市岡正憲
| 19190609生19930622没 | いちおか・まさのり | 享年74歳 | 広島県被団協理事長・県原水協理事長。 |
資料
| 19710622 | 『教研速報No.2』 | 広教組広島地区支部教文部 | 所蔵:ピカ研 |
| 学級づくり・集団づくりの学習会-6月26日(土)午後2時より 社会福祉センター(予定) 講師 市岡正憲(三原附属教頭・三原市生研)先生 | |||
| 19890605 | 歌集・炎1-反核非戦の闘いのために | 火幻短歌会 | |
市岡正憲
| 19190609生19930622没 | いちおか・まさのり | 享年74歳 | 広島県被団協理事長・県原水協理事長。 |
資料
| 19710622 | 『教研速報No.2』 | 広教組広島地区支部教文部 | 所蔵:ピカ研 |
| 学級づくり・集団づくりの学習会-6月26日(土)午後2時より 社会福祉センター(予定) 講師 市岡正憲(三原附属教頭・三原市生研)先生 | |||
| 19890605 | 歌集・炎1-反核非戦の闘いのために | 火幻短歌会 | |
『”ひろしま”-原爆をかんがえる(試案)=そのとり扱いと若干の留意点について=』(広島県原爆被爆教師の会・広島県平和教育教材編集委員会・広島県教職員組合、19690701)
| 所蔵:ピカ研 形態:紙1枚 | ||
| はじめに(1969年7月1日) | ||
| 平和教育教材「ひろしま」について | ||
| 1 | 8月6日8時15分 | |
| 2 | 被爆の苦しみと怒り | |
| 3 | 第2次世界大戦のありさま | |
| 4 | 戦争をすすめた人びとのうごき | |
| 5 | 原爆投下の目的 | |
| 6 | 原子爆弾の破壊力 | |
| 7 | 死の科学 | |
| 8 | 原爆症 | |
| 9 | プレスコード | |
| 10 | ストックホルム・アピール | |
| 11 | 映画「ひろしま」 | |
| 12 | 第五福竜丸と原水爆禁止運動の高まり | |
| 13 | ひろしまの子どもたちのさけび | |
| 14 | いまなお続く被爆者の苦しみ | |
| 15 | 被爆者の苦しみ、その責任はどこに | |
| 16 | 日本人としておもうこと | |
平和教育校内研究会(石田講師)の概要(19701120)
| 資料所蔵:ピカ研 |
| 骨子 |
| 平和教育のあゆみ |
| 現代の世相と平和 |
| 平和教育の位置づけ |
| 平和教育の定義 |
| 学校と家庭 |
![]() |
![]() |
![]() |
第22次教育研究広島県集会報告書4 第1分科会[1972年]
| 氏名 | 所属 | タイトル |
| 仁田 | 甲山支区 中央小 | 「あるハンノキの話-6年生でのとりくみ」 |
| 砂畠 | 三原地区支部 中之町小学校 | 国語教育を通しての人間形成はどのようにすればよいか |
| 神原 | 三原地区支部 尾道支区 吉和中学校 | 平和教育共通教材のとりくみ「ヒロシマのうた」 |
| 今西祐行 | ヒロシマのうた | |
『文学教材をどうとられどう教えるか―自主教材「ヒロシマのうた」をめぐって』(児玉晴子 国語教育研究サークル・ニ土会 段原中学校)
日教組第21次・日高教第18次教育研究全国集会報告書 34
第5分科会
注:『ヒロシマのうた』=今西祐行の小説。1970年刊。
2020年3月(日録)
| 日 | 事項 |
| 01 | 3・1ビキニデー |
| 02 | ヒロシマ遺文への投稿=「わたしたちの広島市」、「きょうど「ひろしま」」、「なつやすみ(46年度)」、「夏の生活」。 |
| 03 | ヒロシマ遺文への投稿=「現代教育科学」、「イモヅル(広島地区高部協機関誌)8号」、「原爆犠牲者国民学校教師と子どもの碑」、「「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」建立についてのおねがい」、「流灯-ひろしまの子と母と教師の記録」、「『ヒロシマ原爆の記録』でどう教えるか」、「2020年3月(日録)」 |
| 04 | ヒロシマ遺文のTOP頁の更新。 |
| 04 | ヒロシマ遺文への投稿=「文学教材をどうとられどう教えるか」、「広島県集会報告書4」、「平和教育校内研究会(石田講師)の概要」、「ひろしま-原爆をかんがえる(試案)について」、「市岡正憲」、「広島県原爆被爆教師の会入会のしおり」、「原爆を中心とした平和教育教材(小・中学校)」、「平和を叫ぼう-”ひろしま”についての自主教材として(試案)」、「庄原市社会科同好会」、「布野村教育研究協議会」、「高校生による原爆資料紹介の会(仮称)」、 |
| 05 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島県立廿日市高等学校」、「広島県立広島商業高等学校」、「八王子高等学校」、「安田女子高等学校」、「原爆展の話を聞いて」、「似島中学校」、「白島小学校」、「東京都葛飾区立上平井中学校」、「平和への教育 広島の初等教育」 |
| 06 | 山口勇子『原爆瓦』読了。 |
| 07 | 山口勇子『原爆瓦』読了。 |
| 07 | ヒロシマ遺文への投稿=「年表:原爆瓦」、「日本印象記-ヒロシマの家」、「大原三八雄」、「山崎与三郎」 |
| 08 | ヒロシマ遺文への投稿=「神田三亀男」、「咲け山ユリの心 山村児童と広島原爆病院の交流」、「広島県被爆教師の会(原爆被爆教職員の会)出版物」、「未来を語りつづけて-原爆体験と平和教育の原点」、「未来を語りつづけて(続)」、「明日に生きる 高校生のための平和読本」 |
| 09 | 広島市公文書館。 |
| 09 | ヒロシマ遺文への投稿=「沈黙の壁をやぶって」 |
| 10 | ヒロシマ遺文への投稿=「沈黙の壁をやぶって」、「ながさきの平和教育I」、「ながさきの平和教育Ⅲ」、「松永照正」、「ナガサキの原爆読本」、「平和を叫ぼう!」、「ヒロシマからの報告 平和・教育・被爆者問題を考える」、「この子らに語りつぐもの」、「高校生の原水爆・平和等意識調査」、「教科書を国民の手に」、「ヒロシマへの旅-平和学習のしおり」 |
| 11 | 政府主催 東日本大震災9周年追悼式。新型コロナウイルスのため中止。総理大臣官邸で献花式 を挙行。 |
| 11 | ヒロシマ遺文への投稿=「平和教育入門」、「人類の未来への証言」、「ひろしまたたかう婦人教師」、「続・ひろしまたたかう婦人教職員 」、「ヒロシマ その惨禍 未来への証言」、「失った日から-原爆・引揚・教育・戦中の暮し体験記」、「世界の平和・軍縮教育 1982年国際シンポジウム報告書」、「被爆教職員ここまで生きてきて」、「被爆建造物をたずねて」、「被爆二世として生きる」、「原爆を許すまじ 音楽平和教材伴奏集Ⅰ」 |
| 12 | ヒロシマ遺文への投稿=「原水爆禁止少年少女のつどい」、「第25回原水爆禁止似島少年少女のつどい」、「原爆の子 見よ!戦争の惨苦を!」、「軍縮教育資料集」、「ヒロシマの旅-碑めぐりガイドブック」、「原爆モニュメント物語」、 |
| 13 | ヒロシマ遺文への投稿=「ドキュメンタリー原爆遺跡21世紀への平和と創造」、「空白の学籍簿」、「こだまするうた 第2集」。 |
| 14 | ヒロシマ遺文への投稿=「昭和史を学ぶ高校生たち」、「年表:平和教育(~1960)」、「年表:平和教育(1961~1970)年表:平和教育(1971年)~(1979年)」、「年表:平和教育(1998年)」、「広島大学公開講座:放射線が人体に与えた影響」、「書誌2019」、「ヒロシマの声を聞こう」、「占領下の「原爆展」-平和を追い求めた青春」、「にんげん 反戦平和編1」、「高校生平和大使にノーベル賞を」、「誓いの炎ー長野県高等学校「学校平和宣言」」、「修学旅行[2006/10/25(水)~28(土)]」 |
| 15 | ヒロシマ遺文への投稿=「ヒロシマ散歩 原爆遺跡・戦跡をたずねて」、「ひろしまの原爆の木たち」、「被爆(戦争)体験談児童生徒の平和作文集」、「ひろしまの詩 女声合唱のための組曲」、「青い空は青いままで 平和と子どもたちの未来を」、「ひろしま修学旅行ガイド」、「慟哭の悲劇はなぜ起こったのか」、「書誌1995」、「書誌1992」、「書誌1990」、「アジア太平洋戦争から何を学ぶか」 |
| 16 | ヒロシマ遺文への投稿=『広島県総務部地方課特別調査一件』 |
| 17 | ヒロシマ遺文への投稿=「書誌1952年」。 |
| 19 | 桜が丘へ。倉庫の呉関係資料の所在確認と女学院関係資料の整理。 |
| 19 | ヒロシマ遺文への投稿=「爆心復元運動とヒロシマの思想」。 |
| 20 | 桜が丘へ。倉庫の女学院関係資料の整理と原医研関係資料の所在確認。 |
| 21 | 桜が丘へ。倉庫の原医研関係資料の一部を自宅に持ち帰り整理。 |
| 22 | 自宅の「広島県史」関係資料の整理。 |
| 22 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島県史研究記事目録(抄)」。 |
| 23 | ヒロシマ遺文への投稿=「核権力ーヒロシマの告発」、「原水爆禁止広島・長崎大会報告決定集(1964年)」 |
| 24 | 自宅書庫の自著関係の整理。 |
| 24 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島市公文書館紀要記事目録(抄)」、「原爆三十年-広島県の戦後史目次」 |
| 25 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島新史編修手帖」 |
| 25 | ヒロシマ遺文への投稿=「原爆被災資料の収集・整理・保存-広島大学勤務期」 |
| 26 | NHK広島放送局のTwitterでの発信開始。「#ひろしまタイムライン」。 |
| 28 | 毎日新聞に平和式典時の音量制限に関する特集掲載<1月7日に小山美砂(広島支局)の取材)。 |
| 29 | 県立図書館に貸し出し申し込みをしていた『東寺百合文書を読むを』を昭和図書館で受け取る。<31日返却>。 |
| 29 | 昭和のくらし博物館特別展「映画「この世界の片隅に」さらにいくつものすずさんのおうち展」。会期:20191101~20200329.<観覧できず> |
| 30 | ヒロシマ遺文への投稿=「東寺百合文書を読む」、「広島県立音戸高等学校」。 |
『『ヒロシマ原爆の記録』でどう教えるか―ひろしまをすべての子らに―(試案)』
(広島県原爆被爆教師の会、197106) 所蔵:ピカ研
内容
| 章節 | タイトル | 備考 |
| ヒロシマ 原爆の記録 | ||
| 01 | 指導のねらい | |
| 02 | 指導にあたっての留意点 | |
| 指導展開例(中学校) | ||
| あとがき(この指導を機に発展させたいもの) | ||
| 図書の紹介 | ||
| この映画は、1970年7月広島市民の参加と支持のもとに、広島市および地元報道機関の協力により制作された。 | ||
| 企画・監修・広島原爆映画製作委員会 | ||
| 制作:株式会社日本映画新社 | ||
| 共同構成・小笠原基生、松川八州雄 | ||
| 語り手:宇野重吉 | ||
| ドキュメンタリー映画、16ミリ白黒(一部カラー)上映時間29分 | ||
| <ナレーション台本>ヒロシマ原爆の記録 | ||
『流灯-ひろしまの子と母と教師の記録』(原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑建設委員会事務局 、19711215)
| 頁 | 著者 | タイトル | 備考 |
| 005 | 発刊によせて | ||
| 広島県連合小学校長会会長 広島県公立中学校長会会長 広島市公立中学校長会会長 広島県PTA連合会会長 広島県退職校長会長 広島県退職婦人教職員会会長 | |||
| 石田明 | 広島県原爆日学教師の会会長 | ||
| 宅和純 | 広島県教職員組合執行委員長 | ||
| 楠忠之 | 広島県教職員組合広島地区支部長 | ||
| 018 | 芥川永 | 制作をおえて | 原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑制作者 |
| 原爆犠牲国民学校教師と子ども追悼の記 | |||
| 原爆犠牲国民学校子どもへの追悼 | |||
| 原爆犠牲国民学校教師への追悼 | |||
| 追悼によせて | |||
| 増田勉 | 未来を悔いあらしめぬよう | 第一国民学校勤務 | |
| 井上 博 | 原爆思い出すまま | 済美学校勤務 | |
| 寺沢 篤雄 | 原爆に遭いて | 竹屋国民学校勤務 | |
| 田島 三次 | 碑の建立に霊よ安かれ | 第一国民学校勤務 | |
| 小出 鈴子 | あのときのこと | 竹屋国民学校2年生 | |
| 「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」除幕にささげる 構成詩 未来を語りつづけて | |||
| 深川宗俊 | 作と構成 | ||
| 土屋清 | 演出 | ||
| 山本学 | 語りて | ||
| 小さな骨[楽譜] | |||
| 碑歌[楽譜] | |||
| 229 | 原爆犠牲国民学校教師と子ども・犠牲者名簿 | ||
| 265 | 附属関係資料 | ||
| <その1>建設の経過概要 | |||
| <その2>建設募金訴えのビラ | |||
| <その3>維持委員会と遺族会の規程・規約 | |||
| <その4>原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑建設募金会計中間報告書 | |||
| 深川宗俊 | 「流灯」によせて | ||
| 植野浩 | あとがきにかえて | ||
「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」建立についてのおねがい
“太き骨は先生ならむ そのそばに
小さきあたまの骨 あつまれり”
“目玉飛びでて盲となりし学童は
かさなり死にぬ 橋のたもとに”
(正田篠枝「耳鳴り」「百日紅」より)
“ひろしま”に原爆が投下されて二十五年の歳月が流れました。ただ一発で中国地方第一の都市広島が火の海となり、一瞬にして二十万余の人たちが亡くなりました。その中に幼い子どもたちと、指導し引率していた教師がいるのです。
一九四五年八月六日午前八時十五分でした。終戦に近いこの日、アメリカははっきりした目的をもって世紀の非人道兵器、原子爆弾を、密集した住宅街の頭上に投下したのです。当時、広島市の国民学校初等科は、四年生以上が田舎に強制疎開され、三年生以下は、まだ小さいことから親の元に残され毎日登校していました。また、高等科の一・二年生は連日市内の建物疎開作業に動員され、奉仕の労働をしていたわけです。こうして原爆は子どもたちを無残な戦争犠牲者にまきこんだのです。
その人数は、いまだ正確にされていませんが約二千名といわれています。そのうち大半が高令な女教師でありました。
二十五年たった今日、広島市の平和公園をはじめ市内の各地に多くの慰霊碑がたてられています。ところが、どうしたことかこの国民学校の教師と子どもの碑は、いまだに建立されていないのです。その上に、生き残った被爆教師も年月とともに次第に教職を去り、また黙したまま世を去り、その人数は少なくなってきています。こうした中で、誰がいうともなく深い意義をみつめて碑の建立をしなければいけないという声が各地に生まれてきました。
ここにわたしたち発起団体は、互いに連絡しあい協議を重ねた結果「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」の建立運動をおこすことを申し合わせたのです。
広島県民及び教師のみなさん、この碑はもちろん教師と子どもの慰霊碑であります。そのことともに、三たび許してはならぬという原爆教育と、みんなが力をあわせて人類最高の倫理といわれる平和の教育を“ひろしま”の教育として、現在及び未来に押しすすめる決意の碑にしていきたいと願っているのです。
みなさん、あのあつい炎の中で、互いに抱きあい助けあい呼びあい、そして、、力つきて共に集まり燃えきっていった師弟たち、その白骨の中に限りない生命の声を今にして聞きとり、これを互いに継承しなければならないと考えます。
この碑の建立の趣意を十分御理解くださり、募金に協力していただきますようお願い申しあげます。
発起団体名
広島県小学校長会
広島県中学校長会
広島市小学校長会
広島市中学校長会
広島県PTA連合会
広島市PTA連合会
広島県退職校長会
広島県退職婦人教師の会
広島県原爆被爆教師の会
広島県教職員組合
広島県教組広島地区支部
事務局
730 広島市国泰寺町二丁目一-一九
教育会館内
TEL 43-一四六一
原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑建設委員会
委員長 惣野真澄
事務局長 石田明
原爆犠牲者国民学校教師と子どもの碑
建立年月日:1971(昭和46)年8月4日
場所:広島市・平和公園
![]() |
| [台座正面] 原爆犠牲国民学校 教師と子どもの碑 |
![]() |
| [台座裏面]
篠枝 昭和四十六年八月六日建立 |
資料
| 構成詩 未来を語りつづけて「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」除幕にささげる (8月4日午前8時15分除幕) |
![]() |
| ピカ研資料 |