『ふたたび被爆者をつくるな 日本被団協50年史 1956-2006(本巻)・(別巻)』(日本原水爆被害者団体協議会日本被団協史編集委員会編著、あけび書房、20090501)
目次
部章節 |
見出し |
備考 |
本巻 |
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刊行にあたって 日本被団協代表委員 藤平典
刊行に寄せて 広島市長 秋葉忠利
長崎市長 伊藤一長 |
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写真でたどる日本被団協の50年 |
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「日本被団協50年史」の構成について |
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第Ⅰ部 |
日本被団協50年史 |
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Ⅰ |
原爆地獄1945年8月 |
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Ⅱ |
日本被団協前史 |
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Ⅲ |
日本被団協の結成 |
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Ⅳ |
「要求骨子」をかかげて |
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Ⅴ |
77国際シンポから「基本要求」へ |
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Ⅵ |
「基本要求」をかかげて |
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Ⅶ |
被爆45周年運動と「援護に関する法律」 |
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Ⅷ |
ふたたび被爆者をつくるな、核兵器なくせ戦争のない世界を |
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補遺 原爆症認定裁判の到達点 |
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[特別稿] |
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1.被爆者中央相談所の活動
2.日本被団協国際活動の50年
3.被爆者援護と補償をめぐる裁判の歩み |
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[付] |
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日本原水爆被害者団体協議会規約
社団法人日本被団協原爆被爆者中央相談所定款
日本被団協発行資料 |
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第Ⅱ部 |
都道府県被団協史 |
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別巻 |
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第Ⅰ部 |
資料編 |
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第Ⅱ部 |
年表・被団協のあゆみ |
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ヒロシマ研究の会満1周年記念映画会(案内ビラ)
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1968年6月16日 於:広島YMCA 映画:「ひろしま」、「生きていてよかった」 |
ピカ資料研究所所蔵 |
ピカ暦(ぴかごよみ)19680806
『原水爆時代 現代史の証言(下)』(今堀誠二、三一書房、19600806)
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<以下未完> |
章 |
節 |
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Ⅴ |
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崩れぬ平和をかえせ |
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あるブルジョアの一家 |
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三吉の少年時代 |
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原爆の日より |
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広島日鋼争議 |
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平和大会と「われらの詩」 |
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朝鮮戦争への抵抗 |
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砲声下の原爆詩集 |
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平和運動の組織化へ |
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美しい生涯と原爆症 |
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生きている峠三吉 |
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Ⅵ |
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朝鮮戦争に抗して |
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1 |
原爆禁止運動の烽火 |
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原爆は世界をゆるがす、歴史の暗転期1949年、公安条例の舞台裏、イールズ声明と原子戦準備、平和擁護広島大会、ヒロシマは原子兵器の廃棄を要求する、もえあがっていた市民の願い、婦人運動と原爆理解、青年運動と青年教師、歴史の重み、平和擁護東京大会も原爆禁止を要求、国際的評価について |
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2 |
ストックホルム・アピール、原爆戦争にうち勝つ |
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広島平和擁護委員会、牧師・教授も平和委へ、開戦前のSアピール、朝鮮戦争を企てた人、戦時下の言論統制、広島平和委の弱体化、大会を支えるもの、8・6大会の前哨戦、大会の記録、巧妙を極めた非合法集会、共産党の分裂と大会のありかた、平和擁護日本委員会、第三次大戦を防止した8・6大会、枯尾花戦争とトルーマンの原爆使用声明、ワルソー大会と世界平和評議会、平和運動、原爆使用を阻む、朝鮮戦争は天佑か、日本戦没学生記念会、立ち上がった青年団、Sアピール運動掉尾を飾る、立ち上れない労働者、労働者の意識構造、ある詩人のねがい、 |
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3 |
流星光底長蛇を逸す |
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マスコミへの注文、国民運動の目標、全面講和運動、ベルリンアピールをめぐって、即時停戦が必要だったのに、マ元帥の解任、朝鮮停戦交渉の舞台裏、平和運動の良心と責任、レジスタンス、平和の闘士団、署名運動と組織強化、警官包囲下の8・6大会、平和戦線とは何か、平推の消長、単独講和と二挺拳銃の平和記念祭、踏まれてもけられても、情勢判断を誤った平和運動、 |
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4 |
冬の旅を行く |
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Ⅶ |
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人命は冷戦より尊い |
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1 |
原水協のうまれるまで |
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ビキニ事件、原水爆にたいする国民のいかり、杉並アピール、アピール運動の性格、全国協議会の結成、原水爆禁止運動広島協議会、8・6広島平和大会、広島大会の提案、署名運動の意義、日本原水協の成立、 |
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2 |
輝かしい啓蒙-ヒロシマ大会 |
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10年前と同じ時間に同じ場所で、鳩山首相の立場、アメリカ人の願い、平和を願うものと願わないもの、原爆被害者の生活と意見、アメリカ民衆との共同戦線、学者の役割、大衆のものとなった運動、禁止運動、救援運動に結びつく、基地問題と運動の進め方、歴史をになうもの、組織上での暗影、署名運動および大会の評価、 |
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3 |
原水爆戦略との対決をめざして-ナガサキ大会 |
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世界を動かす原爆禁止の声、参加した人々、国際連帯の花の輪、危機は去らない、沖縄は日本を制圧するための基地でもある、渡辺千恵子氏の発言、被爆者のなやみと喜び、原子力の平和利用、運動のすすめ方、 |
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4 |
フォールアウトとロケット基地にいどむアジア民族主義-第三回大会 |
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地方での大会風景、国際的な予備討議、世界の期待をあつめて、演説のかずかず、失敗した議事運営、政治ととりくむ禁止運動、大会運営の問題点、高い指導と全国民の参加を、原水協の苦悩、歴史のうねり、 |
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5 |
東西の兵力引離しと日本の非核武装化のために-第四回大会 |
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総選挙に敗れた原水協、ICBMは世界を変えた、欧米の運動NATOをゆるがす、核武装と国民の批判、核武装した自衛隊と米軍基地、国民生活の圧迫と被爆者の援護、日本人はアジアを見損なっている、運動の進め方の評価と反省、国際会議は成功したか、政治目標を明示した宣言と決議、原水協の強化と世界の命運、 |
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6 |
東西融和の促進と安保改訂-第五回大会 |
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原水爆時代のマニュフェスト、大衆は平和行進と大会を支持した、自民党と右翼のおもわく、大会内部の右翼的偏向、大会における左翼的偏向、東西融和の具体策を欠く、 |
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7 |
世界大会への批判と妨害と謀略-一部外国代表の思想と行動 |
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ヤング卿らの脱退劇、理由は無理に作られた、ものにならなかったスクープ、第三回大会の妨害者、第四回大会の妨害はなぜおこったか、第五回大会の工作者と同調者、大会と朝鮮人 |
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Ⅷ |
|
新紀元は始まる |
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一発で地球を全滅させる爆弾、戦争の準備をはじめた平和産業、日本と沖縄の核武装はすすむ、安保条約は朝鮮戦争の落とし子、新安保はアメリカの要求、新安保に託する岸・藤山の夢、アジアは新安保に反対する、頂上会談はなぜ流れたか、新安保の国会採決は冷戦激化の謀略、冷戦を終らせる道、ヒロシマの十字架から新紀元は始まる |
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あとがき |
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上巻は庶民の動きを中心として叙述を進めた。
下巻もそのつもりで草稿をまとめ、朝鮮戦争以後における原爆被災者・青少年・婦人・学者・ジャーナリスト・芸術家(美術・文学・演劇)・労働者・農民・漁民などが、どんな役割を果たしてきたかをあとづけるつもりだった。 |
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運動の発展をみつめるとともに、それを妨げる社会の壁を、写し出すことが、ねらいとなっていた。 |
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しかし、安保問題の発展につれて、この計画は根本的に変更せねばならなくなった原水爆禁止運動は、国際政治の変転につれて、重大な段階にさしかかり、国内政治の面でも、高度の政治性を帯びるに至ったので、庶民の動きという間接描写の方法では、焦眉の問題に焦点を合せることが、出来なくなってしまった。 |
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今からの一、二年間は、原水爆時代を終らせるチャンスであるとともに、原水爆戦争のピンチともいえる。 |
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本書が政治技術を中心として、運動の展開をあとづけることにしたのは、正しい政治路線の発見に、ささやかながらも資料を提供したいと考えたからである。 |
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『原水爆時代 現代史の証言(上)』(今堀誠二、三一書房、19590721)
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以下未完 |
章 |
節 |
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登場人物 |
備考 |
Ⅰ |
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ピカドンに死なず |
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幽鬼の町ヒロシマ |
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今堀誠二 |
山口県の西北海岸、一兵士。 |
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古賀八重子 |
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少国民の最後 |
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「菩提樹」をうたう少女 |
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敗戦を飾る犠牲者の美 |
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世界の良心は告発する |
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ピカドンに屈せず |
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古賀八重子=その後沖原氏と結婚。呉でしあわせな家庭。 |
Ⅱ |
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占領軍に屈せず |
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1 |
第二の誕生 |
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「生ましめん哉」 |
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栗原氏と「中国文化」 |
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栗原貞子、栗原唯一、猪熊弦一郎、細田民樹 |
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プレスコード下の最初の刊行物 |
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『中国文化』創刊号 |
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ヒロシマは歴史の証人 |
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2 |
ざんげの道 |
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悲嘆の日記「さんげ」 |
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トマトをめぐる母子の悲歌 |
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守られた非合法出版物 |
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死の商人のざんげ |
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地球を動かす支点 |
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警告ビラは回収された |
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3 |
無欲の顔 |
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村にきたジープ |
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原爆について語るな |
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作家の眼がとらえた「屍の街」 |
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無欲顔貌 |
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人間の精神はボロになった |
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平和をかえして下さい |
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いまだ癒えぬ傷あと |
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4 |
原爆エレジー |
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原子野に咲いた「夏の花」 |
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壊された詩碑 |
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忘れかけたあの日の記憶 |
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「長崎の鐘」 |
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原爆エレジーの流行 |
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5 |
よみがえった記録映画 |
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映像になった記録 |
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占領軍の撮影禁止 |
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生きていたプリント |
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公開された被爆写真 |
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6 |
科学者の道 |
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|
廃墟に芽ばえた国民の科学 |
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災害調査はじまる |
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奇病の発生第二期症状 |
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病理へ振るうメス |
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全滅した劇団「桜隊」 |
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都築氏の活躍 |
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世界最初の原爆症講演会 |
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原爆症救護病院 |
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山津波にのまれた京大班 |
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災害調査研究特別委員会 |
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きびしい原爆の秘密保持 |
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撤去された研究施設 |
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原爆はGHQのタブー |
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終戦の日に始った原爆戦争の準備 |
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恐るべき後遺症 |
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原爆症とは何か |
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被爆者はABCCのモルモットか |
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原爆禁止は科学者の道 |
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Ⅲ |
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ノー・モア・ヒロシマ |
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1 |
原爆は戦争ではない |
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広島に向った青い眼の記者 |
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死臭と敵意の中で |
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ヒロシマからの報告 |
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人類よ!広島をくり返すな |
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原爆患者の存在を抹殺 |
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勝利した官製ニュース |
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|
二つの原爆処理方式 |
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科学者の「十字軍」 |
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2 |
人道主義と反戦主義 |
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|
全米を震撼させた実話小説 |
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「ヒロシマ」の主人公たち |
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人道主義の原爆否定 |
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同情はごめんだ |
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アメリカの盲点 |
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|
世界連邦主義 |
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ピース・センターと精神養子 |
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|
原爆乙女の厚生 |
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|
憤激をかったルーズベルト夫人 |
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|
原爆乙女は立証する |
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3 |
平和祭 |
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広島平和復興祭 |
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46・7年の世界の動き |
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マ元帥の教書と「平和宣言」 |
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|
原爆をとりあげたアメリカの新聞 |
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8・6をカーニバルにするな |
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世界でもたれたヒロシマ・デー |
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|
貧弱だった「原爆否定の研究室」 |
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|
平和こそ女性の幸福の源 |
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|
原爆外交と広島の復興 |
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|
大衆から浮いた平和祭 |
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4 |
偏見を乗り越えて |
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|
東洋にかけるアメリカの橋 |
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|
クエーカーの絶対平和主義 |
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|
シュモー氏の「広島の家」 |
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|
私は共犯の屈辱を抱いてここに立つ |
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|
神よ平和を来らし給え |
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|
むずかしい平和住宅の運営 |
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|
ブ夫人の公民館 |
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|
平和運動を離れた「広島の家」 |
|
|
平和精神をうらづけるものは何か |
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|
シュ氏のピントの甘さ |
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|
ブ夫人への一票は原爆防止の一票 |
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Ⅳ |
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過ちは繰返しませぬ |
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|
殴殺されたアメリカ兵 |
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恩讐を越えた供養塔 |
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|
原爆で死んだ異国の人 |
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|
安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから |
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あとがき |
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ピカ資料研究所の中の「今堀」
新聞記事
年 |
掲載誌 |
見出し等 |
19670211 |
毎日? |
今堀誠二 若い日の私―すべてをかけ中国社会調査 |
|
|
|
19871120 |
中国夕刊 |
今堀学長が年内辞任 内臓疾患の長期化理由に |
19871121 |
中国新聞 |
今堀学長、来月末で辞任 年内に後任選挙 |
19871121 |
毎日? |
県立広島女子大の今堀学長が辞任へ |
|
|
|
|
朝日新聞 |
「野にありて 今堀誠二交遊抄」(19880310~4月1日15回連載) |
19880310 |
1 |
幼なじみ 奮起願い原爆詩をこてんぱんに批判 |
19880311 |
2 |
寡黙の人 平和への文学者の責任を痛烈に指摘 |
19880312 |
3 |
秘密出版 被爆実態リアルに 時代を訴えた傑作 |
19880315 |
4 |
番外会見 原爆乙女5人らに大統領夫人も同情 |
19880316 |
5 |
危険な旅 ソ連核実験に抗議 レイノルズは船出 |
19880317 |
6 |
TV対談 平和論から大学論 湯川秀樹と10回余 |
19880318 |
7 |
最後の声 パルメも核廃絶へ 被爆の声聞き理解 |
19880320 |
8 |
庶民官僚 21年たちようやくドーム保存の余裕 |
19880323 |
9 |
闘士2人 国際情勢ふまえて平和教育の原点本 |
19880324 |
10 |
幻の映画 米国にきっとある 被爆直視した資料 |
19880326 |
11 |
論敵同士 沖縄の返還問題は日本外交のヒット |
19880329 |
12 |
首相談判 「白書」に積極的に協力した佐藤栄作 |
19880330 |
13 |
抗議の書 安保問題からんで意図は達成できず |
19880331 |
14 |
中国開眼 平和運動でも一貫 民衆の視点で試行 |
19880401 |
15 |
70自述 ライフワークには輯国民衆の革命史 |
|
|
|
19921010 |
中国新聞 |
天風録 |
|
中国新聞 |
今堀誠二氏死去 ヒロシマ原点に平和運動 |
|
中国新聞 |
「平和運動は忍耐」 提言続けた今堀さん
総合科学部創設に尽力 飯島宗一・元広島大学長の話
考えはっきり述べた 森滝市郎・原水禁国民会議議長の話 |
19921013 |
中国新聞 |
ピカ資料研究所の中の「今堀」
自宅の書斎に裁断 大きな足跡しのぶ 今堀さんの葬儀に250人 |
|
|
|
|
|
|
かけはし(YMCA国際平和研究所通信)
号 |
発行年 |
備考 |
1 |
19840701 |
P(ピカ資料研究所所蔵) |
|
相原和光 |
生命の自由を私たちの手に |
2 |
19841001 |
P |
|
今堀誠二 |
YMCA国際平和研究所の緊急の任務 |
3 |
19850101 |
P |
|
栗野鳳 |
全人類的課題にどうとりくむか |
4 |
19850401 |
P |
|
福田垂穂 |
青年による平和のネットワークを―国際青年年のはじめに |
5 |
19850701 |
P |
|
河村盛明 |
ひろがる平和都市連帯 |
『広島平和会館ものがたり 財団法人原爆被害者福祉センター広島平和会館小史』(原爆被害者福祉センター広島平和会館、20001201 )
目次
頁 |
章 |
資料 |
項目 |
備考 |
01 |
|
|
発刊にあたって(坪井直・理事長) |
|
02 |
|
|
会館運営の基本 |
|
06 |
1 |
|
憩いの館として |
|
08 |
|
|
「広島県被団協」の結成と「平和会館」 (高橋昭博・理事) |
|
10 |
|
1 |
救援委員会について |
|
|
|
2 |
原水爆禁止世界大会日本準備会総会における協議 |
|
|
|
3 |
〈藤居メモ1〉 12月23日(1955年)常任委員会 |
|
|
|
4 |
原爆被害者福祉センター(会館)の設立について |
|
|
|
5 |
広島市原爆被害者連絡協議会第2回世話人会 |
|
|
|
6 |
広島県原爆被害者大会実行委員会 |
|
|
|
7 |
生きていてよかった〈抄〉(藤居平一追想集の竹内武氏寄稿文より) |
|
|
|
8 |
平和会館完工 |
|
|
17 |
|
理事メンバー写真(196905 理事の皆さん) |
|
|
|
9 |
平和会館今月末に移転 |
|
|
|
10 |
平和会館移転問題 |
|
|
22 |
|
年表(1945年8月~1959年4月) |
|
2 |
28 |
|
運動のとりでとして |
|
|
|
11 |
「森瀧日記の証言」より |
|
|
32 |
|
被爆証人捜し (竹内武) |
|
|
|
12 |
国家補償に基づく被爆者援護法要求行動の最終段階の情勢と広島での行動 34 |
|
|
|
13 |
統一を願い続けて(『森瀧市郎の歩み』より) |
|
|
|
|
年表(1959年4月~1984年2月) |
|
3 |
52 |
|
交流のひろばとして |
|
|
|
|
年表(1984年6月~2000年6月) |
|
|
58 |
|
広島平和会館役員名簿 |
|
|
|
|
|
|
『被爆者からの伝言 原爆の実相を語りつぐ』(日本原水爆被害者団体協議会、あけび書房、19950601)(DVD付 20060601)
内容
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|
『被爆者からの伝言』刊行にあたって |
|
1 |
紙芝居(ミニ原爆展パネル)のシナリオと解説 |
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2 |
原爆、そして被爆者のはなし |
|
|
(1)原爆被爆者とは
(2)被爆者の死
(3)被爆者の生
(4)原爆はなぜ投下されたか
(5)アメリカは被爆者に何をしたか
(6)日本政府は被爆者に何をしたか
(7)被爆者の要求
(8)被爆者の運動
(9)被爆者の網の目援護・相談活動
(10)被爆の実相普及、語り残し運動
(11)被爆者を包む運動 |
|
3 |
広島・長崎の碑・遺跡・施設めぐり |
|
|
広島の部
長崎の部 |
|
4 |
資料篇 |
|
|
原爆・被爆問題の文献目録
原爆と児童文学
反核・平和のうた(歌詞カード)
各地の原水爆被害者の会連絡先 |
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|
|
|
|
あとがき |
|
|
19950601=備考 3点セット; 紙芝居・ミニ原爆展パネル32枚 ; 解説書 ; 紙芝居ナレーション, 反核・平和のうた |
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|
20060601=備考 Set: 解説書(88p 26cm) ; 紙芝居兼ミニ原爆展パネル(B4・32場面) ; 付属資料: DVDビデオディスク(1枚 ; 12cm 32分) ; 付属資料: 原爆関連グッズ(5点) |
|
原爆資料保存会(文献・資料)
文献
発行年 |
書名 |
備考 |
所蔵 |
19650606 |
「広島」原爆記念文庫設置について |
紙 |
|
19651015 |
原爆記念文庫所蔵原爆関係文献目録 昭和40年8月31日調 |
|
G |
19670425 |
広島を訪れた内外人の感想文集 |
|
G |
19680101 |
ひろしまその訴え |
|
G |
19680806 |
原爆被災資料目録-昭和43年8月6日調 |
|
G |
19690801 |
ひろしま 世界平和の聖都 |
|
G |
19710910 |
広島を訪れた内外人の感想文集 その2 |
|
G |
197403 |
ヒロシマ 平和公園 |
発行:横田工 |
GU |
19791031 |
広島平和記念公園-地図 |
発行:広島観光物産 |
G |
19810301 |
ヒロシマ 平和記念公園 |
発行:横田工 |
GU |
19810801 |
「ヒロシマの心」を若い世代に |
高橋昭博著、発行: 原爆資料保存会 |
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19820101 |
ヒロシマの心 |
発行:横田工 |
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ヒロシマ Hiroshima A-Bomb am 8:15 August 6, 1945 |
発行:横田工 |
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ヒロシマ Hiroshima A-Bomb am 8:15 August 6, 1945 |
発行:広島観光物産 |
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ヒロシマ わたしは見た!市民が描いた原爆の絵 [絵はがき] |
ヒロシマを知らせる委員会編、発行:原爆資料保存会 |
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。