ヨハネ・パウロII世 教皇訪日公式記録

『ヨハネ・パウロII世 教皇訪日公式記録』(主婦の友社、1981/04/02)

内容

001 平和と希望と愛に向けて (駐日ローマ法王庁大使 マリオ・ピオ・ガスパリ大司教 )
004 教皇聖下をお送りして (日本カトリック司教協議会・会長 里脇浅次郎枢機卿 )
005 全日程/ローマ教皇 ヨハネ・パウロ二世の極東訪問
平和を祈り羊を牧する者の旅 5
ヨハネ・パウロ二世の特別メッセージ「日本訪問にあたって」 6
教皇訪日の支点と力点 8
言葉は民族の心 8
教皇を見守った中国 8
POPE  in TOKYO
009 アルバム/平和の使徒、日本へ 9
東京国際空港に到着 10
聖職者の集い 12
ご苦労さま!ゼノさん 16
全国使徒代表の集い 18
司教団の集い 19
エキュメニカルの集い 20
諸宗教代表者の集い 20
天皇を表敬訪問 22
鈴木首相が教皇の表敬 24
フィールドとよもす聖歌と祈り 後楽園教皇ミサ 25
若者よ、希望を愛を平和を見たか ヤング・アンド・ポープ大集会 29
平和都市への旅立ち 32
033 記録/教皇の公式発言〈東京編〉
友情と尊敬のメッセージー東京カテドラル・ファザードで 34
教皇を聖職者の集いにお迎えして 白柳誠一大司教 35
一致ーすべての善の中で最も偉大なものーへの熱望を 聖職者の集い 36
信徒代表団へのメッセージ 37
司教団へのメッセージ 38
エキュメニカルの集いにお集まリの皆さんヘ 40
諸宗教代表の皆さんへ 41
キリストを通じて見いだす平和ー後楽園教皇ミサ説教 43
若者へのノッセージ 44
人生の目的と未来 44 あなたがかけるぺき橋 44
共通善の推進と維持への連帯をー在日外交団へのあいさつ 46
<ソフィア>に関する準備されていない講義ー上智大学訪問時のあいさつ 48
教皇をわが家にお迎えして 上智大学学長 ヨゼフ・ピタウ48
POPE  in HIROSHIMA
アルバム/被爆地に永遠の灯を揚げて 49
広島空港到着 50
平和アピールー平和記念公園 52
報道陣との出会い 54
原爆資料館訪問 56
記念講演「技術・社会・そして平和」 58
平和記念聖堂〈広島カテドラル〉訪問 60
教皇は子ども好き! 62
一路殉教の聖地へ 64
記録/教皇の公式発言〈広島編〉 65
歴代教皇の努力に敬意
広島市長荒木武 67
平和アピールー教皇歓迎集会 68
報道ー共通善への奉仕ー報道陣との出会いにおけるあいさつ 71
国連大学・広島市共催 念講演 74
紹介の言葉/スジャトモコ国連大w学長 74
記念講演「技術・社会・そして平和」 76
POPE  in NAGASAKI
アルバム/雪の聖地・巡礼、走る 81
長崎空港到着 81
叙階式ミサ 82
修道女の集い 85
教皇歓迎集会ー松山競技場教皇ミサ 83
洗礼式 90
二十六聖人記念広場 92
平和祈念像 94
大浦天主堂 95
福者コルベの足跡を慕いたどってー聖母の騎士修道院 97
恵みの丘 長崎原爆老人ホーム 100
愛、残してロ-マへ 103
105 記録/教皇の公式発言〈長崎編〉
油塗られたものとして、
世の光としてー司祭叙階式説敬 105
新司祭名簿 107
殉教者の望み、いま実現ー修道女代表あいさつ 108
全き奉献への励ましとヒントー修道女へのメッセージ 108
二重の掟の実践者に学ぶー殉教者記念ミサ説教 110
長崎の願いを世界に 長崎市長 本島等 111
死より強い愛を証してー二十六聖人記念広場での演説 112
死と破壊の論理へ挑戦をー平和記念像献花 教皇庁国務長官 カザローリ枢機卿 114
福者の使命を堅持せよー聖母の騎士修道院で 116
無原罪の聖母への祈り 117
祈りつつ待った私たち 前田七左衛門 118
平和推進力として被爆者の生の尊さー恵みの丘長崎原爆老人ホームで 119
感謝と尊敬と不変の愛を日本の皆さんにー離日メッセージ 120
教皇特別機同乗随行取材報告 横川和夫 121
21世紀の教会像を求める牧者の巡礼 ローマ→カラチ→フィリピン→グアム→日本対イスラムの信頼と疎通を協調 122 ひょっこり台所をのぞいた教皇さま 122 社会問題に熱意と自制を要求 123 列福式に150万人! 124 婚姻と家族の意義を説く 126 警備しり目に踊りの渦へ 127 農民、労働者の仲間として 127 抑圧された人々を明確に代弁 128 ミサ会場に虹の大アーチ 128
資料/教会と教皇を知るために
129 空翔ぶ聖座、日本訪間実現までの世界歴訪の足跡
メキシコ 不正義や争いは入間性を傷つける 130
ポーランド 恐れるな、くじけるな、自由を失うな 131
アイルランド いまこそ”キリストのまねび”を! 132
アメリカ合衆国 国連で軍拡競争の即時中止を訴え 133
トルコ 「愛は危倹よリ強い」アンカラ入リ 134
フラン 科学の進歩に自己破壊の芽を指摘 135
ブラジル 工業化社会の不公正を公然と瘧ァ 136
西ドイツ 教会分裂の終焉ヘの和解の呼びかけ 137
138 神の代理人264代の系譜<略>
150 教皇ヨハネ・パウロII世の魅力の原点 巽豊彦
スラブ人の教皇 P50 ポーランドという国 151 カロルの成長期 152 地下大学から地下神学校へ 153 司祭→教授→枢機卿 154 「危倹か満ちるとー」 155
 歴史の中の教会(1)神の新しい約束に支えられて
二千年、不変の愛と試行錯誤と 157
 キリストの生と死と復活157
初代教会(信仰の確立)158
ペドロとパウロ 158 ミラノ勅令 159
ビザンチン期(東西教会の分離)159
グレゴリウス大教皇の登場 160
ヨ-ロッパ中世期(教会と俗権)160
教権と俗権のからみあい 161 封建制度の発達 P61 暗黒の”鉄世紀” 161 教皇権の回復 162 人文主義の芽生え 162 刷新と改革への努力 162
近代から現代ヘ(霊性の復興)163
社会派教皇たちの出現 163
 歴史の中の教会(2)日本カトリックの四百年
ザヴィエル上陸から教皇訪日まで 164
ザヴィエルの日本観 164
目覚ましい布教活動 164
カブラルとヴァリニアーノ 165
迫害と鎖国 166
再興への歩み 167 第二次大戦と日本教会 167
戦後の教会 168
教区のあらまし 169
 十六福者殉教の記録 170
 秀吉、家康の宗教観 170 禁教令下の布教活動 170 潜入宣教への決意 171 強まる弾圧の嵐 171 十六人の殉教者たち 172
  ローマ教皇来日に思う
 彼は来た。そして去った。 遠藤周作 173
教皇の来日 田中澄江 174
教皇来日の余波 三浦朱門 175
平和の巡礼者の姿勢 曽野綾子 176
私が出会った教皇さまーこの16人の感動と共鳴の言葉 177
 巻末資料I カトリック教会の 勢 182
 聖職者名簿 182 カトリック幼・小・中学校 182 カトリック社会福祉施設 182 カトリック教勢 183 高校E大学 183 病院等のカトリック施設 183
 巻末資料II 主なカトリック用字用語集 185
 和文編 185 欧文編 188

広島の戦災と復興

広島の戦災と復興(城下町広島の歴史講座十講(第8回))
会場:東区総合福祉センター 2008.1. 27
講師:宇吹暁(うぶき さとる)<広島女学院大学>

Ⅰ 広島の戦災

「原爆被爆」対象のさまざまな捉え方<略>

経済安定本部「太平洋戦争による我国の被害調査」

1947(昭和22)年7月から開始。広島・長崎の原爆被害については特別の配慮をはらう。

この調査は、おおむね中央の各省からの報告をもとに作成。調査実務の中心にあった企画調査課は、1948年1月13日から2月4日にかけて広島・長崎を訪れ、県・市の関係者や市内の主要な企業関係者に資料の提供を求める。

占領軍への配慮からか公表はされなかったが、両市の原爆被害についての特別な報告書「広島・長崎に於ける原子爆弾に依る物的被害」が、1948年6月1日付で作成。この報告書は、原爆による物的被害を建築物・道路・港湾河川など14項目から整理した包括的なもの。また、この調査にあたって、市内の各機関から提出された資料には、それまでの広島県・市の報告には見ることのできない貴重なデータが含まれている。

広島県の報告には、県自身の被害とともに宗教団体や史蹟名勝・国宝などの被害報告が含まれている。宗教団体の建物被害の状況は次表の通りである。これにより、市内の81の神社・74の神道教会・145の寺院・58の仏教教会・24の基督教会合計382の宗教施設の建物が原爆による大小の被害を被ったことを知ることができる。

神社・寺院・教会の建物被害状況

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史蹟では、「明治二十八年戦役広島大本営」(国有)・「明治天皇広島行在所」(国有)・「明治天皇広島行幸所浅野泉邸」(県有)が全焼、名勝では、「縮景園郷土館」(県有)が全焼、国宝では、「広島城天守」(国有)が全焼(実際は全壊であり、焼失はしなかった)、「不動院金堂」(私有)が4割の被害を受けている。

都市別人的被害syllss_080308

Ⅱ 広島の復興

A 被爆者<略>

B 被爆都市futaba20070127-30

戦災復興土地区画整理事業(西部復興)  施行者:広島県知事

一工区  施行面積 約477.0ha
施行期間 昭和21(1946)年度~昭和44(1969)年度<清算期間を除く> 総事業費15億8300万円
二工区  施行面積 約33.8ha
施行期間 1946年度~1971年度<清算期間を除く> 総事業費18億3500万円

戦災復興土地区画整理事業(東部復興) 施行者:広島市長
施行面積  約582.5ha
施行期間 1946年度~1969年度<清算期間を除く> 総事業費33億6800万円
広島平和記念都市建設法

1949年5月に衆参両院を満場一致で通過したこの法案は、7月7日の広島市民の投票で9割を超える支持を得た上で、原爆記念日の8月6日に公布。

第1条「恒久平和を誠実に実現しようとする理想の象徴として,広島市を平和記念都市として建設する」

平和公園<略>

 

広島市勢要覧(1948年版) 

本市は原爆のため観光資源も観光施設も壊滅したのであるが廃墟の中から吾々の新しい観光資源が取り上げられた。

・即ち原爆記念保存物である。爆心地、元安橋、産業奨励館、相生橋、商工会議所、護国神社跡、大本営跡、芸備銀行、大阪銀行、山陽記念館、国泰寺の石塔、県庁跡、御幸橋ガスタンクがそれである。

・今後日本に来遊する国際観光客の殆ど全部は、広島市の原爆遺跡探訪をその観光スケジュールの主要部分とするであろう。

広島市勢要覧(1949年版)

平和記念館  原子爆弾による本市災害の一切の資料を一堂に蒐集して8月6日を想起し、人類の恒久平和を祈念するため陳列室、平和塔等を有する記念館を建設して平和広島の「シンボル」とする計画である。

 

「廣嶋」と厳島  大広島市街地図(1933年)futaba20070127-37

似島陸軍検疫所(広島・宇品・名勝)記念写真帖  1939(昭和14)年4月25日発行futaba20070127-38

1.御用船より似島検疫所に向ふ凱旋部隊  <中略>18.乗船の実況 宇品= 19.宇品港桟橋  20.宇品御幸橋  21.向宇品観音堂  〃.向宇品観音堂全景  22.宇品御幸通1丁目  〃.宇品新道路  23.宇品千田銅像  〃.向宇品別世界 広島名所=24.広島日清戦役記念史蹟大本営趾  25.広島城天主閣  26.広島駅  27.広島市庁舎  〃.広島浅野泉邸  28.広島招魂社  〃.広島比治山旧御便殿  29.広島饒津神社  〃.広島金座街革屋町  30.広島県立商品陳列所  31.広島相生橋及丁字橋

 広島市勢要覧にみる観光(広島の史蹟、名勝等)

広島市は日本三景の一つである厳島を控へ、国立公園随一、詩の瀬戸内海に面し、デルタ上を六つの清流が貫き、山紫水明で、而も海陸交通の便極めてよく、北に行っては桜と鵜飼の三次、つつじと、スキーの道後山、及び芸北の仙境三段峡等があり、又泉都別府、道後に船の旅を楽しむもよく、而も原子爆弾により、国際的に有名化し、世界に冠絶した観光都市として内外人の訪客を受けようとしつつある。殊に終戦後は、軍国の黒衣に包まれていた瀬戸内海島の要塞地帯の景勝地を、あます所なく開放し、更に貿易港としての指定を受けることになれば、観光上喜びにたえないところである。『広島市勢要覧1947(昭和22)年版』

千田廟と千田男爵銅像= 往年日本の大玄関として名声のあった宇品港は、明治17年時の県令千田貞暁によって起工せられ、工費30余万円5カ年の歳月を経て完成を見た。  其の後4年日清戦役勃発するやこの宇品港は一躍重要基地として国運の進展に寄与し、次々の事変戦役にも重要役割を果たしてきた。  市民は千田県令の偉大なる事業を偲び大正4年宇品町御幸通りの中央に高く広島湾の海波を望んで銅像を建立し、後更に千田廟を祀り毎年4月盛大なる千田祭を執行して来ったのである。

不動院(牛田町)= 天正2年僧行基の開基と伝へられ、当時は行基自ら観音像を彫刻し、七堂伽藍を創建して新日山蓮華王寺と称し、方7町12の末寺を備へていたと云う。その後大永年間兵火にかかって荒廃したが、安国寺恵瓊豊太閤に請うて再建し不動院と称し、豊太閤、朝鮮征伐の途次当院に滞陣した。背後の丘には、豊太閤及び福島正則の遺髪の塔がある。  不動院は、現に古義真言宗仁和寺の末寺、金堂は天文年間の建立、天井画龍の落款に「天文庚子冬十月日僧永怡筆」とあり純乎たる唐様禅宗建築堂層入母屋造で、一見鎌倉円覚寺舎利殿を大きくした様なもので、室町時代禅宗建築の傑作の一に数えられている。尚当院には豊臣時代の古文書多数所蔵されて居り、豊太閤と縁故の深い事を物語っている。

頼家の墓(比治山本町)= 頼家一門の門主たる人々の墓は、比治山公園多聞院付近にある。春水、梅颶、聿庵、杏坪等20数基に上るが、山陽三樹三郎の墓はここにない。春水は竹原(賀茂郡)の人、山陽の父で山陽3歳の時招かれて藩儒となり、大阪より移って7代重晟、8代斎賢藩主に仕へた朱子学者である。  杏坪は山陽の叔父、春水と同じく朱子学者で、始め広島藩に仕へ後自ら願出で三次奉行となって令名高く、芸藩通誌の著者として著名である。  梅颶は山陽を生み、山陽を育しみ、山陽を大成せしめた賢夫人、人の子の真の母親として亀鑑又立派な学者であった。聿庵は山陽の長子で春水の跡を継ぎ、広島藩に仕へた。      『広島市勢要覧 1948(昭和23)年版』

東照宮= 市内尾長町の中腹に在り天保年間藩主浅野光行の創建に係り徳川家康の霊を祀っている、境域5300平方米、社殿は南面し石階51殿である。往時は社殿壮麗を極め祭礼儀頗る盛大であったとゆわれている。

頼山陽文徳殿= 比治山公園の山腹に在り、頼山陽の百年祭を記念するために広島市単独の事業として計画し山陽文徳殿建設翼賛会の努力により完成、昭和9年10月15日の竣工である。  頼家の墓 頼山陽の父春水を初め頼家一門の墓は比治山公園多聞院付近にある。             『広島市勢要覧 1950(昭和25)年版』

三滝観音道場= 市内三滝町の山林中にあり1000年の昔、弘法大師唐国より帰朝の砌当地に巡錫、聖観音菩薩の種字を天然石に刻し岩窟に安置した。爾来其の霊験の著しいことと四季山水の風致幽邃雅趣の深さにより一般信徒の杖引く者絶えず、現在は水害、原爆の被害により道場の荒廃甚だしくこれが修築工事中である。

『広島市勢要覧 1951(昭和26)年版』

似島=<解説略> 広島城跡=<解説略> 国泰寺墓地=<解説略>比治山公園=<解説略>長寿園=<解説略>

『広島市勢要覧 1952(昭和27)年版』

来広観光客数及び推定消費金額(昭和27年中、推定総数)(国鉄、汽船、郊外電車、バス調)futaba20070127-39 

C 被爆国

被爆者対策(略)、被爆者対策、被爆者対策予算(厚生省)

原爆死没者追悼平和祈念館

1998年3月13日=国が広島・長崎両市に建設を予定している原爆死没者追悼平和祈念館について、「(既存の原爆資料館などと)屋上屋を重ねる。再検討するべきだと思う」と述べ、建設中止も視野に入れ計画を見直す考えをしめす(『中国新聞』3月14日)

原爆死没者追悼平和祈念館開設準備検討会最終報告

1998年9月10日「既存の関連諸施設との関係」の項より抜粋
「広島に設置される祈念館の特徴として位置づけられる、「被爆関連資料・情報の収集及び利用」については、既存の資料館が原爆死没者の遺品等、主として被爆した「もの」を通して原爆被爆の実相を伝え、平和を訴えているのに対し、祈念館では、原爆死没者や遺族等の手記、体験記等を収集し、利用に供することにより、主として被爆した人々の「こころとことば」によって原爆被爆の実相を伝え、平和を訴えようとするものである。」
2002年8月1日開館。

広島平和記念都市建設法

広島平和記念資料館 世界平和記念聖堂  

平成18年(2006年)7月5日、わが国の戦後建築物としては初めて、国の重要文化財に指定。広島平和記念資料館:丹下健三が設計し、国際的に高い評価を受けた最初の戦後建築であり、同氏の出発点となった作品。

平和記念公園  2007年2月6日、国の名勝に指定

 

D ヒバクシャ=人類

原爆ドーム保存

広島県議会意見書1( 1950年11月29日)

元県立産業奨励館跡を史蹟指定方について(理由)

広島は原爆による未曽有の被災を受け、全世界の同情と注視を集めているのであるが、被爆の中心地に所在している元県立広島産業奨励館は、被災の惨状を物語る唯一の史蹟とし残存し、その後五ケ年風雨のため朽廃の度甚しく、まさに倒壊にひんしており、あまつさえ鉄材の物価騰貴のため、鉄の盗難又続出し、その保存はまことに遺憾な現状にある。

依って右の被爆建築物を文化財保護法に基く史蹟として指定し、更に原爆に関する諸資料及び記念物をドーム内に蒐集陳列し、県民は勿論、広く観光に来遊する内外人の観覧に供し、よい記念としてその保存に十全を期し、平和広島の建設は申すに及ばず世界平和の象徴とするよう早急に措置せられることを要望するものである。

保存運動(発端)

1964(昭和39)年12月22日、広島の3つの原水禁団体(原水協・原水禁・核禁会議)を含む11の平和団体代表、浜井信三広島市長に原爆ドームの永久保存を要請。この要請は、原水禁運動が分裂して以来はじめての3団体の共同行動。 市長、11団体の要請に対し、「来年度予算案に調査研究費を計上して、専門家に保存方法を研究させる」と、初めて保存の意志を明らかにする。(『中国新聞』1964年12月23日)

原水禁・被爆者関係11団体要請書(抄) 1964年12月22日

しかしながら、人類最初の原爆の記念物である広島の遺跡は、二十年の歳月の中で失われ消し去られ、現在辛じて残されているのは、原爆ドームがほとんど唯一のものとなっています。

紀元前の戦の跡を物語るトロヤの遺跡、近代戦争の犯した残虐さの限りを示すアウシュビッツ収容所の残忍なまでに生々しい証拠物にも劣らず、広島の原爆の遺跡は、永く人類の歴史の中に残されなければならない重要な記念物であります。

浜井信三広島市長の見解

被爆者の中にも、原爆ドームには両論ありましてねえ。早く忘れたい、あれがあると町に出るのが苦痛だという人もあったんです。まあ、最近、あの建物を解いて組み直す必要があるという専門家の意見もあるんですが、私らはそんなことは必要ない、あのままでいいという気持ちなんですが、置いておいても十年ぐらいはなくなるものでなし、終局的には次の世代の人が決めればいいんですねえ(注=保存調査のために今年度、市は百万円の予算を計上)。

私の原則論は、当時のものはとり去り、資料的なものは資料館の中にいれたい、そして政府が”白書運動”を取りあげれば、それは結構なことで、ぜひ手をつけてもらいたいということです。 出典:『週刊新潮』1965年6月5日号

浜井広島市長「原爆ドーム保存の訴え(抄)」  1966年11月1日

あの日以来、かろうじて生き残った者たちを先頭に、幾多の苦難を越えて広島の復興は進められ、広島は今や平和を象徴する都市として回生し得たのであります。  しかし、そのことによって、原爆の跡はほとんど取り除かれ、現在残されているのは、いわゆる「原爆ドーム」のみとなりました。  その事実からして、この原爆ドームこそは、広島の惨害を記憶し、それを語る基点としてはまことにふさわしい記念物であります。もちろん、わたくしたちは原爆ドームが、人類史上類例もない大惨禍を実証するには余りにも小さすぎることを知っております。

原爆ドームの世界遺産化

1996.11.29~30 世界遺産委員会ビューロー会議、メキシコ・メリダで開催。原爆ドームが審議される。

12.2 委員会、メリダで開会。

12.6 原爆ドームと厳島の世界遺産への登録が決定。(メキシコ現地時間5日)

1996.12.5(現地時間)国際記念物遺跡会議(ICOMOS)による文化遺産の説明。

中国代表の発言=登録の決定に必要な会場のコンセンサス(合意)には参加しない。

午前9時33分、コンセンサスによりドームの世界遺産が決定。

アメリカ代表=この合意に参加しないことを宣言する声明を発表。

出典:朝日新聞社編「原爆ドーム」

平和記念施設あり方懇談会

2004年7月~2005年6月  広島 4回 東京 4回

平山郁夫委員:釈尊誕生の地ルンビニ、 飯田喜四郎委員:ギリシア・ローマの遺跡

山折哲雄委員:エルサレムの嘆きの壁、 横山禎徳委員:サンチアゴ・デ・コンスポテラ

被爆60周年 「枠組み」に大きな変化はなし<原爆ドームの世界遺産化に伴い、原爆被害を世界の歴史の中にどう位置づけるのかの検討が始まったことを示すもの>。

≪平山委員≫

これは根幹に関わることだが、日本の遺跡の保存の仕方は、例えば奈良でも、あるいは海外でお釈迦さんの生まれた土地ルンビニに行っても、皆、公園化している。奈良でも石舞台の所に花や芝生を植えて道を造って、これでは遺跡ではない、破壊である。ドームを見ても芝生があって最後に瓦礫がある。なぜ瓦礫を残さないのか。当時はこんな綺麗ではない。阿鼻叫喚、地獄があった訳だが、それを知らない今の世代の人が見たらどう思うだろうか。

過去の論議の資料で以前の市長が「火事になってもこの程度は壊れる」と言ったという記録があったが、まさしくそうである。この遺跡をどう扱うかは、アウシュビッツや色々な施設と比べてみても、姿勢が問われると思う。

日本人は優しいところがあるから、平和的にやろうということならまた違ってくる。何を残していくのか、その精神とメッセージをどう伝えるのか。ただし構造的、物理的に限界があり、現状維持ではすぐ壊れるので、可能な限りガッチリと修理し、耐震構造にしても同じだが、それをどう景観と結びつけるか。その辺を根本的に討論したらどうか。

おわりに -被爆体験の歴史化-

陸上自衛隊広島市内パレード。1962年~。1965年平和公園使用計画。反対運動起こる。73年までパレード実施。<大和ミュージアムや岩国米軍基地との関連で>

陸上自衛隊第13旅団(安芸区矢野町・安芸郡海田町)。1939年旧陸軍の物資補給所。1950年警察予備隊駐屯地。1962年、陸上自衛隊第13師団。中国5県と四国4県を担任。1999年3月第13旅団。中国5県。

政令指定都市=広島市1980年4月1日。

五大都市(大阪、名古屋、京都、横浜、神戸)=1956年9月1日、北九州市1963年。 札幌市、川崎市、福岡市。72年。仙台市89年。 千葉市92年 さいたま市2003年。静岡市2005年。 堺市2006年。新潟市、浜松市 2007年。

第12回アジア競技大会 1994年10月2日~10月16日 広島 首都以外では初の開催

1951年、インドの提唱により始められた、アジアの国々のための総合競技大会。

ピースキャンドル 1997年8月6日 広島青年会議所、ひろしま点灯虫の会 <ライトアップ>

ワールドサッカー 2002年5月31日~6月30日

日本では1993年1月に国内開催都市候補地を選定=札幌 宮城 新潟 茨城 埼玉 横浜 静岡 大阪 神戸 大分

GROUND ANGELライトアート2005年12月16日~12月25日 広島平和記念公園(資料館前広場)

岡本太郎『明日の神話』=『太陽の塔』の制作と同時期の、1968年から1969年に描かれた。

2003年9月、メキシコシティ郊外の資材置き場で発見

折りづるみこし 2007年5月のひろしまフラワーフェスティバル(FF)に初登場

主要国(G8)下院議長会議(議長サミット)=2008年9月に広島市内で開催。

復興と復元  被爆建造物、頼山陽記念館+旧日本銀行広島支店、市民球場=小堺、伝統的建造物群保存地区、

歴史へのこだわり  学都広島大学の東広島移転、広島大学霞キャンパス開発史、長崎との対比futaba20070127-85

近代化遺産  

  • 呉との対比
  • 重要文化財(建造物)
  • 明治=旧呉鎮守府司令長官官舎(呉市入船山記念館)
  • 大正=本庄水源地堰堤水道施設
  • 昭和=広島平和記念資料館、 世界平和記念聖堂
  • 経済産業省近代化産業遺産
  • 2005年5月 大和ミュージアム開館

日本社会党の30年

『日本社会党の30年(1)』(月刊社会党編集部、日本社会党中央本部機関紙局、19741220)『同 (2)』(19750605)、『同 (3)』(19751102)

内容

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内容 備考
 (1)
発刊によせて (勝間田清一)
 序 簡単な前史
 1  日本社会党の結成
 2  最初の活動と民主人民戦線
 3  総選挙から2・1ストへ
 4  片山内閣の成立と崩壊
 5  惨敗への道
 6 社会党の新生
 7 平和4原則
8 分裂
9 大衆闘争の展開と両派社会党
10 選挙をつうずる上向的発展
11 綱領論争
(2)
 12  再統一への道
 13 左右統一の実現
  14 大衆闘争の高揚のなかで
 15  反動岸内閣に抗して
16 再建論争と安保前段のたたかい
17 安保と三池のたたかい
18  構造改革論争
 (3)
 19 激化する党内外の抗争
20 停滞のはじまり
21 日本における社会主義への道
 22 日韓・ベトナム・沖縄
 2 3 社会党の停滞
24 1970年闘争
(1)成田―江田体制
(2)もう一つの敗北
東大紛争/反戦青年委員会/
(3)70年のたたかい
1969年末の総選挙での社会党の敗北
25 反独占統一戦線への中核として
  人名解説
 あとがき

京都の民主運動史を語る会

京都の民主運動史を語る会 設立:1980年1月

機関誌『燎原』(1980年~)

発行年月日 タイトル 著者
1980
0315 1 語る会創立総会報告
0415 2
0515 3
0615 4
0715 5
0815 6
0915 7
1015 8
1115 9
1215 10
1981
0101 11
0215 12
0315 13 蜷川虎三先生逝去
0415 14 “蜷川さん”逝く
15
16
17
18
0915 19 峠一夫の死を悼む 桑原英武(民医連顧問) 19810527急逝。
1101 20 時局雑感 塩田庄兵衛
1201 21
1982
0115 22 核戦争ノ―を訴えよう 細井有晋
戦争防止…今なら間に合う 塩田庄兵衛
核兵器廃絶世界平和を! 松本広治
核戦争の不安一掃 村中善明
0315 23 原水爆禁止運動の統一と分裂 細井友晋(原水爆禁止京都協議会理事長)
0401 24 原水禁止運動の統一と分裂(続)ー平和・民主運動の統一の重要性ー 細井友晋(原水爆禁止京都協議会理事長)
0501 25
0601 26
0701 27 当面の情勢と平和運動の課題 -国連軍縮総会の意義- 山口正之
0802 28 第27回七月例会報告 第二回国連軍縮特別総会について 細井友晋師
(京都原水協理事長)
28 紹介 核兵器廃絶を求める産業人の会 -大阪で発足-
0901 29
1985
0415 53
0515 54 原水禁運動 湯浅貞夫
0720 55 核兵器廃絶と永世中立・憲法9条の立場か 田畑忍
0920 56 核兵器の廃絶と国際法
0515 57
1986
0115 58
0320 59
0515 60

日本共産党広島県北地区委員会のあゆみ

『県北に党の旗を掲げて―日本共産党広島県北地区委員会のあゆみ―』(日本共産党広島県北地区委員会、202202)

内容<作業中

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 Ⅰ  県北地区委員会の発足
1 この時期の特徴と闘い
2 広定村支部の成立
3 吉舎支部と県北地区委員会の成立」
4 吉舎支部をつくった人々
田原叢
佐々木要三郎
山代巴
5 日彰館青年共産同盟の闘い
弾圧と分裂に抗して―1950年代の戦い
1 この時期の特徴と闘い
2 地区委員会、三次へ移転―地区委員会組織の変遷
3 党の旗を掲げて―大坪求・佐々木和麿
4 平和行進事件
党の統一回復・新綱領の決定、党勢拡大をめざして
「解同」小森一派との戦い―公正・民主の同和行政をめざして
各支部の活動
1 君田支部発足と活動
2 「つり鐘事件」と君田支部の発足
3 君田支部の発展
4 庄原支部
5 三良坂支部
6 民商支部
7 口和支部
8 東城支部
9 作木支部
10 西城支部
11 寺戸支部
12 教職員支部
藤村耕市「創刊にあたって」(『みよし地方史』第1号、三次地方史研究会
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13 高野支部
歴代特委員長・専従者
終わりに

呉を語る 呉市制一〇〇周年記念 体験手記集

『呉を語る 呉市制一〇〇周年記念 体験手記集』(呉市企画部呉市史編纂室、2003/01/31)

内容

ごあいさつ…小笠原臣也
1 戦時体制下の生活…1
はじめに
一戦前・戦中の学生時代…金子俊二…4
二私の戦時中…津田佳明…9
三私の故郷は呉市天応(旧大屋村)です…西川輝数…16
四学童も戦った銃後の呉…朝倉邦夫…22
五悔恨と自戒の小学校教育…宮野前孝…28
六学童疎開…徳田久美雄・坂村エツ子…36
七なつかしの呉…長谷川良子…40
八学童の目から見た戦争…岡野屋光子…45
2 学徒動員と勤労動員…54
はじめに
一呉に想う…南博也…55
二我が学生時代の勤労の日々…阪口裕…57
三私の学徒動員…佐藤康則…58
四忘れ去られた学徒動員…新居伸次…62
五学徒動員の頃の想い出…水野卓治…65
六学徒動員時代…大山君枝…70
七灰ヶ峰裏山での竹伐採作業の思い出…荒花静雄…76
八学徒動員記…谷口久雄…79
九学徒動員はなんだったのか-一五、六歳の少年の学んだもの-久保亮介…82
一〇学徒動員の記…野平良子…87
一一第一一海軍航空廠に学徒動員の思い出…米田博明…90
3 海軍と呉…94
はじめに
一少女時代の呉での思い出…高橋ミツエ…96
二工廠退職後の祖父…横山茂樹…98
三海軍工廠時代…奥本久雄…100
四呉工廠電気実験部の日々…坪田孟…106
五呉海軍墓地と重巡「最上」…森野俊夫…115
六芳井輝夫君への手紙…都築一郎…20
七灰ヶ峰…野村弘之…24
八父の思い出-戦艦「大和」をめぐって…藤本黎時…39
九私と呉…中曽根康弘…44
一〇「呉市」の思い出-亡き親友を偲んで-…佐藤博…148
一一戦時中の思い出…西迫マツ子…52
一二海鳴りの彼方へ…竹内凱子…53
ニ二九軍神…中村和枝…62
一四海軍工作兵で南方へ工廠空爆で女子挺身隊殉死…金本邦夫…63
一五動員学徒と予科練の日々…下谷源蔵…67
一六潜水艦沈没事故の体験…辛島賢市…74
一七「陸奥」を忘れない…日下万里子…185
一八潜水艦乗り組み体験手記…熊田賢作…190
一九私の従軍体験…東定治…194
二〇シンガポール上陸まで…西本博信…198
二一潜水艦乗りだった父…田中雅子…200
二二マリアナ沖海戦…稲水真理子…204
二三海軍の兵隊さんの思い出…岩佐敬子…210
二四お国の為に早く兵隊になりたい…岡野屋徳男…213
二五呉市の海軍時代と天応地区での災害救助の思い出…吉川亘…21
二六福井先生の収集資料を整理して…戸高一成…219
二七工作艦「八海丸」の思い出…牛田豊春…223
二八呉海軍工廠砲煩部座談会(抜粋)…山下勝利・山本元雄・神津幸直・藤田久登・川崎正義・中原安市(発言順)…229
4 呉空襲と原爆…144
はじめに
一呉に眠る巨大地下壕…山岡邦雄…247
二呉空襲の記憶…下垣内和人…249
三学徒動員と呉工廠空襲…杉岡建治…254
四防空壕に入れて貰えなかった思い出…平川シズ子…257
五工廠で被爆して家を焼かれて-女子挺身隊員の体験-…高橋節子…259
六呉空襲状況の広島への第一報…多賀常政…265
七空襲の記憶…堀本富治枝…266
八くぐりぬけた戦争…沖野良子…269
九オムスビの思い出…能勢幸子…273
一〇呉空襲記…宮本澄枝…274
一一空襲と青春時代の思い出…中野英子…286
一二私の被爆体験談…荒角理宰…294
5 戦後の混乱と市民生活…303
はじめに
一呉.終戦…手島泰晴…306
二終戦の頃…加納清子…307
三父の青春…広保幸治…309
四北京引き揚げ体験記…吉田チエ子…314
五戦後の混乱と航路啓開活動…高木義人…318
六戦時から敗戦後数年間の生活の寸描…稲本与志雄…324
七終戦焼跡からの復興…橋本良…327
八父の戦後…坂口与子…332
九私の戦後体験…出井数彦…337
一〇昭和二〇年秋水害に遭って…森俊武…345
一一生死の濁流に泳ぐ…横林敏子…348
6 占領軍の進駐と呉…350
一日豪で働いた日々…クリフォード・文香…352
二敗戦後の就職、そしてオーストラリアヘ…ブレア・照子…357
三戦争が生んだ人生…パンドーフ・妙子…362
四我が半生の記録…ハウズ・愛子…368
五戦争花嫁の私の道は険しかった…ロー・ミチ…378
六英連邦軍につとめて…小武家芳郎…385
七「シンチューグン」と共に…住原哲二…389
八英連邦軍の思い出…松野正壮…392
7 戦後の職業…394
はじめに
一食糧営団呉支部玄米特別輸送隊奮闘記…河上利男…395
二進駐軍の輸送基地であった呉駅…中西静雄…401
三呉市のモノレール建設の賛否の終焉…宮崎猛…407
四呉市へ合併前後の思い出…友井太一郎…409
五大張矢林野火災と私…北村恒信…411
六座談会「呉市電を語る」(抜粋)…上田重助・阿部宗久・応和寿・八山雪光・中野政春・杉原勤(発言順)…419
8 戦後の学校と子供たち…433
はじめに
一女学校・高等学校の六年間…宮本田鶴子…434
二学制改革による青春の感激…奥川忠…438
三ロマンビーチかるが物語…岸田恵…443
四私の遊び…城戸則人…447
五村の遊び、街の遊び…祝弘子…452
六子どもの遊び…平林明代…455
9 文化活動とともに…459
はじめに
一短歌誌『木橦』…清水一枝…460
ニ廃嘘の呉から立ち上った俳人達一俳誌『虹』を中心とした俳句活動…長尾珠難…461
三夢見る人々…吉田久芽子…465
四昭和公民館の椴帳…久保俊寛…467
五小坪神楽、復活の日…西本武実…469
写真等提供者一覧
編集関係者一覧

「京都大学東南アジア研究センター」に関する討議資料

京都大学東南アジア研究センター問題対策協議会『「京都大学東南アジア研究センター」に関する討議資料―米軍資金反対斗争の発展のために』<作業中

内容

1 「東南ア研センター」設立の経過
dc001
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dc02
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dc04
dc05
dc06
2 「東南ア研センター」設立の背景
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3 反対運動の展開
4 ”安保条約の目的達成”という政治的目的に貫かれたアメリカの国家・財団・軍三位一体の研究資金援助の性格について

 

大久野島毒ガス障害死没者慰霊式

大久野島毒ガス障害死没者慰霊式 主催:「大久野島毒ガス障害者対策連絡協議会」

年月日
1  1985?
36 20221021 当時の工員の遺族など約100人が参列。
「毒ガス障害者の援護を担当している広島県被爆者支援課によると、毒ガス障害者の健康管理手帳を持つ人は昨年から166人減少し、全国で838人(3日現在)で、平均年齢は93・2歳。最も手帳所持者が多かった1987年の6分の1程度となり、高齢化が進んでいる。」出典:「毒ガス製造の実相を後世に」 工場あった広島・大久野島で慰霊式 | 毎日新聞 (mainichi.jp)

年表:自衛隊パレードとヒロシマ

年表:自衛隊パレードとヒロシマ

年月日
1962
0420 自衛隊広島地方連絡部が平和記念公園内の「原爆の子の像」横で最新の武器や軍艦の写真展。無許可展示のため広島市が市公園条例違反で撤去命令。
1964
1204 政府、カーチス・E・ルメイ米空軍大将に勲一等旭日大綬章授与を決める。
1965
1026 民社党広島県連、平和公園自衛隊パレード問題で、「反対はしないが、混乱を避けるため広島市長は再度、自衛隊と話し合いを」と要望。
1970
1027 10・27自衛隊パレード反対福山地区実行委員会, パレード抗議行動を展開.
1971
1027 -28 自衛隊記念行事反対共闘会議, 自衛隊パレードの中止を要求し, 広島市役所前で座り込む.
1972
1007 国際反戦平和統一行動広島県実行委員会, 自衛隊パレード抗議デモ計画を広島西署に申請. 23日, 県公安委員会, 時間を一方的に変更して許可(事実上不許可).
1029 自衛隊パレードにたいし広島県庁前で労組・民主団体により抗議行動.
1973
1018 10・28自衛隊パレード反対広島県青年学生実行委員会, 広島市の見真講堂で集会. 約 300人参加.
1020 10・21三次地区実行委員会, 「自衛隊パレード反対, 横須賀のミッドウェー母港化反対10・21三次地区統一大会」を開催. 三次市の松原公園に 370人参加.
1024 自衛隊パレード阻止広島市民集会開く。阻止共闘会議(社会党・総評系)主催。広島市公会堂に千五百人。市役所には山田広島市長に観閲中止を求める市民団体、労組の申し入れ相次ぐ
1028 広島市内の自衛隊パレードに 15000人が抗議.

 

年表:ローマ教皇とヒロシマ(2019年~)

年表:ローマ教皇とヒロシマ(1919年~)<作業中

年月日 事項 備考
2013
0313 教皇フランシスコ就任。史上初めて中南米から選ばれた教皇。ザビエルが創設したイエズス会出身者で初の教皇(『中国新聞』20200724)
 2014
06 安倍晋三首相、バチカンで法王と会談、来日を要請。
2017
01 ギャラガー・バチカン外務局長、広島を訪れ松井一実市長・湯崎英彦県知事と面会。法王の被爆地訪問が「選択肢に入る」と発言。安倍首相とも面会。
05 湯崎広島県知事、バチカンで法王に広島訪問を要請。
07 核兵器禁止条約、バチカンを含む122カ国・地域の賛成で採択。
09 バチカンのフィローニ枢機卿、広島訪問。
09 核兵器禁止条約が署名開放。バチカンが初日に署名・批准。
11 法王、被爆者と面会。核兵器保有を批判。松井広島市長、バチカンで法王に被爆地訪問を要請。
暮れ ローマ教皇フランシスコ、被爆直後の長崎の写真「焼き場に立つ少年」を世界中に広めるよう指示、同校記者団全員に飛行機機内で自ら手渡す。
2018
05 田上冨久市長、バチカンで法王に被爆地訪問を要請。
1217  ローマ教皇フランシスコ、バチカンで前田万葉枢機卿と面会、2019年終わりごろ訪日、広島・長崎を訪れたいと述べる。
2019
 0125 松井一実広島市長、記者会見でローマ法王フランシスコの11月日本訪問名言について「大変うれしい」。
 0129  湯崎英彦広島県知事、記者会見でローマ法王フランシスコの11月日本訪問名言について「大変喜ばしく思う」。
 0225  「核なき世界へ弾み ローマ法王 11月被爆地訪問へ 中国地方 宗教超え期待の声」(『中国新聞』)
 0619  松田小春(「高校生平和大使」、広島大付属高2年)、バチカンのサンピエトロ広場でローマ法王フランシスコの一般謁見に参列。
 1105  広島市、ローマ法王フランシスコ広島訪問に備え、24日午後1時から平和記念講演への関係者以外の立ち入り制限を発表。
 1106?  市民グループ「ひろしまと世界を結ぶこども文庫」、『絵で読む 広島の原爆』(文・那須正幹、絵・西村繁男、福音館書店)の英訳版を東京のローマ法王庁大使館へ郵送。
1124 ローマ教皇フランシスコ、 広島訪問。
 <作業中
 ヨハネ・パウロ2世=19781016-20050402
 ベネディゥト16世=20050419-20130228
 フランシスコ=20130313-

 

年表:ローマ法王とヒロシマ(1981年~)

年表:ローマ法王とヒロシマ(1981年~)

年月日 事項 備考
1980
0925 ローマ法王庁筋、来年2月のローマ法王の広島・長崎市訪問を発表。
1221 ローマ法王の訪日計画、正式決定。それによると、被爆地広島・長崎を訪問予定。
1981
0117 ローマ法王の特使としてバチカンの宗教家、来広し広島原爆資料館など見学。
0109 広島県被団協の森滝理事長、2月に来日予定のローマ法王に核廃絶を訴える録音テープを作成。
0110 長崎県・市、2月来訪のローマ法王に対して核廃絶メッセージの発表などを要望する書簡を送付。
0110 ローマ法王の特使として、バチカンの宗教家ら、長崎市を訪問。
0224 「NGO被爆問題国際シンポジウム広島継続委員会」、ローマ法王の広島訪問を歓迎、原水禁運動への協力を訴えるアピールを発表。
0225 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世、来広。原爆慰霊碑に参拝し、核兵器撤廃などを訴える平和アピールを採択。約2万5千人の市民が歓迎。
0225 ローマ法王、ヨハネ・パウロ2世、長崎市を訪問。26日、恵の丘原爆ホームを慰問。
0225 広島市在住の詩人栗原貞子、ローマ法王に同行して来広する外国人記者に自作の英文詩集を贈呈。
0225 NHKなど、ローマ法王来広のもようを放送。
0225 RCC制作の特別番組「広島のローマ法王」放送。
0306 広島への原爆投下について報道したバチカン法王庁の機関紙(2月に来広したローマ法王の寄贈)、翻訳を終了。
0319? 広島原爆資料館、ローマ法王のアピールを米のマーク・ハットフィールド上院議員に送付。
0322 ローマ法王の長崎訪問を収めた記録映画、完成し公開される。
0404 日本被団協代表、ローマ法王より2月来日中に渡した手紙に対する礼状とカードをうけとる.
0410 2月に来広したローマ法王から贈られた原爆投下直後のバチカン市の新聞を刻んだ銅板など、平和記念館で一般公開。
0413 広島市、2月のローマ法王の来広を記録した映画「ローマ法王広島訪問」を制作。
0513 2月に来広したローマ法王ヨハネ・パウロ二世、バチカン市で狙撃され重傷。
0517 ローマ法王の長崎訪問を記念して、碑建立され除幕。
0505? 2月に来広したローマ法王に自作の詩を贈った広島市の詩人栗原貞子に、ローマ法王から返礼のハガキ届く。
0624? 広島市在住の被爆者、ローマ法王来広(2月)の記念碑建立運動を開始。
0702? 広島市在住の染色家(三田嘉一)、2月に来広したローマ法王のサインをろうけつ染めに仕上げ、広島市に寄贈。
0804 広島市の一被爆者、広島平和文化センターにローマ法王平和アピール碑建立運動に協力要請。
0830 ローマ法王、第二次大戦ぼっ発記念日を前に核廃絶を訴え。
1102 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の指示で故エドモンド・ブランデン(英詩人)の詩「ヒロシマー1949年8月6日に寄せて」をホセ・テホン・エリザベト音大学長が作曲、同大定期演奏会で発表。
1205 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世、日本の新聞社記者と会見。日本訪問について広島・長崎の原爆の悲惨さが印象に残っていると語る。
1212 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世、米・ソなどに核軍拡競争中止を訴える使節団を派遣する方針発表。
1214 ローマ法王、米大統領に、核兵器不使用を訴える親書及び「人類の生存と健康に関する核兵器使用の調査結果」報告書、提出。(近くソ連共産党書記長にも提出)
1219 ローマ法王来広を記念する「平和アピール碑建立委員会」、広島市で発足。
1226 広島YMCA、ローマ法王の「平和アピール」を記念して「平和のためのモニュメント」を建立、除幕式。
1982
0206 「ローマ法王平和アピール碑建設委員会」、同碑の制作を広島県出身の彫刻家杭谷一東に依頼。
0209 カトリック正義と平和広島協議会・平和を願う会、ローマ法王来広を記念して文集「平和への道」を発行。
0215 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の呼びかけで開かれる核兵器廃絶のための会議の準備会、ウィーンで開催。
0225 ローマ法王平和アピール碑建立委員会、広島市で碑建立費のカンパを求めるビラを配布。
0225 広島地区カトリック教会の信者ら、ローマ法王来広1周年を記念して平和記念公園で「平和を願う祈りの集い」開催。
0225 広島YMCAのメンバー、ローマ法王来広1周年を記念して市内で、ローマ法王の平和アピール文を印刷したビラを配布。
0228 ローマ法王平和アピール碑建立委員会(原田東岷委員長)、広島市で、街頭募金をし市民に協力呼びかけ。
0315 アレッサンドロ・ナスタージオさん(イタリア・ミラノ在住の画家)、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の平和アピールに感動し描いた「原子雲の中の生と死」を広島県立美術館に贈る。
0319 ローマ法王からの核兵器廃絶を願う書簡、日本被団協に届く。(2月の被団協の核廃絶訴えの返書)。
0319 日本被団協、ローマ法王から2月中央行動の要請書への返書を受け取る.
04 藤村洋子(岡山市の身障者)、ローマ法王の平和アピールに打たれ、車いすで1600人分の反核署名を集める。岡山カトリック教会を通じ国連軍縮特別総会へ。
0501 子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会にローマ法王から、同会が作成した原爆記録映画を見たいとの手紙届く。
0611 ローマ法王、訪問先のアルゼンチンで、同国民に向け、広島・長崎の原爆被害に言及したメッセージ発表。
0611 ローマ法王、SSDⅡに「力の論理よりも理性の力を」とのメッセージ送付。
0615 ローマ法王の平和アピール記念碑づくりを提唱した被爆者藤枝良枝、同碑建立委員会に寄金。
0721 「子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会」代表、バチカンの法王庁を訪問。<広島から芝間タズ、映画プロダクション代表月下美紀、相原和光広島YMCA総主事>。被爆記録映画(伊語版)を贈り、ローマ法王と接見。(22日に上映)
0803 「子どもたちに、世界に!被爆の記録を贈る会」代表、帰広し、ヨーロッパでの活動のもようを報告。(7月21日、ローマ法王と接見)。
0819 日本被団協派遣のヨーロッパ「語り部の旅」代表団(28名)、欧州に出発。(30日帰国)。5回目。東西独・仏・オランダ訪問。25日、ローマ法王に会見。
0825 日本被団協海外派遣代表団ローマ班、ローマ法王に謁見.
0901 曹洞宗大本山永平寺貫主、バチカンを訪れ、ローマ法王に世界平和を訴えるメッセージを堤出。
0919? ローマ法王アピール碑、完成。(翌年2月除幕式。)
1983
0101 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世、サンピエトロ寺院での新年ミサで、核大国に核軍縮実現を呼びかけ。
0225 ローマ法王平和アピール碑(広島平和記念公園・広島平和記念館)
0514 ローマ法王庁の駐英代表者が、反核運動に参加しているカトリック神父らを非難する手紙を書いていたことが判明。
0531 広島市友好親善代表団(荒木市長ら)、ローマ法王に特別接見。法王、平和へ向け努力する決意を表明。
0624 在日ローマ法王庁大使マリオ・ピオ・ガスパリ大司教、死去。広島市、弔電打電。(1981年のローマ法王来日実現に尽力。)
0824 原爆をテーマにいた映画「この子を残して」の木下恵介監督、同映画をローマ法王に寄贈。
0910 アレッサンドロ・ナスタージオさん(イタリア・ミラノ在住の画家)、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の平和アピールに感動し描いた「原子雲の中の生と死」を広島市に贈る。
1984
0203 ローマ:カトリックのベルリン枢機卿ヨアキム・マイスナー師、原爆資料館を見学、原爆慰霊碑に参拝。ベルリン教区は1966年に「戦争の被害都市が手を結ぼう」と広島教区と姉妹提携。
0225 ローマ法王来広3周年記念行事、広島市で開催。
0531 長崎市、ローマ法王へ原爆写真展の開催について協力を要請。
0914 広島市の平和記念公園の「平和の灯」、カナダ・トロント市に分火され、ローマ法王によって同市の「平和の庭」聖火台に点火。
1985
0228 秋月辰一郎長崎市聖フランシスコ病院医長にローマ法王から聖シルベステル勲章の授与が決まる。医療・核廃絶運動への貢献。
0314 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世から被爆医師・秋月辰一郎長聖フランシスコ病院医長に「聖シルベストロ勲章」。
04 今秋、ローマバチカン市国で開かれる原爆展のオープンセレモニーにローマ法王が出席するとの通知が、長崎市に届く。
0806 ローマ法王、原爆記念日で、原爆犠牲者のための特別ミサを実施。原爆投下日の公式追悼行事は初めて。
0911 「ヒロシマ・ナガサキ原爆写真展」( 長崎市主催) 、バチカン市国で、開催( 10月 9日まで) 。ローマ法王・本島等長崎市長ら、開会式に出席。
1116 広島県出身の書家岸本磯一の作品展「現代美の写経展」、広島市で開催(18日まで) 。ローマ法王による「平和アピール」の抜すいなども展示。
1986
0715 広島市のデザイナー月下美紀、ローマ法王の平和アピールの墨書を、米・ソ首脳に送付。広島市にも寄贈。
1027 ローマ法王の提唱で、世界平和祈願集会、イタリア中部アッシジで開催(約150人参   加)。日本からも仏教・神道代表者が参加。
1987
0108 広島市の被爆者、ローマ法王の平和アピール記念碑建立に協力した広島インターナショナルに、同記念碑の写真を寄贈。
0123 全国のミニ独立国の平和使節団、バチカン市国などを親善訪問。(28日、ローマ法王に広島・長崎両市長からの平和メッセージを伝達。)
0220 ローマ法王の「平和アピール」全文を墨書した。広島市の月下美紀、同法王の署名をもらいにローマへ出発。25日、法王に特別接見。
0225 カトリック広島司教区、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の広島訪問6周年を記念し、平和公園で「平和を祈る集い」。50人が参加。
0401? 1981年のローマ法王による広島市での「平和アピール」が、事前に配布された日本語訳文と違っていることが判明。
0428 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世から、広島平和文化センター高橋昭博事業部長あてに、サイン入りの写真パネル届く。
1988
0120 長崎県の布津町長、バチカンのローマ法王を訪問、長崎市長より託された被爆がわらを寄贈。
0225 ローマ法王の来広(1981年)を記念する「平和を祈る集い」(カトリック広島司教区主催)、広島市で開催(約50人参加)。
0420 高橋昭博広島平和文化センター事業部長、バチカンで、ローマ法王と会見し、「世界平和連帯都市市長会議」(24日から伊コモ市で開催)について説明。
1989
0225 ローマ法王来広8周年を記念して、カトリック信徒ら、広島市平和記念公園の原爆慰霊碑前で祈りの集い(約50人参加)。
1014? 広島市の被爆者榎野譲、自作の詩集「水辺の祈り―構成詩―ヒロシマから」をローマ法王へ寄贈。同詩集には、詩「ローマ法王さま」などを収録。
1991
0804 広島市平和記念公園でローマ法王平和アピール10周年記念カトリック平和行事を開催。
0805 ローマ法王広島訪問10周年を記念した「カトリック平和行事」、広島市で開催。シンポジウム「平和を問う」を開催、平和記念公園から世界平和記念聖堂までを行進(約800人参加)。
0805 ローマ法王訪日記録映画と被爆者の証言の集い、広島市の聖母幼稚園で開催
1992
0223 カトリック広島教区、広島市の世界平和記念聖堂でローマ法王ヨハネ・パウロⅡ世来広11周年を記念するミサと講演を開催。浄土真宗の僧侶が講演。
1994
0225 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世来広13周年を記念するミサ。
1103 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世、第6回世界宗教者平和会議(WCRP)で記念講演。「宗教を紛争の口実としてはならない」
1995
0101 ローマ法王、新年のミサで「1995年は広島と長崎に原爆が投下されてから50年目にあたる」と指摘。
0225 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世、法王庁を訪問した日本のカトリック司教代表団との会見で、核兵器廃絶と紛争の平和的解決を訴える。3月16日、朝日新聞社の幹部に対し、同発言を日本国民へのメッセージとして伝達。
0418 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世、ローマ市内で行われた「十字架の道行き」の儀式の冒頭で、アウシュビッツ・ドレスデン・広島の3都市の「悲劇から50年」と題して犠牲者追悼の祈りを捧げる。
0516 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世、戦後50年にあたってのメッセージを発表。広島と長崎の原爆被害について「人間に与えた影響は計り知れない」と述べる。
0805 ローマ法王庁、広島への原爆投下を追悼する「平和へのコンサート」をバチカンの公会堂で開催。聴衆約7000人。ローマ法王、メッセージを寄せる。
0806 ローマ法王、「被爆者のための御ミサ」を実施。
0809 ローマ法王、「被爆者のための御ミサ」を実施。
1996
0113 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世、バチカン駐在の外交団向けの新年演説で早期の核実験中止を呼びかける。
0808 81年のローマ法王の日本招聘を実現させた里脇浅次郎枢機卿、長崎市の聖フランシスコ病院で死去。92歳。
1998
0623 伊藤長崎市長、パウロ二世ローマ法王を近く訪ねる日本反核法律家協会のメンバーに、核廃絶への「特別の呼びかけ」を求める法王あてのメッセージを託す。
0627 国際反核法律家協会、総会をローマで開催。佐々木猛也日本反核法律家協会副会長らが参加。29日、ローマ法王尾ヨハネ・パウロ二世宛の広島・長崎両市長のメッセージを届ける。
1999
0909 小渕首相、バチカン市国のローマ法王庁でヨハネ・パウロ2世と会見。法王、首相に核兵器廃絶への努力を要請。
 ヨハネ・パウロ2世=19781016-20050402
 ベネディゥト16世=20050419-20130228
 フランシスコ=20130313-

 

年表:ローマ法王とヒロシマ(1945~80年)

年表:ローマ法王とヒロシマ(1945~80年)

年月日 事項 備考
1945
0807 ローマ法王庁機関紙『セルバトーレ・ロマナ』、広島に投下された原子爆弾を「戦争の終了を焦る破滅的手段」と非難。
1946
0906 フーゴー・ラサール神父(広島市幟町カトリック教会牧師)、ローマ法王にヒロシマ救済を懇請。
1947
1207 フーゴ―・ラサール神父(ドイツ人)、1年4カ月の欧米・南米講演旅行から広島市に帰る。「広島への関心と同時に同情はすこぶる大きい。ローマ法王ピオ12世も深い同情と激励の言葉を広島市民に贈られた」
1949
0603 聖フランシスコ・ザビエル来日400年記念でローマ法王特使ギルロイ枢機卿ら72人の国債巡礼団、広島市へ、平和広場で降福式。
1950
1002 山口愛次郎長崎市大浦天主堂司教、欧米各国巡礼の旅に出発。15日、ローマ法王ピオ12世に謁見。(1951.2.18長崎日日新聞)。
1954
0806 世界平和記念堂完工式。建設費1億円。信者約2000人、11カ国の駐日外交官、高松宮夫妻が出席。ローマ法王からメッセージ「(聖堂は)戦いの傷をいやすとともに平和への道の象徴」。
1956
0401 ローマ法王ピオ12世が原子兵器競争中止の呼びかけ。
1218 日本被団協(藤居平一事務局長)、ローマ法王ピオ12世から、広島カトリック教会を通じ、10月24日に送った原水爆禁止と放射能に対する医学機関設立についての要望書に対する返書を受け取る。(朝日新聞)
1957
0213 日本原水爆被害者団体協議会,ローマ法王ピオ12世にイギリス水爆実験禁止への協力依頼の手紙を送る.
1960
0508 ローマ法王ヨハネ23世、広島司教区新設時、野口由松司教をローマに呼び自ら異例の叙階式(任命式)を開く。
1963
0410 ローマ法王ヨハネ23世、「地上に平和を」と題する全世界のローマ・カトリック司教への回状を公表。平和と戦争の問題での法王の通達はローマ・カトリック2000年の歴史で初。
0414 広島の被爆者森木葉子、ローマ法王へ原水爆禁止を直訴するため広島を出発。世界キリスト教婦人有志の呼びかけ。
0520 森木葉子(広島女学院大勤務)、世界16カ国の代表60人とともにローマ法王ヨハネ23世に面会、原水爆禁止を訴える。
0603 ローマ法王ヨハネ23世死去。81歳。
0604 ローマ法王に原水爆禁止を直訴(5月20日)の森木葉子、広島に帰る。
0914 宗教者平和使節団(団長:松下正寿核禁会議議長)一行、羽田を出発。16日、ローマ法王に謁見し核兵器禁止と世界平和を訴える。(「核禁会議20年史」)
1965
0319 ローマ法王の特使、パウロ・マレラ枢機卿広島訪問。慰霊碑に参拝。浜井広島市長を表敬訪問。
1968
0527 山田広島市長、バチカンを訪問しローマ法王パウロ6世に接見、8月6日の広島平和式典への招待状を手渡す。法王「2年後の被爆25周年の1970年にはぜひ訪れたい」
0625 広島市、8月6日の平和式典要綱を決める。名称を「記念」から「祈念」へ変え「原爆死没者慰霊式ならびに平和祈念式」に。ローマ法王パウロ6世にもメッセージを要請。
0625 広島市、平和祈念式のメッセージを収録したメッセージ集の作成を決める。
0718 広島県宗教連盟、1970年の原爆記念日にローマ法王パウロ6世を超宗派で招請することを決める。
0806 広島市、原爆死没者慰霊式・平和祈念式を挙行。約4万人が参列。ローマ法王パウロ6世がメッセージを寄せる。会場に被爆者席300席を特設(初)
0806 被爆二十三周年、「原爆死没者慰霊式ならびに平和祈念式」。原水禁三団体代表を含む市民四万人。ローマ法王パウロ六世メッセージ
1029 アルフレッド・ベンクシュ枢機卿(ベルリン大司教区区長)、山田広島市長に会い、ローマ法王広島訪問への協力を約束。
1972
08 ローマ法王庁機関紙『ロッセル・バトーレ・ロマノ』から「正義と平和に関するメッセージ」(ローマ法王パウロ六世が1月1日に発表)が中国新聞社に届く。
1974
0530 森滝市郎(原水禁国民会議)代表委員・近藤幸四郎常任理事、インド・仏への核実験抗議のため羽田を出発。山田広島市長、ローマ法王パウロ六世やジスカールデスタン仏大統領あてのメッセージを託す。
1979
0509 長崎市の原爆被爆者団体「乙女の会」、ローマ法王に接見。
1980
0925 ローマ法王庁筋、来年2月のローマ法王の広島・長崎市訪問を発表。
1221 ローマ法王の訪日計画、正式決定。それによると、被爆地広島・長崎を訪問予定。
1981
0117 ローマ法王の特使としてバチカンの宗教家、来広し広島原爆資料館など見学。
0109 広島県被団協の森滝理事長、2月に来日予定のローマ法王に核廃絶を訴える録音テープを作成。
0110 長崎県・市、2月来訪のローマ法王に対して核廃絶メッセージの発表などを要望する書簡を送付。
0110 ローマ法王の特使として、バチカンの宗教家ら、長崎市を訪問。
0224 「NGO被爆問題国際シンポジウム広島継続委員会」、ローマ法王の広島訪問を歓迎、原水禁運動への協力を訴えるアピールを発表。
0225 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世、来広。原爆慰霊碑に参拝し、核兵器撤廃などを訴える平和アピールを採択。約2万5千人の市民が歓迎。
0225 ローマ法王、ヨハネ・パウロ2世、長崎市を訪問。26日、恵の丘原爆ホームを慰問。
0225 広島市在住の詩人栗原貞子、ローマ法王に同行して来広する外国人記者に自作の英文詩集を贈呈。
0225 NHKなど、ローマ法王来広のもようを放送。
0225 RCC制作の特別番組「広島のローマ法王」放送。
0306 広島への原爆投下について報道したバチカン法王庁の機関紙(2月に来広したローマ法王の寄贈)、翻訳を終了。
0319? 広島原爆資料館、ローマ法王のアピールを米のマーク・ハットフィールド上院議員に送付。
0322 ローマ法王の長崎訪問を収めた記録映画、完成し公開される。
0404 日本被団協代表、ローマ法王より2月来日中に渡した手紙に対する礼状とカードをうけとる.
0410 2月に来広したローマ法王から贈られた原爆投下直後のバチカン市の新聞を刻んだ銅板など、平和記念館で一般公開。
0413 広島市、2月のローマ法王の来広を記録した映画「ローマ法王広島訪問」を制作。
0513 2月に来広したローマ法王ヨハネ・パウロ二世、バチカン市で狙撃され重傷。
0517 ローマ法王の長崎訪問を記念して、碑建立され除幕。
0505? 2月に来広したローマ法王に自作の詩を贈った広島市の詩人栗原貞子に、ローマ法王から返礼のハガキ届く。
0624? 広島市在住の被爆者、ローマ法王来広(2月)の記念碑建立運動を開始。
0702? 広島市在住の染色家(三田嘉一)、2月に来広したローマ法王のサインをろうけつ染めに仕上げ、広島市に寄贈。
0804 広島市の一被爆者、広島平和文化センターにローマ法王平和アピール碑建立運動に協力要請。
0830 ローマ法王、第二次大戦ぼっ発記念日を前に核廃絶を訴え。
1205 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世、日本の新聞社記者と会見。日本訪問について広島・長崎の原爆の悲惨さが印象に残っていると語る。
1212 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世、米・ソなどに核軍拡競争中止を訴える使節団を派遣する方針発表。
1214 ローマ法王、米大統領に、核兵器不使用を訴える親書及び「人類の生存と健康に関する核兵器使用の調査結果」報告書、提出。(近くソ連共産党書記長にも提出)
1219 ローマ法王来広を記念する「平和アピール碑建立委員会」、広島市で発足。
1226 広島YMCA、ローマ法王の「平和アピール」を記念して「平和のためのモニュメント」を建立、除幕式。
1982
0206 「ローマ法王平和アピール碑建設委員会」、同碑の制作を広島県出身の彫刻家杭谷一東に依頼。
0209 カトリック正義と平和広島協議会・平和を願う会、ローマ法王来広を記念して文集「平和への道」を発行。
0215 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の呼びかけで開かれる核兵器廃絶のための会議の準備会、ウィーンで開催。
0225 ローマ法王平和アピール碑建立委員会、広島市で碑建立費のカンパを求めるビラを配布。
0225 広島地区カトリック教会の信者ら、ローマ法王来広1周年を記念して平和記念公園で「平和を願う祈りの集い」開催。
0225 広島YMCAのメンバー、ローマ法王来広1周年を記念して市内で、ローマ法王の平和アピール文を印刷したビラを配布。
0228 ローマ法王平和アピール碑建立委員会、広島市で、街頭募金をし市民に協力呼びかけ。
0319 ローマ法王からの核兵器廃絶を願う書簡、日本被団協に届く。(2月の被団協の核廃絶訴えの返書)。
0319 日本被団協、ローマ法王から2月中央行動の要請書への返書を受け取る.
0501 子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会にローマ法王から、同会が作成した原爆記録映画を見たいとの手紙届く。
0611 ローマ法王、訪問先のアルゼンチンで、同国民に向け、広島・長崎の原爆被害に言及したメッセージ発表。
0611 ローマ法王、SSDⅡに「力の論理よりも理性の力を」とのメッセージ送付。
0615 ローマ法王の平和アピール記念碑づくりを提唱した被爆者藤枝良枝、同碑建立委員会に寄金。
0721 「子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会」代表、バチカンの法王庁を訪問。被爆記録映画(伊語版)を贈り、ローマ法王と接見。(22日に上映)
0803 「子どもたちに、世界に!被爆の記録を贈る会」代表、帰広し、ヨーロッパでの活動のもようを報告。(7月21日、ローマ法王と接見)。
0819 日本被団協派遣のヨーロッパ「語り部の旅」代表団(28名)、欧州に出発。(30日帰国)。5回目。東西独・仏・オランダ訪問。25日、ローマ法王に会見。
0825 日本被団協海外派遣代表団ローマ班、ローマ法王に謁見.
0901 曹洞宗大本山永平寺貫主、バチカンを訪れ、ローマ法王に世界平和を訴えるメッセージを堤出。
0919? ローマ法王アピール碑、完成。(翌年2月除幕式。)
1983
0225 ローマ法王平和アピール碑(広島平和記念公園・広島平和記念館)
0514 ローマ法王庁の駐英代表者が、反核運動に参加しているカトリック神父らを非難する手紙を書いていたことが判明。
0531 広島市友好親善代表団(荒木市長ら)、ローマ法王に特別接見。法王、平和へ向け努力する決意を表明。
0624 在日ローマ法王庁大使マリオ・ピオ・ガスパリ大司教、死去。広島市、弔電打電。(1981年のローマ法王来日実現に尽力。)
0824 原爆をテーマにいた映画「この子を残して」の木下恵介監督、同映画をローマ法王に寄贈。
1984
0225 ローマ法王来広3周年記念行事、広島市で開催。
0531 長崎市、ローマ法王へ原爆写真展の開催について協力を要請。
0914 広島市の平和記念公園の「平和の灯」、カナダ・トロント市に分火され、ローマ法王なよって同市の「平和の庭」聖火台に点火。
1985
04 今秋、ローマバチカン市国で開かれる原爆展のオープンセレモニーにローマ法王が出席するとの通知が、長崎市に届く。
0806 ローマ法王、原爆記念日で、原爆犠牲者のための特別ミサを実施。
0911 「ヒロシマ・ナガサキ原爆写真展」( 長崎市主催) 、バチカン市国で、開催( 10月 9日まで) 。ローマ法王・長崎市長ら、開会式に出席。
1116 広島県出身の書家岸本磯一の作品展「現代美の写経展」、広島市で開催(18日まで) 。ローマ法王による「平和アピール」の抜すいなども展示。
1986
0715 広島市のデザイナー月下美紀、ローマ法王の平和アピールの墨書を、米・ソ首脳に送付。広島市にも寄贈。
1027 ローマ法王の提唱で、世界平和祈願集会、イタリア中部アッシジで開催(約150人参   加)。日本からも仏教・神道代表者が参加。
1987
0108 広島市の被爆者、ローマ法王の平和アピール記念碑建立に協力した広島インターナショナルに、同記念碑の写真を寄贈。
0123 全国のミニ独立国の平和使節団、バチカン市国などを親善訪問。(28日、ローマ法王に広島・長崎両市長からの平和メッセージを伝達。)
0220 ローマ法王の「平和アピール」全文を墨書した。広島市の月下美紀、同法王の署名をもらいにローマへ出発。25日、法王に特別接見。
0401? 1981年のローマ法王による広島市での「平和アピール」が、事前に配布された日本語訳文と違っていることが判明。
0428 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世から、広島平和文化センター高橋昭博事業部長あてに、サイン入りの写真パネル届く。
1988
0120 長崎県の布津町長、バチカンのローマ法王を訪問、長崎市長より託された被爆がわらを寄贈。
0225 ローマ法王の来広(1981年)を記念する「平和を祈る集い」(カトリック広島司教区主催)、広島市で開催(約50人参加)。
0420 高橋昭博広島平和文化センター事業部長、バチカンで、ローマ法王と会見し、「世界平和連帯都市市長会議」(24日から伊コモ市で開催)について説明。
1989
0225 ローマ法王来広8周年を記念して、カトリック信徒ら、広島市平和記念公園の原爆慰霊碑前で祈りの集い(約50人参加)。
1014? 広島市の被爆者榎野譲、自作の詩集「水辺の祈り―構成詩―ヒロシマから」をローマ法王へ寄贈。同詩集には、詩「ローマ法王さま」などを収録。
1991
0804 広島市平和記念公園でローマ法王平和アピール10周年記念カトリック平和行事を開催。
0805 ローマ法王広島訪問10周年を記念した「カトリック平和行事」、広島市で開催。シンポジウム「平和を問う」を開催、平和記念公園から世界平和記念聖堂までを行進(約800人参加)。
0805 ローマ法王訪日記録映画と被爆者の証言の集い、広島市の聖母幼稚園で開催
1992
0223 カトリック広島教区、広島市の世界平和記念聖堂でローマ法王ヨハネ・パウロⅡ世来広11周年を記念するミサと講演を開催。浄土真宗の僧侶が講演。
1995
0101 ローマ法王、新年のミサで「1995年は広島と長崎に原爆が投下されてから50年目にあたる」と指摘。
0225 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世、法王庁を訪問した日本のカトリック司教代表団との会見で、核兵器廃絶と紛争の平和的解決を訴える。3月16日、朝日新聞社の幹部に対し、同発言を日本国民へのメッセージとして伝達。
0418 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世、ローマ市内で行われた「十字架の道行き」の儀式の冒頭で、アウシュビッツ・ドレスデン・広島の3都市の「悲劇から50年」と題して犠牲者追悼の祈りを捧げる。
0516 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世、戦後50年にあたってのメッセージを発表。広島と長崎の原爆被害について「人間に与えた影響は計り知れない」と述べる。
0805 ローマ法王庁、広島への原爆投下を追悼する「平和へのコンサート」をバチカンの公会堂で開催。聴衆約7000人。ローマ法王、メッセージを寄せる。
0806 ローマ法王、「被爆者のための御ミサ」を実施。
0809 ローマ法王、「被爆者のための御ミサ」を実施。
1996
0113 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世、バチカン駐在の外交団向けの新年演説で早期の核実験中止を呼びかける。
0808 81年のローマ法王の日本招聘を実現させた里脇浅次郎枢機卿、長崎市の聖フランシスコ病院で死去。92歳。
1998
0623 伊藤長崎市長、パウロ二世ローマ法王を近く訪ねる日本反核法律家協会のメンバーに、核廃絶への「特別の呼びかけ」を求める法王あてのメッセージを託す。
0627 国際反核法律家協会、総会をローマで開催。佐々木猛也日本反核法律家協会副会長らが参加。29日、ローマ法王尾ヨハネ・パウロ二世宛の広島・長崎両市長のメッセージを届ける。
1999
0909 小渕首相、バチカン市国のローマ法王庁でヨハネ・パウロ2世と会見。法王、首相に核兵器廃絶への努力を要請。

 

沖縄全戦没者追悼式

沖縄全戦没者追悼式<作業中
沖縄県主催
6月23日(沖縄県制定の記念日)
会場:糸満市・平和祈念公園(沖縄県糸満市摩文仁)

総理大臣 メモ
1958年1月25日全琉球戦没者追悼式 識名霊園(琉球政府関係写真資料)
1964
1963
1964
1965 沖縄戦戦没者追悼式典 糸満 摩文仁(琉球政府関係写真資料)
1966 沖縄全戦没者追悼式 第5回 会場遠景 糸満 摩文仁  戦後と援護 – 沖縄県公文書館 (pref.okinawa.jp)
 1968  慰霊祭に関する資料 1970年 -沖縄県公文書館 (pref.okinawa.jp)
1990 海部 俊樹
1991
1992
1993
1994
1995 村山 富市
1996
1997
1998
1999
2000 森 喜朗
2001 小泉 純一郎
2002 小泉 純一郎
2003
2004 小泉 純一郎
2005 小泉 純一郎
2006  小泉 純一郎
2007 安部 晋三
2008 福田 康夫
2009 麻生 太郎
2010 菅 直人
2011 菅 直人
2012  野田 佳彦
2013  安部 晋三
2014  安部 晋三
2015
2016
2017
2018
2019 安部 晋三
2020 安部晋三(欠席) コロナ禍
2021 菅義偉(欠席) ビデオメッセージ<コロナ禍>
20210623
令和3年沖縄全戦没者追悼式 : 沖縄政策 – 内閣府 (cao.go.jp)
2022 岸田 文雄 主催:沖縄県・沖縄県議会
共催:一般財団法人沖縄県遺族連合会
公益財団法人沖縄県平和祈念財団
公益財団法人沖縄協会

「首相あいさつ」(2019年)

令和元年沖縄全戦没者追悼式が執り行われるに当たり、沖縄戦において、戦場に斃(たお)れた御霊(みたま)、戦禍に遭われ亡くなられた御霊に向かい、謹んで哀悼の誠を捧(ささ)げます。
先の大戦において、ここ沖縄は、苛烈を極めた地上戦の場となりました。20万人もの尊い命が失われ、この地の誇る美しい自然、豊かな文化は、容赦なく破壊されました。全ての戦没者の無念、御遺族の方々の言葉に表し得ない悲しみ、沖縄が負った癒えることのない深い傷を思うとき、胸塞がる気持ちを禁じ得ません。
沖縄戦から74年。犠牲となった方々が送るはずであったそれぞれの未来に思いを致し、こうした尊い犠牲の上に、今日、私たちが享受する平和と繁栄がある。そのことを改めて深く噛(か)み締めながら、静かに頭(こうべ)を垂れたいと思います。
我が国は、戦後一貫して、平和を重んじる国家として、ひたすらに歩んでまいりました。戦争の惨禍を二度と繰り返さない。この誓いは令和の時代においても決して変わることはありません。平和で、希望に満ち溢(あふ)れる新たな時代を創り上げていく。そのことに不断の努力を重ねていくことを、改めて、御霊にお誓いいたします。
沖縄の方々には、永きにわたり、米軍基地の集中による大きな負担を担っていただいております。この現状は、何としても変えていかなければなりません。政府として、基地負担の軽減に向けて、一つ一つ、確実に、結果を出していく決意であります。
昨年引き渡しがなされた西普天間住宅地区跡地は、嘉手納(かでな)以南の土地の返還計画に基づき実現した初の大規模跡地であり、基地の跡地が生まれ変わる成功例として、県民の皆様に実感していただけるよう、跡地利用の取組を加速します。
引き続き、「できることはすべて行う」、「目に見える形で実現する」との方針の下、沖縄の基地負担軽減に全力を尽くしてまいります。
美しい自然に恵まれ、アジアの玄関口に位置する沖縄は、今日、その優位性と潜在力を存分にいかし、大きな発展を遂げています。出生率は日本一、沖縄に魅せられて訪れた観光客は昨年度約1000万人と、6年連続で過去最高を更新しました。沖縄が日本を牽引(けんいん)し、21世紀の「万国津梁(しんりょう)」として世界の架け橋となる。今、それが現実のものとなりつつあります。この流れを更に加速させるため、私が先頭に立って、沖縄の振興をしっかりと前に進めてまいります。
結びに、この地に眠る御霊の安らかならんこと、御遺族の方々の御平安を、心からお祈りし、私の挨拶といたします。

令和元年六月二十三日
内閣総理大臣 安倍晋三