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広島平和文化センター刊行物一覧(宇吹所蔵)

広島平和文化センター刊行物一覧(宇吹所蔵)

発行年月日 書名 備考
19770331 平和の推進(昭和51年版)
1983(昭和58年版)、
1988(昭和63年版)~1997年版(平成8年度事業)
19771220 ヒロシマ・原爆・平和 平和教育冊子No.1
広島平和文化センター編刊・渓水社(発行所)
19780720 ヒロシマ読本 小堺吉光著
19790320 平和  国家・核・教育 平和教育冊子No.2
19821120 国際連合の話 桑原輝路著 平和冊子No.4
19840331 軍備と軍縮の歴史 山田浩著 平和冊子No.5
19851025 平和事典 勁草書房(発行所)
19880331 原爆被爆者は訴える 被爆証言集 平和冊子No.6
煙石二三枝 犠牲者の遺骨の前で読経
川本義隆  人間らしく生きる世界を
小松キクエ 未だ骨もないわが娘を思う
小松清興  アウシュビッツとヒロシマがだぶる
笹村弘志  運動場に蚊帳を吊って子どもの世話を
高橋昭博  「ヒロシマ」で生きることの意味を問う
寺前妙子  苦悩を越えて強く生きよう
松重美人  生き地獄にシャッターが切れず
松原美代子 讃美歌で心の安らぎを
山岡ミチコ 米国で27回の手術を受ける
山根力男  課員全員が死亡する上原敏子      外国人の原爆被害について
19910930 平和研究入門 松尾雅著 平和冊子No.7
19920325 平和記念式典の歩み 宇吹暁著 平和冊子No.8
19930331 平和学を創る 構想・歴史・課題 岡本三夫著 平和図書No.9
19940331 ソ連・ロシアと世界平和 岩田賢司著 平和図書No.10
19950331 東欧の歴史と民族問題 林忠行著  平和図書No.11
19960331 開発と貧困-豊かさの中の貧しさと、貧しさの中の豊かさと 竹内常善著 平和図書No.12
19970331 軍縮への道 1995年版・国連軍縮年鑑 国際連合著      石栗勉訳
19970331 (財)広島平和文化センター20年誌―センターの歩み
19980331 冷戦後の世界と米中関係 中逵啓示著 平和図書No.13
19980331 国際社会と人権 水上千之著 平和図書No.14
19990331 哲学の21世紀-ヒロシマからの第一歩 嘉指信雄著 平和図書No.15
 19990331  平和と交流  1998年版(平成9年度事業)
~  2006年版(平成17年度事業)

ひろしま平和の歩み(1968年)

ひろしま平和の歩み(広島平和文化センター編・刊、19680801) 目次

執筆者
山田節男(広島市長)
まえがき 「平和の歩み」編集委員会
改訂版19730806発行。以下の目次・情報は改訂版
資料提供のための座談会出席者=伊藤正子、大原三八雄、河本一郎、金井利博、桑原英昭、谷本清、升川貴志栄。その他の協力者=浜崎左髪子、増田勉、浜野千穂子。
1 原爆被災救援の活動 庄野直美
被爆直後の応急措置
隣接の各地から 救援隊
一〇日後でも死体散乱
救援者も放射能の犠牲に
すばやかった科学者の活動
内外からの救援金
ケロイドの治療
広島原対協の発足
原対協の事業の内容
市が被爆者調査の試み
医師の治療活動の開始
全国的な救援活動
生活救護への道開く
被爆者による救済活動
原爆被害者の会
大きな運動の流れの中へ
広島県原爆被害者団体協議会
日本原水爆被害者団体協議会
統一を貫く日本被団協
医療法は一三回改正
被爆者特別措置法の制定
2 原爆孤児・孤老の救済活動 今堀誠二
投げ出された孤児・孤老
涙の記憶しかない兄弟たち
あらゆる悲境に耐える
広島子どもを守る会
新しいおかあさんができた
石井好子やダークダックスも
家族四人が全滅した子
浮浪者となった少年
一〇歳の少女の受難
学童疎開から帰ってみると
連帯のいとぐちをつかむ
あゆみグループの誕生
中野教授夫妻が親がわり
被爆の体験を訴えて歩く
諸外国からも激励の人々
さまざまの困難にぶつかる
日常の中から平和をめざす
全市民の支援の中で
3 平和祭のあゆみ 今堀誠二
二二年に第一回の平和祭
慈仙寺鼻で平和宣言
マッカーサーもメッセージ
全世界に反響を呼ぶ
爆音にかき消された第二回平和祭
占領軍の禁止命令
過去帳の奉納始まる
ビキニ被災で盛りあがる
三〇年から全国に式典中継
4 平和記念施設の歴史 今堀誠二
広島市民と七つの川
永久平和めざす丹下構想
平和大学
平和図書館の夢も
平和都市建設法が実現
迷える霊の供養塔
ハニワの家を型どった慰霊碑
ヒロシマの焦点原爆資料館
狭くなってきた記念館・公会堂
新生広島の百メートル道路
国民運動でドームを保存
5 外国人による活動 庄野直美
 ジョン・ハーシーの「ヒロシマ」
平和請願一〇万人運動
原爆孤児精神養子運動
ヒロシマ・ピースセンターの活動
原爆乙女をアメリカで治療
シュモー・ハウスを一九戸建設
ドイツから平和の鐘
仏人モーリス氏の「広島憩いの家」
ヨット「フェニックス号」と広島
ベトナム人への支援も
レイノルズ夫人と世界平和巡礼
ウ・タント総長に白書を要望
ワールド・フレンドシップ・センター
6 世界連帯の活動 小谷鶴次
戦争そのものの絶滅を
国連加盟への市民運動
二六年に国連協会県本部
加盟後の普及活動
アウシュヴィッツとの連帯へ
七万キロを平和行進
三八年にアウシュヴィッツ委
世界連邦運動の展開
二四年に連邦運動スタート
二七年に世界連邦アジア会談
市民の意志で「広島宣言」
海外にも大きな反響
一〇万人署名をもとに平和都市宣言
戦争放棄の精神を決議
「世界連邦」の県宣言
西日本大会ではドーム保存支持
サーバス友の会
市民代表の欧州訪問
7 文化・報道関係の活動 小谷鶴治・今堀誠二・庄野直美
「中国文化」で原爆特集
栗原貞子の「生ましめん哉」
壊滅した中国新聞の再刊
正田篠枝の「さんげ」
原民喜・大田洋子の作品
押収された「ピカドン」
峠三吉の反戦運動
若い画家たちと平和美術展
ガリ版刷りの「原爆詩集」
映画「原爆の子」作成
日本ペンクラブも平和宣言
続々と被爆体験記
若い作家らの活躍
「広島の詩」が海外に反響
平和の原点を考える
さらに体験の発掘へ
8 原爆被災・平和問題に関する研究活動 小谷鶴治・今堀誠二・庄野直美
 直後の医学者の活動
専門家による療養方針
プレスコードで資料手放す
悪条件下でも研究続く
ABCCの調査活動
講和とともに発表の活発化
広島の科学者の自主研究
市の機関も研究を助成
三六年に広島原爆医療史
自然科学の原爆白書
広大原医研が活動開始
社会科学の研究活動
国際平和の諸研究から
広島大学に平和問題研
学生グループの活動
二八年に「広島大学人の会」
被爆者の心理・生活の調査
「談話会」の発足と活動
9 民間団体の初期における諸活動 今堀誠二
二四年に平和擁護の第一声
ストックホルムアピールの反響
文化団体も活躍
朝鮮戦争下も続く
原爆被害者団体の結成
宗教団体も独自の活動
努力の積み重ねに期待
10 市民による特殊な平和活動 庄野直美
原爆体験記を発刊
原爆の子友の会の活躍
原爆の子の像
これはぼくらの叫びです
折鶴の会が発足
現在も活動
原水禁広島母の会
会誌「ひろしまの河」発行
運動の分裂が与えた影響
談話会の発足
原爆白書運動の胎動
政府による白書製作を提言
平和七人委も強く要望
日本学術会議も起つ
白書をすすめる市民の会
胎内被爆者を守る「きのこ会」
ベトナム戦傷孤児の救援
さまざまの市民運動
11 原水爆禁止三団体をめぐる動き 庄野直美
 ビキニ被災事件
反核の叫び全国に広がる
広島の婦人の動き
国家保障を求める決議
東京杉並の婦人たち
下から支えられた運動
重さ一二五キロの署名簿
原水禁広島県協議会
原水禁世界大会の発想
中央と広島の運動の相違点
広島は原体験から出発
第一回原水禁世界大会
場外にあふれる参加者
歴史的な広島アピール
右翼団体の妨害も
広く具体的な運動へ
被爆者援護の方向へ
平和行進も始まる
安保問題で離脱騒ぎ
第一回目の分裂起きる
第二回目の分裂起きる
広島県民の使命訴える
被爆者援護の請願続く
第九回大会は県原水協が運営
超党派の市民運動も進む
―平和の歩み― 年表
執筆者: 小谷鶴次、今堀誠二、庄野直美

ヒロシマの証言(広島平和文化センター)

『ヒロシマの証言 平和を考える』 (広島平和文化図書刊行会編、日本評論社、19690806)内容

編-
山田節男(広島市長)
森脇幸次(編集委員長)
庄野直美(執筆総括者)
『ヒロシマの証言』刊行にあたって
1 被爆体験
1-1 原爆が落ちた時 原子雲の外から/原子雲の下で
1-2 生きながらの地獄図 炎と雨の中で/炎の街にはいる
1-3 廃墟と屍の街
1-4 原爆投下の状況 予想もできなかった/原爆投下は警告されていたか/なぜ原爆は投下されたか
1-5 平和のねがい 被爆者の声 /被爆体験をどう受けとめるか
2 被爆者と市民の生活史
2-1 原爆孤児 0年ぶりの茶の間/原爆直後の孤児/孤児の生活/アメリカの精神養子運動/広島子どもを守る会
2-2 原爆障害に悩む人びと 広島の涙 /ピカドン傷/きのこ雲の下より
2-3 原爆孤老 行くところなし/さかさごと /現実の対策
2-4 原爆を作品に書いた人たち 原民喜/大田洋子 /阿川弘之/原子爆弾特集号 /正田篠枝/詩の発表 /峠三吉 /反戦詩歌集/「歌集・広島」と「句集・広島」/原爆と小説/
2-5 立ち上がった人びと 木片を探す少年 /晴れたある日 /愛の手
2-6 報道関係の努力 報道と権力 /平和運動と報道/原点をさぐる
2-7 身近で遠い被爆者たち 核の島・沖縄の273人/被爆した朝鮮人
2-8 平和教育への道程 驚くほど空白な平和教育 /平和教育の初期 /平和教育の窒息/広島の平和教育/教室での平和教育/「現代っ子」の平和意識 /平和教育への立ち上がり
3 被爆者救援と平和への努力
原爆タブーの時代・それでも広島は屈しなかった
1945年(昭20) 原爆投下/被爆後の応急措置/付記
1946年(昭21) 平和復興祭/広島市青年連合会/付記
1947年(昭22) 平和祭と平和記念式典/ABCC/付記
1948年(昭23) ヒロシマ・ピース・センター/付記
1949年(昭24) 平和擁護広島大会/世界連邦運動/平和記念都市建設法/シュモー・ハウス/付記
1950年(昭25) ストックホルム・アピールの反響/付記
1951年(昭26) 作文集「原爆の子」/原爆問題研究発表の活発化/付記
原水禁運動興隆の時代・みんなが願った原水爆禁止
1952年(昭27) 原爆被害者の会/世界仏教徒会議/付記
1953年(昭28) 広島原対協/大学人の会/付記
1954年(昭29) 反核の叫び全国に広がる/広島県原水協/ドイツから平和の鐘
1955年(昭30) 第1回原水禁世界大会(広島)/広島の原点・原爆資料館/平和美術展/皆実原爆被害者の会/付記
1956年(昭31) 広島県被団協/日本被団協/原爆の子の像/広島原爆障害研究会/付記
1957年(昭32) 被爆者医療法/広島憩いの家/付記
1958年(昭33) ヨット「フェニックス」号/折鶴の会/付記
混迷の時代・努力を続ける人びと
1959年(昭34) 第5回原水禁世界大会(広島)/付記
1960年(昭35) 第6回原水禁世界大会(東京)/原水禁広島母の会/付記
1961年(昭36) 広島キリスト者平和の会/付記
1962年(昭37)
1963年(昭38) 第9回原水禁世界大会(広島)/原爆裁判の判決/付記
1964年(昭39) 世界平和巡礼/「原水爆被災白書」運動/付記
1965年(昭40) ワールド・フレンドシップ・センター/広島通信/付記
1966年(昭41) 原爆ドームの保存/付記
1967年(昭42) 広島平和文化センター/ベトナム戦傷孤児の救援/ヒロシマ研究の会/市民対話の会/付記
1968年(昭43) 原爆被災資料の収集/原爆被災全体像調査/被爆者特別措置法/付記
わたくしたちは何をしたらよいのか

 

 

核兵器全面廃絶国際デー(9月26日)

核兵器の全面的廃絶のための国際デー
(核兵器全面廃絶国際デー)
(9月26日)

年(回) メモ(記念行事など)
2014 制定日
2015(1) (9月23日)
2016(2)
2017(3)
2018(4)

「9月26日は、国連が定めた「核兵器の全面的廃絶のための国際デー」です。これに合わせて核兵器廃絶日本NGO連絡会では、9月24日に東京・お茶の水の明治大学で記念イベント「核なき世界に向けて 被爆国の役割を考える」を開催します。このほか、国内のさまざまなNGOが関連行事を行います。ニューヨーク国連本部では、国際デーを記念するイベントと、核兵器禁止条約の署名・批准式がそれぞれ行われます。」
https://nuclearabolitionjpn.wordpress.com/2018/09/01/intlday/

2019(5) (9月26日)ハイレベル会合(開催場所:米ニューヨーク・国連本部)

(9月23 日)記念イベント 「核なき世界へ向けて -それって他人事? 自分事?」-(核兵器廃絶日本NGO連絡会(主催)・国連広報センター(共催)https://www.unic.or.jp/news_press/info/34664/

 

【関連資料】

・報道資料[PDF]
https://www.unic.or.jp/news_press/features_backgrounders/11357/
2014年9月26日、国連は初の「核兵器の全面的廃絶のための国際デー」を迎えます。
この国際デーを定めた総会決議68/32は、加盟国、国際システム、NGO、学術界、国会議員、マスメディア、個人を含む市民社会に対し、「核兵器が人類に及ぼす脅威と、核兵器の全面的廃絶の必要性に関する社会の認識を高め、教育を充実させることにより、この国際デーを記念し、普及させる」ことを求めています。
https://www.unic.or.jp/files/66e91069625f43abb2d8f87acd82c5da.pdf
・これまでの主な流れ[PDF]
・背景[PDF]
・国連事務総長による5項目の核軍縮提案[PDF]
・非核兵器地帯[PDF]
・「核兵器の全面的廃絶のための国際デー」に寄せる事務総長メッセージ
プレスリリース 14-060-J 2014年09月26日
世界は長い間、核兵器の不使用を絶対的に保証できるものは核軍縮以外にないこと、そして、核兵器が使用されれば人道面で壊滅的な影響が生じることを認識してきました。
よって、核軍縮は理想主義者の夢ではなく、全人類の安全を真に守るために緊急に実現が必要な課題といえます。
国連総会が初めて、核兵器その他の大量破壊兵器の廃絶という目標を掲げてから、68年が経ちました。
そして、核兵器不拡散条約の発効により、その締約国が誠実な核軍縮交渉の開始を約束してから、44年が経過しています。
この交渉を始めるべき時期は来ています。核軍縮交渉が行われていないことで、国際的なコミットメントにおける軍縮と不拡散の間の微妙なバランスが崩れてきているからです。
私は6年前、核軍縮に関する5項目の提案を出しました。その中には、この目標を達成するために可能な2つの道として、相互補強的な個別協定の枠組みに関する合意と、確固たる検証システムに裏打ちされた核兵器禁止条約が掲げられていました。
最も重要なのは、どちらの道を選ぶかではなく、選んだ道が、核兵器の全面的廃絶という国際的に合意された目標の達成に向かうようにすることです。
今年の国際デーは、単に私たちが核兵器を制限したり、その射程距離を狭めたり、その配備を制約したり、安全保障政策におけるその役割を低下させたりすることを求める日にとどまりません。
それは、国際社会が安全の強化から資金と科学的資源の保全に至るまで、核軍縮によって生まれるはずの多くの恩恵についてしっかりと考える日でもあります。
それはまた、核の抑止力という危険で脆弱なドクトリンが崩れたとしたら、どのような影響が生じることになるのかを想像するための日でもあるのです。
すべての人々、そして将来の世代の平和と安全を守るため、核軍縮を再び国際的な最優先課題としようではありませんか。

年表:この子たちの夏・夏の会

年表:この子たちの夏・夏の会

1985 07 05 朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマ・ナガサキ」(木村光一構成・演出)、全国公演始まる。
1985 07 15 朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマ・ナガサキ」(木村光一構成・演出)、中国地方公演(4市)始まる。27日広島市で上演。
1985 07 27 原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏1945、ヒロシマ・ナガサキ」(木村光一演出)、
1985 07 29 原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマ・ナガサキ」東京で上演。
1986 07 01 朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマ ナガサキ」( 木村光一構成演出) 、新潟市で上演。全国での巡演開始(5日松江市、15日尼崎市など)。
1987 07 07 朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマナガサキ」公演、青森県八戸市で開催(米子・松山・金沢東京などでも上演、8月10日まで)。
1987 07 18 原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏~1945・ヒロシマナガサキ」、中国地方での巡演開始(28日まで)。18日米子市、19日鳥取市、他。
1987 07 24 朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマナガサキ」呉市で上演。
1987 08 09 地人会、朗読劇「この子たちの夏」を水道橋アール・エヌホールで上演.
1988 07 03? 朗読劇「この子たちの夏―1945・ヒロシマ・ナガサキ」、因島市で上演(国際ソロプチミスト因島の企画)。
1988 07 11 朗読劇「この子たちの夏-1945ヒロシマ・ナガサキ」、芦屋市で上演。(7月中旬、  津市で100回公演を達成)。
1988 07 14 原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏」、佐世保市で上演。
1988 08 01 朗読劇「この子たちの夏」,金沢で上演.
1989 05 09 演出家木村光一の講演会、広島市で開催。原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏」などについて。
1989 07 16 原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏~1945 ヒロシマ ナガサキ」の中国地方での巡回公演、開始(28日まで)。17日岩国市、18日山口市、26日下関市、28日広島市。
1989 07 28 朗読劇「この子たちの夏~1945  ヒロシマ  ナガサキ」(演出木村光一)、広島市で上演。
1990 02 11? 岡山市の市民グループ、原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏」公演への参加スタッフを募集。
1990 05 20 岡山市の市民グループ、原爆をテーマにした劇「この子たちの夏」の自主上演に向けて来広、被爆者らと懇談。
1990 06 03? 演出家木村光一、原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏」の市民による上演を呼びかけ。
1990 07 03 朗読劇「この子たちの夏 1945・ヒロシマナガサキ」公演、開始(8月9日まで全国28会場で上演)。
1990 08 04 広島市の市民グループ、朗読劇「この子たちの夏」を自主上演。
1990 08 05 広島市のノートルダム清心高校手話部・演劇部、朗読劇「この子たちの夏」を自主上演。
1991 04 01 習志野市の英語学習サークルのメンバーら、来広し、平和学習。原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏」上演に備えての事前学習。
1991 05 29? 山口県の長門大津原爆友の会や一般市民、8月5日に自主上演する「この子たちの夏」の練習を開始。
1991 07 06 朗読劇「この子たちの夏」(地人会)、岡山市で公演。8月9日まで全国各地を巡演。
1991 07 08 原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏」、佐賀市で上演。13日まで九州公演、8月9日まで全国を巡演。
1991 07 27 「親子平和学習のつどい’91この子たちの夏-ヒロシマ・沖縄」、広島市の婦人教育会館でで開催(約50人が参加)。同会館で活動している市民グループが主催。朗読劇などを上演。
1991 08 03 瀬戸市内の主婦ら、朗読劇「この子たちの夏」を同市で上演。
1992 03 05 岡山県井笠主婦ら、朗読劇「この子たちの夏」を笠岡市での再上演を計画。
1992 03 16 広島市・亀崎小学校PTAの朗読サークル「きょうちくとう」、同校の5・6年生を対象に原爆朗読劇「この子たちの夏1945ヒロシマ」を上演。
1992 08 06 地人会、朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマ・ナガサキ」を東京・有楽町朝日ホールで公演。-9日。
1993 07 19 地人会、朗読劇「この子たちの夏」を米子市で上演。26日には尾道で。
1993 08 01 松江市の主婦ら、朗読劇「この子たちの夏」を上演。
1993 08 05 広島市の主婦でつくる朗読の会「はまゆう」、地人会の台本「この子たちの夏」の抜粋を広島市祇園西公民館で公演。7日には矢野公民館で。
1993 08 07 地人会、朗読劇「この子たちの夏」を広島市婦人教育会館で上演。
1994 07 18 地人会、朗読劇「この子たちの夏1945・ヒロシマ・ナガサキ」を広島市内で上演。
1994 07 30 広島市倉掛公民館で平和について考える市民の集い。朗読劇「この子たちの夏」を上演。
1994 08 06 朗読劇「この子たちの夏」、東京・有楽町の朝日ホールで上演。-9日。
1994 08 11? 滋賀県長浜市の「この子たちの夏」の実行委員会、7月13日の公演の収益の一部を広島の朝鮮人・韓国人被爆者団体に寄付。
1994 09 03 大阪府豊中市立刀根山小学校の6年生児童・母親・教師、朗読劇「この子たちの夏」を同校体育館で上演。
1995 07 30 広島女学院、被爆50周年記念事業として「地人会」の朗読劇「この子たちの夏」を同学院ゲーンスホールで上演。
1995 07 24? 福岡市原爆被害者の会、地人会の「この子たちの夏」の上演会を市立少年科学文化会館で開催。約700人が参加。
1995 08 01 「徹子の部屋」(朝日系)で日色ともえが朗読劇「この子たちの夏」について語る。
1995 08 06 岡山県・里庄町立図書館で朗読ボランティアによる朗読劇「この子たちの夏」の上演。
1996 08 06 地人会、朗読劇「この子たちの夏」を東京・有楽町朝日ホールで上演。-9日。
1998 07 14 地人会、朗読劇「この子たちの夏・1945ヒロシマ・ナガサキ」を長崎市内で上演。
1998 08 06 地人会、朗読劇「この子たちの夏1945・ヒロシマナガサキ」を東京有楽町・朝日ホールで上演。-9日。
1998 08 12? 岡山県・井原市立図書館で朗読劇「この子たちの夏・1945・ヒロシマ・ナガサキ」を上演。
1999 07 20 長崎新聞「時の顔:日色ともえさん-朗読劇「この子たちの夏」にことしも出演する女優-原爆の実態訴え続ける」
1999 07 26 中国新聞「この人:日色ともえさん-朗読劇「この子たちの夏」に今年も出演する女優」
1999 08 06 地人会、朗読劇「この子たちの夏」を東京・有楽町朝日ホールで上演。-9日。
2000 08 06 地人会、「この子たちの夏」を東京・有楽町朝日ホールで上演。-9日。
2000 08 06 「この子たちの夏」朗読会、北海道・苫小牧市で開催。約40人が参加。(北海道新聞)
2000 08 09 ABCテレビ「徹子の部屋」に朗読劇「この子たちの夏」の出演者、日色ともえ、山田昌、長内美那子が出演。
2003 08 02 地人会、朗読劇「この子たちの夏」を広島市内で上演。
2007 朗読劇「この子たちの夏」の全国公演を続けた演劇制作集団「地人会」解散。
2008 03 朗読劇「この子たちの夏」の出演者たちが「夏の会」を結成。新たな台本で活動を再開。
2009 07 10 「夏の会」、原爆朗読劇「夏の雲を忘れない 1945・ヒロシマ ナガサキ」を広島県廿日市市で上演。県内での公演は初。11日は福山市。
2010 11 07 第22回谷本清平和賞(主催:財団法人ヒロシマ・ピース・センター)授賞式。受賞者は、「夏の会」
2012 07 14 「夏の会」、原爆朗読劇「夏の雲を忘れない ヒロシマ ナガサキ1945」を広島市佐伯区で上演。
2014 07 12 なぎさ中学校(広島市佐伯区)、「夏の会」を招き、原爆朗読劇を観劇。
2015 07 25 「夏の会」、原爆朗読劇を広島県立美術館で上演。
2018 07 06 「夏の会」、原爆朗読劇を広島市安芸区民文化センターで上演。(『中国新聞』20180707)
2019 07 01 「夏の会」、原爆朗読劇を広島国際会議場で上演。(『中国新聞』20190702)

 

広島原爆とアメリカ人(谷本清著)

『広島原爆とアメリカ人 ある牧師の平和行脚 』(谷本清著、日本放送出版協会 、19760720)

内容

章節 タイトル 備考
序にかえて
1 原爆に生き残って
1-1 運命の八月六日
1-2 廃墟の中で
1-3 一牧師のビジョン
2 和解の旅
1948年9月~1950年1月(15ケ月間)、31州、256都市、472の教会その他の団体で講演582、聴衆約160000名、旅行距離約65800マイル
2-1 ピース・センターの構想
2-2 第一印象
2-3 メンジスト教会ミッション・ボードと私
2-4 本格的巡回始る
2-5 ピース・センター独自の途を歩む
2-6 被爆地ヒロシマをどうするか
2-7 平和請願運動
2-8 平和請願運動潰される
2-9 真珠湾記念日とヒロシマ・デー
2-10 東京裁判と死刑執行への反応
3 嵐の中の平和行脚
1950年9月~1951年7月(8ケ月間)、24州、201都市、242団体 講演295、聴衆約5600名、旅行距離約34500マイル
3-1 朝鮮戦争下のアメリカへ
3-2 講演の新内容を求めて
3-3 ニューヨーク入り
3-4 カズン氏は極めて多忙である
3-5 ヒロシマ・ピース・センター理事会
3-6 今回の巡回旅行の特色
3-7  嵐の中の平和運動
4 原爆乙女アメリカに往く
1955年5月5日~同年12月20日(7ケ月間)、26州、195都市、212団体 講演245、聴衆約47500名、テレビ・ラジオ・新聞64、行程約38100マイル
4-1 日本における原爆乙女治療始る
4-2 米国での治療運動始る
4-3 資金はどのようにして集められたか
4-4 ニューヨークの受容態勢
4-5 ホスト・ファミリー訪問とカウンセリング
4-6 原爆乙女の渡米はアメリカに何をもたらしたか
〇ヒューストン市の1週間
〇原爆悲劇に対する読みが深くなった
〇国際時局に対する読みも深くなった
〇募金活動の実情
〇協力を申し出る4つの病院
〇一日本人医師の批判とその影響
4-7 ピース・センターはどこへ行く
4-8  平和の営み
5 「傷痕」の伴をして
1975年9月25日~同年12月15日(80日間)、19州、89都市、105協会その他団体 講演148、聴衆約28800名、旅行約38400マイル
5-1 「傷痕」ダイジェスト
5-2 講演後の質問応答
5-3 核兵器使用に際して新しい倫理の確立が要請されている
5-4 「傷痕」のどこに感動したか
5-5 被爆者治療問題の隘路
5-6 被爆者の悩みは被爆者以外には判ってもらえない
5-7 アメリカ講演旅行の総括

 

 

平和・安全保障と軍縮に関する東京セミナー

国連大学主催「平和・安全保障と軍縮に関する東京セミナー」

発言者 演題
1回(19811207)A 地域の平和と共通の安全保障を考える
(会場) 高輪プリンスホテル
オロフ・パルメ(前スウェーデン首相) 独立委員会の仕事と共通の安全保障について
ラジニ・コタリ(インド) 専門家の研究と大衆運動を基盤にして
大石武一(国際軍縮促進議員連盟会長) 国際連合の精神と日本の役割
坂本義和 軍縮の新たな展望
永井陽之助 新たな「平和の構造」を求めて
宮崎繁樹 核兵器の違法性と非核地帯
アリ・アラタス(インドネシア) 東南アジア諸国連合の緩衝的役割の可能性
トー・カー・フーン(マレーシア) ASEAN諸国と日本への期待
ジャン=マリ・ダリエ(フランス) EC諸国の歩みと平和への道
関寛治 世界の軍事化の要因と新しいネットワーク  広島大学の研究プロジェクトから
アルフォンソ・ガルシア=ロブレス(メキシコ) 非核地帯条約の成立過程について
ヨセフ・チランキエヴィッチ(ポーランド) 非核地帯構想とポーランドの平和について
〔討議〕 アジアの非核問題と日本
 (発言者) オルセグン・オバサンジョ(ナイジェリア)、田英夫(参議院議員)、秦豊(参議院議員)、永井陽之助
 (19811208)B 被爆地・広島で平和を考える
(会場)広島平和記念館 広島会議
今堀誠二  広島・長崎の被爆研究の成果をもとに
荒木武 原爆の犠牲者に捧げた言葉とともに
本島等 核廃絶を訴える被爆者の心を伝えたい
〔被爆体験者の訴え〕
栗原貞子 2編の詩に寄せて
深堀義昭(長崎県被爆者手帳友の会事務局長) 被爆者の実態を知ってほしい
松重美人 爆心地を撮影したカメラマンとして
秋月辰一郎(長崎・聖フランシスコ病院院長) 医者として体験した被爆の姿
オルセグン・オバサンジョ(ナイジェリア) “ヒロシマ”体験は非核運動の原点だ
ガルシア=ロブレス(メキシコ) 国家元首に広島訪問を義務づけたい
森滝市郎 “広島以前”と“広島以後”で人類史は変った
庄野直美 シェルター論や放射線の遺伝問題にふれて
軍縮問題にみるネコとネズミ論争
宍戸ヒロシ(山口県・大島教会牧師) ネズミの軍縮会議にネコが議長である
オロフ・パルメ 二匹の猫と国連の役割について
ゲオルギ・アルバトフ 恐しいのは敵ではなく”無関心”だ
オロフ・パルメ この深い衝撃と感銘を世界につたえたい
2回(19821029-31)C 核時代の平和をもとめて
   (会場)国連大学
矢野暢 地域的安全保障とアジア
ライモ・バウルネン 核の悪魔にいかに対処するか
スミトロ将軍(インドネシア) 安全保障への地域的アプローチ
安川壮(元駐米大使) アジア・太平洋における日本の役割
エドムンド・オスマンチク(ポーランド) 地域安全保障に関するラパツキー案について
フランク・バーナビイ 超大国の軍事政策と新たな防衛政策
大西昭 軍備競争の軽減と経済的影響
栗野鳳(広島大学教授・平和科学研究センター) “平和的生存権”と日本
ブレークウェイ 普遍的な運動の努力を惜しまずに
〔討議〕パルメ委員会報告をめぐって
武者小路公秀 国連大学の性格について
〔討議〕平和研究機関としての国連大学の可能性
3回(19840415-17)
4回『1985』

出典:『核時代の平和をもとめて』(永井道雄著 、国際連合大学 発行、東京大学出版会発売、19840324)

年表:国連大学とヒロシマ

年表・国連大学

80 12 08 広島大学平和科学研究センター・国連大学、広島市で合同研究会開催。テーマ「平和と開発」(9日まで)
81 02 25 広島市長、国連大学学長らと懇談、「平和問題検討委員会」の設置を提案。
81 12 04 、パルメ委員会を東京・国連大学で開催(~6日).
81 12 07 国連大学・広島大学など共催軍縮と国際安全保障に関する研究討論集会の東京集会、開催。パルメ委のメンバーら、参加。
81 12 08 広島市・広島大学・国連大学、「軍縮と安全保障に関する独立委員会(通称:パルメ委員会)を平和記念館講堂で開催。
82 10 29 国連大学主催「平和・安全保障と軍縮に関する東京セミナー」、東京で開催。(31日まで)。広島・長崎両市長、特別講演。
84 03 26 シンポジウム「アジア・太平洋地域における平和と変革」(国連大学など主催)、横浜市で開催。(29日まで)。
84 04 17 広島・長崎市長、国連大学主催の第三回東京セミナー(於東京)に出席、講演。広島市長、軍縮・平和のための首脳会議を広島で開催すベきだと提案。
84 05 99 国連大学の第1回・2回「東京セミナー」(1981・1982年)の報告書「核時代の平和をもとめて」刊行。長崎市長、被爆者らの発言も収録。(B6、236P)
85 02 04 「核の危機に関する東京セミナー広島セッション」(国連大学・広島市共催)、広島市で開催(6日まで)。海国から11カ国28人が参加、原爆資料館など見学。
85 03 25 ミンポジウム「アジア・太平洋地域におれる平和と自立」(神奈川県、国連大学など共催)、横浜市で開催。
85 06 03 「世界平和を考える大阪会議」(大阪府主催、七月開催予定)の顧問に、国連大学学長スジャトモコが内定。
86 10 24 「国際平和年世界会議」(国連大学主催)、大阪市で開催(26日まで)。25日、記念シンポジウム開催。
92 11 14 長崎総合科学大学長崎平和文化研究所、平和文化講演会を開催。武者小路公秀前国連大学副学長が「アジア・太平洋の平和と変革」と題して講演。
92 12 04 広島市、平和問題調査会を東京・国連大学で開催。14人が出席。1993年8月に開催予定の第3回平和連帯都市市長会議の進め方や被爆50周年の取り組みなどについて意見を聴取。
93 12 02 広島市、平和問題調査会を東京・国連大学本部で開催。委員18人が出席。
98 10 27 「軍縮問題を考えるエコノミストの会」(ECAAR)日本支部、「どうなるアジアの安全保障と経済」を東京・国連大学で開催。インド・パキスタンの核実験を取り上げる。マクナマラ元米国防長官とグジュラル前インド首相が講演。

国連大学広島誘致期成同盟会

国連大学広島誘致期成同盟会

年月日 事項
1969年 ウ・タント国連事務総長、年次総会で、「真に国際的な性格を有し、国連憲章が定める平和と進歩のための諸目的に合致した国際連合大学」の設立を提案。国連総会はこのような大学の実現可能性を検討するため、ユネスコと緊密に協力して調査を行う専門家委員会を任命。https://jp.unu.edu/
19720818 山田広島市長、ベルギー・ブリュッセル大学で開催された第15回先生会連邦大会の最終日本会議で「国連大学の広島設置」を提案。23か国代表の全員賛成で決議。
19720916 広島県・広島市・広島大・経済界が広島商工会議所で「国連大学広島誘致期成同盟会」結成大会。永野厳雄県知事を会長に選ぶ。
19720726 広島市議会、国連大学誘致に関し決議。(「平和の推進」)
197209 国連大学の設立を検討する委員会、国連経済社会理事会に報告書を提出。https://jp.unu.edu/
197212 国連総会、国連大学の設立を認める。https://jp.unu.edu/
197312 国連総会、国連大学の設立委員会が提出した大学憲章と決議案を採択。https://jp.unu.edu/
19750120 初代国連大学理事会および学長のジェイムス・M・ヘスター博士の就任式、東京の暫定本部施設で開催。https://jp.unu.edu/
197509 東京の本部施設および 寄付基金設立に向けて寄付金1億ドルが日本政府の好意により提供され、国連大学の研究活動スタート。https://jp.unu.edu/
19780605?  国連大学広島誘致期成同盟会、誘致の構想まとまらず運動中断。

世界平和連帯都市市長会議

世界平和連帯都市市長会議 1982年6月24日発足

2001年8月5日、「世界平和連帯都市市長会議」から「平和市長会議」に、2013年8月6日に「平和首長会議」に名称変更。