『ヒバクシャ-ともに生きる第2号』原爆被害者相談員の会、19831211
目次
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| 石田 明 |
三十八年目の自戒 |
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| 古山寿朗 |
被爆者行政の問題点 広島市における「手帳」交付事務の一側面 |
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| 槙 繁 |
私にとって被爆者とは― 相談所・取材雑感 |
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*はじめに、*草の根運動と被爆者運動、*加害と被害をめぐって<アジア文学者会議、浄土真宗西本願寺派の平和シンポジウム>、*語ってほしい””被爆に至る個人史、*被爆者相談の社会的責任、*たとえば被爆者条例を |
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相談活動から |
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| 小嶋章吾 |
原爆手帳の意味におもう |
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原爆被害者証言のつどい |
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| 久保浦寛人 |
「原爆被害者証言のつどい」誕生の経緯とグループ活動一年のあゆみについて |
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| 山岡ミチコ |
私の人生を変える広島 |
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| 沼田鈴子 |
ヒバクシャとして悔いのない一生のために |
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| 山本幸雄 |
三十八年目に書いた妻の証言手記から |
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| 相良カヨ |
”まったなし”の状況に適切な対応を |
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| 山本昌子 |
県東部地区被爆者相談に参加して |
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| 石田一紀 |
証言活動のエッセンス |
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| 奥谷義行 |
相談員の会の活動に思う(平和を語る青年の集い) |
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原爆被害者相談員の会 機関誌
『ヒバクシャ―ともに生きる』発行。1982年12月11日創刊
| 第号 |
発行年月日 |
著者 |
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| 1 |
1982/12/11 |
河合幸尾( 代表) |
発刊にあたって |
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| 2 |
1983/12/11 |
河合幸尾 |
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| 3 |
1983/12/11 |
河合幸尾 |
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| 4 |
1983/12/11 |
鈴木勉 |
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| 5 |
1983/12/11 |
鈴木勉 |
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| 6 |
1983/12/11 |
鈴木勉 |
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| 7 |
1983/12/11 |
鈴木勉 |
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| 8 |
1983/12/11 |
鈴木勉 |
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| 9 |
1991/03/31 |
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発足10周年記念特集号 |
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| 10 |
1992/05/09 |
鈴木勉 |
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| 11 |
1993/06/01 |
鈴木勉 |
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| 12 |
1993/06/01 |
鈴木勉 |
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| 13 |
1993/06/01 |
鈴木勉 |
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| 14 |
1993/06/01 |
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| 15 |
1997/04/29 |
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| 16 |
1998/06/20 |
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| 17 |
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| 18 |
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| 19 |
2001/06/02 |
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| 20 |
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| 21 |
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| 22 |
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| 22 |
2005/08/06 |
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| 23 |
2005/08/06 |
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| 24 |
2007/08/06 |
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| 25 |
2008/08/06 |
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| 26 |
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| 27 |
2012/08/06 |
鈴木勉 |
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| 28 |
2012/08/06 |
三村正弘 |
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| 29 |
2012/08/06 |
三村正弘 |
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| 30 |
2012/08/06 |
三村正弘 |
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| 31 |
2012/08/06 |
三村正弘 |
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| 32 |
2012/08/06 |
三村正弘 |
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| 33 |
2016/08/06 |
三村正弘 |
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| 34 |
2017/08/06 |
三村正弘 |
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| 35 |
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| 36 |
2019/08/06 |
三村正弘 |
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2020/08/06 |
三村正弘 |
第38回8・6原爆被害者証言のつどい(2019年) |
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| 38 |
20210806 |
三村正弘 |
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| 39 |
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| 40 |
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| 41 |
20240806 |
三宅文江(代表) |
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広島県医療社会事業協会『患者と福祉 1971』1971年8月1日発行
目次
| 上村吉郎 |
今後の医療社会事業(広島県医療社会事業協会長) |
| 山本鎮雄 |
医療行為の二律背反と医療社会事業の必要性(広島女子大学講師) |
|
特集=原爆被爆者対策に考える= |
| 志水 清: |
原爆被爆者対策に対する提言(原爆傷害調査委員会医科社会部長) |
| 宮本秀夫: |
被爆者対策の基底(広島県社会福祉協議会コミュニティオーガニゼーションワーカー) |
| 西谷義則: |
被爆保護世帯の実態と今後の課題(広島市社会福祉事務所ケースワーカー) |
|
事例研究 |
| 若林節美: |
入院拒否を続けた原爆被爆母子家庭(広島原爆病院ケースワーカー) |
| 児島美都子: |
講評/遅すぎたケース紹介(日本福祉大学助教授) |
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広島県医療社会事業協会『患者と福祉 1972』1972年10月10日発行
目次
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| 上村吉郎 |
巻頭言:社会福祉の向上を<広島県医療社会事業協会長> |
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| 江崎須賀子 |
人工血液腎臓透析医療のかかえる問題 |
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特集=社会福祉士法制定試案を考える |
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| 三村正弘 |
「社会福祉士法」案に対する提言 |
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特集=老人と医療 パネルディスカッション(=1971年12月16日開催の広島県MSW協会第2回研修会のまとめ) |
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<出席者>上村吉郎、*江紀雄、若林節美(広島原爆病院、MSW)、田中勉<助言者>和田直(広島大学名誉教授、ABCC顧問)<司会>早川美子(原爆対策協議会、PSW) |
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事例研究 |
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| 西村清登 |
事例4:ある婦人の腎臓摘出手術をめぐって |
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| 早川美子 |
事例7:ある被爆家庭の人間関係(PSW、現広島県立精神衛生センター専門員) |
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特集=原爆被爆者対策に考える= |
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志水 清:原爆被爆者対策に対する提言 |
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宮本秀夫:被爆者対策の基底 |
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西谷義則:被爆保護世帯の実態と今後の課題 |
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事例研究 |
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若林節美:入院拒否を続けた原爆被爆母子家庭 |
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児島美都子:講評/遅すぎたケース紹介 |
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『社会福祉ひろしま(号外)』(広島県社会福祉協議会)19671208
目次
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原爆被爆者と社会福祉 |
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| 小川政亮 |
被爆者援護法と社会保障 |
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| 平岡敬 |
被爆者の生活と感情 |
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| 志水清 |
原爆被爆者の医療制度の現状と問題点 |
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| 永田守男 |
随想 科学者と原爆 |
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| 向井佐歳 |
〈福祉の言葉〉 |
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| 宮本 |
編集後記 |
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| 編集後記=「…▼新聞「社会福祉ひろしま」の号外として、本会初めての雑誌の発行を試みた。現代福祉国家論の虚構を弾劾してゆく基点に思想としての「ヒロシマ」を擁立したいと思う。被爆地広島における貧困と植民地的繁栄の断絶、被爆者の生活保障の筋道は、われわれに社会事業対象へアプローチする上での新しい視覚を要求しているのではないだろうか?…」 |
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紹介:ヒロシマの小さな流れ
| 8月6日、広島に集中する平和運動の流れは、大会決議の発表で頂点に達し、以降、引き潮のように霧散します。「ヒロシマ」と「広島」の格差を象徴しているようです。しかし、それを埋める小さなながれもあります。次に紹介するグループは、その流れです。(いづれも広島市内=順不同) |
| グループ名 |
連絡責任者 |
連絡場所 |
| 原水爆禁止広島母の会 |
前田富子 |
八丁堀*** |
| 憩いの家 |
田辺耕一郎 |
宇品 |
| 広島折鶴の会 |
河本一郎 |
的場 |
| 八・六友の会 |
吉川清 |
江波 |
| 談和会 |
今堀誠二 |
千田町広島大学教養部内 |
| 平和と学問を守る大学人の会 |
佐久間澄 |
同上理学部内 |
| 被災白書を進める市民の会 |
永田守男 |
胡町中国新聞社文化部内 |
| きのこ会 |
長岡千鶴乃 |
宝町婦人会館内 |
| 広島原爆資料保存会 |
横田工 |
中島町平和記念資料館内 |
| 広島キリスト者平和の会 |
橋本栄一 |
八丁堀広島YMCA内 |
| 宗教者平和協議会 |
相原和光 |
同上 |
| ヒロシマ研究の会 |
小林省三 |
同上 |
| 広島研究の会 |
大牟田 |
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| 「平和の灯」奉賛会 |
藤田定一 |
金屋町労働会館内 |
| ワールド・フレンドシップ・センター |
原田東岷 |
南観音 |
| 山下会 |
近藤幸子 |
己斐上 |
| 胎内被爆者、被爆二世を守る会 |
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上幟町1-3・平和センター |
| 原爆被害友の会 |
升川貴志栄 |
山根 |
| 平和のために対話を!市民の会 |
庄野直美 |
牛田町広島女学院大学内 |
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『原爆以後・廃墟の中より』
広島文理科大学学友会文化部・広島高等師範学校学友会文化部編、1948年12月1日
目次
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| 長田新(学長) |
巻頭言 学園文化祭を祝いて |
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| 福原淑人(学友会文化部理事長、大学教育学科) |
新文化創造の精神と哲学的実存のイデー(学園文化祭の意義に関して) |
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| マックミラン女史(広島女学院講師) |
広島の文化的再建の為に |
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| 沈木(中華民国広島華僑聯合会長) |
学園文化祭に寄せて |
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『原爆孤老』(「原爆孤老」刊行委員会、労働教育センター、19800806)
目次
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刊行にあたって |
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「原爆孤老」刊行委員会=志水清(広島原爆養護ホーム所長)、石田明(全国原爆被爆教職員の会会長)、水原肇(ジャーナリスト) |
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表紙絵・カット 四国五郎 |
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ドキュメント 広島原爆養護ホームの二四時間 |
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| 1 |
原爆孤老一七人の戦後史 |
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原爆慰霊碑守りを生きがいに 松本モモヨさん(81歳)
海外からの手紙に支えられ 友保キヌエさん(79歳)
義理の子どもが離れていった 保田みさえさん(80歳)
“あきらめ”の底にあるもの 春貝地千恵さん(82歳)
脳腫瘍をのりこえて 浜田綾子さん(66歳)
引揚げ、被爆、夫と子どもの死 沖本アキヨさん(75歳)
特別排置法で死の準備 野村マサ子さん(85歳)
八〇歳過ぎるまで働きつづける 加茂川ケンさん(91歳)
心に負った傷 川井幸子さん(仮名・70歳) 113
ひとりで死の不安とたたかう 岩田嘉代子さん(74歳)
最愛の妻をピカに奪われて 沼井留止郎さん(81歳)
たった一人生き残った 高木キミ子さん(仮名・67歳)
市からもらう金は葬式代 竹尾政太郎さん(85歳)
安住の地はありませなんだ 河野チエさん(仮名・87歳)
“バチカブリ”とののしりながら 朴順権さん(仮名・65歳)
他人の子どもを育てたが 基ハルさん(仮名・78歳)
男手を原爆で奪われた村で 辰本サダさん(86歳) |
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| 2 |
今日の原爆孤老問題 志水清 |
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1 原爆孤老とは何か、2 原爆孤老の生活実態、3 被爆者援護の現状、4 原爆孤老対策の方向 |
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座談会 原爆孤老は何を求めているか |
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出席者:池田もはる、高橋文枝、塚本弥生、牧村美枝子、水原肇、中西幸夫、藤原茂、町川範彦、横田賢一、川嶋誠、(司会)石田明 |
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あとがき |
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石田明、水原肇 |
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『三十五年目の被爆者』(広島原爆被害者問題ケースワーカー研究会編、労働教育センター、19790720刊)
目次
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はじめに |
| 富岡啓子 |
広島原爆障害対策協議会 |
二人の娘に残したもの-中川和子さんの場合 |
| 若林節美 |
広島原爆病院 |
絵に託すねがい-宮本広三さんの場合 |
| 池田みはる |
草津病院 |
病室の中で-品川和三一さんの場合 |
| 江崎須賀子 |
広島市民病院 |
肝障害を押して-工藤志げのさんの場合 |
| 西村清登 |
放射線影響研究所 |
光をうばわれた半生-杉沢浅代さんの場合 |
| 白石順子 |
元放射線影響研究所 |
| 三村正弘 |
福島生協病院 |
生きていてよかったといえる日まで-富永初子さんの場合 |
| 塚本弥生 |
広島市民病院 |
平和を願い、訴えつづけて-藤枝良枝さんの場合 |
| 桶舎洋子 |
元安佐協同病院 |
長袖で過ごした青春-西田豊子さんの場合 |
| 加藤礼子 |
広島赤十字病院 |
生きる重み-長沢豊太郎さんの場合 |
| 山田寿美子 |
福島生協病院 |
二重の障害を背負って-西本良子さんの場合 |
| 座談会-いま被爆者は |
石田明(全国被爆教師の会)、湯崎稔(広島大学)、富岡啓子、三村正弘、若林節美 |
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『被爆二世 その語られなかった日々と明日』(広島記者団被爆二世刊行委員会編、時事通信社、1972年7月15日)
目次
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そうてい・カット 四国五郎 |
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今中次麿 |
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序 |
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この子らのあすに何があるか/ひき継がれる“核の爪跡” |
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| Ⅰ |
あすにむかって-被爆二世とその周辺 |
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| 1 |
“帰らぬ鶴”を越えて<瀬戸真美さんの場合> |
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被爆二世であることの自覚/四つのときからの会員/玄海灘を越えて/多くの人に知らっもらいたい/真美さんの夢 |
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| 2 |
歩みはじめた二十歳<川口裕子さんの場合> |
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私は平凡な女の子/主体的な歩み/活動家一年生/若ものたちとともに/大地に種をまく勇気を |
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| 3 |
看護婦をえらんだ姉<向井秀子さんの場合> |
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陸上競技の選手/お母さんの被爆/弟の発病/弟の死/看護婦の道をえらんで |
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| 4 |
十三日目の二次被爆が…<栗栖みどりさんの場合> |
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午前六時までもちこたえれば/いっしょに仕事をしたい・遊びたい/あの人に悪いけど、死にたい/原爆投下後十三日目の放射能が……/母の思い |
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| 5 |
もう少し遅く生まれていれば<山下恵子さんの場合> |
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クラスの中心人物/たった一つの弱音/壁と壁を破るもの |
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| 6 |
母親の心の軌跡<名越史樹君と操さんの場合> |
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原爆の生き証人/ランドセルも背負えないで/フミキ、シッカリ、カンドケ/『ぼく生きたかった』の出版/マスコミにとりあげられる苦痛/ベトナムの子らと |
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| 7 |
四十五万円の希望<沖縄の被爆者> |
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復帰にともなう生活危機/米軍を恐れながら/絶望を深める検診/沖縄の被爆二世/この距離をどう埋めるか |
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| Ⅱ |
原水禁運動と被爆二世 |
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| 1 |
黙殺しつづけた行政 |
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『ヒロシマの証言』の所信/行政姿勢の反映? |
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| 2 |
「守る会」生まれる |
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守る会の目的と方針/被爆者差別は核武装への奉仕/日本中の子どもの問題/目的は一致しながら/『広島はたたかう』 |
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| 3 |
被爆二世の健康調査 |
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五人に一人が異常あり/救援に役立つ調査を |
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| 4 |
一貫する行政の姿勢 |
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広島県・市へ申し入れ/調査に踏みきらぬ行政当局/母の怒り、市民の怒り/守る会から対策会ヘ |
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| 5 |
母親たち 110 |
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山下会の歩み/被爆二世と結婚/屈折した経験/手記づくり運動\ヒロシマの母とベトナムの母 |
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| 6 |
要求で起ち上がった労働者 |
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国労被爆協の取組/全電通の調査活動/被爆教師の会/新しい共同の動きⅢ 医学と被爆者 |
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| Ⅲ |
医学と被爆者 |
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| 1 |
原爆と医学 杉原芳夫 |
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医学の根底-政治/障害の隠蔽-ABCC/原爆症とは何か-科学的認識論/胎内被爆-非人道的調査/遣伝的障害-突然変異/被爆二世-白血病/差別の根源-核戦争政策 |
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| 2 |
核戦略体制下のABCC |
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|
二十五年ぶり来広の真意は/原爆投下直後の救護体制/日本側救護を禁圧したプレス・コード/調査研究資料を押収したアメリカ調査団/日本料学者の努力とそれへの圧迫/ABCCの調査活動/被害者より加害者がはばをきかす/ABCCの真の目的/核戦争対策/ABCCは米政府機関/米本国へ送られた被爆者の臓器/アメリカの防衛と安全のための「契約」/無条件完全返還を |
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|
| 3 |
ABCCに癒着する広大原医研 |
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|
|
三つの研究機関/遺体についての協定/ABCCへの死亡連絡/原医研のなりたち/原爆医学標本センター/原医研と被爆二世/ABCCとの関係/被爆者の背番号/下請け機関であることをやめよ |
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| Ⅳ |
国、地方自治体と被爆二世 |
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| 1 |
“特別援護はしない”―厚生省- |
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|
「学術の進歩に合わせて考慮する」/その行政上の矛盾/急務にこたえよ |
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| 2 |
“医科学的証明がない”―広島県・市- |
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|
被爆地の自治体でありながら…/県も市と同歩調/後退する陳情書 |
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| 3 |
先進的にとりくむ京都府など |
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京都の被爆者/被爆二世対策の実施/北海道でも/川崎市でも |
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| 4 |
長崎にて<ルポルタージュ> 深川宗俊 |
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被爆二世の死/国への要望/対策にのりだした長崎市/ある被爆活動家の意見/沈黙は差別を助長する/長崎「青年と被爆二世の会」の発足/鎮魂のうたとして/“死を待つ行政”をのりこえて |
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| Ⅴ |
朝鮮人被爆者・被爆二世 |
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| 1 |
差別の中を生きぬく |
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朴竜時さん一家の場合-一家の苦難/差別にくじけずに 金秀鉉さん一家の場合-生きかえってからの苦しみ/被爆者の子どもの人生/骨身にしみる憤り/快活な二世たち |
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| 2 |
二十七年間の空白 |
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差別と貧困ヘの告発/広島の朝鮮人被爆者/はかどらぬ朝鮮人被爆者の救援/北朝鮮の被爆者たち/日本の責任 |
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むすびにかえて |
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あとがき <本書は、日本ジャーナリスト会議広島支部(昭和42年結成)の学習会のなかから生まれた> |
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広島大学総合科目:戦争と平和のための総合的考察 1977年~
出典:山田浩、森利一編『平和研究ノート』(広島大学総合科学部国際関係論教室、19790518)
目次
| 章 |
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| 01 |
芝田進午 |
平和の思想 |
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| 14 |
北西允 |
日本の原水禁運動―略史と問題点 |
| 15 |
庄野直美 |
核時代と原爆被爆者 |
| 16 |
藤井敏彦 |
平和教育 |
| 17 |
松元寛 |
原点としてのヒロシマ |
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|
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|
|
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。