核兵器廃絶をめざすヒロシマの会
2001年3月20日設立
Hiroshima Alliance for Nuclear Weapons Abolition (HANWA)
【共同代表】 岡本三夫 河合護郎 森瀧春子
【事務局】
〒730-0802
広島市中区本川町二丁目6番11号 第7ウエノヤビル 5F
広島県生活協同組合連合会内
https://www.e-hanwa.org/date/2001/03
年表:核兵器廃絶をめざすヒロシマの会
| 年月日 |
事項 |
備考 |
| 2001 |
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| 0320 |
核兵器廃絶をめざすヒロシマの会発足 |
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| 0806 |
「核のない21世紀を!広島国際対話集会の夕べ」 |
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| 1114 |
ブッシュ米大統領にCTBT発効促進会議欠席への抗議文を送付。 |
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| 2002 |
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| 0911 |
米中枢同時テロから1年。原爆資料館で集会。 |
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| 1215 |
会員3人、イラクへの「市民平和使節団」員として広島を出発。 |
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| 2022 |
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| 0122 |
核兵器禁止条約発効から1年。原爆ドーム前で10人が横断幕。 |
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| 0308 |
原爆ドーム前でロシアのウクライナ侵攻と核兵器による威嚇に抗議する集い。 |
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| 0806 |
『8・6国際対話集会~反核の夕べ 2022 核戦争をいかに防ぐか ヒロシマで考える』 |
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講演「核戦争をいかに防ぐか ヒロシマで考える」 |
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止
原爆体験を伝える会主催《核セミナー》19750201(東京・文京区民センター)19750210~0414(東京市ヶ谷・日本YMCA会議
出典:『原爆から原発まで-核セミナーの記録』
| 『原爆から原発まで-核セミナーの記録上巻』(原爆体験を伝える会編、アグネ、19750725) |
| 核を考える市民集会 |
| 核はここまできている19750201 東京・文京区民センター |
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核を考える市民集会のはじめに 3 |
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大江健三郎 |
われわれにとって核とは何か 7 |
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小川岩雄 |
核問題の現況-自然学者の立場から- 21 |
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関寛治 |
核の脅威はここまできている 41 |
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討論 59 |
| 原爆から原発まで19750210~0414 東京市ヶ谷・日本YMCA会議室 |
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峯村 |
核セミナーをはじめるにあたって 69 |
| 〔1〕ヒロシマ・ナガサキから |
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栗原貞子 |
被爆者のこころ―正田篠枝さんと私 71 |
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鎌田定夫 |
証言運動の使命と私 83 |
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討論 103 |
| 〔2〕被爆者の運動と生活史 |
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石田忠 |
被爆者の生きる意味 121 |
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伊東壮 |
原爆被爆の思想と運動 132 |
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討論 152 |
| 〔3〕〈朝鮮人被爆者〉の意味するもの |
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中島竜美 |
今日の朝鮮人被爆者問題―孫振斗問題を中心に― 166 |
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討論 203 |
| 〔4〕芸術のなかの原爆 |
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林光 |
音楽「原爆小景」と私 211 |
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丸木位里・俊 |
絵画「原爆の図」を描き続けて 270 |
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長岡弘芳 |
文学 大衆の表現の輪を 235 |
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討論 248 |
| 〔5〕教育と報道にみる核 |
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袖井林二郎 |
原爆はいかに報道されたか 266 |
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岩垂弘 |
報道にみる原爆と原発 277 |
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田川時彦 |
教育の現場からみた原爆 292 |
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討論 311 |
| 『原爆から原発まで-核セミナーの記録下巻』(原爆体験を伝える会編、アグネ、19750916)目次 |
| 〔6〕核をめぐる日本政財界の動き |
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河合武 |
原発開発と政財界 3 |
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川上幸一 |
原子力の政治と経済 19 |
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討論 38 |
| 〔7〕核エネルギーの危険性 |
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星野芳郎 |
エネルギー危機の欺瞞 53 |
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討論 88 |
| 〔8〕放射線の生物への影響 |
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むつ市奥内小二又分校 |
むつの海を守る人々 99 |
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高木仁三郎 |
プルトニウムの毒性 107 |
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市川定夫 |
微量放射線の影響と問題点 121 |
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フリー号のアピールおよび討論 145 |
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島田興生 |
ロンゲラップをたずねて―ビキニ水爆の犠牲者たち― 154 |
| 〔9〕人間にとっての核 |
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小山内宏 |
核兵器の現状 163 |
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梅林宏道 |
核を管理する社会とは 178 |
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討論 193 |
| 〔10〕ティーチイン「核と市民運動」 |
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松岡信夫 |
核に対抗する運動とは 213 |
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討論 226 |
| 続・ティーチイン「核と市民運動」 |
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戸駒恒世 |
フリー号と丸木美術館行き 287 |
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あとがき 295 |
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「とにかく定員70人、とてもそんなに集まるはずがないとたかをくくっていたら、どうして。正確には数えていないが、平均して各回120~30名もの人が、やってきてくださったのである(「市民集会」は450名くらい)。しかも毎回500円也を支払ってだ」 |
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原爆・原発関係年表 298 |
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文献あんない 309 |
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セミナー講師の紹介 |
被爆者問題国際シンポジウム広島準備会・生活史調査委員会(編) 『被爆者・この32年の苦悩
-相談援助制度と援護法を求めて-』

『原爆被害に関する事例報告-生き続けた31年』(原爆被害者問題ケースワーカー懇談会<日本被団協気付・伊藤直子>、19760730刊)
目次
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「原爆被害に関する事例報告」発刊にあたって―経過と目的――1976年7月30日原爆被害者問題ケースワーカー懇談会 |
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事例報告 |
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| 加藤礼子 |
1原爆に奪われた「人並み以上」の人生(広島赤十字病院・医療ソーシャルワーカー<ワーカー歴16年>)<当病院の医療社会事業部は、全国の日本赤十字社と足並を揃えて昭和28年ごろより始められ> |
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| 若林節美 |
2 被爆,下痢そしてスモン発病-2重の苦しみを背負って-(広島原爆病院・医療ソーシャルワーカー<ワーカー歴9年>) |
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| 西村清登 |
3ある被爆者の老後-24年目の親子再会-(放射線影響研究所・医療ソーシャルワーカー<ワーカー歴13年>) |
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| 中村住代 |
4 生きるのぞみをうばわれて(長崎原爆病院・医療ソーシャルワーカー<ワーカー歴7年>) |
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| 白石照子 |
5 なおつづく「戦後」を背負って―二世に及ぶ被害(長崎原爆被災者協議会相談員) |
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| 野口文子 |
6 アル中,そして死-妻子にも語れたかった死の恐怖-(柳原病院・医療ソーシャルワーカー<ワーカー歴9年>) |
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| 原玲子 |
7 影深く-尾をひく被爆体験(代々木病院・医療ソーシャルワーカー<ワーカー歴9年>) |
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| 石田忠 |
原爆被害の全体像をどうとらえるか-ケースワークにおける生活史把握の意味-<1976年2月29日広島県社会事業協会主催「被爆者問題事例検討会」での講演をまとめたもの> |
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記録をおわって あとがき |
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参考資料 |
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全国ケースワーカー大会(日本医療社会事業協会主催) 1977年5月20~21日。テーマ:「資格制度の方向性をさぐる」。会場:中国新聞社・平和記念会館(広島市)。参加者約600人。2日目の8分科会の一つに「原爆被害者問題」(このテーマの分科会が設けられたのは初)。約50人が出席。長崎(友池敏雄・長崎原爆病院)と広島(山田寿美子・福島生協病院)から実践報告。午後1時から石田忠一橋大学教授の特別講演「ケースワーカーにおける生活史把握の意味」と分科会報告。
出典:「赤旗」1977年5月22日。
原爆と文学の会
山口勇子=米、ハノイを爆撃。連日のニュースに目はくぎづけになる。でき得る限りの方法で、なにかをしなければ、といういら立つ思いの中から『原爆と文学』は生まれでた。
増岡敏和=今年の3月、山口勇子が東京に在住することになって、いきなりわたしのところに電話がかかってきた。そして文学における原爆のたたかいをすすめる話になり、『原爆と文学』を創刊する話に発展した。
出典:「あとがき」(機関誌『原爆と文学』創刊号1972年07月25日刊)
『原爆と文学』
| 号 |
発行年月日 |
備考 |
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所蔵:G=広島原爆資料館、U=宇吹 |
| 01 |
1972/07/25 |
G、創刊号 U |
| 02 |
1973/06/01 |
G |
| 03 |
1974/06/15 |
G |
| 04 |
1975/07/10 |
G、U |
| 05 |
1977/08/01 |
G |
| 06 |
1995/03/01 |
G、U、1995年版 |
| 07 |
1996/02/27 |
G、U |
| 08 |
1997/03/01 |
G、U |
| 09 |
1998/03/01 |
G |
| 10 |
1999/03/01 |
G、U |
| 11 |
2000/03/01 |
G、U |
| 12 |
2001/03/01 |
G、U |
| 13 |
2002/03/01 |
G |
| 14 |
2003/03/01 |
G |
| 15 |
2004/03/01 |
G、U |
| 16 |
2005/03/01 |
G |
| 17 |
2006/03/01 |
G |
| 18 |
2007/03/01 |
G、2007年版 |
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『ヒバクシャ-ともに生きる第30号』原爆被害者相談員の会、20130806
目次
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| 相良カヨ |
栗原淑江さんの「明日へつなぐ集い」に参加して |
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3月16日、東京・渋谷で開催。 |
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| 河宮百合恵 |
若林節美さん 第41回「医療功労賞」全国表彰受賞の報告 |
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3月15日、東京・帝国ホテルで開催。 |
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『ヒバクシャ-ともに生きる第33号』原爆被害者相談員の会、20150806
目次
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| 栗原淑江 |
今、「自分史」を書くということ~被爆70年をふりかえって~ |
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1.はじめに―「被爆者の自分史」の20年 |
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「自分史つうしん ヒバクシャ」を20年間240か月、240号(2013年1月)まで発行。のべ940編、実数は、被爆者95人、二世・三世10人、支援者66人。 |
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『ヒバクシャ-ともに生きる第33号』原爆被害者相談員の会、20160806
目次
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| 三村正弘 |
巻頭言 |
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| 田村和之 |
最高裁で勝訴-在韓被爆者医療費裁判~最高裁判決の意味、残された課題~ |
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| 高東征二 |
「黒い雨」地域拡大の運動に参加して |
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| 望月照己 |
世界遺産・原爆ドームの近くにかき船は、いらない! |
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| 渡邊美和 |
原発事故から五年四ヵ月~福島原発ひろしま訴訟~ |
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| 山地恭子 |
在韓被爆者渡日治療広島委員会活動終了の節目に |
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| 村田 朱 |
12・11基本懇意見書にこだわる被爆者問題講演会の報告 |
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| 村上須賀子 |
「被爆体験の継承~ヒロシマMSWの生活史から~」 |
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『ヒバクシャ-ともに生きる第34号』原爆被害者相談員の会、20170806
目次
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| 三村正弘 |
巻頭言 |
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| 山下正寿 |
ビキニ事件を検証する |
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| 古寺愛子 |
原爆症認定申請を支援して |
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| 中野陽子 |
長崎原爆学級について |
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| 宇田茂樹 |
長崎原爆・被爆稲を育てて感じていること |
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| 渡辺淳子 |
“究極の偶然”リオオリンピック1分間の黙祷を目指して |
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| 古寺愛子 |
第35回 8・6原爆被害者証言のつどい報告 |
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| 村田 朱 |
12・11被爆者問題講演会の報告 |
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| 直野章子 |
講演録「被爆者を引き受ける―七一年目の広島で」 |
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| 三村正弘 |
福島第一原発被災地の視察と交流・研修(概要) |
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| 中村有紀子 |
貧困研究会 第九回研究大会 シンポジウム報告 |
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| 山地恭子 |
福島に生きるソーシャルワーカー~被災者として~ |
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| 望月みはる |
福島、原発避難区域の現地調査 |
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| 三村正弘 |
浜通り医療生協組織部訪問 |
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| 古寺愛子 |
『生きる』5集出版記念パーティー |
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