原水爆禁止世界大会・科学者集会

原水爆禁止世界大会・科学者集会開催概要<作業中

開催年月日 開催地 テーマ・(報告者・「タイトル」)
1987
0808 長崎 「核兵器廃絶・被爆者援護と科学者の責任」
  出典:https://jsa.gr.jp/05event/scienceforum.htm
1988年8月7日 広島 「核兵器廃絶と被爆者問題」
1989年8月2日 大阪 「核兵器廃絶と被爆者問題」
1990年8月7日 広島 「激動する国際情勢と核兵器廃絶・被爆者援護法の展望」
1991年8月1日 東京 「湾岸戦争後の新しい情勢下における核兵器廃絶の課題と科学者の役割」
1992年8月1日 京都 「新しい世界情勢下での核兵器廃絶の課題と日本の役割」
1993年8月2日 名古屋「人間として核問題を考える」
1994年8月1日 東京 「核兵器・環境・人間」
1995年        被爆50年国際シンポジウムに参加
1996年8月1日 大津 「人類と核兵器廃絶」
1997年8月2日 横浜 「核兵器廃絶と科学者の役割」
1998年8月1日 岡山 「核兵器廃絶と科学者の役割」
1999年8月2日 静岡 「核兵器廃絶・人権・平和教育-科学者の役割を問う」
2000年8月1日 東京「核兵器のない21世紀へ-科学者のイニシアチブを!」
2001年8月2日 岐阜「科学者と市民の共同で21世紀早期の核兵器廃絶を」
2002年8月1日 兵庫「今こそ核兵器廃絶を-世界軍事化の波をこえて」
2003年8月2日 愛知「人類の岐路に立ち核兵器と戦争のない未来を展望する」
2004年8月1日 大阪「核兵器も環境破壊も許さない世界を築く」
2005年8月1日 東京「いま、核兵器の廃絶! 逆流を越えてさらに大きなうねりを」
2006年8月1日 横浜「憲法九条を世界に広め、平和と核兵器廃絶を実現しよう」
2007年8月2日 京都「北東アジアに非核兵器地帯を-核兵器廃絶への湯川の想いを引き継いで-」
2008年8月1日 茨城「核兵器廃絶,恒久平和への思いを茨城・つくばから」
2009年8月2日 兵庫「核兵器廃絶の流れを世界の大河に」
2010年8月1日 静岡「核兵器廃絶の流れを一層大きくしよう」 ポスター
2011年7月31日 岐阜「ノーモア ヒロシマ・ナガサキ, ノーモア フクシマ, ノーモア ヒバクシャ ~非核の世界をめざして~」 (ポスター ・ 「海外代表の特別報告」報告者の紹介
2012年8月1日 滋賀 「非核の世界をめざして~核兵器廃絶と原子力発電からの撤退~」 (予稿集(PDFファイル)
2013年8月1日 東京 「核兵器の廃絶! 原発の廃止! 逆流をこえて、さらに大きなうねりを」
2014年8月1日 福島 「核兵器なき世界 原発なき社会を福島から訴える」
2015年8月1日 山口 「核の脅威と被害のない世界を 山口から – ヒバクの実相,ヒバクシャ支援と核兵器廃絶 -」
2016年8月1日 神奈川 「核兵器廃絶のために市民・科学者は何をなすべきか」
2017年7月30日 高知 ―30周年記念―「核兵器禁止条約の締結と核被災者の救済を目指して」
2018年7月29日 東京 「原水爆禁止2018 年世界大会・科学者集会」
2019年7月28日 福岡~市民運動の役割と科学者の責任~「九州・沖縄から東アジアの平和をどう構築するか」
2020
0802 福井 (オンライン開催)
高橋博子「「小型核」の歴史的検証」
2021
0801 online 核兵器禁止条約発効―市民と科学者が力を合わせ「核の時代」を終わらせよう(リモート会議方式)
2022 「安全保障」と差別
0724 online 石山徳子「アメリカ核開発と先住民族」
0731 online 和田賢治「ジェンダー化する安全保障」
2023
2024
0727 ビキニ被災70年から被爆80年へー核兵器禁止条約への日本政府の参加を求めて
会場:静岡大学&オンライン(ZOOM)

 

 

日本科学者会議『日本の科学者』目次(抄)2011年5月~

日本科学者会議『日本の科学者』目次(抄)2011年5月~<作業中

出典:日本科学者会議 – The Japan Scientists’ Association (JSA)

発行年月 巻号 著者 タイトル 備考
2011
05 <特集>諫早湾干拓事業と有明海再生の課題
06 <緊急特集>東日本大震災における原子力災害
07 <特集>TPPと日本の政治・経済
08 <特集>戦争・紛争による民衆の犠牲
09 <特集>温暖化する地球とその対策
10 <特集>私立大学の危機─現状と打開の方向
11 <特集>東北地方太平洋沖地震と巨大津波
 三好永作 <オピニオン>米の原爆投下とソ連の対日参戦—日本のポツダム宣言受諾の主要因は何であったのか
12 <特集>学術分野の男女共同参画─問題の背景と課題
12  松井英介 <レポート>原水爆禁止2011年世界大会「科学者集会(岐阜)」の報告
2012
01 <特集>自然エネルギー元年
01  堀孝彦 <フロンティア>ヒロシマとフクシマ─文明災
02 <特集>哲学はなんの役に立つのか
03 <特集>1 年後のいま,復旧・復興を考える─東日本大震災問題特別研究委員会中間報告
03 市川浩 <本>『原発とヒロシマ−「原子力平和利用」の真相』
04 <特集>科学者の社会的責任
 沢田昭二 被曝実態に基づく放射線影響の研究─原爆症認定集団訴訟の経験から)
05 <特集>学問の継承性と基礎科学の危機
06 <特集>都市の防災
07 <特集>日本の海洋教育
08 <特集>日米開戦 70年
08  春名幹男 原爆投下と対日戦略の真相
08 田辺勝義 <談話室>川崎における「平和をきずく市民のつどい」30年の歩み
08  小島定 <サロン>ヒロシマとフクシマ
09 <特集>新しい社会運動の胎動
09 梶原 渉  3.11 以降の原水爆禁止運動─新しい社会運動との関わりと今後の課題
09 〈座談会〉2011 年の社会運動をどう見るか   対談者:木下ちがや・佐々木啓・新井田智幸・後藤 達
10 <特集>科学と教育の結びつきを問い直す
11 <特集>新局面を迎える「大学改革」政策
12 <特集>原発再稼働を問い直す
12 畑明郎 <レポート>原水爆禁止2012 年世界大会・科学者集会(滋賀)の報告
2013
01  <特集>国際原子力ムラ その虚像と実像
01 高橋博子 冷戦下における放射線人体影響研究─マンハッタン計画・米原子力委員会・ABCC
金子勝 <談話室>「平和講座」100回の記憶
02  <特集>グローバル危機の波及と経済政策
03  <特集>福島原発災害,2年後のいま
04  <特集>命の連鎖を考える
05  <特集>学問の自由と研究者の権利
06  <特集>原発のない社会をめざして―九州からの発信
06 戸田清 <研究ノート>原爆・原潜・原発の歴史的関係と原発問題の常識を考える
06 <座談会>JSA の活動の歩みと今後の方向  出席者:川崎健, 北村実, 小森田精子, 本間慎  司会:岩佐茂 <レビュー>
07  <特集>環境の考古学・歴史学の現在
08  <特集>戦争と医の倫理─ドイツと日本の検証史の比較
09  <特集>高齢社会の交通問題
10  <特集>南海トラフの巨大地震にどう備えるか─東海からの発信─
11  <特集>安倍政権を問う─改憲と歴史認識
11 小林義久 オバマ政権と歴史認識問題─安倍政権をどう評価しているか
12  <特集>脱原発と再生可能エネルギー─四国からの発信
 長田好弘  <レポート>原水爆禁止2013 年世界大会・科学者集会(東京)の報告
2014
01  <特集>福島原発事故・災害―現状分析と打開のあり方
02  <特集>水と現代社会─その課題と解決に向けて
03  <特集>原発過酷事故を倫理的・道義的に考える
04  <特集>東北の自然と文化─東北からの発信
04 山本富士夫 <本>日本科学者会議編『国際原子力ムラ─その形成の歴史と実態』
05  自然エネルギー・アイランド九州の未来─九州からの発信
06  <特集>研究がおもしろい!Part 5 大学院生の研究最前線
07  <特集>学術研究体制の惨状と解決の展望
08  <特集>東アジアの平和へ,問われる日本の役割
09  <特集>多文化共生にむけた外国語教育を
10  <特集>超伝導磁気浮上式「リニア新幹線」の徹底解剖──文明論,基礎技術,環境保全,経済などの視点から
11  <特集>叡智を尽くして 巨大地震に備える──文中国地区からの発信
12  <特集>排外主義の深層と共生への展望
12 井原聰・初澤敏生 <レポート>原水爆禁止2014 年世界大会・科学者集会(福島)の報告──核兵器なき世界 原発なき社会を 福島から訴える
2015
01  <特集>戦後70年──世界の中のこれからの日本
01 まえがき   伊藤宏之
アジア太平洋戦争の歴史的意義─「総力戦大戦」としての世界大戦   纐纈厚
戦後日本の学術研究体制─日本学術会議とその周辺   井原聰
日本軍「慰安婦」制度の本質は何か   吉見義明
憲法を活かす国民運動論─ささやかな実践記録   岩間一雄
<談話室>
一兵士・山本武の『陣中日記』のネット公開とその目的   山本富士夫
01 <サロン>
核時代の映画『ゴジラ』   久我和巳
02  <特集>「有明海・諫早湾」で何が起こっているのか─大規模干拓事業のゆくえ
03  <特集>女性が真に活躍できる社会を目指して
04  <特集>泉南アスベスト訴訟勝利の意義
05  <特集>相次ぐ火山噴火・土砂災害に向き合う
06  <特集>「すべての生命の保障」を希求する沖縄県民の闘い
06    まえがき   伊藤宏之
2014年知事選・総選挙の沖縄戦後史における位置   新崎盛暉
沖縄経済の現状と島ぐるみの運動─建設業界を対象に   秋山道宏
沖縄報道をめぐる課題─ジャーナリズムの原点を問い直す   渡辺豪
辺野古への新基地建設反対運動―日本国家としての民主主義が問われいる   村上有慶
<談話室>
沖縄文化の基層に流れる非暴力性   上里賢一
07  <特集>「大学改革」の対抗軸は何か
08  <巻頭言>
国際連合の70 年─その光と陰   松井芳郎
<特集>設立70 年を迎えた国連を検討する─大国主導の世界秩序の克服を
まえがき   梶原渉
国連の歩み─戦争と主権の相克   山形英郎
日本の国連外交─その実態と矛盾   河辺一郎    国連と市民社会の現在─軍事化と非軍事化の相克   君島東彦
国際人権法と国連─人権分野での取り組みと展開   鈴木亜英
08 <戦後・被爆70 年特別インタビュー>
日本被団協事務局長・田中煕巳氏─科学者,被爆者としての歩みを振り返る   梶原渉
09  <特集>激増するシカ:今,日本の森林で何が起きているか
10  <特集>激化する水災害─河川水害を克服するために
11  <特集>隣国ロシアにどう向き合うべきか
12  米田貢  <巻頭言>創立50周年を迎えて
12 <特集>どうなる世界,どうする日本―日本科学者会議の50年
12 川崎健 日本科学者会議の創設―戦後科学者運動の到達点
12 山本富士夫 原発災害と環境公害の共通根源は何か―「権力の横暴」を考える
12 保母武彦 地域の崩壊とその再生
12 松田正久 大学の自治の新しい在り方―科学者会議の50年を振り返って
12 亀山統一 憲法を否定する日米安保体制の進展と国民の抵抗―基地・核そして森林
12 長田好弘 日本科学者会議活動50年の総括と今後の課題
 12  <JSA活動50年略年表(1965~88年)>
2016
01   君島東彦  <巻頭言>ダイナミックなプロセスとしての憲法平和主義─リベラルからの九条改正論に抗する
01 <特集>平和学の現在─安保法成立後の世界平和の課題
01 伊藤宏之 まえがき
01 ジョゼフ・ガーソン(高草木博訳) パックス・アメリカーナ─オバマ政権末期における現状,次期政権の課題
01 クリスティアン・シュヴァイツアー(君島東彦訳) ドイツにおける平和問題の軌跡と現在─安保法成立後の日本への示唆
01 劉成(張鴿訳) 中国における平和学の動向─南京大学を中心とする平和学の発展の軌跡
01 <レポート>
原水爆禁止2015年世界大会・科学者集会in山口の報告─核の脅威と被害のない世界を山口から   吉村高男
01  <日本科学者会議活動50年略年表2(1989~94年)>
02  <特集>貧困問題と社会福祉の役割
03 <特集>原発事故6年目を迎える現実
03 <日本科学者会議活動50 年略年表3(1995~96年)>
04  那須稔雄  <巻頭言>
戦争法廃止の国民運動の実践
─地域における一点共闘を支える研究者集団の役割
04 <特集>立憲主義・民主主義・平和主義を取り戻す
04 中野貞彦 まえがき
04 大日方純夫 「戦後70年」における戦争認識・平和認識の課題─過去・現在・未来のなかで
04 植野妙実子 立憲主義と国家緊急権
04 金子勝 「第九条」の永久存続のために「『第九条』の国」から「『安保』の国」への転換点に立って
04 小沢隆一 平和主義,立憲主義,民主主義を侵害する日米ガイドラインと戦争法
04 <日本科学者会議活動50 年略年表4(1997~98年)>
05  <特集>エネルギー自立社会構築に向けて大学はいかに地域のモデルになり得るか
05 <日本科学者会議活動50 年略年表5(1999~2000年)>
06  <特集>ひきこもり研究は今
06 <日本科学者会議活動50年略年表6(2001~2002年)>
07  <特集>軍学共同の新展開─問題点を洗い出す
08 真木實彦 <巻頭言>増幅する東アジアの不安定化と「憲法九条」
08 <特集>近現代の戦争の問題を考える─歴史修正主義の現在
08 中嶋久人 まえがき
08 佐々木啓 戦後70年談話と歴史修正主義
08 本庄十喜 戦後補償問題の歴史的展開と加害者認識
08 中村江里 近現代の戦争とトラウマ─アジア・太平洋戦争とイラク戦争から考える
08 金富子 日本軍「慰安婦」問題の現在─「性奴隷」隠ぺいという欲望
08 田浦健朗・山本元 経験の後に書かれる歴史へ─イタリア歴史学におけるレジスタンス神話と修正主義
08  鄭 栄桓 <オピニオン>『帝国の慰安婦』と「戦後史」の歴史修正主義
08 川上詩朗 <レビュー>「日韓合意」に関する弁護士有志の声明について─日本軍「慰安婦」問題の真の解決をめざして
08 松野誠也 海洋投棄された日本軍化学兵器による被災事故と掃海事業─銚子沖の事例
09  <特集>どうなる? リニア中央新幹線─その必要性,採算性,安全性を科学の目で考える
09 <日本科学者会議活動50年略年表7(2003年)>
10 大日方純夫 <巻頭言>オリンピックと原発─ 2016年8月の「日本」
10  <特集>原発再稼働を阻止し,原発に頼らない地域をめざそう
10 中嶋久人 まえがき
10 舘野淳 「欠陥商品」としての軽水炉と再稼働の問題点
10 岡田知弘 原発に依存しない地域社会をつくるために
10 伊東達也 原発反対運動の課題─未然に防げなかった福島の経験を踏まえて
10 井戸謙一 原発裁判の動向─司法は原発ゼロの日本に道を拓くか
10 立石雅昭 原発建設を住民投票で阻止した巻町の闘い─町民総意で原発NOを選択
10 <日本科学者会議活動50年略年表8(2004年)>
11  <特集>現代中東の社会状況と日本
12  <特集>課題山積みの東京オリンピック・パラリンピック─開催が歓迎される大会にするために
12 中野貞彦 まえがき
12 石出法太・石出みどり オリンピックの課題─近代オリンピック120年の現在
12 青沼裕之 東京オリンピック・パラリンピック開催と「国民のスポーツ権」について考える
12 長田菜美子 ─パラリンピック自国開催を迎えるにあたり─障害者の「スポーツの権利」について考える
12 萩原純一 東京オリンピック・パラリンピックを都民の目で考える
12  増田善信 <オピニオン>広島のキノコ雲は火災の煙だったのか?─『ニューヨーク・タイムズ』の論評に反論する
12 後藤仁敏 <レポート>原水爆禁止2016年世界大会・科学者集会 in 横須賀の報告─核兵器廃絶のために市民・科学者は何をすべきか
2017
01  <特集>学生・院生・若手研究者の勉学・研究条件上の諸問題
02  <特集>熊本地震災害から学ぶものはなにか―災害研究・防災対策の現状と到達点
03  <特集>TPP路線との闘いはこれから─日本農業と食の安全,林業の未来のために
04  <特集>「日本は法治国家」か?─辺野古・高江から地方自治と国家を問う
05  <特集>生物多様性から改めて問う日本の環境政策─沿岸域統合管理を手がかりに
06  <特集>女性研究者の出産・子育て─研究との両立と葛藤
07   松見俊  <ひろば>西南学院「平和宣言」発表の経緯と意味─戦争の悲惨さを記憶し,同じ過ちを繰り返さないために
08  <特集>介護福祉労働再考─介護福祉労働の社会的意味と専門職養成の課題
09  <特集>『資本論』150 年─その現在的意義と受容史
10  <特集>変わりゆくキューバ
10  平井美津子  <レビュー>沖縄から平和を学ぶ─中学校教育で学び,考えてきたこと
11  <特集>超低周波・低周波音,電磁波による健康被害
11 岡本良治 <レビュー>
北朝鮮の核兵器開発はどこまで進んだか
川田忠明 <オピニオン>北朝鮮核問題の外交的解決を探求する
 12 <特集> 東南アジア島嶼部熱帯林の保全と再生
12 <日本科学者会議 声明>「核兵器禁止・廃絶条約の採択を心から歓迎し,日本政府をはじめ非締約国が条約を受け入れることを強く要請する」
2018
06 53-06 <特集>歴史視点から日本の原子力発電を考える
09 53-09 <特集>平和への権利と日本国憲法
 2019
2020
02 55-02 公共圏における多声性
村岡敬明 歴史継承のための戦後沖縄史デジタルアーカイブ──沖縄県読谷村における写真資料の可視化に向けた試みを通じて
岡本有佳 終わっていない「表現の不自由展」中止事件
04 55-04 <特集>九州・沖縄から東アジアの平和を
06 55-06 <特集>性と人権
2021
01 56-01 <特集>放射性微粒子による内部被ばくと核兵器廃絶
沢田昭二 核実験による放射性降下物──広島・長崎原爆の被爆影響を基礎にして
高橋博子 「小型核」の歴史的検証
編集委員会 資料:核兵器禁止条約が発効

年表:ローマ教皇とヒロシマ(2019年~)

年表:ローマ教皇とヒロシマ(1919年~)<作業中

年月日 事項 備考
2013
0313 教皇フランシスコ就任。史上初めて中南米から選ばれた教皇。ザビエルが創設したイエズス会出身者で初の教皇(『中国新聞』20200724)
 2014
06 安倍晋三首相、バチカンで法王と会談、来日を要請。
2017
01 ギャラガー・バチカン外務局長、広島を訪れ松井一実市長・湯崎英彦県知事と面会。法王の被爆地訪問が「選択肢に入る」と発言。安倍首相とも面会。
05 湯崎広島県知事、バチカンで法王に広島訪問を要請。
07 核兵器禁止条約、バチカンを含む122カ国・地域の賛成で採択。
09 バチカンのフィローニ枢機卿、広島訪問。
09 核兵器禁止条約が署名開放。バチカンが初日に署名・批准。
11 法王、被爆者と面会。核兵器保有を批判。松井広島市長、バチカンで法王に被爆地訪問を要請。
暮れ ローマ教皇フランシスコ、被爆直後の長崎の写真「焼き場に立つ少年」を世界中に広めるよう指示、同校記者団全員に飛行機機内で自ら手渡す。
2018
05 田上冨久市長、バチカンで法王に被爆地訪問を要請。
1217  ローマ教皇フランシスコ、バチカンで前田万葉枢機卿と面会、2019年終わりごろ訪日、広島・長崎を訪れたいと述べる。
2019
 0125 松井一実広島市長、記者会見でローマ法王フランシスコの11月日本訪問名言について「大変うれしい」。
 0129  湯崎英彦広島県知事、記者会見でローマ法王フランシスコの11月日本訪問名言について「大変喜ばしく思う」。
 0225  「核なき世界へ弾み ローマ法王 11月被爆地訪問へ 中国地方 宗教超え期待の声」(『中国新聞』)
 0619  松田小春(「高校生平和大使」、広島大付属高2年)、バチカンのサンピエトロ広場でローマ法王フランシスコの一般謁見に参列。
 1105  広島市、ローマ法王フランシスコ広島訪問に備え、24日午後1時から平和記念講演への関係者以外の立ち入り制限を発表。
 1106?  市民グループ「ひろしまと世界を結ぶこども文庫」、『絵で読む 広島の原爆』(文・那須正幹、絵・西村繁男、福音館書店)の英訳版を東京のローマ法王庁大使館へ郵送。
1124 ローマ教皇フランシスコ、 広島訪問。
 <作業中
 ヨハネ・パウロ2世=19781016-20050402
 ベネディゥト16世=20050419-20130228
 フランシスコ=20130313-

 

年表:ローマ法王とヒロシマ(1981年~)

年表:ローマ法王とヒロシマ(1981年~)

年月日 事項 備考
1980
0925 ローマ法王庁筋、来年2月のローマ法王の広島・長崎市訪問を発表。
1221 ローマ法王の訪日計画、正式決定。それによると、被爆地広島・長崎を訪問予定。
1981
0117 ローマ法王の特使としてバチカンの宗教家、来広し広島原爆資料館など見学。
0109 広島県被団協の森滝理事長、2月に来日予定のローマ法王に核廃絶を訴える録音テープを作成。
0110 長崎県・市、2月来訪のローマ法王に対して核廃絶メッセージの発表などを要望する書簡を送付。
0110 ローマ法王の特使として、バチカンの宗教家ら、長崎市を訪問。
0224 「NGO被爆問題国際シンポジウム広島継続委員会」、ローマ法王の広島訪問を歓迎、原水禁運動への協力を訴えるアピールを発表。
0225 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世、来広。原爆慰霊碑に参拝し、核兵器撤廃などを訴える平和アピールを採択。約2万5千人の市民が歓迎。
0225 ローマ法王、ヨハネ・パウロ2世、長崎市を訪問。26日、恵の丘原爆ホームを慰問。
0225 広島市在住の詩人栗原貞子、ローマ法王に同行して来広する外国人記者に自作の英文詩集を贈呈。
0225 NHKなど、ローマ法王来広のもようを放送。
0225 RCC制作の特別番組「広島のローマ法王」放送。
0306 広島への原爆投下について報道したバチカン法王庁の機関紙(2月に来広したローマ法王の寄贈)、翻訳を終了。
0319? 広島原爆資料館、ローマ法王のアピールを米のマーク・ハットフィールド上院議員に送付。
0322 ローマ法王の長崎訪問を収めた記録映画、完成し公開される。
0404 日本被団協代表、ローマ法王より2月来日中に渡した手紙に対する礼状とカードをうけとる.
0410 2月に来広したローマ法王から贈られた原爆投下直後のバチカン市の新聞を刻んだ銅板など、平和記念館で一般公開。
0413 広島市、2月のローマ法王の来広を記録した映画「ローマ法王広島訪問」を制作。
0513 2月に来広したローマ法王ヨハネ・パウロ二世、バチカン市で狙撃され重傷。
0517 ローマ法王の長崎訪問を記念して、碑建立され除幕。
0505? 2月に来広したローマ法王に自作の詩を贈った広島市の詩人栗原貞子に、ローマ法王から返礼のハガキ届く。
0624? 広島市在住の被爆者、ローマ法王来広(2月)の記念碑建立運動を開始。
0702? 広島市在住の染色家(三田嘉一)、2月に来広したローマ法王のサインをろうけつ染めに仕上げ、広島市に寄贈。
0804 広島市の一被爆者、広島平和文化センターにローマ法王平和アピール碑建立運動に協力要請。
0830 ローマ法王、第二次大戦ぼっ発記念日を前に核廃絶を訴え。
1102 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の指示で故エドモンド・ブランデン(英詩人)の詩「ヒロシマー1949年8月6日に寄せて」をホセ・テホン・エリザベト音大学長が作曲、同大定期演奏会で発表。
1205 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世、日本の新聞社記者と会見。日本訪問について広島・長崎の原爆の悲惨さが印象に残っていると語る。
1212 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世、米・ソなどに核軍拡競争中止を訴える使節団を派遣する方針発表。
1214 ローマ法王、米大統領に、核兵器不使用を訴える親書及び「人類の生存と健康に関する核兵器使用の調査結果」報告書、提出。(近くソ連共産党書記長にも提出)
1219 ローマ法王来広を記念する「平和アピール碑建立委員会」、広島市で発足。
1226 広島YMCA、ローマ法王の「平和アピール」を記念して「平和のためのモニュメント」を建立、除幕式。
1982
0206 「ローマ法王平和アピール碑建設委員会」、同碑の制作を広島県出身の彫刻家杭谷一東に依頼。
0209 カトリック正義と平和広島協議会・平和を願う会、ローマ法王来広を記念して文集「平和への道」を発行。
0215 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の呼びかけで開かれる核兵器廃絶のための会議の準備会、ウィーンで開催。
0225 ローマ法王平和アピール碑建立委員会、広島市で碑建立費のカンパを求めるビラを配布。
0225 広島地区カトリック教会の信者ら、ローマ法王来広1周年を記念して平和記念公園で「平和を願う祈りの集い」開催。
0225 広島YMCAのメンバー、ローマ法王来広1周年を記念して市内で、ローマ法王の平和アピール文を印刷したビラを配布。
0228 ローマ法王平和アピール碑建立委員会(原田東岷委員長)、広島市で、街頭募金をし市民に協力呼びかけ。
0315 アレッサンドロ・ナスタージオさん(イタリア・ミラノ在住の画家)、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の平和アピールに感動し描いた「原子雲の中の生と死」を広島県立美術館に贈る。
0319 ローマ法王からの核兵器廃絶を願う書簡、日本被団協に届く。(2月の被団協の核廃絶訴えの返書)。
0319 日本被団協、ローマ法王から2月中央行動の要請書への返書を受け取る.
04 藤村洋子(岡山市の身障者)、ローマ法王の平和アピールに打たれ、車いすで1600人分の反核署名を集める。岡山カトリック教会を通じ国連軍縮特別総会へ。
0501 子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会にローマ法王から、同会が作成した原爆記録映画を見たいとの手紙届く。
0611 ローマ法王、訪問先のアルゼンチンで、同国民に向け、広島・長崎の原爆被害に言及したメッセージ発表。
0611 ローマ法王、SSDⅡに「力の論理よりも理性の力を」とのメッセージ送付。
0615 ローマ法王の平和アピール記念碑づくりを提唱した被爆者藤枝良枝、同碑建立委員会に寄金。
0721 「子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会」代表、バチカンの法王庁を訪問。<広島から芝間タズ、映画プロダクション代表月下美紀、相原和光広島YMCA総主事>。被爆記録映画(伊語版)を贈り、ローマ法王と接見。(22日に上映)
0803 「子どもたちに、世界に!被爆の記録を贈る会」代表、帰広し、ヨーロッパでの活動のもようを報告。(7月21日、ローマ法王と接見)。
0819 日本被団協派遣のヨーロッパ「語り部の旅」代表団(28名)、欧州に出発。(30日帰国)。5回目。東西独・仏・オランダ訪問。25日、ローマ法王に会見。
0825 日本被団協海外派遣代表団ローマ班、ローマ法王に謁見.
0901 曹洞宗大本山永平寺貫主、バチカンを訪れ、ローマ法王に世界平和を訴えるメッセージを堤出。
0919? ローマ法王アピール碑、完成。(翌年2月除幕式。)
1983
0101 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世、サンピエトロ寺院での新年ミサで、核大国に核軍縮実現を呼びかけ。
0225 ローマ法王平和アピール碑(広島平和記念公園・広島平和記念館)
0514 ローマ法王庁の駐英代表者が、反核運動に参加しているカトリック神父らを非難する手紙を書いていたことが判明。
0531 広島市友好親善代表団(荒木市長ら)、ローマ法王に特別接見。法王、平和へ向け努力する決意を表明。
0624 在日ローマ法王庁大使マリオ・ピオ・ガスパリ大司教、死去。広島市、弔電打電。(1981年のローマ法王来日実現に尽力。)
0824 原爆をテーマにいた映画「この子を残して」の木下恵介監督、同映画をローマ法王に寄贈。
0910 アレッサンドロ・ナスタージオさん(イタリア・ミラノ在住の画家)、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の平和アピールに感動し描いた「原子雲の中の生と死」を広島市に贈る。
1984
0203 ローマ:カトリックのベルリン枢機卿ヨアキム・マイスナー師、原爆資料館を見学、原爆慰霊碑に参拝。ベルリン教区は1966年に「戦争の被害都市が手を結ぼう」と広島教区と姉妹提携。
0225 ローマ法王来広3周年記念行事、広島市で開催。
0531 長崎市、ローマ法王へ原爆写真展の開催について協力を要請。
0914 広島市の平和記念公園の「平和の灯」、カナダ・トロント市に分火され、ローマ法王によって同市の「平和の庭」聖火台に点火。
1985
0228 秋月辰一郎長崎市聖フランシスコ病院医長にローマ法王から聖シルベステル勲章の授与が決まる。医療・核廃絶運動への貢献。
0314 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世から被爆医師・秋月辰一郎長聖フランシスコ病院医長に「聖シルベストロ勲章」。
04 今秋、ローマバチカン市国で開かれる原爆展のオープンセレモニーにローマ法王が出席するとの通知が、長崎市に届く。
0806 ローマ法王、原爆記念日で、原爆犠牲者のための特別ミサを実施。原爆投下日の公式追悼行事は初めて。
0911 「ヒロシマ・ナガサキ原爆写真展」( 長崎市主催) 、バチカン市国で、開催( 10月 9日まで) 。ローマ法王・本島等長崎市長ら、開会式に出席。
1116 広島県出身の書家岸本磯一の作品展「現代美の写経展」、広島市で開催(18日まで) 。ローマ法王による「平和アピール」の抜すいなども展示。
1986
0715 広島市のデザイナー月下美紀、ローマ法王の平和アピールの墨書を、米・ソ首脳に送付。広島市にも寄贈。
1027 ローマ法王の提唱で、世界平和祈願集会、イタリア中部アッシジで開催(約150人参   加)。日本からも仏教・神道代表者が参加。
1987
0108 広島市の被爆者、ローマ法王の平和アピール記念碑建立に協力した広島インターナショナルに、同記念碑の写真を寄贈。
0123 全国のミニ独立国の平和使節団、バチカン市国などを親善訪問。(28日、ローマ法王に広島・長崎両市長からの平和メッセージを伝達。)
0220 ローマ法王の「平和アピール」全文を墨書した。広島市の月下美紀、同法王の署名をもらいにローマへ出発。25日、法王に特別接見。
0225 カトリック広島司教区、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の広島訪問6周年を記念し、平和公園で「平和を祈る集い」。50人が参加。
0401? 1981年のローマ法王による広島市での「平和アピール」が、事前に配布された日本語訳文と違っていることが判明。
0428 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世から、広島平和文化センター高橋昭博事業部長あてに、サイン入りの写真パネル届く。
1988
0120 長崎県の布津町長、バチカンのローマ法王を訪問、長崎市長より託された被爆がわらを寄贈。
0225 ローマ法王の来広(1981年)を記念する「平和を祈る集い」(カトリック広島司教区主催)、広島市で開催(約50人参加)。
0420 高橋昭博広島平和文化センター事業部長、バチカンで、ローマ法王と会見し、「世界平和連帯都市市長会議」(24日から伊コモ市で開催)について説明。
1989
0225 ローマ法王来広8周年を記念して、カトリック信徒ら、広島市平和記念公園の原爆慰霊碑前で祈りの集い(約50人参加)。
1014? 広島市の被爆者榎野譲、自作の詩集「水辺の祈り―構成詩―ヒロシマから」をローマ法王へ寄贈。同詩集には、詩「ローマ法王さま」などを収録。
1991
0804 広島市平和記念公園でローマ法王平和アピール10周年記念カトリック平和行事を開催。
0805 ローマ法王広島訪問10周年を記念した「カトリック平和行事」、広島市で開催。シンポジウム「平和を問う」を開催、平和記念公園から世界平和記念聖堂までを行進(約800人参加)。
0805 ローマ法王訪日記録映画と被爆者の証言の集い、広島市の聖母幼稚園で開催
1992
0223 カトリック広島教区、広島市の世界平和記念聖堂でローマ法王ヨハネ・パウロⅡ世来広11周年を記念するミサと講演を開催。浄土真宗の僧侶が講演。
1994
0225 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世来広13周年を記念するミサ。
1103 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世、第6回世界宗教者平和会議(WCRP)で記念講演。「宗教を紛争の口実としてはならない」
1995
0101 ローマ法王、新年のミサで「1995年は広島と長崎に原爆が投下されてから50年目にあたる」と指摘。
0225 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世、法王庁を訪問した日本のカトリック司教代表団との会見で、核兵器廃絶と紛争の平和的解決を訴える。3月16日、朝日新聞社の幹部に対し、同発言を日本国民へのメッセージとして伝達。
0418 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世、ローマ市内で行われた「十字架の道行き」の儀式の冒頭で、アウシュビッツ・ドレスデン・広島の3都市の「悲劇から50年」と題して犠牲者追悼の祈りを捧げる。
0516 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世、戦後50年にあたってのメッセージを発表。広島と長崎の原爆被害について「人間に与えた影響は計り知れない」と述べる。
0805 ローマ法王庁、広島への原爆投下を追悼する「平和へのコンサート」をバチカンの公会堂で開催。聴衆約7000人。ローマ法王、メッセージを寄せる。
0806 ローマ法王、「被爆者のための御ミサ」を実施。
0809 ローマ法王、「被爆者のための御ミサ」を実施。
1996
0113 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世、バチカン駐在の外交団向けの新年演説で早期の核実験中止を呼びかける。
0808 81年のローマ法王の日本招聘を実現させた里脇浅次郎枢機卿、長崎市の聖フランシスコ病院で死去。92歳。
1998
0623 伊藤長崎市長、パウロ二世ローマ法王を近く訪ねる日本反核法律家協会のメンバーに、核廃絶への「特別の呼びかけ」を求める法王あてのメッセージを託す。
0627 国際反核法律家協会、総会をローマで開催。佐々木猛也日本反核法律家協会副会長らが参加。29日、ローマ法王尾ヨハネ・パウロ二世宛の広島・長崎両市長のメッセージを届ける。
1999
0909 小渕首相、バチカン市国のローマ法王庁でヨハネ・パウロ2世と会見。法王、首相に核兵器廃絶への努力を要請。
 ヨハネ・パウロ2世=19781016-20050402
 ベネディゥト16世=20050419-20130228
 フランシスコ=20130313-

 

年表:ローマ法王とヒロシマ(1945~80年)

年表:ローマ法王とヒロシマ(1945~80年)

年月日 事項 備考
1945
0807 ローマ法王庁機関紙『セルバトーレ・ロマナ』、広島に投下された原子爆弾を「戦争の終了を焦る破滅的手段」と非難。
1946
0906 フーゴー・ラサール神父(広島市幟町カトリック教会牧師)、ローマ法王にヒロシマ救済を懇請。
1947
1207 フーゴ―・ラサール神父(ドイツ人)、1年4カ月の欧米・南米講演旅行から広島市に帰る。「広島への関心と同時に同情はすこぶる大きい。ローマ法王ピオ12世も深い同情と激励の言葉を広島市民に贈られた」
1949
0603 聖フランシスコ・ザビエル来日400年記念でローマ法王特使ギルロイ枢機卿ら72人の国債巡礼団、広島市へ、平和広場で降福式。
1950
1002 山口愛次郎長崎市大浦天主堂司教、欧米各国巡礼の旅に出発。15日、ローマ法王ピオ12世に謁見。(1951.2.18長崎日日新聞)。
1954
0806 世界平和記念堂完工式。建設費1億円。信者約2000人、11カ国の駐日外交官、高松宮夫妻が出席。ローマ法王からメッセージ「(聖堂は)戦いの傷をいやすとともに平和への道の象徴」。
1956
0401 ローマ法王ピオ12世が原子兵器競争中止の呼びかけ。
1218 日本被団協(藤居平一事務局長)、ローマ法王ピオ12世から、広島カトリック教会を通じ、10月24日に送った原水爆禁止と放射能に対する医学機関設立についての要望書に対する返書を受け取る。(朝日新聞)
1957
0213 日本原水爆被害者団体協議会,ローマ法王ピオ12世にイギリス水爆実験禁止への協力依頼の手紙を送る.
1960
0508 ローマ法王ヨハネ23世、広島司教区新設時、野口由松司教をローマに呼び自ら異例の叙階式(任命式)を開く。
1963
0410 ローマ法王ヨハネ23世、「地上に平和を」と題する全世界のローマ・カトリック司教への回状を公表。平和と戦争の問題での法王の通達はローマ・カトリック2000年の歴史で初。
0414 広島の被爆者森木葉子、ローマ法王へ原水爆禁止を直訴するため広島を出発。世界キリスト教婦人有志の呼びかけ。
0520 森木葉子(広島女学院大勤務)、世界16カ国の代表60人とともにローマ法王ヨハネ23世に面会、原水爆禁止を訴える。
0603 ローマ法王ヨハネ23世死去。81歳。
0604 ローマ法王に原水爆禁止を直訴(5月20日)の森木葉子、広島に帰る。
0914 宗教者平和使節団(団長:松下正寿核禁会議議長)一行、羽田を出発。16日、ローマ法王に謁見し核兵器禁止と世界平和を訴える。(「核禁会議20年史」)
1965
0319 ローマ法王の特使、パウロ・マレラ枢機卿広島訪問。慰霊碑に参拝。浜井広島市長を表敬訪問。
1968
0527 山田広島市長、バチカンを訪問しローマ法王パウロ6世に接見、8月6日の広島平和式典への招待状を手渡す。法王「2年後の被爆25周年の1970年にはぜひ訪れたい」
0625 広島市、8月6日の平和式典要綱を決める。名称を「記念」から「祈念」へ変え「原爆死没者慰霊式ならびに平和祈念式」に。ローマ法王パウロ6世にもメッセージを要請。
0625 広島市、平和祈念式のメッセージを収録したメッセージ集の作成を決める。
0718 広島県宗教連盟、1970年の原爆記念日にローマ法王パウロ6世を超宗派で招請することを決める。
0806 広島市、原爆死没者慰霊式・平和祈念式を挙行。約4万人が参列。ローマ法王パウロ6世がメッセージを寄せる。会場に被爆者席300席を特設(初)
0806 被爆二十三周年、「原爆死没者慰霊式ならびに平和祈念式」。原水禁三団体代表を含む市民四万人。ローマ法王パウロ六世メッセージ
1029 アルフレッド・ベンクシュ枢機卿(ベルリン大司教区区長)、山田広島市長に会い、ローマ法王広島訪問への協力を約束。
1972
08 ローマ法王庁機関紙『ロッセル・バトーレ・ロマノ』から「正義と平和に関するメッセージ」(ローマ法王パウロ六世が1月1日に発表)が中国新聞社に届く。
1974
0530 森滝市郎(原水禁国民会議)代表委員・近藤幸四郎常任理事、インド・仏への核実験抗議のため羽田を出発。山田広島市長、ローマ法王パウロ六世やジスカールデスタン仏大統領あてのメッセージを託す。
1979
0509 長崎市の原爆被爆者団体「乙女の会」、ローマ法王に接見。
1980
0925 ローマ法王庁筋、来年2月のローマ法王の広島・長崎市訪問を発表。
1221 ローマ法王の訪日計画、正式決定。それによると、被爆地広島・長崎を訪問予定。
1981
0117 ローマ法王の特使としてバチカンの宗教家、来広し広島原爆資料館など見学。
0109 広島県被団協の森滝理事長、2月に来日予定のローマ法王に核廃絶を訴える録音テープを作成。
0110 長崎県・市、2月来訪のローマ法王に対して核廃絶メッセージの発表などを要望する書簡を送付。
0110 ローマ法王の特使として、バチカンの宗教家ら、長崎市を訪問。
0224 「NGO被爆問題国際シンポジウム広島継続委員会」、ローマ法王の広島訪問を歓迎、原水禁運動への協力を訴えるアピールを発表。
0225 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世、来広。原爆慰霊碑に参拝し、核兵器撤廃などを訴える平和アピールを採択。約2万5千人の市民が歓迎。
0225 ローマ法王、ヨハネ・パウロ2世、長崎市を訪問。26日、恵の丘原爆ホームを慰問。
0225 広島市在住の詩人栗原貞子、ローマ法王に同行して来広する外国人記者に自作の英文詩集を贈呈。
0225 NHKなど、ローマ法王来広のもようを放送。
0225 RCC制作の特別番組「広島のローマ法王」放送。
0306 広島への原爆投下について報道したバチカン法王庁の機関紙(2月に来広したローマ法王の寄贈)、翻訳を終了。
0319? 広島原爆資料館、ローマ法王のアピールを米のマーク・ハットフィールド上院議員に送付。
0322 ローマ法王の長崎訪問を収めた記録映画、完成し公開される。
0404 日本被団協代表、ローマ法王より2月来日中に渡した手紙に対する礼状とカードをうけとる.
0410 2月に来広したローマ法王から贈られた原爆投下直後のバチカン市の新聞を刻んだ銅板など、平和記念館で一般公開。
0413 広島市、2月のローマ法王の来広を記録した映画「ローマ法王広島訪問」を制作。
0513 2月に来広したローマ法王ヨハネ・パウロ二世、バチカン市で狙撃され重傷。
0517 ローマ法王の長崎訪問を記念して、碑建立され除幕。
0505? 2月に来広したローマ法王に自作の詩を贈った広島市の詩人栗原貞子に、ローマ法王から返礼のハガキ届く。
0624? 広島市在住の被爆者、ローマ法王来広(2月)の記念碑建立運動を開始。
0702? 広島市在住の染色家(三田嘉一)、2月に来広したローマ法王のサインをろうけつ染めに仕上げ、広島市に寄贈。
0804 広島市の一被爆者、広島平和文化センターにローマ法王平和アピール碑建立運動に協力要請。
0830 ローマ法王、第二次大戦ぼっ発記念日を前に核廃絶を訴え。
1205 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世、日本の新聞社記者と会見。日本訪問について広島・長崎の原爆の悲惨さが印象に残っていると語る。
1212 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世、米・ソなどに核軍拡競争中止を訴える使節団を派遣する方針発表。
1214 ローマ法王、米大統領に、核兵器不使用を訴える親書及び「人類の生存と健康に関する核兵器使用の調査結果」報告書、提出。(近くソ連共産党書記長にも提出)
1219 ローマ法王来広を記念する「平和アピール碑建立委員会」、広島市で発足。
1226 広島YMCA、ローマ法王の「平和アピール」を記念して「平和のためのモニュメント」を建立、除幕式。
1982
0206 「ローマ法王平和アピール碑建設委員会」、同碑の制作を広島県出身の彫刻家杭谷一東に依頼。
0209 カトリック正義と平和広島協議会・平和を願う会、ローマ法王来広を記念して文集「平和への道」を発行。
0215 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の呼びかけで開かれる核兵器廃絶のための会議の準備会、ウィーンで開催。
0225 ローマ法王平和アピール碑建立委員会、広島市で碑建立費のカンパを求めるビラを配布。
0225 広島地区カトリック教会の信者ら、ローマ法王来広1周年を記念して平和記念公園で「平和を願う祈りの集い」開催。
0225 広島YMCAのメンバー、ローマ法王来広1周年を記念して市内で、ローマ法王の平和アピール文を印刷したビラを配布。
0228 ローマ法王平和アピール碑建立委員会、広島市で、街頭募金をし市民に協力呼びかけ。
0319 ローマ法王からの核兵器廃絶を願う書簡、日本被団協に届く。(2月の被団協の核廃絶訴えの返書)。
0319 日本被団協、ローマ法王から2月中央行動の要請書への返書を受け取る.
0501 子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会にローマ法王から、同会が作成した原爆記録映画を見たいとの手紙届く。
0611 ローマ法王、訪問先のアルゼンチンで、同国民に向け、広島・長崎の原爆被害に言及したメッセージ発表。
0611 ローマ法王、SSDⅡに「力の論理よりも理性の力を」とのメッセージ送付。
0615 ローマ法王の平和アピール記念碑づくりを提唱した被爆者藤枝良枝、同碑建立委員会に寄金。
0721 「子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会」代表、バチカンの法王庁を訪問。被爆記録映画(伊語版)を贈り、ローマ法王と接見。(22日に上映)
0803 「子どもたちに、世界に!被爆の記録を贈る会」代表、帰広し、ヨーロッパでの活動のもようを報告。(7月21日、ローマ法王と接見)。
0819 日本被団協派遣のヨーロッパ「語り部の旅」代表団(28名)、欧州に出発。(30日帰国)。5回目。東西独・仏・オランダ訪問。25日、ローマ法王に会見。
0825 日本被団協海外派遣代表団ローマ班、ローマ法王に謁見.
0901 曹洞宗大本山永平寺貫主、バチカンを訪れ、ローマ法王に世界平和を訴えるメッセージを堤出。
0919? ローマ法王アピール碑、完成。(翌年2月除幕式。)
1983
0225 ローマ法王平和アピール碑(広島平和記念公園・広島平和記念館)
0514 ローマ法王庁の駐英代表者が、反核運動に参加しているカトリック神父らを非難する手紙を書いていたことが判明。
0531 広島市友好親善代表団(荒木市長ら)、ローマ法王に特別接見。法王、平和へ向け努力する決意を表明。
0624 在日ローマ法王庁大使マリオ・ピオ・ガスパリ大司教、死去。広島市、弔電打電。(1981年のローマ法王来日実現に尽力。)
0824 原爆をテーマにいた映画「この子を残して」の木下恵介監督、同映画をローマ法王に寄贈。
1984
0225 ローマ法王来広3周年記念行事、広島市で開催。
0531 長崎市、ローマ法王へ原爆写真展の開催について協力を要請。
0914 広島市の平和記念公園の「平和の灯」、カナダ・トロント市に分火され、ローマ法王なよって同市の「平和の庭」聖火台に点火。
1985
04 今秋、ローマバチカン市国で開かれる原爆展のオープンセレモニーにローマ法王が出席するとの通知が、長崎市に届く。
0806 ローマ法王、原爆記念日で、原爆犠牲者のための特別ミサを実施。
0911 「ヒロシマ・ナガサキ原爆写真展」( 長崎市主催) 、バチカン市国で、開催( 10月 9日まで) 。ローマ法王・長崎市長ら、開会式に出席。
1116 広島県出身の書家岸本磯一の作品展「現代美の写経展」、広島市で開催(18日まで) 。ローマ法王による「平和アピール」の抜すいなども展示。
1986
0715 広島市のデザイナー月下美紀、ローマ法王の平和アピールの墨書を、米・ソ首脳に送付。広島市にも寄贈。
1027 ローマ法王の提唱で、世界平和祈願集会、イタリア中部アッシジで開催(約150人参   加)。日本からも仏教・神道代表者が参加。
1987
0108 広島市の被爆者、ローマ法王の平和アピール記念碑建立に協力した広島インターナショナルに、同記念碑の写真を寄贈。
0123 全国のミニ独立国の平和使節団、バチカン市国などを親善訪問。(28日、ローマ法王に広島・長崎両市長からの平和メッセージを伝達。)
0220 ローマ法王の「平和アピール」全文を墨書した。広島市の月下美紀、同法王の署名をもらいにローマへ出発。25日、法王に特別接見。
0401? 1981年のローマ法王による広島市での「平和アピール」が、事前に配布された日本語訳文と違っていることが判明。
0428 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世から、広島平和文化センター高橋昭博事業部長あてに、サイン入りの写真パネル届く。
1988
0120 長崎県の布津町長、バチカンのローマ法王を訪問、長崎市長より託された被爆がわらを寄贈。
0225 ローマ法王の来広(1981年)を記念する「平和を祈る集い」(カトリック広島司教区主催)、広島市で開催(約50人参加)。
0420 高橋昭博広島平和文化センター事業部長、バチカンで、ローマ法王と会見し、「世界平和連帯都市市長会議」(24日から伊コモ市で開催)について説明。
1989
0225 ローマ法王来広8周年を記念して、カトリック信徒ら、広島市平和記念公園の原爆慰霊碑前で祈りの集い(約50人参加)。
1014? 広島市の被爆者榎野譲、自作の詩集「水辺の祈り―構成詩―ヒロシマから」をローマ法王へ寄贈。同詩集には、詩「ローマ法王さま」などを収録。
1991
0804 広島市平和記念公園でローマ法王平和アピール10周年記念カトリック平和行事を開催。
0805 ローマ法王広島訪問10周年を記念した「カトリック平和行事」、広島市で開催。シンポジウム「平和を問う」を開催、平和記念公園から世界平和記念聖堂までを行進(約800人参加)。
0805 ローマ法王訪日記録映画と被爆者の証言の集い、広島市の聖母幼稚園で開催
1992
0223 カトリック広島教区、広島市の世界平和記念聖堂でローマ法王ヨハネ・パウロⅡ世来広11周年を記念するミサと講演を開催。浄土真宗の僧侶が講演。
1995
0101 ローマ法王、新年のミサで「1995年は広島と長崎に原爆が投下されてから50年目にあたる」と指摘。
0225 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世、法王庁を訪問した日本のカトリック司教代表団との会見で、核兵器廃絶と紛争の平和的解決を訴える。3月16日、朝日新聞社の幹部に対し、同発言を日本国民へのメッセージとして伝達。
0418 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世、ローマ市内で行われた「十字架の道行き」の儀式の冒頭で、アウシュビッツ・ドレスデン・広島の3都市の「悲劇から50年」と題して犠牲者追悼の祈りを捧げる。
0516 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世、戦後50年にあたってのメッセージを発表。広島と長崎の原爆被害について「人間に与えた影響は計り知れない」と述べる。
0805 ローマ法王庁、広島への原爆投下を追悼する「平和へのコンサート」をバチカンの公会堂で開催。聴衆約7000人。ローマ法王、メッセージを寄せる。
0806 ローマ法王、「被爆者のための御ミサ」を実施。
0809 ローマ法王、「被爆者のための御ミサ」を実施。
1996
0113 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世、バチカン駐在の外交団向けの新年演説で早期の核実験中止を呼びかける。
0808 81年のローマ法王の日本招聘を実現させた里脇浅次郎枢機卿、長崎市の聖フランシスコ病院で死去。92歳。
1998
0623 伊藤長崎市長、パウロ二世ローマ法王を近く訪ねる日本反核法律家協会のメンバーに、核廃絶への「特別の呼びかけ」を求める法王あてのメッセージを託す。
0627 国際反核法律家協会、総会をローマで開催。佐々木猛也日本反核法律家協会副会長らが参加。29日、ローマ法王尾ヨハネ・パウロ二世宛の広島・長崎両市長のメッセージを届ける。
1999
0909 小渕首相、バチカン市国のローマ法王庁でヨハネ・パウロ2世と会見。法王、首相に核兵器廃絶への努力を要請。

 

先人を語る会(広島市原爆被害者の会主催)

先人を語る会(広島市原爆被害者の会主催)

年月日 備考(敬称略)
1
2 20131116 広島市原爆被害者の会「第2回先人を語る会―藤居平一さんを語る」。冒頭、20分ほど話す。夜、A(広島ジャーナリスト)へメールで原稿を送付。
3
4 20160416 広島市原爆被害者の会「第4回先人を語る会=伊藤サカエ」。大手町平和ビル5階会議室。不参加。
5
6 20171021 広島市原爆被害者の会「第6回先人を語る会(慰霊と講演) 被爆者運動の創始者 川手健さんを語る」。司会:田中聡司。発言者:神崎昭男、池田精子(ビデオメッセージ)、中前妙子、中谷悦子、岡本智恵子(証言者の紹介:多賀)、宇吹。
6 「第6回先人を語る会 川手健さんを語る」。宇吹=1985年の語る会に藤居平一から代理で出席するよう要請。今回も藤居の代理のつもり。川手と同時代を過ごしたら、私には非常に嫌な人物だっただろう。川手は宇吹が藤居にしつこく質問しても語ることを避けた人物の一人。しかし、藤居は、彼の「被害者精神」は生かしてやろうと努力した、と語っている。
6 「第6回先人を語る会 川手健さんを語る」。舟橋、中川幹夫(彼から中島の証言集を購入1500円)。中座時、中谷と道面雅量(中国新聞文化部)と立ち話。
7
8 20191019 広島市原爆被害者の会「第8回先人を語る会(慰霊と講話~河本一郎を語る~)」。原爆資料館。

年表:灯ろう流し 1947~76年

年表:灯ろう流し

年 月日
1947
0714 広島市内の日蓮門下寺院8ケ寺の僧侶13人と広島立正婦人協会員1、000人が中 島本町慈仙寺鼻の供養塔で臨川大施我鬼法要を執行。供養塔での読経終了後、3隻 の発動機船に分乗し、本川の三篠橋から播磨橋の間を往復、原爆犠牲者の戒名・ 俗名などをしたためた経木を川に流して、水供養をおこなう。48年7月31日、51年 7月11日にも執行。
47年8月5日、広島県宗教連盟が、慈仙寺鼻河畔から慰霊船を元安川に出して、川供養。
1948
0806 広島市的場大通商店街が的場町太陽館前広場に「法界万霊戦死者供養塔」を 建て、法要を執行、午後7時から猿こう川で川施我鬼を催し、とうろう流し。
1950
0806 中国商店街連合会、とうろう流し。以後毎年実施(「中国新聞」56年8月5日)
1952 ひろしま川祭委員会
広島市・市教委・市観光協会・広島商工会議所・FK・国際文化協会・中国新聞社が、「原爆犠牲者の霊を慰めるとともに大衆への慰安をも併せ行い、春の広島まつりとともに広島の二大年中行事」にしようと結成(「中国新聞」1952年7月23日)
第1回52年8月9-10日。
9日、供養塔前と本川橋側水上で花火大会
相生橋河畔で9日夜の満潮時に2、000燈のとうろう流し
10日、原爆ドーム前元安川で水上音楽会
0806 午後9時から、本川青年団が今年も相生橋下でとうろう400個を流す。
1953 ひろしま川祭委員会
第2回53年8月8日。
6-8日夜の満潮時に元安川と本川で2、000燈のとうろう流し
8日、水上音楽会と花火
1954 ひろしま川祭委員会
第3回54年8月7-8日。7つの川で午後7時半からとうろう流し。2万個。
中部地区=6-8日、大仏殿前元安川河畔、2、000灯
横川地区=7-8日、横川橋下、700灯
己斐地区=6-7日、己斐橋、1、000灯
十日市地区=6日、本川小学校横河畔、300灯
鷹野橋地区=6日、明治橋下、700灯
駅前地区=6-7日、駅前橋下北側、800灯
段原地区=7日、大正橋下、300灯
6日、5、000個のとうろう
8日、平和記念公園で慰霊花火大会
0806 午後8時から、世界平和広島仏舎利塔建設会・広島大仏奉賛会が元安川原爆ドー ム前で5000個のとうろう流し。
0806 本願寺広島別院、水上法要と流灯会を行う。56年も。
1955 ひろしま川祭委員会
第4回55年8月6-7日。7つの川で午後8時からとうろう流し。1万個。
6日、8、000個のとうろう
7日、平和記念公園で慰霊花火大会
1956 ひろしま川祭委員会
第5回56年8月6-7日。7つの川(10か所)で午後8時からとうろう流し。1万2,000個。
6日、10、000個のとうろう
7日、平和記念公園で慰霊花火大会
1957 ひろしま川祭委員会
第6回57年8月6-7日。7つの川で午後8時からとうろう流し。
6日、15、000個のとうろう
相生橋・広島駅前橋・荒神橋・稲荷橋・大正橋西詰・京橋・明治橋・横川橋・己 斐橋・本川小学校裏
7日、平和記念公園で慰霊花火大会
1959 ひろしま川祭委員会
第9回60年8月6-7日。7つの川(11か所)で午後9時40分満潮時からとうろう流し。
6日、1万個のとうろう
広島駅前橋・稲荷橋・大正橋・京橋・元安橋・本川小学校・横川橋・観音橋・明 治橋・己斐橋・県貯木場(吉島)
7日、平和記念公園・市公会堂南側で慰霊花火大会
1960 ひろしま川祭委員会
第10回61年8月6-7日。
6日、6つの川でとうろう流し。
0806 広島県宗教連盟が、初めて本川で2、000個のとうろう流し
1962 ひろしま川祭委員会
第11回62年8月6-7日。
6日、6つの川(11か所)で1万個のとうろう流し。
7日、平和記念公園・市公会堂南側で原爆死没者慰霊花火大会
11-12日、市民球場で盆おどり大会
1963 ひろしま川祭委員会
第12回63年8月6-7日。
6日、6つの川(11か所)で1万2、000個のとうろう流し。
7日、平和記念公園・市公会堂南側で原爆死没者慰霊花火大会
1964 ひろしま川祭委員会
第13回64年8月6日。
6日、川(10か所)で1万1、000個のとうろう流し。
1965
0807 広島市・中国新聞社など共催とうろう流し
(雨のため6日の予定を延期)市内10か所。約1万1、000個
0814 広島広島悲願の会とうろう流し
(雨のため6日の予定を延期)元安川と本川。約1万個
太田川夏祭=盆踊大会と花火大会
1973
0806 5か所、広島祭委員会は12,000個を用意。後始末が大変なため、この年は本川など3 つの川で姿を消す。
1976
0806 とうろう流し。花火大会。市政と市民では初紹介。
環境問題で流す数を制限され、昨年より5,000個少ない1万個を用意

とうろう流し(8月6日、とうろう流し実行委員会主催)

とうろう流し(8月6日、とうろう流し実行委員会主催)

実施状況 場所:原爆ドーム対岸 元安川浸水テラス

1973 とうろう流し。約1万2000個。
2005 とうろう流し。
2009 とうろう流し。約9000個。
2010 とうろう流し。約1万個。
2012 とうろう流し。約1万個。
2013 とうろう流し。約1万個。
2014 とうろう流し。約9000個。
2015
市民約70人、「広島 愛の川」合唱(初回)
2016 ピースメッセージとうろう流し
2017 とうろう流し。約1万個。
2018 ピースメッセージとうろう流し
2019 原爆ドーム前の元安川などで「とうろう流し」。約7000個の灯籠。
2020 新型コロナウイルス感染拡大のため「とうろう流し」中止。。「流灯式」=実行委員会メンバ―灯籠17個を川に浮かべる。
2021 新型コロナウイルス感染拡大のため「とうろう流し」中止。「流灯式」=実行委員会メンバ―灯籠12個を川に浮かべる。

平和記念式典総括表(1947年~2013年)

平和記念式典総括表(1947年~2013年)

広島市長 長崎市長 総理大臣(代理) 備考 広島市議会議長 広島県知事 衆議院議長 参議院議長
1947(昭和22) 浜井信三 [片山哲](森戸文部大臣) マッカーサーのメッセージ 楠瀬常猪
1948(昭和23) 浜井信三 [市 民 代 表] [芦田均] ロバートソンのメッセージ 楠瀬常猪
1949(昭和24) 浜井信三 大 橋 博 [吉田茂] 楠瀬常猪
1950(昭和25) [中止] [中止] [中止] [中止] 楠瀬常猪 [中止] [中止]
1951(昭和26) 浜井信三 [平和推進市民大会] [吉田茂] 大原博夫
1952(昭和27) 浜井信三 田 川 務 [吉田茂] 広島県知事、県・市議会議長の式辞。広島平和都市記念碑除幕   大原博夫 [岩本信行(副議長)] [佐藤尚武]
1953(昭和28) 浜井信三 田 川 務 [吉田茂] 広島県知事、県・市議会議長の式辞   大原博夫 [堤康次郎] [河井弥八]
1954(昭和29) 浜井信三 田 川 務 [吉田茂] 高松宮夫妻 大原博夫
1955(昭和30) 渡辺忠雄 田 川 務 [鳩山一郎] 大原博夫
1956(昭和31) 渡辺忠雄 田 川 務 [鳩山一郎] 大原博夫
1957(昭和32) 渡辺忠雄 田 川 務 [岸信介] 三笠宮夫妻 大原博夫
1958(昭和33) 渡辺忠雄 田 川 務 [岸信介] 高松宮夫妻、灘尾文部大臣   大原博夫
1959(昭和34) 浜井信三 田 川 務 [岸信介]内閣総理大臣臨時代理<挨拶原文>。 広島県議会議長平塩五男<挨拶原文> 木野藤雄<挨拶原文> 大原博夫<挨拶原文> 松野鶴平<挨拶原文>
1960(昭和35) 浜井信三 田 川 務 池田勇人(中山マサ厚生大臣) 名簿奉納(広島県知事・市長)、あいさつ:内閣総理大臣、衆議院議長、参議院議長、広島県議会議長(平塩五男)、広島市議会議長(宮本正夫) 宮本正夫<挨拶原文> 大原博夫 清瀬一郎(議長)<挨拶原文> 松野鶴平参議院議長(代理:平井副議長)<挨拶原文>
1960(昭和35)       皇太子参列「お言葉」        
1961(昭和36) 浜井信三 田 川 務 [池田勇人]     大原博夫 清瀬一郎(代理) 松野議長(代理)
1962(昭和37) 浜井信三 田 川 務 [池田勇人] あいさつ真田県議会議長   永野嚴雄 清瀬一郎(代理) 議長(代理)
1963(昭和38) 浜井信三 田 川 務 [池田勇人]<挨拶原文> 灘尾文部大臣**全国戦没者追悼式(第1回)   永野嚴雄
1964(昭和39) 浜井信三 田 川 務 [池田勇人]<中国新聞は掲載せず> 永野県知事 永野嚴雄 船田中(議長) 重宗
1965(昭和40) 浜井信三 田 川 務 [佐藤栄作](橋本登美三郎内閣官房長官)<挨拶原文>   永野嚴雄 船田 重宗
1966(昭和41) 浜井信三 田 川 務 [佐藤栄作]古屋亨(総理府総務副長官)<挨拶原文> 長崎式典:代読   永野嚴雄 灘尾幸吉(代理) 藤田進(代理)
1967(昭和42) 山田節男 諸谷義武 [佐藤栄作]堀総務長官?<挨拶原文>   永野嚴雄
1968(昭和43) 山田節男 諸谷義武 [佐藤栄作]亀岡官房副長官 1968.6.24山田市長、記者会見=原水禁3団体と平和アピール7人委員会、世界連邦圏背宇同盟などに招待状を出す方針を明らかにする。(6.25『中国新聞』)。ローマ法王メッセージ。長崎式典:原爆被爆者対策課の主管となる。. 永野嚴雄
1969(昭和44) 山田節男 諸谷義武 [佐藤栄作]床次総務長官<挨拶原文>   永野嚴雄
1970(昭和45) 山田節男 諸谷義武 [佐藤栄作]内田厚生大臣<挨拶原文>   永野嚴雄 荒船清十郎(副議長) 安井謙(副議長)
1971(昭和46) 山田節男 諸谷義武 佐藤栄作(総理大臣)<挨拶原文> 長崎式典:   永野嚴雄 船田中(議長) 森八三一(副議長)
1972(昭和47) 山田節男 諸谷義武 [田中角栄]二階堂進(内閣官房長官)<挨拶原文> 長崎式典:   永野嚴雄 (メッセージのみ) (メッセージのみ)
1973(昭和48) 山田節男 諸谷義武 [田中角栄]二階堂進(内閣官房長官)<挨拶原文> 広島・長崎の式典相互参列(初)。長崎式典:二階堂進   永野嚴雄 (メッセージのみ) (メッセージのみ)
1974(昭和49) 山田節男 諸谷義武 斉藤邦吉(厚生大臣) 厚相の代理は初。長崎式典:二階堂進? 宮澤弘 (メッセージのみ) (メッセージのみ)
1975(昭和50) 荒木 武 諸谷義武 [三木武夫<訪米中>]田中正己(厚生大臣)<挨拶原文> 長崎式典:植木総務長官   宮澤弘 秋田大助(副議長) (メッセージのみ)
1976(昭和51) 荒木 武 諸谷義武 三木武夫(総理大臣)<挨拶原文> 田中厚相。被爆者団体代表との会見。長崎式典:三木武夫   宮澤弘 (メッセージのみ) (メッセージのみ)
1977(昭和52) 荒木 武 諸谷義武 [福田赳夫]藤田正明(総務長官)<挨拶原文> アメラシンゲ国連総会議長参列。長崎式典:渡辺厚相。アメラシンゲ国連総会議長参列   宮澤弘 (メッセージのみ) 加瀬完(副議長)
1978(昭和53) 荒木 武 諸谷義武 [福田赳夫]安倍晋太郎(官房長官)<挨拶原文> 長崎式典:小沢厚相   宮澤弘 (メッセージのみ) (メッセージのみ)
1979(昭和54) 荒木 武 本 島 等 [大平正芳]橋本龍太郎(厚生大臣)<挨拶原文> 長崎式典:   宮澤弘 灘尾弘吉(議長) (メッセージのみ)
1980(昭和55) 荒木 武 本 島 等 [鈴木善幸]宮沢喜一(官房長官)<挨拶原文> 長崎式典:斎藤厚相。徳永正利   宮澤弘 (メッセージのみ) 徳永正利(議長)
1981(昭和56) 荒木 武 本 島 等 鈴木善幸(総理大臣)<挨拶原文> 原爆死没者。全国都道府県遺族代表(初)。国際軍縮促進議員連盟代表。長崎式典:村山厚相。徳永参院議長。原爆死没者全国都道府県遺族代表(初)。国際軍縮促進議員連盟   宮澤弘 (メッセージのみ) 秋山長造(副議長)
1982(昭和57) 荒木 武 本 島 等 [鈴木善幸]森下元晴(厚生大臣)<挨拶原文> 長崎式典:鈴木善幸総理大臣。初村滝一郎労相。7月23日、長崎大水害死没者。(71名)の名簿も奉安。   竹下虎之助 (メッセージのみ) 徳永正利(議長)
1983(昭和58) 荒木 武 本 島 等 中曽根康弘(総理大臣)<挨拶原文> 谷川防衛庁長官。長崎式典:林厚相   竹下虎之助 (メッセージのみ) 木村睦男(議長)
1984(昭和59) 荒木 武 本 島 等 [中曽根康弘]渡部恒三(厚生大臣)<挨拶原文> 長崎式典:中曽根康弘総理大臣   竹下虎之助 (メッセージのみ) (メッセージのみ)
1985(昭和60) 荒木 武 本 島 等 中曽根康弘(総理大臣) 増岡厚相。被爆者援護功労者厚生大臣表彰。被表彰者。第1回世界平和連帯都市市長会議。長崎式典:増岡厚相   竹下虎之助 坂田道太(議長) 木村睦男(議長)
1986(昭和61) 荒木 武 本 島 等 [中曽根康弘]斉藤十朗(厚生大臣)<挨拶原文> デクエヤル国連事務総長(メッセージ)。長崎式典:中曽根康弘総理大臣。**全国戦没者追悼式に原爆死没者遺族を国費で公式招待(初)。   竹下虎之助 原健三郎(議長) 藤田正明(議長)
1987(昭和62) 荒木 武 本 島 等 中曽根康弘(総理大臣)<挨拶原文> 長崎式典:斎藤厚相   竹下虎之助 多賀谷真稔(副議長) 藤田正明(議長)
1988(昭和63) 荒木 武 本 島 等 [竹下登]藤本孝雄(厚生大臣)<挨拶原文> 三木武夫国際軍縮促進議員連盟会長。長崎式典:小渕恵三官房長官。藤本孝雄厚相。原健三郎(衆院議長)?田村?   竹下虎之助 多賀谷真稔(副議長) 藤田正明(議長)
1989(平成元) 荒木 武 本 島 等 宇野宗佑(総理大臣)<挨拶原文> 長崎式典:デクエヤル国連事務総長。メッセージ(明石事務次長代読)   竹下虎之助 安井吉典(副議長) 瀬谷英行(副議長)
1990(平成2) 荒木 武 本 島 等 海部俊樹(総理大臣)<挨拶原文> 津島厚相   竹下虎之助 桜内義雄(議長) 小山一平(副議長)
長崎式典:海部俊樹(両式典への参列は1976年以来2人目)   竹下虎之助
沖縄全戦没者追悼式に初参列??   竹下虎之助
1991(平成3) 平岡 敬 本 島 等 海部俊樹(総理大臣)<挨拶原文> 挨拶:衆議院議長、参議院議長、広島県知事、広島県議会議長。長崎式典:下条厚相   竹下虎之助 桜内義雄(議長) 土屋義彦(議長)
1992(平成4) 平岡 敬 本 島 等 山下徳夫(厚生大臣)<挨拶原文> 挨拶:衆議院議長、広島県知事、広島県議会議長。長崎式典:宮沢喜一総理大臣 竹下虎之助 桜内義雄(議長)
1993(平成5) 平岡 敬 本 島 等 <挨拶原文>[閣僚の出席なし]文田久雄総理府次長 ストヤン・ガーネフ国連総会議長。長崎式典:古川貞二郎厚生省事務次官。**8月9日細川内閣発足。   竹下虎之助
1994(平成6) 平岡 敬 本 島 等 <挨拶原文>村山富市(総理大臣) 井出厚相。長崎式典:村山富市   藤田雄山 土井たか子(議長) 原文兵衛(議長)
1995(平成7) 平岡 敬 伊藤一長 <挨拶原文>村山富市(総理大臣) 井出厚相。長崎式典:村山富市。草場良八最高裁判所長官。三権の長全員が参列(初)。長崎式典:村山富市。三権の長全員が参列(初)   藤田雄山 土井たか子(議長) 斉藤十朗(議長)
1996(平成8) 平岡 敬 伊藤一長 橋本龍太郎(総理大臣) 菅直人厚相。長崎式典:橋本龍太郎。土井たか子(議長) 藤田雄山 鯨岡(副議長) 斉藤十朗(議長)
1997(平成9) 平岡 敬 伊藤一長 橋本龍太郎(総理大臣) 第4回世界平和連帯都市市長会議。長崎式典:小泉純一郎厚相   藤田雄山 伊藤(議長) 松尾(副議長)
1998(平成10) 平岡 敬 伊藤一長 小渕恵三(総理大臣) 宮下創平厚相。あいさつ:衆議院副議長、参議院議長、広島県知事、広島県議会議長。長崎式典:小渕恵三。宮下創平厚相   藤田雄山 渡部恒三(副議長) 菅野(副議長)
1999(平成11) 秋葉忠利 伊藤一長 小渕恵三(総理大臣) 宮下創平厚相。長崎式典:宮下創平厚相。伊藤宗一郎(衆議院議長)   藤田雄山 渡部恒三(副議長)
2000(平成12) 秋葉忠利 伊藤一長 森喜朗(総理大臣) あいさつ:衆議院議長、参議院議長、広島県知事、広島県議会議長。長崎式典:森喜朗。渡部恒三衆議院副議長、菅野久光参院副議長。   藤田雄山
2001(平成13) 秋葉忠利 伊藤一長 小泉純一郎(総理大臣) 第5回世界平和連帯都市市長会議。あいさつ:広島県知事、アナン国連事務総長メッセージ。長崎式典:小泉純一郎。坂口力厚労相。衆参両院議長が代理も含め欠席するのは1989年以来。今年から両議長の来賓あいさつを取りやめ、献花だけをしてもらうことに決めていた。   藤田雄山
2002(平成14) 秋葉忠利 伊藤一長 小泉純一郎(総理大臣) あいさつ:広島県知事、国連事務総長。長崎式典:小泉純一郎(今年は被爆者団体からの要望聴取や慰問はせず、帰京)、坂口厚生労働大臣。倉田寛之参院議長、約五千五百人。   藤田雄山
2003(平成15) 秋葉忠利 伊藤一長 小泉純一郎(総理大臣) 長崎式典:小泉純一郎、(被爆者団体からの要望聴取や慰問はせず)。倉田寛之参院議長、坂口力厚労相   藤田雄山
2004(平成16) 秋葉忠利 伊藤一長 小泉純一郎(総理大臣) あいさつ:広島県知事、国連事務総長。長崎式典:小泉純一郎、扇千景参院議長、坂口力厚労相。約五千四百人。   藤田雄山
2005(平成17) 秋葉忠利 伊藤一長 小泉純一郎(総理大臣) あいさつ:衆議院議長、参議院議長、最高裁判所長官、国連事務総長、広島県知事、広島県議会議長。長崎式典:小泉純一郎、尾辻厚労相。町田顕最高裁判所長官。長崎市は今年、核保有五カ国を含む計十一カ国に参列を求める招請状を送付。ガルージン代理大使とウクライナのユーリー・コステンコ駐日特命全権大使だけが参列   藤田雄山
2006(平成18) 秋葉忠利 伊藤一長 小泉純一郎(総理大臣) あいさつ:広島県知事、国連事務総長。長崎式典:小泉純一郎、川崎二郎厚生労働大臣。河野洋平(議長)、角田(副議長)。核保有国のロシアを含む七カ国の駐日大使ら約四千八百人が参列。   藤田雄山 横路(副議長) 扇千景(議長)
2007(平成19) 秋葉忠利 田上富久 安倍晋三(総理大臣) あいさつ:広島県知事、潘基文国連事務総長(代読)。長崎式典:安倍晋三、柳沢伯夫厚生労働大臣。横路(副議長)、江田五月(議長)。核保有国ロシアを含む十五カ国の政府代表らが参列。   藤田雄山
2008(平成20) 秋葉忠利 田上富久 福田康夫(総理大臣) あいさつ:広島県知事、国連事務総長(代読)。舛添要一厚労相。55カ国の大使や参事官。長崎式典:福田康夫、舛添要一厚労相。河野洋平(議長)、山東(副議長)。核保有国のロシア、今回が初めてのスペインなど八カ国の駐日大使ら・ 藤田博之 藤田雄山 河野洋平(議長) 江田五月(議長)
2009(平成21) 秋葉忠利 田上富久 麻生太郎(総理大臣) あいさつ:広島県知事、国連総会議長。国連事務総長。舛添要一厚労相。59カ国の代表。長崎式典:麻生太郎。舛添要一厚労相。江田五月(議長)。保有国のロシアを含め過去最多となる海外29カ国の代表。約5800人(市発表)。ミゲル・デスコト・ブロックマン国連議長。国際連合総会議長潘基文(バンキムン)国連事務総長(代読)、 藤田博之 藤田雄山 江田五月(議長)
2010(平成22) 秋葉忠利 田上富久 菅直人(総理大臣) あいさつ:広島県知事、国連事務総長。長妻厚生労働大臣。潘基文(バンキムン)国連事務総長、米・英・仏(初)など74カ国の代表。長崎式典:菅直人、外務大臣。厚生労働大臣。デスコト国連議長。西岡(議長)江田五月(議長) 。核保有国の英、仏、ロシア、パキスタン、実質的核保有国のイスラエルなど32カ国。約5600人。 藤田博之 湯崎英彦 横路孝弘(議長)? 江田五月(議長)
2011(平成23) 松井一實 田上富久 菅直人(総理大臣) あいさつ:広島県知事、国連事務総長。細川律夫厚生労働大臣。長崎式典: 菅直人、外務大臣。厚生労働大臣。44カ国の政府代表 木島 丘 湯崎英彦 西岡(議長)
2012(平成24) 松井一實 田上富久 野田佳彦(総理大臣) あいさつ:広島県知事、国連事務総長。中野外務大臣政務官。小宮山厚生労働大臣。国連事務総長代理;アンゲラ・ケイン国連軍縮担当上級代表。米・英・仏(初)など71カ国の代表。長崎式典:野田佳彦。外務大臣政務官。厚生労働大臣。42カ国の代表。 種清和夫 湯崎英彦 平田 健二(議長)
2013(平成25) 松井一實 田上富久 安倍晋三(総理大臣) あいさつ:広島県知事、国連総会議長。国連事務総長。外務大臣 厚生労働大臣。ブーク・イェレミッチ国際連合総会議長。潘基文国際連合事務総長(代読)、 碓井法明 湯崎英彦 衆議院副議長 参議院議長

 

2022年7月(日録)

2022年7月(日録)

できごと
01 呉空襲の日。町内放送1分間の黙とう呼びかけ。
01  ヒロシマ遺文への投稿=「2022年7月(日録)
02 ヒロシマ遺文への投稿=「広島平和公園2015原爆死没者慰霊行事
03 宇吹家忌中
04 広島大学へ出講。「平和と人間D」。
07  ヒロシマ遺文への投稿=「平和記念式典総括表(1947年~2013年)
08  ヒロシマ遺文への投稿=「とうろう流し(8月6日、とうろう流し実行委員会主催)」、「年表:灯ろう流し 1947~76年
08 広島市、平和記念式典の概要を発表。
10 参院選投票日
13  ヒロシマ遺文への投稿=「とうろう流し(8月6日、とうろう流し実行委員会主催)」、「第8回先人を語る会(慰霊と講話~河本一郎を語る~)
14  ヒロシマ遺文への投稿=「年表:ローマ法王とヒロシマ(1945~80年)」、「ローマ法王歓迎の集い(広島市 1981年2月25日)
15  ヒロシマ遺文への投稿=「年表:ローマ法王とヒロシマ(1981年~)」、「年表:ローマ教皇とヒロシマ(2019年~)
16  ヒロシマ遺文への投稿=「日本科学者会議『日本の科学者』目次(抄)」、「原水爆禁止世界大会・科学者集会
17  ヒロシマ遺文への投稿=「響け!平和の鐘実行委員会
18  ヒロシマ遺文への投稿=「年表:生協ひろしま」
呉市民劇場。『語りの夕べ』
19   ヒロシマ遺文への投稿=「広島県生活協同組合連合会
20    ヒロシマ遺文への投稿=「日本科学者会議広島県支部ニュース 19701212~
21    ヒロシマ遺文への投稿=「日本科学者会議広島県支部ニュース 19740920~」
22  ヒロシマ遺文への投稿=「日本科学者会議『日本の科学者』目次(抄)2010年1月~」「日本科学者会議
23  ヒロシマ遺文への投稿=「日本科学者会議『日本の科学者』目次(抄)2009年
24  ヒロシマ遺文への投稿=「日本科学者会議『日本の科学者』目次(抄)2008年
25 新日本婦人の会呉支部「ヒロシマ・ナガサキ原爆と人間」パネル展。~28日。場所:呉市役所1階ロビー。
25   ヒロシマ遺文への投稿=「日本科学者会議『日本の科学者』目次(抄)2007年」、「日本科学者会議『日本の科学者』目次(抄)2006年」、「日本科学者会議『日本の科学者』目次(抄)2005年
28 広島大学へ出講。「平和と人間C」。
29   ヒロシマ遺文への投稿=「広島陸軍兵器支廠(遺構)
30   ヒロシマ遺文への投稿=「国内ジャーナリスト研修「ヒロシマ講座」
31   ヒロシマ遺文への投稿=「国内ジャーナリスト研修「ヒロシマ講座」2005

2005日本のうたごえ祭典inひろしま

2005日本のうたごえ祭典inひろしま 2005年1月~

資料<作業中

月日 資料名 備考
0108 2005日本のうたごえ祭典inひろしま 開催にあたって「呼びかけ人」のお願い
熊谷勇二(実行委員会準備会代表)⇒宇吹
 03  「呼びかけ人」のお引き受けへの礼
06
0622  発送案内
 1. 2005日本のうたごえ祭典inひろしま第2回実行委員会報告
 2. 全国企画ニュース「ねがい」No.2①/ヒューマン・フェスタ第3報
 3. 全国企画ニュース「ねがい」No.2②/広島の夏・うたごえピースアクション
 4. ヒューマンボイス・プロジェクト
 5. ひろしま祭典実行委員会ニュース「相生橋」No.4.5.6
 6. 賛同募金のお願い(再)
7.  ひろしま祭典第2次チラシ
 0321  週刊うたごえ新聞No.1969 2005/3/21

地域に学ぶ集い(歴史教育者協議会第57回全国大会)

地域に学ぶ集い(歴史教育者協議会第57回全国大会)2005年7月30日、会場:アステールプラザ<作業中

1 高校生と平和の文化・交流 澤野重男(安田女子高等学校教諭)・広島高校生平和ゼミナール
2 語り部 学徒動員と被爆体験 江種祐司(元中学校教諭)
矢野美耶古(広鳥県被団協)
3 語り部 爆心地から1.5㎞ 嘉屋重順子(元中学校教諭)
末宗明登(広島県被団協事務局長)
4 海峡を越えて―韓国人被爆者元徴用工― 夏原信幸(広島市立五日市観音中学校)
5 ヒロシマの戦後史 宇吹暁(広島女学院大学教授)
6 ヒロシマの文化 イングリングまゆみ(NPO法人千羽鶴未来プロジェクト)
7 映画「核兵器のない21世紀」 牛尾英隆(広島映画センター)
8 地域に根ざした社会科教師の実践 藤村耕市(元県立三次高校)
9 広島の教育は今 松井久治(広鳥市立宇品中学校教諭)
高橋信雄(広鳥教育研究所)
10 教科書問題 歴教協常任委員会
11 日韓歴史教育者交流 歴教協常任委員会
出典:「歴史教育者協議会第57回全国大会(広島)参加申込書」
2005rekkyokyo20730

歴史教育者協議会のあゆみ(抄)

歴史教育者協議会のあゆみ(抄)https://www.rekkyo.org/history

大会(回) 年月 開催地 メモ
01 194907 東京 創立大会
24 197208 沖縄 「民族の課題」
36 198408 埼玉 「地域に根ざし、いのちを尊び、平和をつくる歴史教育」
37 198508 和歌山 「地域に根ざし、いのちを尊び、平和をつくる歴史教育」
38 198608 岩手 「地域に根ざし、世界の平和をきずく、歴史意識の形成」
47 199508 沖縄 「戦後50年、沖縄で考える平和と民主主義」
52 200008 長崎 「地域に根ざし、21世紀を展望する歴史教育・社会科教育」
57 200507~08 広島 「地域に根ざし、核兵器も戦争もない世界をきずく教育」
68 201608 沖縄 「沖縄から安保と民主主義を問う」
70 201808 京都 「現代と〝明治150年〟ーけんぽう・ちいき・みらいー」
71 201908 埼玉 埼玉県「ともに生きる、ともに歩む」ー対話からひらく未来」
72 2020 (新型コロナウイルス禍により)中止
72 202107~08 オンライン大会「『コロナ社会』から希望を紡ぐ社会科教育」

歴史教育者協議会第57回全国大会 2005年広島市

歴史教育者協議会第57回全国大会 2005年7月29日~8月2日<作業中

 テーマ:地域に根差し、核兵器も戦争もない世界をきずく教育
7月29日 現地見学プレコース
2005rekkyokyo20729
7月30日  全体会
 2005rekkyokyo10730
7月30日  地域に学ぶ集い
 2005rekkyokyo20730
7月31日・8月1日 分科会
2005rekkyokyo10731
8月1日 現地見学コース
 2005rekkyokyo20801
歴史教育者協議会第57回全国大会(広島)参加申込書
2005rekkyokyo1
2005rekkyokyo2

被爆60年を迎えて-近況と今後の抱負(宇吹暁)

被爆60年を迎えて-近況と今後の抱負

宇吹 暁(広島女学院大学)

 被爆50周年までの原爆手記の一応の取りまとめを終えたのが1996年末、これを増補したものを1999年に日外アソシエーツから『原爆手記掲載図書・雑誌総目録 1945-1995』(38955編の手記を収録した3677冊を紹介)として出版することができました。この解題の中で、私は、つぎのように述べています。

原爆被害は、しばしばアウシュビッツや南京の被害と並んで取り上げられる。しかし、多くの場合、犠牲者の数の比較にとどまり、被害者一人一人の個性において表現されているわけではない。もし、30数万人の被爆者及び数不明の遺族・被爆二世などの原爆被害者が、手記を書く、つまり原爆被害への自らの思いを活字として遺すとすれば、それは貴重な「平和への道標」(1986年発行の豊中市原爆被害者の会の手記集のタイトル)となることであろう。
広島で原爆白書の作製が提案されて、30年が経過した。この間、原爆被害の実態解明の試みがさまざまな形でなされてきた。原爆被災資料広島研究会による原爆被災資料の所在確認作業、広島・長崎両市の原爆資料館をはじめとする公共機関による資料の収集・保存事業、10フィート運動による原爆映画の製作、マスコミ各社の原爆企画報道など、その量は膨大なものである。原爆白書にとって、これらの成果を踏まえることはもちろんであるが、なによりも重要なのは、原爆被爆者の体験を基礎に据えることである。その意味で、原爆手記の分析は、原爆白書の基礎と骨格を構築する作業といえよう。
被爆体験は、原水爆禁止運動・反核運動のエネルギーの源泉であった。また、1980年代からは、被爆体験の証言活動を中心とした被爆者運動は、日本の運動の中心的役割を果たしてきた。日本の運動を振り返り、運動の今後を展望しようとする際、原爆手記の分析は、多くの示唆を与えてくれるであろう。

私は、原爆手記分析が、当面の課題と考えていましたが、転職により、しばらく中断をせざるを得なくなりました。早いもので、新しい職場である広島女学院大学で、5回目の8月6日を迎えようとしています。着任当初の予定では、3年間は、新任校での教育と校務に専念し、4年目以降定年まで、原爆被害に関するテーマに取り組むつもりでおりました。この予定は、二つの点から狂ってしまいました。一つは、残念ながら、なかなか以前のようなまとまった時間が取れない日々が続いていることです。もう一つは、初年度から毎年、学生とともにヒロシマについて学び考える機会が予想外の形で起っています。

着任直後の2001年5月24日に、アメリカの提携校ランドルフ・メイコン女子大学との合同セミナーで原爆被害についての講演を行いました。新たな講義の準備に追われる日々を送っていた私にとって、それまでの自分の専門の仕事が認められる可能性を感じることができた貴重な体験でした。これ以後、本学恒例の原爆記念日の平和祈念式、キリスト教主義大学の学生を本学に招いて開いているジョイント8・6平和学習プログラムなど、原爆問題の関わる学内行事には、積極的に参加してきました。
2年目には、朗読劇「夏雲は忘れない」に被爆当時の学院長役で出演しました。この劇は広島女学院の被爆体験記集をもとに構成し、本学の原爆講座(1967年に始まり第36回目)で上演したものです。練習中、自分自身の手記理解の浅さ、追体験することの難しさを痛感し、寝付かれない夜もありました。さらに、本番でも緊張しっぱなしで、観劇した学生の話では、私だけが「ブルブル震えていてカワイカッタ」とのことでしたが、遺族・同窓生の参加も得て大成功でした。
3年目からは、「平和文化」(2003年後期のみ)、「ヒロシマ」(2004年度は夏季集中で関西学院大学との連携講座、2005年度からは前期と夏季集中)を担当しています。講座「ヒロシマ」は、関西学院大学の平和講座設置計画が、同大学の学生による平和公園の「折鶴放火事件」を契機に、女学院大学との連携講座として実現したものです。初年度には30人の学生を迎え、2年目の今年は倍の60人が来学し、8月6日を挟んで、本学の学生とともに学ぶことになっています。
このほか、中国研修(2002年8月、蘆溝橋・中国人民戦争記念館など)、韓国研修(2003年3月、戦争記念館など見学)にも参加することができました。
被爆60周年を前に、マスコミは被爆体験継承の困難さを指摘しています。昨年の8月5日に放映されたNHK「クローズアップ現代」では、関西学院大学での平和講座を聴講する学生の態度(=私語・居眠りなど)をクローズアップしていました。このように、継承の困難さの原因を、学生の側に求める意見もあります。しかし、これらの行事・講義に参加したほとんどの学生は、それぞれ深い感銘を受けています。私は、女学院での体験を通して、継承の可能性への確信を持つことができました。問題なのは、こうした機会が、教育の現場から消えていくことだと思います。

女学院大学赴任以来、原爆手記を系統的に収集し読むという作業はできずにいます。しかし、それでも被爆50年を超えて、400冊を超える手記(集)が発行されていることを確認しました。つい先日も、『爆心地中島-あの日、あのとき-』(元大正屋呉服店を保存する会・原爆遺跡保存運動懇談会編)が出版されました。手記などこれまでの出版物の記述を詳細に検討するとともに、新たに多くの証言を得て、爆心地である中島地域の被爆状況を明らかにしたものです。60年後の現在でも、かなりの証言を得ることが可能であることがわかりました。2004年に出版された中に『「原爆の絵」と出会う』(直野章子著、岩波ブックレット)、『原爆と寺院-ある真宗寺院の社会史』(新田光子著、法蔵館)があります。前著は、被爆の実相の普及に大きな役割を果たしてきた「原爆の絵」の全体像にはじめて向き合った経験の記録です。また、後著は、実家の寺院を中心に、その被爆状況や戦後復興のあゆみを多様な資料で明らかにした学術書です。直接の体験はなくても、被爆体験は新たな担い手により、新たな形で書き継がれています。女学院では、夏に向け同窓会が、新たに体験記集の出版を準備しています。また、女学院創立120周年を来年にひかえ、女学院の平和教育のあゆみをまとめる計画もあります。

今年になって、4半世紀前にまとめられた『広島原爆戦災誌』(全5巻、1971年8月~12月刊行)のテキスト版が広島平和記念資料館のホームページで紹介されていることを知りました。現在でも広島の原爆被害を包括的に取り上げたこの本は、しばしば活用されています。しかし、手記が多数出版されるようになったのは、この出版後のことであり、内容の不十分さが目立ちます。改訂版ないし増補版の作成計画が被爆40周年、50周年にあるかとも期待していましたが、そうした動きは生れませんでした。これまで書き残された体験記を今後生かしてゆく一つの方法として、『広島原爆戦災誌』改定・増補版の作成を提案します。ただし、本を出版することは想定していません。また、広島市にその作業を全面的に期待するものでもありません。具体的作業の一例をあげれば、広島女学院部分の改定・増補を、女学院の関係者がおこない、その成果をインターネット上で紹介することです。『広島原爆戦災誌』に取りあげられている各機関・団体でこの作業が行われたとすれば、広島市が、これらにリンクを張るだけで、とりあえずは改定・増補版が出来上がります。私は、この作業が本学の学生が中心となり、教職員・同窓生を巻き込んで進められることを期待しています。

自己紹介
1970年 広島県史編纂室、1976年 広島大学原爆放射能医学研究所、2001年より広島女学院大学勤務。広島県・広島大学では被爆資料の収集・整理・分析に従事。女学院大学では、生活科学部の芸術文化分野で講義「生活文化史」・「世界遺産」・「ヒロシマ」などを担当。

出典:『自分史つうしn ヒバクシャ』第150号(編集・発行:栗原淑江、20050710)