ベトナムで核兵器使用許すな 被爆者が怒り<作業中>
出典:『広島民報』No.89(19670402)
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。
ベトナムで核兵器使用許すな 被爆者が怒り<作業中>
出典:『広島民報』No.89(19670402)
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共産党が原爆ドーム保存へ寄金<作業中>
出典:『広島民報』No.87(19670319)
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全国民主医療機関連合会(民医連)主催「被爆者医療研究集会」(作業中)
出典:『広島民報』No.88(19670326)
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山口勇子(日本民主主義文学同盟広島支部)『ルポルタージュ:出ていけ、ホリスタ号』(『広島民報』19670226)<作業中>
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戦史博(中国新聞社主催 1967年)
資料<作業中>
| ポスター 出典:『広島民報』No.80(19670129) |
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| 目で見る 戦史博 3月19日~5月31日 |
| 会場:広電 楽々園 |
| 主催:中国新聞社 協力:防衛庁 |
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| 「戦史博」開催に抗議 出典:『広島民報』No.81(19670205) |
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| 「戦史博」中止せよ ぞくぞく反対行動 出典:『広島民報』No.82(19670212) |
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| 「戦史博」反対で署名 出典:『広島民報』No.84(19670226) |
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| 「戦史博とりやめよ」共産党が強く抗議 出典:『広島民報』No.86(19670312) |
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| 「戦史博」開催に抗議ひろがる 出典:『広島民報』No.87(19670319) |
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| 戦史博反対でビラ 平和委など5団体 出典:『広島民報』No.88(19670326) |
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| サイト「みずま工房の歴史」 |
| 歴史 | 広島・広告代理店 みづま工房 (mizma.co.jp) |
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ひろがる被爆者救援運動(『広島民報』第77号 1967年1月1日)<作業中>
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| 温品道義さん追悼 世良完(広島県平和委員会) |
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| 援護怠る県と市 血液も被爆者に集めさす |
| ベトナム侵略を糾弾 生き証人として自覚 被爆者の組織が大きな力に |
| 自らの手で 原爆症究明を |
| 次々と手記出版 |
| 「老いと怒りと」、「広島はたたかう」、「木の葉のように焼かれて 第3集」、「心から笑える日を」、「加害者への怒り」 |
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『アメリカもうひとつの顔』(カール・ヨネダ、新日本出版社、19780630)<作業中>
| アメリカに生きる日本人 | ||
| 三十一年ぶりに見た日本―1960年来日の印象 | ||
| /原水爆禁止世界大会に出席して―感激とショック/”神風運転”と女性の変わりようにびっくり/(「アカハタ」19600802) | ||
| 六〇年来日から十二年目の印象―私にも日本人の血がある | ||
| (「文化評論」197210) | ||
| わが妻を語る―何度つかまっても”自己弁護士”で無罪に | ||
| /法律でも禁止された結婚/親子3人で日本人収容所へ/際限ない人生への熱意/「アカハタ」19600524) | ||
| 母の想い出―入営拒否した私にアメリカ行きの切符 | ||
| 母はさる7月23日、広島原爆養護ホームで95歳5カ月の生涯をとじた。母の子ども3人、孫10人、曾孫28人は全部アメリカに住んでおり、たった一人で死んだ。 | ||
| /広島で生まれハワイへ/息子をアメリカに送りだす/(「アカハタ」19760912) | ||
| アメリカの五十番目の州ハワイ | ||
| ハワイの反戦デモ | ||
| 在米日系人の強制収容キャンプ | ||
| 強制収容されたカナダの日本人 | ||
| 天皇訪米にたいする日系人の反応 | ||
| アメリカの地に生きた日本人労働者 | ||
| 片山潜の在米時代 | ||
| 病めるアメリカ | ||
| 物価高は日本もアメリカも 今なおつづく「怒りのぶどう」 ニクソン大統領はスト破り ウォーターゲート事件のニクソン 弾劾にゆれるニクソン政権 ニクソン弾劾と今後のアメリカ ニクソン辞任の日 さびしいクリスマス 失業者の群の中でむかえたアメリカ建国二百年祭 老人めあてのかっぱらい増える |
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| アメリカの労働運動 | ||
| みんなの力で百万ドルの会館 港の闘士と日系女性のロマンス オートメーションと労働者 オートメーションと労働運動 手を組む″流刑の兄弟″ たたかう港湾労働者 |
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| 立ちあがる黒人と青年・学生 | ||
| がんばれトーマス君 気狂いざたの黒人差別 完全な自由をめざす黒人たち ロサンゼルスの黒人″暴動″ 黒人に就職と教育の道を ネズミと一緒に住むのはもういやだ アメリカの″長い暑い夏″ 働き口がない青少年 前途にまつ不安と絶望 ひろがる徴兵拒否の運動 黒い喪章の学生たち |
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| ベトナム反戦運動 | ||
| やがて「多数の声」に ぼくの父さんを返して ベトナム侵略反対に動きだした労働者 徴兵センター前ですわりこみ ワシントンの反戦大デモに参加して |
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| アメリカの内と外 | ||
| インディアン保留地をたずねる わたしたちのメキシコ訪問 不況下につれてこられたベトナム難民 終戦三十周年とアメリカ市民 アメリカのテレビ 天皇をむかえた米国民の反応 |
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| 觧説(塩田庄兵衛) | ||
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年表:イワクニとヒロシマ 1965年~<作業中>
| 年月日 | できごと | 備考 |
| 出典 『中国新聞』= 特記のない場合 [イワクニ]=『基地イワクニ~日米安保のはざまで~』(中国新聞社、19960802) |
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| 1965 | ||
| 02 | 米軍、北ベトナム爆撃(北爆)開始。ベトナム戦争に本格介入。[イワクニ] | |
| 06 | 第1海兵航空師団の司令部や第12飛行大隊(2個中隊)など基地の主力、南ベトナムに移駐。 | |
| 1966 | ||
| 08 | 岩国日米協力会、不景気でベトナム帰休兵受け入れと第7艦隊寄港促進の署名運動。革新団体は反対署名。 | |
| 1967 | ||
| 03 | 基地に女性海兵隊員6人配属。海兵隊上級幹部も家族同伴認める。 | |
| 1968 | ||
| 05 | 基地開放デー。ベ平連、ベトナム戦争反対や脱走を呼びかけるビラまき。 | |
| 06 | 反戦学生ら250人、基地周辺で基地撤去デモ。警官と衝突、3人逮捕。 | |
| 1969 | ||
| 0718 | 米海軍岩国基地のF4Bファントム戦闘爆撃機が岐阜県美濃加茂市の山林に空対空ミサイル「スパロー」1個を誤って落とす。同基地は「核装備はしていない」。 | |
| 08 | 第1次ベトナム撤兵で、ファントム中隊が岩国に帰還。 | |
| 1970 | ||
| 03 | ベ平連、岩国で本格活動始める。基地に反戦米グループ誕生。 | |
| 1971 | ||
| 0310 | 1942年、世界で初めて核連鎖反応実験に成功した米シカゴ大の黒鉛ウラン型原子炉の黒鉛の一部を、米軍人が原爆資料館に寄贈。米海兵隊岩国基地のカール・スミス少佐「原子力開発の歴史を知る一助に」 | |
| 1116 | 衆院沖縄返還協定特別委員会。社会党の楢崎弥之助、「岩国市の米軍岩国基地に核兵器が貯蔵されている疑いがある」と政府を追及。 | |
| 1117 | 米軍岩国基地で、楢崎弥之助(社会党)が指摘した「赤色」の弾薬プレートが黄色に塗り替えられる。 | |
| 1117 | 衆院沖縄返還協定特別委員会。福田赳夫外相、「米政府に確認した結果、岩国に核兵器はないとの返事」との答弁。 | |
| 1118 | 米海兵隊岩国航空基地のバンキャンペン司令官、記者会見。核貯蔵を間接的に否定。B52の飛来も否定。 | |
| 1119 | 森滝市郎広島県原水禁代表委員ら15人、米軍岩国基地を訪れ「核兵器、毒ガスの即時撤去、基地自体の撤去を要求する」と抗議。 | |
| 1122 | 森滝市郎ら社会党系の原水禁団体、被爆者団体が米軍基地司令官との面会を求め基地前で座り込み。 | |
| 1122 | 成田知巳社会党委員長、国会内で記者会見。「楢崎弥之助氏が岩国基地に核・生物・化学兵器部隊が存在する証拠を入手」と発表。資料は基地電話帳の記述。 | |
| 1122 | 朝枝俊輔岩国市長・岸本孝二山口県副知事、バンキャンペン岩国基地司令官と面会、核疑惑をただす。 | |
| 1124 | 防衛庁、「米軍岩国基地を調査した結果、基地に核・生物・化学兵器はなかった」と発表。 | |
| 1209 | 米軍岩国基地でこの3月にヤギ10頭を飼い、一晩で全部が死んだ事実が分かる。基地側は「野犬にかみ殺された」と発表。 | |
| 1218 | 岩国市体育館で米女優ジェーン・フォンダさんら自由劇団(FTA)の反戦ショー。ベ平連主催。約1000人の米兵が参加。 | |
| 1982 | ||
| 1128~29 | 中国5県の原水協、平和委員会、安保破棄・諸要求貫徹実行委員会主催「82年岩国基地平和行動」。 | |
| 『広島民報』No.854(19821114) | ||
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資料:2000年日本平和大会
| 大会案内 |
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| 南部戦跡めぐり資料 |
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| 米軍基地調査資料 |
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| 平和新聞(広島版) 2000年12月15日 |
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『基地イワクニ~日米安保のはざまで~』(中国新聞社、19960802)<作業中>
内容
| 部章 | タイトル | 備考 |
| はじめに―岩国と沖縄の『距離』 | ||
| 1部 | 基地半世紀 | |
| 序章 | 今も米軍のアジア戦略拠点 | |
| 基地と岩国/米海兵隊/思いやり予算/米軍の総戦力 | ||
| 1章 | 基地の街の日米関係史① | |
| 航空機事故/低空飛行/上空制限/騒音公害/ぶらさがり族/強制買収/べ平連/チャーリー/基地従業員/反基地運動/都市縁組/相互理解/核疑惑 | ||
| 2章 | 基地の街の日米関係史② | |
| 西洋住宅/精霊之碑/川下経済/県性病診療所/投げ銭事件/空母寄港/不時着/笑顔作戦/滑走路/軍楽隊/若竹寮/米兵犯罪 | ||
| 2部 | 日本の中のアメリカ | |
| 序章 | 在日米軍の概要と現状 | |
| 基地・施設/青森県三沢市/長崎県佐世保市/神奈川県 | ||
| 1章 | 岩国基地と自治体 | |
| 基地対策課/防衛補助事業/川下の区画整理/道路づくり/基地教育/ 跡地返還 |
||
| 2章 | 特別ルポ 沖縄から | |
| 本土復帰23年/沖縄の米軍/普天間飛行場/読谷村の闘い/宜野湾市の未来/県の取り組み/ネットワーク | ||
| 3章 | クローズアップ | |
| ①新井英一とイワクニ(ブルース歌手を志す原点) ②米兵犯罪に泣き寝入り目立つ(賠償請求手続き面倒であきらめ) ③中国山地でも超低空飛行(実態見えず、不安募らせる住民) ④オキナワとイワクニ(基地めぐり「縮小」と「強化」懸念) ⑤岩国基地の「機能強化」着々(思いやり予算で建築ラッシュ) |
||
| 3部 | 米軍基地に関する市民意識 | |
| 調査編 「普天間」移転と岩国基地 | ||
| 普天間・飛行部隊「岩国移転」めぐる動き/市民の基地意識/「普天間」問題/迷惑施設か/沖合移設問題 | ||
| 資料編 | ||
| ◆米軍岩国基地関連の年表 基地の歩み・航空機事故関連/米兵犯罪・社会一般・生活など ◆核疑惑・岩国基地をめぐる動き ◆日米安全保障共同宣言-21世紀に向けての同盟(全文) ◆「普天間」返還と岩国移転計画-日米の合意内容- ◆米軍基地に関する市民意識調査(質問と回答) |
||
| おわりに |
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年表:イワクニとヒロシマ 1945年~64年<作業中>
| 年月日 | できごと | 備考 |
| 出典 『中国新聞』= 特記のない場合 [イワクニ]=『基地イワクニ~日米安保のはざまで~』(中国新聞社、19960802) |
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| 1945 | ||
| 0906 | 原爆の効果を調査する米陸軍の専門家一行、岩国飛行場に到着。 | |
| 09 | 米海兵隊進駐、岩国飛行場を接収[イワクニ]。 | |
| 1946 | ||
| 02 | 英連邦空軍と米空軍、岩国進駐[イワクニ]。 | |
| 1948 | ||
| **** | 英豪空軍基地になる[イワクニ] | |
| 0807 | 平和祭の旅客混雑解消に山陽線広島―岩国間に臨時列車。 | |
| 1949 | ||
| 0426 | 映画「ヒロシマ」製作のため米軍岩国航空隊が広島市上空を撮影飛行へ。 | |
| 1950 | ||
| 06 | 朝鮮戦争始まる。 | |
| 09 | 国連軍として、英海軍部隊・米空軍及び米海軍部隊の一部が駐留。英豪空軍、米空軍の戦闘機、前線支援で出撃、岩国基地は朝鮮半島への爆撃・支援・補給基地に。[イワクニ] | |
| 1951 | ||
| 06 | 岩国市議会、街娼の激増で山口県内初の売春取締条例を可決。岩国市署推定で1500人[イワクニ] | |
| 0806 | 平和記念式典に朝鮮戦線出動50回以上の岩国航空基地兵士24人も参列。兵士は中国新聞社8回から全市を展望し「明日からの出撃に平和探求への希望を強めました」 | |
| 1952 | ||
| 04 | 日米安保条約発効。英豪空軍撤退、米空軍基地になる。兵員3500人。[イワクニ] | |
| 04 | 岩国空港、民間空港として開港。日本航空、東京―岩国―福岡の定期便運航。[イワクニ] | |
| 07 | 米国CAT、オーストラリア航空など国際便の就航。岩国基地、税関空港指定、羽田と共に国際空港に[イワクニ] | |
| 1953 | ||
| 07 | 朝鮮戦争、休戦協定署名。 | |
| 09 | 初の基地一般開放[イワクニ] | |
| 1954 | ||
| 03 | 極東航空(全日空の前身)、岩国―大阪便運航開始[イワクニ] | |
| 1955 | ||
| 0505 | 原爆乙女25人、岩国空港から米空軍機で米へ出発。 | |
| 11 | 米海軍岩国航空基地の兵士家族の原爆孤児養子縁組増える。 | |
| 12 | 米海軍基地になる[イワクニ] | |
| 1956 | ||
| 0617 | 中林智子さん( 原爆乙女、手術中死亡)の遺骨、米軍用機で羽田に帰国、岩国空港を経て広島に帰る。 | |
| 07 | 韓国から米海兵隊第1海兵航空師団、厚木から米海軍第6哨戒飛行群が岩国移駐。[イワクニ] | |
| 12 | 米軍、クリスマスに児童養護施設の子供を基地に招待する「笑顔作戦」始める[イワクニ] | |
| 1957 | ||
| 03 | 海上自衛隊教育航空群、共同使用を開始[イワクニ] | |
| 04 | 売春防止法施行。1年後発効[イワクニ]。 | |
| 05 | 空母ホーネット寄港。[イワクニ] | |
| 1958 | ||
| 02 | 海自隊岩国航空教育隊が発足。[イワクニ] | |
| 1109 | 岩国市で原水禁広島、山口協議会主催の核武装阻止岩国基地平和大行進、山口広島両県民集会開く。2700人参加。 | |
| 1959 | ||
| 8 | 山口県市原水協、岩国で基地撤去集会[イワクニ] | |
| 11 | 米兵2人、基地の兵器庫から盗んだ短銃50丁や実弾を広島の暴力団に横流し[イワクニ] | |
| 1960 | ||
| 06 | 基地周辺住民、岩国市議会へ米軍ジェット機爆音対策求め初の請願[イワクニ] | |
| 07 | 岩国で「安保不承認」中国地区国民大会。5000人参加。[イワクニ] | |
| 1961 | ||
| 09 | 広島空港開港[イワクニ] | |
| 1962 | ||
| 06 | 基地撤去・米軍軍事介入反対の中国5県総決起集会。2000人参加[イワクニ]。 | |
| 1963 | ||
| 02 | 空母キティホーク( 世界最大)寄港。乗組員3500人。[イワクニ] | |
| 06 | 空母コンステレーション( 最新型)寄港。乗組員4200人。[イワクニ] | |
| 1964 | ||
| 12 | 米兵、暴力団に短銃20丁横流し[イワクニ] | |
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『資料 米政府公文書で明らかになった 小笠原諸島の日米核密約-日米核密約関連=米政府公文書19文書全訳収録』(原水爆禁止東京協議会、東京非核政府の会、東京平和委員会、安保破棄東京実行委員会、2000年)
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米軍の低空飛行の即時中止を求める県北連絡会
『 静かで安全な空をとりもどそう ストップ! 空を飛ぶ暴走族 PartⅡ』(米軍の低空飛行の即時中止を求める県北連絡会、2000年12月発行)<作業中>
| 頁 | |
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| 001 | 発刊にあたって (藤原清隆・県北連絡会会長、双三郡君田村長) |
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| 003 | 日本の空はだれのもの? |
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| 011 | 米軍機の飛行訓練の実態と報告① |
| 作木村の住民アンケート | |
| 027 | 米軍機の飛行訓練の実態と報告② |
| 芸北町の監視活動 | |
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| 047 | イタリア・カバレーゼ |
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| 063 | 米軍の低空飛行の即時中止を求める |
| 【写真】「県北連絡会第3回総会(1999年6月26日)」での志位衆院議員の国会報告 | |
| 083 | 空を飛ぶ暴走族をみんなの力で追い出そう |
| 083 | 【写真】『「米軍の低空飛行訓練に抗議する」県北シンポジジウム(1997年5月23日、布野村)』 |
| 084 | 【写真】県北連絡会結成総会(1997年6月26日、三次市) |
| 087 | 【写真】第1回全国交流集会(1998年8月25日、君田村) |
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| 104 | 編集後記 |
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『1977年日本平和大会報告集 核兵器廃絶、安保条約廃棄、平和と民主主義をめざす 1977.11.12-13 東京』(日本平和大会実行委員会編、日本平和委員会気付、19780123)
内容<作業中>
| はじめに | |||
| Ⅰ | 七七年日本平和大会 基調報告 | ||
| 一、日本平和・民主運動の歴史と伝統、日本平和大会の意義 | |||
| 二、一九七七年日本平和大会をめぐる情勢 | |||
| 三、平和民主勢力の当面する課題とたたかいの方向 | |||
| 四、真の平和と民主主義、生活向上を求める国民的統一の実現めざして | |||
| Ⅱ | 日本平和大会まとめ、宣言 | ||
| 大会まとめ | 中森謹重(民放労連副委員長) | ||
| 宣言 | |||
| Ⅲ | 開会総会 | ||
| 開会あいさつ | 小森秀三(日本高等学校教職員組合委員長) | ||
| よびかけ人挨拶 | 櫛田ふき | ||
| 来賓挨拶 | 金子満広(日本共産党常任幹部委員) | ||
| メッセージ | |||
| ベトナム平和委員会、パレスチナ解放機構東京事務所長、 | |||
| Ⅲ | 特別報告 | ||
| ①神奈川に於ける米軍基地撤去の闘いについて | |||
| ②原水爆禁止運動に於ける国民的大統一の組織を実現するために | |||
| ③職場からの報告-石川島播磨呉工場 | |||
| Ⅳ | 問題別集会 | ||
| ①安保問題を深めるためにー日米韓軍事一体化と基地・自衛隊 | |||
| ②安保問題を深めるためにー安保条約と私たちのくらし | |||
| ③安保問題を深めるためにー国際連帯と非同盟中立 | |||
| ④原水爆禁止問題を深めるためにー国連軍縮特別総会めざして核兵器廃絶と国民的統一 | |||
| ⑤新しいファシズムの動きと私たちのたたかい―民主主義と職場の自由 | |||
| ⑥新しいファシズムの動きと私たちのたたかい―教育の軍国主義と平和教育・戦争体験継承 | |||
| Ⅵ | 閉会総会 | ||
| 特別発言 | |||
| ①横浜米軍機墜落事件”犯人”を裁け | |||
| ②戦争準備の米軍基地 | |||
| ③母親の大切な運動は | |||
| ④「国民法廷」 | |||
| ⑤組織化に力を入れて | |||
| ⑥原爆も戦争もない世界を作る青年の会の活動 | |||
| ⑦原水爆禁止運動の統一について | |||
| よびかけ人あいさつ | |||
| 閉会あいさつ | |||
| 実行委員会参加団体 | |||
| 大会参加状況一覧 | |||
| 大会議長団 | |||
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『長沼裁判・闘争ニュース196806~197512(縮刷版)』(北海道平和委員会)
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『北海道・進歩と革新の運動史年表 1945.8―1980』(ほっかい新報社史料刊行委員会、19840909)
| 年月日 | できごと | 備考 |
| 19540707 | 小樽市議会、さきに原水爆禁止を決議したが、8・15を期して市が主催して原水爆禁止の署名運動をすることを満場一致で決議。 | |
| 19560805 | 原水爆禁止北海道大会、大通小学校で開かれ各界代表1500名、知事・道議長も参加。 | |
| <作業中> | ||
| 19800712 | 「核兵器をなくし、被爆者救援を」礼文から平和行進スタート。 | |
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2022年6月(日録)
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沖縄人民党の歴史 第12章 科学的社会主義の党に向かって<作業中>
『沖縄人民党の歴史 付=党史年表 1947~1973』(沖縄人民党史編集刊行委員会、19851115)所収
目次
| 節 | 見出し |
| 1 | 「施政権」返還と新しい段階での党の進路 |
| 1 たたかいの新しい段階 | |
| 2 科学的社会主義の党へ―画期的な決定 | |
| 3 理論学習と全党討議すすむ | |
| 4 第三十三回総選挙-瀬長再選と共産党の大躍進 | |
| 2 | 日本共産党の旗のもとに |
| 1 党発展の創造的な歩み | |
| 2 第17回党大会 | |
| 3 合流への準備すすむ | |
| 4 合流の達成と日本共産党沖縄県党組織の発足 | |
| 年表 | |
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沖縄人民党の歴史 第11章 核も基地もない沖縄をめざして<作業中>
『沖縄人民党の歴史 付=党史年表 1947~1973』(沖縄人民党史編集刊行委員会、19851115)所収
目次
| 節 | 見出し |
| 1 | 日米交渉の進展と内外情勢 |
| 1 二つの道をめぐる七一年闘争 | |
| 2 政府の秘密外交 | |
| 3 ニクソンのラオス侵攻と党の抗議闘争 | |
| 4 日米共同声明の条約化の動き | |
| 2 | 全面返還を要求する統一闘争の高まり |
| 1 七四年四・二八と五・一九統一行動 | |
| 2 沖縄協定締結と怒りの抗議行動 | |
| 3 「核マル」一派との謀略的攻撃 | |
| 4 参議院選挙のたたかい | |
| 5 「久保・カーチス協定」と自衛隊に反対する闘争 | |
| 3 | 「沖縄国会」へ向けたたたかい |
| 1 党創立二十四周年と県内情勢 | |
| 2 六中総―たたかいの方針 | |
| 3 ”ドル・ショック”の襲来 | |
| 4 「沖縄国会」を前に | |
| 5 ”瀬長島を返せ” | |
| 4 | 国会を包む壮大な統一行動の展開 |
| 1 11・10統一行動 | |
| 2 強硬「採決」への怒り | |
| 3 議場を圧した瀬長質問 | |
| 4 党勢拡大をめざして | |
| 5 | 「施政権」返還と沖縄県の復活 |
| 1 ″復帰不安″の深まりのなかで | |
| 2 パリ世界集会に「沖縄の声」 | |
| 3 全面占領下さいごの 四・二八 | |
| 4 五・一五「施政権」返還 | |
| 6 | 県知事・県議選挙の勝利 |
| 1 沖縄の進路をかけた政治戦 | |
| 2 五大基本政策をかかげて | |
| 3 党の躍進と革新県政の誕生 | |
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沖縄人民党の歴史 第10章 日米共同声明路線反対闘争の発展と国政参加選挙の勝利<作業中>
『沖縄人民党の歴史 付=党史年表 1947~1973』(沖縄人民党史編集刊行委員会、19851115)所収
目次
| 節 | 見出し |
| 1 | B52撤去、原潜「寄港」阻止闘争の発展 |
| 1 B52の墜落と生命を守る県民共闘の結成 | |
| 2 二・四ゼネストの提起とたたかいの急速な発展 | |
| 3 ゼネスト圧殺の策謀と二・四大統一行動 | |
| 2 | 第七回海上大会と一九六九年四・二八諸行動 |
| 1 「左」右の攻撃から統一を守って | |
| 2 行政主席も県民大会に | |
| 3 | 佐藤訪米反対の一九六九年十一月闘争と日米共同声明の発表 |
| 1 日米交渉の進展と党の闘争方針 | |
| 2 全軍労の二十四時間スト―銃剣と対峙して | |
| 3 毒ガス撤去せよ、の声全県下に | |
| 4 前進する具志川市昆布の土地闘争 | |
| 5 佐藤訪米抗議の大デモ―11月闘争 | |
| 6 日米共同声明の発表と党の抗議 | |
| 7 革新県政の正しい発展のための党の闘争 | |
| 8 那覇市議選挙での党の前進 | |
| 9 瀬長委員長、ジョリオ・キュリー賞を受賞 | |
| 10 第32回総選挙と共産党の躍進 | |
| 4 | 第十六回党大会と新しい綱領の決定 |
| 1 新綱領をきめた歴史的な大会 | |
| 2 新しい綱領の内容とその歴史的意義 | |
| 3 初の共産党代表を迎えて―一九七〇年四・二八闘争 | |
| 5 | 日米安保条約の固定期限終了と安保廃棄、基地撤去闘争の高まり |
| 1 安保条約廃棄をかかげて | |
| 2 日本共産党第十一回大会への人民党代表の出席 | |
| 6 | 国政参加選挙の勝利 |
| 1 国政参加ついに実現 | |
| 2 選挙の勝利をめざして | |
| 3 いっせい市町村選挙の結果 | |
| 4 日本共産党の支援を受けて | |
| 5 高まった瀬長支持 | |
| 6 歴史的な勝利、瀬長二位当選 | |
| 7 豊見城村長選挙の勝利 | |
| 7 | コザ事件―「鉄をもとかす怒り」の爆発 |
| 1 二十五年の怒り燃えあがる | |
| 2 演習やめよ、山を守れ | |
止