原子爆弾被爆者の医療・健康管理並びに援護に関する陳情書

原子爆弾被爆者の医療・健康管理
並びに援護に関する陳情書

1958年8月30日

 私共原爆被爆者のため、昨年四月原子爆弾被爆者の医療等に関する法律を制定せられ、被爆者の医療並びに健康診断が行われることとなり、誠に感謝に堪えない次第であります。

しかしながら、原爆症の治療につきましては、未だ根本的な治療法はないと伝えられているのであります。

加うるに被爆者は特別の健康状態にあり被爆後十三年の今日に至ってもなお発病し重体に陥り不測のうちに死亡するものがあとをたたない現状であります。

これは現に原爆症で悩んでいる多数の患者のみならず被爆者は一様に原爆症に対する不安におびえているのであります。

又、原爆被爆者は、一般の被災者と異なり、経済の基盤を失ったものが多く身体的にも活動能力を阻害され、日常生活をおびやかされているものが多数あるのであります。

以上申し述べました事情御賢察の上、被爆者の医療と健康管理との万全並びに援護対策の確立のため左記事項につきまして格別の御配慮を賜わらんことを切に懇願申し上げる次第であります。

一 医療範囲の拡大

二 温泉治療を認められたいこと

三 医療交通費の支給

四 生活援護費の支給

五 被爆者福祉センターの設立

六 健康管理の完全を期するため栄養物の補給

七 根治療法の確立

八 原爆死没者の遺族援護の確立

昭和三十三年八月三十日

広島市原爆被害者の会連合会 会長 渡辺 忠雄

  広島県原爆被害者団体協議会

代表委員 森滝 市郎

〃 藤居 平一

〃 伊藤 正子

〃 井上  昇

       殿

被爆者の援護対策の確立に関する陳情書

被爆者の援護対策の確立に関する陳情書

1958年8月30日

 被爆者は、一般の被災者と異なり経済の基盤を失った者が多く、身体的にも活動能力をそ害されているのが現状であります。

医療をうけるに際しましても、経済基盤がしっかりしていないと生活に優先されて医療がおろそかにならざるを得ません。

現に障害者の中には人院治療を必要としながらなお入院をちゆうちょするもののあることであります。

その数は明らかにすることは困難でありますが、これらの事実のあることは被害者の集いのあるところ必ず聞かれるところであります。

これらの人々は、生活保護法のあることを承知しているものでありますが、できるだけこれをさけて自立再起したいという念願に外なりません。

つきましては、右事情御賢察の上、左記各項目について被爆者の援護対策を確立せられ、もって、被爆者の医療と健康管理との万全が期せられますよう格段の御配慮を賜わりたく、切に懇願する次第であります。

一 医療中における生活保障(医療前に得ていた収入を一定限度において確保する。)を確立すること。

二 医療交通費の支給

三 指定病院へ寝具の備付

四 身体障害者の装具の支給(例えば白内障治療による眼鏡或は身体障害者の義足等)

五 被爆者福祉センターの設立(被爆者の生活相談、職業補導施設、休養施設、宿泊施設など総合的なもの)

昭和三十三年八三十日

広島市長 渡辺 忠雄

広島市議会議長 仁都栗 司 殿

原爆白書の作成に関する陳情書 1958年8月30日

原爆白書の作成に関する陳情書

1958年8月30日

 原爆の被害と障害に関しましては、その悲惨と残酷なることは周知のとおりでありますが、今回、これらの実態が国家においてまとめられていないというのは甚だ遺憾なことであります。

広島と長崎との各分野にわたる資料の収集と記録とは一地方の手に委ぬられることなく国家においてとりまとめられなければならないと存ずるものであります。

これは国民一般に権威あるものとして、その実態が認識せられ併せて対外的関係においても同様の措置は当然のことと思われます。

資料も時日を経るに従って散逸するのでありますからこの措置は速かに行われなければなりません。

つきましては、右事情御賢察の上、速かに原爆白書が作成されるよう格段の御配慮を賜わりたく、切に懇願する次第であります。

昭和 年 月 日

広島市長 渡辺 忠雄

広島市議会議長 仁都栗 司 殿

原爆被爆者の健康管理及び医療を促進するための対策に関する陳情書(1958年)

原爆被爆者の健康管理及び医療を
促進するための対策に関する陳情書

1958年8月30日

 原子爆弾被爆者の医療等に関する法律が施行せられてから一年有余を経過いたしましたが、その間の実施状況では、被爆者特有の各種の事情が在在し、私共の努力にもかかわらずその運用は必ずしも充分とはいえません。

しかしながら、被爆者の健康状態は、本年六月までに精密検査を必要とされているもの約六千人、治療をうけているものは約九百人もあり、この事実はまことに重大事でありまして、今後ますますこの法律の使命の重要性を痛感するものであります。

つきましては、右事情を御賢察の上、特に左記各項目について速かに法の適用拡大を図られ被爆者の健康管理の目的が達成せられるよう格別の御配慮を賜わりたく、切に懇願する次第であります。

一 検査を促進するため機動性のある検査車を設けること

二 健康管理の完全を期するため栄養物の補給をすること

三 医療範囲の拡大と認定手続の簡素化を図ること

四 原爆症の根本的治療方法を研究するため現地に原爆医療研究機関を設置すること

昭和三十三年八月三十日

広島市長 渡辺 忠雄

広島市議会議長 仁都栗 司 殿

原水爆実験停止命令申請訴訟(1958年4月)

原水爆実験停止命令申請訴訟 1958年4月

原水爆実験停止命令申請訴訟主任
弁護士ウイリン氏の来日について

 A・L・ウイリン氏は、五月九日早朝のパン・アメリカン機で突如来日した。A・L・ウイリン氏はロスアンジェルス市の在住者で、連邦裁判所の弁護士の資格をもっている。同氏は右の訴訟の考案者の一人であり、現在主任弁護士である。

一、訪日目的と滞在予定

同氏は、六日ハワイのホノルル地裁でおこなわれた「ゴールデン・ルール」号乗組員の公判に立会った。
今回の訪日の目的は、約一週間の予定で、日本で現在実際に研究に従事している原子力分野の科学者と会見して、核爆発実i験の影響に関する最近の科学資料を蒐集することであり、同時に実験による漁業と漁民への影響を調査することである。

二、日本原水協の受け入れ体制について

これらの目的を充分はたすために、同氏は訪日の直前の手紙で、日本原水協の協力を要請してきた。
日本原水協は、同氏とアメリカの平和活動家、なかんずく核政策健全化委員会との関係を考慮し、世界大会にたいする協力要請もあることなので、同氏の訪日目的にできるだけそうような協力をすることが必要である。
このため、各分野の科学者、漁業関係者、漁民、法律家との会見を調整して、これに必要な通訳兼助手を一名つけることにした。

三、財政について

右のために必要な財政支出は、通訳費約一万円、交通費など雑費約一万円で計二万円をこえない額におさまることになる。

原水爆実験停止命令申請訴訟

 本件は、1958年4月4日、アメリカにおけるコロンビア地区連邦地方裁判所に提起された。本件の詳細は次のとおりである。

1.原告

ライナス・C・ポーリング アメリカ、ノーベル化学賞受賞者、カルフォルニア工科大学化学教授)
バートランド・ラッセル イギリス、ノーベル文学賞受賞者
賀川豊彦 日本、日本原水協代表委員、キリスト教界長老
カール・ポール・リンク アメリカ、ウイスコンシン大学生化学教授
レスリー・C・ダン アメリカ、コロンビア大学動物学教授
クラレンス・E・ピケット アメリカ、アメリカ・フレンド奉仕委員会名誉執行委員
ウィリアム・ブロス・ロイド アメリカ、政治評論家、編集者
ノーマン・トーマス アメリカ、作家、アメリカ社会党長老
ステファニー・メイ アメリカ、家庭主婦
L・ジョーン・コリンズ イギリス、ロンドン聖パウロ寺院僧会議員
G・ミカエル・スコット イギリス、イギリス聖職者協会書記、国連アフリカ局名誉会長
中谷清明 日本、室戸岬船員同志会会長、船長
松下?江治 日本、室戸岬船員同志会会員、機関長
釣井高明 日本、第十一カトリ丸船主
ブロック・チショルム カナダ、世界保健機構前事務総長
D・マルチン・ニーメラー 西ドイツ、ドイツ福音教会会長、神学者
アンドレ・トロメク フランス、フランスF・O・OR会長
キャスリン・ロンズデール イギリス、ロンドン大学化学教授、王立協会会員

2.被告

ニール・H・マッケルロイ アメリカ国防長官
ルイス・L・ストローズ アメリカ原子力委員長
ウイリアード・F・リビー アメリカ原子力委員
ハロルト・S・ヴァンス アメリカ原子力委員
ジョーン・S・グレーアム アメリカ原子力委員
ジョーン・F・フローバーグ アメリカ原子力委員

 

3.提案の趣旨

放射能を発生する核兵器を、それに責任のある関係公務員が、今後爆発させることを防止する訴訟を、米・英・ソ連において提起する。この訴訟は、勿論、各国の法律が異なっているので、別々に各該当国で提起することになる。然しこれらの訴訟は同時に提起されるよう、あらゆる努力を払い、かつ若干の原告はすべてのこれらの訴訟に共通であるようにする。

米国における訴訟は、米国市民のグループ及び米国市民と共に他の国々の原告のグループから提起され、コロンビア地区の連邦地方裁判所に提起される。これは原子力委員会のメンバー、その主たる執行官等及び国防長官に対し、これらの公務員等が放射能を発生する核兵器を爆発させることを将来において差止めることを目的とするものである。

もし不利な判決があった場合は、コロンビア地区の控訴裁判所に上訴し、更に不利な判決があれば、連邦最高裁判所に上訴されるであろう。

第六回全国理事会議事及決定事項(原水爆禁止日本協議会 、1958.3.11)<抄>

「車の両輪」論

(原水爆禁止日本協議会「第六回全国理事会議事及決定事項」1958.3.11)<抄>

このようにして第一回世界大会では感情的であったにせよ救援運動の方向が大きく打ち出されたのであって、事実この大会以后世間の被害者に対する関心は急速に高まり、被害者自身もはげまされて立ち直りはじめた。この大きな動きは一九五六年八月ナガサキにおける第二回大会において更に強められ理性化され「日本原水爆被害者団体協議会」が発足するに至った。この間にあって、救援運動と禁止運動は切りはなせない関係にあり、車の両輪の如く、噛み合って進められなければならないことが広く確認され、また事実をもってそれは示されて来た。

トルーマン前米大統領宛任都栗司書簡(1958年3月1日付)および返書

トルーマン前米大統領宛任都栗司書簡(1958年3月1日付)

Tsukasa Nitoguri to former President Truman

March 1, 1958

CITY OF HIROSHIMA
HIROSHIMA, JAPAN

March 1, 1958

Mr. Harry S. Truman
Indianapolis, Missouri
U. S. A.

Dear Mr. Truman:

Please find enclosed a copy of the English translation of the resolution made by the City Council of Hiroshima in connection with the statement you recently made concerning the atomic bombing of Hiroshima and Nagasaki and on the hydrogen bomb.

The people of Hiroshima, who actually suffered the painful sting of the bomb, are naturally most keenly sensitive to the moral side ot the nuclear weapons. It is our regret that your statement has urged us to make the resolution which we hereby forward you for your consideration.

Yours very truly,

/s/ Tsukasa Nitoguri
Chairman
Hiroshima City Council

dc580301

 

RESOLUTIN NO. 11

RESOLUTION TO DECLARE PROTEST AGAINST BROADCAST REMARKS OF MR. TRUMAN, FORMER UNITED STATES PRESIDENT

The citizens of Hiroshima who have led their life in tribulation of more than two hundred thousand lives taken in sacrifice consider it their sublime duty to be a cornerstone of world peace and hold that no nation of the world should ever be permitted to repeat the error of using nuclear weapons on any people anywhere on the globe, whatever be the reason.

If, however, the statement made by Mr. Truman, former President of the United States, that he felt no compunction whatever after directing the atomic bombing of Hiroshima and Nagasaki, and that the hydrogen bombs would be put to use in future in case of emergency be true, it is a gross defilement committed on the people of Hiroshima and their fallen victims.

We, the City Council, do hereby protest against it in deep indignation shared by our citizens and declare that in the name of humanity and peace we appeal to the wisdom of the United States and her citizens and to their inner voice for peace that said statement be retracted and that they fulfil their obligations for the cause of world peace.

Be it hereby resolved.

February 13, 1958

Hiroshima City Council

Submitted February 13, 1958.

By KAZUO MATSUSHITA, Hiroshima City Councilman
YOSHITO AMIMOTO
YOSHIO YOSHINAKA
KIYIOCHI TSUCHIOKA
MEIICHI MASUMURA

 

トルーマン前米大統領任都栗司書簡(1958年3月1日付)への返書

Press release of letter from Truman to Hon. Tsukasa Nitoguri, March 12, 1958

FOR IMMEDIATE RELEASE TO THE PRESS, RADIO AND TELEVISION

The following letter was written March 12, 1958, by former President of the United States Harry S. Truman to Hon. Tsukasa Nitoguri, Chairman of the Hiroshima City Council, Hiroshima, Japan, in reply to the resolution passed by the Hiroshima City Council protesting Mr. TrumanÕs recently televised comments on the dropping of the atomic bomb on the Japanese cities of Hiroshima and Nagasaki during World War II.

Dear Mr. Chairman:

Your courteous letter, enclosing the resolution of the Hiroshima City Council, was highly appreciated. The feeling of the people of your city is easily understood, and I am not in any way offended by the resolution which their city council passed.

However, it becomes necessary for me to remind the City Council, and perhaps you also, of some historical events.

In 1941, while a peace conference was in progress in Washington between representatives of the Emperor of Japan and the Secretary of State of the United States, representing the President and the Government of the United States, a naval expedition of the Japanese Government approached the Hawaiian Islands, a territorial part of the United States, and bombed our Pearl Harbor Naval Base. It was done without provocation, without warning and without a declaration of war.

Thousands of young American sailors and civilians were murdered by this unwarranted and unheralded attack, which brought on the war between the people of Japan and the people of the United States. It was an unnecessary and terrible act.

The United States had always been a friend of Japan from the time our great Admiral succeeded in opening the door to friendly relations between Russia and Japan in the early 1900. The President of the United States, Theodore Roosevelt, intervened and brought about a peace settlement.

But in the 1930 Japan joined the Axis Powers, and when the Hitler regime in Germany and Mussolini government in Italy were defeated, Japan was left alone.

From Potsdam in 1945, before Russia declared war on Japan, Great Britain, China and the United States issued an ultimatum suggesting that Japan join the Germans and Italians in surrender. This document, sent to the Japanese Government through Sweden and Switzerland, evoked only a very curt and discourteous reply.

Our military advisers had informed Prime Minister Churchill of Great Britain,

Generalissimo Chiang Kai – shek of China and the President of the United States that it would require at least a million and a half Allied soldiers to land in the Tokyo plain and on the south island of Japan.

On July 16, 1945, before the demand for JapanÕs surrender was made, a successful demonstration of the greatest explosive force in the history of the world had been accomplished.

After a long conference with the Cabinet, the military commanders and Prime Minister Churchill, it was decided to drop the atomic bomb on two Japanese cities devoted to war and work for Japan. The two cities selected were Hiroshima and Nagasaki.

When Japan surrendered a few days after the bomb was ordered dropped, on August 6, 1945, the military estimated that at least a quarter of a million of the invasion forces against Japan and a quarter of a million Japanese had been spared complete destruction and that twice that many on each side would, otherwise, have been maimed for life.

As the executive who ordered the dropping of the bomb, I think the sacrifice of Hiroshima and Nagasaki was urgent and necessary for the prospective welfare of both Japan and the Allies.

The need for such a fateful decision, of course, never would have arisen, had we not been shot in the back by Japan at Pearl Harbor in December, 1941.

And in spite of that shot in the back, this country of ours, the United States of America, has been willing to help in every way the restoration of Japan as a great and prosperous nation.

Sincerely yours,

/s/ Harry S. Truman>

Honorable Tsukasa Nitoguri
Chairman
Hiroshima City Council
Hiroshima
Japan

CITY OF HIROSHIMA
HIROSHIMA, JAPAN

原爆障害者生活援護費給付の手びき(1958年)

原爆障害者生活援護費給付の手びき

財団法人 広島原爆障害対策協議会

一.制定の趣旨

原爆障害者の治療に関しては、昭和二十八年以来財団法人広島原爆障害対策協議会(以下「原対協」という)に於て医療費の殆んど全額に亘る給付を行っているのであるが、昭和三十二年四月原爆医療法の制定に伴い、原爆症に関する検査及び医療費の全額国庫負担の実見を見るに至り、一応治療費に関して万全の措置が講ぜられたが、一方原爆障害者に対する生活援護は遂に取りあげられることなく今日に至った。原爆障害者の治療は長期に亘るため、これが治療の促進は単に医療の給付のみでは解決することは困難であり、特に入院を必要とする障害者の治療に影響を及ぼすこと多大であるため治療意欲の減退を来し、ひいては治療活動を阻害する結果となっている。

ここに於て原対協は昭和三十二年度予算に治療推進費を計上し、その一項目として生活援護を行い、安心して治療に専念し、生活再建の途を開かしめると共に治療の円滑化を期することとした。

二、生活援護費の給付をうけられる人

1.原爆障害者であって、現に原爆症の治療をうけている人であること
2.、低額所得者であって、援護の必要がある人
例えば
イ、本人が家計の主なものであって、入院治療のため収入が得られなくなる場合(規定第三条第一号参照)
ロ、家族であるが収入の一部を生計に当てていて入院治療のため収入が得られなくなる場合(規定第三条第二号参照)
ハ、その他の事情により入院治療をうけるため生計の資料が得られなくなる場合
などですが、お困りの方は一度御相談下さい。

三、給付の内容

1.給付期間 右の給付のある期間
2.給付額 毎月一定額を右の期間に給付する。(規定第三条参照)

四、手続

所定の申請書を左記場所え提出する。(用紙も備え付けてあります)

五、決定

審査の上決定通知されます。

申込場所

一、財団法人 広島原爆障害対策協議会

広島市千田町一丁目広島原爆病院内(電話(4)三一一一)

又は
一、広島市厚生局原爆被害対策課

広島市国泰寺町三九北庁舎内(電話(4)〇一〇一、(4)一一一二)

原爆障害者生活援護費給付規程

第一条 財団法人広島原爆障害対策協議会(以下「原対協」という)の行う生活援護費の給付業務は、この規程の定めるところによる。
第二条 生活援護費の給付は、原爆被爆者にして低額所得のため原爆医療を受けることにより生活を脅かされるおそれのある者に支給するものとする。
第三条 前条の給付は、次の要領によって行う。
一、主として生計を維持しているものが医療をうけることにより収入が得られない場合
一ケ月六、○○○円以内
一、右以外の者が医療うけることにより援護の必要あると認られる場合
一ケ月二、○○○円以内一
第四条 生活援護費の給付を受けようとする者は、生活援護費給付申請書(別紙様式)を原対協会長に提出し、審査を受けるものとする。
付則
この規定は、昭和三十三年一月一日から実施する。但し特別の事情があるものについては、昭和三十二年四月一日にさかのぼることができる。

原爆関係資料 (広島県)

『原爆関係資料』(広島県 昭和32年2月)

健康手帳交付数(1957年月別)

月別 交付数 月別 交付数
7 11458 1 931
8 11497 2 336
9 2569 3 634
10 3392
11 951
12 574 合計 32342

健康手帳交付数(法第2条による分類)

区分 1号 2号 3号 4号
交付数 19358 9304 1520 259 30441
百分率 63.6 30.6 5.0 0.8 100

 

健康手帳交付・健康診断受診者・要精密検査数(1957年末現在)

保健所 健康手
帳交付
予定数
交付数 一般
健康診断
受診者数
要精密
検査数
呉東 1700 346 321 13
呉西 1237 1107 40
三原 520 705 287 61
尾道 930 713 465
福山 530 306 192 41
廿日市 4830 5439 927 128
可部 9670 4314 1036 45
加計 1030 835 278 27
千代田 420 896 68
甲田 1760 1888 1019 233
西条 1880 2955 825
竹原 930 1365 442 84
甲山 400 582 293
府中 360 366 257 23
三和 200 267 245 25
上下 160 173 149 25
三次 930 981 897 74
三良坂 250 251 189 28
西城 760 955 490 63
海田 5830 5100 1615 99
大柿 500 767 225 49
原爆病院 1419 707
その他 385 42
合計 33590 30441 13131 1809

医療

病院別 精密検査
受診者数
要治療者
原爆病院 1091 234
広島赤十字病院 46
広大附属病院 15
県立広島病院
1153 243
(21%)

 

メモ:久保良敏資料

原爆被爆者健康手帳交付集計表 (広島市厚生局原爆被害対策課、昭和33年2月28日現在)

原爆被爆者健康手帳交付集計表 (広島市厚生局原爆被害対策課、昭和33年2月28日現在)Bk580305

広島市の施行状況

 

性別 人員
総数 73771 100 32800 40971
1号 68472 92.8 30008 38464
2号 3100 4.2 1662 1438
3号 1236 1.7 687 549
4号 963 1.3 443 520

 

メモ:久保良敏資料

 

ヒロシマの証人 シナリオ

『ヒロシマの証人 シナリオ』(「ヒロシマの証人」全国配給上映委員会世話人、19680825)

内容

原水爆禁止を全世界に訴えるために(「ヒロシマの証人」製作上映実行委員会、1968年7月)
「ヒロシマの証人」製作上映実行委員会
事務局:庄野直美(事務局長・広島市民対話の会事務局長)、吉川清(被爆者)、小林省三(広島YMCA主事)、高橋昭博(広島映画ペンクラブ)、深川宗俊(詩ママ])、三宅登(広島県労事務局長)、村上忠人(広島映画サークル会長)
 映画『ヒロシマの証人』演出にあたって(斉村和彦)
  20220108204651211 (3)
 20220108204651211 (2)

堀場清子のフェミニズム―女と戦争と

『堀場清子のフェミニズム―女と戦争と』(中島美幸著、ドメス出版、20131220)

内容

1 「女」であること 3
2 女の惨状 詩集「狐の眸」「空」 4
3 家父長制の正体 詩集「ズボンにかんする長い物語」「じじい百態」 21
4 元始への旅 未刊詩集「エジプト詩篇」、未収録作品五篇「女神たち」 35
5 女・沖縄 詩集「首里」 46
6 戦争と歴史 詩集「延年」 57
7 非核への闘い 未収録作品三篇「またしてもの放射能渦」 65
8 ふたたび、「女」であることとは 81

鱗片 ヒロシマとフクシマと

『鱗片 ヒロシマとフクシマと』( 堀場清子著、ドメス出版、20131220)

内容

No.
1 悪夢のはじまり 12
 怯える日々 12
大本営発表&隠す報道 14
メルトダウンしたか! 18
再臨界は? 22
SPEEDIの怪 37
さらなる隠蔽と詐術 47
2 犠牲のシステム 56
 被曝は発掘の瞬間からはじまる 56
仲間はみな肺癌で死んだ 57
放射能の粉塵はナミブ砂漠をわたって 60
イヴォンヌは闘う 62
司法は変われるか 67
放射能汚染は、無罪! 74
無力者の“美徳” 82
3 原爆投下 85
 原子野にて 85
世界への警告 95
被爆者はいない? 106
略奪者たち 111
日本政府は被爆者を遺棄した 113
木の葉のように焼かれて ABCCの実像 120
被爆者に国家補償を 133
原爆投下は国際法違反 137
人類に対する罪 150
科学者も軍首脳も原爆使用に反対だった 157
洗い流された放射能 170
アメリカの核戦略に追随する 174
ヒロシマとフクシマと 182
4 核と生命は共存しえない 188
 曼珠沙華 188
禁句とされた「原子爆弾」 200
一望の原子野、日本じゅうが見た 212
悲痛!温品版 224
占領軍到着の日々 234
二週間の空白期間 236
占領軍の検閲始まる 240
変転する平和祭 266
朝鮮戦争と原爆作品 283
幻のフィルム 290
まがりなりに「独立」はしたものの 298
貫いた例、そして蹴散らされた数々の例 309
最後の機会に 315
5 責任を問う 317
 罪なきひとびとの上に 317
国に見捨てられた 323
被曝、そして関連死 326
低線量被曝の恐怖 334
放射能と闘う 344
甲状腺が危ない 349
子供たちの疎開を! 363
ふくしま集団疎開裁判 366
刑事責任を追及せよ 380
6 原発ゼロの日 400
 究極の破局が眼前に 400
それでも再稼働 410
地元も同意は得られたか 416
泊、止めれば、みな止まる!! 421
原発は地震で壊れた 431
7 放射能を食べる 448
 濃縮される汚染 448
安全基準値さえなかった 458
ようやく新基準となったが 469
信頼関係の問題なんです 478
.8 湧きあがる脱原発の声 487
 国民は働いている 487
さようなら原発17万人集会 500
「原発ゼロ」の民意 511
安保の障壁 518
9 内なるデーモンを呼び醒ませ 523
 戦時下へ逆行する政治 523
「屈辱の日」、海をこえて怒号ひびく 533
経産省前テントへ攻撃はじまる 538
鬼の袖を、旗幟に立てる 544
あとがき 560
私の近況 562

堀場清子全詩集

『堀場清子全詩集』(堀場清子著、ドメス出版、20131220)

内容

詩集 狐の眸 抄 1956 13
ゆうかり 14
やさしい日によせて 16
瞳 18
他愛ない会話 20
かひな 22
今日 24
ざんげ 26
眸 28
鬼火 30
罪びと 32
祈り 34
焰 35
涙 36
追憶 37
自由の心よ 38
渚にて 40
真夜中の電線にとまつて 42
悪阻 44
詩集 空 1962  47
1  その空が 50
影 58
道 62
少女 65
その音はなにか 68
焰 73
2 CHANSON 82
REQUIEM 86
ここは女のモルグです 88
獸 92
3 八月 96
島の話 98
灯 101
春 104
霧の国 110
  詩集 ズボンにかんする長い物語 1971  115
リボンについて 116
パイオニアをめぐる考察 125
ニューヨーク 131
ミシスと煙草 138
フィラデルフィア 142
ワシントン・D・C 151
ミシガンの秋 156
ミスXの肖像 162
戦争花嫁の唄 168
AMERICA.1965 172
ペンタゴン 176
微笑の化学 182
印象のギリシア 187
シュノンソーにふる雨は 194
ズボンにかんする長い物語 198
あとがき 205
詩集 じじい百態 1974 207
吉田一穂 208
西條八十 214
西脇順三郎 218
村野四郎 222
羽仁五郎 226
葛飾北斎 228
高力士 232
岡村二一 240
高村光太郎 242
草野心平 245
中西悟堂 251
中里介山 254
小川芋銭 262
梅蘭芳 264
与謝蕪村ⅠⅡ 272
じじい抄 282
未刊詩集 エジプト詩篇 1976~1979 289
 沙漠の風 290
オシリスに邂逅う 293
億夜の闇 297
千本の弦 302
復活の汀 304
イシスの翼に 306
機上から 309
木賃の愉楽 310
ハッサンと莚 312
朝の岸辺 315
蚤たち 318
メソポタミア 321
魅惑の地 326
ジブラルタルをわたる 328
  未収録作品五篇 女神たち 1979~2012  335
 イザナミ 336
海の女によせて 340
カーリーの土地 344
麦よみがえる 350
女神ワラムルングンジュは語る 355
詩集 首里 1992 369
文字 370
家路 373
首里 376
上布幻 380
カミンチュの来歴 387
オーラルの青空 392
マブイ奇譚 396
マーガレット・ゲインのニッポン日記 406
海の中道 411
丘にて 418
特攻 421
簪報国 425
嗚呼御真影奉護隊 433
かなし おきなは 海きょらさ
あとがきにかえて 442
詩集 延年 2003 453
盧溝橋 454
加担 458
水盃 464
タカモンサンの死 469
朽葉 476
公平不公平 480
父 486
花の季節 493
かつて存在した“地球”という星の寓話 496
軍隊 499
柿の実 503
反物屋さん 506
土の都 511
北京の春 515
延年 518
占拠 524
コネ社会 528
大黄河 533
未収録作品三篇 またしてもの放射能渦 2011~2013 539
いのち 540
「一億総懺悔」の国に生きて 545
またしてもの放射能渦 554
解題 598
 あとがき 608
 著者プロフィール 614
 著作など 616
 別冊
鱗片 ヒロシマとフクシマと 2011~2013
堀場清子のフェミニズム 女と戦争と 2013 中島美幸
「堀場清子全詩集」同梱
・鱗片 ヒロシマとフクシマと
・堀場清子のフェミニズム- 女と戦争と 2013

2022年1月(日録)

2022年1月(日録)

 寅

画像1

1945年8月6日から27907日

<ピカ暦(ぴかごよみ)>

核兵器禁止条約2年

2022(令和4年)

元旦

 

できごと
01 コンビニで新聞購入。新聞総頁数:中国100、毎日68,朝日96,読売84,日経92、産経72、赤旗32<総重量>2.7㎏
02  デジタル工房ヒロシマ遺文(仮称)始動。各紙の
06  ヒロシマ遺文への投稿=「堀場清子全詩集」。
07 ヒロシマ遺文への投稿=「鱗片 ヒロシマとフクシマと」、「堀場清子のフェミニズム―女と戦争と」
08 ヒロシマ遺文への投稿=「ヒロシマの証人 シナリオ」
09  ヒロシマ遺文への投稿=「原爆被爆者健康手帳交付集計表 (広島市厚生局原爆被害対策課、昭和33年2月28日現在)」、「原爆関係資料 (広島県)」、「原爆障害者生活援護費給付の手びき(1958年)」、「トルーマン前米大統領任都栗司書簡(1958年3月1日付)および返書」、「原爆白書の作成に関する陳情書 1958年8月30日」、「被爆者の援護対策の確立に関する陳情書」、
 10  ヒロシマ遺文への投稿=「第六回全国理事会議事及決定事項(原水爆禁止日本協議会 、1958.3.11)<抄>」、「原水爆実験停止命令申請訴訟(1958年4月)」、「原爆被爆者の健康管理及び医療を促進するための対策に関する陳情書(1958年)」、「原爆白書の作成に関する陳情書 1958年8月30日」
11  ヒロシマ遺文への投稿1/2=「被爆者の援護対策の確立に関する陳情書」、「原子爆弾被爆者の医療・健康管理並びに援護に関する陳情書」、「第1回原爆被爆者調査団会議開催案内(1959年2月16日)」、「平和県に関する宣言(広島県議会)」、「第5回原水爆禁止世界大会日程」、「原爆被爆者対策についての陳情並びに請願経過概要」、「原爆障害綜合医学研究所案(昭和34年10月15日)」、「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律の一部を改正する法律案(大原亨君外13名提出)の提案理由説明」、
11  ヒロシマ遺文への投稿2/2=「広島県議会意見書 原爆犠牲者の大慰霊祭執行についての要望」、「広島県議会意見書 原水爆実験禁止についての要望」、「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律改正の制定経過 昭和35年8月1日」、「平和と学問を守る大学人の会会報第26号(1960年2月20日)」、「「原爆放射能医学研究所設置」などに関する陳情運動日誌」、「ヒロシマ・原爆と被爆者 1963年8月」
12 ヒロシマ遺文への投稿1/2=「核兵器禁止・平和建設国民大会 被爆者救援に関する決議 1961年8月15日」、「広島県議会 核実験禁止に関する決議 1961年9月7日」、「核兵器禁止平和建設国民会議結成宣言 1961年11月15日」、「ヒロシマわが罪と罰-原爆パイロットの苦悩の手紙」、「広島・長崎原爆被爆者大会 1962年5月22日」、「広島県議会 核実験禁止要請に関する決議 1962年8月11日」、「広島県議会意見書 核実験停止協定締結要請に関する決議 1962年12月22日」
 ヒロシマ遺文への投稿2/2=「原爆医療法の拡大強化と被爆者救援に関する決議案 1963年9月28日」、「広島県議会意見書 原爆記念行事を厳粛荘厳に挙行することについての要望」、「参議院 原爆被爆者援護強化に関する決議 1964年3月27日」、「衆議院 原爆被爆者援護強化に関する決議 1964年4月3日」、「沖縄県原子爆弾被害者連盟結成総会」
13  ヒロシマ遺文への投稿=「基地沖縄の全貌」、「沖縄在住被爆者訴訟に対する国の答弁書 1965年12月1日(抄)」、「沖縄被爆連運動のあゆみ 1963年9月~1966年3月」、「広島詩歌研究会」
14  ヒロシマ遺文への投稿=「広島・アウシュビッツ-平和行進青年の記録」、「広島・アウシュビッツ-平和行進ニュース  No.1~5」。
15 ヒロシマ遺文への投稿=「フェニックス広島号の冒険」
16  ヒロシマ遺文への投稿=「年表:広島・長崎平和巡礼 1964年」、「世界の中のヒロシマ 平和巡礼団に同行して 1964年」
17  ヒロシマ遺文への投稿=「年表:核禁会議の主な動き(前史)」、「ヒロシマの証言(中国新聞連載)」
18  ヒロシマ遺文への投稿=「原水爆禁止世界大会(第8回)日程」、「全日本原爆被爆者協議会」、「広島市原爆被爆者協議会」。
19  ヒロシマ遺文への投稿=「近畿ブロック会議ニュース」、「11県被団協への日本被団協代表理事会回答 1962年9月9日」、「核戦争阻止・原水爆禁止第8回世界大会中国ブロック・県内平和行進参加のしおり」、「広島県原爆被害者団体協議会第6回総会決議(案)」、「第8回原水爆禁止世界大会広島県内平和行進日程詳細表」
20  ヒロシマ遺文への投稿=「平和の条件 アクラから広島へ (1962年)」、「黒田秀俊(日本原水協事務局長)メモ」、「森滝日記1962年」
21  ヒロシマ遺文への投稿=「ビキニ8周年広島集会」、「3・1ビキニデー関係資料(1962年)」、「アックラ「民間人軍縮会議」歓送激励会案内(19620612)」、
22  核兵器禁止条約発効1周年。
22 ヒロシマ遺文への投稿=「全面軍縮と平和のための世界大会 1962年7月」、「中国新聞社説(1962年反核)一覧」、「各国の核実験反対運動(朝日新聞19620812)」、「核実験競争のゆくえ(中国新聞連載1962年)」、
23  ヒロシマ遺文への投稿=「雑誌『世界』反核1962」、「『朝日ジャーナル』反核1962」
24  ヒロシマ遺文への投稿=「広島市民の訴え(浜井信三) 19620806」、「「原水爆禁止と平和のための国民大会」現地実行委就任委嘱について」、
25  ヒロシマ遺文への投稿=「原水爆禁止と平和のための国民大会基調報告 1962」、「軍縮のための広島県婦人集会アピール 1962年3月18日」、「広島市とボルガグラード市の姉妹都市縁組をむすびましょう(日ソ協会広島支部)」、「核実験反対広島抗議集会参加呼びかけ(ビラ)」、
26  ヒロシマ遺文への投稿=「座り込み参加訴え<広島県平和委員会>(ビラ)」、「核停協定無条件即時調印のため浜井市長・門田委員長が送った手紙」、「アジアの平和のための日本大会 1962年」、「核戦争阻止軍事基地撤去のための国際共同行動岩国大会」、「編年資料:ヒロシマ-原水爆禁運動の基本原則-1962年」、「編年資料:ヒロシマ-原水爆禁運動の基本原則-1962年(2)」。
27  「ヒロシマ遺文への投稿」作業、1962年分を一応終える。
27 ヒロシマ遺文への投稿=「世界をつなぐ「平和を愛する人々のバッジ」について」、「広島県原水協ニュース 第1号」、「第9回原水爆禁止世界大会」。
28  ヒロシマ遺文への投稿=「第9回原水爆禁止世界大会-その経過ともち方」、「第9回原水爆禁止世界大会-その経過ともち方(目次)」、「編年資料:ヒロシマ-1963年1月~(広島県原水協・県被団協などの動向を中心に)」
29  ヒロシマ遺文への投稿=「編年資料:ヒロシマ-1963年5月~(原水禁世界大会成功のための青年団連絡会議)」、「峠三吉詩碑建設」。
30  ヒロシマ遺文への投稿=「議事要録 (第9回原水爆禁止世界大会)」、「資料:長崎―広島間 原水爆禁止平和達成行脚」、「全国の皆さんへ訴える(長崎―広島間原水爆禁止平和達成行脚)」、「広島―長崎間 原水爆禁止平和達成行脚、広島歓迎集会 宣言(案)」、「長崎―広島間「原水爆禁止平和達成行脚」終結にあたっての挨拶」
31  ヒロシマ遺文への投稿=「第9回原水爆禁止世界大会広島県内平和行進日程図」、「第9回原水爆禁止世界大会広島県内平和行進日程詳細表」、「広島県原水協加盟団体 第9回世界大会分担表」、「編年資料:ヒロシマ(原水禁世界大会以降)-1963年8月~」

 

現地ルポ 核の子どもたち―韓国人被爆者の二世達の現状― 

『現地ルポ 核の子どもたち―韓国人被爆者の二世達の現状―』(朴秀馥著、曺亨均訳、韓国教会女性連合会企画・制作、韓国キリスト教家庭生活社<韓国・ソウル>刊、19910730)

内容

日本語版発刊に際して 1997年7月 朴純金(韓国教会女性連合会 会長)4
発刊のことば 1986年3月 林正善(韓国教会女性連合会 会長)6
はしがき 1986年3月 李愚貞(韓国教会女性連合会 名誉会長)14
山鳩になって/黄義台さん22
一九七八年の夏/崔承弼さんのこと37
母さん、いっしょにいくわ/金淑姫さん53
脱出の果て/金叔姫さんのこと68
阿呆の国の王様になるまで/韓富相さんの一と79
廃屋にて/黄玉子さんのこと127
蒼い期待/李純女さんのこと141
翼なき空/仰書根さんのこと155
海辺にて/金容坤さんのこと169
僕、わからないよ/季紀泰さんのこと184
閉ざされた窓際で/呉敬文さんのこと201
意識の眠り/張舜哲さんのこと215
顔のない対話/朴信圭さんのこと233
真実はどこに/韓相順さんのこと243
父を待ちつつ/韓蘭伊さんのこと263
沈黙の花嫁/双美蘭さんのこと277
野菊のように/姜知順さんのこと287
黙契の待望/金沫蘭さんのこと298
心の健康/小文大さんのこと305
痛みの早瀬/車貞順さんのこと315
罠にかかった四十年/朴成元さんのこと327
あとがきにかえて 1986年正月 著者<朴秀馥> 342
訳者のことば 1986年7月 著者<曺亨均> 346

在韓被爆者の問いかけるもの 被爆45年目に「韓国被爆者慰霊訪日団」を迎えて

『在韓被爆者の問いかけるもの 被爆45年目に「韓国被爆者慰霊訪日団」を迎えて』(「韓国被爆者慰霊訪日団」を迎える全国連絡会編・刊、19900810)

内容

はじめに 1990年8月 笹本征男(「韓国被爆者慰霊訪日団」を迎える全国連絡会)
1 「訪日団」の得たもの、残したもの
’90・春韓国被爆者「訪日団」顛末控 在韓被爆者問題市民会議-その意義と残された課題- 中島竜美 8
謝罪と補償について 在韓被爆者問題市民会議代表 高木健一 20
安らいだ韓国人被爆者の余生を思う 日本被団協代表委員 伊東壯 30
在韓被爆者訪日団に思う 長崎市長 本島等 38
「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」の本書編集部の平和公園内移設をめぐって 本書編集部 40
2 「訪日団」の想い
“加害者達に泣かされた話” 辛泳洙 50
太鼓の音ばかり騒々しくて実利なし 徐錫佑 51
こんなにも差別によって度外視されなければならないのか 具洪祚 57
今も、広島市長が差別するのですね! 愚貞先 60
四十五年ぶりに長崎の地を踏み感慨無量 梁永哲 62
一番残念なのは三菱広島機械工場のこと 金敏經 64
イラン地震救援に一五〇憶円、我々には四〇億円、なぜ? 李碩圖 66
一ケ月いくらでもよい、手当てをくれと叫ぶ人 金分順 69
毎日のように死んでいく被爆者、ひきつづき補償を要望 安永千 71
我々に医療器の商売でもしろというのか 車貞述 72
日本政府の意識がまず変わらなければ… 李一守 74
日本国は、あなたたちも人であるならば反省せよ! 金日仙 77
3 「訪日団」関連資料
訪日団名簿 82
「訪日団」日程 82
「訪日団」会計報告 83
外務省交渉一問一答 84
「訪日団」関連新聞記事 86
あとがき 1990年8月 松井義子
 20220414bk19900810

アイゴ!ムルダルラ-広島・長崎被爆朝鮮人の35年

『アイゴ!ムルダルラ-広島・長崎被爆朝鮮人の35年』(吉留路樹編著、二月社、19800225)

内容

朝鮮人被爆者とは(はしがき) 3
1 わが内なる朝鮮人被爆者
 長崎で 14
広島で 21
東京で 27
再び長崎で 34
2 明日のために
眼が語る真実と誇り 44
調査は日本人自身の自己告発 47
歴史の問いに応えよう 53
原爆研究の核心に迫る朝鮮人被爆者実態調査 58
差別と被爆と―― 67
両国人民連帯ヘの教訓 72
3 現実への直視
人間生地獄そのまま 82
肉親と再会もかなわず 85
今もつづく民族差別 89
ボロ布のようにこき使われ 92
子らの将来おもんぱかり 96
三たび九死に一生を得る 99
祖国ほど貴いものはない 99
“運が悪かった”とあきらめられぬ 106
4 置去りの調査と援護
朝鮮人被爆者座談会 113
5 証言「歴史は生きている」
 原子爆弾は恐しかよ 156
手帳の申請を拒否した夫の抵抗 160
戦争よ原爆よ、二度と現れるな! 166
どうしてそんなに差別するの 169
茶の葉と油を傷に塗る 173
アイゴー・ムルダルラー 177
何度も自殺を考えた私 181
辛い、つらい、ツラカッタ生きる階段 185
入市被爆者に冷たい役人 191
強制連行したのは誰だ 193
核廃絶へ、生命ある限り 196
夫を殺し一家を呪う悪魔の所業 202
差別の中で願う祖国稿統一 206
千万の思いを込めて 212
6 資料編 広島長崎朝鮮人被爆者の実態調査より
朝鮮人被爆者実態調査にあたって 232 広島・長崎朝鮮人被爆者実態調査団 19791026
実態調査を終えて 234 尾崎陞(調査団長) 19791124
広島からの報告 237 中塚明 19791119稿
長崎からの報告 259 藤島宇内
広島長崎朝鮮人被爆者の実態調査報告集会アピール278 広島長崎朝鮮人被爆者の実態調査報告集会 19791110
日本政府に対する要請書 広島・長崎朝鮮人被爆者実態調査団 19791119
在日朝鮮人の人口推移表 284
日本ヘの朝鮮人強制連行数表 285

社会調査-歴史と視点

『社会調査-歴史と視点』(石川淳志・橋本和孝・浜谷正晴編著、ミネルヴァ書房、19940410)

内容

3

はしがき
社会調査史の開拓者群像
1 チャールズ・ブースと「貧困調査」
2 マックス・ヴェーバーの織物労働調査
3 シカゴーモノグラフの経験的地平
4 ロバートーリンドのミドルタウン調査
5 横山源之助と社会観察
6 島崎稔の社会調査
戦後日本の社会的現実と社会調査
7 戦後出発期における労働調査
8 生活調査の戦後的展開
9 戦後農村社会と農村調査
10 環境問題の社会調査史
11 原爆被害者問題の社会調査史
1 原爆被害者調査史の基本視点-隅谷三嘉男・中鉢正美・石田忠と厚生省訓査
2 中野清一「原爆影響の社会学的調査」-兄弟関係と人間関係の順位
 3 山手茂「原爆被害の諸要因の構造的関連」―原爆症と貧困の悪循環
 4 伊東壮「原爆被害の全体像」―いのち・くらし・こころ
 5 米山桂三他「被爆地広島にみる社会変動」-個人・家族・地域社会の解体-再組織過程
 6 湯崎稔「爆心復元・被災綜合調査」-人間的生の全体的崩壊
 7 近沢敬一・船津衛「山口県被爆者実態調査」―被爆者の精構造の特質
 8 石田忠「原爆体験の全体像」<死>と<生>の意味
 9 継承と課題
社会調査史研究の方法論的視座
12 社会調査史研究の視角
13 社会調査史の方法的視点
【資料】文献にみる社会調査史の構成・視点・方法

世界に問われる日本の戦後処理(2)戦争と人権、その法的検討

『世界に問われる日本の戦後処理(2)戦争と人権、その法的検討』(日本弁護士連合会編、東方出版、19931015)

内容

はじめに 1
開会あいさつ 8
日本の戦後処理の問題点について 岩城和代 12
重大な人権侵害の被害者への賠償 テオ・ファン・ボーベン 16
国際法のもとにおける国際責任 ジョン・ハンフリー 41
国際人道法と被害者への賠償 アムール・ゼマリ 52
ユス・コーゲンスと戦争犯罪の補償 カレン・パーカー 72
日本の戦争犯罪と人道に対する罪の可罰の可能性の検討 ウォン・スン・パク 94
戦後補償国際公聴会の報告 荒井信一 111
会場からのコメント 114
閉会あいさつ 118
資料編 関連する条約・宣言など(抜粋)
<国際人権法関係>
1 世界人権宣言 122
2 市民的及び政治的権利に関する国際規約(国際人権規約B規約)122
3 人権差別撤廃条約 123
4 人権に関する米州条約(米州人権条約)123
5 人及び人民の権利に関するアフリカ憲章(バンシュール憲章)124
6 欧州人権保護条約 125
7 拷問等禁止条約 125
8 市民的及び政治的権利に関する国際規約の選択議定書 125
9 条約法に関するウィーン条約 125
<国際人道法関係>
10 陸戦の法規慣例に関する条約(ハーグ条約)126
11 戦地にある軍隊の傷者及び病者の状態の改善に関する1948年8月12日のジュネーブ条約(第1条約)126
12 捕虜の待遇に関する1949年8月12日のジュネーブ条約(第3条約)132
13 戦時における文民の保護に関する1949年8月12日のジュネーブ条約(第4条)133
14 国際的武力紛争の犠牲者の保護に関する追加議定書(第1議定書)133
15 国際司法裁判所規程 136
16 人権及び基本的自由の侵害に関する通報を処理するための手続(国連経社理決議1503)136
17 強制労働に関する条約(第29号)137
18 ドイツ国と同盟及び連合国との間の平和条約(ベルサイユ条約)143
19 イタリア国と同盟及び連合国との平和条約 149
20 国連安保決議687 155
21 日本国との平和条約(サンフランシスコ条約)156
あとがき 159