。
94 12 22 Kより電話。新聞で昨日のスミソニアン関係の会合での宇吹発言を読んだ。一人、変わったことを発言していた。
95 01 13 スミソニアン展示シナリオ検討会議。原爆資料館東館地下1階会議室。3人で先日の会で出された意見の検討と集約。平岡市長が5月の展覧会開会式に出席しないと言っており、予算が削られたとのこと。
95 01 24 Fの話=市長がスミソニアンのエノラ・ゲイ展の開幕式に出席しないのは招待されていないから。
95 01 31 L新聞社より電話。スミソニアン博物館の原爆展示が中止になったことについてコメントを求められる。
95 01 31 広島原爆資料館より電話。スミソニアンのハーウィット館長より原爆資料展示の中止の連絡が入った由。
95 01 31 M放送局より電話。スミソニアン博物館の原爆展中止についてインタビュー場面を撮影させて欲しい。断る。
95 01 31 F新聞社より電話。スミソニアン博物館の原爆資料展示中止について意見を求められる。
95 02 03 I研究会。2月後期号から2回、スミソニアン博物館問題を取り上げることになる。
95 02 10 米国スミソニアン協会航空宇宙博物館の特別展について意見を伺う会。原爆資料館長の話=ヘイマン・スミソニアン協会事務局長がシンポジウムの開催に言及したので、問い合わせたが、現在のところ具体化はされていない。 Nとの会話=ダートマス大学のシャーウィンと会った。スミソニアンの展示の諮問委員会の委員9人の1人。スウェインは現在ノースキャロライナに帰っているが、地元でスミソニアンの展示中止に対し抗議文を出した。WHOやIPPNWとの連携。私の発言=平和データベースを始動させ、スミソニアン問題に関する海外の情報を集めてはどうか。 私の感想=マスコミは、市長の行動に期待しているが、アメリカ国内での原爆展やシンポジウムにどれだけに意味があるのか、という評価は難しい。
95 02 10 Aと平和公園で会う。スミソニアン問題でアメリカ取材をするつもりとのこと。
95 02 13 O新聞社より電話。14日OR15日にスミソニアン問題で広島を取材したい。
95 02 18 Pより自宅に電話。Q誌へのスミソニアン問題についての原稿依頼。
95 03 02 長崎県立図書館。2月1日のスミソニアン問題の長崎での報道をコピー。
95 03 06 I研究会。第5号の編集。次号は、スミソニアン年表で合併号を発行することになる。
95 03 17 Rより電話。総会での講演に手を入れて欲しい。スミソニアン原爆展について加えることとの依頼。
95 04 11 広島市役所。アメリカン大学での原爆展の話を聞く。うまく進んでいない様子。
95 06 14 広島原爆資料館より電話。アメリカン大学での原爆展開催を正式に決定し、昨日、現地で記者会見、日本では今日10時に記者会見を開くとのこと。
95 07 21 S新聞社京都支局より電話。1962年に学生がアメリカの約10の大学で原爆展を開催した。その歴史的意義について。
95 07 31 S新聞社京都支局より電話。学生の原爆展が全米20か所で開催されていた由。
95 08 08 ヒロシマ平和セミナー(アメリカン大学・立命館大学一行への講演)。討論の途中で中国人女性留学生が発言。スミソニアンにバランスの取れた展示を要望すると同様に、原爆資料館に加害の展示をするよう求めるとの流れに傾く。Tが、東京に加害展示をすべきとの持論。私は、原爆被害者が「被害者意識」を持つまでの大変な歴史を話す。
95 09 20 国立国会図書館新聞閲覧室。地方紙の8・6社説の調査。6時過ぎ終了。独自の連載が少なかった。社説に被爆者問題に言及するものなし。スミソニアン、加害、核廃絶、体験継承などが主なテーマ。
95 09 30 日本科学者会議広島支部創立30周年記念集会。シンポジウム「被爆50周年を考える」。私の発言=スミソニアン原爆展示問題で明らかになったことは、日米ともに戦争体験が過去のものになりつつあるということ。退役軍人会の攻撃は、50周年以後に戦争体験をどのように残していくのかについての戦略の一環ととらえるべき。
95 10 09 平和科学研究センター20周年記念シンポジウム「21世紀の平和学と広島の貢献」。於広島国際会議場。 鈴木=スミソニアン問題を見たとき、パール・ハーバーに日本が如何に取り組んだかを考えた。国際政治は国家間政治という時代は終わった。日本は、ウチとクニが一緒に考えられる珍しい国。大江健三郎と野坂昭如がこの点を考えてきた。関の話=スミソニアン問題では、アメリカの学者が日本の右翼の論理を採用し、退役軍人が左翼の論理を採用するというねじれ現象があった。 私の感想=パネラーがスミソニアン問題や歴史研究の重要さに触れた。彼らは、アメリカからの動きがなければ、原爆資料に対する関心は無かったであろう。一方、核実験反対運動や国際司法裁判所の動向には誰も触れず。平和運動と距離を置いた平和研究の限界が現れている。
95 10 20 「戦争と原爆展」。於カレント・コスモ。平和集会が開かれており、参観者多数。
95 12 08 F来所。フランスの反核運動の様子を聞く。日本の原爆展の押しつけに反発。パリのデモに参加。歌手の歌に合わせて歌いながら行進。ミホ・シボ氏が、フランスの実情を知らない日本からのさまざまな要請に困っている、とのこと。
95 12 27 Fの話=アメリカの学者のダブル・スタンダード(=日本人に戦争責任を理解させるためにアメリカの原爆投下責任を追求)。
96 01 30 Fへの話=スミソニアン原爆展に関連した資料を収集して、原爆資料館として展示会をやってはどうか。今年なら、まだ資料が集まるし、また、関心も呼ぶことができるのではないか。
96 02 17 シンポジウム「ピース・クリエイト・シンポジウム・21世紀の平和公園を考えよう」。於国際会議場。 金沢=スミソニアン問題で言われた「歴史観の差」は、実際には「歴史観の欠如」。 直野=「ヒロシマの心」は「核兵器廃絶と恒久平和」という平岡市長のメッセージは、アメリカでの原爆展を準備した人々には、反発を受けた。「ヒロシマ」の人間にしか解らないという姿勢に受け取られた。被爆者自身の生の声・姿が必要。
96 02 27 福岡市原爆被害者の会。T(長崎の被爆者)の話=スミソニアンの原爆展示に反対した米在郷軍人の気持ちは理解できた。
96 05 01 朝日新聞がインターネットで記事データベース(1985年-95年10月)を無料で公開しているとのこと。1日中かけて、「原爆展」・「スミソニアン」・「被爆者援護法」・「原爆」(1995年分のみ)の記事見出しをTXTファイルに吸い上げる。
96 09 24 アメリカンセンター資料室(東京都港区芝公園)。10時半-6時。ワシントンポスト紙の「スミソニアン博物館・エノラ・ゲイ展」関係記事38枚を自分でコピー。1枚20円。利用者にとっては便利な体制。
96 10 11 スミソニアン関係文献、英文文献の整理。
97 05 22 Uに電話。彼の話では、お茶の水大学の学生が、スミソニアン原爆展示問題をテーマに論文を書きたいと相談に来た由。
97 08 03 ノビーレを囲む会。於中国新聞ビル702会議室。参加者にはさまざまな顔ぶれ。ノビーレの話=スミソニアンのスクリプトの公開はスクープのはずなのに、ニューヨークタイムズなどマスコミは無視した。
97 08 27 ハーウィット「拒否された原爆展」読了。
97 10 02 一日、スミソニアン原爆展関係資料の整理。インターネット上のエノラ・ゲイ関係のデータをテキストファイルに取り込むことが簡単に出来た。
97 10 15 V(アメリカ・ブラウン大学の卒論にスミソニアン問題を取り上げ、今回、博物館と記憶、平和公園などをテーマとして取り上げるため来日)より電話。道に迷って広島市役所の前にいるとのこと。迎えに行く。エノラ・ゲイ展示をめぐる記憶についての卒業論文を預かる。広島原爆資料館の展示への要望資料を貸す。
98 01 14 W(コネチカット大学教師)来所。アメリカの様子を聞く。アメリカの知識人の間では、スミソニアンの原爆展示問題後、原爆問題に対する関心が高まっている。大江健三郎がプリンストンで講演したが、アメリカの友人とともに、聞きに行った。大江の英語は滅茶苦茶。HEとSHEの間違いなど。しかし、堂々と話した。
98 02 15 シンポジウム「<原爆資料館の外部委託>を考える」。於中国新聞社7階会議室。 宇吹=スミソニアン問題を卒論に取り上げたアメリカの青年が、今度はヒロシマを取り上げようとしている。しかし、ヒロシマにはハーウィット館長やクラウチ学芸員に相当する人物がいない。彼の意見では、原爆資料館の最初の印象は、強烈、しかし、それに続く自己主張が無い。
98 07 21 X(シンガポールの学校に通う女子高校生)来所。広島の高校へ通っていた由。8月半ばまで夏休み。学校の2年間の学習報告として原爆投下問題を取り上げている。スミソニアン原爆展示論争関係の英文の本などを貸す。

スミソニアン原爆展示論争

スミソニアン原爆展示論争

スミソニアン協会航空宇宙博物館は、原爆投下50周年を記念して、「クロスロード-第2次世界大戦の終結、原子爆弾、そして冷戦の始まり」との名称で特別企画展を開催しようとした。この企画は、広島への原爆投下機エノラ・ゲイと併せて広島・長崎の被爆資料を展示し、アメリカ国民の間に根強く定着している「原爆投下の正当性」を問い直そうとする野心的な試みであった。
1994年3月、シナリオの概要が明らかになると、アメリカ国内では退役軍人協会を中心に、この企画に反対する動きが起こった。こうした動きは、同年9月には上院が全会一致で同博物館に企画の修正を求める決議をおこなうまでに発展した。結局今年1月にスミソニアン協会が、エノラ・ゲイを中心とした展示への変更を決め、被爆資料の展示は取りやめとなった。さらに、5月には航空宇宙博物館館長が、責任を取る形で辞任している。
日本側では、被爆資料を広島への原爆投下機「エノラ・ゲイ」と一緒に展示するという初めての試みに、大きな関心を寄せていた。マスコミは、この一連の経緯を大きく取り上げるとともに、展示内容についても詳細に報道した。
広島・長崎両市は、スミソニアン協会が両市に被爆資料の貸出を要請したことから、この問題への対応をせまられた。両市は、即座に貸出の結論を出すことは避け、スミソニアン側と展示シナリオの内容や貸出条件をめぐり協議する一方で、市民の意見の聴取をおこなった。広島市の場合、1994年12月と95年2月の2回、平和記念資料館(通称=原爆資料館)の被爆資料貸出をめぐり「市民の意見を伺う会」を開いている。市民の間には、当初、貸出に消極的な意見も見られた。その主な理由は、被爆資料が原爆投下の正当化ないし原爆の威力誇示のために利用される結果となることが心配されたからであった。
スミソニアンの企画展示をめぐる論議の中で強調されたことは、原爆投下をめぐる日米の歴史認識の溝の大きさであった。
しかし、このことが明らかになったのは、今回が始めてではない。1991年の真珠湾攻撃50周年に関連した動きは記憶に新しい。当時、日米のマスコミの多くが、原爆投下に関する世論調査を行った。その一つである共同通信社の日米同時世論調査の結果では、「戦争の早期終結のため、やむを得なかったと思う」は、日本=15%、アメリカ=64%、「あの段階では必要なかったと思う」は、日本=8%、アメリカ=10%、「いかなる状況においても、原爆の投下は許されないと思う」は、日本=76%、アメリカ=22%という結果であった(『中国新聞』1991年11月25日)。
ブッシュ米大統領が同年の12月1日に「原爆投下への謝罪の必要はない、真珠湾も過去のこと」と発言したことに対し、日本側から強い反発が起こった。 1995年にも、これと同じようなことが起こった。本島長崎市長の東京・外国人記者クラブでの講演の中での「原爆の使用はユダヤ人大虐殺(ホロコースト)と並ぶ、人類が犯した20世紀最大の罪」との発言(1995年3月15日)やクリントン米大統領の原爆投下は正当だったとの発言(4月7日、18日)が、日米両国のマスコミで大きく報じられ、大きな波紋を呼び起こした。
1994年から95年にかけてのこれら一連の動きは、一見1991年の繰り返しのように見える。しかし、今回には、1991年には見ることのできなかった新しい動きを確認することができる。アメリカ側では、歴史研究者の多くが、この問題についてつぎつぎと見解を表明した。このことは、原爆投下をめぐる歴史認識の溝が、日米間の問題にとどまらず、アメリカ国内の問題でもあることを明らかにするものであった。
一方の日本側では、原爆投下問題のみでなく被爆資料に対する関心の高まりも見られた。アメリカの退役軍人の中から弁当箱や衣服など被爆者の遺品の展示に対する強い拒否反応が示されたが、このことは、遺品が観覧者に与えるインパクトの大きさを改めて認識させるものであった。
広島市は、スミソニアン協会への資料貸出をめぐり展示シナリオの詳細な検討をおこなった。私は、これに参加しスミソニアン側から送られてきた展示シナリオに目を通す機会に恵まれたが、それは、いわば展示予定の一つ一つの資料について、日米の見解の相違を確認する作業であった。
結果的には、スミソニアン協会航空宇宙博物館における被爆資料展示は中止となった。しかし、アメリカ国内の歴史認識の溝が初めて広範に論議され、日米間の溝が事実に即して検討されたことは、原爆投下を歴史の文脈に位置づけるための貴重な第一歩となった。これを契機に、アメリカでは、原爆投下をテーマとしたシンポジウムが、また日本側では、アメリカ国内での独自の原爆資料展が開催されている。

 

トルーマン談話(1958.2.2)への抗議

トルーマン談話への抗議

 トルーマン前米大統領は,1958(昭和33)年2月2日,CBS(コロンビア放送)のテレビ番組「いまこそ見よ」の中で次のように述べた。

 われわれが強力な新兵器をもっていた以上,それが大量殺人兵器だからといって,私はこれを使うことに良心のかしやくを感じることはなかった。だれも戦争は望まないし,戦争には反対だが,戦争に勝てる兵器をもちながらそれを使わなかったとすればばがげたことである。私は水爆が戦争に使われないよう希望するが,万一世界が大混乱にまきこまれば,水爆は使われるだろう。このことは間違いない。

「中国新聞」(夕刊)1958年2月3日)

 広島県原水協は,この談話について5日夜常任理事会を開いて検討を行った。その結果,対応の基本方針として,次の5点を確認した。

1.たとえ言葉だけにしろ,このような発言は道義的に罪悪であり,世論からどれほど手ひどい反撃を受けるかを知らせる必要がある。

2.トルーマン氏の最も痛いところは広島である。広島から抗議運動をもりあげることはとくに重要である。その意味から直接被害者の強い反撃の組織が必要である。

3.単に抗議文を送るという形式的な手続きのみでなく,県市民の怒りが結集されるという方向が必要である。

4.とくにこのような機会をとらえて,素朴な「もってのほかだ」という憤がいの気持を誰れもがあらわしていけるような態勢と結びつきを考える必要がある。

5.こんどのト発言を知らない人にも周知徹底するなかで世論を組織すること。

 また,当面の具体的行動としては,抗議文をトルーマンあてに発送するとともに,次の5点を決めた。

1.地域原水協,県内諸団体(とくに労組,被害者団体,婦人,青年,宗教団体など)に行動をおこしてもらうよう要請し,話合いをもつ。

2.知事,市長,地方自治体に抗議を要請する。

3.県下諸団体は自己の全国組織にとりあげて全国的世論と抗議をよびかけてもらう。

4.広島原水協,日本原水協を通じて直接,間接に国際的世論の反撃運動を組織するようよびかける。

5.とくに米国の宗教,平和団体を通じての抗議を要請する運動を強化する。

 翌6日には,広島県被団協も緊急理事会を開き,次のような抗議文をトルーマンあてに発送するとともに,当日ただちに県・市を訪れ抗議への協力を要請した。

 あなたは,二月二日のコロンビア放送で「広島・長崎の原爆攻撃を指令したあとに,良心のかしやくを感じなかった。これからも水爆は使われるであろう」という言明をせられました。この言明は直接原爆の苛酷な被害を経験した私たち広島の被害者に計り知れない衝撃を与えました。

 被爆後十二年間を経た今日,なお,当時受けた放射能により,原爆症のため倒れて行く人たちが後をたちません。そればかりではなく,子孫にまで悪影響を及ぽし,被害者は全く救いのない恐怖におののいている現状であります。

 あなたは,このような被害の実相をご存じでしょうか。一九四六年広島にA・B・C・Cを作られたあなたが被害の実相をご存じない筈がないと思います。

 あなたの言葉が事実とすれば,原爆投下の最高責任者であったあなたが全く異質の大量殺人兵器を使用しながら,戦後十三年たった今日,なお,いささかの反省もしないのみならず,宇宙時代,究極兵器時代においても原子戦争体制の準備と原水爆使用の必然性があることを強調されたことになります。これは明らかに人類への挑戦と考えざるを得ません。

 私たちは,今原爆ドームが灰色に凍るヒロシマの爆心地,そして一瞬にして悲惨な死をとげた二十数万人の原爆死没者の慰霊碑の前に立っています。(この碑の中には,当時捕虜であった数名のアメリカ兵も,マラヤ・インドネシヤの留学生の霊もまつられています)

 私たちは,「安かに眠って下さい 過ちは繰返しませんから」という碑文を,かろうじて生きのこった身体に鞭うちながら,運動の指針として来たことに高い誇りを持ち続けていますが,加害者であるあなたは,この碑文を如何にお考えでしょうか。

 速やかにあなたの言葉を撤回されるよう要求します。

一九五八年二月六日-原爆投下から十二年六カ月目の日-

広島県原爆被害者団体協議会

トルーマン閣下

 トルーマン談話のもたらした波紋は,原水協・被団協のこうした反射的反応にとどまらなかった。2月7日,大原広島県知事および渡辺広島市長は,両団体の要請に応え,それぞれトルーマン談話に対し,原爆投下は人道上許しがたい行為であったとする抗議の談話を発表した。また,13日の広島市議会は,トルーマン談話に対する抗議声明を可決し,直ちにトルーマンあてに送った。

 トルーマンは,このような日本側の反響に接し,3月14日の記者会見で,広島市議会議長仁都栗司あてに反論の手紙を送ったことを明らかにした。この報道は,再び広島では大きな反響を呼び,3月24日の広島市議会本会議は,トルーマンの返書(17日到着)に対する抗議の声明書を採択し,25日トルーマンあてに発送した。この後,この問題は4月8日,トルーマンが再度弁明,これに対し,広島市議会が2度目の抗議文を世界各国の首脳をはじめアメリカの報道機関に送るという様に,ますます大きな広がりをしめした。

 広島のトルーマン談話に対する抗議は,一様に原爆投下を人道上許しがたいことと述べていた。中でも,2月7日の県知事談話は,原爆投下を国際法違反とまで断じていた。このような原爆投下責任の問題は,それまでの広島では,タブーの観があった。原爆慰霊碑の碑文をめぐる論争(1952年11月以降),あるいは原爆損害賠償請求訴訟の提起(1953年1月)など,原爆投下責任を追及する動きは存在したが,それらは,大きな広がりを持つものとはならなかった。それにもかかわらず,トルーマン談話は,広島の原爆投下批判を一気に吹き出させる契機となった。「中国新聞」のコラム「断層」は,トルーマン談話は,「広島としては戦後最大のショックだった」と述べている(「中国新聞」1958年3月1日)。

 トルーマン談話をめぐる日本側の反応が,いわば原爆投下批判一色だったのに比ペ,アメリカ国内での反応は,複雑であった。アメリカから広島市の抗議に賛意が寄せられる一方で,次のような書簡も届いていた。

 トルーマン氏が広島・長崎に原爆投下後良心のかしやくを感じなかったという発言は市民と犠牲者に対する冒とくだと言い,遺憾の意を表わせと要求されたが,貴国の指導者たちが真珠湾を不意打ち攻撃し,戦争を始めたことについて米国民はどう考えていると思うか。トルーマン氏は彼が思っていることをそのまま語ったもので彼の本意だと思う。当地には多くの日系米人がいるが,これの人々の多数はいまでもトルーマン氏を支持していることをご存知ですか。(カリフォルニア州ラグナビーチ市 チャールズ・A・ペティコート)

(「中国新聞」昭和1958年2月26日)

 アメリカにおいては,こうした声が一般的であることは,前年の国民使節団の米国班により確認されていたことであった。広島県被団協では,5月25日の総会で,広島に原爆を投下したB29の当時の飛行機長ロバート・A・ルイイに手紙を送り,トルーマン談話への反対運動を行うよう呼びかけるとともに,「恩讐を越えて平和運動をともに展開しよう]と8・6大会に招待することを決めた(「中国新聞」1958年5月26日)。ルイスを選んだのは,彼が治療のために渡米した原爆乙女の救援に助力し,アメリカ国防省から原爆使用の可否を問われたとき絶対反対の意を表明したことが伝えられており,アメリカ内部から原爆投下ヘの反省を起こさせる適任者と思われたからである(藤居年一「ルイス大尉招待の経緯」)。広島県被団協は,7月23日,正式に招待状をルイスあてに発送した。しかし,当のルイスは,招待状の届く前の7月28日,記者の質問に対し,出席するつもりのないことを明らかにするとともに次のように語った。

 報道によると私は原爆によって引きおこされた災害を遺憾に思っていることになっているが本当にそうだとはいえない。もちろん他人に不必要な災害をおよぽすことは望んでいない。原爆は普通の爆弾以上の破壊力を持っていることも知っている。しかし仕事をやりとげねばならなかった。戦争を早く終らせるためにだ。この気持はいまでも変らない。

(「中国新聞」(夕刊)1958年7月29日)