「03 ヒロシマNGO」カテゴリーアーカイブ

長崎の証言の会

長崎の証言の会

1970年2月1日 長崎の証言刊行委員会、新しい記録運動を呼びかける。

1971年3月16日 「長崎の証言刊行委員会」を「長崎の証言の会」とする。

長崎の証言の会『証言-ヒロシマ・ナガサキの声』

長崎の証言の会(編・発行)、汐文社(発売)

創刊号(1987/9/30)
江口 保 八月のヒロシマ-修学旅行生とともに
ミホ・シボ・新間 カナダにおける反核運動
北浦葉子 日本から世界へ-ネバー・アゲイン・キャンペーンのあゆみ
永井秀明 核廃絶をめざす世界運動と教育-核軍拡と軍事化状況をふまえて
第2集(1988/8/15)
1990/8/30
1991/8/15
1992/8/31
1993/8/31
1994/8/9
1995/8/31
1996/9/10
1997/10/1
1998/9/10
1998/11/21
1999/9/10
2000/9/14
2001/10/10
2002/10/10
2003/10/1
2004/10/1
2005/10/1
2006/10/1
2006/11/1
2009/12/25
第27集(2013/10/1)
朝長万左男 〔報告〕オスロ・カンファランス「核兵器の非人道性」に関するオスロ会議に出席して
山口 響 〈二〇一三年 NPT再検討会議準備委員会〉核依存という「谷底」をめざす日本政府
平野伸人 第十五代高校生平和大使の成果と課題
田中利幸 広島から―NPDI(軍縮・不拡散イニシアティブ)広島外相会合をめぐって
川崎哲 【インタビュー】川崎哲さんに聞く―核兵器禁止条約へ向って、東京を動かそう
追悼 核兵器廃絶を目指して―闘い続けた 山口仙二さん
核実験に抗議する長崎市民の会 声明 米国大統領「バラク・オバマ様」占度重なる核実験に断固抗議する」
第28集(2014/10/31)
芝野由和 やはり「フクシマを考える」だったか―第五回「核兵器廃絶―地球市民集会ナガサキ」にかかわって考えたこと
小桝雅樹 第二回「核兵器の非人適性に関する国際会議」に参加して
朝長万左男 もし一〇〇万人の現代都市で核爆発が起こったら
第29集(2015/11/20)
柴田 朴 追悼・本島等さん―天皇の戦争責任発言を中心に―どうしても聞きたかった質問
中村桂子 2015年NPT再検討会議を終えて
山田寿則 マーシャル諸島共和国による核ゼロ裁判
山下正寿 ビキニ事件の再検証を―放置された被災船員たち
第30集(2016/10/15)
細光規江 被爆体験伝承者―広島市の取り組み
第31集(2017/10/1)
朝長万左男 巻頭言「核兵器禁止条約の成立

ヒロシマ・ナガサキの証言(創刊号)

『ヒロシマ・ナガサキの証言』(広島・長崎の証言の会編)

創刊号’82冬1982/2/20 内容

著者  タイトル  備考
口絵:ジュノー戦場の記録展から
001 今堀誠二 巻頭言
002 特集1/ヒロシマ・ナガサキと広がる反核運動
002 庄野直美 ヒロシマ・ナガサキ・ビキニの今日的意味
006 田川時彦 国際的な軍縮教育の動向とその視点
010 北西 允   反核運動の現状-西欧と日本
017  栗野鳳 人類にとってのヒロシマ・ナガサキの意味
022 中村征之  遠来の使者
026 鎌田定夫   証言運動-その源流と今後の課題
030 荒木武、本島等、伊東壮、袖井林二郎、服部学、小野周、西村久
『ヒロシマ・ナガサキの証言』の刊行にあたって
特集2/連帯するヒロシマ・ナガサキ
038 高橋昭博  人間の思いやりと信頼の回復を求めて
040 葉山利行  基本懇答申一年をふり返って
043 空辰男  八〇年代の平和教育創造を
045 坂口便 長崎における平和教育
047 市丸道人 核戦争に対して医師は何をすべきか
049 江崎須賀子 被爆者の相談、証言活動を
052 上戸真弓 “ヒバクシャ”を知る
054  松井あずさ  10フィート運動にかかわって
056  広瀬方人  長崎のカトリックと原爆問題
058 相原和光 「大悪は大善の来るべき瑞相なり」
061 声と主張
061 安藤善博 「ユーロシマ」運動を日本で
063 川原紀美雄 “ノーモア・ヒバクシャ”の実質化を求めて
064 藤枝良枝 熱い三十六回忌
066 鎌田信子 “核廃絶人類不戦の碑”完成にあたって
12月8日除幕式
067 活動の紹介
067 藤原茂 タダの市民が映画をつくった
070 黒沢雅善 モニュメント運動
072 八・九全国高校生の集いその後
074 団体の紹介
074 山田浩 平和と学問を守る大学人会
075 永松初馬 山口県原爆被爆者福祉会館
077 上田小八重 原爆患者を守る会
1960年4月、北海道函館市に主婦ばかりの「原爆患者を守る会」誕生
080 文芸
0 80  山本康夫
0 80 大原三八雄
0 81 深川宗俊   炎の歌
0 82  豊田清史
0 82  渡部正則
0 84  山田かん
0 86  MYRL IJAMS
0 87  藤本仁
090  岩崎清一郎
 094  片山昌造
 096  証言
 096  長崎原爆―15歳の記憶
102  禿樹 暲  一人生き残って<広島市寺町・品教寺>
 103  小嶋省吾  光をかえせ―****の場合<広島>
 108  村井百合子  左手の火傷のあと<広島>
112  李実根  朝鮮人被爆者の問うもの
114  若林節美  谷間のヒバクシャ―原爆被害者相談から
 119  湯崎稔  原爆関係の文献資料案内(1981年発行のもの)
 123  資料1 「核兵器に関する包括的研究」ワルトハイム国連事務総長報告(抄録)1980年9月12日
 125  資料2 ラッセル・アインシュタイン宣言
 128  槇繁  編集後記

 

ヒロシマ・ナガサキの証言(創刊号~終刊号)概要

『ヒロシマ・ナガサキの証言』(広島・長崎の証言の会編)

創刊号(1982年2月20日)~終刊号(1987年7月20日)通算21号

号数
創刊号’82冬1982/2/20 特集1/ヒロシマ・ナガサキと広がる反核運動
特集2/連帯するヒロシマ・ナガサキ
第2号’82春1982/5/30
第3号’82夏1982/8/20
第4号’82秋1982/11/10
第5号’83冬1983/2/10
第6号’83春1983/5/15
第7号’83夏1983/8/20
第8号’83秋1983/10/30
第9号’84冬1984/2/20
第10号’84春1984/4/30
第11号’84夏1984/8/20
第12号’84秋1984/10/15
第13号’85冬1985/2/20
第14号’85春1985/4/30
第15号’85夏1985/8/20
第16号’85秋1985/10/30
第17号’86冬1986/2/20
第18号’86春1986/05/10
第19号’86夏1986/08/20
第20号’86秋1986/11/10
第21号終刊号1987/07/20  広島・長崎の証言の会  季刊『ヒロシマ・ナガサキの証言』終刊にさいして-共同刊行の五年間と今後の課題-

 

広島・長崎30年の証言

『広島・長崎30年の証言』広島・長崎の証言の会編、未来社 (上) 19750806(下)19760430

内容

(上) 19750806
序章  原爆30年目の問い
秋月辰一郎 ヒロシマ・ナガサキ三十年の想い
鎌田定夫 わが内なるヒロシマ・ナガサキ
第1章 歴史の暗点から
小堺吉光 ヒロシマ・救われない犠牲者 -国民義勇隊員の惨禍
秋月辰一郎 ナガサキ・歴史の暗点
第2章  ”核権力”と被爆者
栗原貞子 天皇と核権力と被爆者と
山田かん 原爆とキリシタン
李奇相 被爆朝鮮人の受難と怒り -在日朝鮮人の証言と告発
第3章 ビキニ水爆20年目の告発
広田重道 ビキニ被災二十年目の証言 -原水禁運動の原点をみつめて
久保山さんへの手紙は訴える -原水爆への国民的怒りの原点をさぐって加納竜一 近藤弘 長岡弘芳
第4章 30年を生きて今-被爆者30年目の証言
鎌田信子 原爆を生きつづける証人たち -長崎原爆青年乙女の会のふたり
古浦千穂子 生きられなかった被爆者たち
文沢隆一 胎内被爆から三十年-きのこ会のこと
広瀬方人 被爆二世の生と死
石田明 原爆裁判への情念と論理
福田須磨子 〔遺稿〕 われなお生きてあり(続)
第5章 無国の谷間から -海外被爆者の告発
辛泳洙 被爆と民族の問題-日本政府・天皇・国民への苦言
鎌田定夫 在韓被爆者三十年の遺恨と告発
林福順 苦しみの淵から
 厳粉連 広島から韓国へ地獄はつづく
島津邦弘 核に追われる難民 -ミクロネシアの被爆者たち
立ちあがる在米被爆者たち
据石和江 アメリカ人に原爆の悲惨を訴えて
倉本寛司 カリフォルニア州上院小委員会 原爆被爆者公聴会における証言
関係文献目録
(下) 19760430
第6章 反原爆運動の中から
伊東壮 日本被爆者運動の三十年
草の根・被爆者運動の中で
前座良明 長野における反原爆運動二十年と私--長野県原水爆被災者の会と共に
杉山秀夫 私の原水禁運動・被爆者運動二十年 --静岡県原水爆被害者の会と共に
 伊藤普 福岡被団協の二十年と私
平山良明 おきなわ・二重苦の被爆者たち
伊東壮 東友会二十年のあゆみ
深川宗俊 朝鮮人被爆者復権のたたかい
浜崎均 原水禁運動とともに生きる--渡辺千恵子さんの生を支えるもの
北西允 原水禁運動の統一と静岡・広島
鎌田定夫 歴史の証言から歴史の変革へ--「長崎の証言」運動とその周辺
第7章 原爆体験の継承をめざして
瀬戸口しのぶ おさなき弱者と「見えない被爆者」
今田斐男 戦争・原爆体験の伝承者として
森下弘 沈黙の決議 --被爆者教師としての三十年
空辰男 平和教育の諸相と課題
 島田麗子 ひろしまを考える旅
長岡弘芳 原爆から原発まで  --《原爆体験を伝える会》
第8章 原爆体験の思想化
石田忠 福田須磨子さんの生と死
文沢隆一 原爆資料発掘作業の試み
湯崎稔 原爆被災復元調査の中から--人間の復権めざして
山手茂 社会科学者は原爆被害問題とどうとりくんできたか
小川岩雄 原水禁運動とパグウォッシュ運動--その問題点と今後の課題
山田かん 詩の中の反原爆
 岩崎清一郎 文学のなかの「原爆」--記録の虚構・その変貌
栃木利夫 日本近・現代とヒロシマ・ナガサキ
高橋真司 反原爆の思想 --広島・長崎の現代史的意義
終章 反原爆三十年目の課題と展望--「広島・長崎の証言の会」座談会
ヒロシマ・ナガサキ30年とは何か--広島での討論記録
被爆者運動30年と今後の課題--東京での討論記録
核権力と民衆と証言運動--長崎での討論記録
鎌田定夫 あとがき

 

原爆体験を伝える会《核セミナー》

原爆体験を伝える会主催《核セミナー》19750201(東京・文京区民センター)19750210~0414(東京市ヶ谷・日本YMCA会議

出典:『原爆から原発まで-核セミナーの記録』

『原爆から原発まで-核セミナーの記録上巻』(原爆体験を伝える会編、アグネ、19750725)
核を考える市民集会
核はここまできている19750201 東京・文京区民センター
核を考える市民集会のはじめに 3
大江健三郎 われわれにとって核とは何か 7
小川岩雄 核問題の現況-自然学者の立場から- 21
関寛治 核の脅威はここまできている 41
討論 59
原爆から原発まで19750210~0414 東京市ヶ谷・日本YMCA会議室
峯村 核セミナーをはじめるにあたって 69
〔1〕ヒロシマ・ナガサキから
栗原貞子 被爆者のこころ―正田篠枝さんと私 71
鎌田定夫 証言運動の使命と私 83
討論 103
〔2〕被爆者の運動と生活史
石田忠 被爆者の生きる意味 121
伊東壮 原爆被爆の思想と運動 132
討論 152
〔3〕〈朝鮮人被爆者〉の意味するもの
中島竜美 今日の朝鮮人被爆者問題―孫振斗問題を中心に― 166
討論 203
 〔4〕芸術のなかの原爆
林光 音楽「原爆小景」と私 211
丸木位里・俊 絵画「原爆の図」を描き続けて 270
長岡弘芳 文学 大衆の表現の輪を 235
討論 248
 〔5〕教育と報道にみる核
袖井林二郎 原爆はいかに報道されたか 266
岩垂弘 報道にみる原爆と原発 277
田川時彦 教育の現場からみた原爆 292
討論 311
『原爆から原発まで-核セミナーの記録下巻』(原爆体験を伝える会編、アグネ、19750916)目次
 〔6〕核をめぐる日本政財界の動き
河合武 原発開発と政財界 3
川上幸一 原子力の政治と経済 19
討論 38
 〔7〕核エネルギーの危険性
星野芳郎 エネルギー危機の欺瞞 53
討論 88
 〔8〕放射線の生物への影響
むつ市奥内小二又分校 むつの海を守る人々 99
高木仁三郎 プルトニウムの毒性 107
市川定夫 微量放射線の影響と問題点 121
フリー号のアピールおよび討論 145
島田興生 ロンゲラップをたずねて―ビキニ水爆の犠牲者たち― 154
 〔9〕人間にとっての核
小山内宏 核兵器の現状 163
梅林宏道 核を管理する社会とは 178
討論 193
 〔10〕ティーチイン「核と市民運動」
松岡信夫 核に対抗する運動とは 213
討論 226
 続・ティーチイン「核と市民運動」
戸駒恒世 フリー号と丸木美術館行き 287
あとがき 295
「とにかく定員70人、とてもそんなに集まるはずがないとたかをくくっていたら、どうして。正確には数えていないが、平均して各回120~30名もの人が、やってきてくださったのである(「市民集会」は450名くらい)。しかも毎回500円也を支払ってだ」
原爆・原発関係年表 298
文献あんない 309
セミナー講師の紹介

 

広島通信

広島通信 1966年6月創刊 第1号~19号(1970年2月)広島県詩人協会刊、 第20号(1970年4月)~第68号終刊号(1983年7月31日)「広島通信の会」刊
1989年3月1日、「ヒロシマ・ナガサキを考える会」が復刻(「広島通信-ヒロシマの継承-全68号の復刻版」)

M D ZASSIMEI TITLE AUTHOR
66 06 広島通信創刊号 創刊号によせて-文学は何ができるか 栗原貞子
66 08 広島通信2 被爆の証人“原爆ドーム”の保存を 松元寛
66 08 広島通信2 ある建築の美しさについて 荏原肆夫
66 08 広島通信2 1966年夏-広島からの告発 栗原貞子
66 08 広島通信2 1966年夏、広島からの告発 栗原貞子
66 10 広島通信3 胎内被爆小頭症 志水清
66 10 広島通信3 小頭児に幸あれ 畠中国三
66 10 広島通信3 ひそかな啓示―小頭症におもう 文沢隆一
66 10 広島通信3 今、すぐに救護を―美農綾子さんを見舞う 栗原貞子
67 02 33 広島通信4 運命の日より21年を生きて 西土 万合枝
67 03 広島通信5 特集:広島の川
67 03 広島通信4 私はこう信じる-重藤文夫原爆病院院長訪問 重藤文夫
67 06 広島通信6 原民喜特集
67 10 広島通信7 ケロイド 原田東岷
67 11 広島通信8 あの頃の広島 北畠隆
68 02 広島通信9 告発する街として 浜野千穂子
68 06 広島通信10 原爆慰霊碑文再読 松元寛
68 08 広島通信11 地の塩への期待 安井郁
68 11 広島通信12 広島の声 高橋三郎
69 02 広島通信13 さらば広島 バーバラ・レイノルズ
69 04 広島通信14 原爆記録映画全面公開運動のいきさつ 庄野直美
69 06 広島通信15 排安易 田淵実夫
69 08 広島通信16 人類は生きねばならぬ-アトムかアトマか 森滝市郎
69 10 広島通信17 世界の中のヒロシマ 関屋正彦
69 12 広島通信18 沖縄とヒロシマ 袖井林二郎
70 02 広島通信19 被爆二世 杉原芳夫
70 04 広島通信20 観光客から巡礼者へ 山崎与三郎
70 06 広島通信21 中国・アメリカ平和巡礼 今堀誠二
70 06 広島通信21 ヒロシマを語る者として-アメリカへの出発を前に 大原三八雄
70 07 広島通信22 70年とヒロシマ-ヒロシマの風化に抗して 森滝市郎
70 07 広島通信22 アメリカ通信 大原三八雄
70 10 広島通信23 アメリカの孤独 大原三八雄
70 12 広島通信24 広島のひろい空の下 山田かん
70 12 広島通信24 山田かん氏を囲んで-長崎と原爆詩の関わり
71 02 広島通信25 ヒロシマの思想の亀裂 大牟田稔
71 02 広島通信25 第二の生きがい-アメリカ・東西南北記 大原三八雄
71 04 広島通信26 きうずれぬへいわをへいわをかえせ 寒川道夫
71 06 広島通信27 きうずれぬへいわをへいわをかえせ(その2) 寒川道夫
71 06 広島通信27 アメリカ人の社会的連帯性 大原三八雄
71 08 広島通信28 挽歌-マルチン・ルーサー・キングの墓所で[詩] 大原三八雄
71 10 広島通信29 京浜地帯の原爆意識を中心にしておもう 前川和子
71 12 広島通信30 アウシュビッツとヒロシマ 小谷鶴次
71 12 広島通信30 国連というところ 大原三八雄
72 02 広島通信31 ヒロシマと中国の核・人 森下弘
72 04 広島通信32 被爆朝鮮人救援の動き 平岡敬
72 06 広島通信33 「水ヲ下サイ」特集
72 08 広島通信34 ヒロシマに捧げる詩特集
72 08 広島通信34 あの夏からこの夏までの間 小倉馨
72 10 広島通信35 懐しい日本の皆さんに バーバラ・レイノルズ
72 12 広島通信36 地球時代・平和の新処方箋 加藤新一
73 02 広島通信37 「原水爆被災資料センター」設立の意義 湯崎稔
73 04 広島通信38 私の広島日記 佐々木雄一郎
73 06 広島通信39 ABCC特集
73 06 広島通信39 原爆死体解剖NO.1の山科清元軍医にきく 山科清
73 08 広島通信40 特集:ベトナムは終わったのか
73 10 広島通信41 28年目のヒロシマ 藤枝良枝
73 12 広島通信42 原爆の印象と記憶 縄田二郎
73 12 33 広島通信42 縄田 二郎
74 03 広島通信43 公害防止と平和への意志 田中公雄
74 04 広島通信44・45 特集:いまは亡き4人の原爆詩人たち
74 08 広島通信46 知られていない原子力発電の問題点 佐久間澄
74 12 広島通信47 特集:原子力平和利用
75 02 広島通信48・49 特集:韓国原爆被爆者と日本人
75 08 広島通信50 特集:ヒロシマとベトナム
76 01 広島通信51 あの体験の<意味> 小久保均
76 05 広島通信52 特集:今なお続く核実験
76 08 広島通信53 特集:平和と私との距離
76 12 広島通信54 特集:被爆体験は風化するか
77 05 広島通信55 特集:被爆者の医学的諸問題
77 12 広島通信56 特集:世界にとってヒロシマはなにか
78 04 広島通信57 特集:朝鮮人被爆者
78 07 広島通信58 特集:ヒロシマと地方との連帯性
78 12 広島通信59 特集:核時代の文学
79 06 広島通信60 特集:ヒロシマは核時代に非戦の力となりうるか
79 12 広島通信61 特集:原爆と原発
80 06 広島通信62 特集:廣島・広島・ヒロシマ
80 06 広島通信62 遅い出発 豊永恵三郎
80 06 広島通信62 原爆と原発 小林正一
80 06 広島通信62 江波分院のことなど 岡崎澄衛
80 06 広島通信62 「ヒロシマ」シリーズ作品展開催の意味 増田勉
81 01 広島通信63 ある被爆者の死-主人唯一のこと 栗原貞子
81 07 広島通信64 特集:非戦の戦い
81 12 広島通信65 特集:ローマ法王ご来広の軌跡
82 08 広島通信66 特集・ヒロシマのこころ
82 08 広島通信66 生きる原理を 石田明
82 08 広島通信66 播かぬ種は生えぬ 岡崎澄衛
82 08 33 広島通信66 石田 明
82 12 広島通信67 特集:ヒロシマに捧げる詩
83 07 31 広島通信68 ヒロシマの継承-「広島通信」終巻号
89 03 01 広島通信-ヒロシマの継承-全68号の復刻版 西土 万合枝
89 03 01 広島通信-ヒロシマの継承-全68号の復刻版 縄田 二郎
89 03 01 広島通信-ヒロシマの継承-全68号の復刻版 石田 明

 

原爆被害に関する事例報告(1976年)

『原爆被害に関する事例報告-生き続けた31年』(原爆被害者問題ケースワーカー懇談会<日本被団協気付・伊藤直子>、19760730刊)

目次

「原爆被害に関する事例報告」発刊にあたって―経過と目的――1976年7月30日原爆被害者問題ケースワーカー懇談会
事例報告
加藤礼子 1原爆に奪われた「人並み以上」の人生(広島赤十字病院・医療ソーシャルワーカー<ワーカー歴16年>)<当病院の医療社会事業部は、全国の日本赤十字社と足並を揃えて昭和28年ごろより始められ>
若林節美 2 被爆,下痢そしてスモン発病-2重の苦しみを背負って-(広島原爆病院・医療ソーシャルワーカー<ワーカー歴9年>)
西村清登 3ある被爆者の老後-24年目の親子再会-(放射線影響研究所・医療ソーシャルワーカー<ワーカー歴13年>)
中村住代 4 生きるのぞみをうばわれて(長崎原爆病院・医療ソーシャルワーカー<ワーカー歴7年>)
白石照子 5 なおつづく「戦後」を背負って―二世に及ぶ被害(長崎原爆被災者協議会相談員)
野口文子 6 アル中,そして死-妻子にも語れたかった死の恐怖-(柳原病院・医療ソーシャルワーカー<ワーカー歴9年>)
原玲子 7 影深く-尾をひく被爆体験(代々木病院・医療ソーシャルワーカー<ワーカー歴9年>)
石田忠 原爆被害の全体像をどうとらえるか-ケースワークにおける生活史把握の意味-<1976年2月29日広島県社会事業協会主催「被爆者問題事例検討会」での講演をまとめたもの>
記録をおわって あとがき
参考資料

 

全国ケースワーカー大会(日本医療社会事業協会主催)

全国ケースワーカー大会(日本医療社会事業協会主催) 1977年5月20~21日。テーマ:「資格制度の方向性をさぐる」。会場:中国新聞社・平和記念会館(広島市)。参加者約600人。2日目の8分科会の一つに「原爆被害者問題」(このテーマの分科会が設けられたのは初)。約50人が出席。長崎(友池敏雄・長崎原爆病院)と広島(山田寿美子・福島生協病院)から実践報告。午後1時から石田忠一橋大学教授の特別講演「ケースワーカーにおける生活史把握の意味」と分科会報告。

出典:「赤旗」1977年5月22日。