日本の戦争責任センター<作成中>
発足 | 1993年4月 |
出版物 | |
季刊 戦争責任研究 | |
Let’s(日本の戦争責任センター会報) | |
ホームページ | http://japanwarresp.g1.xrea.com/ |
止
日本の戦争責任センター<作成中>
発足 | 1993年4月 |
出版物 | |
季刊 戦争責任研究 | |
Let’s(日本の戦争責任センター会報) | |
ホームページ | http://japanwarresp.g1.xrea.com/ |
止
報告書作成の趣旨について
日本弁護上連合会は、広島・長崎における原子爆弾被爆者のおかれた状態を、かねてから我が国の重要な人権問題として重視し、本連合会の総会・人権擁護大会において宣言・決議を数度にわたっておこない、会の内外に対して被爆の惨害と被爆者の人権救済のため援護法の立法措置をはじめ、その対策の充実の必要性をうったえてきた。昭和五二年六月には.人権擁護委員会内に設置された被爆者間題調査委員会の数年にわたる事実調査ならびに法理研究の成果にもとずき「被爆者問題調査報告書」を発表し.これを政府・政党をはじめ各界人士におくって、被爆者援護の前進と充実をうったえた。また、法律実務家の集団として、自発的あるいは需めに応じて被爆者援護のためにいささかではあるが努力してきた。
その後幸いにして、被爆者諸士の努力と国民の支持によって、この援護運動は発展し、昭和五二年七月には、東京・広島・長崎において、NGO被爆者問題シンポジウムがひらかれ、被爆の実相と被爆者の実情か国際的協力のもとにあきらかにされ、この結果は五〇〇人の人たちによって.一九〇〇万の核兵器反対の署名とともに翌五三年六月ニューヨークでひらかれた国際連合軍縮特別総会に送られて、核兵器の脅威と被爆の悲惨が全世界の
人びとにうったえられた。被爆者対策強化の必要性は.政府・国会関係名をうごかし.本年一月、社会保障制度審議会は、「政府において、原子爆弾の特殊性にかんがみ、専門家による権威ある組織を設け、昭和五三年三月の最高裁判所の判決の趣旨をふまえて、速やかに、この問題に関する基本理念を明確にするとともに、現行二法の再検討を行うべきである」との答申をなし、同年四月二五日衆議院社会労働委員会が原爆特別措置法の一部改正案を採決するにあたって、右の答申と同旨の内容を一年以内に実現すべきこととともにその具体的改善策を示した付帯決議をした。政府は、これらをうけて五月には各界有識者七名からなる原爆被害者対策基本問題懇談会を厚生大臣の私的諮問機関として設置し、同委員会は、すでに審議を開始し、明年遅くない時期にその結論がでることが期待されている。
日本弁護士連合会は、これらの情勢にかんがみ、右の報告書発表後の研究ならびに実行の成果をいかし、人権擁護をその任務とする全国弁護士の団体として.この際その見解をあらためて世に問い、被爆者援護の前進に寄与すべきものであるとする見地に立って本年七月人権擁護委員会内に「被傷者援護法に関する調査研究委員会」を設置し、その調査研究を開始した。
この報告書は、その結果であり、前回の報告書の発表後の裁判例はじめ情勢の発展に即して、それを補充し、また調査が不足であった点を補ったものであり。それと一体とし読まれるべきものである。もとより、短時日の間にまとめられたものであるから、これまでの成果をふまえられているとはいえ、少なからぬ補強もしくは訂正されるべき点も含まれていると思われるが、これらは各界の教示と運動の発展によって直されるものと思料するものである。
本報告書作成の経過と目的をあきらかにして。はじめの言葉とする。
昭和五四年一二月一五日
江尻 平八郎 | 日本弁護士連合会会長 |
竹澤 哲夫 | 同人権擁護委員会委員長 |
尾崎陞(東京) | 同被爆者援護法に関する調査研究委員会委員長 |
根本孔衛 | 副委員長(横浜) |
池田真規 | 委員(東京) |
椎名麻紗枝 | 委員(東京) |
内藤雅義 | 委員(東京) |
西島勝彦 | 委員(東京) |
安原幸彦 | 委員(第二東京) |
樋口芳包 | 委員(広島) |
相良勝美 | 委員(広島) |
横山茂樹 | 委員(長崎県) |
出典:『被爆者援護法に関する報告書』(日本弁護士連合会、19741215)
止
日本弁護士連合会被爆者援護法に関する報告書
発行年月日 | |||
19741215 | 被爆者援護法に関する報告書 | ||
19850621 | 被爆者援護法に関する第二次報告書 | ||
199003 | 被爆者援護法に関する第三次報告書 | ||
ヒロシマ関連資料一覧
長崎原爆の戦後史をのこす会 2013年発足
サイト:
資料
資料名 | |||
原爆後の75年 長崎の記憶と記録をたどる | 長崎原爆の戦後史をのこす会編、書肆九十九合同会社刊、 | 20210831 | |
止
『花には太陽を子どもには平和を 子どもを守る運動の50年』(日本子どもを守る会、新評論、20020517)
内容
部 | 章 | 事項(著者) | 備考 |
まえがき | |||
1 | 子どもを守る運動の50年(編集担当・中野光)3 | ||
プロローグ その時、子どもたちは(中村博)4 | |||
1 | 「日本子どもを守る会」の誕生(中野光)15 | ||
長田新と『原爆の子』(長田五郎)29 | |||
2 | 子どもの生活現実と子どもを守る運動の発展(中野光)33 | ||
羽仁説子と〈子どものしあわせ〉(菅間きみ子)44 | |||
3 | 「高度成長」、「人づくり」政策と子どもたち(川合章)48 | ||
その時子どもを守る会は-一九六〇年代(小森香子)59 | |||
4 | 沖縄の子ども(丸木政臣)63 | ||
その時子どもを守る会は-一九七〇年代(小森香子)74 | |||
5 | 原爆瓦と高校生の平和運動〈学び・調べ・アピールする〉(森田俊男)78 | ||
その時子どもを守る会は一一九八○年代(森洋子)88 | |||
6 | 人間形成の「危機」と生き方への問いの芽生え(田中孝彦)93 | ||
子どもの非行と向き合って 一家裁少年係調査官三十余年の経験から(浅川道雄)102 |
|||
7 | 子どもの権利条約の実現をめざして(喜多明人・増山均・三宅良子)106 | ||
日本子どもを守る会と私大田尭に聴く(森洋子)118 | |||
エピローグ いまを子どもとともに生きる(中野光)122 | |||
記念論文 | |||
児童憲章から子どもの権利条約へ(堀尾輝久)127 | |||
手塚治虫から見た子どもの文化五〇年(石子順)140 | |||
日本の子どもの〃からだ”の変遷と未来(正木健雄)151 | |||
2 | 子どもを守る運動の回想(編集担当・長田五郎)161 | ||
岡三郎162/槙枝元文163/山下正子164/宮原喜美子168/浦辺史171/鷲谷善教173/来栖良夫175/曽根喜一178/横川嘉範179/杵淵智子181/ 西田喜代子182/一番ヶ瀬康子185/小川利夫188/友枝宗正190/大槻健191/ 北田耕也193/藤岡貞彦195 |
|||
3 | 地域子どもを守る会のあゆみ(編集担当・菅間きみ天菊地好江)199 | ||
1 | いつも子どもといっしょに202 | ||
熊野(池田むつみ)202/東京・板橋(田辺栄子)204/東京・武蔵野(福長笑子)205/ふじさわ(永山園子)207/紀南(勝田善二郎)208/京都・京都連(関谷美奈子)209 | |||
2 | ネットワークづくりの運動213 | ||
横浜(岡田イチ子)213/東京・大田(江口さつき)215/つるおか(塩野俊治)217/福島(佐藤芳男)218/宮城(芳賀直義)220/神戸(田中明子)221/東京・富十見(寺沢和子)222 | |||
3 | この地に子どもの文化を224 | ||
札幌(岩渕隆吉)224/福岡(高橋純一)225/東京・品川(加藤卓郎)227/弘前(佐藤豊彦)228/とちぎ(増渕充)230/盛岡(吉田六太郎)231/長野(小林啓子)232 | |||
4 | 戦争と平和234 | ||
広島(長田五郎)234/沖縄(古堅芳子)236 | |||
4 | ともに歩んだ仲間たちから(編集損当・森洋 )239 | ||
加盟団体240 | |||
親子映画東京連絡会(太田禮三脚/家庭科教育研究者連盟(丸岡玲子)241/クルマ社会を問い直す会(杉田久美子)242/芸術教育研究所(多出千尋)243/子どもの権利.教育.文化全国センター(三宅良子)244/障害者の生活と権利を守る全国連絡協議会(吉本哲夫)245/少年少女組織を育てる全国センター(岩橋能)246/新日本医師協会(平田宏子)248/新日本の婦人の会(井上美代)249/数学教育研究会(上村浩郎)250/全司法労働組合(井上博道)251/全日本教職員組合(松村忠臣)252/東京都教職員組合(石川二郎)254/日本演劇教育連盟(佐々木博)255/日本高等学校教職員組合(岡田愛之助)256/日本子どもの本研究会(鈴木喜代春)258/日本児童文学者協会(藤田のぼる)258/日本母親大会連絡会(木村康子)259 | |||
友誼団体260 | |||
全国学童保育連絡協議会(真田祐)260/全国障害者問題研究会(永野幸雄)261/全国保育団体連絡会(上野さと子)262/全国幼年教育研究協議会(岩橋雅子)263/日本民間教育研究団体連絡会(池上正道)265/日本婦人団体連合会(守谷武子)266/歴史教育者協議会(石山久男)267 | |||
5 | 第5部資料・年表(作成・金子臭菅間きみ子)269 | ||
「日本子どもを守る会」の出版物270 | |||
地域『子ども白書』一覧271 | |||
『子ども白書』と特集テーマ272 | |||
『児童問題研究』総目次279 | |||
子どもを守る文化会議のあゆみ282 | |||
年表・子どもを守る運動の50年(作成・森洋子)335 | |||
あとがき336 | |||
英文もくじ339 | |||
編纂委員一覧340 | |||
『水を風を光を 日本YWCA80年1905-1985』(日本YWCA80年史編集委員会、日本キリスト教女子青年会、1987/05/25)
内容
章・節 | 見出し | 備考 |
序にかえて」 | ||
1章 | 日本にYWCAが生まれるまで1900~1905年 | |
1 | YWCA運動のはじまり | |
「ミッションの世紀」の推進力 女性解放思想の展開 英国YWCAができるまで 米国YWCAの歩み学 生YWCAの誕生 世界YWCAの創設 |
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1 | YWCA運動のはじまり | |
「ミッションの世紀」の推進力 女性解放思想の展開 英国YWCAができるまで 米国YWCAの歩み学 生YWCAの誕生 世界YWCAの創設 |
||
2 | 世界YWCAの記録に残る日本 | |
宣教師たちの活躍 世界YWCA初代総幹事レイノルズ来日 「日本のバーミンガム」にYWCAを 世界YWCA、初の幹事派遣 |
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3 | 日本国内でも気運たかまる | |
創立委員会の結成 キャロリン・マクドナルド、日本の土を踏む 機関誌「明治の女子』創刊 公私立の女学校に種をまく 東京YWCA発会式を挙行 会則をつく |
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2章 | 創設期の息吹き一九〇六~一九一二年 | |
1 | 夏期修養会始まる | |
シルヴァ・ベイの出会い 修養会実現へ向けて 第一回修養会の感動 |
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2 | 東京YWCAの活動始まる | |
寄宿舎事業に着手 エマ`カフマンの来日 |
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3 | 学生YWCA運動の発展 | |
世界の学生キリスト者との交わり キリストに在りてひとつ 学生YWCAの組織化すすむ |
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4 | 日本人女性としての目覚め | |
4 日本人女性としての目覚め 54 河井道子の訪欧 日本のYWCAは日本人の手で |
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3章 | 社会的関心への目覚め19391924年 | |
1 | 働く女性たちとともに | |
女工への働き 看護婦への働き 職業婦人への働き |
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2 | 実践への意欲にもえる | |
修養会の発展 さかんな聖書研究会 「旅行者の友」事業始まる 「最も小さい者のために」幹事餐成に力を入れる |
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3 | 第一次世界大戦とYWCA | |
戦争の悲惨につき動かされる 露国児童救済 移民女性のために マクドナルドの辞任 シベリア慰問事業 |
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4 | 関東大震災から富士岡荘建設まで | |
幹事養成科始まる 「平和博」に婦人休憩所をおく 二つの募金 関束大農災 月島事業 森の中の富士岡荘 |
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5 | 市YWCA次つぎに誕生 | |
横浜YWCA大阪YWCA神戸YWCA京都YWCA外国人幹事の働き在米日本人YWCA | ||
4章 | 建設時代へ1925~1936年 | |
1 | 第一回全国総会を開く | |
「光によって光をみる」河井道子の辞任 学生会員の資格問題 全国幹事会の歩み |
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2 | 女子労働問題と取りくむ | |
「女工哀史」の時代 名古屋インダストリアル・センター 「友の家」活動から名古屋YWCAへ 婦人労働問題に関する調査 農村へ、海浜へー友の家夏のプログラム 各市YWCA有職婦人部の働き 全国で労働週間を守る 大阪YWCA、夜間女学校を開校 |
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3 | 暗雲が近づく中での国際活動 | |
日中関係の窓口として 国際会議へ代表を送る 学生YWCAとSCM運動 平和への願いをこめて 世界総会の開催地、中国に決まる 世界総会延期1ひろがる暗雲 第五回全国総会-世界YWCA会長、総幹事を迎えて「青年の 平和への願い」ー学生部 セイロン会議でのわかちあい 創立三〇周年を迎える |
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5章 | 戦時下、苦悩の時代1937~1945年 | |
1 | なお平和への道を求めて | |
「非常時局」を迎える 世界の友人たちの励まし 国際晩餐会で平和を考える 農村婦人の問題を取りあげる 第七回全国総会「婦人の地位と貢献」研究会 エキュメニズムヘの強い関心 国際会議に代表を送る |
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2 | キリスト教団体としての模索 | |
戦時下最後の第八回全国総会 戦時下の修養会 戦時下の市YWCAのうごき 窓が閉ざされてゆく中で |
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3 | 戦局拡大に耐える | |
全国代表者会 青年会員の動員始まる 中国に幹事を派遣 上海のYWCA設立 きびしい試練の中で 幹部錬成会 動員体制に組みこまれる |
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4 | ウッズモール訪日報告 | |
日本への道 日本YWCAの全般的情況 |
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6章 | 敗戦から立ち上がる1945~1952年 | |
1 | YWCAの使命を再確認 | |
建物のほとんどすべてを失う 戦後初めての欝任委員会「万国祈祷週」を守る 『女性新聞」発刊 女教師研究会を開く 再出発した中央委員会 植村環、平和使節として渡米<> 世界の友とのきずな |
||
2 | 新鮮な世界の風を送り込む | |
世界の指導者を迎え、戦後初の総会 世界婦人円卓会議 物心両面の惜しみない援助 学校YWCA再組織と修養会の復活 YWCAと社会的責任 かけがえのない指導者を喪う |
||
3 | 全国にひろがるYWCA | |
会館をもたない市YWCA第1号-湘南YWCA 農村にYWCAを!西遠グループ 教師研究会と植村報告会から生まれたYWCA ジーン・ベッグと呉YWCA 幼児教育で新分野を開拓 |
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4 | 新しい全国運動をめざして | |
機関紙「YWCA』の創刊 | ||
平和への道を!青年フォーラム開く | ||
新民法と女性の地位に目を向ける | ||
7章 | こだまする平和を求める声1953~1960年 | |
1 | 新たな希望を抱いて進む | |
今こそYWCAが働くとき ギフト`ショップと国際交流-横浜YWCA 大阪YWCAユースセンター 京都YWCA西陣センター設立 名古屋YWCA、伊勢湾台風救援活動 神戸YWCA生活部 肢体不自由者水泳を開始-東京YWCA |
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2 | 平和を希求するキリスト者女性の声、世界に | |
第五福竜丸事件と原水爆禁止の訴え 創立五〇周年を祝う 女の一生健康展 ブルソナ 博士講演会の感動 記念式典と第一二回全国総会 世界総会「平和に関する声明」採択 光をみようーアジア婦人会議開く |
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3 | つよまる全国運動 | |
初の全国会員会議を開く BGセミナーの歩み マザース・カレッジ開講 |
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4 | 平和憲法を守るために | |
教育二法案に憂慮 警職法改正に反対の声をあげる 安保改定問題とYWCAの姿勢 各市、学校YWCAで署名運動 米国YWCAへのアピール |
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8章 | 変革への力となるために1961~1970年 | |
1 | 新陣容で明日の社会をめざす | |
「人間の尊重」を掲げる 「平和のとりで」全国で上演 「キリスト者と憲法」研究会始まる 核実験再開に警鐘 波紋をなげるー世界総会で問題提起 平和を願い地道な努力 歴史を担う青年の課題-全国青年会議 「時を知る」ー 歴史責任を問い直す |
||
2 | 世界ファミリーの一員として | |
世界YWCA相互援助プログラムに参加 リーダーを送り出す アフリカヘの道「留学生の母親」連動始まる |
||
3 | 転換期のただ中に立つ | |
試されたYWCAの姿勢 YWCAの革新 「会員資格問題」と会則改正 会員問題の経過 新しい決断の総会 会則改正とその後 学生YWCAの解体 中高YWCAの再編 |
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9章 | 核時代における平和を求めて1971~1985年 | |
1 | 「核」否定の思想に立つ | |
「ひろしまを考える旅」始まる 中高生「ひろしまを考える旅」 「核」否定を会員運動に―第8回総会 「核」否定の思想に立つ アジアの中の日本-全国幹部委員研修会 「原爆の図」の前で 「ひろしま」を世界的視野でとらえる 全国各地で原爆絵画展開く |
||
2 | 国内、国外でひろがる運動の輪 | |
地方都市に新しいYWCA誕生 「核」否定、世界総会の議題に 70周年を迎える 消費文明から心の文明へ 被爆問題国際シンポジウムに協力 軍備増強に反対の声をあげる |
||
3 | ともに生きる世界を求めて | |
3 ともに生きる世界を求めて 410 世代をこえた出会い―会員会議 「この日…新しく」 ひとつになった平和への若い力-国際青年プログラム 「ひろしま」を若い心にうけとめる 六日間の野尻キャンプ YWCA全国募金始まる 青年層とともに シンガポール世界総会と青年会議 世界YWCAユース・コーディネーター来日 日本YWCAユース・コーディネーター誕生 生命を選ぶー80周年記念プログラム |
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付章 | 資料 | |
日本YWCA声明、要望書 日本YWCA会則 全国総会一覧 憲法研究会一覧 加盟YWCA、中高YWCA |
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あとがき | ||
『広島損害保険史』(荒谷輝雄編、保全社、19561225印刷)
内容<作業中>
章節 | |||
1 | 前史 | ||
2 | 損害保険統制会中国支部時代 | ||
3 | 戦争保険 | ||
4 | 被爆都市の損害 | ||
5 | 原爆と戦争保険会 | ||
6 | 原爆犠牲社員 | ||
3 | 日本損害保険協会広島地方委員会時代 | ||
4 | 戦後の広島市 | ||
5 | 各社広島支店の発展 | ||
6 | 全日本損害保険労働組合広島地方協議会時代 | ||
7 | 損害保険代理業協会 | ||
8 | 各種災害共済保険 | ||
付録 | |||
保全社の生立 | |||
日本損害保険協会広島地方協議会友愛碑
撮影日:2019年8月6日 |
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撮影日:2018年8月6日 |
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日本ペンクラブ歴代会長<出典:https://japanpen.or.jp/about/>
代 | 会長名 | 在任期間 | 備考 | |
初 | 島崎藤村 | 1935~1943 | ||
1935年(昭和10年) 外務省の文化事業部関係者と国際文化振興会の斡旋により、11月26日に創立総会を開催。初代会長に島崎藤村、副会長に有島生馬、堀口大學、主事に勝本清一郎、会計主任には芹沢光治良が就任。当時の会名は「日本ペン倶楽部」。事務所を銀座西8丁目の日吉ビルに設置。 |
||||
02 | 正宗白鳥 | 1943~1947 | ||
03 | 志賀直哉 | 1947~1948 | ||
1947年(昭和22年)2月、旧メンバーを含む文化人多数の手によって「日本ペンクラブ再建大会」を開催。「日本ペンクラブ」の名称や新規約を定め、第3代会長に志賀直哉、副会長に辰野隆、幹事長に豊島与志雄を選出。 | ||||
04 | 川端康成 | 1948~1965 | ||
1948年(昭和23年)6月、第20回国際ペン・コペンハーゲン(デンマーク)大会で日本ペンクラブの国際ペン復帰が承認される。同6月、第4代会長に川端康成が就任。 | ||||
19491126 | 川端康成らヒロシマを訪問(『中国新聞』) | |||
19500415 | 日本ペンクラブ主催「広島の会」。於広島市(『中国新聞』) | |||
1950年 (昭和25年)8月、第22回国際ペン・エジンバラ(イギリス)大会に代表阿部知二、北村喜八を派遣。 | ||||
19510401 | 日本ペンクラブ月例集会。故原民喜の詩碑建設案が提案される。(『中国新聞』) | |||
1951年(昭和26年)6月、第23回国際ペン・ローザンヌ(スイス)大会に代表芹沢光治良、石川達三を派遣。オブザーバー池島信平が参加。 | ||||
19510713 | 原民喜詩碑建立。 | |||
19510921 | 日本ペンクラブ、米文化評論誌に翻訳・掲載される日本の戦後文学作品として原民喜「夏の花」など12作品を推薦(『中国新聞』) | |||
1952年(昭和27年)6月、第24回国際ペン・ニース(フランス)大会に代表小松清、丸岡明を派遣。オブザーバー田村泰次郎、平林たい子らが出席。 | ||||
1953年(昭和28年)3月、ペン『会報』再刊第1号を発行。6月、第25回国際ペン・ダブリン(アイルランド)大会に代表平松幹夫、真杉静枝を派遣。オブザーバー火野葦平、米川正夫が出席。 | ||||
1956年(昭和31年)3月、評議員会で国際ペン大会東京招致を正式に決定。4月、ロンドンの国際ペン執行委員会に代表松岡洋子を派遣。7月、第28回国際ペン・ロンドン(イギリス)大会に小牧近江、松岡洋子を派遣。オブザーバー佐藤朔、田村泰次郎が出席。同大会で第29回国際ペン東京大会開催が満場一致で可決。9月、年次総会で組織を社団法人に改め、会長に川端康成、副会長に青野季吉、芹沢光治良、専務理事に立野信之、事務局長に松岡洋子が就任。 | ||||
1957年(昭和32年)4月、社団法人認可。ロンドンの国際執行委員会に川端康成、松岡洋子を派遣。9月2日?8日、第29回国際ペン東京大会を東京と京都で開催。26カ国30センターから代表者171名、日本ペン会員208名が参加。日本代表は桑原武夫、高見順。 | ||||
1958年(昭和33年)3月、川端康成が国際ペン副会長に選出される。9月、パリの国際執行委員会に伊藤整と滞欧中の今日出海を派遣。 | ||||
1959年(昭和34年)7月、第30回国際ペン・フランクフルト(ドイツ)大会に代表高橋健二、西村孝次を派遣。ゲスト・オブ・オナーに芹沢光治良。 | ||||
1960年(昭和35年)6月、日米新安保条約の批准承認に対する抗議声明を発表。7月、リオデジャネイロとサンパウロ(ブラジル)で開かれた第31回国際ペン大会に代表大和資雄、湯浅克衛を派遣。ゲスト・オブ・オナーに川端康成。 | ||||
1965年(昭和40年)5月、「ベトナムにおける事態を憂うる」声明を発表。10月、川端康成が会長辞任。後任に芹沢光治良を第5代会長に選出。 | ||||
05 | 芹沢光治良 | 1965~1974 | ||
1965年(昭和40年) 10月、川端康成が会長辞任。後任に芹沢光治良を第5代会長に選出。 |
||||
1967年(昭和42年)3月、『日本ペンクラブ三十年史』刊行。 | ||||
1968年(昭和43年)12月、川端康成がノーベル文学賞を受賞。 | ||||
1970年(昭和45年)6月、第37回国際ペン・ソウル(韓国)大会に阿川弘之、平林たい子を派遣。ゲスト・オブ・オナーに川端康成、草野心平。大会テーマ「文学におけるユーモア―東と西」。アジア作家会議(台北)開催。団長立野信之、他11名が参加。ゲスト・オブ・オナーに川端康成。テーマ「今日のアジアの作家たちが直面している問題」。 | ||||
06 | 中村光夫 | 1974~1975 | ||
1974年(昭和49年)2月、作家ソルジェニーツィン逮捕に対し、即時釈放を求める抗議電報をソ連政府などに打電。7月、金芝河の減刑要請のため藤島泰輔、白井浩司、井口順雄事務局長を韓国へ派遣。記者会見における藤島発言に端を発したジャーナリズムの日本ペン批判、退会者相次ぐ。8月、緊急理事会で藤島発言は個人的見解と発表。9月、緊急理事会で事態収拾のための再建委員会(委員長石川達三)発足を決定、全理事辞表を提出。10月、再建委員会による理事選挙。臨時総会で定款改正、理事改選を承認。11月、新理事会で第6代会長に中村光夫、副会長に山本健吉、桑原武夫、専務理事に佐伯彰一、常務理事に杉森久英、土岐雄三を選任。 | ||||
07 | 石川達三 | 1975~1977 | ||
1975年(昭和50年)5月、石川達三を第7代会長に選出。 | ||||
08 | 高橋健二 | 1877~1981 | ||
1977年(昭和52年)1月、韓国の詩人、金芝河の実刑判決に対する声明を発表。5月、ハンブルクの国際執行委員会に高橋健二を派遣。7月、第8代会長に高橋健二を選任。副会長に杉森久英、田辺茂一、中屋健一、専務理事に土岐雄三、常務理事に井上ひさし、早乙女貢を選任。12月、第42回国際ペン・シドニー(オーストラリア)大会に代表越智道雄、袖井林二郎を派遣。ゲスト・オブ・オナー中屋健一。大会テーマ「文学、アジアとヨーロッパ文化のかけ橋」。韓国で投獄されている金芝河の窮状について深い憂慮を表明するステートメントを発表。 | ||||
09 | 井上 靖 | 1981~1985 | ||
1981年(昭和56年)5月、第9代会長に井上靖を選出。副会長に桑原武夫、杉森久英、中村光夫、専務理事に巌谷大四、常務理事に早乙女貢、三好徹を選任。7月、「教科書検閲に抗議の声明」を発表。 | ||||
1984年(昭和59年)4月、年次総会で会員数が1000名を超えたことを報告。5月14-18日、新宿京王プラザホテルで第47回国際ペン東京大会開催。参加センター45、海外から参加219名、日本ペン会員参加351名、一般参加53名。テーマ「核状況下における文学―なぜわれわれは書くのか」。代表者会議で核兵器の廃絶についての決議案ほか可決。 | ||||
1985年(昭和60年)3月3日、東京において第1回「平和の日」の集い開催(以後、毎年開催)。5月、ブレドの国際ペン平和委員会に井出孫六、小中陽太郎を派遣。 | ||||
10 | 遠藤周作 | 1985~1989 | ||
1985年 6月、第10代会長に遠藤周作を選出。11月、日本ペンクラブ創立50周年記念「ペンの日」懇親会開催。12月、国際ペン東京大会の論集『文学者の声’84』を刊行。 | ||||
1987年(昭和62年)11月、『日本ペンクラブ五十年史』刊行。 | ||||
11 | 大岡 信 | 1989~1993 | ||
1989年(平成元年)4月、第11代会長に大岡信を選出。副会長に梅原猛、大江健三郎、大庭みな子、専務理事に尾崎秀樹、常務理事に高田宏、三好徹を選任。 | ||||
1990年(平成2年)1月、緊急理事会で「長崎市長狙撃事件に対する抗議声明」発表。 | ||||
12 | 尾崎秀樹 | 1993~1997 | ||
1993年(平成5年)4月、第12代会長に尾崎秀樹を選出。副会長に梅原猛、大江健三郎、大庭みな子、三好徹、専務理事に早乙女貢、常務理事に井出孫六、小中陽太郎を選任。7月、「教科書検定に関する声明」発表。8月、臨時理事会を開催。韓国出身慰安婦に関する韓国ペン書簡への対応を討議、謝罪と今後の対応を慎重にする旨の書簡を会長名で韓国ペン会長宛に送付。 | ||||
1995年(平成7年)1月、「差別表現」に関する公開研究会を開催。テーマ「放送界における用語規制の実態」。2月、理事会において「阪神淡路大地震」の被災会員に対する2年間の会費免除を決定。3月、第11回「平和の日」広島の集いを開催。7月、フランスの「核実験再開に対する声明」を発表。 | ||||
13 | 梅原 猛 | 1997~2003 | ||
1997年(平成9年)4月、第13代会長に梅原猛を選出。副会長に井上ひさし、加賀乙彦、三好徹、専務理事に小中陽太郎、常務理事に下重暁子、辻井喬、眉村卓を選任。 | ||||
1998年(平成10年)2月、「イラク危機に対する声明」発表。3月、5月、「諫早湾干拓の現状」を視察(梅原猛、加賀乙彦、小中陽太郎、下重暁子ほか)。「インドの核実験に対する声明」、「パキスタンの核実験に対する声明」発表。9月、第1回「文学の夕べ(作家が語る作家)」開催(月1回、1年間)。「アメリカの未臨界実験に対する声明」発表。11月、「ロシアおよびアメリカの未臨界実験に対する声明」発表。12月、「イラクへの武力行使に抗議する声明」発表。 | ||||
1999年(平成11年)7月、「国旗国歌の法制化についての意見書」を発表。 | ||||
2000年(平成12年)1月、「公安調査庁の日本ペンクラブ等に対する調査監視への抗議と要求」を発表。2月および3月、「アメリカの未臨界核実験に対する声明」を発表。9月、「ロシアの未臨界核実験に対する声明」を発表。 | ||||
2001年(平成13年)12月、9・11テロとその報復としてのアフガニスタン侵攻を機に、講演会「いま『戦争と平和』を考える」を開催。 | ||||
2003年(平成15年)1月、講演会「いま『戦争と平和』を考える」開催。3月、「アメリカ、イギリスのイラク攻撃に抗議する緊急声明」を発表。 | ||||
14 | 井上ひさし | 2003~2007 | ||
2003年(平成15年)4月、第14代会長に井上ひさしを選出。副会長に下重暁子、中西進、眉村卓、専務理事に阿刀田高、常務理事に新井満、高橋千劔破、米原万里を選出。5月、「今回の米英軍等によるイラク攻撃について国連に対して実態調査をするよう要請する」書面をアナン国連事務総長宛に送付。11月、「自衛隊のイラク派遣に反対する声明」を発表。12月、女性作家委員会シンポジウム「女性と戦争Ⅱ―心の『教育』をめぐって」を開催。 | ||||
2006年(平成18年)10月、「北朝鮮の核実験に反対して、関係諸国に非核兵器地帯の拡大を訴える」声明を発表。 | ||||
15 | 阿刀田高 | 2007~2011 | ||
2007年(平成19年)5月、第15代会長に阿刀田高を選出。副会長に下重暁子、中西進、眉村卓を再任。専務理事に浅田次郎、常務理事に新井満、高橋千劔破、西木正明、堀武昭、松本侑子、吉岡忍を選任。 | ||||
2009年(平成21年)5月、「北朝鮮の核実験に抗議する声明」を発表。 | ||||
16 | 浅田次郎 | 2011~2017 | ||
17 | 吉岡 忍 | 2017~ | ||
『人間にあしたあれ 日本国際法律家協会の30年』(日本国際法律家協会編、勁草書房、19871110)
内容
頁 | 項目 | 著者 | 備考 |
口絵 | |||
第1回アジア法律家会議(1955年1月)、カルカッタ | |||
創立総会(19570427) | |||
<以下未入力> | |||
すぐれて主体的になるために―「序」にかえて | 沼田稲次郎 | ||
001 | 第1部 創立のころ 回想の国際会議 | ||
002 | 国際法協の創生期 | 渡辺卓郎 | |
「1957年4月17日、虎ノ門の霞山会館で創立総会 | |||
003 | |||
011 | 大阪支部の初期の活動について | 石川元也 | |
013 | さまざまに30年-小野清一郎先生のことにもふれて | 中田直人 | |
018 | カルカッ夕会議と法律家の国際運動 | 松井康浩 | |
022 | 回想のコナクリ会議 | 江藤价泰 | |
027 | |||
032 | 随想的懐想的国屎法律家連帯運動組織論序説 | 石島泰 | |
040 | 国法協との25年-コナクリ会議を中心として | 尾崎陞 | |
045 | 第2部 反核 平和 人権の旗をかかげて | ||
046 | 遥かなラッセル法廷 | 森川金寿 | |
051 | 国際人道法サンレモ円卓会議 | 宮崎繁樹 | |
054 | |||
061 | 反核・平和と国際連帯-ヨークーフォーフムヘの参加をふりかえって | 吉岡幹夫 | |
063 | ニカラグア国際司法裁判所判決と米議会イランーコントラ調査 | 井関和彦 | |
071 | 幼き日の心の傷と核への出会い | 保木本一郎 | |
073 | パリ「反核集会」でのスピーチ | 浦田賢治 | |
077 | 自らを映し出す鏡 | 根本孔衛 | |
081 | 東京裁判と私 | 根本孔衛 | |
087 | 忠臣蔵から国際原爆法廷へ | 椎名麻紗枝 | |
092 | 核時代と自然法 | 内藤雅義 | |
099 | 第3部 国際交流活動に学ぶ | ||
100 | 中国との法律的交流活動について | 甲斐道太郎 | |
104 | 海をわたった朝日訴訟アピール | 小川政亮 | |
108 | ロ-マ世界集会に参加して | 宇賀神直 | |
111 | 個人的国際関係論 | 千葉正士 | |
116 | 私をギリシャに結びつけた国法協 | 池田眞規 | |
122 | 国際交流-日ソおよび日朝交流の回想 | 森田三男 | |
123 | ベトナムとの学術交流-ベトナム法律家協会を再訪して | 鮎京正訓 | |
132 | ベトナム・1987年 | 稲子恒夫 | |
136 | 理事会の末席から | 小林和恵 | |
138 | はじめての旅-アテネ大会のこと | 戒能通厚 | |
142 | 「国法協はサロン的」か? | 大熊政一 | |
146 | 国法協の30年と国法協との17年 | 松井芳郎 | |
150 | 若手研究者と国際交流 | 新倉修 | |
155 | 日記的回想 | 仲剛星子 | |
159 | 雑感 | 中村*一 | |
161 | 支部活動の強化に向けて | 大川真郎 | |
163 | 機関誌のあゆみ | 山本孝 | |
167 | 初めての旅 | 鍛冶利秀 | |
171 | 外国との″距離感″と国際連帯 | 原田純孝 | |
175 | 韓国被爆者問題の調査に参加して | 山下潔 | |
181 | 大都市下町市民の老後生活の一端-ウィーン東京の国際比較調査 | ||
187 | 第4部 回想の群像 | ||
188 | 二つの国際会議に出席して | 黒木三郎 | |
191 | 裸のつきあい―ノルドマンI ADL会長のプロフィル | 斎藤一好 | |
197 | IADLソフィア大会とヘルシンキ大会 | 潮見俊隆 | |
202 | 走馬看花-日中交流の一齣 | 利谷信義 | |
206 | アルバムの中の人々-広島・長崎と国法協、そしてIADL | 仲田晋 | |
213 | 沼田会長と私 | 小田成光 | |
218 | 国法協と私 | 平山知子 | |
222 | 国法協30年と私 | 斎藤誠 | |
225 | 言葉 | 彦坂敏尚 | |
228 | 国法協30年の中で | 藤田勇 | |
233 | 第5部 私たちの提言 | ||
234 | 万斛の思ひをこめて-再建国法協に期待する | 仁科哲 | |
237 | 日本国憲法九条の遵守-非戦・永世中立宣言の必要 | 田畑忍 | |
245 | アジア諸国の労働者と日本 | 本多淳亮 | |
250 | 核兵器緊急廃絶のために-抑止論を克服 | 亀田得治 | |
255 | 世界法への取組み | 北尻得五郎 | |
258 | 国法協30年に思う | 小林孝輔 | |
261 | 平和主義の旗印を高く掲げて-国家秘密法と平和的生存 | 小田中聰樹 | |
266 | 新しいくにと法と平和のゆくえーアメリカ・インディアン運動をめぐって | 森田宗一 | |
273 | 日本国憲法九条と日本人の責務 | 北野弘久 | |
276 | ペリー・メイスン弁護士の本当の活動 | 花田政道 | |
280 | 民主主義と国家秘密法 | 杉村敏正 | |
286 | 企業活動の国際化と労働者の権利 | 大和田敢太 | |
291 | 「国際化」時代に思う | 陸井三郎 | |
296 | 国際化時代と国法協 | 室井力 | |
297 | アパルトヘイト罪と国際連帯運動 | 家正治 | |
303 | 地球環境の保全とわが国の責務 | 豊田誠 | |
308 | エリトリア人民の民族自決権 | 小林三衛 | |
313 | 国法協と新人 | 桑原育朗 | |
315 | SDIと法律家 | 入倉卓志 | |
318 | 編集後記 | 小林成光 | |
322 | 執筆者紹介 | ||