広島部落問題研究会結成大会 1968年4月7日
会場:広島大学文学部
| 祝辞 | ||
| 門田秀夫 | 社団法人部落問題研究所嘱託研究員 | |
| 藤川春雄 | 部落解放同盟広島県連合会委員長 | |
| 奥田武夫 | 広島県教職員組合委員長 | |
| 記念講演 | ||
| 小森竜邦 | 同盟県連副委員長 | |
| 部落解放運動の今日的課題 | ||
| 天野卓郎 | 広島教育研究所 | |
| 「明治百年」と部落問題 | ||
| 発会総会 | ||
| 経過報告、活動方針の決定、役員・幹事(14名)、会計(監査2名)、事務局長の決定 | ||
| 後藤陽一 | 代表監事挨拶 | |
| 出典:『研究紀要「部落問題」』第1輯(広島部落問題研究会編集・発行) | ||
広島部落問題研究会結成大会 1968年4月7日
会場:広島大学文学部
| 祝辞 | ||
| 門田秀夫 | 社団法人部落問題研究所嘱託研究員 | |
| 藤川春雄 | 部落解放同盟広島県連合会委員長 | |
| 奥田武夫 | 広島県教職員組合委員長 | |
| 記念講演 | ||
| 小森竜邦 | 同盟県連副委員長 | |
| 部落解放運動の今日的課題 | ||
| 天野卓郎 | 広島教育研究所 | |
| 「明治百年」と部落問題 | ||
| 発会総会 | ||
| 経過報告、活動方針の決定、役員・幹事(14名)、会計(監査2名)、事務局長の決定 | ||
| 後藤陽一 | 代表監事挨拶 | |
| 出典:『研究紀要「部落問題」』第1輯(広島部落問題研究会編集・発行) | ||
『いのちあるかぎり 原爆と未解放部落』(福島地区被爆者の会編、兵庫県部落問題研究所刊、19850520 )
内容
| 著者 | ||
| 藤川春雄 | はじめに | |
| 戦争・差別・貧困 | ||
| 高橋信雄 | 軍都広島 | |
| 戦争のあゆみと一本の線路 軍都広島への道 軍港宇品から戦場へ 戦争とはなんだったのか 食料の補給もない戦場で すべての物を奪いつくす すべての物を焼きつくす そして殺しつくす-「三光」作戦 | ||
| 手記〔その1〕 | ||
| 田中ハル | ピカに夫を奪われて | |
| 和佐田政一(仮名) | 米騒動と原爆で差別がわかった | |
| 堀川俊市 | 三重苦のわたしらの現状 | |
| 高田春子 | 娘を奪ったあの日 | |
| 滝川ヨネ子 | 若い人たちに伝えたい | |
| 炎と瓦礫の中で | ||
| 金崎是 | 原爆と未解放部落 | |
| 三滝山の無縁仏 炎と瓦礫の中で-わたしの体験 原爆による福島地区の被害状況戦前の部落の生活とわたしの生いたち部落差別を解消し、平和で豊かな日本を | ||
| 手記〔その2〕 | ||
| 山中幸雄 | 悲しき被爆二世 | |
| 前畑チヨノ | 日本が戦争さえしなければ | |
| 大崎ヨシ子 | 一ケ月もたって掘り出されたわが子 | |
| 宝神実人 | まちがいなくわが娘だった | |
| 森本範雄 | 太陽の光もなんにもない | |
| 川口ユミ子(仮名) | そりゃ生き地獄です | |
| 藤井イマコ | 助かるとは思いませんでした | |
| いのちあるかぎり | ||
| 田阪正利 | 未解放部落の健康と医療 | |
| 福島診療所創設のこと 部落と健康 健康へのあゆみ これからの課題 | ||
| 佐藤秀之 | 非核の日本を-若者たちは今 | |
| 平和と核兵器廃絶は全人類の願い 深まる核戦争の危機 広がる反核運動の輪 若者たちは今 | ||
| 手記〔その3〕 | ||
| 丸岡ユキ | 二人の息子をかえして! | |
| 川田芳夫(仮名) | みんなの力で! | |
| 滝本静 | いのちあるかぎり | |
| 中島カヨ | 子どもや孫には平和な世界を | |
| 広田美千代 | 戦争を二度とおこさないために | |
| 平田路雄 | 原爆と森永ヒ素ミルク中毒のなかで | |
| 古賀昭子 | 被爆二世にも手帳を! | |
| 中西はるゑ | あとがき | |
| 金崎是 | あとがき(福島地区被爆者の会会長) | |
壁―未解放部落原爆被害者の手記(発行:福島地区被爆者の会)
| 第集 | 発行年 | 備考 |
| 1 | 19680806 | 差別と貧困の中から |
| 壁―差別と貧困の中から―によせて 2 原爆被爆者の手記に寄せて 4 「未解放部落の被爆者として」 6 「日雇いぐらしの中から」 7 「差別と闘う我が子たち」 9 「私しゃ戦争にゃぜったい反対ですよ」 11 「ピカに夫を奪われて」 13 「朝鮮人被爆者として」 15 「原爆ブラブラ病に苦しむ」 16 「私の体験」 19 「二人のむすごをかえして!」 20 「一日も早く差別と戦争のない世の中を」 23 「私のあゆんだ道」 25 むすびのことば 28 |
||
| 2 | 19690806 | 三重苦の斗かい |
| ○推せんのことば 広島県被爆者団体協議会理事長 田辺勝 1 ○推せんのことば 部落解放同盟広島県連委員長 藤川春雄 2 はんせんのうた (一被爆者) 5 被爆者の保障はない *** 6 三重苦の斗い *** 7 食べるものも食べられぬ生活 *** 10 戦争と差別をなくするため!! *** 12 二十五年たったいまでも *** 14 三重苦のわたしらの現状 *** 17 原水禁運動を強めなくては *** 27 むすびのことば 金崎是 29 |
||
| 3 | 19700806 | |
| 「壁」第三集発行によせて 福島病院院長 田坂正利 1 被爆者健診から 福島病院被爆診療科 鏑木富衛 3 被爆老人に生きる喜こびを 部落解放同盟広島県連合会 委員長 藤川春雄 13 〔特別寄稿〕 原子爆弾傷害調査委員会を告発する 深川宗俊 33 手記 米騒動と原爆で差別がわかった *** 15 カンボジアでもベトナムでもけっしてこんなことを切り返さないで *** 18 私の感想 *** 19 悲しき被爆二世 *** 21 みんなの力で! *** 24 生命のあるかぎり *** 28 子係や孫には平和な世界を *** 30 戦争を二度とおこさないために *** 31 あとがき 41 |
||
| 4 | 19710806 | |
| すいせんのことば 福島生協病院々長・田坂正利 1 人間らしい生活を 失対・***(62才) 2 嫁に行けない子 (認定被爆者)無職・***(63才) 3 わたしたちが死ぬのをまっている 失対・***(60才) 5 一五、六〇〇円で暮らしている ***(69才) 7 天皇や佐藤さんが来てもうれしくない ***(47才) 9 夫婦の記録 (認定被爆者)***(63才)・***(59才) 11 あの時の悲惨さは口にはいえない ***(67才) 13 このままでは死にきれない ***(63才) 14 被爆者活動から *** 17 ここに生きる(赤旗より) 故 鏑本富衛 19 むすび 事務局 25 |
||
| 5 | 19720806 | 被爆二世特集号 |
| 6 | 19730806 | 広島県水平社50周年記念 |
| 「壁」第六集発行によせて 部落解放同盟正常化広島県連委員長 藤川春雄 1 〔主張〕 原水禁運動と被爆者運動の真の統一と発展を願って 福島地区被爆者の会 3 〔特別寄稿〕 吉島被爆者の会「老いと怒りと」と野口久子さんの死 田丸歌子 5 〔手記〕 三重苦のわたしらの現状 堀川俊市 6 終戦の年のこと *** 14 差別の中に生きて靴職人の生活と原爆被爆 *** 16 娘をうばったあの日 八月六日 ひたむきに生きつづけてきた老婆の怒り *** 20 老いて訪づれた不幸 *** 23 どうしても語りつがなければ 少年の日、原爆と生活を背負って *** 25 被爆二世にも「手帳」を! *** 28 原爆被爆下の福島町 *** 30 「壁」を読んで読者からの便り 34 あとがき 38 |
||
| 7 | 19740806 | 原水禁運動20年 |
| はしがき 1 福島地区の原水禁運動 第一回大会より第二〇回大会へ 2 原水禁運動・被爆者救援運動のなかで学んできたもの 8 被爆者の会を結成したころ 14 廃品回収運動の想い出 15 分裂への怒り(九回大会) 18 被爆者訪問の中から 20 被爆診療科のあゆみ 26 原水禁運動の日常化をめざして 30 被爆二世としてのとりくみ 32 原爆犠牲者慰霊碑建立趣意書 35 あとがき 36 |
||
| 8 | 19750806 | 原爆被爆30周年 |
| はしがき 1 福島地区の原水禁運動 第一回大会より第二〇回大会へ 2 原水禁運動・被爆者救援運動のなかで学んできたもの 8 被爆者の会を結成したころ 14 廃品回収運動の想い出 15 分裂への怒り(九回大会) 18 被爆者訪問の中から 20 被爆診療科のあゆみ 26 原水禁運動の日常化をめざして 30 被爆二世としてのとりくみ 32 原爆犠牲者慰霊碑建立趣意書 35 あとがき 36 |
||
| 9 | 19760806 | 福島地区原爆犠牲者慰霊の碑建設記念 |
| 10 | 19780806 | 「壁」第十集発刊によせて 田阪正利 1 被爆者を囲んで 2 太陽の光もなんにもない。まっ暗ななかから狂うた牛が飛びかかってきた *** 17 何べん死のう思うたかわからん *** 23 福島生協病院に入院中の被爆者のかたの話 27 戦争さえなければ、こんな目におうてないのに *** 34 「わしゃあ、あんたをかばっとるヒマはないんじゃけぇ」と妻に言って *** 39 あとがき 46 |
| 11 | 19790806 | |
| 「壁」第十一集発刊によせて 中本康雄 1 われわれが訴えなければ、われわれの体験を現在の方々に伝えなければ 林田みや子 2 命をみつめて 林田みや子 8 いつでも子どもといっしょに いっしょに死ぬりゃあええ思うっとたんです 佐藤テル子(仮名)14 原爆に遭うた者には平等に手当をだしてもらいたい 鈴木ミネ子(仮名) 23 貧血のせいで、この暑いのにコタツがはなせんのですよ 藤川貞雄・藤川房江(仮名) 27 朝鮮の人に助けてもろうての、うれしかったよ 山田スミ子(仮名) 31 生き証人として大きい声でいゝたいよ *** 37 街が燃える最中に広島にはいってきました 杉山ヨシ子(仮名) 46 あとがき 53 |
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| 12 | 19950806 | 終刊号 |
| 巻頭言・『壁』に寄せる 齋藤紀 1 主張 被爆者援護法の課題 3 平和・民主主義・生活擁護のたたかい五十年-金崎是の被爆・戦後五十年- 小西正則 5 助産婦として六十年-益田小蝝さんとの対談- 西岡ミツ子 12 岩井コマノさんの被爆体験 秋本美佐子 18 学童疎開から五十年-水本文子さんの孫への話し- 藤井みな子 22 藤川美代子さんの被爆とその後 佐竹陽子 27 米三升で焼いてもらったひろこちゃん・姉 木原清子さんの回想 柿本一征 30 金崎さんのお話を聞いて 山口竜司 36 金崎さんの話をうかがって 小西結介 38 |
||
広島中央保健生活協同組合
機関誌『けんこう』WEB版http://www.hch.coop/magazine/index.html
| No. | 発行年 | 記事 |
| 466 | 201108 | 伝言板 8月16日創立記念日 1955(昭和30)年8月16日、住民自らの手で福島診療所がつくられました。 |
| 466 | 第26回「網の目平和行進」 | |
| 467 | 201109 | 子どもたちに明るい未来を核のない21世紀を願い訴えます |
| 555 | 201909 | 8・6朝のセレモニー |
| 555 | 2019ピースアクショinヒロシマ虹のひろば | |
| 566 | 202009 | 8・6朝のセレモニー |
| 566 | 平和を考える~三人女誕生会 | |
| < 新川場町で被爆> | ||
ヒロシマ研究の会満1周年記念映画会(案内ビラ)
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| 1968年6月16日 於:広島YMCA 映画:「ひろしま」、「生きていてよかった」 |
| ピカ資料研究所所蔵 |
『広島平和会館ものがたり 財団法人原爆被害者福祉センター広島平和会館小史』(原爆被害者福祉センター広島平和会館、20001201 )
目次
| 頁 | 章 | 資料 | 項目 | 備考 |
| 01 | 発刊にあたって(坪井直・理事長) | |||
| 02 | 会館運営の基本 | |||
| 06 | 1 | 憩いの館として | ||
| 08 | 「広島県被団協」の結成と「平和会館」 (高橋昭博・理事) | |||
| 10 | 1 | 救援委員会について | ||
| 2 | 原水爆禁止世界大会日本準備会総会における協議 | |||
| 3 | 〈藤居メモ1〉 12月23日(1955年)常任委員会 | |||
| 4 | 原爆被害者福祉センター(会館)の設立について | |||
| 5 | 広島市原爆被害者連絡協議会第2回世話人会 | |||
| 6 | 広島県原爆被害者大会実行委員会 | |||
| 7 | 生きていてよかった〈抄〉(藤居平一追想集の竹内武氏寄稿文より) | |||
| 8 | 平和会館完工 | |||
| 17 | 理事メンバー写真(196905 理事の皆さん) | |||
| 9 | 平和会館今月末に移転 | |||
| 10 | 平和会館移転問題 | |||
| 22 | 年表(1945年8月~1959年4月) | |||
| 2 | 28 | 運動のとりでとして | ||
| 11 | 「森瀧日記の証言」より | |||
| 32 | 被爆証人捜し (竹内武) | |||
| 12 | 国家補償に基づく被爆者援護法要求行動の最終段階の情勢と広島での行動 34 | |||
| 13 | 統一を願い続けて(『森瀧市郎の歩み』より) | |||
| 年表(1959年4月~1984年2月) | ||||
| 3 | 52 | 交流のひろばとして | ||
| 年表(1984年6月~2000年6月) | ||||
| 58 | 広島平和会館役員名簿 | |||
正式名称:核兵器をなくし、平和を求める図書館関係者の会 略称:反核・平和図書館関係者の会
結成大会:1985年9月28日
会場:YMCA(東京都千代田区神田)
会誌:『図書館反核平和通信』
資料
| 『図書館反核平和通信』準備号No.1(19841130) | ||
| 本間美智子 | イギリス研究の旅 | |
| 山崎元 | ある図書館員の死 | |
| 『図書館反核平和通信』準備号No.2(19850914) | ||
| 兵器をなくし、平和を求める図書館関係者の会 結成にいたる経緯 | ||
| 兵器をなくし、平和を求める図書館関係者の会 会則案 | ||
| 内田恵美子 | (活動紹介)広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター | |
| 岩倉務 | (活動紹介)平和博物館」 | |
| 寄贈資料紹介 | 広島大学・原爆被災学術資料センター資料調査室『資料調査通信』No.30~43 | |
| 核兵器をなくし、平和を求める図書館関係者の会 結成のつどいの模様と今後のお願い(世話人事務局、19851012) | ||
| 『民主文学』1985年12月号 No.241 pp.157-158 | ||
| 清水正三 | 反核・平和図書関係者の会 | |
| 話題・この人(『赤旗』19940821) | ||
| 我妻滋夫さん | 反核平和と図書館活動を結びつける事務局 | |
入会のしおり-非核の政府を求める広島の会(結成総会19870613)
呼びかけ人
| 相原和光 | 広島YMCA名誉総主事 |
| 市岡正憲 | 元中学校長 |
| 岩佐勝子 | キリスト教婦人矯風会 |
| 宇根内良子 | 県母親連絡会 |
| 太田睦雄 | 広島市教組委員長 |
| 大槻和夫 | 広大教授 |
| 大森正信 | 広大教授 |
| 片柳寛 | 広島女学院大学長 |
| 倉光誠一 | カトリック正義と平和広島協議会 |
| 迫千代子 | 婦人国際平和自由連盟 |
| 佐々木猛也 | 弁護士 |
| 佐藤天俊 | 三滝寺住職 |
| 佐藤光雄 | 広島市職労委員長 |
| 原田美代子 | 元小学校長 |
| 松重美人 | 写真家 |
| 山手叡 | 日本共産党広島県委員長 |
| 三浦精子 | 児童文学者 |
| 宗藤尚三 | 日本基督教団広島府中教会 |
| (五十音順) |
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| ●非核の五項目 |
| ①全人類共通の緊急課題として核戦争をふせぎ、核兵器をなくす |
| ②国是とされる非核三原則の厳格な実施をもとめる |
| ③日本を核戦争にみちびくすべての措置に反対する |
| ④国家補償による被爆者援護法を制定する |
| ⑤原水爆禁止世界大会のこれまでの合意にもとづいて国際連帯をつよめる |
『被爆70年-市民が育んだヒロシマ』(広島自治体問題研究所、20150728)
内容
| 編 頁 | タイトル | 著者 | |
| 01 | はじめに | ||
| 村上博(広島自治体問題研究所理事長) | |||
| 第1編 | ヒロシマの市民活動 | ||
| 06 | 原爆遺跡保存運動懇談会のあゆみ | 高橋信雄 | |
| 16 | 『木の葉のように焼かれて』を平和運動の推進に | 新日本婦人の会広島県本部 | |
| 20 | 広島高校生平和ゼミナールの40年 | 澤野重男 | |
| 28 | 70年目の「ヒロシマ」を考える | 大越和郎 | |
| 34 | 原爆被害者相談員の会の活動をふり返る | 三村正弘 | |
| 42 | 広島の被爆訴訟支援の到達点 | 青木克明 | |
| 51 | 劇団 月曜会 今昔 | 岩井里子 | |
| 55 | 21年目を迎える「平和のための戦争展」~見る戦争展から、育てる戦争展へ~ | 利元克巳 | |
| 第2編 | 「ヒロシマ六法」(解説) | 田村和之 | |
| 71 | 法律・条例集 | ||
| 広島平和記念都市建設法(1949年制定) | |||
| 広島市基本構想(2009年策定) | |||
| 被爆者援護法(1994年制定) | |||
| 87 | 編集後記 | ||
| 橋本和正(広島自治体問題研究所事務局長) | |||
『原爆瓦-世界史をつくる十代たち』
(山口勇子著,出版元:平和文化、発売元:汐文社、1982/07/07)
| 頁 | タイトル | 備考 |
| 12 | 瓦が再現してみせた原爆 | |
| 実験-原爆を再現する 12 瓦が気体になった 12 ぼくたちの原爆 16 ヒロシマナガサキを「体験」する 17 熱量計算-三・〇×一〇の一二乗カロリー 19 核兵器廃絶の若い仲間 20 にのしま |
||
| 25 | 「その日はいつか」の詩にあるように | |
| ヒロシマの風景 27 そしてわたしのヒロシマ 29 ほんとうのところを見極めて欲しい |
||
| 34 | 高枚生集会の高まり | |
| 原爆瓦までの道のり 34 歩み始めた高校生たち 35 高まり見せた高校生集会 37 「史樹ちゃんはわたしたちです」 |
||
| 46 | 平和ゼミナールで育つ高校生たち | |
| 無名戦士の碑 46 平和ゼミナールの授業 48 その日にこそ平和と民主主義を学ぶ 52 ヒロシマに生きる |
||
| 56 | ヒロシマの子どもたち | |
| 拠点 56 八木満喜男のこと |
||
| 62 | 初めて瓦を掘りあてたとき | |
| 片手落ちの広島 62 「あった!」 63 頭と心と体で学ぶフィールドワーク 66 突然の新聞記事 |
||
| 71 | 瓦のように溶かされたくない | |
| アピール・ヒロシマの川を考えよう 71 初めての対市交渉 71 みんなの手で一枚でも多く 75 瓦のように溶かされたくない |
||
| 79 | 各地に旅立つ原爆瓦 | |
| 輪の広がり 79 世界につながる瓦発堀 81 「この瓦でヒロシマの願いを広めてください!」 82 瓦を守れ |
||
| 93 | はがき作戦 | |
| 荒木広島市長殿 93 再び瓦発掘ヘ 95 市の計画 97 急速に盛り上がる瓦保存運動 |
||
| 100 | ボタンを見つけた | |
| 四種のボタンが語る戦争と原爆 100 「だからなくさなければ、わたしらがやらなくては……」 102 「原爆さえなかったら……」 104 自分の手でつかみとったもの |
||
| 108 | 「昭和の歴史」研究グループ | |
| 特別講座-学習から自分の生き方を考える 108 ヒロシマのもう一面 110 青春のひとみを支えるもの 113 米軍機ファントム墜落 114 安保によって米兵は裁かれない! 115 女性である前に人間であれ |
||
| 120 | 受ける平和からつくりだす平和へ | |
| ヒロシマ-一九八一・八・六 120 ええことばかりいって 121 “新天地”長崎ヘ 122 第八回八・六高校生集会 123 受ける平和からつくりだす平和ヘ 124 白いチョゴリの被爆者 126 吸収したものの重さ 127 「ぼくの弟も食べ物がなくなって死にました」 128 ずっと続く道 |
||
| 131 | 長崎研修旅行で得たもの | |
| 平和ヘの初旅 131 この怖さをいっぱいに広げよう 133 ヒロシマナガサキの瓦で友情と平和を 135 平和ゼミの感覚だけで考えてはいけない 137 若者は若者らしい方法で |
||
| 141 | ノエルベーカーの手紙運動 | |
| ノエルベーカー卿との再会 141 ノエルベーカーの手紙 142 ノエルベーカー卿に瓦を渡した |
||
| 156 | 原爆の証を消してはいけない | |
| 第三回対市交渉 156 こっちの力を大きくすることだ |
||
| 163 | げんばくがわらをほりました | |
| すすむ発掘作業と交流 P63 現実と理想が一体化されない不安 164 げんばくがわらをほりました 166 一〇フィートフィルムカンパ 170 お供養して下さい |
||
| 174 | 平和への願いが市を動かした | |
| 「ぼくはかわらをすててはいけないと思います」 174 平和への願いが市を動かした 176 最後の原爆瓦発掘 |
||
| 182 | 原爆瓦モニュメントの土台の重さ | |
| かわらおばさん 182 あの平和公園はきれいすぎる 183 安田女子高校社会科学研究部の場合 185 出会いのすばらしさ 190 原爆瓦前史-故田辺勝さんのこと |
||
| 196 | アリス・ハーズ賞受賞 196 アリス・ハーズ賞 196 生にむかって先頭に立ってください 197 生命が未来をもつように 199 実践を通じて学ぶこと 201 高校生平和ゼミの意義深さ |
|
| 206 | 原爆瓦のモニュメント建設へ | |
| 建設募金一番乗り 206 原爆の子の像 207 第二の原爆の子の像建設にむけて 209 平和のためのモニュメント 214 街頭行動ヘ 216 世界の歩みの中の原爆瓦発掘 218 |
||
| 220 | 各地の高校生平和ゼミ“出航” | |
| 被爆体験継承の役目を担って 220 神奈川でも 221 長崎でも 223 呉でも 223 埼玉でも |
||
| 236 | 平和の記念碑を | |
| 相つぐ募金と手紙 236 小学生たちの奮闘 238 ヒロシマの心を世界に 244 第五回平和ゼミナール 5 別れと出発の季節 247 もどらぬ風 249 平和教育“戦士”の新しい門出 251 平和は待つものではない、つくりだすものだ |
||
| 254 | あとがき 1982年5月23日・東京行動の日に | |