中本 たか子
| 28 | 1991 | 中本 たか子 | なかもと・ たかこ | 87 | 小説家。1927年上京、『女人芸術』誌に参加。1941年蔵原惟人と結婚。<資料年表:中本 たか子> |
止
中本 たか子
| 28 | 1991 | 中本 たか子 | なかもと・ たかこ | 87 | 小説家。1927年上京、『女人芸術』誌に参加。1941年蔵原惟人と結婚。<資料年表:中本 たか子> |
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『広島TODAY』(W・バーチェット著、成田良雄訳、連合出版、1983/08/06)
内容
| 章 | 見出し | ||
| はじめに 3 | |||
| 1 | 原爆投下直後 11 | ||
| スイス政府を通じて抗議 アメリカ政府の返答 隠蔽政策の伝統 人生の岐路に立っていた 戦果を見にきた人びと | |||
| 2 | 受難の広島レポート 20 | ||
| 二つの現場報告 核実験場に汚染はなかった? 広島からの帰路 なぜ事実を隠すのか カメラ盗難・日本追放の仕打 | |||
| 3 | 広島への道 | ||
| 降伏調印式に背を向けて 従軍特派員として 太平洋を「分割」して取材 特攻隊、悲惨 沖縄で知った原爆投下 同盟通信の協力を得る 準備は整った | |||
| 4 | 広島--一九四五年九月三日 42 | ||
| たった一人列車に乗る まわりは軍人だらけ 口に出せないヒロシマ 留置場で中村さんと会う 爆心地でタイプをたたく 広島レポート 削られた現場描写 私が書けなかったこと 勝部先生の忠告と訴え | |||
| 5 | 妨害工作 57 | ||
| なぜ現場をみるのか アメリカ記者団の目的 立入り禁止となった東京 ヘンリー・キーズの活躍 ウェラー記者、長崎に入る 犯罪的なプレスコード | |||
| 6 | 日本人がみた広島 67 | ||
| 裏切られた希望 ”私だったら国を訴える” 想像を越える天皇の威信 東条英樹の運命 天皇崇拝とポツダム会談 | |||
| 7 | 二十六年後の広島 77 | ||
| フリート街に別れを告げて ストックホルムアピールの頃 路上で、工場の門前で 人それぞれの感動 勝部先生との再開 中国新聞記者の述懐 ABCCと被爆者 | |||
| 8 | ヒバクシャ 90 | ||
| 聴衆のさめた反応 被爆二世との出会い ”早くよくなって下さい” 被爆者の苦悩と不安 原爆病院で重藤先生にきく 岩国の畠中さんの話 勝部先生からの手紙 | |||
| 9 | 生存者の抵抗 106 | ||
| 不安定な生活基盤 このままでは救われない 裁かれざる犯罪 立ち上がる被爆者 一人ひとりの原爆 | |||
| 10 | 原爆製造のドラマ 116 | ||
| ポツダム会談と原爆実験 ソ連に対抗するために ”戦争中に生きた目標に” ”権力者を仕事場に入れるな” 亡命した科学者たち ルーズベルトの決断 原爆という名の列車 | |||
| 11 | 原爆使用への誘惑 130 | ||
| アルソス・グループ U計画の実態 ヒットラーと原爆 ニールス・ボーアの警告 グルーブズ将軍のあせり 科学者たちの抵抗 進退きわまった日本 ”戦争を終わらしてくれ” 原爆使用の最終決断 ポツダム会談の舞台裏 | |||
| 12 | 原爆パイロット 152 | ||
| 原爆を落とした側の苦悩 償いの日々 アンデルスのはげまし ノーモア・ヒロシマ 狂っているのは誰か ”手紙のように書きなさい” 原爆投下の朝 イーザリーの脱走 人間的感情への連帯 精神異常のレッテル 殺し屋ルメイの下で | |||
| 13 | 広島と冷戦 179 | ||
| トルーマンとレーガン 外交の”切り札”として スチムソンの憂慮 チャーチルの対ソ認識 ギリシャで見たこと | |||
| 14 | 自殺するアメリカ 193 | ||
| 冷戦下のベルリンで 対ソ原爆使用の誘惑 ある政治的冒険家 一触即発のベルリン ”撃って撃って撃ちまくる” 挫折した軍事的冒険 危機の舞台は朝鮮に 一九八三年四月八日の記事 神聖な目的のための犠牲 モルモットにされた兵士たち 原爆放射に耐える実験 自殺するアメリカ | |||
| 訳者あとがき 220 | |||
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資料年表:ウィルフレッド・バーチェット<作業中>
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 1911 | ||
| 0916 | 誕生。 | |
| 1945 | ||
| 0905 | デイリー・エクスプレス紙(英紙)19450905 | |
| 「30日目の広島、逃げた者、死に始める 原爆の疫病の被爆者たち ”私はこれを、世界への警告として書く”」<出典:『広島県史 原爆資料編』19720331> | ||
| 1971 | ||
| 0801 | 『長崎の証言1971』(「長崎の証言」刊行委員会) | |
| 「ベトナムへノーモア!」-二十六年ぶりの広島にて W・バーチェット 220 | ||
| 1972 | ||
| 0530 | 『広島・板門店・ハノイ バーチェット自伝』(ウィルフレッド・バーチェット、河出書房新社) | |
| 1976 | ||
| 0101 | 『世界大百科年鑑 1976』(平凡社) | |
| (インドシナの年)1975-W.バーチェット/訳・武藤一羊 126 | ||
| 1983 | ||
| 0806 | 『広島TODAY』(W・バーチェット著、成田良雄訳、連合出版) | |
| 0927 | 死亡。 | |
| 1985 | ||
| 0621 | 『被爆者援護法に関する第二次報告書』(日本弁護士連合会) | |
| 第二 日米両国政府の被爆者に対する措置 45 三 米国は、被爆者に対する救援の必要性を認識していた 52 1 バーチェットの救援要請 52 2 マルセル・ジュノーの救援要請 52 |
||
| 0826 | 『花の幻 続・平和を作る人たち』(安藝基雄著、みすず書房) | |
| 第1部 11 ヒロシマ・ノート 2141.市長の死 216 5.ジュノーとバーチェットの対応 253 |
||
| 1995 | ||
| 1005 | 『米軍占領下の原爆調査 原爆加害国になった日本』(笹本征男著、新幹社) | |
| 第6章 原爆報道とプレス・コード 218 第1節 バーチェットの疑問 218 第11節 バーチェットの疑問への答え 253 |
||
| 1997 | ||
| 0520 | 『ユネスコ世界遺産 原爆ドーム 21世紀への証人』(中国新聞社) | |
| 第1章 ドーム保存と世界遺産決定までの歩み 世界遺産に登録決定 63 (この人からの一言) ウィルフレッド・バーチェット 51 |
||
| 2007 | ||
| 0715 | 『世界を不幸にする原爆カード ヒロシマ・ナガサキが歴史を変えた』(金子敦郎著、明石書店) | |
| 第7章 カバーラップ 191 「被害」報道で批判浮上 「放射能被害はない」 バーチェット記者の特ダネ |
||
| 2014 | ||
| 0806 | 『原子力と核の時代史』(和田長久著、七つ森書館) | |
| ChapterⅠ 核分裂の発見から、ヒロシマ、ナガサキの悲劇[1898-1945年] section2 広島、長崎への原爆投下 11 4 ウィルフレッド・バーチェット記者、ヒロシマを世界に報道 15 |
||
| 2015 | ||
| 0806 | 『”ヒロシマ・ナガサキ”被爆神話を解体する 隠蔽されてきた日米共犯関係の原点』(柴田優呼著、作品社) | |
| 第2章 アメリカが被爆体験の語られかたを創始する ―沈黙させられる被爆者 2.右往左往する海外メディア報道 79 バーチェットの「すっぱ抜き」 |
||
| 2016 | ||
| 0310 | 『核の戦後史 Q&Aで学ぶ原爆・原発・被ばくの真実』(木村朗・高橋博子著、創元社) | |
| 第2部 核体制と戦後日本 Q&A…139 講義篇 機密解除文書から原発と核兵器推進体制の闇に迫る 140 ②アメリカは、なぜ原爆による残留放射能の存在を認めなかったのですか? /バーチェットのスクープ 159 |
||
| 0802 | 『世界の著名人が伝えていたヒロシマからの言葉』(佐藤美由紀著、双葉社) | |
| 第2章 叫ばれる存在意義-1970年代から1980年代- 51 ジャーナリスト ウィルフレッド・バーチェット 52 |
||
| 2021 | ||
| 1130 | 『原爆 捨てられない記憶と記録』(佐々木猛也著、日本評論社) | |
| 第一四章 占領・・・・・418 バーチェット・深刻な放射線被害の記事 |
||
| 2022 | 『世界のリーダー185人ヒロシマ、ナガサキで発した「言葉」 オバマ大統領から、ローマ教皇、マリリンモンローまで』(三山秀昭著、南々社) | |
| 第8章 5人のジャーナリスト 「ノーモア…」を発した欧米ジャーナリストたち…158 ルサフォード・ボーツ(アメリカ・UP通信記者) ウィルフレッド・バーチェット(オーストラリア出身、英紙デイリー・エクスプレス記者) |
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| 27 | 1983 | バーチェット、ウィルフレッド・ | 72 | ジャーナリスト。広島の被爆のもようを世界に最初に報道。<資料年表:バーチェット> | |
止
バーチェット
| 27 | 1983 | バーチェット、ウィルフレッド・ | 72 | ジャーナリスト。広島の被爆のもようを世界に最初に報道。<資料年表:バーチェット> | |
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資料年表:久保山愛吉<作業中>
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 1914 | ||
| 0621 | 誕生 | |
| 1954 | ||
| 0923 | 没 | |
| 1101 | 『中央公論 11月号 第794号』(中央公論社) | |
| 久保山さんの死 死の床にて 久保山愛吉 180 |
||
| 1955 | ||
| 0215 | 『未来をつくりだす原子力 青木新書』(林克也著、青木書店) | |
| 総論-久保山愛吉氏を悼み、その死に学ぶ 1この声をわれらの声に 13 2久保山氏の三つの遺訓 15 3ABCCを日本の手に 19 4抵抗のみ、人間性を守る 23 5放射能謀略Kは」開始された 27 6地球汚染の責任はアメリカ 31 7結論-ねばり強く禁止運動を 37 8追記-科学化されたトリック 38 |
||
| 0920 | 『写真でみる戦後日本 10年の歩みを記録する』(朝日新聞社) | |
| 『ノー・モア・ヒロシマズ』から『ビキニの・灰』まで………1 ―隔離される第五福竜丸―焼津から米軍用機で東京に移送された第五福竜丸の患者たち―酵素吸入中の久保山愛吉さんを看護する肉親たち―マグロの放射覧査―防毒面とビニール服で作業中の俊鶻丸の調査団員―俊鶻丸甲板上で魚の解剖― |
||
| 1957 | ||
| 0725 | 『人類の危機と原水爆禁止運動 第3回原水爆禁止世界大会討議資料 第2分冊』(原水爆禁止日本協議会) | |
| Ⅰ 原水爆の被害 (絶筆)死の床にて 久保山愛吉…21 |
||
| 1968 | ||
| 1015 | 『平和の思想 戦後日本思想大系 4』(鶴見俊輔編、筑摩書房) | |
| II 戦後、平和運動の遺産 絶筆 死の床にて 久保山愛吉 346 |
||
| 1975 | ||
| 0701 | 『第五福竜丸 1954年3月1日その日から』(第五福竜丸平和協会) | |
| 1978 | ||
| 0906 | 『原水協通信 第421号』(原水爆禁止日本協議会) | |
| 久保山愛吉氏追悼のつどい=焼津 7 | ||
| くぼやま・あいきち | 19140621生19540923没 | 享年40歳 | 第5福龍丸無線長。1954年3月1日にアメリカが南太平洋ビキニ環礁で実施した水爆実験で被曝。 |
止
ひろしまの河 NO.2(1961年8月1日)
内容
| 頁 | 著者 | タイトル | |
| 01 | (写真) | [堀川町の十字路にて:慰霊碑の] | |
| 02 | 山川菊栄 | 原爆と世界の動き | |
| 03 | 山口勇子 | モスクワの託児所で | |
| 03 | 近藤幸子 | 短歌 火のいたみ | |
| 04 | 座談会―被爆体験と今日の私たち | ||
| 永瀬清子・林田みや子・西隅幸枝・日詰しのぶ・斎藤富美江・煙井美津子・森滝市郎・山口勇子・小西信子・升川貴志栄・(司会者)藤井ゆり。於:平和会館。 | |||
| 06 | 永瀬清子 | 詩 広島開眼 | |
| 07 | 森滝しげ子 | 働く被爆者たち | |
| 08 | 小西信子 | 原爆慰霊碑めぐり(2)慰霊碑の街ひろしま | |
| 09 | 山本紀代子 | 遺稿 かの日の吾子は | |
| 南雅子 | 歌集「小さき旗」から | ||
| 10 | 座談会―原水爆時代の文学をめぐって | ||
| 中川国雄・*原*夫・小久保均・大原美耶雄・増原正・浜野千穂子・深川宗俊・小西信子・司会:栗原貞子、於:平和会館。 | |||
| 12 | 八島蒔子 | 詩 ひびわれた地球 同じ空の下で―安保の学生によせる― | |
| 13 | 藤井ゆり | 少女たち | |
| 14 | 日詰しのぶ | 署名 | |
| 15 | 前田とみ子(事務局) | 原水爆禁止広島母の会の活動について | |
| 16 | 第7回原水爆禁止世界大会へ向けての署名 軍縮全廃アピール | ||
| あとがき | |||
| 発行所:前田とみ子方 原水爆禁止広島母の会事務局 | |||
| 編集人:栗原貞子 | |||
| 印刷所:増田兄弟活版所 | |||
止
ひろしまの河 NO.1(1961年6月15日)
内容
| 頁 | 著者 | タイトル | |
| 01 | 四国五郎 | 題字「ひろしまの河」 | |
| 01 | 原爆17回忌に捧ぐ | ||
| 01 | 絵島(写真) | [広島市立女学校の殉職職員と学徒の慰霊碑の碑面] | |
| 02 | 山口勇子 | 原爆孤児 | |
| 02 | 南雅子 | 歌集「小さき旗」から | |
| 03 | 正田篠枝 | 私の苦悩と寂寞 | |
| 04 | 升川貴志栄 | 十六年後の二人の娘からの手紙 | |
| 04 | 油井善子 | 未だ癒えず | |
| 04 | 小玉満子 | 九回の手術を受けて | |
| 05 | 栗原貞子 | 広島・現代の救済 5 | |
| 06 | 小西信子 | 原爆慰霊碑めぐり 石田学園の巻(1) 市立女学校の巻(2) |
|
| 07 | 〈原水協通信〉 | 殖える核保有国 今年こそ実験停止を | |
| 07 | 〈原水協通信〉 | 盛んなイギリスの平和大行進 | |
| 07 | 八島藤子 | 詩 平和公園にて | |
| 07 | N | 老人に腰かけを | |
| S | 原爆十七回忌 | ||
| 広島と死神 S | |||
| あとがき | |||
| 発行所:前田とみ子方 原水爆禁止広島母の会事務局 | |||
| 編集人:栗原貞子 | |||
| 印刷所:増田兄弟活版所 |
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ひろしまの河(原水爆禁止広島母の会機関誌)
各号発行年月日
| 号 | 発行年月日 | 号 | 発行年月日 | 号 | 発行年月日 | 号 | 発行年月日 |
| 1 | 19610615 | 6 | 19621201 | 11 | 19650101 | 16 | 19720720 |
| 2 | 19610801 | 7 | 19630501 | 12 | 19650801 | 17 | 19730725 |
| 3 | 19611001 | 8 | 19630806 | 13 | 19660301 | 18 | 19740725 |
| 4 | 19611201 | 9 | 19631220 | 14 | 19660801 | 19 | 19750725 |
| 5 | 19620801 | 10 | 19640425 | 15 | 19670801 |
『ひろしまの河』の主要掲載記事
| 号数 | 発行年月日 | 記事 |
| 1 | 19610615 | 原爆十七回忌に捧ぐ |
| 2 | 19610801 | 座談会「被爆体験と今日の私たち」出席者=永瀬清子・林田みや子・西隅幸枝・日詰しのぶ・斉藤冨美江・森滝市郎・山口勇子・小西信子・升川貴志栄・藤井ゆり 座談会「原水爆時代の文学をめぐって」出席者=中川国雄・荏原肆失・小久保均・大原美耶雄・増原正・浜野千穂子・深川宗俊・小西信子・栗原貞子 |
| 3 | 19611001 | 米・ソ核実験抗議特集号 |
| 4 | 19611201 | 特集:被爆地の原水禁運動はどうあるべきか |
| 5 | 19620801 | 被爆十七年の市民感情の方向-ABCCを中心に、 今なおつづく広島:手記八編 |
| 6 | 19621201 | 岩国基地:わたしたちのまわりは米軍基地にとりまかれている |
| 7 | 19630501 | 原爆孤児あゆみグループのこと |
| 8 | 19630806 | 八月特集号 |
| 9 | 19631220 | 特集:故峠三吉詩碑建設記念 |
| 10 | 19640425 | |
| 11 | 19650101 | |
| 12 | 19650801 | |
| 13 | 19660301 | |
| 14 | 19660801 | |
| 15 | 19670801 | |
| 16 | 19720720 | 復刊一号<原爆体験の今日的課題> |
| 17 | 19730725 | 原爆体験特集号 |
| 18 | 19740725 | 援護法制定の悲願をこめて |
| 19 | 19750725 | 思出の疎開児童紙芝居 |
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資料年表:谷本清<作業中>
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 1909 | ||
| **** | 香川県 坂出市 で誕生。 | |
| 1949 | ||
| 0425 | 『ヒロシマ』(ジョン・ハーシー著、石川欣一・谷本清訳、法政大学出版局) | |
| 1950 | ||
| 0401 | 『文芸春秋 第28巻第4号』(文芸春秋新社) | |
| ハーシイ氏訪問記…谷本清 13 | ||
| 0725 | 『ヒロシマの十字架を抱いて』(谷本清、大日本雄弁会講談社) | |
| 1952 | ||
| 1001 | 『日本印象記-ヒロシマの家』(フロイド・シュモー著、大原三八雄訳、広島ピース・センター刊) | |
| 跋 谷本清 75 | ||
| 1960 | ||
| 0925 | 『ふるさとを訪ねて 少年少女文学風土記 9 広島』(井伏鱒二編、泰光堂) | |
| 谷本清「原爆と広島」 94 | ||
| 1969 | ||
| 04 | 『ひろしまの観光 35号』(広島市観光協会) | |
| 谷本清「ヒロシマ-その平和への姿」 | ||
| 0806 | 『濱井信三追想録』(浜井信三追想録編集委員会) | |
| 谷本清「原爆禁止10万人署名」 473 | ||
| 1976 | ||
| 0720 | 『広島原爆とアメリカ人 ある牧師の平和行脚』(谷本清著、日本放送出版協会) | |
| 1201 | 『広島通信 No.54』(「広島通信」の会) | |
| 谷本清「原爆体験は風化するか」 | ||
| 1982 | ||
| 0501 | 『平和文化 第35号』(広島平和文化センター) | |
| ヒロシマの原点に帰ろう ヒロシマ・ピース・センター理事長 谷本清 |
||
| 1983 | ||
| 0730 | 『破壊の日-外人神父たちの被爆体験』(カトリック正義と平和広島協議会) | |
| 『破壊の日』発刊に寄せて ヒロシマ・ビース・センター理事長 谷本清 | ||
| 1986 | ||
| 0928 | 死亡。享年77歳 | |
| 1997 | ||
| 0201 | 『原爆被爆者対策史の基礎的研究 原爆被爆者対策前史 1945年(昭和20)~1953年(昭和28) 資料集』(宇吹暁) | |
| IV.占領期の原爆問題 2.平和祭・文化祭 3.被爆者援護の構想 【資料13】谷本清のヒロシマ・ピース・センター構想 |
||
| 2011 | ||
| 1206 | 『被団協 第395号』 | |
| 第23回谷本清平和賞 坪井代表委員が受賞 | ||
| 2005 | ||
| 0624 | 『ヒロシマ、60年の記憶』(近藤紘子著、リヨン社) | |
| 2015 | ||
| 0601 | 『広島市公文書館紀要 第28号』(広島市公文書館) | |
| 光平有希「広島流川協会における復興と音楽の歩み、及びその原点 谷本清・太田司朗を中心として」 14 | ||
| 2018 | ||
| 0110 | 『原爆の図 丸木美術館ニュース 第132号』(原爆の図丸木美術館) | |
| 丸木美術館が谷本清平和賞受賞 谷本清平和賞受賞を祝って(井野口慧子)……p2 谷本清平和賞受賞スピーチ抄録(岡村幸宣)……p3 |
||
| 2019 | ||
| 1201 | 『憎しみを乗り越えて ヒロシマを語り継ぐ近藤紘子』(佐藤真澄著、汐文社) | |
| 2021 | ||
| 1130 | 『原爆 捨てられない記憶と記録』(佐々木猛也著、日本評論社) | |
止
広島市爆撃ニ関スル報告(三村剛昴・佐久間澄・上野義夫)
内容<作業中>
| 1 | 本研究室二於テ調査セル事項 | ||
| 2 | 聴取資料ノ一、二例 | ||
| 1 広島女学院専門学校赤松某(海田市町、安芸地方事務所ニテ)・・・・ | |||
| 2 市立高専講師平原栄治・・・・ | |||
| 3 佐久間助教授 | |||
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| 3 | 判断 | ||
| 付記 | |||
| 1 | 本爆弾ノ真相ヲ確ムル上ニ | ||