大久野島毒ガス障害死没者慰霊碑

大久野島毒ガス障害死没者慰霊碑

1984年6月1日 大久野島毒ガス障害慰霊碑建設委員会発足
1985年5月12日 除幕式

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[右より]副碑1(宣言)、主碑、歌碑、副碑2(概要)
主碑
大久野島毒ガス障害死没者
慰霊碑
広島大学医学部長
西本幸男書
歌碑
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くのしまの
けむりに逝きし
同胞の
み霊よ とわに
安らけく
あれ
副碑(宣言)
碑(表)
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宣言

化学兵器は無差別かつ広範囲に人間を殺りくすることでは核兵器、生物兵器と同じであるから、ただちに廃絶されなければならない。
ここ大久野島には、かつて東京第二陸軍造兵廠忠海製造所があり、国際条約で禁止された毒ガスを密かに製造していた。事情を知らされることなく働いた工員・徴用工・学徒・勤労奉仕ほかの人々は、働いているときはもとより、仕事をやめた後も呼吸器などの毒ガス障害に悩まされ、癌の恐怖におびえた毎日を送っている。死没者はすでに千名を超えたが、その多くは毒ガス障害の解明のため身をささげ、国からの救済の道を開くべく、その礎となった人々である。
ここに毒ガス障害による死没者の冥福を祈って慰霊碑を建立し、再びこのような不幸なことを繰り返さないよう広く世界に警告する。

昭和六十年五月十二日
竹原竹原竹原市長 森川繁喜

 副碑(裏)
大久野島毒ガス障害者慰霊碑建立委員会

委員長 広島大学医学部長 西本幸男
副委員長 大久野島毒瓦斯障害者対策連絡協議会会長 竹原市長 森川繁喜
参与 広島大学医学部教授 重信卓三
同  国家公務員等共済組合連合会忠海病院長 行武正力
委員 広島市長 荒木武
同 呉市長 佐々木有
同 三原市長 土居山義
同 東広島市長 讃岐照夫
同 川尻町長 坪川蔵之助
同 安芸津町長 三好祐三
同 本郷町長 木原一男
同 安浦町長 林田健児
同 豊町長 多武保清水
同 豊浜町長 石井周
同 大崎町長 浜中忠一
同 東野町長 望月正博
同 木江町長 高田大介
同 瀬戸田町長 和気成祥
同 大久野島毒瓦斯障害者対策連絡協議会副会長・三原地区対策協議会長 西原栄
同 大久野島毒瓦斯傷害者 互助会会長 梶村政夫
同 大久野島毒瓦斯傷害者 厚生会会長 野川龍一
同 大久野島毒ガス障害者 徴用者協議会会長 山崎一男
同 大久野島毒ガス障害者 久野島会会長 平田清
同 大久野島毒ガス障害者 幸崎地区協議会会長 薬師嘉平
同 忠海分廠毒ガス障害者 協議会会長 梅田光夫
同 大久野島学徒親和会会長 村上照八郎
同 忠海分廠動員児童の会会長 中島市次郎
同 旧忠海分廠動員学徒の会事務局長 竹城孝

建設委員会事務局 竹原市環境保全課長 大頭尚作  同 主査 中谷清
設計施工 (株)竹原造園

 副碑(表)
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毒ガス工場と毒ガス障害
東京第二陸軍造兵廠忠海製造所は、日本陸軍の毒ガス工場として昭和四年に大久野島に設置され、昭和二十年終戦後米軍により破壊された。この工場では各種の毒ガスや信号筒が製造されたが、イペリットの生産に重点が置かれた。
従業員の総数は約五,〇〇〇名に達したが、その多くはせき・たん・呼吸困難を伴う難治の慢性気管支炎にかかり、イペリットが発癌物質であったため喉頭癌・肺癌・などが多発している。広島大学医学部(内科・病理)及び国家公務員等共済組合連合会忠海病院は昭和二十七年以来、毒ガス障害の解明と治療を行っている一方、障害者の切実な要望にこたえ、国は昭和二十九年「ガス障害者のための特別措置要綱」を制定して救済を開始し、その後医学的研究の結果に基づいて救済の範囲の拡大を行っている。また現在では、広島陸軍兵器補給廠忠海分廠の従事者も救済に加えられている。
 副碑(裏)

製造された毒ガスの種類

名称 化学式 陸軍呼称 性質 性状 月産能力
ドイツ式イペリット (略) 黄1号甲(A1) びらん性 黄褐色粘液液体
(気体は無色)
200トン
フランス式イペリット (略) 黄1号乙(A2) 200
ドイツ式不凍イペリット (略) 黄1号丙(A4) 50
ルイサイト (略) 黄2号甲(A3) 淡黄色粘液液体 50
ヂフェニールシアンアルシン (略) 赤1号 くしゃみ性 淡緑色固体 50
青酸ガス (略) 茶1号 窒息性 無色気体 50
クロールアセトフェノン (略) 緑1号 催涙性 微黄色固体 25
ホスゲン (略) 青1号 窒息性 無色~白色気体 初期のみ

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