ubuki のすべての投稿

長崎原爆被爆五十年史03章 被爆者援護法成立までの被爆者対策

長崎原爆被爆五十年史03章 被爆者援護法成立までの被爆者対策

『長崎原爆被爆五十年史』(長崎市原爆被爆対策部編・刊、19960301)

内容

見出し
3 被爆者援護法成立までの被爆者対策
1 原爆医療法 155
1 原爆医療法 155
(1)制定の背景 155
(2)事務手続の実施主体 155
2 被爆者 156
(1)被爆状況の定義 156
・原爆被爆地域図 157
(2)被爆者健康手帳 158
(3)特別被爆若と一般被爆者 159
(4)手帳の更新と検認制度 162
(5)特別被爆者制度の廃止 162
(6)健康診断診者制度の創設 162
3 健康診断 163
(1)定期健康診断 163
(2)希望による健康診断と収容検査 164
(3)健康診断の改正 164
(4)がん検診 165
4 医療の給付 165
(1)内容 165
(2)給付を受ける手続き 166
(3)指定医療機関 167
5 一般疾病医療 167
(1)内容 167
(2)一般疾病医療費の支給事務 169
(3)一般疾病医療機関 169
6 医療手当 170
(1)医療手当の支給 170
(2)改正の経緯 171
2 原爆特別措置法 172
1 目的と制度のあらまし 172
2 各種手当制度の変遷 173
(1)特別手当の変遷 173
(2)医療特別手当の変遷 174
(3)医療手当の変遷 175
(4)健康管理手当の変遷 175
(5)介護手当の変遷 176
(6)原子爆弾小頭症手当の変遷 178
(7)保健手当の変遷 179
(8)葬祭料の変遷 180
3 原爆特別措置法の変遷 181
3 被爆者援護法 189
1 長崎市の陳情活動 189
2 被爆者援護法の成立の経緯 199
3 被爆者援護法の概要と旧法との比較 203
4 法外援護 205
1 長崎市原爆被爆者援護措置事業 205
(1)制定の背景 205
(2)制度の変遷 207
(3)事業の全面見直しと充実 210
2 老人福祉施設入所被爆者援護給付金支給事業 211
(1)目的 211
(2)対象者 211
(3)支給内容 212
(4)給付金の申請方法 212
3 長崎市原爆被爆者援護事業の福祉基金 213
5 原爆被爆地域の拡大是正 216
1 原爆被爆地域の指定 216
(1)原爆医療法の制定 216
(2)健康診断特例措置区域の指定 216
(3)健康診断特例措置区域の追加指定 216
(4)原爆被爆者対策基本問題懇談会答申 217
2 長崎市の取り組み 217
(1)被爆地域問題の経緯 217
(2)地域・団体等の動き 225
(3)長崎原子爆弾被爆者援護強化対策協議会 226
(4)被爆隣接地域被災状況調査 227
(5)被爆隣接地域住民健康調査 228
(6)長崎原爆被爆地域問題検討会 229
(7)原爆残留放射能プルトニウム調査 231
長崎原爆残留放射能プルトニウム調査報告書/国の検討班報告書
(8)被爆地域シンポジウム 235

 

長崎原爆被爆五十年史02章 原爆二法成立までの原爆被爆者対策

長崎原爆被爆五十年史02章 原爆二法成立までの原爆被爆者対策

出典:『長崎原爆被爆五十年史』(長崎市原爆被爆対策部編・刊、19960301)

内容

見出し
2 原爆二法成立までの原爆被爆者対策
1 講和条約発効以前の被爆者への各種支援 113
1 被爆直後の救護作業 113
2 被爆者の診療と救済 115
3 被爆者の暗い時期 116
2 講和条約発効から原爆医療法の成立まで 118
1 被爆者のための救済運動 118
2 被爆者の診療と救済 120
3 長崎市の陳情活動 122
4 原爆医療法の成立の経緯 123
(1)原爆医療法審議経過 124
(2)主な論点、修正意見、附帯決議等 124
(1)衆議院における審議 124
(2)修正意見 128
(3)附帯決議 128
(4)参議院における審議 129
3 原爆特別措置法の成立まで 130
1 原爆医療法成立から原爆特別措置法の成立まて 130
2 長崎市の陳情活動 132
3 原爆特別措置法の成立の経緯 134
(1)原爆特別措置法審議経過 134
(2)主な論点、附帯決議等 134
(1)衆議院における審議 134
・社会労働委員会での審議 137
(2)附帯決議 146
(3)参議院における審議 146
・参議院社会労働委員会における審議 148
(4)附帯決議 152

 

長崎原爆被爆五十年史01章 総説

長崎原爆被爆五十年史01章 総説

出典:『長崎原爆被爆五十年史』(長崎市原爆被爆対策部編・刊、19960301)

内容

見出し
序文 長崎市長 伊藤一長
口絵
稲佐山から見た爆心地「浦上」付近
1945・8/9・11:02
被爆した長崎の人と街
原爆行政のあゆみ
恒久平和を願って
被爆50周年記念事業
総説
1 長崎市の概要 3
1 長崎市の位置 3
2 長崎市の地形 4
3 長崎市の気候 5
4 長崎市の沿革 5
(1)長崎開港前 5
(2)長崎開港後 6
(3)明治以後の長崎 8
(4)市域の変遷 9
2 原子爆弾開発および長崎投下の経緯 12
1 第二次世界大戦の背景と長崎 12
2 原子爆弾の開発 13
(1)核時代の幕開け 14
(2)純理論から爆弾へ 14
(3)原子爆弾計画の推進力 15
(4)原爆製造の流れ 16
3 長崎投下の経緯 17
(1)広島原爆から長崎原爆までの間 18
(2)原爆投下後にまかれたビラ 19
(3)捕虜収容所と原爆 20
(4)ソ連の参戦と原爆 20
(5)空襲警報の遅れ 21
(6)すべてが手遅れ 22
3 原爆被害の特性 24
1 原子爆弾による熱線 24
(1)火球 24
(2)熱線の伝播 26
2 原子爆弾による爆風 28
(1)衝撃波 28
(2)マッハ効果 30
(3)爆風による被害 31
木造家屋/多層鉄筋コンクリート建物/鉄筋構造物/煉瓦・石造構造物/その他の構造物
3 熱線・爆風・火災による総合的被害 35
4 原子爆弾による放射線 36
(1)放射線 37
(2)原子の構造 37
(3)放射性同位元素 38
(4)原爆から出る放射線 39
中性子線/γ線
(5)放射線の性質 42
α線/β線/γ線/中性子
(6)放射線の強さ 44
照射線量/吸収線量/線量当量/カーマ
(7)放射線とのかかわり合い 46
(8)初期放射線の線量 47
空中線量/遮蔽/臓器線量
(9)残留放射線 52
誘導放射能/放射性降下物(フォールアウト)/体内の残留放射能
4 原爆投下と被害の状況 57
1 8月9日の長崎市の様子 57
2 原爆搭載機の航跡 60
3 11時2分頃の長崎市の様子 62
4 長崎に投下された原子爆弾の性状 63
(1)爆発時刻 64
(2)爆発高度および位置 64
(3)長崎の原子爆弾 65
(4)被爆当日の気象 66
(5)原子雲ならびに原爆による雨 67
5 長崎の原爆被害 69
(1)被害の概況 69
(2)家族の崩壊 72
原爆孤児/原爆孤老
(3)損害額の推計 81
6 被害の科学的調査 84
(1)理工学関係 84
爆発点と火球/輻射熱と爆風/残存放射能
(2)生物学関係 88
(3)医学関係 89
・原子爆弾の人体に対する障害 89
・総括および原子爆弾症の経過 91
・原爆後障害症96
/原爆ケロイド
/眼科領域の障害、特に原爆白内障
/血液の疾患、特に白血病を中心に(真性多血症、白血病)
/悪性リンパ腫
/多売性骨髄腫
/染色体の変化
/胎内被爆、特に小頭症について
/悪性腫瘍、特に各種癌について((1)甲状腺癌、(2)乳癌、(3)肺癌、(4)唾液腺腫瘍、(5)胃癌、(6)その他の癌)
/原爆被爆者の成長、発育について
/精神神経系の障害
/被爆者 加齢促進と寿命調査
/遺伝的影響

 

永井隆死亡報道(長崎日日新聞19510503)

永井隆死亡報道(長崎日日新聞19510503)

記事見出し<作業中

1面
 nn19510503as
永井隆博士逝く 闘病7年 1日夜長大病院で 十字架手に大往生
 涙さそうデスマスク 芽ちゃん間間に合わず
 市公葬を執行 ”痛恨極りなし”田川市長談
永遠に生く 天野文相談
痛恨に絶えず 式場隆三郎氏談
[明暗]
2面
nn19510503bs
 亡骸如己堂へ帰る 面影偲ぶ沿道の人垣 原子野に響くアンゼラスの鐘
 白血球実に33個 生命保った博士の信仰心
 アメリカ行きは子供の意思で 遺児の今後に近親者の談
 永井隆博士略歴
 将来は医者に 誠一君語る
 主なき如己堂 寂しく積まれた蔵書
 待ち焦がれたマリア像 生活苦しく 市民税も未納
 ”間に合わぬ聖母像が残念”  中島神父
 島根でも永井博士顕彰

 

長崎市永井隆記念館

長崎市永井隆記念館

資料年表:長崎市立永井隆記念館

年月日 事項 メモ
長崎市立永井記念館-p1
長崎市立永井記念館-p2
1950
**** 永井隆、私財を投じて子どものための図書室「うちらの本箱」をつくる。
05 宮崎隆栄(ブラジル在留邦人)、病床の永井隆を見舞う。隆の「子ども図書館」建築構想に賛同、1951~52年、ブラジル在住邦人471名からの寄付金174万7188円が送金される。
1952
12 長崎市立永井図書館」完成。寄付金と市費(約40万円)で。
1970
**** 島根県・三刀屋町(永井隆が幼少期を過ごす)に「永井隆記念館」開館。
1020 長崎市立永井図書館」と「永井隆記念館」、姉妹館締結。
1999
**** 長崎市立永井記念館、全面改装。
2000
04 「長崎市永井隆記念館」と改称。
以上の出典:永井隆記念館概要

 

長崎原爆病院医療社会事業部『入院患者実態調査報告』

『入院患者実態調査報告』(長崎原爆病院医療社会事業部、196008)

内容

01 其の1
調査月日:昭和34年7月上旬~中旬
調査目的:「生活に困っている」という入院患者の訴えをきいて、その実態を把握しようと試みたものものである。
調査方法:入院患者中原爆医療法の医療給付を受けているもの54名を対象にし、このうち男子22名、女子27名、計49名について」面接調査を実施した。<後略>
調査結果<作業中
06 其の2
調査月日:昭和35年7月19~23日
調査目的:昭和34年は入院認定患者について実態調査を試み原爆医療法改正への裏付け資料としたが、7月15日改正案の議会通過を機会に、再度の実態調査を実施した。
調査方法:入院患者中、原爆認定申請71名を対象に調査用紙を配ばり、各自記入の方法をとった。<後略>
調査結果<作業中

 

 

被爆・いのちの悲録 いまだ戦後終らざる人々の記録

『被爆・いのちの悲録 いまだ戦後終らざる人々の記録』(久保ミツエ、島津書房、20010301)

内容

序…田尾五太郎
1 石標に刻む
私の八月九日…13
避難の夜…39
陽光の中で…43
さわやかな風のように…47
丸太の上の鬼ごっこ…51
帰郷…54
したたかに生きる…60
石標に刻む…71
追憶…82
花嫁衣裳…87
コスモスに想い深く…94
長崎の鐘…98
2 証言
“いのち”のあかし…107
証言一 証言者 被爆地
死体の収容を続けて 神田博之 広島…117
鎮魂をこめて 梅田久子 広島…129
やさしかった捕虜 田羽多ミツエ 長崎…137
洪水の流れのように 小林秀雄 広島…144
不安 D・E 長崎…148
奇蹟 N・E 長崎…150
骨も帰らなかった娘 森崎やえ子 広島…156
地獄に咲いた一輪の花…163
証言二
四十年目の出会い…165
再会…169
戦争さえなかったら 湯浅笑子 長崎…171
長崎原爆忌へ参列して…179
奇遇…183
嘉代子桜…188
遠くを見つめて…192
証言三
一枚の古新聞…195
原爆がにくらしかです 古賀シズエ 松本昌司 長崎…203  松本組長…208
林津恵さんとの出会い…213
娘よ 林津恵 長崎…215
永遠に咲け嘉代子桜…222
爆心地公園…226
母さん生きていて欲しかった 舛谷澄子 長崎…232
核の犠牲は私たちを最後に 又野静子 長崎…236
大鍋一杯の遺骨 春田京子 長崎…240
亡くなった兄と弟たち 若杉文子 長崎…243
 証言四
南さんの証言を得るまで…240
生きる 南八重子 長崎…252
あとがきにかえて…269
 再版にあたって…272

 

長崎原爆病院

長崎原爆病院(日本赤十字社長崎原爆病院)

資料年表:長崎原爆病院

年月日
1958
0520 設立<出典:長崎原爆病院医療社会事業部『入院患者実態調査報告』196008>
196008-01
1960
08 長崎原爆病院医療社会事業部『入院患者実態調査報告』
 1961
0422 原子力放射能障害対策研究所、併設。
 0424  天皇・皇后、行幸啓。
 1969
 0909  皇太子・同妃、幸啓。
 1970red-01
   1970red-02
  1970red-03
1970red-04