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水を風を光を 日本YWCA80年1905-1985

『水を風を光を 日本YWCA80年1905-1985』(日本YWCA80年史編集委員会、日本キリスト教女子青年会、1987/05/25)

内容

章・節 見出し 備考
序にかえて」
1章 日本にYWCAが生まれるまで1900~1905年
1 YWCA運動のはじまり
「ミッションの世紀」の推進力
女性解放思想の展開
英国YWCAができるまで
米国YWCAの歩み学
生YWCAの誕生
世界YWCAの創設
1 YWCA運動のはじまり
「ミッションの世紀」の推進力
女性解放思想の展開
英国YWCAができるまで
米国YWCAの歩み学
生YWCAの誕生
世界YWCAの創設
2 世界YWCAの記録に残る日本
宣教師たちの活躍
世界YWCA初代総幹事レイノルズ来日
「日本のバーミンガム」にYWCAを
世界YWCA、初の幹事派遣
3 日本国内でも気運たかまる
創立委員会の結成
キャロリン・マクドナルド、日本の土を踏む
機関誌「明治の女子』創刊
公私立の女学校に種をまく
東京YWCA発会式を挙行
会則をつく
2章 創設期の息吹き一九〇六~一九一二年
1 夏期修養会始まる
シルヴァ・ベイの出会い
修養会実現へ向けて
第一回修養会の感動
2 東京YWCAの活動始まる
寄宿舎事業に着手
エマ`カフマンの来日
3 学生YWCA運動の発展
世界の学生キリスト者との交わり
キリストに在りてひとつ
学生YWCAの組織化すすむ
4 日本人女性としての目覚め
4 日本人女性としての目覚め 54
河井道子の訪欧
日本のYWCAは日本人の手で
3章 社会的関心への目覚め19391924年
1 働く女性たちとともに
女工への働き
看護婦への働き
職業婦人への働き
2 実践への意欲にもえる
修養会の発展
さかんな聖書研究会
「旅行者の友」事業始まる
「最も小さい者のために」幹事餐成に力を入れる
3 第一次世界大戦とYWCA
戦争の悲惨につき動かされる
露国児童救済
移民女性のために
マクドナルドの辞任
シベリア慰問事業
4 関東大震災から富士岡荘建設まで
幹事養成科始まる
「平和博」に婦人休憩所をおく
二つの募金
関束大農災
月島事業
森の中の富士岡荘
5 市YWCA次つぎに誕生
横浜YWCA大阪YWCA神戸YWCA京都YWCA外国人幹事の働き在米日本人YWCA
4章 建設時代へ1925~1936年
1 第一回全国総会を開く
「光によって光をみる」河井道子の辞任
学生会員の資格問題
全国幹事会の歩み
2 女子労働問題と取りくむ
「女工哀史」の時代
名古屋インダストリアル・センター
「友の家」活動から名古屋YWCAへ
婦人労働問題に関する調査
農村へ、海浜へー友の家夏のプログラム
各市YWCA有職婦人部の働き
全国で労働週間を守る
大阪YWCA、夜間女学校を開校
3 暗雲が近づく中での国際活動
日中関係の窓口として
国際会議へ代表を送る
学生YWCAとSCM運動
平和への願いをこめて
世界総会の開催地、中国に決まる
世界総会延期1ひろがる暗雲
第五回全国総会-世界YWCA会長、総幹事を迎えて「青年の 平和への願い」ー学生部
セイロン会議でのわかちあい
創立三〇周年を迎える
5章 戦時下、苦悩の時代1937~1945年
1 なお平和への道を求めて
「非常時局」を迎える
世界の友人たちの励まし
国際晩餐会で平和を考える
農村婦人の問題を取りあげる
第七回全国総会「婦人の地位と貢献」研究会
エキュメニズムヘの強い関心
国際会議に代表を送る
2 キリスト教団体としての模索
戦時下最後の第八回全国総会
戦時下の修養会
戦時下の市YWCAのうごき
窓が閉ざされてゆく中で
3 戦局拡大に耐える
全国代表者会
青年会員の動員始まる
中国に幹事を派遣
上海のYWCA設立
きびしい試練の中で
幹部錬成会
動員体制に組みこまれる
4 ウッズモール訪日報告
日本への道
日本YWCAの全般的情況
6章 敗戦から立ち上がる1945~1952年
1 YWCAの使命を再確認
建物のほとんどすべてを失う
戦後初めての欝任委員会「万国祈祷週」を守る
『女性新聞」発刊
女教師研究会を開く
再出発した中央委員会
植村環、平和使節として渡米
世界の友とのきずな
2 新鮮な世界の風を送り込む
世界の指導者を迎え、戦後初の総会
世界婦人円卓会議
物心両面の惜しみない援助
学校YWCA再組織と修養会の復活
YWCAと社会的責任
かけがえのない指導者を喪う
3 全国にひろがるYWCA
会館をもたない市YWCA第1号-湘南YWCA
農村にYWCAを!西遠グループ
教師研究会と植村報告会から生まれたYWCA
ジーン・ベッグと呉YWCA
幼児教育で新分野を開拓
4 新しい全国運動をめざして
機関紙「YWCA』の創刊平和への道を!青年フォーラム開く 新民法と女性の地位に目を向ける
7章 こだまする平和を求める声1953~1960年
1 新たな希望を抱いて進む
今こそYWCAが働くとき
ギフト`ショップと国際交流-横浜YWCA
大阪YWCAユースセンター
京都YWCA西陣センター設立
名古屋YWCA、伊勢湾台風救援活動
神戸YWCA生活部
肢体不自由者水泳を開始-東京YWCA
2 平和を希求するキリスト者女性の声、世界に
第五福竜丸事件と原水爆禁止の訴え
創立五〇周年を祝う
女の一生健康展
ブルソナ 博士講演会の感動
記念式典と第一二回全国総会
世界総会「平和に関する声明」採択
光をみようーアジア婦人会議開く
3 つよまる全国運動
初の全国会員会議を開く
BGセミナーの歩み
マザース・カレッジ開講
4 平和憲法を守るために
教育二法案に憂慮
警職法改正に反対の声をあげる
安保改定問題とYWCAの姿勢
各市、学校YWCAで署名運動
米国YWCAへのアピール
8章 変革への力となるために1961~1970年
1 新陣容で明日の社会をめざす
「人間の尊重」を掲げる
「平和のとりで」全国で上演
「キリスト者と憲法」研究会始まる
核実験再開に警鐘
波紋をなげるー世界総会で問題提起
平和を願い地道な努力
歴史を担う青年の課題-全国青年会議
「時を知る」ー 歴史責任を問い直す
2 世界ファミリーの一員として
世界YWCA相互援助プログラムに参加
リーダーを送り出す
アフリカヘの道「留学生の母親」連動始まる
3 転換期のただ中に立つ
試されたYWCAの姿勢
YWCAの革新
「会員資格問題」と会則改正
会員問題の経過
新しい決断の総会
会則改正とその後
学生YWCAの解体
中高YWCAの再編
9章 核時代における平和を求めて1971~1985年
1 「核」否定の思想に立つ
「ひろしまを考える旅」始まる
中高生「ひろしまを考える旅」
「核」否定を会員運動に―第8回総会
「核」否定の思想に立つ
アジアの中の日本-全国幹部委員研修会
「原爆の図」の前で
「ひろしま」を世界的視野でとらえる
全国各地で原爆絵画展開く
2 国内、国外でひろがる運動の輪
地方都市に新しいYWCA誕生
「核」否定、世界総会の議題に
70周年を迎える
消費文明から心の文明へ
被爆問題国際シンポジウムに協力
軍備増強に反対の声をあげる
3 ともに生きる世界を求めて
3 ともに生きる世界を求めて 410
世代をこえた出会い―会員会議
「この日…新しく」
ひとつになった平和への若い力-国際青年プログラム
「ひろしま」を若い心にうけとめる
六日間の野尻キャンプ
YWCA全国募金始まる
青年層とともに
シンガポール世界総会と青年会議
世界YWCAユース・コーディネーター来日
日本YWCAユース・コーディネーター誕生
生命を選ぶー80周年記念プログラム
付章 資料
日本YWCA声明、要望書
日本YWCA会則
全国総会一覧
憲法研究会一覧
加盟YWCA、中高YWCA
あとがき

 

 

 

 

広島損害保険史

『広島損害保険史』(荒谷輝雄編、保全社、19561225印刷)

内容<作業中

章節
1 前史
2 損害保険統制会中国支部時代
3 戦争保険
4 被爆都市の損害
5 原爆と戦争保険会
6 原爆犠牲社員
3 日本損害保険協会広島地方委員会時代
4 戦後の広島市
5 各社広島支店の発展
6 全日本損害保険労働組合広島地方協議会時代
7 損害保険代理業協会
8 各種災害共済保険
付録
保全社の生立

日本ペンクラブ歴代会長

日本ペンクラブ歴代会長<出典:https://japanpen.or.jp/about/>

 

会長名 在任期間 備考
島崎藤村 1935~1943
1935年(昭和10年)
外務省の文化事業部関係者と国際文化振興会の斡旋により、11月26日に創立総会を開催。初代会長に島崎藤村、副会長に有島生馬、堀口大學、主事に勝本清一郎、会計主任には芹沢光治良が就任。当時の会名は「日本ペン倶楽部」。事務所を銀座西8丁目の日吉ビルに設置。
02  正宗白鳥  1943~1947
03  志賀直哉  1947~1948
1947年(昭和22年)2月、旧メンバーを含む文化人多数の手によって「日本ペンクラブ再建大会」を開催。「日本ペンクラブ」の名称や新規約を定め、第3代会長に志賀直哉、副会長に辰野隆、幹事長に豊島与志雄を選出。
04  川端康成  1948~1965
1948年(昭和23年)6月、第20回国際ペン・コペンハーゲン(デンマーク)大会で日本ペンクラブの国際ペン復帰が承認される。同6月、第4代会長に川端康成が就任。
19491126 川端康成らヒロシマを訪問(『中国新聞』)
19500415 日本ペンクラブ主催「広島の会」。於広島市(『中国新聞』)
1950年 (昭和25年)8月、第22回国際ペン・エジンバラ(イギリス)大会に代表阿部知二、北村喜八を派遣。
19510401 日本ペンクラブ月例集会。故原民喜の詩碑建設案が提案される。(『中国新聞』)
1951年(昭和26年)6月、第23回国際ペン・ローザンヌ(スイス)大会に代表芹沢光治良、石川達三を派遣。オブザーバー池島信平が参加。
19510713 原民喜詩碑建立。
19510921 日本ペンクラブ、米文化評論誌に翻訳・掲載される日本の戦後文学作品として原民喜「夏の花」など12作品を推薦(『中国新聞』)
1952年(昭和27年)6月、第24回国際ペン・ニース(フランス)大会に代表小松清、丸岡明を派遣。オブザーバー田村泰次郎、平林たい子らが出席。
1953年(昭和28年)3月、ペン『会報』再刊第1号を発行。6月、第25回国際ペン・ダブリン(アイルランド)大会に代表平松幹夫、真杉静枝を派遣。オブザーバー火野葦平、米川正夫が出席。
1956年(昭和31年)3月、評議員会で国際ペン大会東京招致を正式に決定。4月、ロンドンの国際ペン執行委員会に代表松岡洋子を派遣。7月、第28回国際ペン・ロンドン(イギリス)大会に小牧近江、松岡洋子を派遣。オブザーバー佐藤朔、田村泰次郎が出席。同大会で第29回国際ペン東京大会開催が満場一致で可決。9月、年次総会で組織を社団法人に改め、会長に川端康成、副会長に青野季吉、芹沢光治良、専務理事に立野信之、事務局長に松岡洋子が就任。
1957年(昭和32年)4月、社団法人認可。ロンドンの国際執行委員会に川端康成、松岡洋子を派遣。9月2日?8日、第29回国際ペン東京大会を東京と京都で開催。26カ国30センターから代表者171名、日本ペン会員208名が参加。日本代表は桑原武夫、高見順。
1958年(昭和33年)3月、川端康成が国際ペン副会長に選出される。9月、パリの国際執行委員会に伊藤整と滞欧中の今日出海を派遣。
1959年(昭和34年)7月、第30回国際ペン・フランクフルト(ドイツ)大会に代表高橋健二、西村孝次を派遣。ゲスト・オブ・オナーに芹沢光治良。
1960年(昭和35年)6月、日米新安保条約の批准承認に対する抗議声明を発表。7月、リオデジャネイロとサンパウロ(ブラジル)で開かれた第31回国際ペン大会に代表大和資雄、湯浅克衛を派遣。ゲスト・オブ・オナーに川端康成。
1965年(昭和40年)5月、「ベトナムにおける事態を憂うる」声明を発表。10月、川端康成が会長辞任。後任に芹沢光治良を第5代会長に選出。
05  芹沢光治良 1965~1974
1965年(昭和40年)
10月、川端康成が会長辞任。後任に芹沢光治良を第5代会長に選出。
1967年(昭和42年)3月、『日本ペンクラブ三十年史』刊行。
1968年(昭和43年)12月、川端康成がノーベル文学賞を受賞。
1970年(昭和45年)6月、第37回国際ペン・ソウル(韓国)大会に阿川弘之、平林たい子を派遣。ゲスト・オブ・オナーに川端康成、草野心平。大会テーマ「文学におけるユーモア―東と西」。アジア作家会議(台北)開催。団長立野信之、他11名が参加。ゲスト・オブ・オナーに川端康成。テーマ「今日のアジアの作家たちが直面している問題」。
06  中村光夫  1974~1975
 1974年(昭和49年)2月、作家ソルジェニーツィン逮捕に対し、即時釈放を求める抗議電報をソ連政府などに打電。7月、金芝河の減刑要請のため藤島泰輔、白井浩司、井口順雄事務局長を韓国へ派遣。記者会見における藤島発言に端を発したジャーナリズムの日本ペン批判、退会者相次ぐ。8月、緊急理事会で藤島発言は個人的見解と発表。9月、緊急理事会で事態収拾のための再建委員会(委員長石川達三)発足を決定、全理事辞表を提出。10月、再建委員会による理事選挙。臨時総会で定款改正、理事改選を承認。11月、新理事会で第6代会長に中村光夫、副会長に山本健吉、桑原武夫、専務理事に佐伯彰一、常務理事に杉森久英、土岐雄三を選任。
07  石川達三  1975~1977
  1975年(昭和50年)5月、石川達三を第7代会長に選出。
08  高橋健二  1877~1981
 1977年(昭和52年)1月、韓国の詩人、金芝河の実刑判決に対する声明を発表。5月、ハンブルクの国際執行委員会に高橋健二を派遣。7月、第8代会長に高橋健二を選任。副会長に杉森久英、田辺茂一、中屋健一、専務理事に土岐雄三、常務理事に井上ひさし、早乙女貢を選任。12月、第42回国際ペン・シドニー(オーストラリア)大会に代表越智道雄、袖井林二郎を派遣。ゲスト・オブ・オナー中屋健一。大会テーマ「文学、アジアとヨーロッパ文化のかけ橋」。韓国で投獄されている金芝河の窮状について深い憂慮を表明するステートメントを発表。
09  井上 靖  1981~1985
  1981年(昭和56年)5月、第9代会長に井上靖を選出。副会長に桑原武夫、杉森久英、中村光夫、専務理事に巌谷大四、常務理事に早乙女貢、三好徹を選任。7月、「教科書検閲に抗議の声明」を発表。
1984年(昭和59年)4月、年次総会で会員数が1000名を超えたことを報告。5月14-18日、新宿京王プラザホテルで第47回国際ペン東京大会開催。参加センター45、海外から参加219名、日本ペン会員参加351名、一般参加53名。テーマ「核状況下における文学―なぜわれわれは書くのか」。代表者会議で核兵器の廃絶についての決議案ほか可決。
1985年(昭和60年)3月3日、東京において第1回「平和の日」の集い開催(以後、毎年開催)。5月、ブレドの国際ペン平和委員会に井出孫六、小中陽太郎を派遣。
10  遠藤周作  1985~1989
1985年  6月、第10代会長に遠藤周作を選出。11月、日本ペンクラブ創立50周年記念「ペンの日」懇親会開催。12月、国際ペン東京大会の論集『文学者の声’84』を刊行。
1987年(昭和62年)11月、『日本ペンクラブ五十年史』刊行。
11  大岡 信  1989~1993
  1989年(平成元年)4月、第11代会長に大岡信を選出。副会長に梅原猛、大江健三郎、大庭みな子、専務理事に尾崎秀樹、常務理事に高田宏、三好徹を選任。
1990年(平成2年)1月、緊急理事会で「長崎市長狙撃事件に対する抗議声明」発表。
12  尾崎秀樹  1993~1997
  1993年(平成5年)4月、第12代会長に尾崎秀樹を選出。副会長に梅原猛、大江健三郎、大庭みな子、三好徹、専務理事に早乙女貢、常務理事に井出孫六、小中陽太郎を選任。7月、「教科書検定に関する声明」発表。8月、臨時理事会を開催。韓国出身慰安婦に関する韓国ペン書簡への対応を討議、謝罪と今後の対応を慎重にする旨の書簡を会長名で韓国ペン会長宛に送付。
1995年(平成7年)1月、「差別表現」に関する公開研究会を開催。テーマ「放送界における用語規制の実態」。2月、理事会において「阪神淡路大地震」の被災会員に対する2年間の会費免除を決定。3月、第11回「平和の日」広島の集いを開催。7月、フランスの「核実験再開に対する声明」を発表。
13 梅原 猛  1997~2003
   1997年(平成9年)4月、第13代会長に梅原猛を選出。副会長に井上ひさし、加賀乙彦、三好徹、専務理事に小中陽太郎、常務理事に下重暁子、辻井喬、眉村卓を選任。
1998年(平成10年)2月、「イラク危機に対する声明」発表。3月、5月、「諫早湾干拓の現状」を視察(梅原猛、加賀乙彦、小中陽太郎、下重暁子ほか)。「インドの核実験に対する声明」、「パキスタンの核実験に対する声明」発表。9月、第1回「文学の夕べ(作家が語る作家)」開催(月1回、1年間)。「アメリカの未臨界実験に対する声明」発表。11月、「ロシアおよびアメリカの未臨界実験に対する声明」発表。12月、「イラクへの武力行使に抗議する声明」発表。
1999年(平成11年)7月、「国旗国歌の法制化についての意見書」を発表。
2000年(平成12年)1月、「公安調査庁の日本ペンクラブ等に対する調査監視への抗議と要求」を発表。2月および3月、「アメリカの未臨界核実験に対する声明」を発表。9月、「ロシアの未臨界核実験に対する声明」を発表。
2001年(平成13年)12月、9・11テロとその報復としてのアフガニスタン侵攻を機に、講演会「いま『戦争と平和』を考える」を開催。
2003年(平成15年)1月、講演会「いま『戦争と平和』を考える」開催。3月、「アメリカ、イギリスのイラク攻撃に抗議する緊急声明」を発表。
14  井上ひさし  2003~2007
   2003年(平成15年)4月、第14代会長に井上ひさしを選出。副会長に下重暁子、中西進、眉村卓、専務理事に阿刀田高、常務理事に新井満、高橋千劔破、米原万里を選出。5月、「今回の米英軍等によるイラク攻撃について国連に対して実態調査をするよう要請する」書面をアナン国連事務総長宛に送付。11月、「自衛隊のイラク派遣に反対する声明」を発表。12月、女性作家委員会シンポジウム「女性と戦争Ⅱ―心の『教育』をめぐって」を開催。
2006年(平成18年)10月、「北朝鮮の核実験に反対して、関係諸国に非核兵器地帯の拡大を訴える」声明を発表。
15 阿刀田高 2007~2011
 2007年(平成19年)5月、第15代会長に阿刀田高を選出。副会長に下重暁子、中西進、眉村卓を再任。専務理事に浅田次郎、常務理事に新井満、高橋千劔破、西木正明、堀武昭、松本侑子、吉岡忍を選任。
2009年(平成21年)5月、「北朝鮮の核実験に抗議する声明」を発表。
16  浅田次郎  2011~2017
17 吉岡 忍 2017~

 

 

 

日本国際法律家協会の30年

『人間にあしたあれ 日本国際法律家協会の30年』(日本国際法律家協会編、勁草書房、19871110)

内容

項目 著者 備考
口絵
第1回アジア法律家会議(1955年1月)、カルカッタ
創立総会(19570427)
<以下未入力>
すぐれて主体的になるために―「序」にかえて 沼田稲次郎
001 第1部 創立のころ 回想の国際会議
002 国際法協の創生期 渡辺卓郎
「1957年4月17日、虎ノ門の霞山会館で創立総会
003
011 大阪支部の初期の活動について 石川元也
013 さまざまに30年-小野清一郎先生のことにもふれて 中田直人
018 カルカッ夕会議と法律家の国際運動 松井康浩
022 回想のコナクリ会議 江藤价泰
027
032 随想的懐想的国屎法律家連帯運動組織論序説 石島泰
040 国法協との25年-コナクリ会議を中心として 尾崎陞
045 第2部 反核 平和 人権の旗をかかげて
046 遥かなラッセル法廷 森川金寿
051 国際人道法サンレモ円卓会議 宮崎繁樹
054
061  反核・平和と国際連帯-ヨークーフォーフムヘの参加をふりかえって   吉岡幹夫
063  ニカラグア国際司法裁判所判決と米議会イランーコントラ調査 井関和彦
071 幼き日の心の傷と核への出会い  保木本一郎
073 パリ「反核集会」でのスピーチ 浦田賢治
077  自らを映し出す鏡 根本孔衛
081  東京裁判と私 根本孔衛
087  忠臣蔵から国際原爆法廷へ  椎名麻紗枝
 092  核時代と自然法  内藤雅義
 099  第3部 国際交流活動に学ぶ
100  中国との法律的交流活動について  甲斐道太郎
104  海をわたった朝日訴訟アピール  小川政亮
108  ロ-マ世界集会に参加して  宇賀神直
111  個人的国際関係論  千葉正士
116  私をギリシャに結びつけた国法協  池田眞規
122  国際交流-日ソおよび日朝交流の回想  森田三男
123  ベトナムとの学術交流-ベトナム法律家協会を再訪して  鮎京正訓
132  ベトナム・1987年 稲子恒夫
136  理事会の末席から  小林和恵
138  はじめての旅-アテネ大会のこと  戒能通厚
142  「国法協はサロン的」か?  大熊政一
146  国法協の30年と国法協との17年  松井芳郎
150  若手研究者と国際交流  新倉修
155  日記的回想  仲剛星子
159  雑感  中村*一
 161  支部活動の強化に向けて  大川真郎
163  機関誌のあゆみ  山本孝
167  初めての旅 鍛冶利秀
171  外国との″距離感″と国際連帯  原田純孝
175  韓国被爆者問題の調査に参加して   山下潔
181  大都市下町市民の老後生活の一端-ウィーン東京の国際比較調査
 187  第4部 回想の群像
188  二つの国際会議に出席して  黒木三郎
191  裸のつきあい―ノルドマンI  ADL会長のプロフィル  斎藤一好
197  IADLソフィア大会とヘルシンキ大会  潮見俊隆
202  走馬看花-日中交流の一齣  利谷信義
206  アルバムの中の人々-広島・長崎と国法協、そしてIADL  仲田晋
213  沼田会長と私  小田成光
218  国法協と私  平山知子
222  国法協30年と私  斎藤誠
225  言葉  彦坂敏尚
228  国法協30年の中で  藤田勇
 233  第5部 私たちの提言 
234  万斛の思ひをこめて-再建国法協に期待する  仁科哲
237  日本国憲法九条の遵守-非戦・永世中立宣言の必要  田畑忍
245  アジア諸国の労働者と日本  本多淳亮
250  核兵器緊急廃絶のために-抑止論を克服  亀田得治
255  世界法への取組み  北尻得五郎
258  国法協30年に思う  小林孝輔
261  平和主義の旗印を高く掲げて-国家秘密法と平和的生存  小田中聰樹
266  新しいくにと法と平和のゆくえーアメリカ・インディアン運動をめぐって  森田宗一
273  日本国憲法九条と日本人の責務  北野弘久
276  ペリー・メイスン弁護士の本当の活動  花田政道
280  民主主義と国家秘密法  杉村敏正
 286  企業活動の国際化と労働者の権利  大和田敢太
291  「国際化」時代に思う  陸井三郎
296  国際化時代と国法協  室井力
297  アパルトヘイト罪と国際連帯運動  家正治
303  地球環境の保全とわが国の責務  豊田誠
308  エリトリア人民の民族自決権  小林三衛
313  国法協と新人  桑原育朗
 315  SDIと法律家 入倉卓志
318  編集後記  小林成光
 322  執筆者紹介

 

ヒロシマ基礎講座(第1回):ヒロシマはどう伝えうるか

ヒロシマはどう伝えうるか 原爆・平和報道の過去・現在・未来

日本ジャーナリスト会議広島支部(JCJ広島)主催「ジャーナリストのためのヒロシマ基礎講座」(2008年7月12日(土) 広島市まちづくり市民交流プラザ)

Ⅰ ヒロシマ教育の現場から
1987.7.11 広島平和文化センター主催留学生平和セミナー(第1回)
「被爆の社会的影響について」<1987.10.2 国連軍縮フェローシップへの講演>私もかかわる。90年頃からいつも平和文化センター理事長と私が攻撃対象。
1990年度~ 広島大学平和科目「戦争と平和に関する総合的考察」
1991年度受講生(日本人・女)  資料)1992年度受講生(中国人)
199011 アメリカの大学での講演=石原慎太郎の南京虐殺否定発言、フセインとヒロヒトの同一視
20030801 14万羽の折り鶴焼失>関西学院大学学生との合同授業 2004年~。
*県外学生のヒロシマに関する知識の欠如=県外での平和教育の衰退
2005年~ 広島女学院大学前期科目「ヒロシマ」。
*女学院学生の被爆3世の自覚の欠如=家庭の継承機能の衰
他の教育現場の状況
ピース・ボランティア(1999年~)、 ピースクラブ、ピースフォーラム
「広島・長崎講座」(2002年~)=平和教育の対象が高校生から大学生へ。
2007年 明治大学軍縮平和研究所など主催「被爆者の声をうけつぐ映画祭」
広島大学の平和教育=広島を中心に据えなかった。2009年度から必須科目で原爆資料館・大和ミュージアム・旧海軍兵学校教育参考館(江田島)・大久野島毒ガス資料館・ホロコースト記念館。
笠井綾(表現アーツセラピスト)「日曜エッセー 被爆継承 言葉を超え六感で」(中国新聞 2008年3月16日)
退
Ⅱ 原爆医療・医学分野での進展
原爆傷害調査委員会(ABCC)->1975年4月1日 放射線影響研究所
2008年6月、被爆者の死因を追跡する寿命調査(LSS)などを少なくとも今後25年継続するとの計画
*広島県に居住する被爆者数(広島大学広報委員会『学内通信』No.242)
昭和55(1980)年 17万9000人->昭和80(2005年)年 8万2000人(推定)
*IPPNW=核戦争防止国際医師会議。1980年に発足。1985年にノーベル平和賞を受賞
*湯崎(84.6.11)、内田(91.3.5)、志水(91.7.26)、秦(92.4.17)死亡。
<19910726宇吹メモ>ヒロシマの枠組みは存在するものの、その良質の精神(たとえば志水清や藤居平一に体現されていた)は、次第に失われている。現在の「被爆体験の継承」というスタイルで本当の継承ができるのか。必要なのは、「継承」というより「構築」ではないか。・・・
*原爆訴訟との関連
「被爆者運動」の担い手が、遺族から動員学徒に移行
戦前の軍国主義と戦後の初々しい民主主義の体験者
伊東壮=旧制県立広島一中3年の時に被爆。山梨大学学長(1992-98年)のほか、日本原水爆被害者団体協議会代表委員(1981-2000年)などを歴任した。
平山郁夫=旧制広島修道中学(3年在学中、勤労動員されていた広島市内陸軍兵器補給廠で被災。この被爆経験が後の「文化財赤十字」活動などの原点となる。『広島生変図』(1979)(広島県立美術館蔵)
原水爆禁止運動への偏見
弓削達(「歴史的現在をどう生きるか」岩波ブックレットNO.276、1992年11月)
「厭戦的な平和運動」・「被害者意識的な厭戦平和主義」
歴史化の進展事例
原爆資料館への学芸員の配置  広島市 1995年~、長崎市 2009年予定
1996年 原爆ドームの世界遺産化
広島平和記念資料館 重要文化財、広島平和記念公園 国名勝 2007年2月
長崎の平和公園 登録記念物 2008年5月?
2008年3月29日 NHKテレビ『探検ロマン世界遺産SP』
「記憶の遺産」=人類が忘れてはならない記憶の場所
2008年6月 島根県雲南市三刀屋町の市永井隆記念館敷地内に如己堂
Ⅲ 戦艦大和ブームとヒロシマ
Ⅳ 最近の原爆報道
空白の10年=県被団協の結成、12年=医療法、1970年代後半=国政課題としての被爆者問題
空白の3年=48 08 ? 夏、丸木位里・赤松俊子、「原爆の図」の製作に着手。
丸木俊『女絵かきの誕生-原爆を描いた愛の自叙伝』(朝日新聞社、1977年)
ヒロシマの誇り原爆ドーム、久間防衛大臣の発言、岡本太郎『明日の神話』、一本の鉛筆
2011年度から完全実施される小学校社会科の新学生指導要領の解説書
福田首相のオリンピック開会式参加と長崎平和式典参列。
資料4)最近の原爆報道より
朝日新聞連載 「聞きたかったこと 被爆から63年」2008年4月2日~
2008年5月31日 第8回東京空襲犠牲者遺族会総会。2000年に結成。2006年に訴訟を提起。
2008年6月22日 「殉国之塔」(旧呉海軍工廠への空襲で死亡した女子挺身隊らを祀る)の移設と慰霊祭
2008年7月9日 広島市原爆供養塔の納骨名簿(823体分)の公開
Ⅴ 未来へ
*あふれる原爆情報のガイド役=原爆情報リテラシー
1988年9 月2日 中国地区デ-タベース推進協議会・標準化部会。中国電力本社。
*被爆体験継承のためのFD(Faculty Development)
浅井基文<広島に聞く・広島を聞く>広島平和研究所ニューズレター 2006年3月号~
舟橋喜恵、平岡敬、坪井直、李実根、鎌田七男、中沢啓治、金子一士(森滝健一郎、浅井

 

1987.7.11広島平和文化センター主催留学生平和セミナー(第1回)

「被爆の社会的影響について」<1987.10.2 国連軍縮フェローシップへの講演>

私もかかわる。90年頃からいつも平和文化センター理事長と私が攻撃対象。

1990年度~「戦争と平和に関する総合的考察」

1991年度受講生(日本人・女)  資料)1992年度受講生(中国人)

1990年年11月、アメリカの大学での講演=石原慎太郎の南京虐殺否定発言、フセインとヒロヒトの同一視

<2003年8月1日14万羽の折り鶴焼失>関西学院大学学生との合同授業 2004年~。

*県外学生のヒロシマに関する知識の欠如=県外での平和教育の衰退

広島女学院大学前期科目「ヒロシマ」 2005年~。

*女学院学生の被爆3世の自覚の欠如=家庭の継承機能の衰退

資料1=実践例

他の教育現場の状況

ピース・ボランティア(1999年~)、 ピースクラブ、ピースフォーラム

「広島・長崎講座」(2002年~)=平和教育の対象が高校生から大学生へ。

2007年 明治大学軍縮平和研究所など主催「被爆者の声をうけつぐ映画祭」

広島大学の平和教育=広島を中心に据えなかった。2009年度から必須科目で原爆資料館・大和ミュージアム・旧海軍兵学校教育参考館(江田島)・大久野島毒ガス資料館・ホロコースト記念館。

笠井綾(表現アーツセラピスト)「日曜エッセー 被爆継承 言葉を超え六感で」(中国新聞 2008年3月16日)

Ⅱ 歴史化するヒロシマ

原爆医療・医学分野での進展

原爆傷害調査委員会(ABCC)->1975年4月1日 放射線影響研究所

2008年6月、被爆者の死因を追跡する寿命調査(LSS)などを少なくとも今後25年継続するとの計画

*広島県に居住する被爆者数(広島大学広報委員会『学内通信』No.242)

昭和55(1980)年 17万9000人->昭和80(2005年)年 8万2000人(推定)

*IPPNW=核戦争防止国際医師会議。1980年に発足。1985年にノーベル平和賞を受賞

*湯崎(84.6.11)、内田(91.3.5)、志水(91.7.26)、秦野(92.4.17)死亡。

91.7.26・・・ヒロシマの枠組みは存在するものの、その良質の精神(たとえば志水清や藤居平一に体現されていた)は、次第に失われている。現在の「被爆体験の継承」というスタイルで本当の継承ができるのか。必要なのは、「継承」というより「構築」ではないか。・・・

*原爆訴訟との関連

「被爆者運動」の担い手が、遺族から動員学徒に移行

戦前の軍国主義と戦後の初々しい民主主義の体験者

伊東壮=旧制県立広島一中3年の時に被爆。山梨大学学長(1992-98年)のほか、日本原水爆被害者団体協議会代表委員(1981-2000年)などを歴任した。

平山郁夫=旧制広島修道中学(3年在学中、勤労動員されていた広島市内陸軍兵器補給廠で被災。この被爆経験が後の「文化財赤十字」活動などの原点となる。『広島生変図』(1979)(広島県立美術館蔵)

原水爆禁止運動への偏見

古くさいというムード=冷戦終結後顕著。飢餓・貧困・環境問題・民族問題・宗教紛争

弓削達(「歴史的現在をどう生きるか」岩波ブックレットNO.276、1992年11月)

「厭戦的な平和運動」・「被害者意識的な厭戦平和主義」

川島孝郎(石田明、空辰男)、深川宗俊、藤居平一、

長田新、(斉藤)、森戸辰男、今堀誠二、森滝市郎、佐久間澄、大牟田稔、平岡敬、

資料2)今堀誠二著『原水爆時代-現代史の証言(上)(下)』目次

原爆資料館への学芸員の配置  広島市 1995年~、長崎市 2009年予定

1996年 原爆ドームの世界遺産化

広島平和記念資料館 重要文化財、広島平和記念公園 国名勝 2007年2月

長崎の平和公園 登録記念物 2008年5月?

2008年3月29日 NHKテレビ『探検ロマン世界遺産SP』

「記憶の遺産」=人類が忘れてはならない記憶の場所

2008年6月 島根県雲南市三刀屋町の市永井隆記念館敷地内に如己堂

Ⅲ 戦艦大和ブームとヒロシマ

資料3)日本表象文化史(第12回)2008年1月21日資料

朝日新聞の取材に注目

Ⅳ 最近の原爆報道

空白の10年=県被団協の結成、12年=医療法、1970年代後半=国政課題としての被爆者問題

空白の3年=48 08 ? 夏、丸木位里・赤松俊子、「原爆の図」の製作に着手。

丸木俊『女絵かきの誕生-原爆を描いた愛の自叙伝』(朝日新聞社、1977年)

ヒロシマの誇り原爆ドーム、久間防衛大臣の発言、岡本太郎『明日の神話』、一本の鉛筆

2011年度から完全実施される小学校社会科の新学生指導要領の解説書

福田首相のオリンピック開会式参加と長崎平和式典参列。

資料4)最近の原爆報道より

朝日新聞連載 「聞きたかったこと 被爆から63年」2008年4月2日~

2008年5月31日 第8回東京空襲犠牲者遺族会総会。2000年に結成。2006年に訴訟を提起。

2008年6月22日 「殉国之塔」(旧呉海軍工廠への空襲で死亡した女子挺身隊らを祀る)の移設と慰霊祭

2008年7月9日 広島市原爆供養塔の納骨名簿(823体分)の公開

Ⅴ 未来へ

*あふれる原爆情報のガイド役=原爆情報リテラシー

1988年9 月2日 中国地区デ-タベース推進協議会・標準化部会。中国電力本社。

*被爆体験継承のためのFD(Faculty Development)

浅井基文<広島に聞く・広島を聞く>広島平和研究所ニューズレター 2006年3月号~

舟橋喜恵、平岡敬、坪井直、李実根、鎌田七男、中沢啓治、金子一士(森滝健一郎、浅井)

ヒロシマ基礎講座

「ジャーナリストのためのヒロシマ基礎講座」(日本ジャーナリスト会議広島支部(JCJ広島)主催。20080712~)

テーマ 講師 年月日
01 ヒロシマはどう伝えうるか-原爆・平和報道の過去・現在・未来 宇吹暁 20080712
広島女学院大学教授
02 浅井基文
広島市立大学広島平和研究所長
03 伝えることと、記録することのはざまで~原爆小頭症の取材を続ける中で思うこと~ 平尾直政 RCC企画部長
04 広島の思想はなぜ国際政治を動かせないのか、動かすために我々はいかにすべきか 広岩近広 20081025
毎日新聞専門編集委員
05 ブッシュ核戦略の挫折と米新政権の課題 太田昌克 20081122
共同通信記者
06 日本核武装の幻想 そしてナガサキの平和運動 土山秀夫 20090124
核兵器廃絶ナガサキ市民会議代表
07 報道されなかったイラク戦争 ~映像で見るイラク~ 西谷文和 20090328
フリージャーナリスト、「イラクの子どもを救う会」代表
08 ひろしま―呉―イワクニ。トライアングルの視点 小野増平 20090418
広島経済大教授、元中国新聞編集局長
緊急フォーラム:アメリカの核政策~オバマ大統領のプラハ演説が意味するもの 20090425
哲野イサク(広島在住・ウェブジャーナリスト、大島寛(広島修道大教授)、佐渡紀子(広島修道大准教授)
22 詩人と医学者、歴史家が語り合う「ヒロシマからフクシマまでの道」 20110723
アーサー・ビナード、鎌田七男

 

 

 

 

 

雑誌『平和』

雑誌『平和』(1952年6月1日創刊)

編集評議員 (肩書)
柳田謙十郎 戦没学生記念会理事長
清水幾太郎 平和問題談話会
風見章 前国務大臣
上原専祿 科学者平和懇談会
中野好夫 平和問題懇談会
神近市子 婦人タイムス社長
岡三郎 日本教職員労組委員長
妹尾義郎 平和推進国民会議理事長
今中次麿 広島大学法学部長
務台理作 科学平和懇談会員
高桑純夫 科学平和懇談会員
福島要一 日本学術会議会員
淡徳三郎 日本文化人会議副議長
編集事務 西田義郎

 

目次

発行年月日 著者 タイトル
第1号~第15号の発行所:青木書店
1952
01 0601 草野信男 細菌兵器の威力-原子爆弾だけが問題なのではない
0601 足音 学者文化人の平和のための闘い
0601 教育学会平和の叫び
0601 日本平和文化賞関川秀雄氏に贈らる
0601 ”子供を守る会”の結成
0601 書評:青木書店 原爆の図(赤松俊子・丸木位里)
0601 [国立国会図書館副館長中井正一逝去(5月18日)]
0601 書評:「原爆の図」フランスで評判
02 0801 闘うジョリオ・キューリー
本郷新 平和のための美術展
峠三吉 原爆詩集「序」
03 0901 三笠宮崇仁 原爆禁止は全人類の声
正田篠枝 歌集[「さんげ」より4首]
谷本清(神戸) 談話室[関西エスペランチストのエスペラント語による「原爆の図」、「原爆の子」などの紹介]
足音 日本子供を守る会
04 1001 高橋幸八郎 国際教育者会議出席の記
長島又男 新聞・8月15日
中濃 日本で世界仏教会議
足音 国鉄労組新潟本部の平和運動 [新潟県の10ケ所で赤松俊子・丸木位利の「原爆の図」展覧会を開催。10余万の観覧者。]
05 1010 特集:朝鮮戦争の真相
原子兵器に反対する六億の意志
06 1101 編集部 [「東大生産技術研究所有志」による「アサヒ・グラフ」原爆号の英文説明書作成]、[近く岩波版「ひろしま」の英文説明書できる予定]
入江啓四郎 戦犯は釈放すべきか [「非常に不公平」、「特に例をとれば、広島や長崎の原爆である」]
中濃教篤 第2回世界仏教徒会議の陰謀 [9月25日-10月14日、日本で開催。]
文学者代表を送る会の文学準備委員 文学者代表を送る会(9月15日)の文学準備委員メッセージ [亜州及び太平洋地域平和会議に太田洋子・許南麒・檀一雄を送ることを決める。]
長田新 沈黙は共犯である-平和運動の困難点
07 1201 帆足計 広汎な平和戦線を [アジア太平洋地域平和会議準備会からの要請に応じ送られたメッセージ。「日本は世界さいしょの、二発の原子爆弾をうけた民族である」]
草野信男 平和の声 国際医師会議の禁止
ローゼンバーグ夫妻の死刑確定
小島正夫 広島で世界連邦アジア会議ひらく
大山郁夫・平野義太郎 諸国民の平和大会への呼かけ
岩村三千夫 北京会議を貫くもの
富永五郎 科学にも手が廻っている
「戦犯は釈放すべきか」に寄せて [「戦犯裁判の不公正と原爆および無差別爆撃行為を並立して、相殺論的に釈放問題を取上げることも同様に危険である」]
岩崎昶 映画また戦争外道を行く [10月17日の閣議で「原爆の子」の輸出を禁止]
小島正夫 広島で世界連邦アジア会議ひらく
足音 第13回学術会議
天野徳重 官公庁労働組合協議会の抗議 [「去る17日の閣議において文部省第1回特選映画「原爆の子」は一大蔵大臣の発言により海外への輸出禁止が決定された」]
1953
08 0101
09 0201
10 0301
11 0401
12 0410
13 0501
14 0601
15 0701
以下の発行所 青木書店
16 0901v
17 1001
18 1101
19 1201
1954
20 0101
21 0201 臨時増刊 平和巡礼 大山郁夫夫妻帰朝報告
21 0201
22 0301
23 0401
24 0501
26 0601
27 0701
28 0801
29 0901
30 1001
31 1101

日本文化人会議

日本文化人会議 1951年9月22日創立

「それぞれ専門分野を別にしながら文化活動にかかわる人々が、国内外の人々と提携して「平和」を守るために協力することを目的に結成」。破壊活動防止法制定に、戦前の「治安維持法」の再現として反対。また内灘や砂川など、米軍事基地拡張反対運動に積極的に参加。

雑誌『平和』(1952年5月 青木書店創刊。編集委員(淡徳三郎、福島要一、今中次麿、風見章、神近市子、務台理作、中野好夫、岡三郎、清水幾太郎、妹尾義郎、高桑純夫、上原専祿、柳田謙十郎)。のち、日本文化人会議の機関誌となり、編集長・中野好夫氏で大月書店より刊行。

出典:https://oisr-org.ws.hosei.ac.jp/archives/darc/bunkakaigi/

年表:この子たちの夏・夏の会

年表:この子たちの夏・夏の会

1985 07 05 朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマ・ナガサキ」(木村光一構成・演出)、全国公演始まる。
1985 07 15 朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマ・ナガサキ」(木村光一構成・演出)、中国地方公演(4市)始まる。27日広島市で上演。
1985 07 27 原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏1945、ヒロシマ・ナガサキ」(木村光一演出)、
1985 07 29 原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマ・ナガサキ」東京で上演。
1986 07 01 朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマ ナガサキ」( 木村光一構成演出) 、新潟市で上演。全国での巡演開始(5日松江市、15日尼崎市など)。
1987 07 07 朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマナガサキ」公演、青森県八戸市で開催(米子・松山・金沢東京などでも上演、8月10日まで)。
1987 07 18 原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏~1945・ヒロシマナガサキ」、中国地方での巡演開始(28日まで)。18日米子市、19日鳥取市、他。
1987 07 24 朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマナガサキ」呉市で上演。
1987 08 09 地人会、朗読劇「この子たちの夏」を水道橋アール・エヌホールで上演.
1988 07 03? 朗読劇「この子たちの夏―1945・ヒロシマ・ナガサキ」、因島市で上演(国際ソロプチミスト因島の企画)。
1988 07 11 朗読劇「この子たちの夏-1945ヒロシマ・ナガサキ」、芦屋市で上演。(7月中旬、  津市で100回公演を達成)。
1988 07 14 原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏」、佐世保市で上演。
1988 08 01 朗読劇「この子たちの夏」,金沢で上演.
1989 05 09 演出家木村光一の講演会、広島市で開催。原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏」などについて。
1989 07 16 原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏~1945 ヒロシマ ナガサキ」の中国地方での巡回公演、開始(28日まで)。17日岩国市、18日山口市、26日下関市、28日広島市。
1989 07 28 朗読劇「この子たちの夏~1945  ヒロシマ  ナガサキ」(演出木村光一)、広島市で上演。
1990 02 11? 岡山市の市民グループ、原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏」公演への参加スタッフを募集。
1990 05 20 岡山市の市民グループ、原爆をテーマにした劇「この子たちの夏」の自主上演に向けて来広、被爆者らと懇談。
1990 06 03? 演出家木村光一、原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏」の市民による上演を呼びかけ。
1990 07 03 朗読劇「この子たちの夏 1945・ヒロシマナガサキ」公演、開始(8月9日まで全国28会場で上演)。
1990 08 04 広島市の市民グループ、朗読劇「この子たちの夏」を自主上演。
1990 08 05 広島市のノートルダム清心高校手話部・演劇部、朗読劇「この子たちの夏」を自主上演。
1991 04 01 習志野市の英語学習サークルのメンバーら、来広し、平和学習。原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏」上演に備えての事前学習。
1991 05 29? 山口県の長門大津原爆友の会や一般市民、8月5日に自主上演する「この子たちの夏」の練習を開始。
1991 07 06 朗読劇「この子たちの夏」(地人会)、岡山市で公演。8月9日まで全国各地を巡演。
1991 07 08 原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏」、佐賀市で上演。13日まで九州公演、8月9日まで全国を巡演。
1991 07 27 「親子平和学習のつどい’91この子たちの夏-ヒロシマ・沖縄」、広島市の婦人教育会館でで開催(約50人が参加)。同会館で活動している市民グループが主催。朗読劇などを上演。
1991 08 03 瀬戸市内の主婦ら、朗読劇「この子たちの夏」を同市で上演。
1992 03 05 岡山県井笠主婦ら、朗読劇「この子たちの夏」を笠岡市での再上演を計画。
1992 03 16 広島市・亀崎小学校PTAの朗読サークル「きょうちくとう」、同校の5・6年生を対象に原爆朗読劇「この子たちの夏1945ヒロシマ」を上演。
1992 08 06 地人会、朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマ・ナガサキ」を東京・有楽町朝日ホールで公演。-9日。
1993 07 19 地人会、朗読劇「この子たちの夏」を米子市で上演。26日には尾道で。
1993 08 01 松江市の主婦ら、朗読劇「この子たちの夏」を上演。
1993 08 05 広島市の主婦でつくる朗読の会「はまゆう」、地人会の台本「この子たちの夏」の抜粋を広島市祇園西公民館で公演。7日には矢野公民館で。
1993 08 07 地人会、朗読劇「この子たちの夏」を広島市婦人教育会館で上演。
1994 07 18 地人会、朗読劇「この子たちの夏1945・ヒロシマ・ナガサキ」を広島市内で上演。
1994 07 30 広島市倉掛公民館で平和について考える市民の集い。朗読劇「この子たちの夏」を上演。
1994 08 06 朗読劇「この子たちの夏」、東京・有楽町の朝日ホールで上演。-9日。
1994 08 11? 滋賀県長浜市の「この子たちの夏」の実行委員会、7月13日の公演の収益の一部を広島の朝鮮人・韓国人被爆者団体に寄付。
1994 09 03 大阪府豊中市立刀根山小学校の6年生児童・母親・教師、朗読劇「この子たちの夏」を同校体育館で上演。
1995 07 30 広島女学院、被爆50周年記念事業として「地人会」の朗読劇「この子たちの夏」を同学院ゲーンスホールで上演。
1995 07 24? 福岡市原爆被害者の会、地人会の「この子たちの夏」の上演会を市立少年科学文化会館で開催。約700人が参加。
1995 08 01 「徹子の部屋」(朝日系)で日色ともえが朗読劇「この子たちの夏」について語る。
1995 08 06 岡山県・里庄町立図書館で朗読ボランティアによる朗読劇「この子たちの夏」の上演。
1996 08 06 地人会、朗読劇「この子たちの夏」を東京・有楽町朝日ホールで上演。-9日。
1998 07 14 地人会、朗読劇「この子たちの夏・1945ヒロシマ・ナガサキ」を長崎市内で上演。
1998 08 06 地人会、朗読劇「この子たちの夏1945・ヒロシマナガサキ」を東京有楽町・朝日ホールで上演。-9日。
1998 08 12? 岡山県・井原市立図書館で朗読劇「この子たちの夏・1945・ヒロシマ・ナガサキ」を上演。
1999 07 20 長崎新聞「時の顔:日色ともえさん-朗読劇「この子たちの夏」にことしも出演する女優-原爆の実態訴え続ける」
1999 07 26 中国新聞「この人:日色ともえさん-朗読劇「この子たちの夏」に今年も出演する女優」
1999 08 06 地人会、朗読劇「この子たちの夏」を東京・有楽町朝日ホールで上演。-9日。
2000 08 06 地人会、「この子たちの夏」を東京・有楽町朝日ホールで上演。-9日。
2000 08 06 「この子たちの夏」朗読会、北海道・苫小牧市で開催。約40人が参加。(北海道新聞)
2000 08 09 ABCテレビ「徹子の部屋」に朗読劇「この子たちの夏」の出演者、日色ともえ、山田昌、長内美那子が出演。
2003 08 02 地人会、朗読劇「この子たちの夏」を広島市内で上演。
2007 朗読劇「この子たちの夏」の全国公演を続けた演劇制作集団「地人会」解散。
2008 03 朗読劇「この子たちの夏」の出演者たちが「夏の会」を結成。新たな台本で活動を再開。
2009 07 10 「夏の会」、原爆朗読劇「夏の雲を忘れない 1945・ヒロシマ ナガサキ」を広島県廿日市市で上演。県内での公演は初。11日は福山市。
2010 11 07 第22回谷本清平和賞(主催:財団法人ヒロシマ・ピース・センター)授賞式。受賞者は、「夏の会」
2012 07 14 「夏の会」、原爆朗読劇「夏の雲を忘れない ヒロシマ ナガサキ1945」を広島市佐伯区で上演。
2013 07 12 なぎさ中学校(広島市佐伯区)、「夏の会」を招き、原爆朗読劇を観劇。
2018 07 06 「夏の会」、原爆朗読劇を広島市内で上演。