戦後80年に寄せて( 令和7年10月10日内閣総理大臣所感)

戦後80年に寄せて( 令和7年10月10日内閣総理大臣所感)

(内閣総理大臣所感)

<作業中>
(はじめに)
戦後80年に寄せて

先の大戦の終結から、80年が経ちました。
この80年間、我が国は一貫して、平和国家として歩み、世界の平和と繁栄に力を尽くしてまいりました。今日の我が国の平和と繁栄は、戦没者を始めとする皆様の尊い命と苦難の歴史の上に築かれたものです。

私は、3月の硫黄島訪問、4月のフィリピン・カリラヤの比島戦没者の碑訪問、6月の沖縄全戦没者追悼式出席及びひめゆり平和祈念資料館訪問、8 月の広島、長崎における原爆死没者・犠牲者慰霊式出席、終戦記念日の全国戦没者追悼式出席を通じて、先の大戦の反省と教訓を、改めて深く胸に刻むことを誓いました。
これまで戦後50年、60年、70年の節目に内閣総理大臣談話が発出されており、歴史認識に関する歴代内閣の立場については、私もこれを引き継いでいます。
過去三度の談話においては、なぜあの戦争を避けることができなかったのかという点にはあまり触れられておりません。戦後70年談話においても、日本は「外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった」という一節がありますが、それ以上の詳細は論じられておりません。
国内の政治システムは、なぜ歯止めたりえなかったのか。
第一次世界大戦を経て、世界が総力戦の時代に入っていた中にあって、開戦前に内閣が設置した「総力戦研究所」や陸軍省が設置したいわゆる「秋丸機関」等の予測によれば、敗戦は必然でした。多くの識者も戦争遂行の困難さを感じていました。
政府及び軍部の首脳陣もそれを認識しながら、どうして戦争を回避するという決断ができないまま、無謀な戦争に突き進み、国内外の多くの無辜の命を犠牲とする結果となってしまったのか。
米内光政元総理の「ジリ貧を避けようとしてドカ貧にならぬよう注意願いたい」との指摘もあった中、なぜ、大きな路線の見直しができなかったのか。
戦後80年の節目に、国民の皆様とともに考えたいと思います。

(大日本帝国憲法の問題点)
まず、当時の制度上の問題が挙げられます。戦前の日本には、政治と軍事を適切に統合する仕組みがありませんでした。
大日本帝国憲法の下では、軍隊を指揮する権限である統帥権は独立したものとされ、政治と軍事の関係において、常に政治すなわち文民が優位でなくてはならないという「文民統制」の原則が、制度上存在しなかったのです。
内閣総理大臣の権限も限られたものでした。帝国憲法下では、内閣総理大臣を含む各国務大臣は対等な関係とされ、内閣総理大臣は首班とされつつも、内閣を統率するための指揮命令権限は制度上与えられていませんでした。
それでも、日露戦争の頃までは、元老が、外交、軍事、財政を統合する役割を果たしていました。武士として軍事に従事した経歴を持つ元老たちは、軍事をよく理解した上で、これをコント
ロールすることができました。丸山眞男の言葉を借りれば、「元老・重臣など超憲法的存在の媒介」が、国家意思の一元化において重要な役割を果たしていました。
元老が次第に世を去り、そうした非公式の仕組みが衰えたのちには、大正デモクラシーの下、政党が政治と軍事の統合を試みました。
第一次世界大戦によって世界に大きな変動が起こるなか、日本は国際協調の主要な担い手の一つとなり、国際連盟では常任理事国となりました。1920年代の政府の政策は、幣原外交に表れた
ように、帝国主義的膨張は抑制されていました。
1920 年代には、世論は軍に対して厳しく、政党は大規模な軍縮を主張していました。軍人は肩身の狭い思いをし、これに対する反発が、昭和期の軍部の台頭の背景の一つであったとされていす。
従来、統帥権は作戦指揮に関わる軍令に限られ、予算や体制整備に関わる軍政については、内閣の一員たる国務大臣の輔弼事項として解釈運用されていました。文民統制の不在という制度上の問題を、元老、次に政党が、いわば運用によってカバーしていたものと考えます。
(政府の問題)
しかし、次第に統帥権の意味が拡大解釈され、統帥権の独立が、軍の政策全般や予算に対する政府及び議会の関与・統制を排除するための手段として、軍部によって利用されるようになっていきました。
政党内閣の時代、政党の間で、政権獲得のためにスキャンダル暴露合戦が行われ、政党は国民の信頼を失っていきました。1930 年には、野党・立憲政友会は立憲民政党内閣を揺さぶるため、海軍の一部と手を組み、ロンドン海軍軍縮条約の批准を巡って、統帥権干犯であると主張し、政府を激しく攻撃しました。政府は、ロンドン海軍軍縮条約をかろうじて批准するに至りました。
しかし、1935年、憲法学者で貴族院議員の美濃部達吉の天皇機関説について、立憲政友会が政府攻撃の材料としてこれを非難し、軍部も巻き込む政治問題に発展しました。ときの岡田啓介内は、学説上の問題は、「学者に委ねるより外仕方がない」として本問題から政治的に距離を置こうとしましたが、最終的には軍部の要求に屈して、従来通説的な立場とされていた天皇機関説を否定する国体明徴声明を二度にわたって発出し、美濃部の著作は発禁処分となりました。
このようにして、政府は軍部に対する統制を失っていきます。
(議会の問題)
本来は軍に対する統制を果たすべき議会も、その機能を失っていきます。
その最たる例が、斎藤隆夫衆議院議員の除名問題でした。斎藤員は1940年2月2日の衆議院本会議において、戦争の泥沼化を批判し、戦争の目的について政府を厳しく追及しました。いわゆる反軍演説です。陸軍は、演説は陸軍を侮辱するものだとこれに激しく反発し、斎藤議員の辞職を要求、これに多くの議員は同調し、賛成296票、反対7票の圧倒的多数で斎藤議員は除名されました。これは議会の中で議員としての役割を果たそうとした稀有な例でしたが、当時の議事録は今もその3分の2が削除されたままとなっています。
議会による軍への統制機能として極めて重要な予算審議においても、当時の議会は軍に対するチェック機能を果たしていたとは全く言い難い状況でした。1937年以降、臨時軍事費特別会計が
設置され、1942 年から45年にかけては、軍事費のほぼ全てが特別会計に計上されました。その特別会計の審議に当たって予算書に内訳は示されず、衆議院・貴族院とも基本的に秘密会で審議が行われ、審議時間も極めて短く、およそ審議という名に値するものではありませんでした。
戦況が悪化し、財政がひっ迫する中にあっても、陸軍と海軍は組織の利益と面子をかけ、予算獲得をめぐり激しく争いました。
加えて、大正後期から昭和初期にかけて、15年間に現役首相3人を含む多くの政治家が国粋主義者や青年将校らによって暗殺されていることを忘れてはなりません。暗殺されたのはいずれも国際協調を重視し、政治によって軍を統制しようとした政治家たちでした。
五・一五事件や二・二六事件を含むこれらの事件が、その後、議会や政府関係者を含む文民が軍の政策や予算について自由に議論し行動する環境を大きく阻害したことは言うまでもありません。
(メディアの問題)
もう一つ、軽視してはならないのはメディアの問題です。
1920 年代、メディアは日本の対外膨張に批判的であり、ジャーナリスト時代の石橋湛山は、植民地を放棄すべきとの論陣を張りました。しかし、満州事変が起こった頃から、メディアの論調は、積極的な戦争支持に変わりました。戦争報道が「売れた」からであり、新聞各紙は大きく発行部数を伸ばしました。
1929 年の米国の大恐慌を契機として、欧米の経済は大きく傷つき、国内経済保護を理由に高関税政策をとったため、日本の輸出は大きな打撃を受けました。
深刻な不況を背景の一つとして、ナショナリズムが昂揚し、ドイツではナチスが、イタリアではファシスト党が台頭しました。主要国の中でソ連のみが発展しているように見え、思想界にお
いても、自由主義、民主主義、資本主義の時代は終わった、米英の時代は終わったとする論調が広がり、全体主義や国家社会主義を受け入れる土壌が形成されていきました。
こうした状況において、関東軍の一部が満州事変を起こし、わずか1年半ほどで日本本土の数倍の土地を占領しました。新聞はこれを大々的に報道し、多くの国民はこれに幻惑され、ナショナリズムは更に高まりました。
日本外交について、吉野作造は満州事変における軍部の動きを批判し、清沢洌は松岡洋右による国際連盟からの脱退を厳しく批判するなど、一部鋭い批判もありましたが、その後、1937年秋
頃から、言論統制の強化により政策への批判は封じられ、戦争を積極的に支持する論調のみが国民に伝えられるようになりました。
(情報収集・分析の問題)
当時、政府を始めとする我が国が、国際情勢を正しく認識できていたかも問い直す必要があり
ます。例えば、ドイツとの間でソ連を対象とする軍事同盟を交渉している中にあって、1939年8月、独ソ不可侵条約が締結され、ときの平沼騏一郎内閣は「欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を
生じた」として総辞職します。国際情勢、軍事情勢について、十分な情報を収集できていたのか、得られた情報を正しく分析できていたのか、適切に共有できていたのかという問題がありました。
(今日への教訓)
戦後の日本において、文民統制は、制度としては整備されています。日本国憲法上、内閣総理大臣その他の国務大臣は文民でなければならないと定められています。また、自衛隊は、自衛隊
法上、内閣総理大臣の指揮の下に置かれています。
内閣総理大臣が内閣の首長であること、内閣は国会に対して連帯して責任を負うことが日本国憲法に明記され、内閣の統一性が制度上確保されました。
さらに、国家安全保障会議が設置され、外交と安全保障の総合調整が強化されています。情報収集・分析に係る政府の体制も改善されています。これらは時代に応じて、更なる進展が求められます。
政治と軍事を適切に統合する仕組みがなく、統帥権の独立の名の下に軍部が独走したという過去の苦い経験を踏まえて、制度的な手当ては行われました。他方、これらはあくまで制度であり、
適切に運用することがなければ、その意味を成しません。
政治の側は自衛隊を使いこなす能力と見識を十分に有する必要があります。現在の文民統制の制度を正しく理解し、適切に運用していく不断の努力が必要です。無責任なポピュリズムに屈しない、大勢に流されない政治家としての矜持と責任感を持たなければなりません。
自衛隊には、我が国を取り巻く国際軍事情勢や装備、部隊の運用について、専門家集団としての立場から政治に対し、積極的に説明し、意見を述べることが求められます。
政治には、組織の縦割りを乗り越え、統合する責務があります。組織が割拠、対立し、日本の国益を見失うようなことがあってはなりません。陸軍と海軍とが互いの組織の論理を最優先として対立し、それぞれの内部においてすら、軍令と軍政とが連携を欠き、国家としての意思を一元化できないままに、国全体が戦争に導かれていった歴史を教訓としなければなりません。
政治は常に国民全体の利益と福祉を考え、長期的な視点に立った合理的判断を心がけねばなりません。責任の所在が明確ではなく、状況が行き詰まる場合には、成功の可能性が低く、高リス
クであっても、勇ましい声、大胆な解決策が受け入れられがちです。海軍の永野修身軍令部総長は、開戦を手術にたとえ、「相当の心配はありますが、この大病を癒すには、大決心をもって、国
難排除に決意するほかありません」、「戦わざれば亡国と政府は判断されたが、戦うもまた亡国につながるやもしれぬ。しかし、戦わずして国亡びた場合は魂まで失った真の亡国である」と述べ、
東條英機陸軍大臣も、近衛文麿首相に対し、「人間、たまには清水の舞台から目をつぶって飛び降りることも必要だ」と迫ったとされています。このように、冷静で合理的な判断よりも精神的・
情緒的な判断が重視されてしまうことにより、国の進むべき針路を誤った歴史を繰り返してはなりません。
政府が誤った判断をせぬよう、歯止めの役割を果たすのが議会とメディアです。
国会には、憲法によって与えられた権能を行使することを通じて、政府の活動を適切にチェックする役割を果たすことが求められます。政治は一時的な世論に迎合し、人気取り政策に動いて国益を損なうような党利党略と己の保身に走っては決してなりません。
使命感を持ったジャーナリズムを含む健全な言論空間が必要です。先の大戦でも、メディアが世論を煽り、国民を無謀な戦争に誘導する結果となりました。過度な商業主義に陥ってはならず、
偏狭なナショナリズム、差別や排外主義を許してはなりません。
安倍元総理が尊い命を落とされた事件を含め、暴力による政治の蹂躙、自由な言論を脅かす差別的言辞は決して容認できません。
これら全ての基盤となるのは、歴史に学ぶ姿勢です。過去を直視する勇気と誠実さ、他者の主張にも謙虚に耳を傾ける寛容さを持った本来のリベラリズム、健全で強靭な民主主義が何よりも大切です。
ウィンストン・チャーチルが喝破したとおり、民主主義は決して完璧な政治形態ではありません。民主主義はコストと時間を必要とし、ときに過ちを犯すものです。
だからこそ、我々は常に歴史の前に謙虚であるべきであり、教訓を深く胸に刻まなければなりません。
自衛と抑止において実力組織を保持することは極めて重要です。私は抑止論を否定する立場には立ち得ません。現下の安全保障環境の下、それが責任ある安全保障政策を遂行する上での現実です。
同時に、その国において比類ない力を有する実力組織が民主的統制を超えて暴走することがあれば、民主主義は一瞬にして崩壊し得る脆弱なものです。一方、文民たる政治家が判断を誤り、戦争に突き進んでいくことがないわけでもありません。文民統制、適切な政軍関係の必要性と重要性はいくら強調してもし過ぎることはありません。政府、議会、実力組織、メディアすべてがこれを常に認識しなければならないのです。
斎藤隆夫議員は反軍演説において、世界の歴史は戦争の歴史である、正義が勝つのではなく強者が弱者を征服するのが戦争であると論じ、これを無視して聖戦の美名に隠れて国家百年の大計を誤ることがあってはならないとして、リアリズムに基づく政策の重要性を主張し、衆議院から除名されました。
翌年の衆議院防空法委員会において、陸軍省は、空襲の際に市民が避難することは、戦争継続意思の破綻になると述べ、これを否定しました。
どちらも遠い過去の出来事ではありますが、議会の責務の放棄、精神主義の横行や人命・人権軽視の恐ろしさを伝えて余りあるものがあります。歴史に正面から向き合うことなくして、明る
い未来は拓けません。歴史に学ぶ重要性は、我が国が戦後最も厳しく複雑な安全保障環境に置かれている今こそ、再認識されなければなりません。
戦争の記憶を持っている人々の数が年々少なくなり、記憶の風化が危ぶまれている今だからこそ、若い世代も含め、国民一人一人が先の大戦や平和のありようについて能動的に考え、将来に生かしていくことで、平和国家としての礎が一層強化されていくものと信じます。
私は、国民の皆様とともに、先の大戦の様々な教訓を踏まえ、二度とあのような惨禍を繰り返すことのないよう、能う限りの努力をしてまいります。

令和7年10月10日
内閣総理大臣
石破茂

技術開発の昭和史

『技術開発の昭和史』(森谷正規、朝日文庫〈朝日新聞社〉、19901120)

内容<作業中>

はしがき
1 軍事化の中で電子・高分子の萌芽
―戦前(昭和元~20年)の技術
1 写真電送
2 無装荷ケーブル
3 フェライト
4 零戦
5 石炭液化
証言 テレビジョンの開発
高柳健次郎 前・日本ビクター顧問
2 大型革新技術の導入
―復興期(昭和20年代)の技術
3 生産・改良向上技術で国際水準
―産業躍進期(昭和30年代)の技術
4 応用型新製品技術で国際水準
―高度成長期(昭和40年代)の技術
5 先端技術の開発で国際水準
―自立の時代(昭和40年代)への技術
昭和が終わり平成へ

 

ナチス追及

『ナチス追及』(望田幸男〈もちだゆきお〉、講談社現代新書1015、19900820)

内容

いまドイツのなにを問うべきか
いまドイツにを問う意味
アウシュヴィッツは終わらない
美少年ゆえの数奇な半生
問われる国民の戦争責任
二つのファッショ体制の相違
「ヴァイツゼッカー演説」を貫くもの
ナチス追及の広がりと深さ
本書の構成
1 追う者と追われる者
逃亡14年――アイヒマンとモサド
「他者」による追及と裁き
時効なき「みずから」による裁き
2 「ワルトハイム」たちの悩み
「過去」を捨てられなかったワルトハイム
「過去」を墓場に埋葬したカラヤン
「庶民のなかのワルトハイム」とその家族たち
3 西ドイツにおける極右=ネオナチの流れ
生きている「ナチスの残党」
旧ネオナチから新ネオナチへ
ヒトラーの孫たち
ナチス追及の未来
日本における「ナチス追及」論の二つの流れ
道徳的リゴリズム
道徳的な非政治の世界
道徳的な非政治の落とし穴
ナチス追及史における新たな問題状況
熱望と不安のなかの「ドイツ統一問題」
ドイツ統一問題と「過去の克服」
ナチスなきナチス追及
「ナチス追及」が日本に問いかけるもの
<沼田鈴子、日本の原水爆禁止運動、・・・>
あとがき

象徴天皇制への道-米国大使グルーとその周辺

『象徴天皇制への道-米国大使グルーとその周辺』(中村政則、岩波書店〈新書〉、19891020)

内容

『滞日十年』の成立事情…1
“Report from Tokyo” ―日本軍国主義批判―…11
和平のテーマ ―鍵としての天皇制―…25
シカゴ演説 ―集中砲火をあびる―…37
『滞日十年』の刊行…63
穏健派とは何か ―牧野伸顕・樺山愛輔・吉田茂―…75
対日戦後計画の形成 ―グルーの遠図―…109
ポツダム宣言 ―奮闘するグルー…127
グルーとマッカーサー…147
「象徴」の由来 ―三つの流れ―…161
おわりに―象徴天皇制の成立…201
参考文献…211
あとがき…215

ぼくたちの軍隊

『”ぼくたちの軍隊” 武装した日本を考える 岩波ジュニア新書』(前田哲男、岩波書店、19881220)

内容

プロローグ-3つの「事故」 1
日本を点検する-ぼくたちの今いるところ 25
1 海の核戦争 26
2 C3I〈シー・スリー・アイ〉とは何か 44
3 日本の中の外国 57
4 「神話」はつくられる 64
もうひとりでは歩けない-世界戦略の中の自衛隊 83
1 世界にひろがる共同演習 84
2 盾にされる日本 109
ぼくたちの軍隊  自衛隊の長く太い道のり 121
1 日本再武装 122
2 ぶっちぎりで高度成長  カネ・モノ・ヒト 133
3 そして「歯どめ」はなくなった 162
4 軍事化する日本 180
もうひとつの世界、もうひとつの日本 199
1 新しい潮も流れている 200
2 ”ぼくたちの、未来” 215
あとがき 227

現代社会主義を考える―ロシア革命から21世紀へ

『現代社会主義を考える―ロシア革命から21世紀へ』(渓内謙〈たにうち・ゆずる〉、岩波新書、19880120)

内容

1 ロシア革命70年
1 本書の意図
2 社会主義
3 思想・運動・体制
4 本書の構成
2 ナショナリズム
1 いまなぜナショナリズムか?
2 ロシア革命と民族問題
3 一国社会主義
4 ナショナリズムを超えて
3 国家
1 問題の所在
2 なぜ「党」を問題にするか?
3 一党支配
4 一枚岩としての党
5 党の「国際化」
6 社会から国家へ
4 現代社会主義
1 ロシア革命―「二重の性格」
2 スターリン主義
3 非スターリン化
5 展望
1 E・H・カーのロシア革命観
2 歴史的展望の中の社会主義

 

現代社会100面相 これだけは知ってほしい

『現代社会100面相 これだけは知ってほしい』(鎌田慧〈かまた・さとし〉、岩波ジュニア新書121)

内容

はじめに
002 国家秘密法
004 自衛隊
006 基地
008 沖縄
010 日の丸・君が代
012 靖国神社
014 教科書検定
016 金権政治
018 長期政権の退廃
020 首相と文相の暴言
022 教育改革
024 偏差値
026 「乱塾」
028 いじめ
030 「浮浪者」狩り
032 管理教育
034 夜間中学
036 障害児の就学
038 在日朝鮮人
040 指紋押捺
042 中国残留日本人
044  南京大虐殺
046  東南アジアの日本人
048  アジアへの経済侵略
050  パック旅行
052  ジャパゆきさん
<作業中>
174 健康産業
178 人材派遣あ安
180 パートタイマー
182 男女雇用機会均等法
184 労働組合
186 団結権
188 ストライキ
190 働きがい
192 労働時間
194 余暇
196 労働災害
198 航空機事故
200 FF現象
202 テレビの現在
205 タレント発掘
206 記者クラブの弊害

原爆文献から あの日あの時 「死の行進」を探る

『原爆文献から あの日あの時 「死の行進」を探る』(新居国夫編・刊、198612)

内容<作業中>

ひろしま
1 ひろしまの歩み 4
2 太田川(母なる川)5
3 あの日、あの時 7
4 広島三つの顔 8
広島平和記念公園
広島平和記念公園全景図 10
原爆慰霊碑等案内一覧図 11
1 広島平和記念公園の建設 13
2 広島平和記念資料館 14
人影の石 15
3 原爆慰霊碑 17
① 碑文論争 18
② 原爆慰霊碑説明板 19
③ 碑文は何でも知っている 20
4 平和の池 21
あの日、あの時 22
5 平和の灯 23
6 原爆供養塔 24
あの日、あの時 25
7 原爆ドーム 27
① 説明板(平和記念公園側)27
② 原爆ドーム存廃諭議 27
③ 原爆ドーム保存記念碑 28
④ 原爆ドームを国の持別史跡に 29
8 嵐の中の母子像 30
① 母は強し 30
② あの日、あの時 31
9 小女とバンビの像 32
10 教師と子どもの像 33
① 碑板 33
② あの日、あの時 34
③ 原爆詩人 正田篠枝 34
11 慰霊碑(広島市立商業学校)39
① 碑文 39
② 強制建物疎開と学徒動員 40
12 慰霊碑(広島二中)41
① 碑文 41
② あの日、あの時 41
③ 芸陽観音同窓会報より 41
13 義勇隊の碑(旧安佐郡川内村温井)42
① 碑文 42
② あの日、あの時 43
14 慰霊碑(旧天神町南組)44
15 慰霊碑(広島市立高女)44
① 碑文 44
② 建立由来 44
③ 説明板 45
④ あの日、あの時 45
16 マルセル・ジュノー博士を讃える碑 46
① 碑文 46
② 広島救援へGHQ「横車」 46
③ あの日、あの時 48
17 広島平和記念館 49
① ローマ法王「平和アピール」碑 50
② 平和のキャラバン「壁画」 51
18 峠三吉詩碑 54
① 詩文 54
② 詩人 峠三吉 54
③ あの日、あの時 55
19 材木町跡碑 56
20 旧天神町北組慰霊碑 56
21 原爆の子の像 57
① 千羽鶴 57
② 募金 57
③ 原爆の子の像 58
22 平和観音像(中島本町跡碑)59
① 碑文 59
② 中島地区(爆心から100~700m)の説明板 59
③ 中島地区五町 60
23 元安川 60
① 説明板 60
② あの日、あの時 61
③ 灯ろう流し 61
24 本川 61
① 説明板 61
② あの日、あの時 62
25 元安橋 62
26 平和大橋 63
27 西平和大橋 63
28 相生橋 64
① 概容 64
② 原爆投下目標は相生橋
エノラ・ゲイ機長初証言 65
③ 新相生橋完成 65
④ あの日、あの時 67
29 原爆犠牲 ヒロシマの碑 68
① 碑詩 68
② 碑文 68
30 原民喜詩碑 70
① 碑銘 70
② 碑文 70
③ 碑銘偶感 71
④ 原民喜の略歴 73
⑤ 夏の花 74
⑥ あの日、あの時 75
31 爆心地 76
① 説明板 76
② 島外科病院(爆心地)76
③ 爆心地の測定 77
32 韓国人原爆犠牲者慰霊碑 78
① 碑の所在地 79
② あの日、あの時 79
③ 在韓被爆者の渡日治療制度の期限切れ 80
④ 原爆供養塔に朝鮮人遺骨 80
33 本川国民学校(現本川小学校)81
① 説明板 81
② あの日、あの時 81
34 大田洋子文学碑 83
① 碑銘 83
② 碑文 83
③ 原爆スラムが消えた 84
④ 原爆乙女を尋ねて 85
⑤ あの日、あの時 87
35 原爆犠牲者追憶之碑(第一県女)88
① 碑銘 88
② 碑の所在地 88
③ あの日、あの時 88
36 移動演劇さくら隊殉難碑 89
① 碑文 89
② 所在地 90
③ 移動演劇さくら隊殉難記 90
④ あの日、あの時 91
原子爆弾爆発
1 原爆投下前のヒロシマ 92
2 原爆投下 93
① あの日の米軍側情報 95
② あの日の日本側情報 103
3 ヒロシマに原爆投下が決まるまで 112
① 原爆の対日使用決定 112
② 原爆使用都市の決定 113
4 ヒロシマへの原爆投下批判 115
① 原爆裁判「投下は違法」 115
② 原爆投下は国際法違反
中曽根首相、米TV番組で見解 116
③ 日本への原爆投下は正当
レーガン米大統領発言 116
④ 原爆投下は無差別攻撃 117
⑤ 世界の教科書と原爆投下記述 118
5 核爆発と気象現象 120
① 核の冬 121
② 黒い雨 123
原子爆弾の威力
1 熱線の威力 125
① 被害の状況 125
② あの日、あの時 125
2 爆風の威力 126
① 被害の状況 126
② あの日、あの時 127
3 放射線の脅威 128
① 障害の状況 128
② あの日、あの時 129
③ 七十年不毛説 133
原爆絵画「死の行進」の写真
原爆絵画「死の行進」
1 被爆と構想 136
2 核禁PRには「生きた画像」を 137
3 原爆披災体験記 神田周三記 138
4 神田周三画伯について 141
① 素描 141
② 志賀直哉氏を訪ねて 142
③ 川端康成氏と神田画伯 144
核兵器開発の歩み
1 概況 145
2 ダモクレスの剣 146
3 原水爆の種類 148
① 原子爆弾 148
② 水素爆弾 148
③ 中性子爆弾 148
4 核兵器について 150
① 射程距離による分類 150
② 核戦略体系よりの分類 151
③ 核兵器いろいろ 152
④ 米ソ軍拡競争の現状 154
核拡散への危機
1 核拡散と原子力発電 155
2 第三世界の核開発 156
① インド 156
② イスラエル 157
③ パキスタン 159
④ アルゼンチン 159
⑤ イラン 160
⑥ 北朝鮮 160
⑦ 南アフリカ 161
⑧ その他 161
 原爆余話
1 朝鮮戦争 163
2 台湾海峡危機 164
3 キューバ危機 166
4 中ソ国境紛争166
5 第四次中東戦争 167
 被害者と加害者の反省
 1 再び過ちをくり返さないため 168
2 軍都広島と反省 169
3 日中戦争と反省 170
あとがき 173
付録
春を待つ北方領土 177

メイド イン 東南アジア 現代の『女工哀史』

『メイド イン 東南アジア 現代の『女工哀史』』(塩沢美代子、岩波ジュニア新書、19830420)

内容

まえがき
思いがけない発見ーマリちゃんの宿題から
1 社会科の宿題
2 ヨッちゃんのブラウスができるまで
3 おばさんの話
『女工哀史』の時代―地獄のような工場
近代的な工場のなかで―仕事はらくになったか
1 太平洋戦争が終わって
2 紡績女子労働者の一日
3 女子労働者のたたかい
4 紡績工場に働きつづけて30年
5 超近代的なテレビ組立工場で
6 工場で働くお母さんたち
現代の『女工哀史』-日本の繁栄とアジアの苦しみ―
1 アジアと日本
2 小さな国際会議
3 失われた美しい浜辺(フィリピン)
4 夢の島から電子工業地帯(マレーシア)
5 出来高払いに苦しむ縫製労働者(香港)
6 「団結」を目指しての語らい(タイ)
7 たたかう繊維労働者(韓国)
やがて働くあなたへ

アカデミー賞 オスカーをめぐる26のエピソード

『アカデミー賞 オスカーをめぐる26のエピソード』(川本三郎、中央新書、19900325)

内容

003 フォンダ父娘のオスカー・オディッセイ
012 「もらって当然だと思うわ」
022 「欠席」ばかりのキャサリン・ヘプバーン
028 アカデミー賞の誕生
036 オスカー像
045 フランク・キャプラの屈辱と栄光
054 オスカーに引き裂かれた姉妹
063 オスカーをとれなかった人々
078 2つのミスジャッジ
087 ジョーン・クロフォードの復讐
095 ボス支配からの独立
104 アカデミー賞を拒否した2人の名優―ジョージ・C・スコットとマーロン・ブランド
112 欠席した大物たち
123 オスカー・ハンターたち
130 エリザベス・テーラーとオスカー
137 バーブラの敗北
145 オスカーの犠姓者たち
153 悪魔の声のたたり
160 アル中演技で受賞
166 コメディに冷たいアカデミー賞
173 オスカー効果
183 イギリスの侵略
191 外国人の受賞者たち
200 赤狩り時代のオスカー
211 授賞式はファッション・ショー
222 名スピーチ
233 あとがき
238 アカデミー賞主要6賞受賞者・受賞作品一覧

民族と国家―イスラム史の視覚から

『民族と国家―イスラム史の視覚から』(山内昌之、岩波新書、19930120)

内容

はじめに
1 イメージとしての民族と国家―レコンキスタから冷戦終了まで
1 湾岸戦争とボスニア=ヘルツエゴヴィナ内戦
2 神話・象徴複合としての民族
3 二つのナショナリズム
2 イスラム史のなかの民族―ムスリムと啓典の民
1 イスラムにおける民族の系譜
2 レンズを通して見た非イスラム世界
3 ムスリム・キリスト教徒・ユダヤ教徒
4 中東とヨーロッパのキリスト教
3 パックス・オットマニカ―ミッレト制による「諸民族の平和」
1 オスマン帝国とアラブ独立王朝
2 ボスニア=ヘルツエゴヴィナのイスラム化
3 イスラム国家とヨーロッパ
4 他民族と平和共存
4 愛国心か、ナショナリズムか―ムスリムの見た外国と異民族
1 ヨーロッパのなかのイスラム
2 国名のない国家
3 フランス革命とオスマン帝国
5 ムハンマド対マルクスー資本主義・労働運動・民族問題
1 クウェートとサウディ・アラビア」の原型
2 「アラブ国家」か、エジプト国家か
3 民族問題と経済問題
4 民族モザイクの変容
5 バルカンの労働運動とアナトリアのアルメニア問題
6 「高貴な民」の目覚め―アラブ人とトルコ人
1 ミレットから民族へ
2 「高貴な民」としてのアラブ
3 イスラムから生まれたアラブ意識
4 預言者の正系とアラビアのロレンス
5 中央集権化対地方分権化
7 イスラム帝国の終焉―国民国家に向かって
1 植民地分割か、国民国家の成立か
2 エジプト・ナショナリズムの開花
3 ムスリムからつくられたトルコ人
4 イスラムと複合アイデンティティ
5 ユーゴスラヴィアの「ムスリム人」
民族と国家のリアリズム―構造と神話

オリンピックと放送

『オリンピックと放送』(西田善夫、丸善出版、19910920)

内容

「ザ・シティ・オブ・ナガノォ~」=1998年冬季オリンピック、長野開催決まる
1 日本の戦後初参加のオリンピック—1952年冬・オスロ、夏・ヘルシンキ
2 初めて聞いた冬季オリンピック放送—イタリア、コルチナ・ダンペッツォ
3 仕事として聞くオリンピック放送
4 1964年・東京オリンピックの年
5 東京オリンピックの準備取材
6 アナウンサーのメンバーチェンジ
7 カラー放送で見る海外のオリンピック放送—1968年・冬季グルノーブル大会
8 NHKも参加した放送オリンピック—メキシコ大会
9 1972年・サッポロ・オリンピック
10 オリンピック都市が出来ていた—1972年・ミュンヘン・オリンピック
11 ふたりに金メダルをやれないものか—千分の二秒差・男子400メートル個人メドレー決勝
12 新しいスポーツ、カヌースラローム—見たことがない種目の初放送
13 「ここで撮影していいですか」—金メダルへの第一歩、ウェツェル夫妻のアリフレックス
14 「松平監督から聞いた第一報」—パレスチナ・ゲリラ事件の発生
15 チロル地方の古典劇場—インスブルック・オリンピック開会式
16 1976年・夏季モントリオール・オリンピック大会
17 「アデュー・モントリオール、ビアント・モスコウ」—モントリオール大会の閉会式
18 1980年・冬季レークプラシッド大会
19 「この際、私も立ち上がります……」—氷上の奇跡、アイスホッケー米ソ決戦
20 1980年・夏季モスクワ・オリンピック大会
21 1984年・冬季サラエボ・オリンピック大会
22 ロサンゼルス二度目のオリンピック
23 1988年・冬季カルガリー・オリンピック大会
24 オリンピックが平和を保つ—1988年・ソウル・オリンピック
25 オリンピック、私の夢

博覧会の政治学

『博覧会の政治学 まなざしの近代』(吉見俊哉、中央公論社、19920925)

内容<作業中

博覧会という近代
1 水晶宮の誕生
2 博覧会都市の形成
3 文明開化と博覧会
4 演出される消費文化
5 帝国主義の祭典
6 変容する博覧会空間
 1  大阪万博という「お祭り」
2 マス・メディアによる大衆動員
3 企業パビリオンと「未来都市」
4 コマーシャリズムのなかの「未来」
5 万国博からテーマパークへ
博覧会と文化の政治学
1 帝国主義、消費社会、大衆娯楽
2 権力装置としての博覧会
3 スペクタルの社会理論に向けて
あとがき

昭和時代年表

『昭和時代年表 岩波ジュニア新書11』(中村政則編著、岩波書店、19860620)

内容<作業中

まえがき
(1926-1944) 不景気から戦争へ
  1926年(昭和元)
 明治の近代化
大正デモクラシー
昭和の開幕
未入力
 ポツダム宣言受諾
(1945-1959) 戦後民主主義の出発
   1945年(昭和20)
 戦争末期
ポツダム宣言受諾
 民主化改革はじまる
荒廃の国民生活
   1946年(昭和21)
 天皇の「人間宣言」
ヤミとインフレのなかで
高まる大衆運動・労働運動
財閥解体・農地改革
   1947年(昭和22)
2・1スト禁止
社会党第一党に
新憲法のもとで
経済の再建
   1948年(昭和23)
占領政策の方向転換
昭電疑獄事件
極東軍事裁判判決
経済安定9原則
   1949年(昭和24)
民主自由党の圧勝
ドッジ・プランとシャウプ勧告
定員法と下山・三鷹・松川事件
1950年(昭和25)
全面講和か単独講和か
朝鮮戦争はじまる
レッド・パージ
1951年(昭和26)
マッカーサー解任
全面講和をもとめて
サンフランシスコ講和条約
 1 952年(昭和27)
独立は回復したか
破防法の上程
メーデー事件
1953年(昭和28)
バカヤロウ解散
池田・ロバートソン会談
企業集団の形成
1954年(昭和29)
造船疑獄
逆コースの本格化
乱闘国会
原水爆禁止署名運動
インドネシア戦争体験
吉田長期政権の崩壊
1955年(昭和30)
社会党の統一・保守合同
「うれうべき教科書の問題」
新しい力<バンドン会議、沖縄・北富士演習場・砂川、母親大会、婦人運動>
高度経済成長の開始
1956年(昭和31)
国連加盟、教育委員任命制、売春防止法の制定、沖縄祖国復帰運動、神武景気
1957年(昭和32)
日米新時代、東南アジア賠償、労働運動と正面対決、電化時代に向けて
1958年(昭和33)
勤評闘争、警職法改正反対闘争、ミッチー・ブーム
1959年(昭和34)
安保条約の改定をめぐって、三井・三池争議、岩戸景気
(1960-1972) 安保改定から高度経済成長へ
   1960年(昭和35)
 安保国会、激動の一か月、流血の惨事、新安保条約成立、安保闘争の反響、所得倍増計画
   1961年(昭和36)
嶋中事件、構造改革論と農業基本法、学力テスト、三無事件
  1962年(昭和37)
 高校全員入学運動
新産業都市と公害問題
江田ビジョン
 LT貿易
  1963年(昭和38)
憲法調査会
原水禁運動の分裂
松川事件最高裁判決
相次ぐ大事故
  1964年(昭和39)
世界の中の日本経済
東京オリンピック
政治情勢の変動
  1965年(昭和40)
「期待される人間像」
不況の到来
ベトナムと沖縄
日韓条約批准
  1966年(昭和41)
航空機事故
建国記念の日制定
政界の「黒い霧」事件
  1967年(昭和42)
沖縄の教公法案
革新都政の出発
資本の自由化
公害問題
沖縄返還をめぐって
 1968年(昭和43)
学園紛争
沖縄に革新主席誕生
 1969年(昭和44)
大学管理法
靖国法案
同和対策をめぐって
沖縄の72年返還決定
1970年(昭和45)
日本万国博覧会
言論出版妨害問題
青法協問題
公害問題
三島事件
1971年(昭和46)
米中接近
ドル・ショック
沖縄返還をめぐって
環境庁の発足
1972年(昭和47)
沖縄県発足
田中内閣の成立
広がる革新自治体
上野動物園にパンダ
(1973-1989) 国際化時代の日本
1973年(昭和48)
ベトナム和平とデタント
石油危機と買いしめ騒ぎ
金大中事件
1974年(昭和49)
狂乱物価と大企業批判
田中金脈問題と三木内閣成立
高度経済成長の終焉
1975年(昭和50)
混迷のもとでの減量経営
労働運動は「冬の時代」へ
天皇訪米の波紋
国際婦人年
  1976年(昭和51)
 ロッキード事件と田中前首相逮捕
 「三木おろし」と福田内閣の誕生
 防衛費はGNPの1パーセント内に
 1977年(昭和52)
 対日批判のつよまり
 革新伸張にかげり
 原水禁運動統一
  1978年(昭和53)
 円高と「安定成長」
 「生活保護主義」の中での政治的無関心
 日本防衛協力ガイドライン
 自民党総裁予備選挙
  1979年(昭和54)
 技術革新で第二次石油危機をのりきる
 革新自治体の衰退
 大平内閣と一般消費税問題
   1980年(昭和55)
 デタントから新冷戦へ
 ハプニング解散と大平首相休止
 鈴木内閣と「和の政治」
  1981年(昭和56)
 臨調行革の開始
 高齢化社会のなかで弱者きりすて
 教科書検定の問題化
1982年(昭和57)
 アジアからの教科書批判
 鈴木退陣と中曽根内閣
 反核平和運動の高まり
 1983年(昭和58)
 「戦後政治の総決算」
 田中元首相の実刑判決
 ロッキード判決選挙
1984年(昭和59)
ひとさしゆびの自由
臨時教育審議会とブレーン政治
新人類の誕生?
1985年(昭和60)
戦後40年目の靖国神社公式参拝
新国家主義のつよまり
日航機墜落事故
男女雇用機会均等法
「国際化」と貿易摩擦のなかで
さくいん

語りつぐ戦後史(上)

『語りつぐ戦後史(上)』(鶴見俊輔〈対談・編集〉、講談社、19750815)

内容<作業中

7 久野収 戦後史への序曲
27 宮城音弥
43 家永三郎
63 南博士
81 丸山真男
111 磯野誠一
131 中村元
151 梅棹忠夫
169 大熊信行
191 渡辺彗
209 北山茂夫
231 望月衛
251 都留重人
271 林屋辰三郎
289 大久保忠利
307 大江精三
321 井上清
339 葦津珍彦
353 乾孝
367 清水幾太郎
389 奈良本辰也
415 遠山啓
429 羽仁五郎 8月15日に君は何をしていたか

シンポジウム 現代日本の思想 戦争と日本人

『シンポジウム 現代日本の思想 戦争と日本人』(三省堂、19671220)

内容<作業中>

戦争体験とはなにか
1 体験論
 経験と体験
体験の私性
戦争体験の継承
 マルキシズムにおける体験の問題
2 私たちの戦争体験
 橋川文三 戦時下の疎外感
 作田啓一 軍隊恐怖と国家の落丁
 上山春平 戦争と戦争体験―共同体と死
 多田道太郎 もろい存在感覚―ああいえばこういう主義
 日高六郎 疑問を抱きつつ―肥えたご主義
 鶴見俊輔 戦争体験がものを見る眼に
 山田宗睦 あまりにも理念的―死との予定調和
 安田武 耐えがたい屈辱の時代
庶民・知識人と戦争
1 報告
橋川文三 庶民の戦争体験について
 作田啓一 庶民の戦争体験について―『めもらぴりあ』を中心に
 安田武 知識人の戦争体験について―学徒兵を中心に
2 討論
支配層と戦争
1 報告
鶴見俊輔 支配層の戦争体験について―小泉信三を中心に
 追放免除申請調書
支配者意識の創出
信三の戦争観
思想のタガとしての明治国家
新渡戸稲造と小泉信三
2 討論
 家系と生い立ち
完璧な虚偽意識
皇太子の改造
体制の論理
戦後の家族と国家
戦争責任と支配体系の変革
参考文献
あとがき

平和をめざした科学者たち 原子力への道-科学者の研究と生き方 科学物語

『平和をめざした科学者たち 原子力への道-科学者の研究と生き方 科学物語』(伊藤博著、平和文化、19860707)

内容

原子の起源 11
思索の原子=デモクリトスの原子論12/原子論への批判14/四元素説15/科学的原子=ドルトンの原子論17
1 第1章 キュリー夫妻-原子力への道を開拓 21
エックス線の発見23/放射性元素ラジウムの発見26/ラジウム塩の単離28/原子から発せられる不思議なエネルギー30/放射線治療車30/キュリー療法の開発32/ラジウムが犯罪者の手にわたったなら33/科学の公開を主張34/放射線に触まれつつ35
2 アーネスト・ラザフォード--原子科学の父 37
アルファ線・ベータ線・ガンマ線38/原子の放射性崩壊40/半減期41/原子核の発見42/人工原子核反応=新錬金術44/原子は壊れ、別の原子に変換する46/亡命科学者の救済に奔走47/ナチスの台頭47/ユダヤ人科学者の追放48/ハーバーの毒ガス研究をきらう49/ラザフォードの科学的予言50
3 アルバート・アインシュタイン-公式E=mc2を導き出す 53
特殊相対性理論の二つの根本原理55/時間の遅れ、長さの短縮57/E=mc2のはじめての求め方59/一グラムの質量が消滅すると61/アメリカ大統領への手紙63/第二次世界大戦勃起65/追害をうけ続けたアインシュタイン66/一貫した平和主義者67/ラッセル・アインシュタイン宣言69
4 ニールス・ボーア-原子構造を解明 69
電子の発見73/トムソンの原子模型と長岡の原子模型75/長岡模型に凱歌があがる76/ボーアの原子模型77/原子番号の発見78/原子の電子配置79/危機一発の脱出80/原爆製造計画への参加81/“原子力”知識の公開を主張83
5 ヴェルナー・ハイゼンベルグ-原子核構造を解明 85
陽子と原子核87/陽子・電子仮説88/中性子の発見89/陽子・中性子説91/同位体91/ナチスの原爆製造計画93/ナチスドイツにとどまったハイゼンベルグ95/妥協の人生96/ゲッチンゲン宣言97
6 湯川秀樹-核力の謎を解く 101
万有引力と電磁気力102/核力=自然界に働く第三の力105/電磁気力を媒介する粒子=光子106/核力を媒介する粒子=中間子106/病身をおして核廃絶を訴える108/平和活動家=湯川秀樹109/核抑止政策の危険-科学者京都会議の声明110/理想を高くかかげて112
7 レオ・シラードとオットー・ハーン-原子核分裂の発見 115
中性子による原子核反応117/超ウラン原子を求めて-ウラン核分裂発見への出発点となった研究119/超ウラン原子でなくランタンがあった-ウラン核分裂の発見のきっかけ120/ランタンばかりでなくバリウムもあった-ウラン核分裂の実質的な発見120/バリウムとクリプトンが生ずるはずだ-ウラン核分裂の正しい解釈121/中性子も放出される-連鎖反応の可能性を示した研究123/世界が災厄に向かっている124/アインシュタインを動かす125/原子爆弾の標的がナチスから日本へ125/原爆を日本に投下させるな126/マイナウ宣言127
8 エンリコ・フェルミ-「原子力の父」 131
遅い中性子の発見132/核分裂する原子=ウラン235 135/フェルミの原子炉135/自発核分裂137/原子炉の役割=プルトニウムの生産137/アメリカへの脱出139/イタリアのファシズム139/イタリアのユダヤ人迫害140/フェルミの二つの「誤り」141/マンハッタン計画142/フェルミの立場143
9 ロバート・オッペンハイマー-「原子爆弾の父」 145
プルトニウム239の生産147/ウラン235の生産-気体拡散法148/臨界量150/砲撃法と爆縮法151/追放されたオッペンハイマー153/平和主義者オッペンハイマー154/悪魔が宿ったオッペンハイマー155/熱線・爆風・放射線-原爆の被害156/平和主義者にもどったオッペンハイマー158
10 エドワード・テラー-「水f爆弾の父」 161
太陽の核融合163/水素爆弾に利用された核融合164/核融合のエネルギー165/水素爆弾のしくみ166/中性子爆弾167/テラー対ポーリング168/水爆実験による死の灰169/「きれいな水爆」はありえない170/「核の冬」を否定171/科学者仲間から排斥されたテラー173
11 ジュリオ=キュリー夫妻-科学と平和のために 175
人工放射能の発見177/人工放射性原子の用途=トレーサー178/ジョリオ=キュリー夫妻の原子力研究180/ナチスに占領されたパリを解放181/フランスの抵抗運動182/第二次大戦の兵器と被害183/科学の再建のために184/原子力委員長から解任184/婦人の権利の拡大のために-イレーヌの活動186/ストックホルムアピール186/科学と平和に生きぬくキュリー家187
おわりに 189

戦後・日本文壇史

『戦後・日本文壇史』(巖谷大四、朝日新聞社、19640210)

内容

華やかな文学の復興
「火の会」と「夜の会」
「カストリ横丁」夜話
三人の作家の死
昭和文壇の裏面の女
戦後の奇人・原民樹
永井荷風と正宗白鳥
話題を賑わした作家たち
第29回国際ペン大会
石原慎太郎と深沢七郎
「日本の暗雲」と文壇
「ガン恐怖時代」と文壇
あとがき
略年表

破滅の決定 世界を変えた“マンハッタン”計画

『破滅の決定 世界を変えた“マンハッタン”計画』(マイケル・アムライン著、野間寛二郎訳、三一新書<三一書房>、19620420)

内容

1 「いそいで、ひとめにつかぬよう」 9
「ハリー、大統領が死にました」/君たち、ぼくのために祈ってくれ!/あたらしい世紀の開幕
2 「月と星と ぜんぶの惑星が」 15
戦争はアメリカ人の世界への眼を開いた/原子のカーテンは厚く、とざされていた/『無の生産』とトルーマン委員会/ロス・アラモスが生んだ『あたらしい生命』/大統領第一日はバーンズとの会見からはじまった/<補助大統領>ジェイムズ・バーンズ/バーンズ国務長官の誕生/国連憲章は原子力時代以前の産物
3 “manhattan” 35
力の限界以上のものをよんだ/史上空前の《いそがしい大統領》/スチムソンと“manhattan”/原子力世界の『悪夢』的性格/人間は原子エネルギーを管理できるか/スチムソンを議長とする秘密委員会の成立
4 「ただ一機」 49
<ギミック>をまつ飛行士たち/五〇九航空部隊の秘密任務/孤島のなかの孤島の基地
5 「ただ一個の爆弾」 55
砂漠のはての<Y地点>/Y地点の物理学者たち/<ギロチン>で<竜のしっぽをねじる>
6 「臨時」-だが「歴史の長い眼」 61
臨時委員会の最大の問題/テニアン島の五〇九部隊/日本をおそった《人工台風》/あれくるった人工の火の嵐/どたん場の抵抗と勝利へのみおとし/<たたかう意志>のかたまりへの恐怖/使用決定の歴史的意味/爆弾の効果はどれぐらいか/爆弾の秘密はまもられるか/最初の原爆で人を殺すべきか/使用についての科学者の判断
7 「老鷲」 81
組織に忠実な男/1911年の世界
8 「爆弾の下側」 87
二つの脅威を育てた男/<治金研究所>の科学者たち/ひとりのヨーロッパ人/科学者の協同の中心/米ソの競争を予測したフランク報告/国際協定と廃棄についてのみとおし/原爆の無警告投下について/直接的ナ使用イガイニナイ/スチムソンの判断
9 「ジュリアスからきた」103
ローゼンバークとフックス/ゴールドとフックス/「ジュリアスからきた」/秘密はソ連の手にわたった/この章についての訳者註
10 イギリス人とソ連人 111
「少数の者による生活様式の決定」/<秘密>をめぐるイギリスとアメリカ/“知る必要という原則”/爆弾は使用するためにつくる/秘密ではなかった原子計画/この世の地獄、大統領の激務
11 「日本への侵入計画」 121
統合参謀本部会議と文官指導の会議/なされなかった日本への警告/軍と政治の指揮系統/スチムソンの日本観/拒絶すれば破壊、降伏すれば希望/長い時間に準備されたひとつの<橋>
12  最後の数分 133
ジラードの嘆願書/秘密のなかにきえた科学者の意見/原爆使用についての科学者の投票/鋼鉄の塔は秘密の儀式をまつ
13 テニアン-「光輝ある奴らは準備する」 143
バラード《だれもしらない》
14 「終着駅」ターミナル-三大首脳アインシュタインの世界に入る 149
アインシュタインの世界のさいしょの政治家/戦後世界の最大の焦点/世界の悲劇の目撃者/ポツダムの空気はよどんだ/雨と電光の<その前夜>/「赤ん坊は満足に 生まれた」!/はるかにめんどうな問題/わたしはその武器をこのまない/管理制度についてのスチムソンの見解/原爆による天皇の説得/目的のための絶対的道具/世界の死をすくうちいさな悪
15  下稽古と役者たち 167
<カボチャ>をつかチた下稽古/ポツダムの晩餐会/コンプトンの決断/投下命令はポツダム宣言のまえにだされた/重要さを理解しなかったスターリン/千両役者?スターリン/ポツダム宣言は<威力>をもちえたか?
16 「することはもはやない」 189
<地獄の機械>ははこばれた/チャーチル、総選挙でやぶれる/<のろまな竜>のものがたり/ついに命令はくだされた
17 「おお、神よ!」 191
広島、小倉、長崎/八月六日午前九時一五分!
18 「荒廃の雨」 197
真珠湾から広島へ/平和と挑戦の交錯-日本の混迷/アメリカの降伏勧告/<無条件降伏>のためのふたつのシンボル/だれも<機械>をとめなかった/<たえがたきをたえ…>/ことはおわった!/未来はここからはじまる
19 19 良心と疑問 215
決定は単独でなされたか/決定者は制約されていたか/日本降伏と原爆のかんけい/フランク報告を読んだのはだれか/スターリンはどこまでしっていたか/冷戦への洞察はあったか/決定的重要性のなかった原爆スパイ/現代の最大の悲劇的疑問!/戦争終結と原爆のかんけい/永遠と未来への決定?

 

憲法を生かすもの

『憲法を生かすもの』(憲法問題研究会編、岩波新書、19610320)

内容

はじめに 憲法問題研究会―その目的と仕事 大内兵衛
国民の憲法意識
占領初期における憲法意識 佐藤功
日本人の憲法意識 中野好夫
戦争と平和
戦争か平和 南原功
内村鑑三の非戦論 矢内原忠雄
自衛権の陥穽
象徴と身分
天皇制について 谷川徹三
「うまれ」による差別
議会政治の危機
強行採決の問題点 鵜飼信成
首相の座 辻清明
経済と社会
家族制度と憲法改正論 我妻栄
団結権保障とILO条約 野村平爾
貿易自由化と日本経済 有沢広巳
結び 現代における態度決定 丸山真男