「41  特論」カテゴリーアーカイブ

高良とみ自伝

『非戦を生きる-高良とみ自伝』(高良とみ、ドメス出版、19830325 )

目次

 プロローグ
生いたち
婦人運動の先駆者、母邦子
父のこと
キリスト教の家
寄宿舎生活
タゴールとの出会い
「中条百合子<宮本百合子>さんについて」
行動する心理学者として
アメリカ留学
女子教育者として
「友和会設立」
 暗い時代へ
「空襲・疎開・敗戦」
平和を求めて
 復興への息吹の中で
呉市助役として
戦後初の婦人議員に
極東裁判の印象
新憲法発布
緑風会へ
世界平和者会議ヘ
ローマ法王に戦犯の減刑請願
全インド婦人会議
全面講和か片面講和か
売春防止法制定にむけて
 “鉄のカーテン”をくぐる
モスクワへの道
モスクワでのこと
モスクワ経済会議
グロムイコ会見
モスクワ見聞記
シベリアのラーゲル訪問
日中第一次貿易協定を結ぶ
新しい中国の内側
スイスの赤十字へ
高良とみ帰国歓迎会
日本婦人団体連合会結成
在中国同胞引揚げ交渉に再び北京ヘ
 アジア・アフリカの婦人と共に
「妻として母として」
-内側から見た高良とみ
  高良留美子
解説  柘植恭子
高良とみ年譜

こうの史代

こうの史代:女性漫画家、イラストレーター

代表作
『夕凪の街 桜の国』(双葉社、200408刊)
『この世界の片隅に』

『夕凪の街 桜の国』(双葉社、双葉文庫、20080420)
夕凪の街=被爆10年後の広島が舞台
桜の国=42年後~59年後の東京と広島が舞台

波乱の生涯を全力でつくした七十年の斗魂

『波乱の生涯を全力でつくした七十年の斗魂』(金本邦夫著、財団法人富士社会教育センター刊、19960520刊)目次抄

章節
出版に寄せて
はじめに
1 小さい頃と両親のこと
2 小学校時代のこと
3 青年団活動
4 大東亜戦争のこと
4-12 原爆と終戦
5 音戸町体育協会のこと
6 全力つくした町議会議員
6-1 戦後第1回統一地方選挙に出馬。<音戸町議員>
6-2 戦争未亡人救済の町営授産場設立に努力
6-3 町立保育所の設立を実現
6-4 音戸高等学校誘致に死力をつくす
7 呉造船労働組合時代 労働運動に生涯をかける決意
7-1 労働運動に入るきっかけ
7-2 給料遅配に特別交渉委員。出征兵士見送り同様の壮行会で上京
7-6 全国初の厚生年金還元融資の串山住宅
7-7 中国労災病院呉誘致に一役買う
7-9 呉造船独立と労働組合
7-10 生協売店市中進出反対デモの応対。本部建設に一役、音戸取次所を自宅に
7-12 労働組合長に就任
7-13 年満者夫婦の招待慰安旅行の実施
7-16 組合特自の共済規定の実現
7-17 家族会の結成と家族相談室の設立
7-19 年満者引続き雇用を要求・遂に呉船産業株式会社設立を実現
7-20 毎日新聞全国版(1961年2月4日)に40代の顔として紹介される
7-22 組合結成十五周年記念事業として十五年史発刊と会館建設を実施
8 広島全労議長として活躍
8-1  造船総連、総同盟等の上部役員
8-2  広島全労議長に就任
 8-3  県関係の各種委員に任命される
 8-4  日本生産性本部米国派遣視察。労働者チーム十二名の団長として
 8-4-1  出発に郷里で見送り壮行会
 8-4-2  いよいよアメリカ、主要都市周辺のこと
 8-4-3  労働組合が国旗と組合旗を尊重
 8-4-4  徹底している産業別組織の確立。大手鉄鋼会社で県出身二世課長の案内
 8-4-5  組合大会を見学、幹部と懇談。働きすぎの日本におひやかされる
 8-4-6  日系人のこと
 8-4-7  手土産と家庭訪問
 8-4-8  余話
 8-5  最賃法裁判で基準局賃金課長を激励
8-7-1
 8-6  憲法調査会の公述人として意見陳述
8-7 核禁会議の結成で原水協とテレビ対決
8-8 労済、労住、労福協の結成
8-8-1 植木仙次郎氏8-5の功績
8-8-2 広島県労働者共済生活協同組合の設立
8-8-3 広島県労働者住宅生活協同組合の設立10月
8-8-4 広島県労働者福祉対策協議会結成
8-8-5 結成周年記念式典の思い出
8-8-6 焼山政畝団地造成の思い出
8-8-7 音戸波多見竹田浜埋立団地に
8-9 労働争議の斡旋、調停、指導
8-9-1 西美電気西光精機(現テンパール工業)
8-9-2 府中町静養院の争議
8-9-3 ニコニコバスの争議
8-9-4 日東製網の争議解決に努力
8-9-5 佐竹新労結成は暴力を排除して
8-9-6 激しかった当時の労働争議
8-9-7 国鉄、電産のスト、労使に苦言
8-9-8 地労委としての私の基本的考えと携わった事件
8-9-9
8-9-10 メーデー改善を訴える
8-9-11 講演依頼やテレビ、ラジオの対談。常にマスコミの対象にされる
8-9-12 同盟会議結成の準備と全労議長退任
9 職場復帰で全力投球 社長表彰、更に営業で実績
10 PTA活動と小、中学校の分離推進で中学校建設に献身
11 生涯民社党を貫く
12 思い出深い選挙活動
まえがき
12-1 衆議院議員前田栄之助先生を支えて
12-2 民社党結党直後の衆院選、私に出馬要請されるも遂に辞退
12-3 永野巖雄先生とのかかわり
12-4 二区衆議院選に香河直祐氏。選対委員長を引受けて闘う
12-5 山田節男先生と私。参議院選挙と広島市長選挙
12-6 浜田光人先生、衆院選擁立について
12-7 保野健治郎先生の選挙
12-7-1 呉市長選擁立に社公民三党の話合い
12-7-2 二回目の市長選は未曽有の激戦
12-7-3 衆院二区に擁立して健闘。事務長を引受ける
12-8 小西博行先生擁立に主役。経緯と参院選
12-9 永末英一選対委員長来呉で二区衆院候補擁立について話合う
12-10 全国初の公民協力、勝谷勝弘氏を支援
12-11 盟友玉野晃君と県会議員選挙
12-12 玉野君病で引退説得を依頼される。後任混乱。私は苦しみ抜き、党のため遂に候補受諾
12-13 次期県議候補に柳田稔氏を説得
12-14 参院地方区佐々木秀隆候補は呉支部党員
12-15 呉市議選につくした私の役割
12-15-1 組合長在任中二回の補欠選挙に勝利
12-15-2 出崎文三氏をわが社社員で市議へ
12-15-3 榊原伍市議との交友
12-15-4 横田勝信市議とのこと
12-15-5 民社の申し子、重盛親聖市議。永年の結びつきと選挙を思う
12-15-6 組織外から森岡よし子氏擁立に一役。平成七年統一地方選に初の女性市議
12-15-7 成功しなかった市議選
12-16 川尻町長選に花田博幸氏、惜敗する
12-17 音戸町長選(平成五年)を思う
12-18 公職選挙法違反で留置場十九日。会社、団体等役員十九件を辞任
12-19 民社党候補者探しは私の役目として努力
13 会社設立し理想に向って
13-1 IHIを中途退職して外で行動
13-2 株式会社くれせん設立
14 家庭、家族のこと
15 大東亜戦争戦没者慰霊碑建設と老人福祉施設の建設を希求して
むすびに
金本邦夫略年譜

日本遺産「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴」

日本遺産「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴」

2016(平成28)年4月に、4市のストーリー「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴 ~日本近代化の躍動を体感できるまち~」が、日本遺産に認定。

空襲・戦災を記録する会(宇吹所蔵資料)

空襲・戦災を記録する会(宇吹所蔵資料)

年月日 タイトル 備考
19731013 呉歴教協10月例会(於:呉勤労会館) 宇吹メモ
19741124 呉戦災を記録する会設立総会関係(1974年11月24日、呉市・勤労会館ホール) 一括
19750121 呉戦災を記録する会会報No.1、No.2(0220)、No.3(0320)、No.4((0323) 各B4紙1枚
19750126 呉戦災を記録する会例会関係 一括
197505 呉市政だより8月 戦後30年特集号(呉市役所市民相談課編・発行)
第14回戦災空襲を記録する全国連絡会議呉大会(1984年8月4日、呉市・勤労会館ホール) ファイル1冊
空襲を記録する会 ノート1冊

 

 

 

【資料】天皇「ヒロシマ巡幸」1947.12.7

【資料】天皇「ヒロシマ巡幸」 1947.12.7

[広島市民広場での]御言葉

[『天皇と廣島』(小野勝、広島文化社、1949)所収]

この度は皆の熱心なる歓迎を受けて嬉しく思う。
本日は親しく広島市の復興の跡を見て満足に思う。広島市の受けた災禍に対しては同情にたえない。
我々はこの犠牲を無駄にすることなく平和日本を建設して世界平和に貢献しなければならない。

THE NEW YORK TIMES 1947.12.8

Hirohito Rules Out New ‘Pearl Harbor’

by The United Press

HIROSHIMA, Japan, Dec. 7 –Emperor Hirohito pledged today that Japan never again would pursue policies that might lead to another “Pearl Harbor” as he addressed 40,000 persons at this atom-bombed city on the sixth anniversary of the attack on Hawaii.

In an unprecedented and unexpected speech, the Emperor said the Japanese people “must work to contribute to world peace and rebuild the country.”

He expressed the deepest personal sorrow at the atomic disaster that had befallen Hiroshima, but said Japan faced the future hopefully

Emperor Hirohito stood alone and unattended on a raised openair platform in the center of the atomic bomb. Australian military police aided in controlling the crowds.

ニューヨーク・タイムズ原爆関係記事目録(1947~83年)

ニューヨーク・タイムズ原爆関係記事目録1947~83年

47 02 09 42-3 UP WASHINGTON, Feb. 8
[広島爆撃にNolden照準器が、Smithsonian Institution に寄贈されることになる。]
47 07 19 6-2 AP HIROSHIMA, Jul. 18
[オーストラリアのペニシリン1500万個が赤十字病院に寄贈される。]
47 12 08 1-7  UP HIROSHIMA, Dec.7
Hirohito Rules Out New ‘Pearl Harbor’
47 12 08 24-2
HIROSHIMA VIA PEARL HARBOR
48 08 12 23-8  LONDON Aug. 11 by Clifton Daniel
Widespread Shame in America Over Use of Atomic Bombs Reported by a Scientist
[精神心理学者の集会で、G.R.Hargreaves 博士が、アメリカは原爆使用について 罪の意識を持っていると語る。]
49 07 01 21-4  WASHINGTON, Jun. 30
[広島攻撃に使用されたB29、7月3日にスミソニアン協会に公式に渡される 予定。]
50 07 16 13-1  PARIS Jul.15
[浜井信三広島市長、広島の犠牲者は20万人を超すと語る。]
57 11 17 2-6  Reuters HIROSHIMA Nov. 16
[日本被団協の藤居平一、ソ連の医師から長崎の被爆者に対する無料治療の申し出があったことを発表。]
58 02 03 1-1  By Wayne Phillips
[トルーマン前大統領、昨夜のテレビ向けインタビューで原爆投下に言及。]
58 02 14 2-6  TOKYO Feb. 14
[広島市議会、トルーマンの発言に抗議。日本の新聞も、トルーマン発言を非難。]
58 03 15 1-3  KANSAS CITY, Mar.14
[トルーマン、原爆投下非難に反論、仁都栗司広島市議会議長への書簡を公表。]
58 03 19 30-7
[(投書)トルーマンの書簡に賛同]
58 03 22 16-6 by James J. Flynn[Fordham 大学歴史学準教授]
[(投書)トルーマンの書簡について]
58 03 23 21-1 Reuters HIROSHIMA Mar. 22
[広島市議会、トルーマンに再考を促す]
58 06 12 33-5 HANOVER Jun. 11
[28歳の英語女教師 Le Moyne Goodman、生徒が原爆投下を非難する作文を書いたことを理由に辞職をせまられる。]
58 06 19 27-5 HANOVER Jun. 18
[教育委員会、女教師Goodman の辞職問題について語る。]
58 06 21 21-6  HANOVER Jun. 20
[女教師Goodman、辞職を決意する。]
59 05 30 2-1  CAMP HILL May. 29
[エノラ・ゲイ号は、現在アンドリューズ空軍基地にある。将来は、スミソニア ン国立航空博物館に収められる予定。]
60 08 07 32-4
[(写真)戦争終結を報じるニューヨーク・タイムズを手に、15年前を回顧す るチベッツとフェアビー。]
63 12 07 2-3 AP TOKYO Dec.7
[東京地裁、原爆投下は国際法違反との判決を下す。]
64 05 06 3-6  AP INDEPENDENCE,Mo., War.5
[広島・長崎の8人の被爆者、トルーマンと会見。]
70 07 12 10-1 UPI TOKYO Jul.11
[柳田ヒロシ、23人の米兵が原爆により広島で死亡したと語る。]
70 07 12 10-1 UPI WASHINGTON Jul.11
[ペンタゴンのスポークスマン、米兵の広島での死亡を否定。]
70 07 21 13-1
[ニューヨークの文化センターで、8月4日から10日まで、広島・長崎展が開 催される予定。]
71 04 16 14-3 By Junnosuke Ofusa, HIROSHIMA, Apr.15
[天皇・皇后の広島訪問の模様]
71 04 17 12-3 HIROSHIMA, Apr.16
[天皇、広島の感想を語る。]
71 11 24 37-5 By Deirdre Carmody
[広島原爆の日誌、37,000ドルの値がつく。ルイス所蔵のもの。]
71 12 27 1-5  By B. Drummond Ayres Jr. KANSAS CITY, Dec.26
[33代大統領トルーマン、88歳で死亡。]
76 10 13 4-6  AP HIROSHIMA Oct.12
[荒木広島市長、原爆投下ショーに抗議。]
77 09 12 32-5
[(投書)原田東みん、Maurine Parker、連名で、テキサス州ハーリンゲンで開催 予定の航空ショーに遺憾の意を表明。]
78 06 04 40-4
[(写真)国連ロビーにおけるヒロシマ・ナガサキ写真展]

1977年
3月19日(1頁-5段) MAJORCA,SPAIN
WILLIAM L.LAURENCE(アラモゴードの歴史的な核爆発に立ち会い、被爆直後の長崎を取材した記者)死去。89歳。
5月17日(3-1)(写真) 原爆ドーム。
5月17日(3-3) BY HENRY KAMM 、ヒロシマ
カーター声明のヒロシマでの反響。
5月22日(1-3) BY HENRY KAMM 、ヒロシマ
原爆乙女佐古美智子へのインタビュー。
8月 7日(24-1) BY GLANDWIN HILL 、SAN CLEMENTE 8.6
SAN ONOFRE 原子力発電所に向けて行われた反核デモの模様。
8月10日(6-6) AP ナガサキ 8.9
長崎の平和記念式典の模様。
8月14日 (Ⅶ10頁) BY DREW MIDDLETON
GORDEN THOMAS, MAX MORGAN WITTS 共著「エノラ・ゲイ」の紹介。
9月12日(32-5) (投書) 原田東岷・MAURINE PARKER 連名で、テキサス州ハーリンゲンで開催予定の航空ショーに遺憾の意を表明。
9月30日( Ⅳ17頁)(人物紹介) TRAVIS MACNEIL= 退役空軍少将でテキサス州の航空ショーの責任者。
10月11日(42-1)( 人物紹介) GENERAL PAUL TIBBETS
1978年
1月 7日(1-4) BY MALCOLM BROWNE
第2次世界大戦中の日本における原爆開発の紹介。
6月 4日(40-4) (写真) 国連ロビーにおけるヒロシマ・ナガサキ写真展。
7月 7日 (Ⅱ 2頁) BY JOSEPH B. TREASTER
7月 1日、59歳で死去したCLAUDE EATHERLY の紹介。
7月14日(2-1) BY ANDREW H. MALCOLM ナガサキ長崎の歴史と被爆の紹介。
7月24日(2-1) BY DAN LEVIN, HICKSVILLE,N.Y. マリアナ紀行。原爆爆撃機発進基地の紹介。
8月 7日 (Ⅱ13頁)(写真) LACEY TOWNSHIPの広島記念祭の模様。
11月12日(17-1) UPI BIRMINGHAM 11月11日 P.W.TIBBETS,「核戦争を避けるために、われわれはあらゆる努力をしなければならない」と語る。
11月16日 (Ⅲ20頁)(人物紹介) エノラ・ゲイ搭乗員R.LEWIS 。彼の飛行日誌が 8万5000ドルで売却される。
1979年
6月 9日(12-1) 8月 9日原爆攻撃直後、長崎に進駐した元アメリカ海兵隊員に骨髄性ガンが多発していることが判明。
7月 2日 (Ⅳ6-4) 国際協力による国立科学アカデミーの研究によれば広島の被爆者の22%、長崎の被爆者の33%は10ラド以下の被爆量であることが判明。また、被爆Ⅱ世への遺伝的影響は見られないこと、被爆者の死亡率は非被爆者の死亡率よりも少し低いことがわかる。研究者たちは、低レベルのLET放射線による細胞の損傷はしばしば回復していると信じている。
7月23日 (Ⅱ4-2) PAUL DOUTRICHハリスバーグ市長、核被害のもう一つのシンボルである広島市と姉妹都市縁組をしたいとの意向を表明。これを提案したの
は、核絶滅に反対する日米教授連合というカルフォルニアの団体である。会長の JOHN SOMERVILLE は、市長の意向は、広島で大歓迎されるだろう
と語る。
7月29日(18-1) 原爆に被爆した 600人の公務員に年6日の超過休暇を与える計画。3600人の被爆者のうちの 600人は、他の人々より多くの病院治療が必要。
8月10日(3-3) 日本の8月に行われる3つの大きな行事-広島・長崎の原爆記念日、ヒロヒト天皇による降伏記念日-の紹介。日本では、原子力にたいする反
対の大きな声は、原爆反対の声が大きいにもかかわらず、存在しない。
8月10日(13-3) 原爆被爆者-骨髄性ガンの元米海兵隊員HARRY COPPOLA を含む-長崎平和記念公園に参集。17000 人が参加。 8月 6日には、広島で3万人
が同様の式典。
8月15日(22-1) スタンフォード大学 BARTON BERNSTEIN 教授が、1945年 8月 6日の広島原爆攻撃により数人の米兵捕虜が死亡、また、1945年10月 9日付け
の米軍向け日本政府連絡によれば20人の米兵捕虜が死亡していると発表。国防総省にこれらについての説明を求める論説。
8月23日(16-1) 12人以上の米兵捕虜が広島で原爆の犠牲になった可能性。飛行士RALPH J.NEELとNORMAN R.BRISSETの運命。NEELの横顔と彼の母親の写真。
9月 2日 (Ⅳ14-5) PHILIP PARK 師の 8月23日付け米兵捕虜の記事についての投書。原爆攻撃時、広島には4800人の日系アメリカ人がいたと指摘。なお、長崎
の数は不明。
1980年
6月16日(20-1) 広島・長崎に投下された原爆の製造に従事したアメリカの科学者600人、35周年を記念してロス・アラモスに集合。
6月22日(40-3) 広島の被爆者、公衆衛生を専門とするアメリカの科学者とともに上院の健康と科学研究に関する小委員会の核戦争が人間の健康に及ぼす影
響についての公聴会で証言。
6月23日(22-5) R.H.HODGEの手紙。トルーマンが原爆攻撃以外の手段を検討していなかったことについて論じる。
8月 3日(37-3) 最近ガンで死亡したHARRY COPPOLA 、1979年 8月に長崎の平和記念式典に参加した際、広島・長崎に被爆直後進駐したアメリカ人の間で放
射線障害が多発している語った。今年の式典に参加している彼の息子MICHAEL が最近ガンで死亡した6人の海兵隊員のリストを日本人に提供す
る予定。米国退役軍人局の役人、彼らの訴えには根拠が無いとコメント。
8月 6日(3-3) 数千の人々が原爆攻撃35周年を記念して広島に参集。
8月 7日(9-1) 日本の記念行事。
8月10日(37-1) 長崎原爆攻撃35周年を記念して ROCKY FLATS核兵器工場で平和行進をしていた28人、逮捕される。
8月12日(12-5) 核防衛局、広島・長崎に進駐したアメリカ人にガンが多発しているという主張には根拠がないと発表。
11月24日 (Ⅲ14-5) 広島に原爆を投下した飛行士POUL W.TIBBETS、NBC-TV番組「エノラ・ゲイ-男・任務・原爆」の中で、原爆攻撃任務にあった兵士
たちの生活は、彼らの任務ののろいにより破滅的なものとなったという物語を否定する。番組の85%で企業家として成功した元兵士たちを描く。
12月 7日 (Ⅶ39頁) MILLEN BRAND 著「平和行進-長崎から広島へ」の紹介。
12月22日(4-3) JOHN PAUL Ⅱ法皇、日本訪問中に広島・長崎の20万人の犠牲者に祈りを捧げ、原爆症で入院中の被爆者を見舞う予定。
1981年
2月23日(3-4) JOHN PAUL Ⅱ法皇、日本訪問中の5日間に広島・長崎を訪問の予定。
2月25日(2-3) JOHN PAUL Ⅱ法皇、広島を訪問。
2月26日(4-4) JOHN PAUL Ⅱ法皇、長崎を訪問。
3月28日(23-5) 長崎大学市丸道人教授による核戦争の恐怖についての解説。
5月16日(11-1) 広島・長崎の住民が原爆によって被った放射線量の評価に疑い。
8月 6日(8-1) 広島で原爆被爆第36周年記念式典。荒木市長、日本政府が非核三原則を堅持するよう訴える。 4万人以上が参加。
8月 6日(8-1) 日本人科学者による白書、広島・長崎の被爆者の後障害・社会的心理的被害の全体像を明らかにする。
8月 9日(5-5) 長崎で 5万人以上が軍備競争の中止を要求してデモ。
8月 9日 (Ⅶ 1頁) 広島・長崎両市編「原爆の物理的・医学的・社会的影響」の紹介。
8月10日(2-3) 広島・長崎両市で原爆被爆直後に生まれた子供たちについて。
8月21日 (Ⅲ32-1) 「忘れがたき火」。被爆者の描写した絵を日本の放送局が編集。
10月 3日(2-4) 広島市長、米ソの核実験に抗議して電報を打電。
10月 8日(20-1) ワシントン地裁判事JUNE L.GREEN、復員軍人局と核防衛局が核攻撃直後の広島・長崎両市で復旧作業に従事した2000人の復員軍人の障害や死亡について不当な判断を採用していると判決。判決は、広汎な意見を認
める新しい判断を行うよう求める。この集団訴訟は、原爆復員軍人全国協議会により提訴されたもの。
1982年
3月23日(19-1) 4人の広島の被爆者、KENNEDY・HATFIELDの両上院議員により組織されたワシントンでの公聴会で核戦争の恐怖について証言。
8月 1日 (ⅩⅩⅠ3-3) ニューヨークの平和団体「長い島連合」、広島攻撃を記念する行進を計画。
8月 6日(1-1) JAMES B.EDWARDエネルギー省長官、アメリカの核実験に立ち会ったことについて、わざと広島原爆記念日に合わせたわけではないと語る。
8月 6日 (Ⅱ4-1) 広島原爆資料館について。
8月 7日(2-1) 広島市平和記念式典。市長、アメリカの新たな核実験に抗議。
8月 7日(27-5) 広島攻撃についてのRAFAEL STEINBERGの論説。
8月 7日(31-1) 反核グループ、広島攻撃を記念してニューヨークでデモ。
8月 8日(15-1) シカゴの平和博物館、平和教育に関する討論会を計画。この博物は、最近広島・長崎の被爆者の絵を展示した。
8月 8日(15-1) フィラデルフィアで75人が、広島・長崎への原爆攻撃とGE社の核兵器製造に抗議してデモ。
8月10日(16-1) 長崎原爆攻撃を記念して国連周辺でデモ。
8月10日(16-2) 国防総省の警察官、13人のデモ参加者を逮捕。
1983年
8月 6日 (Ⅰ22-1) 武見太郎博士、アメリカの雑誌で原爆攻撃が第2次世界大戦末期に日本を覆っていた飢餓から日本を救ったと語る。
8月 6日 (Ⅰ22-5) 4人のデモ参加者、日本への原爆投下を記念してDRAPER CHARLES STARK LABORATORYのロビーに鳩を放した後逮捕される。
8月 7日 (Ⅰ3-1) 原爆投下38周年を記念して行われたニューヨークでの反核デモの写真。
8月 9日 (Ⅱ5-2) 反核グループの連合、広島・長崎原爆攻撃38週年を記念して、核戦争計画に参画していると報じられているニューヨークの RIVERSIDE RESEARCH INSTITUTE本社の外での1週間のデモを開始。
8月10日 (Ⅰ2-3) 日本人、広島・長崎原爆投下38周年を記念して行事。
10月14日 (Ⅰ14-5) 国立空軍博物館、ダレス国際空港に、広島に原爆を投下した「エノラ・ゲイ」のような大型の飛行機の展示を計画。
12月18日 (Ⅰ39-1) 技術評価局の研究によれば、原爆攻撃直後の広島・長崎に入ったアメリカ軍の骨髄性ガンの発生率は一般と比較して高くはないという国家研究会議の結論は、根拠が不十分。

ホロコースト・原爆ドーム世界遺産化についての本島等発言

ホロコースト・原爆ドーム世界遺産化についての本島等発言

Y M D NEWS1
95 03 09 長崎市議会、議員運営委員会で本島長崎市長が会期中に日本外国特派員協会での講演会出席のため出張することを全会一致で了承。
95 03 15 平岡広島市長・本島長崎市長、東京・有楽町の日本外国特派員協会で約70人を前に講演。
95 03 21 米紙ニューヨーク・ポスト紙、社説で、本島長崎市長の原爆投下をナチスのユダヤ人虐殺と並ぶ大虐殺とする発言に反論し、日本に説教する資格は無いと述べる。
95 04 14 日本共産党長崎地区委員会、16日告示の市長選挙で、本島市長を支持すると発表。
95 04 23 長崎市長選挙。本島等落選。伊藤一長(49才)が当選。
95 04 24 平岡広島市長、長崎市長選挙に破れた本島等にねぎらいの、当選した伊藤一長に協調を呼びかけるメッセージを送る。
95 04 27 本島等長崎市長、市長退任を前に記者会見。「長崎市には、核の廃絶を世界に訴える義務と責任、そして誇りがある」と語る。28日、退任式。
95 05 21 核実験に抗議する長崎市民の会、15日の中国の核実験に抗議して平和公園乙女の像の前で座り込み。本島前長崎市長ら20人が参加。
95 05 25 本島前長崎市長、修学旅行で長崎市を訪れた広島県府中市立第二中学校3年生190人に平和問題について話す。
95 07 01 「国際市民フォーラム・長崎」県民連絡会、シンポジウム「核時代の半世紀-長崎とマーシャル諸島を結んで」を長崎市内で開催。パネリストはトマキ・ジュダ・ビキニ市長、ビキニ被曝住民への補償を求める裁判の米国人弁護士、本島元長崎市長。
95 07 13? 市民団体ピースデイズ・インさせぼ実行委員会、本島前長崎市長を招き講演会を開催。
95 07 25 韓国原爆被害者協会・韓国キリスト教会女性連合会、ソウルの韓国基督教連合会館で「侵略と原爆展」を開催。本島元長崎市長が基調講演。約200人が参加。-31日。
95 08 05 「95生協ヒロシマ行動学習講演会」、広島市のYMCAで開催。本島等前長崎市長が講演。
95 08 05 日本生協連、「95ヒロシマ虹の広場」を広島グリーンアリーナで開催。約3000人が参加。本島前長崎市長も参加。
95 08 08 日本マスコミ文化情報労組会議、「なくせニュークス95MIC長崎フォーラム」を長崎新聞文化ホールで開催。約200人が参加。斉藤茂男・原寿雄・本多勝一などによるパネルディスカッションや本島元長崎市長の講演など。
95 11 01 平和シンポジウム「戦後・被爆50年を考える-核兵器・日米安保条約・日本国憲法」を長崎市内で開催。パネリストは本島等・葛西よう子・土山秀夫・山田拓民の4人。約100人が参加。
96 03 31 長崎市、原爆資料館の開館記念式典に本島等元市長を招待せず。
96 08 05 広島県府中市立第二中学校、「8・6平和集会」を開催。本島前長崎市長が講演。
96 08 06 移動演劇隊「桜隊」の慰霊追悼会、東京都目黒区の五百羅漢寺で開催。本島等前長崎市長が招かれ出席。
97 04 22? 本島等・前長崎市長、広島平和教育研究所の年報24巻に原爆ドームの世界遺産登録を「加害」の視点を欠くと批判する論文を掲載。
97 05 06 「長崎の原爆展示をただす会」、本島長崎市長の広島平和研究所年報での原爆ドーム批判は、個人的な見解であることを示すよう長崎市に要望。
97 05 28 広島県被団協、総会で原爆ドームの世界遺産化を批判した本島前長崎市長に抗議文を送付することを決議し、郵送。
97 07 12 東方2001、連続シンポジウム「第5回ヒロシマを語る-原爆ドーム世界遺産化で考える-ヒロシマの被害と加害」を開催。本島前長崎市長・袖井林二郎・松元寛らがパネリスト。約200人が参加。
97 07 23 「長崎の原爆展示をただす市民の会」、本島元長崎市長に、原爆ドーム遺産登録批判の論文と発言に対する抗議文を送付。
97 08 06 本島等前長崎市長、「8・6広島反戦・反核集会」で講演。広島市の平和宣言を「加害・侵略戦争に全く触れていない」と批判。
97 09 25 広島ユネスコ協会、加藤剛の朗読劇と平岡広島市長の講演会「アウシュヴィッツからヒロシマへ」を広島市内で開催。平岡市長、「侵略と核廃絶は別次元」と本島前長崎市長の発言に反論。
98 06 20 毎日新聞「ニュースパーク:核拡散時代の広島・長崎-「和解の世紀」の先頭に-本島等前長崎市長」
98 07 17 長崎新聞「インタビュー:本島等さん-前長崎市長、広島批判の真意は-忘れてならない戦争責任、謝罪の気持ち心に刻んで」
98 07 29 本島等前長崎市長、「原爆投下は仕方がなかった」と共同通信のインタビューで語る。
98 08 01 沖縄駐留の米軍が、1950年代後半、旧ソ連など敵の侵攻を受けた際に備え、核兵器の使用を含む沖縄本島の防衛作戦計画を立てていたことが、米海兵隊の秘密指定文書で明らかになる。
98 08 06 被爆53周年8・6ヒロシマ広島反戦・反核集会、広島市のアステールプラザで開催。本島等前長崎市長がパネリストとして出席。
98 08 06 本島等前長崎市長、広島市内での記者会見で、「原爆投下は仕方がない」と語る。
98 08 09 「被爆53周年8・9長崎反戦集会」、長崎市内で開催。約200人が参加。本島前長崎市長がパネルディスカッションに出演。
98 10 03 長崎原爆被災者協議会、「本島発言を考えるつどい」を長崎市内で開催。約20人が参加。
98 12 11 長崎ピースウイーク実行委員会、シンポジウム「戦争被害の実相を知る-ヒロシマ・ナガサキの被爆<再考>」を長崎市内で開催。本島等前長崎市長らが講演。
98 12 19 長崎原爆被災者協議会など、「本島発言を考える会」(第2回)を開催。11人が参加。

年表:本島等長崎市長の「天皇の戦争責任」発言その後の経緯

年表:本島等長崎市長の「天皇の戦争責任」発言
その後の経緯

1988年12月7日

長崎市定例市議会における柴田朴議員(共産党)の一般質問

「敗戦半年前天皇に出された”近衛上奏文”が聞き入れられておれば沖縄戦、広島、長崎原爆もなかったはず。天皇の戦争責任について被爆市長としてどう思うか」

本島等市長の答弁

「戦後43年たち、この戦争が何であったか反省が十分できてきた。外国人の記述、日本の歴史家の記述、私自身が軍隊生活で教育関係に携わってきた経験からも天皇に戦争責任はあると思う」

出典:「長崎新聞」1988.12.8

Y M D NEWS1
88 10 05 長崎原水協、長崎市が市役所庁舎内に天皇陛下平癒祈願記帳所を設置しているのは、地方自治体の本旨に背くとして、撤去を申し入れ。[本島長崎市長]
88 12 07 本島長崎市長、市議会で、「天皇に戦争責任はある」と発言。終戦の決断が遅れていなければ、広島・長崎原爆もなかったとコメント。発言後、抗議や激励の電話相次ぐ(1週間で約900件)。
88 12 08 長崎市議会、本島市長の天皇の戦争責任発言をめぐり紛糾。保守系議員ら、発言の取り消しを要請。
88 12 09 自民党長崎県議5人、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言に対して、取り消しを求める要請文を提出。
88 12 10 自民党長崎県連、本島長崎市長の天皇に戦争責任があるとの発言に対して撤回を要求することなどを決定。12日、文書で申し入れ。
88 12 11 本島長崎市長、天皇の戦争責任発言は撤回出来ないので自民党県連の顧問職を辞退するとの意向を表明。
88 12 14 長崎日の丸会、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言で、同会会長である同市長の解任を通告。
88 12 15 沖縄市長、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言に異議があると同議会で答弁。
88 12 15 長崎市民有志、本島市長の天皇の戦争責任発言支持の声明を発表。17日までに声明に賛同する電話が約400本。24日、約1万4千人分の署名簿を長崎市に提出。
88 12 15 長崎市従組執行委員会、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言支持の声明を発表。そのなかで、市長への不当攻撃があれば、全力を挙げて闘うことを訴え。
88 12 15? 本島長崎市長、自らの天皇の戦争責任発言に対して寄せられた意見をまとめ出版することを計画。
88 12 16 荒木広島市長、市議会で、天皇の戦争責任及び本島長崎市長の天皇戦争責任発言について、発言は「差し控えたい」と答弁。
88 12 16 右翼12団体代表、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言の取り消しと市長辞職を求める文書を同市に提出。
88 12 17 自民党長崎県連、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言で、同市長の県連顧問解任と市政への非協力を決定。
88 12 20 中国共産党機関紙「人民日報」、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言とその後の反響について報道。
88 12 20 長崎県警本部、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言への右翼団体の活動に対して、「12・21右翼抗議行動警備本部」を設置。
88 12 21 全国の右翼団体代表、長崎市に集結(約260人)。宣伝カーが85台で街頭宣伝活動。天皇に戦争責任はあると発言した本島長崎市長に「辞職勧告書」を提出。
88 12 21 藤沢市長、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言について、被爆地の市長としての心情は理解できると発言。
88 12 21 本島長崎市長、自らの天皇の戦争責任発言について、言論の自由の重要性を強調し、理解を求める市民向けのコメントを発表。
88 12 22 日本科学者会議長崎支部、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言に対する自民党長崎県連の圧力・右翼の脅迫などへの抗議声明発表。
88 12 22 右翼団体メンバ-、本島長崎市長の天皇発言についての質問状を提出しようと同市役所を訪れ、一部の市政記者の退席を要求し押し問答。
88 12 22 社会党、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言問題で、右翼の嫌がらせ・自民党長崎県連の不当介入などに対して、適切な措置を取るよう自治相に申し入れ。
88 12 22 長崎大学・長崎総科大など教職員組合、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言に対して支持声明を発表。
88 12 22 本島長崎市長の天皇の戦争責任発言を支持する長崎市の学者・婦人団体などによる「憲法を守り天皇問題を考える長崎各界・連絡会」、結成。24日、市長に激励文を送付。
88 12 22 法政平和大学世話人会、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言に対して支持声明を発表。26日、非核宣言をしている自治体に同声明を送付。
88 12 23 右翼3人、長崎市役所に乱入し、市長室付近で本島同市長の「天皇発言」に対する抗議文を読み上げる。
88 12 23? 本島長崎市長、自らの天皇の戦争責任発言についての見解表明。言論の自由の重要性を強調し、原爆問題にも言及。
88 12 23? 沖縄県の社会党・護憲共同県議団、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言に対して激励の文書を送付。
88 12 24 中国国営新華社通信、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言への右翼の非難攻勢に対して、市民らから市長支持の動きが出ていると報道。
88 12 24 「日本はこれでいいのか市民連合」など、東京で、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言を支持する声明を発表。8千人余が賛同署名。
88 12 24 「長崎日の丸会」など、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言撤回を求め、「本島市政を刷新する会」を結成(約400人参加)。署名運動など開始。26日、発言撤回を求める声明文発表。
88 12 26 長崎市民有志、本島市長の天皇発言を支持する「言論の自由を求める長崎市民の会」を1月に発足させることを決定。
88 12 26 広島県原水禁、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言を支持・激励するメッセ-ジを送付。
88 12 26 埼玉県知事、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言について、「発言は理解できる」との談話を発表。
88 12 27 自民党長崎支部、天皇発言で市民生活に混乱を生じさせたことに遺憾の意を表するよう本島同市長に要望。
88 12 27 旧日本軍の捕虜だった英国人から、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言を支持する手紙が届く。
88 12 28 本島長崎市長、同市役所事務納め式で、天皇の戦争責任発言に言及。言論の自由の重要さを強調し、職員らの理解を要請。
88 12 28 長崎原爆青年乙女の会、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言を支持し、同市長への激励文を提出。被爆者団体の公式見解は初めて。
88 12 29 米ニュ-ヨ-ク・タイムズ紙、天皇に戦争責任があると発言した本島長崎市長が「死の脅迫」を受けていると報道。日本の民主主義の変則性を指摘。(26日、長崎市を訪れ取材。)
89 01 03 本島長崎市長後援会事務所の郵便受けなどが、壊される。天皇の戦争責任発言をめぐっての犯行として捜査を開始。
89 01 04 共産党福岡県議団、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言を批判した同県知事に、発言撤回を求める声明を発表。
89 01 04 宮崎県知事、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言について、「いろいろなひとがそれぞれの立場で発言していけばいい」と発言。
89 01 05 福井市の男性、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言に対して、包丁を持って長崎市役所に乱入。
89 01 06 竹下首相、本島長崎市長の天皇の戦争責任に対してノーコメントと発言。
89 01 07 本島長崎市長、天皇の死去について「御冥福をお祈りしたい」と発言。
89 01 08 本島長崎市長の天皇の戦争責任発言を支持する市民ら、「言論の自由を求める長崎市民の会」を結成(約150人参加)。発言は被爆地の市長として当然の内容との声明を採択。
89 01 14 法政平和大学世話人会、公開講座「天皇問題を考える」を東京・法政大学で開催(約700人参加)。天皇に戦争責任はあると発言した本島長崎市長のメッセージなどを発表。
89 01 14 本島長崎市長、被爆者対策の充実などを求める上京陳情を例年通り実施する意向を表明。昨年12月の天皇の戦争責任発言以来、同市長には24時間体制の身辺警備。
89 01 14 共産党の松本善明衆院議員、天皇の戦争責任発言の本島長崎市長を尋ね、激励。
89 01 17 自民党の安倍幹事長、天皇の戦争責任発言の本島長崎市長を自民党長崎県連顧問から解任したことについて、同県連の判断を支持する考えを表明。
89 01 18 西独の政治週刊誌記者、長崎市を訪れ、本島同市長に天皇の戦争責任発言について取材。
89 01 20 広島・長崎原爆被爆者援護対策促進協議会(八者協)、地元選出国会議員らと東京で懇談会開催。被爆者対策費の復活折衝へ協力を要請。天皇発言以来、初上京した本島長崎市長も参加。
89 01 21 歴史学研究会、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言を支持する手紙を同市長に送付。発言は歴史学的にみても極めて正当との見解表明。
89 01 22 長崎市の「本島市政を刷新する会」、同市で、「先の天皇陛下をしのぶ市民集会」を開催(約300人参加)。長崎市長発言を批判。
89 01 23 東京都保谷市長、「天皇に戦争責任はある」と、本島長崎市長発言を支持する姿勢を表明。
89 01 28? 本島長崎市長の天皇の戦争責任発言で、米・西独などからの取材が相次ぐ。28日、西独週刊誌記者が同市長を取材。
89 01 28? 長崎市の「平和のための通訳グループ、MUP(マップ)」、同市内在住外国人を対象に、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言などについてアンケート調査を開始。
89 01 29 本島長崎市長の天皇の戦争責任発言を批判する女性らによる「長崎をよくしよう女性の集い」発会式、長崎市で開催(約80人参加)。
89 02 04 「言論の自由を求める長崎市民の会」、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言支持を訴える街頭署名を同市で実施。街頭での署名活動は初。
89 02 09 宮城県の学識者ら、本島長崎市長の天皇戦争責任発言を支持する声明文(163人が賛同署名)を同市長に提出。
89 02 11 軍国主義・紀元節復活反対呉市民集会(靖国神社問題呉市民の会主催)、呉市の日本バプテスト呉キリスト教会で開催(約70人参加)。天皇に戦争責任があると発言した本島長崎市長への激励文を採択。
89 02 11 本島長崎市長の天皇の戦争責任発言は間違っているとする教師ら、同市で、「長崎教育を語る市民と教師の集い」を開催(約60人参加)。
89 02 13 「言論の自由を求める長崎市民の会」、長崎市で、「自由に語ろう天皇制」の集いを開催(約100人参加)。作家小田実ら、出席。主催者、本島長崎市長の天皇責任発言支持署名が約2万8千人に達したことなどを報告。
89 02 13 作家小田実ら、長崎市を訪れ、天皇戦争責任発言の本島長崎市長を激励。
89 02 13 本島長崎市長、昭和天皇の「大喪の礼」へ出席する意向を表明。
89 02 14 「本島市政を刷新する会」、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言撤回を求めた署名簿(約13万人分)を自民党長崎県連に提出。15日、長崎市長に提出。
89 02 21 昭和天皇の遺徳をしのぶ「昭和天皇県奉悼式」、長崎市で開催。天皇の戦争責任発言の本島長崎市長には案内状が出されていないことが判明。
89 02 22 昨年(1988年)末、昭和天皇に戦争責任があると発言した本島長崎市長に、銃砲の実弾を同封した脅迫状が届く。差出人は「全日本愛国連合」。
89 02 23 長崎市在住外国人を対象に実施した天皇問題・本島長崎市長発言などについてのアンケート調査結果まとまる。それによると、市長発言に圧倒的支持。同調査は、「平和のための通訳グループ、MAP(マップ)」が実施。
89 02 24 本島長崎市長、昭和天皇の告別式「大喪の礼」に参列。式典は宗教色が強かったとのコメント発表。
89 02 24 「言論の自由を求める長崎市民の会」、長崎市で、「天皇制を考えるマラソン集会」を開催(約200人参加)、反原爆をテーマにしたビデオ上映など。[本島市長]
89 02 26 長崎市役所の廊下のガラス、割られる。昨年末の本島長崎市長の天皇の戦争責任発言以来、抗議・嫌がらせが相次ぐ。
89 02 27 長崎地検、天皇に戦争責任があると発言した本島長崎市長を攻撃するビラを市役所内に張り書類送検された右翼団体幹部を、昭和天皇逝去に伴う大赦令で赦免処分。
89 03 01 天皇に戦争責任はあると発言した本島長崎市長に、実弾入りの脅迫文が届く(同様の脅迫文は2月22日に続き2度目)。
89 03 02 天皇の戦争責任発言の本島長崎市長に対する脅迫が相次ぎ、長崎県警、警備体制を強化。
89 03 06 定例長崎市議会本会議で、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言について論議。市長、右翼の抗議による騒音など市民への迷惑を陳謝。
89 03 09 本島長崎市長の天皇の戦争責任に抗議して牛刀を持って市役所に侵入した政治結社構成員に実刑判決(懲役7カ月)。
89 03 16 本島長崎市長、昭和天皇の大喪の礼は「憲法に違反しているとは言い切れない」と発言。
89 03 20 「市政を刷新する会」、本島市長の天皇の戦争責任発言をめぐって6項目の公開質状を同市長あてに提出。
89 03 29? 「言論の自由を求める長崎市民の会」、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言に対する賛同署名が約21万人(25日現在)になったと発表。
89 03 31 本島長崎市長の天皇の戦争責任発言撤回を求めていた「本島市政を刷新する会」、所期の目的を達成したと、解散。
89 03 31 長崎市役所本館1階に銃弾が撃ち込まれているのを発見。長崎署、本島同市長の天皇の戦争責任発言に反発する者の犯行とみて、捜査を開始。同市長、「暴力的抗議は民主主義の基本原則を脅かす」とコメント。
89 04 03 「言論の自由を求める長崎市民の会」、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言支持署名(第2次集約の約37万人分)を長崎市に提出。
89 04 05 本島長崎市長、天皇の戦争責任発言に対する賛否の手紙をまとめた本「長崎市長への7300通の手紙」(3月刊行予定)の出版延期を求めていたことが判明。
89 04 15 長崎県、県内市長とともに自治省幹部を招き、特別交付税増額のお礼の宴会を開催。その際に、天皇の戦争責任発言をした本島長崎市長に呼びかけていなかったことが判明。
89 04 22 天皇の戦争責任発言をした本島長崎市長への相次ぐ脅迫に対して、長崎市、市長室窓ガラスなどを防弾化。
89 04 26 本島長崎市長の天皇の戦争責任発言の撤回運動をしてきた「本島市政を刷新する会」(3月末解散)、新たに「長崎をよくする会」として新発足。同会は市長発言の責任を引き続き追求。
89 04 27 東京の右翼団体、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言撤回を求める抗議文を同市に提出。
89 04 29 「4.29広島集会―天皇制と言論の不自由」(「ストップ・ザ・戦争の道!ひろしま講座」など主催)、広島市で開催(約50人参加)。本島長崎市長の天皇の戦争責任発言などについての講演など。
89 05 15 天皇の戦争責任発言の本島長崎市長に寄せられた抗議・激励の手紙をまとめた「長崎市長への7300通の手紙」、出版。
89 05 16 関西の右翼団体、本島長崎市長の天皇の戦争責任に対する手紙類の刊行について、同市長に抗議文を送付。
89 06 01 長崎市の通訳者グル-プ「MUPながさき」、同市在住外国人を対象に天皇問題・本島発言などについてのアンケ-ト調査結果をまとめた冊子を発刊。
89 06 10 「自由法曹団」代表(約50人)、本島長崎市長を訪ね、同市長の天皇の戦争責任発言について、脅迫に屈しないよう激励。
89 06 10 本島長崎市長に実弾入り脅迫状が届く。「天皇に戦争責任はある」との発言に対する脅迫とみられ、今回で3度目。
89 06 11 本島長崎市の市長校舎に花火らしいものが投げ込まれる。同市長の天皇発言に対する嫌がらせの疑い。
89 06 19 本島長崎市長の「昭和天皇戦争責任発言」に反対し街頭宣伝活動をしている右翼団体「正気塾」の幹部、「暴力行為」の疑いで逮捕される。
89 06 21 長崎地検の廣畠速登新検事正、着任。本島長崎市長の「天皇の戦争責任発言」をめぐる脅迫事件解決に全力を挙げるとの談話。
89 06 23 右翼団体「全日本愛国者団体会議九州地区」代表、本島長崎市長に、「天皇戦争責任発言」などについての公開質問状を提出。
89 06 27 「言論の自由を求める長崎市民の会」、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言を支持する活動の記録「タブ-への挑戦」(B5、111ペ-ジ)を刊行。
89 07 09 テレビ番組「報道特集『長崎市長天皇発言』半年の波紋」(中国放送)、放送。[本島市長]
89 07 14 本島長崎市長の天皇の戦争責任発言に対する実弾入り脅迫状郵送事件で、長崎署、同県西彼杵郡の梶山茂を脅迫の疑いで逮捕。(15日、送検。31日、追送検。)
89 07 15 天皇の戦争責任発言についての手紙をまとめた「長崎市長への7300通の手紙」、差別を助長する部分があると部落解放同盟の抗議で、増刷中止になったことが判明。[本島市長]
89 08 02 本島長崎市長の天皇戦争責任発言への意見を収録した「長崎市長への7300通の手紙」の一部削除の要請について、解放同盟と出版社が合意。それによると、解同側の反論文を掲載した「改訂増補版」を再出版。
89 08 04 本島長崎市長、天皇の初の記者会見を受けて、「戦争責任は新天皇を含め国民全体が負うべきもの」と発言。
89 08 04 天皇・皇后、即位後初の記者会見。本島長崎市長の戦争責任発言をめぐって、言論の自由が保たれるのが民主主義の基礎とコメント。
89 08 07 天皇制シンポジウム(ピースウィーク実行委主催)、長崎市で開催(約100人参加)。[本島市長]
89 08 07 「なくせニュークス(核兵器群)長崎マスコミフォーラム」、長崎市で開催(9日まで、約200人参加)。本島長崎市長、講演し、天皇の戦争責任発言以後の心情を吐露。
89 08 10 「日独平和フォーラム」参加者ら(約20人)、本島長崎市長を表敬訪問。同市長の天皇戦争責任発言に対する支持を表明。
89 08 29 本島長崎市長の「天皇の戦争責任」発言をテ-マにしたテレビ番組「市長の発言」(長崎放送)、「’89『地方の時代賞』映像コンク-ル」大賞を受賞。
89 09 01 長崎地裁で、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言に対する脅迫状郵送などで脅迫罪に問われた梶山茂被告の初公判。被告、罪状を認める。
89 09 13 長崎の証言の会、「証言―ヒロシマ・ナガサキの声」(A5、1500円)を刊行。天皇制について特集。[本島市長]
89 10 02 長崎地裁で、本島長崎市長の「天皇発言」に対する脅迫状事件の第2回公判。
89 10 12 核時代社会審理問題センター(本部・米ニューヨーク市)、本島等長崎市長に「世界平和賞」を授与。同市長による天皇の戦争責任発言についても評価。
89 10 20 右翼団体、本島長崎市長あての天皇問題発言に関する公開質問状(13日付)への回答を要求。
89 11 05? 長崎総科大・同大付属高校の学生ら、両校の学生(1200人)を対象に実施した「平和・核問題に関する意識調査」結果を発表。それによると、本島長崎市長の天皇戦争責任発言について約半数が「当然」と回答。
89 11 10 長崎署、長崎市長公舎に魚の汚物が投げ込まれた事件で、右翼団体幹部蜂谷公一を長崎地検に書類送検。本島市長の天皇戦争責任発言などへの嫌がらせ。
89 11 19? 「言論の自由を求める長崎市民の会」、本島長崎市長の「天皇戦争責任発言」に対する第三次賛同署名(9万7千人分)を同市長に提出。1988年12月以来、署名総数38万2千人。
89 12 04 長崎市政記者クラブ、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言1周年で、同市長に会見を要望。
89 12 07 本島長崎市長の天皇の戦争責任発言から、1周年を迎える。
89 12 20 本島長崎市長の「天皇戦争責任」発言などに関するブックレット「長崎市長のことば」(A5、66ページ、岩波書店)、刊行。
89 12 25 長崎地裁で、天皇戦争責任発言で本島長崎市長を脅迫した梶山茂被告の判決公判。懲役2年、執行猶予5年の判決。
90 01 18 本島長崎市長、銃撃され1カ月の重傷。長崎県警、同市長の天皇の戦争責任発言に対するテロ事件として、捜査を開始。右翼団体幹部を殺人未遂容疑で逮捕。
90 01 19 広島県原水禁、本島長崎市長狙撃事件で、天皇・日本政府の戦争責任についての声明を発表。
90 01 21? 本島長崎市長の「天皇の戦争責任」発言についての書簡集「長崎市長への七三○○通の手紙」、全国で約2000冊の注文が殺到。
90 01 25 本島長崎市長、狙撃後初の記者会見。戦争責任は天皇を含め皆が負うべきであると強調。
90 02 21 天皇戦争責任発言で右翼に狙撃された本島長崎市長、回復し、1カ月ぶりに退院。
90 05 18 天皇、長崎市長との懇談で、被爆者の実情について質問。本島市長、高齢化した被爆者の生活苦について説明。
90 05 18 本島長崎市長、天皇の長崎訪問について、「被爆者は今日も苦しんでおり、あの戦争は何であったか天皇にも考えて欲しい」とコメント。
90 05 26? 長崎原爆被災協・「在韓被爆者問題市民会議」など、日本政府の在韓被爆者への40億円の援助・天皇発言に対して不満の意を表明。[本島市長]
90 07 31? 言語の自由を求める長崎市民の会、「天皇制と小さな民主主義-本島市長銃撃に抗する市民たち」(四六判、360ペ-ジ)を刊行。
90 11 17 昭和天皇に戦争責任はあると発言した本島長崎市長狙撃事件の求刑公判で、検察側、悪質な政治テロであると、懲役15年を求刑。
91 04 14 長崎市長選挙、告示。本島現市長の天皇の戦争責任発言で、自民党は本島候補を推薦せず、他候補を擁立し、社会・共産・社民連などが支持。
91 04 21 長崎市長選で、現職の本島等が当選。「天皇戦争責任発言」の選挙への影響についてはよく分からないと発言。