『イラン毒ガス被害者とともに 海外医療支援の20年』(津谷静子、原書房、20150730)<作業中>
| 章 | 見出し | 備考 |
| はじめに | ||
| 1 | ロシアでの医療支援 試行錯誤のはじめの10年 | |
| 2 | イラン毒ガス被害者の苦しみ | |
| 3 | 広島から世界へ | |
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『イラン毒ガス被害者とともに 海外医療支援の20年』(津谷静子、原書房、20150730)<作業中>
| 章 | 見出し | 備考 |
| はじめに | ||
| 1 | ロシアでの医療支援 試行錯誤のはじめの10年 | |
| 2 | イラン毒ガス被害者の苦しみ | |
| 3 | 広島から世界へ | |
止
『731免責の系譜-細菌戦部隊と秘蔵のファイル』(太田昌克、日本評論社、19990731)<作業中>
| 章 | 見出し | 備考 |
| 序 | 秘蔵ファイル | |
| 1 | 終戦と証拠隠滅 | |
| イントロダクション | ||
| 広島から市ヶ谷へ | ||
| 新妻清一中佐、「大本営調査団」、有末精一中将 | ||
| マルタ404本の処理焼却 | ||
| *** | ||
| 2 | 米軍調査と戦犯免責付与 | |
| 3 | 調査継続と情報操作 | |
| 4 | 隠された事実 | |
| 5 | 免責の系譜 | |
| 資料編 | ||
| あとがき | ||
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現代史サマーセミナー開催一覧<作業中>
| 回 | 年月日 | テーマ | 報告者 | タイトル・他(会場ほか) |
| * | 19690905-06 湯河原温泉。*準備会。 | |||
| 日本現代史研究の課題 | ||||
| 江口圭一 | 日本現代史研究の最近の動向 | |||
| 佐々木隆爾 | 軍国主義復活 | |||
| 藤原彰 | 安保体制の現段階 | |||
| 1 | 19700728-30 高尾山薬王院 | |||
| 世界史における1930年代 | ||||
| Ⅰ 世界史における1930年代 | ||||
| 江口朴郎 | 1930年代と現代史の方法について | |||
| 中西功 | 現代史における1930年代 | |||
| Ⅱ 統一戦線論 | ||||
| 神田文人 | 日本における統一戦線 | |||
| 吉原功 | フランス人民戦線の知的源泉」 | |||
| 古厩忠夫 | 抗日期中国共産党の統一理論の発展 | |||
| Ⅲ ファシズム論 | ||||
| 粟屋憲太郎 | 日本ファシズムと官僚制 | |||
| 伊集院立 | ワイマル共和制からファシムへの移行 | |||
| 新川健三郎 | ニューディールに関する一考察」 | |||
| Ⅳ 第2次世界大戦論 | ||||
| 荒井信一 | 第二次世界大戦の性格 | |||
| 鈴木隆史 | 太平洋戦争と満洲侵略 | |||
| 坂東宏 | 両大戦間期東欧の諸問題 | |||
| 回 | 日時 | 主テーマ | 会場 |
| 2 | 19710730~0801 | 第二次大戦と戦後改革―現代民主主義の検討 | 八王子セミナーハウス |
| 3 | 1972 | ||
| 4 | 1973 | ||
| 5 | 1974 | ||
| 6 | 1975 | ||
| 7 | 1976 | ||
| 8 | 1977 | ||
| 9 | 1978 | ||
| 10 | 1979 | ||
| 11 | 1980 | ||
| 12 | 1981 | 現代史研究の現状と課題 | |
| 13 | 1982 | 戦後世界体制論への一視角―各地域の民衆運動を手掛かりとして | |
| 14 | 1983 | ||
| 15 | 1984 | ||
| 16 | 1985 | ||
| 17 | 1986 | ||
| 18 | 1987 | 戦争責任論 | |
| 19 | 1988 | ファシズム・敗戦・占領 | |
| 20 | 19890806~08 | 支配の諸相と戦争責任 | 長野県小諸市菱野温泉、常盤館 |
| 『現代史における戦争責任 現代史シンポジウム』(青木書店、19900701)=第20回の報告をもとに加筆訂正を加えたまとめ。 | |||
| 藤原彰「序にかえて―サマーセミナーの20年」 | |||
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資料:日本現代史研究会
| 資料名 | 年月日 | 備考 | |
| 日本現代史研究会12月例会案内 | 19811224 | 葉書 | |
| 日本現代史研究会2月例会の御案内 | 19820206 | 葉書 | |
| 日本現代史研究会3月例会・総会御案内 | 19820320 | 葉書 | |
| 日本現代史研究会4月例会 | 19820424 | 葉書 | |
| 日本現代史研究会6月例会 | 19820605 | 葉書 | |
| 以上の年月日=例会開催日 | |||
| 現代史通信(日本現代史研究会)再刊第1号 | 19820520 | ||
| 現代史通信(日本現代史研究会)再刊第3号 | 19821120 | ||
| 現代史通信(日本現代史研究会)再刊第5号 | 19831215 | ||
| 現代史通信(日本現代史研究会)再刊第6号 | 19841112 | ||
| 史料保存・史料公開(日本現代史研究会史料特別委員会編集)第7号 | 19840511 | ||
| 『日本ファシズム1 国家と社会』(日本現代史研究会、大月書店) | 19811101 | ||
| 『日本ファシズム2 国民統合と大衆動員』(日本現代史研究会、大月書店) | 19820701 | ||
| 『戦後体制の形成』(日本現代史研究会編、大月書店) | 19880501 | ||
| 『象徴天皇制とは何か』(日本現代史研究会編、大月書店) | 19881201 | ||
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戦争記念館 戦争展 読売新聞大阪本社社会部 <作業中>
| 回 | 会期 | 会場 | 備考 |
| 1 | 1977 | ||
| 2 | |||
| 『戦争記念館第1回・第2回〈戦争〉展全記録 別冊 記者が語り継ぐ戦争』(読売新聞大阪本社社会部編、読売新聞社刊、19790515) | |||
| 3 | |||
| 4 | |||
| 『戦争記念館第3回・第4回〈戦争〉展全記録 別冊 記者が語り継ぐ戦争』(読売新聞大阪本社社会部編、読売新聞社刊、19800807) | |||
| 5 | |||
| 6 | 19820805~16 | 大丸心大阪店 | |
| 7 | 19830804~15 | 大丸心斎橋店 | |
| 『真夏の戦争記念館 〈戦争〉展全記録 (第6回・第7回)』(読売新聞大阪本社社会部編・刊、19830801) | |||
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大久野島毒ガス資料館
広島県竹原市・大久野島
1988年4月16日開館
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| 設置団体 大久野島毒ガス障害者対策連絡協議会 会長 竹原市長 副会長 川尻町長 坪川蔵之助 同 大久野島毒瓦斯障害者対策連絡協議会・三原地区対策協議会長 西原栄 広島市長 荒木武 呉市長 佐々木有 三原市長 東広島市長 讃岐照夫 安芸津町長 三好祐三 本郷町長 木原一男 安浦町長 林田健児 豊町長 多武保清水 大崎町長 豊浜町長 石井周 東野町長 望月正博 木江町長 高田大介 瀬戸田町長 和気成祥 大久野島毒瓦斯傷害者互助会会長 梶村政夫 大久野島毒瓦斯傷害者厚生会会長 大久野島毒ガス障害者徴用者協議会会長 山崎一男 大久野島学徒親和会会長 大久野島毒ガス障害者(瀬戸田・因島)久野島会会長 平田清 大久野島毒ガス障害者幸崎地区協議会会長 薬師嘉平 忠海分廠毒ガス障害者協議会会長 梅田光夫 忠海分廠動員児童の会会長 中島市次郎 旧忠海分廠動員学徒の会会長 竹城孝 |
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大久野島毒ガス障害死没者慰霊碑
1984年6月1日 大久野島毒ガス障害慰霊碑建設委員会発足
1985年5月12日 除幕式
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| [右より]副碑1(宣言)、主碑、歌碑、副碑2(概要) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 主碑 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 大久野島毒ガス障害死没者 慰霊碑 広島大学医学部長 西本幸男書 |
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| 歌碑 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| くのしまの けむりに逝きし 同胞の み霊よ とわに 安らけく あれ |
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| 副碑(宣言) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 碑(表) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 宣言
化学兵器は無差別かつ広範囲に人間を殺りくすることでは核兵器、生物兵器と同じであるから、ただちに廃絶されなければならない。 昭和六十年五月十二日 |
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| 副碑(裏) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 大久野島毒ガス障害者慰霊碑建立委員会
委員長 広島大学医学部長 西本幸男 建設委員会事務局 竹原市環境保全課長 大頭尚作 同 主査 中谷清 |
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| 副碑(表) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 毒ガス工場と毒ガス障害 東京第二陸軍造兵廠忠海製造所は、日本陸軍の毒ガス工場として昭和四年に大久野島に設置され、昭和二十年終戦後米軍により破壊された。この工場では各種の毒ガスや信号筒が製造されたが、イペリットの生産に重点が置かれた。 従業員の総数は約五,〇〇〇名に達したが、その多くはせき・たん・呼吸困難を伴う難治の慢性気管支炎にかかり、イペリットが発癌物質であったため喉頭癌・肺癌・などが多発している。広島大学医学部(内科・病理)及び国家公務員等共済組合連合会忠海病院は昭和二十七年以来、毒ガス障害の解明と治療を行っている一方、障害者の切実な要望にこたえ、国は昭和二十九年「ガス障害者のための特別措置要綱」を制定して救済を開始し、その後医学的研究の結果に基づいて救済の範囲の拡大を行っている。また現在では、広島陸軍兵器補給廠忠海分廠の従事者も救済に加えられている。 |
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| 副碑(裏) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
製造された毒ガスの種類
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『全国シンポジウム「ヒロシマから生物・化学兵器を考える」―過去・今・未来全廃のシナリオ―』(広島県教職員組合「広島教育」編集部(編)、広島教育会館(刊)、19931101)<作業中>
| 頁 | タイトル | 発言者など | 備考 |
| 01 | 基調講演「人類はBC兵器を棄てられるか」 | 常石敬一 | |
| 第1部 生物・化学兵器の過去と現在 | |||
| 18 | ABC兵器廃絶そしてDへ | 水島朝穂 | |
| 20 | C兵器廃絶にむけた日本の「国際貢献」 | 粟屋憲太郎 | |
| 21 | 禁止条約の抜け道 | 常石敬一 | |
| 22 | 「私たちの叫びが通じた」条約締結 | 村上初一 | |
| 23 | 水で洗うことを教わった軍国少女 | 沼田鈴子 | |
| 31 | 毒ガス障害者援護の長い道のり | 梶村政夫 | |
| 39 | 窮地に「毒ガス使え」の命令 | 谷菅静夫 | |
| 第2部 全廃へのシナリオ | |||
| 42 | 竹田 | ||
| 45 | 七沢 | ||
| 54 | 岡田 | ||
| 56 | 松江澄 | ||
| 59 | 木原省二 | ||
| 63 | 岩野 | ||
| 64 | 宝木 | ||
| 65 | 中土 | ||
| 67 | 伊藤 | ||
| 76 | 生物・化学兵器に対するヒロシマアピール(要旨) | ||
「ヒロシマから生物・化学兵器を考える―過去・今・未来全廃のシナリオ―」<資料集> 1993年1月30日(土) 東方2001(広島教育会館)
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土居和江
| どい・かずえ | 1946 生 20220309没 | 享年75 | 「静岡平和資料センター」(静岡市葵区)事務局長。 |
文献
| 書名 | 著者 | 発行所・発行年月日 |
| 明日までつづく物語 ぼくたちの町の戦争 | 小屋正文・小林大治郎・土居和江 | 平和文化 19920701 |
| 原爆投下訓練と島田空襲―聞かせてください一九四五年七月二六日のことを | 土居和江・小屋正文・小林大治郎 | 静岡新聞社19950805 |
関連情報
| 静岡平和資料センター |
| 静岡平和資料センター (shizuoka-heiwa.jp) |
| 中日新聞 |
| 戦火の記録を次世代に 静岡平和資料センター事務局長・土居さん死去:中日新聞しずおかWeb (chunichi.co.jp) |
| 岡山県生まれ。夫の転勤で藤枝市に住み、現在の島田樟誠高校(島田市)で二〇〇七年まで約二十年、日本史を教えた。***13年からは事務局長としてセンターの中心を担ってきた。 |
| あなたの静岡新聞 |
| 反戦“次代の静岡”に伝え 「平和資料館をつくる会」事務局長、土居和江さん死去|あなたの静岡新聞 (at-s.com) |
| ロシアによるウクライナ侵攻を受け、反戦の取り組みとして国内での戦禍の伝承活動が改めて注目される中、静岡から意欲的に発信をしようとしていた矢先での突然の死去***会は土居さん死去の翌10日付で、ロシアへの抗議の声明をホームページに掲載した。 |
| 空襲・戦災を記録する会全国連絡会議・第50回大会(オンライン開催) |
| 2020年8月30日 |
| 全国各地・個人の報告 |
| 土居和江(静岡):静岡平和資料館をつくる会 この一年間の活動報告 |
| 第24回FNSドキュメンタリー大賞 – フジテレビ (fujitv.co.jp) 『つなぎ手~週3日の平和資料館~』(制作:テレビ静岡)<2015年8月26日(水)26時50分~27時45分> |
| 静岡県島田市埋蔵文化財報告 第49集 第二海軍技術廠牛尾実験所跡遺跡 ―大井川牛尾地区河道拡幅工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書― 2015 島田市教育委員会 |
| joshou.pdf (city.shimada.shizuoka.jp) |
| <参考文献> |
| 小屋正文・小林大治郎・土居和江「第二章 海軍技術研究所島田実験所-殺人光線兵器の開発」 『明日までつづく物語』平和文化199 |
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『見捨てられた在韓被爆者-日・韓両政府は彼らを見殺しにするのか-』(竹中労・編著、日新報道出版、1970年10月31日)
目次
| 見出し | |||
| 序章 人間・朝鮮人 | 竹中労 | ||
| ノートⅠ黙視の歳月をとり戻すために | |||
| (資料) ①韓国にも原爆症の恐怖/②ヒロシマ25年、被爆朝鮮人/③年表/④韓国原爆被害者援護協会設立趣意/ |
|||
| (レポート・その1a)在韓被爆者をめぐる広島の五年間 | 滝川洋 | ||
| (レポート・その1b)被爆朝鮮人の怒りと悲しみ | 平岡敬 | ||
| (レポート・その2)孫貴達一家と、その周辺 | 藤崎康夫 | ||
| ノートⅡ彼ら、我々にとってのニッポン | |||
| ソウル・一九七○年八月 | 竹中労 | ||
| (証言) 徴用工員・李南沫の体験(聞き書き)/「五賊」の詩 |
|||
| (資料) ⑤韓国原爆被害協の現況報告/⑥韓国放射線研究所の医療報告/プサンにて-- |
|||
| (資料) ⑦”地底”からの抜粋 |
|||
| 在韓在日朝鮮人原爆被爆者の闘争と出入国闘争の弁証法的相互関係 | (大田竜) | ||
| むすび | |||
止