『流灯-ひろしまの子と母と教師の記録』(原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑建設委員会事務局 、19711215)
| 頁 |
著者 |
タイトル |
備考 |
| 005 |
|
発刊によせて |
|
|
|
|
広島県連合小学校長会会長 広島県公立中学校長会会長 広島市公立中学校長会会長 広島県PTA連合会会長 広島県退職校長会長 広島県退職婦人教職員会会長 |
|
石田明 |
|
広島県原爆日学教師の会会長 |
|
宅和純 |
|
広島県教職員組合執行委員長 |
|
楠忠之 |
|
広島県教職員組合広島地区支部長 |
| 018 |
芥川永 |
制作をおえて |
原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑制作者 |
|
|
原爆犠牲国民学校教師と子ども追悼の記 |
|
|
原爆犠牲国民学校子どもへの追悼 |
|
|
原爆犠牲国民学校教師への追悼 |
|
|
追悼によせて |
|
|
|
|
増田勉 |
未来を悔いあらしめぬよう |
第一国民学校勤務 |
|
井上 博 |
原爆思い出すまま |
済美学校勤務 |
|
寺沢 篤雄 |
原爆に遭いて |
竹屋国民学校勤務 |
|
田島 三次 |
碑の建立に霊よ安かれ |
第一国民学校勤務 |
|
小出 鈴子 |
あのときのこと |
竹屋国民学校2年生 |
|
|
「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」除幕にささげる 構成詩 未来を語りつづけて |
|
深川宗俊 |
作と構成 |
|
|
土屋清 |
演出 |
|
|
|
|
|
|
山本学 |
語りて |
|
|
|
小さな骨[楽譜] |
|
|
|
碑歌[楽譜] |
|
| 229 |
|
原爆犠牲国民学校教師と子ども・犠牲者名簿 |
| 265 |
|
附属関係資料 |
|
|
|
<その1>建設の経過概要 |
|
|
<その2>建設募金訴えのビラ |
|
|
<その3>維持委員会と遺族会の規程・規約 |
|
|
<その4>原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑建設募金会計中間報告書 |
|
深川宗俊 |
「流灯」によせて |
|
|
植野浩 |
あとがきにかえて |
|
「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」建立についてのおねがい
“太き骨は先生ならむ そのそばに
小さきあたまの骨 あつまれり”
“目玉飛びでて盲となりし学童は
かさなり死にぬ 橋のたもとに”
(正田篠枝「耳鳴り」「百日紅」より)
“ひろしま”に原爆が投下されて二十五年の歳月が流れました。ただ一発で中国地方第一の都市広島が火の海となり、一瞬にして二十万余の人たちが亡くなりました。その中に幼い子どもたちと、指導し引率していた教師がいるのです。
一九四五年八月六日午前八時十五分でした。終戦に近いこの日、アメリカははっきりした目的をもって世紀の非人道兵器、原子爆弾を、密集した住宅街の頭上に投下したのです。当時、広島市の国民学校初等科は、四年生以上が田舎に強制疎開され、三年生以下は、まだ小さいことから親の元に残され毎日登校していました。また、高等科の一・二年生は連日市内の建物疎開作業に動員され、奉仕の労働をしていたわけです。こうして原爆は子どもたちを無残な戦争犠牲者にまきこんだのです。
その人数は、いまだ正確にされていませんが約二千名といわれています。そのうち大半が高令な女教師でありました。
二十五年たった今日、広島市の平和公園をはじめ市内の各地に多くの慰霊碑がたてられています。ところが、どうしたことかこの国民学校の教師と子どもの碑は、いまだに建立されていないのです。その上に、生き残った被爆教師も年月とともに次第に教職を去り、また黙したまま世を去り、その人数は少なくなってきています。こうした中で、誰がいうともなく深い意義をみつめて碑の建立をしなければいけないという声が各地に生まれてきました。
ここにわたしたち発起団体は、互いに連絡しあい協議を重ねた結果「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」の建立運動をおこすことを申し合わせたのです。
広島県民及び教師のみなさん、この碑はもちろん教師と子どもの慰霊碑であります。そのことともに、三たび許してはならぬという原爆教育と、みんなが力をあわせて人類最高の倫理といわれる平和の教育を“ひろしま”の教育として、現在及び未来に押しすすめる決意の碑にしていきたいと願っているのです。
みなさん、あのあつい炎の中で、互いに抱きあい助けあい呼びあい、そして、、力つきて共に集まり燃えきっていった師弟たち、その白骨の中に限りない生命の声を今にして聞きとり、これを互いに継承しなければならないと考えます。
この碑の建立の趣意を十分御理解くださり、募金に協力していただきますようお願い申しあげます。
発起団体名
広島県小学校長会
広島県中学校長会
広島市小学校長会
広島市中学校長会
広島県PTA連合会
広島市PTA連合会
広島県退職校長会
広島県退職婦人教師の会
広島県原爆被爆教師の会
広島県教職員組合
広島県教組広島地区支部
事務局
730 広島市国泰寺町二丁目一-一九
教育会館内
TEL 43-一四六一
原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑建設委員会
委員長 惣野真澄
事務局長 石田明
原爆犠牲者国民学校教師と子どもの碑
建立年月日:1971(昭和46)年8月4日
場所:広島市・平和公園
資料
| 構成詩 未来を語りつづけて「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」除幕にささげる (8月4日午前8時15分除幕) |
 |
| ピカ研資料 |
イモヅル(広島地区高部協機関誌)8号(1978年度)
(広島地区高校生部落問題研究協議会、197905)
目次
『現代教育科学 No.173 特集:戦後教育における「原爆問題」の欠落』(明治図書、19720301) 所蔵:ピカ研
| 著者 |
タイトル |
備考 |
| 石田明 |
戦後教育における「原爆問題」の欠落(50枚) |
|
|
■社会科教科書で「原爆」はどう扱われてきたか |
|
| 空辰男 |
小学校社会科教科書での「原爆」の扱い |
|
| 真野久 |
中学校社会科教科書での「原爆」の扱い |
|
| 磯本恒信 |
「原爆問題」と「部落問題」 |
|
|
■被爆体験は教師の生き方にどうかかわってきたか |
|
| 箱田浩 |
風化現象はどこから起きるか |
|
| 今田斐男 |
教師の平和に対する意識の確認を |
|
| 永坂昭 |
子どもらにピカを浴びさせない |
|
|
■副読本「ひろしま」はどう教えられているか |
|
| 米田進 |
小学校における「ひろしま」の実践 |
|
| 藤原義治 |
中学校における「ひろしま」の実践 |
|
|
■地下核実験「アムトチカ島」は教室でどう話し合われたか |
|
| 三上敏夫 |
学級会の話し合い活動の中で |
|
| 山岡照 |
国語科・ロングホームルームの中で |
|
|
■「」を授業でどう扱ったか |
|
| 押上武文 |
文学の授業での「原爆」教育 |
|
| 野口良子 |
「同和」教育との関連での「原爆」教育 |
|
|
|
|
『夏の生活』(広島県夏休み帳編集委員会、広島教育会館出版部、1977) 所蔵:ピカ研
| 学年 |
科目 |
備考 |
| 1 |
国語科 |
峠三吉「仮繃帯所にて」 |
|
社会科 |
原爆=戦争=平和を考えよう |
|
音楽科 |
原爆ゆるすまじ |
|
数学科 |
|
|
英語科 |
|
|
技術家庭科(男子用) |
|
|
技術家庭科(女子用) |
|
| 2 |
国語科 |
八島藤子「私は広島を証言する」 |
|
社会科 |
原爆=戦争=平和を考えよう |
|
英語科(New Prince用) |
”Give back my father”(峠三吉) |
|
英語科(New Horizon用) |
”Give back my father”(峠三吉) |
|
数学科 |
|
|
音楽科 |
|
|
理科 |
|
| 3 |
国語科 |
峠三吉「八月六日」 |
|
英語科(New Horizon用) |
“A Little Boy”(Takehiko Fujimoto) |
|
英語科(New Prince用) |
1.English Diary<例>ひとつの事件・問題などを例として |
|
数学科 |
|
|
音楽科 |
|
|
技術家庭科(男子用) |
|
|
技術家庭科(女子用) |
|
|
|
|
| 別冊 |
原爆を考えよう |
46年度夏の生活 |
| 別冊 |
今日の核時代を考える |
52年度夏の生活 |
| 別冊 |
今日の核兵器と被爆者問題を考える |
53年度夏の生活 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
『なつやすみ(52年度)』(広島県夏休み帳編集委員会(編)広島教育会館出版部(発行)、1977) 所蔵:ピカ研
『なつやすみ(46年度)』(広島県夏休み帳編集委員会(編)広島教育会館出版部(発行)、1971) 所蔵:ピカ研
『きょうど「ひろしま」』 広島県社会科資料研究会編、中国書店(発行所)19620405 所蔵者:ピカ研
| 発行日 |
監修者 |
備考 |
| 19620405 |
金子廉 |
広島大学東雲分校 |
|
三上嘉明 |
| 19700405(15版) |
金子廉 |
以降の奥付初版発行日は「19571201」 |
| 19740401(18版) |
金子廉 |
| 19750401(19版) |
金子廉 |
| 19770401(20版) |
金子廉 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
『わたしたちの広島市』(広島市小学校社会科研究会(編集・執筆、金子廉(監修)、19600401)
 |
| 初版19600415 |
19720401発行 |
19750401発行 |
| 中国書店発行 |
児童図書出版社(取扱) |
| 宇吹蔵 |
ピカ研蔵 |
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。