被爆者問題国際シンポジウム広島準備会・生活史調査委員会(編) 『被爆者・この32年の苦悩
-相談援助制度と援護法を求めて-』
「NGO(か行)」カテゴリーアーカイブ
原爆被害に関する事例報告(1976年)
『原爆被害に関する事例報告-生き続けた31年』(原爆被害者問題ケースワーカー懇談会<日本被団協気付・伊藤直子>、19760730刊)
目次
「原爆被害に関する事例報告」発刊にあたって―経過と目的――1976年7月30日原爆被害者問題ケースワーカー懇談会 | ||
事例報告 | ||
加藤礼子 | 1原爆に奪われた「人並み以上」の人生(広島赤十字病院・医療ソーシャルワーカー<ワーカー歴16年>)<当病院の医療社会事業部は、全国の日本赤十字社と足並を揃えて昭和28年ごろより始められ> | |
若林節美 | 2 被爆,下痢そしてスモン発病-2重の苦しみを背負って-(広島原爆病院・医療ソーシャルワーカー<ワーカー歴9年>) | |
西村清登 | 3ある被爆者の老後-24年目の親子再会-(放射線影響研究所・医療ソーシャルワーカー<ワーカー歴13年>) | |
中村住代 | 4 生きるのぞみをうばわれて(長崎原爆病院・医療ソーシャルワーカー<ワーカー歴7年>) | |
白石照子 | 5 なおつづく「戦後」を背負って―二世に及ぶ被害(長崎原爆被災者協議会相談員) | |
野口文子 | 6 アル中,そして死-妻子にも語れたかった死の恐怖-(柳原病院・医療ソーシャルワーカー<ワーカー歴9年>) | |
原玲子 | 7 影深く-尾をひく被爆体験(代々木病院・医療ソーシャルワーカー<ワーカー歴9年>) | |
石田忠 | 原爆被害の全体像をどうとらえるか-ケースワークにおける生活史把握の意味-<1976年2月29日広島県社会事業協会主催「被爆者問題事例検討会」での講演をまとめたもの> | |
記録をおわって あとがき | ||
参考資料 | ||
全国ケースワーカー大会(日本医療社会事業協会主催)
全国ケースワーカー大会(日本医療社会事業協会主催) 1977年5月20~21日。テーマ:「資格制度の方向性をさぐる」。会場:中国新聞社・平和記念会館(広島市)。参加者約600人。2日目の8分科会の一つに「原爆被害者問題」(このテーマの分科会が設けられたのは初)。約50人が出席。長崎(友池敏雄・長崎原爆病院)と広島(山田寿美子・福島生協病院)から実践報告。午後1時から石田忠一橋大学教授の特別講演「ケースワーカーにおける生活史把握の意味」と分科会報告。
出典:「赤旗」1977年5月22日。
原爆と文学の会
原爆と文学の会
山口勇子=米、ハノイを爆撃。連日のニュースに目はくぎづけになる。でき得る限りの方法で、なにかをしなければ、といういら立つ思いの中から『原爆と文学』は生まれでた。
増岡敏和=今年の3月、山口勇子が東京に在住することになって、いきなりわたしのところに電話がかかってきた。そして文学における原爆のたたかいをすすめる話になり、『原爆と文学』を創刊する話に発展した。
出典:「あとがき」(機関誌『原爆と文学』創刊号1972年07月25日刊)
『原爆と文学』
号 | 発行年月日 | 備考 |
所蔵:G=広島原爆資料館、U=宇吹 | ||
01 | 1972/07/25 | G、創刊号 U |
02 | 1973/06/01 | G |
03 | 1974/06/15 | G |
04 | 1975/07/10 | G、U |
05 | 1977/08/01 | G |
06 | 1995/03/01 | G、U、1995年版 |
07 | 1996/02/27 | G、U |
08 | 1997/03/01 | G、U |
09 | 1998/03/01 | G |
10 | 1999/03/01 | G、U |
11 | 2000/03/01 | G、U |
12 | 2001/03/01 | G、U |
13 | 2002/03/01 | G |
14 | 2003/03/01 | G |
15 | 2004/03/01 | G、U |
16 | 2005/03/01 | G |
17 | 2006/03/01 | G |
18 | 2007/03/01 | G、2007年版 |
ヒバクシャ-ともに生きる第30号
『ヒバクシャ-ともに生きる第30号』原爆被害者相談員の会、20130806
目次
相良カヨ | 栗原淑江さんの「明日へつなぐ集い」に参加して | |
3月16日、東京・渋谷で開催。 | ||
河宮百合恵 | 若林節美さん 第41回「医療功労賞」全国表彰受賞の報告 | |
3月15日、東京・帝国ホテルで開催。 | ||
ヒバクシャ-ともに生きる第32号
『ヒバクシャ-ともに生きる第33号』原爆被害者相談員の会、20150806
目次
栗原淑江 | 今、「自分史」を書くということ~被爆70年をふりかえって~ | |
1.はじめに―「被爆者の自分史」の20年 | ||
「自分史つうしん ヒバクシャ」を20年間240か月、240号(2013年1月)まで発行。のべ940編、実数は、被爆者95人、二世・三世10人、支援者66人。 | ||
ヒバクシャ-ともに生きる第33号
『ヒバクシャ-ともに生きる第33号』原爆被害者相談員の会、20160806
目次
三村正弘 | 巻頭言 | |
田村和之 | 最高裁で勝訴-在韓被爆者医療費裁判~最高裁判決の意味、残された課題~ | |
高東征二 | 「黒い雨」地域拡大の運動に参加して | |
望月照己 | 世界遺産・原爆ドームの近くにかき船は、いらない! | |
渡邊美和 | 原発事故から五年四ヵ月~福島原発ひろしま訴訟~ | |
山地恭子 | 在韓被爆者渡日治療広島委員会活動終了の節目に | |
村田 朱 | 12・11基本懇意見書にこだわる被爆者問題講演会の報告 | |
村上須賀子 | 「被爆体験の継承~ヒロシマMSWの生活史から~」 | |
ヒバクシャ-ともに生きる第34号
『ヒバクシャ-ともに生きる第34号』原爆被害者相談員の会、20170806
目次
三村正弘 | 巻頭言 | |
山下正寿 | ビキニ事件を検証する | |
古寺愛子 | 原爆症認定申請を支援して | |
中野陽子 | 長崎原爆学級について | |
宇田茂樹 | 長崎原爆・被爆稲を育てて感じていること | |
渡辺淳子 | “究極の偶然”リオオリンピック1分間の黙祷を目指して | |
古寺愛子 | 第35回 8・6原爆被害者証言のつどい報告 | |
村田 朱 | 12・11被爆者問題講演会の報告 | |
直野章子 | 講演録「被爆者を引き受ける―七一年目の広島で」 | |
三村正弘 | 福島第一原発被災地の視察と交流・研修(概要) | |
中村有紀子 | 貧困研究会 第九回研究大会 シンポジウム報告 | |
山地恭子 | 福島に生きるソーシャルワーカー~被災者として~ | |
望月みはる | 福島、原発避難区域の現地調査 | |
三村正弘 | 浜通り医療生協組織部訪問 | |
古寺愛子 | 『生きる』5集出版記念パーティー | |
ヒバクシャ-ともに生きる第5号
『ヒバクシャ-ともに生きる第5号』原爆被害者相談員の会、19861211
目次
鈴木 勉 | はじめに | |
第二回・平和的生存のためのボランティア講座 | ||
被団協調査 | ||
原爆被害者相談員の会事務局 | 日本被団協調査のとりくみをふりかえって | |
証言活動 | ||
久保浦寛人 | 証言のつどい五年の歩みから | |
一九八六年度証言活動一覧 | ||
活動報告 | ||
広瀬 勝 | 原爆遺跡めぐりに参加して | |
加藤礼子 | 中国を訪問して | |
ヒバクシャ-ともに生きる第4号
『ヒバクシャ-ともに生きる第4号』原爆被害者相談員の会、19851211
目次
鈴木 勉 | はじめに | |
河合幸尾 | 四年間の相談活動をふり返って ―私的な感想 | |
座談会 被爆者相談活動の現状と課題をさぐる―待つ相談から出かける相談をめざして 出席者:三村正弘、一泰治、若林節美、江崎須賀子、山田寿美子、小嶋章吾、中村義明、(司会進行)塚本弥生 | ||
久保浦寛人 | 原爆被害者のつどい一年のあゆみ | |
一九八五年度証言活動一覧 | ||
第一回世界平和連帯都市市長会議 被爆者との懇談会参加者の報告から (久保浦寛人、加藤礼子、加藤英雄 、 桑原千代子 、 川相廣子、土井久男、米田美津子、宮田幸子、片桐チヨ子) | ||
舟橋喜恵 | 被爆者から学ぶもの《被爆者へのメッセージ》より | |
江崎須賀子 | 原爆小頭症患者・木田さん(仮名)宅への訪問相談活動報告 | |
研究会活動 | ||
松崎 徹 | 被爆体験の継承とは何か 受け継ぐものの立場から | |
小嶋章吾 | 二つの原爆被害者調査について | |