『広島を訪れた内外人の感想文集 その2』(原爆資料保存会編・刊、19710910)<作業中>
内容
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01 | はしがき(横田工 原爆資料保存会長) | |
02 | 第2集に寄せて(小倉馨 広島市平和記念資料館館長) | |
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国内篇 | ||
03 | 小学生の部 | |
05 | 中学生の部 | |
09 | 高校生の部 | |
11 | 一般・大学生の部 | |
国外篇 | ||
21 | ||
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26 | あとがき | |
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『広島を訪れた内外人の感想文集 その2』(原爆資料保存会編・刊、19710910)<作業中>
内容
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01 | はしがき(横田工 原爆資料保存会長) | |
02 | 第2集に寄せて(小倉馨 広島市平和記念資料館館長) | |
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国内篇 | ||
03 | 小学生の部 | |
05 | 中学生の部 | |
09 | 高校生の部 | |
11 | 一般・大学生の部 | |
国外篇 | ||
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26 | あとがき | |
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『原爆記念文庫所蔵 原爆関係文献目録 昭和40年8月31日調』(原爆資料保存会、19651015)
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広島 長崎の体験を永久に伝える為に 人類の過ちを繰返へささぬ為に ひたむきな平和への願いをこめて 尊い原爆記念文庫が広島に生まれました みんな血と涙と訴へで綴られた記録です この文庫の保存と成長へ御協力を (原爆記念文庫標語) |
はしがき 1.原爆が投下されてからもう20年を経過した。本会は広島長崎の体験を永久に後世へ伝える為,昭和23年頃から苦難な道を歩みながら,文献の蒐集に力を注いで来た。これ等はみんな被爆当時の惨状そのままの記録や,学者の研究調査されたもので,世界平和推進の為極めて貴重なものである。 2.昭和40年8月31日迄に集めたものが2,000冊になつたが,まだまだ不足のものが多々ある。これは将来を期して完備したい。尚文献中には専門的のものも数多くあるが大半は大衆的のものである。これは大衆と共に考へ大衆と共に歩みたい文庫の使命に依るものである。 3.原爆の被害が余りも広大である為,学問的研究分野も多様であり,被害の処理も多方面に亘って居るので,全文献を整理分類することは困難である。依って本目録分類は正規の図書分類法に依らず,わかりやすい別記の10分類に整理して見た。御批正を乞う。 4.原爆20周年に当り,各方面の報道陣を始め,著書や雑誌に依って広島をアッピールされた事は感謝に堪えない,特に被爆者調査や,広大に原爆研究機関が設備される等,国家が直接広島と取組むことになった事は,おそまきながら嬉しい事である。 5.文庫開設(昭和40年6月6日)以来,A.B.C.C.や広島医師会を始め全国各地から個人で文献を寄贈されたものが160冊もある。寄贈者各位に対しここに深甚の感謝を致します。 昭和40年9月15日 |
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「広島」原爆記念文庫設置について(原爆資料保存会、19650606開設)
「広島」原爆記念文庫設置に就いて |
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広島に原爆が投下されてから、もう二十年を経過した。その当時の惨状に就いては、今日迄科学的研究書や各方面の新聞、雑誌に依って報道されて居るが、現地広島では、今尚年々三○人-四○人づつが原爆病院で病死して居る。
其外被爆による不幸の境遇にある人々は救護の途も充分に講ぜられて居らぬ為、華々しい都市復興の裏に取り残されて、気の毒な生活を続けて居る有様である。私共被爆生存者はこの計り知れない原爆の惨禍を語り再び人類の過ちを繰り返えささぬ様世界へ訴えて来たが、現下の世界情勢は、私共の念願を裏切る方向に、向いつつある様うかがわれるのである。それと共に広島の被爆者も年々死亡してこの惨状を語りつづける人も段々少なくなって行くのである。 そこで私共原爆資料保存会のグループ(現在会員二十四名)は此、原爆二十周年を記念に、世界最初に原爆を受けた広島、長崎の体験を永久に後世え伝える為、今日迄内外で出版された原爆文献を蒐集整理し広島市内で最も、保存活用上最適の場所である、平和公園内の記念資料館の一室に原爆記念文庫を設ける承認を得、広島を訪れられる学者、研究家に公開し平和推進の一助にする事にしたのである。 尚、本会は昭和二十三年頃、市立の原爆資料館が設置された当時からその後援団体として二十数人が相寄り、原爆資料保存会を発足さし、今日迄二十年間、物的資料を始め原爆文献蒐集に着手し始めた。其当時の広島は全市焼野原で、被爆市民は焼跡にバラックを建て、どん底生活をして居ったのて原爆資料などに目をつける人は殆んどなかった。其の上占領政治下にあったので、きびしい圧迫が加えられ原爆資料蒐集の仕事等は命懸でないと出来ない有様であった。然し私共被爆生存者は吾が肉親の犠牲を犬死させない一念から会員一同団結して、資料蒐集の仕事に力を打ち込んで来たのであった。そして昨年九月本会の総会で原爆記念文庫設置の事を決議し今迄集められて倉庫に秘蔵されて居ったものえ更に市内の百書店並に個人の蒐集家を訪ねて文献買厚めに奔走し現在(昭和四十年五月)では千四百冊迄蒐集し得たのである。 この文庫の内容は、左記十種類で広範囲に亘って居って、而かもその九割が古本、絶版本ばかりで、入手出来ない貴重なものが少なくない。これから原爆研究センターを目指して内容の充実を計りたい。 文庫の内容一覧 文庫の中で特殊なもの、実例 |
○原爆記念文庫(標語) 広島、長崎の体験を永久に伝える為に 人類の過ちを繰り返えさぬ為に 尊い原爆記念文庫が広島に生れました みんな血と涙と訴えて綴られた記録です この文庫の保存と成長に御協力を |
昭和四十年六月六日文庫開き記念の日 |
原爆資料保存会長 横田工 稿 |
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『 ひろしま 世界平和の聖都』(広島原爆資料保存会編・刊、19690801)
内容
頁 | |||
刊行のことば(横田工・原爆資料保存会長) | |||
01 | 目次 | ||
<キノコ雲写真> | |||
原爆の広島 | |||
物的被害 | |||
人的被害 | |||
被爆者の苦悩 | |||
被爆死亡者と生存者調査 | |||
原爆病院 | |||
被爆者福祉センター | |||
原爆孤児 | |||
健康手帳交付 | |||
限りなき思い出 | |||
平和記念都市法実施 | |||
平和記念施設 平和記念資料館 平和記念館(平和文化センター) |
|||
平和記念式典 | |||
市民の平和活動の実際 | |||
原爆日誌 | |||
秘められた原爆関係公文書 | |||
市内慰霊碑巡礼(碑文) | |||
被爆者の傷心 | |||
製作:(株)浜田写真工芸社 |
目次
原爆資料保存会(文献・資料)
文献
発行年 | 書名 | 備考 | 所蔵 |
19650606 | 「広島」原爆記念文庫設置について | 紙 | |
19651015 | 原爆記念文庫所蔵原爆関係文献目録 昭和40年8月31日調 | G | |
19670425 | 広島を訪れた内外人の感想文集 | G | |
19680101 | ひろしまその訴え | G | |
19680806 | 原爆被災資料目録-昭和43年8月6日調 | G | |
19690801 | ひろしま 世界平和の聖都 | G | |
19710910 | 広島を訪れた内外人の感想文集 その2 | G | |
197403 | ヒロシマ 平和公園 | 発行:横田工 | GU |
19791031 | 広島平和記念公園-地図 | 発行:広島観光物産 | G |
19810301 | ヒロシマ 平和記念公園 | 発行:横田工 | GU |
19810801 | 「ヒロシマの心」を若い世代に | 高橋昭博著、発行: 原爆資料保存会 | G |
19820101 | ヒロシマの心 | 発行:横田工 | G |
不明 | ヒロシマ Hiroshima A-Bomb am 8:15 August 6, 1945 | 発行:横田工 | GU |
不明 | ヒロシマ Hiroshima A-Bomb am 8:15 August 6, 1945 | 発行:広島観光物産 | G |
不明 | ヒロシマ わたしは見た!市民が描いた原爆の絵 [絵はがき] | ヒロシマを知らせる委員会編、発行:原爆資料保存会 | G |