『舞え!HIROSHIMAの蝶々 被爆地からのメッセージ レグルス文庫 245』(創価学会青年平和会議編、第三文明社、20030806)
内容
頁 |
著者 |
タイトル |
メモ |
003 |
塩田智彦 |
(創価学会広島青年平和委員会事務局長)はじめに |
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007 |
デイビッド・クリーガー |
(核時代平和財団所長)発刊に寄せて |
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019 |
ヒロシマを原点に |
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021 |
中村寿美恵 |
スペインから「ヒロシマ」への心の連帯 |
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030 |
品川正則 |
“北京の蝶々”となって、万波の波音を |
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041 |
重富直美 |
広島の女性が先駆を走ってる |
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053 |
松浦節 |
民衆の側に立つことの出来る力を |
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065 |
被爆二世として |
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067 |
田中勝 |
被爆二世アーティストの挑戦 |
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080 |
松浦光弘 |
希望をいだす思想を広げていくこと |
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092 |
吉川陽子 |
母は背中ふるわせ「ゆきちゃん、ごめんね」 |
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103 |
伊藤博 |
アボリション2000を広島から全国へ |
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112 |
田川寿一 |
子どもたちに「世界市民の心」育む |
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125 |
久保泰郎 |
広島、長崎、沖縄の青年が力合わせて |
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133 |
松浦唯幸 |
戦いなさい、それがお父ちゃんの願いだ |
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143 |
記憶にないあの日 |
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145 |
コーチ・マツモト |
あの日、母は私の体を覆って亡くなった |
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157 |
河口力 |
腹いっぱい食べてほしかったんよ |
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169 |
忘れられないあの日 |
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171 |
友田典弘 |
原爆孤児、韓国への数奇な人生 |
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183 |
吉崎孝子 |
爆心から500メートル…語り続けていきたい |
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205 |
郭福順 |
平和運動って、私は”優しさの表現〃と |
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214 |
竹岡智佐子 |
右の目がない、白いとこも黒いとこもない |
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226 |
桜井康民 |
ウジはひや一つと頭の奥に入って |
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242 |
宅和和枝 |
〃ああ、おいしい”妹のあの声が忘れられん |
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253 |
松田文姑 |
夢を持って努力することが大事よね… |
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264 |
注 |
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268 |
松室一雄 |
巻末写真資料「原爆の絵」 |
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275 |
小西啓文 |
編集後記 |
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止
『私の見た『創価の世界』』(聖教新聞社中国支社編、第三文明社、20161008)
内容<作業中>
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003 |
発刊に寄せて |
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広島県 |
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檜山洋子さん(㈶広島県女性会議 前理事長)
原田康夫さん(広島市現代美術館 館長)
宇田 誠さん(ひろしま美術館 館長)
上田みどりさん(広島経済大学 教授)
松田 元さん(広島東洋カープ オーナー)
大之木精二さん(㈶呉市文化振興財団 理事長)
沼田鈴子さん(被爆体験の語り部)
津谷静子さん(NPO法人モースト 理事長)
田邊雅章さん(㈱ナック映像センター 代表取締役・プロデューサー)
中村徳子さん(NPO法人乳幼児の救急法を学ぶ会 理事)
内田陽一郎さん(広島県合唱連盟 理事長)
佐藤明久さん(福山市日本中国友好協会 会長)
宮前道子さん(ラジオパーソナリティー)
坪井 直さん(日本原水爆被害者団体協議会 代表委員)
藤井正一さん(ひろしま通訳ガイド協会 会長)
岡田恵美子さん(㈶広島平和文化センター 被爆体験証言者)
坂東素子さん(在宅ワーク支援センター 所長)
大下龍介さん(㈱福屋 代表取締役会長)
北川建次さん(広島ユネスコ協会 会長)
松原美代子さん(ヒロシマの心を伝える会 代表)
森元弘志さん(学校法人広島文化学園 理事長)
片岡勝子さん(核戦争防止国際医師会議(IPPNW)日本支部 事務総長)
中川健造さん(中川美術館 館長)
畑口 實さん(広島平和記念資料館 元館長)
小倉桂子さん(平和のためのヒロシマ通訳者グループ(HIP) 代表)
川本一之さん(中国新聞社 特別顧問)
原田 浩さん(広島平和記念資料館 元館長)
二宮 皓さん(比治山大学・比治山大学短期大学部 学長)
大谷博国さん(㈱にしき堂 代表取締役社長) |
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岡山県 |
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山口県 |
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鳥取県 |
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島根県 |
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止
広島学講座(創価学会) 1989年2月~
第1回 |
1989年2月 |
広島県民俗学会常任理事 |
神田三亀男 |
途上採集からみた広島学 |
第2回 |
1989年3月 |
中国新聞社論説主幹 |
大牟田稔 |
平和のための広島学 |
第3回 |
1989年4月 |
広島女性史研究会代表 |
北西英子 |
ヒロシマの女たち |
第4回 |
1989年6月 |
比治山女子短期大学助教授 |
宇野憲治 |
竹西寛子の「管弦祭」を読む |
第5回 |
1989年9月 |
広島ユネスコ協会会長 |
河村盛明 |
ひろしま文学紀行 |
第6回 |
1989年12月 |
広島大学文学部助教授 |
岸田裕之 |
戦国時代の領主連合 |
第7回 |
1989年12月 |
広島大学教育学部助教授 |
町博光 |
今、広島弁がおもしろい<上> |
第8回 |
1990年3月 |
毎日新聞広島支局記者 |
小松健一 |
ヒロシマを取材して |
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<以下未入力> |
出典:http://www.pv-hiroshima-soka.jp/activity/lecture/backnumber/ |
青年平和文化講座(創価学会) 1973年~
http://www.pv-hiroshima-soka.jp/activity/lecture/backnumber/
年月 |
講師 |
肩書(当時) |
テーマ |
197308 |
原田東岷 |
外科医 |
ヒロシマの外科医として |
197404 |
伊藤満 |
創価大学教授 |
人権と平和 |
197608 |
熊田重克 |
中国新聞論説副主幹 |
現代における核の状況 |
197608 |
丸山益輝 |
広島大学教授 |
広島の青年の役割 |
198003 |
今堀誠二 |
広島女子大学学長 |
私にとってのヒロシマ |
198004 |
畑博行 |
広島大学教授 |
日本と平和主義 |
198007 |
高橋昭博 |
原爆資料館館長 |
私の被爆体験と広島の心 |
198203 |
熊田重克 |
中国新聞論説主幹 |
広島と沖縄を結ぶ想像力 |
198302 |
豊永恵三郎 |
広島電機大学付属高校教諭 |
朝鮮・韓国人被爆者と私達 |
198308 |
深川宗俊 |
歌人 |
朝鮮・韓国の被爆者 |
198310 |
伏見康治 |
元日本学術会議会長 |
地平から平和の巨塔を |
198404 |
日隈健壬 |
広島修道大学教授 |
21世紀の広島が見える |
198408 |
北西允 |
広島大学教授 |
反核・平和運動の状況と展望 |
198503 |
磯野恭子 |
山口放送テレビ制作部次長 |
生命(いのち)の鼓動を伝えて |
198504 |
山田浩 |
広島大学教授 |
これからの平和問題と私達 |
198603 |
片岡徳雄 |
広島大学教授 |
いま、教育の原点を考える |
198706 |
川本義隆 |
原爆資料館館長 |
世界のヒロシマ 使命と責任 |
198709 |
大野允子 |
児童文学作家 |
あなたへのメッセージ |
198711 |
秋葉忠利 |
広島修道大学客員教授 |
ヒロシマの心と広島に住む若者の役割 |
198802 |
小倉桂子 |
HIP代表 |
一人の力が平和の万波に |
198805 |
二宮皓 |
広島大学助教授 |
世界のなかのヒロシマ |
198809 |
目瀬守男 |
岡山大学教授 |
地域活性化と青年の役割 |
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。