『ヒロシマの朝そして今 被爆者として母として人間として』(山下会著・稲沢潤子編、あゆみ出版、19821220)
内容
章 |
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著者 |
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稲沢潤子 |
編者のことば 1 |
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Ⅰ 八月六日の朝から
弁当箱の父 原田文子 13
九死に一生をえて 隆杉京子 25
軍需工場とわたしの青春 橋本幸子 35
八月六日 安部アヤ子 43
手をつないだまま 近藤幸子 55
妹のこと 森本英子 72
黙ってひろしまの夏は過ごせない 嘉屋重順子 80
原爆と私 山本美都子 89 |
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Ⅱ わたくしの戦後
土の中の目 原田文子 109
父と子と戦争 隆杉京子 119
父のこと 橋本幸子 131
咽喉が痛い 橋本幸子 138
老人と行列 安部アヤ子 142
或る日突然 山本美都子 156
峠三吉さんの思い出 楠登喜子 167 |
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Ⅲ 原爆体験は子どもらの胸に
苦闘 原田文子 179
父と私 川西富子 191
私の平和運動 樋口園 195
被爆二世について 吉川百合子 206
胎内被爆者を守る運動その後 山下会 212 |
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Ⅳ ヒロシマとともに生きて
原爆手帳の申請 橋本幸子 221
署名に歩く 隆杉京子 228
わたしの白い包み 山本美都子 231
三十三年目の同期会 森本英子 239
米人記者のヒロシマ取材 相良カヨ 253 |
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山下会のあゆみ 山下会 269 |
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執筆者一覧 274
資料・被爆地図 276 |
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止
あさ(山下会機関誌) 山下会 1964年6月結成
号 |
発行年月日 |
備考 |
所蔵 |
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所蔵:G=広島原爆資料館、U=宇吹 |
01 |
1964/10/20 |
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G |
02 |
1965/07/01 |
特集:わたくしの戦争体験 |
G |
03 |
1966/06/01 |
特集:ひろしまの母の戦後体験 |
GU |
04 |
1967/10/06 |
特集:わたくしの戦後 |
G |
05 |
1969/02/20 |
特集:戦争・その後のヒロシマ |
GU |
06 |
1970/06/30 |
70年のひろしま |
G |
07 |
1971/07/30 |
71年ひろしま |
G |
特集 |
1971/12/10 |
原爆体験は子どもらの胸に |
G |
08 |
1972/07/20 |
被爆二世と手をとりあって |
G |
09 |
11973/07/20 |
原爆資料の返還と28年目の『ヒロシマ』 |
GU |
10 |
1974/07/25 |
平和教育への願い |
GU |
11 |
1975/07/25 |
被爆三十年を生きて |
GU |
12 |
1976/07/20 |
いまこそヒロシマの声を |
G |
13 |
1977/07/25 |
被爆者のねがいと原水爆禁止運動の統一 |
G |
14 |
1978/07/25 |
「世界へヒロシマを」-国連軍縮特別総会と三千五百万署名- |
GU |
15 |
1980/07/31 |
被爆三十五年 ヒロシマの私たち |
G |
16 |
1981/07/30 |
ヒロシマとともに生きて |
GU |
17 |
1982/07/30 |
82年ひろしま |
GU |
18 |
1984/07/25 |
終刊号 草の根から平和を |
GU |
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1
山下会 1964年6月結成
関連事項
年 |
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1958 |
「勤評闘争」の頃、広島市庚午中学校PTAでは月1回くらい、教師と父母の地区懇談会をひらく。 |
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1960 |
20数名の母親が、昼の部、夜の部と別れて学習会。昼の部がのちの山下会となる。 |
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1964 |
6月学習会メンバー・被爆者の山下朝代、肝臓障害のため死亡。その生涯をしのび、この時から学習会を山下会となづける。 |
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1964 |
10月20日追悼文集を『あさ』として発行。部数80部ガリ刷の小冊子。 |
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1971 |
7月3 0日『あさ』 第7号発行。活版刷に。 |
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1973 |
被爆教師の会から平和教育推進賞。 |
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1977 |
アリス・ハーズ夫人記念平和基金、受領。 |
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出典:『ヒロシマの朝そして今 被爆者として母として人間として 』 (山下会著 稲沢潤子編 あゆみ出版 19821220 ) |
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