広島市原爆被害者の会「第8回先人を語る会(慰霊と講話~河本一郎を語る~)」。会場:広島原爆資料館。20191019
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
止
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。
広島市原爆被害者の会「第8回先人を語る会(慰霊と講話~河本一郎を語る~)」。会場:広島原爆資料館。20191019
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
止
先人を語る会(広島市原爆被害者の会主催)
| 回 | 年月日 | 備考(敬称略) |
| 1 | ||
| 2 | 20131116 | 広島市原爆被害者の会「第2回先人を語る会―藤居平一さんを語る」。冒頭、20分ほど話す。夜、A(広島ジャーナリスト)へメールで原稿を送付。 |
| 3 | ||
| 4 | 20160416 | 広島市原爆被害者の会「第4回先人を語る会=伊藤サカエ」。大手町平和ビル5階会議室。不参加。 |
| 5 | ||
| 6 | 20171021 | 広島市原爆被害者の会「第6回先人を語る会(慰霊と講演) 被爆者運動の創始者 川手健さんを語る」。司会:田中聡司。発言者:神崎昭男、池田精子(ビデオメッセージ)、中前妙子、中谷悦子、岡本智恵子(証言者の紹介:多賀)、宇吹。 |
| 6 | 「第6回先人を語る会 川手健さんを語る」。宇吹=1985年の語る会に藤居平一から代理で出席するよう要請。今回も藤居の代理のつもり。川手と同時代を過ごしたら、私には非常に嫌な人物だっただろう。川手は宇吹が藤居にしつこく質問しても語ることを避けた人物の一人。しかし、藤居は、彼の「被害者精神」は生かしてやろうと努力した、と語っている。 | |
| 6 | 「第6回先人を語る会 川手健さんを語る」。舟橋、中川幹夫(彼から中島の証言集を購入1500円)。中座時、中谷と道面雅量(中国新聞文化部)と立ち話。 | |
| 7 | ||
| 8 | 20191019 | 広島市原爆被害者の会「第8回先人を語る会(慰霊と講話~河本一郎を語る~)」。原爆資料館。 |
止
年表:灯ろう流し
| 年 月日 | ||
| 1947 | ||
| 0714 | 広島市内の日蓮門下寺院8ケ寺の僧侶13人と広島立正婦人協会員1、000人が中 島本町慈仙寺鼻の供養塔で臨川大施我鬼法要を執行。供養塔での読経終了後、3隻 の発動機船に分乗し、本川の三篠橋から播磨橋の間を往復、原爆犠牲者の戒名・ 俗名などをしたためた経木を川に流して、水供養をおこなう。48年7月31日、51年 7月11日にも執行。 | |
| 47年8月5日、広島県宗教連盟が、慈仙寺鼻河畔から慰霊船を元安川に出して、川供養。 | ||
| 1948 | ||
| 0806 | 広島市的場大通商店街が的場町太陽館前広場に「法界万霊戦死者供養塔」を 建て、法要を執行、午後7時から猿こう川で川施我鬼を催し、とうろう流し。 | |
| 1950 | ||
| 0806 | 中国商店街連合会、とうろう流し。以後毎年実施(「中国新聞」56年8月5日) | |
| 1952 | ひろしま川祭委員会 | |
| 広島市・市教委・市観光協会・広島商工会議所・FK・国際文化協会・中国新聞社が、「原爆犠牲者の霊を慰めるとともに大衆への慰安をも併せ行い、春の広島まつりとともに広島の二大年中行事」にしようと結成(「中国新聞」1952年7月23日) | ||
| 第1回52年8月9-10日。 9日、供養塔前と本川橋側水上で花火大会 相生橋河畔で9日夜の満潮時に2、000燈のとうろう流し 10日、原爆ドーム前元安川で水上音楽会 |
||
| 0806 | 午後9時から、本川青年団が今年も相生橋下でとうろう400個を流す。 | |
| 1953 | ひろしま川祭委員会 | |
| 第2回53年8月8日。 6-8日夜の満潮時に元安川と本川で2、000燈のとうろう流し 8日、水上音楽会と花火 |
||
| 1954 | ひろしま川祭委員会 | |
| 第3回54年8月7-8日。7つの川で午後7時半からとうろう流し。2万個。 中部地区=6-8日、大仏殿前元安川河畔、2、000灯 横川地区=7-8日、横川橋下、700灯 己斐地区=6-7日、己斐橋、1、000灯 十日市地区=6日、本川小学校横河畔、300灯 鷹野橋地区=6日、明治橋下、700灯 駅前地区=6-7日、駅前橋下北側、800灯 段原地区=7日、大正橋下、300灯 6日、5、000個のとうろう 8日、平和記念公園で慰霊花火大会 |
||
| 0806 | 午後8時から、世界平和広島仏舎利塔建設会・広島大仏奉賛会が元安川原爆ドー ム前で5000個のとうろう流し。 | |
| 0806 | 本願寺広島別院、水上法要と流灯会を行う。56年も。 | |
| 1955 | ひろしま川祭委員会 | |
| 第4回55年8月6-7日。7つの川で午後8時からとうろう流し。1万個。 6日、8、000個のとうろう 7日、平和記念公園で慰霊花火大会 |
||
| 1956 | ひろしま川祭委員会 | |
| 第5回56年8月6-7日。7つの川(10か所)で午後8時からとうろう流し。1万2,000個。 6日、10、000個のとうろう 7日、平和記念公園で慰霊花火大会 |
||
| 1957 | ひろしま川祭委員会 | |
| 第6回57年8月6-7日。7つの川で午後8時からとうろう流し。 6日、15、000個のとうろう 相生橋・広島駅前橋・荒神橋・稲荷橋・大正橋西詰・京橋・明治橋・横川橋・己 斐橋・本川小学校裏 7日、平和記念公園で慰霊花火大会 |
||
| 1959 | ひろしま川祭委員会 | |
| 第9回60年8月6-7日。7つの川(11か所)で午後9時40分満潮時からとうろう流し。 6日、1万個のとうろう 広島駅前橋・稲荷橋・大正橋・京橋・元安橋・本川小学校・横川橋・観音橋・明 治橋・己斐橋・県貯木場(吉島) 7日、平和記念公園・市公会堂南側で慰霊花火大会 |
||
| 1960 | ひろしま川祭委員会 | |
| 第10回61年8月6-7日。 6日、6つの川でとうろう流し。 |
||
| 0806 | 広島県宗教連盟が、初めて本川で2、000個のとうろう流し | |
| 1962 | ひろしま川祭委員会 | |
| 第11回62年8月6-7日。 6日、6つの川(11か所)で1万個のとうろう流し。 7日、平和記念公園・市公会堂南側で原爆死没者慰霊花火大会 11-12日、市民球場で盆おどり大会 |
||
| 1963 | ひろしま川祭委員会 | |
| 第12回63年8月6-7日。 6日、6つの川(11か所)で1万2、000個のとうろう流し。 7日、平和記念公園・市公会堂南側で原爆死没者慰霊花火大会 |
||
| 1964 | ひろしま川祭委員会 | |
| 第13回64年8月6日。 6日、川(10か所)で1万1、000個のとうろう流し。 |
||
| 1965 | ||
| 0807 | 広島市・中国新聞社など共催とうろう流し (雨のため6日の予定を延期)市内10か所。約1万1、000個 |
|
| 0814 | 広島広島悲願の会とうろう流し (雨のため6日の予定を延期)元安川と本川。約1万個 太田川夏祭=盆踊大会と花火大会 |
|
| 1973 | ||
| 0806 | 5か所、広島祭委員会は12,000個を用意。後始末が大変なため、この年は本川など3 つの川で姿を消す。 | |
| 1976 | ||
| 0806 | とうろう流し。花火大会。市政と市民では初紹介。 | |
| 環境問題で流す数を制限され、昨年より5,000個少ない1万個を用意 | ||
止
とうろう流し(8月6日、とうろう流し実行委員会主催)
実施状況 場所:原爆ドーム対岸 元安川浸水テラス
| 年 | ||
| 1973 | とうろう流し。約1万2000個。 | |
| 2005 | とうろう流し。 | |
| 2009 | とうろう流し。約9000個。 | |
| 2010 | とうろう流し。約1万個。 | |
| 2012 | とうろう流し。約1万個。 | |
| 2013 | とうろう流し。約1万個。 | |
| 2014 | とうろう流し。約9000個。 | |
| 2015 | ||
| 市民約70人、「広島 愛の川」合唱(初回) | ||
| 2016 | ピースメッセージとうろう流し | |
| 2017 | とうろう流し。約1万個。 | |
| 2018 | ピースメッセージとうろう流し | |
| 2019 | 原爆ドーム前の元安川などで「とうろう流し」。約7000個の灯籠。 | |
| 2020 | 新型コロナウイルス感染拡大のため「とうろう流し」中止。。「流灯式」=実行委員会メンバ―灯籠17個を川に浮かべる。 | |
| 2021 | 新型コロナウイルス感染拡大のため「とうろう流し」中止。「流灯式」=実行委員会メンバ―灯籠12個を川に浮かべる。 | |
止
平和記念式典総括表(1947年~2013年)
| 年 | 広島市長 | 長崎市長 | 総理大臣(代理) | 備考 | 広島市議会議長 | 広島県知事 | 衆議院議長 | 参議院議長 |
| 1947(昭和22) | 浜井信三 | [片山哲](森戸文部大臣) | マッカーサーのメッセージ | 楠瀬常猪 | ||||
| 1948(昭和23) | 浜井信三 | [市 民 代 表] | [芦田均] | ロバートソンのメッセージ | 楠瀬常猪 | |||
| 1949(昭和24) | 浜井信三 | 大 橋 博 | [吉田茂] | 楠瀬常猪 | ||||
| 1950(昭和25) | [中止] | [中止] | [中止] | [中止] | 楠瀬常猪 | [中止] | [中止] | |
| 1951(昭和26) | 浜井信三 | [平和推進市民大会] | [吉田茂] | 大原博夫 | ||||
| 1952(昭和27) | 浜井信三 | 田 川 務 | [吉田茂] | 広島県知事、県・市議会議長の式辞。広島平和都市記念碑除幕 | 大原博夫 | [岩本信行(副議長)] | [佐藤尚武] | |
| 1953(昭和28) | 浜井信三 | 田 川 務 | [吉田茂] | 広島県知事、県・市議会議長の式辞 | 大原博夫 | [堤康次郎] | [河井弥八] | |
| 1954(昭和29) | 浜井信三 | 田 川 務 | [吉田茂] | 高松宮夫妻 | 大原博夫 | |||
| 1955(昭和30) | 渡辺忠雄 | 田 川 務 | [鳩山一郎] | 大原博夫 | ||||
| 1956(昭和31) | 渡辺忠雄 | 田 川 務 | [鳩山一郎] | 大原博夫 | ||||
| 1957(昭和32) | 渡辺忠雄 | 田 川 務 | [岸信介] | 三笠宮夫妻 | 大原博夫 | |||
| 1958(昭和33) | 渡辺忠雄 | 田 川 務 | [岸信介] | 高松宮夫妻、灘尾文部大臣 | 大原博夫 | |||
| 1959(昭和34) | 浜井信三 | 田 川 務 | [岸信介]内閣総理大臣臨時代理<挨拶原文>。 | 広島県議会議長平塩五男<挨拶原文> | 木野藤雄<挨拶原文> | 大原博夫<挨拶原文> | 松野鶴平<挨拶原文> | |
| 1960(昭和35) | 浜井信三 | 田 川 務 | 池田勇人(中山マサ厚生大臣) | 名簿奉納(広島県知事・市長)、あいさつ:内閣総理大臣、衆議院議長、参議院議長、広島県議会議長(平塩五男)、広島市議会議長(宮本正夫) | 宮本正夫<挨拶原文> | 大原博夫 | 清瀬一郎(議長)<挨拶原文> | 松野鶴平参議院議長(代理:平井副議長)<挨拶原文> |
| 1960(昭和35) | 皇太子参列「お言葉」 | |||||||
| 1961(昭和36) | 浜井信三 | 田 川 務 | [池田勇人] | 大原博夫 | 清瀬一郎(代理) | 松野議長(代理) | ||
| 1962(昭和37) | 浜井信三 | 田 川 務 | [池田勇人] | あいさつ真田県議会議長 | 永野嚴雄 | 清瀬一郎(代理) | 議長(代理) | |
| 1963(昭和38) | 浜井信三 | 田 川 務 | [池田勇人]<挨拶原文> | 灘尾文部大臣**全国戦没者追悼式(第1回) | 永野嚴雄 | |||
| 1964(昭和39) | 浜井信三 | 田 川 務 | [池田勇人]<中国新聞は掲載せず> | 永野県知事 | 永野嚴雄 | 船田中(議長) | 重宗 | |
| 1965(昭和40) | 浜井信三 | 田 川 務 | [佐藤栄作](橋本登美三郎内閣官房長官)<挨拶原文> | 永野嚴雄 | 船田 | 重宗 | ||
| 1966(昭和41) | 浜井信三 | 田 川 務 | [佐藤栄作]古屋亨(総理府総務副長官)<挨拶原文> | 長崎式典:代読 | 永野嚴雄 | 灘尾幸吉(代理) | 藤田進(代理) | |
| 1967(昭和42) | 山田節男 | 諸谷義武 | [佐藤栄作]堀総務長官?<挨拶原文> | 永野嚴雄 | ||||
| 1968(昭和43) | 山田節男 | 諸谷義武 | [佐藤栄作]亀岡官房副長官 | 1968.6.24山田市長、記者会見=原水禁3団体と平和アピール7人委員会、世界連邦圏背宇同盟などに招待状を出す方針を明らかにする。(6.25『中国新聞』)。ローマ法王メッセージ。長崎式典:原爆被爆者対策課の主管となる。. | 永野嚴雄 | |||
| 1969(昭和44) | 山田節男 | 諸谷義武 | [佐藤栄作]床次総務長官<挨拶原文> | 永野嚴雄 | ||||
| 1970(昭和45) | 山田節男 | 諸谷義武 | [佐藤栄作]内田厚生大臣<挨拶原文> | 永野嚴雄 | 荒船清十郎(副議長) | 安井謙(副議長) | ||
| 1971(昭和46) | 山田節男 | 諸谷義武 | 佐藤栄作(総理大臣)<挨拶原文> | 長崎式典: | 永野嚴雄 | 船田中(議長) | 森八三一(副議長) | |
| 1972(昭和47) | 山田節男 | 諸谷義武 | [田中角栄]二階堂進(内閣官房長官)<挨拶原文> | 長崎式典: | 永野嚴雄 | (メッセージのみ) | (メッセージのみ) | |
| 1973(昭和48) | 山田節男 | 諸谷義武 | [田中角栄]二階堂進(内閣官房長官)<挨拶原文> | 広島・長崎の式典相互参列(初)。長崎式典:二階堂進 | 永野嚴雄 | (メッセージのみ) | (メッセージのみ) | |
| 1974(昭和49) | 山田節男 | 諸谷義武 | 斉藤邦吉(厚生大臣) | 厚相の代理は初。長崎式典:二階堂進? | 宮澤弘 | (メッセージのみ) | (メッセージのみ) | |
| 1975(昭和50) | 荒木 武 | 諸谷義武 | [三木武夫<訪米中>]田中正己(厚生大臣)<挨拶原文> | 長崎式典:植木総務長官 | 宮澤弘 | 秋田大助(副議長) | (メッセージのみ) | |
| 1976(昭和51) | 荒木 武 | 諸谷義武 | 三木武夫(総理大臣)<挨拶原文> | 田中厚相。被爆者団体代表との会見。長崎式典:三木武夫 | 宮澤弘 | (メッセージのみ) | (メッセージのみ) | |
| 1977(昭和52) | 荒木 武 | 諸谷義武 | [福田赳夫]藤田正明(総務長官)<挨拶原文> | アメラシンゲ国連総会議長参列。長崎式典:渡辺厚相。アメラシンゲ国連総会議長参列 | 宮澤弘 | (メッセージのみ) | 加瀬完(副議長) | |
| 1978(昭和53) | 荒木 武 | 諸谷義武 | [福田赳夫]安倍晋太郎(官房長官)<挨拶原文> | 長崎式典:小沢厚相 | 宮澤弘 | (メッセージのみ) | (メッセージのみ) | |
| 1979(昭和54) | 荒木 武 | 本 島 等 | [大平正芳]橋本龍太郎(厚生大臣)<挨拶原文> | 長崎式典: | 宮澤弘 | 灘尾弘吉(議長) | (メッセージのみ) | |
| 1980(昭和55) | 荒木 武 | 本 島 等 | [鈴木善幸]宮沢喜一(官房長官)<挨拶原文> | 長崎式典:斎藤厚相。徳永正利 | 宮澤弘 | (メッセージのみ) | 徳永正利(議長) | |
| 1981(昭和56) | 荒木 武 | 本 島 等 | 鈴木善幸(総理大臣)<挨拶原文> | 原爆死没者。全国都道府県遺族代表(初)。国際軍縮促進議員連盟代表。長崎式典:村山厚相。徳永参院議長。原爆死没者全国都道府県遺族代表(初)。国際軍縮促進議員連盟 | 宮澤弘 | (メッセージのみ) | 秋山長造(副議長) | |
| 1982(昭和57) | 荒木 武 | 本 島 等 | [鈴木善幸]森下元晴(厚生大臣)<挨拶原文> | 長崎式典:鈴木善幸総理大臣。初村滝一郎労相。7月23日、長崎大水害死没者。(71名)の名簿も奉安。 | 竹下虎之助 | (メッセージのみ) | 徳永正利(議長) | |
| 1983(昭和58) | 荒木 武 | 本 島 等 | 中曽根康弘(総理大臣)<挨拶原文> | 谷川防衛庁長官。長崎式典:林厚相 | 竹下虎之助 | (メッセージのみ) | 木村睦男(議長) | |
| 1984(昭和59) | 荒木 武 | 本 島 等 | [中曽根康弘]渡部恒三(厚生大臣)<挨拶原文> | 長崎式典:中曽根康弘総理大臣 | 竹下虎之助 | (メッセージのみ) | (メッセージのみ) | |
| 1985(昭和60) | 荒木 武 | 本 島 等 | 中曽根康弘(総理大臣) | 増岡厚相。被爆者援護功労者厚生大臣表彰。被表彰者。第1回世界平和連帯都市市長会議。長崎式典:増岡厚相 | 竹下虎之助 | 坂田道太(議長) | 木村睦男(議長) | |
| 1986(昭和61) | 荒木 武 | 本 島 等 | [中曽根康弘]斉藤十朗(厚生大臣)<挨拶原文> | デクエヤル国連事務総長(メッセージ)。長崎式典:中曽根康弘総理大臣。**全国戦没者追悼式に原爆死没者遺族を国費で公式招待(初)。 | 竹下虎之助 | 原健三郎(議長) | 藤田正明(議長) | |
| 1987(昭和62) | 荒木 武 | 本 島 等 | 中曽根康弘(総理大臣)<挨拶原文> | 長崎式典:斎藤厚相 | 竹下虎之助 | 多賀谷真稔(副議長) | 藤田正明(議長) | |
| 1988(昭和63) | 荒木 武 | 本 島 等 | [竹下登]藤本孝雄(厚生大臣)<挨拶原文> | 三木武夫国際軍縮促進議員連盟会長。長崎式典:小渕恵三官房長官。藤本孝雄厚相。原健三郎(衆院議長)?田村? | 竹下虎之助 | 多賀谷真稔(副議長) | 藤田正明(議長) | |
| 1989(平成元) | 荒木 武 | 本 島 等 | 宇野宗佑(総理大臣)<挨拶原文> | 長崎式典:デクエヤル国連事務総長。メッセージ(明石事務次長代読) | 竹下虎之助 | 安井吉典(副議長) | 瀬谷英行(副議長) | |
| 1990(平成2) | 荒木 武 | 本 島 等 | 海部俊樹(総理大臣)<挨拶原文> | 津島厚相 | 竹下虎之助 | 桜内義雄(議長) | 小山一平(副議長) | |
| 長崎式典:海部俊樹(両式典への参列は1976年以来2人目) | 竹下虎之助 | |||||||
| 沖縄全戦没者追悼式に初参列?? | 竹下虎之助 | |||||||
| 1991(平成3) | 平岡 敬 | 本 島 等 | 海部俊樹(総理大臣)<挨拶原文> | 挨拶:衆議院議長、参議院議長、広島県知事、広島県議会議長。長崎式典:下条厚相 | 竹下虎之助 | 桜内義雄(議長) | 土屋義彦(議長) | |
| 1992(平成4) | 平岡 敬 | 本 島 等 | 山下徳夫(厚生大臣)<挨拶原文> | 挨拶:衆議院議長、広島県知事、広島県議会議長。長崎式典:宮沢喜一総理大臣 | 竹下虎之助 | 桜内義雄(議長) | ||
| 1993(平成5) | 平岡 敬 | 本 島 等 | <挨拶原文>[閣僚の出席なし]文田久雄総理府次長 | ストヤン・ガーネフ国連総会議長。長崎式典:古川貞二郎厚生省事務次官。**8月9日細川内閣発足。 | 竹下虎之助 | |||
| 1994(平成6) | 平岡 敬 | 本 島 等 | <挨拶原文>村山富市(総理大臣) | 井出厚相。長崎式典:村山富市 | 藤田雄山 | 土井たか子(議長) | 原文兵衛(議長) | |
| 1995(平成7) | 平岡 敬 | 伊藤一長 | <挨拶原文>村山富市(総理大臣) | 井出厚相。長崎式典:村山富市。草場良八最高裁判所長官。三権の長全員が参列(初)。長崎式典:村山富市。三権の長全員が参列(初) | 藤田雄山 | 土井たか子(議長) | 斉藤十朗(議長) | |
| 1996(平成8) | 平岡 敬 | 伊藤一長 | 橋本龍太郎(総理大臣) | 菅直人厚相。長崎式典:橋本龍太郎。土井たか子(議長) | 藤田雄山 | 鯨岡(副議長) | 斉藤十朗(議長) | |
| 1997(平成9) | 平岡 敬 | 伊藤一長 | 橋本龍太郎(総理大臣) | 第4回世界平和連帯都市市長会議。長崎式典:小泉純一郎厚相 | 藤田雄山 | 伊藤(議長) | 松尾(副議長) | |
| 1998(平成10) | 平岡 敬 | 伊藤一長 | 小渕恵三(総理大臣) | 宮下創平厚相。あいさつ:衆議院副議長、参議院議長、広島県知事、広島県議会議長。長崎式典:小渕恵三。宮下創平厚相 | 藤田雄山 | 渡部恒三(副議長) | 菅野(副議長) | |
| 1999(平成11) | 秋葉忠利 | 伊藤一長 | 小渕恵三(総理大臣) | 宮下創平厚相。長崎式典:宮下創平厚相。伊藤宗一郎(衆議院議長) | 藤田雄山 | 渡部恒三(副議長) | ||
| 2000(平成12) | 秋葉忠利 | 伊藤一長 | 森喜朗(総理大臣) | あいさつ:衆議院議長、参議院議長、広島県知事、広島県議会議長。長崎式典:森喜朗。渡部恒三衆議院副議長、菅野久光参院副議長。 | 藤田雄山 | |||
| 2001(平成13) | 秋葉忠利 | 伊藤一長 | 小泉純一郎(総理大臣) | 第5回世界平和連帯都市市長会議。あいさつ:広島県知事、アナン国連事務総長メッセージ。長崎式典:小泉純一郎。坂口力厚労相。衆参両院議長が代理も含め欠席するのは1989年以来。今年から両議長の来賓あいさつを取りやめ、献花だけをしてもらうことに決めていた。 | 藤田雄山 | |||
| 2002(平成14) | 秋葉忠利 | 伊藤一長 | 小泉純一郎(総理大臣) | あいさつ:広島県知事、国連事務総長。長崎式典:小泉純一郎(今年は被爆者団体からの要望聴取や慰問はせず、帰京)、坂口厚生労働大臣。倉田寛之参院議長、約五千五百人。 | 藤田雄山 | |||
| 2003(平成15) | 秋葉忠利 | 伊藤一長 | 小泉純一郎(総理大臣) | 長崎式典:小泉純一郎、(被爆者団体からの要望聴取や慰問はせず)。倉田寛之参院議長、坂口力厚労相 | 藤田雄山 | |||
| 2004(平成16) | 秋葉忠利 | 伊藤一長 | 小泉純一郎(総理大臣) | あいさつ:広島県知事、国連事務総長。長崎式典:小泉純一郎、扇千景参院議長、坂口力厚労相。約五千四百人。 | 藤田雄山 | |||
| 2005(平成17) | 秋葉忠利 | 伊藤一長 | 小泉純一郎(総理大臣) | あいさつ:衆議院議長、参議院議長、最高裁判所長官、国連事務総長、広島県知事、広島県議会議長。長崎式典:小泉純一郎、尾辻厚労相。町田顕最高裁判所長官。長崎市は今年、核保有五カ国を含む計十一カ国に参列を求める招請状を送付。ガルージン代理大使とウクライナのユーリー・コステンコ駐日特命全権大使だけが参列 | 藤田雄山 | |||
| 2006(平成18) | 秋葉忠利 | 伊藤一長 | 小泉純一郎(総理大臣) | あいさつ:広島県知事、国連事務総長。長崎式典:小泉純一郎、川崎二郎厚生労働大臣。河野洋平(議長)、角田(副議長)。核保有国のロシアを含む七カ国の駐日大使ら約四千八百人が参列。 | 藤田雄山 | 横路(副議長) | 扇千景(議長) | |
| 2007(平成19) | 秋葉忠利 | 田上富久 | 安倍晋三(総理大臣) | あいさつ:広島県知事、潘基文国連事務総長(代読)。長崎式典:安倍晋三、柳沢伯夫厚生労働大臣。横路(副議長)、江田五月(議長)。核保有国ロシアを含む十五カ国の政府代表らが参列。 | 藤田雄山 | |||
| 2008(平成20) | 秋葉忠利 | 田上富久 | 福田康夫(総理大臣) | あいさつ:広島県知事、国連事務総長(代読)。舛添要一厚労相。55カ国の大使や参事官。長崎式典:福田康夫、舛添要一厚労相。河野洋平(議長)、山東(副議長)。核保有国のロシア、今回が初めてのスペインなど八カ国の駐日大使ら・ | 藤田博之 | 藤田雄山 | 河野洋平(議長) | 江田五月(議長) |
| 2009(平成21) | 秋葉忠利 | 田上富久 | 麻生太郎(総理大臣) | あいさつ:広島県知事、国連総会議長。国連事務総長。舛添要一厚労相。59カ国の代表。長崎式典:麻生太郎。舛添要一厚労相。江田五月(議長)。保有国のロシアを含め過去最多となる海外29カ国の代表。約5800人(市発表)。ミゲル・デスコト・ブロックマン国連議長。国際連合総会議長潘基文(バンキムン)国連事務総長(代読)、 | 藤田博之 | 藤田雄山 | 江田五月(議長) | |
| 2010(平成22) | 秋葉忠利 | 田上富久 | 菅直人(総理大臣) | あいさつ:広島県知事、国連事務総長。長妻厚生労働大臣。潘基文(バンキムン)国連事務総長、米・英・仏(初)など74カ国の代表。長崎式典:菅直人、外務大臣。厚生労働大臣。デスコト国連議長。西岡(議長)江田五月(議長) 。核保有国の英、仏、ロシア、パキスタン、実質的核保有国のイスラエルなど32カ国。約5600人。 | 藤田博之 | 湯崎英彦 | 横路孝弘(議長)? | 江田五月(議長) |
| 2011(平成23) | 松井一實 | 田上富久 | 菅直人(総理大臣) | あいさつ:広島県知事、国連事務総長。細川律夫厚生労働大臣。長崎式典: 菅直人、外務大臣。厚生労働大臣。44カ国の政府代表 | 木島 丘 | 湯崎英彦 | 西岡(議長) | |
| 2012(平成24) | 松井一實 | 田上富久 | 野田佳彦(総理大臣) | あいさつ:広島県知事、国連事務総長。中野外務大臣政務官。小宮山厚生労働大臣。国連事務総長代理;アンゲラ・ケイン国連軍縮担当上級代表。米・英・仏(初)など71カ国の代表。長崎式典:野田佳彦。外務大臣政務官。厚生労働大臣。42カ国の代表。 | 種清和夫 | 湯崎英彦 | 平田 健二(議長) | |
| 2013(平成25) | 松井一實 | 田上富久 | 安倍晋三(総理大臣) | あいさつ:広島県知事、国連総会議長。国連事務総長。外務大臣 厚生労働大臣。ブーク・イェレミッチ国際連合総会議長。潘基文国際連合事務総長(代読)、 | 碓井法明 | 湯崎英彦 | 衆議院副議長 | 参議院議長 |
止
広島平和公園
| 広島戦災供養会 |
![]() |
| 広島県宗教連盟 |
![]() |
![]() |
![]() |
止
2022年7月(日録)
止
2005日本のうたごえ祭典INひろしま(ビラ)
![]() |
![]() |
![]() |
止
2005日本のうたごえ祭典inひろしま 2005年1月~
資料<作業中>
| 月日 | 資料名 | 備考 |
| 0108 | 2005日本のうたごえ祭典inひろしま 開催にあたって「呼びかけ人」のお願い | |
| 熊谷勇二(実行委員会準備会代表)⇒宇吹 | ||
| 03 | 「呼びかけ人」のお引き受けへの礼 | |
| 06 | ||
| 0622 | 発送案内 | |
| 1. 2005日本のうたごえ祭典inひろしま第2回実行委員会報告 | ||
| 2. 全国企画ニュース「ねがい」No.2①/ヒューマン・フェスタ第3報 | ||
| 3. 全国企画ニュース「ねがい」No.2②/広島の夏・うたごえピースアクション | ||
| 4. ヒューマンボイス・プロジェクト | ||
| 5. ひろしま祭典実行委員会ニュース「相生橋」No.4.5.6 | ||
| 6. 賛同募金のお願い(再) | ||
| 7. ひろしま祭典第2次チラシ | ||
| 0321 | 週刊うたごえ新聞No.1969 2005/3/21 | |
止
地域に学ぶ集い(歴史教育者協議会第57回全国大会)2005年7月30日、会場:アステールプラザ<作業中>
| 1 | 高校生と平和の文化・交流 | 澤野重男(安田女子高等学校教諭)・広島高校生平和ゼミナール |
| 2 | 語り部 学徒動員と被爆体験 | 江種祐司(元中学校教諭) |
| 矢野美耶古(広鳥県被団協) | ||
| 3 | 語り部 爆心地から1.5㎞ | 嘉屋重順子(元中学校教諭) |
| 末宗明登(広島県被団協事務局長) | ||
| 4 | 海峡を越えて―韓国人被爆者元徴用工― | 夏原信幸(広島市立五日市観音中学校) |
| 5 | ヒロシマの戦後史 | 宇吹暁(広島女学院大学教授) |
| 6 | ヒロシマの文化 | イングリングまゆみ(NPO法人千羽鶴未来プロジェクト) |
| 7 | 映画「核兵器のない21世紀」 | 牛尾英隆(広島映画センター) |
| 8 | 地域に根ざした社会科教師の実践 | 藤村耕市(元県立三次高校) |
| 9 | 広島の教育は今 | 松井久治(広鳥市立宇品中学校教諭) |
| 高橋信雄(広鳥教育研究所) | ||
| 10 | 教科書問題 | 歴教協常任委員会 |
| 11 | 日韓歴史教育者交流 | 歴教協常任委員会 |
| 出典:「歴史教育者協議会第57回全国大会(広島)参加申込書」 | ||
![]() |
||
止
歴史教育者協議会のあゆみ(抄)https://www.rekkyo.org/history
| 大会(回) | 年月 | 開催地 | メモ |
| 01 | 194907 | 東京 | 創立大会 |
| 24 | 197208 | 沖縄 | 「民族の課題」 |
| 36 | 198408 | 埼玉 | 「地域に根ざし、いのちを尊び、平和をつくる歴史教育」 |
| 37 | 198508 | 和歌山 | 「地域に根ざし、いのちを尊び、平和をつくる歴史教育」 |
| 38 | 198608 | 岩手 | 「地域に根ざし、世界の平和をきずく、歴史意識の形成」 |
| 47 | 199508 | 沖縄 | 「戦後50年、沖縄で考える平和と民主主義」 |
| 52 | 200008 | 長崎 | 「地域に根ざし、21世紀を展望する歴史教育・社会科教育」 |
| 57 | 200507~08 | 広島 | 「地域に根ざし、核兵器も戦争もない世界をきずく教育」 |
| 68 | 201608 | 沖縄 | 「沖縄から安保と民主主義を問う」 |
| 70 | 201808 | 京都 | 「現代と〝明治150年〟ーけんぽう・ちいき・みらいー」 |
| 71 | 201908 | 埼玉 | 埼玉県「ともに生きる、ともに歩む」ー対話からひらく未来」 |
| 72 | 2020 | (新型コロナウイルス禍により)中止 | |
| 72 | 202107~08 | オンライン大会「『コロナ社会』から希望を紡ぐ社会科教育」 | |
止
歴史教育者協議会第57回全国大会 2005年7月29日~8月2日<作業中>
| テーマ:地域に根差し、核兵器も戦争もない世界をきずく教育 |
| 7月29日 現地見学プレコース |
![]() |
| 7月30日 全体会 |
![]() |
| 7月30日 地域に学ぶ集い |
![]() |
| 7月31日・8月1日 分科会 |
![]() |
| 8月1日 現地見学コース |
![]() |
| 歴史教育者協議会第57回全国大会(広島)参加申込書 |
![]() |
![]() |
止
被爆60年を迎えて-近況と今後の抱負
宇吹 暁(広島女学院大学)
被爆50周年までの原爆手記の一応の取りまとめを終えたのが1996年末、これを増補したものを1999年に日外アソシエーツから『原爆手記掲載図書・雑誌総目録 1945-1995』(38955編の手記を収録した3677冊を紹介)として出版することができました。この解題の中で、私は、つぎのように述べています。
| 原爆被害は、しばしばアウシュビッツや南京の被害と並んで取り上げられる。しかし、多くの場合、犠牲者の数の比較にとどまり、被害者一人一人の個性において表現されているわけではない。もし、30数万人の被爆者及び数不明の遺族・被爆二世などの原爆被害者が、手記を書く、つまり原爆被害への自らの思いを活字として遺すとすれば、それは貴重な「平和への道標」(1986年発行の豊中市原爆被害者の会の手記集のタイトル)となることであろう。 広島で原爆白書の作製が提案されて、30年が経過した。この間、原爆被害の実態解明の試みがさまざまな形でなされてきた。原爆被災資料広島研究会による原爆被災資料の所在確認作業、広島・長崎両市の原爆資料館をはじめとする公共機関による資料の収集・保存事業、10フィート運動による原爆映画の製作、マスコミ各社の原爆企画報道など、その量は膨大なものである。原爆白書にとって、これらの成果を踏まえることはもちろんであるが、なによりも重要なのは、原爆被爆者の体験を基礎に据えることである。その意味で、原爆手記の分析は、原爆白書の基礎と骨格を構築する作業といえよう。 被爆体験は、原水爆禁止運動・反核運動のエネルギーの源泉であった。また、1980年代からは、被爆体験の証言活動を中心とした被爆者運動は、日本の運動の中心的役割を果たしてきた。日本の運動を振り返り、運動の今後を展望しようとする際、原爆手記の分析は、多くの示唆を与えてくれるであろう。 |
私は、原爆手記分析が、当面の課題と考えていましたが、転職により、しばらく中断をせざるを得なくなりました。早いもので、新しい職場である広島女学院大学で、5回目の8月6日を迎えようとしています。着任当初の予定では、3年間は、新任校での教育と校務に専念し、4年目以降定年まで、原爆被害に関するテーマに取り組むつもりでおりました。この予定は、二つの点から狂ってしまいました。一つは、残念ながら、なかなか以前のようなまとまった時間が取れない日々が続いていることです。もう一つは、初年度から毎年、学生とともにヒロシマについて学び考える機会が予想外の形で起っています。
着任直後の2001年5月24日に、アメリカの提携校ランドルフ・メイコン女子大学との合同セミナーで原爆被害についての講演を行いました。新たな講義の準備に追われる日々を送っていた私にとって、それまでの自分の専門の仕事が認められる可能性を感じることができた貴重な体験でした。これ以後、本学恒例の原爆記念日の平和祈念式、キリスト教主義大学の学生を本学に招いて開いているジョイント8・6平和学習プログラムなど、原爆問題の関わる学内行事には、積極的に参加してきました。
2年目には、朗読劇「夏雲は忘れない」に被爆当時の学院長役で出演しました。この劇は広島女学院の被爆体験記集をもとに構成し、本学の原爆講座(1967年に始まり第36回目)で上演したものです。練習中、自分自身の手記理解の浅さ、追体験することの難しさを痛感し、寝付かれない夜もありました。さらに、本番でも緊張しっぱなしで、観劇した学生の話では、私だけが「ブルブル震えていてカワイカッタ」とのことでしたが、遺族・同窓生の参加も得て大成功でした。
3年目からは、「平和文化」(2003年後期のみ)、「ヒロシマ」(2004年度は夏季集中で関西学院大学との連携講座、2005年度からは前期と夏季集中)を担当しています。講座「ヒロシマ」は、関西学院大学の平和講座設置計画が、同大学の学生による平和公園の「折鶴放火事件」を契機に、女学院大学との連携講座として実現したものです。初年度には30人の学生を迎え、2年目の今年は倍の60人が来学し、8月6日を挟んで、本学の学生とともに学ぶことになっています。
このほか、中国研修(2002年8月、蘆溝橋・中国人民戦争記念館など)、韓国研修(2003年3月、戦争記念館など見学)にも参加することができました。
被爆60周年を前に、マスコミは被爆体験継承の困難さを指摘しています。昨年の8月5日に放映されたNHK「クローズアップ現代」では、関西学院大学での平和講座を聴講する学生の態度(=私語・居眠りなど)をクローズアップしていました。このように、継承の困難さの原因を、学生の側に求める意見もあります。しかし、これらの行事・講義に参加したほとんどの学生は、それぞれ深い感銘を受けています。私は、女学院での体験を通して、継承の可能性への確信を持つことができました。問題なのは、こうした機会が、教育の現場から消えていくことだと思います。
女学院大学赴任以来、原爆手記を系統的に収集し読むという作業はできずにいます。しかし、それでも被爆50年を超えて、400冊を超える手記(集)が発行されていることを確認しました。つい先日も、『爆心地中島-あの日、あのとき-』(元大正屋呉服店を保存する会・原爆遺跡保存運動懇談会編)が出版されました。手記などこれまでの出版物の記述を詳細に検討するとともに、新たに多くの証言を得て、爆心地である中島地域の被爆状況を明らかにしたものです。60年後の現在でも、かなりの証言を得ることが可能であることがわかりました。2004年に出版された中に『「原爆の絵」と出会う』(直野章子著、岩波ブックレット)、『原爆と寺院-ある真宗寺院の社会史』(新田光子著、法蔵館)があります。前著は、被爆の実相の普及に大きな役割を果たしてきた「原爆の絵」の全体像にはじめて向き合った経験の記録です。また、後著は、実家の寺院を中心に、その被爆状況や戦後復興のあゆみを多様な資料で明らかにした学術書です。直接の体験はなくても、被爆体験は新たな担い手により、新たな形で書き継がれています。女学院では、夏に向け同窓会が、新たに体験記集の出版を準備しています。また、女学院創立120周年を来年にひかえ、女学院の平和教育のあゆみをまとめる計画もあります。
今年になって、4半世紀前にまとめられた『広島原爆戦災誌』(全5巻、1971年8月~12月刊行)のテキスト版が広島平和記念資料館のホームページで紹介されていることを知りました。現在でも広島の原爆被害を包括的に取り上げたこの本は、しばしば活用されています。しかし、手記が多数出版されるようになったのは、この出版後のことであり、内容の不十分さが目立ちます。改訂版ないし増補版の作成計画が被爆40周年、50周年にあるかとも期待していましたが、そうした動きは生れませんでした。これまで書き残された体験記を今後生かしてゆく一つの方法として、『広島原爆戦災誌』改定・増補版の作成を提案します。ただし、本を出版することは想定していません。また、広島市にその作業を全面的に期待するものでもありません。具体的作業の一例をあげれば、広島女学院部分の改定・増補を、女学院の関係者がおこない、その成果をインターネット上で紹介することです。『広島原爆戦災誌』に取りあげられている各機関・団体でこの作業が行われたとすれば、広島市が、これらにリンクを張るだけで、とりあえずは改定・増補版が出来上がります。私は、この作業が本学の学生が中心となり、教職員・同窓生を巻き込んで進められることを期待しています。
自己紹介
1970年 広島県史編纂室、1976年 広島大学原爆放射能医学研究所、2001年より広島女学院大学勤務。広島県・広島大学では被爆資料の収集・整理・分析に従事。女学院大学では、生活科学部の芸術文化分野で講義「生活文化史」・「世界遺産」・「ヒロシマ」などを担当。
出典:『自分史つうしn ヒバクシャ』第150号(編集・発行:栗原淑江、20050710)
集中講義「ヒロシマと平和」20210805
関西学院大学の学生とともに集中講義「ヒロシマと平和」を実施しました
コロナ禍のため2年ぶりの開催となった、関西学院大学と本学合同の集中講義「ヒロシマと平和」(関西学院大学での開講名は「平和学特別演習『ヒロシマ』」)が、8月4日~8日までの5日間行われました。
本学の学生12名と関西学院大学の学生19名が参加し、新型コロナウイルス感染症の拡大防止対策をしながらの実施となりましたが、学生たちは常に真剣な表情で耳を傾けていました。
初日は、平和記念公園内の原爆に関する様々な記念碑をめぐり、広島平和記念資料館を見学したのち、ワークショップを行いました。
二日目は、本学の元教授 宇吹暁先生による講義から始まり、本学大学院の卒業生で被爆者の松本滋恵さんによる被爆体験講話、本学の元特任准教授 西河内靖泰先生による講義が行われ、原爆について聴き、学び、追体験する日となりました。
2021年09月02日活動報告
関西学院大学の学生とともに集中講義「ヒロシマと平和」を実施しました|大学からのお知らせ|広島女学院大学 (hju.ac.jp)

三日目にあたる8月6日(広島原爆の日)は、平和記念式典が始まる前の早朝に広島平和都市記念碑の祈りの列に並んだ学生もおり、10時からは広島女学院中学高等学校にて行われた広島女学院平和祈念式に全員が参加しました。
午後から翌日にかけては6つのグループに分かれ、事前にたてた計画に沿ってフィールドワークを開始しました。
最終日は、大学にて学びをまとめ、グループ発表を行いました。
止
原水爆禁止2021年世界大会・広島デー<作業中>
| 出典:『しんぶん赤旗』2021年8月7日一面 |
![]() |
| 発言者 |
| 富田宏治(世界大会起草委員長)<主催者報告> |
| アレクサンダー・クレメント(オーストリア大使) |
| 松井一実(広島市長) |
| 箕牧智之(日本被団協代表理事)<被爆者の訴え> |
| 第1セッション |
| ベアトリス・フィン(ICAN事務局長) |
| カルロス・ウマーニャ(核戦争防止国際医師会議IPPNW副会長) |
| 武本匡弘(環境・気象変動活動家) |
| 目加田説子(地雷廃絶日本キャンペーン共同代表) |
| 第2セッション |
| ロラン・ニベ(フランス平和運動全国書記) |
| バク・ハヨン(韓国SPARK平和と統一を開く人々) |
| 佐久間邦彦(広島県原爆被害者団体協議会理事長) |
| 菅沢三郎(山梨県民の会) |
| 笠井亮(日本共産党衆議院議員) |
| **(新婦人神奈川県本部) |
| 島田千津子(北海道原水協) |
| 伊藤愛(函館原水協) |
| 「 広島からのよびかけ 原水爆禁止2021年世界大会・広島デー」(原水爆禁止世界大会実行委員会) |
| 原水爆禁止2021年世界大会実行委員会・同広島県実行委員会「ヒロシマから世界へ2021年―被爆者との連帯のつどい」 |
| 佐久間邦彦、矢野美耶子・切明千枝子・*土*奈・牧野一見・*野井 |
止
原水爆禁止2020年世界大会・広島デー<作業中>
| 出典:『しんぶん赤旗』2020年8月7日一面 |
![]() |
| 発言者 |
| 富田宏治(世界大会起草委員長)<主催者報告> |
| 中満泉(国連事務次長・軍縮担当上級代表) |
| トーマス・ハイノッチ(欧州統合外務省軍縮軍備管理不拡散局長) |
| 山田寿美子(広島県原爆被害者団体協議会副理事長)<被爆者の証言> |
| 松井一実(広島市長) |
| 第1セッション |
| ベアトリス・フィン(ICAN事務局長) |
| ペドロ・アロホ(スペイン前下院議員) |
| 安田菜津紀(フォトジャーナリスト) |
| 第2セッション |
| ジョージ・フライデー(米ピースアクション全国理事) |
止
コロナ禍による原水禁8・6大会の変容<作業中>
| 原水爆禁止****年世界大会広島大会(原水協) | |||
| 2019 | 原水爆禁止2019年世界大会の記録 | ||
| 2020 | 「原水爆禁止2020年世界大会」(現地行事とオンライン) | ||
| 2021 | 「証言を聞く集い」(広島ロードビル) | ||
| 被爆**周年原水禁世界大会(原水禁) | |||
| 2019 | ヒロシマ・ナガサキに原爆が投下され74年、東京電力福島第一原発事故から8年が経つ今年、被爆74周年原水爆禁止世界大会は、7月27 日の福島県教育会館で行われた「福島大会」を皮切りに、8月4~6日「広島大会」、8月7~9日「長崎大会」でそ の幕を閉じました。– 核も戦争もない平和な21世紀に! – 被爆 74 周年原水爆禁止世界大会報告 | 広島県原水禁・広島県平和運動センター (hiroshimaken-gensuikin.org) | ||
| 2020 | 広島独自で行った原爆ドーム包囲行動以外は、すべての行事がオンライン被爆76周年原水禁大会広島大会の日程のお知らせ | 広島県原水禁・広島県平和運動センター (hiroshimaken-gensuikin.org) | ||
| 2021 | 日程は8月5日~6日の2日間に縮小し(例年は3日間)、規模も例年の2000 人から4分の1の500人程度に縮小して開催被爆76周年原水禁大会広島大会の日程のお知らせ | 広島県原水禁・広島県平和運動センター (hiroshimaken-gensuikin.org) | ||
| KAKKIN 広島平和集会(KAKKIN) | |||
| 2019 | 0805 広島平和全国集会 会場:ホテルニューヒロデン???? | ||
| 2020 | 0808 広島平和地方集会 | ||
| KAKKIN は8月5日(木)、広島市のホテルセンチュリー21 広島で広島平和集会を、8月 8日(日)には長崎市原爆資料館で長崎平和集会をそれぞれ開催した。 例年、原爆の日に合わせて全国から参加者を募る平和全国集会と地方中心の平和地方 集会を開催してきたが、新型コロナウイルスの影響により、昨年に引き続き広島・長崎 とも大幅に規模を縮小し、地元中心の集会となった。 R030805HEI.pdf (kakkin.jp) | |||
| 広島平和集会は 8 月5日(木)13 時より始まり、主催者を代表して永山博之 KAKKIN 広 島議長(広島大学大学院教授・KAKKIN 副議長)の挨拶に続き、本部を代表して加藤秀治郎 議長が挨拶をした。続いて、立憲民主党の佐藤公治・衆議院議員と公明党の斉藤鉄夫・ 衆議院議員から来賓のご挨拶をいただき、多数の祝電の中から、代表して二階俊博・自 民党幹事長からの激励とお祝いのメッセージが紹介された。R030805HEI.pdf (kakkin.jp) | |||
| 連合****平和ヒロシマ集会 | |||
| 2019 | 0805 会場:上野学園ホール 参加者:2361人 | ||
| 0805~06 平和行動in広島 平和公園内の慰霊碑を巡るピースウォークや被爆路面電車を活用した学習会、原爆死没者慰霊式などの取り組みを実施。また、原爆投下時刻の8月6日(火)8時15分には、被爆50周年の節目に連合長崎から寄贈された平和の鐘を打鐘。 | |||
| 2020 | 2020平和行動 in 広島 | ||
| 被爆74年連合2019平和ヒロシマ集会 | |||
| 2021 | 2021平和行動in広島【連合】2021平和行動in広島 – YouTube | ||
| コロナ禍においても 連合は動画配信により2020年の平和行動を実施しました。 | |||
| 併せて、ピースウォーク、被爆路面電車・乗車学習会の模様を学習用コンテンツとして公開しました。 | |||
| これらの動画の配信を通じ、核兵器廃絶と平和の実現への想いを全国の仲間と共有しました | |||
| 核兵器廃絶を元んる署名の最終集約は824万筆を越えましたた | |||
| 連合、原水禁、KAKKINの3団体は2020年8月に長崎の地において国連に | |||
| そして同年12月に日本政府に署名を提出しました | |||
止
『原水爆禁止2019年世界大会の記録』(原水爆禁止世界大会実行委員会、20190831)<作業中>
内容
| ■原水爆禁止2019年世界大会のテーマ | ||
| ■原水爆禁止2019年世界大会/宣言・採択文書 国際会議宣言 広島決議 長崎決議 |
||
| ■原水爆禁止2019年世界大会一国際会議 主催者あいさつ 被爆者あいさつ 特別報告 |
||
| 〇全体会議【第1セッション】広島/長崎の原爆被害、核兵器の非人道性、ヒバクシヤのたたかい | ||
| 〇全体会議【第2セッション】核兵器禁止・廃絶と市民一運動の役割-2020年・被爆75年に向けた課題と運動 | ||
| 〇全体会議【第3セッション】 核兵器廃絶へ共同と連帯の推進一反戦平和、原発、環境、人権、暮らしなど運動とともに…34 |
||
| 〇閉会総会 第1分科会報告、第2分科会報告、第3分科会報告、科学者集会の報告 | ||
| ■各国政府・国際団体からのメッセージ | ||
| ■政党からのメッセージ | ||
| ◇国民平和大行進 終結集会 | ||
| ■原水爆禁止2019年世界大会一広島 市民と海外代表の交流集会 | ||
| ■原水爆禁止2019年世界大会一広島〈ヒロシマデー集会〉 | ||
| 開会宣言 主催者報告 広島市長メッセージ 被爆者あいさつ 政府代表あいさつ |
||
| ○特別企画「被爆者の願いを世界に:広島」 ○文化企画 ○2020年・核兵器廃絶へ向けて行動を(海外) ○世界数億の「ヒバクシヤ国際署名」、禁止条約に参加する日本を ○ヒロシマデー とうろう流し |
||
| ■原水爆禁止2019年世界大会一長崎・開会総会 開会宣言、主催者報告、被爆者あいさつ、長崎市長あいさつ 連帯あいさつ、政府代表あいさつ ○「ヒバクシヤ国際署名」アピール 脱原発・自然エネルギー導入促進 ○2020年・核兵器廃絶へ向けて行動を(海外) ○世界数億の「ヒバクシヤ国際署名」、禁止条約に参加する日本を ○2019年国民大行進全国通し行進者 |
||
| ■フォーラム・分科会・動く分科会 | ||
| ■原水爆禁止2019年世界大会一長崎・閉会総会〈ナガサキデー集会〉 連帯あいさつ 沖縄県知事メッセージ |
||
| ○特別企画「被爆者の願いを世界に:長崎」 ○核兵器のない世界へ行動を:海外代表からのスピーチ ○核兵器のない世界をめざす被爆国の決意~長崎から2020年NYへ ○文化企画 政党からのあいさつ 行動提起 |
||
| ■関連行事 Ring!Link! Zero 2019 in Nagasaki 核兵器なくそう女性のつどい2019 in長崎 いのちをえらびとる断食のいのり 「ヒバクシャ国際署名」第3回全国交流会 階層別’分野別交流会 |
||
| ◇2019年世界大会・資料 | ||
| 海外代表リスト、 海外メッセージ、 国内自治体首長メッセージ 世界大会実行委員会名簿(構成団体、議長団、実行委員会、運営委員会、起草委員) |
||
| 広島市平和宣言 長崎市平和宣言 |
||
| アントニオ・グテーレス国連事務総長のスピーチ | ||
| ◇世界大会日誌 | ||
止
宮内庁ホームページの中のヒロシマ<作業中>
| 年 | 事項 | |
| 1995平7 | 両陛下は,戦後50年に先立つ平成6年(1994年)には,硫黄島・父島・母島へ,また,戦後50年に当たる平成7年(1995年)には,長崎・広島・沖縄・東京(東京都慰霊堂)へ,それぞれ,慰霊のために赴かれました。このほか,戦後70年の平成27年(2015年)には,高尾みころも霊堂(産業殉職者慰霊施設)(東京都八王子市)をご訪問になったほか,東京都慰霊堂(東京都墨田区),観音崎公園内の戦没船員の碑(神奈川県横須賀市)にも赴かれました。 | |
| https://www.kunaicho.go.jp/activity/activity/01/activity01.html | ||
| 1995 | 平成7年5月20日(土)~平成7年5月22日(月) 広島県行幸啓(第46回全国植樹祭にご臨席併せて地方事情ご視察) |
|
| 平成7年5月20日(土) 天皇皇后両陛下 皇居御発 天皇皇后両陛下 県勢概要ご聴取(広島県知事)(広島県庁(広島県)) 天皇皇后両陛下 ご供花(原爆死没者慰霊碑)(広島平和都市記念碑(広島市)) 天皇皇后両陛下 ご視察(広島平和記念資料館)(広島市) 天皇皇后両陛下 ご視察(広島原爆養護ホーム舟入むつみ園)(広島市) 天皇皇后両陛下 ご臨席(全国植樹祭懇親会)(リーガロイヤルホテル広島(広島市)) |
||
| 平成7年5月21日(日) 天皇皇后両陛下 第46回全国植樹祭式典ご臨席(広島県立中央森林公園)(本郷町) 天皇皇后両陛下 ご視察(ふれあいの里)(御調町) 平成7年5月22日(月) 天皇皇后両陛下 ご視察(広島県立歴史博物館)(福山市) 天皇皇后両陛下 ご視察(広島県立東部工業技術センター)(福山市) 天皇皇后両陛下 皇居御着 |
||
| https://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/01/h07/gonitei-h07-02.html | ||
| 天皇皇后両陛下のご日程 平成7年7月3日(月) 天皇皇后両陛下 拝謁(東京都硫黄島戦没者追悼式に参列の遺族代表等)(宮殿) |
||
| 平成7年7月26日(水)~平成7年7月27日(木) 長崎県・広島県行幸啓(戦後50年に当たり) |
||
| 平成7年7月26日(水) 天皇皇后両陛下 皇居御発 天皇皇后両陛下 「戦災50年の概況」ご聴取(長崎県知事)(ホテルニュー長崎(長崎市)) 天皇皇后両陛下 ご供花(平和公園)(長崎市) 天皇皇后両陛下 ご視察(原爆資料センター)(長崎国際文化会館(長崎市)) 天皇皇后両陛下 ご視察(恵の丘長崎原爆ホーム)(長崎市) |
||
| 平成7年7月27日(木) 天皇皇后両陛下 広島県へご移動 天皇皇后両陛下 「戦災50年の概況」ご聴取(広島県知事)(リーガロイヤルホテル広島(広島市)) 天皇皇后両陛下 ご供花(広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑))(平和記念公園(広島市)) 天皇皇后両陛下 ご視察(広島原爆養護ホーム倉掛のぞみ園)(広島市) 天皇皇后両陛下 皇居御着 |
||
| 平成7年8月2日(水) 沖縄県行幸啓(戦後50年に当たり) お名前 ご日程 天皇皇后両陛下 皇居御発 天皇皇后両陛下 「戦災50年の概況」ご聴取(沖縄平和祈念堂)(糸満市) 天皇皇后両陛下 ご供花(国立沖縄戦没者墓苑)(糸満市) 天皇皇后両陛下 ご視察(平和の礎)(糸満市) 天皇皇后両陛下 皇居御着 |
||
| 平成7年8月3日(木) 天皇皇后両陛下 戦後50年に当たり行幸啓(東京都慰霊堂) |
||
| 平成7年8月15日(火) 天皇皇后両陛下 全国戦没者追悼式ご臨席(日本武道館) |
||
| 平成7年9月14日(木) 天皇皇后両陛下 ご供花(戦没船員の碑)(神奈川県立観音崎公園) |
||
| https://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/01/h07/gonitei-h07-03.html | ||
| 2006 | 広島県行啓(第30回全国育樹祭にご臨場,併せて地方事情をご視察) | |
| 平成18年10月21日(土) 皇太子殿下 東宮御所御発 皇太子殿下 県勢概要ご聴取(広島県知事),ご昼食(リーガロイヤルホテル広島(広島市)) 皇太子殿下 ご供花(広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)(広島市)) 皇太子殿下 ご視察(広島原爆養護ホーム神田山やすらぎ園(広島市)) 皇太子殿下 第30回全国育樹祭懇談会ご臨席(リーガロイヤルホテル広島(広島市)) |
||
| 平成18年10月22日(日) 皇太子殿下 広島エアポートホテルお立ち寄り(三原市) 皇太子殿下 第30回全国育樹祭ご臨場,お手植え樹お手入れ(広島県立中央森林公園(三原市)) 皇太子殿下 ご昼食(広島エアポートホテル(三原市)) 皇太子殿下 ご視察(酒蔵通り(東広島市)) |
||
| 平成18年10月23日(月) 皇太子殿下 ご視察(厳島神社(廿日市市)) 皇太子殿下 ご昼食(岩惣(廿日市市)) 皇太子殿下 東宮御所御着 |
||
| https://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/02/h18/gonittei-2-2006-10.html | ||
| 2006 | 平成18年10月21日(土) 広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)へご供花になる皇太子殿下(平和記念公園(広島市)) (写真:広島県) |
|
| https://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/02/photo2/photo-200610-727.html | ||
| 2014 | 天皇陛下お誕生日に際し(平成26年)天皇陛下の記者会見 | |
| 会見年月日:平成26年12月19日 会見場所:宮殿 石橋の間 宮内記者会代表質問 問1 この1年を振り返り,社会情勢やご公務,ご家族との交流などで印象に残った出来事をお聞かせください。来年に向けてのお考えもあわせてお答えください。また,来年は戦後70年という節目の年を迎え,両陛下のパラオご訪問が検討されています。改めて先の戦争や平和に対するお考えをお聞かせください。 <中略> |
||
| 問2 宮内庁が24年あまりをかけて編纂し,この夏に両陛下へ奉呈された「昭和天皇実録」に関してのご感想とともに,昭和天皇についての思い出や,天皇としてのお姿から学び生かされていることをお聞かせください。 天皇陛下 昭和天皇実録は宮内庁書陵部が中心となって多くの資料に基づき編纂さんしたもので,完成までの苦労には計り知れないものがあったと察しています。携わった関係者の努力に深く感謝しています。これから折にふれ,手にとり,御事蹟せきに触れていくことになると思います。このことは大変に困難な時代を歩まれた昭和天皇を,改めておしのびするよすがになろうと思っています。 昭和天皇との思い出については様々なことがありますが,夏の那須の附属邸に滞在していて,御用邸に滞在していらっしゃる昭和天皇,香淳皇后をお訪ねしたり,植物を御覧になるため,その植物の自生地にいらっしゃるのにお供をしたりしたことが懐かしく思い起こされます。実録にも私の結婚の翌年の夏の記述に「皇后及び皇太子妃と御同車にて御用邸敷地外の広谷地ひろやじに向かわれ,同所にてお揃いで湿地のサギソウ等を御覧になる」と記されています。 この時私は那須を離れ,地方で行われる行事に出ていたのですが,昭和天皇は生まれたばかりの浩宮を守って留守をしている美智子が寂しくないよう,香淳皇后と共に散策にお誘いくださったのではないかと思います。少し後になりますが,皇后と私とで,廻谷めぐりやであったかと思いますが,お供した時には,皇后に水辺の白い花で,野生のスイレンであるヒツジグサの花をお教えくださいました。この2度の大切な思い出のため,皇后にとりサギソウとヒツジグサはそれ以後ずっと特別な花となっていたようで,それから大分後になって私どもが女の子に恵まれ,清子さやこと名付けたその同じ日に,私どもは清子のお印にヒツジグサを選びました。昭和天皇が「大変よい」とお喜びくださったことが,うれしく思い出されます。 昭和天皇から学んだことは多いと思います。結婚前には葉山の御用邸に昭和天皇,香淳皇后と一緒に泊めていただくこともありましたから,そのような時に昭和天皇から学んだことが多くありました。人のことを常に考えることと,人に言われたからするのではなく,自分で責任を持って事に当たるということは,昭和天皇の御言動から学んだ大きなことであったのではないかと思っています。 |
||
| この1年のご動静<抄> | ||
| 地方へのお出ましは,・・・ 12月には広島県広島市をご訪問になり,今年8月の豪雨災害とその後の復興状況をご視察,被災者を見舞われ,復興尽力者をねぎらわれました。翌日は広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)にご供花なさり,広島原爆養護ホーム矢野おりづる園を訪問されました。この度,比較的新しい原爆養護ホームをご訪問になったことで,両陛下は広島県内に4か所ある原爆養護ホームの全てを訪れたことになります。 |
||
| https://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h26e.html | ||
| 2015 | 平成27年4月6日(月) ~ 平成27年4月7日(火) 広島県お成り(「山階鳥類研究所 中国地区賛助会員の集い」ご臨席併せて地方事情ご視察) |
|
| 平成27年4月6日(月) 文仁親王殿下 宮邸御発 文仁親王殿下 平成26年8月豪雨による土砂災害被害状況等ご聴取(広島市安佐南区役所(広島市)) 文仁親王殿下 被災地域ご視察及び被災者お見舞い(広島市安佐南区八木地区(広島市)) 文仁親王殿下 ご供花(広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)(広島市)) 文仁親王殿下 「山階鳥類研究所 中国地区賛助会員の集い」ご臨席(リーガロイヤルホテル広島(広島市)) |
||
| 平成27年4月7日(火) 文仁親王殿下 宮邸御着 |
||
| https://www.kunaicho.go.jp/page/gonittei/show/3?quarter=201502 | ||
| 皇后陛下のお写真 皇后陛下お誕生日に際してのご近影 |
||
| 宮内記者会の質問に対する文書ご回答 問 この1年,自然災害などさまざまな出来事がありました。戦後70年にあたり,皇后さまは天皇陛下とともにパラオをはじめ国内外で慰霊の旅を重ねられました。また,玉音放送の原盤なども公開されたほか,若い皇族方も戦争の歴史に触れられました。1年を振り返って感じられたことをお聞かせください。8月には心臓の精密検査を受けられましたが,その後のご体調はいかがですか。 皇后陛下 <前略> 先の戦争終結から70年を経,この1年は改めて当時を振り返る節目の年でもありました。終戦を迎えたのが国民学校の5年の時であり,私の戦争に関する知識はあくまで子どもの折の途切れ途切れの不十分なものでした。こうした節目の年は,改めて過去を学び,当時の日本や世界への理解を深める大切な機会と考えられ,そうした思いの中で,この1年を過ごしてまいりました。 平和な今の時代を生きる人々が,戦時に思いを致すことは決して容易なことではないと思いますが,今年は私の周辺でも,次世代,またその次の世代の人々が,各種の催しや展示場を訪れ,真剣に戦争や平和につき考えようと努めていることを心強く思っています。先頃,孫の愛子と二人で話しておりました折,夏の宿題で戦争に関する新聞記事を集めた時,原爆の被害を受けた広島で,戦争末期に人手不足のため市電の運転をまかされていた女子学生たちが,爆弾投下4日目にして,自分たちの手で電車を動かしていたという記事のことが話題になり,ああ愛子もあの記事を記憶していたのだと,胸を打たれました。若い人たちが過去の戦争の悲惨さを知ることは大切ですが,私は愛子が,悲しみの現場に,小さくとも人々の心を希望に向ける何らかの動きがあったという記事に心を留めたことを,嬉しく思いました。 今年,陛下が長らく願っていらした南太平洋のパラオ御訪問が実現し,日本の委任統治下で1万余の将兵が散華したペリリュー島で,御一緒に日米の戦死者の霊に祈りを捧げることが出来たことは,忘れられない思い出です。かつてサイパン島のスーサイド・クリフに立った時,3羽の白いアジサシがすぐ目の前の海上をゆっくりと渡る姿に息を呑んだことでしたが,この度も海上保安庁の船,「あきつしま」からヘリコプターでペリリュー島に向かう途中,眼下に,その時と同じ美しい鳥の姿を認め,亡くなった方々の御霊みたまに接するようで胸が一杯になりました。 戦争で,災害で,志半ばで去られた人々を思い,残された多くの人々の深い悲しみに触れ,この世に悲しみを負って生きている人がどれ程多く,その人たちにとり,死者は別れた後も長く共に生きる人々であることを,改めて深く考えさせられた1年でした。 <後略> この1年のご動静<関連部分> 特に,今年は戦後70年に当たることから,改めて戦没者を慰霊され,遺族を始め戦後の苦境を乗り越え,支えてきた人々に寄り添われました。昨年6月の学童疎開船対馬丸の犠牲者を慰霊されるための沖縄県ご訪問,同年10月の長崎市平和公園及び恵の丘長崎原爆ホームご訪問に引き続き,陛下と共に,昨12月には,広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)に参られ,広島原爆養護ホーム矢野おりづる園をご訪問になりました。また,今年の8月には,広島市被爆70周年記念事業として東京で開催されたマルタ・アルゲリッチ協演による広島交響楽団「平和の夕べ」コンサートをご鑑賞になりました。戦後60年の平成17年6月には慰霊のためサイパン島をご訪問になりましたが,戦後70年の今年4月には,慰霊と国際親善のためパラオ共和国を訪問され,ペリリュー島にある西太平洋戦没者の碑,米国陸軍の慰霊碑に参られるとともに,同共和国大統領ご夫妻,この折に参加されたミクロネシア連邦大統領ご夫妻,マーシャル諸島共和国大統領ご夫妻,さらにパラオ共和国の多数の人々とお会いになりました。同じく4月には,戦後復興に尽力し産業災害で殉職した人々を慰霊する高尾みころも霊堂に,5月には東京都慰霊堂に参られました。6月には,先の大戦で軍に徴用されて戦没した商船等の船員を慰霊する戦没・殉職船員追悼式にご臨席,また,私的ご旅行として宮城県及び山形県を訪問された折に,戦後,南洋パラオから引き揚げた人々が入植,開拓した宮城県蔵王町北原尾地区をご訪問になりました。そして,7月には満州から引き揚げた人々が開拓した千振開拓地(栃木県那須町)を,8月には同様の大日向開拓地(長野県軽井沢町)をそれぞれご訪問になりました。 |
||
| https://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h27sk.html | ||
| 2016 | 平成28年7月29日(金) ~ 平成28年7月31日(日) 広島県お成り(第40回全国高等学校総合文化祭「2016ひろしま総文」ご臨席,併せて地方事情ご視察) |
|
| 平成28年7月29日(金) 文仁親王殿下並びに眞子内親王殿下 ご訪問(広島原爆養護ホーム矢野おりづる園(広島市)) 文仁親王殿下並びに眞子内親王殿下 ご供花(広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)(広島市)) 文仁親王殿下並びに眞子内親王殿下 県勢概要ご聴取,ご夕食会ご臨席(リーガロイヤルホテル広島(広島市)) |
||
| 平成28年7月30日(土) 文仁親王殿下並びに眞子内親王殿下 書道部門ご覧(広島県立広島産業会館(広島市)) 文仁親王殿下並びに眞子内親王殿下 美術・工芸部門ご覧,特別支援学校部門ご覧(広島県立美術館(広島市)) 文仁親王殿下並びに眞子内親王殿下 総合開会式ご臨席(広島県立総合体育館(広島市)) 文仁親王殿下並びに眞子内親王殿下 写真部門ご覧(広島国際会議場(広島市)) 文仁親王殿下並びに眞子内親王殿下 |
||
| 平成28年7月31日(日) 文仁親王殿下並びに眞子内親王殿下 郷土芸能部門ご覧(三原市芸術文化センター(三原市)) |
||
| https://www.kunaicho.go.jp/page/gonittei/show/3?quarter=201603 | ||
| 2018 | 平成30年2月13日(火) ~ 平成30年2月14日(水) 広島県お成り(「第69回結核予防全国大会」ご臨席) |
|
| 平成30年2月13日(火) 文仁親王妃殿下 結核予防会支部長午餐会ご臨席,研鑽集会ご聴講,アトラクションご鑑賞,全国結核予防婦人団体連絡協議会懇談会ご臨席,県勢概要ご聴取,大会歓迎レセプションご臨席(リーガロイヤルホテル広島(広島市)) |
||
| 平成30年2月14日(水) 文仁親王妃殿下 第69回結核予防全国大会式典ご臨席,大会議事及び特別講演ご聴講(リーガロイヤルホテル広島(広島市)) 文仁親王妃殿下 ご供花(広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)(広島市)) |
||
| https://www.kunaicho.go.jp/page/gonittei/show/3?quarter=201801 | ||
| 2018 | 平成30年6月19日(火) ~ 平成30年6月20日(水) 広島県お成り(「公益社団法人日本植物園協会第53回大会」ご臨席) |
|
| 平成30年6月19日(火) 文仁親王殿下 ご昼食会ご臨席(リーガロイヤルホテル広島(広島市)) 文仁親王殿下 ご供花(広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)(広島市)) 文仁親王殿下 「公益社団法人日本植物園協会第53回大会」開会式・表彰式ご臨席,意見交換会ご出席(広島市佐伯区民文化センター(広島市)) |
||
| 平成30年6月20日(水) 文仁親王殿下 口頭発表ご臨席,ポスター発表ご覧(広島市佐伯区民文化センター(広島市)) 文仁親王殿下 ご視察(広島市植物公園(広島市)) |
||
| https://www.kunaicho.go.jp/page/gonittei/show/3?quarter=201802 | ||
| 2021 | 上皇陛下のご近況について(お誕生日に際し) 令和3年12月23日:上皇職 「沖縄県慰霊の日,広島・長崎原爆の日,終戦記念日並びに阪神淡路大震災及び東日本大震災の発生日には,今もテレビ中継に合わせて,上皇后さまと共に黙祷をなさっています。」 |
|
| https://www.kunaicho.go.jp/joko/press/r031223.html | ||
止
沖縄全戦没者追悼式<作業中>
沖縄県主催
6月23日(沖縄県制定の記念日)
会場:糸満市・平和祈念公園(沖縄県糸満市摩文仁)
| 年 | 総理大臣 | メモ |
| 1958年1月25日全琉球戦没者追悼式 識名霊園(琉球政府関係写真資料) | ||
| 1964 | ||
| 1963 | ||
| 1964 | ||
| 1965 | 沖縄戦戦没者追悼式典 糸満 摩文仁(琉球政府関係写真資料) | |
| 1966 | 沖縄全戦没者追悼式 第5回 会場遠景 糸満 摩文仁 戦後と援護 – 沖縄県公文書館 (pref.okinawa.jp) | |
| 1968 | 慰霊祭に関する資料 1970年 -沖縄県公文書館 (pref.okinawa.jp) | |
| 1990 | 海部 俊樹 | |
| 1991 | ||
| 1992 | ||
| 1993 | ||
| 1994 | ||
| 1995 | 村山 富市 | |
| 1996 | ||
| 1997 | ||
| 1998 | ||
| 1999 | ||
| 2000 | 森 喜朗 | |
| 2001 | 小泉 純一郎 | |
| 2002 | 小泉 純一郎 | |
| 2003 | ||
| 2004 | 小泉 純一郎 | |
| 2005 | 小泉 純一郎 | |
| 2006 | 小泉 純一郎 | |
| 2007 | 安部 晋三 | |
| 2008 | 福田 康夫 | |
| 2009 | 麻生 太郎 | |
| 2010 | 菅 直人 | |
| 2011 | 菅 直人 | |
| 2012 | 野田 佳彦 | |
| 2013 | 安部 晋三 | |
| 2014 | 安部 晋三 | |
| 2015 | ||
| 2016 | ||
| 2017 | ||
| 2018 | ||
| 2019 | 安部 晋三 | |
| 2020 | 安部晋三(欠席) | コロナ禍 |
| 2021 | 菅義偉(欠席) | ビデオメッセージ<コロナ禍> |
![]() |
||
| 令和3年沖縄全戦没者追悼式 : 沖縄政策 – 内閣府 (cao.go.jp) | ||
| 2022 | 岸田 文雄 | 主催:沖縄県・沖縄県議会 共催:一般財団法人沖縄県遺族連合会 公益財団法人沖縄県平和祈念財団 公益財団法人沖縄協会 |
「首相あいさつ」(2019年)
令和元年沖縄全戦没者追悼式が執り行われるに当たり、沖縄戦において、戦場に斃(たお)れた御霊(みたま)、戦禍に遭われ亡くなられた御霊に向かい、謹んで哀悼の誠を捧(ささ)げます。
先の大戦において、ここ沖縄は、苛烈を極めた地上戦の場となりました。20万人もの尊い命が失われ、この地の誇る美しい自然、豊かな文化は、容赦なく破壊されました。全ての戦没者の無念、御遺族の方々の言葉に表し得ない悲しみ、沖縄が負った癒えることのない深い傷を思うとき、胸塞がる気持ちを禁じ得ません。
沖縄戦から74年。犠牲となった方々が送るはずであったそれぞれの未来に思いを致し、こうした尊い犠牲の上に、今日、私たちが享受する平和と繁栄がある。そのことを改めて深く噛(か)み締めながら、静かに頭(こうべ)を垂れたいと思います。
我が国は、戦後一貫して、平和を重んじる国家として、ひたすらに歩んでまいりました。戦争の惨禍を二度と繰り返さない。この誓いは令和の時代においても決して変わることはありません。平和で、希望に満ち溢(あふ)れる新たな時代を創り上げていく。そのことに不断の努力を重ねていくことを、改めて、御霊にお誓いいたします。
沖縄の方々には、永きにわたり、米軍基地の集中による大きな負担を担っていただいております。この現状は、何としても変えていかなければなりません。政府として、基地負担の軽減に向けて、一つ一つ、確実に、結果を出していく決意であります。
昨年引き渡しがなされた西普天間住宅地区跡地は、嘉手納(かでな)以南の土地の返還計画に基づき実現した初の大規模跡地であり、基地の跡地が生まれ変わる成功例として、県民の皆様に実感していただけるよう、跡地利用の取組を加速します。
引き続き、「できることはすべて行う」、「目に見える形で実現する」との方針の下、沖縄の基地負担軽減に全力を尽くしてまいります。
美しい自然に恵まれ、アジアの玄関口に位置する沖縄は、今日、その優位性と潜在力を存分にいかし、大きな発展を遂げています。出生率は日本一、沖縄に魅せられて訪れた観光客は昨年度約1000万人と、6年連続で過去最高を更新しました。沖縄が日本を牽引(けんいん)し、21世紀の「万国津梁(しんりょう)」として世界の架け橋となる。今、それが現実のものとなりつつあります。この流れを更に加速させるため、私が先頭に立って、沖縄の振興をしっかりと前に進めてまいります。
結びに、この地に眠る御霊の安らかならんこと、御遺族の方々の御平安を、心からお祈りし、私の挨拶といたします。
令和元年六月二十三日
内閣総理大臣 安倍晋三
止