広島ユネスコ協会
1973年6月23日 「広島ユネスコクラブ」として発会。
1974年7月31日 総会で「広島ユネスコ協会」と名称変更。
1975年11月1日 機関誌「ヒロシマ・ユネスコ」創刊。
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。
広島ユネスコ協会
1973年6月23日 「広島ユネスコクラブ」として発会。
1974年7月31日 総会で「広島ユネスコ協会」と名称変更。
1975年11月1日 機関誌「ヒロシマ・ユネスコ」創刊。
広島文学協会 1950年発足 機関誌 『広島文学』
| 巻号 | 発行年月日 | 備考(出典・所蔵など) |
| 8月号 | 19550815 | 「ピカ」、宇吹蔵 |
1955年8月号目次
| 著者 | タイトル | 備考 |
| 増田忠 | (表紙) | |
| 平稲義雄 | (カット) | |
| 山代巴 | 煮え湯の中(女教師の寝物語りの覚え書き) | |
| 今田龍夫 | 暗い世界 | |
| 堀庸子 | アルバイト | |
| 詩二編 | ||
| 米田栄作 | 広島城址にて | |
| 増岡敏和 | 初夏のスケッチ | |
| 長田新 | 文学―そのもつ意味と価値について | |
| 渡辺鼎 | 署名運動を反省して | |
| 徳永真一 | 「星を見てゐる」を読んで | |
| 金井利博 | 道具と象徴 | |
| 田辺耕一郎 | 原水爆禁止世界大会の意義 | |
| 「平和文化賞」を受賞して | ||
| アイラ・V・モーリス夫妻のこと | ||
| 編集後記 |
大学人会活動略年表
| 年月日 | 事項 | |
| 1953 | ||
| 0215 | 発会準備会 | |
| 0221 | 発会大会(会員50人余・・・5月末会員100余名) | |
| 0326 | 学術会議会員との懇談会 | |
| 0405 | 平和講演会(広教組後援) | |
| 0601 | 会報(N・・・新聞型)No.1発行 | |
| 1001 | 広島大学人会ニュースNo.1(N)発行 | |
| 1115 | 会報(N)No.2(第3期学術会議会員選挙特集) | |
| 1954 | ||
| 1210 | ||
| 1955 | ||
| 1956 | ||
| 1957 | ||
| 1958 | ||
| 1959 | ||
| 1960 | ||
| 1961 | ||
| 1962 | ||
| 1963 | ||
| 1964 | ||
| 1965 | ||
| 1966 | ||
| 1967 | ||
| 1968 | ||
| 1969 | ||
| 0131 | 拡大理事会(中心話題は「大学紛争」問題) |
平和と学問を守る大学人の会(発行物一覧)
| 書名・タイトル | 発行年月日 | 備考 |
| 広島大学人会会報 | 19530601(創刊号)~ | |
| 大学人会研究論集 | 195411(第1集)・195507(第2集) | |
| 原子力問題研究資料 | (1)195701 原子力関係文献目録・ | |
| 広島の平和運動研究資料 | (1)広島の平和運動(平和運動研究班中間報告)(2)原爆被害者の歩み(3)原爆被害者救援の動き | |
| 大学人会討議資料 | 19600610 | |
| 平和・科学・自由 | 196006 | |
| 大学制度問題資料集 | 1961 (その1)・(その2)・(その3) | |
| 第9回原水爆禁止世界大会文書集 | 1963 | |
『ヒロシマ研究公開セミナー資料集 1968年3月8日~10日 』
(ヒロシマ研究の会 広島YMCA会員事業部)
収録資料
| №. | タイトルなど | 形態 |
| 1 | 「原爆被爆者援護の問題点―「ヒロシマ研究の会」討議資料」 | 冊子 |
| 目次=1.戦時の人権と平時の人権の落差が今日まで影響していること、2.原爆被爆者の援護は老人福祉対策の改善の突破口である、3.無差別攻撃と差別待遇、4.第三国人の被爆、5.結び(援護と調査)、あとがき | ||
| 裏表紙=この小冊子は、金井利博氏が本会でていきされた意見を討議資料としてまとめなおしたものです。(ヒロシマYMCA内ヒロシマ研究の会、1967年12月10日) | ||
| 2 | ヒロシマ研究セミナー資料Ⅰの1 | B4-4枚 |
| 「ヒロシマ研究」公開セミナーの意図するもの―ヒロシマ研究の会の紹介をかねながら | ||
| 3 | ヒロシマ研究セミナー資料Ⅰの2 | B4-1枚 |
| プログラム | ||
| 討議資料 | ||
ヒロシマ研究の会1年の歩み(年表・改変・抄)
| 年 | 月日 | 事項<注:この欄への月日のあるものは「ヒロシマ研究の会」以外の関連事項> |
| 1967 | 0615 | ヒロ研第1回例会 |
| 0707 | ヒロ研第2回例会 | |
| 金井利博「原爆と補償」=原爆投下は、非戦闘員まで死滅させた無差別爆撃であったという特殊性をもつ国は戦争責任をとるべきであり、被爆者が補償を要求するのは当然の権利である。 | ||
| 朴寿南「朝鮮人被爆者の実態と問題」=労働者確保の為、広島に強制的に連れてこられた朝鮮人は原爆をうけたことを一アクシデントとしてしか感じない程しいたげられていた。日本人は、被害者であると同時に戦争の加害者だったのだ。 | ||
| 0720 | ヒロ研第3回 | |
| 橋本栄一「被爆者救援活動の問題」=活動は継続してこそ意味がある。上から見る形、つまり慈善的な取り組み方ではなく、自己の問題として深めよう。 | ||
| 0726 | ||
| 0803 | ヒロシマ世界を結ぶ集い | |
| 0811 | ヒロ研第4回 | |
| 庄野「原水爆をめぐる世界史」=被爆者の問題は核につながる今日の問題である。又、既成団体に依存しない市民団体の運動としての平和運動が必要。 | ||
| 0901 | ヒロ研第5回 | |
| 栗原貞子 | ||
| 0908 | ヒロ研第回 | |
| 早川美子 | ||
| *花美鈴 | ||
| 0921 | ヒロ研第7回:南の | |
| 1006 | ヒロ研第回 | |
| 1020 | ヒロ研第9回 | |
| 1027=第1回対話の会。 | ||
| 1101=厚生省「原子爆弾被害者実態調査 健康調査及び生活調査の概要」発表。 | ||
| 1102=広島市長、市独自で全数調査をする旨言明。 | ||
| 1109 | ヒロ研第10回:厚生省調査結果に対する討論。この時完全な実態調査を市に要求するための署名運動をすることを決定。 | |
| 1124=YMCA会員の沖縄報告会。 | ||
| 1125 | 署名運動開始。 | |
| 1130 | ヒロ研第11回:署名運動の経過報告と方針。この時1130名の署名が集まっていた。 | |
| 1208 | ヒロ研第12回:市長への要望書の内容検討。 | |
| 1219 | ヒロ研第13回:署名運動の方針、公開セミナーの構想 | |
| 1220=対話の会 | ||
| 1221 | 市長との会見:おざなりの返事しか貰えなかった。地道にやっていくことが必要である。 | |
| 1223=白書の会「実態調査促進運動に全面協力」。原爆小頭症の認定児は全て医療保護されることを決定。 | ||
| 1226=平和の会「被爆者招待クリスマス」 | ||
| 1968 | 0108=フェニックス号北ベトナム公開記録公開。 | |
| 0111 | ヒロ研第14回:新年における会員夫々の抱負を話し合い新年の展望を概要的にまとめる。 | |
| 0114 | 第1回対話のつどい開催準備。 | |
| 0115=第1回対話のつどい―青年とヒロシマ―。会員山本暁子発題。 | ||
| 0125 | ヒロ研第15回 | |
| 田原伯(原爆資料収集家)=ヒロシマの問題を一生の仕事として取り組んでいられる田原さんの話を通してもっともっと真剣にならねばならぬとおもった。 | ||
| 0127=白書の会。女学院高校生徒が募金を朝鮮の人達に渡した。 | ||
| 0208 | ヒロ研第16回 | |
| 大牟田稔(中国新聞)「全国に散在するヒロシマをめぐるグループの動向」=ヒロシマをもっと知って欲しいという態度ではなく全国に散在するヒロシマに関心を抱いている人々との提携という態度が大切。 | ||
| 0210=広島べ平連の第1回デモ。 | ||
| 0215=原爆被災資料広島研究会結成。大本営建設の問題化。 | ||
| 0222 | ヒロ研第17回:セミナーの開催準備。 | |
| 0301=原水協・原水禁、ビキニデー全国集会(於静岡・焼津)。 | ||
| 0301=市長を囲む市民対話の会。 | ||
| 0302 | ヒロ研第18回:セミナーの開催準備。 | |
| 0307=「青年の船」セイロンで青年対象のアンケート「日本でれんそうすることは」「ヒロシマ」が17%で1位。 | ||
| 0308 | ヒロ研第1回セミナー実施。 | |
| 0309 | ヒロ研第1回セミナー | |
| 0310 | ヒロ研第1回セミナー | |
| 0330=特別措置法が閣議決定国会提出。 | ||
| 0311 | 厚生省の認定、被爆者追跡調査に数人の会員が参加。 | |
| 0312=原水協・原水禁「第五福竜丸、保存国民運動」計画にのり出す。 | ||
| 0314 | ヒロ研第19回:田原さんの提唱により、毎月6日に6時から八丁堀で「ピカより〇○日」のチラシ配りをすることを決定。「ピカより〇○日」の運動は少しでも市民に核戦争の恐ろしさを知って貰うと同時に広島の一市民として共に23年という年月の重みをかみしめようという趣旨から。 | |
| 福竜丸の保存の件について、ヒロシマ研究の会としては、はっきりした考えをだすことはできなかった。 | ||
| 0316 | 第1回「ピカ〇○日」実施。爆心地調査に数人の会員が参加。 | |
| 0403=原爆被災資料広島研究会第2回会合「専門部会を設置」 | ||
| 0323=白書の会。 | ||
| 0404 | ヒロ研第20回:実態調査・資料、外国人被爆者問題、平和運動。の3グループに分れてもっと問題を深めていくことに決定。 | |
| 0410=朝鮮人被爆者を囲む会、出席者が一人もなく問題の複雑さがわかった。 | ||
| 0418 | ヒロ研第21回 | |
| 平岡敬「広島の問題を深める」方向から助言。 | ||
| 会員が春休みにアルバイトとしてやった実態調査の感想報告 | ||
| 0418、0419=映画、記録なき青春。 | ||
| 0420=原爆映画、幻のフィルム―初公開。 | ||
| 0423=対話の会、広島ベ平連との提携、協力体制。 | ||
| 0425 | ヒロ研第22回 | |
| 森滝市郎「被爆者団体の動向と援護法」=今日の現存する被爆者は、広島・長崎あわせて30万人。原爆そのものもひどかったが、その後の2~3年の貧乏の方が辛かった。その間は、夫々自分自身の身のふり方を考えるのが精一杯で意識的に被爆者が、まとまるのは困難だった。被団協などのグループが生まれたのは訳10年を経過してからであった。昭和29年のビキニのとき「広島の百万名署名」と名の残っている様、市民の意識が高まった。被爆者問題と原水禁運動が2本の基本底流をなすものであり、被爆者の声には常に重きをおかれるべきものである。 | ||
| 0426=厚生省、広島県、市、長崎県、市、が実態調査の実施について審議会。 | ||
| 0430=海田町原爆被害者の会240名の体験談を収録した被爆者懇談集録」を発刊。 | ||
| 0431=基町、5度目の大火。 | ||
| 0505=折り鶴の子の像、除幕10周年記念式典。 | ||
| 0506 | 第2回ピカ○○運動実施。 | |
| 0511 | ヒロ研会員合宿=各自夫々被爆者訪問を通して精神的継承というか、祖父、祖母の話を孫の様な気持ちできき継承していこうということに決定。 | |
| 0512 | ||
| 0511=山口県、原爆被爆者福祉会館「ゆだ苑」完工。 | ||
| 0512=広島県スラム対策に調査費1千万円を計上。 | ||
| 0514=プルトニウム国産化成功。平和利用国で4番目。 | ||
| 0515 | ヒロ研第23回:実態調査の促進運動について、ヒロシマ研究の会なりに目安をたてた。 | |
| 0517=学術会議、「原爆被災資料広島懇談会」を開催(於広大原医研)。「原爆被災資料センター」けんせつについての意見をきく。 | ||
| 0520=映画「広島の証人」上映協力委員会発会式。 | ||
| 0521=被爆者バッジができる。 | ||
| 0523 | 広島女子大において原爆映画を考える写真展を開催。~25日。 | |
| 0525=佐世保の放射能汚染問題で米原子力委員会の調査団は、「ソードフィッシュは、佐世保帰港期間中、放射性物質は1滴も放出していない」と言い残して帰国。 | ||
| 0530 | ヒロ研第24回例会 | |
| 森下弘「教科書の中の原爆問題」=学徒動員により生徒学生もいっせいにかり出された。こうした事実があるにも拘らず現在の高校教育において何ら教えられていない。ただ一部の教師の自主性に頼っている状態だ。又原爆映画の視聴率から見て高校生の間に意識が必ずしも低いとはいえない。しかしヒロシマが自分の問題となりえないところに問題がある。もっと何らかの形で日常的にとり入れられる様にすることが必要ではないか。 | ||
| 0605=映画「ヒロシマ 1966年」 | ||
| 0606 | ヒロ研第25回例会。第3回ピカの運動実施。 | |
| この一年についての率直な反省がなされ今後の方針について話し合いが行われた。会員募集の機会を何度も作ったにも拘らず、尚かつ会員が増えない。ヒロシマの問題が、オキナワ、ベトナムに比べて現代の若者にとって魅力あるものになりにくいということを示すものではないだろうか。私達はいつでも誰でも自由に出入りできる開放的な若さあふれるヒロ研にしてゆくことによって新しい感覚のヒロシマを私達青年の手で創って行かねばならないと思う。 | ||
| 0606=園田厚生大臣:被爆者の全数調査を国勢調査に付帯して実施することは至難だが、市町村が独自で調査できる様補助費を出すと発表。 | ||
| 0608=対話の会。第2回市民対話の会の準備。 | ||
| 0613 | ヒロ研第26回例会:2年目の展望をたてる。 | |
| 0613=社会党、共産党との統一協議断わる。 | ||
| 0615=第2回市民対話の会。岡村昭彦、本多勝一 | ||
| 0616=ヒロ研1周年記念会。 |
ヒロシマ研究の会一年のあゆみ1967.6~1968.6
もくじ
| タイトル | 著者 |
| 原爆体験の継承の意義と方法 | 渡辺正治 |
| ヒロ研、この一年 | 小林省三(広島YMCA主事) |
| 一周年を迎えるヒロシマ研究の会へひとこと(順不同、敬称略) | 庄野直美 |
| 山崎与三郎 | |
| 原田東岷 | |
| 栗原貞子 | |
| 佐藤富士子 | |
| 森下弘 | |
| 文沢隆一 | |
| 今堀誠二 | |
| 秋信利彦 | |
| 金井利博 | |
| 二神三男 | |
| 長岡千鶴野 | |
| 橋本栄一 | |
| 田淵実男 | |
| 山口勇子 | |
| 深川宗俊 | |
| 人類のえい智を築く礎石に | 渡辺正治 |
| 平和の建設者として | 相原和光 |
ヒロシマ研究の会一年の歩み |
|
| ヒロシマ研究公開セミナーで学んで | 吉田よし子 |
| ”ヒロシマ”とは何だろう? | 三井英津子 |
| 山本暁子 | |
| 近末康彦 | |
| 柴村忠宏 | |
| 課題と展望 | |
| ヒロシマ研究の会会員及び参加者68.6.14現在 | |
| ヒロシマ研究の会にお世話下さった方々 | |
| 編集後記 | |
| 1967年6月14日 | |
| ヒロシマ研究の会 (広島YMCA会員事業部内) | |
資料’82反核(単行本・雑誌・教科書・新聞)-原爆文献を検証する( 「ひろしまをよむ」会編、 溪水社刊、1983年7月15日)
目次
| まえがき | |
| <共同検証82反核> | |
| 1 | 新味に欠ける原爆出版 |
| 2 | 消極的な大手出版社 |
| 3 | 新刊しのぐ重版・再刊 |
| 4 | 手記・体験記に多様性 |
| 5 | 「読む」から「見る」へ |
| 6 | すそのを支える童話 |
| 7 | 無難さ目立つ教科書 |
| 8 | 雑誌-欠落した原点 |
| 9 | 新聞連載-不十分な総括 |
| 10 | 新聞社説-もの足りぬ分析 |
| <82出版物リスト> | |
| 1 | 単行本-反核・ヒロシマ・ナガサキ |
| 2 | 単行本-防衛・原発・学術・再刊 |
| 3 | 童話-絵本・平和教育 |
| 4 | 教科書-国語科82年採択 |
| 5 | 雑誌-月刊・季刊・旬刊・週刊 |
| 6 | 新聞-連載・社説 |
| おわりに | |
| 「ひろしまをよむ」会(石踊一則、内田恵美子、宇吹暁、木村逸司、島津邦弘、田原幻吉、丹藤順生、藤原浩修、松林俊一)協力・ピカ資料研究所 | |
『ヒロシマ・ナガサキの証言』(広島・長崎の証言の会編)
創刊号’82冬1982/2/20 内容
| 頁 | 著者 | タイトル | 備考 |
| 口絵:ジュノー戦場の記録展から | |||
| 001 | 今堀誠二 | 巻頭言 | |
| 002 | 特集1/ヒロシマ・ナガサキと広がる反核運動 | ||
| 002 | 庄野直美 | ヒロシマ・ナガサキ・ビキニの今日的意味 | |
| 006 | 田川時彦 | 国際的な軍縮教育の動向とその視点 | |
| 010 | 北西 允 | 反核運動の現状-西欧と日本 | |
| 017 | 栗野鳳 | 人類にとってのヒロシマ・ナガサキの意味 | |
| 022 | 中村征之 | 遠来の使者 | |
| 026 | 鎌田定夫 | 証言運動-その源流と今後の課題 | |
| 030 | 荒木武、本島等、伊東壮、袖井林二郎、服部学、小野周、西村久 | ||
| 『ヒロシマ・ナガサキの証言』の刊行にあたって | |||
| 特集2/連帯するヒロシマ・ナガサキ | |||
| 038 | 高橋昭博 | 人間の思いやりと信頼の回復を求めて | |
| 040 | 葉山利行 | 基本懇答申一年をふり返って | |
| 043 | 空辰男 | 八〇年代の平和教育創造を | |
| 045 | 坂口便 | 長崎における平和教育 | |
| 047 | 市丸道人 | 核戦争に対して医師は何をすべきか | |
| 049 | 江崎須賀子 | 被爆者の相談、証言活動を | |
| 052 | 上戸真弓 | “ヒバクシャ”を知る | |
| 054 | 松井あずさ | 10フィート運動にかかわって | |
| 056 | 広瀬方人 | 長崎のカトリックと原爆問題 | |
| 058 | 相原和光 | 「大悪は大善の来るべき瑞相なり」 | |
| 061 | 声と主張 | ||
| 061 | 安藤善博 | 「ユーロシマ」運動を日本で | |
| 063 | 川原紀美雄 | “ノーモア・ヒバクシャ”の実質化を求めて | |
| 064 | 藤枝良枝 | 熱い三十六回忌 | |
| 066 | 鎌田信子 | “核廃絶人類不戦の碑”完成にあたって | |
| 12月8日除幕式 | |||
| 067 | 活動の紹介 | ||
| 067 | 藤原茂 | タダの市民が映画をつくった | |
| 070 | 黒沢雅善 | モニュメント運動 | |
| 072 | 八・九全国高校生の集いその後 | ||
| 074 | 団体の紹介 | ||
| 074 | 山田浩 | 平和と学問を守る大学人会 | |
| 075 | 永松初馬 | 山口県原爆被爆者福祉会館 | |
| 077 | 上田小八重 | 原爆患者を守る会 | |
| 1960年4月、北海道函館市に主婦ばかりの「原爆患者を守る会」誕生 | |||
| 080 | 文芸 | ||
| 0 80 | 山本康夫 | ||
| 0 80 | 大原三八雄 | ||
| 0 81 | 深川宗俊 | 炎の歌 | |
| 0 82 | 豊田清史 | ||
| 0 82 | 渡部正則 | ||
| 0 84 | 山田かん | ||
| 0 86 | MYRL IJAMS | ||
| 0 87 | 藤本仁 | ||
| 090 | 岩崎清一郎 | ||
| 094 | 片山昌造 | ||
| 096 | 証言 | ||
| 096 | 長崎原爆―15歳の記憶 | ||
| 102 | 禿樹 暲 | 一人生き残って<広島市寺町・品教寺> | |
| 103 | 小嶋省吾 | 光をかえせ―****の場合<広島> | |
| 108 | 村井百合子 | 左手の火傷のあと<広島> | |
| 112 | 李実根 | 朝鮮人被爆者の問うもの | |
| 114 | 若林節美 | 谷間のヒバクシャ―原爆被害者相談から | |
| 119 | 湯崎稔 | 原爆関係の文献資料案内(1981年発行のもの) | |
| 123 | 資料1 「核兵器に関する包括的研究」ワルトハイム国連事務総長報告(抄録)1980年9月12日 | ||
| 125 | 資料2 ラッセル・アインシュタイン宣言 | ||
| 128 | 槇繁 | 編集後記 | |
『ヒロシマ・ナガサキの証言』(広島・長崎の証言の会編)
創刊号(1982年2月20日)~終刊号(1987年7月20日)通算21号
| 号数 | ||
| 創刊号’82冬1982/2/20 | 特集1/ヒロシマ・ナガサキと広がる反核運動 | |
| 特集2/連帯するヒロシマ・ナガサキ | ||
| 第2号’82春1982/5/30 | ||
| 第3号’82夏1982/8/20 | ||
| 第4号’82秋1982/11/10 | ||
| 第5号’83冬1983/2/10 | ||
| 第6号’83春1983/5/15 | ||
| 第7号’83夏1983/8/20 | ||
| 第8号’83秋1983/10/30 | ||
| 第9号’84冬1984/2/20 | ||
| 第10号’84春1984/4/30 | ||
| 第11号’84夏1984/8/20 | ||
| 第12号’84秋1984/10/15 | ||
| 第13号’85冬1985/2/20 | ||
| 第14号’85春1985/4/30 | ||
| 第15号’85夏1985/8/20 | ||
| 第16号’85秋1985/10/30 | ||
| 第17号’86冬1986/2/20 | ||
| 第18号’86春1986/05/10 | ||
| 第19号’86夏1986/08/20 | ||
| 第20号’86秋1986/11/10 | ||
| 第21号終刊号1987/07/20 | 広島・長崎の証言の会 | 季刊『ヒロシマ・ナガサキの証言』終刊にさいして-共同刊行の五年間と今後の課題- |
『広島・長崎30年の証言』広島・長崎の証言の会編、未来社 (上) 19750806(下)19760430
内容
| (上) | 19750806 | |
| 序章 原爆30年目の問い | ||
| 秋月辰一郎 | ヒロシマ・ナガサキ三十年の想い | |
| 鎌田定夫 | わが内なるヒロシマ・ナガサキ | |
| 第1章 歴史の暗点から | ||
| 小堺吉光 | ヒロシマ・救われない犠牲者 -国民義勇隊員の惨禍 | |
| 秋月辰一郎 | ナガサキ・歴史の暗点 | |
| 第2章 ”核権力”と被爆者 | ||
| 栗原貞子 | 天皇と核権力と被爆者と | |
| 山田かん | 原爆とキリシタン | |
| 李奇相 | 被爆朝鮮人の受難と怒り -在日朝鮮人の証言と告発 | |
| 第3章 ビキニ水爆20年目の告発 | ||
| 広田重道 | ビキニ被災二十年目の証言 -原水禁運動の原点をみつめて | |
| 久保山さんへの手紙は訴える -原水爆への国民的怒りの原点をさぐって加納竜一 近藤弘 長岡弘芳 | ||
| 第4章 30年を生きて今-被爆者30年目の証言 | ||
| 鎌田信子 | 原爆を生きつづける証人たち -長崎原爆青年乙女の会のふたり | |
| 古浦千穂子 | 生きられなかった被爆者たち | |
| 文沢隆一 | 胎内被爆から三十年-きのこ会のこと | |
| 広瀬方人 | 被爆二世の生と死 | |
| 石田明 | 原爆裁判への情念と論理 | |
| 福田須磨子 | 〔遺稿〕 われなお生きてあり(続) | |
| 第5章 無国の谷間から -海外被爆者の告発 | ||
| 辛泳洙 | 被爆と民族の問題-日本政府・天皇・国民への苦言 | |
| 鎌田定夫 | 在韓被爆者三十年の遺恨と告発 | |
| 林福順 | 苦しみの淵から | |
| 厳粉連 | 広島から韓国へ地獄はつづく | |
| 島津邦弘 | 核に追われる難民 -ミクロネシアの被爆者たち | |
| 立ちあがる在米被爆者たち | ||
| 据石和江 | アメリカ人に原爆の悲惨を訴えて | |
| 倉本寛司 | カリフォルニア州上院小委員会 原爆被爆者公聴会における証言 | |
| 関係文献目録 | ||
| (下) | 19760430 | |
| 第6章 反原爆運動の中から | ||
| 伊東壮 | 日本被爆者運動の三十年 | |
| 草の根・被爆者運動の中で | ||
| 前座良明 | 長野における反原爆運動二十年と私--長野県原水爆被災者の会と共に | |
| 杉山秀夫 | 私の原水禁運動・被爆者運動二十年 --静岡県原水爆被害者の会と共に | |
| 伊藤普 | 福岡被団協の二十年と私 | |
| 平山良明 | おきなわ・二重苦の被爆者たち | |
| 伊東壮 | 東友会二十年のあゆみ | |
| 深川宗俊 | 朝鮮人被爆者復権のたたかい | |
| 浜崎均 | 原水禁運動とともに生きる--渡辺千恵子さんの生を支えるもの | |
| 北西允 | 原水禁運動の統一と静岡・広島 | |
| 鎌田定夫 | 歴史の証言から歴史の変革へ--「長崎の証言」運動とその周辺 | |
| 第7章 原爆体験の継承をめざして | ||
| 瀬戸口しのぶ | おさなき弱者と「見えない被爆者」 | |
| 今田斐男 | 戦争・原爆体験の伝承者として | |
| 森下弘 | 沈黙の決議 --被爆者教師としての三十年 | |
| 空辰男 | 平和教育の諸相と課題 | |
| 島田麗子 | ひろしまを考える旅 | |
| 長岡弘芳 | 原爆から原発まで --《原爆体験を伝える会》 | |
| 第8章 原爆体験の思想化 | ||
| 石田忠 | 福田須磨子さんの生と死 | |
| 文沢隆一 | 原爆資料発掘作業の試み | |
| 湯崎稔 | 原爆被災復元調査の中から--人間の復権めざして | |
| 山手茂 | 社会科学者は原爆被害問題とどうとりくんできたか | |
| 小川岩雄 | 原水禁運動とパグウォッシュ運動--その問題点と今後の課題 | |
| 山田かん | 詩の中の反原爆 | |
| 岩崎清一郎 | 文学のなかの「原爆」--記録の虚構・その変貌 | |
| 栃木利夫 | 日本近・現代とヒロシマ・ナガサキ | |
| 高橋真司 | 反原爆の思想 --広島・長崎の現代史的意義 | |
| 終章 反原爆三十年目の課題と展望--「広島・長崎の証言の会」座談会 | ||
| ヒロシマ・ナガサキ30年とは何か--広島での討論記録 | ||
| 被爆者運動30年と今後の課題--東京での討論記録 | ||
| 核権力と民衆と証言運動--長崎での討論記録 | ||
| 鎌田定夫 | あとがき | |
平和と学問を守る大学人の会会報第26号
1960年2月20日
広島通信 1966年6月創刊 第1号~19号(1970年2月)広島県詩人協会刊、 第20号(1970年4月)~第68号終刊号(1983年7月31日)「広島通信の会」刊
1989年3月1日、「ヒロシマ・ナガサキを考える会」が復刻(「広島通信-ヒロシマの継承-全68号の復刻版」)
| M | D | ZASSIMEI | TITLE | AUTHOR | |
| 66 | 06 | 広島通信創刊号 | 創刊号によせて-文学は何ができるか | 栗原貞子 | |
| 66 | 08 | 広島通信2 | 被爆の証人“原爆ドーム”の保存を | 松元寛 | |
| 66 | 08 | 広島通信2 | ある建築の美しさについて | 荏原肆夫 | |
| 66 | 08 | 広島通信2 | 1966年夏-広島からの告発 | 栗原貞子 | |
| 66 | 08 | 広島通信2 | 1966年夏、広島からの告発 | 栗原貞子 | |
| 66 | 10 | 広島通信3 | 胎内被爆小頭症 | 志水清 | |
| 66 | 10 | 広島通信3 | 小頭児に幸あれ | 畠中国三 | |
| 66 | 10 | 広島通信3 | ひそかな啓示―小頭症におもう | 文沢隆一 | |
| 66 | 10 | 広島通信3 | 今、すぐに救護を―美農綾子さんを見舞う | 栗原貞子 | |
| 67 | 02 | 33 | 広島通信4 | 運命の日より21年を生きて | 西土 万合枝 |
| 67 | 03 | 広島通信5 | 特集:広島の川 | ||
| 67 | 03 | 広島通信4 | 私はこう信じる-重藤文夫原爆病院院長訪問 | 重藤文夫 | |
| 67 | 06 | 広島通信6 | 原民喜特集 | ||
| 67 | 10 | 広島通信7 | ケロイド | 原田東岷 | |
| 67 | 11 | 広島通信8 | あの頃の広島 | 北畠隆 | |
| 68 | 02 | 広島通信9 | 告発する街として | 浜野千穂子 | |
| 68 | 06 | 広島通信10 | 原爆慰霊碑文再読 | 松元寛 | |
| 68 | 08 | 広島通信11 | 地の塩への期待 | 安井郁 | |
| 68 | 11 | 広島通信12 | 広島の声 | 高橋三郎 | |
| 69 | 02 | 広島通信13 | さらば広島 | バーバラ・レイノルズ | |
| 69 | 04 | 広島通信14 | 原爆記録映画全面公開運動のいきさつ | 庄野直美 | |
| 69 | 06 | 広島通信15 | 排安易 | 田淵実夫 | |
| 69 | 08 | 広島通信16 | 人類は生きねばならぬ-アトムかアトマか | 森滝市郎 | |
| 69 | 10 | 広島通信17 | 世界の中のヒロシマ | 関屋正彦 | |
| 69 | 12 | 広島通信18 | 沖縄とヒロシマ | 袖井林二郎 | |
| 70 | 02 | 広島通信19 | 被爆二世 | 杉原芳夫 | |
| 70 | 04 | 広島通信20 | 観光客から巡礼者へ | 山崎与三郎 | |
| 70 | 06 | 広島通信21 | 中国・アメリカ平和巡礼 | 今堀誠二 | |
| 70 | 06 | 広島通信21 | ヒロシマを語る者として-アメリカへの出発を前に | 大原三八雄 | |
| 70 | 07 | 広島通信22 | 70年とヒロシマ-ヒロシマの風化に抗して | 森滝市郎 | |
| 70 | 07 | 広島通信22 | アメリカ通信 | 大原三八雄 | |
| 70 | 10 | 広島通信23 | アメリカの孤独 | 大原三八雄 | |
| 70 | 12 | 広島通信24 | 広島のひろい空の下 | 山田かん | |
| 70 | 12 | 広島通信24 | 山田かん氏を囲んで-長崎と原爆詩の関わり | ||
| 71 | 02 | 広島通信25 | ヒロシマの思想の亀裂 | 大牟田稔 | |
| 71 | 02 | 広島通信25 | 第二の生きがい-アメリカ・東西南北記 | 大原三八雄 | |
| 71 | 04 | 広島通信26 | きうずれぬへいわをへいわをかえせ | 寒川道夫 | |
| 71 | 06 | 広島通信27 | きうずれぬへいわをへいわをかえせ(その2) | 寒川道夫 | |
| 71 | 06 | 広島通信27 | アメリカ人の社会的連帯性 | 大原三八雄 | |
| 71 | 08 | 広島通信28 | 挽歌-マルチン・ルーサー・キングの墓所で[詩] | 大原三八雄 | |
| 71 | 10 | 広島通信29 | 京浜地帯の原爆意識を中心にしておもう | 前川和子 | |
| 71 | 12 | 広島通信30 | アウシュビッツとヒロシマ | 小谷鶴次 | |
| 71 | 12 | 広島通信30 | 国連というところ | 大原三八雄 | |
| 72 | 02 | 広島通信31 | ヒロシマと中国の核・人 | 森下弘 | |
| 72 | 04 | 広島通信32 | 被爆朝鮮人救援の動き | 平岡敬 | |
| 72 | 06 | 広島通信33 | 「水ヲ下サイ」特集 | ||
| 72 | 08 | 広島通信34 | ヒロシマに捧げる詩特集 | ||
| 72 | 08 | 広島通信34 | あの夏からこの夏までの間 | 小倉馨 | |
| 72 | 10 | 広島通信35 | 懐しい日本の皆さんに | バーバラ・レイノルズ | |
| 72 | 12 | 広島通信36 | 地球時代・平和の新処方箋 | 加藤新一 | |
| 73 | 02 | 広島通信37 | 「原水爆被災資料センター」設立の意義 | 湯崎稔 | |
| 73 | 04 | 広島通信38 | 私の広島日記 | 佐々木雄一郎 | |
| 73 | 06 | 広島通信39 | ABCC特集 | ||
| 73 | 06 | 広島通信39 | 原爆死体解剖NO.1の山科清元軍医にきく | 山科清 | |
| 73 | 08 | 広島通信40 | 特集:ベトナムは終わったのか | ||
| 73 | 10 | 広島通信41 | 28年目のヒロシマ | 藤枝良枝 | |
| 73 | 12 | 広島通信42 | 原爆の印象と記憶 | 縄田二郎 | |
| 73 | 12 | 33 | 広島通信42 | 縄田 二郎 | |
| 74 | 03 | 広島通信43 | 公害防止と平和への意志 | 田中公雄 | |
| 74 | 04 | 広島通信44・45 | 特集:いまは亡き4人の原爆詩人たち | ||
| 74 | 08 | 広島通信46 | 知られていない原子力発電の問題点 | 佐久間澄 | |
| 74 | 12 | 広島通信47 | 特集:原子力平和利用 | ||
| 75 | 02 | 広島通信48・49 | 特集:韓国原爆被爆者と日本人 | ||
| 75 | 08 | 広島通信50 | 特集:ヒロシマとベトナム | ||
| 76 | 01 | 広島通信51 | あの体験の<意味> | 小久保均 | |
| 76 | 05 | 広島通信52 | 特集:今なお続く核実験 | ||
| 76 | 08 | 広島通信53 | 特集:平和と私との距離 | ||
| 76 | 12 | 広島通信54 | 特集:被爆体験は風化するか | ||
| 77 | 05 | 広島通信55 | 特集:被爆者の医学的諸問題 | ||
| 77 | 12 | 広島通信56 | 特集:世界にとってヒロシマはなにか | ||
| 78 | 04 | 広島通信57 | 特集:朝鮮人被爆者 | ||
| 78 | 07 | 広島通信58 | 特集:ヒロシマと地方との連帯性 | ||
| 78 | 12 | 広島通信59 | 特集:核時代の文学 | ||
| 79 | 06 | 広島通信60 | 特集:ヒロシマは核時代に非戦の力となりうるか | ||
| 79 | 12 | 広島通信61 | 特集:原爆と原発 | ||
| 80 | 06 | 広島通信62 | 特集:廣島・広島・ヒロシマ | ||
| 80 | 06 | 広島通信62 | 遅い出発 | 豊永恵三郎 | |
| 80 | 06 | 広島通信62 | 原爆と原発 | 小林正一 | |
| 80 | 06 | 広島通信62 | 江波分院のことなど | 岡崎澄衛 | |
| 80 | 06 | 広島通信62 | 「ヒロシマ」シリーズ作品展開催の意味 | 増田勉 | |
| 81 | 01 | 広島通信63 | ある被爆者の死-主人唯一のこと | 栗原貞子 | |
| 81 | 07 | 広島通信64 | 特集:非戦の戦い | ||
| 81 | 12 | 広島通信65 | 特集:ローマ法王ご来広の軌跡 | ||
| 82 | 08 | 広島通信66 | 特集・ヒロシマのこころ | ||
| 82 | 08 | 広島通信66 | 生きる原理を | 石田明 | |
| 82 | 08 | 広島通信66 | 播かぬ種は生えぬ | 岡崎澄衛 | |
| 82 | 08 | 33 | 広島通信66 | 石田 明 | |
| 82 | 12 | 広島通信67 | 特集:ヒロシマに捧げる詩 | ||
| 83 | 07 | 31 | 広島通信68 | ヒロシマの継承-「広島通信」終巻号 | |
| 89 | 03 | 01 | 広島通信-ヒロシマの継承-全68号の復刻版 | 西土 万合枝 | |
| 89 | 03 | 01 | 広島通信-ヒロシマの継承-全68号の復刻版 | 縄田 二郎 | |
| 89 | 03 | 01 | 広島通信-ヒロシマの継承-全68号の復刻版 | 石田 明 |
広島県医療社会事業協会『患者と福祉 1971』1971年8月1日発行
目次
| 上村吉郎 | 今後の医療社会事業(広島県医療社会事業協会長) |
| 山本鎮雄 | 医療行為の二律背反と医療社会事業の必要性(広島女子大学講師) |
| 特集=原爆被爆者対策に考える= | |
| 志水 清: | 原爆被爆者対策に対する提言(原爆傷害調査委員会医科社会部長) |
| 宮本秀夫: | 被爆者対策の基底(広島県社会福祉協議会コミュニティオーガニゼーションワーカー) |
| 西谷義則: | 被爆保護世帯の実態と今後の課題(広島市社会福祉事務所ケースワーカー) |
| 事例研究 | |
| 若林節美: | 入院拒否を続けた原爆被爆母子家庭(広島原爆病院ケースワーカー) |
| 児島美都子: | 講評/遅すぎたケース紹介(日本福祉大学助教授) |
広島県医療社会事業協会『患者と福祉 1972』1972年10月10日発行
目次
| 上村吉郎 | 巻頭言:社会福祉の向上を<広島県医療社会事業協会長> | |
| 江崎須賀子 | 人工血液腎臓透析医療のかかえる問題 | |
| 特集=社会福祉士法制定試案を考える | ||
| 三村正弘 | 「社会福祉士法」案に対する提言 | |
| 特集=老人と医療 パネルディスカッション(=1971年12月16日開催の広島県MSW協会第2回研修会のまとめ) | ||
| <出席者>上村吉郎、*江紀雄、若林節美(広島原爆病院、MSW)、田中勉<助言者>和田直(広島大学名誉教授、ABCC顧問)<司会>早川美子(原爆対策協議会、PSW) | ||
| 事例研究 | ||
| 西村清登 | 事例4:ある婦人の腎臓摘出手術をめぐって | |
| 早川美子 | 事例7:ある被爆家庭の人間関係(PSW、現広島県立精神衛生センター専門員) | |
| 特集=原爆被爆者対策に考える= | ||
| 志水 清:原爆被爆者対策に対する提言 | ||
| 宮本秀夫:被爆者対策の基底 | ||
| 西谷義則:被爆保護世帯の実態と今後の課題 | ||
| 事例研究 | ||
| 若林節美:入院拒否を続けた原爆被爆母子家庭 | ||
| 児島美都子:講評/遅すぎたケース紹介 | ||
広島市政白書
| 広島市政白書 | 編・発行 | 発行年月日 | |
| (第1次) | 197412 | ||
| (第2次)住民参画の広島市政を実現するために | 広島市職員労働組合・広島自治体問題研究会(編集)広島市職員労働組合(発行) | 19781010 | |
| 14.平和教育、17.被爆者問題 | |||
| (第3次)広島・ヒロシマ | 19831021 | ||
| (第4次) | 19861225 | ||
| (第5次)10年のあゆみ・これからの広島 | 19901227 | ||
| (第6次)くらしといのち 輝く広島に | 19950324 | ||
| (第7次)ひろしまの明日のために | 19990110 | ||
| 出典:『広島自治体問題研究所20年の歩み―21世紀の地方自治をひらく』 | |||
『地域と科学者第3号』(日本科学者会議広島県支部機関誌)
支部創立10周年特集
| 出席者 |
|
|
| 石田明 | 「ヒロシマの研究者への要請」 |
| 〔座談会〕「平和と学問を守る大学人の会」の記録―日本科学者会議広島県支部との関係 | ||
| 出席者 | ||
| 佐久間澄 | 広大名誉教授 | |
| 横山英 | 広大文学部 | |
| 北西允 | 広大経済学部 | |
| 中村義知 | 広大政経学部 | |
| 今中比呂志 | 広大総合科学部 | |
| 大森正信 | 事務局、司会 | |
| 1 | 「大学人の会」の生い立ち | |
| 2 | 活躍された人々 | |
| 3 | 活動の内容 | |
| 4 | 困難の台頭 | |
| 5 | ’69年安保のころ | |
| 6 | 日本科学者会議とのつながり | |
| 7 | 広教組との関係 | |
| 8 | 「大学人の会」のそのほかの活動 | |
| 9 | 「大学人の会」の今後 | |
平和のために市民の対話をすすめる会 設立:1968年11月17日。
平和のために市民の対話をすすめる会・会誌(「対話の会」事務局発行)
| 号 | 発行年 | 目次 |
| 1 | 19690101 | 「対話の会」 その発足と経過 |
| 「第一回市民対話のつどい」記録 青年とヒロシマ 経過 | ||
| 平和グループ名簿(在広島) | ||
| 2 | 19680415 | 市長を囲む市民対話のつどい記録 |
| 大本営復元のいきさつ | ||
| 韓国在住被爆者の実態 | ||
| 広島にうたう(深川宗俊) | ||
| 「ヒロシマ研究の会」紹介 | ||
| 「平和を願う友の会」紹介 | ||
| 平和グループ名簿 | ||
| 通信・投稿欄 | ||
| 3 | 19690715 | ガイガー博士の講演 |
| ベトナムと今後の日本 | ||
| これからの市民運動 | ||
| バーバラ・レイノルズ女史が広島で行なった活動の評価と広島市民の立場 | ||
| 通信・投稿 | ||
| 編集後記 |
市長を囲む市民対話のつどい 1968年3月1日
| 日時 | 昭和43年3月1日、午後6時15分~9時 | |
| 場所 | 平和記念館1階講堂 | |
| 主題 | 広島市民の生活と平和 | |
| 参加人員 | 約150名 | |
| 集会次第 | ||
| 司会 | 橋本栄一、今堀誠二 | |
| 開会挨拶 | 庄野直美 | |
| 話題提起 | 山田節男広島市長、田淵実夫広島市平和文化センター局長 | |
| 自由討論 | ||
| 閉会挨拶 | 原田東岷 |
出典:平和のために市民の対話をすすめる会『ヒロシマ 平和のために市民の対話をすすめる会・会誌2号』(1968年4月15日)
非核の政府を求める広島の会 1987年6月13日結成
略年表
| 年月日 | 事項 |
| 19870613 | 結成総会。 |
| 19870720 | 非核の政府を求める広島の会ニュース第1号発行。 出典:『非核・ヒロシマの声』) |
| 19880618 | 第2回総会 |
| 19880713 | 第1回学習講座。講師=大森正信広島大学教授 |
| 19890624 | 第3回総会 |
| 19900714 | 『非核・ヒロシマの声』(非核の政府を求める広島の会、19900714)刊 |