資料年表:麻生太郎
年月日 |
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1940 |
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0920 |
誕生 |
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2006 |
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1017 |
麻生太郎外相、衆院安全保障委員会で、日本の核保有論議についてタブー視すべきでないとの考えを示す。 |
C |
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2007 |
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0610 |
麻生太郎『とてつもない日本』(新潮新書、新潮社) |
U |
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2008 |
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1105 |
麻生太郎首相、米大統領選で当選したオバマの核軍縮への強い熱意を示したことについて、「そんな簡単ではない」との冷めた見方をしめす。 |
C |
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2009 |
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0413 |
麻生太郎首相、自民党役員会で米国と連携して核廃絶に取り組む意向を伝える親書をオバマ米大統領に送る意向を明らかにする。 |
C |
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0806 |
平成21年8月6日広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式 |
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あいさつ |
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広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の意を捧げます。今なお、被爆の後遺症に苦しんでおられる方々に、心よりお見舞いを申し上げます。
六十四年前の今日、原子爆弾が、この地に投下され、幾万の尊い命が一瞬にして奪われ、多くの方々が傷つきました。美しい「水の都」、広島の街も焦土と化しました。
しかし、戦後の歩みの中で、広島は、市民の皆様とともに、立ち上がり、今や「国際平和文化都市」として、大きく発展をしました。今日までの、広島の奇跡的ともいえる復興と発展に、尽力された皆さま方に心から敬意を表します。
日本は、被爆の苦しみを知る唯一の被爆国であります。広島、長崎の悲劇を二度と繰り返さないためにも、国際平和の実現に向け、あらん限りの努力を傾けていかなければなりません。
我が国は、これまで十五年間にわたって、国連総会に核廃絶決議を提出してきました。こうした中で、昨今、米露両国は、核兵器の一層の削減を目指して交渉を進めております。G8のサミットでは、先月ラクイラにおいて、初めて、「核兵器のない世界」を宣言し、世界的な核軍縮・不拡散に関する気運の高まりを維持・強化するための力強いメッセージを表明しております。
そして本日、私は、改めて日本が、今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の先頭に立っていくことをお誓い申し上げます。
被爆により、苦しんでおられる方々には、これまで保健、医療並びに福祉にわたる総合的な援護策を講じてまいりました。特に、原爆症の認定につきましては、できる限り多くの方々を認定するとの方針で臨んでおります。昨年四月からは、新たな方針に基づいて、約四千人の方を認定いたしましたが、その後の司法判断を踏まえ、対象を拡大いたしました。
また、昨年、在外被爆者の方々の被爆者健康手帳の取得を容易にするため、改正被爆者援護法が施行されております。今後とも、多くの方々を援護できるよう、引き続き、取り組んでまいります。
結びに、犠牲となられた方々の御冥福と、被爆された方々並びに御遺族の皆様の今後の御多幸、そして広島市の一層の発展を心よりお祈り申し上げ、私のあいさつとさせていただきます。
平成二十一年八月六日
内閣総理大臣 麻生太郎 |
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広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式あいさつ |
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0809 |
長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典あいさつ |
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長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に臨み、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の意を捧げます。今なお、被爆の後遺症に苦しんでおられる方々に、心よりお見舞いを申し上げます。
六十四年前、長崎の方々は、この地に投下された原子爆弾によって、筆舌に尽くしがたい苦しみを経験されました。七万ともいわれる尊い生命が、一瞬にして失われました。一命をとりとめた方も、いやすことのできない傷跡を残すこととなられました。今、日本の平和と繁栄を振り返る時に、尊い犠牲があったことを決して忘れることはできません。
日本は、被爆の苦しみを知る唯一の被爆国であります。広島、長崎の悲劇を二度と繰り返さないためにも、国際平和の実現に向け、あらん限りの努力を傾けていかなければならないと存じます。
我が国は、これまで十五年間にわたって、国連総会に核廃絶決議を提出してきました。こうした中で、昨今、米露両国は、核兵器の一層の削減を目指して交渉を進めております。G8のサミットでは、先月、ラクイラにおいて、初めて、「核兵器のない世界」に言及し、世界的な核軍縮・不拡散に関する気運の高まりを維持・強化するための力強いメッセージを表明をいたしております。
そして、本日、私は、改めて日本が、今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向け、国際社会の先頭に立っていくことを、改めてお誓い申し上げます。
被爆により、苦しんでおられる方々には、これまで保健、医療、福祉にわたる総合的な援護策を講じてまいりました。今回、原爆症の集団訴訟につきましては、原告の方々がご高齢でもあられること、また長きにわたり訴訟にたずさわってこられたことなどに鑑み、私は、新たな方針を決断しております。極めて異例な対応でありますが、一審で勝訴した原告の方々について、「国は控訴を取り下げることにより、原爆症と認定すること」を柱とする内容で、先日、合意をいたしました。原告団は、これをもって、集団訴訟を終結させることとなり、こうした合意に至ったことは、誠に喜ばしいことと考えております。
また、原爆症の認定を待っておられる方々に関しては、これまでも、できる限り多くの方々を、認定するとの方針で、臨んでまいりました。昨年四月からは、新たな方針に基づいて、約四千人の方々を認定いたしましたが、その後の司法判断を踏まえ、本年六月にさらに対象を拡大いたしております。今後とも、新たな認定基準に基づき、できる限り迅速な認定に努めてまいりたいと考えております。
また、昨年、在外被爆者の方々の被爆者健康手帳を容易に取得できるよう、改正被爆者援護法が施行されております。今後とも、多くの方々を援護できるように、引き続き、取組みを進めてまいります。
結びに、犠牲となられた方々の御冥福と、被爆された方々並びに御遺族の皆様の今後の御多幸、そして長崎市の一層の発展を心より祈念申し上げ、私のあいさつとさせていただきます。 |
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長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に臨み、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の意を捧げます。今なお、被爆の後遺症に苦しんでおられる方々に、心よりお見舞いを申し上げます。
六十四年前、長崎の方々は、この地に投下された原子爆弾によって、筆舌に尽くしがたい苦しみを経験されました。七万ともいわれる尊い生命が、一瞬にして失われました。一命をとりとめた方も、いやすことのできない傷跡を残すこととなられました。今、日本の平和と繁栄を振り返る時に、尊い犠牲があったことを決して忘れることはできません。
日本は、被爆の苦しみを知る唯一の被爆国であります。広島、長崎の悲劇を二度と繰り返さないためにも、国際平和の実現に向け、あらん限りの努力を傾けていかなければならないと存じます。
我が国は、これまで十五年間にわたって、国連総会に核廃絶決議を提出してきました。こうした中で、昨今、米露両国は、核兵器の一層の削減を目指して交渉を進めております。G8のサミットでは、先月、ラクイラにおいて、初めて、「核兵器のない世界」に言及し、世界的な核軍縮・不拡散に関する気運の高まりを維持・強化するための力強いメッセージを表明をいたしております。
そして、本日、私は、改めて日本が、今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向け、国際社会の先頭に立っていくことを、改めてお誓い申し上げます。
被爆により、苦しんでおられる方々には、これまで保健、医療、福祉にわたる総合的な援護策を講じてまいりました。今回、原爆症の集団訴訟につきましては、原告の方々がご高齢でもあられること、また長きにわたり訴訟にたずさわってこられたことなどに鑑み、私は、新たな方針を決断しております。極めて異例な対応でありますが、一審で勝訴した原告の方々について、「国は控訴を取り下げることにより、原爆症と認定すること」を柱とする内容で、先日、合意をいたしました。原告団は、これをもって、集団訴訟を終結させることとなり、こうした合意に至ったことは、誠に喜ばしいことと考えております。
また、原爆症の認定を待っておられる方々に関しては、これまでも、できる限り多くの方々を、認定するとの方針で、臨んでまいりました。昨年四月からは、新たな方針に基づいて、約四千人の方々を認定いたしましたが、その後の司法判断を踏まえ、本年六月にさらに対象を拡大いたしております。今後とも、新たな認定基準に基づき、できる限り迅速な認定に努めてまいりたいと考えております。
また、昨年、在外被爆者の方々の被爆者健康手帳を容易に取得できるよう、改正被爆者援護法が施行されております。今後とも、多くの方々を援護できるように、引き続き、取組みを進めてまいります。
結びに、犠牲となられた方々の御冥福と、被爆された方々並びに御遺族の皆様の今後の御多幸、そして長崎市の一層の発展を心より祈念申し上げ、私のあいさつとさせていただきます。
平成二十一年八月九日 内閣総理大臣 麻生太郎 |
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<作業中> |
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止
『この怒りを―国鉄労働者被爆体験記』(石川俊彦編、国鉄労働組合・国労原爆被爆者対策協議会刊 19710101)
内容
頁 |
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序にかえて 中川新一(国労被爆者対策協議会議長)
発刊に寄せて 望月優子(参議院議員) |
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広島 |
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二度とこの悲惨はくりかえさない 中野敏雄(下関保線区) 1
ボロボロの黒焦の水ぶくれの悪魔 佐藤寛(下関保線区) 2
悲しいきのこ雲の思いで 黒本祐敏(下関信号区) 5
原爆死傷者は平和の犠牲者 佐伯悦人(下関建築区) 7
苦しみに耐えて 井上胖(幡生駅) 9
命ある限り戦争廃止の叫びを 田熊秋子(家族会) 11
被爆の爪痕 内田作治(小郡機関区) 13
おそろしい原爆の想い出 弘中員人(徳山車掌区) 17
この苦しみを誰にもさせまい 種田武夫(徳山車掌区) 19
平和を愛することを忘れてはならない 中島伊勢夫(広島工場) 22
戦争は地球上から抹消せよ 川本勝人(広島工場) 25
失った弟と妹 伊藤友三(広島工場) 27
世界中に叫ぶ!戦争はもうしないと 好井博(広島工場) 29
悪夢 英徹(広島工場) 32
また訪れる八月六日、平和のために生きぬきます 津崎シズエ(広島工場) 35
原爆の傷痕は永遠に消えない 田村長治郎(広島工場) 37
被爆者のたたかいはまだ終らない 迫正(広島駅) 40
犠牲を乗りこえて平和を 堀徹(広島駅) 43
人間は万物の霊長ではなかったのか 高原辰夫(広島工事区) 45
あやまちをくりかえさせぬために 石本信康(広島物資部) 48
八月六日の傷は癒えず 大田道子(家族会) 51
ピカドンの残酷さは語りつくせない 坂本八重子(家族会) 54
一ときも忘れぬあの日 伊籐隆三(局コンピュータ課) 56
原爆の悲惨さを顧みて 泉広清(広島地本) 58
いのちのかぎり戦争反対を 片山一(広島地本) 60
三度人類の頭上に原水爆を受けないために 瀬戸高行(広島地本) 62
屈辱の八月 久保美津子(家族会) 66
被爆二世にも被爆手帖の交付を 名越操(広島地本) 71
被爆から二十五年を過ぎて 矢崎坂治(上諏訪駅) 74
心から平和を 高橋岩男(糸崎駅) 77
この世の地獄図絵、被災者救援記 渡辺明(浜松工場)
原爆記念日によせて 斉藤親則(宇和島機関区) |
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長崎 |
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被爆者診療記 坂本亀良(長崎駅)
拭えないいまわしい記憶 山下哲生(元長崎車電区) 95
被爆一週間後でも 山下チエ子(長崎電気区) 97
九死に得た一生を平和のために 森内初美(長崎客貨車区) 99
苦しんで死んだ母の想い出 岩下治之(長崎客貨車区) 106
あの泣き叫ぶ声が忘れられようか 佐々口千年(長崎機関区) 110
亡き家族への供養、それは平和だ 岩松博泰(長崎保線区) 115
原爆の悲惨に耐えて 松尾澄子(長崎診療所) 120
チンク油を塗った友のケロイドの感覚が 浜崎八郎(長崎駅) 124
父と弟を奪った原爆を呪う 久保信子(長崎機関区) 127
母の霊に誓う 田中強(下関機械区) 135 |
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資料 |
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国鉄労働組合原爆被爆者対策協議会の歩み 140 |
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被団協による被爆者数 143
別紙(1) 被爆者数について 144
国鉄当局が調査し集約した被爆者数 144
別紙(2) 国鉄労働組合原爆被爆者対策協議会運動方針 145
別紙(3) 国鉄労働組合原爆被爆者対策協議会会則
別紙(4) 原爆被害者援護法案(要旨) 152
別紙(5) 国労被爆者実態調査結果
別紙(6) 諸要求と交渉経過について 157 |
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あとがき 158 |
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編集後記 159 |
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止
『この怒りを6集-碑の叫びに聴け』(国鉄労働組合原爆被爆者対策協議会(編・刊)19820833)
内容
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序 森影誠 4
この怒りを忘れまい 穐山篤 5
ヒロシマ・ナガサキ 村上義光 6
碑の叫びに聴け 森滝市郎 7 |
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原爆死歿者過去帖 8 9
追悼のことば
森影誠 10
石井幸孝 10
一ノ瀬正尋 12 |
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栗村実次 13 |
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被爆者遺族の訴え |
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広島
明賀礼子 15
国本貞子 16
四竈一郎 17
引野為恵 18
松本モト 18
嶋末勝 19
満田義忠 20
津村正啓 20
磯村豊子 21
深町キヨ 22
森三酉 22
田中イソ 23
開原貞子 24
勝野井美代 24
吉田公子 25
赤木静子 26
水野キヨ子 26 |
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長崎
冨永ミサ 27
森廣次 28
北原タエ子 29
中山マス 30
野田きみ 30
岩松博泰 31
山下悟 32
松下直太郎 33
中原ミツ 34
吉野キミ 34
一瀬スヨ 34 |
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望まれる被爆二、三世対策 開彰人 35
今こそ反核への草の根運動を 瀬戸高行 36
慰霊碑建立の思い出 石川俊彦 37
全国の仲間の協力で完成した碑 天野憲次 39 |
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鎮魂歌 |
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堀川泰志 41
岩崎由紀夫 41
福田裕子 42
石原敏一 42
和田攻 42
まつうらまさお43
田中強43 |
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国労被対協運動小史 竹本栄一 44 |
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慰霊祭(式)十年のあゆみ 宮園静雄 48 |
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写真 菊池俊吉・佐々木雄一郎 |
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あとがき 由水勇 54 |
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止
『女性・家庭・社会-広島で学んだこと』(山手茂・山手秀子著、東方出版)
部 |
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まえがき 3 |
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1 |
生きることと学ぶこと |
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学ぶことと生きること 10
一生かかって学ぶこと 13
学校での学習と社会での学習 23
読書と人生 26
変動する社会のなかでの婦人の学習 29
社会科学を国民のものに 32
科学的な家庭観をもとう 38
文学と人生と家庭と 40 |
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2 |
女性・家庭・社会 |
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人間らしく生きること 48
主婦の栄光と悲惨 68
「婦人解放の壁」は何か 82
婦人解放論の前進のために 87
共かせぎの将来 96
女性化論争・家庭論争への批判 103
大熊信行氏の家庭論への批判 114
これからの家庭はどう変わるか 119
これからの家庭と婦人 128
人間らしい生活と文化 134 |
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3 |
子ども・家庭教育・学校教育 |
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子どもの生活はどう変わっているか 138
子どもを忘れた子どものための文化 147
子どもの非行化に対する親の責任 158
カギッ子ママ 166
共稼ぎ家庭の家庭教育の方向 168
入学試験と親の立場 177
父母と教師との協力 180
家庭科教育の課題 184
高等学校教育はどう変わっているか 190
大学教育と学問の自由 193
「期待される人間像」の検討 198
平和教育と同和教育との共通の課題 205 |
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4 |
原爆・人間・平和 |
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原爆被爆者と原水爆禁止運動 220 |
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原爆被爆体験と戦争体験の交流を 224 |
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原爆被爆20周年を迎えた被爆者 227 |
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原爆被爆体験を原水爆禁止運動に生かそう 232 |
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原爆被爆者問題と被爆体験の意義 237 |
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戦争と平和 246 |
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付 |
拙著『現在日本の家族と家庭』への書評およびそれに対する感想 |
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広島大学助教授・新堀通也氏の批評 250 |
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広島県立保育専門学校主事・野垣義行氏の批評 251 |
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『家庭と教育』誌編集長・切明悟氏の批評 252 |
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小田原女子短大助教授・毛利明子氏の批評 255 |
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大阪市立大学教授・上子武次氏の批評 256 |
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『生産性新聞』HB氏の批評 258 |
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書評に対する感想 259 |
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あとがき 263 |
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止
『親鸞からの射程-宗教・平和・国家』(樹心の会編、永田文昌堂、19830910)<作業中>
内容
頁 |
著者 |
タイトル |
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001 |
西光義畝 |
はじめに |
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002 |
上田義文 |
念仏と平和―念仏者の社会的課題 |
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035 |
日高六郎 |
現代の日本社会をどうとらえるか |
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安田講堂事件から京都精華大学へ |
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「十五年戦争」という表現の意味 |
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「十五年戦争」と「きけわだつみのこえ」の手紙 |
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戦時下の農民の手記と学生の手記 |
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大正生まれの三つの区分 |
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戦後三十七年の学生の思想状況と推移―革新政党から保守政党へ |
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戦前社会から戦後社会への転換 |
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戦後三十七年の質的変化―時代の開閉 |
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戦後日本社会の質的変化を計るものさし |
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高度経済成長 |
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国内政治と国際関係 |
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天皇制について |
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戦前の日本国家の思想的構造 |
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「滅私奉公」から「滅公奉私」へ |
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現代日本人の「天皇制」意識 |
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1985年体制 |
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軍事費突出の意味 |
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日本の今後の課題 |
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マルクス主義の課題と展望 |
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080 |
池田行信 |
念仏者にとって国家とは何か |
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142 |
李実根 |
原爆体験をめぐって今思うこと |
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183 |
遊亀教授 |
真宗学とはなにか―その将来への展望 |
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243 |
加藤西郷 |
あとがき |
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止
『原爆に生きて 原爆被害者の手記』(原爆手記編纂委員会、三一書房、19530625)
内容
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著者 |
タイトル |
メモ |
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序(原爆手記編纂委員会=山代巴・隅田義人・山中敏男・川手健・松野修輔) |
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1 |
生きる |
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短かき夜の流れ星 檜垣干柿 17
生命の河 小原秀治 41
白血病と闘う 恵京吉郎 52
ヌートリアの思い出 石井一郎 63
真如の心 磯川喜幸 78
母子抄 吉川みち子 87 |
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2 |
歩む |
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敗戦日記 山下寛治 97
七年の記 日詰忍 112
「無窮」の木 鳥本正治郎 126
四十八願 浮気モト 133
夫はかえらない 多田マキ子 136
友の手紙 山野音代 146
生長の家から 宮田君子 156
行くとこなし 辻本トラ 169
未亡人の願い 山田静代 175
喜生園 大屋ヒデ 180
父情記 内山正一 187
傷害年金受給のこと 温品道義 196 |
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3 |
叫び |
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春雪日記 山中敏男 215
平和をわれらに 上松時恵 233
青年の独想 浦本稔 239
甲神部隊の父 横山文江 248
すみれのように 牧かよ子 254
母となりて 池田精子 258
私は生きたい 西山わか子 261
子等とともに 尾形静子 271
半年の足跡 川手健 280 |
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止
『オリンピック・スタデイーズ 複数の経験・複数の政治』(清水諭<しみず・さとし>編、せりか書房、20040726)
内容<作業中>
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はじめに |
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Ⅰ |
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近代オリンピックを問い直す |
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1 |
「ロゴ」の身体―カール・ルイスの登場とビジネスツールとしてのオリンピック |
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2 |
グローバル、ポピュラー、インター・ポピュラー―市場、国家、市民社会にまたがるオリンピック・スポーツ |
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3 |
オリンピック男爵とアスレティック・ガールズの近代 |
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Ⅱ |
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ナショナルなものの想像力 |
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4 |
アメリカン・イメージの構築―’32ロサンゼルス大会の前史とアメリカニズムの変容・持続 |
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5 |
規律化した身体の誘惑―ベルリン・オリンピックと『オリンピア』 |
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6 |
国家戦略としての二つの東京オリンピック―国家のまなざしとスポーツの組織 |
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Ⅲ |
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プレ/ポスト |
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7 |
日の丸とモダン―’64東京大会シンボルマークとポスターをめぐって |
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8 |
未来の都市的生活様式―オリンピックの六〇年代東京 |
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9 |
「東京の魔女」-その女性性と工場の記憶 |
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Ⅳ |
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アウターナショナルな経験 |
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10 |
故郷/経路、人見絹枝の旅と遭遇―イエテボリ、アムステルダム、プラハ |
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11 |
レボルト’68―黒人アスリートたちの闘争とアウターナショナルなスポーツ公共圏 |
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12 |
ボイコット |
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清水諭 「危機にあるオリンピック―「あとがき」にかえて」 |
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オリンピック関連年表 |
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止
『昭和天皇の「極秘指令」』(平野貞夫著、講談社、20040410)
内容
章 |
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まえがき 昭和天皇が託された願い1 |
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序 |
前尾衆議院議長の遺言 |
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昭和天皇のある「ご意志」16
核防条約に残された謎17
衆議院議長の真の力19 |
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昭和天皇と田中角栄 |
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自民党独裁政治の申し子24
社会的弱者の救済を26
権力の階段29
天皇のエリート官僚びいき31
アメリカの虎の尾34
田中首相は天皇が苦手35
外国人の天皇観を逆手に38
天命が田中角栄を見限った理由41
三木政権の功罪43 |
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2 |
「ロッキード国会」の真相 |
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原稿用紙三二九枚の覚書46
戦後最大のスキャンダルの裏側47
侍従長日記の興味深い記述50
捏造された診断書52
証人喚問が定着しないわけ55
国会決議は冷酒56
誰も予想しなかった「三木首相親書」58
前尾議長の斡旋に託す自民党62
衆議院議長が万能になる条件64
前尾議長に頼り切る三木首相66
社会党左派の誘い68
田中前首相への引退勧告70
「解散は絶対にさせない」72
CIA資金の行き先74
中曽根幹事長の奇妙な動き77
灰色高官公表に関する裏協定79
民社党の極秘工作82 |
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3 |
衆議院議長の決意 |
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解散阻止への異常なエネルギー86
外国からの資金提供と幹事長88
議長への「天の救い」91
鬼の形相92
憲政史上初の会談93
「宮本武蔵の心境か」96
議会政治史百年で初のケース98
テレビに出たいがために99
衆参両院議長の覚書の中身102
息を呑む書記長105
党首会談の早期開催への執念107
「なんとか今夜中に五党首会談を」109
一番長い日112
共産党・宮本委員長の仕切り114
鬼気迫る議長の執念116
核防条約にこだわる議長117
社会党・親中国派の反対120
戦後政治史の謎121
わずか一日の質疑125
その後のロッキード事件127 |
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4 |
放置された核防条約 |
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国会承認までに要した六年134
核防条約の真の狙い135
二つの意義136
不戦を誓った側面138
統一されなかった国論139
インドの核実験で昭和天皇は142
反対派の巧妙な抵抗144
自民党タカ派がつけた条件146
議長として最後の仕事149
前尾議長の奏上が長い理由151
各国元首の天皇への質問153
前尾議長が知った天皇のご心痛158
田中前首相逮捕の代償で160
奏上文に込めた遺志162 |
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昭和天皇がもっとも信頼した政治家 |
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内奏の部屋とは166
天皇がされた居睡りのあとで167
芸者遊びをお耳に入れた天皇は171
天皇のお気持ちを高松宮が173
死ぬまで国会議員をやる176
占領軍に抵抗して左遷178
衆議院議長が混乱を収拾する力180
防衛問題に対する昭和天皇のご発言182 |
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6 |
昭和天皇と原子爆弾 |
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最高の軍事機密「ニ号研究」188
海軍の原爆開発「F研究」191
天皇に叱責された東条英機194
原爆開発を裏づける議会証言197
足摺岬まで伝わっていた原爆開発200
東京大空襲のあと反対をしりぞけて視察203
戦争終結への一念206
八月二日までに「ポツダム宣言」を受諾していれば210
広島の真の惨状213
一時間ごとに状況をたずねられた天皇216
戦争終結への毅然たるお言葉218
小倉なら広島以上の犠牲222
トルーマン大統領のコンプレックス224
仁科博士が空から見た広島226
「私のことはどうなってもかまわない」227
「これでは国体は護持できない」230
軍部を説得された天皇232
涙を流される天皇235
日本が降伏した本当の理由236
「聖断」までの軍部との緊張241
広島で政治へのご不満を243
皇太子への手紙に示された真の姿246 |
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7 |
天皇と憲法 |
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天皇の政治的発言は禁じられているか250
奏上のたびに高まったお気持ち254
日本のためを考える人間同士として258
核問題についての昭和天皇の真意260
昭和天皇の深い苦しみ262
象徴天皇の「霊性」と憲法264 |
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あとがき―昭和という時代の教訓268 |
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年表272 |
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止
『「靖国」と日本の戦争』(岩井忠熊・著、新日本出版社、20080815)
内容
章 |
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Ⅰ |
幕末・維新の動乱と靖国神社の成立 |
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靖国問題 |
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招魂社の成立と明治維新 |
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大義名分の逆転 |
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尊攘激派と会津藩の対照 |
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祀られた殉難者と祀られなかった人たち |
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靖国合祀の政治的性格 |
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Ⅱ |
明治国家の対外政策 |
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明治維新と国威宣揚の宸翰 |
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海外侵略論の萌芽 |
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「征韓」の浮上 |
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政府の分裂 |
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台湾出兵 |
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朝鮮江華島事件 |
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士族反乱と民選議院 |
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壬午事件 |
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軍備の確立と「靖国」 |
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甲申事件 |
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日清戦争 |
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対露報復と義和団事件 |
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日露戦争 |
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韓国併合と義兵闘争 |
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Ⅲ |
第一次世界大戦と大正デモクラシー |
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植民帝国の大陸政策 |
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陸海軍と「国防方針」 |
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明治憲法体制と軍国主義教育 |
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「明治立憲制」 |
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明治時代の人は立派だったか |
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大正デモクラシー |
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国体明徴論 |
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普通選挙と治安維持法 |
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政党内閣時代 |
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Ⅳ |
アジア太平洋戦争 |
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<前史>張作霖爆殺事件 |
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柳条湖事件 |
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日中全面戦争への展開 |
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総力戦の矛盾 |
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斉藤隆夫演説 |
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三国同盟と欧州大戦 |
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独「電撃作戦」への反応 |
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南進か北進か |
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対ソ戦か対英米戦か |
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対ソ戦と対英戦 |
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対米戦を許さず |
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中国駐兵権と「英霊」 |
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「ハル・ノート」 |
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「大東亜戦争」の名称の虚偽 |
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「自存自衛」の意味 |
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Ⅴ |
海外出兵と軍国主義 |
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海外侵略と軍事費 |
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靖国神社公式参拝 |
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「英霊」とは |
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戦死・戦病死の実態 |
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戦場での死者-「戦場掃除」 |
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犬死の証言 |
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仏式葬と神式葬の衝突 |
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靖国神社と天皇 |
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昭和天皇不親拝とA級戦犯合祀 |
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おわりに―戦没者の追悼はいかにあるべきか |
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戦争の悲惨・捕虜 |
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戦争を美化する博物館 |
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参考文献 |
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あとがき |
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止
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。