資料年表:近藤幸四郎<作業中>
| 年月日 |
事項 |
備考 |
| **** |
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誕生 |
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| 1945 |
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| 0806 |
自宅(爆心地から2・3キロ)で被爆。 |
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| 2002 |
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| 0821 |
死亡。享年69歳。 |
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| 0822 |
「被団連事務局長近藤幸四郎さん死去 死没者への思い胸に活動」(『中国新聞』西本雅実)。 |
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| 0822 |
「被爆者援護に尽力 近藤さん死去 関係者ら弔問次々」(『朝日新聞』)<宮崎安男原水禁代表委員:国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の説明文に『誤った国策』という文言が入ったのは、近藤さんが妥協しなかったからだ> |
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| 0824 |
近藤幸四郎葬儀。 |
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| 0825 |
「被爆者運動には大きな痛手 近藤さん葬儀 700人別れ惜しむ」(『朝日新聞』) |
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| 0910 |
「惜別 広島被爆者団体連絡会議事務局長 近藤幸四郎さん 「怒りのヒロシマ」最後まで」(『朝日新聞』翁長忠雄) |
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| 21 |
2002 |
近藤幸四郎 |
こんどう・こうしろう |
69 |
広島県被団協事務局次長、広島被爆者団体連絡会議事務局長、元日本被団協代表理事などを歴任。 |
止
資料年表:松前重義<作業中>
| 年月日 |
事項 |
備考 |
| 1901 |
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| 1024 |
熊本県生まれ |
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| 1945 |
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| 0808 |
広島被爆調査団長として広島へ出発。 |
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| 0917 |
松前重義(逓信院総裁)褒状 |
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| 1947 |
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| 0104 |
~19510620 公職追放 |
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| 1987 |
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| 0330 |
『わが昭和史』(松前重義、朝日新聞社、19870330) |
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<『わが昭和史』(松前重義、朝日新聞社、19870330)への宇吹コメント> |
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| 0401 |
礼状(東海大学秘書室長⇒宇吹暁) |
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| 1201 |
『松前重義 その政治活動 Ⅰ』(学校法人東海大学) |
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| 1991 |
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| 0825 |
死亡。享年89歳。 |
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松前重義
| まつまえ・しげよし |
19011024生19910825没 |
享年89歳 |
東海大学創立者。広島調査団長として被爆直後に入市。 |
止
『わが昭和史』(松前重義、朝日新聞社、19870330)への宇吹コメント
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| 1 |
死線を越えて |
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懲罰召集にかけられる/高指令部付の二等兵に/祖国に生還/反東上運動に奔走/大政/翼賛会に飛び込む/技術者運動の先頭に立つ/ヒロシマ原爆の投下 |
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止
『わが戦いの日々 : 被爆四十周年記念』(長崎県動員学徒犠牲者の会・長崎県被爆者手帳友の会、長崎県被爆者手帳友の会刊)
内容<作業中>
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| Ⅰ |
運動の部 |
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1長崎県動員学徒犠牲者の会の結成当時の状況・・・・1
2原爆医療法制定当時の状況・・・・・・12
3ビキニ水爆を起点として、もりあがった原水禁運動の初期の状況15
4分裂した原水禁運動・・・・・18
5浦上天主堂の存置運動は空しかった・・・・・・23
6医療費無料化への道・・・・25
7長崎県被爆者手帳友の会を何故つくったか・・28
8原爆特別措置法の制定の前後・・・・・・・34
9近距離被爆者に対する保健手当はこのようにして作られた・・37
10時津・長与地区の被爆地指定の運動・・・48
11現川、中尾等六キロから八キロ圏の被爆地指定について・・50
12その後の被爆地区是正について・・・・・52
13“長崎の鐘”を作ろう・・・・・・54
14原爆特養“かめだけ”建設について・・・56
15原爆病院の建設について・・・・・・・65
16原子力船「むつ」について・・・・・70
17伊木力円満寺、川棚海軍病院の被爆者手帳交付について・・74
18原爆後障害研究施設の研究所への昇格について・・・・79
19被爆二、三世の運動の行方・・・・・81
20参議院の公聴会に参考人に招かれて・・・・・83
21被爆者の期待を裏切った基本懇の答申から・・・・85
22組織、組織と組織づくりして県下最大の被爆者団体となった熱意91
23思い出 理事長 吉川秀夫・・108
24苦労した組織づくりについて・・・・・・・109 |
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| Ⅱ |
行事の部 |
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安日晋先生の記念碑について・・・・・・・111
被爆地区是正ならびに被爆者援護法推進総決起大会・・118
全国戦争犠牲者国家補償要求長崎大会・・・・125 |
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終戦の詔勅が放送されていたとき 腕切断の手術を受けた私 下谷富太郎・・
妻、子、父母の家族全員を失ったその後の人生 深堀市五郎193
夫の理解と協力により幸せな結婚が出来た私 渕本玲子195
体にガラス片の残ったまま命懸けで故郷に帰った 私泉ワカ195
原爆で妻、子を亡くし逆境にもめげず
農業会のために情熱を燃やした私 佐木篤二・・・198
夫に感謝しながら生きてきた私 八窪松代・・199
多くの人の善意にささえられて 村崎圭子・・・201
母と叔父の看病で奇跡的にも助かった私 土岐えみ子・202
ケロイドで生涯悩まなければならない私 犬山春吉204
運命の悪戯か家族全員を失ったその後の私 上 好成206
被爆者援護についてこのように活動をした 永元安夫207
私はこのようにして友の会を知ることができた 大浦愛子208
いまなお傷痕に苦しむ私 佐藤文子210
救援第一号のトラックに乗って 平井茂・・・211
最愛の一人娘を原爆で亡くした私 山本ユキ・214 |
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| Ⅳ |
支部紹介の部(友の会には県下一二〇支部ありますが提出された八〇支部をのせております) |
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支部の素顔 |
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長崎市 立山、戸町、川平、小榊、三重、平山、西城山、
西町、古賀、油木、飽の浦、矢上、現川、坂本、
西山、稲佐、三原、式見、山里、中尾、竹之久保、
銭座、城山、茂木(大崎)・・・・・・217
佐世保市 佐世保・・・・・・・・・・239
諌早市 小野、有喜、本野、小栗、諌早中央・・・・240
西彼杵郡 長与、神浦、多良見(東)、大瀬戸、崎戸、高島、
時津、大島、西海、西彼、三和、野母崎、琴海、
琴海(西海)、多良見(西)・・・・244
南高来郡 瑞穂、国見、口ノ津、有明、布津、北有馬、吾妻
南串山、西有家、南有馬、加津佐、千々石、深江259
北高来郡 小長井、森山、高来西、飯盛・・・・・・274
東彼来郡 川棚・・・・279
福江市 福江・・・・・・・・・・・・279
南松浦郡 奈良尾、岐宿、奈留、有川、玉の浦、富江、
新魚目(北)・・・280
北松浦郡 田平、鹿町、小佐々、宇久、世知原、江迎285
対馬島 美津島、上対馬、厳原・・・・・・289 |
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| Ⅴ |
友の会記録の部 |
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被爆者手帳友の会結成趣意書・・・・・325
被爆者手帳友の会々 則・・・・326
昭和四十二年度から昭和五十八年度までのあゆみ・・・328 |
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| Ⅵ |
資料の部 |
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制度の概要・・・・・・・・353
1原子爆弾被爆者の医療等に関する法律・・353
2原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律・・353
原爆医療法及び特別措置法の概要・・・・・・354
各種手当等の改正経緯・・・・・・358 |
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| Ⅶ |
その他 |
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本部役員及び職員名簿・・・・・・365
あとがき.・・・・・・366
巻末折込・長崎市原爆被災地域図” |
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止
松前重義(逓信院総裁)褒状(広島逓信病院宛1945年9月17日)
2000年6月7日(撮影:宇吹)
止
『動員学徒「慟哭の証言」』(広島県動員学徒等犠牲者の会、20070131)
内容<作業中>
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口絵 |
動員学徒慰霊塔、 |
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塔の由来 |
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平山郁夫(昭和18年4月修道中学入学) |
『勤労動員学徒「慟哭の証言」によせて』 |
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| 1 |
学徒および家族の被爆体験 |
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サーロー節子 137 |
ヒロシマを語り続ける |
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平山郁夫 189 |
古里に向かって歩いたあの日 |
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証言を抜粋させていただいた文集等
○あゝ麗しき太田川 ○繰返しませぬから
○慰霊 ○平和を祈る人たちへ
○失われた命を語り継いで ○星は見ている
○原爆の追憶 ○ポプラは語り継ぐ
○波羅密多に思う ○みごと
○夏雲 ○流光
○広島女子商学園六十年史 ○流燈
○広商百年史 ○進徳学園九十年史 |
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| 2 |
原子爆弾による被害 304 |
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| 3 |
被爆動員学徒の犠牲者数(学校別) 306 |
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| 4 |
戦争と学徒動員 308 |
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| 5 |
編集後記 310 |
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止
あしあと(宮原周治編、動員学徒援護会、1960/11/01)
内容
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三笠宮崇仁 |
序 |
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小泉信三 |
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茅誠司 |
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| 1 |
宮崎敏郎 9 |
書簡(門に倚る) |
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| 2 |
崎間政子 21 |
沖縄戦従軍記 |
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| 3 |
中前妙子 41 |
脇田隊日記 |
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| 4 |
井上洋治 89 |
命の破片 |
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| 5 |
中村要 111 |
終戦前夜 |
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| 6 |
藤野としえ 137 |
あしあと |
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あとがき 312 |
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年表 316 |
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止
中西巌
| なかにし・いわお |
****生20230816没 |
享年93 |
旧被服支廠の保全を願う懇談会会長(初代)。『赤レンガ倉庫は語り継ぐ 旧広島陸軍被服支廠被爆証言集』(旧被服支廠の保全を願う懇談会、2020/03/01) |
止
財団法人ヒロシマ・ピース・センター
内容
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| 1 |
設立の趣意 |
| 2 |
財団法人の設立 |
| (1) |
発足要項 |
| (2) |
財団法人寄付行為 |
| (3) |
協力者一覧 |
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外国 |
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| ハーシー、ジョン |
作家、カネチカット州ノーウオーク。 |
| カズンズ、ノーマン |
土曜文学評論社主筆、ニューヨーク市。 |
| バック、パール |
作家、東西協会会長。 |
| ハイ、スタンレー |
リーダース・ダイジェスト主筆、ニューヨーク市。 |
| カーン、ハリー |
ニューズウィーク主筆、ニューヨーク市。 |
| ブランボ、テー・テー |
メソヂスト、ミッションボード東洋区主任、ニューヨーク市。 |
| ホプキンス、ガーランド |
クリスヂスト、センチュリー紙協力主筆、シカゴ市。 |
| ボス、チャールズ |
世界平和委員会々長、シカゴ市。 |
| フォスヂック、ハリー・エマーソン |
リヴァサイド教会名誉牧師、ニューヨーク市。 |
| トリンプル、エッチ・ビー |
エモリ大学進学部長、ジョーヂヤ州。 |
| ジョンズ、スタンレー |
印度宣教師、ニューヨーク市。 |
|
|
日本 |
|
| 仁科芳雄 |
株式会社科学研究所取締役社長、理学博士。 |
| 安倍能成 |
学習院院長。前文部大臣。 |
| 豊島与志雄 |
日本ペンクラブ幹事長。 |
| 川端康成 |
日本ペンクラブ会長。 |
| 賀川豊彦 |
国際平和協会会長。 |
| 阿倍義宗 |
日本ユネスコ協力会事務局長、日本基督教平和協会会長 |
| 小崎道雄 |
日本基督教団総会議長 |
| 湯浅八郎 |
日本国際基督教大学学長 |
| ジョンビ、カーブ |
インターボード代表 |
| 真鍋頼一 |
基督教済美会理事長 |
| 木村蓬伍 |
内外協力会委員 |
|
|
広島 |
|
| 松本卓夫 |
広島女学院院長。 |
| 長田新 |
広島大学教授、ペスタロッチ研究所員、日本教育学会会長。 |
| 渡辺鼎 |
広島大学文学部長 |
| 小倉豊文 |
広島大学教授。 |
| 村上忠敬 |
広島大学教授。 |
| 畑耕一 |
作家。 |
| 佐伯好郎 |
廿日市町長、文学博士。 |
| 森戸辰男 |
広島大学学長、前文部大臣。 |
| 四竈一郎 |
広島市基督教連盟委員長 |
| 浜井信三 |
広島市長。 |
| 楠瀬常猪 |
広島県知事 |
| 山野上牧夫 |
広島記念病院長 |
| 朝野明夫 |
広島記念病院内科長 |
| 河村虎太郎 |
河村医院長。 |
| 藤井義明 |
厚生省中国医務大竹出張所長 |
| 河村正任 |
労働基準検診理事長 |
| 森芳麿 |
似島学園長。 |
| 加藤嘉治 |
広島少年保護観察所長 |
| 三浦強一 |
弁護士 |
| 名柄正之 |
前広島市庁社会教育課長。 |
| 京極琢真 |
前県視学 |
| 望月誌吉 |
財団法人正学園理事長。 |
| 谷本清 |
日本基督教団広島流川教会牧師。 |
| 山田忠蔵 |
日本基督教団呉平安教会牧師 |
| 木原七郎 |
前広島市長 |
| 田中好一 |
山陽木材防腐株式会社長、広島県公安委員長。 |
| 藤田定市 |
株式会社藤田組社長、広島商工会議所会頭。 |
| 堀川武夫 |
広島大学教授 |
| 小谷鶴次 |
広島大学教授 |
| 奥田日出男 |
呉特別調達庁勤務 |
| 藤井一郎 |
福屋貿易専務 |
| 月下儀平 |
日本基督教会広島東部教会牧師 |
| 和久田茂雄 |
広島県副知事 |
| 小谷伝一 |
広島県会議長 |
| 森沢雄三 |
広島県教育委員会教育委員長 |
| 奥田達郎 |
広島市助役 |
| 大島六七男 |
広島市助役 |
| 砂原格 |
広島市会議長 |
| 築藤鞆一 |
中国新聞社長 |
| 松浦寛次 |
中国新聞社文化部長 |
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止
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