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理論物理学研究所の歴史

理論物理学研究所の歴史(年表)

年月日 事項
19440824 理論物理学研究所設置に関する勅令公布。広島文理大学の附属機関。目的=「物理学の基礎理論に関する総合的研究」。
設立時の専任職員定員 教授1名、 助教授1名、 助手3名
初代所長 三村剛昂(教授)
設立場所 広島文理科大学旧教育博物館
19450806 広島に投下された原子爆弾により研究所関係の2教授(岩付寅之助、細川藤右衛門)は殉職、三村所長以下所員の大半も負傷し庁舎も崩壊した後、類焼により完全に灰塵に帰した。やむなく尾道市外 向島にある広島文理科大学付属臨界実験所の一部を借り受け、仮庁舎とした.
1947 三村所長の出身地、竹原町(現竹原市)に研究所を誘致する話が持ち上がり、地元有志の熱心な努力により、現在地に面積400平米の木造平屋建新築庁舎と敷地約4000平米を竹原町より寄付を受ける。
194803 新庁舎で開所式。
人事に関しては、竹野兵一郎が専任助教授となり、原田雅登、高久(旧姓熊川)浩俊,佐伯敬一の3人が助手として就任していたが、開所式の前後にそれぞれ他大学に転出し、代わって、池田峰夫、木村利栄および宮地良彦の3名が前後して着任。
1948 文部省学術研究会議の最後の研究集会、理論物理学研究所で開催。
194905 学制改革により、新制広島大学が設立されると同時に、理論物理学研究所は文理科大学付属からはなれ、広島大学付属となる。
1949 京都大学の湯川秀樹教授がノーベル賞を受賞し状況は変わった.すなわち、理論物理学研究所を拡張するよりは、ノーベル賞受賞を記念して、京都大学に全国共同利用の研究所を設置した方が良いと言うことになり、昭和28年(1953)京都大学に基礎物理学研究所が創設された.理論物理学研究所と京都大学基礎物理学研究所との合併問題の萌芽は既にこの時に発生していたといえる.
195104 助手1名の定員増。竹野兵一郎が教授、上野義夫が助教授、庄野直美が講師、中井浩が助手にそれぞれ就任。
1953 庄野および中井が転出、あらたに脇田仁、成相秀一が助手に就任。
195705 三村所長、文部省学術課長より理論物理学研究所を京都大学基礎物理学研究所に合併させることを条件に、広島大学に研究施設を作る概算要求が広島大学から提出されている旨を伝えられる。
19571115 三村所長、京都大学との合併の話を京都大学基礎物理学研究所研究部員会、運営委員会で非公式に報告。議論の後、素粒子論グループの意見を聞くこととなる。
195801 関西素粒子論のグループ懇談会では「合併は好ましくない」との結論。
196504 「時間空間理論部門」の増設が認められ、教授1名、助教授1名、助手2名が増員。これに伴って従来の部門名は「重力理論部門」、「場の理論部門」と改称することになり、これら3部門の研究所となる。 脇田が岐阜大学に転出し、 田地隆夫、横山寛一、永井秀明、久保礼次郎および寺崎(旧姓岡田〉邦彦が相ついで 着任。
19890627 広島大学部局長連絡会議、評議会において理論物理学研究所の京都大学基礎物理学研究所への合併を承認

科学者と平和(三村剛昻)

『科学者と平和 三村剛昻先生遺稿集』(三村剛昻先生遺稿収録委員会、196710)

内容

No. タイトル 出典 年月日
まえがき 196710 三周忌を目前にして 遺稿収録委員会
01 原子力への夢 平和利用で理想郷 ”戦争などなくなるよ” 夕刊朝日 195001
02 「新春放談:原子力時代」 共産社会はだしの天国 つらいかな経済も科学もしばる 夕刊朝日 19500103
03 放談リレー 科学の巻 「足らぬ利力の結集 科学活動を無制限にやれ」(小島丈児との) 中国 19500521
04 秋の角度・天体 「理論創造の時期」 夕刊朝日 19510929
05 あれから8年 原爆の日と科学者 毎日 19530806
06 学芸 平和への道 朝日 19530807
07 サクレツ高度と被害を予言 洗礼受けた原子学者三村博士語る
08 ビキニの灰と広島の灰 毎日 19540602
09 読者の会議室「原水爆と日本人」 毎日 19540724
10 平和をめぐる論争 体験者だけにわかる原爆の恐怖 ユネスコばりの発言(森戸広大学長)に批判 毎日 19540801
11 いろいろの原子炉 毎日 19550627
12 一分間講座:酔生夢死の徒 (?19560313)
13 こたつ談議「社会改造」?(竹原書院図書館長・三村剛昻) 19601204
14 第2回科学者京都会議開く 広島県竹原で キューバ以後の情勢など 三テーマを柱に討論 読売 19630508
15 私のいいたいこと 科学者京都会議に寄せて
16 ヒロシマに被爆して18年 ちょっぴり希望がもててきた人類の滅亡からの救い 毎日 19630806
17 わたしの散歩道 竹原・広大研究所の庭 雨によく風また楽し 朝日 19641129
18 科学の発達と人類の幸福 学校教育臨時増刊号 1954
19 原・水爆と原子炉 学校教育8月号 1955
20 特別寄稿:科学技術の現状と将来 廿日市高校研究論集第2号 1956
21 ブックレビュー「死者の声」 自然 195403
22 通信 ヒロシマ医学第9号 1956
23 原子力発電の今後の動向 火力発電12月号 1959
24 原子力問題に関する討論ー学術会議第13回総会における 自然1月号 1953