広島県史編さん室の原爆資料調査
出典:「広島県史 原爆資料編」(1972年3月31日)
資料調査概要
原爆被災資料という概念は、原爆の何を明らかにするかあるいは原爆をどのように考えるかで異なった意味内容をもち、極めてあいまいであるが、広島県史編さん近代・現代史部会では、オリジナルな文献資料(その時点で作成されたもの、時間の経過により思想的ろ過のされてないもの)に焦点づけて、調査を行うことにした。
調査の対象は、次の五つに大別することができる。
1官公庁・市町村・学校
2調査団関係者
3各種団体
4新聞資料
5被爆者
1官公庁・市町村・学校
広島県は、原爆により、近代・現代史の基本資料ともいうべき県庁文書の大半を失った。その欠を補うため、県史編さん資料調査の過程で、中央官公庁文書と県下の市町村役場の両面から、広般な所在調査を行なってきた。原爆資料について、このような網羅的な調査はこれまでほとんどなされておらず、多数の資料の所在を新たに確認することができた。
中央官庁は、外務省・自治省・防衛庁・厚生省について調査を行なった。外務省は戦後の文書が非公開であり、自治省・防衛庁は、戦前の内務省・陸海軍の文書をほとんど残していなかった。厚生省は、廃止になった引揚援護局広島支部のばく大な文書群を引き継いでいた。
広島県・市については、関係各課、書庫の調査を行なった。県・市ともに、昭和二十年代の文書のほとんどを廃棄処分にしていた。
県予防課・市原爆被爆者対策課は,被爆者が提出した原爆手帳交付申請書を保管しているが(県は広島市外在住被爆者分約八万七千点、市は市内在住被爆者分約十一万八千点)、これには、被災の状況を証明できる資料のある場合には、添付することになっているので、このうち広島県予防課所蔵分について調査を行ない、約三四○点の罹災証明書・診断書など、当時の資料の所在を確認した。
市町村役場文書は、県史編さんの一般的所在調査の過程で軍事関係資料の所在の多くが確認されていたが、原爆資料に焦点づけて徹底を期すため、改めて、県下の全市町村に原爆資料の有無について調査を依頼した。このうち半数近い四七市町村から報告を得ることができ、重要と思われるものについては現地に赴いて、所在と内容を確認した。また、広島市周辺の安芸,安佐・佐伯の三都は、特に重視し、原則として現地調査を行なった。旧坂村(安芸郡)の罹災者収容名簿類、旧大林村・八木村・川内村(安佐郡)の罹災者名簿、変死者検視調書、旧宮内村(佐伯郡)の日誌・罹災者収容諸件などは、この過程で、収集されたものである。
広島市内・周辺町村の学校、寺院が収容所となった場合が多いことは、周知の事実であるが、このうち学校については広島市内と、安芸・安佐・佐伯・高田の四郡の小学校、旧制中・女学校の後身校に、原爆被災資料の所在・救護活動を行なった事実・学校が収容所となった事実の有無の報告を文書で依頼し、必要に応じて現地に赴いた。この中で、原爆被災の記述のある数点の学校日誌を発掘したのをはじめ、次の学校が収容所となったという報告をえた。
県立廿日市高等学校、県立三次高等学校、比治山女子高等学校、鈴峯女子高等学校、
広島市立小河内小学校、同亀山小学校、同大林小学校、同可部小学校、
安芸町立温品小学校、海田町立海田小学校、同東海田小学校、坂町立板小学校、同横浜小学校、同小屋浦小学校(以上安芸郡)、
安古市町立新知小学校、同安小学校、佐東町立川内小学校、同八木小学校、高場町立狩小川小学校、同深川小学校(以上安佐郡)、
吉田町立吉日小学校、甲田町立甲立小学校、向原町立向原小学校、白木町立井原小学校、同高南小学校(以上高田郡)<学校名は現在のもの>
2調査団関係者
被災直後の広島に入った調査団には、呉鎮守府・陸軍々医学校・海軍々医学校・東京帝国大学・京都帝国大学・大阪帝国大学、理化学研究所などがある。また昭和二十年九月に発足した文部省学術研究会議原子爆弾災害調査研究特別委員会には、わが国自然科学系の学界の総力が結集され、千数百名の研究者が、広島・長崎において調査を行なっている。このうち、軍調査団、および、原爆調査の中心的存在であった理研、東大、京大、阪大に焦点づけて調査を行なった。直接、お会いして当時の状況を聴いたり、書簡、電話などで、資料の有無を確認した調査団関係者の方々は次のとおりである。
陸軍 新妻清一 大橋成一 山科清
海軍 福井信立 神津幸直
理化学研究所 故仁科秀雄(仁科記念文庫) 田島英三 玉木英彦 中山弘美 山崎文男
東大 故都築正男(都築正和)
京大 荒勝文策 木村毅一 清水栄 菊池武彦 脇版行一 清水三郎 故杉山繁輝 故天野重安
阪大 浅田常三郎 尾崎誠之助
九大 篠原健一 石川数雄
日本映画社 加納竜一 相原秀次
3各種団体
被爆体験をもつ団体・被爆者と常に接している団体・被爆体験に基づいた平和運動にたずさわっている団体から、原爆被災の実相・その後の歩み・現在直面している課題について学ぶように努めた。訪問した主な団体は次のとおりである。
広島地方気象台 広島地方貯金局 国鉄中国支社 広島市平和記念資料館 広島市平和文化センター 広鳥市原爆戦災誌編さん室 広島大学原爆放射能医学研究所 広島原爆病院 広島原爆障害対策協議会 広島県医師会 広島市医師会 ABCC 広島逓信病院 原爆資料保存会 原爆被災資料広島研究会 広島ペンクラブ 学問と平和を守る大学人の会 広島折鶴の会 広島子供を守る会 同青年部 広島市立本川小学校 広島県被爆教師の会 広島県原爆被害者団体協議会 原水爆禁止日本協議会 同広島県協議会 小沢綾子 黒田秀俊 村上操 泉谷甫
4新聞資料
原爆の与えた社会的影響を概略的に把握するため、新聞資料を収集した。特に被災直後(昭和二十年内)の報道・調査団の行動とその成果の新聞発表・広島市内の平和への歩みに注目し、これらを年表に活用した。このために関覧した新聞名・所蔵機関は次のとおりである。
新聞名 中国新聞(昭和二十年~昭和四五年)、朝日新聞・毎日新聞・読売報知新聞(昭和二十年八月~十二月)
所蔵機関 広島市立浅野図書館・呉市立図書館・三原市立図書館・国立国会図書館・東京大学新聞研究所・朝日新聞大阪本社・中国新聞社
平和運動については、前記の新聞では十分把握できない面もあるので、各団体の機関紙・誌を参照した。
大原社会問題研究所(新文化・民主日本・ゼンセン)
広島県地域婦人団体連絡協議会(県婦連・県婦協)
今堀誠二(平和の斗士・民族の星・広島生活新聞・その他被爆者団体・平和団体の機関誌など)
外国の新聞は、次の所蔵者のもののマイクロフィルムを、手に入れることができた。
米国議会図書館 大英博物館新聞ライブラリー シカゴ大学ユニバーシティ・マイクロフィルム社 ベイ・マイクロフィルム社 ニューヨークタイムズ社 国立国会図書館財団法人東洋文庫 大下応(昭和二十年当時シカゴ在住)
5被爆者
被爆者や広島被爆直後入市者が昭和二十年前後に書いた記録を探すため、前述の広島県予防課所蔵の被爆者手帳交付申請書の調査、および、体験記を発表した被爆者など四百人余を対象としたアンケート調査をおこなった。アンケートに対して八十七名の方々から回答をいただき、貴重な示唆・参考資料の提供を受けた。
[以下略]
出典:『広島県史 原爆資料編』