資料:平和行進
| 資料名 | 年月日 | 備考 |
| 『広島・アウシュビッツ-平和行進青年の記録』(加藤祐三、梶村慎吾著、弘文堂刊) | 19650815 | |
| 『ザ・歩く』(原水爆禁止愛知県協議会) | 198610 | |
| 『こうしてすすめよう国民平和大行進』 | 198905 | |
| 『平和行進』(菊池定則) | 19911024 | |
| 『こんにちは平和行進です!!』 | 199204 | |
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資料:平和行進
| 資料名 | 年月日 | 備考 |
| 『広島・アウシュビッツ-平和行進青年の記録』(加藤祐三、梶村慎吾著、弘文堂刊) | 19650815 | |
| 『ザ・歩く』(原水爆禁止愛知県協議会) | 198610 | |
| 『こうしてすすめよう国民平和大行進』 | 198905 | |
| 『平和行進』(菊池定則) | 19911024 | |
| 『こんにちは平和行進です!!』 | 199204 | |
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平和行進(1958~63年)
日本原水協は,1958年6月16日に開催した「核武装と核実験停止を要求する請願大会」において,第4回世界大会にむけて6月20日から広島-東京をむすぶ1,000キロ平和行進を行うことを決定した。同年4月,アメリカのペンシルベニア州など5州の都市や村からニューヨークの国連本部まで百数十キロ,5日間の平和行進が行われ,また,イギリスでもロンドンからオルダマストンの原子兵器研究所まで80キロ,4れて,世界中に大きな反響を呼んでいた(「朝日新聞」1958年6月22日)。日本原水協の決定は,こうした欧米に生まれた原水爆禁止行動の形態を日本に取り入れようとしたものであった。
平和行進は,6月20日午前10時,森滝広島原水協理事長の出発宣言,渡辺広島市長の激励の言葉を受愛けて平和公園内の原爆慰霊碑前を出発した。この行進の県内での状況は,次のようであった。
広島市(6月20日)
150名が行進に参加,スーダン代表ママドウ氏,森滝広島原水協理事長もこの行進に参加,呉市へ向かった。
呉市(6月21日)
市長夫人以下10数名が吉浦まで出迎え,21日は約100名が市中行進を行った。市では宣伝カーを出し,市内に宣伝,市長を始め多数が歓迎に協力した。一行は,安浦町,竹原を通過し,23日三原市に到着した。
三原市(6月24日)
三原では労組中心に約300名が行進し,市長も歓迎に出向いた。
尾道市(6月25日)
尾道では,300名が出迎え共に行進に参加した。地区労・婦人団体・遺族会・被害者団体が積極的に協力した。市では助役以下が出迎え,夜は一行を囲んで懇談会を開いた。尾道-福山間は降雨にも不拘,20名が行進に参加した。
(日本原水協「第27回常任理事会議事及決定」)
こうして始まった日本の平和行進は,その後欧米とは比較にならないほどの規模と動員力を持つものに成長した。次表は,1963年までの平和行進の概要をまとめたものであるが,最大の盛り上がりを示した1961年の規模は,延べ距離数2万km,参加人員2億5千万人,歓迎集会への参加著者2万人であった。
表1 平和行進の概要
| 年 | 回大会 | 距離(延べkm) | 参加人員(万人) | コース |
| 1956月20日)⇒東京(8月12日) | 20日)⇒東京(8月12日) | |||
| 1959 | 5 | 6383 | 1032 | 東京(6.1),新潟(6.10),沖縄(6.16) |
| 1960 | 6 | 10000 | 2200 | 与論島平和島(4.12),北海道沖縄(6.4),北海道稚内(6.14),青森(6.14), |
| (6.4),北海道稚内(6.14),青森(6.14), | ||||
| 1962 | 8 | 高松(5.1),沖縄(6.22),北海道稚内(7.10) | ||
| 1963 | 9 | 24000 | 1200 |
出典:『原水爆禁止世界大会宣言・決議集 第1回~第20回』
表1 平和行進歓迎集会の概要
| 開催年月日 | 概要 |
| 1959.8.4 | 原水爆禁止・核武装阻止・6,000キロ国民平和大行進,国際平和巡礼歓迎集会。於広島平和公園。20,000人参加。 |
| 1960.8.5 | 国民平和大行進歓迎集会。於東京日比谷野外音楽堂。15,000人参加。 |
| 1961.8.12 | 平和行進歓迎中央集会。於東京江東区猿江公園。21,000人参加。 |
| 1962.8.4 | 核戦争阻止・原水爆禁止国民平和大行進歓迎集会。於東京台東区隅田公園野球場。15,000人参加。 |
| 1962.8.4 | 原水爆禁止・被爆者救援国民平和大行進歓迎集会。於広島平和公園。10,000人参加。 |
出典:各大会『議事録』
平和行進は,このような動員力において世界大会の大衆的基盤を確保するとともに,その他多くの成果を生んだ。たとえば1961年の平和行進の成果は,次のように総括されている。
一、行進は,原水爆禁止運動の当面の基本的スローガンを普及し,国民的な大結集をうち出し,第七回大会の成功を用意した。
二、行進は,地方・地域の平和のたたかいを,国民運動に発展させる上で,重要な役割を果した。
三、行進は,原水禁運動に対するひぼう,中傷,最近とくに著しくなった原水協の分裂策動を封じ込め,運動と組織の統一のために貢献した。
四、行進は,全国に網の目のような支線をくみ,今までの「空白」地帯に大きな足跡を残し,運動の拡大のために重要な教訓をもたらした。
五、行進は,原水爆禁止運動・平和運動の未来を担う,若い世代を大きなよりどころとし,同時にその世代に深い影響力をおよぽした。
六、行進は,地域に原水協運動・平和運動の新しい組織を生み出し,運動のマンネリズムを克服する,いきいきとした問題意識を提示した。
(『原水爆禁止・国民平和大行進報告』)
『凍りついた夏の記憶 ヒロシマ・50年目の証言』(竹内良男編、竹内良男編、雲母書房刊、19950806)
内容
| 50年目の証言が問いかけるもの | |||
| Ⅰ | [証言]黒い雨のあとの虹-幼な子を抱えた逃避行( 真実井房子) 13 | ||
| 真実井房子さんのこと(竹内良男) 14 | |||
| 神風を信じていたころ 17 一人ひとりちがう被爆体験 19 強烈な光の残像 21 救出してくれた隣家の夫婦 24 黒い冬服を着せられて 28 ぼろ人間たちの行列 31 一つ目小僧の足の感触 34 雨が洗い流したガラスの破片 36 川原に横たわる死者の群れ 40 「ののさん」に化身した姉 42 顔のない女教師と生徒たち 46 入市被爆したお年寄りたち 50 「広島の火」に浮かんで見えるもの 52 懺悔と供養の50年 55 |
|||
| [追補]孫の誕生を契機として 58 | |||
| まとめに代えて(竹内良男)66 | |||
| Ⅱ | [手記]小さな島の大きな悲劇 -一衛生兵が見た似島検疫所附属病院 (小原 好隆) 69 |
||
| 小原 好隆さんのこと(竹内良男)70 | |||
| プロローグ 病院船第五三班西村部隊 74 | |||
| 1 | 八月六日、その日 78 | ||
| 午前八時一五分、原子爆弾投下 78 その時私は 80 |
|||
| 2 | 似島での治療と看護 87 | ||
| 麻酔なしで少女の腕を切断 87 重傷者には水を与えるな 92 「図」似島検疫所の見取り図(楠)96 |
|||
| 3 | 終戦から病院閉鎖へ 98 | ||
| 敗戦を知らされて 98 野戦病院閉鎖と復員 101 |
|||
| 4 | 慰霊碑建立へ 104 | ||
| 再び、似島へ渡る 104 無縁佛の碑から慰霊碑の建立へ 107 「似島少年少女の集い」との出会い 110 馬匹検疫所焼却炉の発掘をめぐって 114 |
|||
| エピローグ 今日の似島 120 | |||
| [追記] (1994年11月)122 | |||
| あとがき(竹内良男) 124 | |||
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『「あの日」ピカドンが 見習い看護師、広島での被爆体験を語る』(服部道子著、文芸社、20150805)
内容
| 章 | |||
| はじめに7 | |||
| 1 | 戦時下の青春 | ||
| 生い立ち 14
父の任地・広島へ 16 |
|||
| 2 | 広島に原子爆弾投下 | ||
| 初めて見た飛行機雲 32 バケツを持ったまま意識を失う 33 防空壕に避難 35 「軍医部の各隊員は治療に専念しろ!」 37 「死ぬときはきれいに死ね」 39 見習い看護師、不眠不休で大奮闘 42 「アッ、赤ちゃんの首がない1」 44 こんな悲惨な死に方はしたくない 46 家族そろって”最後の晩餐” 47 驚くべきモルヒネの力 51 ヤケド患者にはバターを塗って治療 51 ウジにくわれるまま、なすすべもなく…53 そして終戦。日本は敗けた! 56 敵兵に八つ裂きにされるかもしれない 57 |
|||
| 3 | 広島を離れて青森へ | ||
| 屋根のない貨物列車に揺られて 62 道連れは6頭の馬と2人の兵隊さん 64 青森も見渡すかぎりの焼け野原 66 歓迎されなかった家族 67 読み間違えられた電報 69 宮城の山村での生活がはじまる 71 ふんどし5枚と交換した茶碗一杯の米 73 重い遺言を残して父逝く 76 代用教員として福島県の小学校に赴任 78 全身の倦怠感に悩まされる日々 81 松川事件に遭遇 82 再び東京へ。2日だけの花売り娘 83 3人の子どもを授かる 85 知られざるABCC(原爆傷害調査委員会)の実態 88 |
|||
| 4 | 被爆体験を語り継ぐ | ||
| 平和祈念式典に出席 92 「もう原爆の話はしないでちょうだい」 93 「しらさぎ会」(埼玉県原爆被害者協議会)の活動に参加 96 外務省の特使として「地球一周の船旅」のクルーズに参加 97 生きていることはすばらしい 103 |
|||
| あとがき 106 | |||
| 巻末資料 109 | |||
| 【資料1】原爆投下までの経緯 109 【資料2】加害者による被害者の調査 115 【資料3】「しらさぎ会」の歴史・いきさつ・足あと 115 【資料4】第五福竜丸事件 118 |
|||
| 広島・長崎の眠る少年少女の声 服部道子(1970年作詞)120 | |||
止
春の七草
芹(せり) なづな 御行(おぎよう) はくべら 仏座(ほとけのざ)
すずな すずしろ これぞ七種(ななくさ)
『河海抄(かかいしよう)』(鎌倉時代)
| 芹(せり科) | |
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|
| 焼山2002.1.13 | |
| なづな(あぶらな科) | |
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|
| 比治山1999.3.10 | |
| 御行(おぎよう)=ははこぐさ(きく科) | |
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|
![]() |
|
| 比治山1999.4.21 | |
| はくべら=はこべ(なでしこ科) | |
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|
| 比治山1999.1.21 | |
| 仏座(ほとけのざ)=こおにたびこら(きく科) | |
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|
| 比治山1999.3.10 | |
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|
| 焼山20211210 | |
| すずな=かぶ(あぶらな科) | |
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|
| 焼山2002.1.13 | |
| すずしろ=だいこん(あぶらな科) | |
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|
| 焼山2002.1.13 | |
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『被爆した南方特別留学生への名誉博士号授与の記録』(広島大学編・刊、20150301)
内容
| 章節 | ||||
| 写真 | ||||
| ①アブドゥル・ラザク氏への授与式 ②ハッサン・ラハヤ氏への授与式 ③ペンギラン・ユソフ氏への授与式 ④興南寮跡碑の写真 ⑤留学当時の写真 |
||||
| 「被爆した南方特別留学生への名誉博士号授与の記録」の発刊に寄せて(広島大学理事・副学長 岡本哲治) | ||||
| Ⅰ | 広島大学名誉博士号授与の記録…3 | |||
| 一 | 授与に至る経緯と教育研究評議会で決定…7 | |||
| 二 | アブドゥル・ラザク氏への授与式…13 | |||
| 1 アブドゥル・ラザク氏への広島大学名誉博士号授与式 名誉博士候補者調書 業績 授与式プログラム 2 岡本哲治 広島大学理事・副学長からの挨拶 3 アブドゥル・ラザク氏からの挨拶 4 松浦博司 在マレーシア日本国大使館公使からの挨拶 5 ズルキフリ・アブドゥル・ラザク氏からの挨拶 |
||||
| 三 | ハッサン・ラハヤ氏への授与式…29 | |||
| 1 ハッサン・ラハヤ氏への広島大学名誉博士号授与式 名誉博士候補者調書 業績 授与式プログラム 2 上真一 広島大学理事・副学長からの挨拶 3 ハッサン・ラハヤ氏からの挨拶 4 オロアン・シアハアン ダルマプルサダ大学長からの挨拶 5 鹿取克章 駐インドネンシア日本国大使からの挨拶 |
||||
| 四 | ペンギラン・ユソフ氏への授与式…47 | |||
| 1 ペンギラン・ユソフ氏への広島大学名誉博士号授与式 名誉博士候補者調書 業績 授与式プログラム 2 岡本哲治 広島大学理事・副学長からの挨拶 3 ペンギラン・ユソフ氏からの挨拶(抜粋) 4 清水生介 駐ブルネイ日本国臨時代理大使からの挨拶 |
||||
| Ⅱ | 関係者からの寄稿…59 | |||
| 1 留学生と野宿の一週間 栗原明子…61 2 アブドゥル・ラザク先生 「言葉」でマレーシアと日本をつなぐこと 兵庫県立大学教授 宇高雄志…72 3 興南寮跡碑の思い出 花岡正雄…79 4 南方特別留学生と国際学友会 前財団法人国際学友会 理事長 佐藤次郎…83 |
||||
| Ⅲ | 南方特別留学生の広島での被爆…93 | |||
| Ⅳ | 広島の南方特別留学生…117 | |||
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『ヒロシマはどのように描かれ、どのように語られたか―GHQ/SCAP占領下の原爆表現』(岩崎文人翻刻、岩崎文人刊、2007/08/01)
内容
| 頁 | ||
| 01 | 凡例 | |
| 01 | 01「『暁笛』の創刊に寄せて」磯崎勉(「暁笛」創刊号、昭和21.4 | |
| <未入力> | ||
| 76 | 313「広島」高野浩次郎(「くりすたる」創刊号、昭和□・□) | |
| 77 | 解説・解題 | |
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『GHQ/CCD(民間検閲支隊)による検閲の実態―プランゲ文庫広島県雑誌226誌の場合』(岩崎文人・植木研介・宇吹暁・槇林滉二、2004/03/10)
内容
| No. | |||
| 1.GHQ/CCD(民間検閲支による検閲の実際 | |||
| プレスコードと原爆文学(岩崎文人) | |||
| 001 | 「あけぼの」2号(広島県立第一高等学校、1948.11) | ||
| <未入力> | |||
| 319 | 「ユーカリ」1948.3 | ||
| 2.検閲により指摘を受けた雑誌一覧 | |||
| 01 | 「あけぼの」(広警察署、1946.6~1949.9) | ||
| <未入力> | |||
| 60 | 「ユーカリ」広島県立広島第一中学校交友会、1947.1~1948.3) | ||
| 3.CCD検閲英文注記一覧 | |||
| 4.調査対象雑誌一覧 | |||
| 001 | 「愛郷」(佐伯郡河内村青年団文化部、1948.11~1949.9) | ||
| 226 | 「輸送文化」(広島県貨物自動車交通労働組合廿日市支部、1946.9~1947.8) | ||
| <未入力> |
止
核軍縮を求める 22人委員会 設立:1984年
資料
| 年月日 | 資料名 | 著者・発行者 | ||
| 1986.1 | 「1%問題」と軍縮を考える : 緊急シンポジウム | 核軍縮を求める二十二人委員会, 平和構想懇談会 著 岩波書店 | ||
| 1987.3 | 「1%枠撤廃」をどう考えるか : 緊急シンポジウム 核軍縮を求める二十二人委員会, 平和構想懇談会 編 岩波書店 | 核軍縮を求める二十二人委員会, 平和構想懇談会 著 岩波書店 | ||
| 1988.8 | 核廃絶と世論の力 : 長崎平和シンポジウム | 崎市, 核軍縮を求める二十二人委員会 編 岩波書店 | ||
| 1989.9 | 『非核三原則の立法化を』 | 核軍縮を求める二十二人委員会・岩波書店 | ||
止
宇都宮軍縮研究室
機関誌『軍縮問題資料』一覧
| No. | 発行年月日 | 論文(著者など) |
| 001 | 19801.01 | 私の軍備縮小論(宇都宮徳馬) |
| 153 | 19930815 | 特集 核時代に生きる 一党支配を終わらせる選挙 宇都宮徳馬 2 軍備撤廃までの軍縮を―「核軍縮を求める二十二人委員会」定例会にて―…宇都宮徳馬 4 五十年前の戦争といま 前田哲男 6 核の現状とその諸問題―被爆四十八年目に想う― 豊田利幸 10 太平洋での核実験とその被害 荒川俊児 22 非核ニュ-ジ-ランド健在 西田 勝 28 冷戦の時代を振り返る―バルト三国の旅から― 山下史 30 二十六人の原爆被害者たち―放射線に傷つけられた人生―大牟田稔 36 原爆体験手記の系譜 宇吹暁 42 「つるにのって」が出来るまで ミホ・シボ 48 中国人強制連行”資料”の発見 田中宏 50 これからはホンネが問われる時代―メディアの底流5―北原朔 54 護憲・創造的立法のすすめ―’45年8月15日から’97年5月3日へ―深瀬忠一 62 ボルネオの自然破壊の実態 坂元良吾 70 連載 日米グロ-バル安保のゆくえ 藤島宇内 74 海外主要紙「軍縮」社説を読む 米谷健一郎 80 山岡清二の「軍縮英語教室」 山岡清二 93 ●〔国連〕PKO法成立の背景 河辺一郎…60 ●読者の声…94 ●平和を愛する〈アレン〉…表紙裏 |
| 360 | 20101215 | 集会報告 「戦後補償・立法を考える公開フォーラム」 2010年・戦後補償問題の政治解決の可能性を考える(第2回) 「朝鮮人強制労働被害者補償法」 矢野秀喜 2 「韓国人旧日本軍軍属動員被害者補償法」 御園生光治 8 「外国人戦後補償法(試案)」について 今村嗣夫 15 コメント 荒井信一 22 コメント 藍谷邦雄 25 コメント 王選 28 コメント 城森満 31 質疑応答 有光健 33 まとめ 高木喜孝 37 私の軍備縮小論 宇都宮徳馬 42 『軍縮資料問題』30年の歩み 53 編集後記 67 ご挨拶 瑞慶山茂 70 今月の表紙・お知らせ 72 |
止
『GHQ/CCD(民間検閲支隊)による検閲の実態―プランゲ文庫広島県雑誌226誌の場合』(岩崎文人・植木研介・宇吹暁・槇林滉二、2004/03/10)
内容
| No. | |||
| 1.GHQ/CCD(民間検閲支による検閲の実際 | |||
| プレスコードと原爆文学(岩崎文人) | |||
| 001 | 「あけぼの」2号(広島県立第一高等学校、1948.11) | ||
| <未入力> | |||
| 319 | 「ユーカリ」1948.3 | ||
| 2.検閲により指摘を受けた雑誌一覧 | |||
| 01 | 「あけぼの」(広警察署、1946.6~1949.9) | ||
| <未入力> | |||
| 60 | 「ユーカリ」広島県立広島第一中学校交友会、1947.1~1948.3) | ||
| 3.CCD検閲英文注記一覧 | |||
| 4.調査対象雑誌一覧 | |||
| 001 | 「愛郷」(佐伯郡河内村青年団文化部、1948.11~1949.9) | ||
| 226 | 「輸送文化」(広島県貨物自動車交通労働組合廿日市支部、1946.9~1947.8) | ||
| <未入力> |
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『似の島陸軍検疫所-廣島・宇品名勝記念写真帖(復刻)』( あき書房、 1997/10/01)
内容
![]() |
||
| 復刻によせて | ||
| 似島陸軍検疫所写真帳 | ||
| 1 御用船より似島検疫所に向ふ凱旋部隊 2 上陸桟橋 3 凱旋部隊の税関検査 4 蒸気消毒所 5 衣類消毒機 6 入浴手拭分配所 6 入浴後の休憩 7 浴場 8 将校休憩所 9 銃の日光消毒 10 貴重品受渡所 11 附属病院 11 酒保 12 荷造りの實況 13 乗船前集合所 14 休憩中の光景 15 集合前の光景 16 集合命令 17 出発前の光景 18 乗船の實況 |
||
| 宇品及廣島名所 | ||
| 19 宇品港桟橋 20 宇品御幸橋 21 向宇品観音堂 21 向宇品観音堂全景 22 宇品御幸通一丁目 22 宇品新道路 23 宇品千田銅像 23 向宇品別世界 24 廣島日清戦没記念史蹟大本営跡 25 廣島城天守閣 26 廣島驛 27 仝市庁舎 27 仝浅野泉邸 28 仝招魂社 28 仝比治山舊御便殿 29 仝焼津神社 29 仝金座街皮屋町 30 広島県立商品陳列所 30 仝相生橋及丁字橋” |
||
| 備考 昭和14年4月25日に発行されたものの復刻版 | ||
止
『占領期の出版メディアと検閲(プレスコード) 戦後広島の文芸活動』(著者 広島市文化協会文芸部会編、勉誠出版、2013/10/27)
内容
| 頁 | ||
| 005 | 総論(岩崎文人) | |
| GHQ / SCAP占領下の文学-表現への欲望とその抑圧 | ||
| 戦前の言論統制…5 未曾有の出版状況…9 地方文壇を牽引した文学者 / 同伴者…11 占領下の文学者…13 CCD(民間検閲支隊)による検閲…16 検閲と原爆表現…24 |
||
| 039 | 散文 | |
| 高揚への軌跡(岩崎清一郎) | ||
| 焼け果てて樹々のみ黒き…39 原爆は敬遠・回避-反「中国文化」…46 「反戦」と「希望」-A・マルローに倣って…49 自己表現に魅せられた高校生たち…50 中央へのレジスタンス-「世代」の気負い…53 山っ気のめざすところ-「天邪鬼」…54 「原爆」への関与、占領期からの脱皮…55 ゆかりある作家の列伝(抄)…57 |
||
| 071 | 児童文学 | |
| 「ぎんのすず」(広島図書)を中心に(三浦精子) | ||
| はじめに…71 子どもの本の発行…76 おわりに…102 |
||
| 107 | 総合雑誌・サークル誌・大学高校文芸誌 | |
| 若い才能の開花と挫折(長津功三良) | ||
| はじめに…107 廃墟の中からの新しい出発「総合雑誌的なもの」…108 活発な職場活動の台頭・総合雑誌的な「サークル誌」…123 青年達の華麗な開花「高校・大学の文芸誌」…125 |
||
| 131 | 詩 | |
| 詩誌の活動を中心として(福谷昭二) | ||
| はじめに…131 戦後初期の広島県内の詩誌・詩集…132 広島市における現代詩の復活…135 広島市の総合詩誌「地核」の活動…140 詩誌「われらの詩」とヒロシマの詩…146 現代詩の追究-詩誌「ABSURDE」…153 戦後現代詩への道程-「ABSURDE」101号から「知覚」へ…157 おわりに…163 |
||
| 167 | 俳句 | |
| 戦後広島の俳句の復興者たち(飯野幸雄) | ||
| はじめに…167 占領期の広島俳句界の動向…169 プランゲ文庫と俳句…176 広島俳句前史…179 戦後の広島の俳句雑誌の創刊と創刊者たち…182 おわりに…210 |
||
| 211 | 短歌 | |
| 1945-1954(山本光珠) | ||
| はじめに…211 昭和二十年(一九四五)後半…212 昭和二十一年(一九四六)前半…223 昭和二十一年(一九四六)後半…240 昭和二十二年(一九四七)…249 昭和二十三年(一九四八)…254 昭和二十四-二十七年(一九四九-一九五二)…256 独立以後…263 |
||
| 266 | 年表 | |
| 274 | 刊行に至るまで(山田夏樹)…274 | |
| 276 | あとがき (山本光珠) | |
目次
止
いしゅたる社(堀場清子)
『いしゅたる』
| No. | 発行年月日 | 備考 | |
| 5 | 198407 | 特集 わたしたちは核に反対する | U |
| 6 | 198506 | U | |
| 8 | 198602 | U | |
| 11 | 19910204 | U | |
| 12 | 19910901 | 『青鞜』創刊八〇周年記念特集号 | |
| 13 | 19920101 | 特集 真珠湾半世紀を迎えて反戦を訴える | U |
| 14 | 19930410 | 特集 中国と結ぶ | |
| 15 | |||
| 16 | 19951201 | 特集 原爆50年 | |
| 詩 いま 生きている人たちに 平野町子 2 かつて存在した”地球”という星の寓話 堀場清子 12 エッセイ 大きな骨は先生ならむ… 光成ヤエ 4 被害者責任 加納実紀代 7 被爆者だった私 古浦千穂子 8 原爆の悲惨を友に伝える手紙 断簡 藤節子 14 今井病院日記 今井泰子 16 かの閃光に 山本節子 19 接点 24 |
|||
| 17 | 20020707 | 特集 わたしたちは戦争に加担しない | |
止
あき書房刊行物一覧(広島平和記念資料館蔵)
| 1980/08/20 | 呉鎮守府沿革誌 呉鎮守府副官部著編 | |
| 1981/05/01 | 呉海軍工廠造船部沿革誌 呉海軍工廠 | |
| 1982/09/20 | 廣島市地名索引 廣島灣要塞司令部編著 | |
| 1984/03/01 | 呉案内記 池田幸重著 | |
| 1984/08/01 | 懐しい瀬戸内と広島 アルバム八十八景(明治40年頃)・増訂改版広島みやげ(明治38年) 藤谷寅蔵編著 | |
| 1985/10/10 | 呉 明治の海軍と市民生活 呉公論社編 | |
| 1993/03/01 | 廣島海軍監督官受持區域工場名簿 廣島海軍監督官事務所編 | |
| 1993/11/10 | 奠都祭博覧会遊覧乃栞―附 教師の見学旅行日誌― 瀧山瑄著 | |
| 1997/10/01 | 似の島陸軍検疫所-廣島・宇品名勝記念写真帖(復刻) | |
| 2006/11/10 | 廣島市案内記 復刻 昭和四年当時の地図と営業別住所入明細図 | |
| 2008/01/25 | 復興前後の廣島案内図 | |
| 2008/11/25 | 大日本職業別住所入明細圖 地図で見る 造船の街 豊田郡木ノ江町・安芸の小京都 賀茂郡竹原町 大正15年発行の復刻 | |
| 2008/11/25 | 岩国 戦前の面影 昭和十七年四月発行 大日本職業別明細図 山口県岩国市復刻 | |
| 2009/06/1 | 廣島市綜合圖鑑[広島市綜合図鑑] | |
| 廣島商業地図 軍都と廣島 附厳島全図[広島商業地図]復刻 明治34年4月新版 | ||
| 広島市地図 復刻版 昭和33年広島市街地図 業種別早見表付 地図でみる広島あのころ今、甦る | ||
| 2010/08/15 | 昔ながらの情緒残る街、福山 昭和15年当時の福山市内地図(復刻) | |
| 戦時下の廣島 復刻 昭和十四年当時の地図と職業別明細図廣島市(番地入) | ||
| 呉 海軍の街 (明治・大正・昭和) 呉市街地図 (四枚) 復刻版 | ||
| 2012/05/10 | 呉鎮守府沿革誌 復刻新装版 呉鎮守府副官部著編 | |
| 2012/10/15 | 大日本職業別明細圖 佐伯郡・山形郡全図 : 昭和の想い出 昭和12年 | |
| 2013/03/27 | 明治・大正・昭和の移り変わり 廣島市街地図(五枚) | |
| 廣島の想い出 昭和十五年番地入大廣島市街地図 | ||
| 2015/07/01 | 大廣島市街地図 附厳島地図 都市計画線入・番地入 昭和八年三月 | |
| 2015/08/01 | 原爆被爆前後 広島市内電車運転の推移 長船友則著 | |
| 2017/10/16 | 番地入大廣島市街地圖 昭和9年7月 | |
| 2017/10/16 | 新廣島市地圖 廣島縣地圖並都市計畫 昭和22年6月 | |
| 以下 宇吹蔵 | ||
| 20150701 | 大呉市計画区域地図 市制施行30周年記念 大阪毎日新聞呉通信部同販売所発行 | |
| 20150801 | 呉海軍の街 | |
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| 20220520 | 大廣島市街地図 附厳島地図 都市計画線入・番地入 昭和14年7月 | |
| 20220520 | 最新廣島市街地図 昭和15年3月8日 陸軍運輸部検閲済 | |
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『広島発の平和学 戦争と平和を考える13講』(広島市立大学広島平和研究所編、法律文化社、20210806)
内容
| 部章 | ||
| 刊行にあたって 広島市立大学理事長・学長 若林真一 | ||
| はしがき | ||
| 序章 | 広島発の平和学を目指して…大芝亮 1 | |
| はじめに 1 一 平和とは何か 5 二 非暴力的方法による平和を求めて 10 三 被爆に関する研究を手がかりとして 13 四 地域から平和を考える 16 おわりに 19 |
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| Ⅰ部 | 広島とヒロシマを考える視座 | |
| 1 | 広島における平和と学び-被爆体験および平和教育を手がかりに…水本和実 25 | |
| はじめに 25 一 広島における「平和」と「被爆体験」 27 二 広島の平和教育 28 三 転換期を迎えた広島の平和教育 33 四 平和の学びの新たな模索-大学のキャンパス外で学ぶ平和 37 おわりに 39 |
||
| 2 | 広島への核攻撃と米国の政策、文化、生態系への影響…ロバート・ジェイコブズ 45 | |
| はじめに 45 一 政策 46 二 文化 49 三 生態系への影響 52 おわりに 57炅 |
||
| 3 | 韓国人が見たヒロシマ-まなざしの揺れと変奏…河炅珍 61 | |
| はじめに 61 一 研究者が見たヒロシマ 63 ニ メディアが映し出すヒロシマ 67 三 観光客たちのヒロシマ 72 おわりに 77 |
||
| 4 | 中国から見たヒロシマー戦後の対外政策の中で…徐顕芬 81 | |
| はじめに 81 一 外交的闘争を繰り広げる場 82 二 国際社会に平和的姿勢を表明する場 86 三 「過去の戦争」と「未来の方向」をつなぐ場 89 四 「広島」をめぐる随筆 93 おわりに 96 |
||
| 5 | 日本による東南アジア占領統治と第二次世界大戦後の発展に与えた影響…ナラヤナン・ガネサン 100 | |
| はじめに 100 一 欧州列強による植民地支配と第二次世界大戦時の日本の占領統治 100 二 反日感情と反植民地感情の発生 103 三 東南アジアの政治的独立と冷戦の影響 108 四 日本による東南アジア占領統治の歴史的遺産 112 おわりに 115 |
||
| 6 | ヒロシマとマニラ-第二次世界大戦における喪失体験と記憶…永井均 118 | |
| はじめに 118 一 大戦期の喪失体験 119 二 流入した情報の行方 124 三 「ヒロシマというとき」 127 おわりに 131 |
||
| 7 | ヒロシマの語られ方-ドイツの事例から…竹本真希子 137 | |
| はじめに 137 一 核兵器と原発 138 二 ドイツにおけるヒロシマ 141 おわりに 150 |
||
| Ⅱ部 | 平和な世界を創造する手立て | |
| 8 | 朝鮮半島の分断と北東アジア安全保障の行方…孫賢鎮 157 | |
| はじめに 157 一 朝鮮半島分断の歴史的背景 158 二 朝鮮戦争の背景と朝鮮半島の分断 162 三 朝鮮半島情勢の変化 165 四 北朝鮮の非核化への道 171 おわりに 174 |
||
| 9 | 欧州安全保障協力会議(CSCE)プロセスの再考-規範と制度の平和創造力…吉川元 177 | |
| はじめに 177 一 冷戦秩序変動の舞台 179 二 東欧革命とCSCE 183 三 CSCEの国際機構化 187 おわりに 191 |
||
| 10 | 気候危機を乗り越える国際制度-求められるグローバルな視点と協力…沖村理史 195 | |
| はじめに 195 一 気候危機 196 二 国際制度の形成と変遷 200 三 国際制度の実効性 204 おわりに 208 |
||
| 11 | 国際法秩序の変容と「武力行使禁止原則」の課題-戦争をなくすための根本原則の機能と限界…佐藤哲夫 212 | |
| はじめに 212 一 国際法秩序の分権性とその実効性 213 二 戦争の違法化と残された課題 217 三 武力行使禁止原則の位置と内容 220 四 武力行使禁止原則の例外とその主張 223 五 武力行使禁止原則による国際法秩序の変容 227 おわりに 229 |
||
| 12 | 憲法九条と核兵器-核兵器の保有・使用をめぐる政府解釈を中心に…河上暁弘 232 | |
| はじめに 232 一 日本国憲法九条の成立と「核時代」 233 二 政府解釈における核兵器の保有・使用の憲法適合性の判断基準 235 三 「新三要件」および「安保法制」下における憲法九条と核兵器 242 おわりに 249 |
||
| あとがき | ||
| 人名索引 事項索引 執筆者一覧 |
||
止
『「広島・長崎」生まれた時から被爆者 胎内被爆者の想い、次世代に託すもの』(原爆胎内被爆者全国連絡会、20201225)
内容
| 備考 | ||
| 体験記『生まれてきた時から被爆者』の刊行によせて | ||
| 木戸季市(日本被団協事務局長) | ||
| 〈原爆小頭症被爆者〉 | ||
| 1 原爆小頭症被爆者の生活課題とこれから…河宮百合恵…3 2 懸命に生きた観たち、そして生きゆく小頭症被爆者―川下兼子さん親子―…村上須賀子…8 3 私と娘の被爆体験記…戸田ユキエ…16 4 吉本トミエさん、清美さんとの交流…黒岩晴子…24 5 ”楽しかったことは何もなかった人生”Mさん…横山照子…30 |
||
| 〈広島被爆者(県外)の体験記〉 | ||
| 6 今この日本で、若者に考えてもらいたいこと…沖本八重美・矢ヶ崎克馬(沖縄)…37 7 スウェーデンとの間を往来しながらヒロシマを振り返る…涸澤潤(奈良)…42 8 祈り…北村優子(富山)…49 9 被爆者として「生かされた」75年…副島圀義(兵庫)…52 10 胎内で被爆するということ―「胎内被爆・40歳教師の遺言」から―…濱住治郎(東京)…57 11 原爆と原発は双子の兄弟 ともに廃絶を…松浦秀人(愛媛)…62 12 原爆で兄を亡くす…山岡直文(福井)…68 13 私の被爆証言…柚木聚(東京)…71 14 62年目の蝉…好井敏彦(香川)…75 |
||
| 〈広島被爆者(県内)の体験記〉 | ||
| 15 未熟児で生まれて…石井和子…79 16 直接被爆した私の母親…泉本聖二…83 17 生かされて74年…今田弘武…87 18 核も戦争もない平和な社会を…岡純児…92 19 生後間もない私が被爆者となった…川中宏子…97 20 今、私のいちばん知ってほしいこと―《大正屋呉服店》が復元されて―…小西ヒサ子…102 21 平和への願い…迫青樹…107 22 胎内被爆者の一人として…寺尾文尚…112 23 光を失った母、そして家族…寺田美津枝…115 24 退職後、平和大行進に毎年参加…中井正己…122 25 原爆は救護被爆者や子にも重篤な影響…中岡和範…124 26 言えなかったヒバクシャと…畑口實…128 27 今もって行方不明、父、長姉…二川一彦…133 28 14年間のガイドで得たもの…三登浩成…137 29 半被爆者、半原爆孤児であった…三村正弘…144 30 戦後75年に想う…宮木澄代…149 31 千年も続く体内に残った放射能のDNA…村上由聲…153 32 残りの人生を平和活動に…森川武則…156 33 平和公園でボランティア活動…山口誠治…160 34 矢賀小学校の二宮金次郎像…山田正一…164 35 その後の自分…渡邊静枝…169 |
||
| 〈長崎被爆者の体験記〉 | ||
| 36 原爆と戦争、そして被爆稲…宇田茂樹(岐阜)…175 37 胎内被爆者として生きて…江崎スミ子(福岡)…180 38 今から取り返し、残りを生きる…奥村邦彦(熊本)…184 39 ああ被爆…木村真知子(東京)…187 40 胎内被爆を知ってからの自力対応…坂本宣美(埼玉)…191 41 重い心に揺れる74年(長崎)…武村明子(東京)…199 42 被爆75年目に、わかったこと…土肥八重子(広島)…202 43 その時、私は母の胎内にいました…富永恵美子(長崎)…207 44 城山小原爆学級と私…中野陽子(福岡)…213 45 聞いてほしいことがあります…三山正弘(京都)…217 46 胎内被爆者の過去、現在、未来…陸門良輔(長崎)…223 47 被爆75年に思うこと…山本亮子(東京)…228 |
||
| 広島被爆地図と被爆状況…231 長崎被爆地図と被爆状況…232 |
||
| 胎内被爆者の会のあゆみ…233 胎内被爆者の会の会則…241 |
||
| あとがき…三村正弘…242 | ||
備考 表紙、標題紙の書名:「広島・長崎」生まれた時から被爆者 胎内被爆者の想い、次世代に託すもの
長崎原爆の戦後史をのこす会 2013年発足
サイト:
資料
| 資料名 | |||
| 原爆後の75年 長崎の記憶と記録をたどる | 長崎原爆の戦後史をのこす会編、書肆九十九合同会社刊、 | 20210831 | |
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『ナガサキを考える 被爆50周年原爆平和報道記録』(長崎新聞社、19960701)
内容
| 頁 | ||
| 発刊にあたって(長崎新聞社報道部) | ||
| 被爆50周年は「長崎を地球最後の被爆地に」と叫び続ける地元紙にとってその責任と使命を問われる重いテーマでした。原爆の生き証人である被爆者の平均年齢はすでに65歳。被爆百周年という次の節目を迎えられる被爆者はほとんどいない、という厳然たる事実があるからです。週1ページ企画の「ナガサキを考える」シリーズは、被爆地長崎が抱える原爆・平和問題を洗い出し、読者に提起すると同時に、記者自身が現場で問題点を今一度とらえ直そう、と始めました。若手記者が原爆取材に飛び込むきっかけになれば、との期待もありました。被爆遺構、援護法、平和教育、原爆語り部、戦争責 任などのテーマでほぼ毎週掲載、被爆51周年の現在も続け原爆、平和間題のページとして定着しました。このシリーズの中から数多くの連載が生まれました。被爆50周年の一年間に取り組んだ原爆平和関連の企画物は報道部だけでも20シリーズに上ります。 このたび、長崎新聞が被爆50周年に取り組んだ原爆平和企画を記録する冊子を発行する運びとなりました。「ナガサキを考える」を中心に社説、文化面企画などを加えた内容で、企画の背景を分かりやすくするため、一般記事の一部も入っています。スクラップ集となりましたが、行間に長崎新聞社の記者の平和への思いを込めています。学校で、地域で、原爆平和を考える資料に活用していただければ幸いです。 |
||
| 01 | 社説<1995年> | |
| 被爆50周年を迎えて 長崎はいま何をなすべきか(1月1日) 長崎から核廃絶の一歩を(6月11日) 遠く険しい核廃絶への道(6月17日) 核兵器廃絶に新たな運動を(8月9日) 長崎に艦船は似合わない(9月15日) |
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| 第1部 ナガサキを考える 被爆50周年を前に | ||
| 1994年 | ||
| 忘れ去られたもう一つの鳥居(5・8) 危機に直面-援護法制定運動(5・15) 修学旅行に見る中学校の平和教育(5・22) 国連軍縮広島会議を終わって(5・29) 減少する「語り部」(6・5) いつ出る厚生省見解i残留プル報告書棚上げ状態?(6・19一) 埋もれゆく被爆体験集(6・19) ずさんな戦後処理浮き彫り(6・26) 心に刻めるか戦争責任(7・3) 実現できるか被爆者援護法(7・10) 各界の声を集めンンポー長崎平和大集会(7・24) 核軍縮を求める二十二人委員会(7・31) 学年一体で取り組み―長崎・横尾小平和教育(8・7) 長崎平和推進協会発足十二年目の課題(8・21) 故岡正治氏が残したもの(8・28) 教師27人中国の旅(9・4) 保存か再開発か住吉トンネルエ場跡(9・11) 国家補償の援護法をめざして(9・18) 建て替え進む国際文化会館(9・25)高校の平和教育(10・2)国家機密のベールー旧三菱兵器製作所(10・9) 運営基盤揺れる放影研(10・16) 援護法で自、社協議「均衡論」めぐり難航(10・23) 米・スミソニアン博物館原爆展「投下の正当性」に懸念(10・30) 8・9登校定着しない北松地区(11・13) 非核自治体宣言県内実施二割弱、全国四十五位(11・20) 政府と野党の思惑先行―援護法審議入り(11・27) 被爆資料は貸し出しすべきか―米スミソニアン原爆展計画修正(12・11) もう一つの悲願一「被爆地域是正」(12・18) |
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| 1995年 | ||
| 被爆者の「自分史」(1・15) 被爆遺構保存ピンチ(2・19) 近づくNPT会議、国連軍縮会議長崎会議(2・26) 記念事業は市民参加型に―長崎市の被爆50周年記念事業(3・5) 「語り部」のインド平和の旅(3・12) あの日の惨状伝えたい―恵の丘原爆ホーム原爆劇(3・19) 軍縮会議プレ会議(3・23) もっとアジアへ、情報発信(3・26) 外国人の意見ノート、文化会館(4・2)どうなる原水禁運動―(4・9) 語り部続け26年、証言の会(5・21) NAC平和大使(5・28) 被爆地にもう一つの顔、兵器生産(6・4) 原爆、日米にギャップ(6・11) 国連軍縮長崎会議閉幕(6・18)シンポ(7・4) もう一つの語り部、バスガイド(7・16) 県議会・市議会50年決議(7・30) 平和宣言の50年(8・13) 追悼の碑歩こう(8・20) チェルノブイリ、生かせ被爆地(8・27) 被爆地是正、相次ぐ決議(10・1) 国際司法裁判所(10・29) 核実験抗議の座り込み(11・12) 外国人被爆者コーナー(11・24) 教育研究集会(12・3) 市長語録(12・10) |
||
| 1996年 | ||
| 大学の役割(1.・7) 核兵器国際法違反・古川教授に聞く(1・14) フランス世論、ミホ・シボさんに聞く(1・21) 学ぶべき広島の行動力(1・28) 抗議の旗降ろさず(2・4) 海外に平和通訳ネットワークを(2・11) 絵筆に託す体験継承(2・18) 共通理解へ問いかけ(3・10) |
||
| 第2部 原爆平和企画報道 | ||
| 1994年 | ||
| 「消えた国家補償」(5回) | ||
| 1995 | ||
| 語り継ぐナガサキ「原爆の子」(4回)(1・1) 語り継ぐナガサキ「原爆孤児」(6回)(1・25) 語り継ぐナガサキー千恵子の日記」(5回)(3・14) 遠い碑(8回)(1・31) 被爆遺品展示せず、「溝は埋められるのかI(6回)(2・7) 「生きていてごんめねI(8回)(5・17) 「届けナガサキの声」(2回)(6・8) 動員被爆の少年少女たち・第1部(5回)(6・6) 動員被爆の少年少女たち・第2部(10回)(6・11) 平和市長の16年(19回)(6・9) 無言の告発(15回)(6・6) 被爆遺構ワイド(6・21) 平和の礎(3回)(7・4) 広がる米原爆展論争(5回)(7・8) アメリカ人の原爆観(12回、学者の意見)(7・18~30、8・6) 原爆論争-米の歴史家こう見る(8・6) アジア人の原爆観(10回)(8・1~10) 夏雲の丘(20回)(7・15~8・30) 平和を伝えて(7回)(7・21) 山里小学校「50年目の鎮魂」(3回) 「焦燥の夏」(5回) 「夢の祖国」(7回) 「怒りの南太平洋」(8回) 「断絶に向き合った被爆者たち」(6回) 「核を裁く」(4回) |
||
| 1966年 | ||
| 「揺れる被爆国」(1~15) | ||
| 資料編 | ||
| 1994年 | ||
| 援護法実現へ(11・3)
援護法―消えた「国家補償」(11・3) 公聴会(12・1) |
||
| 1995年 | ||
| 国連軍縮長崎会議(開幕、声を世界に、アンケート)(6・13) フランス核実験再開(シラク大統領発表)(6・15)会議閉幕((6・17) 沖縄50年(6・24) ピースサミット(6・25) スミソニアン、エノラ・ゲイ展開幕(6・30) 米艦船受け入れ、市長が表明 韓国で原爆展(開幕、反応)(7・26) 天皇訪問(7・27) |
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| 山里小学校 | ||
| 被爆50周年平和祈念式典 | ||
| 終戦記念日アンケート | ||
| 終戦記念日 | ||
| 中国核実験 | ||
| フランス核実験 | ||
| フランス核実験強行 | ||
| フランス核実験 | ||
| フランス核実験 | ||
| ブルーリッジ長崎入港 | ||
| 市長を証人申請 | ||
| フランス核実験 | ||
| 市長、国際法違反を明言 | ||
| フランス核実験 | ||
| 1996年 | ||
| フランス6回目核実験 シラク大統領核実験停止宣言 核なお二万発、廃絶の叫び世界へ 忘れないあの惨禍、人も街も消え |
||
止
『天皇制と小さな民主主義 本島長崎市長銃撃に抗する市民たち』(言論の自由を求める長崎市民の会、明石書店、19900730)
内容
| 声明 | ||
| 003 | 本島市長銃撃の背景にあるものと私たち | |
| 005 | 高実康稔「静かに根をはれ「長崎アピール」」 | |
| 012 | 舟越耿一「市長銃撃との戦い」 | |
| 020 | 岩松繁俊「本島市長銃撃事件と戦争責任論」 | |
| 031 | 本島市長銃撃に抗議し言論の自由を求める2・24、25長崎大集会・大行進 | |
| 031 | Ⅰ 各地からの報告・意見・長崎アピール | |
| 主催者挨拶 | ||
| 岩松繁俊(言論の自由を求める長崎市民の会代表) | ||
| 近藤禮司(長崎県労働組合評議会) | ||
| 意見発表 | ||
| 尾形憲(法政平和大学代表) | ||
| 水田洋(ノーモア南京・名古屋の会代表) | ||
| 辻本清美(ピースボート主催者) | ||
| 井上清(やめよう元号!関西連絡会) | ||
| 伊藤ルイ | ||
| 平野伸人(全国被爆二世教職員の会) | ||
| 長崎アピール | ||
| 073 | Ⅱ 自由に語ろう「言論の自由が危ない!」 | |
| 153 | 「言論の自由を求める長崎市民の会」活動の記録 | |
| 155 | 座談会・正念場は乗り越えた・・・けれど | |
| 「言論の自由を求める長崎市民の会」 | ||
| 幾人かの実行委員の思い | ||
| 196 | ドキュメント「市民の会」 宮川万葉 | |
| 239 | 全国から寄せられた手紙 | |
| Ⅰ ともに問い続けたい | ||
| Ⅱ 長崎に思いをはせつつ | ||
| Ⅲ 『タブーへの挑戦』ありがとうございました | ||
| 全年表:本島発言をめぐる経過 | ||
| あとがき 1990年6月29日 編集委員会 | ||
止