「基本要求」をかかげて(日本被団協50年史)
Ⅵ 「基本要求」をかかげて 1985~1989 |
章 |
節 |
見出し |
1 |
|
被爆四〇周年、「基本要求」の普及へ |
|
1 |
全国行脚 |
|
2 |
核保有五力国首脳への直接要請 |
2 |
|
被爆者の現状と要求を明確に |
|
1 |
二つの被爆者実態調査 |
|
2 |
調査をもとにした要求 |
|
3 |
「折り鶴人間の輪」行動 |
|
4 |
運動がつくり出したがん検診 |
3 |
|
第三回国連軍縮特別総会、松谷訴訟 |
|
1 |
第三回国連軍縮特別総会 |
|
2 |
昭和天皇死去 |
|
3 |
「被爆者の森」建設 |
|
4 |
平和基金の創設 |
|
5 |
事務所の移転と移転募金 |
|
6 |
長崎原爆松谷訴訟 |
|
7 |
原爆死没者の肖像画運動 |
4 |
|
被爆者援護法案、初の国会可決 |
|
1 |
三点セットによる世論の結集 |
|
2 |
参院での被爆者援護法案の採択 |
77国際シンポから「基本要求」ヘ(日本被団協50年史)
Ⅴ 77国際シンポから「基本要求」ヘ 1977~1984 |
章 |
節 |
見出し |
1 |
|
世論の高揚と被爆問題国際シンポジウム |
|
1 |
被爆問題国際シンポ開催へ |
|
2 |
「ヒバクシャ」が国際語になる |
2 |
|
原水爆禁止統一世界大会と国連軍縮特別総会 |
|
1 |
統一世界大会が開かれる |
|
2 |
国連軍縮特別総会(SSDI) |
|
3 |
78年原水爆禁止世界大会 |
3 |
|
市民とともに援護法要求2000万署名へ |
|
1 |
援護法に必要な予算1500億円 |
|
2 |
市民懇の発足2000万署名へ |
4 |
|
被爆者対策基本懇、国家補償を否定 |
|
1 |
「基本懇」の発足 |
|
2 |
基本懇にたいする運動 |
|
3 |
「要求骨子」の充実強化 |
|
4 |
被爆35周年の年に |
|
5 |
基本懇「意見」発表 |
5 |
|
「基本懇」を乗り越える国民法廷運動 |
|
1 |
原爆と国の戦争責任裁く |
|
2 |
被爆者の声を世界に |
|
3 |
世界に広がる反核の波 |
|
4 |
「要求骨子」検討へ |
6 |
|
「原爆被害者の基本要求」の策定 |
|
1 |
「要求骨子」から「基本要求」へ |
|
2 |
活発な調査活動 |
|
3 |
国民法廷から国際法廷運動へ |
|
4 |
「基本要求」の全国的討議 |
|
5 |
「原爆被害者の基本要求」の発表 |
「要求骨子」をかかげて(日本被団協50年史)
Ⅳ「要求骨子」をかかげて 1971~1976 |
章 |
節 |
見出し |
1 |
|
「原爆被害者援護法案のための要求骨子」の作成 |
|
1 |
被爆者の要求整理 |
|
2 |
要求を確定、各党に働きかけ |
|
3 |
「要求骨子」の作成 |
2 |
|
テントでで徹夜の五日間―11月大行動 |
|
1 |
歴史に残る大闘争 |
|
2 |
野党四党案作成へ |
|
3 |
被爆者裁判と平和教育 |
3 |
|
「要求骨子」基礎の野党四党援護法案国会提出 |
|
1 |
野党案、衆院に提出 |
|
2 |
野党案「棚上げ」に |
|
3 |
八月、ふたたびテントが |
4 |
|
被爆者対策前進、中央相談所の開設 |
|
1 |
現行施策の改善 |
|
2 |
中央相談所の開設 |
|
3 |
原水爆禁止運動統一への模索 |
|
|
|
日本被団協の結成(日本被団協50年史)
Ⅲ日本被団協の結成(1956年8月~1970年) |
章 |
節 |
見出し |
1 |
|
日本被団協の結成 |
|
1 |
第2回原水爆禁止世界大会-感動呼んだ被爆者の訴え |
|
2 |
日本被団協の結成 |
|
3 |
原爆被害者援謾法案要綱をつくる |
2 |
|
「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」の制定 |
|
1 |
「原爆医療法」制定を実現 |
|
2 |
「原爆医療法」施行と手帳取得 |
|
3 |
活助強化と地方の組織化 |
3 |
1 |
原爆医療法改正と「国家補償の援護法」要求 |
|
2 |
請願大会に全国から |
|
3 |
原爆医療法の改正 |
|
4 |
全国的組織化すすむ |
4 |
|
原水爆禁止運動の分裂と被爆者運動 |
|
1 |
11府県の共同提 |
|
2 |
原水爆禁止運動の分裂 |
5 |
|
日本被団協、機能不全に |
|
1 |
全国行脚・請願大会 |
|
2 |
「原爆裁判」東京地裁判決 |
|
3 |
第17回代表理事会 |
|
4 |
運動休止と小郡での代表理事会 |
6 |
|
「つるパンフ」と「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律」 |
|
1 |
「つるパンフ」と運動の再生 |
|
2 |
「特別措置法」の制定 |
|
3 |
国家補償の運動の発展 |
|
4 |
代表委員・事務局長制へ |
原爆地獄1915年8月(日本被団協50年史)
内容
Ⅰ原爆地獄1915年8月 |
章 |
節 |
備考 |
1 |
|
きのこ雲の下で |
|
1 |
それは地獄絵そのものだった(岩佐幹三の証言) |
|
2 |
全身火傷をのりこえて(山口仙二の証言) |
|
3 |
ヒロシマを見た医師として(肥田舜太郎の証言) |
2 |
|
人類史上初の原爆投下 |
3 |
|
原爆がもたらした被害 |
|
|
|
Ⅱ日本被団協前史 1945年~1956年7月 |
1 |
|
廃墟に立つ被爆者 |
2 |
|
日本政府の対応 |
|
1 |
救護と医療 広島 長崎 |
|
2 |
ファーレル声明と報道管制 |
|
3 |
救援妨害 |
|
4 |
原爆傷害調査委員会(ABCC) |
|
5 |
日本政府の被爆者放置 |
|
6 |
「隠蔽と遺棄」の12年 |
3 |
|
被爆者運動の端緒 |
|
1 |
原子兵器廃棄の叫び |
|
2 |
動き出す被爆者問題 |
|
3 |
日が当たりはじめた被爆者医療 |
|
4 |
被爆者組織の発祥 |
4 |
|
原水爆禁止世界大会と被爆者運動 |
|
1 |
ビキニ被災と原水爆禁止署名運動 |
|
2 |
原水爆禁止世界大会の開催ヘー広島からの提案 |
|
3 |
被爆者全国組織化への始動 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
広島部落問題研究会結成大会 1968年4月7日
会場:広島大学文学部
祝辞 |
|
|
門田秀夫 |
社団法人部落問題研究所嘱託研究員 |
|
藤川春雄 |
部落解放同盟広島県連合会委員長 |
|
奥田武夫 |
広島県教職員組合委員長 |
記念講演 |
|
|
小森竜邦 |
同盟県連副委員長 |
|
|
部落解放運動の今日的課題 |
|
天野卓郎 |
広島教育研究所 |
|
|
「明治百年」と部落問題 |
発会総会 |
|
|
経過報告、活動方針の決定、役員・幹事(14名)、会計(監査2名)、事務局長の決定 |
|
後藤陽一 |
代表監事挨拶 |
|
|
|
|
出典:『研究紀要「部落問題」』第1輯(広島部落問題研究会編集・発行) |
|
|
|
『いのちあるかぎり 原爆と未解放部落』(福島地区被爆者の会編、兵庫県部落問題研究所刊、19850520 )
内容
|
著者 |
|
|
藤川春雄 |
はじめに |
戦争・差別・貧困 |
|
高橋信雄 |
軍都広島 |
|
戦争のあゆみと一本の線路 軍都広島への道 軍港宇品から戦場へ 戦争とはなんだったのか 食料の補給もない戦場で すべての物を奪いつくす すべての物を焼きつくす そして殺しつくす-「三光」作戦 |
手記〔その1〕 |
|
田中ハル |
ピカに夫を奪われて |
|
和佐田政一(仮名) |
米騒動と原爆で差別がわかった |
|
堀川俊市 |
三重苦のわたしらの現状 |
|
高田春子 |
娘を奪ったあの日 |
|
滝川ヨネ子 |
若い人たちに伝えたい |
炎と瓦礫の中で |
|
金崎是 |
原爆と未解放部落 |
|
三滝山の無縁仏 炎と瓦礫の中で-わたしの体験 原爆による福島地区の被害状況戦前の部落の生活とわたしの生いたち部落差別を解消し、平和で豊かな日本を |
手記〔その2〕 |
|
山中幸雄 |
悲しき被爆二世 |
|
前畑チヨノ |
日本が戦争さえしなければ |
|
大崎ヨシ子 |
一ケ月もたって掘り出されたわが子 |
|
宝神実人 |
まちがいなくわが娘だった |
|
森本範雄 |
太陽の光もなんにもない |
|
川口ユミ子(仮名) |
そりゃ生き地獄です |
|
藤井イマコ |
助かるとは思いませんでした |
いのちあるかぎり |
|
田阪正利 |
未解放部落の健康と医療 |
|
福島診療所創設のこと 部落と健康 健康へのあゆみ これからの課題 |
|
佐藤秀之 |
非核の日本を-若者たちは今 |
|
平和と核兵器廃絶は全人類の願い 深まる核戦争の危機 広がる反核運動の輪 若者たちは今 |
手記〔その3〕 |
|
丸岡ユキ |
二人の息子をかえして! |
|
川田芳夫(仮名) |
みんなの力で! |
|
滝本静 |
いのちあるかぎり |
|
中島カヨ |
子どもや孫には平和な世界を |
|
広田美千代 |
戦争を二度とおこさないために |
|
平田路雄 |
原爆と森永ヒ素ミルク中毒のなかで |
|
古賀昭子 |
被爆二世にも手帳を! |
|
中西はるゑ |
あとがき |
|
金崎是 |
あとがき(福島地区被爆者の会会長) |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
壁―未解放部落原爆被害者の手記(発行:福島地区被爆者の会)
第集 |
発行年 |
備考 |
1 |
19680806 |
差別と貧困の中から |
|
|
壁―差別と貧困の中から―によせて 2
原爆被爆者の手記に寄せて 4
「未解放部落の被爆者として」 6
「日雇いぐらしの中から」 7
「差別と闘う我が子たち」 9
「私しゃ戦争にゃぜったい反対ですよ」 11
「ピカに夫を奪われて」 13
「朝鮮人被爆者として」 15
「原爆ブラブラ病に苦しむ」 16
「私の体験」 19
「二人のむすごをかえして!」 20
「一日も早く差別と戦争のない世の中を」 23
「私のあゆんだ道」 25
むすびのことば 28 |
2 |
19690806 |
三重苦の斗かい |
|
|
○推せんのことば 広島県被爆者団体協議会理事長 田辺勝 1
○推せんのことば 部落解放同盟広島県連委員長 藤川春雄 2
はんせんのうた (一被爆者) 5
被爆者の保障はない *** 6
三重苦の斗い *** 7
食べるものも食べられぬ生活 *** 10
戦争と差別をなくするため!! *** 12
二十五年たったいまでも *** 14
三重苦のわたしらの現状 *** 17
原水禁運動を強めなくては *** 27
むすびのことば 金崎是 29 |
3 |
19700806 |
|
|
|
「壁」第三集発行によせて 福島病院院長 田坂正利 1
被爆者健診から 福島病院被爆診療科 鏑木富衛 3
被爆老人に生きる喜こびを 部落解放同盟広島県連合会 委員長 藤川春雄 13
〔特別寄稿〕
原子爆弾傷害調査委員会を告発する 深川宗俊 33
手記
米騒動と原爆で差別がわかった *** 15
カンボジアでもベトナムでもけっしてこんなことを切り返さないで *** 18
私の感想 *** 19
悲しき被爆二世 *** 21
みんなの力で! *** 24
生命のあるかぎり *** 28
子係や孫には平和な世界を *** 30
戦争を二度とおこさないために *** 31
あとがき 41 |
4 |
19710806 |
|
|
|
すいせんのことば 福島生協病院々長・田坂正利 1
人間らしい生活を 失対・***(62才) 2
嫁に行けない子 (認定被爆者)無職・***(63才) 3
わたしたちが死ぬのをまっている 失対・***(60才) 5
一五、六〇〇円で暮らしている ***(69才) 7
天皇や佐藤さんが来てもうれしくない ***(47才) 9
夫婦の記録 (認定被爆者)***(63才)・***(59才) 11
あの時の悲惨さは口にはいえない ***(67才) 13
このままでは死にきれない ***(63才) 14
被爆者活動から *** 17
ここに生きる(赤旗より) 故 鏑本富衛 19
むすび 事務局 25 |
5 |
19720806 |
被爆二世特集号 |
6 |
19730806 |
広島県水平社50周年記念 |
|
|
「壁」第六集発行によせて 部落解放同盟正常化広島県連委員長 藤川春雄 1
〔主張〕
原水禁運動と被爆者運動の真の統一と発展を願って 福島地区被爆者の会 3
〔特別寄稿〕
吉島被爆者の会「老いと怒りと」と野口久子さんの死 田丸歌子 5
〔手記〕
三重苦のわたしらの現状 堀川俊市 6
終戦の年のこと *** 14
差別の中に生きて靴職人の生活と原爆被爆 *** 16
娘をうばったあの日 八月六日
ひたむきに生きつづけてきた老婆の怒り *** 20
老いて訪づれた不幸 *** 23
どうしても語りつがなければ
少年の日、原爆と生活を背負って *** 25
被爆二世にも「手帳」を! *** 28
原爆被爆下の福島町 *** 30
「壁」を読んで読者からの便り 34
あとがき 38 |
7 |
19740806 |
原水禁運動20年 |
|
|
はしがき 1
福島地区の原水禁運動 第一回大会より第二〇回大会へ 2
原水禁運動・被爆者救援運動のなかで学んできたもの 8
被爆者の会を結成したころ 14
廃品回収運動の想い出 15
分裂への怒り(九回大会) 18
被爆者訪問の中から 20
被爆診療科のあゆみ 26
原水禁運動の日常化をめざして 30
被爆二世としてのとりくみ 32
原爆犠牲者慰霊碑建立趣意書 35
あとがき 36 |
8 |
19750806 |
原爆被爆30周年 |
|
|
はしがき 1
福島地区の原水禁運動 第一回大会より第二〇回大会へ 2
原水禁運動・被爆者救援運動のなかで学んできたもの 8
被爆者の会を結成したころ 14
廃品回収運動の想い出 15
分裂への怒り(九回大会) 18
被爆者訪問の中から 20
被爆診療科のあゆみ 26
原水禁運動の日常化をめざして 30
被爆二世としてのとりくみ 32
原爆犠牲者慰霊碑建立趣意書 35
あとがき 36 |
9 |
19760806 |
福島地区原爆犠牲者慰霊の碑建設記念 |
|
|
|
10 |
19780806 |
「壁」第十集発刊によせて 田阪正利 1
被爆者を囲んで 2
太陽の光もなんにもない。まっ暗ななかから狂うた牛が飛びかかってきた *** 17
何べん死のう思うたかわからん *** 23
福島生協病院に入院中の被爆者のかたの話 27
戦争さえなければ、こんな目におうてないのに *** 34
「わしゃあ、あんたをかばっとるヒマはないんじゃけぇ」と妻に言って *** 39
あとがき 46 |
|
|
|
11 |
19790806 |
|
|
|
「壁」第十一集発刊によせて 中本康雄 1
われわれが訴えなければ、われわれの体験を現在の方々に伝えなければ 林田みや子 2
命をみつめて 林田みや子 8
いつでも子どもといっしょに いっしょに死ぬりゃあええ思うっとたんです 佐藤テル子(仮名)14
原爆に遭うた者には平等に手当をだしてもらいたい 鈴木ミネ子(仮名) 23
貧血のせいで、この暑いのにコタツがはなせんのですよ 藤川貞雄・藤川房江(仮名) 27
朝鮮の人に助けてもろうての、うれしかったよ 山田スミ子(仮名) 31
生き証人として大きい声でいゝたいよ *** 37
街が燃える最中に広島にはいってきました 杉山ヨシ子(仮名) 46
あとがき 53 |
12 |
19950806 |
終刊号 |
|
|
巻頭言・『壁』に寄せる 齋藤紀 1
主張 被爆者援護法の課題 3
平和・民主主義・生活擁護のたたかい五十年-金崎是の被爆・戦後五十年- 小西正則 5
助産婦として六十年-益田小蝝さんとの対談- 西岡ミツ子 12
岩井コマノさんの被爆体験 秋本美佐子 18
学童疎開から五十年-水本文子さんの孫への話し- 藤井みな子 22
藤川美代子さんの被爆とその後 佐竹陽子 27
米三升で焼いてもらったひろこちゃん・姉 木原清子さんの回想 柿本一征 30
金崎さんのお話を聞いて 山口竜司 36
金崎さんの話をうかがって 小西結介 38 |
|
|
|
広島中央保健生活協同組合
機関誌『けんこう』WEB版http://www.hch.coop/magazine/index.html
No. |
発行年 |
記事 |
|
|
|
466 |
201108 |
伝言板 8月16日創立記念日 1955(昭和30)年8月16日、住民自らの手で福島診療所がつくられました。 |
466 |
|
第26回「網の目平和行進」 |
467 |
201109 |
子どもたちに明るい未来を核のない21世紀を願い訴えます |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
555 |
201909 |
8・6朝のセレモニー |
555 |
|
2019ピースアクショinヒロシマ虹のひろば |
|
|
|
566 |
202009 |
8・6朝のセレモニー |
566 |
|
平和を考える~三人女誕生会 |
|
|
< 新川場町で被爆> |
|
|
|
広島地図(あき書房復刻版)
資料名 |
発行者 |
発行年 |
備考 |
復興前後の廣島案内図 |
|
2008/01/25 |
|
廣島市綜合圖鑑[広島市綜合図鑑] 復刻 昭和24年復興中の廣島 あき書房 |
|
2009/06/10 |
|
<以下未入力> |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。