沖縄を返せ 荒木栄作品集「不知火」所収
| MLS-2005 |
| Ⅰ<A> |
| 心はいつも夜明けだ/仲間のうた/星よお前は/夜明けだ/手/沖縄を返せ/花を送ろう/子供を守るうた |
| Ⅰ<B> |
| <未入力> |
| MLS-2006 |
| Ⅱ<A> |
| <未入力> |
| Ⅱ<B> |
| 詩と合唱とオーケストラによる構成「不知火」(しらぬい) |
| 三池の主婦の子守歌/がんばろう/地底の歌 |
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。
沖縄を返せ 荒木栄作品集「不知火」所収
| MLS-2005 |
| Ⅰ<A> |
| 心はいつも夜明けだ/仲間のうた/星よお前は/夜明けだ/手/沖縄を返せ/花を送ろう/子供を守るうた |
| Ⅰ<B> |
| <未入力> |
| MLS-2006 |
| Ⅱ<A> |
| <未入力> |
| Ⅱ<B> |
| 詩と合唱とオーケストラによる構成「不知火」(しらぬい) |
| 三池の主婦の子守歌/がんばろう/地底の歌 |
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機関紙サルダボヤ
内容
| 年月号 | 目次(抄) |
| 197008 | 被爆体験記掲載に寄せて |
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|
| 201109 | アメリカ原発反対平和行進に参加して(鴨下祐一) 2011年東京~広島・長崎平和行進メッセージ |
| 201110 | |
| 201111 | |
| 201304 | |
| 201305 | |
| 201306 | |
| 201307 | 「はだしのゲン」講談師が訪れたインド(神田香織) |
| 〈以下作業中〉 | |
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日印サルダボヤ協会
「一般社団法人日印サルボダヤ交友会」は1961年、日本山妙法寺の創設者である藤井日達上人(1885-1985)を初代会長として、インドの聖者マハートマ・ガンディー翁の唱えるサルボダヤ精神と日本の仏法による非暴力による平和社会建設を目指して設立
http://sarvodaya-japan.org/index.php
機関紙「サルボダヤ」
http://sarvodaya-japan.org/index.php?20111002
『長崎の証言20年』(長崎の証言の会、19890527)
内容
| 頁 | 著者など | |
| 長崎の証言20年 目次 | ||
| 表紙写真 | 黒崎晴生 | |
| レイアウト | 松尾覚 | |
| 001 | 刊行のことば | |
| 003 | グラビア(反核運動の灯をかかげて) | |
| 011 | 反原爆―人間のあかし -「長崎の証言」20年の軌跡 |
鎌田定夫 |
| 018 | 「証言」 について | 石田忠 |
| 019 | 証言を世界へ | 大川悦生 |
| 020 | 原爆遺跡の保存と原爆文学館を | 栗原貞子 |
| 021 | 被爆者は警鐘を鳴らす | 杉山英夫 |
| 022 | 長崎の証言運動の人々 | 山田かん |
| 024 | 20年のあゆみ-いま思いを新たに | 内田伯 |
| 025 | 私の支えとしての証言運動 | 浜崎均 |
| 026 | 長崎の証言20周年に寄せて | 山内隆司 |
| 027 | 「証言」に期待するもの | 溝口昌喜 |
| 028 | 「長崎の証言」発足のころ | 広瀬方人 |
| 再録証言集 | ||
| 030 | 長崎は証言する | 秋月辰一郎 |
| 032 | 詩・全滅 | 山田かん |
| 034 | 爆心から184メートルの壕で生き残る | (語り手)松尾ヨセ |
| 036 | 炭坑・軍属・長崎の三地獄 | 李寿東 |
| 039 | 被爆二世の死 | 広瀬方人 |
| 042 | ふたりのわたし | 片山昌造 |
| 044 | 『長崎の証言』総目次(1969~1989) | |
| 102 | 年表・長崎の証言運動20年 | |
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||
| 114 | あとがき | |
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『朝鮮人被爆者と私―82・5・28法政大学における講演』(岡正治、東京・朝鮮人被爆者の記録映画を作る会、19820809)
内容
| 頁 | 見出し |
| 01 | 私たちの手で被災白書を |
| 02 | なおざりにされた被爆二世 |
| 06 | 被爆者完全援護法をめざして |
| 06 | 核と人類は共存できない |
| 08 | ナンセンスな被爆地の認定 |
| 10 | なかなかもらえぬ被爆者手帳 |
| 12 | 部落差別の中での被爆 |
| 14 | ヒロシマより複雑なナガサキ |
| 15 | 無神経な爆心地のナガサキ |
| 16 | 「在日朝鮮人の人権を守る会」を始めて |
| 18 | 朝鮮人被爆者の足跡 |
| 19 | 二つの外国人被爆者追悼碑 |
| 20 | 「唯一の被爆国」意識は思いあがり |
| 23 | 19181101 大阪市に生まれる 日本福音ルーテル長崎協会牧師 広島市議会議員 長崎在日朝鮮人の人権を守る会代表 長崎原爆問題キリスト者協議会顧問 |
止
シナリオ 世界の人へ 朝鮮人被爆者の記録
朝鮮人被爆者の記録
脚本・監督 盛善吉
<作業中>
出典:『8ケ国語訳「世界の人へ」 朝鮮人被爆者の記録』(盛善吉・高實康稔編、同時代社、19940720)所収
| 1 | 空撮 広島市、刑務所による。 | |
| R | 石浜義則さんの証言 | |
| 2 | ||
| 3 | ||
| 4 | ネルソン・アンジャインさん | |
| R | ネルソン・アンジャインさんの証言 | |
| 5 | ~8 | |
| 9 | 徐さんの肺のレントゲン写真・説明する医師 | |
| R | ||
| N | 徐**さんは、14歳で強制連行され、はじめは三菱の軍艦島の炭鉱で働かされ、ついで三菱造船所へ。そこで被爆されました。 | |
| 11 | ||
| R | 呉**さんの証言 | |
| 13 | 高暮ダムへの道 | |
| 14 | 高暮ダム・工事中の写真など | |
| 16 | 高暮ダム 原爆で、李実根さんの祈り | |
| 19 | 姜**さん。途中から足の傷・背中のケロイド | |
| R | 姜**さんの証言 | |
| 20 | 辛**さん。海に向って歩く | |
| R | 辛**さんの証言 | |
| 21 | 玉**さん | |
| R | 玉**さんの証言 | |
| 22 | 朴**さん | |
| R | 朴**さんの証言 | |
| 23 | ||
| R | 金**さんの証言 | |
| 24 | 金**さんの背中・肩・腕など | |
| R | ||
| 25 | 呉**さん | |
| R | 呉**さんの証言 | |
| 26 | ||
| R | 尹**さんの証言 | |
| 27 | ||
| R | 金**さんの証言 | |
| 28 | ||
| R | 宋**さんの証言 | |
| 29 | 全国高校生集会、話す李**さん、追悼碑、掃除する田中**さん | |
| R | 李**さんの証言 | |
| 30 | 朴 **さんの証言 | |
| R | ||
| 31 | 公園の朴さん | |
| 32 | 海上から見た軍艦島・船上の徐さん、軍艦島の廃墟 | |
| N | ||
| 33 | ||
| R | 岡正治さんの証言 | |
| 34 | 軍艦島、海を見下ろす。坑口に入る。岸壁で叫ぶ徐さん、祈る二人。 | |
| 35 | 徐**さん、三菱の裏山で | |
| R | 徐**さんの証言 | |
| 36 | 朴**さん、自宅で | |
| R | 朴**さんの証言 | |
| 37 | 働く朴さん | |
| 38 | ||
| N | 非戦の国、平和の国と言われてきた朝鮮 日本のファシズムとアメリカの原爆との二重の苦しみを一度に叩きつけられた朝鮮人被爆者。 この悲劇をのりこえてきた朝鮮人被爆者と原爆雲に消された痛恨の朝鮮人被爆者の想いを、 世界の人々に…! |
|
止
『8ケ国語訳「世界の人へ」 朝鮮人被爆者の記録』(盛善吉・高實康稔編、同時代社、19940720)
内容
| 頁 | 見出し | 備考 |
| 005 | わたしにとっての朝鮮人被爆者(盛善吉) | |
| 010 | 今なお「世界の人へ」 8カ国語翻訳・出版にあたって(高實康稔) | |
| 1981年「朝鮮人被爆者の記録映画を作る会」結成 | ||
| 010 | 1 「シナリオ」の翻訳出版を思い立って | |
| 日本の加害責任を追及した基本的な作品 | ||
| 011 | 2 出版の動機を振り返る | |
| 民族差別の心理と排外主義 | ||
| 被爆者にも国境はある | ||
| 免れない戦前・戦後の加害責任 | ||
| 元凶は天皇制ファシズム | ||
| それでもなお謝罪・賠償の原動力は国民 | ||
| 014 | 3 今なお「世界の人へ」 | |
| 連立政権の「侵略戦争」見解は時代の要請 | ||
| 「戦後補償」は国家間だけでは「決着」しない | ||
| 世論を高め、差別撤廃と戦後補償を | ||
| 018 | シナリオ「世界の人へ」日本語版 | |
| 029 | ||
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||
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『イラン毒ガス被害者とともに 海外医療支援の20年』(津谷静子、原書房、20150730)<作業中>
| 章 | 見出し | 備考 |
| はじめに | ||
| 1 | ロシアでの医療支援 試行錯誤のはじめの10年 | |
| 2 | イラン毒ガス被害者の苦しみ | |
| 3 | 広島から世界へ | |
止
現代史サマーセミナー開催一覧<作業中>
| 回 | 年月日 | テーマ | 報告者 | タイトル・他(会場ほか) |
| * | 19690905-06 湯河原温泉。*準備会。 | |||
| 日本現代史研究の課題 | ||||
| 江口圭一 | 日本現代史研究の最近の動向 | |||
| 佐々木隆爾 | 軍国主義復活 | |||
| 藤原彰 | 安保体制の現段階 | |||
| 1 | 19700728-30 高尾山薬王院 | |||
| 世界史における1930年代 | ||||
| Ⅰ 世界史における1930年代 | ||||
| 江口朴郎 | 1930年代と現代史の方法について | |||
| 中西功 | 現代史における1930年代 | |||
| Ⅱ 統一戦線論 | ||||
| 神田文人 | 日本における統一戦線 | |||
| 吉原功 | フランス人民戦線の知的源泉」 | |||
| 古厩忠夫 | 抗日期中国共産党の統一理論の発展 | |||
| Ⅲ ファシズム論 | ||||
| 粟屋憲太郎 | 日本ファシズムと官僚制 | |||
| 伊集院立 | ワイマル共和制からファシムへの移行 | |||
| 新川健三郎 | ニューディールに関する一考察」 | |||
| Ⅳ 第2次世界大戦論 | ||||
| 荒井信一 | 第二次世界大戦の性格 | |||
| 鈴木隆史 | 太平洋戦争と満洲侵略 | |||
| 坂東宏 | 両大戦間期東欧の諸問題 | |||
| 回 | 日時 | 主テーマ | 会場 |
| 2 | 19710730~0801 | 第二次大戦と戦後改革―現代民主主義の検討 | 八王子セミナーハウス |
| 3 | 1972 | ||
| 4 | 1973 | ||
| 5 | 1974 | ||
| 6 | 1975 | ||
| 7 | 1976 | ||
| 8 | 1977 | ||
| 9 | 1978 | ||
| 10 | 1979 | ||
| 11 | 1980 | ||
| 12 | 1981 | 現代史研究の現状と課題 | |
| 13 | 1982 | 戦後世界体制論への一視角―各地域の民衆運動を手掛かりとして | |
| 14 | 1983 | ||
| 15 | 1984 | ||
| 16 | 1985 | ||
| 17 | 1986 | ||
| 18 | 1987 | 戦争責任論 | |
| 19 | 1988 | ファシズム・敗戦・占領 | |
| 20 | 19890806~08 | 支配の諸相と戦争責任 | 長野県小諸市菱野温泉、常盤館 |
| 『現代史における戦争責任 現代史シンポジウム』(青木書店、19900701)=第20回の報告をもとに加筆訂正を加えたまとめ。 | |||
| 藤原彰「序にかえて―サマーセミナーの20年」 | |||
止
資料:日本現代史研究会
| 資料名 | 年月日 | 備考 | |
| 日本現代史研究会12月例会案内 | 19811224 | 葉書 | |
| 日本現代史研究会2月例会の御案内 | 19820206 | 葉書 | |
| 日本現代史研究会3月例会・総会御案内 | 19820320 | 葉書 | |
| 日本現代史研究会4月例会 | 19820424 | 葉書 | |
| 日本現代史研究会6月例会 | 19820605 | 葉書 | |
| 以上の年月日=例会開催日 | |||
| 現代史通信(日本現代史研究会)再刊第1号 | 19820520 | ||
| 現代史通信(日本現代史研究会)再刊第3号 | 19821120 | ||
| 現代史通信(日本現代史研究会)再刊第5号 | 19831215 | ||
| 現代史通信(日本現代史研究会)再刊第6号 | 19841112 | ||
| 史料保存・史料公開(日本現代史研究会史料特別委員会編集)第7号 | 19840511 | ||
| 『日本ファシズム1 国家と社会』(日本現代史研究会、大月書店) | 19811101 | ||
| 『日本ファシズム2 国民統合と大衆動員』(日本現代史研究会、大月書店) | 19820701 | ||
| 『戦後体制の形成』(日本現代史研究会編、大月書店) | 19880501 | ||
| 『象徴天皇制とは何か』(日本現代史研究会編、大月書店) | 19881201 | ||
止
三菱広島・元徴用工裁判を支援する会
関係資料
| 1996 | ||
| 0318 | 同会編・刊『三菱は未払い賃金を支払え!』 | G |
| 2005 | ||
| 0303 | 会報 第30号 | |
| [代表] 豊永恵三郎(事務局) 深川宗俊(広島の強制連行を調査する会代表) 重 哲雄(韓国の原爆被害者を救援する市民の会常任世話人) |
||
| 0712 | 会報 第31号 | |
| 2006 | ||
| 0215 | 会報 第32号 | |
| 0911 | 会報 第33号 | |
| 三村正弘「大韓赤十字社特殊福祉事務所との懇談」 | ||
| 2007 | ||
| 0405 | 会報 第35号 | |
| 1206 | 会報 第36号 | |
| 2008 | ||
| 0312 | 会報 第37号 | |
| 1001 | 会報 第38号 | |
| 深川宗俊さん逝去〈4月24日〉 | ||
| 豊永恵三郎「 深川さん 長い間ご苦労様でした」 | ||
| 長男修史さんより―深川宗俊さんをしのぶかいにて | ||
止
日本の戦争責任センター<作成中>
| 発足 | 1993年4月 |
| 出版物 | |
| 季刊 戦争責任研究 | |
| Let’s(日本の戦争責任センター会報) | |
| ホームページ | http://japanwarresp.g1.xrea.com/ |
止
中国人戦争被害者の要求を支える会ニュース「すうおぺい」<作業中 >
| No. | 発行年月日 | メモ | |
| 01 | |||
| 02 | 19960217 | 敬蘭芝さん来日 中国からの訴え 全国市民集会報告 | |
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|||
| 03 | |||
| 04 | |||
| 05 | |||
| 06 | |||
| 07 | |||
| 08 | |||
| 09 | |||
| 10 | |||
| 11 | |||
| 52 | 200605 | 中国人強制連行・強制労働事件 長野訴訟 不当判決 | |
| 01 | |||
| 02 | |||
| 03 | |||
| 04 | |||
| 05 | |||
| 06 | |||
| 07 | |||
| 08 | |||
| 09 | |||
| 52 | 200605 | 「Suopei」=中国語で「索賠」(賠償請求)の意味 | |
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中国人戦争被害者の要求を支える会
ニュース「すうおぺい」(「Suopei」=中国語で「索賠」(賠償請求)の意味)
略年表
| 年月日 | 事項 | |
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||
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||
| 1995 | ||
| 0807 | 中国人戦争被害者の要求を支える会発足 | |
| 1996 | ||
| 0803 | 中国人戦争被害者の要求を支える会創立総会 | |
止
年表:韓国の原爆被害者を救援する市民の会<作業中>
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 1971 | ||
| 12 | 韓国の原爆被害者を救援する市民の会、発足。 | |
| 1972 | ||
| 0109? | 京阪神で結成された「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、募金を開始。 | |
| 0225 | 韓国の原爆被害者を救援する市民の会、機関紙『早く、援護を!』(第1号 1972年2月25日)を発行。 | |
| 1974 | ||
| 07 | 豊永恵三郎「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」広島支部長、辛泳洙・韓国原爆被害者協会前会長から原爆手帳取得のための証人探しを依頼する手紙を受け取る。 | |
| 0801 | 趙判石韓国原爆被害者援護協会会長・郭貴勲湖南支部長・朴海君総務部長、「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」の招きで大阪市入り。 | |
| 0805 | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」・河村虎太郎・深川宗俊・栗原貞子ら、全ての被爆者に手帳を交付するよう求める要望書を広島市長に提出。 | |
| 11 | 韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部、発足。 | |
| 1121 | 韓国釜山在住の韓国人被爆者・崔英順、「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」の招きで来日。22日、広島市入りし、河村病院に入院。 | |
| 1975 | ||
| 0627 | 日本キリスト教婦人矯風会・韓国の原爆被害者を救援する市民の会の代表ら、外国人にも日本人と同じように被爆者手帳を交付するよう田中厚相に要請書を送る。 | |
| 0820 | 廬長寿「日本広島三菱重工業韓国人被爆沈没遺族会」会長、韓国原爆被害者援護協会の郭貴勲・白光欽両副会長、「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」の招きで広島市を訪問。 | |
| 1123 | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、総会を広島市内で開催。韓国・釜山市在住の崔季*が難病の手術をできるよう招待状を送ることを決める。 | |
| 1976 | ||
| 0620 | 深川宗俊や韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部など、「三菱重工業韓国人徴用工原爆被爆者・沈没遺族を支援する会」を結成することを決める。29日、広島市内で発足。 | |
| 1978 | ||
| 1221 | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、在韓被爆者実態調査の中間報告発表。 | |
| 1979 | ||
| 0723 | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、在韓被爆者実態調査のため訪韓。 | |
| 1980 | ||
| 0224 | 韓国の原爆被害者を救援する市民の会、ビデオ「在韓被爆者」などを見る会を、吹田市で開く。 | |
| 0803 | 韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部、広島市で「在韓被爆者を囲む会」開催。 | |
| 1981 | ||
| 0305 | 韓国の原爆被害者を救援する市民の会、大阪市で外国人被爆者援護の会開く。(ビデオ・講演など。) | |
| 0612 | 韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部、市内で「ビデオで見る在韓被爆者問題映写会」を開催。 | |
| 0823? | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、原爆をテーマにしたビデオライブラリーを開設。 | |
| 1982 | ||
| 1030? | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、在韓被爆者援護に関する抜本的な改善を求める一万人署名運動開始。 | |
| 1983 | ||
| 08 | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、パンフレット「在韓被爆者問題入門‐入門編」刊行。 | |
| 0901 | 韓国教会女性連合会、日本の市民グループ「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、在韓被爆者の初の実態調査結果まとめ発表。 | |
| 1984 | ||
| 0428 | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、日本人医師の韓国派遣などを厚生省に陳情。 | |
| 1985 | ||
| 0402 | 韓国の原爆被害者を救援する市民の会、韓国の原爆被爆者を考える集いを広島市で開催(約30人参加)。 | |
| 1986 | ||
| 0412 | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、広島市で、「韓国の原爆被害を考える集い」を開催( 約60人出席) 。15日は、大阪市で開催。 | |
| 1015 | 韓国の原爆被害者を救援する市民の会、「在韓被爆者の渡日治療継続を求める集いー 10.15集会」を大阪市で開催。 | |
| 1987 | ||
| 0708 | 「広島市民が描いた原爆絵画展」(韓国の原爆被害者を救援する市民の会主催)、大阪市で開催。大阪府のカメラマンによる在韓被爆者の写真10点も展示。 | |
| 1127 | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」など、広島市に、原爆資料館に「加害者コーナー」を設置することを要望。 | |
| 1988 | ||
| 0718? | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、在韓被爆者援助の緊急募金(目標額200 万円)を実施。 | |
| 1989 | ||
| 0110 | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」代表、訪韓し、カンパ200万円を韓国原爆被害者協会に贈呈。 | |
| 0510? | 大阪市の韓国人廣川誠一、韓国の原爆被害者を救援する市民の会に100万円を寄付。読売新聞の「白いチョゴリの被爆者」の記事(3月19日付)が契機。 | |
| 1990 | ||
| 0418? | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、大阪市で「韓国被爆者歓迎大阪交流集会」を開催(日本側約60人参加)。 | |
| 0531 | 大阪市の淡路中学校生徒、修学旅行で来広し、街頭募金で集めた約37万円を、「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」に寄託。 | |
| 1991 | ||
| 0511 | 在韓被爆者渡日治療広島委員会総会、広島YMCAで開催(約50人参加)。韓国の原爆被害者を救援する市民の会の松井義子会長による講演「枯れススキに花は咲いたか-(支援金)40億円と在韓被爆者の現状」など。 | |
| 0730 | 韓国の原爆被害者を救援する市民の会、広島市で、元三菱徴用工韓国人被爆者を囲む集いを開催。元徴用工の訴えと、大阪の高校生のヒロシマ学習の発表。 | |
| 0925 | 韓国の原爆被害者を救援する市民の会など、韓国原爆被害者協会の役員らを招き被爆者認定業務を研修してもらうことについて、広島市に協力を要請。 | |
| 1106 | 「韓国原爆被害者協会」の役員(2人)、来日し、広島市で被爆者認定作業について研修を開始。「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」が招請。 | |
| 1992 | ||
| 0804 | 韓国の原爆被害者を救援する市民の会長崎支部結成集会、長崎市内で開催。約20人が参加。 | |
| 0902 | 「アジア・太平洋の戦争犠牲者に対して反省し、心に刻む碑(仮称)」の建立委員会結成準備会、広島市内で開催。「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」のメンバーら約15人が参加。 | |
| 1993 | ||
| 0515 | 在韓被爆者渡日治療広島委員会、総会を広島YMCAで開催。約40人が参加。市場淳子「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」大阪支部長が講演。 | |
| 1994 | ||
| 0328 | 韓国人原爆被害徴用者同志会の方勲栽会長、同会員朴昌煥の2人、徴用時の未払い賃金の支払を求めるため広島入り。「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」(大阪府)の招き。 | |
| 0526 | 豊永恵三郎「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」広島支部長ら、「韓国人原爆被害三菱徴用者同志会」の会員53人の代理で、戦時中の年金加入の確認を広島東保険事務所に申請。 | |
| 1995 | ||
| 0124 | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部」、広島法務局が朝鮮人元徴用工が求めている「供託名簿」の閲覧を認める意向であることを明らかにする。 | |
| 0130 | 韓国在住の被爆者の朴昌煥、「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」の招きで広島入り。「韓国人原爆被害三菱徴用者同志会」が当時の賃金支払を求めている問題で広島法務局で供託金名簿を閲覧する予定。 | |
| 0204 | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、「韓国人原爆被害三菱徴用者同志会を支援する広島集会」を広島労働会館で開催。約80人が参加。出席予定の朴昌煥は、心臓疾患で参加できずメッセージを寄せる。 | |
| 0508 | 広島市内で被爆者援護法の学習会。韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部や原爆2法研究会のメンバーなど約20人が参加。外国に住む被爆者の法的救済を求める運動を始めることを申し合わせる。 | |
| 0907 | 米国ハワイ大学東西センターで国際会議「アジア・太平洋戦争追憶の会」を開催。-9日。「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」広島支部の豊永恵三郎が招待され出席。 | |
| 1011 | 豊永恵三郎「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」広島支部長、広島県の社会保険審査官が三菱重工の韓国人元徴用工の年金支給請求を4日付で却下していることを公表。 | |
| 1109? | 韓国の原爆被害者を救援する市民の会、冊子「在韓被爆者が語る被爆50年-求められる戦後補償」を発行。 | |
| 1128 | 韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部・広島の強制連行を調査する会のメンバーなど、広島YMCAで会合、「三菱広島・元徴用工被爆者の裁判を支援する会」の結成を決める。 | |
| 1207 | 豊永恵三郎「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」広島支部長、在韓被爆者・趙順南が申請していた被爆者援護法の特別葬祭給付金を代理人として受け取る。 | |
| 1996 | ||
| 0325 | 広島平和文化センター、ビデオ「ヒロシマの証言-韓国人被爆者は語る」を原爆資料館で公開。豊永恵三郎「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」広島支部長が講演。 | |
| 0705 | 車貞述韓国原爆被害者協会釜山支部長・平野伸人韓国の原爆被害者を救援する市民の会長崎支部長、長崎原爆資料館の加害展示の充実などを、長崎市に要望。 | |
| 1997 | ||
| 0707 | 韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部と被爆者援護法研究会、「在外被爆者にも被爆者援護法を求める集い」を広島市内で開催。倉本寛司と鄭相石が出席。約50人が参加。 | |
| 1998 | ||
| 0123? | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」・「被爆者援護法研究会」、冊子「在外被爆者にも被爆者援護法の適用を」を出版。 | |
| 0812 | 崔日出韓国原爆被害者協会会長と豊永恵三郎韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部長、広島県庁の放射線被曝者医療国際協力推進協議会事務局に韓国人医師の研修受け入れを要請。 | |
| 1215 | 松井義子「韓国の原爆被害者を救援する市民の会会長」、死亡。70才。 | |
| 1999 | ||
| 0712 | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」広島支部、在韓被爆者の支援策を要請。 | |
| 0713? | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、被爆者援護法の韓国内での適用について日本政府と協議することを求める要請書を金大中大統領あてに送付。 | |
| 0812? | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」や韓国原爆被害者協会など、在外被爆者にも被爆者援護法を適用するよう政府に求める署名活動を開始。 | |
| 1024 | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」と「被爆者援護法研究会」、「在外被爆者を囲む夕べ」を広島市西区民文化センターで開催。今回が3回目。森田隆在ブラジル原爆被爆者協会会長や韓国人被爆者・李康寧らが在外被爆者への援護法適用を訴える。約70人が参加。 | |
| 2021 | ||
| 0304 | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、韓国人被爆者の証言をまとめた手記集を駐広島韓国総領事館に寄贈<『中国新聞』20210305> | |
| 2022 | ||
| 0221 | 豊永恵三郎「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」世話人(85歳)、オンラインで講演。(広島大学比較文化日本学プロジェクト研究センター主催)。<『中国新聞』20220220> | |
| 0417 | 韓国の原爆被害者を救援する市民の会、結成50周年記念集会を広島市内で開催。 | |
止
強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会
年表<作業中>
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 1990 | ||
| *** | 広島の牛尾美保子・川原洋子、中国人強制連行問題に取り組むため、「6・30花岡の会」を結成。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』) | |
| 07 | 「6・30花岡の会」のメンバー、安野発電所の中国人強制連行の跡を訪問(『中国人被爆者・癒えない痛苦』) | |
| 1992 | ||
| 01 | 安野発電所に強制連行された中国の生存者・張濂の手記、「花岡問題」に取り組む「中国人強制連行を考える会」のメンバーを通じて、広島にもたらされる。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』) | |
| 0429 | 牛尾美保子・川原洋子・橋本親往(通訳)・柴田和広(中国放送)、安野発電所建設工事に強制連行された生存者を訪ねて中国を訪問(中国人強制連行調査団)。-5月4日。中国人被爆者・徐立伝に面会。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』) | |
| 0608 | 毎日新聞、日本へ強制連行され広島で被爆した中国人2人(徐立伝・張文彬<高清珍>)が見つかったとの北京発の記事を掲載。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』) | |
| 0614 | 訪中報告集会。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』) | |
| 0623 | 牛尾美保子ら、中国人被爆者・徐立伝の被爆の裏付けのため、広島刑務所・広島地方検察庁・広島県警などに調査を要請。 | |
| 0625 | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、広島YMCAで発足会を開催。約15人が参加。戦時中、加計町の安野発電所建設に強制連行され広島市で被爆した中国人の実態解明が目的。 | |
| 07 | 強制連行者名簿のうち、広島で「入獄」中とある10人に手紙を送付。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』) | |
| 0721 | 中国人被爆者・徐立伝、死亡。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』) | |
| 0803? | 強制連行された中国人被爆者との交流を進める会、広島市内の司法関係施設で被爆した11人の消息の調査を求める書簡を中国の研究者・劉宝辰に送付。 | |
| 0804 | 共同通信、中国人被爆者2人(徐立伝・張文彬)の手記を配信。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』) | |
| 0825 | 強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会、広島キリスト教社会館で会合。被爆が証明されながら死去(7月21日)した徐立伝の追悼集会を9月15日に開催することなどを決定。 | |
| 0917 | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、広島刑務所で被爆した中国人被爆者の実態調査と渡日治療などの援護措置を広島市長に申し入れ。 | |
| 09 | 新潟市のフリーライター佐藤杏子、単身訪中し中国人被爆者張文彬と面会。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』) | |
| 1009 | 強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会、広島刑務所で被爆した中国人被爆者張文彬の被爆者健康手帳交付申請書の写しを広島市に提出。 | |
| 1025 | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、広島刑務所で被爆した中国人張文彬の被爆者健康手帳の取得と渡日治療を実現するための集会を広島市内で開催。新潟市のフリー・ライター佐藤杏子が張との会見の模様を報告。約20人が参加。 | |
| 1993 | ||
| 01 | 中国・河北大学の劉宝辰に中国人被爆者の追跡調査を依頼。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』)。呂学文・孟兆恩・鄭光遠の3人の消息を掴む。 | |
| 0301? | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、日本へ強制連行され広島刑務所で服役中被爆した中国人の張文彬(72才)を、被爆者健康手帳の取得や治療のため5月に広島に招くことを計画。 | |
| 0310 | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめ会」、広島刑務所で被爆した中国人の生存が新たに3人(呂学文・孟兆恩・鄭光遠)確認されたと発表。 | |
| 0424 | 宮崎安男広島県原水禁代表委員・「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」のメンバーら5人(強制連行された中国人をたずねる訪中団)、広島刑務所で被爆したとみられる中国人3人の証言を取材するため訪中。11間の日程。 | |
| 0427 | 強制連行された中国人をたずねる訪中団、中国人被爆者・呂学文と面会。-29日。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』) | |
| 0430 | 強制連行された中国人をたずねる訪中団、2人の中国人被爆者(孟兆恩・鄭光遠)と面会。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』) | |
| 0516 | 張文彬(広島刑務所で被爆した中国人被爆者)、「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」の招きで広島入り。 | |
| 0517 | 中国人被爆者張文彬、広島市に被爆者健康手帳の交付を申請。 | |
| 0518 | 中国人被爆者張文彬、広島市の河村病院に検査入院。 | |
| 0520 | 広島市、中国人被爆者張文彬に被爆者健康手帳を交付。 | |
| 0523 | 広島県原水禁など、「張文彬さん(中国人被爆者)のお話しを聞く集い」を広島労働会館で開催。約100人が参加。 | |
| 0524 | 中国人被爆者張文彬、9日間の広島での日程を終え、かつて強制連行された新潟に向かう。 | |
| 05 | 東京華僑総会、中国人強制連行に関する「外務省報告書」と各事業場の「事業場報告書」を公表。 | |
| 0729 | 広島刑務所で被爆した中国人被爆者2人(呂学文・孟昭恩)、広島県原水禁などの招きで広島入り。 | |
| 0730 | 広島市、広島刑務所で被爆した中国人被爆者2人(呂学文・孟昭恩)に被爆者手帳を交付。 | |
| 0731 | 中国人被爆者呂学文と孟昭恩、48年ぶりに広島県加計町の労働現場を訪問。広島県加計町の善福寺で挙行された中国人殉難者追悼法要に参列。 | |
| 0801 | 写真展・「安野」からの証言、広島労働会館で開催。 | |
| 0801 | 強制連行された中国人被爆者「孟昭恩先生・呂学文先生のお話をきく集い」、広島労働会館で開催。約50人が参加。 | |
| 0803 | 中国人被爆者呂学文・孟昭恩、西松建設中国支社に強制労働に対する謝罪や補償を求める要求書を提出。 | |
| 0806 | 広島県山県郡の安野中学校生徒会、中国人被爆者呂学文・孟昭恩を招いて体験を聞く。 | |
| 09 | 強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会、呂学文・孟昭恩の西松建設に対する要求書への回答(9月29日付)を受け取る。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』) | |
| 1110 | 西松建設中国支店を訪れ、2人の中国人被爆者からの謝罪・補償要求などを同社が拒否する回答書を提出したことに反論。 | |
| 1114 | 厚生省、北京の中日友好協会に対し、日本では被爆者の治療を無料で受けられる制度があることを通知。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』) | |
| 1220 | 強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会、大内厚生大臣の孫平化中国日本友好協会長宛の書簡(12月14日付、日本の原爆2法による援護措置を説明)を広島市原爆被害対策部に示し、市独自の救済措置を要望。 | |
| 1994 | ||
| 0118 | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、被爆中国人補償問題で西松建設中国支店で3回目の交渉を実施。 | |
| 0214? | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」に広島で獄中被爆した中国人が大連に生存しているとのしているとの連絡が届く。 | |
| 0426 | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」のメンバー6人、中国人の代理で広島市の西松建設中国支社と交渉。同支社、独自に現地調査を行う意向を明らかにする。 | |
| 0501 | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、調査のため訪中(3回目)。8日、帰国。13日、帰国記者会見。 | |
| 0503 | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」の訪中団、大連在住の被爆者・于瑞雪に面会。 | |
| 0607 | 強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、中国人被爆者などの外国人被爆者の実態調査や援護を求める要請文を広島市長宛に提出。 | |
| 0622 | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、西松建設広島支店に強制労働させられた中国人への補償などを求める要求書を提出(第5回目の交渉)。 | |
| 0622 | 社会党の清水澄子、参院外務委員会で、中国人強制連行についての政府の見解をただす。中国人強制連行の事実を初めて公式に認める。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』) | |
| 0710 | 「広島の強制連行を調査する会」・「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、広島県加計町のダムや発電所などで歴史や生存者の現状を学ぶ会を開催。約100人が参加。 | |
| 0712? | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、広島市長に6月7日付で提出した要請書に対する7月8日付の回答を受け取る。内容は、中国人被爆者の調査や援護の支援は「困難」というもの。 | |
| 0803 | 広島県加計町立安野中学校生徒、同町の中国人や朝鮮人を動員して建設した発電所などを見学。講師は「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」などのメンバー。 | |
| 1105 | 五十嵐官房長官、「花岡受難者聯誼会」代表と会い、政府首脳として初めて花岡事件について謝罪。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』) | |
| 1112 | 広島の市民グループ「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」など、「強制連行された中国人・被爆者遺族を広島に招く実行委員会」を発足させる(広島平和会館)。18人が参加。 | |
| 1117 | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、西松建設の担当者と広島県山県郡加計町の安野発電所建設工事に従事させられた中国人について初めて現地調査を実施。 | |
| 1995 | ||
| 0206 | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、西松建設中国支店との6回目の交渉を実施。新たに医療費の負担を要望。 | |
| 0520 | 「強制連行された中国人被爆者との交流を進める会」、調査結果をまとめた「中国人被爆者・癒えない痛苦-獄中被爆の真相を追う」(明石書店刊)を発行。 | |
| 0526 | 宋継尭、「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」のメンバーとともに、東京の西松建設本社を訪れ、補償を要求。 | |
| 0815 | 中国河北省保定市で「安野強制連行・広島被爆受難者聯誼会が結成される。同市を訪問した広島県内の市民団体「強制連行された中国人被爆者との交流を進める会」の訪中団と協議の上結成。 | |
| 1025 | 広島市の市民団体「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」のメンバー、「安野強制連行・広島被爆受難者聯誼会」の委任を受けて、当時の中国人らの雇用主の西松建設中国支店で賠償などについて交渉。 | |
| 1996 | ||
| 0312? | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、7人目の被爆者の生存を確認。 | |
| 0617 | 広島の市民グループ「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、広島刑務所と広島市に対し、中国人被爆者の実態調査を実施することなどを要請。 | |
| 0627 | 広島市の市民グループ「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、山県郡加計町の発電所建設現場で中国人を働かせていた西松建設と交渉、同社の調査内容などを明らかにするよう求める。 | |
| 0820? | 広島の市民グループ「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、帰国後死亡した中国人被爆者1人の消息を確認。 | |
| 1107 | 戦時中日本に強制連行された中国人元労働者2人、広島の市民グループ「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」の中谷悦子代表の案内で広島市の原爆資料館を見学。 | |
| 1997 | ||
| 0430 | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、広島県加計町に連行された中国人労働者の証言などを収録した教材ビデオを制作。 | |
| 0510 | 「中国人強制連行国際シンポジウム広島集会」、広島市で開催。約200人が参加。喊允伝ら(中国人被爆者)らが報告。-11日。11日、呂学文が証言。 | |
| 0801? | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、戦時中に広島県加計町に強制連行された中国人の証言を基に紙芝居「陳さんとイチョウ」を制作。 | |
| 0806 | 「8・6ヒロシマ平和へのつどい1997」、広島市の県民文化センターで開催。約100人が参加。中谷悦子「強制連行・中国人被爆者との交流をすすめる会」代表が戦後補償を訴える。 | |
| 2004 | ||
| 2008 | ||
| 2009 | ||
| 2012 | ||
| 2013 | ||
| 2014 | ||
| 2015 | ||
| 2016 | ||
| 2017 | ||
| 1015 | 西松安野雄幸基金運営委員会、広島県安芸太田町坪野の安野発電所建設に強制連行された中国人労働者を追悼し日中友好を誓う集いを、発電所近くの石碑前で挙行(中国新聞20171016) | |
| 2018 | ||
| 1020 | 王小軍さん(故・徐立伝さんの孫)のお話を聞く会(広島安野・中国人被害者を追悼し歴史事実を継承する会)、広島市で開催。約50人が参加。(『中国新聞』20181019、20181021) | |
| 2020 | ||
| 1018 | 広島安野・中国人被害者を追悼し歴史事実を継承する会主催の犠牲者を追悼し日中友好を祈念する集い、安野発電所(安芸太田町)近くの石碑前で開く。参列者約50人。 | |
| 2021 | ||
| 1014 | 広島安野・中国人被害者を追悼し歴史事実を継承する会主催、故呂学文(原告団長)の活動を振り返る会を広島弁護士会館で開催。(『中国新聞』20211014) | |
止
元広島文理科大学(旧広島大学理学部1号館)の保存を考える会設立:1995年1月7日
| 会長 | 川村智治郎(元広島大学長) |
| 副会長 | 竹山晴夫(元広島大学長)、沖原豊(元広島大学長)、三好稔(元広島大学長代行)、 後藤陽一(広島大学名誉教授・原爆遺跡保存運動懇談会座長)、 渡辺則文(広島大学名誉教授・芸備地方史研究会会長)、 向山宏(広島大学文学部教授・広島史学研究会理事長) |
| 幹事 | 頼棋一(広島大学文学部教授・広島史学研究会理事)、 小原誠、石丸紀興、宇吹暁、河瀬正利 |
| 事務担当 | 長谷川博史 |
理学部1号館をめぐる動向
| 年 | 月 | 日 | 事項 |
| 1989 | 05 | 14? | 広島大、広島文理科大時代の被爆時計・タイル・鉄製扉を東広島市の新キャンパスに移し保存することを決定。(理学部1号館) |
| 07 | 25 | 「被爆建造物を考える会」主催原爆遺跡をめぐるフィールドワーク、広島市で実施(約60人参加)。広島赤十字・原爆病院・広大理学部1号館などを見学。 | |
| 08 | 04 | 旧広島文理科大学の焼けずに残った一研究室に、被爆当時の経緯を記した説明版設置。(理学部1号館) | |
| 1990 | 09 | 21 | 広島市の「被爆建物等継承方策検討委員会」、市内7ヶ所の被爆建物(広大理学部1号館・広島赤十字・原爆病院等)を視察。 |
| 1991 | 01 | 31? | 広島大理学部の尾崎卓美技官、被爆建造物である同大理学部1号館の百分の一のガラス模型を製作。 |
| 07 | 24 | 広島大学理学部の移転作業開始。同学部の建物は被爆遺跡で、保存を要請する声も。(8月1日、第1陣の引越し荷物を西条キャンパスに搬出。)(理学部1号館) | |
| 09 | 26 | 原爆遺跡保存運動懇談会(座長・後藤陽一広大名誉教授)、被爆した広大理学部1号館の保存を田中隆荘学長に請願。平岡広島市長にも保存への協力を要請。 | |
| 11 | 20 | 広島大学理学部1号館保存のアンケートを大学関係者OB(126名)に発送。回答102名の9割が保存要求。 | |
| 12 | 19 | 後藤陽一(原爆遺跡保存運動懇談会座長)ら有志、広島大学理学部1号館(被爆建物)保存についてOBを対象に実施したアンケート調査の結果を田中広島大学長に手渡す。それによると「保存を求める」は9割。 | |
| 1992 | 02 | 04 | 広島市被爆建物等継承方策検討委員会が視察した被爆建物=広島市役所、広島大学理学部1号館、広島赤十字・原爆病院、広電変電所、旧陸軍被服支廠、広島銀行銀山支店、旧陸軍司令部通信室、本川小学校、レストハウス(予定)。 |
| 02 | 13? | 川本智治郎らの呼びかけで実施した広島大学理学部の保存をに関するアンケート結果が判明。OBらの6割が、旧理学部1号館の保存を求める。 | |
| 04 | 21 | 広島市、被爆建物等継承方策検討委員会の6回目の会合を開催。広島逓信病院、文理科大学、広島高等学校、日銀、兵器支廠、兵器学校、などの継承方策について検討。(理学部1号館) | |
| 07 | 12 | 広島県美術会議・原爆遺跡保存運動懇談会、広島赤十字・原爆病院や広島大学理学部1号館などの写生大会を開催。 | |
| 1993 | 02 | 18 | 原田康夫広島大学医学部長、第9代学長に選出された記者会見で、旧理学部1号館保存や放射線医学などを中心とした国際貢献などの抱負を語る。 |
| 1994 | 06 | 20 | 林紀子参議院議員、参院文教委員会で、原爆ドームを世界遺産条約のリストに登録することや広島大学の旧理学部1号館の保存を求める。 |
| 07 | 19 | 原爆遺跡保存運動懇談会のメンバー6人、広島大学理学部1号館の保存を県と市に要請。 | |
| 12 | 16 | 芸備地方史研究会、旧広島大学理学部1号館を全面保存し活用するよう、平岡広島市長と藤田知事に文書を要望。 | |
| 12 | 27 | 広島大学本部の跡地利用計画策定調査検討委員会、3回目の会合を開催。広島市が多様な文化拠点とするとの理念を示し、整備の前提条件として「旧理学部1号館の保存・活用策の検討など9項目を示す。 | |
| 1995 | 01 | 07 | 広島大学学長経験者3人など13人、「元広島文理科大学(旧広島大学理学部1号館)の保存を考える会」の初会合を広島市内で開催。 |
| 01 | 19 | 元広島文理科大学(広島大学旧理学部1号館)の保存を考える会、広島市と県に対し、同建物の保存と活用を陳情。 | |
| 03 | 17 | 広島大学本部跡地利用計画策定調査検討委員会、7回目の会合を広島市内で開催。最終報告案に被爆建物である理学部1号館の利用の可能性を検討することを追加。 | |
| 1996 | 01 | 27 | 原爆遺跡保存懇談会・芸備地方史研究会、シンポジウム「あらためて原爆遺跡の保存を考える-レストハウス、元文理大などをめぐって」を広島市内で開催。山瀬明・石丸紀興・長谷川博史が報告。約130人が参加。(理学部1号館) |
| 03 | 01 | 広島市、広島大学本部跡地の校舎の解体工事を開始。同市、旧理学部1号館以外の被爆建物13件の記録保存のため写真を撮影。 | |
| 11 | 05? | 「元広島文理大学の保存を考える会」と芸備地方史研究会、旧広島大学理学部1号館の保存・活用を求める署名運動を開始。 | |
| 12 | 10 | 沖原豊ら「元広島文理科大学の保存を考える会」と「芸備地方史研究会」の代表6人、広島県議会に被爆建物「旧理学部1号館」の保存・活用を求める陳情書を広島市と市議会に提出。 | |
| 1997 | 03 | 20 | 「元広島文理科大の保存を考える会」・「原爆遺跡保存運動懇談会」など、元文理大理学部1号館の保存を考えるパネル討論「原爆遺跡-過去から未来へ」を広島市内で開催。約2O0人が参加。 |
| 1998 | 05 | 21 | 「元広島文理科大学の保存を考える会」と「芸備地方史研究会」、被爆建物の旧理学部1号館の保存を求める陳情書を広島市議会に提出。 |
| 1998 | 08 | 11? | 広島県教育委員会、幕末から第2次世界大戦終結までの建造物を対象にした「近代化遺産」の総合調査の結果をまとめる。広島大学旧理学部1号館や広島市レストハウスなどの被爆遺跡を含む約1000件。 |
止
平和と民主主義を守る広島県協議会結成について(広島県労働組合会議、19581219)
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止
平和と民主主義を守る広島県協議会 結成日:1958年12月19日
資料一覧
| 年月日 | 資料名 | 発⇒宛 | 備考 |
| 1958 | |||
| 1031 | 「平和と民主主義を守る広島県協議会」結成についての要請 | 平和と民主主義を守る広島県協議会結成準備会⇒ | |
| 1219 | 平和と民主主義を守る広島県協議会結成について | 広島県労働組合会議⇒ | |
| 1959 | |||
| 0107 | 反戦反失国民大行進のための第1回広島平民協開催について | 平岡弘人(平和と民主主義を守る広島県協議会代表者)⇒ | |
| 0114 | 戦争と失業に反対する国民大行進のための第2回広島平民協会議報告 | 平岡弘人(平和と民主主義を守る広島県協議会代表)⇒ | |
| 0211 | 第2回広島平民協例会報告 | 長田新(平和と民主主義を守る広島県協議会会長)⇒ | |
| 0217 | 安保条約改定阻止と日中国交回復のための大講演会開催について | 長田新(平和と民主主義を守る広島県協議会会長)・平岡弘人(広島県労働組合会議議長)⇒ | |
| 0310 | 民主教育に対する不当弾圧真相報告会〈参加呼びかけ〉 | 平和と民主主義を守る広島県協議⇒ | |
| 0312 | 第4回平民協開催について | 長田新(平和と民主主義を守る広島県協議会会長)⇒ | |
| 0325 | 平民協第4回例会報告 | 長田新(平和と民主主義を守る広島県協議会会長)⇒ | |
| 0327 | 安保改定阻止討論集会開催について | 長田新(広島県労働組合会議 平和と民主主義を守る広島県協議会会長)⇒ | |
| 0413 | 第5回平民協例会報告 | 長田新(広島県労働組合会議内平和と民主主義を守る広島県協議会会長)⇒ | |
| 0608 | 平民協第5回例会開催について | 長田新(広島県労働組合会議内平和と民主主義を守る広島県協議会会長)⇒ | |
| 0619 | 平民協第6回例会開催について | 長田新(広島県労働組合会議 平和と民主主義を守る広島県協議会会長)⇒ | |
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原水爆被災白書についての佐藤総理大臣への要望書(談和会)19650805
原爆被災二十周年を迎えるにあたり、私たちは日本政府が被災の実態調査を行ない、全死没者の氏名を明らかにして慰霊碑の過去帳に納めるとともに、生存者についてはその健康と生活の全貌を客観的に明らかにすることを要望いたします。そのことは、犠牲者の霊をなぐさめ、被爆者を力づけるとともに、学術研究の上に多大の貢献をなし得るものと信じます。佐藤総理大臣が英断をもってこれを国家的事業としてとりあげ、完璧な研究体制をつくって、世界の文明に貢献し得る被災白書を完成されるよう、希望してやみません。
昭和四十年八月五日
出典:今堀誠二「原水爆被災白書運動のその後」(『世界』1965年12月号)