核兵器禁止平和建設国民会議(資料 )

核兵器禁止平和建設国民会議(資料 )

年月日 タイトル 備考
19610906 核兵器禁止と平和建設のために 核兵器禁止平和建設国民会議
197804 在韓被爆者 核兵器禁止平和建設国民会議
[目次]1.被爆の背景、2.在韓被爆者の社会的背景、3.陜川郡における被爆者実態調査、4.韓国被爆者の身体的障害と健康状況、5.韓国被爆者救援活動、6.韓国陜川原爆被害者診療所に対する慶尚南道と陜川郡の支援状況。
19820615 核兵器廃絶の叫び-核禁会議二十年史 核兵器禁止平和建設国民会議
199401 核兵器廃絶と恒久平和を求めて : 核禁会議三十年史 核兵器禁止平和建設国民会議

広島平和記念資料館メールマガジン

広島平和記念資料館メールマガジン
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多くの人々に広島平和記念資料館に関心を持ってもらうため、資料館に関する最新情報(コラム、資料館トピックス、企画記事、図書紹介等)を配信
●配信日 毎月1日
●配信形式  テキスト形式
●発行者 広島平和記念資料館啓発担当

 

 号 発行年
月日
 記事  著者等
2003
創刊準備 0718 メールマガジンの創刊にあたって 畑口實(広島平和記念資料館長)
「コラムは、広島平和記念資料館の運営をしている( 財 )広島平和文化センター齊藤忠臣理事長を中心に、私を含めた資料館のスタッフが執筆していきます。このコラムでは、ヒロシマにまつわるいろいろな話題や資料館に来られた方とのエピソード等を読みやすい文章でお伝えする予定です。ご期待ください。」
創刊 0801 コラム
ヒロシマの風
 斎藤忠臣
資料館
ニュース
 平成15年度第一回企画展「原子爆弾ナリト認ム」―原爆投下後に行われた被爆調査の軌跡を追う― の概要をご覧いただけます。
2  0901  コラム
ヒロシマの風
 斎藤忠臣
3  1001  コラム
ヒロシマの風
 畑口實
4  1101  コラム
ヒロシマの風
 斎藤忠臣
5  1201  コラム
ヒロシマの風
 斎藤忠臣
6  1226 コラム
ヒロシマの風
  畑口實
対話ノートから
「対話ノートは、1970年10月17日から、当館西館北側ロビー出口付近に設置しており、館内展示を観覧された方々に、
記名匿名にかかわらず、自由に感想を書いていただいてい
ます。来館者同志、あるいは来館者と資料館職員との対話
のためのノートです。
対話ノートの冊数は、今年12月26日現在で879冊。今月は
対話ノートに残された海外から来館された方の感想をごく
一部ですが、紹介いたします。」
 2004
7 0130 コラム
ヒロシマの風
広島平和記念資料館 副館長(啓発担当)山本靖彦
「昨年10月、市民の方から「啓発という言葉は不遜ではな
いか」という趣旨の投書をいただいた。私どもの職場の名
称である『啓発』という言葉には、「役人が市民を教育す
るというようなニュアンスが感じられる。この役所的なネ
ーミングを変えるつもりはないか。」
これに対し、私ども啓発担当として、「『啓発』という言
葉には、“知識をひらきおこし理解を深めること(広辞苑
新村出編第四版)”という意味があり、『啓発担当』のネ
ーミングは、原爆による広島の被害状況や平和への取り組
みについて普及し、理解を深めたいとの思いから付けられ
たものであり、(中略)教育しよう、ということでこの名前
になったものではない」と、その市民の方には回答申し上
げた。もちろん、今後、組織改正の際などに検討していき
たい旨の一文も添えた。」
資料館
ニュース
ヒロシマを知る講座(第二回)
「復興資料を読み解く」講師 松林俊一(広島市文化財団文化財課普及担当課長)
8  0301  コラム
ヒロシマの風
 広島平和記念資料館 副館長(学芸担当) 高野和彦
9  0401  コラム
ヒロシマの風
 齊藤忠臣
広島市内の学校における平和への取組み(1) 平和学習のため、全国から多くの学校が、広島、長崎そして沖縄などの地を修学旅行で訪れます。
もちろん、広島においても、多くの学校が被爆体験を正しく伝え、平和について考え、平和を創造していくための様々な取り組みや活動を行っています。
千羽鶴で有名な佐々木禎子さんの母校・広島市立幟町中学校では、かつて「原爆の子の像」建立の原動力となる行動を起こしました。平成12年には校内に「折り鶴の碑」を設立。平成13年には、サダコの物語を漫画化した「わたしからのメッ
セージ」を刊行。現在も「平和委員会」を中心に「原爆の子の像」碑前祭、県内外の学校との平和交流など、平和に関する様々な行事を行っています。(詳しくは↓の学校のホームページをご覧ください)
http://www.noborichou-j.edu.city.hiroshima.jp/これからも、随時、特徴的な具体例を取り上げて紹介したいと考えています。みなさんの学校での平和学習や平和への取組みの参考になれば幸いです。
  読んでみたい―この一冊 吉田守男 『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』朝日新聞社(朝日文庫) 本体640円 ISBN-02-261353-X C0121
「第二次世界大戦末期、京都・奈良・鎌倉など、貴重な文化財の残る古都が米軍の空襲を免れたのは、日本の文化・芸術をこよなく愛し、それを戦禍から守ろうと政府に働きかけた米国人学者の努力のお蔭である」
こんな逸話に聞き覚えがありませんか?
この本の著者は、この「伝説」の拠り所になった事柄を精緻に考察し、伝説が創られた過程を検証しています。つまり、戦争中、京都の文化財保護のために尽力したといわれるウォーナー博士の「伝説」は、終戦直後の情報不足からくる噂話を利用して、GHQ民間情報教育局(CIE)が作り上げた
ものではないだろうかと。そして、京都が空襲を免れたのは、「原爆投下候補地に指定されていた」ためであるといいます。
未知の兵器である原爆の威力を正確に測定するため、原爆の投下目標になった都市(広島・新潟など)は『爆撃禁止都市』に指定されていました。8月15日の終戦がなければ、京都に3発目の原爆が投下されていた可能性もあったのです。
著者が示した原爆と京都の関係は、あまり声高に語られてきませんでした。未だに古都の景観保存運動では、「米国人が残してくれた町並みを日本人が壊すのか」という話をよく聞きます。この本を読みながら、あなたも「伝説」の謎解きに参加してみませんか。
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12  0701  コラム
ヒロシマの風
 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
館長 前田耕一郎
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臨時  0430  広島平和記念資料館メールマガジンの休刊について  当館では、資料館東館・本館のリニューアルオープン(平成30年夏予定)に合わせて、メールマガジンを一新するよう検討しています。
このため、しばらくの間、メールマガジンを休刊しますので、ご理解いただきますよう、よろしくお願いします。
生まれ変わるメールマガジンを、どうぞご期待ください。

 

 

こうの史代

こうの史代:女性漫画家、イラストレーター

代表作
『夕凪の街 桜の国』(双葉社、200408刊)
『この世界の片隅に』

『夕凪の街 桜の国』(双葉社、双葉文庫、20080420)
夕凪の街=被爆10年後の広島が舞台
桜の国=42年後~59年後の東京と広島が舞台

波乱の生涯を全力でつくした七十年の斗魂

『波乱の生涯を全力でつくした七十年の斗魂』(金本邦夫著、財団法人富士社会教育センター刊、19960520刊)目次抄

章節
出版に寄せて
はじめに
1 小さい頃と両親のこと
2 小学校時代のこと
3 青年団活動
4 大東亜戦争のこと
4-12 原爆と終戦
5 音戸町体育協会のこと
6 全力つくした町議会議員
6-1 戦後第1回統一地方選挙に出馬。<音戸町議員>
6-2 戦争未亡人救済の町営授産場設立に努力
6-3 町立保育所の設立を実現
6-4 音戸高等学校誘致に死力をつくす
7 呉造船労働組合時代 労働運動に生涯をかける決意
7-1 労働運動に入るきっかけ
7-2 給料遅配に特別交渉委員。出征兵士見送り同様の壮行会で上京
7-6 全国初の厚生年金還元融資の串山住宅
7-7 中国労災病院呉誘致に一役買う
7-9 呉造船独立と労働組合
7-10 生協売店市中進出反対デモの応対。本部建設に一役、音戸取次所を自宅に
7-12 労働組合長に就任
7-13 年満者夫婦の招待慰安旅行の実施
7-16 組合特自の共済規定の実現
7-17 家族会の結成と家族相談室の設立
7-19 年満者引続き雇用を要求・遂に呉船産業株式会社設立を実現
7-20 毎日新聞全国版(1961年2月4日)に40代の顔として紹介される
7-22 組合結成十五周年記念事業として十五年史発刊と会館建設を実施
8 広島全労議長として活躍
8-1  造船総連、総同盟等の上部役員
8-2  広島全労議長に就任
 8-3  県関係の各種委員に任命される
 8-4  日本生産性本部米国派遣視察。労働者チーム十二名の団長として
 8-4-1  出発に郷里で見送り壮行会
 8-4-2  いよいよアメリカ、主要都市周辺のこと
 8-4-3  労働組合が国旗と組合旗を尊重
 8-4-4  徹底している産業別組織の確立。大手鉄鋼会社で県出身二世課長の案内
 8-4-5  組合大会を見学、幹部と懇談。働きすぎの日本におひやかされる
 8-4-6  日系人のこと
 8-4-7  手土産と家庭訪問
 8-4-8  余話
 8-5  最賃法裁判で基準局賃金課長を激励
8-7-1
 8-6  憲法調査会の公述人として意見陳述
8-7 核禁会議の結成で原水協とテレビ対決
8-8 労済、労住、労福協の結成
8-8-1 植木仙次郎氏8-5の功績
8-8-2 広島県労働者共済生活協同組合の設立
8-8-3 広島県労働者住宅生活協同組合の設立10月
8-8-4 広島県労働者福祉対策協議会結成
8-8-5 結成周年記念式典の思い出
8-8-6 焼山政畝団地造成の思い出
8-8-7 音戸波多見竹田浜埋立団地に
8-9 労働争議の斡旋、調停、指導
8-9-1 西美電気西光精機(現テンパール工業)
8-9-2 府中町静養院の争議
8-9-3 ニコニコバスの争議
8-9-4 日東製網の争議解決に努力
8-9-5 佐竹新労結成は暴力を排除して
8-9-6 激しかった当時の労働争議
8-9-7 国鉄、電産のスト、労使に苦言
8-9-8 地労委としての私の基本的考えと携わった事件
8-9-9
8-9-10 メーデー改善を訴える
8-9-11 講演依頼やテレビ、ラジオの対談。常にマスコミの対象にされる
8-9-12 同盟会議結成の準備と全労議長退任
9 職場復帰で全力投球 社長表彰、更に営業で実績
10 PTA活動と小、中学校の分離推進で中学校建設に献身
11 生涯民社党を貫く
12 思い出深い選挙活動
まえがき
12-1 衆議院議員前田栄之助先生を支えて
12-2 民社党結党直後の衆院選、私に出馬要請されるも遂に辞退
12-3 永野巖雄先生とのかかわり
12-4 二区衆議院選に香河直祐氏。選対委員長を引受けて闘う
12-5 山田節男先生と私。参議院選挙と広島市長選挙
12-6 浜田光人先生、衆院選擁立について
12-7 保野健治郎先生の選挙
12-7-1 呉市長選擁立に社公民三党の話合い
12-7-2 二回目の市長選は未曽有の激戦
12-7-3 衆院二区に擁立して健闘。事務長を引受ける
12-8 小西博行先生擁立に主役。経緯と参院選
12-9 永末英一選対委員長来呉で二区衆院候補擁立について話合う
12-10 全国初の公民協力、勝谷勝弘氏を支援
12-11 盟友玉野晃君と県会議員選挙
12-12 玉野君病で引退説得を依頼される。後任混乱。私は苦しみ抜き、党のため遂に候補受諾
12-13 次期県議候補に柳田稔氏を説得
12-14 参院地方区佐々木秀隆候補は呉支部党員
12-15 呉市議選につくした私の役割
12-15-1 組合長在任中二回の補欠選挙に勝利
12-15-2 出崎文三氏をわが社社員で市議へ
12-15-3 榊原伍市議との交友
12-15-4 横田勝信市議とのこと
12-15-5 民社の申し子、重盛親聖市議。永年の結びつきと選挙を思う
12-15-6 組織外から森岡よし子氏擁立に一役。平成七年統一地方選に初の女性市議
12-15-7 成功しなかった市議選
12-16 川尻町長選に花田博幸氏、惜敗する
12-17 音戸町長選(平成五年)を思う
12-18 公職選挙法違反で留置場十九日。会社、団体等役員十九件を辞任
12-19 民社党候補者探しは私の役目として努力
13 会社設立し理想に向って
13-1 IHIを中途退職して外で行動
13-2 株式会社くれせん設立
14 家庭、家族のこと
15 大東亜戦争戦没者慰霊碑建設と老人福祉施設の建設を希求して
むすびに
金本邦夫略年譜

広島市平和式典(2008年)における総理大臣挨拶

内 閣 総 理 大 臣 挨 拶

広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。

六十三年前、幾万の尊い命と共に焦土と化した広島は、今や我が国有数の大都市に発展するとともに、国際的にも平和都市として名誉ある地位を占めています。私は、これもひとえに市民の皆様方が、廃墟の中から立ち上がり、街を復興するにとどまらず、被爆地として、平和の尊さを世界中に訴える努力を続けてこられた賜と考えます。

国としても、唯一の被爆国として、広島、長崎の悲劇を二度と繰り返してはならないと堅く決意し、戦後一貫して国際平和の途を歩んでまいりました。

広島は平和の象徴(シンボル)です。昨年から日本とアジアの青年たちが「広島平和構築人材育成センター」に集い、平和の大切さを実感しながら国際平和協力活動について学ぶ研修を始めています。

平和で安定した国際社会は、我が国の安全と繁栄にとってもかけがえのない財産であり、これを守り育てるためにも、我が国は「平和協力国家」として、国際社会において責任ある役割を果たしていかなくてはなりません。先の北海道洞爺湖サミットのG8首脳宣言では、初めて、現在進行中の核兵器削減を歓迎し、すべての核兵器国に透明な形での核兵器削減を求めました。

そして、本日、ここ広島の地で、改めて我が国が、今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の先頭に立っていくことをお誓い申し上げます。

また、被爆により苦しんでおられる方々には、保健、医療並びに福祉にわたる総合的な援護策を実施してまいります。本年三月には、原爆症認定の新たな方針を策定し、できる限り多くの方を認定するよう努めています。さらに、六月には、在外被爆者の方々の被爆者健康手帳の取得を容易にするための改正被爆者援護法が成立しました。今後とも、苦しんでおられる方を一人でも多く援護できるよう取り組んでまいります。

結びに当たりまして、犠牲となられた方々の御冥福と、被爆された方々並びに御遺族の皆様の今後の御多幸、そして広島市の一層の発展を心より祈念申し上げ、私のあいさつといたします。

平成20年8月6日
内閣総理大臣 福田康夫

広島市平和式典(2007年)における総理大臣挨拶

広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式
内 閣 総 理 大 臣 挨 拶

本日、広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。また、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞い申し上げます。
広島は、焦土から立ち上がり、国際平和文化都市として、大きく成長しました。今日まで、広島の復興と発展に尽力された多くの皆様に心から敬意を表します。
今から六十二年前の今日、原子爆弾がこの地に投下されました。広島の広範な地域で十数万ともいわれる尊い命が一瞬にして奪われ、多くの方々が傷つき、今も残る耐え難い障害に苦悶されています。
七万戸に及ぶ建物が破壊され、市民の財産の大半が灰燼に帰するなど、ここ広島の地は廃墟と化しました。
我が国は、戦後六十二年の間、ただひたぶるに国際平和への途を歩んでまいりました。広島、長崎の悲劇は、この地球上のいかなる地においても再び繰り返してはなりません。我が国は、人類史上唯一の被爆国として、この悲惨な経験を国際社会に語り継いでいく責任があるのです。
私は、犠牲者の御霊と広島市民の皆様の前で、広島、長崎の悲劇を再び繰り返してはならないとの決意をより一層強固なものとしました。今後とも、憲法の規定を遵守し、国際平和を誠実に希求し、非核三原則を堅持していくことを改めてお誓い申し上げます。
また、国連総会への核軍縮決議案の提出などを通じて、国際社会の先頭に立ち、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向け、全力で取り組んでまいります。
政府は、被爆者の方々に対して、これまで保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護施策を充実させてきました。本年四月からは、原爆特別養護ホーム「矢野おりづる園」を新たに開設したところです。今後とも、被爆者の方々の切実な声に真摯に耳を傾け、諸施策を誠心誠意推進してまいります。
終わりに、犠牲となった方々の御冥福と、被爆者並びに御遺族の皆様の今後の御多幸、そして広島市の一層の発展をお祈り申し上げます。

平成19年8月6日
内閣総理大臣 安倍晋三

広島市平和式典(2001年)における総理大臣挨拶

広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式

内 閣 総 理 大 臣 挨 拶
本日ここに、被爆五十六周年の広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式が執り行われるに当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。そして、今なお被爆の後遺症に苦しんでおられる方々に対し、心からお見舞いを申し上げます。

今から五十六年前の今日、原子爆弾の投下により、幾多の尊い生命が一瞬にして失われ、この広島の地は廃墟と化しました。現在では市民の皆様の並々ならぬ御努力により、国際平和文化都市として、ますますの発展を遂げておりますが、現在の平和と繁栄の礎に、原子爆弾の惨禍による尊い犠牲があることを決して忘れることはできません。

人類史上唯一の被爆国である我が国は、平和憲法を遵守し、非核三原則を堅持するとともに、原子爆弾による惨禍が再び繰り返されることのないよう、核兵器の廃絶と恒久平和の実現を、国際社会に訴え続けてまいりました。

昨年十月の国連総会において、我が国は、包括的核実験禁止条約(CTBT)の早期発効など、核軍縮・核不拡散のための具体的措置を盛り込んだ「核兵器の全面的廃絶への道程」と題する決議案を提出し、圧倒的多数の支持を得て採択されたところです。また、本年九月には、CTBT発効促進会議がニューヨークにおいて開催されます。我が国としては、これまでも様々な機会を通じてCTBT発効のための努力を行ってまいりましたが、この会議が成功するよう努力するとともに、更にこれを契機として、一層、積極的に各国への働きかけを行うなど、我が国は、今後とも国際社会の先頭に立ち、核軍縮・核不拡散の取組を押し進め、核兵器の廃絶に全力で取り組んでまいります。

また、被爆者の方々に対しましては、「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」に基づき、保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護施策の充実を図ってまいりました。今後とも、高齢化が進む被爆者の方々の実状を十分に酌み取りながら、援護施策の推進に誠心誠意努めてまいります。さらに、来年度開館する予定の国立広島原爆死没者追悼平和祈念館につきましては、原子爆弾による死没者の方々の尊い犠牲を銘記するとともに、永遠の平和を祈念し、原子爆弾の惨禍を全世界に伝えるための施設となるよう努めてまいります。

ここ広島において、本日の式典に臨み、私は平和への思いを新たにし、原子爆弾による惨禍が二度と繰り返されることのないよう、恒久平和の実現に全力で取り組んでいくことを御霊の前にお誓い申し上げます。

終わりに、亡くなられた方々の御冥福と、御遺族並びに被爆者の方々の今後の御多幸を心からお祈りし、併せて参列者並びに広島市民の皆様の御健勝を祈念申し上げます。

平成十三年八月六日

内閣総理大臣  小泉 純一郎

広島平和記念式典における内閣総理大臣(1997年)挨拶

広島平和記念式典における内閣総理大臣(1997年)挨拶
本日ここに、被爆五十二周年の広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式が挙行 されるに当たり、原子爆弾により尊い命を奪われた数多くの方々の御霊に対し、謹 んで哀悼の誠を捧げます。そして、今なお原爆の後遺症に苦しんでおられる方々に 対し、心からお見舞い申し上げます。また、廃虚の中から立ち上がり、今日の百十 万人の人口を擁するこの広島を見事に築かれました市民の皆様の半世紀にわたる並 々ならぬ御努力に対し、深い敬意を表するものであります。

核兵器のない世界の実現は、人類史上唯一の被爆国である我が国の悲願でありま す。我が国は、広島、長崎の悲劇を再び繰り返してはならないという固い決意の下、 日本国憲法を守り、非核三原則を堅持するとともに、現実的かつ着実な国際的努力 による核兵器の廃絶と恒久平和の確立を全世界に訴えてまいりました。

昨年から今年にかけての一年間は、核軍縮における歴史的な成果をあげた年であ り、我が国が永年希求しておりました包括的核実験禁止条約が昨年九月の国連総会 で採択されるに至りました。私は、その重要性を深く認識し、その署名式には自ら 出席し、また、他国に先駆けて締結すべく、先の通常国会で御承認を頂いた次第で あります。こうして我が国は、条約発効のために批准が必要とされている四十四カ 国中で最初の締約国となりましたが、これが他国の条約締結の呼び水となることを 期待するとともに、各国に同条約の早期締結を働きかけることにより、同条約の発 効を早期に実現させたいと考えます。今後とも私は、核軍縮、核兵器の不拡散、更 には、核兵器の全廃と戦争のない世界の実現に向けて一層の努力を重ねてまいりま す。核軍縮における次の課題は、核兵器生産のための核分裂性物質の生産禁止に関 するいわゆるカットオフ条約の作成ですが、その条約交渉の早期開始に向け、積極 的に努力してまいりたいと思います。

また、被爆者の方々に対しましては、平成六年十二月に制定されました「原子爆 弾被爆者に対する援護に関する法律」に基づき、特別葬祭給付金の支給を始め、保 健、医療、福祉にわたる総合的な被爆者援護施策の充実を図ってまいりましたが、 今後とも高齢化の進行など被爆者の方々の実状を十分汲み取りながら、被爆者の方 々に対する援護施策の充実に向けて誠心誠意努めてまいります。

終わりに、本日の式典に臨み、平和への決意を新たにするとともに、亡くなられ た方々の御冥福と、御遺族並びに被爆者の皆様の今後のご多幸を心からお祈りし、 併せて参列者並びに広島市民の皆様の御健勝を祈念いたしまして、私のあいさつと いたします。

平成九年八月六日   内閣総理大臣 橋本 龍太郎

広島市平和記念式典(1953年)における内閣総理大臣のメッセージ

内閣総理大臣のメッセージ
1953(昭和28).8.6
メッセージ

本日ここに,広島市原爆死没者慰霊式並びに平和記念式を厳修されるに当り,謹んで諸霊の冥福を祈ると共に,平和都市建設の理想を実現されつつある,広島市市民諸君の御努力に対し,深甚の敬意を表すものであります。

世界の平和を目指して,民主主義に基く文化国家を建設することは,わが国憲法の理想とするところであり,われわれ国民の進むべき目標であります。新しい広島市の建設も,この意味においてわが国の理想を世界に闡明せんとするものであり,広島市の成長は平和的文化的の日本国家の成長を表徴するものであります。身を以て尊い平和の礎となられた地下の諸霊も民主日本の成長発展をのぞみ見らるるものと信してうたがいません。

この式典にあたり,私は謹んで原爆死没者各位の冥福を祈り,またその遺家族諸子の労苦に対し深く同情の意を表し,再びかかる大いなる不幸の繰り返されることのないよう祈念するものであります。

昭和二十八年八月六日

内閣総理大臣 吉田茂

〔広島市役所蔵〕

広島平和記念都市建設法の制定の当時を振り返って

広島平和記念都市建設法の制定の当時を振り返って-関係者による座談会(広島市公文書館編、広島市公文書館刊、19870806)
目次

1- 座談会記録
座談会資料: 広島平和記念都市建設法制定関係年表
2 参考資料
2-1 広島平和記念都市建設法公布書
2-2 広島平和記念都市建設法案(第1次案)
2-3 広島平和記念都市建設法案(英文・確定案)
2-4 昭和24年5月10日衆議院会議録抜粋
2-5 昭和24四年5月11日参議院会議録抜粋
2-6 広島平和記念都市建設法の住民投票における浜井市長・任都栗市議会議長の訴え
2-7 『ヒロシマ平和都市法』(寺光忠著 昭和24年 中国新聞社刊)の金森徳次郎の序文
3 資料目録(関係分)
3-1 寺光忠氏寄贈資料目録
3-2 藤本千万太氏寄贈資料目録

 

広島市平和式典(1952年)における吉田茂式辞(代読)

広島市平和式典(1952年)における吉田茂式辞(代読)

八月六日を迎えるに当り,遙かに想いをはせて,戦災犠牲者の冥福を祈ると共に、苦難に充ちた過去の陰影を払拭して着々と,平和郡市建設の理想を実現せられつつある広島市民諸君の努力に対し,心から深甚なる敬意を表するものであります。

世界の平和を目指して,民主々義に基く,文化国家を建設することは,わが国憲法の理想とするところであり,われわれ国民の進むべき目標であります。新しい広島市の建設も,この意味においてわが国の理想を世界に闡明せんとするものであり,広島市の生成は,平和的文化的なる日本国家の成長を表徴するものであります。身を以て尊い平和の礎となられた地下の霊も民主日本の成長発展をのぞみ見らるるものと信じてうたがいません。この式典に当り,私は謹んで原爆死没者各位の冥福を祈ると共に,市民諸君が更に決意を新たにし,理想達成への途に邁進せられんことを切望して已みません。

〔広島市役所蔵〕

 

 

内閣総理大臣とヒロシマ・ナガサキ

内閣総理大臣とヒロシマ・ナガサキ

年月日 訪問など
1955 鳩山一郎首相の広島・長崎訪問
1971 佐藤栄作首相の広島市平和式典参列
19600911 池田勇人首相、首相就任後初のお国入り。15
広島市の原爆慰霊碑を参拝、広島原爆病院を慰問。
197406 田中角栄首相の長崎平和祈念像(4日)と広島原爆慰霊碑への参拝(8日)
1976 三木武夫首相の広島市・長崎市平和式典参列
1977 福田赳夫首相の広島(8月22日)・長崎(9月18日)訪問
1981 鈴木善幸首相の広島市平和式典参列
1982 鈴木善幸首相の長崎市平和式典参列
1983 中曽根康弘首相の広島市平和式典参列
1984 中曽根康弘首相の長崎市平和式典参列
1985 中曽根康弘首相の長崎市平和式典参列
19860701 中曽根康弘首相の広島訪問、原爆慰霊碑参拝。
1986 中曽根康弘首相の長崎市平和式典参列
1987 中曽根康弘首相の広島市平和式典参列
1988 宇野宗佑首相の広島市平和式典参列
1989 宇野宗佑首相の広島市平和式典参列
1990 海部俊樹首相の広島市・長崎市平和式典参列
1991 海部俊樹首相の広島市平和式典参列
1992 宮沢喜一首相の長崎市平和式典参列
1993
1994 村山富市首相の広島市平和式典参列
1995 村山富市首相の広島市・長崎市平和式典参列
1996 橋本龍太郎首相の広島市・長崎市平和式典参列
1997 橋本龍太郎首相の広島市平和式典参列
1998 小渕恵三首相の広島市・長崎市平和式典参列
1999 小渕恵三首相の広島市平和式典参列
2000 森喜朗首相の広島市・長崎市平和式典参列
2001 小泉純一郎首相の広島市・長崎市平和式典参列
2002 小泉純一郎首相の広島市・長崎市平和式典参列
2003 小泉純一郎首相の広島市・長崎市平和式典参列
2004 小泉純一郎首相の広島市・長崎市平和式典参列
2005 小泉純一郎首相の広島市・長崎市平和式典参列
2006 小泉純一郎首相の広島市・長崎市平和式典参列
2007 安倍晋三首相の広島市・長崎市平和式典参列
2008

 

 

 

雑誌『平和』

雑誌『平和』(1952年6月1日創刊)

編集評議員 (肩書)
柳田謙十郎 戦没学生記念会理事長
清水幾太郎 平和問題談話会
風見章 前国務大臣
上原専祿 科学者平和懇談会
中野好夫 平和問題懇談会
神近市子 婦人タイムス社長
岡三郎 日本教職員労組委員長
妹尾義郎 平和推進国民会議理事長
今中次麿 広島大学法学部長
務台理作 科学平和懇談会員
高桑純夫 科学平和懇談会員
福島要一 日本学術会議会員
淡徳三郎 日本文化人会議副議長
編集事務 西田義郎

 

目次

発行年月日 著者 タイトル
第1号~第15号の発行所:青木書店
1952
01 0601 草野信男 細菌兵器の威力-原子爆弾だけが問題なのではない
0601 足音 学者文化人の平和のための闘い
0601 教育学会平和の叫び
0601 日本平和文化賞関川秀雄氏に贈らる
0601 ”子供を守る会”の結成
0601 書評:青木書店 原爆の図(赤松俊子・丸木位里)
0601 [国立国会図書館副館長中井正一逝去(5月18日)]
0601 書評:「原爆の図」フランスで評判
02 0801 闘うジョリオ・キューリー
本郷新 平和のための美術展
峠三吉 原爆詩集「序」
03 0901 三笠宮崇仁 原爆禁止は全人類の声
正田篠枝 歌集[「さんげ」より4首]
谷本清(神戸) 談話室[関西エスペランチストのエスペラント語による「原爆の図」、「原爆の子」などの紹介]
足音 日本子供を守る会
04 1001 高橋幸八郎 国際教育者会議出席の記
長島又男 新聞・8月15日
中濃 日本で世界仏教会議
足音 国鉄労組新潟本部の平和運動 [新潟県の10ケ所で赤松俊子・丸木位利の「原爆の図」展覧会を開催。10余万の観覧者。]
05 1010 特集:朝鮮戦争の真相
原子兵器に反対する六億の意志
06 1101 編集部 [「東大生産技術研究所有志」による「アサヒ・グラフ」原爆号の英文説明書作成]、[近く岩波版「ひろしま」の英文説明書できる予定]
入江啓四郎 戦犯は釈放すべきか [「非常に不公平」、「特に例をとれば、広島や長崎の原爆である」]
中濃教篤 第2回世界仏教徒会議の陰謀 [9月25日-10月14日、日本で開催。]
文学者代表を送る会の文学準備委員 文学者代表を送る会(9月15日)の文学準備委員メッセージ [亜州及び太平洋地域平和会議に太田洋子・許南麒・檀一雄を送ることを決める。]
長田新 沈黙は共犯である-平和運動の困難点
07 1201 帆足計 広汎な平和戦線を [アジア太平洋地域平和会議準備会からの要請に応じ送られたメッセージ。「日本は世界さいしょの、二発の原子爆弾をうけた民族である」]
草野信男 平和の声 国際医師会議の禁止
ローゼンバーグ夫妻の死刑確定
小島正夫 広島で世界連邦アジア会議ひらく
大山郁夫・平野義太郎 諸国民の平和大会への呼かけ
岩村三千夫 北京会議を貫くもの
富永五郎 科学にも手が廻っている
「戦犯は釈放すべきか」に寄せて [「戦犯裁判の不公正と原爆および無差別爆撃行為を並立して、相殺論的に釈放問題を取上げることも同様に危険である」]
岩崎昶 映画また戦争外道を行く [10月17日の閣議で「原爆の子」の輸出を禁止]
小島正夫 広島で世界連邦アジア会議ひらく
足音 第13回学術会議
天野徳重 官公庁労働組合協議会の抗議 [「去る17日の閣議において文部省第1回特選映画「原爆の子」は一大蔵大臣の発言により海外への輸出禁止が決定された」]
1953
08 0101
09 0201
10 0301
11 0401
12 0410
13 0501
14 0601
15 0701
以下の発行所 青木書店
16 0901v
17 1001
18 1101
19 1201
1954
20 0101
21 0201 臨時増刊 平和巡礼 大山郁夫夫妻帰朝報告
21 0201
22 0301
23 0401
24 0501
26 0601
27 0701
28 0801
29 0901
30 1001
31 1101

日本文化人会議

日本文化人会議 1951年9月22日創立

「それぞれ専門分野を別にしながら文化活動にかかわる人々が、国内外の人々と提携して「平和」を守るために協力することを目的に結成」。破壊活動防止法制定に、戦前の「治安維持法」の再現として反対。また内灘や砂川など、米軍事基地拡張反対運動に積極的に参加。

雑誌『平和』(1952年5月 青木書店創刊。編集委員(淡徳三郎、福島要一、今中次麿、風見章、神近市子、務台理作、中野好夫、岡三郎、清水幾太郎、妹尾義郎、高桑純夫、上原専祿、柳田謙十郎)。のち、日本文化人会議の機関誌となり、編集長・中野好夫氏で大月書店より刊行。

出典:https://oisr-org.ws.hosei.ac.jp/archives/darc/bunkakaigi/

広島県に自然史博物館をつくる連絡協議会

広島県に自然史博物館をつくる連絡協議会

 

(資料)

年月日 タイトル 備考
195302 広島資源科学博物館建設趣意書 広島資源科学博物館設立発起人一同
19970714 自然史博物館の設立を求める要望書 浜本正良(広島県高等学校教育研究会理科部会)⇒広島県教育委員会教育長木曽功)
19970714 要望する自然史博物館の基本構想
19980525 自然史博物館の設立を求める要望書 渡辺泰邦(広島県に自然史博物館をつくる連絡協議会事務局長)⇒広島県議会議長桧山俊宏)
19980525 自然史博物館の設立を求める要望書 渡辺泰邦(広島県に自然史博物館をつくる連絡協議会事務局長)⇒広島県知事藤田雄山)
19981027 自然史博物館の設立を求める要望書 渡辺泰邦(広島県に自然史博物館をつくる連絡協議会事務局長)⇒広島市教育委員会教育長森元弘志)
19990308 「地球ミュージアム(仮称)」構想に関する要請 渡辺泰邦(広島県に自然史博物館をつくる連絡協議会事務局長)⇒広島市長秋葉忠利)
19990308 自然史博物館の設立を求める要望書 渡辺泰邦(広島県に自然史博物館をつくる連絡協議会事務局長)⇒広島市長秋葉忠利)
19991004 自然史博物館の設立を求める要望書 渡辺泰邦(広島県に自然史博物館をつくる連絡協議会事務局長)⇒広島市長秋葉忠利)
19991004 自然史資料の収集事業に関する要請 渡辺泰邦(広島県に自然史博物館をつくる連絡協議会事務局長)⇒広島市長秋葉忠利)
19991208 自然史博物館の設立を求める要請書 渡辺泰邦(広島県に自然史博物館をつくる連絡協議会事務局長)⇒広島市長秋葉忠利)
19991208 自然史資料の収集事業に関する要請 渡辺泰邦(広島県に自然史博物館をつくる連絡協議会事務局長)⇒広島市長秋葉忠利)
20000726 自然史博物館の設立を求める要請 渡辺泰邦(広島県に自然史博物館をつくる連絡協議会事務局長)⇒広島市長・広島県議会議長
20000726 自然史博物館の設立を求める要請 渡辺泰邦(広島県に自然史博物館をつくる連絡協議会事務局長)⇒広島県知事・広島市議会議長
20000726 自然史資料の収集事業に関する要請 渡辺泰邦(広島県に自然史博物館をつくる連絡協議会事務局長)⇒広島県知事・広島県議会議長
 20050201  広島県に自然史博物館の設立を求める要請 松浦貞子( 「自然の博物館」をつくる会事務局長)⇒広島県議会議長新田篤実
  20050201   「自然の博物館(仮称)」構想
 20050322  広島大学跡地(旧広大理学部1号館)に自然史博物館の設立を求める要望書  「自然の博物館」をつくる会、広島県に自然史博物館をつくる連絡協議会、元広島文理科大学(旧広大理学部1号館)の保存を考える会、広島大学跡地に自然史博物館を作る広大有志の会⇒広島市長秋葉忠利)
  20050322   広島大学跡地(旧広大理学部1号館)に自然史博物館の設立を求める要望書   「自然の博物館」をつくる会、広島県に自然史博物館をつくる連絡協議会、元広島文理科大学(旧広大理学部1号館)の保存を考える会、広島大学跡地に自然史博物館を作る広大有志の会⇒広島県知事藤田雄山)

 

元広島文理科大学本館(旧広大理学部1号館)保存運動の経過

元広島文理科大学本館(旧広大理学部1号館)保存運動の経過(保存を考える会、2003.10)

資料一覧

年月日 資料名
19910805 中国新聞記事「移転で今秋閉鎖 広大理学部1号館」
19910926 請願書(後藤陽一・被爆遺跡保存運動懇談会座長後藤陽一⇒田中隆荘・広島大学長)
19910926 要請書(後藤陽一・原爆遺跡保存運動懇談会座長後藤陽一⇒平岡敬・広島市長・広島大学跡地利用研究協議会会長)
19910927 中国新聞記事「広大理学部1号館残せ 原爆遺跡保存運動懇 学長に要請書出す」
19910927 朝日新聞記事「被爆した広大理学部1号館 学長に保存請願 運動懇 市長にも協力要請」
19911209 旧・理学部1号館(旧文理科大本館)保存についてのアンケート集約結果
19920221 広島大学跡地と旧文理科大学校舎の保存再利用についての考え方<小原提案>
19920421 旧広島文理科大学校舎の保存についての要望(案)
199302 今正秀「広島大学旧理学部1号館(旧広島文理科大学)」(『芸備地方史研究』183・184号)
<以下未入力>

いのちの塔-広島赤十字・原爆病院への証言(目次)

『いのちの塔-広島赤十字・原爆病院への証言』
「いのちの塔」手記集編纂委員会
中国新聞社  19920610

目次

グラビア 痛恨の『あの日 あの時』
核時代の生命のしるし ~序にかえて~ 大江健三郎
プロローグ 被爆前後の日赤かいわい 前保美枝子
証言・その一 ~周辺住民と入院患者ら~
一枚の白衣 宗藤尚三
八月六日 笠間徳子
長い白日夢 真栄田年穗
救護活動の拠点・日赤で 中谷昇
まるで悪夢の日々 中島睦男
 父と弟の死の日に 船倉[土+坒]子
証言・その二 ~医師・看護婦~
外科医の、それは“悲しい日々”が… 服部達太郎
ヒロシマを語りつぐもの 入江長生
生き残った一人として 宇野ヨネ子
二十歳の夏に 面田孝子
従軍看護婦になりたかった私 内田千寿子
婦長の一言に励まされて 栗原アヤコ
若い血を躍らせた館 浅野智恵子
無念の涙 大阪己佐子
耳を澄ませば聞こえる悲鳴  高田静子
 青春の詰まる“故郷” 小里美智子
証言・その三 ~被爆後の入院患者~
日赤病院で受けたケロイド手術 光島太郎
日赤は生きる希望でした 米田美津子
日赤入院とその後 吉川生美
今もお世話になる日赤なのに… 小野春子
詩・『窓』 野津彼方
小説 『母の炎』から
母の炎 山口勇子
考証 『被爆遺跡としての日赤本館』
広島赤十字・原爆病院の建築について 石丸紀興
未来へのメッセージ
「広島日赤病院本館」について 後藤陽一
核政策への無言の抵抗碑として 伊東壮
貴重な原爆遺跡を保存しよう 久保浦人
あとがき 宗藤尚三
資料編
<資料1> 広島赤十字・原爆病院保存運動の経過
<資料2> 広島赤十字・原爆病院の沿革
<資料3>  座談会・あの時の広島赤十字病院

ヒロシマの被爆建造物は語る(目次)

ヒロシマの被爆建造物は語る-被爆50周年 未来への記録(被爆建造物調査研究会編、広島平和記念資料館、19960331)

部章節
序章
第1部 図説編
1-1 被爆建造物の被害の概要
1-2 被爆建造物の全体像
1-3 図説
1-3-1 平和記念公園・周辺地区
1-3-2 紙屋町・本通地区
1-3-3 銀山・幟地区
1-3-4 基町・白島地区
1-3-5 国泰寺・千田地区
1-3-6 十日市・中広地区
1-3-7 牛田・広島駅周辺地区
1-3-8 比治山・仁保地区
1-3-9 皆実・宇品地区
1-3-10 吉島・舟入・観音地区
1-3-11 己斐・草津地区
1-3-12 三篠・祇園地区
第2部 概説編
2-1-1 原爆とその物理的影響
2-1-2 被爆建造物の保存の意義を考える
2-1-3 被爆建造物と都市
2-1-4 被爆前の広島の建築文化
2-1-5 被爆建造物の保存・継承のあゆみ
2-1-6 被爆者の医学的検討
2-1-7 国民学校と被爆
2-1-8 橋と被爆者
2-1-9 日本の戦争遺跡
2-1-10 ヨーロッパの戦争遺跡
第3部 資料編
年表
被爆建物の変遷
被爆建造物リスト
原爆被災説明板の一覧

元広島文理科大学(旧広島大学理学部一号館)の保存を考える会(会員)

元広島文理科大学(旧広島大学理学部一号館)の保存を考える会 1995年1月7日発足。

会員

氏名
川村智治郎 元広島大学長 会長
竹山晴夫 元広島大学長 副会長
沖原豊 元広島大学長 副会長
三好稔 元広島大学長代行
後藤陽一 広島大学名誉教授・原爆遺跡保存運動懇談会座長
渡辺則文 広島大学名誉教授・芸備地方史研究会会長
向山宏 広島大学教授・広島史学研究会理事長
頼祺一 広島大学教授・芸広島史学研究会理事 幹事
小原誠 広島大学工学部教授 幹事
石丸紀興 広島大学工学部助教授
宇吹暁 広島大学工学部助教授
河瀬正利 広島大学文学部助教授・考古学研究会委員
長谷川博史 広島大学文学部助手 事務担当