資料年表:原爆損害求償同盟<作業中>
年月日 | |||
1954 | |||
0108 | 原爆損害求償同盟発起人総会。(『中国新聞』19540109) | ||
0115 | [民声]原爆損害求償同盟に反対(『中国新聞』1954年1月15日) | ||
1968 | |||
0527 | 『ドキュメント中国百年第3部-重い軌跡』(中国新聞社(編)、浪速社、1968年5月27日) | ||
pp.251 原爆損害求償同盟発足 | |||
止
資料年表:原爆損害求償同盟<作業中>
年月日 | |||
1954 | |||
0108 | 原爆損害求償同盟発起人総会。(『中国新聞』19540109) | ||
0115 | [民声]原爆損害求償同盟に反対(『中国新聞』1954年1月15日) | ||
1968 | |||
0527 | 『ドキュメント中国百年第3部-重い軌跡』(中国新聞社(編)、浪速社、1968年5月27日) | ||
pp.251 原爆損害求償同盟発足 | |||
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『いまに問うヒバクシャと戦後補償 【市民講座】いまに問う』(高橋博子・竹峰誠一郎責任編集、凱風社、20061020)
内容
1 | 二一世紀における平和秩序の構築を求めて | |
今こそ、原爆(核兵器)と劣化ウラン兵器の禁止・廃絶を! 木村朗 6 | ||
2 | <シンポジウム:主催=グルーバルヒバクシャ研究会> 未来の戦後補償 広島・長崎原爆、東京大空襲、重慶爆撃をむすぶ 23 |
|
●一日でも早く援護行政改革を 原爆症認定訴訟 田中熙巳 25 ●「受忍論」の突破をめざして 民間の空襲犠牲者訴訟 星野ひろし 36 ●加害意識を曇らせた「空からのテロル」重慶爆撃・中国人被害者対日訴訟 前田哲男 48 ◆被害者の立場で戦争責任を追及する意味<パネリストの発言を受けて>内藤雅義 60 ◆ドレスデンと東京・重慶を結ぶもの<パネリストの発言を受けて>柳原伸洋 63 【略年表】被爆者運動のあゆみ 66 |
||
3 | 原爆症認定集団訴訟が問いかけるもの | |
残留放射線による内部被曝の影響 沢田昭二 69 | ||
4 | ビキニとヒロシマ・ナガサキをつなぐ | |
グルーバル・スケールの汚染とABCC 竹峰誠一郎 82 | ||
5 | <写真が語る>ビキニの「あの時」そして「現在」 | |
クロスロード作戦から六〇年によせて 高橋博子・竹峰誠一郎 90 | ||
6 | <写真が語る>ニュークリア・レイジズム | |
核による人種差別 豊崎博光 106 | ||
7 | チェルノブイリ原発事故二〇年 | |
地域社会がまるごと消滅 今中哲二 118 | ||
8 | 放射能の脅威は我らが生活の間近かに迫る | |
映画「六ケ所村ラプソディー」の制作に取り組んで 鎌仲ひとみ 130 | ||
9 | ヒロシマからウラン兵器禁止を訴える | |
「ウラン兵器禁止を求める国際連合」国際大会報告 振津かつみ 141 | ||
10 | 隠されたヒロシマ・ナガサキの実相 | |
民間防衛計画(国民保護計画)にみる核対策 高橋博子 153 | ||
あとがき 162 | ||
止
ひろしまの河 NO.2(1961年8月1日)
内容
頁 | 著者 | タイトル | |
01 | (写真) | [堀川町の十字路にて:慰霊碑の] | |
02 | 山川菊栄 | 原爆と世界の動き | |
03 | 山口勇子 | モスクワの託児所で | |
03 | 近藤幸子 | 短歌 火のいたみ | |
04 | 座談会―被爆体験と今日の私たち | ||
永瀬清子・林田みや子・西隅幸枝・日詰しのぶ・斎藤富美江・煙井美津子・森滝市郎・山口勇子・小西信子・升川貴志栄・(司会者)藤井ゆり。於:平和会館。 | |||
06 | 永瀬清子 | 詩 広島開眼 | |
07 | 森滝しげ子 | 働く被爆者たち | |
08 | 小西信子 | 原爆慰霊碑めぐり(2)慰霊碑の街ひろしま | |
09 | 山本紀代子 | 遺稿 かの日の吾子は | |
南雅子 | 歌集「小さき旗」から | ||
10 | 座談会―原水爆時代の文学をめぐって | ||
中川国雄・*原*夫・小久保均・大原美耶雄・増原正・浜野千穂子・深川宗俊・小西信子・司会:栗原貞子、於:平和会館。 | |||
12 | 八島蒔子 | 詩 ひびわれた地球 同じ空の下で―安保の学生によせる― | |
13 | 藤井ゆり | 少女たち | |
14 | 日詰しのぶ | 署名 | |
15 | 前田とみ子(事務局) | 原水爆禁止広島母の会の活動について | |
16 | 第7回原水爆禁止世界大会へ向けての署名 軍縮全廃アピール | ||
あとがき | |||
発行所:前田とみ子方 原水爆禁止広島母の会事務局 | |||
編集人:栗原貞子 | |||
印刷所:増田兄弟活版所 | |||
止
ひろしまの河 NO.1(1961年6月15日)
内容
頁 | 著者 | タイトル | |
01 | 四国五郎 | 題字「ひろしまの河」 | |
01 | 原爆17回忌に捧ぐ | ||
01 | 絵島(写真) | [広島市立女学校の殉職職員と学徒の慰霊碑の碑面] | |
02 | 山口勇子 | 原爆孤児 | |
02 | 南雅子 | 歌集「小さき旗」から | |
03 | 正田篠枝 | 私の苦悩と寂寞 | |
04 | 升川貴志栄 | 十六年後の二人の娘からの手紙 | |
04 | 油井善子 | 未だ癒えず | |
04 | 小玉満子 | 九回の手術を受けて | |
05 | 栗原貞子 | 広島・現代の救済 5 | |
06 | 小西信子 | 原爆慰霊碑めぐり 石田学園の巻(1) 市立女学校の巻(2) |
|
07 | 〈原水協通信〉 | 殖える核保有国 今年こそ実験停止を | |
07 | 〈原水協通信〉 | 盛んなイギリスの平和大行進 | |
07 | 八島藤子 | 詩 平和公園にて | |
07 | N | 老人に腰かけを | |
S | 原爆十七回忌 | ||
広島と死神 S | |||
あとがき | |||
発行所:前田とみ子方 原水爆禁止広島母の会事務局 | |||
編集人:栗原貞子 | |||
印刷所:増田兄弟活版所 |
止
ひろしまの河(原水爆禁止広島母の会機関誌)
各号発行年月日
号 | 発行年月日 | 号 | 発行年月日 | 号 | 発行年月日 | 号 | 発行年月日 |
1 | 19610615 | 6 | 19621201 | 11 | 19650101 | 16 | 19720720 |
2 | 19610801 | 7 | 19630501 | 12 | 19650801 | 17 | 19730725 |
3 | 19611001 | 8 | 19630806 | 13 | 19660301 | 18 | 19740725 |
4 | 19611201 | 9 | 19631220 | 14 | 19660801 | 19 | 19750725 |
5 | 19620801 | 10 | 19640425 | 15 | 19670801 |
『ひろしまの河』の主要掲載記事
号数 | 発行年月日 | 記事 |
1 | 19610615 | 原爆十七回忌に捧ぐ |
2 | 19610801 | 座談会「被爆体験と今日の私たち」出席者=永瀬清子・林田みや子・西隅幸枝・日詰しのぶ・斉藤冨美江・森滝市郎・山口勇子・小西信子・升川貴志栄・藤井ゆり 座談会「原水爆時代の文学をめぐって」出席者=中川国雄・荏原肆失・小久保均・大原美耶雄・増原正・浜野千穂子・深川宗俊・小西信子・栗原貞子 |
3 | 19611001 | 米・ソ核実験抗議特集号 |
4 | 19611201 | 特集:被爆地の原水禁運動はどうあるべきか |
5 | 19620801 | 被爆十七年の市民感情の方向-ABCCを中心に、 今なおつづく広島:手記八編 |
6 | 19621201 | 岩国基地:わたしたちのまわりは米軍基地にとりまかれている |
7 | 19630501 | 原爆孤児あゆみグループのこと |
8 | 19630806 | 八月特集号 |
9 | 19631220 | 特集:故峠三吉詩碑建設記念 |
10 | 19640425 | |
11 | 19650101 | |
12 | 19650801 | |
13 | 19660301 | |
14 | 19660801 | |
15 | 19670801 | |
16 | 19720720 | 復刊一号<原爆体験の今日的課題> |
17 | 19730725 | 原爆体験特集号 |
18 | 19740725 | 援護法制定の悲願をこめて |
19 | 19750725 | 思出の疎開児童紙芝居 |
止
原爆死没者慰霊碑巡礼順路(昭和41年7月31日現在 原爆資料保存会 )<作業中>
順 | 慰霊碑合祀者(団体名) | 所在地 | ||
01 | 慰霊碑 | 中島町1(平和公園内) | ||
02 | 供養塔 | 中島町1(平和公園内) | ||
03 | 中島本町町民慰霊碑 | 中島町1(平和公園内) | ||
04 | 安佐郡佐東町義勇隊慰霊碑 | 中島町1(平和公園内) | ||
05 | 広島県立第二中学校職員・生徒慰霊碑 | 中島町1(平和公園内) | ||
06 | 広島市立商業造船科職員・生徒慰霊碑 | 中島町1(平和公園内) | ||
07 | 損害保険合同慰霊碑 | 中島町2(平和公園内) | ||
08 | 広島市立第一高女職員・生徒慰霊碑 | 中島町11(平和公園内) | ||
09 | 広島県庁職員慰霊碑 | 加古町 | ||
60 | 中国四国土木出張所職員慰霊碑 | 大手町1-1 (ドーム内) | ||
出典:『原爆慰霊碑巡礼の案内』(後藤純、原爆慰霊碑研究所、19670801)
『戦後日本の国家権力』(現代史研究会、三一書房、19600825)
内容
部 | 章 | タイトル | 備考 | |
はしがき | ||||
1 | 戦後日本の権力論 | |||
1 | 戦後日本の権力関係 | 中村義知 | ||
2 | 戦後日本の政治過程 | |||
1 | 占領下におけるアメリカの対日政策と日本 | 山田浩 | ||
2 | 講和後の日本の政治―吉田・鳩山内閣時代 | 石井金一郎 | ||
3 | 新安保体制の前提―保守政権と独占資本 | 大江志乃夫 | ||
補論 | ||||
新中国から見た国家権力 | 横山英 | |||
止
『戦争は人間のしわざです』(カトリック正義と平和広島協議会19910225)
内容
頁 | 著者 | タイトル | 備考 |
001 | 三末篤美(広島教区長 ) | はじめに | |
002 | 肥塚侾司(カトリック正義と平和広島協議会) | 広島を考えることは | |
007 | ヨハネ・パウロII世 | 平和アピール | |
宣教師の見たその日 | |||
017 | J・ジーメス | 原爆 | |
035 | F・ラッサール | 私の見たもの | |
045 | H・チースリク | 被爆の日 | |
068 | P・アルペ | 広島-原爆の記録- | |
死の街をくぐり抜けて | |||
079 | 枝沢カズ子 | 自分めがけて爆弾が | |
081 | 富永初枝 | 呪われた日 | |
083 | 畑清広 | 思い出すことなど | |
089 | 今村幸子 | 神に感謝 | |
092 | 今村宏 | 私の被爆体験 | |
093 | 山本フジエ | 子どもをかばって | |
097 | 坂井ヨシコ | 子どもと共に | |
100 | 野村ハルエ | よくぞ生きさせて頂いた | |
105 | 多田日出夫 | 人間のおごり | |
111 | 松田幸一 | 被爆から受洗まで | |
119 | 岡村建二 | 大きな力に動かされて | |
137 | 早副穣 | 死の町 | |
143 | ウエイ・チエンツウ・テレサ | 八月六日の思い出 | |
146 | 前島郁恵 | 赤十字病院で | |
148 | 管照子 | その時「めでたし」を唱えた | |
150 | 飯田綾子 | 女子挺身隊として | |
153 | 横木八枝子 | 戦いの果て | |
156 | 清原時子 | 一期一会 | |
158 | 穐本照江 | 父の死 | |
161 | 服部節子 | 残されたもの | |
165 | 長谷川儀 | 神はもう一度生きることを望まれた | |
172 | 橋本那彦 | 異常な雲 | |
181 | 山口裕子 | 閃光のあと | |
214 | 森谷富士子 | 学童疎開から帰った日 | |
217 | 許田宗文 | 暑い夏の一日 | |
220 | 伊藤清子 | 修道院の庭で | |
230 | 赤窄ソウ | 死を乗り越えて-生きる- | |
238 | 惣野由子 | 平和 | |
240 | NOBUKO NAWATA | つらい経験のあとの平和 | |
世界の平和を祈って | |||
247 | F・ラッサール | 原爆と世界平和記念聖堂 | |
249 | H・チースリク | 広島の平和記念聖堂 | |
261 | 山口裕子 | あとがき | |
止
『破壊の日-外人神父たちの被爆体験』(カトリック正義と平和広島協議会、1983/07/30)
内容
野間重信(指導司祭) | 発刊にあたって 「平和を願う会」 | |
谷本清(ヒロシマ・ビース・センター理事長) | 『破壊の日』発刊に寄せて | |
写真集「破壊と復活」-広島教会の記録より- | ||
J・ジーメス( 出崎澄男訳) | 原爆! 1 | |
H・チースリク | 破壊の日-原爆体験記- 18 | |
P・アルペ (谷口幸紀訳) | 広島-原爆の記録- 39 | |
F・ラサール | 原爆と世界平和記念聖堂45 | |
オッセルバト-レ・ロマーノ紙 | 戦争のための道具・信じ難い威力の原子爆弾」 47 | |
あとがき 52 | ||
止
『平和への道 教皇ヨハネ・パウロⅡ世来広記念文集』(カトリック正義と平和広島協議会「平和を願う会」、1982/02/25)<作業中>
内容
頁 | 著者 | タイトル | 備考 |
平和の祈り-アジアの聖フランシスコ- | |||
倉光誠一 | はじめに-教皇様の呼びかけに応えよう | ||
グラビア | |||
西尾禎郎 | (表紙装幀・さし絵 ) | ||
世界のなかのヒロシマ | |||
15 | 野口由松 | 教皇の訪日をふり返って | |
17 | 相馬信夫 | 平和を! | |
19 | 相原和光 | ヨハネ・パウロニ世法王様を広島にお迎えして | |
20 | 大原三八雄 | この人を見よ-ローマ法王を迎えて- | |
22 | 粟原貞子 | 原子地獄の救済-このときローマ法王ヒロシマに来ませり- | |
24 | 熊田重克 | 法王来広の意味 | |
27 | 高橋昭博 | ローマ法王ご来広と「ヒロシマの心」 | |
29 | 森瀧市郎 | ローマ法王「いのちのためアピール」-一被爆者の感動- | |
平和アピールにこたえて | |||
平和の使徒を迎えて 野間重信 37 よろこびの道を継ごう 西尾禎郎 38 教皇の祈り H・チースリク 43 聖堂の教皇/今井俊子・雪の広場/神原ヨシエ 46 聖使徒/吉岡敦子 47 平和の使者/錦川英治 48 戦争は/安部志保子 49 慰霊碑にささげる 斉藤真仁 50 パパ様を広島にお迎えして 松本卓子 53 広島“平和の集い”に参加して 鳥村美佐子 57 「教皇様の平和アピールと私たち」 山田経三 59 法王の十字架 マリア I・S 60 教皇様をむかえて 梶田栄 61 教皇様の平和アピールと私たち 服部節子 62 平和への責任 山口裕子 63 ヨハネ・パウロ二世のアピールを声高く受継ぎましょう!! 平岩禮子 65 「落ちこぼれ」対策は 安都滋 67 感謝 吉岡敦子 70 「平和」のために何ができるか シスター井上 71 愛と平和を 今井アンナ 72 平和に出来る街 松本孝子 74 パパさまのお姿 甲斐允子 76 平和の使徒・教皇様を偲びて 小塩侑 77 私達のパパ様こんにちは 石黒美代 78 教皇ヨハネ・パウロ二世の平和アピールに応えて 望月教代 79 教皇様をお迎えして 沢一江 80 教皇様の平和アピールを聞いて 岡本和子 82 平和を考えるために 高垣昕二 84 平和への使徒的使命 竹添保 87 平和アピールを心して 住田絹江 88 教皇様ありがとう ガエタノ・コンプリ 92 From this city came a neaw dream of a world without war/Sister Jean Fallon 93 教皇御来日/加藤木久子 65 平和/松村泉 69 我が決意/金沢恂 82 |
|||
受けつぐものたち | |||
みながひとつになるように 斎藤正樹 99 広島で会ったローマのパパ様 清水理加 101 パパ様にお逢いして 岡本百香里 102 平和 原知子 105 平和アピールにこたえたくて 石井順子 107 私の責任 宇野靖子 108 平和について思うこと 藤原憲子 109 平和について 上田繁美 110 ローマ法王の“平和アピール”について 広川容子 111 ローマ法王をお迎えして 田中雅子 113 「平和アピール」を聞いて 水木一恵 114 ローマ法王来日について 岩井美知枝 116 教皇様へ/大河原健 104・高津圭 112 親愛なる教皇様/清水宣利 117 平和に対する責任 世戸浩司 118 戦争の意味 中野リカ 119 |
|||
《資料》 | |||
121 | 日本カトリック社会司教委員会 | 原爆被爆の実態、全世界へ | |
125 | ヨハネ・パウロニ世 | 教皇の平和アピール | |
129 | 『平和アピール』に至る教会の訴え | ||
131 | おわりに | ||
止