詠草 平成期〈1989~〉

詠草 平成期<1989~><作業中>

No. 年月
1989   (平成元)
  274  02  宇吹やす1
月踏める靴と並びて華麗なり自動車(くるま)に退化の足飾る靴
下駄屋の子厭いし子等は巣立ちたり懐しみ訪うはきもの博物館
275 03   宇吹やす1
 永別の覚悟出来いしと想う裡みだれ戸惑う夫の異変に
276 04   宇吹やす1
 偶然に会いたる歌友と歩を合わすトンネル開通の記念ウオーク
277 05   宇吹やす1
 庭の草花ゆたかに活くるのみ足るリクルート疑獄のテレビきりたり
278 06   宇吹やす1
 底いなき政治不信を嘆かうや「虎」起ち上がりざま猛き咆哮
279 07   宇吹やす1
 脈絡もあらぬ孫との語らいを乱してジェット機天空をゆく
280 08   宇吹やす1
 健康の自負崩れゆくか血便の原因〈もと〉糺さんと医師の瞳優し
281 09   宇吹やす1
 無辜の民殺めしかつての兵に似る光るクモの巣払いたり
282 10   宇吹やす1
 一人娘を嫁がせし日の髣髴と逆流タイムに身を委ねいつ
283 11   宇吹やす1
 ひかり届かぬ深淵ふかく吸われゆく幻覚に怖ず「さる飛悲峡」
284 12   宇吹やす1
 安芸津湾に穏しく育つ「カキ」のごと師の薫陶に心沈めん
1990 (平成2)
285 01   宇吹やす1
 遊覧船をそびらに悠然「タコ」釣りの小舟揺れつつ点景となる
286 02   宇吹やす1
 我執さらばいかなる形かそれぞれの形にやさしく覆う積雪
287 03   宇吹やす1
 高松塚の復元に会いはやりたるルーツ中国への涯なき旅情
288 04   宇吹やす1
  良き姑めける言葉撰りおり散り敷ける軽き花びら掃き寄せながら
289 05   宇吹やす1
堂塔なべてを埋むる牡丹にみちびかれ長き階廊を喘ぐ長谷寺
290 06   宇吹やす1
 悠然とバス〈観光バス〉を阻める群長く視らるる秋吉サファリ―
291 07   宇吹やす1
 弥生ロマンにひかれ訪い来ぬ吉野ケ里発掘あらわに夏の陽はじく
292 08   宇吹やす1
 炎暑切る藤棚の下友集う乾杯ビールに揺るる木洩陽
293 09   宇吹やす1
 わらび座公演見終え星なき夜の道を冷えびえと踏む細き自が影
お知らせ 歌集「海熙し」西岡喜美子先生出版記念会 11月23日(勤労感謝の日)午前11時 広島八丁堀 グランドホテル
294 10   宇吹やす1
 藻屑と消えしみ魂幾万静もれる海軍墓地を訪う史跡探訪
295 11   宇吹やす1
 姉妹の名羨〈とも〉しと思いし日もありき「キヨノ」「千代」「ユキ」「シズ」「キミ」「一士」
296 12   宇吹やす1
 地球の目集む「ソユーズ」オレンジの炎吐きつつ点となりたり
1991 (平成3)
297 01   宇吹やす1
 殺戮文化の惨を遺跡と晒さんか湾岸戦争誰が生き残る
298 02   宇吹やす1
 早逝姉妹の齢もつぐや古希寿ぐとう子等に誘われ料亭につく
299 03   宇吹やす1
 放ち得ぬ我執埋めたしへだてなく覆い手清し今朝の積雪
300 04   宇吹やす1
 大気汚染も水質汚染も抵えぬ花の悲涙か春を呼ぶ雨
301 05   宇吹やす1
 曲芸に拍手うながす「チンパンジー」手綱は終にほどかれざりき
302 06   宇吹やす1
 湾岸に続く海とも思われず鞆の鯛網絵巻に我も
303  07   宇吹やす1
 自然破壊を憤怒の地霊か「ピナツボ火山」「雲仙」鎮静の気配は見せず
304 08   宇吹やす1
 阿伏兎漢音いつかわの夢叶いたり断崖喘ぎ眺望に佇つ
305 09   宇吹やす1
 垂直石壁六十メートル天を刺す聖堂めける「コンサート会場」
306 10   宇吹やす1
 闇に猛るは自然破壊の怒号とも只つつましく双掌を合〈あわ〉す
307 11   宇吹やす1
 句読点なきままひたに半世紀添い来し夫と自動車〈クルマ〉に揺るる
 308  12   宇吹やす1
 弁慶の闊歩は遠し書写山の幽寂境に心しまり来
 1992  (平成4)
309  01   宇吹やす1
 夢、まぼろしのうつし世しかと知らさるる亡姉の賀状を重たく受くる
 310  02   宇吹やす1
 いかなる宿命〈さだめ〉に生きゆく曾孫か確かなる生命線のやわきに触るる
 311  03  宇吹やす1
 観覧車より見下す人も自動車も「小人の国」めき蟻とうごめく
 312  04  宇吹やす1
 老春を華やぐ一日か青春切符終〈つい〉への旅路もかくあらま欲し
 313  05   宇吹やす1
雨恋し日々もありたりゆったりと籠りて一日歌集読みつぐ
314 06  宇吹やす1
国東のみ仏あまたに和む裡抱きて静かに夜の灯を消す
315 07  宇吹やす1
無様に生きし節太き手に草のアク沁みて匂えり我執の如く
316 08  宇吹やす1
馴れぬ双掌〈て〉に「白粥」と「梅」添えくるる老いたる夫の深き皺じみ
317 09 宇吹やす1
 健やかに孫に從き来し祖谷〈いや〉の旅帰路の車窓に炎ゆる落暉を
お知らせ(忘年会)日時:11月18日(水)11時半~14時まで、場所:ノア(旧玉姫殿)呉中央公園の南 会費:2000円
318 10  チャレンジャーの悲愁も糧と「エンデバー」病める地球へ今メッセージ
お知らせ 宇吹やす様 10月18日安芸津短歌大会入賞、10月25日阿賀短歌大会入賞
 319  11  太古の哀史秘むるや覗く「黒淵」は澄み極まりて底いなき蒼
320 12  一握の土耕して怯えつつ落人生きしや此処「余部」〈あまるべ〉に
 1993  (平成5)
 321  01  あといくばくを相会う初日か稜線の彩雲裂きて今生れ出ずる
あとがき 何となく暗いことの多かった平成四年の鬱を、払いのけるようなホットニュース〈皇太子妃内定〉に沸きたった私達でした。
 322  02  やがて芽吹かん確かさ秘めて裸木は雪を装い朝陽に耀う
 323  03  胃潰瘍、肛門切除、脳梗塞、さまざまの吐息を重たく吐きて
65回呉市短歌大会入選 宇吹やす 無様に生きし節太き手に草のあく染みて匂えり我執の如く
 324  04  「千姫」の悲愁は遠し桜花〈はな〉に泛く〈うく〉白鷺城の人群に入る
 325  05  葉末に耀う朝露ほどの平安に足らいて事なく今日も暮れたり
あとがき ・・・この頃「自分史」なるものが流行っているようですが、グループの月々のこの詠草集は、まさに一人一人の立派な自分史になっていることに思い至ります
326  06  殺戮兵器あまた造りて消されいし大久野島を訪い来ぬ久に
 327  07  この浦に栄えし豪族しのびつつ五色塚古墳の風に吹かるる
328 08  漆黒の画布に咲かせる大輪の花火にどよめき上がる歓声
329 09  光と音のショーに憑かれて今宵又人群に在り呉ポートピア
生くる限りは消えざる思慕か集いたる家族〈うから〉の宴によぎる亡息〈こ〉の姿〈かげ〉 宇吹やす19月19日 阿賀文化祭短歌大会三位
330 10  古代人〈ひと〉も時に賞〈め〉でしかたおやかに「風土記」の丘に揺るる穂すすき
宇吹やす 10月31日竹原文化祭 5位「吐けば互いみに傷つく言葉もさりげなく呑む術つきて仰ぐ星空」
331 11  土の道いまだ残れる山路踏む幸かみしめて「ウオーク」
あとがき 11月14日 呉短歌大会入賞 宇吹やす
332 12  遣唐使船のロマンを恋いて桟橋に乗船切符の配布を待ちぬ
1994 (平成6)
333 01  毛髪刺繡の梵字曼荼羅ほの暗き宝物館の一隅照らす
334 02  雪払う笹の葉ずれも混じじりおり温き寝床に夜の音まさぐる
335 03  傷者いで途絶えいしとう火の祭りふるきままなる左義長組まるる
336 04  すこやかに今年も相会う桜花息子〈こ〉に誘われ「黄金山」に
337 05  国宝指定一号弥勒とう「広隆寺」の暗き堂内に満つる静謐
338 06  飄々と生きて逝きたる姑なりき自在にゆれいる墓地のコスモス
 339  07  小さき手も意外に力みなぎりぬ節太き我が指と握手す
 340  08  地球一周九十分とう「スペースシャトル」人智涯なく地球を縮める
 341  09  毒を持つ蜂さえ深く抱きいる「ギボウシ」の花にみ仏を見る
 342  10  シンドラーに救われ生くる人あまた墓前の長蛇崕てしもあらず
グループ忘年会 11月28日(日)11時から 呉駅前阪急ホテル 会費五千円
343 11  再訪はよも叶うまじ恵那トンネル長きをバスに夫と揺るるる
呉短歌会 11月20日 阿賀公民館
344 12  あまたの史跡巡り足らえる帰路の車窓に耀く波襞〈ひだ〉みつむ  <保野山>
1995 (平成7)
345 01  風に吹かるる如く舞きて陽だまりに草抜く我をめぐる冬蝶
1月24日 安芸津を詠む入選 宇吹やす 妻恋し万葉人にも見せま欲し保野山に泛〈う〉く「万」の炎祭り
346 02 (欠)
347 03  伯耆富士を旬に消しては涌く靄に神の在処を疑わずおり
348 04  沈丁の花毬放つ芳香に抱かれ事なく今日の灯を消す
349 05  地球滅びの警告なりや金玉の無残を飾る福山美術館
350 06  都合よく「殺生肯定」にねじ曲げし「輪廻転生」のオウムの末路
351 07  他人事と日毎聞きいし警笛か夫の傍えに乗る救急車
352 08 羞恥心心つゆなき様に物体と萎えて小さき夫の陰は
353 09  在るし日の夫の仕草に掃き清む庭に箒目しかと立てつつ
354 10  寡婦となりしを励ましくるるや亡夫植えしミニのトマトが日毎熟れゆく
あとがき 10月28日 安芸津短歌会 大会賞・選者賞
動く右手頬しかとさすりたる温み抱きて生きん残生
355 11  亡夫の納骨すませて子等とふり仰ぐ大谷廟上雲一つなし
あとがき 安芸津歌集出版記念大会入賞 宇吹やす
356 12  大島ウォーク程良く疲れ帰路の車に揺れつつ視つむ落陽
1996 (平成8)
357  01  吹きだまる枯葉に似たり寡婦四人冬陽だまりに熱き茶を飲む
 358  02  大水槽を回遊魚群の向等しかつての軍国日本に似たり
359  03  タコ壺のほてりいまだし登り窯冬陽集めてほのかに温し
360  04  太平洋を睨む龍馬の懐手日本の夜明け夢みし炯眼
 361 05  落ちゆきし公卿の悲愁も聴きいしや雁木をなぶる鞆の浦波
 362 06  傷つくる言葉は呑み込む術つきて胸に残滓のよどみてあらん
あとがき 平成8年6月8日 「ビューポートくれ」にて「詠草」30周年記念歌会 宇吹 互選4位、講師選 5位
 363 07  亡夫追憶の「おもかげ」製本こつこつが報われ熱く聴く正信偈
 364 08  待ち人の無き気安さに遠く来て愁流したり黒川温泉
 365 09  去年夫婦〈こぞふたり〉見しもこの位置納涼船船べりたたく潮騒を聴く
 366 10  空と海溶けあい画く弧線のみ望洋はるか足摺岬
 367  11  月と競える様の保野山「万文字」の今くきやかに炎えて泛〈う〉きたり
あとがき 呉短歌大会賞 中国新社賞 宇吹やす「吹きだまる枯葉に似たり寡婦四人冬陽だまりに熱き茶を飲む」
 368 12  孫背負い「弥山」山頂極めたり夫も我も未だ若かり
あとがき 安芸津短歌大会賞(10月26日) 宇吹やす「傷つくる言葉は呑み込む術つきて胸に残滓のよどみてあらん」
1997 (平成9)
369  01  今宵見る夢に顕つかも赤と白社殿を覆う雪景に佇つ
 370  02  姑の孤愁は知らず「娘」〈こ〉と愛すと嫁の決意におくる拍手を
 371  03  オリーブ園の眼下に光る東洋のエーゲ海とう牛窓訪い来
372  04  見ずに逝きたる夫に告げん淡き血をたぎらせ探す「ヘール、ボップ」彗星
 373 05  弘法大師に帰依深かりし「池田首相」の苔むす墓石を覆う「高野槙」
 374 06  国曳きの天女レリーフ遠近にみつつひたゆく神話街道
 375 07  松江城天守への階摩滅して艶めく木目に印するあしあと
 376 08  「マーズ、パスファインダー(無人探査機)」火星をあばき月を踏む人智は永遠なる夢をこわして
あとがき「八月は日本の忌であり広島の忌でもあることをしみじみと感じながら・・・」(松田)
 377 09  「英語覚え帖」古びてケースに寂かなり学び給いし「セキ女」顕ちくる
 378 10  憂きことは、なべて忘れん国体の輪に溶け入りてしなやかに踊る
 379  11  此の出会いもはやあるまじ胸裡〈むなうち〉にしかと灼きたり佐渡大夕焼を
 380 12  生きの証し残し得ぬ身は還りゆく土にせめても花植えおかん
1998 (平成10)
381  01  虚構日本の未来暗示か一條も初光見えぬ重き鈍空
 382  02  無宿人狩られて佐渡の金山へ短命に果てし墓石と遭いぬ
 383  03  新天地夢見し移民の上陸地ペルーの入江に記念碑ひそと
 384  04  夢なりきスキー見学ゴンドラの窓たたく雪も賛歌の如し
 385 05  後〈あと〉いくたびを会える桜花か錦川岸辺に早もただよう花筏
 386 06  シートベルト締めし機上に八時間アラスカあたりか見ゆる流氷
 387 07  アメリカの広さを誇示ともバス十二車線は一直線に首都まで続く
388 08  「ワニ」のしっぽを賞味す記念証明書を受けて異郷の満月仰ぐ
あとがき お知らせ 宇吹やす様は八月二十三日呉市内で交通事故に遭われ、呉国立病院に入信され、九月三日に手術・・・
 389 09 金慾うず巻く世に一服か清涼剤映画館出で仰ぐ流雲
 390 10  空白の輪禍記憶よみがえる目撃証人のあまたに遭いて
あとがき ・・・宇吹様もリハビリに頑張っておられまづ由・・・
 391  11  ギブスの眠り醒めざる脚は他人めき我が意に添わぬ一途さ見する
 392 12  愛の試練と輪禍受け留む窓外を流雲ゆるく象〈かたち〉変えゆく
 あとがき お知らせ 宇吹の快気祝いを兼ねた新年会 日時:1月24日12時、場所:ビューポートくれ、会費:3000円
 1999  (平成11)
 393  01  命得て喘ぎいし留守詫びながら息絶えだえの花に水撒く
 394  02  忘れ得ぬ輪禍も埋めたし再生の一歩と瑞雪にあしあとしかと
 395  03  夢多く紡ぎし日もあり発かれし月に今宵は叢雲かかる
 396  04  「家」恋しベッドの悪夢放たれて花のベールに今抱かるる
 397 05  あい侵すことなく「こぶし」「山桜」互に〈かたみに〉繁り山を彩る
松田先生をお招きして歌会 日時:6月27日12時、場所:ビューポート呉、会費:3500円
 398 06  ホタル住む闇は幽界具現かも光浮遊に広ごる幻想
 399 07  侵されし生き証人の赦されぬ鋭き眼に射らるる「慰安婦」〈ナニム〉の館
 400 08  十九年遠流の悲しみ耐えましし帝への献歌まさぐる火葬場
 401 09  秋の夜の思惟たのしめとや絡みつき「定家かずら」に門扉閉ざさる
402 10  「定型死良かったですね」写真〈うつしえ〉の亡夫〈つま〉に声かけ今日が始まる
 403  11  海田湾一股ぎなり疾走の自動車に息子と相撲談義も
404 12  戦争犠牲者刻む墓標の延々と摩文仁の丘を埋めて鎮もる
2000  (平成12)
 405  01  楯となりしみ霊こもらん沖縄のそよふく風にも蒼き海面も
 406  02  朝光に耀き消ゆる雪羨〈とも〉し終章近し
 407  03  二千年記念と弥山にいどむ我がいずちに荒き息吐く
 408  04  武士(もののふ)の修羅も戦火もみつめしや熊本城の老桜に依る
 409 05  孫巣立ち用なきブランコゆらしみる響きあうごとなずる薫風
 410 06  屈強なる体躯なりしよ骨つぼに小さくおさまり息子〈こ〉の手にのりぬ
 411 07  洞穿つ荒波いずち、うす墨絵さながら隠し壱岐見え初むる
 412 08  未来像見えざる現代〈いま〉か神様と素直に生きし杳き祖たちは
 413 09  敬老の値〈あたい〉あるかな招かるる匹見温泉〈いでゆ〉小さく
 414 10  亡夫と見し場所に今年も声音〈こわね〉似る息子かたえに「山車〈だし〉」待つ我か
 415  11  亡息〈こ〉の部屋に飾られいたる「ビクター犬」思惟なす様に小首を傾〈かし〉ぐ
 416 12  潮待ちに詠まれし杳らき妻恋の歌碑仰ぐ髪をなぶる海風
 2001  (平成13)
417  01  積年の念願叶いたり息子〈こ〉に従きて被爆者涯てし似島を訪う
 418  02  八十路パワー最後と定めし遍路行き歩協十周年のイベントに従〈つ〉く
 419  03  太り過ぎ疎まれ息子の家の住犬に金茶と白のまだら毛「パル」は
 420  04  「くす玉」の紙吹雪を頭〈づ〉に「休山」トンネル開通の雑沓を行く
 421 05  「山陽道、不通」と旅より息〈こ〉の電話互〈かた〉みに無事を確かめ合いぬ
 422 06  日本一高処〈たかど〉とう曳かれ来しまさに豪壮「松山城」は
 423 07  孫を連れいくたび来しか久に訪い憂さを放たん動物園に
 424 08  虚構なる平和に馴れて久に訪う原爆資料館の現実〈うつつ〉に泣きぬ
 425 09  聖戦とたたき込まれしは杳かなり無智なりし悔恨癒ゆる日のなし
 426 10  虚構なる平和謳歌のたまゆらか碧空はるかの硝煙匂う
 427  11  我に似つかぬ「オペラ」鑑賞の季を得たり孫の迎いを刻長く待つ
 428 12  再訪の上海市街を縦横にくまなく走る「トロリーバス」は
2002  (平成14)
 01
 02
 03
 04
05
 434 06  輪廻転生の亡夫なるかも手に止まるホタルをそっと双掌に囲む
07
08
09
10
 439  11  賞あまた消ゆ なきあしあと数知れずグループ我らの光でありし
12
2003  (平成15)
441  01  還りゆく土に託しし苗あまた皺む双掌に囲みてしばし
 02
 03
 04
445 05  定めなき再開を約し振り返る野呂山頂埋むる人群
 446 06  魂の浮遊とも見ゆ漆黒の宙を飛び交う蛍火あまた
07
08
09
450 10  空蝉を憩わせ揺るる「われもこう」一枝を供花となして辞したり
 11
 452 12  逆縁の息〈こ〉の二十五回忌の通知受く消し得ぬ追憶やさしくなぜて
2004  (平成16)
 453  01  暁暗の高速道を突走る今し生まれたる初光とあう
 454  02  生きるとは「考えること」と聴きいたり一合の米今日もとぎおり
あとがき ・・・宇吹様ですが来月から小川様と交替・・・
 455  03  病院遍歴最后と縋る〈すがる〉国立病院も自然治癒しか「クスリ」無きとう
あとがき ・・・今月から宇吹哲夫様がご参加・・・
 456  04  独り居の日々を紡ぎて早八年皺む双掌を陽だまりなずる
 457 05  弧を生くる虚しさ知らず逝きし夫〈つま〉羡しみ仰ぐ淡き半月
458 06  未だ見ぬ幽界ふとも拡ごりぬ優雅に飛び交う蛍火みつむ
456 07  幽界は無限界かも幾光年逝く人抱擁る漆黒想う
 460 08  待ち侘し婚整いて招かるる微動だにせず誓詞読む孫
 461 09  新聞読める幸いいまだあり嬉しき事を指折りて見る
 462 10  被爆者の呻吟かもともこの炎暑力しぼりてく蝉しぐれ
 463  11  草抜かぬ荒放題の畑に佇ち土の温もりそっと確かむ
 464 12  曳き呉るる息子〈こ〉の手我よりも温かししかと右られ墓参叶いぬ
2005  (平成17)
 465  01  宇吹やす1
忌憚なく子育語り合いし仲空虚〈うつろ〉な瞳に瞬をたじろぐ
 宇吹哲夫13
466 02 宇吹やす1
宇吹哲夫12
 467 03  宇吹やす9-10
 宇吹哲夫11
 468  04  宇吹やす11
 宇吹哲夫11-12
 469  05   宇吹やす9-10
 宇吹哲夫11
 470  06  宇吹やす1
 やがて訪う終への誘い感じつつ乗りたき雲の西ゆくを追う
 宇吹哲夫11
  471  07   宇吹やす1
 一度はとの念願叶いぬ息子(こ)に従きて料亭「音戸」の客となりたり
宇吹哲夫12
 472  11  松田弘江先生追悼号<10月25日死亡>
 宇吹やす9 追悼歌
宇吹哲夫11
2006 (平成18)
 473  02  宇吹やす7
かくまでに生命給わると想わざり身内それぞれ早く逝きしを
宇吹哲夫11
 474  03  宇吹やす1
死期近き双掌に我がほほ囲みたる亡夫の温み忘れぬ今も
  宇吹哲夫9
 475  04  宇吹やす1
孫達の生誕記念樹それぞれに大樹となりて舞う桜花吹雪
 宇吹哲夫9
 476  05   宇吹やす1
「万里の長城」亡父と登りし追憶を眠れぬ夜はまさぐりて醒〈おり〉む
宇吹哲夫13
477 (今月号より投稿者の名前を50音順)
 477  07  宇吹やす2
在りし日に夫の作りし「ブランコ」を小さく漕ぎて仰ぐ流雲
 478  08 宇吹やす2
極楽は此の世に在りと思う杳かとなりて仰ぐ流雲
479 09 宇吹やす2
望む旅何処なりとう誘う息子思案の涯て尾瀬沼選びぬ
480 10 宇吹ヤス2
我が頬をなでつつ逝きし夫の掌の温みは今もしかと覚ほゆ
481 11
482 12  宇吹ヤス2
霜白きを払いてネギを抜く一人朝餉のお汁の具にと
2007 (平成19)
 483  01  宇吹ヤス2
物忘れしげき身叱る人もなし見守る亡夫の写真仰ぐ
484  02   宇吹ヤス2
幽界もかかる闇かもねつかれぬ夜に起き出で仰ぐ半月
 485  03  宇吹ヤス2
呆初む身にも僅かの自負ありて気づかぬ振りに返す笑顔を
 486  04  宇吹ヤス2
 近郷にては名立たる吉浦蟹祭り見納めなるや友と訪い来ぬ
487  05  宇吹ヤス2
一人居の空しさ知らず逝きし夫仰ぐ写真笑まうたまゆら
 488  06  宇吹ヤス1
寝つかれぬ今宵の夢路に杳かなる尾瀬の旅路の水ばしょう顕つ
 489  07  宇吹ヤス2
若き日の雑魚寝山小屋尾瀬の旅鮮かに顕つ今宵の夢に
 490  08  宇吹ヤス2
梅雨明宣言のテレビ画面に裡はずむ晴天予報に洗濯急ぐ
 491  09  宇吹ヤス2
ラクダの背に引き上げ呉れし在りし日の亡夫の温み眠れぬ真夜は
 492  10  宇吹ヤス2
よろめける身を息子にひかれ訪い来たる歌舞伎の豪華に酔いぬ一瞬
493  11  宇吹ヤス2
我がほおをさすりつつ逝きし夫の掌の温み未だし裡ふかくあり
 494  12  宇吹ヤス1
北満六年の兵より夫の還りし日蘇る夢にて在らじしかと抱き合いし
宇吹哲夫2
灰ケ峰野呂休山仏通寺紅葉の盛りを母と訪いたり
 2008  (平成20)
 495  01   宇吹ヤス2
小学校時代の友との出会いにたじろぎぬ老醜晒す施設の前に
若かりし杳かなる日はいずちにや言葉は無くてただ抱き合う
 がんばりましょう給わる生命大切に又の出会いを約す一刻
 496  02  宇吹ヤス2
万里の長城日本首長も此処までとう遥かなる日の追憶に醒む
弱りたる脚きたえんと続きいる万歩の日課を刻に今日も終えたり
夕方のいつもの歩行身に定む日課終えたる脚をなぜおり
497 03 宇吹ヤス2
寝つかれぬ伏床起き出で中天に輝く星座仰ぎて冷ゆる
同期の友等死への旅路ちらほらと人事ならず仰ぐ三ケ月
宇吹哲夫3
 498  04  宇吹哲夫2
499 05 宇吹哲夫2
最高の瞬の桜をみせたくて母と連れ合う灰ケ峰の谷
500 06
501 07 宇吹哲夫1
502
 503
504 10 宇吹哲夫2
 505  12  宇吹哲夫2
2009  (平成21)
 506  01  宇吹哲夫2
母寝込み一緒せし旅出来なくて吾はいらいら顔くらくなる
507 03 宇吹哲夫2
508 04 宇吹哲夫2
509 05 宇吹哲夫2
喜びを共にする母伏しており桜見物気持遠のく
510 06  宇吹哲夫2
病む母の意を汲み取れぬもどかしさ裡に空洞拡がりて来ぬ
 511 07  宇吹哲夫2
 512  08   宇吹哲夫2
513 09  宇吹哲夫2
 514  10  宇吹哲夫2 <表紙>10月14日 鉄道記念日
 515  11  宇吹哲夫2
2010  (平成22)
516 01 宇吹哲夫2
517 02 宇吹哲夫2
 518  03  宇吹哲夫2
 519  04  宇吹哲夫1
520 05 宇吹哲夫2
521  06  宇吹哲夫2
 522   07   宇吹哲夫1
 523
 524  10  宇吹哲夫2
525 11 終刊号
西岡喜美子「終刊に寄せて」
「作歌を生涯の友として日記代りにとこころからお勧め申します」」

詠草 昭和期

詠草 昭和期<作業中>

No. 年月
1965 火幻吉浦グループ発足
1972  (昭和47)
81 08 宇吹ヤス 13-16
松田弘江 あとがき「この個性が固まらないように絶えず良い作品をみて巾を広げ味わいを深くしてゆきたいものです」
82 09  宇吹ヤス 5-6
83 10  宇吹ヤス 1-3
おしらせ( 宇吹)
84 11  宇吹ヤス 4-6
”松茸狩り”
85 12  宇吹ヤス 3-4
1973  (昭和48)
86 01   宇吹ヤス 1-3
”保育所の遊戯会”
”墓参り”
おしらせ 09 〈去る7日の火幻新春歌会において宇吹様が三位入賞〉
87 02  宇吹ヤス 1-3
88 03   宇吹ヤス 1-3 旅行
89 04  宇吹ヤス 1-3
91 06   宇吹ヤス 4-6 江田島
92 07  宇吹ヤス 7-9 蛍 米国返還被爆資料展
93 08  宇吹ヤス 1-4
94 09  宇吹ヤス 1-4 津和野の旅 戦争と人間を見る
95 10  宇吹ヤス 1-4
おしらせ1-4 吉浦安芸津竹原合同歌会 11月3日 呉勤労会館
96 11  宇吹ヤス 1-3 ”松茸狩” ”歌会”
97 12   宇吹ヤス 4-7
1974 (昭和49)
98
99 02  宇吹ヤス 4-6 ”古りしめざまし時計” ”お寺詣り”
100 03  宇吹ヤス 6-7
101 04   宇吹ヤス 1-4 ”旅” ”映画「未来の遺跡」を見る”
102 05  宇吹ヤス 1-3  「母の日」
103 06  宇吹ヤス 4-5
104 07  宇吹ヤス 1-4  ”砂丘への旅”
我が歌の酷評をなす子との視野に闇を截りゆく淡き蛍火
105 08  宇吹ヤス 1-4  ”尾道” ”花火”
 原爆の閃光を昨日の如く顕たしめて離合ライトがはじく真夏陽
 水欲りし魂へ注げ惜しみなく虹をたたせて高き噴水
 灼熱地獄に狂いし魂か広島の灼けたる道をかけめぐる枯葉
 106  09  宇吹ヤス 3-5  “鈴虫”   “合宿”
107  10  宇吹ヤス 7-10
108  11   宇吹ヤス 4-6
 109  12  宇吹ヤス1-3
1975  (昭和50)
 110  01  宇吹ヤス1-3
 111  02   宇吹ヤス1-3
 112  03   宇吹ヤス6-7
 113 45  宇吹ヤス 1-3合併号
 114  06  宇吹ヤス4-6
115  07  宇吹ヤス12-14
 116  08   宇吹ヤス6-8 ”映画「惑星からの侵略」”
117  09  宇吹ヤス4-6 ”音戸合宿” ”孫生るる”
 118  10   宇吹ヤス1-4
 119  11  宇吹やす4-6 健やけく育たん希いか父母は「健」と名づけし笑まい深き孫
 120  12   宇吹やす1-3
1976  (昭和51)
 121   01  宇吹ヤス1-4
122 02  宇吹ヤス1-3
123 03  宇吹ヤス4-7
124 04 宇吹ヤス11-13
125 05 宇吹ヤス11-13
 126  06  宇吹ヤス4-6
 「6月6日広島県歌人会で宇吹様三位・・・入賞」
127 07 宇吹ヤス1-3
 128  08  宇吹ヤス1-3 ”「続「惑星からの侵略」映画”
129  09  宇吹ヤス4-6
 130  10  宇吹ヤス7-9
131 11 宇吹ヤス1-3 倉敷
132 12 宇吹ヤス4-6 弥山 吟道
1977  (昭和52)
133 01 宇吹ヤス13-14 「母」
134 02 宇吹ヤス9-11
乳房知らざる孫に添寝す温き部屋四人の孫育てし母想いつつ
お知らせ 呉・安芸津・竹原合同歌会 3月21日(春分の日)10時より 会費300円 場所:呉市焼山町 宇吹様宅
 135  03  宇吹ヤス4-6
 136 04  宇吹ヤス2-4
137  05   宇吹ヤス1-2 いかるがの旅
 138  06  宇吹ヤス4-5
139 07  宇吹ヤス1-2
140 08 宇吹ヤス1-2
141 09 宇吹ヤス1-2
142 10 宇吹ヤス3-4
143 11 宇吹ヤス6-7
144 12 宇吹ヤス4-5
1978   (昭和53)
145 01 宇吹ヤス2-3
146 02 宇吹ヤス1-2
147 03 宇吹ヤス1-2
148 04 宇吹ヤス4-5
149 05 宇吹ヤス4-5 竜安寺 吾唯足知
150 06 宇吹ヤス2-3
「原爆〈ひ〉を呪え」とライトに泛ける亡霊が叫ぶライトの詩舞の静寂
151 07 宇吹ヤス1-2
152 08 宇吹ヤス1-2
153 09 宇吹ヤス2-3
154 10 宇吹ヤス1-2
155 11 宇吹ヤス1-2
156 12 宇吹ヤス1-2
1979   (昭和54)
157 01 宇吹ヤス1-2
158 02 宇吹ヤス1-2
159 03 宇吹ヤス1-2
160 04 宇吹ヤス1-2 京洛の旅
161 05 宇吹ヤス1-2 ”同窓会(46年ぶりの出会)”
162 06 宇吹ヤス1-2 ”県立養護学校の陶壁画を見る”
163 07 宇吹ヤス1-2
164 08 宇吹ヤス1-2 鵜飼
165 09 宇吹ヤス1-2 花火 平和式典
166 10 宇吹ヤス2-3
 蜜月の瞬時も知りいん亡息の部屋に確かな秒音刻む電子時計
167 11  宇吹ヤス1-2
二人の子傍えに詣ず大谷本廟の無量寿堂秋空巣めり
168 12   宇吹ヤス1-2 忘年会
 1980   (昭和55)
 169  01   宇吹ヤス1-2
 170  02  宇吹ヤス1-2
171  03  宇吹ヤス1-2
 172  04  宇吹ヤス1-2
173 05 宇吹ヤス1-2
174 06 宇吹ヤス1-2 隠岐の旅
175 07 宇吹ヤス1-2 隠岐の旅
176 08 宇吹ヤス7-8 〈亡息〉
177 09 宇吹ヤス1-2
178 10 宇吹ヤス1-2
179 11 宇吹ヤス1-2
180 12 宇吹ヤス1-2 仏通寺
1981   (昭和56)
181 01 宇吹ヤス1 八畳岩
182 02 宇吹ヤス1
183 03 宇吹ヤス1 夫婦でのハワイ旅行
184 04 宇吹ヤス1 ハワイ旅行
185 05 宇吹ヤス1 伊勢参り
186 06 宇吹ヤス1 ひょうたん
187 07 宇吹ヤス1 娘の手術
188 08 宇吹ヤス1 大山登山
189 09 宇吹ヤス1 〈鹿島の宿〉
190 10 宇吹ヤス1 〈観音詣で〉
191 11 宇吹ヤス1 柳川の旅
192 12 宇吹ヤス1 呉少年合唱団演奏会
1982   (昭和57)
193  01  宇吹やす1
〈火幻新年歌会で宇吹様三位、西岡様四位入賞〉
194  02  宇吹やす1
195  03 宇吹やす1
 196  04  宇吹やす1
 197  05  宇吹やす1
 198 06   宇吹やす1
199 07   宇吹やす1
〈来月は二百号(宇吹)〉
200 08  宇吹やす1
201 09  宇吹やす1
202 10  宇吹やす1
あえぎ登りし鳴沙山沈炎みゆきし落暉の雄大鮮らしく炎ゆ
203 11  宇吹やす1 -2
侵略に加担も杳し反核の心ひそかに座す老人会
204 12   宇吹やす1 -2
「仲麻呂」の郷愁杳か中天に澄たる月を仰ぐ「西安」
1983   (昭和58)
205 01   宇吹やす1-2
206 02  宇吹やす1-2
207 03  宇吹やす1-2
208 04 宇吹やす1-2
209 05  宇吹やす1
210 06  宇吹やす1
211 07  宇吹やす1
212 08  宇吹やす1
213 09 宇吹やす1
214 10  宇吹やす1
215 11  宇吹やす1
216 12  宇吹やす1
1984   (昭和59)
217 01  宇吹やす1
218 02 宇吹やす1
219 03  宇吹やす1
220 04  宇吹やす1
221 05   宇吹やす1
222 06
223 07
224 08
225 09 宇吹やす1
226 10  宇吹やす1
227  11  宇吹やす1
228 12  宇吹やす1
 1985    (昭和60)
229 01   宇吹やす1
230 02   宇吹やす1
231  03   宇吹やす1
232  04   宇吹やす1
233  05   宇吹やす1
234  06   宇吹やす1
235  07   宇吹やす1
236  08  宇吹やす1
237 09   宇吹やす1
子が呉しツクバ博への夢旅行整う荷物を今日も確かむ
238  10   宇吹やす1
239 11 宇吹やす1
240  12  宇吹やす1
 1986  (昭和61)
 241  01   宇吹やす1
あまたの祈り沈めて穏し遠く来て今ガンジスの初日に真対う
242 02  宇吹やす1 エア・インデア
243 03  宇吹やす1
244 04   宇吹やす1
245 06  宇吹やす1
246 07  宇吹やす1
247 08 宇吹やす1
248 09  宇吹やす1  尾瀬
249 10 宇吹やす1   尾瀬
250 11  宇吹やす1
251 12 宇吹やす1
1987  (昭和62)
 252  01  宇吹やす1
253 02  宇吹やす1
254 03  宇吹やす1
255 04  宇吹やす1   吉川英治碑記念文化祭短歌大会
 吉川英治碑記念文化祭短歌大会 5月3日音戸瀬戸公園
256 05  宇吹やす1   歌碑除幕
257 07   宇吹やす1
258 08  宇吹やす1
259 09  宇吹やす1
260 10  宇吹やす1
261 11  宇吹やす1
262 12  宇吹やす1
1988 (昭和63)
263 01  宇吹やす1
264 02  宇吹やす1
食文化には程遠き躰を「ラ・マルミット」フランス料理の食卓につく
265 03  宇吹やす1 竹原
266 04   宇吹やす1
267 05  宇吹やす1
268 06   宇吹やす1
開発の贅を晒して悠然と淡路神島は我等を迎う
269 07   宇吹やす1 たけのこ村
270 08 宇吹やす1
食べ足らい子等帰りたり老夫婦〈おいふたり〉樹陰しずかに蝉しぐれ
271 09  宇吹やす1
諦観も妥協もあらず自が主張しかと告げ泣くみどり児とあり
272 10   宇吹やす1  「猿の惑星」
273 11   宇吹やす1
1989 (平成元)
 274  02

短歌:宇吹ヤス

宇吹ヤスの短歌(抄)

年月日
1971
0310 『火幻 1971春号』p.38
疎まるる眸<ひとみ>に馴れし淡き姿〈かげ〉菊香やさしき座に固くおり
白髪に杖曳く姿を写しいるわが店の鏡をひたに拭いぬ
あえなくも消ゆる淡雪日陰にて固くよろえる残雪もあり
子に生きし母もかくやとふし高きわが手見つむも透ける湯槽に
欲しきものボーナスでという吾子の笑顔百合の蕾の大きくふくらむ
水欲りて逝くきし人らの霊魂〈みたま〉ともなめずる仕草冬風〈かぜ〉に揺るる灯(平和の灯)
シルクロードの幻想曲余韻に浸りつつ出ずる歩道をかけゆく落葉
0720  『火幻 1971夏号 ヒロシマ平和特集』pp.29-30
舅病む
何時の日かあるべし老残わが姿〈かげ〉を怯〈お〉じつつぬぐいゆく舅の漏尿
ぬれ光る屋根にひと日を托す老父〈ちち〉の重き瞼<まぶた>にも夢宿るらし
病む舅の土になじまぬ掌は白し曲りし指の爪臥床に切る
土に生くる夢なお持つか春まきの種を病み床〈ど〉に舅はまさぐる
限られし病み床〈やみど〉の視野に今し入る機影をしずかに追い給う舅
とめどなく涙溢るる伯母の訃か波ひたひたとふなべりあらう
開く口のリズムにも馴れ一滴の汁だにこぼさぬ舅との日課
限られし病み床の視野を薫風に向き違えつつ回る矢車
1020 『火幻 1971秋号』p.52
廻りゆくバスに身ゆだね遠山を包める霧にわれも入りゆく
太古への夢をいざなう黒湖の潮騒ききつつ浸る忘帰洞
黒潮の侵蝕深き岩肌に寄り合い生くる貝に触れみる
病みし日を重きまぶたに選り給う豆種亡父〈ちち〉なき部屋にちらばる
離りゆける吾子の新婚旅行〈たびだち〉にうつろなる胸内に埋むる熱き茶を飲む
旅立ちし夫婦を想い侻つ夜空〈そらにむらくも分けて今出でし満月〉
1972
 0325  『火幻 1972春号 同人三氏追悼号』p.29
 風無きに舞いつつ散れるもみじ葉の寂けさ充てり夕映ゆる庭
 <作業中>
 0715  『火幻 1972夏号 同人三氏追悼号』p.46
 いつの日かたぐる想い出煌〈かがやく〉ける霧氷と並びて夫と佇ちたり〈たちたり〉
1215 『火幻 1972新春号』p.22
すだき終えし安らぎのさまに横たえし鈴虫の死骸〈むくろ〉しばし掌に置く
<作業中>
 1973
0315  『火幻 1973年春号 荏原肆夫・梅田昌一・国川浩三氏追悼』p.29
 聖戦と信じて絶ちし愛幾万か妻恋うる歌くり返し読む
 <作業中>
0715  『火幻 1973年夏号』p.20
 凝死
 羽衣のうたがい持たぬ天人〈して〉の瞳が眠れぬ夜闇に鮮かに顕つ
 <作業中>
1015   『火幻 1973年秋号』p.57
 憂国の固ききずなに合集う留忘碑〈ひ〉に降りそそぐ木洩日寂か
1974
0315 『火幻 1974春号』p.23
   映画「猿の惑星」
 人類滅亡を夢幻に顕たす映画みつ 虚構の社会埋め雪降る深夜
 0710  『火幻 1974夏号』p.25
目覚し時計
明け渡さん部屋棚隅に杳き〈くらき〉日の哀しみ共に生きしめさまし
 <作業中>
1210 『火幻 1975新春号』p.12
空蝉
生きの苦渋をいちずになめいん空洞もつ根方に朽ちゆく蛇の脱皮〈ぬけがら〉
<作業中>
1975
0320 『火幻 1975春号』p.12
逍遥集
月蝕
くきやかに煌く星空中天に愁い堪えて月蝕けそめぬ
0710 『火幻 1975夏号』<原爆30周年特集号>
火幻新緑歌会記 加藤壬子 p37-
宇吹ヤス p40
海宝寺の境内に静もる天保の苔むす墓石を包む雨靄
江波焼窯に燃えし命か天保の墓石と共に雨にぬれおり
同人集 pp.54-55
端然と深雪に耐うる裸枝の秘むる樹温をひそかに恋うる
1001  『火幻 1975年秋号』<歌集「大悲」批評>
 1215  『火幻 1976年新年号』<歌集「大悲」批評>
 1976
 0710  『火幻 1976年夏号』<広島特集>
1010  『火幻 1976年秋号』<第14回火幻賞発表>
1210 『火幻 1977年新年号』<広島特集>
 1977
 0310  『火幻 1977年春号』
 0710  『火幻 1977年夏号』<広島33回忌特集>
 1010  『火幻 1977年秋号』<第15回火幻賞発表>

 

ヤスの自分史10:原爆・終戦

ヤスの自分史:原爆・終戦

昭和二十年八月六日。

私と母は内のの谷という所へ畠を借りていたので朝行く途中、原爆の閃光を見た。自分の眼の前がピカットと光った。何か普通より違う感覚である。爆音が聞こえたので空襲だと直感。母と走って梅林の防空壕へ入らしてもらった。静かに爆音がしなくなったので恐る恐る壕から出て広島の空を仰いだ時、あの原爆雲、もくもくと無邪気に広がる。あれを見たのである。

世界で始めての爆弾。誰も解らぬ。「ガスのタンクが爆発したのだそうだ」「新しい爆弾だそうだ」皆思い思いの事を話した。何時までも道路で話し合ったものだ。

其の中に、今の保育所が共済病院だったので、そこへ火傷の人がトラックで運ばれてきだした。みんな黒こげで仁王さんの様に大きくはれている人もいる。正視できない姿である。これは大変だと思った。警防団が召集され、広島へ救援にむかった。

下川さんには弟が召集あり、兄と妹が見送りに行かれ三人とも死なれた。堀田さんも親の家が広島なので救援に行かれた。肉親を求め来る日も来る日もみんな歩いた。命絶えた人は火葬にするだろう。探してもいない筈。それでも毎日探す人は絶えない。広島の惨状を直接見たのではないが、聞くのに胸が張り裂けそうだ。

九日、長崎も洗礼を受けた。

八月十五日。

終戦の詔勅放送あり。

この日岩神の畠へ母と仕事に行っていた。下の段が木村の墓所である。木村のおじさんが下から「おごうさん、もう防空壕は入らんでもええんで。戦争は終わったんじゃけん」びっくりした。大切な放送がある。玉音放送である。放心、虚脱、敗戦の足音の日々高まりを聞きながらも心の一部には神風を祈っていたのである。

起たざれば虚脱の闇に吸われいん 夫婦の日を信ず終戦

ひた踏みしがなべて虚構と知りし 今吐く息白し消ゆるたそがれ

虚構の長き橋踏み終えて狂わざるふし太き双掌を静かに凝視む

踏みしむる大地は揺れたり虚脱より起たねば命は子と共に絶ゆ

繰り言と笑われて吐く大正の苦汁を秘めて白し我が息

軍国の夢破れたり崩れゆく大地を踏みて子と共に佇つ

終戦の日の追憶を詠めば斯くの如し。

 

ヤスの自分史9:空襲下の生活

ヤスの自分史9:空襲下の生活

敗戦の色が濃くなりだした頃、あの人も、この人も戦死の公報がありだした。何時公報があるのかとビクビクの毎日が続いた。

其の頃、父が別居すると言い出した。余りにも戦死の公報が続くので生きて帰って来るとは思えない様になった。私と子供二人三人をかかえてゆくより自分一人が別居した方が楽だと思ったのではないか。毎日其の事にこだわる。

辛かった。母は私に言った。

「別れるのなら別れよう。然しみんなで働いたのだから、じいさんだけに金は渡せない。自分は静男からあんたと子供を頼むと聞いているのだから、あんたとは別れん。ある金を三分しよう。一つ分をじいさんに渡し二人でがんばろう。帰るまで」

嬉しかった。二人はしっかり心に誓った。

おじいさんは一生懸命生きようと思ったのだろう。息子は生きては帰らないと決めていたのだろう。空襲警報が出れば一番に防空壕に一人で逃げていたのを見てもわかる。

母は、哲夫を背負い、瞳をこする美智子の手を曳いて逃げてくれる。私は家を守る為に一人は家に残るのである。夜中何度も避難する。眠る間はない。防空ズキンにもモンペにもみんな名前と血液型を書きつけてある。大人も子供も。どんな場所で怪我等しても輸血等出来る様にしてあったのか。

国の方針には絶対服従の時代。建物の疎開もあった。消火の為に防水池があちらこちらに造られた。其の場所に当った者の不運である。姉、**も呉住居を追われた。そして吉浦にきた。現在の吉浦の家の場所も建物疎開にあった。堀田の家があった。地主は松原である。大きな池だった。終戦になって地主に返され、それを譲り受ける事が出来て現在に至った。

次第に戦局は不利に思えたが、神風を信ずる国民である。本土決戦で戦う意気込み、身の程を知らぬ思い上がりであった。防火演習、救護演習、等々、隣組活動が盛んである。若く健康な身には苦にはならないけれど、病身の人達には、ついて行けない労働である。新聞報道は戦勝を報ずるけれど、ヒソヒソと敗戦がささやかれ出した。表面ばかり見せられても何処からかニュースは流れ出してくる。

「欲しがりません 勝つまでは」

どんなに耐えをしいられてもみんながまんの国民だった。

敵機をうち落下傘で投下した、アメリカの飛行機だったのかな。岩上の刑務所へ入所していたのがいた。よく家の前を自動車にのせられて目かくしをされ連行されてゆくのを見ていた。赤いちぢれ毛が印象的に眼裏にやきついている。

ヤスの自分史8:配給と防空演習

ヤスの自分史8:配給と防空演習

配給食料品も遅配がちになった。前川の処が雑炊食堂になった。みんな並んで行列をしている。箸が立つ硬さの雑炊が規準だったとか。

私の家では父が百姓をしてくれていたので、イモ、ジャガイモ、南京、菜類、大根等を食べれば、何とか空腹はしのげた。米を少しの中へ、イモ、大根等をたくさん入れて量を増やして食べる。

それはまだいい方である。隣家等では、配給の一ヶ月分を子供達がそれぞれ勝手に食べるので直になくなる。たまりかねて米にもメリケンにもカギをかけてあるのだそうだ。それでも空腹にはかなわないので、あけて食べるそうだ。

豊富な食生活の今を見ると、あの頃を思い出すのさえ恐ろしい様だ。食べ物の無い時代を通り過ぎた者は近い将来襲うであろう食料難時代等耐ゆる事はたやすい事である。

隣組で防空演習も度々あった。空襲警報になると道路で青松葉を燃す事もした。何しろ生の青松葉だから燃えない。いぶすのだ。煙幕のつもりである。

白壁は目立たない様に黒く汚す。敵機から見えない擬装のつもりである。何のことはない、子供だましの労力浪費。どんな人が指導をしたのか、よくみんなついていったものだ。馬鹿馬鹿しくて、無智によく馴らされたものだ。

夜は燈火管制である。少しあかりがもれていても注意を受ける。暗い火の下何をしていたのかしら。

 

ヤスの自分史7:子どもの疎開

ヤスの自分史7:子どもの疎開

参観日には必ず出席した。子供に夢をかけるより他ない自分だったから。おかげで美智子も勉強はまあまあやった。楽しみはそれ位しかなかったものだから、嬉しかった。

美智子が小学一年生の頃、空襲をさけて疎開先があるものは疎開する様にとの学校からの通達があった。

どうしても行く事の出来ない子供は集団疎開といって山地のお寺とか学校へ集団で疎開する。私は宇吹本家の納屋をかしてもらう事が出来た。子供二人を連れて、おばあさんと交替しながら生活した。

美智子は焼山の小学校へ通学させた。焼山の子等の中、シラミがいる子がいてそれがうつり困った。原始的な生活である。水は家の前を流れる小川の水を使う。洗い物、食べ物、洗濯物、何でも其の小川である。上流で何をしているか知れたものではないけれど(上流に家はなかった)他の家もそうしているのだから仕方がない。風呂は三、四日交替にわかす。木はいくらでもあるのに習慣なのだ。毎日入浴していた私達も便利が悪い等とは言っておられない。

家のまわりが草深いのでヘビがいくらでもいる。学校からの帰途何匹か数えきれない程いる。竹藪があるので、竹の子、フキ等食べきれない程ある。夏は蛍が飛び交う。蚊は多いから蚊帳は毎晩つる。

納屋の後ろの山へ、本家のおばさんと一緒に防空壕を掘った。当座の食物とか救急医薬品とか重要なものをその穴に入れておいたものだ。

 

ヤスの自分史6:闇値と宇品署への出頭

ヤスの自分史6:闇値と宇品署への出頭

次々統制になっていった。何もかも、物は不足しだした。商売の下駄も花緒も公定価格がきめられたけれど、其の値段では品物は無かった。いきおい闇値が生れる。経済警察というのがあって闇値に眼を光らす。

花緒を闇値で買って警察に呼び出された。宇品署に出頭すべしと。下駄屋は全部買っていたのだ。駅前に**、東本町に**、本町に**と家、みんなぞろぞろ恐る恐る出頭した。一人ずつ取り調べを受ける。私は一番後だった。巡査が私の顔をじろじろ見ながら、名前をきいた。宇吹です、答えると里は何処かとたずねる。矢野の**の娘ですと答える。矢野まで迷惑がかかるのかと心配していると「**さんの妹かね。**さん元気かね」。地獄で仏とはこの事かも知れぬ。**さんが好きだった巡査だった。呉地方には知った人はいないと思ったとの事。代書(始末書を書いてもらう為)で待っていると、良い具合に書いてやってくれといいにきてくれた。帰途早速矢野へ立ち寄り事情を話すと、挨拶に行って応召中両親と子供をかかえての商売の辛さをのべて罪にならぬ様頼んで置いた方がよかろうと、兄につきそわれて自宅を訪ねた。すると**(花緒を買った問屋)は今気が小さくなっているから、今たくさん品を買っておいてやれば良い、始末書だけで別に罪にはならないと教えられ、まずは一安心と胸を撫ぜた次第。

出征の人は誰でも見送りに出た。召集は珍しくなくなった。お宅もですか、――――、――――、みんなである。「**さん」応召がかかっても何処にいるか解らない為、結局兵役をのがれた。案外聖戦でないのを知っていて協力しなかったのかも知れぬ。酒さえ呑めば良い人だった。

金物は何でも供出する時代だった。仏壇の飾り、真鍮、下駄の裏金等も供出した。学校の校庭へ集められて放置されてあった様に思うが、ほんとうにそれが再生されたものかどうか。みんな国の為という名のもとに夢遊病者の様だった。ぜいたくは禁じられ、遊びも禁じられ、国民は軍国指導者の思うままに動くより仕方がなかった時代である。衣料も切符制になり何も買えなくなった。

金はあっても点数がない為何も買えない。古着を買う時代になった。何もない中からやりくりをして。妹きみちゃんは**へ嫁いだ。何を買ってもらってものか。私の時代は品はあるが金が無く、きみちゃんは金はあっても品がない破目だったのである。私も**の奥様の古着を買った。**のトシ子さんがゆずってもらっているのを見てから買ったのだ。山まゆのコート、めいせんの単衣、きんしやの浴衣。セルの着物、確か四枚である。仕入れ、学校、出歩く事は全部私だから忙しい。

ヤスの自分史5:夫・静男の出征

ヤスの自分史5:夫・静男の出征

結婚一年後美智子が生れた。二つ違いで哲夫が生れた。腹の空いた時はない。哲夫が生れた頃戦争が始まっていたけれども戦場が遠いので物が不足しはじめた程度で実感はない。其の中、兵隊は丙種だった静男さんも第二国民兵に編入された。始めは長男は召集はかからないそうだ等言っていたけれど戦局が急になって、そんな事は言っておられなくなったのだろう。召集令状がきた。国の為の御奉公が出来る事を名誉として育って教育を受けた者ばかりの世代である。涙する事は許されなかった。姉婿**の義兄もうちより早く召集されて一度戦場へ行った様に思う。其の時姉が取乱して里の矢野へ泣きついて行った時、父や母に叱られたそうである。お前だけでは無い、非常時でみんなだと。然し実の処私も心細かった。二人の子供を連れて両親とやっていけるかどうか。哲夫が二つだった。

第二国民兵の召集第二回目頃は、見送りも華やかだったものである。吉浦駅前で壮行会がある。隣組から回覧板があって見送りの人垣である。挨拶が苦労の種である。人前で挨拶等不得手の人だから、原稿を私が書いてそれを暗記するのが大変。自分が考えた言葉でないのだから途中でつまると後が続かない。聞いているのもはらはらさせられる。

二部隊、今の市民球場あたりだったと思う。部隊の動きは秘密である。何時、どこで行くか解らない。せめて広島に居る間だけでもと姑は広島通いに明け暮れる。「餅」「菓子」食べさせられる時を大切にとの親心である。二人の子供を連れて留守役も大変である。受付へ面会を申し入れると、呼び出してくれるのだそうだ。面会人が黒山にたまって肉親の出てくるのを待つ間の長い事。子供を連れて私も一度だけ面会に行った。

どれだけ広島にいたか、一度だけ会った。其の中、北支へ出征した。今度は慰問袋を送るのに忙しかった。手紙はすべて検関済の印が押されて届いた。手紙を書く事の嫌いな人で代筆である。辛い事等書けない手紙だから代筆でもよい。くればまだ命があると安心する程度。代筆をしてくれる人は広の方から出征された人だったのだけれど名を忘れた。子供と私の写真がほしいと葉書がきたので三人で写真を撮った。姑のは送っていた。その写真は大切に今アルバムに貼ってある。

 

ヤスの自分史4:結婚と出産

ヤスの自分史4:結婚と出産

二十四才の若後家、宇吹静男の後妻として嫁入とはどんな事かも知らぬ十八歳の私はみんなにすすめられ、女はどうしても他家へ嫁入するものだから先方がほしがっておられる、いそいでいるといって**家で、やっと仕事を覚えて少しは役に立つ様になった私にやめられたのでは困ると文句をつけられるのを無理矢理連れ帰られた次第。

**家では一流の看護婦に仕立てようと患者さんにも話しておられたそうで、鳶にアブラゲをさらわれた感じ。私が帰宅結婚後、軍医先生も応召があり野戦病院より絵葉書の便りをもらった事あり。今までに手がけた傷病兵○○名、先生は厳しい人だったけれども私は恩ある先生だった。

大体一年位通って試験を受ける段取だったのに、免状等どうでも良い、ゆきちゃんの死亡後の後妻に早くきて欲しいとの宇吹からの要望があって、家の方でも裸で其のままなら其の方が良かろうと話しを決めて、みんなで私をすすめあげ、ゆきちゃんが遺言して私を嫁にして呉れと頼んで死んだとか何とか死人に口なしで結婚等夢にも考えた事もないのに、無理矢理嫁がされたも同様、「物習いは家でさせます」、「着物はいくらでも着せます」等々良い条件ばかり並べ立て、結婚すれば直に子供が生まれる。

結婚、昔は嫁を貰うことを手間をもらうといって人手間に値していた。今の世代の様にレジャー時代ではない。下流階級の商売人、日曜日が休日に定まったのは大分過ぎての事で、おじいさんは朝暗い中から起きて働く人なので嫁の立場として、のんきに朝寝はしておれない。夜は夜なべ、洗濯物は夜するものと定っている。昼は店番に手をとられるので裏の仕事に手間はとれない。洗濯機が普及しはじめた頃でも決してそては買う事が許されない。 汚れていない処まで洗う機械は布地がいたむとの、おじいさんの言葉、何でも親は絶対で里へゆく事も、姑の許しがなければ行く事は出来ない。

若い母親は習い物どころの話しではない。美智子が二つ位の頃に哲夫が生まれる。ますます多忙になる。夜中通し乳幼児に乳をふふませ、安眠は出来ないままに夜は明ける。店は下と両方だから乳をのませては店に通う。

何の事は無い、勉強をして立派な看護婦になる夢は斯くもあえなく崩れ去ったのである。

 

ヤスの自分史3:看護婦見習時代

ヤスの自分史3:看護婦見習時代

この時代に学んだ事は大切な事ばかり。住み込んだ**家は軍医中尉か大尉で、とても厳しい家庭であった。其の為、看護婦が居つかず困っておられた矢先を、新聞広告を見て姉(兄嫁)と出掛けたのである。

妹を紹介するにあたりての仕様が**家には気に入らず、姉は第一印象は悪かった様である。それでも私は直に気に入られてみんなから可愛がられて良くしてもらっていた。セーラー服では重みがないというので、白衣を作ってもらった。これは月給後払いで三着注文をした。住み込んで五円位給料をもらったように覚える。朝食の支度―掃除、体裁の良い女中仕事である。

私は陰日向なくよく働いた。裏の仕事が済んでから薬局の方へ出向き、先輩の看護婦さんの見習をする。カルテの薬の調合を見て混合する仕事、これを薬包紙を拡げて同じ量ずつに分けて包む。今は皆カプセル入りで済んでいるが私の時代この仕事も多忙だった。薬を間違えたら大変である。慎重に計り慎重に混ぜたものである。注射器の消毒も大変な仕事である。注射液のアンプルを湯で温め、ヤスリで口を切り、注射器に移し、消毒した針をつけて準備を整える。静脈注射は必ず血液が注射器に残る。これを水洗いして煮沸消毒をする。

医薬代を点数でかいてあるので、点数計算をして薬代をもらう。これも間違いなくしなければならない。今迄に金の計算がピタッと合った例がないのだそうだ。私がやり出したら間違いがなくなった。前からいる人よりちゃんとするものだから、食事の支度をしていても先生が「**」と医局の方へ呼び出される。すると前からの人がねたむ。一日でも前に住み込んだ者の方が先輩だと威張る。気にしないで受け流す。

保険の金の請求書も書いて出す。仕事はいくらでもある。夜九時頃からが自分の時間である。読書をする。注射液はローマ字で名前が書いてあるが私には読めない。森島先生に手紙を書いた。独学方法を教えてくれと。

日ならずして先生よりローマ字の辞書が届いた。立派な日赤看護婦を目ざす私にとって読書は楽しかった。何も辛い事はなかった。働きさえすれば此処から学校へも行かせてもらえる。

**家令嬢は市女の学生である。気ままなお嬢様がうらやましかった。長男は**医大生、次男は*といってニ中、今の舟入高校生。奥様は日赤の婦長さんだったとか。二十年の違う**家の後妻にこられた人である。中流階級の家庭だったと思う。貧農の子女にとってこの家の生活は見新しい事ばかりである。

今はレジャー時代でみんなよく出掛けて遊ぶけれども、あの時代、家族ぐるみで食事に出歩いたり海水浴に出掛けたり、松茸狩りに出掛けたりはしなかった。

映画は洋画を見る。中島本町、平和公園のあたりに昭和シネマといって洋画専門の映画があった。女の子一人では外出はゆるされなかった。きびしい家庭だから、必ず私がお供をさせられた。

お盆と正月には必ず着物を一枚ずつ作ってもらった。縫う事も習った。奥様から楽しみながら習った。自分の着物は自分で縫うのである。着物の柄はすべて先生の見立てであったように思う。

**家勤務中に戒厳令が発令された時があり、広島にも暴徒がくるとの噂が流れた事があり、往診半ばニュースを聞きに帰宅しておられた事を記憶しているが、二二六事件だったのかな。時代は騒然となりつつある様に思えた。

二年位して看護婦学校へ通い始めた。今の八丁堀の裏通りあたりだったと思うが新天地の其の又裏に三川町という町があり其処に学校があった。働きながらの勉強である。昼食を早目に食べて出掛ける。横川から材木屋の並ぶ町並み、何という通りだったか、大田川と寺町との間の通り川筋を歩いて通学したものである。電車賃の節約の為である。相生橋まできたらほっとしたものである。

あの頃は川土手に見渡す限り桜並木があって相生橋から上流を望むと花か霞かまがう美しさがみられたものである。袴をはいての通学である。下駄は患者さんからよく頂いて事欠かなかった様だ。

大体一年位通って試験を受ける段取だったのに、免状等どうでも良い、ゆきちゃんの死亡後の後妻に早くきて欲しいとの宇吹からの要望があって、家の方でも裸で其のままなら其の方が良かろうと話しを決めて、みんなで私をすすめあげ、ゆきちゃんが遺言して私を嫁にして呉れと頼んで死んだとか何とか死人に口なしで結婚等夢にも考えた事もないのに、無理矢理嫁がされたも同様、「物習いは家でさせます」、「着物はいくらでも着せます」等々良い条件ばかり並べ立て、結婚すれば直に子供が生まれる。若い母親は習い物どころの話しではない。夜中通し乳幼児に乳をふふませ、安眠は出来ないままに夜は明ける。

美智子が二つ位の頃に哲夫が生まれる。ますます多忙になる。店は下と両方だから乳をのませては店に通う。

何の事は無い、勉強をして立派な看護婦になる夢は斯くもあえなく崩れ去ったのである。昔は親の云う事は絶対的で今なら私は自分の思う通り進路を変えなかったと思うが何せどうにもならない時代だったのだ。

斯く炎へし杳き日もあり山の端を今し離りゆく赤き満月

崩れ去った青春の追憶、大きい満月の炎ゆるにも似たものであった。

かえるなき夢果てもなし一瞬を翳りて照り増す月光に遭う

月蝕のあとの恍々たる月光を仰ぎみての感慨は斯くの如し。

 

ヤスの自分史2

ヤスの自分史2

私が五年生、妹きみちゃんが二年生の時、合同で学芸会をした写真が一枚残っている。「乞食と王子」。妹が「乞食」で私は陸軍大臣か何か大臣になって演じた。父は乞食の配役に文句を言っていた。妹は上手に演じた。ハワイ帰りの**さんが英語で歌をうたった。美しいベールをかぶりながら。今の学校の様に主役でもめる事はなく先生が適役を決められるので芸達者が主役で面白かった。

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**先生といって姉(千代)に求婚した先生がとてもほがらかで面白かった。姉はおっちょこちょいだと嫌った様だった。

六年生は昔予科組といって、受験する者のみを一組にして特別授業を受ける組が出来ていた。夜も勉強が学校であった。家庭事情の為、とても女学校等へ行けない状況だったのだけれども、勉強は好きで予科組へ入りたかった。

ゆきちゃんに森島先生に頼んでもらって予科組へ入れてもらうことが出来た。当時、山中、女子商は無試験で誰でも入れた。県女、市女等はクラスで上位にいないと入れなかった。ハワイ帰りの***という生徒がライバルだった。先方も私に敵意がある様に見えた。余り二人は遊ばなかった。***さんは裕福な家庭の様に思えていた。六年生の中から健康優良で学業成績の良い学生が一人選ばれて別府へ招待の催しが毎年あった。それを競ったのも***さんとだった。勉強のほうは五分五分だったが、運動神経の方が先方がまさっていた。走り競争、砲丸投げ、走り高跳び等々、二人だけのテストを校庭でさせられた。運動は全部***さんが勝った。私は残念だった。

男子生徒でよく勉強の出来た人は**(米屋の子)、**、**(先生の子)、**、等がいたけれど、以後をどう生きているか全然知らない。

もう一枚古い写真があった。修学旅行、大阪毎日新聞社の屋上にて撮ったもの。奈良方面への旅行楽しかった。着用のオーバーは千代ちゃんの借物である。

千代ちゃんが県女卒業後試験をうけて代用教員になって矢野小学校に勤めだした頃、兄嫁さんも矢野の小学校へ転勤がかなった(初めは緑井小学校)。二人とも**先生なので**豊乃先生、**千代先生と生徒は呼び分けていた。

私が四年生位ではなかったかと思う。級長は朝会の時、組の一番前に一歩離れて立ち整列の号令をかけていた。

当時の月給が豊乃先生五十五円、千代先生三十円、次郎先生五十五円だった様に記憶している。

兄はとても真面目で初任地は坂小学校だったと思うがとても父兄から頼りにされていた様だ。熱心に教育に取り組んだ。新聞にもその熱心さはみとめられて出た事もある。母は兄をとても大切にしていた。兄だけは食事の時も一品別のがついていた。母にしてみればお金をかせいでくれる金の卵だった。無理からぬ。兄は親思い、兄弟思いでとても優しかった。昔から兄を敬い今にしてにくんだ事は一度もない。何事も親身になってくれた優しい兄である。

私達が高等科二年の頃に、先生達が義務教育が九年になるのだと話しておられた。彼の時は六年までが義務教育で高等科はどちらでもよかったので六年で仕事に出る者もあった。

兄の子供が又次々と生まれ*郎、*子、*郎、*郎、多産系家庭の宿命である。教職を姉が続ける限り子供は母が育て役である。

書の休み時間を割いて乳を飲ませに行くのは母である。姉は乳の良く出る人ではった乳のこぼれで着物がくさる程だった。時代の相違で今頃は乳の出る人でも自分の容色が落ちるのを嫌ってミルクを飲ませる人もあるが、昔はそんな事はしなかった。はる乳を飲ます事が出来ず授業を続ける姉も大変だったと思うけれど、雨の日も風の日も時間を見計らっては幼児を連れて学校へ通う母も大変だった事としみじみと母の苦労を思うのである。

私達が学校から帰ってくるのを母は首を長くして待っていた。子守をさせられるのだ。子供を渡してそれからが夕食の支度にかかるのだ。大人数のご飯炊き、今のガスや電気ではない、野くどと言って外にくどがある。

ポンプになったのは大分後の事で井戸を使っていた。井戸水を風呂へ入れるのも大変な仕事だった。井戸水が又鉄分があるのか漉していた。井戸側の底へ木炭、少砂、朱呂の皮等、順序よく並べ井戸水を漉すのだ。

割木を山からとってきたり割るのは父の仕事である。その木をのこぎりで一定の長さに切りそろえ小さく割木をして軒下へ積み重ねる。一年間のを割るのである。暖は「あんか」。火の調節がなかなか良いようにゆかず、布団がよくこげて色が茶色になっていた。湯たんぽも使っていた。

学校の運動会も楽しかった。六年生が軍事演習をする。ハイノウを背負って煙幕をはって勇士だった。両軍から攻めあうのだ。雪が降れば雪合戦も学校でやる。

寒中には何時も校外を全校生徒が走る。交通が今の様になかったので走れたものだ。コースは忘れた。全校生徒長距離競争はいまの海田大正橋まで走って折り返す。四年生位だったと思うが、初めて一位になった。宮尾の橋の所で母が応援してくれた。

やはり其の頃メートル法が普及した。私達の教科書にも一尺と一貫匁とかを習っていた。その換算方法の計算等を勉強していた。其の時、メートル普及の標語の募集が校内であってみんな応募した。私が「メートルの威力は世界を征服し」。これが一位である。自慢のようだが実の話である。

学校行事として模擬戦もあった。今の海田大正橋の上流の河原であった。両軍に分かれて白と赤の球をつくり其の中に白い粉をいれて投げ合いをするのである。粉がついたら死ぬる。作戦の指揮者は誰だったのか覚えていない。

修身の時間には校長先生がよく授業をされた。この時間には歴代の天皇の名前をみんなで*読む。神武天皇から――――暗唱していたけれども忘れてしまった。本の始めにちゃんと書いてあった。終わりは今上天皇で終わる。この時、自分がどんな人になりたいかと校長先生に問われた。乃木大将の様な軍人になりたいと言った人もいた。私は「歴史に残る様な人物」になりたいと答えた。

 

ヤスの自分史1

ヤスの自分史1

おさなき日の断片的な追憶を記せとの暁の言葉なれど古き写真等もあまり見当たらず水呑み百姓の五女としての追憶あまりさだかではない。

母は決定的な正直者で、お人好しで誰にも好感を持たれていた様に思う。父は勝気で短気でおまけに勉強はきらいだった様子。父も小学校四年までは勉強したらしい。昔の小学校は検定試験が合格すれば上級へ上れたそうで弟の孫三郎(師範学校を出て豊橋高校の校長までなった人)に四年を追い越された時気分が悪くなって小学校をやめたと言う話を聞いたことがある。

母との結婚の時も自分は見合いに出席せず本家の兄亀三郎さんが代理で見合いしたそうで母は結婚の時まで父の顔を知らなかったそうである。昔の家長制度があらわれた一面であるとおもう。

父母にして見れば次々と二つ違い位で生まれてくる子供達の為に身を粉にして働かねばならぬ羽目になった筈である。今も昔も母と子の愛情には変る筈はないから。

今の自衛隊のあたりではなかったかと思う。夫婦川のほとりに大きな田が三町(まち)位、小作していたと思う。其の川にはしじみが多く水着のままに座りこんでしじみを採った記憶がある。メダカ、フナ、ドジョウ網(タモ)といっていた、それですくう遊びも楽しい。苗代の「ウンカ」の卵をとる仕事、にわとりが好んで食べるイナゴ採り、とりの餌にするカキガラの小さく砕けた粉(これが不足すると卵のやわらといって卵のからがないのが生れる)ひずり草(これもとりの餌)採り、子供に出来る仕事がいくらでもある。一人では出歩かない。そんな仕事を言いつかった者同志で出掛ける。

親の方としても仕事をしてくれれば助かる程度で無理強いはしないのだが、子供心に親がよう精出してくれて為になると喜んでくれるものだから自分も一生懸命に仕事として働いた様に思う。

母が子供を使うのが上手だった。もく(松葉)きんかんもくと言えば松葉ばかりこれが上等、どんぐりの葉等がたくさん交じったのが下等、上等は大人達が大風が吹いた後は早々出掛けて集めるので子供達には余りとれない。山中広く集め歩いて少々、これも友達、組をくんではみんなで山へ出掛ける。子供用の「メカゴ」がちゃんと作ってあった。

農業が生業の父、副業として母は鶏を飼っていた。一ますに50羽位ずつで、鶏の小屋が六つ位あったから300羽はいたのではないか?
餌の粉(フスマ)は共同で買い入れていた様に記憶する。魚の「あら」戸田(今の八作の前身)の採集も私の役目。石油かんに毎日一ぱいはある。子供の身としては、大分重かった。子供に相応の仕事の分担がある。今の子供は仕事分担が無くて良いのか悪いのか。

気性が父に似通っている為か私は父によく可愛がられた様に思う。散髪をする父にもついて行った。昔は床屋といっていたが、その床屋へも父とよく出掛けた。肩車をしてもらって行くのが嬉しいからだ。

「鳶の子」という畠、遠くでその山を越えれば奥海田が真下に見える所にある畠へついて行くのも私。てんびん棒の片方へ肥料、もう一方のかごへ乗せてもらうのだ。今にして思えば話とぎに子供が結構おれば楽しかったのではないか。
畠へ着けば作物の虫取りの仕事もあった。父は歌が上手だったのでかごに揺られながら歌を聞くのは楽しい思い出になっている。

畠には子供が好きそうなものは何でもあった。
みかん(これはたくさんあって売っていた)、
柿の木(これもシブを抜いて売っていた)、
はらんきょう(大きな木が三本あって、とてもよくなる)、
桑の木(これもよく実がなる)、登ってもぐのが楽しみ
紅梅(大きな良い梅がたくさんなっていた)、
いちご(げしにどのげしにも植えてあって食べきれない)、
だいだいもたくさんなってもみがらでかこっていた。
ぶどう(とりごやの所へ植えてあった)、
いちじく(売るまではないが食べるのに充分)、
びわの大きなのもよくなっていた。
この外、畠に「スイカ」「まつかうり」「南京豆」「大豆」「えんどう」。食べるものにはことかかなかった。

しかし金は何時もなかった。農作物のせり市へ作物を出して売る、卵を買う人が来て卵が金にかわるだけの収入では金がない筈である。

母は一生金には恵まれなかった。
それでも余り不平は言わない母だった。

昔私が子供の時分は、今の矢野橋を通り過ぎて川の下流あたりでよく泳いでいた。川中を泳ぎ抜けるのである。海の方は危ないので岸から岸へ泳ぎ渡るのである。安全を考えて、結構みんなそうしていた様に思う。川土手には、カヤの背より高いのが続いていたので、其のカヤの陰で水着を着かえたりぬいだ着物を友達同志まとめて置いてよく泳いだ。其の川土手に伝染病の隔離病舎(*病院)といっていたが、時々其の病室の窓があけられている時があった。入院の人があったのだろう。其の病院の近くにも畠があって、よくスイカがたくさん出来ていた。昔でも盗人がいてスイカを採るので、スイカが大分大きくなった頃よく兄と名前を書きにいった。墨を濃くすって筆で「矢野﨑出家」屋号をスイカに書きつける。こうしてあれば、消してまではとりにくいからではなかったのか。

父は野菜何でも上手だった。骨身をおしまずよく働いていたので肥料もよくかけていたのだろう。鶏糞もたくさんあるし、今、手のひら程の野菜作りに精出しても何一つとしてまともにとれない。野菜に手を焼く昨今である。

矢野橋から海田へかけて家が建ち並んでいるが、子供の頃は全部田んぼと「ブドウ畑」であった。其のブドウ棚へ直にブドウを買いに行くのも子供の仕事である。「ビク」をさげて友達を誘って出掛ける。二十銭買えばビクにいっぱいある。出荷用に箱詰をするのに粒がとれたばらばらのをたくさん只にしてもらう。田んぼには堀*の井戸の冷たい水が湧き出る所がある。其の場所はちゃんと知っていて、其処で只にしてもらった。ハス田もあって、ブドウを洗って、ハスの葉へ包んで食べ食べ歩く。

昔は楽しい事がたくさんあった。夕涼みもよくしたものだ。糊のかたくついた浴衣に着かえて、よく国道のほうまで、そぞろ歩きをしたものだ。星のキレイな夏の夜は、納屋のトタン屋根へハシゴをかけて屋根にゴザを敷き兄弟揃って屋根の上で夕涼みをする。たまにはブドウも持って登る。千代姉がよく星の話をしてくれた。三ツ星、北斗七星、等。今にして思えば、姉妹だけではない。従兄弟、本家の娘達とも仲がよかった。暇さえあれば一緒に遊んだ。とよちゃんとは、従姉妹似といって小さい時は姉妹と間違えられた。口が上手で大人顔負けのおしゃべり屋なとよちゃんだった。

本家(**)とはとても仲がよかった。分家の母、私共の母がとてもよくつとめていた様だ。何でも兄さん、姉さんとたてて、常に下手だった様に覚えている。風呂がわけば本家のおじさんを呼んで入ってもらう。何かよいものがあれば本家、とよくつとめていた。おばあさんは何時も本家で、私は仏花としてシラサキの枝ぶりの良いのを山へ行った帰りには折ってきておばあさんにあげた。これを喜んでくれていたから。

よく本家へ遊びに行った。丁度良い遊び友達がいた。二つ年上の「とよちゃん」、一つ年上の「一彦さん」。本家には大きな公孫樹《いちょう》が二本もあって何時もその黄葉が広い庭いっぱいに敷きつまっていて楽しい。それに椿の大きい木に花がいっぱい咲いて、その花の輪をつくるのも楽しい。落ちた椿のみずみずしさは今も同じ。ナツメもよく実っていた。カンナの大きい株があって咲きこぼれる。杳い杳い昔が昨日の様に甦る。

母は草花をよく植える人で家の庭にもよく花が咲いていた。「スモモの花」「梅」「びわ」「あじさい」「菊」「だりや」。とりわけ多いのはあの時花の名を知らず「赤花」と名づけて庭中咲かせていたサルビヤだった。いくらでも生えるので人にも惜しみなく苗を分けてあげていた。コスモスもたくさん咲いていた。けいとうの大きい花もあった。

父は実のなるものをたくさん植えていた。「ユスラウメ」「グイビ」等食べるのが楽しかった。
幼少時の記憶、小学一年位からは覚える様なので、一月十五日「おたんや」に私も母とお寺参りをしたので、孫孝君を連れて今年昭和五十年おたんやに詣でる。孝君の記憶にのこるかどうか楽しみである。

 

宇吹ヤス私歌集(8月分抄録)

宇吹ヤス私歌集

年月日
1972
08 緑失せゆく地表に足れるや一塊の砂糖に群るる炎天の蟻
貯えて際限もなし炎天を自よりも太き虫骸曵く蟻
語りたき亡妹渡りいん夕あかねに迎いて大きく虹の橋立つ
斯く美しき暮色の巷を染むる虹の束の間の華麗をまぶしみて佇つ
何時の日かわと五十路越えたり今宵息子と管弦祭の華麗に酔えり
追憶の幻とならん闇に顕つ打ち上げ花火の華麗を見たり
共船の櫓しぶき浴びつつ献燈の海面に砕け揺るるを凝視む
猛る日のありと想えず今宵立つ回廊をなぶる異常高潮
狭き入り海を自在に巡らすご座船の竿さばきにどよめく拍手
篝火に映える奏楽の優雅さに雅な人等静かに甦らん
虫すだく子の家に夫と今宵見し華麗を抱きて静かに眠る
観祭の宿願叶いし昂ぶりを歌帳に稚なく綴らん我か
子に生きて寡婦貫きし人送る長き葬列を蝉しぐれ埋む
とり縋る家族の前に無造作に火葬への鉄扉は固く閉ざされぬ
用果てし矢車夜闇に音高し惰性に生きて愚痴多き我の如
1973
08 朝夕の我が愛素直に朝顔の初咲き一輪今咲かんとす
束の間の会いなる朝顔の花ちぎり吹きすぎる風に術もなく佇つ
緑濃き葉影にひそと紫を炎やす朝顔にそっと触れ見る
窓に揺れ透く朝顔数える安らぎに馴れつつ迎う今日原爆忌
冷房の部屋を出できて炎天にめくるめく黄のヒマワリ仰ぐ
氷柱の熔くるを知らず「雲雀山」哀しく舞える友の影追う
高砂を舞台狭しと舞える師の涼しき姿老松に映ゆ
往年の名優が演ず哀歓を見終えてうるむ街の灯みつむ
豊かなる土の香匂う馬鈴薯の重き感触にほのぼのと会う
惜しみなき愛そそぎつつ搾られしか給う牛乳の濃いくまろけし
欺まんなき土に親しむ友ゆ給びし艶めく馬鈴薯しばし手に持つ
瑞みずと艶めく馬鈴薯の肌ぬくしコオロギ群れいし畑の広ごり
招かれて山野の幸に驚喜せし日の温かき友の笑顕つ
幾重にもつつみこまれし甘き新茶の香り廚に豊かに匂う
日照雨にも蝉とり止めぬ孫と佇ちて夏の夕べの虹仰ぎ佇つ
疎みて払う我が手に縋り我が性と生き写しなる孫綾しおり
筆談にて商談なりし黒人の別れ告げる瞳のにこやかに笑む
聖旗と掲げし遠き傷みを君知るや黒き膚の若きマドロス
「ハラキリ」日本と片言交じりの黒人に甦り来る遠き傷かなし
灼熱のドバイに命預けいる新聞紙上の悲しき写真
世界の目ドバイにあつめたるままに一機に充つる重き沈黙
1974
08 尾道の旅

きらめく水泡に消えたる人のいくばくか尾道水道の底いなき碧
蒼き潮に消えたる人の悲哀呑みきらめき止まぬ海の広ごり
翼船白く曵きゆく水脈を見はるかす千光寺山頂に今友とあり
彫り深き木肌に耐えし年輪を刻みて聳ゆる「岩割の松」
文豪の句碑透かし読む我が双手に淡き木漏れ日届きて揺るる

花火

それぞれの宿命に生きん束の闇を彩る花火に声あぐる孫等
老残の我を訪う日のありや花火に五つの孫の影うく
ひたに見し花火が夢路に顕ちいんか笑み深き孫の寝顔に触るる

**さんの長男の葬儀

還るなき父の葬儀と知る術もなき遺児の泣き声高し
我が長男と同じ齢と聞きぬ読経の中独り冷えつつ聴く蝉時雨
夫を原爆に灼かれて寡婦を貫きし歌友のうなじを包む喪の衣
遺されし子の自転車か植え込みの片隅にありて読経は続く
絶つ愛をひそかに怖ずる葬列に冷ゆる胸裡を埋む蝉時雨
初咲きを給びたる友の心かも芙蓉花一輪白くかがよう
純白にひとときを炎ゆる芙蓉花を羨しむ我が手に一輪おもし
芙蓉花のかがよう白さ讃う言葉深き夜闇にまさぐる我か
原爆の閃光まざまざとしも顕たしめて離合ライトがはじく真夏陽
水欲りし魂哀しも惜しみなく虹を顕たせて高き噴水
灼熱地獄に狂いし魂か広島の灼けたる路を駆け巡る枯れ葉
黒き雨後にも大きく立ちたり散水の水にうつくし虹のたちたり

1975
08 嫁ぐ今日を夢みし母の瞳さながらに姪がライトに美しく浮く
在りし日の母の面影さながらにライトに笑う花嫁姪は
幽界に安堵の笑いたたえいん娘を託す君の広き肩巾
ベビーブームの時代背負い生きる行く末を案じし姪の今日の華燭を
ソフトに日焼け男子めきいし姪が今華麗成る祝福総身に受く
若夫婦に寄する華麗なる祝辞を胸熱くうつむき聴けり我が子の如く
深ぶかと謝辞をのべつつ若夫婦のともす灯火が涙にゆらめく
幻とあえなく消えし我が青春かまさぐる車窓に揺るる白髪
夢多かりき遠き追憶追いにつつ祝宴の帰り路に踏むおのが影
碧澄める「八丈島」の渚に洗え母の亡き悲しみいだきて旅立ちし姪映画「サルの惑星」
「人造惑星基地」より地球侵略の奇想なる画面に冷ゆる暑き夏の夜縮小人間・人造臓器・あり得べし人の踏みたる月光あわし
二十一世紀も殺戮続くらん地球征服の野望に馳せめく「エアー・ジープ」
無謀なる科学進歩に滅びゆく蒼き地球の終焉の夢
離農すすめし日びもありたり父の姿顕ちくる今朝も菜園見回る
作業中
1992 平成四年一月一日姉**千代様死亡

忽然死ひた希いいし積善の姉逝き給う雪舞う今日を
桜花の季の出合い約すを反故となし召され給いぬ夫のみ許に
永別のかげり見えざりき訪ないし日の微笑今も眼裏を占む
病衣まとう暇なかりし姉の終羨み今宵もとなう正信偈
覗かるる我が死と重ね永眠の姉を埋めゆく菊花匂わず
幽界にても睦まじからん夫の傍え長き孤愁を語りおわさん
惜しまれて旅立つ幸を謝しまさん姉の写真やや笑み給う
無となりて旅立つ姉か丹念に書きたる写経をそっと入れ添えぬ
褒めくるる姉もはや無し夜の闇に長く醒めいて聴ける木枯し
生も死も一つと想う闇に醒め自が往相の広ごりやまず
夢まぼろしのうつし世しかと識らさるる亡姉の賀状を重く受けつつ