呉戦災を記録する『1フィート運動呉市民の会』結成のご案内( 呉戦災を記録する会、198502)
呼びかけ団体連絡先:朝倉邦夫(呉戦災を記録する会事務局長) |
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呉戦災を記録する『1フィート運動呉市民の会』結成のご案内( 呉戦災を記録する会、198502)
呼びかけ団体連絡先:朝倉邦夫(呉戦災を記録する会事務局長) |
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資料年表:呉空襲を記録する会<作業中>
年月日 | 事項 | メモ |
1945 | ||
0319 | ||
0701 | 呉市大空襲 | |
0702 | 高野源進告諭<呉市罹災の際における県知事告諭> | |
『新編広島県警察史』(19540528)p.407 | ||
1946 | ||
1109 | 広島県下における空襲被害状況表(昭和21年11月9日警察部調査) | |
『新編広島県警察史』(19540528)pp.409-415 | ||
1950 | ||
旧軍港市転換法(昭和25年法律第220号) | ||
1973 | ||
1013 | 宇吹メモ(1973・10・13) | |
呉歴史教育者協議会10月例会 於:呉勤労会館 | ||
1974 | ||
1117 | 「呉戦災を記録する会」(仮称)設立についての訴え 宮原一男(上山田自治会長) 久留島恵一(歴史教育者協議会呉支部代表幹事) |
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1124 | 宇吹メモ(1974・11・24) | |
呉空襲を記録する会設立総会 於:呉勤労会館 | ||
1124 | 「呉戦災を記録する会設立総会アピール」 | |
1124 | 「呉戦災を記録する会」規約(案) | |
1124 | 「呉における戦災の概要」(呉戦災を記録する会<朝倉邦夫・宮原高校>) | |
1975 | ||
01 | 呉戦災を記録する会例会のご案内(事務局・朝倉邦夫) | |
0121 | 呉戦災を記録する会会報 No.1 | |
0126 | 「呉戦災を記録する会」規約<1974年11月24日より実施> | |
0213 | はがき「呉戦災を記録する会例会のご案内」 例会 日時:2月23日、会場:呉総合福祉会館、議題: |
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0323 | 宇吹メモ(1975・3・23) | |
呉空襲30周年記念市民集会 呉戦災を記録する会第4回例会 |
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0627 | はがき「呉戦災を記録する会例会のご案内」 例会 日時:6月29日、会場:呉勤労会館、議題: |
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0725 | はがき「呉戦災を記録する会例会のご案内」 例会 日時:7月27日、会場:市民会館、議題: |
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1977 | ||
0807 | 第7回空襲・戦災を記録する会全国連絡会議(主催:空襲を記録する会全国連絡会議、福山空襲を記録する会、福山市中央公民館) | |
1984 | ||
0623 | 第20回呉地区高校生平和の集い記念出版「戦跡よ語れ 呉の平和な未来を―呉戦災フィールドワークの手引き」 | |
0704 | 福山空襲を記録する会・呉戦災を記録する会 「第14回全国連絡会議の開催のご案内」 | |
「第14回戦災空襲を記録する全国連絡会議の呉大会要項」 | ||
0804 | 第14回戦災空襲を記録する全国連絡会議呉大会 | |
傍聴のご案内 | ||
傍聴券 | ||
第14回戦災空襲を記録する全国連絡会議呉大会 | ||
呉市平和委員会・呉戦災を記録する会・歴史教育者協議会呉支部「 軍都・呉の基地と戦災」 | ||
佐世保空襲を語り継ぐ会「 被爆県長崎佐世保からの報告」 | ||
<作業中 > | ||
1985 | ||
0109 | 米軍フィルムで呉空襲の映画 記録する会 夏には完成 体験談・資料も添える(『中国新聞』19850109) | |
0113 | 宇吹メモ(1985・1・13) | |
呉戦災を記録する会 40周年記念行事計画 | ||
0126 | 呉空襲の米軍フィルム公開 記録する会 惨状くっきりカラーで25分 証言集め映画製作 1フィート運動展開へ | |
02 | 呉戦災を記録する『1フィート運動呉市民の会』結成のご案内( 呉戦災を記録する会) | |
0203 | 1フィート運動 市民の会きょう発足 呉空襲の記録映画製作(『中国新聞』19850203)、1フィート運動で呉空襲の記録映画製作 市民の会が発足『中国新聞』19850205) | |
0205 | <指定席> 呉の 1フィート運動に取り組む 朝倉邦夫さん (48歳)(『中国新聞』19850205) | |
0411 | 呉空襲の悲惨さ描く映画 『赤い月の街』製作 市民の会 戦争と平和問う 来月中旬完成 あすクランクイン(『中国新聞』19850411) | |
0412 | 映画『赤い月の街』 雨の中で撮影開始(『中国新聞』19850413) | |
0702 | 呉空襲の惨状描く「赤い月の街」 市民の会試写会(『中国新聞』19850703) | |
『くれ 呉市政だより 戦後30年特集号』(呉市役所・市民相談課、1975.8)
頁 | 主要記事 | メモ |
01 | (写真)米軍進駐直後の呉市街、焼け跡に残骸を見せる市役所・旧庁舎 | |
02 | 被爆 | |
20年7月1日夜半 市街地に大空襲 死者1817人、負傷者453人、家屋被害22168戸 | ||
<作業中> | ||
16 | 編集後記 | |
呉戦災を記録する会会報No.4戦災体験者手記特集号
柳井順三(賀茂郡豊栄町別府)
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呉戦災を記録する会会報
No. | 年月日 | 記事抜粋 |
1 | 19750121 | 悲惨な戦争体験を後世に伝えよう 呉市史の空白を呉市民の手で |
設立総会(11月4日)に市民30余名 | ||
松本賢一(会長)「市民の力を結集し戦災記録の完成へ」 | ||
会の目的と事業(会則抜粋) | ||
当面する活動計画 | ||
2 | 19750220 | 早いテンポで記録し!よう !まず、あなたの体験を記録に! |
呉史談会例会でも戦災体験を語り合う | ||
3 | 19750320 | 第3回例会報告 |
貴重な体験を語り合う | ||
4 | 19750323 | 戦災体験者手記特集号 |
柳井順三(賀茂郡豊栄町別府) |
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『呉戦災 あれから60年』(呉戦災を記録する会、2005/07/01)
内容<作業中>
部 | |||
1 | 呉戦災六十周年記念募集体験記 | ||
Ⅰ 炎の嵐 呉戦災の全てを体験した私の学徒時代 佐藤裕 14 学徒動員の記憶―道路を炎が走った 藤居由和 28 人生を考えるきっかけをつくってくれた空襲 斉藤久仁子 35 手記 増田恭人 45 ある郵便局員の回顧録 三上勇夫 59 私の戦時体験 河上利男 67 昭和二十年の日記 神垣増雄 75 |
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Ⅱ 教室を追われて工場へ 紅の血燃ゆれど 大久保圭子 96 学徒動員による戦中体験記 中西弘子 108 九三式中練試飛行図 藤井キヨ子 112 広第十一空廠についての体験談 杉野恵美子 113 学徒動員中の呉大空襲 栗村英子 114 学徒動員と二度の空襲 福岡都喜子 115 竹原高等女学校学徒動員について 木原芳枝 117 県立竹原高等女学校勤労動員 田中眞佐子 119 戦争中の生活体験 西迫マツ子 123 飢えていた私達 奥本実和子 127 学徒動員体験記 岸本典子 134 偶然が命を救う 東林英子 137 暑い夜 住吉典子 140 学徒動員から六十年 中島澄江 141 動員と空襲 多田静子 142 八月の手記―私と戦争 山田ミサ子 143 学徒動員 宮内後広子 145 旅行証明書 田中幸子 146 呉湾の今昔 山中和子 147 大空寮 西田登喜子 149 生き地獄 杉原幸子 150 |
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Ⅲ 銀翼の影の下で―初空襲の日 | |||
呉軍港の空襲 木村フジエ 152 呉初空襲 竹本博治 153 呉空襲と父の死 小瀬利治 154 奪われた青春、戦忘れない 広本積 157 |
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Ⅳ 眠れぬ疎開の日々 | |||
私の戦争―学童疎開体験記 久万正栄 160 子供たちの太平洋戦争―岩方国民学校児童の集団疎開―山崎優 164 哀れな記憶―断片 朝倉邦夫 170 |
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Ⅴ 五月の黒い空 | |||
「タコツボ」に生きる 住原哲二 174 工場死守のためのタコツボ入り 四宮静雄 176 爆弾と「タコツボ」 佐々木茂 179 阿賀町での空襲 Sさん 180 |
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Ⅵ 工廠爆撃の恐怖 | |||
呉工廠の空襲と市街地の焼夷弾空襲に遭遇して 藤久常夫 186 呉市街地と呉工廠の思い出 松本春義 189 呉海軍工廠砲煩部の空襲 村上久夫 192 |
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Ⅶ 焔にまかれて | |||
炎の記憶 濱本義人 194 呉空襲の体験 信太サカエ 195 呉市史を正す―吉浦地区の被害と体験 中田文芳 198 呉市における生活体験記 守屋優 202 戦災も原爆の延長線にある 奥川忠 205 三世代に語り継ぐ 中宗洋子 207 呉空襲の記憶 中田芳子 207 五十三年ぶりのいれいひ 中宗政成 209 呉空襲と当時の生活風景 藤川順子 211 呉市街地の空襲 吉原忠司 213 呉市街地空襲について 中塩寛治 216 空襲 河野久恵 219 呉空襲を顧みて 戸田貞子 220 戦時中の思い出 真苗チヅ子 224 防空壕の思い出 岡崎和子 225 勤労動員と呉空襲の体験 小川宮三 227 自分史上にみる戦災記 村田隆子 229 呉戦災体験記 蔵下一士 232 家族と家を焼かれて 中下量人 236 |
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〈資料〉空襲被害対策二関スル件 238 〈資料〉呉空襲犠牲者数各種統計一覧表 243 〈資料〉米国戦略調査団への提出資料 呉空襲被災統計 244 〈資料〉爆弾投下統計 |
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Ⅷ 火の空と血の海のあいだ | |||
「伏龍」特攻隊と戦艦「日向」の戦闘 石井康 248 呉軍港戦闘記 黒永忠 252 一信号兵の思い出 大皿俊治 258 「日向」軍艦旗返還の思い出 浜万寿生 267 |
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Ⅸ 潤いなくして | |||
呉海軍鎮守府建設頃の挿話及び呉空襲を目撃 植田盈 270 戦時下の郷原・黒瀬 加納清子 273 戦時中の生活について 横間フキエ 275 |
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Ⅹ 戦場の暮らし | |||
海軍哀愁の栞 原田初 278 戦火のなかの呉海軍病院 松岡幸子 287 加害の体験を見つめて 久保田哲二 289 〈資料〉布告 昭和二十年八月十五日 呉鎮守府 303 〈資料〉連合軍進駐地付近住民ノ心得 広島県警察部 304 |
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XI 記憶と和解 | |||
弔意と平和を希求―戦災死者名簿の公開 朝倉邦夫 306 祝 詞 工僚神社 宮司 佐々木尚宏 307 祭神人名帳 工僚神社 308 殉国之塔について 横間フキエ 310 殉国の塔殉職者名簿 312 お地蔵さん 宮本澄枝 313 地蔵尊建立趣意書 315 呉市空爆死亡者名簿 供養地蔵尊 316 |
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2 | 米軍による呉市民尋問録 | ||
米軍による呉市民尋問録 神垣惟秀 318 〈資料〉回答者一覧 345 〈資料〉呉市への尋問調査 吉田魏彦 訳 348 |
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3 | 米軍パイロットの呉空襲体験記 | ||
米軍パイロットの呉空襲体験記 吉田魏彦 354 | |||
Ⅰ 三月一九日「紫電改」と米海兵隊機の空中戦 「紫電改」の邀撃で全身傷だらけの帰還 364 一九四五年三月一九日 呉地方攻撃 概要(一) 368 一九四五年三月一九日 呉地方攻撃 概要(二) 370 死闘三〇分―ついにとらえた「紫電改」のイラスト 374 報告に「紫電改」初登場 374 敵機の強烈な印象 375 敵機空軍パイロットは精鋭 375 日本機の撃墜・損傷記録 十四機 376 米軍の損失も甚大 377 一機帰投なし 三名生死不明 378 六名が戦闘中行方不明 380 日本の空母「天城」を攻撃 387 「大和」攻撃誤認報告 388 カボット艦載機の写真撮影 390 |
|||
Ⅱ 三月一九日大和攻撃 大和をめぐって(一) 392 大和をめぐって(二) 393 大和をめぐって(三) 395 七万トン超の「大和」を四万八千トンの新情報で 397 大和をめぐって(四) 398 大和攻撃略図 399 広島湾においてベニントン艦載機ヘルダイバー、大和型を攻撃 400 |
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Ⅲ 四月七日 大和の最期 | |||
主砲による三式弾の砲火を浴びつつ 401 一九四五年四月七日「大和」攻撃抜粋 404 大和攻撃―二回目の交戦 404 |
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Ⅳ 七月二四日―二八日 | |||
「天城」「葛城」攻撃 407 偽装艦三隻発見、次の攻撃目標に 410 一九四五年七月二四日 呉地方攻撃 概要 411 「莉根」への攻撃 412 「日向」をめぐって 415 一九四五年七月二五日 呉地方攻撃 概要 416 一九四五年七月二八日 呉地方攻撃 概要 418 偽装した日本艦船を攻撃(1)(2) |
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Ⅴ 撃墜されたパイロットたちの記録 | |||
呉海軍刑務所に収監された米飛行士一覧 422 呉近辺の墜落米パイロットの公開調査 425 |
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Ⅵ 追記 | |||
呉海軍刑務所に収監された米飛行士一覧 422 呉近辺の墜落米パイロットの公開調査 425 |
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おわりに | |||
止
呉空襲を記録する会設立総会(宇吹メモ)19741124<作業中>
1974年11月24日 於勤労会館 |
呉空襲を記録する会設立総会 20人参加 |
1)司会挨拶(大田) |
2)呼びかけ人代表挨拶 |
3)経過報告 |
4)規約審議 |
当面の運動方針 |
「呉戦災を記録する会」規約(案) 1974年11月24日 |
呉歴史教育者協議会例会(19731013)宇吹メモ
1973年10月13日 呉歴史教育者協議会10月例会 於:呉勤労会館 |
<作業中> |
『改訂版 呉空襲記』(中国新聞呉支社、19790531<初版発行は19751220>)
頁 | ||
007 | 海軍管理都市 | |
憲兵隊が呉市長を逮捕 目隠しの生活 サイレンで年明け |
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014 | 三月十九日 | |
初の爆撃に衝撃 民間の死者29人 土佐沖から350機 民家に爆弾直撃 国民学校も破壊 |
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022 | 広・11空廠 | |
B29百三十機が来襲 待避ごうを直撃 動員学徒も死ぬ 機械500台が被害 ものすごい爆風 |
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031 | 呉工廠 | |
20分間隔で爆撃 電動機吹き飛ぶ やっと警報解除 早瀬地区(音戸)に爆撃 隣組全員命拾い 爆弾投下336発 |
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爆弾投下336発(抄) 製鋼部は第二甲鈑鍛錬工場、製鋼実験部付近、第一製鋼工場に集中投下された。 第一製鋼工場にいた広島県賀茂郡豊栄町、農業柳井順三さん(60) の記憶。 「爆撃の威力は相当なもので、ごうの前にあった爆風よけのコンクリートが基部から完全に爆破され跡片もなくなっていた。 午後からガス工場を見回っていると、発生炉のそばにある水そうに爆弾が落下し、水そうの横をレールが通っていて、そこに止まっていた機関車は爆風で持ち上げられ脱線していた。 鋳物に使う約1トンの鉄の円盤が30メートル余り吹き飛ばされ、高さ10数メートルもある鋳物工場の屋根に投げ上げられていた」<柳井順三は宇吹の義父> |
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042 | 市街地 | |
B29八十機が来襲 全市が火の海 家族もバラバラ ごうで550人死ぬ 一夜で焦土 前進はばむ炎と煙 海軍施設でも被害 投下焼イ弾8万個 焼け跡で炊き出し もう日本はダメ |
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060 | 呉沖海空戦 | |
係留艦の燃料なし 艦載機870機が猛爆 戦艦「伊勢」に空爆 民家に米軍機墜落 「青葉」も大破、着底 「日向」夜通し炎上 ロケット弾サク裂 重巡「利根」も大破 「大淀」に水平爆撃 無傷「榛名」に猛爆 8艦で死者839人 |
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079 | 広島被爆 | |
被爆者救援 海軍救護隊も出動 |
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083 | 終戦 | |
忘れられぬ記憶 玉音放送に涙 戦災の跡に台風 焼け野原に驚く 代用食でしのぐ |
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093 | 海軍解体 | |
GHQ命令出る 水道を市に移管 機雷掃海を要求 |
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099 | 米軍進駐 | |
早速戦犯を追及 弾薬を海に投棄 遺骨も同時収容 |
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104 | 慰霊の軌跡 | |
炎天下650人参列 先細る慰霊法要 25年ぶり奉納へ 二つの碑を建立 市の手で慰霊を |
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114 | 歳月 | |
支給されぬ年金 焼イ弾右腕奪う 「よう生きて…」 まず幹線道造り 広がる記録運動 |
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124 | 被災地広がる | |
尾道市 県下初の空襲 福山市 市街地の八割を焼く 岩国市 終戦前日の猛爆 徳山市 無差別爆撃で廃墟 光市 一瞬で散った動員学徒 宇部市 空と地上からの火柱交錯 下関市 海峡も陸上も墓場に |
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147 | 呉空襲関係資料 | |
広島県下に於ける空襲被害状況表 呉空襲被害一覧表 広・11空廠工場配置と待避ごう位置図 昭和20年呉市の警報発令状況 呉市学童疎開先一覧表 勤労動員一覧表 第二次世界大戦関係雑件(被害調査)(呉市に関する報告) 呉沖海空戦の主な軍艦と戦歴 |
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181 | あとがき | |