山下会

山下会 1964年6月結成

関連事項

1958 「勤評闘争」の頃、広島市庚午中学校PTAでは月1回くらい、教師と父母の地区懇談会をひらく。
1960 20数名の母親が、昼の部、夜の部と別れて学習会。昼の部がのちの山下会となる。
1964 6月学習会メンバー・被爆者の山下朝代、肝臓障害のため死亡。その生涯をしのび、この時から学習会を山下会となづける。
1964 10月20日追悼文集を『あさ』として発行。部数80部ガリ刷の小冊子。
1971 7月3 0日『あさ』 第7号発行。活版刷に。
1973  被爆教師の会から平和教育推進賞。
1977  アリス・ハーズ夫人記念平和基金、受領。
出典:『ヒロシマの朝そして今 被爆者として母として人間として  』   (山下会著 稲沢潤子編     あゆみ出版     19821220    )