『資料・広島平和記念公園(ピカ資料研究所)』
『資料・広島平和記念公園(ピカ資料研究所)』
汐文社あて宇吹書簡控(広島・長崎手記全集関係)
広島・長崎手記全集―原子爆弾の証録(案19820518)
広島・長崎手記全集―原子爆弾の証録(幻案19820508)
ピカ暦(ぴかごよみ)19680806
『原水爆時代 現代史の証言(下)』(今堀誠二、三一書房、19600806)
<以下未完> | ||||
章 | 節 | |||
Ⅴ | 崩れぬ平和をかえせ | |||
あるブルジョアの一家 | ||||
三吉の少年時代 | ||||
原爆の日より | ||||
広島日鋼争議 | ||||
平和大会と「われらの詩」 | ||||
朝鮮戦争への抵抗 | ||||
砲声下の原爆詩集 | ||||
平和運動の組織化へ | ||||
美しい生涯と原爆症 | ||||
生きている峠三吉 | ||||
Ⅵ | 朝鮮戦争に抗して | |||
1 | 原爆禁止運動の烽火 | |||
原爆は世界をゆるがす、歴史の暗転期1949年、公安条例の舞台裏、イールズ声明と原子戦準備、平和擁護広島大会、ヒロシマは原子兵器の廃棄を要求する、もえあがっていた市民の願い、婦人運動と原爆理解、青年運動と青年教師、歴史の重み、平和擁護東京大会も原爆禁止を要求、国際的評価について | ||||
2 | ストックホルム・アピール、原爆戦争にうち勝つ | |||
広島平和擁護委員会、牧師・教授も平和委へ、開戦前のSアピール、朝鮮戦争を企てた人、戦時下の言論統制、広島平和委の弱体化、大会を支えるもの、8・6大会の前哨戦、大会の記録、巧妙を極めた非合法集会、共産党の分裂と大会のありかた、平和擁護日本委員会、第三次大戦を防止した8・6大会、枯尾花戦争とトルーマンの原爆使用声明、ワルソー大会と世界平和評議会、平和運動、原爆使用を阻む、朝鮮戦争は天佑か、日本戦没学生記念会、立ち上がった青年団、Sアピール運動掉尾を飾る、立ち上れない労働者、労働者の意識構造、ある詩人のねがい、 | ||||
3 | 流星光底長蛇を逸す | |||
マスコミへの注文、国民運動の目標、全面講和運動、ベルリンアピールをめぐって、即時停戦が必要だったのに、マ元帥の解任、朝鮮停戦交渉の舞台裏、平和運動の良心と責任、レジスタンス、平和の闘士団、署名運動と組織強化、警官包囲下の8・6大会、平和戦線とは何か、平推の消長、単独講和と二挺拳銃の平和記念祭、踏まれてもけられても、情勢判断を誤った平和運動、 | ||||
4 | 冬の旅を行く | |||
Ⅶ | 人命は冷戦より尊い | |||
1 | 原水協のうまれるまで | |||
ビキニ事件、原水爆にたいする国民のいかり、杉並アピール、アピール運動の性格、全国協議会の結成、原水爆禁止運動広島協議会、8・6広島平和大会、広島大会の提案、署名運動の意義、日本原水協の成立、 | ||||
2 | 輝かしい啓蒙-ヒロシマ大会 | |||
10年前と同じ時間に同じ場所で、鳩山首相の立場、アメリカ人の願い、平和を願うものと願わないもの、原爆被害者の生活と意見、アメリカ民衆との共同戦線、学者の役割、大衆のものとなった運動、禁止運動、救援運動に結びつく、基地問題と運動の進め方、歴史をになうもの、組織上での暗影、署名運動および大会の評価、 | ||||
3 | 原水爆戦略との対決をめざして-ナガサキ大会 | |||
世界を動かす原爆禁止の声、参加した人々、国際連帯の花の輪、危機は去らない、沖縄は日本を制圧するための基地でもある、渡辺千恵子氏の発言、被爆者のなやみと喜び、原子力の平和利用、運動のすすめ方、 | ||||
4 | フォールアウトとロケット基地にいどむアジア民族主義-第三回大会 | |||
地方での大会風景、国際的な予備討議、世界の期待をあつめて、演説のかずかず、失敗した議事運営、政治ととりくむ禁止運動、大会運営の問題点、高い指導と全国民の参加を、原水協の苦悩、歴史のうねり、 | ||||
5 | 東西の兵力引離しと日本の非核武装化のために-第四回大会 | |||
総選挙に敗れた原水協、ICBMは世界を変えた、欧米の運動NATOをゆるがす、核武装と国民の批判、核武装した自衛隊と米軍基地、国民生活の圧迫と被爆者の援護、日本人はアジアを見損なっている、運動の進め方の評価と反省、国際会議は成功したか、政治目標を明示した宣言と決議、原水協の強化と世界の命運、 | ||||
6 | 東西融和の促進と安保改訂-第五回大会 | |||
原水爆時代のマニュフェスト、大衆は平和行進と大会を支持した、自民党と右翼のおもわく、大会内部の右翼的偏向、大会における左翼的偏向、東西融和の具体策を欠く、 | ||||
7 | 世界大会への批判と妨害と謀略-一部外国代表の思想と行動 | |||
ヤング卿らの脱退劇、理由は無理に作られた、ものにならなかったスクープ、第三回大会の妨害者、第四回大会の妨害はなぜおこったか、第五回大会の工作者と同調者、大会と朝鮮人 | ||||
Ⅷ | 新紀元は始まる | |||
一発で地球を全滅させる爆弾、戦争の準備をはじめた平和産業、日本と沖縄の核武装はすすむ、安保条約は朝鮮戦争の落とし子、新安保はアメリカの要求、新安保に託する岸・藤山の夢、アジアは新安保に反対する、頂上会談はなぜ流れたか、新安保の国会採決は冷戦激化の謀略、冷戦を終らせる道、ヒロシマの十字架から新紀元は始まる | ||||
あとがき | ||||
上巻は庶民の動きを中心として叙述を進めた。 下巻もそのつもりで草稿をまとめ、朝鮮戦争以後における原爆被災者・青少年・婦人・学者・ジャーナリスト・芸術家(美術・文学・演劇)・労働者・農民・漁民などが、どんな役割を果たしてきたかをあとづけるつもりだった。 |
||||
運動の発展をみつめるとともに、それを妨げる社会の壁を、写し出すことが、ねらいとなっていた。 | ||||
しかし、安保問題の発展につれて、この計画は根本的に変更せねばならなくなった原水爆禁止運動は、国際政治の変転につれて、重大な段階にさしかかり、国内政治の面でも、高度の政治性を帯びるに至ったので、庶民の動きという間接描写の方法では、焦眉の問題に焦点を合せることが、出来なくなってしまった。 | ||||
今からの一、二年間は、原水爆時代を終らせるチャンスであるとともに、原水爆戦争のピンチともいえる。 | ||||
本書が政治技術を中心として、運動の展開をあとづけることにしたのは、正しい政治路線の発見に、ささやかながらも資料を提供したいと考えたからである。 |
『原水爆時代 現代史の証言(上)』(今堀誠二、三一書房、19590721)
以下未完 | ||||
章 | 節 | 登場人物 | 備考 | |
Ⅰ | ピカドンに死なず | |||
幽鬼の町ヒロシマ | ||||
今堀誠二 | 山口県の西北海岸、一兵士。 | |||
古賀八重子 | ||||
少国民の最後 | ||||
「菩提樹」をうたう少女 | ||||
敗戦を飾る犠牲者の美 | ||||
世界の良心は告発する | ||||
ピカドンに屈せず | ||||
古賀八重子=その後沖原氏と結婚。呉でしあわせな家庭。 | ||||
Ⅱ | 占領軍に屈せず | |||
1 | 第二の誕生 | |||
「生ましめん哉」 | ||||
栗原氏と「中国文化」 | ||||
栗原貞子、栗原唯一、猪熊弦一郎、細田民樹 | ||||
プレスコード下の最初の刊行物 | ||||
『中国文化』創刊号 | ||||
ヒロシマは歴史の証人 | ||||
2 | ざんげの道 | |||
悲嘆の日記「さんげ」 | ||||
トマトをめぐる母子の悲歌 | ||||
守られた非合法出版物 | ||||
死の商人のざんげ | ||||
地球を動かす支点 | ||||
警告ビラは回収された | ||||
3 | 無欲の顔 | |||
村にきたジープ | ||||
原爆について語るな | ||||
作家の眼がとらえた「屍の街」 | ||||
無欲顔貌 | ||||
人間の精神はボロになった | ||||
平和をかえして下さい | ||||
いまだ癒えぬ傷あと | ||||
4 | 原爆エレジー | |||
原子野に咲いた「夏の花」 | ||||
壊された詩碑 | ||||
忘れかけたあの日の記憶 | ||||
「長崎の鐘」 | ||||
原爆エレジーの流行 | ||||
5 | よみがえった記録映画 | |||
映像になった記録 | ||||
占領軍の撮影禁止 | ||||
生きていたプリント | ||||
公開された被爆写真 | ||||
6 | 科学者の道 | |||
廃墟に芽ばえた国民の科学 | ||||
災害調査はじまる | ||||
奇病の発生第二期症状 | ||||
病理へ振るうメス | ||||
全滅した劇団「桜隊」 | ||||
都築氏の活躍 | ||||
世界最初の原爆症講演会 | ||||
原爆症救護病院 | ||||
山津波にのまれた京大班 | ||||
災害調査研究特別委員会 | ||||
きびしい原爆の秘密保持 | ||||
撤去された研究施設 | ||||
原爆はGHQのタブー | ||||
終戦の日に始った原爆戦争の準備 | ||||
恐るべき後遺症 | ||||
原爆症とは何か | ||||
被爆者はABCCのモルモットか | ||||
原爆禁止は科学者の道 | ||||
Ⅲ | ノー・モア・ヒロシマ | |||
1 | 原爆は戦争ではない | |||
広島に向った青い眼の記者 | ||||
死臭と敵意の中で | ||||
ヒロシマからの報告 | ||||
人類よ!広島をくり返すな | ||||
原爆患者の存在を抹殺 | ||||
勝利した官製ニュース | ||||
二つの原爆処理方式 | ||||
科学者の「十字軍」 | ||||
2 | 人道主義と反戦主義 | |||
全米を震撼させた実話小説 | ||||
「ヒロシマ」の主人公たち | ||||
人道主義の原爆否定 | ||||
同情はごめんだ | ||||
アメリカの盲点 | ||||
世界連邦主義 | ||||
ピース・センターと精神養子 | ||||
原爆乙女の厚生 | ||||
憤激をかったルーズベルト夫人 | ||||
原爆乙女は立証する | ||||
3 | 平和祭 | |||
広島平和復興祭 | ||||
46・7年の世界の動き | ||||
マ元帥の教書と「平和宣言」 | ||||
原爆をとりあげたアメリカの新聞 | ||||
8・6をカーニバルにするな | ||||
世界でもたれたヒロシマ・デー | ||||
貧弱だった「原爆否定の研究室」 | ||||
平和こそ女性の幸福の源 | ||||
原爆外交と広島の復興 | ||||
大衆から浮いた平和祭 | ||||
4 | 偏見を乗り越えて | |||
東洋にかけるアメリカの橋 | ||||
クエーカーの絶対平和主義 | ||||
シュモー氏の「広島の家」 | ||||
私は共犯の屈辱を抱いてここに立つ | ||||
神よ平和を来らし給え | ||||
むずかしい平和住宅の運営 | ||||
ブ夫人の公民館 | ||||
平和運動を離れた「広島の家」 | ||||
平和精神をうらづけるものは何か | ||||
シュ氏のピントの甘さ | ||||
ブ夫人への一票は原爆防止の一票 | ||||
Ⅳ | 過ちは繰返しませぬ | |||
殴殺されたアメリカ兵 | ||||
恩讐を越えた供養塔 | ||||
原爆で死んだ異国の人 | ||||
安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから | ||||
あとがき |
ピカ資料研究所の中の「今堀」
新聞記事
年 | 掲載誌 | 見出し等 |
19670211 | 毎日? | 今堀誠二 若い日の私―すべてをかけ中国社会調査 |
19871120 | 中国夕刊 | 今堀学長が年内辞任 内臓疾患の長期化理由に |
19871121 | 中国新聞 | 今堀学長、来月末で辞任 年内に後任選挙 |
19871121 | 毎日? | 県立広島女子大の今堀学長が辞任へ |
朝日新聞 | 「野にありて 今堀誠二交遊抄」(19880310~4月1日15回連載) | |
19880310 | 1 | 幼なじみ 奮起願い原爆詩をこてんぱんに批判 |
19880311 | 2 | 寡黙の人 平和への文学者の責任を痛烈に指摘 |
19880312 | 3 | 秘密出版 被爆実態リアルに 時代を訴えた傑作 |
19880315 | 4 | 番外会見 原爆乙女5人らに大統領夫人も同情 |
19880316 | 5 | 危険な旅 ソ連核実験に抗議 レイノルズは船出 |
19880317 | 6 | TV対談 平和論から大学論 湯川秀樹と10回余 |
19880318 | 7 | 最後の声 パルメも核廃絶へ 被爆の声聞き理解 |
19880320 | 8 | 庶民官僚 21年たちようやくドーム保存の余裕 |
19880323 | 9 | 闘士2人 国際情勢ふまえて平和教育の原点本 |
19880324 | 10 | 幻の映画 米国にきっとある 被爆直視した資料 |
19880326 | 11 | 論敵同士 沖縄の返還問題は日本外交のヒット |
19880329 | 12 | 首相談判 「白書」に積極的に協力した佐藤栄作 |
19880330 | 13 | 抗議の書 安保問題からんで意図は達成できず |
19880331 | 14 | 中国開眼 平和運動でも一貫 民衆の視点で試行 |
19880401 | 15 | 70自述 ライフワークには輯国民衆の革命史 |
19921010 | 中国新聞 | 天風録 |
中国新聞 | 今堀誠二氏死去 ヒロシマ原点に平和運動 | |
中国新聞 | 「平和運動は忍耐」 提言続けた今堀さん 総合科学部創設に尽力 飯島宗一・元広島大学長の話 考えはっきり述べた 森滝市郎・原水禁国民会議議長の話 |
|
19921013 | 中国新聞 | ピカ資料研究所の中の「今堀」 自宅の書斎に裁断 大きな足跡しのぶ 今堀さんの葬儀に250人 |
竹原から呉に移動したピカ研資料
2019年? 竹原市内倉庫 |
20190414 呉市内倉庫 |
ピカ資料研究所(ピカ研)の紹介ビラ
最近の仕事、これからの仕事