『原爆投下は予告されていた-第五航空情報連隊情報室勤務者の記録』(黒木雄司、光人社、19920729)
内容
部 |
章 |
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まえがき 1
この本を読まれる前に 5 |
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1 |
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昭和二十年春 |
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1 |
第五航空情報連隊ヘ |
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転属 18
大帽山教育 27
連隊本部情報室 34 |
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2 |
情報室勤務 |
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少年兵の部下配属 48
九州空爆と沖縄進攻 61
内地各地空襲 69 |
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3 |
暗雲深し |
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戦艦大和沈没と東京空襲 79
八方ふさがり 91
内地空襲とドイツ軍降伏 100 |
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2 |
昭和二十年初夏 |
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1 |
内地猛空襲(一) |
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九州、名古屋等への空襲 116
名古屋への空襲 128
日本上陸準備命令 144 |
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2 |
原爆投下勧告 |
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スチムソン委員会 156
原爆関連第一次報告 159
原爆実験準備命令 161 |
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3 |
内地猛空襲(2) |
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沖縄米軍の降伏勧告 166
国民義勇隊 177
米軍沖縄占領 188 |
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3 |
昭和二十年夏 |
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1 |
原爆実験 |
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内地猛空襲つづく 198
原爆実験成功 213
内地猛空襲さらにつづく 227 |
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2 |
原爆投下 |
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ポツダム会議 234
広島への原爆投下 245
ソ連参戦 257 |
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3 |
終戦 |
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ポツダム宣言 267
玉音放送 269
隊長、上山中尉はどこへ 281 |
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あとがき 285 |
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止
『広島反転爆撃の証明』(若木重敏、文芸春秋、19890715)
内容
章 |
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序文1 |
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1 |
硬い白桃 14 |
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硬い白桃 15
語らざれば憂いなきに似たり 29
戦死ということ 39
消えて行く人々 43
そしてその夜 50
石もて打つべきか? 62
惨過を演出したもの 76
It’s all over Hiro… 89
“忘れられない男” 103
その妻と子に110 |
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2 |
二つの「HIRO」の謎 117 |
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もう十日早かったら 119
ヒロシマとヒロヒトと 122
生き続ける記憶 127
鳥の群れよ! 129
枯葉 131 |
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3 |
演出された惨劇 133 |
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反転裸爆撃ではなかったか? 135
海面上空の航路 138
日本側の資料 140
「エノラ・ゲイ」のヒント 148
広島侵入機の航路の推定 150
日本側の手落ち 163
ストレート・フラッシュ号の役目 166
反転裸爆撃を主張するその他の根拠 168
米国の世論 170
無警告裸爆撃の実績 171
鈍感にさせる作戦 174
事実の発表をためらう理由 176
「エノラ・ゲイ」の空襲警報の記述 178
空襲警報は発令されなかった 182
シナリオを書いた人 186 |
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止
『原水爆禁止世界大会報告決定集 被爆20周年』(被爆20周年原水爆禁止世界大会実行委員会 19650920)
内容
頁 |
見出し |
メモ |
001 |
写真 1
広島・1965・8・5~6 1
長崎・1965・8・8~9 5
東京・1965・8・11~13 8 |
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009 |
まえがき ・・・私たち日本国民の原水爆禁止運動が、数々の業績を残しながら、なぜ分裂しなければならなかったのか・・・ |
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014 |
被爆20周年原水爆禁止世界大会基調 |
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027 |
スローガン |
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028 |
原水禁運動・各地のとりくみ |
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北海道「3拠点で78%が投票」 28
青森県「戦災祈念県民大会ひらく」 29
岩手県「市・村会議からも参加」 29
秋田県「自覚ある平和投票を」 29
宮城県「7日にわたる平和行進」 30
山形県「平和投票の目標を倍増」 30
福島県「原水禁県民会議を結成」 31
群馬県「一般市民が参加する集会」 31
栃木県「行政当局をふくんだ運動」 32
茨城県「平和投票を継続的に」 32
埼玉県「四方面から平和行進」 33
千葉県「地方議会日程に合わせて」 33
東京都「ターミナルなどで活躍」 33
神奈川県「平和投票、9月に再出発」 34
新潟県「各地でもりあがる機運」 34
長野県「佐久市の熱意が先陣」 34
富山県「消防サイレンで黙とう」 35
石川県「七尾市と美川町を中心に」 36
福井県「労組員はかならず1票」 36
山梨県「3モデル地区で成果」 36
静岡県「地道な学習活動を基礎に」 37
岐阜県「平和投票運動では一致」 37
愛知県「半田市、地域重点主義で」 38
和歌山県「原水禁県民会議を結成」 38
京都府「京都市非核武装宣言へ」 39
大阪府「写真展と組み合わせて」 39
兵庫県「軒並み訪問で日400票」 40
鳥取県「戸別訪問で平和投票」 41
島根県「平和行進と地区集会」 41
岡山県「若い層が積極的に協力」 41
香川県「善通寺市で1万余票」 42
愛媛県「平和投票、3,500票」 42
高知県「38カ市町村で結成集会」 42
福岡県「F105の勝利を基礎に」 42
佐賀県「大町町で4,000票」 42
長崎県「佐世保で市民会議が発足」 43
宮崎県「集会・カンパ活動など」 43
熊本県「ゼッケンつけてパレード」 43 |
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045 |
行事一覧表 |
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広島・1965・8・5~6 |
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広島からベトナム戦争の即時停止を訴える大集会 46
国民平和投票の実施の提唱 大会実行委員会代表委員・大鹿高義 46
ベトナム戦争即時停止のアピール 47 |
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学者・文化人懇談会 49 |
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報告「ベトナム戦争の平和的解決をどう実現するか」 社会主義政治経済研究所員・前野良 49
「世界情勢と日本の平和運動をどう進めるべきか」 広島県原水協代表委員・田辺耕一郎 51 |
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慰霊祭(被団協主催)52 |
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開会総会 53 |
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開会あいさつ「平和団体の結集のもとに」 広島県原水協代表委員・浜本万三 54
主催者代表あいさつ「証拠は手ぢかにある」 大会実行委員会事務局長・高桑純夫 55
来賓および諸階層代表あいさつ
「生き残ったものの責務」 広島市長・浜井信三 55
「安らかに眠らず…」 日本山妙法寺主・藤井日達 56
「“無関心”のおそろしさ」 日青協代表・太田誠一 57
「原水禁運動唯一の部隊」 日本社会党書記長・成田知巳 57
基調演説
「被爆20周年によせて」 大会実行委員会代表委員・森瀧市郎 58
海外代表あいさつ
世界労連代表・レナート・ビドシ 59
イギリス代表・クリス・カウリー 61
ソ連赤十字社副総裁・ヒョードル・ザハロフ 62
メッセージ「日本国民と日本のすべての平和勢力へ」 世界平和評議会 62
特別報告
「被爆者救援運動の問題点」 衆議院議員・大原亨 64
「ベトナム戦争の問題」 総評組織局長・加藤万吉 66
「沖縄からの報告」 沖縄代表団団長・当間操 67
「ヘルシンキ大会報告」 ヘルシンキ大会日本代表団団長・高橋正雄 69 |
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被爆者をかこむ懇談会 71 |
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問題提起「被爆者の現状と援護法制定の運動」 71 |
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長崎・1965・8・8~9 |
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分散会 74
第1分散会のまとめ 起草委員・川口武彦 75
第2分散会のまとめ 起草委員・秋沢修二 76
第3分散会のまとめ 起草委員・衣笠哲生 76
第4分散会のまとめ 起草委員・下村民平 77
第5分散会のまとめ 起草委員・山下正子 78
第6分散会のまとめ 起草委員・和田重則 79
第7分散会のまとめ 起草委員・佐々木宗一 79
第8分散会のまとめ 起草委員・石黒寅毅 80
第9分散会のまとめ 起草委員・水落一好 81
第10分散会のまとめ 起草委員・栗原久平 81
第11分散会のまとめ 起草委員・速見魁 82 |
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閉会総会 84 |
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開会あいさつ「平和への願いをこめて」 原水禁長崎県民会議常任理事・吉永寿一 85
議長団代表あいさつ「平和こそ命なれ」 大会議長・小林ヒロ 85
歓迎のあいさつ「全世界の期待と関心」 原水禁長崎県民会議会長・達田竜彦 86
大会代表あいさつ「被爆100周年への決意」 大会実行委員会代表委員・森瀧市郎 87
海外代表あいさつ フランス代表・ピエール・ルブラン 87
モンゴル代表・ナムスルン・ソドノム 88 |
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来賓および諸階層代表あいさつ |
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「世界に訴える権利と義務」 長崎県知事・佐藤勝也 89
「長崎県民の悲願」 長崎県議会議長・小柳二雄 89
「あらためて思いおこし」 長崎市議会議長・佐田政之助 90
「点から面に拡大すること」 総評事務局長・岩井章 90
「1党1派のものではない」 日本社会党組織局長・江田三郎 91 |
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分散会報告「歴史的な責任への参加者の決意」 大会起草委副委員長・伊藤茂 91 |
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訴え |
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「被爆の友を失って」 長崎バス労組婦人部長・中山照子 93
「被爆20周年記念事業・長崎の子の像・建設についての訴え」 94 |
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大会決議 |
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「被爆者を救援しよう」 95 |
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「ベトナム戦争に反対し、日本政府の戦争協力をやめさせるために」 96 |
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「すべての核実験と核拡散、核使用に反対し、核兵器の完全禁止を要求する」 98 |
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「原子力潜水艦の寄港をはじめとする日本の核武装を阻止しよう」 99 |
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「国民平和投票運動を中心とする原水爆禁止運動強化のために」 100 |
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大会宣言 |
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「平和共存をめざして」 101 |
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東京・1965・8・11~13 |
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海外代表歓迎・核戦争阻止・ベトナム侵略反対国民大会 104 |
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大会宣言 104 |
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国際会議 106 |
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主催者あいさつ「偏向を克服して結集」 大会実行委員会代表委員・小林ヒロ 107 |
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メッセージ |
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アラブ連合共和国大統領・ナセル 107
カンボジア国家元首・ノロドム・シアヌーク 108
国際協力と軍縮のためのオーストラリア連盟 108
国際民主主義婦人連盟 108
モンゴル首相・ユ・ツェデンバル 108
ソビエト平和委員会 109
ユーゴスラビア平和・独立・民族平等連盟 109
健全核政策のための全国委員会 110 |
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歓迎あいさつ |
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総評事務局長・岩井章 111
日本山妙法寺主・藤井日達 111
キリスト教婦人矯風会会頭・久布白落実 112 |
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基調演説 |
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「核戦争阻止と民族自決は2つの側面」 日本代表団団長・森瀧市郎 112 |
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代表演説 |
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「米軍基地撤廃要求を支持」 チェコスロバキア代表・ヴァスラフ・ポコルニー 116
「きたない戦争のパターン」 インド代表団・ジワン・チャマン・ラル 117
「兵器、軍隊を送るな」 イギリス代表・クリス・カウリー 118
「被爆者は生きた証人」 日本代表・伊藤サカエ 119
「平和への共通の努力」 ハンガリー代表・ジョセフ・ティムマー 119
「平和への統一戦線と日本」 ブルガリア代表・グリゴール・イリエフ 121
「共通の目的のために団結」 ソ連代表・グリゴリー・アレキサンドロフ 122
「積極的な平和共存政策を」 ユーゴスラビア代表・ヨシップ・フラニッチ 122
「戦争のなかにある沖縄」 日本代表・当間操 125
「戦争は核戦争につうずる」 西ドイツ代表・ハインツ・ゼーガー 126 |
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自由討論 |
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「被爆者の実相を世界へ」 日本代表・副島まち子 127
「ジュネーブ協定を守れ」 世界労連代表・ポール・ファルガシュ 127
「自発的な抗議運動」 アメリカ・デュボイス・クラブ・ダン・フリードランダー 127
「原水禁運動の発展と統一」 日本代表・鈴木正次 127
「行動こそが前進を促す」 インド代表・チタ・ビスワス 128 |
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提案「原爆被爆の実相を調査し、国際的に普及する委員会設置に関する提案」 国際会議日本代表団 129
140 |
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確認事項「被爆実相を普及する国際委員会(仮称)について」 129 |
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声明 129 |
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大会参加者名簿 132 |
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海外代表名簿 139 |
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メッセージ 131 |
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大会役員名簿 |
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解説 142 |
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止
第10回原水爆禁止世界大会長崎大会(大橋球場 19640809)
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15:05 |
吉田大会書記長 |
開会あいさつ |
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長崎大会役員選出 |
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小佐々八郎 |
議長団あいさつ |
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グエン・タン・レイ |
ベトナム民主共和国代表 |
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杉本篤長崎県原水協 |
歓迎挨拶 |
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本条 |
海外代表紹介 |
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小林運営委員長 |
報告 |
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谷崎長崎健原水協事務局長 |
提案「原水禁運動前進のための決意」 |
18:30 |
佐久間 |
閉会のことば |
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出典:『議事要録2 第10回原水爆禁止世界大会』
止
被爆者をかこむ懇談会(長崎、19630809)
発言者 |
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メモ |
第1会場:グランド・ホテル |
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参加者:約50名 |
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安井郁 |
理事長 |
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小林ヒロ |
長崎市原水協理事長 |
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山口仙二 |
長崎原爆青年乙女の会 |
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渡辺千恵子 |
長崎原爆青年乙女の会 |
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小林ヒロ |
司会者 |
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葉山 |
長崎原爆被災協事務局 |
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埼玉県代表 |
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広島代表 |
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岩松茂俊 |
長崎原水協情宣担当常任理事、長崎大学経済学助教授 |
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1代表 |
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沖縄代表 |
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葉山 |
長崎原爆被災協 |
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ラス・ニクソン |
アメリカ代表 |
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趙朴初 |
中国代表団長 |
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アウシュビッツ広島行進団代表 |
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安井郁 |
理事長 |
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小林ヒロ |
<閉会の辞> |
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午後9時30分閉会 |
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第2会場:長崎県立図書館 |
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|
参加者約50人 |
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櫛田ふき |
司会 |
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福島繁雄 |
原爆病院患者代表 |
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渡辺千恵子 |
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ある被爆者 |
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小佐々 |
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ザンジバル・アリ夫人 |
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|
小佐々 |
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アリ夫人 |
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労働者 |
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セイロン・ヘルナンドルナンド |
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朱子奇 |
中国代表 |
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小佐々 |
|
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|
渡辺千恵子 |
|
|
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本田 |
担当常任理事 |
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青年労働者 |
沖縄出身 |
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シュワーガー |
国際民婦連 |
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止
日本国民救援会
機関誌:『救援新聞』
資料年表:日本国民救援会
発行年月日 |
版 |
事項 |
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1963 |
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0817 |
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『第9回原水爆禁止世界大会 議事要録(2)』 |
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「日本国民救援会代表団」pp.56-57 |
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団長 難波英夫、副団協 伊藤伝一・柏谷清 6日午後5時 宿舎:全建労広島ハウス |
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被爆者救援運動についての提案 |
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2025 |
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0515 |
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『救援新聞』(呉版No.274) |
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40余名で第18回無名戦士呉偲ぶ会 |
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止
ヒロシマ会議 1970年11 月29 日~ 12 月2日
『現代における平和への条件-1970ヒロシマ会議』(「世界」編集部編、ヒロシマ会議委員会)
内容
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はじめに-「ヒロシマ」会議の成立と構成 |
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基調講演・映画「ヒロシマ・原爆の記録」 |
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Ⅰ |
核時代を超えて 湯川秀樹 |
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Ⅱ |
一九七〇年のヒロシマが教えるもの フィリップ・ノエルベーカー |
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Ⅲ |
平和と人間 飯島宗一 |
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全体会議 原爆被災をめぐる諸問題と市民の連帯 松本寛 |
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市民会議Ⅰ 人間差別の根源とその解決 橋本栄一 |
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市民会議Ⅱ ヒロシマとは何か 小黒薫 |
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ヒロシマの世界化に向って-本会議の討論をふりかえる- 関寛治 |
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会議の周辺 原田東岷 |
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おわりに 庄野直美 |
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ヒロシマ宣言 |
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ヒロシマ市民会議の報告・議事録 |
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止
伊藤明彦
年月日 |
事項 |
メモ |
1936 |
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1105 |
誕生。 |
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1945 |
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08 |
長崎で被爆(入市)。当時8歳。 |
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1980 |
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0430 |
伊藤明彦著 『未来からの遺言 ある被爆者体験の伝記』(青木書店) |
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書評 被爆者存在の意味を問う ―伊藤明彦著「未来からの遺言」― 曽我栄寿郎 112 |
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1982 |
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0630 |
『原爆を読む 広島・長崎を語りつぐ全ブックリスト』( 水田九八二郎、講談社) |
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『未来からの遺言-ある被爆者体験の伝記』伊藤明彦著(昭和55年) 338 |
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1993 |
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0715 |
伊藤明彦著 『原子野の「ヨブ記」』(径書房) |
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1999 |
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0205 |
伊藤明彦著『被爆太郎伝説』(窓社) |
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2006 |
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1001 |
『証言-ヒロシマ・ナガサキの声2006 第20集』(長崎の証言の会) |
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我々はどこへ行くのか?-ヒロシマの問い・ナガサキの問い- 伊藤明彦 194 |
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2007 |
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0430 |
伊藤明彦著 『夏のことば ヒロシマナガサキれくいえむ』 |
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「被爆」を聴き、伝える-まえがきに代えて 7
われわれはどこへ行くのか?-ヒロシマの問い ナガサキの問い 19
ローマ教皇とヒロシマ、「オリンポスの灯火」とナガサキ 36
「長崎小空襲」の謎 60
「被曝都市」三次市の記録-田園都市のなかのヒロシマ 72
被曝したヒポクラテスの弟子たち 95
「浦上の聖者」の三つの希有 106
葉公好龍 116
「幽霊」「火」「水」そして- 126
原爆文献ノート 131
ヒロシマとナガサキのちがい 150
これから-あとがきに代えて 162
CD「ヒロシマ ナガサキ 私たちは忘れない」寄贈・贈呈先 168 |
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2009 |
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0303 |
死亡。享年72歳。 |
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1001 |
『証言-ヒロシマ・ナガサキの声2009 第23集』(長崎の証言の会) |
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原爆ジャーナリスト・伊藤明彦さんを悼む…関口達夫…293 |
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2010 |
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0115 |
岩垂弘著『核なき世界へ』(同時代社) |
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―5― 反核・反戦・平和に生きた人びと 197
神から遣わされた「現代の語り部」――伊藤明彦(元放送記者)/248 |
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2012 |
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0718 |
伊藤明彦 『未来からの遺言 ある被爆者体験の伝記 岩波現代文庫』(岩波書店) |
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<青木書店1980年刊(T0289I001)の再刊> |
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2021 |
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1130 |
明治学院大学国際平和研究所編・刊『ブックガイド平和を考える 明治学院大学国際平和研究所設立35周年を記念して』 |
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友澤悠季 …66
『われなお生きてあり』 福田須磨子[著]
『未来からの遺日-ある被爆者体験の伝記』 伊藤明彦[著] |
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2024 |
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1210 |
伊藤明彦著『伊藤明彦の仕事 1 未来からの遺言ある被爆者体験の伝記 シナリオ被爆太郎伝説』(編集室水平線) |
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<『未来からの遺言 ある被爆者体験の伝記』と『被爆太郎伝説』の合冊版> |
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止
『岩屋おろし 元長崎師範学校予科生の手記集 原爆・終戦から半世紀』(岩屋おろし編集委員会、19980301)
内容
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巻頭詩 十五歳って死ななかったってことなんだ 畑島喜久生 Ⅰ |
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長崎師範学校寮歌・長崎師範学校応援歌 Ⅳ |
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はじめにV |
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師範学校とは?予科とは?XⅡ |
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原爆・終戦
つぶさに見た被爆直後の長崎 林田忠義 1
地下工場は轟音、振動、停電 「私の原爆体験」国分利光 9
すさまじい閃光、轟音、熱風 「被爆」 平田勇 12
地球が爆発したと思った 「原爆被爆記」 山下護 15
死傷者いっぱい地獄の惨状 「悪夢であってほしかった」 梶原五三 20
五人の家族を一度に失って 「原爆生き残りの記」 久保啓喜 25
わが家も赤い炎を高く上げて 「生死の境」 山下昭一 30
道端で『助けて』『水ください』 「原爆直下の惨状と帰省」 本田重郎 34
炎の中から『助けてーっ』「忘れ得ぬ地獄絵」 玉水利彦 41
全身にバケツいっぱいの火の粉 「被爆」 松添鶴次 45
あの日から数日悲しみを忘れていた 久田照和 49
友を助けることが出来なかった 「孫に語る被爆体験」 山田善祐 55
商業学校に予科生は約七人1「二人とは最後の別れ」伊藤實59
倒壊校舎で救出や負傷者搬送 「あのころの記憶」 小島功 61
島鉄の車中から見た『稲妻』 池田勝幸 67
寄宿舎への直撃弾と思った 井崎照美 69
敵機が頭上近くで機銃掃射「回顧すれば」 柏山政吉 71
原爆投下ではなく原爆攻撃だ「あの日あの時そして今」 神谷威巳 76
海上で米軍戦闘機に襲われる「五日目の帰郷」 久保勝平 80
重傷の二人着いたところは早岐「わが生涯の二日間」 岩本甫 83
忘れられぬ島原弁のおじさん「学徒動員のころ」 近藤勝郎 86
草木も生えぬと言われたが「被爆から半世紀」 中島泰蔵 88
米戦車を攻撃する訓練受けた 寺田豪 91
短歌・語り部 宇宙三男 92
土曜、日曜がなかったころ 星崎俊明 93
現代に経験出来ぬ事象ばかり 富川利夫 95
友よ魂醜いずこをさまよう「挽歌」 北川清 99
召集令状来たが入隊お預け「わが青春に”食い”なし」 倉富忍 104
戦争は人心を狂わせ惑わせる 「一九四五年ごろの思い出から」 池田早苗 107
戦時から戦後へ激浪の時代「吾を省みて」 山下辰雄 111
幾度か巡り合った奇しき縁「命ありて」 吉岡晃 118
被爆の事実が風化していく「五十年が過ぎて」 吉富孝汎 122
学業や動員、恩師、友がき 飛永照 132
友と原爆火の野山を走る 直塚慶喜 135
消え去ることのない原爆への思い畑島喜久生137
師範学校生が続々避難「被爆後」 長与村などの記録 142 |
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われらの”よか”時代 |
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防空壕掘りと青春 久保勝平 156
岡山直先生のこと 川谷源昭 157
極限の時代だった 神谷威巳 158
暗い井戸の長い時間 井崎照美 159
入試のころの思い出 岩永務 162
今も役立つ農業実習 梶原五三 163
“桜”の帽章、反射的に敬礼 三浦忠和 164
大空体験と竹松の寮 中村巽 166
私の軍国少年時代 富永寿 168
予科時代は心の支え 椿山勇 171
部活は銃剣道だった 松永貞雄 172
西浦上の地 葉玉亨 173
成長期のころひどい食糧難であった 高橋寛作 174
マッカリー買い出し 藤村優 178
原爆のころ終戦のころ 山下護 179
被爆の後に三つの幸運 飛永照 191
少年老イ易ク学成リ難シ 松尾美好 193
あのころの人たち 松添鶴次 199
自分探しに悩みし日々「友、友の顔」 鬼塚親吉郎 206
紺碧の空 若松司 208
五十年かけた夫婦共遊び 下條章 209
百姓はわいらで終わりや 「老農夫たちとの会話」冨永寿 212
ある青春 伊藤昭二 217
人事を尽くしてガンと戦う 故三輪豊氏の日記から 223
訃報・大谷英雄氏、三輪豊氏、国分利光氏 229
岩田和夫君のこと 伊藤實 230
かいま見た活動家久田君 吉富孝汎
8月9日に思うこと 山口武司 232
この世に生きたらしい証を残すために カニ馬鹿の記 松尾美好 235 |
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雲ゆうゆう |
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史跡発見や地域活動「生き甲斐」中島泰蔵 236
しみじみとした忘年会 浪速の三人 富永寿 238
退職後昨日今日(詩吟の世界、調停という仕事) 呼子明次 240
自治会活動や海外旅行、コーラス指導 池田早苗 244
芝居気いまだ冷めやらず 川谷源昭 247
かくうつを楽しむ 松永貞雄 252
猫のひたいほどの庭いじり 下條章 254
日本最初 対馬藩の小学校 三浦忠和 256
西海路へ全国フェスタを「私の山頭火士」吉富孝汎 258
日記 若松司 260
三度目の正直 隈部守 263 |
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教育ひろば |
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伸びない子どもはいない 教職四十年の思い出 久保勝平 267
体育ひと筋に三十九年間 東京で生きて 岩永務 272
構造学習と出会って三十年 待つ教育を実践 高橋寛作 276
錦の織りなすこの人生 葉玉亨 284
教職ってありがたい仕事だ・随感 山下護 289
発展しない細論 山口武司 290
右手が不自由で・お便り 山口小一郎 290
思い出の窓に映る諸々 秋吉淳 291
25年ぶりの墓参 近藤勝郎 292
健体康心が幸福への基本 宇宙三男 293
仏様の言葉 内田勘六 296
懐かしい個性の方々「仰げば尊」
渡辺正数先生、斉藤亨先生、小松昌幸先生 伊藤實 297
菱谷武平先生 池田早苗 299
橋本喬雄先生 松添鶴次 301
週休7日制の年金労働者 松永貞雄 302
雲仙普賢岳噴火と復興 本田重郎 306
健やかに楽しく美しく 平田勇 308
体罰を徹底排除「事件校での取り組みの記録」 高橋寛作 309
挙手の礼の時代 松添鶴次 318 |
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長崎師範年代記 隈部守 321
長崎師範学校沿革 隈部守 331 |
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あとがき 332 |
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一九会会員名簿 336
この本に登場した人たち 340 |
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原爆の話
長崎の原爆死者は73,884人
①B29二機が熊本方面から 19
②周りの空気が大膨張して爆風 24
③爆発の瞬間は摂氏数百万度 33
④1・2キロ以内で致命的熱傷 40
⑤3キロで中ていどの火傷 54
⑥1・8キロ地点で建物大破 60
⑦死者の6割が熱線と火傷で 68
⑧人体の組織細胞を破壊する作用 70
⑨2キロ以内の無傷の人もやがて 82
⑩2キロ以上は軽度の熱傷 90
⑪死者、負傷者、罹災人員9 4
⑫被爆前の配給人口23万人 98 |
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岩屋おろしアンケート
秋吉淳、池田早苗、井崎照美、伊藤昭二、岩永務 146
岩本甫、宇宙三男、鬼塚親吉郎、柏山政吉 147
神谷威巳、川谷源昭、北川清、久保勝平 148
久保啓喜、隈部守、倉富忍、小島功 149
下条章、高橋寛作、寺田豪 150
飛永照、富永寿、中村巽、畑島喜久生 151
葉玉亨、林田忠義、平田勇、本田重郎 152
松尾美好、松添鶴次、松永貞雄 153
三浦忠和、山下護、山口武司、吉岡晃 154
吉富孝汎、呼子明次、若松司 155 |
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長崎県の「街・町ポイント」
扇形出島をいま一度(長崎市) 156
海賊船で九十九島体験(佐世保市) 157
大惨事を招いた名橋(諌早市) 158
女性が守った大村三城(大村市)159
観光目玉になった平成新山(島原市) 161
国内一の火電に二号機(松浦市) 162
最も新しい築造の福江城(福江市) 163
哀切なジャガタラ文(平戸市) 165
一括古い時代の五輪塔群(長与町) 166
江戸時代からミカン産地(多良見町) 167
夏期はキャンプにどうぞ(時津町) i69
海と緑の都市づくり(琴海町) 170
十字架の花模様の墓標(西彼町) 171
世界の亜熱帯が集合(野母崎町) 173
俊寛は薩摩でなく彼杵郡に(伊王島町) 174
キリシタンを祭る神社(外海町) 176
乗員ゼロの軍艦島(高島町) 177
インドくじゃく四百羽(川棚町) 179
県下最大の草っ原(東彼杵町) 180
世界最大級の登り窯跡(波佐見町) 181
平安時代の区画整理跡(飯盛町) 183
土中から伝説のくり舟(森山町) 184
気が変わった杢どんの話(小長井町) 186
森やグラウンドで楽しく(瑞穂町) 187
暖地向き新ジャガイモ(愛野町) 189
人格者・画家・少年使節(千々石町) 190
温泉で湯治やレジャー(小浜町) 191
キリシタンの学校跡(加津佐町) 193
本能寺の変も報道(口之津町) 194
三万七千人全滅の遺跡(南有馬町) 196
残酷拷問の結果に処刑(有家町) 197
有馬、島津勢相手に籠城(深江町) 199
渡唐船の警護や大陸貿易(大島村) 199
日本一大きいこと二つ(生月町) 201
海士らに助けられた武将(宇久町) 202
鹿たちの島で自然学習(小値賀町) 203
花と果物のメルヘンの島(福島町) 204
七百年前に外敵の侵略(鷹島町) 206
最西端に立ってみよう(小佐々) 207
花の名所ツツジ十万本(鹿町町) 208
小中学生が農作業体験(佐々町) 210
人類が三万年前から利用(吉井町) 211
石造りのアーチ十七橋(世知原町) 213
世界的に珍しい地学資料(三井楽町) 214
比例のない大規模貝塚(岐宿町) 216
潮騒の故郷を忘れないで(奈留町) 217
七百年間の墓碑の群落(若松町) 219
世界初の鋼鉄製貯蔵船(上五島町) 220
水族館に地元でとれた魚(新魚目町) 222
西望作の聖観音像が建つ(奈良尾町) 225
縄文人は五十歳で老化(富江町) 226
ナンジャモンジャの花(上対馬町) 227
十万石の居城跡(厳原町) 228
十八世紀の古民家集合(勝本町) 230
国重文のミロクさま(郷の浦町) 231
魏志倭人伝ゆかりの地(芦辺町) 233 |
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