吉田治平
| よしだ・じへい |
20180131没 |
享年95 | 1945年8月6日の広島壊滅を福岡で聞く。軍命令で神奈川へ向かう途次の5日、上幟町の実家跡を掘り返す。1950年に広島自由労組を結成。元広島市議会議員。1977年失対労働者100人の証言『わしらの被爆体験』を編む(西本雅実「評伝・吉田治平さん」『中国新聞』2018.2.9)<別記予定> |
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吉田治平
| よしだ・じへい |
20180131没 |
享年95 | 1945年8月6日の広島壊滅を福岡で聞く。軍命令で神奈川へ向かう途次の5日、上幟町の実家跡を掘り返す。1950年に広島自由労組を結成。元広島市議会議員。1977年失対労働者100人の証言『わしらの被爆体験』を編む(西本雅実「評伝・吉田治平さん」『中国新聞』2018.2.9)<別記予定> |
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『広島市議会史 昭和(戦後)編』(広島市議会編・刊、19900331)
| 章節 | |||
| 1 | 戦争終結と広島市 | ||
| 1-1 | 被爆による戦後 19 | ||
| 1 歴史を決めた白い光 19 2 市の応急措置 24 |
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| 1-2 | 市会議員の被爆 36 | ||
| 1-3 | 敗戦と占領 48 | ||
| 1 8月15日までの応急事務 48 2 戦後処理 54 |
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| 1-4 | 新市政の発足 60 | ||
| 1 戦後初の市会 60 2 復興の試み 65 |
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| 1-5 | 市会の記録 70 | ||
| 1 市長の選出 70 2 官公庁等市内復帰の要望 76 |
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| 2 | 再建の基礎 | ||
| 2-1 | 財政難の現実 81 | ||
| 1 戦後初の予算編成 81 2 財源問題 86 |
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| 2-2 | 浜井市政の開始 89 | ||
| 1 最初の市長選挙 89 2 行政機溝の改変と制度の転換 94 |
|||
| 2-3 | 戦後第1回の市会選挙 98 | ||
| 1 全市1選挙区制の採用 98 2 市会制度の整備と運営 103 |
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| 2-4 | 広島平和記念都市建設法の成立 111 | ||
| 1 請願から特別法へ 111 2 法案通過と住民投票 117 |
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| 2-5 | 市議会の記録 119 | ||
| 1 法制定過程についての報告 119 2 感謝決議と現実問題 123 |
|||
| 3 | 戦後改革と市政 | ||
| 3-1 | 市町村主義への転換 137 | ||
| 1シャウプ勧告 137 2 諸改革への対応 139 |
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| 3-2 | 自治体警察の顛末 148 | ||
| 1 公安条例の制定 148 2 自治体警察の廃止 153 |
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| 3-3 | 誘致の努力と成功 159 | ||
| 1 第6回国民体育大会とカープ出資 159 2 工場誘致 164 |
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| 3-4 | 議員定数問題と選挙 169 | ||
| 1 定数削減の論議 169 2 26年統一選挙 175 |
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| 3-5 | 市議会議員選挙当選無効事件 178 | ||
| 1 問題の経過 178 2 事件の幕切れ 184 |
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| 4 | 施設の拡充と市政 | ||
| 第1節 市民球場とバスターミナル 189 1 市民球場の建設まで 189 2 バスターミナルの建設 195 第2節 治水・取水問題 203 1 太田川改修工事の完成 203 2 太田川分水問題と土師ダム負担金 208 第3節 中核都市への構想と対応 219 1 大広島構想の継続 219 2 広島市開発公社の設立 225 第4節 大規模施設をめぐる紛争 230 1 市営火葬場建設問題 230 2 空港 236 第5節 市議会の規模(施設と定数)241 1 新議事堂の建設 241 2 定数問題再び 248 |
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| 5 | 原爆問題への新たな対処 | ||
| 第1節 原水爆禁止へ向けて 253 1 原水爆禁止運動と市議会 253 2 原水爆・核兵器の禁止を求めて 257 第2節 被爆者対策・被爆者医療を求めて 263 1 被爆者対策の開始 263 2 原爆医療法の成立と展開 268 第3節 被爆者の全面的援護を求めて 278 1 原爆特別措置法へ向けて 278 2 被爆者援護法を求めて 283 第4節 平和施設の設置 293 1 広島平和記念都市建設法の制定と市議会の対応 293 2 原爆ドーム 301 |
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| 6 | 民生と福祉 | ||
| 第1節 同和対策事業 309 1 戦後当初の同和対策行政 309 2 同和対策行政の発展 313 第2節 失業対策事業 316 1 失業対策事業の開始と発展 316 2 失業対策事業の縮減へ向けて 319 第3節 医療機関の充実 323 1 広島市立舟入病院 323 2 社会保険広島市民病院 325 3 広島市立安佐市民病院 328 第4節 社会福祉事業の開始 331 1 戦後当初の社会福祉 331 2 国民健康保険事業 337 第5節 高齢化社会へ向けて 342 1 社会福祉施策の展開 342 2 高齢化社会への対応 351 |
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| 7 | 教育行政 | ||
| 第1節 教育委員会 363 1 戦前の地方教育行政 363 2 教育委員会の変遷 364 第2節 小・中学校、高等学校 375 1 小学校および中学校 375 2 市立高等学校 385 第3節 幼椎園とその他の市立学校 393 1 幼椎園 393 2 その他の市立学校 401 第4節 広島大学移転 404 1 新制広島大学の誕生 404 2 統合移転へ向けて 406 3 広島市および市議会の対応 410 |
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| 8 | 草の根民主主義のために | ||
| 第1節 図書館の発展 427 1 CIE図書館と市立浅野図書館 427 2 市立中央図書館と公文書館 430 第2節 冷戦の中の姉妹都市 431 2 ホノルル 432 3 ボルゴグラード 437 第3節 新たな国際友好の動き 446 1 ハノーバー 446 2 重慶 453 第4節 安全な環境づくり 455 1 市議会の暴力追放決議 455 2 都公害からの自由 459 第5節 市議会議員定数条例問題 470 1 民主主義と議員定数 470 2 直接請求の提出と市議会の対応 472 |
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| 9 | 政令指定都市への歩み | ||
| 第1節 大広島構想による編入合併 487 1 戸坂村の編入 487 2 中山村・井口村の編入 490 第2節 広域合併 494 1 14カ町村の合併 494 2 合併をめぐる紛争 503 第3節 目標の確定 507 1 調査研究の進行 507 2 政策の転換 514 第4節 目標の実現 521 1 政令の公布 521 2 区設置条例の成立 529 第5節 指走都市移行の背景 537 1 基本構想の改定 537 2 自治省の視点からの折衝経過 541 |
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| 10 | 政令指定都市としての広島市 | ||
| 第1節 区名決定の経緯 555 1 行政区画研究会案 555 2 区名決定まで 559 第2節 制度的移行の概要 563 1 制度としての指定都市 563 2 事務移譲 568 第3節 区役所の組織と機構 571 1 行政区の理念 571 2 区役所設置 578 第4節 昭和55年度への対応 584 1 予算編成と条例・規則の制定・改廃 584 2 予算と施策の概要 586 第5節 人事問題の波紋 597 1 副議長不信任 597 2 議員・市長・助役 606 |
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| 11 | 大都市建設事業 | ||
| 第1節 西部開発事業の完成 615 1 事業の経緯 615 2 補償と市議会議員 620 第2節 市庁舎の完成・改修 626 1 本庁舎の新築 6262 議事堂としての南庁舎改修 632 第3節 市街地整備事業のあらまし 637 1 基町地区再開発 637 2 段原再開発 642 3 駅前再開発 648 第4節 臨海部開発の構想 652 1 21世紀ビジョンの作成 652 2 メッセ・コンベンション・ゾーンの計画 657 第5節 広島西部丘陵都市構想の具体化 667 1 新都心形成の夢 667 2 都市建設に向けての論議 677 |
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| 12 | 国際平和文化都市としての成熟を目指して | ||
| 第1節 ごみ戦争と環境浄化 687 1 都市化と廃棄物 687 2 し尿処理 694 第2節 交通問題構想と総合交通体系 698 1 道路・交通の現況と取組み 698 2 新交通システム 711 第3節 平和アピールの継続 720 1 非核3原則 720 2 被爆40周年 727 第4節 文化行政の諸相 732 1 文化懇話会の提言から 732 2 都市美と現代美術館 740 第5節 市制100周年前後 748 1 昭和の終わり、平成の始まり 748 2 海と島の博覧会からアジア競技大会へ 753 |
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| 付録 | |||
| 1 歴代市議会議長・副議長および市議会議員名簿 763 | |||
| 2 市議会開会の記録 772 | |||
| 3 会派の推移 789 | |||
| あとがき | |||
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広島市議会史 広島市議会編・刊
| 1 | 概観広島市議会史 | 広島市議会事務局 編 | 1976/03/31 |
| 2 | 広島市議会史-統計資料編 | 広島市議会編 | 1983/03/31 |
| 3 | 広島市議会史-法令資料編 | 広島市議会編 | 1984/03/31 |
| 4 | 広島市議会史-新聞資料編 | 広島市議会編 | 1985/03/31 |
| 5 | 広島市議会史-議事資料編Ⅰ | 広島市議会編 | 1985/03/31 |
| 6 | 広島市議会史-社会資料編 | 広島市議会編 | 1986/02/28 |
| 7 | 広島市議会史-議事資料編Ⅱ | 広島市議会編 | 1987/03/31 |
| 8 | 広島市議会史-大正・昭和(戦前)編 | 広島市議会編 | 1987/03/31 |
| 9 | 広島市議会史-総論・明治編 | 広島市議会編 | 1990/03/31 |
| 10 | 広島市議会史-昭和(戦後)編 | 広島市議会編 | 1990/03/31 |
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『ヒロシマの子育て・教育』1990~1992年
| 年月 | 号 | 頁 | ||
| 1990 | ||||
| 06 | 創刊号 | |||
| 1991 | ||||
| 11 | 16 | |||
| 1992 | ||||
| 07 | 24 | 08 | 平和教育実践をすすめよう | |
| 09 | 平和教育 各校の取りくみ状況 | |||
| 10 | 26 | 04 | 第1回全国教育研究交流集会に参加して | |
| 05 | 第一分科会(平和教育) | |||
| 11 | 27 | |||
| 12 | 28 | 09 | 私学の頁=「呉・広地区父母懇の発足①」 | |
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鈴木直吉<作業中>
| すずき・なおきち | 生19860129没 | 享年90歳 | 1949年広島県立医科大学教授。広島大学医学部教授(「中国年鑑1956」)。 |
略歴
| 年月日 | ||||
| 1895 | 愛知県生まれ。 | |||
| 20歳で洗礼、クリスチャンに。 | ||||
| 1926 | 東京帝国大学農学部卒業 | |||
| 東北帝国大学助手として解剖学者としての第一歩 | ||||
| 岩手医学専門学校教授,満洲医科大学教授,横浜医科大学教授等。 | ||||
| 1949 | 広島県立医科大学教授。 | |||
| 国立移管により広島大学教授 | ||||
| 1958 | 停年退官 | |||
| 岩手医科大学教授,広島文教女子大学教授,順正短期大学教授を歴任 | ||||
| 武者小路実篤や郭沫若と親交 | ||||
| 1952 | 広島大学教授らでつくった「平和と学問を守る大学 人の会」会長 |
|||
| 1955 | 第1回原水禁世界大会(広島市)の開催に尽力 | |||
| 1964 | 広島県原水協初代会長 | |||
| 日中広島県連合会名誉会長 | ||||
| 1964 | 中国科学院の招待により第1回日本 学術代表団団長として訪中。 |
|||
| 呉市芸術文化功労賞 | ||||
| 1969 | 勲三等瑞宝章。 | |||
| 参考資料 | ||||
| 広島大学「学内通信」19850325 | ||||
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栗原登 くりはら・みのる<作業中>
| 19261130生20160907没 | 享年90歳 | 広島大学原爆放射能医学研究所所長(1985年4月1日~1987年3月)。 |
止
広島大学歴代医学部長
https://www.hiroshima-u.ac.jp/med/about/dean
| 代 | 姓名 | よみ | 期間 | 備考 |
| 1 | 河石九二夫 | かわいし・くにお | 昭和28年8月1日~昭和31年4月1日 | |
| 2 | 西丸和義 | にしまる・かずよし | 昭和31年4月1日~昭和31年10月22日 | |
| 3 | 鈴木直吉 | すずき・なおきち | 昭和31年10月22日~昭和33年3月31日 | |
| 4 | 渡辺漸 | わたなべ・すすむ | 昭和33年3月31日~昭和35年3月31日 | |
| 5 | 塚本寛 | |||
| 6 | 中塚正行 | |||
| 7 | 浦城二郎 | |||
| 8 | 中塚正行 | |||
| 9 | 浦城二郎 | |||
| 10 | 小林宏志 | |||
| 11 | 澤野十蔵 | |||
| 12 | 矢村卓三 | |||
| 13 | 仁平寛巳 | |||
| 14 | 矢村卓三 | |||
| 15 | 西本幸男 | にしもと・ゆきお | 昭和57年4月2日~昭和60年9月10日 | |
| 16 | 松尾吉恭 | |||
| 17 | 徳岡昭治 | |||
| 18 | 盛生倫夫 | |||
| 19 | 原田康夫 | はらだ・やすお | 平成2年4月1日~平成5年5月20日 | |
| 20 | 川崎尚 | |||
| 21 | 調枝寛治 | |||
| 22 | 吉永文隆 | よしなが・ふみたか | 平成8年4月1日~平成10年3月31日 | |
| 23 | 松浦雄一郎 | |||
| 24 | 大濱絋三 | |||
| 25 | 井内康輝 | 平成14年4月1日~平成18年3月31日 | ||
| 26 | ||||
| 27 | ||||
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川村智治郎
| かわむら・としじろう | 19060307生20030127没 | 享年96歳 | 広島大学第3代学長。第52回(昭和37年5月11日)日本学士院賞。 |
関係資料
| 19671001 | 「放送とわたし」(『放送RCC』第71号1967.10.01 所収) | ||
| 19821017 | 『追懐 広島高等師範学校創立八十周年記念』(広島高等師範学校創立八十周年記念事業会編・刊) | ||
| 19950107 | 元広島大学(旧広島大学理学部1号館)の保存を考える会設立。会長に就任。 | ||
止
広島大学原爆放射能医学研究所創立30周年記念講演会記録
| 1991年11月2日 |
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止
序(蔵本淳・広島大学原爆放射能医学研究所長・付属原爆被災学術資料センター長)
『原爆関係蔵書目録Ⅲ 1984年1月~1988年12月』(広島大学原爆放射能医学研究所附属原爆被災学術資料センター資料調査室 編・刊、19900731)所収
内容
| 序 昨年末,全米研究評議会(NRC)は低レベル電離放射線の生物学的影響についてBEIR (Biological Effect ofIonizing Radiation)の報告書Vを発表して注目されている。現在,放射線許容量などの基礎ともなっている BEIR一報告書Ⅲ(Chairman: A, C, Upton, 1980), I CRP (国際放射線防禦委員会)や, UNSCEAR (国連科学委員会)からのデータが,この10年間の広島,長崎での調査研究成果から,大幅な改訂を迫られたというoとくに白血病や,発癌リスクについては従来の甘さが指摘され,また被爆胎児の知能発育,被爆者の子供への遺伝的影響,被爆者年令(ATB)の影響などの見直し,未解決の問題を指摘している。 本資料センターは,原爆被災に関する資料の保存を目的として1974年(昭和49年)4月,日本学術会議の政府勧告,地元広島,長崎市民の要望,研究者,関係財団の熱意と努力の結果,当研究所に併設された。その当時の関係者の卓見とこれを実現された熱意とエネルギーに襟を正す思いである。 以来,営々と資料の収集と整理に努力が重ねられ,すでに「原水爆関係資料目録I」は1974~78年の5年分を1980年に,「原爆関係蔵書目録U」は, 1979~1983年の5年分を1985年に発刊してきた。今回は特に直接被爆者本人からしか聞きとれない,かけがえのない原爆被爆体験に関わる資料を一義的に収集する方針から被爆記録,体験記,手記に重点をおいた。そして個人体験のみならず,原爆当時の組織,機関,団体ごとの手記や記録が主要なものとなっている。45年を経過し,生き証人となる方々が,年々少なくなってこれら貴重な資料が埋れ,散逸することが懸念されている。今回の成果は市民の方々の深い理解と暖かい協力の賜であることを強調して感謝したい。 本センターは,これら「資料調査室」の活動とともに,「医学資料室」,「人口資料室」が各々の作業を進めて,原医研年報に成果を報告している。今後は上記のごとく,広島,長崎のデータが,これからの人類の命運に関わる放射線の人体に及ぼす影響について,原子力の平和利用,宇宙開発に伴う健康管理についてのかけがえのない情報を提供することにより,世界平和にも貢献できる貴重な資料であることを改めて確認する必要があろう。またそうならなくてはならない責任が,この資料センターには嫁せられ,また期待されていることを認識しなければならない。4年を経過したチェルノブイル原発事故後の放射能汚染問題を解決するため,ソ連政府からの依頼でIAEA (国際原子力機関)が調査を開始している。今回も広島,長崎からの参加,研究協力がソ連政府からも,国際機関からもそして現地の官民,医療機関からも強く要望されていることを,身をもって体験し覚悟を新たにしている。 目録刊行にあたり資料の御寄贈御協力頂いた方々に感謝すると共に,目録の作成に尽力された資料調査室の皆様に敬意を表します。今後共,各位の御理解と御指導を切にお願い致します。 1990年5月 広島大学原爆放射能医学研究所長 附属原爆被災学術資料センター長 藏本 淳 |
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