『原爆=写真論 「網膜の戦争」をめぐって』(鈴木雅文、窓社、20050620)
目次
章 | ||
原爆=写真論 | ||
Ⅰ | 初発「原爆写真」の位相 山田精三と山端庸介 | |
まなざしをめぐる〈神話〉8 基点としての一枚の写真 10 見ること/知ることを困難とした無告の光景 13 『黒い雨』の欠陥をめぐって 16 〈ことば〉への像の叛乱 19 撮影者を反照する「記録」 22 原爆写真には二つの「語りえぬもの」が溶融している 26 始まりのない終わりの始まり 30 原爆写真の現場性 32 |
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Ⅱ | 戦後「原爆写真」の円環 土門拳と東松照明 | |
「擬死」からの覚醒 37 ジェノサイド以降の〈野蛮〉 39 歓待された写真集、『ヒロシマ』 41 賞賛と翼賛の関係 44 なんという「非転向」だろう! 46 『ヒロシマ』から十年を経た原爆写真の「現在」 49 問われるべき「息苦しさ」の意味 52 落涙の理由とその帰結 54 自縛する反物語 58 『ヒロシマ』から『〈11時02分〉NAGASAKI』へ 62 |
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Ⅲ | 現代「原爆写真」の展開 石黒健治と土田ヒロミ | |
薄れゆく「記憶」 66 見えがたいままに見届けようとする試み 68 非物語へ架橋する『広島HIROSHIMA NOW』 70 像と〈ことば〉の臨界 73 表現者から報告者へ 76 「見えないヒロシマ」の方ヘ 79 「引用」という想像力 81 方法を挑発する『ヒロシマ・コレクション』 84 「私写真」から遠く放たれて 88 来たるべき〈野蛮〉のために 90 |
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リーフェンシュタール覚書 | ||
彷徨する眼球 開高健「闇、三部作」考 | ||
識閾の木霊〈ことば〉と〈まなざし〉の病理 | ||
写真をめぐる、欄外的独言 | ||