「ピカ資料研究所(ピカ研)」カテゴリーアーカイブ

原水爆時代(下)(ピカ研校訂作業)

『原水爆時代 現代史の証言(下)』(今堀誠二、三一書房、19600806)

imahori26
<以下未完>
崩れぬ平和をかえせ
あるブルジョアの一家
三吉の少年時代
原爆の日より
広島日鋼争議
平和大会と「われらの詩」
朝鮮戦争への抵抗
砲声下の原爆詩集
平和運動の組織化へ
美しい生涯と原爆症
生きている峠三吉
朝鮮戦争に抗して
1 原爆禁止運動の烽火
原爆は世界をゆるがす、歴史の暗転期1949年、公安条例の舞台裏、イールズ声明と原子戦準備、平和擁護広島大会、ヒロシマは原子兵器の廃棄を要求する、もえあがっていた市民の願い、婦人運動と原爆理解、青年運動と青年教師、歴史の重み、平和擁護東京大会も原爆禁止を要求、国際的評価について
2 ストックホルム・アピール、原爆戦争にうち勝つ
広島平和擁護委員会、牧師・教授も平和委へ、開戦前のSアピール、朝鮮戦争を企てた人、戦時下の言論統制、広島平和委の弱体化、大会を支えるもの、8・6大会の前哨戦、大会の記録、巧妙を極めた非合法集会、共産党の分裂と大会のありかた、平和擁護日本委員会、第三次大戦を防止した8・6大会、枯尾花戦争とトルーマンの原爆使用声明、ワルソー大会と世界平和評議会、平和運動、原爆使用を阻む、朝鮮戦争は天佑か、日本戦没学生記念会、立ち上がった青年団、Sアピール運動掉尾を飾る、立ち上れない労働者、労働者の意識構造、ある詩人のねがい、
3 流星光底長蛇を逸す
マスコミへの注文、国民運動の目標、全面講和運動、ベルリンアピールをめぐって、即時停戦が必要だったのに、マ元帥の解任、朝鮮停戦交渉の舞台裏、平和運動の良心と責任、レジスタンス、平和の闘士団、署名運動と組織強化、警官包囲下の8・6大会、平和戦線とは何か、平推の消長、単独講和と二挺拳銃の平和記念祭、踏まれてもけられても、情勢判断を誤った平和運動、
4 冬の旅を行く
人命は冷戦より尊い
1 原水協のうまれるまで
ビキニ事件、原水爆にたいする国民のいかり、杉並アピール、アピール運動の性格、全国協議会の結成、原水爆禁止運動広島協議会、8・6広島平和大会、広島大会の提案、署名運動の意義、日本原水協の成立、
2 輝かしい啓蒙-ヒロシマ大会
10年前と同じ時間に同じ場所で、鳩山首相の立場、アメリカ人の願い、平和を願うものと願わないもの、原爆被害者の生活と意見、アメリカ民衆との共同戦線、学者の役割、大衆のものとなった運動、禁止運動、救援運動に結びつく、基地問題と運動の進め方、歴史をになうもの、組織上での暗影、署名運動および大会の評価、
3 原水爆戦略との対決をめざして-ナガサキ大会
世界を動かす原爆禁止の声、参加した人々、国際連帯の花の輪、危機は去らない、沖縄は日本を制圧するための基地でもある、渡辺千恵子氏の発言、被爆者のなやみと喜び、原子力の平和利用、運動のすすめ方、
4 フォールアウトとロケット基地にいどむアジア民族主義-第三回大会
地方での大会風景、国際的な予備討議、世界の期待をあつめて、演説のかずかず、失敗した議事運営、政治ととりくむ禁止運動、大会運営の問題点、高い指導と全国民の参加を、原水協の苦悩、歴史のうねり、
5 東西の兵力引離しと日本の非核武装化のために-第四回大会
総選挙に敗れた原水協、ICBMは世界を変えた、欧米の運動NATOをゆるがす、核武装と国民の批判、核武装した自衛隊と米軍基地、国民生活の圧迫と被爆者の援護、日本人はアジアを見損なっている、運動の進め方の評価と反省、国際会議は成功したか、政治目標を明示した宣言と決議、原水協の強化と世界の命運、
6 東西融和の促進と安保改訂-第五回大会
原水爆時代のマニュフェスト、大衆は平和行進と大会を支持した、自民党と右翼のおもわく、大会内部の右翼的偏向、大会における左翼的偏向、東西融和の具体策を欠く、
7 世界大会への批判と妨害と謀略-一部外国代表の思想と行動
ヤング卿らの脱退劇、理由は無理に作られた、ものにならなかったスクープ、第三回大会の妨害者、第四回大会の妨害はなぜおこったか、第五回大会の工作者と同調者、大会と朝鮮人
新紀元は始まる
 一発で地球を全滅させる爆弾、戦争の準備をはじめた平和産業、日本と沖縄の核武装はすすむ、安保条約は朝鮮戦争の落とし子、新安保はアメリカの要求、新安保に託する岸・藤山の夢、アジアは新安保に反対する、頂上会談はなぜ流れたか、新安保の国会採決は冷戦激化の謀略、冷戦を終らせる道、ヒロシマの十字架から新紀元は始まる
  あとがき
上巻は庶民の動きを中心として叙述を進めた。
下巻もそのつもりで草稿をまとめ、朝鮮戦争以後における原爆被災者・青少年・婦人・学者・ジャーナリスト・芸術家(美術・文学・演劇)・労働者・農民・漁民などが、どんな役割を果たしてきたかをあとづけるつもりだった。
運動の発展をみつめるとともに、それを妨げる社会の壁を、写し出すことが、ねらいとなっていた。
 しかし、安保問題の発展につれて、この計画は根本的に変更せねばならなくなった原水爆禁止運動は、国際政治の変転につれて、重大な段階にさしかかり、国内政治の面でも、高度の政治性を帯びるに至ったので、庶民の動きという間接描写の方法では、焦眉の問題に焦点を合せることが、出来なくなってしまった。
今からの一、二年間は、原水爆時代を終らせるチャンスであるとともに、原水爆戦争のピンチともいえる。
本書が政治技術を中心として、運動の展開をあとづけることにしたのは、正しい政治路線の発見に、ささやかながらも資料を提供したいと考えたからである。

 

原水爆時代(上)(ピカ研校訂作業)

『原水爆時代 現代史の証言(上)』(今堀誠二、三一書房、19590721)

imahori20
以下未完
 登場人物  備考
ピカドンに死なず
幽鬼の町ヒロシマ
今堀誠二 山口県の西北海岸、一兵士。
古賀八重子
少国民の最後
「菩提樹」をうたう少女
敗戦を飾る犠牲者の美
世界の良心は告発する
ピカドンに屈せず
古賀八重子=その後沖原氏と結婚。呉でしあわせな家庭。
占領軍に屈せず
1 第二の誕生
「生ましめん哉」
栗原氏と「中国文化」
栗原貞子、栗原唯一、猪熊弦一郎、細田民樹
プレスコード下の最初の刊行物
『中国文化』創刊号
ヒロシマは歴史の証人
2 ざんげの道
悲嘆の日記「さんげ」
トマトをめぐる母子の悲歌
守られた非合法出版物
死の商人のざんげ
地球を動かす支点
警告ビラは回収された
3 無欲の顔
村にきたジープ
原爆について語るな
作家の眼がとらえた「屍の街」
無欲顔貌
人間の精神はボロになった
平和をかえして下さい
いまだ癒えぬ傷あと
4 原爆エレジー
原子野に咲いた「夏の花」
壊された詩碑
忘れかけたあの日の記憶
「長崎の鐘」
原爆エレジーの流行
5 よみがえった記録映画
映像になった記録
占領軍の撮影禁止
生きていたプリント
公開された被爆写真
6 科学者の道
廃墟に芽ばえた国民の科学
災害調査はじまる
奇病の発生第二期症状
病理へ振るうメス
全滅した劇団「桜隊」
都築氏の活躍
世界最初の原爆症講演会
原爆症救護病院
山津波にのまれた京大班
災害調査研究特別委員会
きびしい原爆の秘密保持
撤去された研究施設
原爆はGHQのタブー
終戦の日に始った原爆戦争の準備
恐るべき後遺症
原爆症とは何か
被爆者はABCCのモルモットか
原爆禁止は科学者の道
ノー・モア・ヒロシマ
1 原爆は戦争ではない
広島に向った青い眼の記者
死臭と敵意の中で
ヒロシマからの報告
人類よ!広島をくり返すな
原爆患者の存在を抹殺
勝利した官製ニュース
二つの原爆処理方式
科学者の「十字軍」
2 人道主義と反戦主義
全米を震撼させた実話小説
「ヒロシマ」の主人公たち
人道主義の原爆否定
同情はごめんだ
アメリカの盲点
世界連邦主義
ピース・センターと精神養子
原爆乙女の厚生
憤激をかったルーズベルト夫人
原爆乙女は立証する
3 平和祭
広島平和復興祭
46・7年の世界の動き
マ元帥の教書と「平和宣言」
原爆をとりあげたアメリカの新聞
8・6をカーニバルにするな
世界でもたれたヒロシマ・デー
貧弱だった「原爆否定の研究室」
平和こそ女性の幸福の源
原爆外交と広島の復興
大衆から浮いた平和祭
4  偏見を乗り越えて
東洋にかけるアメリカの橋
クエーカーの絶対平和主義
シュモー氏の「広島の家」
私は共犯の屈辱を抱いてここに立つ
神よ平和を来らし給え
むずかしい平和住宅の運営
ブ夫人の公民館
平和運動を離れた「広島の家」
平和精神をうらづけるものは何か
シュ氏のピントの甘さ
ブ夫人への一票は原爆防止の一票
過ちは繰返しませぬ
殴殺されたアメリカ兵
恩讐を越えた供養塔
原爆で死んだ異国の人
安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから
あとがき

 

 

ピカ資料研究所の中の「今堀」

ピカ資料研究所の中の「今堀」

新聞記事

掲載誌 見出し等
19670211 毎日? 今堀誠二 若い日の私―すべてをかけ中国社会調査
19871120 中国夕刊 今堀学長が年内辞任 内臓疾患の長期化理由に
19871121 中国新聞 今堀学長、来月末で辞任 年内に後任選挙
19871121 毎日? 県立広島女子大の今堀学長が辞任へ
朝日新聞 「野にありて 今堀誠二交遊抄」(19880310~4月1日15回連載)
19880310 1 幼なじみ 奮起願い原爆詩をこてんぱんに批判
19880311 2 寡黙の人 平和への文学者の責任を痛烈に指摘
19880312 3 秘密出版 被爆実態リアルに 時代を訴えた傑作
19880315 4  番外会見 原爆乙女5人らに大統領夫人も同情
19880316 5  危険な旅 ソ連核実験に抗議 レイノルズは船出
19880317 6  TV対談 平和論から大学論 湯川秀樹と10回余
19880318 7  最後の声 パルメも核廃絶へ 被爆の声聞き理解
19880320 8  庶民官僚 21年たちようやくドーム保存の余裕
19880323 9  闘士2人 国際情勢ふまえて平和教育の原点本
19880324 10  幻の映画 米国にきっとある 被爆直視した資料
19880326 11  論敵同士 沖縄の返還問題は日本外交のヒット
19880329 12  首相談判 「白書」に積極的に協力した佐藤栄作
19880330 13  抗議の書 安保問題からんで意図は達成できず
19880331 14  中国開眼 平和運動でも一貫 民衆の視点で試行
19880401 15  70自述 ライフワークには輯国民衆の革命史
19921010 中国新聞 天風録
中国新聞 今堀誠二氏死去 ヒロシマ原点に平和運動
中国新聞 「平和運動は忍耐」 提言続けた今堀さん
総合科学部創設に尽力 飯島宗一・元広島大学長の話
考えはっきり述べた 森滝市郎・原水禁国民会議議長の話
19921013 中国新聞 ピカ資料研究所の中の「今堀」
自宅の書斎に裁断 大きな足跡しのぶ 今堀さんの葬儀に250人